[付録] ニュースと感想 (1)

[ 2001.8.20 〜 9.21. ]   

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● ニュースと感想  (8月20日)

 読売新聞朝刊 2001-08-20 によると、経済財政諮問会議 は、インフレ目標政策の導入に向けて、日銀への反論をとりまとめる予定だという。

 【 引用の許可 】
 このための参考文献となるのは、日本では、上記の「インフレ目標批判について」ぐらいしかないだろう。 (日銀に真っ正面から噛みつくような経済学者が、私以外に何人もいるわけがない。)…… だから、同会議が引用したければ、いくらでも引用してくださって構いません。その旨、表明しておきます。
 【 引用の仕方 】
 出典の表示は必要です。それを忘れて、無断引用とか無断盗用という法律違反(著作権侵害)をすると、変な新聞ダネになってまずいので、注意のこと。
 なお、引用範囲も明示しておくとよさそう。さもないと、第三者が誤って孫引きするかもしれないので。「経済諮問会議の主張によると……」というふうに。


● ニュースと感想  (8月22日)

 インターネットのニュース検索で「インフレ目標」を検索すると、いくつかの情報が見出される。
 これを見ると、多くの人が「インフレ目標」と「ミニインフレ」を混同している。(混同しては駄目だと、表紙などの「ミニインフレ」のところで示してあるのに。)
 マスコミは、正確な情報を出すのをサボり、間違った情報を流すのに熱心であるようだ。


● ニュースと感想  (8月25日)

 最近、不況が世界的に深刻化しつつあるようだ。一方で、小泉は「何もしない。景気悪化も失業増も構わない」と言明している。思うに、どうやら日本は破滅への道をたどりつつあるようだ。

 朝日新聞社説 2001-08-25 でも、インフレ目標批判を論じている。呆れた。ひどい経済学的無知。「インフレ目標」という名前だけ見て、「インフレを目標としている」と勝手に思い込んでいる。「インフレ目標」と「ミニインフレ」を勝手に混同している。筆者がクルーグマン教授の話を読んでいないことは一目瞭然。批判すべき対象について、まったく知らないまま、批判しているわけ。
 さらに呆れたことには、「論議打ち切り」を主張している。つまり、「言論圧殺」を提案しているわけ。これがマスコミのやることだろうか? 誤解したまま、勝手に決めつけて、弾圧する。ヒトラーもびっくり。自分の真似をするマスコミが現れるとは思ってもいなかったろう。



● ニュースと感想  (8月27日)

 読売新聞朝刊経済面 2001-08-27 に「インフレ目標」についての解説記事が出た。
 ひどい。朝日のように「事実とは正反対のことを述べる」ということはしていないので、それだけはマシであるが、しかし、内容が無内容だ。
 「インフレ目標の設定」というのは、インフレを避けるために、各国政府がやっている。これについては、記事はちゃんと解説しているようだ。
 しかし、今、世間で話題になっているのは、デフレを避けるための政策だ。それについてはほとんど無内容だ。「生産性の向上」「流動性の罠」という二つの基本がすっぽり抜けている。この記事に書いてあるのは、クルーグマン説とは何の関係もない、筆者独自の見解にすぎない。
 「インフレ目標政策」は、クルーグマン教授の提唱である。なのに、これについて解説してくれ、と新聞社が頼んだら、それとは全然関係のない自説を、勝手に得々として述べている。もちろん「クルーグマン」の「ク」の字も出てこない。理科系の話でたとえて言えば、「相対性理論について解説記事を書いてくれ」と頼まれたとき、「アインシュタイン」の「ア」の字も出さずに、相対性理論とは別の自説を、勝手に紹介しているようなものだ。「相対性理論とは、男女の相対的な関係を示すもので……」というふうに。呆れた。他人の顔を利用して、勝手に自説のPRをしているわけである。論文泥棒と同じぐらいに悪質である。
 本人は弁解するかもしれない。しかし、「クルーグマン」の「ク」の字も出さない、というのは、完全な事実であり、この点だけ見ても、悪質さは疑いようがない。筆者は、素人ではないのだから、責任は絶対に免れない。 (それとも、経済学の論文も読まない学者なのだろうか? それなら、まあ、知識不足も許されるが。ま、そういうことなのかもね。読売の編集部が、人選を間違えたようだ。)


● ニュースと感想  (8月29日)

 失業率が過去最悪の水準になったと報道された。そこで厚生省は「セーフティネットを拡充」という方針を打ち出した。「45歳以上の失業者を雇用したら補助金を出す」という。
 しかし、である。そうすれば、45歳以上の失業者は減るが、その分、45歳未満の失業者があぶれるだけだ。つまり、一部の人を優遇して他の人を冷遇する、という、法律違反の差別政策を実行するために税金を使うわけだ。呆れた。これでは、失業者の総数は減らない。
 政府は、やるべきことを、完全に間違えている。やるべきことは、年齢で差別することではなく、失業者の総数を減らすことだ。差別という法律違反をするために税金を無駄遣いすることではなく、まともな経済対策をすることだ。今の政府のやっていることは、ほとんど小学生並みである。誰か政府に 「−1+1=0 」 と教えてあげてください。失業者が1人減っても、別のところで1人増えたら、差し引き、総数ではプラスマイナスゼロなんだ、と。 (要するに、マクロ経済ができない、経済音痴ばかりなんですよね。)


● ニュースと感想  (8月29日b)

 朝日新聞朝刊経済面 2001-08-29 で、また誤報が出た。「インフレ目標政策」と「ミニインフレ政策」を混同している。白を黒と言いくるめているわけだ。クルーグマン説も知らないで。
 いくら注意しても直らないマスコミには、まったくうんざりしてくる。馬鹿のひとつ覚えみたいに、「量的緩和」という用語ばかりを使う。このひとつだけを話題にして、ギャーギャーと叫んでいる。まったくひどい無知だ。そもそも、最低限、「流動性の罠」という用語を理解してほしい。この「流動性の罠」という用語を記事で使ってほしい。それもできないようなら、経済学の素人なのだから、素人が解説記事を書くのはやめてほしい。
 そしてまた、「インフレ目標政策はインフレをもたらす」というオオカミ少年のような悪質な煽動はやめてほしい。「オオカミが来る、オオカミが来る」と、嘘(妄想)ばかり言うのには、うんざりだ。もし本当にオオカミが来るのなら、インフレ目標政策を採っている先進各国は、みんなオオカミに襲われているはずではないか。「インフレは制御が困難だ、少しでも物価上昇を認めれば、たちまちひどいインフレになる」というのが正しいのなら、世界各国はいずれもひどいインフレになっているはずではないか。
 はっきり言っておく。「インフレ目標政策はインフレを制御する(抑止する)」のである。事実とは正反対の妄想をふりまくのはやめてほしい。マスコミというのは、嘘をふりまくためにあるわけではない。
 ひどい物価上昇でなく、わずかな物価上昇なら、危険ではなく、ごく当たり前の状態である。なのに、日銀のように、「わずかな物価上昇も駄目」と主張するのなら、世界各国の中央銀行の政策を否定することになる。「正常な経済をもたらしている他国の経済政策は間違いで、最悪の経済をもたらしている日本の経済政策だけが正しい」と言っているわけだ。それなら、そのことの根拠をちゃんと示すべきだ。そしてその主張を世界各国に強制して、世界各国に不況をもたらすといいだろう。
 「物価上昇率は0%が理想だ」と思っているのは、日本だけだ。世界各国は、「物価上昇率は3%以下」というふうには決めていない。「2%プラスマイナス1%」というふうに、0%よりも大きな値の下限を定めている。理想の物価上昇率は 0% よりも上にあるのだ。だからこそ各国は不況を免れた。日本だけは理想値を 0% として、物価上昇率をこの値に導いて、不況を招いた。
 インフレ目標を否定する人は、「世界各国はみな間違っている。自分たちだけが正しい」と言っているわけだ。そういう唯我独尊に気づくべきだ。まったく、今のありさまは、世界のなかで一人だけ浮き上がっているのに気づかない、愚かなピエロである。だから、マスコミに勧告しておく。「自惚れるな。思い上がるな。世界を見よ」と。


● ニュースと感想  (8月30日)

 2001-08-30 になると、このころ、急に各社がリストラ策を発表し、あちこちで数万人規模の人員削減[つまり失業増]を発表している。IT分野は特にひどくて、富士通・NEC・東芝・日立・京セラ・松下などが事業縮小を発表した。日本ゲートウェーは、事業そのものを閉鎖して完全撤退した。なのに小泉は、「構造改革をすれば大丈夫。IT分野で雇用が増加する」と主張する。いったい、どういう頭の構造なの??? 小泉はまず、自分の頭の構造を改革するべきだ。
 小泉の構造改革は必ず失敗する。なぜなら、彼の主張しているのは、「供給の構造改革」だけであり、「需要の構造改革」がすっぽり抜けているからだ。いくら供給を充実させても、需要を増やさなくては効果はない。たとえば、リゾート産業の供給を増やしても、国民のリゾート支出が増えなくては効果がない。小泉はそのことに気づいていない。彼は供給だけを見て、需要を見ていない。だから小泉の「構造改革路線」は、かつての「リゾート振興法」と同様に、必ず失敗する。

 ついでに一言。小泉の振る「構造改革」の旗に踊らされて、「サービス産業に進出しよう」とする人がいる。絶対にやめた方がいい。そこには需要はないからだ。「需要の構造改革」がなされない限り、そこは不毛の領域なのだ。不毛の領域に進出しても、必ず痛い目を見る。投資すれば、すべてを失う。 (かつて政府の音頭取りを信じた、宮崎シーガイアなどと同じだ。)
 何年かあと、不況のどん底が来て、失業率が20%を突破するかもしれない。そうなれば小泉は退陣するだろう。「供給の構造改革」路線が捨てられ、「需要の構造改革」路線が取られる。その時点で、ようやく、サービス業などに進出することが可能となる。とにかく、小泉の「供給の構造改革」路線が続く限り、「構造改革」は実現しない。そんな妄想を信じてはいけない。彼の経済運営は、片目しか開いていないからだ。


● ニュースと感想  (9月02日)

 景気はどんどん悪化していくようだ。しかるに小泉はまた妄言を出した。「回転寿司の創始者を見習え。そういう独創性が大事だ」とのことだ。まったく、あいた口がふさがらない。小泉は回転寿司の店主ぐらいがふさわしいようだ。
 事業を成功させるか否かの問題は、個々の企業の経営法だ。一方、一国全体の経済運営は、マクロ経済学だ。両者はまったく異なる。音楽と美術ぐらい異なる。なのに、両者を混同するのは、いわば、「どちらも芸術だろう。画家だって作曲できる」と主張するようなものだ。
 猫に鈴をつける勇気のある人は、小泉に真実を告げてください。こういうふうに。
「あなたは、どうしようもない無知です。マクロ経済学のことを全然知らないで、トンチンカンなことばかり言っています。いわば、足し算と引き算しか知らないくせに、微積分の講義をやるようなものです。」と。
 もう少し専門的に言えば、こうだ。
「国民がみんな回転寿司の真似をしても無意味です。回転寿司があふれて、みんな倒産するだけです。個々の店ではなく、一国全体を見てください。今の日本に欠けているのは何か? 創意か? 労働者か? 資源か? 金か? いや、それらはみんな十分以上にあります。供給は十分にあるのです。足りないのは、需要です。だから、需要を増やす政策こそが必要なのです。」
 これが核心だ。これさえ理解すれば、不況を脱出することは可能だ。しかし、今はほとんどの経済学者が、見当違いのことばかり主張している。「不良債権を減らせ、構造改革をせよ、規制緩和せよ、通貨供給量を増やせ」というふうに。
 はっきり指摘しよう。それらが無効だということは、すでにこれまでやったことの結果として明らかになっている。無駄な努力はいくらやっても無駄なのだ。ピンぼけな政策はいくら実行しても効果は出ないのだ。いま必要なのは、需要を増やすこと、それだけだ。
 おのれの無知を理解しない限り、人はいつまでたっても無知のままである。


● ニュースと感想  (9月03日)

 週刊現代最新号で、竹中大臣が対談している。「インフレ目標について総理と話したことはない」と述べているのが注目されるが、ま、当然だろう。本人も、「インフレ目標とは何か」をよく知らないようだから。
 それにしても、犬と猿の対談で、ちっとも面白くない。「景気刺激せよ」「構造改革する」という程度の話だ。どちらも無意味な対策を述べている。
 はっきり言う。両者の意見が正しければ、お手本は、ユニクロだろう。独創性なアイデアをもち、生産性を大幅に向上させ、業績を飛躍的に向上させた。日本人がみんなユニクロのようにすれば、構造改革は飛躍的に進む。それは確かだ。
 では、ユニクロによって、景気はどれほど回復したか? ゼロだ。第一に、ユニクロは売り上げを飛躍的に向上させたが、その分、他社の売り上げが減ったので、差し引き、日本全体では少しも向上していない。第二に、生産性が向上したのは、海外に生産委託したからであり、日本人の労働者はかえって減って、失業者が増えた。(景気回復効果は、ゼロどころか、マイナスだ。)
 竹中も小泉も、「構造改革」の意味を根本的に間違えている。構造改革は、生産性を向上させる。それによって労働者は収入を増やすが、一方、労働力が余剰になった分、失業者は増えるのだ。その失業者を吸収する手立てを考えなくてはならない。それには規制緩和などでいくら供給を増やしても駄目だ。需要を増やさなくてはならない。
 構造改革は両輪の片方にすぎない。もう片方に「総需要の増加」がある。それなしには構造改革は成功しないのだ。両輪で進むべき車両の、片方の輪がはずれていれば、車両は少しも進まないのだ。
 「構造改革が進めば景気が回復する」などと竹中や小泉が主張するのは、とんでもない妄想である。「総需要を増やさなくては、構造改革も景気回復もどちらも失敗する」というのが正しい。そのことは過去の十年間が証明してきている。


● ニュースと感想  (9月04日)

 朝日新聞というのは、頭がどうかしているのだろうか。9月4日に、また「インフレ目標批判」というのが出た。徹底的に「インフレ目標」をつぶそうとしている。こういうふうに、一方の側だけの主張を取り上げようとするのでは、言論の圧殺である。マスコミというのは、言論の自由な討議を目的とする場だ。なのに、一方の立場の主張だけを徹底的に取り上げ、他方の意見を徹底的に弾圧する。昔の日本軍や特高そっくりだ。「インフレ目標批判」の意見なら、呆れるほど多く掲載したが、「インフレ目標賛成」意見は、ただの一度も掲載していない。記事で「インフレ目標」を紹介するときは、必ず「駄目だと思うね」という記者の個人的感想を付け加える。そういうふうに、公正ということを忘れて、記事に必ず色を付けて報道する。朝日新聞というのは、どこかの政治団体の機関誌なのだろうか? 記者は、朝日に入社するとき、「報道の中立」というものを捨ててしまったのだろうか? 
 本日掲載のコラム(「私の視点」)は、某教授の意見を掲載している。そこでは冒頭で、インフレ目標論を「金融のイロハを知らない、馬鹿げた主張」と非難している。たいそう、威勢がよい。そこで、興味深く読んだが、なるほど、「馬鹿は相手を馬鹿と言う」という格言がよくわかった。
 たしかにこの人は、「金融のイロハを知らない、馬鹿げた主張」をしている。次の通り。
 (1) 「インフレ目標は駄目だ」と主張する根拠が、「金融の量的緩和は駄目だ」ということだけだ。論理になっていない。「金融の量的緩和は駄目だ」というのは、たしかにその通りだ。しかしそれは、「ミニインフレは駄目だ」ということを示しているだけであり、「インフレ目標は駄目だ」ということを示していない。完全に勘違いしている。「リンゴが腐っている」ということをいくら証明しても、「ミカンが腐っている」ということの証明にはならないのだ。
 (2) 「インフレ目標は駄目だ」と主張する根拠として、「どんなに実体経済が変化しても、実質的には何も変わらない」と述べている。呆れた。企業の生産・投資活動が大幅に上昇し、消費者の需要が大幅に上昇すれば、景気は回復するし、失業者は激減する。そんなことが誰でもわかる。これを否定するのは、たしかに、「経済のイロハを知らない、馬鹿げた主張」と言える。これほどひどい狂気的な主張を掲載するなんて、朝日はどうかしている。
 (3) 「インフレ目標は駄目だ」と主張しながら、かわりに提案する案というのが、「物価上昇率を2%にする」という案である。呆れた。駄目だといっていることを自分でやっている。論理矛盾である。
 (4) 「この提案に従えば、都市銀行は貸出し活動を活発化する」と主張している。論理が狂っている。都市銀行がいくら貸出し活動を活発化したくても、デフレのとき(ゼロ金利のとき)には、貸出し先がないから、無意味なのだ。貸出し先がたっぷりとあるなら、銀行の資金供給量を増やすことに意味があるが、貸出し先がないときに、銀行の資金供給量を増やしても無意味である。「量的緩和は駄目だ」と自分で主張しておきながら、一方で「量的緩和」と同じことをやろうとする。完全に、自己矛盾である。 ( ※ 「銀行が貸し渋りをしているから資金供給が増えない」という主張もある。しかし、それは、銀行に資金がないからではなくて、貸出し先が倒産寸前だからだ。こういうときは、銀行に金を積んでも無駄である。景気を回復させて、貸出し先の経営状態を好転させなくては意味がない。)
 (5) この人の提案は、結局、「国による不良債権買い上げ」である。なるほど、それはたしかに、デフレ脱出の効果はいくらかある。しかしそれは、莫大なコスト[費用・無駄]のかかる方法なのだ。莫大なコストがかかる割には、効果はさほど大きくない。コスト計算もできないような、こんな馬鹿げた提案は、およそ提案の名に値しない。この人が企業の社長になっていれば、その企業は倒産するだろう。「シェアを上げよ! そのためには、どんどん値下げして売れ! いくら赤字が出ても気にするな!」と主張するだろう。そうして、めでたくシェアが上がるが、結局、莫大な赤字に耐えかねて、企業は倒産する。そして最後に、こううそぶく。「倒産したけど、やっぱり、シェアは上がっただろ。だから私の主張は正しいと証明された。」
 ── 朝日に勧告する。どうせ「インフレ目標批判」を掲載するなら、少しは理屈の通っているものにしてほしい。こんな「経済のイロハを知らない、馬鹿げた主張」を掲載すれば、自分の新聞の評価を落とすだけだ。

 余談。 同日の「声」欄では、「インフレ目標政策とは、インフレを起こす政策だから、駄目だ」と批判している素人がいた。勝手に勘違いして、幻を批判しているわけだ。たぶん、朝日の記者も、こういうレベルなのだろう。「インフレ目標政策とは、インフレもデフレも避ける政策なのだ」ということが、理解できていないようだ。
 朝日は、やはり、「インフレ目標とは何か」という、基礎的な解説記事を書くべきだろう。議論すべき対象について理解しないままでは、何を書いても無駄だ。最低限、クルーグマン教授の主張を解説するべきだ。基本的な二つの用語を用いて。 ( → 8月27日の記述。)


● ニュースと感想  (9月05日)

 朝日新聞 2001-09-05 は、興味深いことをいくつか報道している。
 まず、1面では「第二・四半期のGDPの伸び率が前期比でマイナス1%程度」と報道している。第三・四半期ではもっと悪くなるだろう、という見通しも示している。
 もちろん、当然のことである。「不安定構造」の端っこにいるのだから、放置すれば、デフレスパイラルでどんどん悪化していく。(第3章で示してきた通り。)
 私の見通しを記せば、今後、景気はさらに悪化していくはずだ。最近、失業率がどんどん高まるし、IT各社もどんどん首切りの方針を表明しているので、本年中もずっと景気が悪化するのは間違いない。来年も、放置すればスパイラルが増すだけなので、もっと悪化するだろう。GDPの伸び率はマイナス5%、失業率は10%ぐらいになるかもしれない。そのあたりが、だいたい、予想値である。ただ、ペイオフ発動によるデマ騒動が起これば、米国の大恐慌と同様な大恐慌になるだろうから、その場合は、GDPの伸び率はマイナス30%ぐらいも覚悟するべきだろう。これはホラではない。そうなって当然の経済運営をしているのだから、実際にそうなってもおかしくないのだ。
 今回の報道に対して、「驚いた」と言っている政府関係者がいるが、呆れた話だ。自分の愚かな楽観主義が間違っていたと気づいたなら、そのとき、なすべきことは何か? 「驚くこと」ではなく、「間違いを自覚して反省すること」だ。驚くだけなら、猫でもできる。猿並みの知恵があるなら、せめて「反省すること」ぐらいはしてほしい。

 朝日の経済面には、「構造改革の工程表」というのが出た。ちまちまとした政策が、少しだけ並んでいる。「全国の自治体に高速ネットを構築する」というような、みみっちい話ばかりだ。こういうものの総体が「構造改革」だとしたら、小泉の「構造改革」は、なんとまあ、みみっちいものであることか。名前ばかりは威勢がいいが、歴代内閣のやった改革と比べて、少しも進んでいない。こんな政策をいくら寄せ集めても、景気回復効果などはゼロだ。単純に個別の経済効果を計算して、合計すれば、すぐにわかるはずだ。なのに「構造改革で景気回復を」と小泉は唱える。そこで私は小泉に提案する。「せめて足し算だけは覚えてほしい。各項目の経済効果をちゃんと足し算してほしい。そうすれば構造改革全体の経済効果がわかる」と。
 私としては、小泉には、まったく期待できない。次の首相は、せめて、足し算ぐらいはできるようになってもらいたいものだ。
 思えば、かつて日本を大不況に導いた首相は、自分の信念に従って、強引に「金解禁」を導入した。「これこそ正しい。これで日本は良くなる」と信じて、勝手に邁進した。そうして、正しいと信じた間違った政策で、日本経済を破壊した。何とまあ、小泉に似ていることか。

 朝日の「声」欄の最初に、興味深い投書が掲載されている。「18歳の女性受験生です。景気が悪くて、家計が破壊されかけています。進学したいが、お金がない。進学してもいいものか、迷って、苦しい。真っ暗闇に閉じ込められた気分だ」という声である。これが小泉の「構造改革」の成果だ。能力のある人も、お金がなくて、大学進学できなくなり、自分の能力を高めることもできなくなる。かくて日本の経済力は大幅にそがれる。……こういうふうに日本経済を劣悪化していく人物が、「米百俵」などと唱えるのは、冗談だろうか? 「米百俵」の教訓は、「教育を大事にせよ」ということだ。なのに小泉は、日本国民の教育機会を大幅に奪っている。昔の人は「米百俵で教育を受けよう」とした。小泉は「米五十俵あれば生きていけるだろ。教育なんか受けることはない。生きていくための最低の米だけで我慢しろ」という方針だ。そういう方針で、国家経済の根幹を破壊していく。
 重ねて言う。構造改革によって景気が回復するということはない。そもそも、緻密に計算してみればわかるとおり、構造改革には景気回復の経済効果などはない。構造改革を進めたければ、景気回復策を取ることが必須なのである。小泉の方針は本末転倒と言うしかない。水を撒けば、花は咲く。しかし、花が咲けば水が湧く、ということはないのだ。


● ニュースと感想  (9月06日)

 読売新聞 2001-09-04,05 で、「為替相場への円安介入」を提案している。こういう間違った提案がなされるのは困るので、注記しておく。(この方法は、「量的緩和」とは違って、たしかに効果はある。しかし、まずい方法なのである。)
 第一に、効果があるとしても、「インフレ目標」と組み合わせなくては、効果が持続しない。一時的に景気回復効果が出たとする。そのとき、円安効果および景気回復にともなって物価が2%程度は上昇するので、日銀がただちに金利を大幅に引き上げるに決まっている。何しろ日銀は「2%程度の物価上昇を認めるインフレ目標政策は絶対駄目だ」と主張しているのだ。もし金利を上げなければ、インフレ目標政策そのものになってしまうのだ。だから必ず、金利を上げる。結局、景気回復よりも物価安定をめざして金利を上げるせいで、不況へ逆戻りする。そんなふうに元の木阿弥になることがわかっているのに、企業が投資するはずもないし、国民が消費するはずもない。だから、一時的には効果が出ても、そのあとは効果が持続しない。
 第二に、資金流通量を拡大するだけでは、量的緩和とさして変わらず、あまり効果がない。いくら金融市場に金があふれても、それで国民の財布が潤うわけではないので、国民の消費活動は高まらないからだ。流動性の罠。(ついでだが、株や社債を買うという案も、量的緩和とさして変わらず、あまり効果がない。)
 また、インフレ目標政策を設定していない限り、物価上昇にともなって日銀は量的緩和を引き締める。したがって、量的緩和効果もなくなる。 (もし物価上昇時に量的緩和を継続して景気を回復させるというのなら、インフレ目標政策そのものになってしまう。しかし日銀は、これを否定しているので、必ず金融引き締めに転じる。)
 第三に、ドルの購入という案は、短期的には効果があるが、長期的にはコストが莫大にかかる。円安のときに円を売って、円高のときに円を買うからだ。安く売って、高く買う。莫大なコストがかかる。その無駄金は、外国の金融相場師に食われてしまう。何兆円もの血税を、外国の相場師にタダでプレゼントするわけだ。( → 詳しくは、第3章。)
 要するに、「円安介入」というのは、ちょっとだけ考えれば効果的に思えるが、深く考えれば害悪の方が上回るのだ。「明日は1万円儲かるが、明後日は2万円損する」という政策である。明後日のことを考えずに、「明日は1万円儲かるんだから名案だ」と主張する。こういうエコノミストは、馬鹿ではないにせよ、賢明とは言えない。思慮が足りないのである。
 何度も言うが、今の景気を回復するには、「円安介入」のような量的緩和ふうの方法では駄目なのだ。それは「流動性の罠」に陥る。では、どうするべきか? 国民の消費を、直接増やすこと。それだけであり、それ以外にはないのだ。( → 第3章「中和政策」)


● ニュースと感想  (9月07日)

 最近、不良債権処理がかなり話題になっているが、まったく、自分のやろうとしていることが理解できない人が多いようだ。
 不良債権処理は、やればやるほど、不良債権の総額が増える。なぜなら景気が悪化して、企業がどんどん不良企業になるからだ。
 不良債権の処理をすることが目的なのではない。不良債権の総額を減らすことが目的なのだ。そのためには、不良債権の処理をするよりも、景気を回復させる方がずっと効果的なのだ。景気を回復させれば、不良債権の総額は確実に減るからだ。
 不良債権については、「処理して総額を増やすか」「処理せずに総額を減らすか」の二つの選択肢がある。自分が何をしたいのか、よく考えるべきだ。「処理すれば総額が減る」なんて考えるのは、経済学を知らない素人の判断にすぎない。
(詳しくは本文を参照。)


● ニュースと感想  (9月07日b)

 読売新聞夕刊 2001-09-06 のコラムで、女性アナウンサーが市井の話を紹介している。美容院に行ったところ、店長がぼやく。「7月は売り上げがぐんと落ちた。8月はもっと悪い。景気が悪いと、こういう金を使わなくなる」
 さもありなん。もちろん美容院だけではあるまい。これは市井の実感に一致する。9月05日のニュースでは、第二・四半期(4月〜6月)の景気の悪化が話題になっているが、次の四半期はがくんと落ちているはずだし、その次ももっと悪くなっているはずだ。当然。 (2001-09-07 の朝日新聞朝刊経済面でも、景気の先を見通す景況感がひどく悪化している、と報道している。)
 朝日新聞夕刊 2001-09-06 の株式面のコラムおよび7日朝刊経済面データによると、最近、長期金利が上昇傾向にある[長期国債価格が低下していく]とのことだ。さもありなん。そうなるのが遅すぎたくらいだ。(理由は複雑なので省略。) とにかく、この分だと、景気回復の芽は摘まれ、景気は年内はどんどん悪化していくばかりだろう。
 政府はもっと現実を認識した方がいい。「構造改革すれば大丈夫」なんて、能天気に楽観視するおのれの誤認を反省した方がいい。今や日本は大恐慌に突入する直前にあると思った方がよさそうだ。
 ただし、物価は安定しているから、日銀はやはり能天気に自慢するんでしょうね。「物価を安定させている。日銀は職責を見事に果たしている。経済運営は大成功だ。すばらしい!」と。


● ニュースと感想  (9月08日)

 朝日新聞朝刊 2001-09-07 経済面の報道によると、日銀総裁はインフレ目標政策に否定的だという。理由は、「インフレ目標を設定しても、金融政策だけでは達成できないからだ」という。さらに、「物価上昇率が0%以上になるまで金融緩和を続けることで、デフレ克服の断固たる姿勢を示す」と述べている。
 何たる無知! 日銀の副総裁たるものが経済学を理解できず、間違ったことを主張するのでは、まったく困りものだ。 (以下で説明するが、こんなことはクルーグマンの話を読めばすぐにわかることだ。まったく、出来の悪い学生に講義する気分である。)

 なるほど、「インフレ目標を設定しても、金融政策だけでは達成できない」というのは、事実である。しかし「だから」というふうに、インフレ目標政策を否定する理由にはならない。だいたい、話を根本的に間違えている。「インフレ目標政策とは、インフレを実現する方法だ」と勘違いしている。何という愚かさ! 自分が誤解した上で、誤解した対象を批判している。インフレ目標政策とは、物価上昇を実現する方法ではないのだ。物価上昇が実現した場合に、それをつぶさないことを保証する政策なのだ。 ( → 「宣言」の意味
 では、なぜ上の「保証」ないし「宣言」が必要かというと、今の日銀は、「物価上昇したら、それをつぶすために金融引き締めをする」という方針を取っているからだ。物価安定至上主義であり、物価安定のためなら不況も仕方ないないという主義である。日銀副総裁の主張もそのことを含意している。「物価上昇率が0%以上になるまで金融緩和を続ける」ということは、「物価上昇率が0%以上になったら、ただちに金融引き締めに転じる」ということだ。しかし、物価上昇率が1%ぐらいでは、いまだ不況状態である。そのことは経験的に明らかである。物価上昇率が2%〜3%で景気は平常であり、物価上昇率が4%程度で景気は過熱気味となる。なのに日銀副総裁は、「物価上昇率が1%〜2%になったら、金融引き締めに転じる」ということを主張している。つまり、「景気に回復の目が出たら、ただちにその目をつぶして、不況に逆戻りさせる」ということを主張している。 (仮に、「いや、そんなに急に金融引き締めには転じない」と主張するとしたら、まさしく 「インフレ目標」を取っていることになるので、自己矛盾だ。)
 日銀副総裁は、「インフレ目標」の意味を完全に取り違えている。この政策は、物価上昇を保証するものではない。物価上昇が起こったときにつぶさないことを保証するものだ。日銀はたしかに、「デフレ克服の断固たる決意」を示しているつもりなのだろう。しかし同時に、「デフレが克服されたら、ただちにデフレに引き戻す」ということも断固として示しているのである。つまり、「デフレの克服は三日だけ」という三日天下を示しているのである。だから誰も日銀の金融緩和などを信じないのだ。そのことがわからないのだろうか? 

 ついでだが、書店には、「不況脱出するための方法」というような類の本が並んでいる。そこでもたいていは、「インフレ目標政策とは、荒っぽい方法だ。インフレをどかんと起こして不況を脱出しようというだけだ」というふうに解説されている。荒っぽいのは、そういう粗い解釈の方だ。自分の頭が粗いから、クルーグマン説を粗く(せいぜい2行ぐらいで)解釈するだけなのだ。もっと緻密に細かく理解してもらいたいものだ。勉強不足にすぎる。

 とにかく、日銀にせよ、評論家にせよ、私はこう問いかけたい。「あなたはクルーグマン説をちゃんと読んだのか?」と。
 もし読まずに反対しているのなら、言語道断だ。もし読んでも理解できない(誤解している)のなら、頭の悪さを反省して、口を閉じているべきだ。誤解の拡大再生産はするべきではない。
 なお、「自分は誤解していないぞ。クルーグマン説を分析してみたが、絶対に間違いだ」と言い張る学者もいるかもしれない。本気でそう言うなら、ちゃんと 論文の形にして公開するといいだろう。書籍上かWWW上で。もしクルーグマン説に真っ正面から反論できる人がいれば、その尋常ならぬ学識は感嘆ものだ。ノーベル賞は間違いない。ぜひぜひ、大々的に発表してもらいたい。 (その際、なるべく、博士帽をかぶってもらいたいものだ。ピエロ帽のかわりにね。)

( ※ ただ、実は、たいていの人がクルーグマンを理解できないのは、当然かもしれない。考え方が従来の枠組みから脱しているので、頭の固い人には受容が困難なのだ。老人がパソコンを覚えられないのと同様だ。そこで、頭の固い専門家のために、詳しい話を用意している。近日公開予定。)


● ニュースと感想  (9月08日b)

 景気の悪化を発表した政府統計のあとで、マスコミ各社もてんやわんやの大騒ぎをしているようだ。しかし、下らない騒ぎ方をしないでほしいものだ。
 「大変だあ」と騒いだあとで、「ああすればいい、こうすればいい」と大声で叫ぶ。失業対策だの、構造改革推進だの。……ちょい待ち。それを口にする前に、ちょっと計算してみてほしい。「失業対策による経済効果はどのくらいか?」「構造改革による経済効果はどのくらいか?」── それをちゃんと計算してみてほしい。どう考えたって、景気浮揚効果をもたらすには、あまりに微々たる力しかもたないはずだ。今は総需要が30兆円程度は縮小している。これほど縮小した経済を浮揚させるには、失業対策や構造改革では、焼け石に水である。そんなことぐらい、計算すればすぐにわかるはずではないか。
 マスコミに勧告する。くだらないおしゃべりで紙面をにぎわすのは、やめてほしい。紙面はおしゃべりの場ではないのだ。まともな論説をする気があるなら、「景気対策」の案を掲げる際、ちゃんとその経済効果を数字を使って示すべきだ。たとえば、「失業対策によって5百億円の効果がある。だから30兆円も縮小した経済を回復できる。5百億円で 30兆円を埋められる」というふうに。あるいは、「不良債権処理に1兆円使えば、景気回復効果はゼロどころかマイナス2兆円」というふうに。── つまり、数字を使えば、自分がいかに馬鹿げたことを主張しているか、よくわかるはずだ。
 重ねて言う。今の不況の対策を考えるには、まず、原因を知らなくてはならない。では、原因は、何か? 総需要が大幅に縮小していることだ。だから、景気を回復させるには、総需要をふくらますこと(消費性向を高めること)以外にはないのだ。
 なのにマスコミは、「最近、家計の消費がどんどん減ってます」なんて、無関係な話のように報道している。そして消費がさらに縮小するのをほったらかしている。あげく、景気対策としては、失業者対策や構造改革など、効果のほとんどないものを提案する。狂ったコンピュータも同然である。自分の頭をリセットした方がいい。


● ニュースと感想  (9月09日)

 朝日新聞 2001-09-08 夕刊・特集で、舛添へのインタビューが出ている。
 ま、本質的には、舛添はなかなかいいところを突いているのだが、いかんせん、勉強不足である。記者に突っ込まれて、しどろもどろになっている。日銀との討論会をしなくてよかったね。やっていたら、恥をかいていただろう。
 舛添は、結局、「量的緩和」を信奉する「ミニインフレ」論者なのである。「量的緩和は駄目。だからインフレ目標を」というのがクルーグマン説なのだが、そこを理解していないので、「量的緩和を」と唱えてしまって、記者に突っ込まれる。
 舛添は、結局、「インフレ目標」とは何かが理解できていないわけだ。そして「インフレ目標政策」のかわりに、「ミニインフレ政策」を唱えているわけだ。ま、彼は政治学者だし、経済学者ではないから、勉強不足なのはやむを得ないかもしれない。

 それにしても、朝日はずるいよね。あえて「インフレ目標政策」ではなくて、「ミニインフレ政策」を唱える青二才ばかりを俎上に載せて、攻撃する。いわば、読売巨人軍の1軍と戦うのを避けて、落第した2軍の相手とばかり戦っているようなものだ。どうせなら正々堂々と、正規の「インフレ目標」論者と対決するべきだろう。また、「インフレ目標とは何か」をちゃんと解説するべきだろう。クルーグマン説に従って。── なのに、ただの一度も、そうしたことはない。別に、「卑怯だ」と何とか、批判するつもりはないけれどね。ただただ、情けない。これが朝日かと思うと、悲しくなる。「公正な報道」を心がける記者は、せめて一人ぐらいはいないのだろうか。

 なお、朝日には勧告しておく。朝日は「自分は正しい」と自惚れがちな傾向がある。しかし、バブルのときは、どうしたか? 「景気を冷やせ」という声を無視し、「ゆるやかな景気拡大の持続」という日銀の方針を支持した。そうしてバブルをさらに膨張させた。 (私はちゃんと覚えているぞ) そして今また、同じことを繰り返そうとしている。今や日本は、大恐慌に突入しかけている。崖の縁に立っているのだ。なのに、その警鐘を鳴らす声を無視し、「現状維持」の日銀路線を支持する。同じ過ちを二度も繰り返そうとしているのだ。理由はどちらも同じである。昔も今も、政府(日銀)の側にばかり立ち、それに反対する声を無視する。「公正な報道」を捨てて、偏った報道をするわけだ。


● ニュースと感想  (9月09日b)

 「構造改革は、どれだけの経済効果をもたらすか?」── それを、私なりに、簡単に分析してみよう。
 特殊法人廃止や、細かな事業の廃止やら、そういうのは、ほとんど経済的な効果をもたない。せいぜい、その部局の事務員の人件費が節約できる、ということくらいだ。たとえば、住宅金融公庫は、毎年4000億円も国庫投入しているが、しかしそれは、国民の住宅建築の補助に使われている金である。住宅金融公庫を廃止しても、かわりに、減税などの形で、やはり同程度の金額を補助することになるので、差し引きして、節約効果はほとんどない。他の特殊法人も同様である。せいぜい組織廃止による人件費が節約できるくらいだ。その他、細々とした小額の金が節約できるくらいであり、巨額の日本経済のなかでは、雀の涙にすぎない。
 ただ、道路公団は例外だ。これは無駄な事業をしている。無駄な事業をやめることで、多額の効果がある。とはいえ、これは、「特殊法人の廃止」という枠よりは、「無駄な公共事業の廃止」という枠で考えるとよい。
 「構造改革」で意味をもつのは、この「無駄な公共事業の廃止」である。これだけは巨額な効果がある。入札の透明化をすれば、事業は効率化する。干拓やダムなどの無駄な事業は、全廃することもできる。
 では、その景気浮揚効果は、どれだけか? 実は、マイナスである。無駄な公共事業が減ることで、その分、民間の事業量が減る。民間の利益は減るし、失業者は何十万人も増える。ただし、そのかわり、政府には黒字が溜まる。しかし、この黒字を政府が有効に使うのならともかく、「国債30兆円」とか「財政均衡」とかの名分で、何にも支出しなければ、その分、経済は縮小する。
 まとめて言おう。「無駄な公共事業の廃止」という構造改革は、国の効率化につながるので、実行するべきだ。しかし、単にそれだけでは、経済は縮小するし、失業者も増加する。効率化で得た金を、有効に使わない限り、経済発展はないのだ。
 小泉はそこを理解していない。単に効率化して手元の金を増やせば、それで景気が回復すると思い込んでいる。そこには経済効果の厳密な計算はない。単純に自己の夢を信じているだけである。 かくて、日本は構造改革を進めることによって、どんどん奈落の底に向かって突き進んでいく。


● ニュースと感想  (9月10日)

 今の日本の経済運営は、バランスを欠いている。これを比喩で示すことができる。
「日本は、道路を走っていて、左の端から落ちかかっている自動車のようなものだ。他の自動車(国)は、みんな、道路の中央(景気中立)を走っている。なのに日本だけは、左の端(不況)から落ちかかっている。他の国は忠告する。『危ないぞ。右にハンドルを切れ』と。しかし日本は拒む。『もしハンドルを右に切ったら、右の端(インフレ)から落ちてしまうだろう。』と言って。他の国は『馬鹿じゃないの? 左から落ちかかっているときに、なんだって右から落ちる心配をしているんだ』と呆れる。しかし日本は聞く耳を持たない。かくて、ふらふらと落ちかかったすえ、左から落ちてしまう」
 ── というわけだ。
 ( ※ 路面が少し左下がりに傾斜していると考えるとよい。他の国はハンドルを少し右に向けているので、直進できる。日本は教科書に従って、ハンドルを中央に保つことにこだわっているので、左に落ちてしまう。「平坦な路面ではハンドルは中央に」という原則にこだわるあまり、現実の傾斜した路面に対応できなくなる。原理 ・原則にこだわったあげく、現実に対処できなくなるわけだ。実にぴったりな比喩。)


● ニュースと感想  (9月10日b)

 大恐慌がいよいよ現実のものとなりそうだ。
 2001-09-10 の「週刊現代」では、「この銀行・生保とは付き合うな」という特集記事が出ている。預金解除を勧奨しているわけだ。この種の記事は今後も次々と出るだろう。読者がこれらを信じて行動すれば、「取り付け騒ぎ」も同然だ。そして「取り付け騒ぎ」が「不況を大恐慌に転化させる」ことは、歴史の証明するとおりだ。 ( → 大恐慌
 来年4月、ペイオフが実行される。戦後最大の不況のさなかでペイオフを実行するというのは、最悪の経済運営と言ってよい。わざわざ「大恐慌への道」を、この不況のさなかに開く必要はない。最悪のタイミングであり、ほとんど狂気的である。
 政府は「1000万円まで保証します。だから安心してください」と言うかもしれない。しかし1000万円を超える分は、保証されないのだ。となると、まず、大口預金者(企業など)が預金を引き出す。ある程度以上の引き出しが急激に起こると、銀行には金が不足するので、支払いの一時延期が起こる。すると人々は不安を感じる。しかもゼロ金利の下では、預けるメリットはない。となると、それらの銀行では預金者がいっせいに預金引き出しに走りかねない。
 もう一つのシナリオもある。政府が「預金を保証します」というのは、普通なら素直に信用される。しかし不況のときは、そうではない。「政府の言うことは信用できるか? 実際にそんなことが可能か?」と疑われる。そして、いったん疑われたら、もう駄目なのだ。なぜなら、政府の保証などは、もともと実現性がないからだ。たとえば、国民一人ずつに300万円を与えるとしたら、300兆円もの金額が必要だ。そんなとてつもない金が、どこにあるのか? もちろん、どこにもない。つまり、政府の保証などは、ただの「張り子の虎」にすぎない。不況でなければ、政府が信用されるので、「張り子の虎」を「本物の虎」と信じてもらえる。しかし大きな不況になれば、「張り子の虎」が「張り子の虎」だと見抜かれてしまう。となれば、人々は「張り子の虎」などは信じず、目先の現金を求める。つまり、いっせいに預金引き出しに走る。
 いずれのシナリオにせよ、何らかの不安をきっかけに、人々がいっせいに預金引き出しに走る可能性は高い。ぐずぐずしていれば預金をすべて失うのだ。しかもゼロ金利の下では、預けるメリットはないのだ。人々は競って、預金を引き出す。さらに、噂は噂を呼び、健全銀行でも預金者がいっせいに預金を引き出す。すべての銀行から金が消える。また、銀行は大幅な債務超過(預金不足)となるので、手形は不渡りとなり、いわゆる「信用恐慌」を起こす。政府はお札を次々と印刷するかもしれないが、瞬間的な大量発行はできないので、ぐずぐずしている間に、企業は次々と倒産していく。倒産は倒産を呼ぶ。健全銀行も不良債権が莫大に増えて、すべて不健全となる。かくて、あらゆる銀行が倒産する。ここで「預金を1000万円まで保証しろ」という声が出るが、もちろん実現できっこない。全員失業した(無給になった)民衆は不満を上げ、暴動などの社会混乱が発生し、無政府状態になる。日本経済は完全に死んでしまう。……というふうになりかねない。
 これは机上の空論ではない。現実に、同種のことは何度も発生した。百科事典で「金融恐慌」の項目を読んでみてほしい。歴史的な事例がわかる。
 ペイオフは、時期を考えた方がいい。日本は戦前、最悪のタイミングで、「金解禁」を導入して、金融恐慌をもたらした。そして今また、最悪のタイミングで、「ペイオフ」を実施して、金融恐慌をもたらそうとしている。宰相はどちらも「ライオン」と呼ばれたが、理由はある。ともに「自己の信念にこだわりすぎて、状況に応じる柔軟性がない」という点で共通しているのだ。
 ペイオフ実施は、最低でも2年間は延期するべきである。もし延期しなければ、政府のあらゆる不況対策を吹っ飛ばすほどの、大恐慌効果が現れる可能性が強い。ここまで来たら、「インフレ目標」さえも無力であり、日本経済は完全に破壊されかねない。 (今のうちなら、まだ「インフレ目標」で立ち直れるが。)


● ニュースと感想  (9月11日)

次の○○□□□□に当てはまる言葉を入れよ。

○○は、経済運営にあたって、□□□□という方針に絶大な自信をもった。八方ふさがり状態におちいった日本経済は、□□□□によって一時の痛みを味わうだろうが、産業の合理化と経済体質の強化をつうじて、やがて真の好景気を迎えることができるはずだ、と○○は主張した。それによって日本経済と企業経営を鍛えなおそうとするのが彼の考えであった。深刻な恐慌が続くなかで、○○はなおもこの方針を維持したが、しかし景気回復の芽は出なかった。経済の崩壊するなかで、市場は売り浴びせ、ついに内閣は倒れ、□□□□は2年間でその幕を閉じた。」

 解答   ○○=井上(準之助)  □□□□=金解禁
       ( → 平凡社「ネットで百科」で「金解禁」の項)

 教訓
     「♪ ぼくの名前は準坊。ぼくの名前は純坊。」
     「♪ この道は いつか来た道 〜〜 」


● ニュースと感想  (9月11日b)

 株価の急激な悪化を受けて、マスコミも騒いでいる。騒ぐついでに、デタラメばかりを報道している。「方法が手詰まりで、打つ手がない」などと。しかし、そうか?
 打つ手はある。過去の歴史を見るがいい。米国の大恐慌も、日本の昭和恐慌も、どちらもひどい恐慌だったが、同じ方法で景気回復を果たした。どうやって? それは、「戦争」である。これは、景気回復を意図したものではなかったが、たしかにそれによって、景気は完全に回復した。
 だから、この方法に学べばいいのだ。
 ただ、誤解されると困るのだが、別に、「戦争をしろ」と言っているわけではない。その本質だけを盗めばいいのだ。では、その本質とは? 
 戦争のとき、なぜ景気は回復したか? 赤字国債を大幅に増刷して、軍需産業につぎ込んだからだ。この方法で、少なくとも、バランスの崩れた経済はバランスを取り戻した。(念のために言うと、「赤字国債を大幅に増刷して、軍需産業につぎ込む」ということ自体が大切なわけではない。それをきっかけにして、バランスの崩れた経済にバランスを取り戻させる、ということが大切なのだ。)
 ここでは、「軍需産業」に金をつぎ込んだが、別に、軍需産業である必要はない。環境保護産業であれ、環境破壊産業であれ、I T 産業であれ、スケベ産業であれ、お笑い産業であれ、何でもいい。とにかく、莫大な金を支出すれば、景気は回復する。そのことは絶対に確実なのであり、歴史的に証明されているのだ。
 ただ、これは、ケインズ的な方法そのものである。景気は回復するが、多大な無駄が発生する。逆にいえば、多大な無駄は発生するが、それでもとにかく景気は回復する。
 景気を確実に回復させる方法はあるのだ。あとの問題は、「いかに無駄の少ない方法で支出するか」という選択だけだ。 ( → 中和政策

 ( ※ 日本の政権が今のように愚かなままだと、ファシズムがふたたび台頭する可能性はある。なぜならファシズムは確実に景気を回復させることができるからだ。上記の「軍備増強」の方法で。── かつて世界にファシズムが台頭したのは、当時の民衆が愚かだったからでない。景気回復の方法を、当時の政権が理解しなかったからだ。


● ニュースと感想  (9月11日c)

 2001-09-11 の朝刊報道によると、政府は景気対策として、「規制緩和」の方針を立てたという。「規制緩和で産業を活性化させる」というシナリオだ。
 まったく、呆れはてた話だ。そんなことをしても、効果はゼロ同然である。なぜか? これは「供給の拡大」策だからだ。需要が縮小しているときに、いくら供給を拡大しても、まったく無意味だ。そのことは経済学的に証明されている。
 政府がこれまでやって来たことは、まったくの見当違いのことばかりだ。
   ・ 貸出先がないときに、「量的緩和をする」
   ・ 需要がないときに、「供給の拡大をする」
 いずれも同様だ。供給は余って困っているのに、さらに供給を増やそうとする。需要は足りなくて困っているのに、ちっとも需要を増やそうとしない。まったく見当違いだ。

 見当違いと言えば、「規制緩和」は、実は、不況効果を増すだけだ。次のように。
 「規制緩和で、新たな業者が次々と参入する。そうして供給能力が増大する。しかし、需要は少しも増えていない。パイを分けあうだけだ。かくて、新たな業者が参入した分、以前の業者で首切りが続発する。しかも、新規雇用された労働者よりは、失業した労働者の方が多い。(なぜなら労働が効率化されているので)。かくて、規制緩和により、次々と失業者が増えて、不況は増す。」
 つまり、政府は今回、「不況を増す」という方針を立てたわけだ。
( ※ 念のために言うと ──  「規制緩和をしてはいけない」と言っているわけではない。やるべきだろう。ただし、それは、景気回復効果をもつことはなく、景気を悪化させる効果をもつのだ。そのことを理解しておくべきだ。このことは「構造改革」全般に当てはまる。「産業の効率化」は、行なうべきだが、それは、景気を良くするのではなくて、悪くするのだ。景気回復は、別の方法で行なうべきなのだ。「供給の拡大」ではなく、「需要の拡大」をもたらす方法で。)


● ニュースと感想  (9月12日)

 2001-09-11 の夕刊の報道によると、特殊法人は、来年度予算の要求額が全体で 6000億円弱の削減になるのだそうだ。小泉は 1兆円をめどにするように指示しているという。
 細分を見て、呆れた。減らすものには、当然のものもあるが、住宅金融公庫・私学補助金・奨学金などもある。しかし、これらは直接国民に渡る金であり、これを削減するというのは増税と同じだ。不況のさなかに増税して、どうする気だ。また、学術研究費や奨学金を削減すれば、日本の科学技術水準は低下するし、貧乏家庭の子供は進学できなくなる。これらは、むしろ、増やすべき金ではないか。
 小泉は方針を間違えている。特殊法人改革では、必要な金を削減するべきではなく、無駄な金を削減するべきなのだ。国民に渡す金を削減するべきではなく、勝手に無駄に使っている金を減らすべきなのだ。
 たとえば、企業が自社を効率化させたいときは、どうするか? 予算を一律削減するか? いや、組織改革によって、コストを最大限に削減するのだ。
 とすれば、特殊法人も同様であるべきだ。すなわち、まず、組織の長の首をすげ替える。そして組織を立て直し、意識改革を行なう。無能な管理職は配転・格下げする。さらに、ぞうきんを絞るようにして、徹底的に無駄を削除する。── この例としては、国鉄や電電公社などがある。特殊法人もまた、そのようにするべきなのだ。
 なのに、小泉は、特殊法人の自己申告に任せている。あまりにも甘い。甘いどころか、何もしていないのも同然だ。莫大な退職金制度さえも改定していないのだ。だから無能な官僚がどんどん天下る。こんなことでは、改革の名に値しない。小泉は方針を根本から転換するべきだ。 (それにしても、小泉の「改革」というのは、こんなふうに「あなた任せ」の、ぬるま湯のものだったのだろうか? まったく期待はずれだ。幻滅して、あいた口がふさがらない、という感じだ。もうちょっと骨のある男かと思っていたんだけどね。)


● ニュースと感想  (9月12日b)

 2001-09-12 の朝刊の報道によると、経済財政諮問会議は、「改革先行プログラム」の骨格を了承したという。( → 首相官邸のページ
 報道された細目をいくつか見たが、感想は 9月09日b に述べたことと同様だ。つまり、ちまちまとしたものばかりである。厳密に経済効果を計算してみたらいい。こんな対策など、雀の涙にすぎない。30兆円も縮小した需要を元に戻すには、焼け石に水である。何もしていないのに等しい。だから、結果は早くも断言できる。「この対策による景気回復の効果はゼロである。景気は少しも改善されない」

 ところで、11日の夜(日本時間)、米国で同時多発テロが発生した。二つのビルの倒壊はこれだけで数十億ドルの損害だという。世界貿易センタービル周辺は金融の中心地だったため、世界的に金融機能がマヒしかねないという。
 ブッシュは、「犯人逮捕に全力を挙げる」などとトチ狂ったことを言っているし(犯人は現場で死体となっているのにね)、各国首脳も「許されぬ蛮行」などと非難するだけだし、小泉も「何かできることがあれば協力します」などとリップサービスするだけだ。しかし、口先だけなら、井戸端会議のおばちゃんに任せるといい。政治家たるものは、おしゃべりする暇があったら、「自分がいま何をできるか」を考えるべきだ。
 小泉のなすべきことは、何か? この事件の影響で日本が恐慌に突入するのを、防ぐことだ。実際、そのくらい大きな影響が懸念されるからだ。先に「改革先行プログラム」があったが、これによる景気浮揚効果は、たいしたことはないし、当面に限れば完全にゼロだ。一方、今回の事件は、米国に百億ドル以上の実害をもたらし、常数を考慮した景気悪化効果は数百億ドルに及ぶだろう。その影響は日本にも届く。それも、ただちに。かくて、いつ実現するともわからぬ「改革先行プログラム」の経済効果は、ケシ粒のごとく吹っ飛んでしまう。小泉は、リップサービスなんかするより、自分のなすべきことをなした方がいい。それも、ただちに。

 12日の読売朝刊によると、6月の調査で、個人金融資産は、(富裕層を別とすると、)十年ぶりにマイナスになったという。貯蓄を取り崩しているわけだ。
 あまり注目されないようだが、これは途方もない事件である。今までの「需要減少」は、だいたい、「消費性向の低下」によるものだった。つまり、所得はあったのに、消費を減らして、貯蓄に回していたわけだ。この場合、気分を変化させれば、消費を増やすことができるので、デフレから脱出することは困難ではない。しかし、貯蓄まで減ってきたとなると、もはや「消費性向の低下」では済まされない。気分を明るくして、「消費しましょう」と言っても、手元の金が減ってきているのだ。消費したくても、金がない。となると、デフレからの脱出は非常に困難となる。
 日本はいよいよ本格的なデフレスパイラルに突入しかけているようだ。恐慌は目前である。あらゆるデータは、日本が恐慌に入りかけていることを示している。
 なのに、マスコミは「どうすればデフレから脱出できるかな〜」「構造改革でいいかな〜」なんて報道を、いまだにやっている。事実はそんなに甘くはないのだ。デフレから脱出するどころではなく、今や恐慌に突入しかけているのだ。危機意識が足りない。ブッシュと同じくらい甘い。こんなことだと、日本経済は、世界貿易センタービルのごとく、ある日突然、崩壊しかねない。そのときになってあわてないでほしい。日本経済の崩壊は、ちゃんと予告されているのだ。

( ※ 小泉とブッシュは、よく似ている。超楽観主義者で、危険を全然予期できない。あげく、危険が現実化しても、崩壊を目にしながら、「おれのせいじゃないよ〜」と言い逃れする。)
( ※ ブッシュはテロリストを「臆病者」と非難する。そういう当人は、卑怯者だ。自分の責任を感じない。あのね、今回の事件で、みんなテロリストを非難してばかりいるけど、最高権力者の責任はどうなるんですか。自分で勝手に喧嘩して、その尻ぬぐいを、国民にさせているだけでしょ。国民がいい迷惑だ。日米ともども、最高権力者は、自分のもたらした結果に、ちっとも責任を感じないでいる。かわいそうな国民たち。私が同じ立場に立ったなら、まず、このような結果[テロ・不況]をもたらしたことに、お詫びしますけどね。この二人みたいに無責任で恥知らずなことは、私にはとてもできない。)


● ニュースと感想  (9月13日)

 米国のテロにみんなびっくりしているようだ。しかし、実は、その何倍もの被害がもたらされた国がある。それは、驚くなかれ、わが日本だ。
 米国のテロの被害総額は、推定 50億ドル。つまり 6000億円。日本の所得縮小効果は、おおざっぱに 30兆円。内閣の寿命を2年と仮定して、およそ 60兆円。これだけの損失がもたらされた。6000億円の 100倍である。
 つまり、今の内閣は、今回のテロの 100倍の損害を日本に与えているわけだ。世界貿易センタービルで換算して、200棟も倒壊させただけの被害だ。愕然。
 だから、米国のテロぐらいで驚くことはない。日本にはその 100倍も破壊した超テロリストが存在するのだ。「絶対におのれの方針をつらぬきとおす」という強固な意志を持つ、獅子のごときテロリストが。しかも彼は、国民を苦しめれば苦しめるほど、国民の絶大な支持を浴びるのだ。 (あ、こんなこと言うと、私もテロリストに殺されちゃう。いや、その前に、失業して餓死するかも。……)


● ニュースと感想  (9月13b日)

 米国のテロと株価の急速な悪化を受けて、マスコミも騒いでいるようだ。
 読売朝刊 2001-09-13 では、エコノミストたちが意見を述べている。「構造改革を断固として進めよ」と。しかし、とんちんかんである。「構造改革」というのは、成果が出るまで何年もかかるものだ。当面は何の役にも立たない。つまり、「当面の景気悪化」には、何も言及していないに等しい。無内容である。こういう同じ意見をいくつも掲載しても、紙面の無駄だと思うんですけどね。
 朝日朝刊 2001-09-13 では、正しい意見が掲載された。「当面は金融不安の解消が第一だが、残る問題は個人消費だ」という指摘である。完全に正しい指摘だ。非常にすばらしい記事だ。全面的に称賛したい。 (なぜなら、原因さえ正しくつかめば、対策も正しくできるからだ。つまり、「大事なのは、構造改革という供給改革ではなくて、個人消費喚起という需要改革なのだ」と。)
 ただ、上記の正しい意見を示したのは、記者ではない。アメリカ人がインタビューで述べただけだ。それも、アメリカ経済についての話だ。日本経済についての話ではない。
 ああ! アメリカ人はアメリカ経済について正しい判断をするが、日本人は日本経済についてとんちんかんな判断をするばかりだ。日本人は、アメリカ人に比べ、根本的に頭が劣っているのだろうか? 言葉を「アメリカ」から「日本」に置き換えるという、それだけのことでいいのだが。
 私としては、マスコミが自己改革することを提案したい。上記のアメリカ人へのインタビューをした在米記者は実に優秀だから、この人を抜擢して、朝日の経済部のデスク(部長)にするといいだろう。そうすれば、瀕死の日本経済は救われるかもしれない。 (読売の経済部は、危機認識はいいのだが、「流動性の罠」を理解していないので、肝心の対策が見当はずれ。→ 「ミニインフレ政策」 )

( ※ 同日の読売は、私の意見[09-11]を丸写ししたかどうかは知らないが、金解禁のころとの類似性を示して、恐慌への警鐘を鳴らしている。これは偉い。立派だ。他のマスコミは、危機感が不足しているようだから、読売の社説と特集を熟読するといいだろう。だいたい、アメリカのビルを心配するより、自分の足元を心配するべきなのだ。「あそこで崩壊している。大変だあ」なんて騒いでいる間に、自分の足元が崩壊してしまうのだ。)


● ニュースと感想  (9月14日)

 「原因を正しく認識しないと、対策も正しく実行できない。」── このことは、何についても当てはまる。
 今回のテロも同様だ。「首謀者を処刑して報復する」と米大統領はわめきたる。では、それでテロは防止できるのか? まさか。ビンラディンを殺しても、第二・第三のビンラディンが出るだけだ。根絶するべきは、テロリストではなく、憎しみなのだ。
 原因を正しく理解するべきだ。テロの原因は何か? 相手が狂気だからか? いや、相手が正気だったからだ。まず憎しみがあった。「テロには報復を」── それを、米大統領が唱える前に、相手が唱えた。「テロには報復を! 実行犯よりも、背後で操っているやつに報復を!」 
 米国も日本も、マスコミは認識が甘すぎる。今回の事件は、規模の大きさに驚くべきではなく、規模の小ささに驚くべきなのだ。なぜなら、「最悪」が残されているからだ。つまり、数万人を殺すテロだ。
 米国が「テロには報復を!」と言っている。それで対策したつもりなのかもしれない。すると、相手の口から「テロには報復を!」という言葉が発されるだろう。そして同じ行為がふたたび実行されるかもしれない。今度は、巨大な旅客機のかわりに、もっと簡単な方法で。しかも、数万人の規模で。 ( → 2001-09-14 読売朝刊の、英「ガーディアン」紙・転載記事。 cf. 1986年のチェルノブイリ。)
 ── 相手を見くびる者は、危険を予知できない。原因を正しく理解しない者は、対策を正しく実行できない。米国政治でも、日本経済でも。


● ニュースと感想  (9月14日b)

 「量的緩和」を主張する経済音痴があとを絶たないようだ。そこで、わかりやすく、たとえ話を示そう。(「湿った薪」のたとえ話の改訂版)
 通常、暖炉に火をくべるときは、薪を投じる。そうして薪によって、火を調節する。火が強くなったときは、薪を少なくする。火が弱くなったときは、薪を多くする。かくて、「薪の投入量で、火を調節できる」と思い込む。(金融政策で景気を調節できる、と)
 ところが、あるとき、屋根がこわれて雨が漏ったせいか、わけはよくわからないが、とにかく、火がだんだん弱まっていく。あわてて薪を投じたが、投じる薪が少なすぎたらしい。火がどんどん弱まっていく。「いっぺんにどかんと薪を投じよう」と思ったが、薪の持主(日銀)がそれを許さない。「徐々にでなくちゃ駄目だ」と主張する。(金融政策の継続性)。かくて、火はどんどん弱まっていき、とうとう消えてしまった。(デフレ状態。)
 ここに至って、薪の持主は態度を改めて、「薪をいっぱいやるよ」と言い出した。(量的緩和) しかし、火が消えたあとでは、出遅れである。薪を投じても、効果はない。
 そこで、素人たちが合唱しだした。「薪を与えれば、火は大きくなる。そのことは経験的に証明されている。ちっとも火が強くならないのは、薪が足りないからだ。薪をどんどん投じよ。それでも火がつかなければ、薪がまだ足りないからだ。さらに無制限に薪を投じよ」(量的緩和の拡大。)
 過激な人は、こうも言い出した。「薪で火がつかないのなら、もっと別のものも投じればいい。石油でもガソリンでも火薬でも、無制限に投じよ。とにかく、危険であろうと、どんどん無制限に投じよ」(ドルや株式や不動産や不良債権の政府買い入れ)
 しかし、さすがに、これには薪の持主が抵抗した。「そんなことをしたら、あとで、大火事になってしまう。絶対に駄目だ」
 「じゃ、どうしろというんだ」という批判に、家主のライオンがこう提唱した。「とにかく、今は我慢しよう。今は寒くとも、そのうち夏が来る。夏が来れば、何も問題はなくなる。あらゆる構造が改革されるからだ。米百俵」
 「そんなことを言ったって、今が問題だ。今すぐ、次々と人が凍死していくぞ」
 そこで人々は紛糾した。彼らは次の選択肢のうちから、どちらを取るべきか、わからなくなったのだ。
  ・ 薪とガソリンを無制限に投じる
  ・ 夏が来るまで待つ(今は凍死も覚悟する)
 カンカンガクガクのすえ、結論はどうにも出なかった。

 そこへ異国から、ヒゲもじゃの変人が登場した。彼はこう主張した。
「どちらのやり方を取っても、駄目なんです。いいですか。いったん火が消えてしまったら、いくら薪をくべても駄目なんです。(流動性の罠)。だからね、大事なのは、薪をくべることじゃない。別のことです。それはね、よそから火を借りてきて、薪に火をつけることなんです。そうすれば、薪は火がついて、どんどん燃え出します。そのあと、薪の量を調節すれば、また元のように火を調節できます。最後に、借りた火を返せば、同じことでしょ」
 すばらしい提案に思えたが、これは、受け入れられなかった。反対論者が多かったからだ。
「火をつけるなんて、危険すぎる。いったん火をつけたら、火を制御できなくなって、大火事になってしまう。絶対駄目だ」
 そこで論争になった。
「なぜ制御できないの? よその家じゃ、みんなちゃんと制御していますよ」
「よその家で制御しているのは、強めだった火を弱めているだけだ。事情が違う。わが家では、いったん消えてしまった。いったん消えたあとで火をつけるなんて、前例がない」
「前例がないのは、火を消した馬鹿はいないということでしょ」
「とにかく、わが家は、前例主義なんだ。前例のないことは、やらないのだ。物を借りてはならぬという家訓もある。」
 かくて、この家では、よそから火を取り込むことを、断固として拒んでいる。「火は怖い、火事は怖い」という 「火恐怖症」(ファイア・フォビア)である。それまでは弱い火を使っていた(2% 程度の物価上昇は常識だった)のに、今や、そのことを忘れて、火を使わないこと(0% の物価上昇)にこだわるようになってしまった。昔は火を使って暖まっていたのに、今では火なしで暖まりたいと主張する。
 かくて、この家では、すでに 5% の人が凍死(失業)してしまった。ライオンは「夏まで待とう ホトトギス」と句会ごっこをやるばかり。だが、今まさしく戸外から、大寒波(世界不況)が襲いかかろうとしている。

 大昔の原始人は、火を恐れることをやめて、火を使いこなすことで、人間らしい生活ができるようになった。現代の日本人が、原始人なみの知恵を得るには、あと何百万年かかるだろうか?

    《 次項に続く 》


● ニュースと感想  (9月15日)

 前日の「量的緩和」に関連して、「超インフレ」(ハイパー・インフレ)について解説しておこう。
 「超インフレ」が起こることは、あるか? ある。お札が必要量の何倍もばらまかれている場合だ。たとえば、量的緩和によって、市中にお札が大量に蓄積していれば、超インフレになることがある。経済学的には、おおざっぱに言って、マネーの量が2倍になっていれば、物価も2倍になる。
 逆に言えば、市中に出回っているマネーの量が増えなければ、インフレにはならない。当たり前だ。たとえば、100倍のインフレが生じるためには、人々が100倍のマネーをもっていなくてはならない。さもなくば、誰も買わない(買えない)ので、そんな無意味な値付けは無視される。たとえば、ダイコン1本に1億円の値札をつけても、1億円の札ビラを財布に入れている人はいないので、そんな値札は無視される。かわりに、隣の八百屋にある100円という値付けが市場価格となる。
 そういうことだ。超インフレは、市中に出回るマネーの量を増やさない限り、発生しようがないのだ。発生したくても、発生できないのだ。それを理解できないまま、「こわい、こわい」と怯えるのは、「天が落ちてくるのが心配だ」という杞憂と同じである。

( ※ 薪のたとえで言うと、こうだ。薪を大量に積み上げたあとで、火をつければ、大火事になる。しかし、薪がもともと少なければ、大火事にはならない。大火事にしたくても、薪がなければ、大火事にしようがない。ちょぼちょぼと1本だけ燃えているのを見ているだけだ。── それでも、誇大妄想の狂人だけは、大火事の妄想をするでしょうけどね。)


● ニュースと感想  (9月15日b)

 不良債権処理に関する二つのニュースが報道された。第一に、マイカルが倒産して、株価はこれを好感して、上昇した。第二に、政府は「改革先行プログラム」の骨格案で、「不良債権処理問題を3年以内に正常化」との方針を示した。整理回収機構(RCC)が担保不動産処理だけでなく、企業を買収して整理・再編するとの構想もあるという。
 これらについてコメントしよう。

 第一に、マイカルが倒産したことには、メリットもデメリットもある。赤字と損失が顕在化した、という不良債権処理自体は、メリットでもデメリットでもなく、単なる顕在化である。「無駄な企業がいつまでも存続して赤字を垂れ流すのをやめさせた」というのは、実質的なメリットである。失業者が発生して失業手当の支払いを迫られる、というのは実質的なデメリットである。( → 第2章) さて、上記のメリットとデメリットを勘案すれば、どうか? 景気回復後に不良債権処理すれば、デメリットの方はゼロで済む。しかし政府は無策で景気回復の見込みは立たない。だから、今すぐ急いで不良債権処理をして銀行はメリットを享受し、デメリットの方は政府に押しつける、という銀行の方針は、当然だ。しかし、銀行はそれでいいが、政府はデメリットを押しつけられるわけだから、国全体としてみれば、相殺しあって、だいたいトントンぐらいだろう。つまり、景気回復効果は、ほとんどない。結局、景気回復のためには、こんなことで浮かれるよりも、「需要の拡大」という本道を進むべきなのだ。
 第二に、RCCによる企業の整理・再編というのは、何かの冗談だろうか? 小泉の方針は、「構造改革」であり、「特殊法人の整理」であったはずだ。なのに、RCCを強化しようというのは、「特殊法人の大幅拡充」そのものではないか。「構造改革で特殊法人整理を進めて景気回復」という政府の方針そのものを否定する自己矛盾だ。ま、自己矛盾を起こしても、それが正しい政策であれば、別に構わない。しかし、政府が民間経済活動に乗り出すなんて、そもそも狂気の沙汰ではないのか? 国有化みたいな社会主義的な方法となる。実際、第三セクターを乱発して莫大な赤字を発生し、その赤字を地方自治体が一般財源で尻ぬぐいする、というハメになった例が次々と出ている。その二の舞である。RCCの赤字も、結局は国税で尻ぬぐいしなくてはならない。では、どうするべきか? 民間企業活動は、民間に任せるべきだ。しかるに、今のところ、民間だけでは再編などが進まない。それは、どこの企業も、自己防衛に精一杯であって、他社の買収などには手がつけられないからだ。だから、景気を回復させればよいのだ。景気を回復させれば、RCCがやらなくても、民間だけで自然に買収などが進む。結局、ここでも、「需要を拡大して景気回復」が本道となる。

 さて、以下では、もっと根本的に説明してみよう。
 「不良債権処理で景気回復」という方法が唱えられる。しかし、これは駄目な方法なのだ。第2章や第3章でも示したが、わからないよう人も多いようなので、以下で、わかりやすく説明してみよう。賛成論者の主張に沿って。
 「不良債権があると、銀行の資産状態が良くないので、貸出枠に規制がかかる。それで銀行は民間企業に資金を流さない。だから、民間企業は資金不足になって、投資ができなくなる。それで景気が回復しない。── これはつまり、水道管が詰まっているのと同じだ。不良債権を取り除けば、詰まっているものが取り除かれるので、水はスムーズに流れる。」
 これが賛成論者の主張である。
 では、その主張が正しいと仮定してみよう。今、不良債権がなくなったとする。銀行はいくらでも貸し出せるようになった。めでたしめでたし。あちこちで「ばんざい」と祝杯が挙がった。そして銀行はどんどん貸し出していった。── で、どうなったか? 現況はデフレ状態である。需要が縮小している。なのに銀行がどんどん貸し出していくので、生産が増え、供給が過剰になる。商品価格は暴落する。企業は大幅な赤字となり、大量の首切りを迫られる。不況はさらに深刻化する。
 ……これは、架空のシナリオではない。現実のIT産業を見るがいい。銀行に融資してもらって、設備投資を大幅に増やした。しかし、不況で需要が縮小しているので、結果は、大幅赤字と大量首切りになった。 (融資を受けなければよかったね。)
 さて、これがIT産業から全産業に拡大したら、どうなるか。IT産業以外の各社も、供給過剰で、大幅赤字と大量首切りをもたらす。不況はスパイラル状に拡大する。企業は次々と倒産する。貸し出した金は、ことごとく不良債権と化する。── かくて、せっかく不良債権が解消したのに、元のもくあみで、ふたたび膨大な不良債権の山が築かれる。それも、何倍にもなって。
 つまり、賛成論者の言うとおりなら、不良債権を削減すれば削減するほど、どんどん不良債権が増えてしまうのだ。銀行がジャブジャブと金を貸し出せば、貸し出した金は恐慌のもとで、すべて不良債権となってしまうのだ。あげく、銀行はみんな倒産するので、政府の預金保証も実行できなくなり、政府保証は不渡りとなる。となると、企業が破産しただけでなく、国家も破産したことになる。最悪の事態である。
 ただし、現実には、そうはならないだろう。銀行は政府ほど愚かではないからだ。銀行は政府の期待どおりにはしないからだ。たとえ管づまりを解消しても、管の先で、蛇口を小さく絞る。ジャージャーと水を流したりはせず、チョロチョロとわずかな水を流すだけだ。「融資を増やして、需要が縮小しているときに供給を拡大させる」という、馬鹿げたことはしないわけだ。銀行は賢明にふるまう。
 しかし、それは、賛成論者の見解とは正反対なのだ。たとえ管づまりを直しても、どうせ蛇口を絞るのであれば、何の意味もないのだ。効果はゼロなのだ。
 結局、「需要の縮小した状態での不良債権処理」というのは、まったく無意味な政策であるわけだ。最良の場合で、効果はゼロである。最悪の場合で、効果は国家破産という超マイナスである。現実には、その中間だろう。
 結論。会社整理はともかく、土地売却などの「不良債権処理」は、今はまだやらない方がいいのだ。それよりも先に、「需要の拡大」を図ることが緊急の課題なのだ。そして、いったん景気が回復したなら、できる限り早急に処理する。── そう理解するべきだ。つまり、ここでも、「需要の拡大が何より優先」という結論になる。
( ※ マイカルなどの会社整理は、「やってはいけない」とは言わない。ただし、それは、民間のことだ。それはそれとして、政府は別途、自分の義務として、「景気回復策」を実行しなくてはならないのだ。「民間が不良債権処理をしてくれば、政府は何もしなくても景気が回復」なんていう妄想には頼るべきではない。)


● ニュースと感想  (9月16日)

 「水道管の詰まり」という比喩で言うと、おもしろい本がある。「ザ・ゴール」(ダイアモンド社)という本。夏ごろ、ベストセラーになった、黄色い表紙の本である。経営学ふう小説であり、生産性の向上をテーマにしている。
 この本の示すところでは、生産性の低下を決定づけるものは、最悪の1箇所、つまり、ボトルネックである。他の箇所をいくら向上させても、ボトルネックが低能率なら、全体が低能率になる。── 水道管でも同様だ。水道管の途中で詰まっているのをいくら改善しても無意味である。蛇口が小さく絞られていれば、それがボトルネックとなって、全体の流量を決定する。将来、蛇口が全開になったら、そのとき、途中で詰まっている箇所が新たなボトルネックとなって、そこへの対処が必要となる。
 こういうわけだ。どこでもいじれば直る、というもんじゃないのだ。直すべき箇所を直してこそ、ちゃんと直るのだ。そして、その箇所は、今は水道管の途中ではなくて、蛇口なのだ。

 さて。朝日新聞・社説 2001-09-15 は、「不良債権処理をしたおかげで株価が上がった」とはしゃいでいる。「だから不良債権処理をどんどん進めよう。そうれば景気は回復する」という主張だ。
 しかし、本当にそうか? あちこちで企業をじゃんじゃん倒産させれば、それで景気が回復するのか? マイカルの6万人では足りずに、何十万人も失業させれば、それで景気は回復するのか? 
 「水道管」のたとえで言えば、「水道管の詰まり」が直ったわけだから、銀行は融資を増やすはずだ、となる。しかし、そんなことはあるまい、と私は思いますけどね。かえって、融資を減らすと思う。つまり、蛇口をいっそう絞ると思う。マイカル処理に 1500億円以上かかるらしいし、危険度の低い企業が倒産したのでさらに準備金が必要となる。いずれにしても、銀行は融資を引き締めるはずだ。そもそも、マイカルが倒産したのは、「つなぎ融資」を拒まれたことが理由である。今後も、蛇口が絞られたせいで、多くの企業が「つなぎ融資」を拒まれて、どんどん倒産していくだろう。一種の連鎖倒産のようなものである。何十万という失業者が発生して、さらに需要は縮小する。蛇口はさらに絞られる。となると、景気はいっそう悪化していくだろう。もちろん、それを株式市場が歓迎するとは思えない。
 とりあえずは株価の今後の推移を見ていこう。朝日はマイカル倒産効果で、株価回復が続くと予想しているようだ。市場関係者の間では、「株価回復は一時的ですぐまた下がる」との見方がもっぱらであるそうだ。さて、どちらの予想が当たるか? 早ければ週明けにも、結果は出るかもしれない。

( ※ ときどき思うのだが、朝日と小泉は、経済を「精神論」で語ろうとしているのではないか? 経済学的な数量的な思考とは無関係なことばかり主張しているからだ。「こうすればこうなる」という論理ではなくて、「かくあるべし」という精神論ばかりである。「米百俵」みたいな。 ……それにしても、朝日が「流動性の罠」という経済学用語を理解できるには、あと何年かかるのかな?)


● ニュースと感想  (9月16日b)

 マイカルの倒産は、実に興味深い。「構造改革」の将来を、まさしく予告しているからだ。
 巷には「不況は歓迎すべきだ。非能率な企業を退出させるから」と唱える人がいる。しかし、よく考えてみよう。マイカルは、なぜ倒産したか? 非能率な企業だったからか? いや、マイカルは小売業である。生産していたわけではないから、生産技術水準が低かったわけでもないし、性能の劣る製品を製造していたわけでもない。そもそも、企業としてみれば、ダイエーの方がずっと経営体質は悪かった。なのに、マイカルの方が倒産した。
 「倒産の理由は、財務体質が悪かったからだ」という指摘がある。なるほど、そうかもしれない。しかし、「財務体質が悪い」というのは、「(借金して)成長路線を取っている」というのと、ほぼ同じであるから、それ自体は特に悪いことではない。
 マイカルの倒産の理由は、直接的には、景気の悪化である。景気が悪化して、年々売り上げが減っていった。そのせいで、財務体質の悪さが、もろに応えてしまった。もし景気が悪化していなければ、財務体質が悪くても、マイカルが倒産することはなかったのだ。むしろ、「時流に乗って規模を拡大した」と称賛されていただろう。
 ヨーカドーにせよ、ダイエーにせよ、三越にせよ、高島屋にせよ、小売業はみんな、不況のもとで業績悪化に悩んでいる。「非能率だから全部倒産させてしまえ」という声が出そうなくらいだ。ただ、これらの企業は、今も何とか倒産せずに持ちこたえている。では、なぜ、これらの企業は倒産しなくて、マイカルだけは倒産したのか?
 その理由は、明らかだ。「財務体質が悪かったから」というよりは、「財務体質が悪くなるような路線を取ったから」だ。つまり、他の企業は比較的安定的な路線を取ったのに、マイカルは成長路線を取ったからだ。店舗のスタイルを変えたり、新規出店したり、スポーツや映画などの新規分野に進出したりして。……しかし、これはつまり、「構造改革路線を取ったから」ということと同義である。
 実は、小泉が「構造改革路線」を言う十年も前から、マイカルは「構造改革路線」を実行した。融資を受けて、店舗を抜本的に改革し、新規分野に進出し、労働者を次々と雇った。第二次産業から第三次産業へという、産業構造の改革をなしつつあった。マイカルこそ、まさしく、構造改革の模範生であった。
 それが、倒産した。なぜか? 需要が増えなかったからだ。需要が増えない状況では、「供給の改革」で、いくら供給を増やしても、すべては裏目に出てしまうのだ。つまり、構造改革の模範生は、構造改革の結果をも、模範的に示したわけだ。自らの崩壊によって。
 小泉は構造改革を進める。しかし、進めれば進めるほど、マイカルのような例が続出するだろう。つまり、新規分野に進出したあと、需要の不足に悩み、あげく、借金の負担に耐えかねて、倒産する── というシナリオである。
 企業はマイカルを見て、教訓とするといいだろう。「構造改革路線に従ってはならない」と。もし構造改革路線に従えば、マイカルの二の舞になるだけだ。むしろ、なすべきことは、構造改革とは正反対のことだ。つまり、新規分野に進出するどころか、本業さえもなるべく縮減する。労働者を雇うどころか、労働者をなるべく解雇する。その結果、景気はますます悪化するが、やむをえない。やらなければ、生き残れない。やった企業だけが、生き残る。進むも地獄、残るも地獄である。
 重ねて言う。構造改革という「供給の改革」は、デフレのもとでは無効なのだ。デフレのときは、「需要の拡大」こそが必要であり、それ以外に方法はないのだ。

( ※ このままだと、悪くすると、株価は 8000円を割れそうだ。建設業もダイエーも、次々と倒産するだろう。その影響は測り知れない。ただし、小泉と朝日だけは、大喜びするだろう。「不良債権処理が進むぞ」と。「ついでに日本中の会社を半分ぐらい倒産さえちゃえ」と。)


● ニュースと感想  (9月17日)

 マイカル倒産を見て、「不良債権処理が進む」と浮かれた人が多かったようだ。
 ただ、こういう素朴な素人は脇にのけておいて、玄人らしく経済的な効果をちゃんと計算してみよう。
 マイカルの負債は1兆円以上。そのうち、大半は、債務免除される予定だという。たとえば、幹事銀行の負担は、1500億円以上。社債などは3500億円が紙屑となる。合計、5000億円。その他、金融債権やら、一般債権やら、労働債権やら、いろいろあわせて、数千億円もある。合計、 7000億円〜1兆円程度になるだろう。これらが免除されることになるらしい。
 さて、「免除」とは、何か? 免除しない場合は、マイカル自身が、長年をかけて赤字を償却する。免除した場合は、債権主が赤字を負担することになる。銀行とか、取引先とか、労働者とか。さらには、労働者の失業手当を払う政府とか。……結局、赤字は、国民全体に広く分散されることになる。たとえば、銀行が負担する赤字は、その分、貸出金利の引き上げとか、預金金利の引き下げとかで、銀行利用者に転嫁される。取引企業の負担する赤字は、賃下げという形で労働者に転嫁され、製品値上げという形で消費者に転嫁される。かくて、マイカルが倒産すれば、その赤字は、国民全体がマイカルにかわって負担するわけだ。マイカルは消えてしまっても、マイカルの生んだ赤字は残るからだ。
 倒産処理とは、帳簿の操作ではない。国民全体が、自分の財布から、少しずつ金を奪われるという実害である。だから、「マイカルが倒産したって、自分には関係ない。むしろ、プラスだ」と浮かれるのは、とんでもない浅はかなわけだ。今後少しずつ、財布の金をむしり取られていくからだ。
 倒産というものは、そういうふうに莫大な国民負担を必要とする。今回も、7000億円〜1兆円程度、増税したのと同じ効果がある。大増税である。しかも、この大増税による収入は、橋などの公共事業に使われるわけではなくて、赤字処理に使われるだけだ。つまり、ドブに捨てるのと同じだ。倒産処理は、公共事業とは比べものにならないほど、巨大な無駄が発生するのだ。(片や2〜3割。片や 10割。)
 小泉は「国債30兆円」などと言って、無駄な公共事業を減らしたつもりでいる。しかし、マイカルのような企業を次々と倒産させれば、その何倍もの巨大な無駄を発生させるのだ。
 にもかかわらず、政府は「不良債権処理による効果で景気回復」などと唱える。狂気の沙汰と言うしかない。不良債権処理を進めれば、何兆円、何十兆円という、莫大なコストがかかるのだ。しかも、この巨額のコストは、本来ならば不要な金なのだ。なぜなら、景気回復していれば、マイカルなどは自力再建できるので、国民がかわって負担しなくても、当事者だけで解決できるからだ。
 小泉の「構造改革」路線は、狙いとは反対のことを実現しつつある。公共事業や特殊法人の改革で、「無駄を排除」というのを狙っているが、実現するのは、「巨額の無駄の発生」なのだ。構造改革路線は、数兆円のプラスを生むが、同時に、(不良債権処理によって)数十兆円のマイナスを生むのだ。
 結語。今の日本は、まったく間違った方向に進みつつある。危機から脱しようとしながら、危機の中心へと向かいつつある。いわば、崩落したビルから離れようとして走りながら、崩落したビルに向かいつつあるように。


● ニュースと感想  (9月17日b)

 朝日新聞・朝刊 2001-09-17 に、「調整インフレ」の記事が出ている。どうやら「インフレ目標」について解説したつもりらしい。(私の声がいくらか届いたのだろうか?)
 総評。この記事はない方がよかった。デタラメばかり、ということはないが、全体的に、間違った方向で間違った内容を書いて間違った方向に誘導している。ヒトラーと似たようなものである。嘘とデタラメで国民を煽動して、国家を破滅に導く、というやつだ。ま、本人は、そういう悪意はないのだろうが、悪意がないという点では、ヒトラーも同様だ。ヒトラーには狂気があり、朝日には無知がある。
 まったく、どうしてこう無知なのだろう? 「ここが間違い」と 100回ぐらい説明したし、そのたびにメールで通知した。それでも理解できないらしい。仕方ない。また添削しよう。間違った答案を添削するのは、これで何回目になることやら。
 (1) 物価上昇の効果について、「金利が実質的に軽くなったと感じられる」「実感としては金利が下がる」と述べている。「感じる」? 「実感」? こんなふうに記者の個人的見解は述べないでほしいものだ。こういう世界初の新説を公開したいときは、どこかの学界論文ででも発表するといいだろう。勝手に新聞で自説を公開しないでほしい。だいたい、クルーグマン教授の話を、まず読むべきだ。「感じられる」とか「実感で」とかは、書いていない。物価上昇によって、まさしく実質金利が下がるのだ。漠然と感覚的に豊かになる気分がするのではなく、まさしく手元に金が溜まるのだ。記事は、情報を歪めて報道している。悪意があるせいだとは思わないが、「先入観によって物事を歪んだ目で見る」という見本となるだろう。他の記者も教訓とするといい。記者はまず心を白紙にして、対象を正確に伝えなくてはならないのだ。
 (2) 「ハイパーインフレの危険がある」という危険性の指摘。ま、こういう懸念をする人はいるから、この報道自体は悪くはない。しかし、それが経済学に反した妄想だ、という指摘が抜けている。きわめて危険な報道である。「ユダヤ人は危険だ」というデマを流したヒトラーとそっくりだ。「金がなければハイパーインフレにはなりようがない」というのは、「9月15日」の箇所で示したとおり。
 (3) インフレを実際にもたらす方法として、「量的緩和」「円安誘導」の二つを示している。呆れた。頭がどうかしているんじゃないの? この二つは駄目だ、とクルーグマン教授がはっきりと指摘したし、私も何度も口をすっぱくして指摘してきた。100回ぐらい言った感じだ。100回言っても、まだわからないのだろうか?
 「量的緩和」も「円安誘導」も、やるべきではないのだ。それらは現在の状況では、「インフレ目標」政策には反するのだ。なるほど、クルーグマン教授が最初に言ったとき(98年頃)は、まだゼロ金利ではなかったから、「量的緩和」によって物価上昇を引き起こすことができた。しかし今や、ゼロ金利であり、こういうときは、「量的緩和」は効果がない。「流動性の罠」を引き起こす。── そういうふうに、ちゃんとクルーグマン教授が言っているではないか。それを理解できないのか? 頭の悪さに呆れる。インフレを実際にもたらす方法は、「量的緩和」「円安誘導」の二つは駄目であり、「ヘリコプター・マネー」つまり「中和政策」を用いるべきなのだ。その肝心な話が抜けている。どうしようもない、ぼんくら記事。
 (4) さらに、最も本質的な点が抜けている。「インフレ目標とは何か」ということだ。余計な無駄話や妄想や誤解はだらだらと多量に書いてあるくせに、本質的な話が抜けている。「インフレ目標」についての批判は山のように書いてあるくせに、肝心の「インフレ目標とは何か」が一言も書いてない。いったい、何だ、この記事は? 大本営発表というやつだろうか? 事実情報なくして、煽動のみある。
 そこで、以下では、添削のついでに、簡単に説明しよう。(これで何度目かになる。頭の悪い朝日以外の人は読まなくてよい。)
 インフレ目標とは、インフレを実質的に引き起こすことを保証する政策ではない。インフレが起こったときに、インフレをつぶさないことを保証する政策だ。( → 「宣言」の意味 ) わかりやすく言えば、「デフレに戻さない」ことを意味する政策だ。なぜなら、今の日銀は、「デフレを続ける」と宣言しているからだ。つまり、「物価安定が第一だ。少しでも物価が上がったら、すぐに金融を引き締める(そしてインフレから脱する)」と。そうして「物価安定の継続」「不況の継続」を基本原理に据えている。だから、「それを捨てよ」「物価安定より景気安定を優先せよ」というのが、「インフレ目標」政策なのだ。
 人は言うかもしれない。「物価が1%ぐらい上がったって、まだ不況だろう。そんなときに、すぐに金利を上げるはずがない。当たり前じゃないか」と。そうだ。当たり前だ。その当たり前のことをやれ、というのが、「インフレ目標」政策なのだ。日銀はその当たり前のことを、断固として拒んでいるからだ。つまり、「物価が1%か2%上がったら、すぐさま金利を引き上げて、ただちに不況に引き戻す」「物価安定こそ最優先の課題であり、景気の回復は犠牲にしてよい」と。だから、そういう日銀の政策を捨てよ、というわけだ。つまり、「物価安定」と「景気安定」の優先順序を変えよ、というわけだ。── それが「インフレ目標」政策だ。そうすることで、先行きを明るくしようというわけだ。今の日銀の政策が続く限り、お先は真っ暗なのだから。
 まったく、ちゃんとクルーグマン説を読んで、正確に報道してもらいたいものだ。嘘八百の報道には、うんざりだ。
 (5) 「インフレは国民にとって損だ」と最後に記している。へえ、ほんとにそうですか? だったら、同じ理屈で、今のデフレは、国民にとってすごく得だということになりますね? 「デフレならば、借金している国は損だが、金を持っている国民は得だ」と。その結論は、こうだ。「だから国民に得になるように、どんどんデフレを進めよう。3%ぐらいのデフレでは不足だ。50%ぐらいのデフレにしてしまえ。あらゆる商品は原価割れの投げ売りにして、そうしてあらゆる企業を破滅させてしまえ」ということになる。つまり今回の記事は、「大恐慌による国家破滅こそ、理想的な状態だ」という信念のもとに書かれているわけだ。恐れ入りました。平伏します。ビンラディンよりもすごいテロだったんですね、朝日は。


● ニュースと感想  (9月17日c)

 16日の日曜日、都心部に出掛けてみたのだが、人出が異常に少なくなっている。2〜3カ月前に比べて、めっきり人出が減っている。買い物客も少ないし、電車の乗客も少ない。「ちょっと減った」という程度ではなくて、激減している。
 9月後半の各企業の売り上げは、激減しているのではないか? マスコミは、小売業を巡って、売上高の情報を調べてみるといいだろう。政府の公式の統計調査などは、2ヶ月ぐらい遅れるので、遅すぎる。リアルタイムで小売業を調査するといい。秋葉原とか、自動車販売店とか、デパートなど。当面は、週末の売上高。月末には、今月の売上高。私の感触では、マイナス 10% 〜 マイナス 20% のひどさと思える。
 そして、小売業が本当に軒並みそうなったら、ダイエーも破産するかもしれない。マイカルが6万人だから、ダイエーはその数倍だろう。大変な影響が出そうだ。


● ニュースと感想  (9月18日)

 朝日新聞・朝刊 2001-09-18 にまた、ひどい記事が出た。識者へのインタビューという形で、自社の意見ではない。しかし、識者というのが、時代遅れ。
 (1) 「量的緩和をせよ」という意見。── これで、「流動性の罠」を知らないことがバレる。クルーグマン説を読んでいないことは明らか。だから妙な意見を出す。「量的緩和のために、物価上昇が起こるまで買いオペをせよ」だって。物価上昇が起こるまで? しかし、量的緩和では物価上昇は起こらないのだ。ということは、「国債がなくなるまで」だ。つまり、どんどん国債を買ったすえ、国債が市場から買い尽くされる(消える)わけだ。消えたところで、打ち止めとなる。しかし、それでもまだ、物価は上昇しない。しかも、余剰の資金が市場にだぶつく。これが危険性を持つのは、「量的緩和」の危険そのもの。( → 「9月14日b」 )
( ※ 注記: ……だから、国債を買うなら、赤字国債でないと意味がないわけ。企業が金を借りないときは、政府が金を借りる。そして[減税などで]個人消費に回す。これが基本。)
 (2) 「インフレは制御不能だ」という意見。── ひどいですねえ。クルーグマン説どころか、ずっと以前のマネタリズムさえ知らないわけだ。こういう妄想をする人には、記者はちゃんと質問するべきだ。「あなたはマネタリズムを知っていますか?」と。さらに「マネタリズムは誰の説か知っていますか? マネタリズムはインフレを制御することに成功したのを知っていますか? マネタリズムはなぜインフレを制御できるか知っていますか? あなたの説はマネタリズムを否定する新説だというのを知っていますか?」と。どうせ「知らない」と答えるから、「じゃ、大学の経済学部に入り直して、一年生といっしょに勉強してください」と告げるべきだ。ただし、もしかして、反発が返るかもしれない。「でも過去においては、インフレの制御に失敗してきたぞ。それが歴史的事実だ」と。そのときは、「それはマネタリズムのなかった時代の話。あなたは大昔の経済学しか知らないだけ」と教えてあげましょう。

( ※ 初心者用のミニ解説:
「フリードマン」── マネタリズムの主唱者。ケインズ流の有効需要の調節に対して、貨幣供給量の調節を提唱。ケインズ流がデフレ解消に効果的なのに対し、マネタリズムはインフレ解消に効果的。この両者を逆に使うと、ひどい結果を招く。主著「選択の自由」ではインフレ抑制の例が示されている。)


● ニュースと感想  (9月18日b)

 貝原益軒「養生訓」という古典がある。なかなか示唆に富むことが書いてある。次のように。
 「病の治療にあたっては、自然治癒に任せるのがよい。病気には、治る時期というものがある。薬を処方して、治療を早めようとしても、副作用がある。あくまで自己回復力による自然治癒に任せるのがよい。」
 ── そういう要旨である。
 なかなか興味深い。そして小泉は、まさしくこの方法で、日本経済を立て直そうとしているのかもしれない。 「対症療法でなく、内側から治すべきだ」と。
 ただ、残念ながら、この方法は、日本経済の治療には当てはまらない。なぜなら、もう十年間も自然治癒に任せているからだ。それでも、治るどころか、悪化していくばかりだし、今や瀕死のありさまである。
 どうせ喩えるなら、こうだ。小泉の方針は、出血多量で今にも死にかけている人に対して、輸血を拒み、「自然治癒に任せよ」と主張しているようなものだ。かくて、なすべきこと("血"の注入)をなさず、ほったらかしたあげく、患者を死なせてしまう。あまりにも見当違いな方法なのである。場合に応じずに、自己の信念ばかりを主張している。 (新興宗教の信者にそっくり。)

 「解剖台の上でのミシンとコウモリ傘の偶然の出会い」という言葉がある。(ロートレアモン。)── 手術をしようとした。ところが看護婦が間抜けだった。「メス」と言ったら、コウモリ傘を渡した。「糸と針」と言ったら、ミシンを渡した。「コウモリ傘で穴をあけて、ミシンで縫えばいいでしょ」というわけだ。見当違いの極致。「日本経済の上での構造改革と不良債権処理による偶然の景気回復」という小泉の方針は、ちゃんとロートレアモンが予測したわけだ。上記の比喩によって。


● ニュースと感想  (9月19日)

 「9月18日」の最後に書いた「マネタリズム」に関して。もう少し追記しておく。
   ・ ケインズ流は有効需要を制御し、デフレ解消に効果的である。
   ・ マネタリズムは貨幣供給量を制御し、インフレ解消に効果的である。
 このように、状況によって得手と不得手がある。使い方を間違えるべきではない。
 ところが、日銀などは、デフレのときに、「量的緩和」をしようとしている。しかし、ゼロ金利のときは「流動性の罠」ゆえ、貨幣供給量を増やしても無意味なのだ。つまり、マネタリズムは無効なのだ。こういう状況ではマネタリズムを使おうとするべきではない。
 一方、インフレのときは、マネタリズムで物価を正しく制御できる。なのに、日銀などは「超インフレになるかも」と危惧している。つまり、マネタリズムを使うべき状況のときに、マネタリズムを使おうとしない。( or 使い方を知らない。)
 ── 結局、こうだ。マネタリズムを使ってはならないとき(ゼロ金利のとき)には、マネタリズムを使う。マネタリズムを使うべきとき(インフレのとき)には、マネタリズムを使おうとしない。日銀などは、経済学を、正反対に使おうとしている。
 はっきり言って、狂気の沙汰である。素人ならば、どちらも使わないだろう。なのに、日銀などは、正反対の使い方をして、最悪の結果を導こうとしている。前へ進むべきときには後ろに進み、後ろに進むべきときには前へ進む。……これは、狂気か? 無知か? 
( ※ もしかしたら、金融テロリズムかも。バブル時の前歴がある。「自分たちは正しい」と強引に主張したあげく、マネタリズムをあえて無視して、バブルを膨張させ、国家を破滅へ導いた。そして今度は、「流動性の罠」をあえて無視して、デフレを膨張させ、またも……)


● ニュースと感想  (9月19日b)

 日銀が新方針を出した。量的緩和と、公定歩合の引き下げ。
 量的緩和の方は、もちろん無意味。金融機関は大量の金が余っている。仕方なく、10兆円も国債を買っているそうだ。
 公定歩合の引き下げは、プラス効果はあるが、0.15% だけ。つまり、雀の涙。これも、ほとんど無意味。数値で示そう。これで国民総生産は、どのくらい成長するか? たぶん、0.1% ぐらいだろう。最大限うまく行けば、0.3%ぐらいになるかも。だけど、米国テロの影響による株価下落効果は7%以上。現在の物価下落率は3%以上。公定歩合のプラス効果は、巨大なマイナスのなかで、完全に埋没する。1日1歩、3日で3歩、3歩進んで、50歩下がる。
 今後、たぶん、日銀はさらに公定歩合を下げていくのだろう。0.1% の次は 0.05% で、その次は 0.025% で、……と。そのうち、パーセントのかわりに ppm や ナノ という単位が必要になりそうだ。


● ニュースと感想  (9月20日)

 朝日新聞朝刊・経済面 2001-09-20 に「インフレ目標」と題する記事。(インタビュー)
 また問題の多い内容。困ったものだ。簡単に説明しておこう。
 (1) 賛成(?)論者。
 これは実は、「ミニインフレ」論者にすぎない。「量的緩和」を主張しているだけ。「量的緩和をすれば物価上昇率は一時的に5%〜6%に上がる」と述べている。
 5%〜6%? 何が根拠でそう言うの? 無制限にマネーを出したら、50%程度の物価上昇率も当然。なのになぜ、そんな楽観的な数値を出すのか? 彼は「インフレ目標を設定すれば、物価上昇が起こる」と述べている。残念でした。「インフレ目標を設定すれば、すぐに物価上昇が起こる」ということはないんです。ひどいデフレのときに、インフレ目標を設定しても、物価上昇はすぐには起こりません。「流動性の罠」ゆえに、効果の上がらないまま、どんどん金が滞留します。そしてあるとき、「流動性の罠」を脱すると、突然、量的緩和が効果を発揮して、物価は異常暴騰します。……結局、この人は、「流動性の罠」を知らないのね。(すぐに物価上昇を起こすには、「流動性の罠」を脱するため、別途、需要喚起策[中和政策]が必要です。それをしないと量的緩和は無効であり危険だ、ということがわかっていないわけ。)
 (2) 反対(?)論者
 珍しく、「流動性の罠」を理解している。これは良い。そして「インフレ期待」の必要性を述べている。ただしその方法は、「インフレを起こることを、市場参加者や国民が合意することが大事だ」。
 残念でした。これも、はずれ。市場参加者や国民だけが合意しても駄目です。日銀が合意する必要があります。もし日銀が合意しなければ、どうなるか? 物価上昇が起こったとき、日銀はただちに金利を引き締めて、また不況に逆戻りさせます。だから、日銀が合意しない限り、市場参加者や国民は合意できません。逆に、日銀が合意すれば、市場参加者や国民もまた合意できます。決定権は、日銀だけが持っているのです。なぜか? 金利の決定権は、日銀だけが持っているからです。……結局、この人は、ピンぼけなのね。素人じゃないけど、知識が不足しているわけ。
(それでも、この人は「インフレ期待が必要だ」という核心はちゃんと理解している。だけど、記事の見出しが「インフレ目標反対」を意味するようにしているのは、どういうわけ? 「ほぼ白」の意見に「黒」という見出しを付けるなんて。理解不能。)


● ニュースと感想  (9月20日b)

 「インフレ目標」簡単解説 のページを新たに作成した。


● ニュースと感想  (9月21日)

 米国株がどんどん下がってきた。戦争の匂いもしてきた。この先、どうなるだろう? それを考えてみよう。
 できれば、明るい見通しを持ちたい。景気循環を信じれば、テロという一時的な行為で一時的に落ちたあとは、元の水準に回復しそうだ。また、戦時国債を発行すれば、インフレになる。となると、先は明るいか? ……と思いたくなる。
 しかし、どうやら、そうは行きそうにない。米国は「やられたら、やり返す」と考える。しかし相手も、「やられたら、やり返す」だろう。その結果は? イラクと違って、今度はテロリストだ。米国内での再攻撃が考えられる。ふたたび飛行機で突入するには時間が足りないので、在来型のテロが考えられる。米国の交通機関やビルなどだ。……だから、このへんは、戦争が始まったら、注意した方がよさそうだ。とばっちりを食って、命を失っては、割が合わない。
 さて、日本への影響は? もちろん、新たなテロによる景気後退の影響を受ける。それだけではない。湾岸戦争のときは、米国は日本にツケを払わせた。130億ドル以上だ。(使用期限切れ間近で、どうせ捨てなくてはならない武器弾薬を、戦争で一掃する。かわりに、新品を日本に買ってもらう。だから、米国にとっては、戦争は定期的に必要である。) そして、武器更新の費用を払わされる日本は、その分、赤字となる。増税したのと同じことになり、デフレ効果が増す。
 となると、結局、先の見通しも明るくないようだ。
( ※ まともな最高責任者なら、戦争や構造改革なんかより、景気回復に取り組みそうなものだが。……と言っても、愚痴になる。)




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