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なぜか? それは、この外部執筆者というのが、「前科一犯」であったからだ。つまり、誹謗中傷罪という犯罪を犯したのは、今回が初めてではなくて、前にもあった。たぶん一年かちょっと前だが、新聞に何度も報道された。マスコミ関係者ならば、覚えている人もいるだろうし、コンピュータ関係者や経済関係者でも、覚えている人がいるだろう。かなり話題になった事件だ。
そのときもこの評論家は、誹謗中傷を行なって新聞で報道された。世の中には多数の評論家がいるが、誹謗中傷で新聞種になるような評論家は、ほかにはまず見当たらないだろう。そういう前科者であった。
ま、前科者を雇うというのは、それはそれでいい。しかし、だとしたら、再犯を犯さないように、雇う側は厳重に注意するべきだった。それが雇用者としての責任だ。しかるに朝日は、その当然のことを、なさなかった。ここには根源的な欠陥システムがある。「たまたま注意不足で」というわけではないのだ。この誹謗中傷という犯罪は起こるべくして起こったのだ。
たとえて言おう。毒薬殺人を犯した人がいるとする。その人を出所後に雇うこと自体は、別に問題ない。タクシー会社や建設会社が彼を雇っても、少しも問題ではない。しかし、薬局が彼を雇ったら、問題だ。なぜなら、この前科者はふたたび毒薬殺人を行なうかもしれないからだ。当然、雇った薬局には、厳重に注意する義務がある。
しかるに、朝日は、当然の義務を怠った。だからこそ、この前科者は、ふたたび同じ誹謗中傷という犯罪を犯したのである。再犯だ。そして、再犯が許しがたいのは、それによって非常に苦痛を受ける被害者がいるからだ。
(……)現場の事実を知ることが必要だ。そして、そのためには、たとえ危険であろうと、現場に出向くジャーナリストが必要だ。ここで、「ジャーナリストは立派な使命があるから、ボランティアとは事情が違う」という主張もある。しかし、何か勘違いしていないだろうか? 「自己責任」論者の「危険の認識」とか「国への負担」とかは、赴任の目的が「報道」であるか「ボランティア」であるかには、関係がない。ジャーナリストを別扱いしたいのであれば、まず、自らの論拠を捨てる必要がある。……とすれば、もともと「自己責任」論なんてのは、成立しないのだ。
1991年のイラク戦争のときには、バグダッドを空襲する状況を、CNNのピーター・アーネット記者が報道した。他のジャーナリストが「危険だから」という理由で逃げ出したのに、彼だけは残って報道した。その映像を、世界中のテレビが放送した。米軍でさえ、その映像を貴重な資料として利用した。その彼を「危険な地に出向いた馬鹿ものめ」と非難した人がいただろうか? なのに、今の日本では、イラクに出向いた日本人ジャーナリストを非難する。
現在、イラクは危険だが、イラクから続々と情報が入ってきている。それは、危険なイラクに駐在するジャーナリストがいるからだ。イラクにいるジャーナリストのおかげで、情報を入手したり、映像を見たりする。なのに、日本にいる人々は、目ではジャーナリストの送る映像を見ながら、口では「危険な地に出向くな」と非難する。
1. アマチュア的なNGOは、危機に際して自己解決能力をもたない。その点、プロフェッショナルなNGOとは異なる。能力不足なのだから、危険な地には出向くべきではない。
2. アマチュア的なNGOは、独りよがりな気持ちでやるものであり、現地のニーズには応えていない。自分のナルシシズムでやっているだけだ。
3. それはヒロイズムや自己満足が優先された「自分探しの旅」かもしれない。単に「必要とされたい」「名を上げたい」というような動機が先に立ってしまう。
4. 今すぐできる行動ばかりをもてはやすよりも、反射的ではない熟慮に基づいた行動こそが求められる。
(4) 裏目に出た場合自己責任論者は、今回、やはり「自己責任」論を唱えて、上記のように非難をするだろう。つまり、「死者に鞭打つ」わけだ。
……(中略)……
この場合、どうなるか? 小泉だったら、自己責任を唱えて、次のように主張するだろう。
「三人が死んだのは、自己責任だよ。勝手に出向いて、勝手に死んだだけだ。国には何の責任もないね。国にとっては迷惑なだけだ。おまけに、棺を国内に搬送するのに、手間がかかる。霊柩ジェット機をチャーターするから、ちゃんと費用を払ってくれよな。まったくいい迷惑だよ。棺の運送費 250万円と、棺の代金 30万円、合計 280万円を必ず払えよ」( → 【 追記8 】 )
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