【 後日談 】 ( 2006-11-14 )
イラク人質事件が起こったのは 2004年の春のことだった。
それから二年半たった 2006年の秋になると、もはや当時の嘘は明確に知られることとなった。この時期の米国中間選挙で、ブッシュのイラク政策が米国民に判断されたの。
選挙の争点は、「ブッシュが嘘をついて、イラク戦争をしたこと」の是非であった。民主党はこれを非として共和党(というよりブッシュ)を批判した。
選挙の結果は、共和党の惨敗であった。共和党は上院も下院も、民主党に過半数を明け渡した。
一方、ほぼ同時期に、フセインにも死刑判決(一審判決)が下った。期を同じくして、二人の大統領がともに「誤り」として断罪されたことになる。
実は、ブッシュの嘘が判明したのは、2006年の秋になるまでもなく、もっと前からであった。「大量破壊兵器がある」というのは、真っ赤な嘘であったのだ。
もともとそんなものはないと政府は知っていた。なのに、CIAが情報操作をして、ブッシュといっしょにグルになって、ありもしない大量破壊兵器があるというふうに嘘をついて、米国民をだました。さらには、世界中をだました。
米国が世界をだました。── これが事実である。この事実を基礎に据えると、イラク人質事件も、新たな光で照らし直される。
あの当時には、次の意見が一般的であった。
「フセインは大量破壊兵器を所有している悪である。ゆえに悪を処罰する米国政府の方針は正当である。これに協力する日本政府の方針も正当である。しかるに、人質となった三人は、政府の正当な方針を自分のエゴによって左右しようとした。自分のエゴで国に迷惑をかけた。こういう身勝手な連中の命など、何の価値もない。自分の命ぐらい自分で守れ。国に迷惑をかけるな!」
その趣旨は、当時、「妥当だ」と多くの人々に感じられた。しかるに、私は、そういう人々の態度を「狂気」と称した。
さて。今になって、事実が判明してみると、「狂気」の正体がわかる。それは、人々が精神的に発狂した現象というよりは、人々が錯覚した現象なのである。
このとき人々は、ありもしない大量破壊兵器を「ある」と信じた。いわば蜃気楼を信じるように。そのせいで、ありもしない(イラクの)悪を「ある」と信じ、ありもしない(米国の)善を「ある」と信じた。いずれにしても、ありもしないものを「ある」と信じ込んだ。── すなわち、錯覚した。
あの当時、人々のふるまいが狂気に見えたのは、ゆえなきことではない。錯覚した人々の行動が狂気に見えるのは、当然である。
比喩的に言おう。たがいの鼻をつまみながら、「これは葡萄だ」と思って、鼻を切り取ろうとする人々がいる。これを他人が見れば「狂気だ」と見える。しかし、当の本人は、錯覚しているだけなのだ。人々は発狂しているのではなくて、悪魔のような誰かにたぶらかされているだけなのだ。
当時の狂気の本質は、今にして「錯覚」という言葉で新たにとらえ直される。
錯覚。── これこそが、イラク人質事件の根底にあるものだ。そして、その錯覚の原因となるのは、ブッシュが世界をだましたことだ。
だから、大切なのは、だまされないことなのだ。「あいつが悪だ」「おれは善だ」と政治家は主張するが、そういう言葉をあっさりと信じるべきではない。眉に唾をつけて、まなこを開いて、真実をちゃんと直視するべきなのだ。
「だまされるな。真実を直視せよ」── このことが、イラク人質事件の教訓となる。時間を経て過去を振り返れば、どこにどういう問題があったかもわかるようになる。
単純に言うなら、イラク人質事件とは、戦争や政治の事件ではなくて、(人々が錯覚した ・だまされたということに起因する)社会心理の事件であり、また、人間性の本質に関わる事件なのである。
( ※ 「錯覚とは何か」という問題については、著作「ライブドア・二重の虚構」に詳しく書いてある。そちらを参照のこと。イラク人質事件についての言及もある。)
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