[付録] ニュースと感想 (114)

[ 2006.09.28 〜 2006.11.06 ]   

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● ニュースと感想  (9月28日)

 「サイト名の変更」について。
 サイト名を「小泉の波立ち」から、「泉の波立ち」に変更しました。
 理由はお察しの通りで、小泉首相から安倍首相への交替にともなうもの。

 ( ※ 「安倍の波立ちにしないのか?」なんて、野暮なことは聞かないでください。  (^^); )
 ( ※ なお、安倍首相に対しては、あんまり悪口を言う気がしません。悪口を言うに、値しません。存在感がない。いるのかいないのか、わからないので。……その点、小泉前首相は、いじりがいがありましたねえ。)


● ニュースと感想  (9月28日b)

 「お粗末な堤防」について。
 国土交通省の調査で、河川堤防の36%が強度不足だということが判明した。(調査対象は6割)
 100年に1度の大雨などにも耐えるかどうかを基準に、「耐浸透性」を計算した。
 その結果、今年3月末現在の各地方整備局などのまとめでは、対象1万204キロのうち約6割の5922キロで調査を終了。このうち2113キロで粗い砂が多いなど、国交省の河川堤防設計指針に基づく基準を満たしていなかった。
 補強は予算不足などで進んでいない。
( → 読売のサイト
 この被害がどのくらいだと予想されるかというと、参考として、ハリケーン・カトリーナがある。死者は2千人近くになり、被災者・避難者などは百万人規模になった。
 で、その理由は何かというと、地球温暖化も一因だが、決定的なのは「堤防予算をケチったこと」である。イラク戦争に金をかけすぎて、堤防予算に回す金がなくなった。そのせいで、国民に莫大な損害が発生した。小額の堤防予算を削ったあげく、莫大な損害を被ることになった。
 これは、「他人を破壊し尽くした報いが、回り回って自分にめぐってきた」と見なせば、因果応報と言うべきかもしれない。しかし、単に堤防予算をケチったせいだとも見なせるので、馬鹿丸出し、と言うべきだろう。
 
 さて。これよりもっと愚かなことをする阿呆な国がある。戦争のためにお金を無駄遣いするのではない。日本橋の美観のために、数千億円の金を無駄遣いする。
 で、美観のために金をかけたせいで、堤防のための金がなくなってしまう。というか、美観のためなら金を惜しまないが、堤防のためには金を惜しむ。……これほどの馬鹿は見たことがない。
( ※ 実は、日本橋の件は、お馬鹿な前首相が主導したことであった。今度の首相がどうするかは、先行き不明です。)


● ニュースと感想  (9月29日)

 「天皇制の継続とY染色体」について。
    → Open ブログ 「Y染色体の継承」


● ニュースと感想  (9月29日b)

 「特捜と談合隠し」について。
 福島県知事が辞任を表明した。実弟が談合に関わっていたのが理由。(各紙報道。)
 ここでは、次のことに着目しよう。
 「長年の談合は、巨悪である」
 「事件を摘発したのは、東京地検特捜部である」

 ここでライブドア事件との関係を述べれば、こうなる。
 「ライブドア事件なんかに多大な人員を割いていたせいで、談合の摘発が遅れた。さらに、今回の談合以外にも、摘発されない談合がたくさん眠っているはずだ」
 要するに、「ライブドア事件は談合隠しの効果があった」ということだ。ま、(以前述べたような)意図的な「談合隠し」ではないだろうが、結果的には「談合隠しの効果があった」ということになる。

 今からでも遅くはないから、検察としては、ライブドア事件の起訴なんか取り下げて、あちこちにある談合事件をどんどん摘発するべきなのだ。
 また、「ホリエモンは悪党だから検挙せよ」と騒いでいるマスコミや野次馬連中は、下らないこと(小悪)に騒ぐより、「官庁における談合(巨悪)こそを摘発するべきだ」と騒ぐべきなのだ。

 しかし、そうするつもりはないんでしょうね。彼らはホリエモンばかりが大好き。ワイドショーの社会だから。そもそも、ライブドア事件そのものが、ただのワイドショー的な騒ぎにすぎなかった。……この件は、著作で述べたとおり。
( → 「ライブドア・二重の虚構」 216頁 )


● ニュースと感想  (9月30日)

 「政府主導による詐欺」について。
 ライブドアが詐欺をしたぞ、というふうに話題になったが、どっこい、もっとすごい大型詐欺がある。それも、政府の主導による詐欺だ。読売新聞に出ていた。(朝刊・投稿面 2006-09-29 )
 これは「燃油運賃」というもの。正規運賃として 15万円を払ったあと、これで契約成立だと思っていると、別途、「燃油運賃」というものを3〜4万円ぐらい請求される。これは、消費税や自動車税のような税金ではなくて、会社側に入るお金。
 いきなり請求されるので、驚いて、解約しようと思っても、無駄。もはや契約は成立しているから、解約できない。
 要するに、本当は払うべき金を隠して、安値で契約したあとで、強引に金をぼったくる。堂々たる詐欺だ。
 例。八百屋で百円の大根を買う。百円を払って、大根を受け取ろうとすると、「野菜運賃」という名目で、40円をさらに請求される。愕然。頭に来て、「じゃ、買うのよすわ」と言うと、「もう契約は成立しているから、百円は返せない。大根を受け取らないのは勝手だが、この百円は返せないね」と言われる。……堂々たる詐欺ですね。

 なぜ詐欺と言えるか? なぜただの値上げではないのか? ── それは、「ちっとも告知しないで隠す」ということからわかる。どこの旅行会社でも、航空会社でも、料金の表示には、燃油運賃の料金を示さない。自動車を買うときならば、「自動車税、従量税、消費税」などの明細がきちんと表示されるが、燃油運賃については、ちっとも料金が表示されない。
 また、契約時には、燃油運賃の料金を徴収しない。いったん成約したあとで、しばらくたってから、追加料金を取る。それまでは決して、商品たる航空券を渡さない。つまり、金を払っても商品を渡さない、というわけだ。このことからしても、詐欺である。

 なお、各社のホームページでは、普通の商品ページ(旅行運賃ページ)には燃油運賃のことは書いてないが、別途、こっそりと、「燃油運賃の一覧」というページが用意されてある。お客様には見えないが、お客様ではない人には見える。……ただし、ここには、実際よりもずっと低い数字が掲示されている。見ると、1万円以下の表示が多い。実際には、2万〜4万の金を取られることが多いのだが。(ネットで調べるとわかる。)
 
 さて。肝心なのは、この詐欺を政府が主導している、ということだ。「各社はこういうふうにしなさい」と政府が勝手に主導している。理由は、原油代の値上げだが、だったら、単に運賃を値上げすればいいだけであって、運賃値上げを隠す必要はない。こういうふうに「値上げを隠す」というのは、政府の主導によるのだ。(もしかして、経済政策の統計データを操作するためかもしれない。)
 かくて、政府主導の、詐欺がまかり通る。こんなこと、普通の八百屋がやったら、一発で逮捕だが、政府の主導のせいで、詐欺がまかり通る。

 ライブドアは詐欺をしていないのに「詐欺師」と言われる。政府は詐欺を主導しているくせに「詐欺師」と言われない。人々は自分が一円も取られなくても、ライブドアを「詐欺師」と非難する。人々は自分の金から数万円を奪われても、奪った相手を非難しないで、ホイホイと気楽に金を払う。

 狂気の国民。ホリエモンのことばかりに目を奪われているから、自分の財布からいくら金を奪われても気づかない。

( ※ 「燃油運賃」についてはネット上に情報はあるが、インチキについて記した情報は少ない。私もこの投稿を読むまでは知らなかった。また、たいていの人は、金を取られても「インチキだ」とは気づかないで、「仕方ない」と諦めて払う。詐欺師の狙い通り。)
( ※ 実はこれは「レジ袋有料化」に似ている。「省エネのために金をたくさん払いましょう」と詐欺師が唱えると、人々はそれを簡単に信じて、金をどんどん払う。本当は省エネのためじゃないんだけれど、あっさりだまされる。……ライブドア事件であれ、レジ袋有料化であれ、「自分は善人だぞ」「自分は善行をしているのだぞ」と思い込んでいる鼻高の自惚れ屋ほど、詐欺にあっさり引っかかる。)

 [ 付記 ]
 例外的に、追加料金なしにしている会社もある。「ユーラシア旅行社」という会社だ。
 しかし、このようなことは、掟破りと言える。村八分にされかねない。たぶんそのうち、政府から行政指導が来るだろう。「勝手なことをするな」と。
 先に何度も言ったが、ライブドア事件では、詐欺をしているのは、ライブドアではなくて、検察(など)である。彼らこそが国民をだましている。法を守るべき検察が詐欺をしているのだから、あとは何をかいわんや。政府が詐欺を主導するというのは、ちっともおかしくない。日本はそういう国なのだ。なぜなら、マスコミが、そういう社会を歓迎するから。マスコミそのものが、もともと人々をだます詐欺師なんですからね。


● ニュースと感想  (10月02日)

 「代理出産への判決」について。
   → Open ブログ 「代理出産&遺伝子」


● ニュースと感想  (10月03日)

 「媚薬としてのモテ薬」について。
   → Open ブログ 「モテ薬」

 [ 補記 ]
 前日の 「代理出産&遺伝子」 の最後に、「余談」を追加しました。話題は:
   「 Q 男が妊娠させた女に、中絶させたがるのはなぜか?」


● ニュースと感想  (10月04日)

 「個人と全体」について。
  → Open ブログ 「個人と全体」

 ※ さまざまな学問における基本的な問題。非常に重要。ぜひ読んでください。
  「秩序理論」(前に言及したもので未完)のうちの、「さわり」となるような短い話。

 ※ 関連して、次のページもあります。進化論の話題。
  → ドーキンス説の問題


● ニュースと感想  (10月05日)

 【 加筆修正のお知らせ 】

 前日の「ドーキンス説の問題」というページを、少し加筆修正しました。文意が通りにくいところがあったので、わかりやすく書き直しました。
( ※ 内容自体はほとんど変わっていません。読みやすくしただけ。)


● ニュースと感想  (10月05日b)

 「朝日新聞の詐欺?」について。
 朝日新聞が詐欺をした、という週刊新潮の記事があるそうだ。
   → zakzak
 週刊新潮の記事、というところが嘘っぽいが、朝日自体はこの記事を「虚偽だ」と否定しておらず、単に「自社にとって名誉失墜になる」と述べているだけだ。とすると、本当なんですかね。
 東京地検の特捜部のみなさん、朝日を急襲するといいですよ。NHKにリークして、マスコミのカメラを大量に用意してから、百人規模の捜査員を投入して、大々的な巨悪に仕立て上げる。
 詐欺というのは、ただの不正経理(帳簿のミスみたいなもの)とは違って、実際に金を奪われた大勢の被害者がいる。その点で、ライブドアよりも、はるかに悪質だ。
 で、そのあと、朝日の株主や取引先などには、大いに損害が発生するだろうが、それは「みんな朝日新聞が悪いんだ」と、地検は言い逃れればいい。
 さあ。朝日を捜索せよ! 

 読売は「いい気味」と喜ぶかもしれないが、読売だって、「記者が守秘義務に違反した」という事件で検察と争っている。これは本業に関する犯罪の容疑だ。(実際に犯罪があったかどうかでは関係なくて、容疑だけはとにかくある。だから記者を摘発した。)
 というわけで、読売についても、朝日同様、検察が急襲して、業務停止状態に追い込んでしまえ。

 検察、万歳! クーデターをやらかした、タイの軍みたいですね。タイでは軍が政府をひっくり返したが、日本では検察がマスコミを壊滅させてしまえ。
 なぜ? だって、マスコミ自身が、「検察、万歳!」と称賛しているんですからね。マスコミは、検察に壊滅させられてしまえば、それを喜ぶはず。一種の自殺ですね。


● ニュースと感想  (10月06日)

 【 内容追加のお知らせ 】

 前々日の「ドーキンス説の問題」というページの後半に、次の話を追加しました。
   「不適者残存
 (「適者生存という自然淘汰の原理は、無制限に成立するか?」という話題。)
 (文書の分量は、ほぼ倍増しています。)


● ニュースと感想  (10月06日b)

 「参議院選挙の格差是正」について。
 参議院の選挙の「1票の格差」について、5.13倍の格差を「合憲」と見なす最高裁判決が出た。
 有権者11人が……選挙の無効(やり直し)を求めた3件の訴訟。……裁判官15人のうち10人の多数意見。5人は「違憲」の反対意見だった。
(1)16年の判決から本件選挙までの期間は約6カ月で、不平等を是正する措置を講ずる期間として不十分だった
(2)参院では本件選挙後、各種の是正案が具体的に検討され、4増4減案に基づく公選法の改正案が18年6月に成立して格差が縮小した−ことなどを指摘。
( → Yahoo ニュース
 この問題は、次の二点に要約される。
  ・ 5倍を超える格差が是認されるようでは、民主主義は崩壊する。
  ・ 事後的に「選挙無効」を実施したら、あまりにも混乱が大きくなりすぎる。

 ここまでは当然だろう。最高裁としても、この判断のもとで、「好ましくはないが現状是認は仕方ない」と結論しているようだ。前者と後者の矛盾のなかで、やむなく後者を取っているわけだ。決して前者を無視しているわけではない。

 とすれば、この問題に対する対処は、次のことしかない。
 「事後的でなく事前に、違憲の選挙を差し止める」
 現状では、事後的に「選挙無効」を訴えるから、敗訴してしまうのだ。こういう訴訟方針は、ほとんどクーデターみたいなものである。「間違った体制であれば、体制を崩壊させよ」と。そういうクーデターまがいのことを、体制に求めること自体が、自己矛盾。
 したがって、すでにある体制を崩壊させようとするのではなく、体制の枠組みのなかで体制の形態を変更すればいい。つまり、「選挙制度の改革」である。これこそが本道だ。

 ただし、現状では、衆院と参院が怠慢で、改革をサボっている。ここに根源がある。とすれば、この根源を是正するのが、本道だ。そのための訴訟をすればいい。
 では、具体的には? こうだ。
 「現状の制度(参院の選挙制度)は違憲である、と認定する。その上で、違憲状態を改善しようとしない(審議しない)衆院・参院は、国会議員としての義務に違反している。義務違反。ゆえに、衆院・参院の議員報酬を、差し止める」
 つまり、国会議員を無給にする。また、正当補助金も支出停止にする。サボっている連中をこぞって兵糧攻めにする。このことは、制度の違憲状態が是正されるまで続く。

 この判決が出た場合、過去の選挙は無効とならない。将来の選挙への改革努力がなされていない、という点のみが問題となる。また、制度が無効になるのでなく、議員報酬などの金銭支出だけが無効となる。
 こういう判決なら、最高裁としても出しやすいだろう。そして、それゆえ、原告としても、こういうことを求める訴訟をやればいいのだ。クーデターまがいの訴訟なんて、自ら敗北しようとしているのも同然。敗訴するのもやむを得まい。訴訟戦略の失敗。
(ライブドアのホリエモン弁護団みたいですね。勝手に勝利だと思い込んで、結果は敗北。「自分は正しいことを言っている」とだけ主張して、世間常識をわきまえない。つまりは、独りよがり。)


● ニュースと感想  (10月07日)

 「国策捜査」について。
 ライブドア事件で話題になった「国策捜査」という言葉が、妙なところで登場している。
 これはまあ、ほとんど冗談か、詭弁か、牽強付会みたいなものであろう。こんなのをライブドア事件ふうの「国策捜査」と呼ぶのは、噴飯ものである。(付記を参照。)

 とはいえ、論理としてはメチャクチャでも、弁護側が法廷戦術として主張するのは、納得できる。たとえ論理はメチャクチャでも、そのメチャクチャの論理によって裁判官をだましてしまえば、有罪を無罪にできる。弁護士の戦略としては、当然だろう。それが仕事なのだから。
 では、なぜ、弁護士はこういうことができるのか? なぜ、当然のことができるのか? もちろん、「被告の利益のため」という当然の目的をめざすからだ。── この点が、ホリエモンの弁護士とは違う。
 ホリエモンの弁護士は、なぜ、ヒューザーの弁護士のようなことができないのか? なぜ、当然のことができないのか? もちろん、「被告の利益のため」という当然の目的をめざさないからだ。── そのわけは、「検察組織の利益のため」(検察組織の維持という最大命題を崩さないため)である。ヤメ検ならば、当然ですね。

 ヒューザーの事件の弁護士は、「国策捜査だ」と主張しても大丈夫だ。それで検察が崩壊することはないだろうし、たとえ崩壊したって構わない。検察という組織のことなんか、知ったこっちゃない。大事なのは、依頼人である被告だけだ。
 ライブドア事件の弁護士(ヤメ検)は、「国策捜査だ」と主張することは困難だ。それで検察が崩壊することは十分にあり得るし、もしも崩壊したら大変なことになる。検察という組織が崩壊したら、OB会で「裏切り者!」と吊し上げられるし、以後は検察組織から情報をもらうことをやれなくなる。(実はこれは「公務員の守秘義務違反」という犯罪を促すことに当たるが。)
 ヤメ検としては、検察組織が何よりも大事だ。その大事な組織を崩壊させるわけには行かない。あくまで検察組織の維持が第一で、第二が依頼人である被告の利益で、第三が検察の単発的な利益だ。
 ヤメ検としては、検察の単発的な利益よりは、被告の利益が優先する。だが、被告の利益よりは、検察組織の維持が優先する。ゆえに、ヤメ検は、「国策捜査だ」というふうに検察を批判することができない。あくまで検察の主張の揚げ足取りのようなことをやるだけだ。決して正面から検察を批判することはない。

 これがつまりは、ライブドア事件の裁判では「国策捜査」という言葉が出てこないことの理由だ。単純に言えば、「ヤメ検と検察の癒着」である。
 一方、ヒューザーや福島原発では、「ヤメ検と検察の癒着」がないから、「国策捜査」という言葉が出てくるわけだ。

 「国策捜査」という言葉は、本来ならば、ライブドア事件において現れるべきであり、ヒューザーや福島原発の事件では現れるべきではない。なのに現実は、逆になっている。その理由を、本項では示した。── 「ヤメ検と検察の癒着」が真犯人である。

 [ 付記1 ]
 ヒューザーの事件は、「国策捜査」と呼ぶには値しない。なぜなら、ただの「詐欺」に当たるからだ。実際、ここでは、客に損害が発生している。クズを買わされて、金を払った。これは当然、詐欺である。
 社長の弁明するように詐欺でないとしたら、その損害を解消した場合だ。たとえば、通常の欠陥製品の回収と同じように、欠陥製品を回収して、正常製品と交換する。例で言えば、さまざまな自動車のリコールとか、ソニーの欠陥充電池などがある。……こういうふうに「製品の交換」をすれば、ただの「欠陥製品の販売」になるので、詐欺ではなくなる。一方、「製品の交換」をしなければ、客に実損が発生するので、詐欺になる。
 形式的に何をやったかが問題なのではなく、事後的にどんな対処をするかで、詐欺か否かが決まる。……ここに注意。法律論よりは、経済論なのだ。

 [ 付記2 ]
 福島原発事件は、「国策捜査」と呼ぶには値しない。なぜなら、仮にそうだとしたら、正真正銘の「政府の国策による政治介入」だからだ。本当にそうなら、政界疑獄ふうの大事件となる。
 一方、ライブドア事件やロシア担当外交官の事件では、「国策捜査」というのは名ばかりであって、本当は「検察の組織エゴによる、検察の暴走」にすぎない。こちらが「国策捜査」という言葉の通常の使い方だ。( → 9月09日b

 [ 余談 ]
 ま、本当を言えば、「国策捜査」なんていう用語自体が、検察の宣伝用語なんだから、こんな宣伝用語は使うべきではない、というのが本来的だ。単純に「検察の暴走」と呼ぶだけでいい。
 で、その「検察の暴走」をまともに批判できない、ホリエモンのヤメ検弁護士は、本当にひどいものだ。他の弁護士と比較して、そのひどさがよくわかる。
 剣道で言えば、「正面から切りつける」ということを封じられており、「小手」と「足払い」しか使えない状態だ。
 こんな剣士に身を守ってもらおうとするホリエモンは、ひどい判断をした、としか言いようがない。検察組織と全面戦争べきときに、検察組織のOBに依頼するんだからね。最悪。
 漫画のガンダムでも何でもいいが、敵軍と全面戦争をするときに、敵軍を退職したOBに身を守ってもらおうとする阿呆が、どこにいるんですかね? そんなOBが本当に自分のために働いてくれると思っているんだろうか? 「金さえ払えば、敵をも買える」「敵の忠誠心を金で買える」と思っているんですかね。呆れた拝金主義。


● ニュースと感想  (10月08日)

 「北朝鮮の核実験」について。
 北朝鮮が核実験をするらしい。そこで「制裁をせよ」という声があちこちから上がっている。しかしながら、制裁をしたくても、これ以上は制裁のしようがなくなりつつある。もともと拉致疑惑などで、ほとんど最大限の制裁がなされているからだ。これ以上の制裁をするとしたら、戦争ないし武力行使ぐらいしか、残されていない。では、そうするべきか? あるいは、放置するべきか? この問題に、私なりに解答を示す。(あくまで私見であることをお断りしておく。)

 通常ならば、私はリベラルな平和主義者として、政府の武力行使をいさめる立場にある。しかし今回に限っては、武力行使を推進する立場を取りたい。
 その理由は、「ヒトラーの放置を許すな」というのに似ている。ヒトラーというのは、根源的には、西側社会の政策の失敗が招いた鬼子である。(反共・反ソのためには、超保守のヒトラーをのさばらせておいた方がいい、という政策。)だから、根源的には、そういう政策の失敗をなくすのが正しい。しかし、いったん政策の失敗で鬼子が産まれてしまったら、鬼子を放置するよりは、鬼子が小さいうちに叩きつぶすしかない。さもなくば、鬼子が成長して、世界中に大戦争を起こし、莫大な被害を発生させる。ヒトラーに対して「宥和政策」は成立しないのだ。── 北朝鮮についても同様。
(なお、単なる宥和政策批判ではない。「自らが鬼子を生んだ」という反省なしの、勇ましい好戦的な主張は取らない。ヒトラーとの対決は、あくまで「やむなく」だ。)
 以上を基本とした上で、詳細を見よう。

 まず、核実験の意味だ。これを「核兵器を持つこと」と思い込んでいる人が多いようだが、違う。「核兵器を持つこと」のためには、核実験は必要ない。たとえば、週刊漫画誌「モーニング」の「ジパング」という漫画にあるように、大型の核兵器を作成することは、かなり容易である。
 簡単なのは、左右に分離しておいたウラニウムを、中央で合体させる。より高度なのは、円周状に配置したウラニウムを、中心点で合体させる。(合体した時点で、臨界点に達して、爆発する。)
 このうち、小形化に適したのは、後者だ。ただし、技術的に難しい。うまく同時に、一点で合体させる必要がある。精密な技術が必要だ。そして、その検証のためには、どうしても実験が必要となる。

 逆に言えば、核実験が必要となるのは、核兵器を持つためではなくて、核兵器を小形化するためだ。で、なぜ小形化する必要があるかというと、ミサイルの弾頭に搭載させるためだ。(大型であっても、ミサイルでなく爆撃機に掲載することなら、可能だ。)
 だから、北朝鮮が核実験をする、というのは、それを自国内で防衛用(侵入した敵軍への復讐用)に使うということではなくて、外国に向けてミサイル発射する、ということのためなのだ。
 以上のことから、核実験がいかに危険であるかがわかる。そして、この核実験は、核配備の前に止める必要がある。いったん核配備がなされてしまえば、もはや止める術はない。あとは、鬼子を止めることはできず、鬼子が成長するのを見守るしかない。

 では、鬼子を止めるには、どうすればいいか?
 ここで問題となるのは、他の核保有国との比較だ。米国や中ソも核を保有している。これらの国に認めて北朝鮮に求めない、というのは、不公平である。そこで、しっかりとした理由をつける必要がある。
 その理由は? こうだ。
 「独裁制と、核実験と、ミサイルという三点セットは認められない」
 このうちの二つまでなら、認められる。ただの独裁制(フセインなど)は、戦争をするほどのことではない。独裁制とミサイル(現在の北朝鮮)も、同様だ。また、核実験とミサイル(中ソなど)も、同様だ。しかしながら、この三点セットがあると、核兵器がまさしく行使される危険性が高い。だから、この三点セットは、絶対に認められない。── これが論拠だ。
 
 ゆえに、北朝鮮に要求するべきことは、この三点セットをやめよ、ということだ。具体的に言えば、
 「核実験をやめよ」
 ということではなくて、
 「独裁制と核実験のどちらかを放棄せよ。どうしても核実験をするのであれば、独裁制をやめて民主化せよ」
 ということだ。つまり、
 「独裁制はけしからんから武力行使する」
 ということは、フセイン・イラクには適用すべきことではないが、金正日・北朝鮮には適用すべきことなのだ。核兵器の有無の差ゆえに。

 以上のことから、次の結論が出る。
 「核実験の停止を要求するのではなく、核実験と独裁制のどちらか一方の停止を要求するべしだ。いったん核実験をしたなら、金正日の退任を要求する。」
 「その要求が満たされない場合には、武力行使をするべきだ。ただの経済制裁では手ぬるい。武力行使が必要となる」

 [ 付記1 ]
 ただし、武力行使といっても、戦争をするのは、桁がデカすぎる。次のことが好ましい。
 「ステルス機による空爆。北朝鮮の軍事施設のみを空爆で壊滅させる。民間施設は対象としない。全面戦争ではない」
 ステルス機による空爆に対しては、北朝鮮は何もできない。殴られっぱなしだ。それで済む。
 [ 付記2 ]
 「軍事施設への空爆」というのは、「核基地を無効化するため」という意図である。つまり、「核爆弾をもっていてもミサイルを発射させないようにミサイル基地を叩く」という意図である。これは、単なる制裁とは違うし、戦争とも違う。北朝鮮を敗北させたり転覆することが目的ではなく、他国に核ミサイルを発射させないことが目的だ。
 「空爆をされても北朝鮮はへっちゃらだ」という見解もあるが、別に、へっちゃらでも構わない。肝心なのは、核ミサイルを発射させないことだけだ。ついでに、制空権を握って、航空機を飛ばせなくする。これでは一国の威信はズタズタだろう。そのうち、クーデターが起こるかもしれない。

 [ 付記3 ]
 なお、北朝鮮が反撃してきた(韓国や日本に攻めてきた)場合には、「これ幸い」とばかりに、米軍が北朝鮮を占領してしまえばいい。イラクよりもずっと弱い世界最弱の国家だ(兵士は栄養失調でろくに動けない)から、ずっと簡単に片付く。半世紀前の日本と同じで、食うものがなければ動けない。
 具体的には? いくらか占領したあとで、食料を与えて、北朝鮮の人員を「解放軍・民主主義軍」にしてしまえばいい。あとは北朝鮮の人間が政府軍と対決すればいい。レジスタンスみたいなものだ。米軍(陸軍)は、あまり出てこない方がいい。
 独裁国家を崩壊させるのは、比較的簡単である。外部から手を出さなくてもいい。ちょっときっかけを与えれば、あとは内部から崩壊する
 ついでに言えば、一番大切なのは、「洗脳の解除」である。そのためには、レジスタンスが起こりやすいように、言論の自由または宣伝放送をして、朝鮮語による民主化の促進をするといいだろう。

( ※ 上記では「軍事施設のみを空爆」と述べたが、実は、もう一つ空爆するべき箇所がある。それは独裁者の宮殿だ。黄金の便器がある、超豪華宮殿。こいつを爆破するのが一番有効だろう。題して、「黄金の嵐」大作戦。)( → 前出 : 11月13日5月24日

 [ 余談1 ]
 オマケで、皮肉を一言。「洗脳の解除」なら、日本人にも必要なんですよね。日本人だって、あまり偉そうなことを言える立場じゃない。
 「北朝鮮は悪党国家だからたたきつぶせ」なんていう理屈は、やめてほしいですね。そんな理屈が成立するとしたら、「日本は悪党国家だからったきつぶせ」という理屈も成立してしまう。何しろ、小泉や安倍という詐欺師が続いているんだから。「小泉と安倍が詐欺師だから、日本をたたきつぶせ」なんていうふうになったら、日本国民は泣き面にハチだ。
 「北朝鮮に経済制裁を」という政策には、あまり賛成できない。北朝鮮の国民にとっては、泣き面にハチである。独裁者に餓死させられて、今度は外国に餓死させられる。北朝鮮の国民にとっては、金正日も、日米も、どちらも人殺しの大悪党にすぎない。「みんながおれたちを餓死させる。世界中の人間が殺人犯だ」と嘆きたいだろう。

 [ 余談2 ]
 日本という国は、本当におめでたい国だ。この国のマスコミにとって一番重要な悪とは、「不正経理」という帳簿記載の悪なのだ。帳簿の数字を書き換えることこそが最大の悪であり、これをやらかした人物は史上最大クラスの悪党である、と見なす。
 で、そのせいで、現実に核爆弾を日本人の頭上に落とそうとしている独裁者は、ほとんどおとがめなしで、見逃される。「こいつは大した悪じゃない。ほったらかしていいさ。面倒なことは国連に任せよう」というおめでたさ。
 あ、そうですか。じゃ、不正経理の是正に全力を挙げていてください。
 そう言えば、ヒトラーがV2ロケット弾をロンドンに落とす前は、イギリスの人々もまた、下らない事件(不正経理や汚職)で大騒ぎしていたらしい。日本人もそのうち、V2ロケット弾のかわりに、核爆弾が頭上で破裂したら、そのときになって、大騒ぎするんでしょうね。
 これは、お祭り騒ぎの一種であって、後の祭りという。


● ニュースと感想  (10月08日b)

 → Open ブログ 「ソニーの充電池」
 例の発火事件についての話題。


● ニュースと感想  (10月09日)

 「司法制度の問題と改革案」について。
 司法制度には、二つの問題があることが知られている。

 一つは、司法試験だ。従来の「国家試験(司法試験)の合否一発」という制度から、現状のように法科大学院を経由する制度へと、変更された。(正確に言えば、従来は短答案と論文の二発で、現状は従来式と新式との並立。)
 しかしながら、現状の制度(法科大学院)には、問題があることが知られている。合格率が低いので、30歳ぐらいの高齢の不合格者が多大に発生して放り出される、ということだ。放り出される人々は、あまりにも可哀想だ。
 従来なら、そういうことはなかった。22歳で司法試験を受け始め、三回失敗して25歳で諦めた。24歳ぐらいで転身するのが普通だ。こういう例は、非常に多い。現状では、30歳ぐらいで放り出されるので、多くの人々の人生が破壊される。

 もう一つは、弁護士過疎地帯の問題だ。弁護士が大都市に集中するので、地方には弁護士がいない地域が多大に発生する。国は「法テラス」という変な名称の対策を取っているが、200億円も国費をかけながら、そのうちの半数は1年目の新米で、他も2年目の準新米だ、というありさまで、即戦力とはほど遠い半素人集団の集まりにすぎない。実効性がほとんどない。( → 読売社説

 そこで、提案。この二つを同時に解決する案だ。
 そもそも、前者は、弁護士志望者の過剰。後者は、弁護士の不足。過剰と不足があるのだから、うまく解消することが可能だ。
 ただし、前者は「弁護士志望者」であり、後者は「弁護士」であるから、レベルが違う。だから、単純に相殺はできない。では、どうするか? 
 ここで、硬直した発想を捨てて、柔軟な発想を取るといい。白黒発想を捨てて、灰色発想を取るといい。すると、こう結論できる。
 「弁護士志望者と弁護士との中間形態を新設する」
 具体的に言えば、「副弁護士」または「補助弁護士」という名前の職種だ。その内容は、次の通り。
  「弁護士の業務を行える」(現状では弁護士以外がやると違法。)
  「その業務は、弁護士が承認しない限り、法的には無効」(承認後に有効)

 具体的な例は、次の通り。
 「私立または公立の法律事務所がある。そこに客が訪れる。すると、弁護士ではなく、補助弁護士が応対する。おおまかな話を聞いて、定型業務の指針に沿って、さまざまな対応をなす。補助弁護士は、もともと弁護士志望の人であったから、やるのは上手にできる。その後、難問にぶつかったら、弁護士に質問して、指示を受ける。こうしてすべては滞りなく実施される。ただし、この時点では、法的には無効である。最後に、弁護士に、すべてをチェックしてもらう。合格の承認が出たら、そのことでようやく、法律的に有効となる。」

 この制度の美点。
 (1) 司法試験に落ちた人は、補助弁護士になれる。放り出されないで、司法の職種に就くことができる。
 (2) 弁護士は、下らない業務を、自分でやるかわりに、補助弁護士にやらせる。その分、業務が効率化される。三人の補助弁護士を雇えば、仕事量が四倍になる。収入は四倍になる。しかも、他の三人の給料は低く、自分の給料は高い。そのせいで、自分の収入は、以前よりも増える。
 (3) 地方の人は、弁護士が実質的に何倍にも増えたのと同じことになるので、司法の救済を受けることができるようになる。
 (4) 一般の人は、法的サービスのコストダウン(料金低下)というメリットを得ることができる。(弁護士でなく補助弁護士が仕事をやるから、料金が下がる。たとえば、遺言書の確認など、いちいち偉い弁護士が出るような仕事ではないので、低料金で法的サービスを受けることができるようになる。)

 [ 付記 ]
 以上は、経済学的に言えば、「生産性の向上」である。詰まらない定型的な業務を下級の人にやらせることで、上級の人は高度な業務に専念することができるので、生産性が向上する。
 そのための方法は、「役割分担」である。これは、「比較生産費」の概念で説明されるだろう。経済学の知識。
 なお、このことは、たいていの会社でなされている。客の応対は、秘書や営業みたいな人がやって、経営判断は、重役がやる。「当り前じゃないか」と思うだろうが、弁護士はその当り前のことをやっていない。客の応対から始めて、何から何まで、自分でやる。だから、経営効率が下がる。
(ま、法律事務所を構えていると、末端のことぐらいは秘書にやらせるが、それでも、依頼者には、自分が最初に面談する。くだらない話をいつまでもグダグダと聞いていて、肝心の要件にはなかなか入らないことが多い。それでも「面談費」みたいなのを取りますけどね。損はしないが、効率が悪いですね。)

 【 追記 】
 上記では、ロースクール(法科大学院)卒で、司法試験に受からなかった、落ちこぼれ組を対象として、「補助弁護士」(弁護士のなり損ね)を提案した。
 一方、次のようなものも想定できる。
 「司法修習生でありながら、司法研修所の卒業試験に合格できずに落第した人」
 これが近年、増えているそうだ。(ニュース検索でわかる。)
 これもまた、「補助弁護士」の方に回すといいだろう。
 なお、そのことの目的は、「落第者を救済すること」ではなくて、「一流半の人には一流半の仕事を与えて、人材の最適配置をすること」である。

 同じ方針は、さらに言えば、次のようなことにも適用できる。
 「麻酔科医や産婦人科医が不足しているので、専門の『補助医師』を育成する」
 麻酔科医や産婦人科医が不足している、としばしば言われる。その一方で、これらの医師には、あまり高度な専門知識は必要とされない。麻酔それ自体は人命救済に関係ないし、出産それ自体も人命救済に関係ない。ただ、万一の場合に、人命に関わる。そこで、万一の場合には、医師に対処してもらうことにする。一方、それ以外の場合(万に9999の場合)には、補助医師に対処してもらう。このことで、酔科医や産婦人科医の不足という問題が解決する。
 この方針は、単純に「医師を増やす」という方針よりも、優れている。なぜなら、単純に「医師を増やす」ことにすると、医師の質の低下が起こるからだ。それはまずい。そこで、質の低下の分は、麻酔科医や産婦人科医のうちの定型業務(安全な業務)だけに限ることにする。この分野なら、特に高度な知識は必要とされないからだ。
 ついでに言えば、小児科医には、このことは当てはまらない。小児科医も不足しているが、小児科医を「補助医師」に任せることはできない。当り前ですね。どちらかというと、小児科医は、普通の医師よりも高度な技能を必要とするからだ。


● ニュースと感想  (10月10日)

 統計数字(世論調査)で読者をあざむく例。朝日新聞の記事で例を示す。朝日って、詐欺師なんですよね。
   → Open ブログ「統計の嘘」


● ニュースと感想  (10月10日b)

 「北朝鮮の核実験」について。
 北朝鮮が核実験を行なったらしい。規模が小さくて正確には検出されにくいらしいが、それでも韓国ではすぐに地震波を検出した。同時刻に日本各地でも地震波を検出した。
 さて。核実験があったとして、これについての見解は、先日( 10月08日 )と同様。核実験が実際にあったなら、今さら「核実験を停止せよ」と要求しても仕方ない。あとは、「独裁制をやめてもらうか、軍事基地を破壊するか」という選択肢となる。
 なお、下らない「経済制裁」などは無意味なので主張しない。そんなのは犬の遠吠えに近い。実効性がほぼ皆無。このあと北朝鮮は、ミサイルに核弾頭を搭載する。その日が早いか遅いかの違いでしかない。

 [ 付記 ]
 情報を追加しておこう。核実験の探知は、可能である。地震計により、突発的な爆発を検出できる。持続的に続く地震とは明白に異なる波形が検出される。韓国では震源に近いので、うまく検出できたらしい。
 ただし、この地震波は、大型の通常爆弾の地震波と、区別がつきにくい。北朝鮮は「放射能漏れはなかった」と自慢しているが、放射能漏れがないということはたぶんありえない。通常、放射能漏れが検出されて、確定する。
 だから、もし放射能漏れが皆無であったとすれば、通常爆弾を爆発させておいて、「核だよ」と嘘をついた可能性がなきにしもあらず。
 実を言うと、先日のミサイル発射でも、本当は失敗したらしいのに、北朝鮮は「成功」と発表した。今回も、その可能性がなきにしもあらず。
 それにしても、南堂の軍事解説って、役に立ちますねえ。嘘を見抜くのがすごく上手。詐欺師の手口は詐欺師が知る。  (^^); 


● ニュースと感想  (10月10日c)

 「北朝鮮という鬼子」について。
 先日( 10月08日 )の話では、「核実験のあとでは北朝鮮の軍事施設に空爆をするべし」という私見を述べた。これについて、補足しておく。

 私の見解(軍事施設への空爆)と似た見解は、いわゆる「保守派」「強硬派」にも見られるだろう。つまり、「北朝鮮は気に食わないから徹底的にたたきつぶせ」と唱え、同時に、「米国は偉いから米国にはペコペコしよう」という見解だ。
 しかし私は、こういうふうに「自分は善、相手は悪」という発想を取らない。かわりに、「自分も相手も悪」という発想を取る。ここでは、自己への反省が必要となる。
 北朝鮮へ空爆するとしたら、それは、自国が正しいからではなくて、自国が間違っているからだ。このことを自覚する必要がある。確かに、北朝鮮は悪であるが、だからといって、日本が善であると自惚れるべきではない。日本もまた悪なのだ。
 では、日本には、どんな悪があるか? それは、こうだ。
 「北朝鮮という鬼子を産んだのは、まさしく日本自身である」
 北朝鮮は急に地面の割れ目から芽生えたわけではない。それをもたらしたのは、日本である。その理由は、日本の朝鮮半島支配ではなくて、日本の対中進出(侵略)である。
 日本は、中国を支配する前には、朝鮮と樺太と台湾を支配していた。── これで満足していれば良かったのだ。もう一つ、満州というのもあって、これはちょっと問題があるが、朝鮮と樺太と台湾だけなら、ほとんど問題はなかった。この三つつ(プラス満州も?)で満足していれば良かったのだ。そうすれば、日本という国は、今よりももっと広い範囲で確立していたはずだ。朝鮮は日本だったし、樺太も日本だったし、台湾も日本だった。いずれも、その現地の人は日本人とされて、同じ国民となって、日本語を話していた。この状態で満足していれば、何も問題はなかった。
 しかるに、満州を経て中国に進出した。このせいで、アメリカの逆鱗に触れて、石油禁輸という措置を受けた。となると、日本には、屈服か戦争か、どちらかしか道は残されていない。結果的には、戦争を選んだ。かくて、破局。
 で、その破局のせいで、朝鮮は二つに分裂した。日本がさっさと降伏していれば、ソ連は軍隊を西部戦線から東部戦線(極東)に移すことはなかったから、北朝鮮もソ連の影響を受けなかったかもしれない。現実には、ソ連の影響を受けて、朝鮮は二分された。……実を言うと、日本もまた、二分される危険があった。北日本はソ連が占領して共産国家となり、南日本は米軍が占領して資本主義国家となる、というわけだ。
 実際、ソ連は樺太や千島のあたりを占領していた。仮に日本の降伏が、あと少し遅れていれば、北日本(少なくとも北海道)は、「日本人民共和国」という名の共産主義国家になっていただろう。

 結局、北朝鮮という国が生まれた理由は、日本の軍事政策にある。日本が朝鮮半島を支配したことは特に悪くはないが、ソ連が北朝鮮を支配したことはとんでもない大失敗だった。そして、そのとんでもない結果を引き起こす引き金を引いたのは、日本の軍事拡張政策だった。つまり、日本が、北朝鮮という鬼子をもたらしたのだ。
 ( ※ これは、西側社会が、ヒトラーという鬼子をもたらしたのと、同様である。反ソ政策のために、右翼のヒトラーをあえて増長させた。「ソ連への防波堤」というような意図で。)

 というわけで、北朝鮮という鬼子を産んだ日本には、責任がある。「こいつは悪党だ」と非難するだけでは、とんでもない勘違いだ。自分自身がその悪党を産んだのだ、ということをはっきりと自覚する必要がある。
 つまり、「善人ヅラするな」「いい子ぶるな」「おのれの非を直視せよ」ということだ。

( ※ 「そういう当の南堂はどうなんだ」……とは言わないでくださいね。武士の情け。   (^^); )


● ニュースと感想  (10月11日)

 「北朝鮮の核実験の意味」について。
 北朝鮮の核実験は、成功か失敗かはともかく、どうやら事実であったらしい。確認されたわけではないが、世間は核実験を事実と見なしているようだ。で、それを前提として話を進めよう。
 世間では「けしからん」という怒り狂った声が大きく渦巻いている。それはニュースを見ればわかるとおり。
 で、本サイトの読者は、私に何を期待しているかといえば、世間と同じ見解ではないですよね? もちろん。「同じ見解を述べても情報量がゼロだ」というのが私のポリシーだから、世間と同じことは述べません。
 なかには「南堂はあえて世間と違う意見ばかりを述べたがる、へそ曲がりの天の邪鬼だ」と思い込んでいる人もいるようだが、とんでもない勘違い。私だって、世間と同じふうに考えることは、多々あります。朝起きて、三食食べて、夜寝ます。世間にあえて異を立てようとするつもりはない。では、なぜ、世間と異なる見解ばかりを出しているかというと、世間と同じ見解のときは黙っているからです。「同じ見解を述べても情報量がゼロだ」というのが私のポリシーだから。つまりは、「情報量のないことは書かない」というのが私のポリシーだから。
 では、今回は? 
 もちろん、世間と同じように、「北朝鮮はけしからん」なんてこと書いたりはしない。そんなことを書いても、情報量がない。では、本項は、何のためにあるか? そこで、いよいよ、本題に入ろう。(以上は前フリ。)

 私の基本方針は、一般に、「真実を探る」ことである。もちろん、今回も同様だ。「北朝鮮はけしからん」というのは、話者の感情を述べているだけだが、私は私の感情を述べたりはしないで、「真実を探る」という方針で書こう。
 「真実を探る」という方針を取ると、世間には、大いなる誤解があることがわかる。それは、「北朝鮮が核開発をしたのはなぜか?」という問いに対する、解答である。たいていの人は、こう述べる。
 「北朝鮮が、ならずもの国家だからだ」
 「北朝鮮が、発狂したからだ」
 「北朝鮮が、トチ狂って暴走したからだ」
 しかし、こういうのは、いただけませんね。むしろ、こう考えるべきだ。
 「北朝鮮が、合理的に判断したからだ」
 こう解釈することにして、その合理的な判断というのを推定すれば、こうなる。
 「北朝鮮は、核開発をするしかなかった。なぜなら、核開発をしなければ、とんでもないことになるからだ」
 では、とんでもないこととは? こうだ。
 「米国が、北朝鮮の独裁体制を崩壊させようとして、武力行使をしかけてくる」
 これこそ北朝鮮にとっては悪夢である。そして、この悪夢を何としても阻止するとしたら、どうすればいいか? 通常の方法は、すべて無効だ。残された方法は、ただ一つ。核開発である。── というわけで、北朝鮮が核開発をしたことには、(彼らなりに)合理的な理由があったことになる。

 では、なぜ、これが合理的な理由となったのか? これまでは何十年もずっと核開発をしてこなかったのに、どうして急に核開発をするようになったのか? その理由は、こうだ。
 「ブッシュ(子ブッシュ)が、独裁体制の打破をめざして、フセイン体制を崩壊させたから」
 実は、父ブッシュもイラクに攻勢をしかけたことがあるが、そのときは北朝鮮は焦らなかった。フセイン独裁体制を崩壊させることはなかったからだ。しかし、子ブッシュは、フセイン独裁体制を崩壊させようとした。具体的には、2002年初頭の一般教書演説では、「悪の枢軸」という発言を行い、イラク、イラン、朝鮮民主主義人民共和国を、「大量破壊兵器を保有するテロ国家である」と名指しで非難した。(Wikipedia より。)
 このころには明らかに戦争の臭いがしはじめていた。そのほぼ一年後には戦争が始まった。ここでは、独裁体制を崩壊させることのみを目的として、戦争を始めたのだ。
 とすれば、2002年(戦争開始は当然とされたころ)には、北朝鮮の首脳は強い危機感を感じたはずだ。「明日はわが身」である。
 それゆえ、(このときまでは研究段階にすぎなかった)核開発を、「最大限の努力をもって遂行するべき、国家的な最優先課題」に格上げしたはずだ。

 以上のように判断すれば、「なぜ今この時期に核実験がなされたか」ということに、納得の行く説明がつく。北朝鮮が核開発をしたのは、狂っているからではなくて、(彼らなりに)合理的な判断をしたからなのだ。

 では、以上のことから、私は何を言いたいか? 「北朝鮮は悪ではない」と言いたいのか? もちろん、違う。私は「誰が悪い」というふうに、非難したり悪口を言ったりするのが目的ではない。
 私が言いたいのは、「真実を知れ」ということだ。北朝鮮が核開発をしたのは、彼らが狂っているからではない。合理的な判断をしたからだ。
 そして、その根源には、われわれが「正気である」と信じて推進した、フセイン体制崩壊のための戦争がある。
 この戦争は、嘘八百(ありもしない大量破壊兵器をあると見なした嘘)を名分としてなした、とんでもない戦争だった。仮にフセイン独裁を悪だと見なすにせよ、それならそれを名分とすればいいのだが、嘘八百をついて戦争を始めた。これこそ狂気的である。
 つまりは、米国も日本も他の諸国も、そろって狂っていた。世界中が狂っていた。世界中が狂っているときには、身を守るには、自力で守るしかない。ならば、核開発をするしかない。── こういうふうに考えるのは、合理的なのだ。(逆に、ありもしないものをあると見なす方が、よほど非合理で狂気的である。)

 結局、北朝鮮が核開発をしたのは、北朝鮮が狂っていたからではなくて、北朝鮮以外のすべてが狂っていて北朝鮮だけが正気だったからだ。正気だからこそ、彼らは核開発をしたのである。── これが真相だ。

( ※ また南堂流の詭弁だろう、と思う人もいるかもしれないが、いやいや、これは、アフォリズムである。警句ですね。気の利いた口ぶりで、真実を突く。これが逆説に聞こえるのは、人々の頭が硬直しているからにすぎない。)

 [ 付記 ]
 北朝鮮への対抗策としては、私は、「軍事施設への攻撃」を提唱した。だが、そのためには、「国連の同意」が必要となる。しかしながら、その同意は、中ソの反対で、実現が困難だと見なされている。
 この問題については、うまい解決策がある。こうだ。
 「日本の言うことを聞かないと、日本も核開発をするぞ」
 これはブラフ(脅し)だ。このブラフは、通常ならばまったく有効ではないが、今回に限り、有効である。この意見は、「核開発をするぞ」ということに主眼があるのではなく、北朝鮮への軍事攻撃をすることに主眼があるからだ。
 ま、外交ゲームにおいては、ブラフというのは必要なのである。どの国だって、ブラフを使っている。日本だけが、馬鹿正直に、ブラフを使わない。そのせいで、外向的には、失敗してばかり。
 ブラフの使い方ぐらい、ちゃんと理解しましょう。


● ニュースと感想  (10月12日)

 「北朝鮮への対処」について。
 今回の核実験に対して、どう対処するべきか? 
 選択肢としては、次の二つが考えられる。
  ・ 容認する
  ・ 否定する

 当り前だ、と思えるかもしれないが、ちょっと違う。ここで重要なのは、「もはや中間状態はありえない」ということだ。白か黒か、どちらかだけがあり、灰色はない。具体的に言えば、こうだ。
  ・ 核保有を放置する。(放置して北朝鮮の言いなりになる)
  ・ 核保有を廃止させる。(否応なしに強引に核保有をやめさせる。)

 前者の場合には、「このあとは北朝鮮の言いなりになる」ことを意味する。
 たとえば、「経済制裁をする」なんていう意見があるが、これは無効である。北朝鮮が「経済制裁をやめよ」と言ったら、素直にやめなくてはならない。
 とにかく、何であれ、北朝鮮の言うことを、すべて受け入れなくてはならない。「言うことを聞かないと、核爆弾を爆発させるぞ」と言われたら、唯々諾々として受け入れるしかないからだ。さもなくば、韓国との国境のあたりで、核爆発起こされるかもしれない。
(例。ボーイングのような航空機に核爆弾を搭載して、ふらりと韓国国境を越境させて、敵が迎撃する前に、核爆弾を爆発させる。)

 後者の場合には、「やめよ」と言ってもやめないのだから、強引にやめさせるしかない。つまり、体制転覆しかない。具体的には、軍事施設を破壊する。このことで内部崩壊を促す。
 それでも駄目なら、レジスタンスを組織する。最初は海岸線の一部に橋頭堡を築いて、そこから一定領域に進出して、支配下に置く。その後は、どんどん支配領域を拡大する。武力を使うのはあくまで朝鮮人とする。米軍はやらない。米軍は航空支援のみを行なう。
 また、軍事活動は、戦争をするよりは、政府組織を対象としたゲリラ戦とする。

 ともあれ、上記の二つの、いずれかになる。
 これまでは、「どっちでもない」という方針が可能だった。「北朝鮮を容認はしないが、否定もしない。とりあえず、現状のままにする」という、どっちつかずの方針が可能だった。(選択肢のうちからどれも選択しない、ということ。)
 しかしもはや、どれかを選択する必要がある。容認か、否定か。……そして、容認ができないのであれば、否定するしかない。つまり、軍事活動をするしかない。(戦争ではないが、レジスタンスの形の軍事活動をするしかない。
 
 もはや甘ったるい選択肢は残されていない。生きるか死ぬか、殺すか殺されるか、どちら一方でしかない。そういう差し迫った状態になってしまった。好むと好まざるとにかかわらず、そういう状態になってしまったのだ。……それが現状だ。その現状を認識するしかない。もはや「経済制裁を」なんていう、甘ったるい選択肢は残されていないのだ。

 ただし、注意しよう。北朝鮮の国家を崩壊させる必要だが、そのことは、善としてなすのではない。やむをえず、必要悪としてなすだけだ。
 本項の提案は、北朝鮮を崩壊させるために、レジスタンスの形の軍事活動をすることだ。それはつまり、テロだ。世界各国が、北朝鮮に対し、テロ活動を支援すればいいのだ。……これは皮肉になる。しかしながら、そういうことをするしかない状況に、追い込まれてしまった。
 もはや覚悟を決める必要がある。どんなにつらくても。無為無策や経済制裁は、最悪の愚劣な方針だ。そんなことでは、爆弾が降ってくる。

 [ 付記 ]
 北朝鮮の核を、「今差し迫った危険ではない」と述べている馬鹿新聞社もある。(読売新聞)。しかし、とんでもない誤解だ。たいていの新聞社は、軍事知識なんて皆無である。
 たしかに、今すぐ日本の頭の上で破裂することはない。しかし、北朝鮮の沿岸または日本海で核を爆発させたら、死の灰は確実に日本に降ってくる。チェルノブイリに似ていますね。うまく台風や偏西風を利用すれば、北朝鮮から日本に素早く死の灰が届く。(北朝鮮と日本の東北地方は、同緯度である。)

 [ クイズ ]
 東京から見て、北朝鮮と北海道は、どっちが遠いかを比較しよう。
 「東京 − 北朝鮮」間の距離は、「東京 − 北海道」間の距離に比べて、何倍になるか? 
   (1) 1.0倍
   (2) 1.5倍
   (3) 2.0倍
   (4) 2.5倍以上
 どれが正解でしょう? ( → 解答


● ニュースと感想  (10月12日b)

 「北朝鮮への制裁の有無」について。
 報道による観測では、米国は北朝鮮への軍事制裁をする予定はないらしい。その理由は、
 「核を保有しても、ミサイルが短距離で米国には届かないから、米国への直接的脅威にはならない」
 ということ。つまり、わが身かわいさである。韓国や日本のことなんか、ちっとも考えていない。日本に核爆弾が落ちたって、知ったこっちゃない。自分さえ良ければ、それでいいのである。
 幽霊の正体見たり、枯れ尾花。
 米国がいくら「日本を守るために安保条約や軍事基地を維持する」なんて言っても、それはもちろん嘘八百だ。ただの詐欺的台詞にすぎない。本当は、極東における軍事施設の維持費を節約したいだけである。換言すれば、同じ金をかけて、大きな軍を維持したいだけである。
 あくまで、わが身かわいさ。日本のことなんか、何も考えていない。そのことが、北朝鮮の核を放置することからわかる。

 シミュレーションしよう。
  1. 北朝鮮が核実験
  2. 米国は放置
  3. 北朝鮮がミサイルの成功
  4. 北朝鮮が核の小形化
  5. 北朝鮮が核ミサイルの配備
  6. 米国はなおも放置
  7. 北朝鮮が長距離ミサイルの実験
  8. 米国がようやく頭に来て、北朝鮮に軍事制裁
  9. 北朝鮮が中距離ミサイルを日本に落とす
  10. 日本は荒廃する
  11. 日本を北朝鮮から守るため、米国が日本を再占領する。
  12. 日本は米国の51番目の州となる。
 ま、米国であれ、親米派であれ、Abe 首相であれ、普段は北朝鮮に対して勇ましいことを言っているが、本当に日本の存亡の危機になると、たちまち腰砕けになるのだ。北朝鮮が何もできない最弱国家だと思っているうちは威勢のいい口調で非難するが、北朝鮮が核爆弾をもつとなるとたちまち無力になってしまうのだ。
 で、Abe 首相は、米国の51番目の州の、州知事となってから、「エイブ知事」と呼ばれて、ご満悦になるのである。「アイ・アム・アメリカン!」と叫んで。( I am an American とは言えない。)

 [ 付記 ]
 軍事対策はいろいろとあるが、なかでも一番阿呆なのは、「ミサイル防衛網」という馬鹿装置を配備することだ。国費を浪費するだけだ。
 なぜ? 実験では「一発だけを撃破する」ということだ。たまに成功する。だが、そんなことをいくらやってもまったく無意味だ。
 なぜなら、十発ぐらいをまとめて発射されたら、その十発をきちんと撃破することはまったく不可能だからだ。
 比喩的に言おう。蜂が一匹だけ襲ってきたら、蜂をたたき落とすことは可能である。蜂が十匹いっぺんに襲ってきたら、すべての蜂をたたき落とすことは不可能だ。しかも、その蜂は毒蜂である。たとえ八匹をたたき落としても、残る二匹に刺されたら、死んでしまう。……こういう状態で、「蜂叩き器をもっているから安全だ」と思うのは、ただの阿呆である。おまけに、「蜂叩き器に一億円を払う」なんて言い出したら、とんでもない阿呆だ。
 ミサイル防衛網には、最低レベルでも一兆円かかる。その効果は皆無である。ただし、米国の軍事産業にとっては、お得な公共事業となる。

 なお、朝日の夕刊には、ミサイル防衛網についての特集コラムが連載中。11日の記事では、「半分でも落とせば有効だ」という元防衛長官の見解が紹介されている。
 こんな見解を堂々と載せるのだから、朝日というのも政府にだまされる阿呆ですね。
 なるほど、防衛庁にとっては、撃墜した戦果だけが眼目なのだろう。
 しかし、国民にとっては、被弾した数が問題なのだ。いくつ撃墜したかなんていうことは関係ない。撃墜した数がゼロであろうと百であろうと、とにかく、届いた数が一つ以上であれば大問題なのだ。通常のミサイルなら、一つ届こうが十届こうが、(交通事故と比べても)たいして被害はないが、核ミサイルはたった一発が届いただけで大惨事となるのだ。
 もはや核というものが出現したせいで、事情は一変してしまった。こんなこともわからない連中が、「半分でも落とせば有効だ」という阿呆な見解を出す。
 これだと、「半分でも落とせば、半分生きていられるから、死にません」と言いたいのだろうか? シュレーディンガーの猫みたい。そのあげく、
 「生きている状態と死んでいる状態が重ね合わせになっているから、まだ死なないでいられる」
 「観測するまでは死なないから、目をつぶっていれば大丈夫」
 「この世界では死んでも、別の世界では生きているから、大丈夫」
 というふうに言い張りたいのでしょうかね? 量子論学者並みの馬鹿げた発想。


● ニュースと感想  (10月13日)

 「著作への書評への釈明」について。
 著作(ライブドア・二重の虚構)について、読者から厳しい注文がついた。そこで、これについての釈明をする。(釈明なので、あんまり格好良くないです。歯切れも良くないです。)

   → 南堂の本 ブログ

 ※ 一番最後の [ 付記 ] に、面白い話が書いてある。


● ニュースと感想  (10月14日)

 「国策捜査と宣伝捜査と錯覚捜査」について。
 ライブドア事件の検察の捜査については、「国策捜査」という言葉が出回っている。その言葉は、最初に広めた人の著作によれば、
 「国策捜査は時代のけじめをつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作りだして、それを断罪するのです」
 とのことだ。とはいえ、これを語ったのは検事である。だから、
 「国策捜査という言葉は、検察が自己を肯定するための宣伝文句にすぎない」
 というのが、私の立場である。(前にも述べたとおり。 → 9月09日b

 その際は、「国策捜査」よりも適した用語として、「組織エゴ捜査」とか「暴走捜査」とかの言葉を提案した。しかし、今にして思うと、もっと適切な言葉がある。
 それは「宣伝捜査」だ。これは検察が自己宣伝をするための捜査にすぎないからだ。「時代を転換するために、何か象徴的な事件を作りだして、それを断罪するのです」というのは、もちろん、「検察にとって」という枕詞が頭につく。あくまで検察の都合にすぎない。その意味は、「検察の宣伝」である。だからこれは、「宣伝捜査」と呼ぶのがふさわしい。(政府の国策でやる捜査ではない。政府にとっては宣伝の必要などはないからだ。宣伝の必要があるのは、あくまで検察だけだ。)

 さて。その視点でライブドア事件を見ると、これは、「宣伝捜査」ではない。なぜなら、結果的には大宣伝にはなったものの、この宣伝効果は、ホリエモンの有名さによって生じたものであって、事件の大きさによって生じたものではないからだ。どうせ宣伝をするのなら、建築設計疑惑でもいいし、防衛庁談合事件でもいいし、岐阜県の汚職でもいい。これらの方が、宣伝効果はずっと大きいはずだ。「検察は正義の味方だ」というふうに世間の喝采を浴びることができる。たかが帳簿の不正経理なんているみみっちい犯罪を取り上げるより、ずっと大きな宣伝効果を得ることができるはずだ。(また、あとで「国策捜査」とか何とか批判されるリスクもない。)

 新刊書の「国策逮捕」という本やその他では、「検察が政治よりも経済を重視するようになったから」という、とってつけたような解説もある。だが、何を寝惚けているんだか。ライブドア事件の際には「経済検察」と呼び、政界疑獄の際には「政治検察」と呼び、テロが起これば「公安検察」と呼ぶ、という手合いにすぎない。そんなのは、「後づけの理屈」にすぎない。

 では、ライブドア事件において、検察には、何があったか? あったのは、「国策」でもなく、「宣伝」でもなく、政治から経済への「転換」でもない。検察にあったのは、「誤算」である。「こんなはずじゃなかった」と、今ごろはホゾを噛んでいるはずだ。
 では、なぜ、誤算があったか? それについては、著作で何度も示したとおり。「錯覚」である。(詳しくは著作を参照。)
 検察は、錯覚したから、誤算をしたのだ。とすれば、これは、「錯覚捜査」と呼ぶのがふさわしい。検察は、国策によって摘発したのではなく、宣伝のために摘発したのでもなく、錯覚によって摘発したのだ。(そのまた根源には、錯覚を狙ったずる賢い密告者がいるが。)

 結局、検察のふるまいは、「錯覚捜査」という言葉で説明できる。
 同様に、マスコミのふるまいは、「錯覚報道」である。
 また、東証のふるまいは、「錯覚処置」である。
 また、国民の騒ぎは、「錯覚騒動」(錯覚による大騒ぎ)である。これはつまりは、「魔女狩り」と同様のものだ。
 というわけで、「錯覚」というキーワードを使うことで、ライブドア事件はすっきりと説明できる。(どう説明できるかは、著作「ライブドア・二重の虚構」を参照。)
( ※ なお、「〜捜査」というよりは、「〜逮捕」「〜検挙」「〜摘発」という方が適切だ、ということもある。が、そこまで言うと、話が面倒になりすぎ。本項の趣旨とは別。)

 [ 付記1 ]
 上記の区別をすると、ホリエモンの弁護団の馬鹿さ加減が良くわかる。
 単に「国策捜査」という言葉を使うと、「宣伝捜査」と「錯覚捜査」の区別ができないので、混同してしまいがちだ。ただし、「国策捜査」という言葉を使わないで、「宣伝捜査」と「錯覚捜査」という言葉を使うと、両者の区別がつく。
 すると、「宣伝捜査」については証明できないが、「錯覚捜査」については証明できる、とわかる。(「ライブドア・二重の虚構」で「これは錯覚だ」と証明している。)
 弁護団が「これは国策捜査だ」と主張すれば、「国策捜査」を「宣伝捜査」の意味に解釈され、検察に「ふん、非難するなら証明してみろ」と言われたあげく、「宣伝狙い」ということを証明できないまま、あっさり撃沈される。
 しかし弁護団が「これは錯覚捜査だ」と主張すれば、見事に説明できて、検察を撃沈することができる。
 では、弁護団は、どうしてそういう賢明な方針を取らないか? それは、「宣伝捜査」と「錯覚捜査」という言葉を使わないで、世間にあふれる「国策捜査」という言葉だけを使っているからだ。すると、上述のように撃沈されずなので、「そんなことを訴えると、やばいな」と思っているからだ。
 弁護団もまた、用語の使い方の間違いのせいで、頭が錯覚しているのである。錯覚した弁護だから、「錯覚弁護」ともいうべき状態。

 [ 付記2 ]
 「検察の摘発が錯覚捜査である」ということを示すには、「この摘発が検察の意図したものではない」ということを示す必要がある。
 検察は確かに「テロ」としか呼びようのない摘発をしたが、それは検察が意図したことではないのだ。検察は悪であるから、テロみたいなことをなしたのではなく、錯覚したがゆえに、テロみたいなことをなしたのだ。── その事実を明かす必要がある。
 では、そのためには? 本日別項(次項)で示したとおり、「本件以外の不正経理を俎上に載せればいいのだ。そうすれば、弁護団は勝てる。
 とはいえ、そうする気はないでしょうね。錯覚弁護なので。  (^^);

( ※ 錯覚した検察と、錯覚した弁護団の、どっちが勝つか? ── そんなのは、「馬鹿と阿呆のどっちが利口か」とか、「間抜けとトンマのどちらが賢明か」とかいうようなもので、私の関心ではありません。勝手にすれば。)


● ニュースと感想  (10月14日b)

 「ホリエモン裁判」について。
 ホリエモンの裁判については、私はもうあまり関心がないが、思いついたことがあったので一つ。
 ホリエモンの弁護団というのは、本当に馬鹿ですね。しきりに無罪を勝ち取ろうとして、「検察の手続きには難点がある」というふうに、訴訟戦術で勝とうとしている。意地汚い。姑息。……私が裁判官だったら、こういう汚らしい戦術をとる輩は、それだけで有罪に値する。「本当は犯罪をなしたのに、訴訟手続きのミスで勝訴したがる」なんていう奴には、鉄槌を下す。普通よりも、何倍も重たい罰を科する。たとえば、不正経理の罪が、普通なら罰金数十万円で済むとしても、こういうふうに汚い戦術で無罪を勝ち取ろうとする輩には、実刑一年ぐらいを科してやる。それが正義というものだ。悪をのさばらせるつもりは毛頭ない。
 で、弁護団は、「こいつは南堂みたいに正義感の強い裁判官だな」と理解しているので、あえてホリエモンを豚箱に入れるために、必死に努力しているのだろう。なるほど、その意図はわかる。ホリエモンは、豚箱から出たとたん、また太ってしまった。今度は一年ぐらい、麦飯ダイエットをした方が、彼にとっていいだろう。そこで、依頼人の利益を図るために、彼を一年の実刑にするように、しきりに努力しているわけだ。  (^^);  
( ※ もちろん皮肉です。念のため。)

 なお、私が弁護団だったら、次のような戦術をとる。
 「訴訟手続きで相手のミスを突いて勝とうとするのではなく、真実を訴える。真実とは? 悪をなしていない、ということではなく、悪はあまりにも小さい悪であった、ということだ。これが真実だ。だから真実を訴える。そして、真実を証明するために、別の訴訟を起こす」
 では、別の訴訟とは? ホリエモンとそっくりなことをやった人を、ボランティアふうに募る。たとえば、こうだ。
 「経理のミスをして、過剰納税してしまった人に、自発的に名乗り出てもらう。国税庁に『過剰納税の分を返還してほしい』というふうに要求する訴訟を起こしてもらう。しかるのち、その人を、弁護団が、『不正経理』という罪で告発する」
 この人は、過剰納税(税の払いすぎ)をしたわけだから、経理が正しくなかったことになる。利益を過剰に増やしたことになる。つまり、ホリエモンと同罪だ。従って、その人とホリエモンとは、同じ罪で咎められる必要がある。その際、検察がどう論じるかを見て、その論じ方を、ホリエモンの裁判で利用する。
 たとえば、「このくらいの経理ミスで検察がいちいち出てこられるか」と検察が言ったら、その言葉をそっくりそのままホリエモンの裁判で使う。……こうして、ホリエモンの裁判で、検察の不当性を証明することができる。検察自身の言葉で。

 つまり、「悪はなかった」と証明するのではなく、「悪は小さすぎた」と証明するわけだ。これが真実である。
 そして、真実を訴える声には、正義感のある裁判官は耳を傾ける。逆に、「ずるい法廷戦術で有罪を無罪に持ち込もう」なんていう弁護士には、裁判官は鉄槌を下す。
 要は、真実か、詭弁か。そのどちらかだ。
 ( ※ 南堂のことを「詭弁家だ」と思い込んでいる人が多いようだが、そんなのは間違いです。詭弁に見える真実、というのが正しい。)
 ( ※ なぜ「私なら鉄槌を下す」かというと、「物事の本質を突け」というのが、私の態度だからだ。仮に、六千億円の詐欺をしたということが世間常識であるとして、その上で、このことを弁護側が否定しないのであれば、被告は泥棒を六千億円の詐欺をしたことになる。その上で、訴訟手続き上のミスを突いて、無罪を勝ち取ろうとするのであれば、それは、形式だけを突いて、本質を回避しよう、というズルい作戦である。……私としては、本質をゴマ化そうとする奴は、大嫌いなんでね。)


● ニュースと感想  (10月14日c)

 英和辞典として、ウィズダム英和辞典(三省堂)が新発売。
 → Open ブログ 「ネット英和辞典」


● ニュースと感想  (10月15日)

 「ライブドアの根源」について。
 ライブドア事件の裁判で、ライブドアの株式分割(百分割)で、「株価が高騰したときにライブドアだけが株を売却して利益を得るという不正」のことを、検察側の証人(ライブドアの子会社の社長)が証言している。これを堀江被告が指示したという。(読売・朝刊・社会面 2006-10-14 )
 この記事を読むと、次のように解釈する人が多いだろう。
 「堀江被告はすごい悪党だ。ライブドアは株主をだまして、自分だけが、しこたま金を奪い取った。詐欺師も同然だ」
 記事はそういう趣旨で書かれている。しかしここには錯誤がある。
 その理由は、六千億円の詐欺と同じで、次のことだ。
 「ライブドアは株主のものである。ライブドアが株主から金を奪ったということは、株主の金を株主が奪ったということにすぎない」
 要するに、株主の金を株主が奪っただけだ。株主全体を見れば、損も得もしていない。株主が金を払って、その金の所有権を株券の形で所有した、というだけのことだ。つまりは、ただの「出資」と同じである。詐欺ではない。
 仮に、これが詐欺だとしたら、あらゆる出資はみんな詐欺になってしまう。アホくさ。
( ※ より詳しい話は、「ライブドア・二重の虚構」に書いてある。細かな話はそちらを参照。)

 ま、これが経済学の常識だ。会社が消費者の金を勝手に得たら詐欺であるが、会社が株主の金を得て自社の金を増やしたのは詐欺ではなくて出資である。ま、インチキをしたのかもしれないが、詐欺をしたわけではない。金を盗んでいないからだ。実際、このことで、誰も「不当利益」を得ていない。ホリエモンにせよ、社員にせよ、ライブドアに利益が入ったことで「不当利益」を得ていない。強いて言えば、「不当利益」を得たのは、株主全体である。株主の金を奪った悪の張本人は、株主全体であるのだ。で、「株主全体を不当利益を得た罪で逮捕する」というのなら、まだわかるが、実際には、検察の言い分は、「株主に損をさせたから、ホリエモンを逮捕する」だ。理屈が正反対。

 というふうに、経済学を理解すれば、真実がわかる。しかし、経済学を理解しないと、真実を理解できない。単に表層だけを見て、「ライブドアは金を奪った悪党だ」とだけ非難する。それが、例の錬金術サイトであり、検察であり、マスコミであり、知ろう連中の世論だ。そしてまた、驚くべきことに、弁護団もこれを信じている。(ゆえに反論しない。)
 そろいもそろって、「錯覚」ばかりしている。ここに、ライブドア事件の本質がある。
 しかしながら、比較的まともな連中でさえ、「国策捜査の検察が悪い」なんていうふうに非難しているだけだ。
 馬鹿ですね。「検察が悪い、検察が悪い」というふうに非難しても、それは、テロの実行犯だけを非難しているということであって、テロの関係者全体を非難することにはならない。
 比喩的に言うと、サリン事件でポリ袋を傘で突ついた一人がいるとして、この一人を非難するだけで、サリンを密造した人や首謀者(麻原)などを、すべて見逃すことに相当する。
 ライブドア事件という「検察のテロ」では、テロの実行者だけを非難しても駄目なのだ。事件の全容を知る必要があるのだ。それは、サリン事件で言えば、「オウムを信じた信徒の全員」である。つまりは、「妄想を信じた全員」である。ここにおいて、「サリンをばらまいた人だけが悪い」というふうに非難すると、肝心の麻原は無罪になってしまうだろう。

 サリン事件の真因が「妄想」(狂気的な宗教信仰)であったように、ライブドア事件の真因は「錯覚」(経済学的な無知による誤認)である。(著作で示したとおり。)── このことを理解する必要がある。
  では、それを理解できなければ? 次のいずれかを取る。
  ・ ライブドアが金を盗んだから、ホリエモンは詐欺師だ。
  ・ 検察が自己の宣伝のために摘発したから、検察が暴走している。
 そのいずれも、事件の根底にある「錯覚」を理解しない。人々の根底にある心理的な誤認を理解しないで、特定の実行者の行動だけを問題にする。
 しかし、特定の実行者の行動だけを理解しても、物事の本質は見えないのだ。それは、サリン事件で、「オウム」という宗教を見失うのと同様だ。本質を見失う。

 [ 付記 ]
 検察などを指弾して、「誰それが悪い」というふうに非難すると、物事の本質を見失う。次のように。
  ・ 「イラクやパレスチナのテロは、アラブのテロリストが悪い!」
     …… なぜテロをするか理解できない。
  ・ 「例の核実験は、北朝鮮が悪い(ならずもの国家だ)!」
     …… なぜ核実験をするか理解できない。
 ここでは、もっと頭を働かせて考えるべきだ。「彼らはなぜそんなことをするのか?」と。そういうこともしないで、「あいつが悪い!」と感情的に叫ぶだけでは、思考停止状態になっている。幼児的。
 

● ニュースと感想  (10月15日b)

 電気自動車と燃料電池自動車。
 → Open ブログ 「電気自動車」


● ニュースと感想  (10月16日)

 「燃油運賃・その後」について。
 燃油運賃については、先に述べたことがある。( → 9月30日
 このインチキに、うちの家族も引っかかってしまった。親がJTBの中国旅行(パック旅行)を申し込んだら、契約してしばらくたってから、電話が掛かってきた。
 「燃油運賃として 9800円をお支払い下さい」
 「え? 何それ? 聞いていませんが」
 「飛行機のガソリン代なんですよ」
 で、親は「なるほど」と思った。ガソリン代を払わないと、確かに飛行機は飛ばない。それでは困る。
 でも、あとで、よく考えた。「これまではそんなのを払っていないのに、何で今回は払わされるんだ?」。
 わけがわからないまま、「なぜ?」と私に尋ねたので、私が教えて上げた。「政府公認の詐欺ですよ。わざと隠しておいて、あとで払わせることになっています。政府の指導で」と。
 で、親はようやく、納得した。「何だ、また小泉さんに引っかかったのか。小泉さんがやめる前に契約したのがまずかったな」   (^^);
 
 [ 付記 ]
 念のため、JTBのサイトで調べてみたら、10月11日更新のデータで、次のように書いてあった。(今回の旅行は JAL)
 「航空会社が日本航空(JAL)の場合、中国路線は 4800円」
 4800円と公表しておいて、9800円を取る。やっぱり詐欺ですね。どうせ倍を取るなら 9600円にすればいいのに、200円をがめつく上乗せしている。詐欺よりがめつい。
( ※ 4800円とか 9800円とかいう数字が、いかにも詐欺っぽい。本当にガソリン代なら、こういう金額にはならず、半端な金額になるはずだ。本当は「取れるだけ搾り取ってやろう」という魂胆だから、こういうギリギリの金額になるわけだ。)
( ※ また、航空会社ごとに大幅に金額が違う、というのも怪しいですね。航空会社ごとにガソリン代が違うわけがないんだが。たとえば、JALの使うガソリンは1万円で、大韓航空の使うガソリンは 2000円、なんてはずはないのだが。……やっぱり根拠なしで金をだましとるわけで、堂々たる詐欺ですね。)


● ニュースと感想  (10月17日)

 「トンデモ」という言葉を人々はしばしば使うが、その言葉の正しい意味は? 
   → Open ブログ「トンデモとは何か」
 俗っぽい話題だが、「物事の本質とは何か」「真実とは何か」をめぐる、大切な話がある。
 けっこう長い文章です。なにげなしに読み始めると、意外に時間を食うので、あらかじめ注意しておきます。


● ニュースと感想  (10月18日)

 本日は、昨日分の補足となる話だけです。
   → Open ブログ

 たいした話ではないのですが、お暇な人は、ざっとご覧ください。
  ・ クラス進化論への誤解
  ・ Y染色体の話題のコメント


● ニュースと感想  (10月19日)

 「ライブドア裁判」について。
 ライブドア裁判の行方がおおまかに見えてきたようだ。私がかねて述べてきたとおりで、こうだ。
 「堀江被告は、実質的には微罪で無罪相当だが、弁護側の戦術ミスによって有罪」
 以上のことは、以下の記事から結論される。

 まずは、熊谷被告が「堀江被告は違法性の認識がなかった」旨を証言している。
 熊谷被告は「堀江被告は架空売り上げにはならないと思っていたと思う」と証言し、粉飾の指示ではないとの認識を示した。
 このため、検察側は「あなたの取り調べ調書では、『堀江被告は架空と認識していたと思う』とある」と質問を行ったが、熊谷被告は「『思う』をつければ証拠にならないと、検事さんに言われたから言っただけ」などと反論した。
( → NTV ニュース
 その一方で、堀江被告の「知らんぷり」を批判している。
 「堀江被告がすべて知らなかったということはないと思う。(否認に)ショックを受けている」と述べた。
 熊谷被告は同日午前の尋問では「堀江被告は当初、架空ではないと思っていたのでは」としたが、午後の検察側の再尋問に「(堀江被告に)ある程度報告していた。知らないというのは正直悔しい」と証言。
 裁判長の「堀江被告は架空計上を知っていたと思うか」との質問にも「はい」と明言。堀江被告が否認していることを「知っているはずなのに知っていると言ってくれない」と批判した。
( → 日経 ニュース
 よりはっきりとさせた記事もある。
(熊谷被告は)「粉飾は堀江被告の管轄部門の赤字穴埋めを、部下が気を利かせてやった。それを『知らない』というのは正直、悔しい」と心情を吐露した。
( → 産経Web
 以上からわかることは、こうだ。
 これが真実であろう。私もかねてこの趣旨で述べてきたし、たいていの人もこの趣旨のことを信じてきたと思う。
 しかしながら、この真実に対して、堀江被告および弁護側は、こう述べる。
 「ホリエモンは何も悪いことをしていない。違法性の危険性の認識がないどころか、指示そのものをしたことがない」
 これは嘘八百である。たしかに明白な犯罪をしてはいないのだが、犯罪っぽいことをしたことは事実なのに、「犯罪っぽいことをしたこともない」とシラを切る。そらぞらしい。
 本来ならば論点は「指示したことに違法性はあるか否か」であるのに、「指示したか否か」が論点となってしまっている。(もちろん、指示はあったに決まっている。)
 というわけで、一部の報道機関を除けば、多くの新聞社が「検察の勝利、堀江被告の敗北」を予想する。(例。朝日・朝刊・社会面 2006-10-18 。ネットにはない。)
 私もまた同様だ。たとえ明白な犯罪をしていなくても、嘘八百をつく人は、その嘘八百ゆえに、実態以上に有罪となるだろう。

 ライブドア事件とは、「小悪を巨悪と思い込んだ」という事件である。(著作で述べたとおり。)
 ここでは、「錯覚」こそが問題なのだから、その「錯覚」を指摘することで、真実が判明する。
 にもかかわらず、弁護側のように、「小悪はなかった」というふうに言いつくろえば、「とんでもない極悪人」と見なされるのがオチだろう。
 せっかく熊谷被告が、「堀江被告は違法性の認識がなかった」旨を証言しているのだ。なのに、その証言は、捨て去られる。(なぜならその点を、弁護側は主張しないからだ。)
 その一方で、「堀江被告がすべて知らなかったということはないと思う」という証言は採用される。なぜなら、その逆(堀江被告がすべて知らなかったということ)を、弁護側は主張しているからだ。つまり、知らんぷりを主張しているからだ。(嘘つきですね。)

 こうして、弁護側の主張は崩され、その一方で、検察側の主張を崩すことができない。
 ホリエモンのやったことは、灰色である。なのに、灰色を白と言いくるめようとすれば、「黒を白と言いくるめようとしている」と見なされ、実際以上の罰が下るだろう。その一方で、「灰色を黒と言いくるめようとしている」検察は、その主張を崩されない。なぜなら、弁護側が、崩そうとしないからだ。つまり、「黒ではなく灰色だ」と主張しないからだ。(「白だ」ということにこだわるせいで。戦術ミス。)

 結論。
 大切なのは、真実である。真実が灰色のときに、あえて白を主張すれば、少しを得るのではなく、すべてを失う。身の程知らずの欲張りは、すべてを失う。

 似た例はいくらでもある。
  ・ 二流大がふさわしい受験生が東大だけを受験すれば、どの大学にも入れない。
  ・ 平凡な女がふさわしい男が超美人だけを求めれば、どの女とも結婚できない。
  ・ 金を稼ぐ能力がろくにない男が一攫千金ばかりを狙えば、一生貧乏。
  ・ 執行猶予が相当の被告が完全無罪ばかりを主張すれば、長期の実刑。
 いずれも戦術ミスによる失敗。

 [ 付記1 ]
 実を言うと、「堀江被告の無罪を狙う」というヤメ検の方針が根本的に狂っている。これは法務弁護士に特有の発想で、経済的な視点が欠けている。
 弁護側が狙うべきは、「堀江被告の無罪」ではなくて、「ライブドアの無罪」である。換言すれば、「ライブドアの株価暴落(六千億円の損失)を解消させること」である。そして、そのことは、「堀江被告の無罪」とは異なるのだ。
 「堀江被告の無罪」を訴えるだけならば、「検察側の論拠の不備」を突くだけでも、何とかなるかもしれない。弁護側はその戦術だ。しかし、その戦術は、たとえ成功しても、「堀江被告の無罪」が実現するだけで、「ライブドアの名誉回復」はならない。なぜなら、「検察側の論拠不十分」が証明されただけで、「ライブドアの潔白」は証明されていないからだ。換言すれば、「検察の摘発が不当であること」は証明されていないからだ。
 一方、「ライブドアの潔白」を証明するには、「検察の摘発が不当であること」を証明すればいい。そのためには、「堀江被告の無実」を証明することは必要なく、むしろ、「堀江被告の小悪」を主張した上で、「小悪を巨悪と錯覚した」という検察の錯覚を指摘する必要がある。ところが、弁護側は、その戦術をとらない。ゆえに、「検察の錯覚」は指摘されない。かくて、「検察の摘発が不当であること」は証明されず、したがって「ライブドアの潔白」は証明されない。
 かくて、法的な「無罪」ばかりを狙うせいで、経済的な「損失の回復」はなされないことになる。狙うものが根本的に狂っているからだ。
 仮に、ホリエモンが無罪になったとしても、そのときにはライブドアの潔白は証明されないままだから、「ホリエモンは無罪になりました、ライブドアは大損しました(解体されました)」というふうになるだけだろう。「手術は成功しました、患者は死にました」というわけだ。無意味。

 [ 付記2 ]
 私が思うに、ホリエモンもヤメ検も、「ライブドア・二重の虚構」を読んでいないですね。だから自分の間違いに気づかない。
 本を読まない人間は、他人の話を聞くことができず、自己反省ができない。目先の情報処理に追いまくられるだけで、物事をじっくりと考えることもできない。かくて、身を滅ぼす。
 自分だけを正しいと思い込んで、他人の言説に耳を貸さない人は、身を滅ぼす。ヤメ検であれホリエモンであれ、「自分は絶対的に正しい」と主張するばかりだ。唯我独尊。
 これじゃ、性格からして、敗北は最初から決まっていたようなものだ。
 唯我独尊というのは、強力なビジネス展開には有利なことも多いが、裁判においては不利なのである。なぜなら、決定権は、裁判長にあるからだ。
( ※ なお、私なら、ライブドア事件関係の本は、役立たずのものがほとんどでも、たいてい買いそろえた。だが、ホリエモンもヤメ検も、「本なんてどうせ役立たずだから読まない」という方針なのだろう。食わず嫌い。……これじゃ、栄養不足で、負けますね。)

 [ 付記3 ]
 私が裁判長だったら、どう判決するか? シミュレーションふうに述べよう。

 (1) 小悪を認めた場合
 弁護側が小悪を認めた場合には、こう判断する。
 「堀江被告は、経理の操作を指示したが、違法性の認識は稀薄だった。経理の知識もなく、違法行為をなすという積極的な意思はなかった。ただし、漠然とした危険性は認識していた。その意味で、小悪はあったと認定するが、たいした悪ではない。ゆえに、小額の罰金刑」
 その一方で、検察を指弾する。
 「この程度のことで特捜が出て大騒ぎを起こしたことには、検察のミスがある。検察は反省せねばならない。マスコミや東証も同様」
 こういう判決なら、「名判決」として喝采を浴びるだろう。

 (2) 小悪を認めない場合
 弁護側が小悪を認めない場合には、こう判断する。
 上記の (1) のように判断したいが、弁護側も検察側もそういう主張をしていない。どちらも主張していない見解は、裁判において論じられていないのだから、そのような見解を採用するわけには行かない。当然、「罰金刑」という選択肢ははずされる。
 残るは、「完全無罪」か、「重罰」だ。何らかの違法性はあったのだし、特に、経理をゴマ化そうという意図はあったのだ。にもかかわらず、そういう意図を否定する被告は、悪質性が高い。ゆえに、「完全無罪」はありえない。したがって、過剰な刑罰であるとは思うが、検察側の判断を採用して、「重罰」を選択するしかない。
(本当は、「重罰」を選択したくないのだが、弁護側が「軽罰」の選択肢を示さないのだから、「重罰」にせざるを得ない。薄い灰色にしたいのだが、白か黒しかないから、黒を選ぶしかない。アホな弁護士と関わると、こっちの判決まで歪んでしまう。困ったことだなあ。)

( → 9月20日 でも「経理の操作」について同趣旨の話。)


● ニュースと感想  (10月20日)

 「ライブドア裁判と検察の求刑」について。
 宮内被告ら元幹部四人について、検察の求刑があった。( → 東京新聞
  1. 「多数の投資家を欺き、自社の利益を図った極めて悪質な犯行。証券市場の信頼を失墜させ、経済に重大な悪影響を与えた」と述べ、宮内被告に懲役二年六月を求刑した。
  2.  熊谷被告は「投資ファンドはLDから独立した存在」として一部無罪を主張、宮内被告ら三人は大筋で起訴事実を認めている。検察側は宮内被告について「不正な錬金術を構築した」として、ほかの三被告より重い求刑とした。
  3.  検察側は「投資ファンドがダミーであることや、会計処理基準に照らして違法であることを明確に認識していた」と結論づけた。
 これらは三つとも正しくないが、判決では前者の二つが認められそうだ。

 (1)
 「自社の利益を図った」というが、別に利益が増えたわけではない。投資家の金を奪ったわけではないからだ。
 「経済に重大な悪影響を与えた」というが、別にライブドアの不正経理ぐらいで経済に影響するはずがない。影響を与えたのは検察であって、ライブドアではない。
 (以上はいずれも、著作「ライブドア・二重の虚構」を参照。)

 (2)
 「不正な錬金術を構築した」というが、錬金術なんかやっていない。会社は利益を増やしていないからだ。だいたい、「利益は架空であった」というのが検察の言い分なのだから、実際に利益を増やしていたら、架空ではないことになる。論理矛盾。要するに、もともと利益なんか増やしていないのだし、錬金術も待たなかったことになる。単に帳簿の数字を操作しただけであって、現実の金は特に損得はない。
 (以上は、著作「ライブドア・二重の虚構」を参照。)

 (3)
 「違法であることを明確に認識していた」というが、被告(ホリエモンでなく宮内ら)は、それを否定している。ただ、この四人の被告は、ホリエモンと違って「指示したこともない」(指示されたこともない)というふうには、述べていない。ゆえに、「違法であることを明確に認識していた」という検察側の主張は、否定されるだろう。「漠然と違法性の危険性は理解していた」ぐらいの認識が正しいだろう。明白な 違法性の認識はなかった、と認定されるだろう。(ホリエモンとの違い。)

 結論。
 上述のように、 (1)(2) は、検察の主張は嘘八百である。しかしながら、弁護側は、このことについて反駁していない。なぜなら、検察はこの時点まで、上記の主張をしていないし、また、弁護側も、特に論じていないからだ。
 要するに、漠然とした印象だけで「錬金術があった」「経済に重大な悪影響を与えた」ということが認定されてしまう。
 なぜ? それというのも、弁護側がそのことを否定しないからだ。「ライブドア・二重の虚構」を読めば、すぐに「検察側の言い分は嘘だ」とわかるのに、ただ黙っているから、検察側の言い分に反駁できない。弁護側がそうであるからには、裁判長としては、検察側の言い分を採用するしかない。
 かくて、論議は全くないまま、検察側の言い分が採用されてしまう。論争なしに、判決が出てしまう。ひどい裁判になりますね。議論なしに結論の出る裁判。それというのも、弁護側が弁護放棄をしたから。

 なお、(3) については「違法性の認識は稀薄だった」ということで、罪は減じられるだろう。しかしながら、(1)(2) の点があるのだから、いくら罪が減じられても、有罪は免れない。実質的に犯罪性は稀薄だとしても、弁護側が弁護放棄をすれば、まともな判決が出るはずがないのだ。
 宮内は、「検察に協力して、お情けにすがる」という方針だった。そのせいで、検察にまともに反駁できなかった。こうして、弁護放棄のなされた裁判において、メチャクチャな判決が出る。
 ほとんど魔女裁判ですね。

 [ 付記1 ]
 それより、不可解なのは、元被告四人まで検察批判をしないことだ。世間には「国策捜査」だの何だの、いろいろと検察批判がある。また、東証に対する批判もある。これらは、明白な論拠に基づく批判だ。(その点、フジテレビがやったらしいというような証拠が弱い批判とは異なる。)
 検察であれ、東証であれ、そのデタラメさは、世間でかなり批判されている。なのにその点を突かないで、検察の論拠の揚げ足取りみたいなこと(重箱の隅を突くようなこと)ばかりしているのは、いったいなぜなのか? 弁護団はどうして、そんなに馬鹿なのか? 
 まったく、不可解ですね。

 [ 付記2 ]
 しかし、その不可解さも、「泉の波立ち」を読めば、ちゃんと理由がわかる。
 理由は? もちろん、ヤメ検です。
 ヤメ検は、誰のために働くか? 「一番目が検察組織であり、二番目が金であり、三番目が名声であり、四番目が家族である。そして、五、六が友人と同僚であり、七番目が依頼人だ。」( → [ 付記13 ]の最後。)
 同趣旨の話は、次にもある。 → [ 付記17 ][ 付記25 ]
 要するに、今回の裁判は、初めから出来レース。原告で弁じるのは検察官で、被告側で弁じるのも(元)検察官。ここでは、「検察批判」はタブーになっている。だから、最初から検察が勝つに決まっている。八百長と同じ。


● ニュースと感想  (10月20日)

 「ライブドア裁判と検察の求刑・補足」について。
 前日分の補足をしておく。
 前日分のことのポイントは何か? こうだ。
 「論じていることの違法性が明らかにされていない」
 たとえば、次の点だ。 ( → 東京新聞
  1. 不正な錬金術を構築したこと
  2. LDグループの飽くなき拡大を図る目的で、時価総額増大を至上目標に掲げ、部下と犯行を敢行したこと
 これらの違法性をちっとも論じていない。
 1番目の点については、何も論じていない。証明もなしに、いきなりここで「錬金術」という言葉が出てくる。とんでもないことだ。(錬金術など存在しない、ということは、私が先に述べた。 → 9月19日
 2番目の点については、何も論じていない。特に、違法性を示していない。「LDグループの飽くなき拡大を図る目的で、時価総額増大を至上目標に掲げ」というのは、事実であろう。しかしこれは、完全に合法的なことだ。それが違法であることなど、一度だって示していない。こんなことは、何ら悪でも何でもないのだから、いちいち論じることではない。

 以上のことから、どう結論できるか? 
 検察の言う「ライブドアは巨悪だ」というのは、まったくの嘘っぱちだ、ということだ。あれやこれやと理屈を並べるが、それは違法性の根拠とならない。検察が示せるのは、単に、「ライブドアは不正経理をした」ということだけだ。そして、そうであれば、「せいぜい小額の罰金刑」ぐらいが適切である。「懲役2年半」なんていうのは、とんでもないことだ。
 にもかかわらず、「懲役2年半」を求刑する。その理由は、「不正経理」ではなくて、「悪質さ」である。そして、その「悪質さ」の根拠は、何も示していない。いきなり上記の二点を示して、証明もなしに、「悪質だ」と決めつける。
 自己のとんでもない勘違いを理由として、微罪の犯人を「巨悪だ」と決めつける。よく言われる比喩なら、「万引きで死刑」だから、「万引きを殺人と見なす」という錯覚に相当する。そして、この錯覚には、何ら証明も論証もともなわない。
 メチャクチャな求刑である。

 しかしながら、この求刑は、かなり認定されるだろう。というのも、弁護側が馬鹿すぎるからだ。というより、弁護側は、検察と結託しているからだ。(検察に反証することができない、という意味。弁護技術による揚げ足取りはできるが、正面切っての本質的な反証はできない。)
 そして、その理由は、前項の [ 付記 ] で述べたとおり。八百長なんだから、仕方ないですね。馬鹿なのは、被告だけ。原告(検察)は、してやったりだ。検察は、最初から最後まで、(自らのミスを隠蔽して)世間をだまし通せたことになる。
 馬鹿をだますことほど、容易なことはない。


● ニュースと感想  (10月21日)

 本日は、下記に二つの項目があります。
  → Open ブログ
 「人口学」,「少子化の数字」


● ニュースと感想  (10月22日)

 本日は、下記に二つの項目があります。
  → Open ブログ
  「燃料電池」
  「少子化対策」(昨日分の補充。公的サービスをするべきかという話)


● ニュースと感想  (10月22日b)

 「専門家の不足への対処」について。
 先日、弁護士の不足への対処として、1ランク低い「補助弁護士」というものを提案した。
 これをさらに拡張して、ちょっと違う「補助弁護士」を新設してもいい。
 また、普通の医師よりも1ランク低い「補助医師」というのを新設してもいい。
 → 10月09日 の 【 追記 】


● ニュースと感想  (10月23日)

 「麻酔科医の不足」について。
 前日分への補足。麻酔科医不足について、読者の意見への Q&A を示す。
 まずは読者から。
 麻睡医って名乗るだけでもけっこう大変なんですよ。
 そして、オペ中たしかにメス握ってはいないけど、 やってることは「全身管理」。強引にたとえればシス テム管理者(それより麻酔医の方が積極的に動いてる けど)。なにごともなくシステムが運営されてるよう に見えれば、システム管理者に「高度な専門知識は必 要とされない」、ヒマでいいなあと評価しますか?
 別にタレ込んだりしませんけど、知れたら日本麻酔科 学会から抗議がきますよ。
 これに対して、私の回答は、こうだ。
 誤解されて文句を言われるのは覚悟の上の発言です。
 麻酔科医が足りないせいで、外科医がいても手術ができないで死ぬのと、どっちがいいですか?   あなたの奥さんや子供が麻酔科医不足のせいで死んでも、「仕方ない」と諦めますか? 
 人が死ぬのを放置するくらいなら、私が「麻酔科医の既得権を侵害した」と文句を言われるのは、甘受します。
 なお、誤解をほどいておくと、麻酔科医を見下しているわけでもないし、暇だと思っているわけでもない。麻酔科医は超・忙しいんです。
 また、「麻酔科医を格下の補助医師にしてしまえ」と述べているのではなく、「麻酔科医が複数の補助医師を監督せよ」と述べているのです。比喩的に言うと、医者が消毒や注射や包帯などを全部やる必要はなく、一部を看護婦に任せて、医者は肝心のことだけやればいい、というようなもの。麻酔も同様。(ただし看護婦には麻酔機器は操作できないから、専門知識のある専門家が必要となる。X線技師みたいなものですね。)


● ニュースと感想  (10月23日b)

 「9・11テロの真相」について。
    ( ※ お暇な人向けの与太話かも。あらかじめお断りしておきます。)

 NYビルを倒壊させた 9・11テロについて、真相をあばくと称する本がある。
   → 暴かれた9.11疑惑の真相 ( Amazon のページ)
 この本および続編( 9・11テロ捏造―日本と世界を騙し続ける独裁国家アメリカ )という本に、「 9・11テロは米国政府の捏造だ」という主張がある。一見、トンデモ本。ただし、読者は「けっこうまともだ」と信じているようだ。
 そこで、私なりに、判断を示す。(なお、お断りしておくが、私はこの本を読んではいない。読者書評を読んだだけの判断。)

 まず、この本の趣旨は「証拠がないから発表は嘘だ」というもの。しかし、証拠がないということと、嘘だということとは、必ずしも一致しない。「疑わしい」ということは言えるが、それ以上言うのはちょっと行き過ぎ。
 つまり、政府が「白だ」と述べたとき、白だという証拠がなければ「疑わしい」と言えるが、「黒だ」と断じるまでには行かない。その点で、本種の結論は、行き過ぎ。とはいえ、「白でない」という見解を出すのは、貴重だとは言える。特に、世間が「白だ」と思い込んでいるときに、異論が出るのは「意見の多様性」という点から、好ましいことだ。
 その上で、私なりに結論を示す。(あくまで推定です。間違いのない真実というわけではありません。あらかじめ、お断りしておきます。)

 (1) ビルの倒壊
 まず、「ビルの倒壊が不自然だから、爆破があったはずだ」というのは、推定のしすぎ。仮に「爆破」という説を出すのであれば、「爆破の証拠」が必要となる。その証拠がないのだから、自説と同じ論法で、「爆破の証拠がないから、爆破はなかったのだ。爆破は捏造だ」というふうになってしまう。(身から出た錆び、みたいな感じ。投げた石が跳ね返ってくる。)
 私が思うに、ビルの倒壊は「普通の建築学ではうまく説明できないだけ」ということだと思う。そもそも、高層ビルというのは、そんなに頑丈なものではない。低層のビルなら、鉄骨ががっちりできているが、高層ビルというのは、鉄骨や壁が最小限になっている。なぜか? まともに鉄骨や壁を備えると、1階のあたりでは、大部分が壁と鉄骨になって、居住スペースがなくなってしまうからだ。現実には、そうではない。高層ビルも、1階のあたりでは普通の量の壁と鉄骨があるだけだ。なぜ? 壁と鉄骨を最小限にしているからだ。そのために、1階でも壁と鉄骨は少ないし、上層でも、軽くするために、壁と鉄骨は最小限になっている。そこに飛行機がぶつかる。4分の1ぐらいの壁と鉄骨が破壊される。さらに、飛行機のガソリンで超高熱状態になり、鉄骨がグニャグニャになる。やがて支えきれなくなり、その部分よりも上層の部分が落下する。落下したのは、その階よりも上層の部分だから、ビル全体の4分の1ぐらいの量である。ものすごい衝撃がのしかかる。1階部分には、ビル全体の重みと、落下の衝撃との、双方がのしかかる。かくて、1階部分がつぶれる。つぶれたあとで、ストップする。その衝撃が、ビル全体にのしかかる。(ビルが地面に正面衝突した感じ。)こうなると、もともと最小限の設計でなされていたビルは、あっという間に崩壊しても当然だ。
 ビルの崩壊の詳細が学術的に解明されていない、というのは、あまり正しくない。上記のように、ちゃんと解明される。ただし、解明されると、たいていの高層ビルが「最小限設計」でなされていることが、バレてしまう。「他のビルもみんなギリギリだ」ということがバレてしまう。そうなると、世間に無用な不安が生じかねない。「あのビルも、このビルも、みんな飛行機がぶつかるとつぶれてしまう」と思う人だらけで、世間にパニックが起きかねない。……だから、あえて黙っているのだろう。それだけのことだ。「わかっていない」のではなく、「わかっているけど隠している」のだ。

 (2) 乗客のハイジャック?
 まず、「民間機が自発的に墜落した」という米国政府の発表は嘘だ、という推定は正しいと思う。私もずっとそう思ってきた。
 米国政府の発表では、こうなる。
 「テロリストがペンタゴンをめざしていたが、民間機の乗客がラジオで他の民間機のビル突入を知り、操縦席に乗客がなだれ込んで、テロリストと格闘して、民間機を墜落させた。」
 これは、乗客によるハイジャックである。そんなこと、ありえそうにないですね。テロリストが操縦席に入り込んだときには、スチュワーデスを脅していっしょに入ったのだろう。しかし、乗客が操縦席に入り込むなんて、無理でしょう。テロリストが警戒して、操縦席に入れるはずがない。無理に入ろうとした乗客は、射殺されているはずだ。
 テロリストは武装している。乗客は武装していない。とうてい乗客に勝ち目はない。どうせ嘘をつくなら、「パイロットが必死に反撃した」という嘘の方が、まだしも信憑性がある。
 結局、乗客によるハイジャックなど、ありえない。真相は? 米国政府による撃墜だ。それ以外、考えられない。私もそう思うし、多くの人もそう思うし、本書の著者もそう思う。
 「乗客がビル突入を回避させた」という米国政府の発表は、美談に過ぎる。それゆえ、眉唾だ。この点では、「撃墜説」は十分に信頼できる。(ただし、本書だけの説ではないが。)

 (3) ペンタゴン
 「ペンタゴンには民間機は突っ込んでいない」という説もある。これもまた同様で、「証拠がないから、そうではなかった」という推定。論拠不十分。
 一方、私の推測は、以下の通り。
 「ペンタゴンに突入した飛行機は、民間機ではあったが、米国空軍によって撃墜された(されかけた)ものだった。その残骸には、米国空軍のミサイルの残骸もまた含まれている。この真相を隠すために、一切の残骸を隠した」
 これは、推測であって、あまり明確な根拠はない。ただし、こう考えると、辻褄が合う。
 そもそも、(300人乗りの)民間機でなく(1人乗りの)軍用機が墜落したのだったら、あんなに大きな被害になるとは思えない。また、民間機は、別のところに落ちている必要がある。そうだとは思えない。
 ゆえに、ペンタゴンには、民間機が落ちたのだろう。ただし、そのことを、隠蔽する必要があった? なぜ? 隠蔽するべき真相があったからだ。それは? 「米国空軍による撃墜」である。これは、何としても、隠蔽する必要があった。せっかく「テロリストがテロをしたのだ」と宣伝しているのに、「本当は米国空軍が撃墜したのです」となったら、身も蓋もない。だから、隠蔽する必要がある。
 で、最終的には? ギリギリのところで撃墜に成功したのだろう。ただし、ギリギリだったので、撃墜された民間機が(慣性の法則で)ペンタゴンにぶつかったのだろう。その破片は、ペンタゴンだけにぶつかったのではなく、かなり広い範囲にばらまかれたのだろう。
( ※ ペンタゴンの周辺にはビルはない。 → 画像
 しかも、その破片には、米国空軍のミサイルの破片も混じっている。というわけで、一切を隠すために、破片をすべてこっそり撤去したわけだ。
 つまり、米国政府は確かに真相を隠蔽したのだが、真相は、上記の本の著者が思っているとおりではなくて、ちょっと違うことであったわけだ。
 なお、これは私の推測なので、絶対に正しいとは言えない。私なりの解釈です。「与太だろう」と言われても、反論はしません。


● ニュースと感想  (10月24日)

 「ノーベル経済学賞」について。
 ノーベル経済学賞の受賞は、エドムンド・フェルプス。どういう業績かは、次の二点で説明される。

 (1) フィリップス曲線の不成立
 まずは、 読売新聞から引用。(朝刊・経済面 2006-10-11 )
 「構造改革」理論支える…ノーベル経済学賞の米教授
 2006年のノーベル経済学賞を受賞したアメリカ人で米コロンビア大のエドモンド・フェルプス教授(73)は、失業率と物価上昇率(インフレ率)との間に、一方が上昇すれば、他方が下落する「トレード・オフ(逆相関)」の関係があるとする経験則が、中長期的には成立しないことを理論的に証明した功績が認められた。
 失業率とインフレ率の逆相関は、グラフの横軸に失業率を、縦軸にインフレ率を取ると、右下がりの曲線になる「フィリップス曲線」として知られ、マクロ経済の安定化政策の目安として、各国の金融・財政当局に重視されてきた。例えば、景気が悪化して失業率が高まれば、中央銀行は政策金利を引き下げ、財政当局も減税などを行うなどのインフレを容認する政策を取ってきた。
 しかし、フェルプス教授は1960年代後半、ミルトン・フリードマン(76年ノーベル経済学賞受賞)とともに、この関係が短期的にしか成り立たないことを証明した。
( → 読売新聞
 この業績は、私としては認められない。結論は正しいのだが、論拠が正しくないからだ。
 それでも(誤った理論に基づいても)、結論が正しければ、その理論は正しい理論だ、と認められやすい。
 「ほら、おれが予測したとおりになった、だからおれの説は正しい」
 というわけだ。そういうインチキの典型だろう。

 根源の認識が異なると、対処も異なる。では、対処は?
 記事によれば、上記の学者の対処は、こうだ。
 「長期的な雇用確保や経済成長のためには、景気の循環に対応して発動する金融・財政政策よりも、労働市場の柔軟化などの構造改革が効果的なことを示す理論的基礎となり、小泉構造改革を含めた各国の経済政策に大きな影響を与えた」
 つまり、失業とインフレの共存(スタグフレーション)への対策は、「景気の循環に対応して発動する金融・財政政策よりも、労働市場の柔軟化などの構造改革」となる。
 しかしながら、「労働市場の柔軟化」なんかをやったあげく、派遣や残業手当不払いなどの賃下げがまかり通るようになった。なるほど、賃下げをすれば、失業もインフレも解決できる。しかし、そんなことでは、国民は苦しくなるだけだ。馬鹿げている。
 逆に言えば、今、われわれが派遣や残業手当不払いなどの賃下げで生活が苦しいのは、上記学者の説のおかげなのだ。「不幸を感謝しましょう」というのが、ノーベル経済学賞の役割。

 では、南堂の説では? 過去記事を見ればわかるとおり、こうだ。
 「ポリシーミックスをすればよい。つまり、金融政策と財政政策を、拡大と縮小のどちらか一方の側に向けず、片方を拡大にして片方を縮小にする、というふうに最適調整する。
 比喩的に言えば、こうだ。
 「自動車の運動を制御するには、どうするか? アクセルを踏むか、ブレーキを踏むか、どちらか一方であった。しかし新たな説では、アクセルとブレーキを最適制御する。たとえば、氷の上では、ブレーキを踏みっぱなしにせず、ブレーキを断続的に踏むことにして、滑ることを阻止する。カーブを曲がるときには、内輪と外輪とでアクセルの力を変えて、外輪は強くアクセルをかけ、内輪は弱くアクセルをかける。こういうふうに、状況に応じてアクセルやブレーキを最適制御する。アクセルかブレーキかという単純な発想をしない」
 これがポリシーミックスの発想だ。そして、それがなければ、上記の学者のように、「労働者の賃下げをすればいい」という安直な結論が出ることになる。
(比喩的に言えば、「自動車を安全にするには、運転手を自殺させて自動車を止めればいい。そうすれば、数値上、事故はもはや発生しなくなる」というようなもの。部分的な結果[数字]だけを求めて、全体的な結果[真の目的]を見失う。本末転倒。……視野が狭いと、こうなる。「手術は成功しました、患者は死にました」というのと同じ。……今の景気状態ですね。)

 (2) ニュー・ケインジアン
 もう一つは、次を参照。
  → Wikipedia 「ニュー・ケインジアン」
 この業績は? ま、ゴミです。前にも述べたとおり、ニュー・ケインジアンというのは、「メニュー・コスト理論」などを唱えるもので、現実をうまく説明しようとして、いろいろと「こじつけ」の理論を出す。うまい「こじつけ」を出すと、経済学者が「ほう、なるほど、面白い」と感じて、拍手する。それで、ノーベル賞ももらえる。
 だけど、そんな「こじつけ」なんて、一般社会の常識ある人なら、誰も信じませんね。現実に合致しないんだから。ゴミ理論。

 では、なぜ、これらが「こじつけ」のゴミ理論であるか? その説明をしよう。こうだ。
 「誤った前提の上に立って、現実との矛盾をつじつま合わせをする」
 たとえば、あなたが浮気をしたとする。浮気をしたという現実がある。しかし、妻に対しては、「自分は浮気をしていない」ということを基盤として、論証する必要がある。そこで、あれやこれやと、こじつけの理屈を並べ立てる。そのうちの一つぐらいは、うまく現実に合致するように見えるかもしれない。うまく妻をだませたら、拍手喝采。ノーベル賞。
 しかし、真実を知っている人からすれば、彼の話が「こじつけ」の詭弁であるということは、一目瞭然。
 しょせん、誤った基盤の上に立つ限り、どんなに上手に詭弁を並べても、真実にはならない。……ま、真実にはならなくても、ノーベル賞はもらえる、ということ。ノーベル賞の委員会をだませば、賞はもらえる。
 真実か否かが問題なのではなく、こじつけが上手かどうかが問題となる。ニューケインジアンの話を読むと、「よくもまあ」と思えるような、こじつけがわんさと並んでいる。……こんなのを本気で信じるのは、経済学者ぐらいでしょうね。


● ニュースと感想  (10月25日)

 「ケータイ料金」について。
 ソフトバンクがケータイ料金の値下げを発表した。では、これは、お得だろうか? 
 実は、消費者をだまそうとしているんですね。カモは「お得だ」と思い込んで、引っかかりそうだ。
   → Open ブログ「ケータイ料金」


● ニュースと感想  (10月26日)

 「ケータイ料金」について。(その2)
 前日分の続き。
   → Open ブログ「ケータイ料金2」

 結論として、どうするべきか、という評価。


● ニュースと感想  (10月27日)

 「違法な賃下げの合法化」について。
 キヤノンなどで擬装請負がある、という問題が先日、発覚した。
 これに関して、「違法になるなら、法が不備なのだ。ゆえに、法を改正して、擬装請負を合法化してしまえ」という提案がある。(趣旨はそうではないのだが、結果的にはそういう趣旨にも受け取れる提案。)
 全国各地に工場を持つ一つのメーカーがあったとする。生産能力を増やしたい。だが自社の全国一律の人件費では海外生産品に伍(ご)していけない。そこで雇用ギャップが恒常化している相対的に賃金の低い、ある地方の工場で設備を増強することとした。自社全額出資で子会社を作り地元企業並みの賃金で必要な操業要員を雇用する。
 製造業の経営者ならこれは国内で事業継続するための現実的な話だと考えるだろう。
 ところが法はこれを認めない。今この構想を親子両会社間の業務請負契約で実現すれば「偽装請負」である。……要するに今の法律は時代変化についてきていない。
 (ゆえに)一定の条件の下で製造業派遣を全面的に可とするような法制度の整備が不可欠だと思う。(啄木鳥)
( → 朝日新聞「経済気象台」。一部抜粋。)
 これはなかなか面白い見解である。古典派経済学を前提とするのであれば、このような見解を出した人には「頭がいいですね」と褒めておこう。また、この執筆者はたぶん企業経営者であるから、企業経営者としては「卓抜な意見だ」というふうに評価できるだろう。

 とはいえ、企業経営を離れて、広く社会を見れば、どうか? 派遣や賃下げによる悲哀は、あまりにもひどい。
 → google検索
 この検索でわかるような例を見れば、擬装請負の合法化というのは、企業にとってはありがたいことだろうが、国民にとってはちっともありがたいことではない、とわかる。ここで市場原理などを持ち出して、「それで景気が回復すれば、労働者も賃上げされて、幸福になれる」などと屁理屈を持ち出しても駄目である。そんな馬鹿げたことをしなくても景気回復は可能なのだから、馬鹿げたことをやらないで、まともなことをして景気回復をすればいいのだ。
 ことの本質は、「マクロ的な発想をするか否か」である。従って、マクロ的な発想もなしに、単に「賃下げで景気回復」なんて屁理屈を述べても、それは経営者側のご都合だけにすぎない。

 例。
 お菓子が一つあり、子供が二人いる。どっちが食べるべきか? 
 労働者の子供(女)は、こう言った。「二人で半分ずつ食べるのが公平だよね」
 経営者の子供(男)は、こう言った。「まず僕が一つ食べる。そのあとで、僕が働いて、お金をたっぷり稼いでから、きみに二つ買ってあげる。そうすれば、きみは二つもらえるのだから、きみは得をする。長期的には、きみは得をする。だからこのお菓子は僕が独り占めする」
 これを聞いて、「なるほど、もっともだ」と思う人がいたら、古典派にだまされていることになる。長期的にどうであるかが問題なのではない。必要なときにあるかどうかが問題なのだ。
 たとえば、二十年後に、「お菓子を二つあげる」と言われても、「あたしは今はダイエットしているから、お菓子なんかいらないのよ」というふうになりかねない。
 ケインズは、「長期的にはわれわれはみんな死んでいる」と言った。これが正しい。古典派の屁理屈なんかにだまされてはならない。

 結論。
 擬装請負の合法化によって、賃下げをどんどん増やそう、なんていうのは、とんでもないお門違いだ。そこには「賃金を上げるか下げるか」という経営者の発想しかない。大切なのは、「賃金を上げるか下げるか」という経営問題ではなくて、日本全体で「総所得と総生産を拡大する」というマクロ問題である。マクロの問題を見失ったまま、目先の賃下げの利益だけに目を奪われるようでは、物事の本質を理解していないことになる。

 [ 付記 ]
 実を言うと、上記の提案(引用部)には、論理的な難点がある。
 「子会社で採用して、本社の工場で働かせると、擬装請負になって困る」
 というのが、その趣旨だ。しかし、そんなことをする必要はない。こうすればいい。
 「子会社で採用して、子会社の工場で働かせると、擬装請負にならないから問題ない」
 たとえば、擬装請負で話題になった大分キヤノンなら、その社員は大分キヤノンの社員として大分キヤノンの工場で働かせればいい。大分キヤノンの賃金水準で賃金を払えばいいのだから、別に、本社並みの賃金を払う必要はない。これで問題はないはずだ。
 ただし、大分キヤノンで問題になったのは、大分キヤノンよりももっと低い(メチャクチャに安い)低賃金労働で雇用しようとしたことにある。これが先の擬装請負の事件で問題となったことだ。
 一方、上記の提案で話題にしたのは、「子会社で採用して、本社の工場で働かせる」という問題だ。このことは、擬装請負の問題とは異なる。
 なのに、子会社と本社の問題を解決するために、擬装請負を合法化してしまったら、とんでもない労働ダンピングまでが合法化されてしまう。とんでもないことだ。
 本質的には、擬装であってもなくても、請負というのは、ただのピンハネなのであるから、根絶するべきなのである。低賃金であれ高賃金であれ、企業は正社員として雇うべきだ。そして、それこそが、正常な状況なのである。そして、そういう正常な状況になったなら、労働ダンピングは自然に消えるので、擬装請負を合法化する必要もない。
 とにかく、大切なのは、不況を前提として擬装請負を増やすことではなくて、不況そのものを解決して擬装請負を根絶することなのだ。

 といっても、目先の企業経営に目を奪われている経営者には、あまり理解できないだろうな、とは思う。どうせ「日本がどうなろうと知ったこっちゃない、とにかくわが社の業績だけが大切なんだ」としか思っていないのであろうから。
 こういう視野の狭い人を含めて、古典派経済学者や政府の馬鹿さ加減については、次の著作でまとめて面倒を見ます。詳しい話は、次の著作で。(本項では、社会現象の上面をちょっと撫でただけ。)


● ニュースと感想  (10月28日)

 本日はお休みです。


● ニュースと感想  (10月29日)

 「ビッグバン以前のインフレーション宇宙」について。
 宇宙のビッグバン以前に、インフレーション宇宙というのが想定されている。ここで、「インフラトン」と呼ばれる粒子が想定されている。それについての話。

  → Open ブログ 「インフラトン」

  ※ 宇宙物理学の話です。理系の人向け。文系の人にはあまり面白くない。


● ニュースと感想  (10月30日)

 「ロボットスーツという用語」について。
 ロボットスーツという用語とパワードスーツという用語との区別。

  → Open ブログ 「ロボットスーツ?」

 ※ 余談ですが、アクセスカウンタが 1,000,000 ぐらいになりました。
    アクセスしてくださり、ありがとうございます。


● ニュースと感想  (10月31日)

 「ソフトバンクの詐欺商法」について。
 ソフトバンクのケータイ料金が、消費者をだまそうとするタイプであることは、先に Open ブログ でも記した。その後、世間でも同趣旨のことが話題になっている。ここまでは、周知の通り。
 ただし、現実には、もっと悪くなっている。キャメロンディアスが電話しながら「¥0」というふうにしているテレビCMがわんさと流されているし、駅にもキャメロンディアスの看板がデカデカと出ている。また、店頭でも同様の宣伝がすごいらしい。さらには、Yahoo のサイト(ニュースなど)でも、自社広告の形で、さんざん宣伝している。(広告をクリックすると、広報ページで「0円」という表示がデカデカと出る。)
 で、こういう大宣伝のおかげで、引っかかった阿呆が多いらしくて、店頭ではソフトバンクがすごい人気だという。客が殺到して手続き停止にななった、という新聞記事も出ている。また、店頭を観察したブログ記事もある。( → ブログ記事による報告。)

 さて。ここで問題なのは大宣伝それ自体ではない。その宣伝内容が虚偽であることだ。すなわち、「¥0」と表示することだ。これは、「写真プリント1枚0円」(または1円)というやつの応用編だが、とんでもない詐欺的表現である。
 なぜか? ここでは、真に「無料」になっているわけではなくて、単に「固定料金」になっているだけだからだ。仮に、こういう固定料金を「0円」と表示していいのであれば、次のことも「0円」と表示していいはずだ。
 しかし、ここで「無料」というのを真に受けて、そのサービスを無料でちょうだいしようとすると、あっさり拒否される。つまり、最初に何らかの料金を払う必要がある。ちっとも「無料」ではないわけだ。単に固定料金であるにすぎない。
 要するに、「固定料金」を「無料」と称しているわけだ。「金を取ること」を、「金を取らない」と称しているわけだ。明白な嘘であり、詐欺である。
 で、そうやって、ソフトバンクはどんどん客を吸い上げる。馬鹿な阿呆を吊り上げて、金を巻き上げる。……ま、それは詐欺師の常ではあるが、こういう詐欺を放置することには、問題がある。

 ソフトバンクの社長は、詐欺をして、一般国民(正確にはソフトバンクのユーザー)の金を奪っている。「0円をいただきます」と口に出して、高額の金を奪っている。
 一方、ホリエモンは、不正経理をしても、一般株主や国民の金を奪ってはいなかった。(「ライブドア・二重の虚構」で示したとおり。)
 両者のうち、どっちが悪質かは、言うまでもない。ならば、東京地検は、ソフトバンクの孫社長を逮捕するといいですね。こっちの方が、れっきとした犯罪なのだから。(仮に「詐欺」には当たらなくても、「誇大宣伝」には当たる。……どっちもほとんど同様の犯罪だが。)

 [ 付記 ]
 仮に、これが合法であるとすれば、自動車会社は、次のような詐欺で自社の自動車を販売するといい。
 「他社では 200万円もする自動車を、激安で販売します。最初の三カ月は、料金 2880円でけっこう。そのあとは割賦代金はゼロです。無償で自動車を差し上げます。無償でよ。¥0です、¥0です、¥0です! おまけに、CMのニコール・キッドマンのポスターも差し上げます。ですから、ここに判子を押してください」
 そうやって、判子を押させる。最初の三カ月間は、料金 2880円をちょうだいする。その後は、特殊付加料金とか何とか、適当に別のサービス料金として、毎月十万円ぐらいをちょうだいする。途中で解約したら、違約金として、二百万円ぐらいをいただく。
 客が文句を言ったら、こう反論する。「ちゃんと契約書に書いてあるでしょう? ほら、この契約書の後ろの方に、ちっちゃい文字で、ちゃんと書いてあるじゃないですか。契約書をちゃんと読まない方が悪いんですよ」
 なお、契約書は、六法全書みたいに、数百ページにして、誰も読めないようにしておく。(この点では、料金説明が 12ページ程度のケータイ各社よりさらにひどくするが、大同小異である。)
 ソフトバンクの詐欺商法が合法であるとすれば、上記のような詐欺商法がやり放題だ。

 [ 余談 ]
 男が女を釣るときにも、たいてい、似たようなことをやっている。
 「僕と結婚したら、これもあれもやって上げる。ドライブでも旅行でもいくらでも連れていって上げる」
 いざ結婚したら、
 「釣った魚には餌はやらない。休みはゴロ寝。フロ、メシ、寝る」
 (その弁解は:「飲む、打つ、買う、よりはマシだろう。おれは偉いな」)


● ニュースと感想  (11月01日)

 「ソフトバンクの社長が逮捕される?」について。
 前日の項目では、「東京地検は、ソフトバンクの孫社長を逮捕するといいですね。こっちの方が、れっきとした犯罪なのだから」と述べた。すると、その効果が出たせいか(?)、東京地検ならぬ公取委が逮捕に動き出したようだ。
 公正取引委員会も孫正義社長(49)の手法を問題視し、「0円」の宣伝文句が消費者に誤解を与える景品表示法違反の疑いもあるとして、調査に乗り出した。
 公取委が問題視しているのは、「通話料、メール代0円」を強調した広告。「0円」になるにはいろいろ条件が付くが、その契約条件が豆粒のような小さな文字で書かれている。タダだけを強調するやり方が、ソフトバンクが他社と比べて実態以上に有利だと消費者に誤認させる可能性があるというのだ。
 名前は「ボーナス」だが、実態は携帯電話端末を24カ月の割賦で購入する契約。「端末0円」といううたい文句は頭金が0円というだけ。
( → ZAKZAK
 他にもあれこれと書いてあるが、評判悪いですね。
 ただ、公取委に任せるだけじゃなくて、東京地検が出ればいいのに。こら、地検。出てこい。
 (だけど、そんなこと言うと、孫社長じゃなくて私が逮捕されるかも。  (^^); )


● ニュースと感想  (11月01日b)

 「高校の必修逃れ」について。
 高校で世界史などの必修科目を履修しないまま、履修したことにしている擬装が発覚した。これは「不正記載」であるから、ライブドアの「不正経理」と同様の犯罪である。ライブドア事件にならえば、特捜が出てきて、高校の校長をごっそり逮捕するべきだろう。また、罪を認めなければ、罪を認めるまで、三カ月ぐらい、豚箱に入れるべきだろう。
 ま、それはそれとして、物事の本質を考えてみよう。

 まず、問題を解決するには、どうすればいいか? 通常、次の二つがある。
  ・ 可哀想だから、履修しないまま、見逃してあげよう。違法を容認する。
  ・ あくまで履修させるべきだ。さもないと、他の高校生とのバランスが取れない。

 ただし、今回の処置に限っては、次のような応急措置も考えられる。
  ・ 世界史Bを世界史Aに変更して、単位数を減らして卒業させる。
  ・ 入試の時期のあとに、集中講義をする。

 ここまでは、報道されたとおり。ただしこれらは、一時しのぎの方策だ。
 一方、本項で扱うのは、一時しのぎの問題ではなくて、本質の問題だ。本質的には、どう考えるべきか?

 (1) 根源
 まず、根源として、次のことを理解するべきだ。
 「生徒にとって、受験に役立たない学科の授業を受けるということは、罰ではなくて、権利なのだ」
 たとえば、ちっとも受験に役立たない音楽や体育の授業を受けることは、生徒にとって権利である。文化祭や体育祭も同様だろう。理系にとっての文系科目や、文系にとっての理系科目も、同様である。

 (2) 対策
 次に、対策を考えよう。今回に限らず、以後また似たような事件が起こる可能性もあるが、どう対処するべきか? 
 私の考えでは、次のようにするのが、本質的な対策だと思う。
 「毎年、単位の認定テストをする。このテストは、生徒を振り落とすためではなくて、生徒を合格させるためであるから、問題は最低限の基本的なことを問うだけにする。難しい問題は、あまり出さない。基本問題が8割ぐらいになるようにして、(馬鹿な生徒をも含めた)平均点が、だいたい 60点ぐらいになるようにする」

 さらに、次のようにする。
 「この認定テストの成績を、(国家的な)成績証明書として、卒業生に発行する。卒業生は、その成績証明書を、就職先に提出する」

 この場合、次のような変更が生じる。
  ・ 現状では、学歴だけが、就職へのパスポートである。高校の内申書は考慮されない。ゆえに、生徒は、高校では真面目に授業を受けない。特に、受験科目以外では。
  ・ 改訂後では、(国家的な)成績証明書もまた、就職へのパスポートとなる。これはまた、受験する大学で合否の判定資料ともなる。ゆえに、生徒は、高校でも真面目に授業を受けるようになる。特に、受験科目以外にも、真面目に取り組むようになる。

 まとめ
 この (2) のポイントは、何か? それは (1) のことと関連する。
 現状では、内申書というものが、高校ごとに基準が違うので、信頼のおけないものになっている。そこで、国家的な統一試験をすることで、信頼のおける成績証明書とする。成績証明書を制度化することで、高校の授業(受験科目以外)を、まともなものにする。

 簡単に言えば、「大学受験資格認定試験」のようなものを制度化する。これは「高校卒業資格認定試験」のようなものである。当然ながら、不得意な科目も無理やり詰め込むようなことはしない。基本的な問題だけを出して、最低限の基本的なことだけを学べばいいようにする。(落とすことが狙いではないからだ。)

 本質。
 さて。こういうものを提案すると、必ず、反駁が出るはずだ。「そんなことをやると、高校生が勉強ずくめになる。週5日制の趣旨と矛盾する」というふうな。
 そこで、私としては、次のことを指摘したい。
 「今回の問題の根源には、根本的な矛盾がある。それは、勉強をした方がいいのか悪いのか、という問題だ。勉強をした方がいいのであれば、上記のような国家試験によって、生徒に勉強させればいい。つまり、真面目に授業を受けさせればいい。一方、勉強を緩和しろという意見は、勉強をしない方がいいという趣旨である。そして、そういう勉強敵視の見解が、高校における必修逃れのような事件を巻き起こした。つまり、勉強しないくせに、勉強をしたことにする、という擬装である」

 そもそも、高校生が勉強をすることは、良いことなのか悪いことなのか。良いことであれば、ちゃんと授業を受けさせればいい。悪いことであれば、高校なんていうものは一切廃止して、何の意味もない卒業証書という紙切れだけを発行すればいい。真面目に勉強したい人は、大金を払って予備校に行けばいい。大金を払えない貧乏人は、ずっと遊んでいればいい。……しかし、それでいいのか? 高等教育の破壊という方策が、国家的に好ましいことなのか? 
 高校生が勉強をすることは、義務ではなく、権利なのである。勉強とは、受験に有利になるという意味ではなくて、人間的に成長するための素養を形成するということだ。
 「受験に有利なように、受験勉強だけしていればいい」というのは、基礎的な素養をなくして歪んだ脳を形成する、ということに相当する。文章をまともに読み書きできない理数系や、数学的センスのない文系など。……ひどい専門馬鹿ばかりが生じることになる。
 しかしながら、現状では、多くの人が「そういうふうに受験に有利になる方が得だ」と思い込んでいる。(目先の柿に釣られる猿のようなもの。)

 現在の制度では、高校生の学業達成度を調べる方法が、ただ一つしかない。それは「学歴」だ。それゆえ、企業としては、学歴に頼って能力を知るしかない。
 とすれば、そういう状況を、改定するのがベストだろう。つまり、「学歴」以外に、もっと正しい情報を提供することだ。つまり、国家的な統一試験(高卒資格試験)を行なって、その成績証明書を発行することだ。
 ここにおいて、「成績証明書の発行なんて、個人情報の暴露だから駄目だ」なんていう意見がまかり通ると、現状のように、「学歴重視」という社会が形成される。まともな情報が提供されないから、表面的な歪んだ情報ばかりが重宝される。こうして、情報の欠落した社会は、歪んだ社会となるのである。
 現代の「学歴社会」の問題は、「学歴」を重視しすぎることにあるのではない。「学歴」しか情報が提供されていないことにある。国家が情報統制をするから、民間社会が歪んでしまうのだ。
( ※ その歪みの一例が、今回の事件である。「受験に有利なように、受験科目以外は履修しないが、履修したように擬装する」ということだ。こういう歪みがどこから生じたか、という本質を、本項は示した。)

 [ 付記1 ]
 さらに、次のことを指摘しておこう。
 高校生の学業達成度というものは、秘密にするべき個人情報ではない。堂々と開示していいものだ。昔ならば「全校生徒の成績一覧」というものが高校内に堂々と掲示されたものだ。こういうことがあってもいいのだ。
 仮に、そういうこと(当り前の個人情報の開示)がいけないのであれば、次のようなこともまた必要となる。

  ・ 顔の個人情報を隠すために、各人の顔にベールをかぶせる。
  ・ 身長の個人情報を隠すために、各人に下駄を履かせて、身長をそろえる。
  ・ 女性の胸の大きさの個人情報を隠すために、胸パッドをつけさせる。

 まったく、馬鹿げた話だ。隠す必要のないものは、隠さないでいい。各人に身長の差があるように、各人には学力の差がある。それは堂々と開示していいものだ。
 大切なのは、成績の情報を隠すことではなくて、成績の差があってもちゃんと生きていける社会を形成することだ。つまり、成績の悪い生徒でもまともな職に就けるような社会(誰もがまともに生きていける社会)を形成することだ。
 現状は逆だ。多くの生徒が(低所得の)派遣やアルバイトに就かざるをえないような格差社会を放置したまま、単に成績を隠すだけだ。しかし、それで事足れりとするのは、主客転倒なのである。
 
 [ 付記2 ]
 「学業達成度(成績)というものは、秘密にするべき個人情報ではない。堂々と開示していいものだ。」
 と上で述べた。ただし、これについて批判が出るかもしれないので、妥協案として、次の案も提出しておこう。
 「成績を秘密にするかどうかは、生徒本人の自由裁量に任せる」
 つまり、隠したい人は隠せばいいし、隠したくない人は開示すればいい。
 ただし、一般的な企業は、次のように要求するだろう。
 「当社の入社資格は、成績を当社に開示すること(秘密は厳守します)」
 生徒は開示したがらないが、企業は開示してもらいたい。で、生徒としては、いやなら開示しないで入社しなければいい。また、いやでなければ開示して入社を申し込めばよい。
 
 [ 付記3 ]
 で、どうなるか?  まず、企業が成績の開示を要求するのは、当然のことだろう。いちいち自社で学力テストをやってもいいが、精度が落ちるだけで、無意味だ。企業がやるべきは、職業適性検査のようなものであって、学力テストではない。学力テストぐらいは、公的なものを利用する方が能率的だし公正だ。
 ただ、たいていの企業は、開示を要求しても、一部の企業は、開示を要求しないだろう。たとえば、ソニーは、「学歴不問」という方針で、学歴情報を見ない。こういう企業があれば、そこに入社を申し込んでもいい。あとは、その会社の入社試験しだいである。
 朝日新聞社だと、入社試験が厳しくて、(学歴不問であるらしいが)結果的には東大卒ばかりがわんさと入社する。一方、ソニーは、入社試験が甘いらしくて、ボンクラ大学生でもけっこう入社できるらしい。そういうボンクラ大学生が入るような企業は、それなりの運命をたどるが、それはまあ経営の方針なのだから、仕方あるまい。「馬鹿と心中」という方針ですね。
( ※ 参考に言うと、学歴だけで決める方が、よほど合理的であるらしい。どこかの企業の人事担当者が言っていたが、入社後の有能さは、大学の成績とは相関関係がほとんどないが、学歴[高卒時の学力]は相関関係が強いそうだ。で、以前は入社試験をあれこれと工夫して選抜していたが、そんな試験よりも学歴だけで決めた方が優秀な社員をうまく取れるという。)
( ※ 余談だが、学歴批判をしょっちゅうやる朝日新聞社は、マスコミのなかで東大卒の比率が最も高い。自分のことをさしおいて、よく言うよ。どうせなら産経みたいに、馬鹿な社員をいっぱい雇って、三流紙になればいいのに。……しかしまあ、建前だけきれいごとを言うというのは、エリートにはありがち。正義の味方みたいなことを口先でだけ言って、実際には正反対の行動を取るわけ。処世術ですね。)
 
 [ 付記4 ]
 仮にあなたが中小企業の社長で新入社員を採るとしたら、どちらを採るか?
 一人は、高校時代に頑張って、早大法学部に入ったが、大学時代は勉強よりボートに熱中して、成績は最低。
 もう一人は、高校時代は野球ばかりしていたので、田舎の三流大学にしか入れなかったが、大学時代は司法試験をめざしてガリ勉したので、三流大学の法学部で成績がトップクラス。
 あなたなら、どちらを採用しますか? ついでに言えば、娘の婿には、どっちがいいですか? お好みの方をどうぞ。


● ニュースと感想  (11月02日)

 「成績と情報」について。
 前日分(前項)では、「高校の必修逃れ」という問題で、「成績を公開せよ」という方針を示した。これは結論である。では、なぜ、そうするべきかのか? その理由を示す。
 実は、これは、情報伝達の問題でもある。「正しい情報を伝達するにはどうするべきか」という問題だ。次のように場合分けして示す。

 (A) 生データ
 情報伝達で一番単純なのは、「生データを流す」というものだ。実験で言えば、論文を書くかわりに、実験のレポートだけをそのまま流す。量は膨大になる。
 もちろん、整理されていないから、読む方にはとても面倒だ。およそ使い物にならない。
 成績も同様だ。中間テストや期末テストの結果とか、授業の受け方とか、そういう生データを膨大に見せられても、見る方はさっぱりわからない。これでは意味をなさないだろう。
( ※ 「そんなの当り前だ」と思うだろうが、ま、我慢してください。これは次の話の伏線です。)

 (B) 整理された情報
 生データでは不便なので、整理された情報を出すといい。では、どう整理するか? それが問題だ。次のように、いろいろとある。
  1. 各科目の詳細を一切省いて、学校全体について(全学科について)「卒業/落第(中退)」という二通りだけに単純化する。
  2. 各科目ごとに、「合格/落第(単位未拾得)」という二通りだけに単純化する。
  3. 各科目ごとに、整理された値(5段階評価)をする。例。「数学は3」
  4. 各科目ごとに、整理された値(百段階評価)をする。例。「数学は偏差値 53」
  5. 各科目ごとに、最も詳しいデータ(生データ)を出す。(これは (A) と同じ。)
 このうち、一般的に公開されているのは、 1. である。卒業証明書も発行される。しかし、これだけでは、高卒の資格しかわからないので、採用する側の企業としては不便だ。
 そこで、 2. のように「科目ごとの合否」という方式も考えられるが、これだと、どこでボーダーラインを引くかが大問題となる。たとえば、33点をボーダーラインにすると、32点で落ちた人があまりにも可哀想だ。また、頭の悪い生徒が集まる高校では、ほとんどの生徒が落第になり、(認定試験による)高卒資格を得られなくなる。これは困る。
 また、「一芸に秀でたタイプが落第してしまう」という問題もある。アインシュタインみたいに理系は抜群だが文系は駄目、というタイプが、「文系科目ができないので卒業できない」という問題も生じる。
 そこで、「○×式のデジタルな判定をやめて、なだらかなアナログ的な判定をする」というふうにするといい。そのあと、入社試験(または大学入試)で、合否の○×を決めるときには、各社ごとに基準を変えればいい。たとえば、優秀な会社では、60点ぐらいをボーダーラインにする。劣悪な会社では、40点ぐらいをボーダーラインにする。ボーダーラインは各社ごとに変える。そうするために、高校側が提出する値は、(まだ○×をつけていない生データに近い)アナログ的な値にする。
 あと、問題は、どういうアナログ的な値を出すかだ。現状では、内申書の形なので、高校ごとの格差がひどくて、信頼性がない。そこで、公的な試験を行う。
 公的な試験をするなら、(内申書のような)5段階よりも、(もっと細かな値を出す)多段階の方が便利だろう。たとえば、内申書では4と5に区別されるとしても、偏差値で見れば、4の最上位と5の最下位の差はほとんどない、ということもわかるからだ。
 というわけで、「成績を公開して、かつ、多段階の評価にする(合否の2段階にはしない)」という前項の方針が結論される。

 [ 付記1 ]
 要点を言おう。成績を公開することのメリットは、 2. の説明で示したとおりだ。つまり、合否のボーダーラインを勝手な値に決めないことだ。30点で合格にするか、60点で合格にするかは、採用する側が決めればいい。また、どんなに成績が悪くても、それでけで落第になることはない。つまり、成績の調査と、成績の判定とを、分離させる。これが、成績を公開することのメリットだ。

 [ 付記2 ]
 このことは、一般の情報伝達にも援用できる。情報そのものと、情報の評価とは、別なのだ。
 たとえば、部下にレポートを求めるのであれば、「情報の整理」は部下にやらせるべきだが、「情報の評価」までやらせる必要はない。部下が、勝手に情報の評価をして、勝手な判断を押しつける、というようなことをさせてはならない。
 例。「この商品は、駄目ですね。購入するには値しません。これが結論です」
 というような「結論だけ」のレポートを出させてはならない。下っ端の部下は、評価をする必要はないのだ。部下は、単に情報を出して、情報の整理をすればいいだけなのだ。判断をするのは、その上の上司の役割である。部下が余計にしゃしゃり出ると、上司の判断が狂ってしまう。部下の出しゃばりは、厳に慎むべし。


● ニュースと感想  (11月02日b)

 → Open ブログ 「読書の色メガネ」
 
 読書するときには色メガネをかけないほうが能率的だ、という話。


● ニュースと感想  (11月03日)

 「高校の必修逃れの根源」について。
 世界史などの必修逃れの問題について、根本的な対策の仕方は、前日までに述べたとおりだ。これは、対策である。
 一方、「原因は何か」という問題もある。これについて考察しよう。

 「そもそも世界史などを必修にする必要があるのか?」
 という問題がある。これはしばしば指摘されているとおり。
 よく考えてみるとわかるとおり、世界史だけをことさら必修にする必要などはない。「世界史は知っているが日本史は知らないし、塵も知らないし、政治経済も倫理も知らない」
 というのが、まともであるはずがない。どうせなら、次のようにするべきだ。
 「世界史だけを大量に教えるかわりに、すべての社会科を少しずつ教える。理科も同様」
 これが常識的だろう。これなら、特に大きな負担もなく、基礎知識だけを習得することになる。
 一方、現状では、世界史のやたらと細かな(重箱の隅みたいな)知識ばかりを詰め込まされる。これでは、高校側が「無駄な勉強をしたくない」というふうに回避したがるのも、むべなるかな。
 比喩的に言えば、こうだ。
 「食事としては、肉や魚や野菜や穀類を少しずつまんべんなく取るのが好ましい。しかるに、高校生については、日本人には必要だという理由で、米飯だけを毎日食わせる。それでおなかいっぱいになるから、肉や魚や野菜は食べさせないでいい」
 これでは、高校生がいやがって、「米飯なんか食いたくない」と言い出して、食わないでおいて、こっそり肉や魚を食べるのは、当然である。それにたいして、「規則で決まっているから」とか「他の人も食っているから」という理由で、無理に米飯ばかりを大量に食わせようとするのは、根源が狂っている。
 ともあれ、根源は、「世界史必修」にある。そして、ここで問題となっているのは、「必修」ということ自体でもなく、「世界史」ということでもなく、「世界史の単位数が多すぎること」である。仮に、世界史の単位数が現在の4分の1ぐらいであれば(そして日本史や政治経済なども少しずつ必修になるのであれば)、今回のようなひどい問題は起こらなかっただろう。
( ※ 「世界史必修」の問題については、ネットでもいろいろと話題がある。 → 検索

 [ 付記1 ]
 社会科についていえば、もう一つ、根源的な問題もある。それは、
 「暗記科目になってはならない」
 ということだ。社会科は、ものの考え方を養成するための学科であるべきであって、暗記科目であるべきではない。そして、そのことを狙うためには、こうするといい。
 「教科書と年表と地図の持ち込みを許容する」
 こうすれば、暗記を試す試験はできなくなるから、暗記科目ではなくなる。

 [ 付記2 ]
 実は、世界史だけが必修になったことには、理由がある。制定当時の自民党が、文部省に強い圧力をかけていたからだ。というのは、世界史の学界に、やたらと強い権力者がいて、自民党や官庁に強い圧力をかけることが可能だったからだ。その人物は、2年ほど前に逝去したが、彼の置きみやげとなる「世界史必修」は、いまだに健在となっているわけだ。


● ニュースと感想  (11月03日b)

 「いじめ対策」について。
 いじめに対して政府が無策であるが、それに輪をかけてマスコミまで虚偽報道をする。
 「いじめに特効薬はない」(朝日・朝刊・社会面 2006-10-31 )
 何だって嘘をついてまで、政府の無為無策を擁護する必要があるのか? これでは犯罪者を擁護するのと同様だ。ほとんど無実のホリエモンを「極悪人」と非難するかと思ったら、まったく有罪の権力者を弁護する。まったく、やることが正反対である。
 現実には、いじめはある。とすれば、これを解決することが最終目標となる。可能か不可能か、なんてことを考える必要はない。可能でなければ、可能であるようにすればいい。それだけだ。「特効薬はない」などと弁解する必要はなく、「特効薬を生み出せ」と尻を叩けばいいのだ。
 比喩的に言えば「天然痘に特効薬はない」というふうにサジを投げればいいのではなく、「天然痘の特効薬を開発せよ」と尻を叩けばいいのだ。
 で、どうなる? お利口な人がこう言うだろう。
 「特効薬? そんなもの、既存の薬を転用するだけで、あっという間にできますよ。たとえば、これこれ」
 というふうに。実際には、こうだ。
 「いじめの特効薬? 簡単です。転校・転級をすればいい」

 私だったら、まずは、こうする。
 「優等生クラスという特殊クラスを設定する。これには選抜するための入試があり、受験して合格した者だけが所属することができる。それ以外の人は普通クラス。たとえ優秀でも受験しなければ普通クラス。で、いじめを受けた人は、このクラスに無条件で入れる。いじめをした人は、このクラスには入れない」
 なお、このクラスでは、スパルタ教育をする。他の人が「羨ましい」と思うようなクラスではなくて、「厳しいなあ」と思うようなクラスにする。試験はしょっちゅうだ。結果も公表される。(ただし最下位の3割ぐらいは公表を免除される。)

 ともあれ、これで、いじめの被害は大幅に減少する。クラスを越えてまでやるようないじめっ子がいるとしたら、それは特別な場合となるので、本人の家庭事情などを調査する。……教師には手に負えないことが多いので、いじめっ子の家庭問題を解決するための行政組織が必要となるだろう。
 で、調べてみると、たいていは、片親だったり、親が失業していたりする。その根源は、政府の社会政策・経済政策の貧困が理由だ。
 いじめの真の責任者は政府だった、というふうになるだろう。だいたいですね、親そのものが、企業からいじめにあっているんですよ。これをどうしてくれる? 


● ニュースと感想  (11月04日)

 「世界史と地理」について。
 前日の項では、こう提案した。
 「世界史だけを大量に教えるかわりに、すべての社会科を少しずつ教える」
 すると、これを真似したわけじゃないだろうが、同趣旨の話が朝日の社説にも出た。
 「地理と歴史についていえば、広く浅く学ばせるため、世界史と日本史、地理を一つにした科目を別につくってもいい。理科ではすでに理科基礎や理科総合をつくっているので、できないはずはない。」
 ( → 朝日・社説

 ちぇっ。同じ意見が出るのは悔しい。私の意見が平凡ふうに見えてくる。それでは詰まらないので、さらに提案しよう。
 「社会科は、考える社会科にするべきだ」
 具体的には、次の通り。

 地方ごとの状況を調べるのが地理だ。では、どう調べるか? 
 現状では、気候や地形や資源や産業を調べる。たとえば、こうだ。
 「××県は、○○湾があり、カニがたくさん捕れます。鉄鉱石もあり、鉄鋼業が盛んでしたが、今では鉄鋼業はなくなりました。そのかわり、ITの工場が進出して、液晶パネルを生産しています。しかし、高齢化が進んで、若者の数は少なくなっています」
 これじゃ、産業調査ですね。つまらん。ただの記憶にしかならない。
 そこで、こうする。
 「××県に旅行するとしたら、△△温泉があり、そこには鉄道で交遊ふうにしてゆきます。帰りには名産物として○○を買うといいでしょう」
 「××県に転居するとしたら、□□市がお勧めです。自動車道路などの都市基盤が整備され、◇◇のような雇用先もあります」
 つまり、「旅行」と「転居」のための情報提供だ。そして、旅行の切符の買い方とか、転居の際の手続きの仕方とか、それにともなう各種届け出の変更の問題とか、……そういった実用的な知識をたっぷりと教える。こうすれば、高校生が引っ越ししたときに、あわてふためいたりしないで済む。
 で、こういうことを知っていくと、そのついでに、気候とか地形とか資源とか産業とかも、二次的に役立つ情報となる。ただの暗記知識としての情報ではなく、「旅行」と「転居」のために役立つ情報となる。
 こういう方針で、勉強するといい。同時に、試験の形式も、あくまで「旅行」と「転居」の際の問題解決、という形にする。その際、地理の枠を越えてもいいだろう。総合学科ふうになる。たとえば、地名漢字の読み書きの問題を入れたり、地域の歴史と絡めたりする。
 もちろん、地域は、国内だけではない。海外も同様だ。「イギリスに旅行または転居するときに、その地の歴史を知る」というふうな形も取る。
 当然ながら、どうしても、総合学科ふうになる。地理と歴史は決して分離されない。
 ここでは、歴史は「現代に生きる歴史」となっている。歴史は、ただの失われた時間ではなくて、現代を形作る基礎となっている。アメリカには黒人奴隷の歴史があるし、中国には漢字や清朝支配や毛沢東の歴史があるし、欧州にはラテンとゲルマンの複雑な歴史がある。世界各国を知るためにはどうしても世界の歴史をそれなりに知っておく必要がある。
 無味乾燥な暗記科目としての歴史を学ぶ必要は必要ないが、現代につながるような「生きた歴史」を学ぶ必要はある。ここでは、「考える社会科」が大事なのだ。

 要するに、朝日の言うように、単なる「各科目の薄っぺらな寄せ集め」ではなくて、「考えること」を基本として、新たに再構成する必要がある。勉強は、覚えるためにあるのではなく、考える力を養成するためにある。


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● ニュースと感想  (11月06日)

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 他に、「燃料電池の死」という項目もあり。






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「泉の波立ち」
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