[付録] ニュースと感想 (89)

[ 2005.06.08 〜 2005.06.23 ]   

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● ニュースと感想  (6月08日)

 「新技術の開発」について。
 シャープの大型液晶が発売される、と話題になっている。世界最大級の液晶画面。65インチで、168万円。( → 検索
 こんな馬鹿高い商品を誰が買うのかは知らないが、下らないことでも「先物買い」という形で話題にしたがるマスコミにとっては、ありがたい情報なのだろう。しかしながら、それよりもっと重要な情報がある。

 (1) SED
 今は、液晶とプラズマばかりが話題になっているが、こんなものは、すぐに過去の遺物になる。近い将来では、SEDが圧倒的に有利になるだろう。
 SED とは何かは、ここでは特に説明はしない。次を参照。( → SEDの発表
 なお、私見を言えば、SED の技術を開発した人は、頭がいい。なぜなら、物事の本質を探ろうとする発想があるからだ。
 液晶もプラズマも、画質の点では、ブラウン管よりもずっと劣る。画質の点では、ブラウン管が一番だ。ただし、ブラウン管は、大きすぎるのが難点だ。そこで、長所を残したまま、短所を消すには、どうするといいか? ……そう考えると、必然的に、SED の技術にたどり着く。
 「(今の技術で)できるもの」ではなくて、「(最終的に)あるべきもの」を追求する。……そこには、本質的な発想が必要だ。
 ついでに一言。
 マスコミはやたらと「大画面テレビはすばらしい」というキーを書くが、一番肝心なことが抜けている。
 「プラズマも液晶も、画質そのものは、ブラウン管よりもずっと劣る。そのくせ、値段は、馬鹿高い」
 「プラズマも液晶も、普通の地上波を見る限りは、やや小さな画面か歪んだ画面でしか表示できない。」
 こういう欠点も示さずに、いいとこばかりを宣伝するのは、やめてもらいたいものだ。プラズマと液晶がブラウン管よりもはっきりと優れているのは、電源を入れないで、置物にしているときだけだ。(というのは、皮肉が効きすぎ。  (^^); )

 (2) 有機EL
 ただし、SED よりももっと上なのが、有機ELだ。これは、すぐに実現する技術というよりは、もうちょっと先(近い将来)の技術である。とはいえ、実現は目前だ。
  → 記事検索
 これがどういう意味をもつかは、マスコミではちっとも紹介されていない。ただし、日本の有機ELの第一人者である城戸淳二(山形大)は、はっきりとした評価を下している。
  → サムスンの有機EL技術の評価   [重要]
 日本の先端技術というものがどういうふうになっているかを、実に的確に示している。非常に重要な指摘だ。技術関係者は心して読んでほしい。マスコミも同様。
 なお、参考に、次の記事も紹介しておこう。
  → NECがサムスンに特許譲渡

 ま、以上の話をすべて読むと、日本の先端技術について、過去と現状と将来とが見通せる。

 [ 付記1 ]
 門外漢のために、解説しておく。
 有機ELの研究は、もともと日本から始まった。最初の基本特許は米国だが、米国は使い物にならないと見て、投げ出した。それをこつこつと日本の研究者が基礎研究をして、実用化への道のりを築いた。
 で、数年前から、「もうすぐ実用化」と騒がれた。とたんに、日本の企業はいくつかが参入して、日本は世界で独走状態だった。ところが、韓国の企業も、「まずは液晶、次は有機EL」という順序で、研究に参入してきた。
 「韓国が来ても、まだまだ日本には追いつけない。日本が独走している」
 と楽観していたのが、2年ぐらい前。
 実は数年前に、日本の有機EL開発は、城戸淳二を中心とした産学協同の体制が取られた。これは政府の先端技術開発の方針によるものだ。そのまま、日本が世界を圧倒的にリードするはずだった。
 で、今では? サムスンに圧倒的な差を付けられてしまった。日本の全面的な敗北。

 [ 付記2 ]
 サムスンは実用化寸前。日本はまだまだ実用段階に達していない。大差がついてしまっている。このままだと、シェアのすべてを奪われるだろう。市場開拓の時期に大差を付けられると、あとで圧倒的なシェアの差となるからだ。
 新聞記事は「シャープの液晶はすごい」なんていうふうに持ち上げているが、シャープという企業は液晶に専念しているがゆえに、十年後には液晶といっしょに消滅しているかもしれないのだ。シャープだけではない。そのうち、日本の液晶メーカー(部門)はみんな破綻して、サムスンの支配下になりそうだ。

 [ 付記3 ]
 じゃ、どうすればいいか? 現状では、日本メーカーが束になっても、サムスンには勝てないだろう。それでもともかく、束になるしか、対抗策はあるまい。(現状は違うが。)
 さらには、トヨタが資本参入するといいかもしれない。技術よりは資金面で、日本企業は対抗できないからだ。トヨタにしても、今、ここで大量の資金をつぎこめば、多くの利益を得るはずだ。……金をトヨタ銀行に眠らせても、無駄になるだけだが。

 [ 付記4 ]
 それにしても、マスコミの罪は重いね。できもしない燃料電池や核融合ばかりに浮かれて踊り狂っていたが、その間に、韓国は実用間近な有機ELに資金を投入して、日本に大差を付けてしまった。金をかける場所をちゃんとわきまえている。
 「大量の資金を投入するべき場所は、遠い将来の夢想的な技術ではなくて、実用化寸前の技術である」
 この方針のもとで、有機ELに莫大な資金を投入して、シェアを奪う。非常に賢明だ。技術音痴のマスコミに洗脳された日本よりは、ずっと賢明だ。
 日本人は誰も私の言うことを聞かないが、韓国は私の言うことを聞いていたせいかも。(というのは、冗談をかねたイヤミ。)
 ネットを見ると、「南堂はトンデモだ」というような意見が結構ある。日本人は「南堂はトンデモだ」というふうに叫ぶのに熱中し、外国は私の意見と同じ方針を取る。で、結果的に、大差がつき、日本の全面的な敗北。
 これは前にも何度かあった図式だ。西沢潤一を無視したときと同様だし、CPUやヒトゲノム計画のときとも同様だ。特にCPUだ。もともと日本の会社が権利所有していたCPU技術を、日本が見向きもしないで無視している間に、インテルという会社がさっさとその権利を購入して、独り占めしてしまった。かくて今では、日本企業がインテルに従属してしまっている。……馬鹿丸出し。有機ELも、同様になるんでしょうね。
( → 参考情報
( ※ 私は有機ELについて、前にも指摘したことがある。 → 2003年3月07日b2004年4月18日b

 [ 補足1 ]
 前述の有機ELのサイトのトップページは、(どこにリンクがあるのかもまともにわからないような)とんでもないHTMLで書かれている。つまりは、HTMLをまともに使える研究者もいない、ということ。お寒い限りだ。これが日本のIT研究の最先端の状況だ。
 で、そんな貧弱な状況にいる少数の研究者たちが、世界最強のサムスンと戦っている。……思い出す言葉は、旧約聖書の巨人「サムソン」だ。

 [ 補足2 ]
 オマケで、二言三言。
 液晶というのは根源的に無駄の多い表示デバイスである。というのは、自力で発光できず、背後にあるバックライトの光を使うからだ。バックライトで百の光を発したら、赤を表示するためには3分の2が無駄になる。黒を表示するためには、光の全部が無駄になる。一方、有機ELでは、この無駄がまったくない。……なお、ついでに言えば、有機ELのほか、無機ELもある。こちらは米国の企業が先行している。
 日本がこんなふうに駄目になったのは、不況が続いて、リストラなんていう後ろ向きのことばかりやっていたからだ。小泉が「靖国参拝」のためにしきりに努力している間、韓国や米国は先端技術のために努力していたわけだ。……で、私が「靖国なんかで争うのはやめよ」と述べても、人々はちっとも耳を貸さない。人々は、靖国と中国にとらわれて、韓国や米国や先端技術のことなんか、ほったらかすわけだ。とすれば、自業自得ですね。

 [ 補足3 ]
 「小泉は何もしていない」と思っていたが、実はこれは私の錯覚であった。実は、小泉はいくらか業績を上げていた。それは、経済ではなく、政治の面の業績である。
  → 茶色の朝 (最後に小泉の業績が上げられている。ただし「国旗国歌法」と「盗聴法」は小泉の前だが。)
 これを忘れていた私は、猛省する。

( ※ このページの隣には、マスコミの嘘を指摘する話もある。)

 [ 補足4 ]
 最後のあたり、下らない悪口ばかりで、ごめんなさい。もっときれいな話を知りたい人のためには、次の映画をお勧めします。
    ミリオンダラー・ベイビー
 ネットでは絶賛です。ネタバレになるので書けないが、後半は一転して、深刻な話題となる。
 人間の生と死を深く見つめている。生や死や愛は、言葉で概念的に語られるべきものではなくて、心で深く感じるべきものだ。映画の出来映えが技術的にどうのこうのと評価する評論(朝日・夕刊 2005-06-06 )もあるが、そういう表面を離れて、人間の本質を感じるために、この映画を見ると良さそうだ。
 死者への敬意を口先だけでしゃべる小泉には、とりわけ見てほしい。(でもまあ、あの人は、いくら芸術作品やスポーツを見ても、「立派さ」以外には何も感じないみたいですね。人間性に、どこか欠陥があるのかもしれない。)

 [ 余談 ]
 上記の有機ELのサイト(城戸淳二)では、日本の各メーカーの悪口も書いてある。これがなかなか笑える。そのイヤミさたっぷりの口調は、私みたいだ。  (^^);
 三洋電機のトップ人事というのも、思い出して、笑える。 ( → 検索

  【 追記 】 ( 2005-06-10 )
 有機ELの開発についての参考情報。
   → 解説姉妹ページ一覧


● ニュースと感想  (6月08日b)

 「大型テレビとレジ袋」について。
 最近、大型テレビが話題である。で、その消費電力を調べた記事があった。プラズマ、液晶、リアプロ(リアプロジェクション)の消費電力を比較して、475W、315W、198W という数値を(一例として)示している。
 プラズマであれ液晶であれ、大量に電気を食う。これを、レジ袋と比較するといい。レジ袋で5W分ぐらいの石油資源を節約しても、ほとんど無意味である。レジ袋で節約できる資源に比べて、その何倍もの資源を、大型テレビで無駄に発生させる。
 だから、レジ袋を節約しても、頭隠して、尻隠さずだ。頭だけを隠して、「見えるところは全部隠したから、もうこれで大丈夫。オーケー」と思い込んでも、マヌケである。

 なお、記事には出ていないが、もっと有効な方法もある。こうだ。
 「とりあえずは高価な大型テレビは購入しない。どうせ番組もまだ十分ではないのだから、あわてることはない。で、半年たってから、画期的な新技術の機種で、『きれい・省電力』の機種を買う」

 まともな省資源の技術も理解せずに、「レジ袋」と馬鹿のひとつ覚えみたいに音頭を取っているマスコミの、何と愚かなことか。彼らは音頭を取るのが趣味であって、省資源のことなど何も考えていないのだ。「省資源運動」をやることだけが眼目なのであって、「資源を実際にどれだけ節約するか」については数量をまったく計算できていないのだ。……新聞記者ってのは、小学校で算数を習っていない連中ばかり。
( ※ 画期的な新技術の情報は 本日別項。)


● ニュースと感想  (6月09日)

 「エタノールとディーゼルとレジ袋」について。
 ガソリンのかわりにエタノールを使う、という案があり、実用化に向かっているという。エタノールは、温暖化の効果がなくて、好ましいので、政府は推進する方針だという。(朝日・朝刊・経済面 2005-06-01 )
 それはそれでいいが、私としては、関連する提案をしておこう。

 (1) ディーゼル
 ガソリン車をエタノールにするより、ディーゼルをエタノールかプロパンにできないものですかねえ。
 プロパンは、もともと気化されているので、ディーゼルの微粒子は生じようがない。となると、環境の効果は、これが一番いいはずだ。温暖化だけでなくて、ディーゼル微粒子にも、目を向けてもらいたいものだ。花粉症の主因は、花粉ではなくて、こいつなんだから。
 日光の杉並木のように花粉の多いところは、昔からあったが、花粉症は起こらなかった。花粉症が起こったのは、ディーゼル車が急激に普及した、1970年代以降だ。
 かつて、石油ショックの対策という名分で、ディーゼル車を大幅に普及させて、花粉症を人為的に引き起こした。今度は、温暖化対策という名分で、エタノール。
 いつも、金や利益のことばかり。人間の健康のことは、一度も考えられたことがない。

 (2) レジ袋
 レジ袋を節約しよう、なんていう記事が、新聞にときどき出る。ところが、「何のために」という目的が、まったく見失われている。
 石油資源を節約するためなら、レジ袋を廃止しても、ほとんど無効である。日本中の大量の廃プラスチックのうち、レジ袋なんて、ごくわずかだ。そもそも、スーパーでは、生鮮食品を収めるための透明袋を、無料で取れるようになっている。レジ袋を廃止したら、この透明袋を使うだけだ。なお、この透明袋は、ゴミ袋にはならないから、ゴミ袋は、別途、購入する必要がある。合計して、石油資源の使用量は、減るどころか増える。
 さて。それとは根本的に異なる対策もある。植物資源を元にしたエタノールなどから、プラスチックを作ることだ。これなら、石油資源の使用量は、ほぼゼロである。
 つまり、民衆の努力する「レジ袋廃止運動」は、効果がないか、逆効果で、オマケに、人々は、すごく不便。一方、技術開発で、エタノールからプラスチックを作れば、レジ袋の使用量の何十倍もの石油資源を節約できる。
 結語。
 精神運動なんかよりは、技術開発をするべし。竹槍精神でやって玉砕するのは、戦争だけにしましょう。

 [ 付記 ]
 レジ袋というのは、非常に効率が悪い。お客に「レジ袋、いりますか、いりませんか?」と尋ねて、いちいちレジに入力する……という手間を考えたら、どうしたって、5円ぐらいのコストはかかる。レジ袋の原価が1円でも、6円で販売しないと、赤字になる。結局、5円の無駄が発生する。1円を得ようとして、5円分の経済効率低下。節約できる資源量に比べて、その何倍ものコストを、無駄に発生させる。
 要するに、経済活動に莫大な無駄を発生させて、生産性を低下させる。狂気の沙汰ですね。こんな愚劣なことを提案する経営者というものが、いかに経営音痴ぞろいか、よくわかる。
 「エビでタイを釣る」という諺があるが、逆に、「メダカ一匹を釣るために、タイ弁が五百円」というようなもの。「タイでメダカを釣る」ですね。


● ニュースと感想  (6月09日b)

 「クール・ビズ」について。
 クール・ビズという変な名称の省エネファッションが流行っている。で、これで日本中が浮かれている。(例。朝日の社説。)……ここが、日本人の悪い癖だ。頭隠して、尻隠さず。
 省エネというと、すぐにエアコンとレジ袋ばかりを考える。しかし、省エネのためには、もっと別の道もある。たとえば、ファッションなら、夏にやるだけでなく、冬にもやるといい。
 冬ではどこでも、暖房の効きすぎだ。それが証拠に、背広を着ている。背広なんか、やめましょうね。かわりに、セーターを着ましょう。そうすれば、省エネができます。ま、2〜4度分ぐらい、室内気温を下げることができるでしょう。(あまり下げすぎると、指がかじかんで、キーボードを打てなくなるが。)
 ま、大学なら、暖房なんかろくに効いていないことが多い。会社だって、それでいいだろう。とりあえず、セーターを着る運動をしましょう。
 背広の最大の欠点は、気温の問題じゃない。頭が硬くなることだ。頭が硬くなると、靖国でも何でも、ゴリゴリになる。煮ても焼いても食えない。……小泉みたいだ。

 [ 余談 ]
 頭が硬いと言えば、貴乃花親方(弟の方)がいる。ごりごりに硬くなって、怒り狂って、あげく、いさめる周囲の親族と敵対して孤立している。どうして? 不思議に思っていたが、ようやくわかった。例の整体師に洗脳されていたからだ。(週刊現代・最新号の記事による。参考 → 検索
 つまりは、何事も、洗脳されると、とんでもない形で孤立する、ということだ。教訓になりますね。
 おまけで一言。彼はなぜあんなに怒り狂うか? その理由は、ただ一つ。「自分が間違っていることを指摘されたから」。普通、人は、意見の対立があっても、怒ることはない。単に喧嘩するだけだ。ただし、自分が間違っていることを証明されると、怒り狂う。現状をそのまま受け入れることができないので、何もかもぶちこわしてやりたくなる。……それが貴乃花の状況だ。
 ついでに言えば、靖国問題で怒り狂っている人も、同様かもね。小泉もその傾向がある。自分で自分の間違いを自覚している。仲間のなかで孤立している。だから、怒っている。「怒りながらも、怒りを抑えがたい(だからすぐに話を逸らす)」という態度が、最近は見て取れる。
 自分の間違いを自分で自覚したとき、素直に反省できるかどうかで、人物の器が測られる。
 洗脳って、怖いですね。河野景子さん、かわいそうです。


● ニュースと感想  (6月09日c)

 「Apple で Windows」について。
 Apple のパソコンが intel の CPUを採用するという。intel になる時期は 2006〜2007年。
  → Jobs の告白のニュース

 さらに、Apple のパソコンで Windows が稼働するようになることを Apple が認めたようだ。Apple 自身はサポートしないが、サードパーティ(第三者の会社)が Windows を使えるように処置することを妨げないという。

 なお、これまでの OS X のソフトは、新しい intel タイプの Mac の上で働くから、既存のユーザーは安心できる。
 (ただし、OS 9 のソフトは、新しい intel タイプの Mac の上で動かないらしい。……この点は、残念でしたね。)

 この件、ネット上のニュースで知ったのだが、出典はうまく見つからない。すみません。そのうち雑誌に掲載されるでしょうから、そちらをご覧ください。現時点では、私は再確認していません。

 [ 付記 ]
 私の予想。「Apple のパソコンで Windows が稼働することを、ゲイツが妨害する。」


● ニュースと感想  (6月10日)

 「地上波デジタル」について。
 薄型テレビについて、「プラズマか、液晶か、リアプロか、SEDか、有機ELか?」という話題を先に示した。しかしもう一つ、別の答えもある。
 「どれでもない。現状のブラウン管テレビで十分だ」
 では、なぜか? その理由は、こうだ。
 「ワイド画面の地上波デジタルに統一すること(4:3画面の現行アナログ放送を廃止すること)は、ありえないからだ」
 つまり、最初の前提が、狂っていることになる。マスコミはこの前提に基づいて、「プラズマか、液晶か、リアプロか」という記事を掲載するが、実は、最初の前提が間違っているのだから、すべては無意味になる。
 私も多分そうだろうと思っていたが、専門家ははっきりとそう断言しているようだ。
( ※ 情報を得るには → 検索

 [ 付記 ]
 このことから、
 「デジタル放送は、内外の新しい事業者の参入によってブロードバンドでやればよいのである」
 という見解もある。
 だとすると、そこいらの評論家よりも、ホリエモンの方が、ずっと先見の明があったことになりますね。
 なお、パソコン購入ガイドにはしばしば、「デジタルテレビがうまく見える高機能パソコン」という紹介があるが、これは、発想が狂っている。デジタルテレビを見るための機能は、DVD録画機能などを含めて、数十万円のコスト。一方、パソコン本体の機能は、5万円のコスト。
 だから、「デジタルテレビがうまく見える高機能パソコン」というのは、正しくない。本当は、「パソコン機能のついたデジタルテレビ」である。
 私の予想では、こうだ。「将来、パソコンに、デジタルテレビ機能が標準で備わることは決してありえない(コスト高になるから)。しかし、デジタルテレビに、パソコン機能が標準で備わることは十分にあるはずだ(コスト高にならないから)。」
 要するに、ワイド画面にはたいていパソコン機能がつくはずだが、パソコンはたいてい現状の4:3画面のままだろう。ただし、ひょっとしたら、3:4の縦長画面になるかもしれない。書類を1ページ見るのに便利ですからね。(これはイヤミ。)

 [ 参考 ]
 有機ELのついての追記  →  該当箇所


● ニュースと感想  (6月10日b)

 「キャパシタと新型電池」について。
 環境保護のために「燃料電池を開発するべきだ」とマスコミと自動車業界が大騒ぎしている間に、電器業界では別の流れが生じた。それは、まったく新しいタイプの電池だ。
 一つは、「キャパシタ」(コンデンサー)と呼ばれるタイプ。通常の米粒みたいなコンデンサーとは、容量も何も大幅に違う。
 もう一つは、「リチウム電池」をナノテクで改善したもの。
 いずれにせよ、従来の電池とは大幅に異なるもので、画期的な性能の向上を果たしている。しかも、近年の技術開発の進展はめざましい。実用化もすぐ先らしい。
 このことは、読売の記事(2005-05-28 夕刊・科学面)にもあったが、ネット上にも情報がいくらかある。( → google 検索

 ふうむ。燃料電池は、負けてしまうかもしれませんね。
 そもそも、燃料電池というものは、原理的に言って、あまり優れた存在ではない。というのは、何だかんだいっても、水素を発生させなくてはならないからだ。そのためにはけっこうエネルギーを使う。
 一方、充電池の場合には、そうではない。なぜなら、風力発電を使えるからだ。風力発電で、昼間は普通に使って、夜間に無駄になる分を、充電池で使う。……これだと、非常に無駄がない。使われずに捨てられるような電力を有効に使えるわけだから、とても無駄のないエネルギー利用法だ。しかも、風力は、排ガスを出さない。
 燃料電池なんて、恐竜みたいに、過去の遺物になるかも。
( → 風力発電


● ニュースと感想  (6月10日c)

 「道路の金属片」について。
 道路のガードレールに金属片が差し込まれているという。警察は悪質ないたずらと見て、パトロールを強化しているという。( → ニュース
 いたずらですかね? そんな暇人はいないでしょう。
 私の推測では、これには、ちゃんとした目的がある。こうだ。
 「暴走ゲーム」
 人のいない時間帯(夜間)に、きついカーブで、暴走ゲームをやる。タイムアタックつき。ただし、ギリギリまで速度を上げると、道路からはみ出て、危険だ。また、ガードレールに何度もこすると、ガードレールが斜めに傾いてしまい、危険だ。だから、「ガードレールに触れたら失格」というルールを作る。そのルールを守るためには、「ガードレールに触れたら証拠が残る」というふうにする必要がある。かくて、金属片を付ける。
 ゲーム開始。1番、2番、3番、……という順でスタート。タイムアタック終了後、集計して、最速は3番車だ。ただし、チェックすると、3番車のドアには、傷が付いていた。失格。今回の優勝は、7番車です。
 ワォー! おもしろかったぜ、イェー! 各車は、ライトを点灯して、その場を去る。

 その翌日、昼ごろになって、パトカーが出動する。「いたずらする輩は、いないかな? もしいたら、つかまえてやるぞ」と眼光鋭く警戒する。しかし、いつまでたっても、犯人は見つからない。

 [ 付記 ]
 では、昼間は、犯人は何をやっているか? 
 「やることがねえぜ。暇だなあ。ちっ。おもしろくねえぜ。何しろ、失業中だもんなあ。どこも雇ってくれないもんなあ。くそっ。スカッとしたいぜ」
 本当の犯人は、誰でしょう? 


● ニュースと感想  (6月11日)

 「靖国」について。二件。

 (1) 過去と未来
 大局的に言えば、こうだ。
  ・ 左翼 …… 「日本の過去を否定せよ」
  ・ 右翼 …… 「日本の過去を肯定せよ」
 以前は、左翼が優勢だった。日本という現状は、貧しかったから、その責任を戦前の軍人に帰した。「おれたちが貧しいのは、旧日本軍の軍人のせいだ」というふうに。他人を憎むことで、自分の苦しみを緩和しようとした。
 最近は、右翼が優勢だ。いったん貧しさを脱すると、先祖を否定することは、自分を否定することになる。自国の過去を否定することは、自国の現在を否定することになる。「日本は間違っていた」と主張するよりは、「日本は正しい」と主張する方が、心地よい。だから、最近では、こちらが優勢だ。
 私はそのどちらをも否定する。こういうふうに。
 「日本の過去を論議するな。それは一人一人が感じればいい。政府がなすべきことは、行政としての政策だ。それを知るには、過去でなく、未来を見つめよ。」
 今、政府は、何をするべきか? 靖国に参拝することか? 他の慰霊碑を作ることか? ……人々はそのどちらにするかで論議する。しかし私は、こう主張する。
 「有機ELのために予算を付けよ。そのための論議をせよ」
 つまり私は、馬鹿と阿呆の論議の土俵には、乗りません。

 (2) 過去の誤認
 未来を見るとはいっても、過去を虚偽で塗りたくるべきではあるまい。この件は、次の箇所に追記した。
   → 該当箇所

 [ 補足 ]
 さて。政治の話ばかりで、心が汚れて困る、という人のためには、次の画像がお勧め。
   → 宇宙の銀河の画像その他 一覧
 とても美しく、心が洗われます。


● ニュースと感想  (6月11日b)

 「貴乃花の悲しみ」について。
 貴乃花について、「洗脳された」と先に書いたが、これはどうやら正しくなかったようだ。貴乃花のインタビュー記事を読んだが、ここにあるのは「洗脳」とは違う。それなりに自己反省もできている。
 ただし、母や兄には厳として対立する。整体師を守ることはできるが、母や兄を許すことはできない。あげく、父や叔父や後援者など、あらゆる近親者を敵に回す。( → ニュース ) あらゆる近親者を敵に回しながらも、整体師だけを信頼する。
 これは、洗脳に似ているが、洗脳ではない。人々にとっては理解不可能なので、「洗脳」と呼ぶのだろうが、「洗脳」とは違う。では、何か? 
 それは、悲しみだ。周囲にあるすべてを受け入れることができなくなったほどの悲しみだ。現状を受け入れられない悲しみだ。それは、何か? 
 それは、「稀代の大横綱になる」という夢が挫折したことの苦痛だ。本来ならば、史上最高の大横綱になるはずだった。誰もがそれを期待したし、自分もそれをめざして死にものぐるいの努力をしてきた。兄が適当に稽古をしているときにも、自分は脇目もふらずに稽古をした。それは「死にものぐるい」という形容がふさわしい努力だ。
 なのに、背中を負傷したせいで、一挙に力量が落ちた。記録をすべて書き換えるという夢が、泡と消えた。( → 資料
 それは自分の人生をすべて否定されるような衝撃だ。とうてい、この現実を受け入れることができまい。
 「これは本来の現実ではないのだ。本来は自分は期待の大横綱になるはずだったんだ。それこそが本当の現実だ。」
 彼はそう信じる。現実ではなくて夢の方を信じる。(たとえて言うと、「シュレーディンガーの猫」についての「多世界解釈」に似ているかもね。貴乃花も物理学者も、精神異常の度合いは、同様だ。……これは冗談だが。)
 で、彼はこういう「別の現実」「あるべき現実」を信じようとするが、誰もそんな話をまともに聞いてくれない。まともに聞いてくれるのは、二人だけだ。商売上手で「お客様の言うとおりです」と肯定する整体師と、彼をとことん支える妻だ。……二人とも、彼の言葉を、額面通りに信じているわけではない。ただ、彼の夢想を否定するわけには行かないから、「はい、はい」と頷くだけだ。この二人だけが、彼の夢想を否定しないでくれる。

 週刊文春の「貴乃花の独白」を読むと、彼の周囲の人にも、いろいろと問題があるようだ。女癖の悪さとか、金銭とか。……なるほど、そういうこともあるだろう。常識的に言って、人間関係においては、何らかのトラブルはつきものだろう。
 ただし、それでも、普通の人は、「血のつながりのある相手とは、こじれた人間関係を修復しよう」と試みる。自分の妻が浮気をしたら怒り狂うだろうが、自分の兄や親が浮気をしたぐらいでは怒り狂わない。肉親との間では、憎悪の関係を続けようとはしない。そんなふうに憎悪し続けるには、莫大なエネルギーを必要とするし、疲れてしまうからだ。
 しかし、彼だけは、憎悪のエネルギーを保ち続ける。母が「兄弟は仲良くして」と求めると、「すべての元凶は母と兄だ」と反発する。決して和睦を求めない。
 では、なぜ? 「こじれた人間関係を修復する」ということは、現実を受け入れることだ。それは、「敗者としての自己を受け入れる」ということだ。「夢想としての自己」を否定するということだ。── それは、できない。
 苦しんでいる彼にできることは、周囲のすべてを「馬鹿者」として否定することだけだ。実際、彼には、他人の馬鹿さがはっきりと見える。だから、自分は決して間違っていないはずだ。そう信じ込む。

 貴乃花の悲しみ。それは、「挫折した天才の悲しみ」である。……才能と美貌を備え、話題の美女と婚約して、あらゆるものを若くして手に入れたはずの男。その男こそ、この世で最も失意にとらわれる。最も多くのものを手に入れられるはずであったが、だからこそ、失ったものが最も多い。
 それに比べて、凡人は幸せですね。小さな幸せを、花を買うことで得る。
 「友がみな我より偉く見ゆる日よ 花を買い来て妻と親しむ」 (啄木)

 [ 付記1 ]
 今にして思うと、宮沢りえとの破局の理由も推測がつく。
 「愛情が冷めた」
 と本人は述べて、世間のひんしゅくを買った。しかし、これには、理由があったはずだ。それは、こうだ。
 「相撲がすべて、という貴乃花の方針に、宮沢りえは従わなかった」
 貴乃花は、宮沢りえに、「女優をやめて自分の横綱昇進のために尽くすこと。将来は部屋のおかみさんとなること」を、当然のこととして要求していた。口には出さなくても、当然と見なしていた。一方、宮沢りえは、「自分が女優を続けること」を、当然と見なしていた。そのまま、婚約。(というのは、××××をしたあとのツケ払い。  (^^); )
 ところが、その思惑の食い違いが噴出した。貴乃花は、当然と見なしていたことが叶えられなくなり、裏切られた思いになった。たぶん、自分では、被害者になった気分だったろう。で、前述の台詞になったわけだ。
 実は、貴乃花というのは、学校の勉強もろくにやっていなくて、漢字もまともに読めない。言葉も舌足らずで、言語能力が非常に低い。彼の人生は、「相撲がすべて」だ。……そういう人生観から生じた悲劇だ、と言えなくもない。
 悲劇は、外界の力によってたまたま生じるというよりは、悲劇的な人物があえて招き寄せるものなのだ。

 [ 付記2 ]
 なお、以上を読んで、私がどういう立場でいるか、理解してもらえただろうか? 
 「南堂は、貴乃花を批判して、若乃花を支持している」
 と思った人もいるだろう。そう思う人は、靖国の問題についても、
 「南堂は、日本を批判して、中国や韓国を支持している」
 と思うことはずだ。……つまりは、「心が偏見にとらわれると、自分以外のものがすべては敵に見える」ということだ。そのことが、貴乃花の問題からも、透けて見える。
 念のために言っておこう。私の立場をこう理解した人もいるだろう。
 「南堂は、貴乃花と若乃花を批判して、喧嘩をするなと言っている」
 「南堂は、日本と中国・韓国を批判して、喧嘩をするなと言っている」
 「南堂は、自分だけでなく相手の心の痛みを理解せよ、と言っている」
 その理解が正しい。
( ※ ただし、私の支持・不支持とは別に、若乃花の側が、「喧嘩の停止」を望み、「沈黙」を守っているのは、事実であるようだ。それをどう評価するかは、読者の勝手。)

 [ 補足 ]
 実を言うと、貴乃花の問題は、日本の問題に似ている。
 靖国問題を見よう。確かに中国は、デタラメなことを言っている。ほとんど「言いがかり」のようだ。そのことが日本の保守派には、はっきりと見える。「中国は間違っている。ゆえに、自分は正しい」と結論する。
 この図式は、貴乃花の図式と、そっくりだ。「他人も間違っているが、自分も間違っている」という発想は、そこにはない。
 かくて、「自分は正しい」とだけ主張して、孤立したまま、周囲の全員と喧嘩し続ける。……何とよく似ていることか! 
 貴乃花であれ、日本であれ、態度はそっくりだ。ひたすら「相手は間違っている」とだけ主張する。「和解しよう」「理解しよう」という態度は、これっぽっちもない。
 そこで私が、正しい態度を示そう。
 中国や韓国などには、「反日教育」という非がある。しかし、日本はアジアの長兄なのだ。とすれば、弟がどんなに言いがかりを付けてきても、喧嘩相手になるべきではない。「おまえは間違っている」と応じるべきではない。相手の言いがかりには、「その心を理解する」という態度で、大きな包容力で応じるべきだ。それが兄の取るべき態度だ。
 弟が喧嘩をしかけても、喧嘩の相手になってはならない。また、対等の資格になってもならない。兄というものは、弟に譲るべきなのだ。……なぜなら、兄はもともと、兄であるがゆえに有利なのだから。
 「金持ち、喧嘩せず」
 という言葉もある。それと同様に、「兄は、喧嘩せず」というのが正しい。相手と同じ土俵に乗るようでは、兄の資格がない。ただのガキだ。そして、今の日中や日韓の関係は、ガキ同士の喧嘩だ。どちらも自分を反省できないからである。
 なお、調査によると、韓国では、反日世論がひどく盛り上がっているようだ。それに対して、日本では親韓的な世論が強い。(読売・朝刊・1面 2005-06-10 。同文。)
 これを見る限り、怒り狂っている韓国の方がガキっぽくて、友好的な日本の方が大人っぽい。子供と大人の差だ。……ただし日本にも、反韓や反中を唱える保守派の人々がいる。大人げないですね。こういう人々は、韓国や中国にいる反日運動家と、そっくりである。生まれた国が違うだけで、攻撃的な体質はまったく同じ。……カッコ悪いですね。


● ニュースと感想  (6月12日)

 「貴乃花の論理矛盾」について。
 この兄弟げんかについては、私はどっちの味方でもないが、ちょっと論理矛盾が気になったので、指摘しておこう。
 貴乃花の言い分。
 「兄は、長男として部屋を継承するべきだったのに、部屋を継承しなかったのは、けしからん」
 「部屋を継承したのは私である。だから、二子山の親方株の権利は、私が引き継ぐべきだ」
 自分が親方であることが、嬉しいのか嬉しくないのか? 嬉しいのなら、部屋を譲ってくれた兄に感謝するべきだし、嬉しくないのなら、親方株を兄に渡して引退してしまえばいい。
 本当は、「面倒だが、やりがいがある」ということだろう。しかるに、「プラスの面については自分の功績にして、マイナスの面については兄の責任にする」というふうにする。
 これは、靖国参拝論者と同じ理屈だ。「プラスの面については日本の功績にして、マイナスの面については中国の責任にする」というわけ。「台湾やマレーシアが親日的なのは自国(日本)が原因であり、中国や韓国が反日的なのは相手国が原因である」というわけ。「うまく行ったら自分のせい、失敗したら他人のせい」というわけ。(小泉流。)
 これじゃ、どうしようもありません。いつまでたっても、喧嘩が収まらない。

 [ 付記 ]
 貴乃花のヘアスタイルが話題になっている。どんなのか知らなかったが、ネットで見つかった。
  → 横顔 ,  正面1 ,  正面2

 感想はいろいろあるようですけど、良し悪しは別として、私は、「これは少女マンガふうだ」と思いますよ。……小泉にちょっと似てますね。  (^^);


● ニュースと感想  (6月12日b)

 「朝日の洗脳体質」について。
 朝日の洗脳体質は、一向に直っていないようだ。サッカーの北朝鮮戦の試合のあとで、しきりに洗脳しようとしている。
 「今回の勝利は、偉大なるリーダーのおかげである。偉大なるリーダー様、偉大なるリーダー様!」
 としきりに賛美している。(朝日・朝刊 2005-06-09 )
 私は、「ほう、北朝鮮が勝利して、首領様を賛美しているのか」と思ったのだが、実は、日本が勝った。で、紙面では、選手がどう戦ったかという記事はろくに書かないで、かわりに、「神様」とも呼ばれる監督をしきりに賛美しているだけだ。

 で、監督のどこが優れているのか? どのようなすばらしい戦術があったのか? 1面では、「選手の個の力を発揮させたこと」であり、スポーツ面では「練習を公開したこと」であり、そのいずれも、「戦術らしい戦術を採らなかったこと」である。つまり、監督としては何も戦術を採らなかったことが最高の戦術だ、というわけだ。
 あまりにも馬鹿げた話だ。で、なぜうまく行ったかというと、前任者の育成した選手が、四年分、成長したから。過去の遺産でうまく行っただけ。この四年間、何もしていなかったら、次世代はまったく不毛である。(トルシエは、次世代の育成まで手がけていたが。)
 で、戦術はともかく、結果は?
 ジーコ …… たかがアジア予選の突破だけで、「大成功」と賛美される。
 トルシエ …… サッカー後進国の日本を、大躍進させて、ベスト16にまで進出させたが、「失敗だ」と評価された。(→ [ 付記 ])
 あまりにも馬鹿げた話だ。

 ともかく、これを見てわかるのは、朝日のサーカー音痴もさることながら、「朝日(ちょうにち)日報」とでも呼びたくなるような「独裁者賛美」の体質だ。サッカーという肝心の点の能力はすべてほったらかして、「選手重視がすばらしい」「報道対策がすばらしい」と賛美する。くだらん。そんなことですばらしいと言われるのであれば、サッカーの玄人ではなくて、ただの広報担当者を監督にすればいいだけだ。

 さて。私は、なぜ、こんなことを話題にするのか? 一事が万事だからだ。広報が上手で、職務能力が最低の独裁者。……これは、サッカーだけじゃなくて、政治にも当てはまる。口先でぺらぺらとしゃべるだけで、実行力が最低の首相。「景気は回復しています」と盛んにPRするが、実際には、景気は下降局面。( → ニュース )。しかるに、マスコミは、(あやふやな根拠で)「景気は回復しています」と言う政府のヨイショをするだけ。つまりは、マスコミの仕事を「権力者への追従だ」と見なして、事実報道のかわりに、洗脳ばかりに熱中している。
 腐りきっている。

 [ 付記 ]
 トルシエが非難されたのは、トルシエの成果が絶対的に劣っているからではなくて、準優勝した韓国との比較で、相対的に劣っているから。つまりは、トルシエが非難されたのは、日本が優勝できなかったから。……狂気的な価値判断だ。実を言うと、韓国は、優れていたというよりは、審判が誤審だらけだったせいで、準優勝になっただけだが。……こういう事情があるから、素人はトルシエを非難するが、まともな知識がある人は、きちんと数字で評価する。( → 検索
 もう一つ、トルシエが非難されたのは、3バックという戦術を採ったから。これに対して、評論家は「3バックは駄目だ、4バックがいい」と、トルシエの戦術批判をした。その後、ジーコは、4バックを採用したが、うまく機能しないので、今ではたいてい、3バックに戻してしまった。ただし、かつて3バックを非難した評論家たちは、すっかり忘れてしまったようだ。健忘症。
 健忘症は、無反省。だから何度も、同じ失敗を繰り返す。景気対策も、同様。

 [ 補足 ]
 トルシエの通訳だったダバディが、感想を書いている。(朝日・朝刊 2005-06-11 )
 それによると、この4年間の間に、かなり大きな変化があったようだ。技術が向上したというよりは、プレー・スタイルが欧州ふうになったようだ。その意味で、選手の一人一人の力量は大幅に向上したと言える。……監督だけは、熱血から自由放任になったにすぎないが。
 自由放任という名の、無為無策。経済と同様ですね。


● ニュースと感想  (6月12日c)

 「レジ袋の狂気」について。
 レジ袋の有料化が法制化される見込みだという。1枚5〜10円になるらしい。(朝日・朝刊・1面 2005-06-10 )
 これは、マスコミの主動による狂気の政策として、長らく語り継がれることになるだろう。私はこの件について、何度も繰り返して批判してきた。( → 前出
 ただし、もう一度、まとめておこう。(新たな点も加える。)  要するに、莫大な無駄を発生させて、資源節約の効果はほとんどゼロ(または有害)である。これぞ、狂気の政策。
 どうせだったら、「植物性のプラスチックを使う」という政策の方が、圧倒的に優れている。たとえば、雨の日に新聞にかぶさる防水袋は、古新聞のようなものから作製された、植物性のもの(プラスチックみたいなもの)だ。こちらを使う方が、ずっと効果がある。

 私の予想では、結果はこうなるだろう。
  ・ スーパーの売上げと利益が激減する。
  ・ レジ袋をくれるコンビニや百円ショップなどに客が流れる。
  ・ スーパーでは、客は、無料でくれるポリ袋を使うようになる。
  ・ その無料のポリ袋が配布されなくなったら、生鮮品が傷む。
   そのせいで、食中毒による病人や死者が発生する。
  ・ レジ袋の代替品として、厚い大きなゴミ袋が大量に消費される。
  ・ 結局、スーパーも客も、大損。
  ・ 特殊法人が設立され、環境省の役人が天下る。彼らは大喜び。

 こういう状況を見て、マスコミは喜ぶだろう。「おれたちの洗脳効果が出たぞ。うひひ」と。そして、あわてて、ツノとシッポを隠す。 ( → 彼らの正体の画像

 [ 付記 ]
 そのうち、レジ袋の節約のために、自動車でガソリンを大量に消費するようになるだろう。たとえば、「レジ袋をもらえないから、自動車のトランクに入れよう。だから、自動車で買いに行かなくちゃ」
 こういう日本の状況は、精神医学的には、「集団ヒステリー」と呼ばれる。精神病の一種だ。どうでもいいことばかりに、しきりに熱中してしまう。1を節約するために、2を無駄にする。本末転倒。
 韓国は、有機ELや液晶などの新技術の開発に、しきりに熱中して、最終的には資源を節約する。日本は、レジ袋の節約に熱中して、最終的には資源を浪費する。……心が小さい国は、小さな視野にとらわれる。

( ※ 6月15日 に続きがある。)


● ニュースと感想  (6月13日)

 「大東亜共栄圏の否定と肯定」について。
 前日では「貴乃花の矛盾」について話したが、靖国問題についても「保守派の矛盾」がある。それは、こうだ。
 「中国や韓国を非難することは、戦死者の信じた大東亜共栄圏の理念に反する」
 かつて「大東亜共栄圏」という概念があった。その理念は「八紘一宇」である。つまり、「日本も中国も韓国も一体化する」(「人類みな兄弟」に似ている)ということだ。
 大東亜共栄圏の理念は、極東に一大勢力を築くことであった。欧米の白人至上主義に対抗して、植民地支配を逃れるために。そして、この理念に反対する分離主義者としての独立運動家が弾圧された。中国の反日運動家が弾圧されたのは、日本が侵略するためというより、大東亜共栄圏を破壊するテロリストとして弾圧されたことになる。(中国の方は「独立運動」と見なしたが。……これはまあ、今日のイラクの情勢に似ている。)
 
 とすれば、「中国はけしからん」「韓国はけしからん」と非難することは、戦死者が命を賭けて守ろうとしたものを、否定していることになる。戦死者は「日本も中国も韓国も一体化すべきだ」と信じて命を捧げたのに、そうして守ろうとしたものを破壊しようとしているのが、反中国・反韓国を唱える保守派だ。
 保守派は、「中国はけしからん」「韓国はけしからん」と非難するとき、靖国にまつられている戦死者を侮辱しているのだ。大東亜共栄圏を否定した、当時の米国の言いなりになっているのだ。

 結語。
 中国人や韓国人を非難するなら、英霊を冒涜していることになる。なぜなら、本来なら、靖国には中国人や韓国人がまつられていてもいいはずなのだから。(中国人や韓国人も、戦中には「日本人」と見なされた。日本兵として、米国と戦ったこともあった。)
 だから、英霊を敬うなら、中国人や韓国人と仲良くするべきだろう。
 喧嘩ばかりしていると、目が曇る。喧嘩に「勝つか、負けるか」だけにとらわれ、「負けるわけには行かないから、勝つしかない」と結論する。このとき、「喧嘩をやめる」という選択肢が思い浮かばない。(戦時中の日本みたいだ。)
 喧嘩することにとらわれたすえに、自分が何のために何を主張しているかも忘れてしまう。かくて、最初の理念に矛盾するようになる。「英霊を敬え」と言ったあげく、「英霊を侮辱する」という形で喧嘩しつづけるハメになる。
 自家撞着。


● ニュースと感想  (6月13日b)

 「有機ELとポイズン・ピル」について。
 6月11日では、私は「有機ELに予算を付けよ」と述べたが、これは、本当は、好ましくないことだ。なぜなら、政府による経済介入であるからだ。
 とはいえ、「放置すればいい」というわけではない。現状を放置すると、韓国に負けてしまう。だから、問題は、「なぜ、そんな現状になっているか」だ。その理由は、こうだ。
 「民間の経営者が、馬鹿ぞろいだから」
 これは別に、私が言ったことではない。城戸淳二が例のページで述べたことだ。
 では、なぜ、経営者は馬鹿ぞろいなのか? その理由は、こうだ。  「経営者には、優勝劣敗が働かないから」
 つまり、駄目な経営者が、ずっと居座っている。その一例が、「ポイズン・ピル」を許容するような企業風土だ。こういう馬鹿げた状況が、経営者の新陳代謝を阻み、結果的に、日本の企業を時代遅れにする。……そして、政府は、この状況を改善するどころか、むしろ、改悪する。「ポイズン・ピルの合法化」という措置である。
 民間経営者が馬鹿ぞろいで、政府が輪をかけて馬鹿だから、そのどちらでもない私が指示しているのだ。「有機ELに予算を付けよ」と。
 
 [ 付記1 ]
 民間企業の馬鹿さの例。株の買い占めの対象となった企業の経営者が、新聞紙上で、インタビューを受けている。(朝日・朝刊 2005-06-11 )
 その弁明によると、「経営者は自己保身のために経営をしているのではない」とのこと。
 呆れた弁明だ。対比しよう。
  批判:「経営者は自己保身のためにポイズン・ピルを導入するのだ」
  弁明:「経営者は自己保身のために経営をしているのではない」
 答える方は、全然別のことを語っている。たとえて言うと、「おまえは泥棒をした」と責められた経営者が、「いや、私は痴漢をしていない」と答えて、それで免罪されたつもりになっている。狂気的。
 こんな狂気的なことを話す企業経営者もどうかしているが、こんな狂気的な言葉を掲載する新聞社もどうかしている。気違いの狂気の言葉を記事にして、どうするんですか? 読者に「狂気を理解できるように、狂気になれ」と要求しているんですか? 自分が狂気だからといって、読者を狂気にしないでほしいね。
 
 [ 付記2 ]
 有機ELの関連情報。
研究者の平均年齢(もちろん推定)は次のようになっております。液晶:61歳、プラズマ:59歳、FED:52歳、有機EL:38歳。だから、有機EL研究者は脳が柔軟で発想が豊か。けど、業界団体の集まりではいつも年寄りにイジメられる。
 これは引用だ。引用元は → 城戸淳二の過去ログ


● ニュースと感想  (6月13日c)

 「クール・ビズの批判」について。
 クール・ビズについて賛否両論がある。世の中の意見が一方向で、マスコミが一方向に世論を誘導しようとしているときには、反対意見が貴重だ。そこに言論の自由の意義がある。(朝日や読売みたいなマスコミは、それを正反対に理解していることも多いが。)
 とはいえ、朝日にはまともな意見が掲載されることもある。ドン小西というファッション評論家が、クール・ビズを批判している。(朝日・朝刊・特集面 2005-06-10 )
 ビジネススーツには、伝統ゆえの効果がある。人はそれを見て信頼する。その心理的な効果のメリットを失ってまで、やたらとクールさだけを追求するべきではない。……という趣旨。
 私の皮肉な言い方をすれば、「クール・ビズで、頭がホットになるな」ということだ。
 彼は、「通気性などのあるハイテク素材を使って解決する方がいい」とも提案する。なるほど。頭がいい。これについても、私がさらに提案を加えよう。
  ・ 扇風機のついた空調服(空冷服)というものを使える。( → 8月04日
  ・ 涼しいサマースーツ(背広)ができる。視覚の錯覚を利用する。
 この二つのうち、後者はこうだ。
 どうです。頭いいですね。これだと、ただのサマースーツ(生地の薄いスーツ)にしか見えないが、実態は、かりゆしウェアよりも通気性がいい。
 内勤の人はともかく、接客業などには、これがよさそう。
( ※ 内勤の人は、サファリシャツがお勧め。ポケットもたくさんあるしね。)
( ※ サファリシャツの画像。先日とは別のもの。 → 画像1画像2

 [ 付記 ]
科学的な解説を加えておこう。
 「ネクタイを締めたい(襟元を開きたくない)」というファッションの要求がある。これに対して、「襟元をふさぐと暑い」という実用上の難点から、「襟元を開きたい」という実用上の要求がある。通常、二者択一である。しかし、両立させたい。
 では、「襟元をふさぐと暑い」という実用上の難点は、なぜ、生じるか? それは「空気の流れ」を考えるとわかりやすい。体の熱で暖まった空気は、上昇して、首のあたりから逃げていく。ここがふさがれると、熱の逃げ場がなくなり、暑くなる。だから、この問題を解決すればよい。次のように。
  1. 体の前面の空気は、首に沿って、うなじの側に逃がす。
  2. (背面の)うなじのあたりから、空気を逃がす。
 そのための方法は、こうだ。
  1. 空気の流れを良くするように、布を肌に密着させずに、空間を設ける。胸から襟にかけて、ふくらみを設ける。襟のあたり(襟で見えないところ)には、空気の通路を設ける。
  2. (背面側の)うなじのあたり、襟の下をメッシュにして、空気を逃がす。襟もメッシュを使う。また、布の下には、ふくらみを設けて、空気を通しやすくする。
 つまりは、頭を使って、科学的に涼しくする。別にハイテクはいりません。根性もいりません。


● ニュースと感想  (6月14日)

 「Open ブログの開設」について。
 Open ブログ というブログを解説しました。

  ・ コンピュータ関係の技術的な話題だけを掲載します。
  ・ 読者がコメントを記入できます。
   (追加情報や修正情報などをご記入下さい。)

 ※ 本日分の記事は、「小泉の波立ち」ではなく、「Open ブログ」をご覧ください。
 ※ 実際の掲載日は、ブログの日付と、必ずしも一致しません。
   勝手に日付を書き換えていることがあります。


● ニュースと感想  (6月15日)

 「若乃花の謝罪」について。
 兄弟間のトラブルをめぐって、若乃花(花田勝)が謝罪文をマスコミを通じて公表した。全文引用すると、下記の通り。
 父・故花田満の葬儀におきましては、多くの方々のご参列をいただき、心より御礼申し上げます。父が逝き、はや半月が過ぎようとしておりますが、厳しくも優しかった生前の姿が脳裏に浮かび、日々、胸が詰まる思いで過ごしております。
 さて、連日、私ども兄弟、そして花田家に関する報道が続いております。私自身、非常に当惑しているとともに、父が築き上げた名誉のみならず大関・貴ノ花ファンだった多くの方々の思い出を傷つけてしまうことになりかねない状況に、申し訳ない気持ちで一杯です。ひとえに、花田家を守らなければならない立場にある、私の不徳の致すところと理解しております。一連の報道に心を痛めている方々に対して、この場をお借りし、深くお詫び申し上げます。
 一連の報道に関しては、花田家におけるプライベートな事柄であり、こうしたことで世間を騒がせることは、父も望んでいないに違いありません。そのため、私としては、今後もこの件に関するコメントは、控えさせていただくつもりでおります。天国にいる父に安らかに眠りについてもらうとともに、親族、父の友人、そして父のファンだった多くの方々に、静かに父のことを偲んで頂くためには、やむを得ないことと考えております。皆様方におかれましては、なにとぞご容赦くださいますよう、お願い申し上げます。
 私自身、未だ至らぬところが多くありますが、今後とも皆様のより一層のご指導とご鞭撻を頂戴できますよう、あわせてお願い申し上げます。
 これを読んだあと、私は思いましたね。若乃花(花田勝)を日本の首相にするといい、と。せめて小泉がこれを真似してくれるといい。そして、こういう謝罪文を出してほしい。
 連日、靖国に関する報道が続いておりました。私自身、非常に当惑しているとともに、英霊が築き上げた名誉のみならず遺族の方々の思い出を傷つけてしまうことになりかねない状況に、申し訳ない気持ちで一杯です。ひとえに、日本を守らなければならない立場にある、私の不徳の致すところと理解しております。一連の靖国論議に心を痛めている方々に対して、この場をお借りし、深くお詫び申し上げます。
 一連の論議に関しては、英霊を敬う心の事柄であり、政治の事柄ではないので、こうしたことで世間を騒がせることは、英霊も望んでいないに違いありません。そのため、私としては、今後は靖国に関する政治的な行動は、控えさせていただくつもりでおります。天国にいる英霊に安らかに眠りについてもらうとともに、国民の方々に英霊のことを偲んで頂くためには、それがベストだと考えております。
 私自身、未だ至らぬところが多くあります。今回のように大騒ぎをもたらしてしまったことを深く反省し、今後は宗教の問題でなく経済の問題に専念し、日本経済を健全化することに集中します。とりあえずは有機ELの予算を千倍以上にします。韓国の開発体制と同規模とは言わないまでも、せめて韓国の半分にはなるようにしたいと思います。そのことで、韓国に遅れるとしても、あまり引き離されないようにしたいと思います。
 靖国問題に専念するあまり、日本の先端技術のレベルを、韓国よりも圧倒的に劣るレベルにしてしまったことを、深く反省します。
 さて。首相がこういう方針を取って変節すれば、保守派から反発が来るだろう。たとえば、「有機ELなんていうわけもわからんことに、千億円もかけるのはけしからん。どうせ予算をかけるなら、靖国に予算をかけよ」というふうに。それに対抗する気概が、首相に必要だ。
 とすると、小泉には、無理ですね。日本の未来を切り開くために、反省能力のある若乃花を首相にしましょう。  (^^);


● ニュースと感想  (6月15日b)

 「貴乃花とシェークスピア悲劇」について。
 若貴騒動をめぐって、ユニークな見解が出ていた。
 「これはただの凡々たる兄弟喧嘩だ。だから放っておこう」(朝日・朝刊・スポーツ面 2005-06-14 )
 うんざりしているから報道したくない、ということだろうか。そうであれば、それはそれでいい。
 しかし、「ただの凡々たる兄弟喧嘩だ」というのは、完全な見当違いだろう。たとえば、私にも兄弟はいるが、こんな兄弟喧嘩はやりません。子供時代なら、兄弟喧嘩をしたこともあったが、大人になってまで、TVに出演して兄弟喧嘩をする人がどこにいますか。「凡々たる」なんて、とんでもない。
 ま、これだけ視聴率を稼いでいるのだから、「出演料」をもらうのならば、まだわかりますけどね。貴乃花は、出演料をもらっていたら、ずいぶん稼げたでしょうねえ。  (^^);

 貴乃花はどうして、こんなに強硬な態度を取るのか、私はわからずにいた。だが、6月13日発売の週刊現代の記事を読んで、氷解した。
 これに基づいて、たとえて言おう。この争いは、「戦国時代の兄弟争い」に近い。つまり、諸国諸大名における「跡目争い」だ。ここで、親の財産のすべてを独占しようとする。そのためには、親を強引に引退させることも、厭わない。当然、兄に対して、びた一文、譲るつもりはない。兄の方は、争いがいやで、相撲協会から脱退するまで譲歩したが、それでも弟はまだ足りずに、全部を全部、すっかり独占するまでやめない。遺骨さえ、二枚舌を使ってまで、独占したがる。
 こういう跡目争いは、諸大名のいた戦国時代にも、しばしばあった。通常は、長兄が跡目をすべて相続したが、それではおさまらない弟がいると、長兄を殺して、自分が跡目を相続した。……それと同様である。

 シェークスピアは、こういうことをテーマにして、作品を仕立て上げた。シェークスピアの歴史悲劇では、あまりにも貪欲な王子たちが登場して、エゴをむきだしにして、傷つけあい、殺しあい、血を流す。リチャード3世は王を幽閉して、自らが王になった(そして前王を殺した)。ハムレットは、父である王を殺されて、父の弟がかわりに即位した。リア王は、退位したあと、娘たちに全財産を奪われ、荒野に放り出された。……そのすべては、遺産をめぐる跡目争いだ。(マクベスもちょっと似ている。)
 では、なぜ、シェークスピアはこんな題材を扱ったのか? そこに人間性の本質が現れるからだ。人間のエゴイズムの典型が、王の遺産をめぐる跡目争いに現れる。
 貴乃花の抗争も、これと同じだ。貪欲な弟が、王(親方)の遺産のすべてを独占したがる。そのためには、王(親方)を荒野(フランス)に放り出すことも、厭わない。そして、そういう態度に出れば、当然、周囲の反発は大きくなる。そこで、争いが起こる。
 エゴをむきだしにした人物が登場すると、とんでもない争いが起こるものだ。これは、凡々たる争いではなくて、人間の暗部の典型としての争いだ。この本質を理解しよう。

 [ 付記 ]
 そして、この本質があるからこそ、貴乃花の例は、靖国問題と似てくる。エゴをむきだしにした人物(小泉)が登場すると、とんでもない争いが起こるものだ。「自分は正しい。中国も韓国も間違っている。だから、断固としておのれの方針を貫き、決して妥協しない」という方針。
 貴乃花であれ、小泉であれ、麻原であれ、「自分は正しい」という信じ込んでいる人間は、周囲との間で、とんでもないトラブルを引き起こす。そして周囲を破壊し尽くす。貴乃花は周囲の人々を破壊し、小泉は国民経済を破壊し、麻原はサリンで地下鉄の乗客を破壊する。いずれも同様だ。
 この本質を理解しない限り、人々は、破壊し続ける人物を放置する。野獣を放置するように。サリンでは莫大な被害者が出た。死者十二人、負傷者約五千五百人。不況では、もっとひどい被害が出た。……貴乃花の場合は、その縮小版だ。
 なのに、マスコミのやっていることは、「危機の警告」ではなくて、「危機の隠蔽」だけだ。貴乃花のときには「ただの兄弟喧嘩だから放置しよう」と言い、オウムのときには「宗教の自由があるから放置しよう」と言い、サッカーでは「ジーコは個人重視で好ましいから放置しよう」と言い、不況では「小泉はライオンだけど人食いではないから放置しよう」と言う。……というわけで、「気が付いたときには、もう遅い」というふうになる。
( → 6月11日b 「貴乃花の悲しみ」でも、本質を述べた。)


● ニュースと感想  (6月16日)

 前日分への追記。「争いの時期」について。
 貴乃花について、「遺産をめぐる跡目争い」というふうに表現したが、こう考えると、すべてがよくわかる。特に、次の問題だ。
 「なぜ、今というこの時期に、争いが一挙に噴出したか?」
 ありふれた兄弟喧嘩なら、この時期に起こるはずがない。親の死んだ悲しい時期に、兄弟喧嘩なんかするはずがない。兄もそう感じている。
 しかし弟は違う。彼にとっては「遺産をめぐる跡目争い」だ。だから、何が何でも、親が死んだ直後というこの時期にやるのだ。すべてを独占するために。
 この時期に、(弟からの一方的な)争いが起こったのは、不思議でも何でもないのだ。当然のことなのだ。
 逆に言えば、この時期に争いが起こったということで、前日の解釈の妥当性が裏付けられる。


● ニュースと感想  (6月16日b)

 「貴乃花と薬物」について。
 貴乃花の現状は、理解できないというよりは、痛々しい。テレビで見られる顔はやつれて、目がくぼんで、魂が抜けていて、まるで死人のような顔だ。兄や母の悪口を言うときの口は歪んで、魂の歪みが露見している。これを見て感じる形容は、「悪人」でもなく、「狂人」でもなく、「廃人」に近い。あまりにも痛々しい。
 では、なぜ? あれこれと状況を考えると、こういう推定が成立する。
 「貴乃花は、ある時期から、薬物を使うようになった。その時期は、例の整体師にかかった時期である。その少し前から怪我に悩まされていたが、怪我の治療には薬物が非常によく利くという話を聞いて、闇ルートの薬物を入手した。これによって怪我は急速に回復していった。同時に、体が急激に大きくなり、小柄だった体格が 160キロまで急激に大型化した。怪我は回復し、筋肉も増加したが、同時に、マイナスの点もあった。第1に、無理な力を使うようになったので、かえって別のところで怪我をしやすくなった。第2に、大型化にともない、敏捷さを失い、単なる馬鹿力だけになった。第3に、脳に影響を受けて、エゴイスティックな性格になった。」
 歴史的に見ても、エゴイスティックな暴君タイプの人物は、脳に何らかの異常が発生していたと推定される。自分で自分を抑制できないタイプだ。脳の調整機能が、どこかで異常を起こしているのだ。器質的に何らかの分泌がおかしくなっている可能性が高い。貴乃花も、同様であったと思える。つまり、ステロイド系の薬物のせいで、脳の化学物質の分泌がおかしくなり、粗暴な性格になってしまったのだ。

 これはあくまで推定である。また、確度もあまり高くない。とはいえ、「生まれつき」ではなくて、「怪我をした時期に急激に発症(発現)した」ということから、薬物の影響が強く疑われる。
 とはいえ、先天的である可能性も、なくはない。例としては、「智恵子抄」の高村智恵子は、他の患者と同様に、先天的な神経病であったらしい。別に薬物をやったわけではあるまい。

 なお、「薬物をやった」と私が強く推定した例もある。次の三人だ。
   マグワイア。ボンズ。フローレンス・ジョイナー。
 先の二人は、有名なホームランバッターだ。二人とも、年を取ってから、あるとき急に、歴史的なホームランバッターに転じた。また、ほぼハゲであった。ジョイナーは、あるとき急に、二流から超一流のランナーに転じた。
 この三人は、登場した時点で、私は強く「薬物だ」と推定した。その後、この推定は、かなり強く裏付けられた。マグワイアとボンズは、薬物をやったことを「否定はしない」または「故意ではなかった」という態度に出た。ジョイナーは、検出技術が発達する前に、ポックリ死んでしまった。
 薬物が有名になったのは、五輪の百メートル金メダルを取ったベン・ジョンソンである。彼もまた、ハゲであった。
 貴乃花の場合は、ハゲではない。ただし、ジョイナーも、ハゲではない。貴乃花は、若いころ、非常に髪の毛が豊かだった。少しぐらい髪の毛が減っても、あまり目立たないタイプなのかもしれない。あるいは、ステロイドではなく、成長ホルモンを筋肉注射したのかもしれない。( → マリオン・ジョーンズの例
 とはいえ、貴乃花が薬物をやっていなかった可能性も、なくはない。もし薬物のせいではないとしたら、先天性だから、いっそうやりきれないが。私としては、「生まれつきではなくて、あとで得た薬物のせいで、奇矯な行動を取るだけだ」というふうに祈りたい。

( ※ 上記の三人の例については、私はごく初期から、「薬物だろう」と疑っていた。ところが、その当時、マスコミは「すばらしい記録が達成された」と賛美のオンパレードだった。マグワイアやボンズをマスコミが大々的に賛美したのは、記憶している人も多いだろう。あのころ、マスコミは「すばらしい」と賛美し続けていたが、私だけは、「薬物に決まっているね」と睨んでいた。で、今もまた、私だけが「薬物かも」と睨んでいる。一方、現在のマスコミは、貴乃花の奇矯な行動を見ても、「兄弟喧嘩」というふうに扱っている。……くだらん。ただの兄弟喧嘩で、こんなふうになるはずがないでしょうが。マグワイアやボンズだって、ただの努力で、あんなふうになるはずがないでしょうが。)

 [ 付記 ]
 小泉が奇矯な行動を取るのは、完全に、生まれつきである。直しようがない。……だから、彼の妻は、黙って逃げ出したのだろう。彼女は若乃花と同様に、沈黙を守った。だから、国民は、小泉の悪口を聞かされないで済んだ。そのかわり、日本の経済を破壊する男を、放置するハメになった。……小泉が就任した時点で、小泉の本性を暴露してくれていたら、日本経済はこんなに破壊されないで済んだかもしれない。
 でもまあ、だます方もだます方だが、だまされる方もだまされる方だ。私がいくらあの男の詐欺師ぶりを指摘しても、いまだに彼を信じる日本国民の方が、どうかしているね。マスコミの洗脳効果のおかげかな。……薬物のかわりに、マスコミのせいで、日本人は頭をやられてしまった。……かくて、あっちもこっちも、頭がイカレている。


● ニュースと感想  (6月16日c)

 「レジ袋の狂気」について。その2。
 「レジ袋の狂気」という標題で、6月12日 に記述した。そこでは、「狂気」という言葉を用いたが、この言葉は誇張ではない。この問題には、人々が意識している以上の、重大な事柄がひそんでいる。それは、こうだ。
 「人々は、『正しい』と信じ込んでいることのために、ひたすら猪突猛進で突き進む」
 推進派の人々は、レジ袋有料化の推進を「正しい」と信じ込んでいる。そして、「正しいことを推進するのは、当然だ」と思い込んでいる。あげく、「正しいことを推進するためには、正しくない意見(自分とは異なる意見)を取る人々を弾圧するのは当然だ」と思い込んでいる。……かくて、「レジ袋の有料化に反対する店に対しては、制裁するべきだ」というふうに突き進む。( → 朝日の記事 「有料化を徹底させるために、業界を指導、勧告し、規制効果を持たせたい考えだ。」)

 げっ。恐怖の統制政治。経済における「自由な活動」という基本理念を、根本から破壊しようとしている。つまり、「環境改善は善であるから、この善なる活動から逸脱する輩には、厳しい制裁を加えよ」というわけだ。
 これはあまりにも恐ろしいことだ。ここでは、「発想の転換」がなされている。今までは「自由な活動」が憲法の下で保証されていたのに、一転して、「正しいことのためには全員を統制せよ」というふうに、価値観が正反対のものになってしまった。

 こういうことは、歴史的にも、何度かあった。ナチスとか、旧日本軍とか、そういう例だ。たとえば、
 「世界に冠たるドイツ!」
 「大東亜共栄圏! 八紘一宇!」
 こういう「善なること」が標榜され、その「善なること」に反する人々は、弾圧された。ユダヤ人が強制収容所に送られたり、小林多喜二が特高に連行されて拷問で殺されたり。
 ただし、このような悪しき状況は、あるとき急に突発的に発生したわけではない。歴史的には、ある種の分岐点があった。
 この分岐点の時点では、人々は、まだ危険性に気が付かない。しかし、分岐点を超えたあとで、流れが急激に加速していったのだ。そして、いったん流れが加速したあとでは、もはや流れを変えることはできない。だから、分岐点の時点で注意することが、非常に重要である。
 にもかかわらず、人々は、分岐点を超えたことに気づかない。この愚かさを示す話がある。「茶色の朝」という話だ。( → あらすじ1 , あらすじ2
 この話は、狂信者に対する人々の無関心がいかに危険であるか、ということを象徴的に示している。

 [ 付記 ]
 人々の無関心とは別に、狂信者そのものの問題もある。「自分は正しい」とひたすら信じ込んで、周囲が見えなくなっている。その例が、貴乃花だ。彼がどういうふうに猪突猛進で進んでいるか。それは、6月13日発売の週刊現代に書いてある。
 レジ袋の狂信者と、相撲の狂信者は、ほとんど同じだ。どちらも「自分は正しい」とひたすら信じ込むあまり、周囲が見えなくなっている。自分が「正しい」と信じていることのために、周囲の人々のすべてを破壊し尽くす。そして、人々が狂信者の狂信ぶりに気づいたときには、もう手遅れだ。(ヒトラーと旧日本軍の場合、これらの鬼子に世間が気づいたときには、もはや誰も止められなくなっていた。)
 この狂気をはっきり示すために、将来を想定してみよう。
 まず、第二弾だ。
 「省エネのため、クールビズや薄着を強制する。男性には背広の着用を禁止する。女性には老婆であってもミニスカートを強制する。違反した人には罰金を科する。罰金の支払いを忘れた人は監獄に入れる」
 さらに、第三弾だ。
 「省エネのため、サマータイムを国民に強制する。資源の節約という名目で、全国一律で時計を動かすことを強制する。国民はVTRやら炊飯器やら、あらゆるものの時計を動かすことを強制される。で、時計の調整を忘れて、勤務先をクビになったり、テストに遅れたり、授業で眠って点数を下げたり、寝不足の運転手が路上や電車で事故をいっぱい発生させたり。……で、経営者は、それを避けるために、始業時間を1時間遅らせて、サマータイムを無効にしようとする。ところが、そういうふうにした経営者は、非国民と見なされ、法律違反のカドで、監獄に入れられる。」
 かくて、狂気がのさばるせいで、国民生活は狂いっぱなしで、国民経済も狂いっぱなし。狂気の三重唱。


● ニュースと感想  (6月17日)

 「レジ袋の狂気」について。その3。
 レジ袋の問題で、人々は狂気的にふるまう。では、なぜ、そうするのか? その本質を示そう。実は、これは、貴乃花の問題と、よく似ている。つまり、「損得」が関係しているのだ。欲の皮が張っているから、思考が歪むのだ。このことは、経済学的に明かすことができる。
 レジ袋の問題では、人々の心に、錯覚がある。古典派経済学ふうの錯覚が。すなわち、人々は、こう思い込む。
 こうして、人々はそれぞれ、「自分は得をする」と思い込む。「1円の利益が生まれたら、その利益は全部、おれのもの」という発想だ。
 消費者は「あの1円はおれのもの」と思う。企業は「あの1円はおれのもの」と思い、捕らぬタヌキの皮算用を勝手に計算する。「双方の予想を合わせたら2円になるが、現実には1円だ」ということに気づかない。「半分ずつ取る」なら、「0.5円ずつ取る」だけなのだが、双方が、「自分は1円の儲け」と思い込む。
 これは、バブルのときの、「捕らぬタヌキの皮算用」に似ている。株価や地価が上がると、売りもしないのに、「高値で売れる」と信じて、勝手に消費する。いざ売ろうとしたら、株価も地価も大暴落。「全員が高値で売れることはない」ということに、気づかないわけだ。古典派ふうの勘違い。

 しかも、である。レジ袋の場合、もっと重大な錯覚がある。現実には、1円の利益が生まれるどころか、5円の損が生まれるのだ。── この件は、6月09日 [ 付記 ] に示したとおり。つまり、資源を1円節約しても、人件費(つまり労働生産性の低下)が6円分ぐらいあるからだ。

 結局、こうだ。消費者と企業をひっくるめて考えると「1円の得と6円の損」(差し引きして、「5円の損」)である。しかるに、消費者も企業も、「資源の節約」という「1円の得」だけを見て、「あの1円はおれのもの」と思い込むわけだ。……ありもしない勝手な前提にもとづいて、自分の利益ばかりを勝手に計算する。(古典派経済学と同様ですね。)
 かくて、錯覚にもとづいて、人々は「利益を得る」と思い込んだあげく、狂気的にふるまうのだ。……経済音痴であるがゆえに。

 [ 付記 ]
 環境保護や節約の観点から、本項に反対する立場もあるだろう。「でも、レジ袋の有料化で、資源が節約されるなら、それでいいだろう」と。しかし、そんなことはない。
 第1に、資源は節約されない。かえって浪費が進む。(前出)
 第2に、損得で言えば、損である。得だと思うが、本当は損なのだ。なぜなら、効率低下の分だけ、販売コストが上昇するからだ。……特に、一部のスーパーの利用者は、現状では1回5円分の割引スタンプがもらえるが、それがなくなる。つまり、1回につき5円の損である。
 というわけで、実効的な効果はない。

 [ 補足 ]
 補足しておこう。私が問題にしているのは、環境保護そのものではなくて、環境保護の名目の(無効な)精神運動である。精神運動としての「レジ袋有料化」である。
 昔の戦中にも、こういうことはあった。「欲しがりません、勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」というスローガンのもとで、資源節約が強力に推進されたことがった。狂気的に。 あげく、この運動が強制的になり、逸脱した人が「非国民」と扱われた。
 なお、同じことをやるのでも、自発的な意思によるのであれば、まったく構わない。「レジ袋を使わないようにしよう」というキャンペーンをして、一人一人がそのキャンペーンに従うのは、まったく構わない。問題は、これが強制的になることだ。どんな善なる運動であれ、強制化するのは、狂気的なのだ。これが本項で話題としたことだ。

 [ 余談 ]
 イヤミを言っておこう。どうせ強制化するなら、「少子化の解決」を強制化するべし。つまり、全国民に対して、子作り行動を強制するべし。それをやらなかった男子は、監獄に入れる。
 たとえば、衆院議員である野田聖子の亭主は、子作り行動を「あれを強制されるのは、たまらない」なんて文句を言っているが、こういう男は、鞭打ちの刑で、罰するべきだ。そうすれば、鞭で打たれてひいひい言いながら、マゾごっこをしながら、子作り行動をするようになる。  (^^);
 逆に、あちこちで子作りをしようとする男は、顕彰するべきだ。こういうキャンペーンもするといいだろう。そうなると、私も顕彰されるかも。   (^^)?


● ニュースと感想  (6月17日b)

 「マスコミの狂想曲」について。
 貴乃花について、「薬物」の疑いを、先に述べた。そこで、薬物の効果や副作用がどういうものであるか、化学的に説明した情報を、リンクとして示しておこう。
   → 薬物情報副作用情報検索一覧

 これで思い出したが、テニスのマッケンローも、ステロイドの副作用がひどかった。自分を制御できずに、さんざんわめいて、「悪童」と呼ばれた。覚えている人も多いでしょう。(だけど、彼の結婚相手は、テータム・オニール。ステロイドのおかげで彼女と結婚できるなら、自分もやりたい、と思う人もいるかも。  (^^); だけどステロイドのせいで離婚。  (^^); ……ひょっとしたら、例の横綱も???)

 [ 付記1 ]
 参考情報。上記の薬物情報のサイトから、姉妹ページをたどると、面白い情報が見つかる。二つある。いずれも、マスコミの狂想曲・狂乱を示している。

 (1) DDT
 「DDTは環境破壊で非難されたが、実は多大な人命を救ったという効果もあった」という話がある。物事は一面的にはとらえられない、というわけ。
   → DDTの功罪

 (2) 食品添加物
 DDTと似たようなことが、食品的な物にも当てはまる。たとえば、水道の塩素殺菌を「有害だ」と見なして廃止したペルーでは、コレラが大発生し、感染者250万人、死者1万人以上。
   → 食品添加物の功罪

 [ 付記2 ]
 食品添加物の話で思い出すと、似た話がある。水道へのフッ素混入、という話だ。
 フッ素は実質的に無害だし、虫歯予防効果があるので、やらないよりはやった方がいいと私は思う。しかし、「余計なものを加えるのは危険だ」という理由で、実施しない。
 とはいえ、水道に入れようが入れまいが、人はその何倍ものフッ素を、通常の食品から摂取している。「フッ素が危険だ」と思うのであれば、あらゆる食品の摂取をやめるべきだろう。ついでに言えば、最近のフライパンは、テフロン加工で、フッ素がいっぱい入っていて、それが経口で胃腸で入る。外食していれば、必ず大量のフッ素を摂取している。
 だいたい、フッ素というのは、ただの元素であり、しかも、塩素やヨウ素に似た物質である。(ハロゲン族元素。)で、塩素やヨウ素は人間に必要なものとされている。フッ素だけを毒物のごとく扱うのはおかしい話だ。
 「フッ素を大量に摂取すると毒性が出る」という話も聞くが、それを言うなら、ナトリウムやカリウムの方が、よほど毒性がある。しかるに、人々は、ミネラル類を含むミネラルウォーターを、毒物が入っているとは思わないで、高い金を払って買う。
 人々の非科学性を端的に示すのは、「ミネラルウォーターは、自然産出の水に限られる」という点だ。「自然産出ならばいいが、人工的なものはダメ」というわけだ。まったく同一成分でも、人工的に作ったミネラルウォーターは、ミネラルウォーターとは認められない。
 では、何が何でも、自然食品がいいのか? いや、たいていの人は、昼食には、手作り食品を作りも食べもしないで、コンビニの大量生産弁当や、マクドナルドの半調理済みのハンバーガーを喜んで食べる。
 もう、メチャクチャである。狂気的。……薬物のせいですかね?


● ニュースと感想  (6月18日+)

 貴乃花のステロイド疑惑については、先日では「私だけが指摘」というふうに書いた。
 だが、あとでネットを検索してみると、かなり前からあちこちで指摘されていたようだ。最近でも、あちこちで指摘されている。私は気が付かないまま、書いてしまった。ま、どうでもいいんですけど。念のため、注釈して修正しておきます。

 [ 付記 ]
 貴乃花のステロイド疑惑は、先日は「確かではない」と述べたが、実は、「灰色ではなく、限りなく黒に近い」と言えるようだ。今回以前に、現役当時から、そう指摘されていたらしい。


● ニュースと感想  (6月18日)

 本日分は、次のページをご覧ください。

 Open ブログをいくらか更新しました。コンピュータの話題があります。
  → Open ブログ

 ( ※ 文系向きの、新ソフトの公開もあります。)


● ニュースと感想  (6月18日b)

 【 告知 】
 更新時間を遅くする予定です。今までは、午後に公開していましたが、今後は夜間にする予定です。はっきりと決めたわけではないのですが、一応、その予定。

 どうしてか? これまでは、午後に公開していたが、書いたのは、前日。つまり、前日に書いた分を、午前中は寝かせたあとで、特に修正の必要がなければ、午後に公開していたわけ。
 今後は、この時間的なパターンを、ちょっと変えてみます。記事内容によっては、公開の時間が1日ほど早まるケースも出てきそうです。


● ニュースと感想  (6月19日)

 「本サイトへの要望」について。
 小泉の波立ちについて、「ブログにしてほしい」という要望がありました。( → Open ブログ のコメント 6/17 )
 この件について、いくらか説明します。
  ※ 以下は、特に読む必要はありません。関心のある方のみ、お読み下さい。

 この件(小泉の波立ちをブログにすること)は、前にも考えたのですが、ちょっと無理です。あちこちのブログを試用して体験してみてわかったのは、「どのブログであれ、ブログはものすごく面倒臭い」ということ。
 現状のHTMLに比べて、書いたりアップロードしたりする手間がものすごく大変なんです。
 まず、アップロード。HTMLだと、(作業がプログラムで定型化されているので)クリックを3回ぐらいやるだけで済み、マウスを動かす量もほとんどゼロ。手間はゼロも同然。時間も5秒で済む。一方、ブログだと、アップロードの手間が大変です。書式の変更なども含めて、「確認」をしたりすると、5分ぐらいかかってしまう。特に深夜は混雑するせいか、ものすごく時間がかかる。
 執筆も大変。過去ログへのリンクは、手動なので、ものすごく大変だ。どうやったらいいかさえわからない。HTMLなら、grep して見つけて、あとはクリックをちょいちょいとやるだけで、自動化される。HTMLの書式変更も、私のHTMLエディタを使えば、お茶の子さいさいだ。
 「ブログは、素人向けであって、上級者には面倒臭いことこの上ない」というのが結論。操作はわかりやすくても、手間が膨大だ。逆に言えば、上級者は、HTMLを使うことで、その手間をちょいちょいと簡単に済ませることができる。
 というわけで、ブログにする予定はありません。申し訳ありません。

 [ 付記 ]
 ブログだと、過去ログを一挙に読むのが、大変です。記事の表示件数に一定の上限があり、一カ月ぐらい前の分になると、表紙から消えてしまうせいで、どこにどれがあるのか、さっぱりわからなくなります。
 普通のブログでは、新着分がわかりますが、10件程度だけです。20件も前の分は、どこに何があるのか、わからなくなります。けっこう不便ですね。
 また、ブログだと、過去ログ(たとえば「6月」の分)が、日付に関して逆順になります。小泉の波立ちでは、過去ログの分は日付に関して正順になります。現状だと、「ニュースと感想」の最初のページに、過去ログの各ページへのリンクがありますから、これをたどるだけで、全ページを正順で閲覧することができます。

 「記事のタイトル一覧を見て、そこから該当の日付へジャンプしたい」
 という要望がありそうですね。その気持ちはわかります。でもまあ、我慢してください。小泉の波立ちというサイトは、何らかの情報提供の場ではなくて、個人的な意見の提出の場ですから、「必要な箇所を探す」というのには、適していません。
 一方、情報の提供のためには、別途、Open ブログを用意しました。これはこれで、その用途のために、ブログを使っているわけです。「適材適所」みたいなものです。

 なお、「小泉の波立ちで、過去の情報を検索したい」「該当項目だけ検索したい」という要望もあるでしょう。ただし、検索しても、項目数が膨大なので、ヒットする件数が膨大になります。(たとえ項目別にしても、ヒットする項目が多数。)
 ですから、必要な情報だけを得たい場合には、一括ダウンロードしてから、適当な検索語で全文を grep する方が、ずっと有効でしょう。該当の段落だけが見つかりますから。
( ※ grep するには sakura などのエディタを使うといいでしょう。)
( ※ 初心者の場合は、grep のかわりに、単に google などでページを検索するといいでしょう。あまり便利ではないが。仕方ないですね。)
( ※ ついでに言うと、過去のHTMLと、将来のブログとで、二本立てにすると、検索がものすごく大変になります。今さら変更すると、かえってまずいんです。)

 [ 余談 ]
 「小泉の波立ち」は、あくまで、余技です。あくまで仕事とは別の余技ですから、あまり期待しないでください。ちょいちょいと書いて、クリックをちょいちょいとやって、アップロードする、というだけ。手間は最小限にして、中身の独創性で勝負、という感じ。誤字も悪文も、ほったらかし。頭をひねるのは、ジョークのところだけ。  (^^);
 なお、読者の最大の要望は、たぶん、こうです。
 「読みやすさなどは、現状の粗悪なままでもいいから、とにかく、無料を維持してほしい」
 その要望を最優先にします。   (^^);


● ニュースと感想  (6月19日b)

 シュレーディンガーの猫に関して、物理学者向けの案内ページを新たに公開しました。
  → 物理学における問題


● ニュースと感想  (6月19日c)

 【 変更通知 】
 前項のページ(物理学)は、18日(土曜日)の午後9時ごろに、一部変更されました。
 本項が表示されている時点では、すでに変更済みです。


   ※ 変更箇所は、動画 GIF (回転するコイン)の追加です。
       → 該当箇所 (動画 GIF の箇所)


● ニュースと感想  (6月20日)

 「歴史と現在」について。
 朝日が「戦争をどう教えるか?」という特集を組んだ。(朝刊・各面 2005-06-17〜18)
 ここでは「過去の歴史をどう教えるか?」という観点から、話を進めている。で、例によって、「日本の加害責任も教えるべきだ」という口調である。こんな口調だから、「中国に屈服している」というふうに保守派の批判を浴びるのだ。物事の本質がわかっていない。
 中国に「謝れ」と言われて、「謝ります」というのでは、ただの屈服にすぎない。ただし、屈服自体は悪いことではない。(この点では、私は保守派の意見とは違う。)問題は、「言われたとおりにする」というふうに、頭が思考停止になっていることだ。「加害責任を教えよ」「はい、そうします」なんてのは、思考停止であり、子供じみている。

 では、どうするべきか? 現実を見よう。「戦争をどう教えるか?」という点で、中国と日本がいがみ合っている。こういうときには、どちらかが正しいのではない。どちらも間違っているのだ。(古典派とケインズ派がどちらも間違っているのと同じ。)
 正しくは、何か? 「戦争をどう教えるか?」という問題自体が間違っている、ということだ。そのことを教えるべきなのだ。
 中国の間違いは、反日教育をしたことだ。それは、「戦争をどう扱うか?」という点で、自国に都合よく扱ってきたことだ。
 日本の間違いは、首相が首相として(私的でなく)靖国参拝をしたことだ。それは、「戦争をどう扱うか?」という点で、自国に都合よく扱ってきたことだ。
 
 中国も日本も、歴史を自分のために都合よく扱ってきた。歴史を政治目的のために利用してきた。それが間違いだったのだ。だから、
 「戦争をどう教えるか?」
 という問題については、「過去の戦争をどう教えるかが問題なのではない。過去の戦争を教えるときに、現代の政治家がどう扱ってきたかが、問題なのだ」
 歴史の政治利用。ここに、日中双方の間違いがある。
 中国はダメな政府が体制維持のために歴史を政治的に利用してきた。日本はダメな政府が体制維持のために歴史を政治的に利用してきた。どちらも、同根である。そして、その結果は、こうだ。
  ・ 中国は歴史を、体制維持のために利用した。あげく、反日教育。
  ・ 日本は歴史を、集票のために利用した。あげく、靖国参拝。

 では、正しくは? 歴史については、政治的な思惑を離れて、客観的に示すべきなのだ。政府が勝手に教えるべきではなく、生徒が自発的に学ぶの助けるだけでいいのだ。……だから、「戦争をどう教えるか?」という問題を出したなら、その時点で、発想が間違っている。朝日はそういう発想をするから、「加害責任を教えればいい」というふうに、中国に迎合的な主張をして、人々に馬鹿にされる。
 大切なのは、過去において歴史がどうであったかではない。近年(現代)において歴史をどういうふうに扱ってきたかだ。つまり、歴史の政治利用をしてきたことだ。
 この本質を理解しない限り、いつまでたっても、右と左との喧嘩(日本と中国との喧嘩)が続いて、何も解決しない。……日本も中国も、貴乃花状態である。「たわけ!」と私が一喝しよう。

 [ 付記 ]
 サッカーのコンフェデ杯で日本が敗北。それでもジーコは安泰であるようだ。海外のマスコミにはさんざんけなされている( → zakzak )のだが、日本のマスコミは、ジーコについては、いくら負けても沈黙。一方、トルシエのときには、ベスト16に入っても、ベスト8になれなかったというだけで、「解任せよ」とマスコミは怒り狂って大宣伝。
 こういうマスコミは、中国政府や日本政府や貴乃花と同様で、まったく偏向している。で、そういう偏向した連中の目から見ると、「南堂はトンデモだ」というふうに見えるんでしょうね。偏向フィルター。  (^^);


● ニュースと感想  (6月20日b)

 「中国および韓国との外交」について。
 中国と韓国の話(外交トラブルの話)をしよう。すると、「靖国の話なんか、もううんざりだ」と思う人もいるだろう。私もそうだ。で、うんざりなのだが、ここで示すのは、「うんざりする話はやめて、別の話をしよう」という提案。
 日本は、中国および韓国との間で、喧嘩をしている。その主張は、こうだ。
 「おまえが悪い」
 「いや、そっちこそ悪い」
 で、どちらが正しいかといえば、(その主張内容では)どちらも正しい。どちらも「自分は正しい」と思い込んでいるし、確かに正しいのだが、その正しさは、「相手を悪いと非難する」という意味でのみ、正しい。
 で、どっちの非難も正しいから、非難されたどっちも悪い。つまり、中国や韓国は悪いことをしたし、日本も悪いことをした。
 「中国と韓国は、現代において、反日教育という悪いことをした」
 「日本は、戦争中において、侵略という悪いことをした」
 確かに、その通り。どっちも悪い。しかし、そんなことを今さら非難しあっても、仕方あるまい。

 それよりは、たがいに「相手のなした良いこと」を思い出す方がいい。相手が思い出してくれないのなら、こちらから宣伝すればよい。たとえば、保守派なら、「中国は悪い、韓国は悪い」と非難するのではなくて、「日本は中国や韓国に、こんなにいいことをしましたよ」と宣伝すればいい。
 たとえば、こういう話がある。
当時未発達だった農業を発展させる為、万里の長城の6倍の長さもの灌漑水路を作った八田與一(はったよいち)氏。米の品種改良に成功し“蓬莱米”という米を作り出した磯栄吉(いそえいきち)氏。
( → 引用元cf. 検索
 これは、台湾の話だが、こういう話が台湾で伝えられているということは、そのことでいっそう両国の友好をもたらす。

 結語。
 相手の欠点を非難し合うのではなくて、たがいに、相手の美点を褒め、自分の長所を認めてもらおう。……国家であれ、夫婦であれ、それこそ友好のコツだ。私の体験からして、断言できます。   (^^);

 [ 余談 ]
 逆に言えば、「中国は悪い、韓国は悪い」と非難するような連中は、男女の関係もまともにうまく行くはずがない。男なら妻の悪口ばかりを言うし、女なら亭主の悪口ばかりを言う。どちらかが我慢していればまだしも、双方が強気だと、とんでもない喧嘩になる。……犬も食わないような。
 そういえば、小泉が、そうでしたねえ。女房と喧嘩して、女房に逃げられた。今度は、中国や韓国と喧嘩して、中国や韓国にヒジ鉄を食らいそうだ。……もてない男ってのは、どうしようもないですねえ。女の扱い方を、まるきり理解できていないんだから、どうしようもない。コワモテ男は、「頭を下げると、相手が付け上がるから、頭を下げないぞ」と言い張って、ふんぞりかえる。で、ずっと、喧嘩し続ける。
 こういう男女を、まわりから見ると、馬鹿馬鹿しいといったら、ありゃしない。中国と日本の喧嘩なんて、犬も食わない喧嘩だから、まわりがみんな馬鹿にしている。なのに、馬鹿にされているのがわからないのが、もてない男たち。
 靖国参拝であれ、竹島条例であれ、相手が一番気にしているところなのに、そこを、あえて傷をほじくるようにして、痛みを与える。で、相手はすごく痛みを感じるが、こちらとしては、鈍感なので、「え、どうして?」と不思議がる。
 鈍感な男ってのは、女性の繊細な神経を、まったく理解できない。「自分は悪いことをしていないもんね」とふんぞりかえって、女性の気持ちをまったく理解できない。
 小泉は、女の気持ちがわからない。その意味で、女の気持ちがわからない電車男と同様だ。ただし、電車男の方は、自分が「女の気持ちがわからない」と自覚して、衆知にアドバイスを求めて、そのアドバイスに従った。その分、小泉より、ずっと賢明だった。
 電車男を、日本の首相にしよう。そうすれば、日本は良くなる。  (^^);
( ※ ついでですが、これは冗談ではあるが、嘘ではない。本当である。誰であろうと、小泉以外にすれば、たいてい、良くなる。……例外は、貴乃花ぐらいだ。)


● ニュースと感想  (6月21日)

 「韓国への経済援助の歴史」について。
 前項の趣旨にぴったり当てはまる記事が出た。韓国の製鉄会社で、新日鉄よりも巨大な、ポスコという会社がある。旧称、浦項製鉄。世界5位。この会社は、何十年も前、日本の経済援助(対韓賠償にかわる資金)を大量に投入することで、実現したという。(朝日・朝刊・4面・コラム 2005-06-20 )
 韓国の今日の経済発展の礎は、日本の経済援助にあったわけだ。また、それを言うなら、日本の「植民地支配」とされるものが、実は「投資型の社会基盤整備」であった、という歴史もある。
 ただし、これらの歴史は、ほとんど隠蔽されてきた。そこで、「この歴史を明らかにしよう」というのが、前項の趣旨。
 今回の朝日の記事は、私の趣旨にはぴったりなので、称賛しておこう。

 [ 付記 ]
 韓国にも、一言。「日本は、植民地支配をしたので、けしからん」と難詰する韓国人は、醜い。「日本のおかげで、こんなに経済発展ができました。ありがとう」と感謝する韓国人は、美しい。
 ただし、日本を振り返ると……韓国や中国を難詰する醜い日本人がいて、冷や汗をかきます。  (^^);;;


● ニュースと感想  (6月21日b)

 ウェブ検索用の便利なソフトを新たに公開しました。
  → Open ブログ 06月19日
 zip ファイル解凍してから、ブラウザの「ホームページ」(起動時のページ)に指定すると、検索が便利に使えます。
( ※ パソコン内のフォルダに入れて使います。ダイヤルアップ環境でも大丈夫。)


● ニュースと感想  (6月21日c)

 「レジ袋の錯覚」について。
 レジ袋の問題について、話を続けよう。実は、この問題は、経済学で理解するのが正しい。経済学音痴が社会問題を扱うと、いかにトンチンカンな結果を招くか、という典型だ。……その意味では、「狂気」というよりは、「無知ゆえの錯覚」と呼ぶのが適切かもしれない。(どっちも錯覚があるが、気が狂って錯覚しているのではなくて、無知のせいで錯覚する。)

 (1) 前出
 前出の話は、二つある。
 一つは、経済的な「効率低下」(生産性の低下)だ。これが、日本中で、大幅な損失をもたらす。つまりは、無駄の発生だ。ま、それがあっても仕方ない場合もあるが、今回に限っては、次の理由で馬鹿らしい。
 もう一つは、レジ袋のかわりにゴミ袋を買って使うことだ。これでは、資源の浪費はかえって増える。しょせん、レジ袋なんて、ごくわずかな資源しか使わない。薄っぺらだし。一方、ゴミ袋は、ポリエチレンがとても厚いから、ずっと多くの資源を使う。差し引きして、資源の浪費は増える。
 結局、資源を無駄にするために、国民はせっせと汗を流して、無駄な努力をするわけだ。

 (2) 経済効果
 経済効果は、どうか? 5円から10円なんていうふうに、中途半端な金額だから、効果がわからないのだろう。そこで、一挙に、千円ぐらいにすればよい。
 まさしく、その通り。本気で「レジ袋で資源節約」と唱えるのであれば、「一袋千円」にするべきだ。「一袋百万円」でもいい。これで、資源が節約できる。
 で、どうなる? 袋を買うのが馬鹿らしいから、買物の回数を減らす。会社の帰りに、「ちょっとあれを買おうかな」と思っても、袋を買いたくないから、買物をやめる。家に戻ってから、週末にまとめて買おう、と思う。こうして、衝動買いがなくなる。……結果的に、商店の売上げは、激減する。人々は、必要なものだけを買い、必要でない物を買わなくなる。
 こうすれば、「必要な物だけを買う」というシンプルライフになる。これで、すばらしく資源節約が実現される。
 しかしながら、現代社会は、未開社会とは違う。生活のほとんどは、不必要なものを購入することで成り立つ。そういう不必要なものの購入がなくなれば、資源の浪費は減るが、同時に、経済は未開社会のレベルにまで縮小してしまう。
 結果的に、スーパーの売上げは激減するから、大幅赤字で倒産するだろう。それがつまり、「レジ袋を千円にする」ことの効果だ。
 これを和らげて、「レジ袋を5円にする」としても、話は大同小異だ。規模が小さいだけで、スーパーの売上げはやはり低下する。「レジ袋代の5円を上乗せして販売できるから嬉しいな」と思っても、5円の分、消費者は店に来なくなるだけだ。
 スーパーは、自分の存在原理を、まったく理解していない。「薄利多売」つまり「価格を下げて売上げを増やす」というのが、スーパーの存在原理だったはずだ。逆に、「価格を上げて利益を増やす」のでは、「厚利少売」となる。これは、専門店の道であり、スーパーの道ではない。
 スーパーは、自分の存在原理を忘れて、自己矛盾に陥ってしまった。馬鹿丸出し。

 (3) 炭素税
 では、どうするべきか? 「炭素税を」というのが、私の提案だ。
 レジ袋ばかりに目くじらを立てても、資源の節約などは実効性がない。実効性を上げるには、莫大な石油資源のうちのごくわずか( たぶん 0.1%以下。0.001%ぐらいかも)のレジ袋を節約するのでなく、石油資源全体を節約するべきだ。そのためには、炭素税が最も実効性がある。
 こういうふうに「国全体の量を制御する」という形で、実効性のある措置を取るのが、マクロ的な発想だ。
 一方、目先の一つ一つを制御しようとするのが、古典派の発想だ。「一人一人が努力すれば、全体が良くなる」という発想だ。しかし、とんでもない。いくら一人一人が努力しても、一人一人が努力で操作できるのは、レジ袋だけだ。商品そのものの資源利用量を操作することはできない。ここを操作するには、「炭素税」を導入するしかない。
 たとえて言おう。百人の乗ったボートがある。全員で漕げば、島にたどりつける。怠けていれば、流される。だから、全員で漕ぐべきだ。で、どうするか? 
 古典派ならば、こう考える。「自分の努力することだけをやればいい。だから、全力でオールを漕ごう。何もしないよりは、一人でもやった方が、有効だ」。そう信じて、「レジ袋」という名札の付いたオールを、一人でせっせと漕ぐ。しかし、いくら努力をしても、「石油資源」という名の付いたボートは少しも動かない。いや、ほんのちょっとは動いているのだが、とうてい島にはたどりつけない。
 マクロ経済学者ならば、こう考える。「一人だけでやるのでは、やってもやらなくても同じだ。全員でやってこそ、意義がある。全員でやれ! そのためには、アメとムチだ。やったものにはご褒美。やらなかったものには、鞭で打つ」。そう唱えて、鞭をしならせた。すると、百人があわてて、オールを漕いだ。ボートは島にたどり着いた。「成功」という名の島に。で、島には「生存」という名の成果があったので、その成果を百人で分配した。かくて、全員が、漂流による死を免れた。

 [ 付記 ]
 オマケで一言。レジ袋が有料になれば、レジ袋がなくなって、紙袋になる可能性が高い。紙袋なら、有料化の根拠がないからだ。また、頭のいい小売店は、植物性プラスチックか再生プラスチック(新聞の防水シートと同じ)を使ったレジ袋で、サービスするだろう。
 で、そうなればそうなったで、資源節約の効果があるか? いや、しょせんは、0.1%以下だ。自動車や電器製品などの 99.9%以上が、大量の資源(ガソリン・電力)を浪費しているのだから、五十歩百歩である。
 しょせんは根本が狂っている。見当違い。大いなる幻影。


● ニュースと感想  (6月22日)

 「新聞とレジ袋」について。
 レジ袋の有料化がいよいよ法制化されそうな見込みだ。
 さて。一方で、新聞の「防水シート」もある。雨の日に新聞をくるんでいる半透明の袋だ。よく見ると、「材質はポリエチレンです。再生原料を使用しています」と書いてある。リサイクルの「プラ」マーク付き。
 だったら、この袋も、レジ袋と同様に有料化するべきだろう。この袋を使った新聞には、一袋5円〜10円、課税するべきだ。(なお、新聞社の各社が金を取れば、談合ふうにカルテルを取ったのと同様になる。「朝日新聞と読売新聞、カルテルで摘発される」なんて記事が出そうだ。談合記事の一環だ。)

 ま、こんなのを有料化すれば、新聞の価格が上昇して、ますます新聞離れが進む。かといって、袋を使わなければ、新聞がぐしゃぐしゃに濡れて、それはそれで新聞離れが進む。……やれば、愚の骨頂。
 ところが、それと同じことを主張しているのが、レジ袋の有料化だ。
 このことを一般化しよう。さまざまな生鮮食品などを購入すると、ポリ袋に入れられるが、これも有料化するべきだろう。そうすると、どうなる? かわりに、たとえば、豆腐の行商。豆腐を、袋でなくて、鍋に入れる。(ずっと昔は、そうしていました。ちびまる子ちゃん時代。)
 PET飲料も同様だ。「ガラス瓶でリサイクル」を原則として、PETや缶は資源浪費の分を有料化するべきだろう。たとえば、アルミ缶は、多大な電力を使うので、資源を浪費している。アルミ缶の回収率は、百%にはほど遠いから、その分、資源を浪費している。

 だから、「ほんのわずかな資源を使って、生活がとても便利になる」というのは、好ましいことだ。こんなわずかな問題だけに目くじらを立てる方がどうかしている。姑根性ですかね。
 どうせなら、デポジット制を導入する方が、よほどマシである。なぜ? アルミ缶やPETは、レジ袋と違って、ゴミ袋の代用にならないからだ。レジ袋は、ちゃんと使い道がある分、省資源の効果があり、まともなのである。

 [ 付記1 ]
 「回収したプラスチックは、焼却するより、再生するべきだ。さもないと、リサイクルシステムの枠組みが崩壊する」という意見を紹介する記事が出た。例によって、朝日である。(朝日・朝刊・生活面 2005-06-20 )
 こういうのを「教条主義」という。ま、似た例はある。
 「良し悪しが問題じゃない、組織を守ることが最優先だ」
 こういう名分で、余った予算を無駄に浪費したり、談合をしたり、欠陥製品を放置したり、不祥事を隠したりする。……日本を悪くするのは、こういう連中だ。「良いか悪いか」については思考停止状態になり、単に組織やシステムを守ろうとする。呆れますねえ。朝日と政府に共通する体質だが。
 で、「焼却はダメ、再生すべし」という原則のもとで、こういうふうになる。
  ・ 回収した汚れたプラスチックを純化してから、高純度なプラスチックに再生する。
  ・ 高純度のきれいなプラスチックを単に焼却のために利用する。(例、火力発電所)
 製鉄所は、後者に近い。汚れたプラスチックを燃やせば問題ないのに、それを使わずに、コークスを使う。コークスは、温暖化効果が、石油よりもずっとひどい。だから、回収したプラスチックの利用をやめて、コークスの利用を続けると、地球の温暖化がどんどんひどくなる。
 教条主義のもとでは、状況をかえって悪化させる。なぜ? 頭が思考停止状態になっているからだ。マスコミは、読者を洗脳する前に、自分自身が教条主義に洗脳されている。その洗脳を、世間に広めるために、マスコミの媒体が利用される。洗脳の拡大再生産。

 [ 付記2 ]
 と思ったら、もっとひどい例があった。
 「回収したプラスチックを、(焼却どころか)化学繊維に再生するのも、けしからん」
 という教条主義だ。プラスチックの用途には、高純度が必要ではないものは、たくさんある。で、化学繊維とか、卵ケースのプラスチックとか、いろいろと用途がある。そのために、日本で回収したPETボトルなどを使っているという。これは、見事な再生システムだ。
 ところが、朝日はこれを見て、「PETボトルをPETに再生する仕組みがあるのに、その仕組みを崩壊させるから、ダメだ。他の用途に再生利用するなんて、けしからん」
 と主張する。いや、違った。主張するのならただの意見だが、事実報道の記事に置いて、こういう勝手な主張を客観的事実のごとく報道する。例によって、朝日記事。
 かくて、朝日は、「再生事業の推進」を標榜しながら、再生事業を邪魔しているのである。「自分のやり方とは違う」というだけで。つまりは、「実質的に資源を節約するかどうか」ということはちっとも目的ではなくて、「自己流の理念をつらぬくかどうか」だけが目的になってしまっている。教条主義。

 [ 付記3 ]
 そもそも、無駄といえば、レジ袋よりずっと無駄なものがある。「コンビニの配送」だ。「共同配送で省資源」なんて弁解することもあるが、通常、1日3回も配送している。( → 日経 )。路上をコンビニのトラックがやたらと走っているが、それはこういう事情があるわけだ。で、ここでは、レジ袋の何十倍もの資源が浪費されている。このことは、前から何度も指摘されてきたのに、マスコミはほったらかしだ。
 要するに、マスコミも政府も、省資源なんか、ちっとも目的ではない。現実に資源の無駄を減らすことなど、どうでもいい。「省資源運動をしています」という自己弁明されできればいいのだ。精神運動が目的なのであって、省資源は目的になっていないのだ。
 狂気というか、錯乱というか、阿呆というか、教条主義というか。……ま、それはともかく、だまされる方もだまされる方ですね。

  [ 補説 ]
 経済の解説。
 Q コンビニは、なぜ、1日に何度も配送するのか? 大量の資源を浪費して、コストをかけては、損をするのではないか? 
 A 実はこれは、いわゆる「カンバン方式」と同じである。企業が在庫をなくすように、コンビニが在庫をなくす。そのことで、在庫の管理費がなくなる。
 コンビニというのは、通常の店舗と違って、倉庫がない。その分、土地や建物が不要だ。その固定費が浮くから、少しぐらい配送コストがかかっても、かえって利益が出るわけだ。(さらに、売れ残りの無駄も減らせる。これはカンバン方式と同様だが。)
 直感的に言えば、「1日に何度も配送する」というシステムは、路上を倉庫のかわりにしているのだ。自分で土地をもつと、倉庫が必要だが、路上にトラックを走らせたり、歩道にトラックを止めたりしても、駐車場の代金を国に払わずに済む。国民の財産を無料で使える。しかも、軽油を使えば、払う税金もごくわずかだ。
 「公共財を無料で使って、利益を上げる」というのが、「1日に何度も配送する」というシステムだ。で、コンビニ会社は、それで利益を上げる。一方、国民にとっては、路上が混雑したり、排ガスが撒き散らされたり、莫大な石油資源が無駄になったりする。しかし、コンビニにとっては、そんなことはどうでもいい。自分さえ利益を上げればいいのであって、国民全体のことなどどうでもいいのだ。……これが「市場経済万能主義」に基づく経済政策。現状は、この政策を取る。
 で、馬鹿なマスコミが、こういう泥棒と無駄を隠蔽して、国民に責任転嫁するために、「レジ袋、レジ袋」と大騒ぎしているわけだ。
 「おれは石油を百トンも無駄にするが、その分、きみが石油を百グラム節約してくれ。それでいいだろ?」
 とコンビニが主張すると、マスコミが、
 「そうだ、そうだ」
 と大合唱する。かくて、「レジ袋の有料化」という政策が推進される。
 繰り返していうが、マスコミの仕事は、真実の報道ではなくて、国民を洗脳することなのである。朝日も読売も、それが社是になっている。ホントですよ。彼らの社訓に、「真実の報道」なんて言葉はない。昔はあったかもしれないが、今は墨で塗りつぶされている。
 なぜ? 報道コストの節約のため。政府発表を報道するだけなら、報道コストがすごく安上がりだから。


● ニュースと感想  (6月22日b)

 「談合による浪費」について。
 談合がいっこうに解消されないようだ。ここのところ何度か、読売が報道している。読売にしては、なかなか立派だ。かつては政府批判は朝日のお家芸だったが、朝日が小泉の飼い犬になってしまって以来、朝日はすっかりご主人様に手なずけられたので、ちっとも政府に噛みつかない。吠えもしない。そこで、読売の吠えるのが、ことさら目立つ。……(もっとも、マスコミが吠えるのは、本来なら当然なのだが。ただ、マスコミがろくに吠えないので、かわりに私がよく吠えますが。  (^^); )

 さて。ざっと計算してみると、談合による無駄は、数兆円と推計される。少なく見積もっても、1兆円。国民一人当たり、1万円。1家庭当たりだと、少なくとも4万円だが、たぶん、十万円を超える無駄となるだろう。
 で、この無駄を隠して、何とかして存続させたい、と企んでいる連中がいる。そういう連中は、何をするか? もちろん、目くらましだ。大きな無駄を隠すには、小さな無駄を指摘すればよい。それは、こうだ。
 「レジ袋の無駄を解消しよう」
 このキャンペーンによって、国民は一人当たり、年にざっと百円分ぐらいの無駄な資源を節約できるはずだ。この百円の無駄の解消を、マスコミがそろって大々的に宣伝する。大キャンペーンだ。(本当は無駄の解消なんかできないんだが、それでもとにかく、無駄の解消ができるかのように錯覚させて、大キャンペーンをやる。)
 なぜ? もちろん、談合による莫大な無駄を、隠蔽するためだ。マスコミの目的は、真実を隠蔽することなのである。(特に朝日が熱心です。)


● ニュースと感想  (6月23日)

 「小泉の二枚舌」について。
 日韓首脳会談があった。ここで、小泉はこう弁明した。
 「わが国は戦後一貫して、民主主義に支えられた平和国家として専守防衛に徹してきた」(各紙・朝刊 2005-06-21 )
 とんでもない二枚舌だ。それは野党の主張である。小泉はいつのまにか、野党の主張をするようになってしまった。本当は、与党・政府の主張はこうだ。
 「日本の国是は、対米追従である。米国の方針に従属することが、国益である。軍備については、防衛は日本、攻撃は米国、というふうに役割分業する。これを集団自衛権と称する。」
 具体的には、
 「朝鮮やベトナムやイラクなどに米国が出兵するときは、日本は軍事基地を提供する。また、軍隊の維持費は、兵器以外の全予算(電気代や生活費など)を負担する。」
 米国による軍事攻撃の維持費を負担することは、「専守防衛」なんかではない。たとえば、ビン・ラディンがテロリストの生活費を負担したなら、それはテロに加担・主導したということであり、「知らんぷり」はできない。
 小泉の主張は、ビン・ラディンもびっくりするような、二枚舌だ。ビン・ラディンでさえ、NYビル攻撃を「専守防衛」と称するほど、恥知らずではなかったが。……小泉の嘘をそっくりそのまま報道するマスコミも、どうかしているね。

 [ 付記1 ]
 思い返すと、小泉は相当長い長期政権になった。で、彼のやった仕事は、何だったか? 「民営化」とか何とか、いろいろといっていたが、結局は、これだけだ。
 「何でもかんでも、ぶちこわすこと」
 あれもこれもぶちこわしたが、結局、何一つ、構築していない。ただの壊し屋だ。……で、最大の破壊行為が、靖国による「日中・日韓という国家関係の破壊」である。
 ここで、「靖国参拝は、首相として当然の責務だ」というのなら、まだわかる。そのあと中国や韓国と喧嘩しても、ただの外交対立だ。しかし、現実には、そうではない。小泉は「靖国参拝は私的だ」と主張したのだ。だから、国の政策ではなくて、ただの個人的な趣味で、国家関係を破壊したことになる。自分の個人的な趣味を通すために、一国全体の利益を崩壊する。……これほど愚かしくも、国家間の関係をこじらせたのは、小泉が空前絶後だろう。
( ※ なお、「私的でなく公的だ」と主張すれば、今度は、憲法違反となる。首相による犯罪。)
( ※ ついでに言うと、国民が犯罪を犯すと、監獄にぶち込まれる。首相が犯罪を犯すと、国民が監獄に入れられるようなひどい目にあう。現状が、そうですね。)

 [ 付記2 ]
 小泉は、壊すことのほかに、もう一つ、すごく得意なことがある。それは、
 「論点のすり替え」
 である。これが抜群にうまい。人々をだますのが、すごくうまい。(長期政権のコツですかね。)
 たとえば、中国・韓国との間で、問題がこじれている。しかし実は、中国や韓国は、こう言っているだけだ。
 「戦後処理は片付いた。今さらとやかく言わない。問題を蒸し返すつもりはない。大切なのは、過去ではなくて、現在のことだ。求めることは、ただ一つ。私たちを侮辱しないでくれ。つまり、首相の公的な靖国参拝をやめてくれ」(日本の法律を遵守してくれ)
 ここで小泉は、論点をすり替える。
 「相手は謝れ謝れと干渉しているが、そんな干渉には従わない」
 実は、どの政府も、そんなことは干渉していないんですけどね。つまり、存在しないものを、存在するかのごとく見せつける。……これを「たぶらかし」という。悪魔の十八番。だから、小泉はこれが上手。


● ニュースと感想  (6月23日b)

 「小泉の二枚舌」について。
 日韓首脳会談があった。ここで、靖国問題では、韓国大統領に、「新追悼施設の建設を」と促された。小泉は、「自国のことは自国で決める」と威張ったが、ろくに決められない人が、威張らないでほしいね。
 ま、それはそれとして、私が画期的な提案をしよう。それは、こうだ。
 「新追悼施設を建設するが、ただし、そこに国民が参拝することを禁止する。違反者は、逮捕して、監獄にぶち込む。」

 どうです。これなら、全員の希望が叶う。
 靖国参拝派としては、新施設が建設されても、そこはもぬけの殻であり、誰も参拝できないのだから、文句はないだろう。「靖国だけに参拝」という現状が維持される。
 靖国反対派としても、新施設が建設されるのだから、文句はないだろう。そこに誰も参拝しないとしても、それはそれで、別に構わないはずだ。ほかの身近な場所にも、慰霊施設 or 墓地 or 仏壇があるから、そこで勝手に慰霊すればいい。つまりは、現状と同じだから、何も困らない。

 どうです。あらゆる人々が満足する方法。これぞ、最善の解決策。

 [ 付記1 ]
 この提案のミソは? 「馬鹿げた提案だ」ということ。その意味は、「提案自体が馬鹿げている」のではなくて、「国民が馬鹿げていることを露呈する」ということだ。
 靖国参拝の本質は、何か? 戦没者への追悼ではない。戦没者への追悼だとすれば、新施設を建設して、そこに追悼しても、何も問題はないはずだ。
 ところが、靖国参拝派は、新施設の建設に反対する。なぜ? 実は、戦没者への追悼が目的ではなくて、靖国という国家神道への宗教的な統一が目的だからだ。日本を宗教国家にすることが目的なのだ。それが靖国参拝の本質だ。
 だから、その本質を暴露するために、靖国と戦没者追悼とを、分離する。
 「靖国に行きたい人は、勝手に靖国に行けばよい。一方、戦没者追悼だけをやりたい人は、新施設に行けばよい」
 というふうにする。つまり、国民に「宗教の自由」(やらない自由を含む)を認める。
 ところが、靖国参拝派には、それが絶対に許しがたい。日本という国家は、靖国流の神道に統一する必要がある。イラクやイランがイスラム教に統一され、イスラエルがユダヤ教に統一されるように、日本も靖国流の神道に統一される必要がある。「それが脈々と続く正統的な伝統である。国民をこの宗派に染め上げよ」というわけだ。(創価学会のうるさい勧誘と似たようなものだ。)
 で、その本質を暴露するための方法が、本項の提案だ。
 もちろん、本項のようにすれば、靖国参拝派は大喜びのはずだ。「国民全体が靖国神社だけに参拝を許容され、他の場所への参拝は禁止される」というふうになるからだ。こういうのは、大歓迎だろう。金正日だって、「自分だけを崇拝せよ」と主張しているのだから、それを真似して、「靖国だけに参拝せよ」と決めれば、靖国参拝派は大喜びのはずだ。
 ただし、腹黒い連中だけは、「それじゃ自分の本音がバレてしまう。まずいな。」と思う。そういう詐欺師たちだけが、本項の提案に反対する。
 だから、連中に、こう言ってやりたいね。
 「『靖国だけに参拝すべし』という法制化を主張せよ。『靖国以外への参拝者を、反体制運動家として監獄に閉じ込めよ』と主張せよ。本心を堂々と主張せよ。自分の望みを隠さず、はっきりと言葉に出して主張せよ」
 彼らが本心を語れば、国民はその是非を判断できる。一方、国民の目をたぶらかそうとする連中は、「英霊のため」と口に出して、逆に、靖国神社以外での追悼を禁止することで、英霊を侮辱する。
 政府の目的は、英霊の政治利用だ。靖国参拝派の言いたいことは、「靖国参拝によって、戦没者へ追悼せよ」ということではなく、「靖国以外では、戦没者への追悼を禁止せよ」ということだ。実際、そうですよね。

 [ 付記2 ]
 なぜ、新施設への参拝を、あえて禁止する必要があるか? 
 実は、必要なんかない。禁止したくないのであれば、禁止しないでいい。それはそれでいい。新施設への参拝を自由に認めるのは、ごく当り前のことだ。まともな頭があれば、そうするだろう。
 ところが、小泉(および保守派)が、「それじゃダメだ」と言い張っている。「新施設なんかダメだ、絶対にダメだ、靖国じゃなくてはダメだ」と。
 その馬鹿らしさを、隠蔽せずに、はっきりと明示するために、「禁止・弾圧」という形をとればいい、と提案しているわけだ。
 要するに、本来ならば「政教分離」なのだが、小泉(および保守派)が、「政教分離じゃダメだ」と言い張っているから、「だったら、それは、国民に宗教の自由を認めないことになる」と明らかにするために、本項の提案をしているわけだ。
 つまり、本項の提案は、何らかの実効性をもたせることが目的ではなく、馬鹿の首に、「おいらは馬鹿です」という看板をぶらさげることが目的だ。

 [ 付記3 ]
 誤解を避けるため、注釈しておこう。本項の趣旨は、「新施設を建設せよ」ということではない。
 「新施設を建設せよ」という主張も、世間にある。その主張は、「新施設を建設して、そこで追悼せよ」という意味だ。
 一方、本項の主張は、「新施設を建設したあと、そこでの追悼を禁止せよ」ということだ。この「禁止」に意義がある。
 だから、新施設としては、ただの掲示板か看板を一つ建てるだけであっても、構わない。肝心なのは、「靖国という一箇所以外への参拝を禁じること」つまり「国民を宗教的に弾圧すること」である。
 具体的に言えば、新施設に近づいて英霊への慰霊をなした人々を、反体制運動家として、逮捕して、監獄にぶち込むことだ。金正日と同様のことをすることだ。……で、こうすることで、靖国参拝派が金正日と同じ仲間だ、ということが判明する。そういうふうに明らかにすることが、狙いだ。
 実は、靖国参拝派と金正日は、どちらも血のつながった血縁同士なのである。単に近親憎悪をやっているだけで、どちらも兄弟なのだ。そっくりじゃないですか。……で、兄弟同士で、いがみ合っているだけだ。


● ニュースと感想  (6月23日c)

 「靖国問題の要約」について。
 ぐだぐだと続いてきた靖国の話も、そろそろ、ちゃんとピリオドを打つことにしよう。
 最後に要約を述べておく。私の言たいことは簡単だ。一言で言える。
 「相手が馬鹿だからといって、こちらも馬鹿になるな」

 子供の喧嘩と同じである。弟が難癖を付けてきたときに、いちいち喧嘩に応じてきたら、「馬鹿に付き合って馬鹿になる」といふうになる。だから、相手の馬鹿に付き合う必要はない。弟が貴乃花だからといって、自分まで貴乃花になる必要はない。「兄貴は兄貴らしくふるまえ」ということだ。

 「相手が馬鹿だからといって、こちらも馬鹿になるな」
 ということは、換言すれば、こうも言える。
 「相手がタカだからといって、こちらもタカになるな」
 相手の喧嘩に応じると、「タカ・タカ」状態、または、「貴・貴」(貴乃花・貴乃花)状態である。とんでもない状態だ。最悪である。

 「弟の言い分を聞くと、『タカ・ハト』になって、一方的に食い物にされる」と保守派はしきりに反論する。しかし、これは全然、理屈になっていない。私が主張しているのは、「『タカ・ハト』になれ」(屈従せよ)ということではなくて、「『ハト・ハト』になれ」(協調せよ)ということだ。そのために、一時的に「タカ・タカ」になるのはやむを得ないが、「タカ・タカ」という状況に安住してしまっては、最悪なのである。(喧嘩して心中するのと同じ。外国から見ればね。)

 [ 付記 ]
 以上のことは、靖国問題シリーズの、一番最初の回に述べたとおり。つまり、シリーズの最初に、ちゃんとした結論を示している。( → 5月30日 の (5)

 [ 余談 ]
 イヤミを一発。保守派(小泉)は、「タカ」を主張するのなら、それを貫徹してもらいたいですね。「外国に譲歩すれば、際限がない」と思うのならば、その方針を貫徹するべきだ。つまり、相手に応じて、態度を変えないでほしい。
  ・ 中韓に対して …… 「屈服するな! シッポを振るな!」
  ・ 米国に対して …… 「屈服します。シッポを振ります。ちんちんもします」
 これじゃ、あまりにも、情けない。  (^^);







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「小泉の波立ち」
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