解説。「ポテンシャルとは何か?」について。
ポテンシャルとは何か、ということは、物理学の学習者ならば、すぐにわかるだろう。ただ、大学卒業後、「もう忘れてしまった」という人のために、簡単に解説しておく。
( ※ 特に読まなくてもよい。数式の細かな話だから、経済学の本質とはあまり関係ない。)
簡単に言えば、ポテンシャルとは、「力の積分値」である。このことから、「ポテンシャルを微分すると、力になる」と言える。
ポテンシャルが ∨ 型だとしよう。極小値よりも左側では、斜面が右に傾いており、極小値よりも右側では、斜面が左に傾いている。つまり、傾きが逆であり、傾きの値(微分値)は符合が反対である。
これが、需給曲線の「 乂 」型のグラフに相当する。均衡点よりも左側では
右下がり曲線 > 右上がり曲線
であり、均衡点よりも右側では
右下がり曲線 < 右上がり曲線
である。そういう不等式関係がある。この関係から、需要も供給も、均衡点に近づく方向に力が働く。つまり、均衡点の左側と右側とで、逆方向の力が働く。……このような状況を、 ∨ 型のポテンシャルが示しているわけだ。( ∨ 型でなく、 ∪ 型と言ってもいいが。)
ここでは、状況に応じて均衡点が移動する、ということに注意しよう。
[ 補説 ]
実は、正確に言えば、もっと込み入った事情にある。
まず、需給曲線において、「均衡点が移動する」ということがある。それは「 乂 」型のグラフでは、「需給曲線が変動する」ということによって起こる。( → 4月16日b 以降。)
そして、需給曲線の均衡点がどう移動するかについて考えると、メタ的に、「状況の均衡点が二つある」(2×2型の行列が成立する)というふうになる。ここでは、「状況の均衡点が複数ある」となる。この「状況」というのは、需給曲線の均衡点ではなくて、需給曲線の均衡点の、移動の仕方である。
だから、単純に「均衡点が複数ある」というのは、不正確だ。その均衡点というのが、需給曲線の均衡点なのか、状況の均衡点なのか、不明確だからだ。正しくは、後者である。後者ならば、その複数均衡点について、 w 型のグラフを書ける。
なお、後者でなく前者であると考える立場もある。しかし、それだと、話がおかしくなる。つまり、「需給曲線の均衡点が複数ある」と見なすと、曲線が非常に奇妙な形になるので、これはあまりにも不自然であり、とうてい信じがたくなる。(この件は、需給曲線のかわりにケインズモデル[45度線モデル]において、クルーグマンが指摘した。 → 十字の時:公共投資で日本は救えるか? )
要するに、こうだ。「複数均衡点」というのを、経済モデルそれ自体において適用してはならないのだ。「複数均衡点」というのは、経済モデルにおいて均衡点が複数あることを示すのではなくて、経済モデルの状況それ自体に複数の均衡点があることを示すのだ。
直感的に言えば、こうなる。「ケインズモデルに複数の均衡点がある」のではなくて、「ケインズモデルが成立するような状況と、古典派モデルが成立するような状況という、二つの安定した状況があって、それぞれに、状況の均衡点がある」のだ。── この両者を混同しないように注意しよう。それが、本項で言いたいことだ。
[ 補足 ]
数学的に言えば、こうだ。モデルを示す2次元平面があるとしよう。すると、そのなかに均衡点が複数あるわけではない。モデルを示す2次元平面と直交する軸があって、その軸のなかで均衡点が複数あるわけだ。
需給曲線で言えば、トリオモデルを用いて、次のように示せる。
[ 好況 ] [ 不況 ] [ 合成 ]
乂 乂
─── + ─── = ───
乂 乂
つまり、交点は、次の位置にあると見える。
「好況」のとき …… 下限直線の 上
「不況」のとき …… 下限直線の 下
「合成」のとき …… 下限直線の 上と下
実際には、「好況」のときと、「不況」のときとは、別々の平面が成立する。しかし、その二つの平面を重ね合わせて見ると、「合成」の平面のように見える。すると、そこでは、交点が二つあるように見えるわけだ。
左側の図が成立すること(「好況」)もあるし、中央の図が成立すること(「好況」)もある。しかし、同時に二つの図が成立すること(「合成」)はない。つまり、一つの平面上に、複数の交点が存在する、ということはない。
( ※ 似た話を示そう。自動車が走っている。時刻1と時刻2とでは、自動車は異なった位置にある。しかし、それぞれの時刻で撮影した二枚の写真を合成すると、自動車が二台あるように見える。実際には一台しかなくても、異なる時刻の写真を合成すると、二台あるように見えるのだ。)
[ 付記 1 ]
モデルにおける「複数均衡点」は、 w 型のグラフを書ける。ここでは、均衡点は一つしかない。何らかのポテンシャルのグラフを書けるとしても、 v 型となり、 w 型とはならない。ただし、状況に応じて、 v 型が左右に移動するから、それぞれの v 型を一つの平面に合成すれば、 v が二つ並んで w のように見えて、「均衡点が複数ある」というふうにも見える。しかし、本当は、複数の均衡点があるわけではない。正しくは、「均衡点が移動した」だけだ。
すぐ前の [ 補足 ] の図(トリオモデルの図)で言えば、 乂 のところが v 型のポテンシャルの極小値となる。 乂 が移動すると、 v 型のポテンシャルの極小値も移動する。そして、二つの場所を合成すると、 乂 が二つあるように見えたり、 v 型のポテンシャルの極小値が二つあると見えたりする。
というわけで、正しくは、「均衡点が移動する」と見るべきなのだ。にもかかわらず、それぞれの平面を合成して、「複数の均衡点がある」と見なしがちだ。そうすると、誤認して、間違った主張となるのである。
( ※ にもかかわらず、普通の経済モデルにおける「複数均衡点」というのを、考えたがる経済学者がけっこういるものだ。便利さだけを追求して、物事の核心を見失う、というタイプの秀才に多いようだ。一方、クルーグマンのような天才タイプだと、普通の経済モデルにおける「複数均衡点」というのが、とんでもないモデルとなることを、ちゃんと指摘している。 → 前出の、クルーグマンのページ。)
[ 付記 2 ]
古典派の難点は、どこにあるか?
古典派は、需給曲線の「 乂 」型のグラフを単純に信じている。そのとき、「均衡点は移動しない」と信じて、「状況は変化しない」と考えている。ゆえに、「均衡点は複数ある」ということを、理解できない。そのあげく、「均衡点に達すれば、万事解決する」と信じている。
本当は、そうではない。不況というのは、均衡が達成されない状態ではなくて、均衡点が好ましくない位置にある状況なのだ。上の図で言えば、「好況の図」において均衡点に達せない状態ではなくて、「好況の図」のかわりに「不況の図」が成立している状況なのだ。
だから、解決策は、「好況の図」のなかで最適の策を取ることではなくて、状況そのものを、「不況の図」から「好況の図」へと変化させることだ。そして、それは、2次元平面のなかでは解決できず、3次元目の軸の方向において解決されるのだ。
好況 不況
┃ ┃
二つの平面 ┃ ┃
→ 3次元目の軸
状況の \ /\ /
ポテンシャル \/ \/
極小値 極小値
[ 付記 3 ]
では、2×2の行列は、何を意味するか?
「好況」および「不況」については、人間行動の選択肢がある。最善の行動と、最悪の行動がある。それぞれについて、「状況のポテンシャル」を考えると、階段状になる。ただしその階段状のポテンシャルについて、段差をなくして滑らかに描くと、最適の行動は曲線ないし曲面における極小値となる。そして、その「状況のポテンシャル」を並べて描くと、 w 型のグラフとなる。
状況のポテンシャルについては、 w 型のグラフを書ける。ここでは、均衡点(極小値)がまさしく複数ある、と見える。ただし、正確に言えば、こうだ。複数の均衡点というのは、連続的な世界における均衡点ではなくて、二つ(または複数個)の選択肢のうちのうちから選ばれた選択肢の状況としての均衡点だ。たとえば、「不況という状況における特定の経済状況」のことではなくて、「不況」という状況自体のことだ。
だから、一方の均衡点から、他方の均衡点へ移行するには、「山を乗り越えればよい」と言えるが、それは、状況のなかを連続的にたどることによって成し遂げられるのではなくて、状況そのものを切り替えることによって成し遂げられる。グラフで言えば、「山」の部分は、「好況」の平面と「不況」の平面の中間にあたる平面の状況にあるのではなくて、これらの経済モデルの平面の並ぶところの外にある。一方の均衡点から、他方の均衡点へ移行するには、これらの経済モデルの平面の並ぶところの外をたどって、一挙にジャンプする必要がある。
そして、その「外」の部分を通るには、かなり大きな力を必要とする。だから、「 w 型のグラフが書ける」とか、「山を乗り越える」とか、そういうふうに認識するのも、あながち見当はずれではない。というわけで、先の「二人の女の比喩」も、正確ではないとしても、まるきり間違っているわけではない。(好況の平面と不況の平面の中間に、極大値を与える平面があるわけではないが。)
とにかく、状況のポテンシャルというのは、経済モデルにおけるポテンシャルとは別のものだ。したがって、状況のポテンシャルの極小値というのは、経済モデルにおけるポテンシャルの極小値とは別のものだ。
経済モデルにおけるポテンシャルの極小値は、あちこちに見出されるが、それはあくまで、「均衡点の移動」として理解される。一方、状況のポテンシャルというのは、いわば、人間行動のポテンシャルである。
(……こう述べても、話はかなりわかりにくいだろう。本項の件は、話が非常に複雑になる。だから今は、詳述しない。もっと詳しい話は、「秩序理論」で説明する。)
【 追記 】
本項の説明は、不十分なものではあるが、それでも、ある程度のことは判明するはずだ。
たとえば、従来の経済学では、「経済モデルにおける複数均衡点があるとき、一方の均衡点から他方の均衡点には、どうやってジャンプするか?」という問題があった。この問題については、本項の記述を読めば、かなりよく理解できるはずだ。
具体的に言おう。不況の均衡点で安定しているときに、好況の均衡点に移行するには、どうすればいいか? ── 経済モデルのなかで、適当な経路をたどろうとしても、無駄である。つまり、少しずつ小出しの景気刺激をして、連続的に経済を変化させても、無駄である。そんなことをしても、少し変化させたあとで、また元の不況の均衡点に戻るだけだ。むしろ、状況を一挙に転換するべきだ。つまり人々の行動を、「不況下の行動」から「好況下の行動」へと、全面転換させるべきだ。それには、経済的な政策のかわりに、心理的な政策を取るべきだ。……これが不況対策の本質である。真の不況対策とは、GDPを少しずつ増大させる政策をたくさん積み上げることではなくて、人々の行動を全面的に変更させることなのである。
( ※ 現状は、どうか? 政府は「景気対策」と称して、小出しの景気刺激策をしきりにやっている。その一方で、国民の大多数は最適行動としての「消費削減」「投資削減」という行動を取る。こんな状況では、小出しの景気刺激策をいくらたくさん積み上げても、まったく効果はないのである。これまで政府は、「住宅投資減税」「設備投資減税」「先端産業への補助金」「公共事業」など、たくさんの施策を出してきたが、そのすべては、まったく無効なのである。……山が低いときは、小さな力でも山を乗り越えられる。しかし山が高いときは、小さい力を何度も何度も発揮しても、元の谷底に戻るだけなのだ。人々の行動を全面的に変更させる力をもたない限り、何をやっても無効なのだ。)
[ 余談 ]
本項の話に似た話として、「投機」の理論がある。株式や小豆などの投機で、価格はいかに決まるか、という理論だ。(現在の需給の均衡ではなく、将来の需給の均衡を扱う。)
古典派の理論によれば、均衡点は一つだけある。放置すれば、自然に最適の値に落ち着く。だから、何も介入しないのがベストの策だ、ということになる。
ケインズの理論によれば、人々の思惑が影響する。「上がる」と思えば、人々は「買い」に走るので、ますます上がる。「下がる」と思えば、人々は「売り」に走るので、ますます下がる。
さて。ケインズの理論によれば、均衡点は、どうなるか? 簡単に見ると、「いっせい売り」の場合の均衡点と、「いっせい買い」の場合の均衡点との、二つの均衡点があるように見える。そこで「複数均衡点」と主張する経済学者も多いようだ。
しかし、私の先の説明を思い出そう。ここでは、「一つの状況では、一つの均衡点がある」となる。「一つの状況で、複数の均衡点がある」のではない。そして、状況がどちらになるかを決めるのは、人々の「心理」なのである。
ケインズは、「他の人々がどう思うかが肝心だ」と考えて、投機を「美人投票」にたとえた。「どう思うか」という心理に着目したという点では、ケインズはまさに慧眼であった。ただし、それだけでは十分ではない。「人々の心理が状況を左右する」という点が決定的に重要なのだ。そして、状況が決まると、均衡点がどこに位置するかが決まるのである。
人々は、「複数の均衡点から、どれを選ぶかを決める」のではない。「複数の状況から、どれを選ぶかを決める」のだ。── こういう違いを、はっきりと区別しよう。
( ※ 以上においては、「均衡点」というのは、モデルにおける均衡点のことを言う。モデルにおける均衡点は、状況ごとに一つだけ決まる。人々が、複数の状況から一つの状況を選ぶと、その状況ごとに、モデルにおける均衡点が自動的に決まるわけだ。)
( ※ 人々は、あくまで状況を選んでいるのであって、均衡点を選んでいるのではない。ここを混同しないように、注意しよう。たとえば、不況においては、人々は「不況における最適行動を取ろう」というふうに状況を選んでいるだけだが、その結果、モデルの均衡点として縮小均衡の点が選ばれてしまうわけだ。人々は、あえて不況となる均衡点を選んでいるわけではないのだが、不況となる状況[最適行動]を選んだ時点で、知らず知らず不況となる均衡点を選んでしまっているのだ。……つまり、ここでは、「意図せざる結果」を招いているわけだ。そういう事実を、正しい理論は教えてくれる。)
( ※ 「意図せざる結果を招く」という現象は、「合成の誤謬」という用語でも説明される。 → 2月17日 )
( ※ 「最適行動を取ると、縮小均衡の点に近づく」ということについては、「縮小均衡」という概念で、前に何度か述べた。 → 9月27日b 以降。 )
( ※ 「好況」および「不況」という状況は、経済モデルではどう示されるか? それについては、すでに述べた通りだ。すなわち、修正ケインズモデルでは「限界消費性向が 0.8 」および「限界消費性向が 0.7 」という直線で示される。両者の根本的な違いは、「下限均衡点割れ」がないか・あるかだ。それに応じて、トリオモデルでは、「下限直線割れ」がないか・あるかという差が出る。 → 9月11日b 以降。特に、9月15日 。)