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のページで 》
【 追記 】 ( 2005-02-09 )(2) ICカード
関連サイト。
→ がんばれゲイツ君
【 追記 】 ( 2005-02-09 )
実は、この番組情報は正しくないという。ICカードは、そんなにひどいものではなくて、ちゃんとスキミング対策がなされているという。詳細は、同じサイト にある修正文。( 2005-02-08 の箇所。)
Q 電子は、質点か場か?
A 電子は、質点または場で近似されるだけだ。
・ 電子がほぼ静止しているとき …… 質点 で近似される。
・ 電子が高速で動いているとき …… 場 で近似される。
要するに、電子が物質中に束縛されていて、静止しているも同然のときには、質点で近似される。しかし、電子が真空中を光の速度に近い高速で動いているときには、場で近似される。
遅いときは、古典論的な世界像(質点)であり、速いときには、非・古典論的な世界像(場)である。……これはちょうど、ニュートン力学と相対論の場合に似ている。
相対論は、物質の速度が「ほぼ静止しているとき」と「高速のとき」という二つを、統一的に解釈するような、新しいモデル(相対性原理)を提出した。量子力学も、かくあるべし。つまり、「ほぼ静止しているとき」と「高速のとき」という二つを、統一的に解釈するような、新しいモデルを出すべし。どちらか一方ならば、「質点」または「場」で済むが、双方を統一的に解釈するには、新しいモデルが必要だ。── そのモデルが前記の「二重スリット」にあるモデルだ。つまり、「虚数エーテル」というモデルだ。
このモデルを使えば、ついでに、次の問題にも答えることができる。
「すべての電子はどうして同一なのか?」
これについては、次の一文のある箇所を参照。(続編[ 2slt_zip.zip ]のなかにある。)
プランク定数は、勝手に定まった適当な量ではなくて、量子力学の根本を規定する量なのだ。それは、われわれのいる実数世界における基本的な量なのではなくて、実数世界と虚数世界とを橋渡しする際の基本的な量なのだ。つまり、虚数エーテルから電子が生成される際に、プランク定数を通じて電子が生成される。だから、すべての電子は同一なのである。(もちろん、電子以外の他の量子も同様だ。)
なお、「電子を質点と見なすと、それぞれの電子が同一であることが、なかなか説明しがたい」というふうに問題提起した上記サイトは、なかなか慧眼である。たしかに、その通りだ。( → 後述の 【 補足 】)
さて。この問題提起に、虚数エーテルの理論は、明白な解答を示せる。逆に言えば、この問題提起があることによって、虚数エーテルの理論が真実であることが確信できるわけだ。── 虚数エーテルの理論は、単に「無矛盾で現実をうまく説明できる」という、一種の仮説にすぎないとも感じられた。しかし、上記の問題提起に対して解答を出すためには、虚数エーテルという概念以外にはありえない、とわかる。この問題提起に対して、虚数エーテルという概念だけが、自然でエレガントな解答を与えてくれるからだ。
この自然でエレガントな解答を見れば、自然というものがいかに美しい調和のもとで統一的な原理をもつか、はっきりとわかる。この美しさは、相対論の美しさに似ている。古典力学の発想ではあちこちで歪みが見出されたのに、相対論では「相対性」「対称性」という概念のもとで、「自然は美しい調和のもとで統一的な原理をもつ」ということが判明した。量子論も同様だ。「虚数エーテル」という概念のもとで、「自然は美しい調和のもとで統一的な原理をもつ」ということが判明する。今はただ、自然のもつ美しい調和を、心から味わえばよい。
自然の世界にさまざまな歪みがあると見えるのは、自然そのものが歪んでいるからではない。単に、自然を見る人間の目が歪んでいるからなのだ。それだけのことにすぎないのだ。目の歪みを正せば、自然の美しい調和が眼前に現れる。
【 補足 】なお、「虚数エーテルとは何か?」について、簡単に答えておこう。以下、箇条書きで示す。
上記サイトでは、「電子を質点と見なすと、それぞれの電子が同一であることが、なかなか説明しがたい」というふうに問題提起した。この件について、補足しておこう。
この問題提起に対して、「電子をクォークに還元する」という解釈もある。そうすれば、「それぞれの電子が均一のクォークの組み合わせ」として説明できる。
しかし、この説でも、それぞれのクォークが同一であることが、うまく説明されない。要するに、さらに小さな要素に還元していっても、その小さな要素がたがいに同一であることが説明できない。通常、「公理」のように、天下り的に受け入れるだけだ。そこに、従来の量子論の限界がある。(一方、虚数エーテルの概念を使えば、この問題に明白な解答を示せる。)
なお、通常の数学のモデルでは、このような問題は生じない。たとえば、「群の要素」というものがたがいに同等であることは、あらかじめ規定されている。それを規定するのが、「集合論」だ。これが公理となって、無数の要素を生み出す。……しかし、量子論の場合には、何が同等の量子を生み出すか、そこのところが未解明である。それを未解明のまま、「電子」という言葉を使うと、「電子」という言葉の意味が不明確なままとなる。かくて量子論の体系は、基礎理論としては曖昧になる。応用理論としてなら一応成立するが、それとは別の基礎理論を必要とする。……つまり、現状の量子論は、この宇宙の基礎理論とはなっていないのだ。
( ※ その意味では、クォーク理論も、超ヒモ理論も、この宇宙の基礎理論とはなっていない。これらの理論は、「どういうふうになるか?」を示す応用理論に過ぎず、「なぜそうなるのか?」を示す基礎理論とはなりえないのだ。このことを指摘した宮沢弘成の論説は、非常に慧眼だ。)
このうち、最後の項目から、「シュレーディンガーの猫」の問題もわかる。要するに、こうだ。
- この理論の内部では、「虚数エーテル」という言葉と、「真空」という言葉とは、まったく同義である。
- 真空は、虚数の次元をもつ媒体である。
- この媒体は、「場」と同じ性質をもつ。
- この媒体は、「場」とは違って、何もない状態[無]ではなくて、何らかの実体をもつ。
- その実体は、単位量をもつ。つまり、下限がある。ゆえに、発散の問題を起こさない。
- その実体は、虚数の次元をもつ。だから真空は、実数の世界には現れない。
- 量子は、真空において、発生したり消滅したりする。
- 量子が移動するというのは、同一の粒子が移動することではない。いったん量子Aが消滅して、別の場所で同種の量子Bが発生することだ。
- 量子は移動しないが、エネルギーは移動する。エネルギーの移動は、「真空という媒体をエネルギーが波として移動する」という形でなされる。
- 「量子Aが消滅して、エネルギーが真空を移動して、量子Bが発生する」という過程を、「量子が移動する」というふうに認識(誤認)する。
- 観測とは、人間または機械が「量子を検出するか否か」ということではなくて、人間または機械が「量子を検出できるか否か」ということ、つまり、消滅した量子がふたたび発生することである。
- 量子が発生したり消滅したりするときは、プランク定数の単位を通じて、確率的になされる。ゆえに、同種の量子は、すべて同等である。たとえば、二つの電子はたがいに同等であり、区別不可能である。
「ミクロの世界の量子は、確率的に発生したり消滅したりする。しかし、マクロの世界の猫は、確率的に発生したり消滅したりしない。(量子はたがいに同等だが、猫はたがいに同等ではない。)」
ゆえに、こう結論できる。
「量子力学は、ミクロの現象については確率的に言える。しかし、マクロの現象については何も言えない」
だから、「量子力学は、猫の生死については、何も言えない」というのが正解である。こう答えれば、何も矛盾は起こらない。(量子力学は、ミクロの世界の理論であり、三毛猫やペルシャ猫の飼育法の理論ではない。量子力学は、猫について語れないことはたくさんある。)
一方、「猫の生死について、何らかのことが言えるはずだ」と考えると、矛盾が生じる。これが、「シュレーディンガーの猫」の問題だ。
また、「二重スリット」の問題については、次のように言える。
「一つの粒子が二つのスリットを通過するのではない。電子Aはいったん消滅する。そして波が二つのスリットを通過し、波同士が干渉しあったあとで、最終的にどこかで電子Bが発生する」
この発想では、一つの電子が移動するのではなくて、一つの電子が消滅してから、別の電子が発生するだけだ。ただし、消滅した電子と発生した電子は区別不可能である。ゆえに、一つの電子が「移動した」とか「ワープした」とか認識することもできる。
( ※ 詳しい話は「 二重スリットと観測問題 」のページを参照。)
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風力発電は、「風の道」に置かれことが多く、鳥の衝突被害が多くなりやすい。要注意。この環境問題については、新聞はあまり報道しない。そこで、上記のように喚起しておいたわけだ。
( → 2月04日b )
「小泉の波立ち」 表紙ページへ戻る |