不良債権 物語


 物語


 昔々、港町があったとさ。そこにはたくさんの港湾人夫がいた。仕事は重たい荷袋を、一日に 100袋運ぶことである。
 親子そろって港湾人夫である家もあった。父親の方はさんざんギャンブルをしてばかりいたが、親子の仲はよかった。あるとき、父親は、借金をためこんだまま、病気になり、長患いのすえ、死んでしまった。借金だけが残った。
 律儀な息子は、その借金を引き継いだ。父親の借金を返そうとして、前の2倍も働いた。自分の分と、借金返済の分で、一日に 200袋運んだ。楽ではなかったが、若くて丈夫だったので、いくら辛くとも、しきりに働いた。「立派な若者だ」という評判が立った。
 あるとき風邪が流行した。まわりの者が風邪になったので、律儀な息子もまた風邪をうつされた。たいていの者は貯蓄があったので、貯蓄を崩しながら療養した。しかし律儀な息子は、貯蓄がなかった。ここで債権者が押し寄せた。
「金を返せ! 金を返せ!」
 息子は弁解した。
「今、風邪を引いているんです。もうちょっと待ってください。」
「待てば返すんだな?」
 債権者はいったん引き上げた。しかし二日後にまた押し寄せた。
「二日待ったぞ。さあ、金を返せ。手元に金がなければ、すぐに働け」
 息子は、病み上がりだったが、とにかく働いた。しかし、まだ十分治っていなかったので、一日に 200袋運んだあげく、体をこわして、前よりもひどい病状になった。高熱になって、ほとんど死にそうである。
 そこで債権者会議が開かれた。まず司会者が宣言した。「彼は不良債権になった。これから不良債権をめぐる議論をする」と。
 さっそく評論家が登場して、「不良債権処理をするべきだ」と主張した。「この息子には、返済する見込みがない。返済する見込みがないのだから、不良債権処理をするべきだ。つまり、彼を『破産』させる。借金のうち、大部分は免除する。残りの返済できる分だけを返済させる。もちろん、甘やかすわけには行かない。大部分を免除するかわりに、後見人をつけて、以後、彼の生活は、後見人の管理下に置く。これならモラルも保たれる。どうだ、これがベストだ。」
 息子は質問した。「で、免除されて、引き継がなかったら、元の借金はどうなるんです?」
 法律家が登場して、説明した。「借金は相続する必要はないのだ。相続放棄できる。」
 息子はさらに質問した。「そりゃ、法律論ではね。で、実際にはどうなるんです?」
 評論家が答えた。「きみは心配することはない。まわりの債権者が、損金処理をするんだ。」
 息子は呆れた。「損金処理? そりゃ、帳簿の話でしょ? 実際には、どうなるか、わかっているんですか? 債権者には貧しい家庭もあるんです。金を返してもらえなかったら、それらの家庭では一家で首をつらなくてはならない。私が親の金を返さなかったせいで。いいですか。私は父親の息子なんだ。義理にはずれる不人情なことはできない」
 みなは沈黙した。なかなかうまく説明できなくなったのである。
 そこに、ヒゲもじゃの変人が登場した。「大丈夫。いい方法がありますよ。息子には、病気がすっかり治るまで、寝てもらうんです。それまでしばらく、返済を待ちましょう。どうせ今は、ゼロ金利なんだから、利子がたまるわけじゃない。返済を待っても、損はない。── 体が治ってから、返してもらう。これで万事、問題なし」
 しかし、この意見には、評論家たちから、雨あられのような反論が襲いかかった。
「山のような借金があったのが、すべての元凶なのだ。この元凶を排除しない限り、風邪は治らない!」
「息子が風邪を引いて倒れたのも、元はといえば、山のような借金があったからだ!」
「風邪の特効薬は、借金を免除することだ! 借金がなくなれば、風邪はたちまち治る!」
「借金がなくなってしまえば、彼の気分は明るくなる。働こうという気分も出てくる。今のように借金がいっぱい溜まっていては、やる気をなくすから、風邪は決して治らない!」
 ヒゲもじゃの変人は反論した。「へえ。病気の原因は、借金だったのですか? 私は、風邪のウィルスと思っていましたがね。それとも、借金というのは、新種の風邪のウィルスなんですかね」
「いったい、何が言いたいんだ!」と評論家たちは怒り狂った。
「私は、違うと思うんですよね」とヒゲをなでた。「息子が体をこわして倒れたのは、借金のせいじゃない。なぜなら、息子はそれまで、ちゃんと健康に働いていたじゃないですか。彼が体をこわしたのは、借金のせいではない。風邪のせいです。風邪がまわりで流行したせいです。そういう状況のせいなんです。もうすぐ春になる。春になれば、風邪のウィルスもなくなる。暖かな空気のなかで、彼はちゃんと健康に働ける。だから、状況が良くなるまで、待てばいいんですよ。」
 しかし評論家はみんな、この説を無視した。彼らは口をそろえて、「不良債権処理をせよ、これが元凶だ」と唱えるばかり。
 ところで、同じころ、隣町でも、似た事件が発生していた。ここでも別の息子が倒れたのだ。スーパー・マイケルという名前の男である。ここでは、彼は、評論家の意見を受け容れて、破産を宣言した。評論家たちは快哉の声を上げた。「これですべては片付くぞ」と。さっそく、当日、株価も上がった。それを見て、旭新聞は社説で称えた。「不良債権処理こそ本道である」と。港町のボスも叫んだ。「最初のうちに耐えれば、あとできっと良くなるということだ。米百俵!」と。
 しかし翌日には株価も下がった。なぜか事情はちっとも良くならない。日がたつにつれ、港町には暗い雰囲気が立ちこめた。評論家の話では、破産しても、それを埋める金はどこからか湧いてくるはずだったのだ。しかし、現実には、そうはならなかった。で、どうなったか? 彼の赤字は、踏み倒されたが、そのことで、結局、彼の赤字は、港町全体に拡散することとなった。風邪が流行しているさなかで、誰もがいくらかの赤字を背負った。なかには、その赤字のせいで、破産する家庭も出てきた。そのせいでまた破産が……港町は真っ暗になった。事情は良くなるどころか、どんどん悪くなっていったのだ。
 もうひとつの町でも、同じ出来事が起こった。この町では、風邪が流行しているだけでなく、取引先のビルに飛行機が墜落したことで、いっそう事情が悪くなっていた。破産の対象は、誰か一人だけでなく、何十人も何百人もいた。
 ここでまた、評論家が現れた。「今度は、本格的にやり直しましょう。対象となる人々を破産させるべきですが、その赤字を、みなさんがかぶる必要はない。『公的資金』を投入すればいいんです。」
 人々は喜んだ。公的資金! なんとうまい手だろう。自分たちは赤字をかぶらずに済むのだ。たぶん、お金は空から降ってくるのだろう。そう信じて、彼らは評論家の言うとおりにした。
 評論家の指導を受けて、港町はRCCという新たな特殊法人を設立した。そして、そこに公的資金を投入して、破産者の赤字を引き受けさせることにした。(実は、それまで「特殊法人の廃止」「無駄な税金投入の廃止!」と言っていたのだが、それをけろりと忘れてしまったのである。)
 かくて、「公的資金」投入の方針が決まった。ところが、先立つものは金である。「公的資金」というのは、空から降ってくるものとばかり思っていたのだが、今になって、そうではないとわかったのだ。金はどこかから出さなくてはならない。人々は急にあたふたとして、評論家に尋ねた。
「ちょっと。公的資金は、空から降ってくるんじゃないんですか」
「いや。そうは言わなかったけど」
「じゃ、私たちが出すんですか」
「そうだね」
「そんなこと、聞いていないぞ!」
「私も、言った覚えはないね」
 評論家はすたこらさっさと逃げ出した。あとに残された人々は、公的資金の出所に迷うことになった。二つの意見が対立した。
  ・ 増税する
  ・ 増税しない
 この二つの意見である。カンカンガクガクのすえ、人々は、東町と西町に区別された。
 東町では、増税した。人々は増税の負担に喘いだ。結局、これでは、赤字を町全体でかぶるのと同じことだった。これでは何にもならなかった。彼らの財布の金は少しずつ奪われ、町は真っ暗になった。彼らは計算違いを後悔した。
 西町では、増税をしなかった。かわりに、赤字債券を発行した。かくて流通するマネーが増えたが、その結果、インフレが起こった。人々は、直接的には金を奪われなかったが、物価が上がったので、結局、金を奪われたのと同じことだった。彼らも計算違いを後悔した。
 東町と西町の人々は集合した。評論家を呼び寄せて、文句を言った。
「どういうことだ。公的資金を投入すれば、すべて片付くはずだったはずではないか。なのに、ちっとも良くならないぞ」
 評論家は答えた。「それでもとにかく、問題は一応、片が付いたじゃないですか。あんたたちが損をするのは、仕方ない。無から有は生まれない。痛みに耐えることが大事です。」
 人々は怒り狂った。「何が『痛みに耐える』だ! 結局、何も変わっていないではないか。あんたの言うことを聞いて、良くなったことなど、何ひとつないではないか!」
「いや、ひとつありますよ」と答えた。「帳簿がちゃんとつけられるようになったことです。帳簿をきちんとつけることが一番大事です。私はそう教わりました。」
 人々は呆れはてた。「こいつ、何を言っているんだ」と思ったが、口には出さなかった。何を言っても無駄だと思ったのである。評論家というのは、結局、人々の生活のことなんか、何も考えてはいないのだ。単に帳面の数字だけいじっていればいいのだ。
 そこで彼らはふたたび、ヒゲもじゃの変人を呼び寄せた。そして現状について、質問した。
「私たちはなぜ、失敗したのでしょう?」
「そりゃ、簡単です。最初に、息子が赤字を作った。この赤字は、どこにも消えたりしないんです。評論家は、赤字がひとりでに埋められるようなことを言っていましたがね。まさか、お金が空から降ってくるわけじゃあるまいし」
「じゃ、どうすりゃいいんです」
「赤字はある。赤字はどこにも消えない。『不良債権処理』をしたって、帳簿をどういじったって、赤字が消えてなるわけじゃない。となると、誰かが払わなくちゃならない。では、誰が?」
「誰です?」人々は不安そうに質問した。 
「金を借りた息子か、金を貸した人たちか、世間の人々か。……そのいずれかだ。」
「で、誰が払えばいいんです?」と小声で質問した。 
「私は最初に、こう提案したはずだ。『息子に払わせよ』と。……もちろん、今すぐには、払えないだろうね。でも、払えないのは、彼が無能だからじゃない。まわりの状況が悪いからだ。だから、状況が良くなるまで、もう少し待てばいい。そう説明したはずだ。」
「なるほど。だけど、どうして、その忠告を聞かなかったんでしたっけ?」
「たぶん、評論家がこう言ったからだろう。『いくら待っても、待つだけ悪くなる。赤字がどんどん溜まるばかりだ。息子が病気なのは、息子自身のせいだ。こういう劣悪な人間は、退出してもらった方がいい』とね」
そういう話 を聞いた気がします」
「呆れる話だよね。彼は優秀な働き者だった。ただ親が借金をこさえただけだった。彼は借金を引き受けただけだ。彼が倒れたのは、風邪のせいだった。なのに彼を『劣悪』と呼ぶのなら、町中の人間はみんな『劣悪』になってしまう。評論家の言うことは、つまり、町中の人間について『破産させよ』と言うようなものだ」
「まったく、ひどい理屈ですね。評論家ってのは、まったくひどい。」
「それというのも、彼らが進化論を信じているからだ」
「どういうことです?」
「優勝劣敗。苛酷な環境のなかでは、優秀な者だけが生き残る。そうして全体が進化していく。── そう信じているんだ」
「で?」
「だから、社会の環境を、わざと苛酷にする。病原菌をばらまいて、健康な人間まで次々と病人だらけにする」
「それじゃ、テロリストじゃないですか。彼らは、テロリストなんですか?」
「いや、そうは言えない。彼ら自身は、病原菌をまきちらしてはいない。ただね、病原菌が広がるのを、大歓迎しているのだ。あえて社会をひどい状況に導くのだ。」
「どういうことです?」
「社会をひどい状況に導く。そういう状況において、元は一箇所だけにあった赤字を、どんどん拡散させ、どんどん増殖させていく。かくて、社会のなかで、赤字を雪だるま式に拡大させる。ついには町全体を覆い尽くすまでに。── そういうことさ。それが今の現実だよ。現実を見るがいい。」
「なるほど。たしかに、現実はそうなっていますねえ。……ふうん。社会をひどい状況にすれば、社会は良くなる、と信じ込んでいるわけか。……すごい理屈だ。そういえば、アメリカでも、飛行機や炭疽菌が騒がれていましたね。ひょっとしたら、あれも、同じ理屈で……」





 ※ この物語の経済学的解説は、「ニュースと感想」のあちこちを参照。
   特に、次の箇所。
     → 2002年11月10日 






「小泉の波立ち」
   表紙ページへ戻る   

(C) Hisashi Nando. All rights reserved.
inserted by FC2 system