[付録] ニュースと感想 (3)

[ 2001.10.12 〜 11.03 ]   

  《 ※ これ以前の分は、

       8月20日 〜 9月21日
       9月22日 〜 10月11日
        10月12日 〜 11月03日

   のページで 》




● ニュースと感想  (10月12日)

 ノーベル経済学賞が決定。 アカロフ や スティグリッツ など。
 受賞理由は、売り手と買い手の情報格差の研究。これは、「需要統御理論」でいう「(経済の)硬直性」と、本質的には同類(兄弟関係)である。どちらも、「理想的な市場」という古典的な経済学の前提が成立しない場合について考察している。
 ひるがえって、今の日本の経済学者の大半は、この点をまるきり意識していない。逆に「市場は理想的だ」という考えに凝り固まっている。つまり、「市場の流動性 ・柔軟性は十分にある」というふうに。そして各人が、次のように思い込む。
 どの経済学者も、こういうふうにデタラメな結論を出す。それというのも、「市場は理想的だ」という仮定を信じ込んでいるからである。しかし、論理学は、次のことを示す。──
 「仮定が間違っている命題は、すべて間違いである」


● ニュースと感想  (10月13日)

 読売新聞・夕刊 2001-10-12 によると、政府が「新産業育成のための政策減税を検討」とのこと。
 ほとほと、呆れますね。需要不足で不況なのだから、供給をさらに増やしても、何の意味もないのだが。そもそも、新産業育成の方策なら、「金利ゼロ」という状況がすでに実現されている。これ以上の育成策は、不要だし無意味なのだ。
 仮に私が新産業の経営者なら、この優遇策を受けるか? まさか。優遇税制というのは、利益を減免されることだが、不況では利益が出ないから、プラス効果はゼロ。こんなものは無視する。(金利がマイナスになるなら、まだしも。)
 いま、一番経営者が望んでいることは、需要振興策( → 中和政策 )だ。「総需要が増える」という見込みがあれば、金利が少しぐらい高くても、喜んで新規分野に投資する。それにひきかえ、ゴミみたいな優遇税制など、何の意味もないのだ。(いや、少しは意味があるな。「税金の無駄遣い」という、逆の意味が。)
 ただね。世の中には、変な経営者もいる。「利益を出すこと」を目的とせず、「税を払わないこと」を目的とする経営者だ。もしかして、こういう変人を相手として、政策を決めるのだろうか?
( ※ 自分が納税をちょろまかすことばかり考えているようだと、そういう発想をするものだが。)


● ニュースと感想  (10月13日b)

 構造改革に関する論評。(朝日・夕刊・文化面 2001-10-12 )
 「構造改革路線は、『痛みに耐えれば良くなる』というが、社会的弱者に酷だ」という、批判的な意見。
 こういう考えをもつ人もいるだろう。そこで、私なりに、コメントをしておく。
 これはつまりは、「 100メートル競走をやると、ビリの人がかわいそうだ。だから 100メートル競走はけしからん」という意見と同類だろう。あるいは、「テストはけしからん」とか、「成績表は全員『優』にするべきだ」というような意見である。ま、無視してよい。
 ただ、誤解されると困るのだが、私は別に、「社会的弱者を切り捨てよ」と言っているわけではない。「強者の論理をつらぬけ」と言っているわけではない。では、何を言いたいのか? 「話は全然別のことだ」ということだ。社会的弱者をどうするかは、福祉政策である。これはこれで、別個、対策をすればよい。福祉をどうするかは、その国の国民性によって決まる。北欧型もあるし、アングロサクソン型もある。私としては、どちらがいいかとは言わない。どちらも成立すると思う。これはほとんど人生観の問題だから、各人の意見を尊重したいと思う。口出しはしない。
 一方、構造改革は、福祉政策ではないのだ。経済政策なのだ。そのことで、社会的弱者が出ることもあるが、それは構造改革とはあまり関係ない。経済システムが変化すれば、その変化に応じて、メリットもデメリットも出る。単に「デメリットがあります」というふうに指摘しても、何ら建設的な議論にはならない。代案も出さずに、重箱の隅をほじくっても、アラ探しのイヤミになるだけだ。評論家ならそういうふうに喚いていれば十分だが、政治家はそんな「ごたく」など聞いているべきではない。「ごたく」を聞いたあげく、一国全体を沈没させてしまっては、元も子もない。(見本はソ連。上記評論家にとっての理想社会はソ連かもね。)

 構造改革が悪いのは、なぜか? デメリットが少し出るからか? いや、そんなことなら、いちいち指摘されなくても、小泉は最初からわかっている。それが「痛みに耐えよ」という小泉の提唱だ。「米百俵!」
 構造改革が悪いのは、なぜかといえば、本質的に、狙っていることとは逆効果をもたらすからだ。「景気回復」を狙いながら、その効果がまったく出ずに、景気悪化の効果しか出ないからだ。なぜなら、「需要縮小」(消費性向の大幅な低下)という本質的原因への対策を取らずに、見当違いの供給向上策ばかり採っているからだ。構造改革が進めば進むほど、供給の量は上昇し、需給のギャップが拡大する。 ── こういうふうに、本質的な点で、構造改革は狂っているのだ。「痛みがあるから悪い」のではない。「痛みがあるだけで効果はないから悪い」のだ。勘違いしてはいけない。 ( → 10月06日10月01日


● ニュースと感想  (10月14日)

 「ポラロイド」が破産。理由はデジカメ台頭のせいらしい。
   これは何を意味するか? 
   → 「新製品で景気回復」 という説


● ニュースと感想  (10月14日b)

 「インフレ目標」 簡単解説 を更新。
 「流動性の罠」の解説を少し詳しくした。


● ニュースと感想  (10月14日c)

 日本銀行 の金融政策決定会合(12日)は、「現状維持」つまり、「不況は放置」との決定。「インフレ目標」についても議論されたが、採用はされず。
 やっぱりね。今の顔ぶれじゃ、百年たっても同じで、無策のままだろう。もうニュースにならないな。彼らがリストラされたとき、ようやくニュースになる。


● ニュースと感想  (10月14日d)

 朝日新聞・朝刊・経済面 2001-10-13 に、ノーベル経済学賞受賞の ジョセフ・スティグリッツ 氏の記者会見記事。
 氏の紹介としては、「市場が理想的に機能することを前提として組み立てられている従来の経済学に、根本的な疑問を投げかけるものだった。」
 まるで私の 10月12日 のコメントから引用したかのような(?)紹介。朝日の記者が、私のコメントを読まずに上記の根本的なポイントをとらえたのだとしたら、たいしたものだ。大いに褒めておこう。(たいていの人は、「情報経済学」というような表面的なとらえ方しかしていない。)
 記事では、「氏はしばしばIMFと対立した」とのこと。感嘆。硬骨漢 ここにあり。私も前から思っていたんですよね。「IMFってのは、経済音痴の集まりだ。経済を帳簿でしか考えていない」と。(というのを読んで、「わが意を得たり」と思った人、いる? いたら、あなたはすごい。)
 氏の見解では、日本の政策については、「大胆な構造改革のタイミングは考えた方がいい。不況時に行なうと、不良債権がますます増え、さらに不況を悪化させる」とのこと。
 これで3人目です。何が? 批判者が。クルーグマン、私、スティグリッツ。残念ながら、この3人以外には、「構造改革・不良債権処理」の間違いがわからない。困ったものですねえ。
 マスコミもひどいよね。「構造改革・不良債権処理を進めよ!」と間違ったことばかりを推進する。かくて日本を沈没させることに、心を熱くしている。ほら、昔もあったでしょ。「神国日本の破竹の進撃!」と太鼓を鳴らしていた新聞が。あれと同じ。そうやって日本を間違った方向に進めたあげく、日本を破滅させた。同じことを、また繰り返している。政府の間違った方針をやたらと推進している。上記の3人がしきりに異論を唱えているのに、一切無視して、報道しない。(今回の朝日は初めて 50字 ほど報道した。たったそれだけ。政府支持の記事は、その百万倍にもなるのだが。)
 「構造改革が駄目」というのは、10月06日 などではっきり示した。「不良債権処理は駄目」というのは、よくわからない人が多いようだ。マスコミなどを見てみると、誰もが見当違いのことばかりを述べている。肩書きだけ立派な経済音痴の集団。(IMFもそうだな。いずれも帳簿だけで経済を考えている。)……仕方ない。近日中に、不良債権処理をめぐって、包括的な解説を書くことにしよう。

 《 追記 》
 蛇足だが、クルーグマンも、スティグリッツも、ヒゲもじゃ。これが経済学者の資格かな。私も少しは見習わなくちゃ。


● ニュースと感想  (10月15日)

 朝日新聞・日曜版には「旅する記者」という特集がある。誰が思いついたかは知らないが、非常に優れた企画だと思う。上司または集団が決めるのと違って、この日曜版の企画は、記者が自分一人で立案する。そうした候補作のうち、選考されて、 50本ほどが採用される。採用後は、記者が一人ですべて細部まで決める。
 こういうのは、個性や独自性が強く現れる。「みんなで合意」という通常の企画には収まらないものが決まるので、非常に興味深い。ときどきキラリと光る記事が出る。

 さて。2001-10-14 の日曜版では、「トロイ遺跡」。これ自体は、平凡な探訪記だが、別件で、日本の「旧石器発掘・捏造(ねつぞう)事件」への反省が書いてあるのが面白い。
 「なんでこんな学問にかかわっちまったんだ」とぼやいて、「発表をそのまま報じたマスコミの責任」と反省し、「日本考古学界とはアマチュアの集団ではなかったか。それを無批判のまま報じてきたマスコミも」と自嘲する。

 さて。なぜこれが面白いかというと、今の日本の経済部記者というのも、同じことをやっているからだ。「日本の経済学界とはアマチュアの集団ではなかったか。それを無批判のまま報じているマスコミも」と言えるからだ。(ね、そう思うでしょ? 少なくとも、海外のノーベル賞クラスの人は、そう思っているよ。)

 ついでに言っておこう。上記の記者は、ひとつ、重大なことを書き落としている。「なぜ捏造はバレたか」という点だ。偶然バレたわけではない。真実が空から降ってきたわけでもない。ちゃんと理由があるのだ。── 次の経緯をたどった。
 これが事実である。(経緯は毎日新聞などに報道された。 [1] [2]
 そして、今また、多くのマスコミが、警鐘を無視して、デタラメな経済記事ばかりを書いている。ふたたび捏造を繰り返しているわけだ。それについては、 ニュースと感想 の初めの方に、たっぷりと書いてあるので、そちらを参照。


● ニュースと感想  (10月16日)

 朝日新聞・朝刊・読書面 2001-10-14 の書評。“2003年の「痛み」”(水木楊・著。PHP研究所・刊)について。その内容紹介によると……
「2003年9月、日本経済はついに破局を迎えた。失業率7%超、株価5000円割れ、不良債権処理で企業は続々と連鎖倒産、破産家庭の妻や娘は歓楽街で客を引く、……etc。」
 つまり、口先だけで言う「痛み」という言葉の、その現実の姿を、目に見えるようにしてはっきりと描き出すわけだ。 (このころ、小泉はどうなっているんでしょうねえ。たぶん延々と総理の座に居すわっているのだろう。鼻歌まじりに。 「♪ なんてったって小泉 〜〜 」)
 なお、歴史の教訓では? 1936年のことだ。父母が首をつったり、妹を売り飛ばされたりで、国民の怒りは蓄積。青年将校がついに決起して、2・26事件。下士官 1400名ほどを従え、多くの官庁を一挙に制覇して、クーデター。軍部はこれを逆に利用。クーデターを鎮圧すると同時に、発言権を強め、以後、日本は軍部の支配下に。
 ……あ、そうか、小泉はこれを狙っていたんだ! 何とうかつだったのだろう! (だからこそマスコミもみんな「構造改革」推進をしているのだ。 なぜか? マスコミは軍部の支配に入って、公務員となり、失業の恐れがなくなるからだ。)

 ※ これを読んでジョークだと思った? 現実を見よ!
   日本経済の破滅はもはやジョークではないのだ。


● ニュースと感想  (10月16日b)

 「需要統御理論」 簡単解説  を一部更新。
 「物価の悪魔」を追加。

 論考1 「需要統御理論」  を一部更新。
 冒頭に「目次」を追加。 (リンクつき。ジャンプ可能。)


● ニュースと感想  (10月17日)

 読売新聞・朝刊・経済面 2001-10-16 に、ノーベル経済学賞のマイケル・スペンス氏のインタビュー。
 3人の業績の紹介。アカロフが中古品市場の原理を示す。(均一品質の商品でなく) 品質に差のある中古品については、価格が一律となる市場では、良品質の中古品の持主は、市場価格が正当な評価に比べて低いので、売りたがらない。かくて市場が正常に機能しなくなる。で、どうする? 「持主が品物の情報を発信すればいい」というのがスペンス。「買い取り会社が品物を審査すればいい」というのがスティグリッツ。
 なんだか、簡単ですね。ま、ノーベル賞学者だから、話を簡単に説明できるのだろう。 (話の本質は? 私が解説すれば、……情報の不足で、商品の流動性が阻害されている。だから情報の追加で、流動性を取り戻せる、ということ。この場合、阻害要因は、情報不足だった。他に何があるかは、別の話。  → 硬直性

 さて。ノーベル賞学者による、日本経済への診断は? 「過去の財政出動がなぜ有効でなかったのか、理解に苦しむ」とスペンス氏。なあんだ。がっかり。それなら、このホームページにちゃんと書いてありますよ。( → ケインズのやり方
 原因診断は? 「アメリカと違って、貯蓄を好むという、構造的な問題だろう」とスペンス氏。言い換えれば、「消費の縮小」。これは、本質的には正しいのだが、「貯蓄を好むという国民性」に帰してしまったのでは、物事の裏側を見ているだけで、ピンぼけ。 小泉のように 正反対の方向 を見ているわけではないが、ちょっとずれていますね。正解は「消費性向の低下」です。 ( → 「需要統御理論」 簡単解説

 ( ※ 同じくノーベル賞受賞でも、こちらの人はちょっと、毛の数が3本ほど足りないようだ。 ヒゲを生やしていないせいかな?) ( → ヒゲ

 なお、同日報道によると、政府は補正予算(2兆円超)のうち、1兆円の景気刺激(財政出動)。こんなことやっても意味はないんですけどねえ。「過去の財政出動は有効でなかった」(上記)と、歴史が証明しているでしょ。

 じゃ、どうすりゃいい? 同日の読売1面の提言は、
「日銀はその政策目標を、はっきりと目の前の『危機管理』に切り替えなくてはいけない」
 ま、それはそうなんだが、何から切り替えるべきか? 答えは、「物価の安定から」だ。要するに、「日銀は今の政策目標である『物価の安定』を捨てよ」ということだ。そして、「なぜ?」と問われたら、「需要を増やすため」と教える。
 頭の鈍い人には、そこまではっきり言ってやらないとね。ま、記者も理解していないのかもしれないが。だったら、このホームページをあちこち読んで、理解しましょう。 (間違っても、「デフレをつぶすにはインフレにすればいい」なんて言っては駄目ですよ。そんな素人提言を言えば、日銀に馬鹿にされるだけ。恥をかいた 某議員 みたいにね。)

 《 補記 》
 15日の「旧石器捏造」について。
 週刊朝日最新号(16日発売)に詳しい記事が出ている。お暇なら、参照を。
 《 後日記 》
 毎日新聞は、この「旧石器捏造」のスクープ記事で、「菊池寛賞」を授与された。( 2001-10-18 朝刊各紙 )


● ニュースと感想  (10月17日b)

 朝日新聞・夕刊・文化面 2001-10-16 コラムに、高安秀樹・氏のコラム。「巨額のお金を物理学的に解明する」という話。一部引用すると、
「(経済について)……方程式で記述できる。……その方程式は、棒を手の上でバランスを取りながら立てているときの運動の方程式と似た構造を持っている。バランスを崩すと棒が倒れそうになり、あわてて手を動かすと、今度は逆向きに棒が倒れそうになる。……インフレのような大きなスケールの価格変動も同じ方程式で記述できる」
 これはつまり、第3章(前) の「立てた棒」と同じ。私が幾何学的に図で示したのを、この人は数式で示している、というだけ。
 この人は、「市場という逆さに立てた棒を意のままに制御するような技術を人類はまだ手にしていない」とも述べている。たしかに、先月まではそうだったが、今月にはそうではない。すでに人類はその技術を手に入れたのだ。それが「需要統御理論 」である。
( ※ その方法の核心は? 「立てた棒を倒さないための腕の制御」という方法が、ロボットの分野で知られている。それと本質的には同じ方法を使うわけだ。詳しくは上記の両文書を参照


● ニュースと感想  (10月18日)

 読売新聞・朝刊1面論説コラム 2001-10-17 への講評。
 おおむね正しいが、満点は上げられない。
 (1) 「構造改革は……中長期の方策であり、……別の政策の併用が必要だ」
 というのは、私がこれまで述べてきたことなので、正しい。(こういう論説を私以外の人が言うのは初めて聞いた。だけど、記事には理由が記していないので、小泉には、「馬の耳に念仏」かも。)
 (2) 公共事業(ITなど)も勧奨している。
 これは、悪くはないが、あまり期待しない方がいい。前日 も述べたとおりだ。いくらやっても、規模は年に数兆円程度。大幅な需要縮小のなかでは、小さすぎる。(記者も記事中で述べているではないか。「40兆円ものデフレギャップ」と。そのくらいあるのだ。)( ※ その数値の根拠は知らない。ただ、数割の誤差は許容範囲。)
 (3) 「日銀は……物価上昇の目標を示し、目標達成まで量的緩和を続けると宣言することが肝要だ」
 というのは、誤解を招きやすい表現。「〜まで」とは、何ぞや? これを「目標達成するまで」と見なすなら、ほぼ正しい。これを「目標達成するまで」と見なすなら、「量的緩和論者」になるので、正しくない。
 (4) 「インフレ目標の導入は、人々にデフレ脱出への明るい期待をもたせ、企業の資金需要回復にもつながる」
 というのは、心理的効果を主張しているわけで、どうも、経済学というよりは、心理学に近いようだ。ま、間違っているわけじゃない。でも、日銀には、馬鹿にされるかも。何しろ、肝心のお金の損得という、経済学的な話が抜けているんですからねえ。 ( → 「需要統御理論」 簡単解説
 (5) そもそも、一番肝心な話が抜けている。「現在の不況の原因は何か」という点だ。原因をつかむことがまず大事なのに、それができていないので、以後の対処法もピンぼけとなっている。
( …… 正解は、「消費の縮小」です。前日も記したとおり。これがわかっていれば、「公共事業」なんていう、ピンぼけの案は出さないはずなのだが。公共事業ってのは、景気対策としては、ほとんど無意味なんですよね。だいたい、建設産業だけに金をつぎ込んだって、全産業にたっぷりと金が行き渡るはずがないでしょうが。直感的にわかってよさそうなものだが。「 10個 のコップがカラのときは、ひとつのコップだけを満たしても、すべてのコップが満たされることにはならない」というのは、子供でもわかることだ。なお、全産業に金が行き渡る方法は、ただひとつです。 → 最初の一撃
 (6) 結論。読売の主張は、基本的には正しい。しかし、説得力が全然ない。「気分が明るくなるから」なんていう薄弱な理由では、誰も「インフレ目標」を採用する気にはならないだろう。読売は、「インフレ目標を採用せよ」と百回ぐらい書いたが、その経済学的な理由については、1度も書いていない。たまに「気分が明るくなるから」と書くぐらいだ。「インフレ目標はなぜ必要か」という経済学的な理由を、ちゃんと「流動性の罠」という言葉を使って解説しない限り、人々の支持を受けることはないだろう。正しい意見というものは、回数を繰り返すことで支持されようになるのではない。ちゃんとした説得力を持つ理由を示すことで支持されるようになるのだ。今のように、根拠もなしに主張を続けても、ほとんど意味はない。紙面が無駄になるだけだ。

 《 余談 》
 読売に比べて、朝日はどうか?
 朝日はここのところ、戦争記事一色だ。ホント、戦争が好きですねえ。他国の戦争に心を奪われている。日本では不況ですごくたくさんの自殺者が出ていることなど、まるで無視。いくら人間が死んでも、気にしないのかな。原因が戦争でなければ。── そんなに夢中になるほど、戦争って、面白いですかねえ。(テレビゲームに夢中になっているガキにそっくり。バキューン。ドッカーン。)
 読売は何度も「緊急提言」を行なっている。これは偉い。朝日と小泉はと言えば、自分の足元が崩れかけているのに、遠くの方を見て騒いでいるばかり。(テレビゲーム中毒?)
 いいですか。今のままだと、日本自体が不良債権となるのだ。「銀行の不良債権処理は、ぐずぐず遅れていると、どんどん増えるばかりだ」と朝日はよく言う。しかし、不況を放置すれば、日本全体の不良債権が増えていくのだ。銀行の不良債権なんかより、こっちの方が何倍も大事なのだ。……今の朝日の方針だと、銀行は倒産を免れるが、日本自体が倒産してしまう。
( ※ これはジョークじゃない。莫大な財政赤字があり、税収不足ゆえに、返済の見込みが全然ない。日本は倒産寸前である。国債がただの紙屑となるかも。経済用語でいう「デフォルト」である。……こうなったら戦争でも起こすしかない。というわけで、朝日と小泉は、その準備をしているのかね。)


● ニュースと感想  (10月18日b)

 読売新聞・朝刊・経済面 2001-10-17 に、「インフレ目標」の記事。
 (1) 自民党に「金融と物価に関するワーキングチーム」というのがあり、インフレ目標政策の導入を日本銀行の求めている。
 (2) チームは来週中にも、インフレ目標の採用を盛り込んだ日銀法改正案をまとめ、臨時国会に提出したい考えだ、とのこと。
 (3) 日銀の理事を招いたが、理事はインフレ目標の導入に否定的見解。「望ましい物価上昇率を、数値化するのは難しい」という理由。……へえ。世界各国は「インフレ目標」で、ちゃんと数値化しているんですけどね。知らないのかな? 初歩的な知識だから、誰か教えてあげればいいのに。 ( → 数値一覧表


● ニュースと感想  (10月18日c)

 2001-10-18 の朝日・読売は、「不良債権処理」の特集。読売は社説などで「急げ」と主張する。朝日は「どうやればいいか」を考える。
 ところが、どちらにもブラックホールのように、すっぽり抜けているものがある。「なぜやるか?」「やるとどうなるか?」ということだ。
 経済学者も、「なんとなく……」「商法に書いてあるから」「道徳で」などと答えるだけだ。「景気回復のため」と主張する人もいるが、「なぜ不良債権処理が景気回復になるか」を答えられない。まともに経済学で答える人は一人もいない。
 経済学で答えると、どうなるか? 答えた人は、三人いる。クルーグマン、スティグリッツ、サミュエルソン。その答えは、いずれも反対の意見だ。つまり、「不良債権処理を急ぐと、どんどん景気が悪くなるから、今はやらない方がよい。」である。これはたしかに事実で、長銀・山一・マイカルなどがつぶれるたびに、景気はどんどん悪くなっていった。(マイカルのときは、株価は1日だけ上がったが、国民の消費はぐんと落ちた。)

 さあ。朝日と読売に、宿題です。「なぜ不良債権処理を急ぐべきか」── これをちゃんと記事にしましょう。正しく記事にできたら、間違いなく、ノーベル賞をもらえます。何しろ、クルーグマン、スティグリッツ、サミュエルソンという、学界のキラ星たちを、正面から全否定するわけですからね。物理学で言えば、「アインシュタインの相対論は間違っている」と証明するようなものです。ぜひ、書いてもらいたいものですね。

  → 不良債権物語  (本日公開)


● ニュースと感想  (10月19日)

 朝日と読売 2001-10-19 朝刊の「不良債権」記事。
 読売は、1面で「緊急提言8」。これは、そう悪くはない。「不良債権処理ですべて薔薇色」なんていう妄想を捨てている。「すでに処理額は 71兆円もの巨額に達したが。それでも減らないのは、不況の深刻化で新しい不良債権が次々と生まれているためだ。」と現実を見据えている。「デフレ経済からの脱却なくして不良債権問題の根本解決はない」と核心を捉えている。
 偉い。こういう主張をマスコミで読んだのは初めてだ。たいていは「不良債権処理をすれば景気が良くなる」という話ばかりなのにね。読売もお利口になったな。これならノーベル賞学者からも、頭を撫でてもらえるな。「不良債権物語」でも読んだのかな?
 ただし。問題もある。「公的資金投入」だ。これは、経済学的に言えば、間違いだとは言えない。選択肢の範囲内にある。ただし、問題もある。
 読売は、「株主責任を取らせるため、減資せよ」と言っている。減資。そこには当然、政府が先に公的資金投入した分もある。つまり、先に投入した分の公的資金は、藻くずとなって消えてしまう。国民の税金が勝手に使われて、消えてしまうわけだ。……で、今回また、公的資金投入をしたら? デフレは解決されないのだから、半年か1年後には、また同じことを繰り返す。そのときもまた、今回投入した公的資金は、藻くずとなって消えてしまう。そういうことを繰り返すわけだ。キリがない。……かくて、何十兆円もの国民の金が、ただの会計処理のために消えてしまう。史上最悪の愚策。
 どうせなら、もっといい選択肢もあるのだ。 ( → 「ニュースと感想」 10月04日

 朝日は、経済面で、インタビュー。こちらは全然ひどい。「劣悪な銀行や企業を退場させれば、万事良くなる」という妄想にとらわれている。……これつまり、「不良債権物語」に出てくる評論家の見本。これを読んで、勉強しましょうね。
 不良債権が急速にふくらんだ理由については、銀行の過当競争のせいにしている。呆れた話。この人は日銀出身であるせいか、「政府の経済運営が根本原因だ」と気づかないらしい。だいたい、あるときは「過当競争が悪い」と言い張り、あるときは「劣悪企業を退出させるために苛酷な競争をもたらせ」と主張するのでは、自己矛盾だ。いったい、どっちにすりゃいいんですか。正反対の二枚舌を使わないでほしい。
 とはいえ、この人は、「ペイオフ」の危険性に気づいている。この点は、好ましい。 ( → 「ニュースと感想」 9月10日b
 最後に、「不良債権処理をすれば、景気が良くなるわけではない」と述べている。これは正しい。なのに、「不良債権を減らすには、まず景気を良くせよ」という肝心の一言が抜けている。核心が漏れている。ゆえにこの人の答案には、不合格点を付けます。(次は不合格点を取らないように、今日の読売を読んで勉強しましょう。)


● ニュースと感想  (10月19日b)

 読売新聞・朝刊・経済面コラム 2001-10-18 に、
 「十年後の日本の株価は最低でも3倍になる。私に何十億円もの資産があれば、絶対株を買う」
 という竹中経済相の発言。
 ふうん。そうかもしれない。だけど、十年前にも、同じようなことを言っていなかった? バブル破裂直後だ。4万円ほどだったのが、2万円ぐらいにまで急落した。「十年後にはきっと回復している」と言わなかった? もし当時、買っていたら、今ごろ、半減していましたね。
 「何十億円もの資産があれば買う」? あのねえ。本気で言っているなら、小額でいいから、有り金はたいて、すぐ買いなさい。この先どれだけ下がるか、たっぷりスリルを味わうといい。(私のお勧めの株は? ちょっと前なら、マイカルです。)

 ま、与太を言うのは別として。……
 私が与太を言うのはともかく、大臣がこんな与太を言っていては困る。何を考えているんですか、この人は。株価をめぐって、おしゃべりして遊んでいるとはね。ちょっと、竹中さん。あなたの仕事は何ですか。今すぐ結果を出すべきことがあるでしょ。十年後の話で、クダを巻いているときじゃないのだ。そんな与太を言いたければ、職を辞して、どこかほかのところで言いなさい。大臣が与太を言うとはね。私の真似をしても、しょうがないでしょ。

 大臣は、与太を言うかわりに、何をすればいいか? 
 もちろん、景気回復です。今すぐ景気を回復に向かわせ、半年以内にデフレを完全につぶしなさい。そのための処方は、すでにちゃんと示されています。( → 「インフレ目標」 簡単解説「需要統御理論」 簡単解説
 あとは、それを実行するだけ。実行できないなら、誰か他の人に任せなさい。職を辞しなさい。あなたのための椅子は、日本経済全体をつぶすほどの、価値はない。あなたが辞めるのが最良の景気回復策です。そうした方がいいですよ。買った株も上がるしね。

 《 ぼやき 》
 それにしても、日本はどうなっているんだろう。大臣は、やるべきことをサボって、与太ばかりをしゃべりちらす。マスコミは、やるべきことをサボって、どうでもいいことばかり書き散らす。「流動性の罠」および「消費の拡大」という言葉を出して、景気回復策をちゃんと示すマスコミは、どこかにひとつぐらい、ないものだろうか? そもそも、小泉にしろ、役所にしろ、経済能力はゼロなのだ。マスコミがしっかりしてくれないと、日本は破滅してしまう。
 いいですか。大蔵省・日銀というのは、世間では超エリートの集団と見られているが、実は、とんでもない才能の集団なのだ。過去 30年間に、何をやったか、見るがいい。狂乱物価 ,バブル ,バブル破裂 ,十年不況 ……という大失敗を 4回もやったのだ。世界中で、日本だけが。こんなに見事な大失敗の繰り返しは、普通、やろうと思っても、簡単にやれるものではない。大バカ三太郎を連れてきて、経済運営をやらせてごらんなさい。せいぜい、1回か2回しか大失敗はできない。大蔵省・日銀というのは、大バカ三太郎と比べても、なおかつ上回るほどの才能の持主なのだ。こういう連中に経済運営を任せて平気でいるというのだから、まったく、マスコミの連中も、何をやっているのだろう。


● ニュースと感想  (10月20日)

 10月16日 に紹介した “2003年の「痛み」” という本を手にしてみた。
 なかなか良く書けていると思う。たいていのマスコミは、「不良債権処理をすれば景気が良くなる」とホラを吹いて、逆に景気をどんどん悪化させようとするものだ。しかし本書はちゃんと、「不良債権処理をすれば景気が悪くなる」と指摘し、「構造改革は供給重視で需要無視だ」と見抜いている。目が曇っていない。慧眼である。マスコミの人は本書を読むといいだろう。
 ただし、である。本書の提案する解決策は、いただけない。「消費が大幅に縮小している」と指摘しているくせに、解決策は、民需でなくて官需の拡大である。しかし、こんなことをやっても、景気は回復しない。 ( → ケインズのやり方
 もっとまずいのは、これだと、将来インフレになって、収束する手段がなくなることだ。この問題を解決するには、将来のインフレ収束を担保する方策でなくてはならない。 ( → 中和政策
 ……というわけで、満点ではないのだが、それでも、そこそこの合格点は上げられる。(60点)
 ただ、本書の大きな欠点は何かといえば、経済論としてはともかく、小説として、面白くないことだ。与太がないのだ。
 ここで思いついたのだが、与太がうまい大臣がいる。だから、職を交換してはどうか? 「経済政策は駄目だが、与太のうまい大臣」 & 「経済論は合格点だが、与太の下手な小説家」。 両者が職を交換すれば、日本は良くなるかもね。 (責任は持てませんけど。)
 


● ニュースと感想  (10月20日b)

 朝日と読売の記事の講評。2001-10-20 の朝刊。
 読売は、「緊急提言9」で、「土地と株の税制改革」を提言。これで資産デフレを解消せよ、という話。
 話が矛盾していますね。前日まではRCCなどで不良債権処理を進めようとしていた。不良債権処理を進めれば、土地や株はどんどん下がる。ものすごく下がる。土地や株を税制で少しばかり優遇しても、効果は完全に埋没してしまう。そもそも、値が下がる局面では、利益が出ないので、払う税もないはずだ。
 だいたいね。五年か十年前にも、同じことを言っていたでしょう? 「土地と株の税制を改革して、人々に買わせよ」と。で、買った人は、どうなりましたか? 土地と株の暴落で、大損した。読売さん、ちょっと考えてね。あなたの言うことを聞いた人は、みんな大損するんですよ。人々を不幸にさせないでほしい。どうしてもやりたきゃ、自分で買いなさい。そうして痛い目をみるがいい。
 いいですか。土地にせよ、株にせよ、それ自体は景気変動の原因とはならない。逆に、景気変動が原因で、それらが上がったり下がったりするんです。順序を間違えては駄目。土地や株の値段を上げたければ、まず、景気対策をするべきなんです。間違った説を流布して、人々を苦しめないでね。それは悪魔のやることだ。

 朝日は、リチャード・クー氏へのインタビュー。
 朝日が自社史上初めて(?)、正しい意見を載せた。なぜこれまで、こういう意見を一度も載せなかったのか? たぶん、自社の論説に反対の意見だからだろう。朝日というのは、本当に言論統制が厳しくて、自社に反対の論説はなかなか載せようとしない。(「いや、そんなことはないぞ」と主張しているが、事実が証明しているでしょ。自社記事を検索してごらんなさい。自社の意見への反対論など、一つも見出せない、という、見事な言論統制が行き届いている。この点は、私が何度か、指摘しましたが。)
 今回はまったく珍しいことに、反対論の同氏にインタビュー。少しはまともになったのかな? だとしたら、クルーグマンやスティグリッツやサミュエルソンにもインタビューしてみたら? そうすれば、自社の論説の間違いが赤裸々になるはずだ。……でも、そうはしないでしょうね。やっぱり。反対論を一人だけ乗せて、「はい、これで反対論も掲載しました」と、お茶を濁すつもりらしい。どうせこのあとまた、「不良債権処理をせよ」という大キャンペーンを張るつもりなのだろう。悪魔よりひどいかもね。
 さて、同氏の意見だが、特に目立つような論点はない。「不良債権処理を進めれば、どんどん不良債権が増えるばかりだ。まず景気回復を」という、まっとうな意見である。このホームページでも何度か主張してきた意見だ。私の意見を 100分の1ぐらいに短くまとめれば、同氏の意見になる。限られた字数では、同氏はよく要点を突いている。頭がいい。(一方、これまでのインタビューで答えた人は、ホント、要領を得ない話でしたね。本人でもわけのわからないようなことをしゃべっていた。)
 結局、不良債権処理をめぐっては、頭のいい人は、みんな同じ結論(ノー)を出す。頭の悪い人も、みんな同じ結論(イエス)を出す。はっきりしていますね。リトマス試験紙のようなものだ。あなたは、どちら? 
( ※ クー氏は、「対策」としては、「財政出動」を示している。頭のいい人たちも、正解を出せないこともあるわけだ。 → ケインズのやり方


● ニュースと感想  (10月20日c)

  「インフレ目標」 簡単解説 に項目追加。
  「国が不動産をたくさん買えば……」という話。


● ニュースと感想  (10月21日)

 朝日新聞・朝刊・経済面 2001-10-20 の記事。
 「過去 10年間で自動車産業が失ったのは9兆円以上になる」という、経営コンサルタント会社の報告。なぜ? 投資を増大したから。需要が増えないさなかで、投資ばかりを増やしても、損をするだけだ、という話。当たり前ですね。 ( 注: 日産の場合、バブル時に大幅な設備投資をして、 250万台体制まで設備増強した。しかしその後、販売量が激減して、膨大な設備が遊休した。)
 なのにいまだに、「企業投資を増やせば景気は回復する」という説が出回るのには、困ったものだ。たとえ理由がインフレ期待であろうと、優遇税制であろうと、企業投資だけを促進しても、それは効果があまり出ないのだ。「企業投資ではなくて、個人消費を増やすのが大事なのだ」と、よく理解しましょう。このホームページの読者なら、みんな理解しているでしょうけど。
 特に小泉が問題。「新規産業の投資を助成」と言う。困りますねえ。自動車産業の二の舞でしょ。 ( → 新規産業

 読売・夕刊・2面(同日)の記事。
 インテルが事業撤退。CPUに集中して、他の部門を縮小する。つまりは、「新規事業部門からの撤退」である。
 まことに賢明な方針だ。どんな企業であれ、不況のときには、新規事業に進出するどころか、本業以外からはさっさと撤退するべきだ。つまり、小泉とは正反対の方針を取るべきだ。
 つまり、小泉の「構造改革」路線が続く限り、新規分野には進出するべきではないわけで、「構造改革」路線というのは、実は、(狙いとは逆に) 構造改革を阻む路線なのだ。構造改革は、景気が拡大しているときのみ、可能なのだ。(このことはこれまで何度も述べてきた。)

 朝刊各紙・経済面(同日)の記事。
 「画期的な新製品を出せばよい」という説に従ったのかどうか、とにかく、面白い新製品が出たそうだ。「金属探知器が反応しないブラジャー」である。テロがらみだが、なるほど、おもしろい。小泉が喜びそうだ。きゃっきゃっ。

 《 コメント 》
 冗談はさておき。
 本屋に行くと、青色LEDを開発してノーベル賞確実といわれる中村修二・氏を紹介する本がいくつか出ている。なかなか興味深い。独創的な才能に対して、足を引っ張る人がいかに多いか、よくわかる。ちょっとでも風変わりなことをするやつがいると、妬んで、やっかんで、たちまち邪魔をする。……こういう体質が日本に根づいているわけだ。ふうむ。だからいつまでたっても、景気が回復しないのかな???
 どうせ「構造改革」をやるのなら、人の頭の「構造改革」をやった方が効果的かもしれない。( → 第2章 企業改革


● ニュースと感想  (10月21b日)

 読売新聞・夕刊 2001-10-20 の2面コラム「エコノeye」の意見。
 「不良債権処理をして、RCCに不良債権を移しても、ゴミを一箇所に集めるようなもので、ゴミの処理にはならないから、抜本的な解決にはならない。先送りになるだけだ」という指摘。
 政府は、わかっていて、あえてそうしようとしているはずなんだけど。……
 でも、「RCCを使えば万事解決」と思っている人もいるかもね。


● ニュースと感想  (10月22日)

 「構造改革」の是非について。──
 読売新聞・朝刊・読書面 2001-10-21 に、「構造改革」をめぐる書籍2冊の書評。賛成論と反対論の計2冊。(コラムでも紹介しているがそれは別。)
 さて。評者は単純にこの2冊を、賛否両論に分けて考えているようだ。だから「両方を読み比べてみよう」などと、お気楽なことを言う。しかし、構造改革をめぐる是非は、単純な賛否両論ではないのだ。

 構造改革は生産性の向上(生産力の強化)をめざす。そのこと自体は何ら悪くはない。ただし、それは、「十分な需要があれば」という仮定の上に成立しているのだ。
 たしかに、十分な需要があれば(つまり仮定が成立すれば)、構造改革を進めるべきだろう。向上した生産力は、人々のもとに行き渡り、人々の生活を確実に向上させるからだ。しかし今は、十分な需要がないのだ。仮定が成立していないのだ。だから、構造改革のメリットは現れず、デメリットばかりが現れるのである。
 たとえれば、こういうことだ。「人は運動をして体力を強化するべきだ」という命題は、一般的には正しい。しかし、それは「人が健康であれば」という仮定の上に立つものだ。その仮定が成立しないとき、つまり、人が病気のときには、運動すればかえって病気が悪化する。
 「構造改革」賛成論者は、そのことに気づいていない。自分が正しいことを主張していると思い込んでいる。暗黙裏の仮定を無視している。というわけで、彼らは、「こうすれば体力が向上する」と信じて、病人を無理に運動させるようなことをさせて、日本中に次々と自殺者を発生させているのである。── 間違った経済政策は大量の人殺しを行なうわけだ。
  “ 構造改革殺人事件 ”……オウムの麻原を上回る、日本史上最大の殺人事件。何千という自殺者の死体を発生させた。政治的信念に基づく確信犯。犯行現場には、タテガミが一本残されていた。主犯は、誰か?

 《 補記 》
 冗談ばかりを言っていると思われると困るので、真面目に一言。
 「物価上昇をもたらせ」と私が主張すると、反対する人も出てくるかもしれない。「インフレになれば高齢者が損をする。かわいそうじゃないか。血も涙もないことを言うな」と。
 しかし、私は、単に金のためにそう主張しているわけではない。「一国経済の体質強化のためであれば、高齢者に損をかけても構わない」と言っているわけでもない。逆だ。最も弱い社会的な弱者のために言っているのだ。
 現在、デフレで、自殺者は非常に増加している。自殺しないまでも、自分の人生を破壊された人々がたくさんいる。(朝日の「声」欄などを読むとよい。) マイカル倒産で全財産を失った老人もいる。……こういう人たちを放っておいていいのか? さらに増大させていいのか? それが政治なのか? 政治とはそんなに血も涙もないものなのか? 
 なるほど、インフレによって、(高齢者などの)資産家は膨大な資産が目減りするかもしれない。しかし、資産が目減りするのは、それだけの資産があるからだ。そんな資産家たちが、「自分の膨大な資産のうち、数パーセントが目減りするのがイヤだ」という理由で、前述のように大量の生命や幸福を破壊していいものだろうか。彼らの資産に、そんなひどいことをするだけの価値があるのだろうか。私見を言えば、そんな資産など、屁のようなものにすぎない。竹中は言う。「自分に何十億円もの金があれば、株を買う」と。私はこう言う。「自分に何十億円もの金があったとして、たとえその何割かが目減りしてもいいから、とにかく景気を回復させるべし」と。私は悪魔ではない。竹中でもない。他人を徹底的に不幸にしてまで、自分の資産を守ろうとは思わない。……だが、たいていの人は、そういう発想がないようだ。「自分たちの資産の目減りを防ぐためなら、他人がいくら不幸になっても構わない。痛みに耐えよ」と叫ぶばかりだ。裂けた口で。
 まったく、日本はどうなっているのだろう? この先、何万人もの命を奪ってまで、なおかつ、物価上昇を拒む価値があるのだろうか? 日本とは、そういう血も涙もない国なのだろうか? (物価上昇 ≒ 需要増大 ≒ 景気回復)

 《 補記2 》
 ついでに、もう一言。
 不況というのはそもそも、物の値段が下がっている状態であり、「需要 − 供給」の曲線からわかるとおり、需要が供給を下回っている状態である。
 需要が供給を下回っていること。それも、大幅に。このことは、政府の経済統計からもはっきりとしている。国民の消費性向は大幅に低下しているし、また、どこの企業も、生産力(供給)は過剰であり、売り上げ(需要)が少ない。
 今の不況が「消費不足に原因がある」というのは、誰が見てもはっきりしているのだ。そのことを、どうしてマスコミは、はっきりと指摘しないのだろう? この根本原因を見ないから、「消費拡大」のかわりに「不良債権処理」なんていう、根拠不明で効果不明な対策を提案することになる。
 小泉が口にすることは何か? 「需要拡大は効果がない」という言葉だ。ただし、そこで言う「需要」とは、「官需」のことだ。たしかに「官需」の拡大は効果がない。しかし、今求められているのは、「官需」の拡大ではなくて、「民需」(消費)の拡大なのだ。小泉の理屈は理屈になっていないのだ。「青を取れ」と言われたら、「赤は駄目」という理由で青を拒む。全然、論理になっていない。官需と民需の区別もつかない経済音痴。
 はっきり言おう。小泉は経済のことを何にも知らない。そして竹中という「供給重視」のトンチンカンな経済学者を大臣に任命した。政府は完全に脱線しているのである。ならば、マスコミが、その脱線を指摘するしかない。政府は経済音痴で、自己の誤りに気づかないのだから、マスコミがその誤りを指摘し、かわりに正しい道筋(消費拡大)を教えてやるしかないのだ。
 なのに、マスコミは、いったい何をやっているのだろう? 小泉と竹中という二人が愚かなのは、仕方ない。たまたま二人の愚か者が政権を取ったというだけのことだ。歴史的にはそういう不運は起こりがちだ。しかし、マスコミは、たったの二人ではなくて、膨大な数の人間がいるのだ。にもかかわらず、そろいもそろって、目を開いても目が見えない。政府がいくら脱線しても、それを指摘できない。権力チェックがまるでできない。マスコミの本分を果たせない。逆に、政府の脱線の提灯持ちをするほどだ。(不良債権処理)……マスコミは、バブル期にも、政府の提灯持ちをして、バブルをふくらませたが、そのことの反省もないまま、今また二度目の大失敗を繰り返している。
 今のようなありさまなら、腰巾着のようなマスコミなど、すべて消えてしまった方がいいと思う。その方がずっと国民の命は救われるからだ。マスコミの一人一人にも、勧告しておく。今すぐ職を辞した方がいい。さもなくば、あなたたちの手は血に染まる。米国はアフガン人を殺すが、あなたたちは自国民を殺す。なぜなら、あなたたちが言論人としての職分を果たさないせいで、政府の無知が放置され、多くの人々が断末魔の声を上げて死んでいくからだ。これは真実である。今もまた一人死んでいく。


● ニュースと感想  (10月23日)

 あちこちの書評などで、新刊の経済書の紹介。また、文藝春秋(発売中)では、景気回復策をめぐる4者対談の記事。
 彼らは次のように提案する。
「公共事業を増やせ。ただし在来型ではなく福祉型で」
「一部の産業に優遇税制をせよ」
「高所得者に限定して減税せよ」
 全部、間違いである。そもそもの話、原因をつかめていないからだ。原因をつかめなければ、結論は見当違いとなる。
 では、原因は何か? 前日の 《 補記2 》 で述べたとおりだ。つまり、「消費の縮小」である。今や消費の縮小が、 50兆円規模で起こっている。とすれば、50兆円を埋める対策として、10兆円規模の景気刺激をしても、効果はまったく不足するのだ。そのことは歴史的に証明されている。過去を見るがいい。すでに 10年間で 100兆円程度の金をつぎ込んできたのだ。それでも効果はなかった。つまり、不十分な金をつぎ込んでも、何の効果もなく、無駄に蒸発してしまうのだ。 (下り坂を転げ落ちているときに、弱いブレーキをかけても、底まで転げ落ちてしまう、ということ。 → 第3章 「対策 − 通常の場合」以降。)
 過去の不況は、今よりもずっと浅かった。今はもっと深い不況になっている。全産業と全国民で、50兆円規模の消費縮小が起こっている。このとき、一部の産業や人々に限定して、限定的に財政援助しても、ろくに効果は出ない。「福祉産業とIT産業だけ減税」とか、「高所得者だけ減税」などと限定して、小規模にやっても、まともな効果は出ないのだ。しかも、そのような方法は、不公平であり、基本的な原理に反する。
 では、どうするべきか? 大規模な財政援助をするべきだ。それには、全産業と全国民を対象とするしかない。しかも、公平に。── そして、そのための方法は、ただ一つしかないのだ。 ( → 中和政策 : 全国民を対象にした場合のみ、将来的に費用の回収が可能。つまり、コストがゼロで済む。)


● ニュースと感想  (10月23日b)

 景気対策と言えば、「減税」「バラマキ」という案は最も標準的な方法である。たとえば、米国では、さっさと 12兆円の減税を決めた。 ( → ニュースと感想 9月28日b )
 では、減税( or バラマキ)は、なぜ効果があるか? それを示そう。
 まず、当たり前の話だが、減税をした分の効果がある。減税した分がすべて消費に回るわけではないが、すべて貯蓄に回るわけでもない。消費に回る分は、「限界消費性向」(今は 0.6 ぐらい)を減税額に乗じた額である。つまり、減税のうち、6割程度が消費にまわり、4割程度が貯蓄にまわる。
 とにかく、6割程度は、景気回復効果が出る。30兆円の減税をすれば、18兆円の景気回復効果が出る。これは、ただちに現れる効果だ。この効果によって、景気が回復途上に乗る。すると、人々は景気回復を信じ始める。このあとの 所得上昇・失業率低下 などを信じる。というわけで、財布のヒモをゆるめる。大きくゆるめたりはしなくても、それまでガチガチに引き締めていたのを、少しはゆるめる。というわけで、限界消費性向が高まっていく。そのことで、景気回復効果がさらに出る。……というふうに、スパイラル的に向上して、ついには、不況から脱出する。
 以上のように説明されるわけだ。
 ここで大事なのは、最初に、ある程度まとまった額[ 30兆円など ]が必要である、ということだ。額が少ないと、人々は景気回復を信じないので、限界消費性向は高まらない。かくて、景気回復に、失敗する。

    【 付記 : 専門的 】
 なお、リカードの等価定理 というものがある。これは次のことを主張する。「減税しても、その分、財政赤字が増えるので、将来の増税が予想される。だから、人々は消費を増やさない」
 これは、間違いである。なぜか? もしこれが正しければ、減税とは逆に増税をしてもいいことになる。「今すぐ大幅増税をすれば、財政赤字が減るので、将来の減税が予想される。だから、人々は消費を減らさない」
 こういう推論が成り立つ。これを信じて実行したのが、橋本内閣だ。「今はそんなにひどい不況じゃないし、少しぐらい増税したって大丈夫さ。増税は景気悪化の効果なんかないんだ。財政赤字の削減の方が大事さ。何ごとも、帳簿第一」と信じて、お気楽に大幅増税をした。消費税増税・福祉負担増大である。で、結果は? たちまち景気は急速に冷え込んだ。
 「リカードの等価定理」は、なぜ正しくないか? それは、次のことを仮定しているからだ。
 ・ 増減税をしても、景気は変動しない。
 ・ 増減税しても、(景気変動がないので) 人々の所得は変化しない。
 ・ 消費行動は、(所得変動がないので) 税額にのみ依存する。
 これはつまりは、経済学者の大好きな「もし××が同じだと仮定すれば」という理屈である。しかし、この仮定そのものが間違っているのだから、こういう理屈は意味がない。「リカードの等価定理」というのは、経済学者の大好きなお遊び(欠陥論理をもてあそぶこと)である。だからこそ、こんなものを信じてはならないのだ。
( ※ 大蔵省・財務相の人は、信じていますけどね。だから、大失敗を 4回もやったわけ。)


● ニュースと感想  (10月24日)

 「株価下落で何百兆円もの資産が失われた」という説がある。(読売新聞・朝刊・コラム 「緊急提言」2001-10-20 など。株価で 290兆円。土地で 800兆円。合計 1100兆円ほど。)
 こんな話は、ただの与太にすぎない。私の話も、ときどき与太がまじるが、上記の話は、まるごと与太である。(当人は本気のつもりでいる。たぶん、道化やコメディアンは本気でやるほどおかしい、ということがわかっているのだろう。)
 何百兆円もの資産が失われた? なるほど、そうかもしれない。しかしそれは、帳簿の上の話だ。帳簿の上でバブルがふくらんで、帳簿の上でバブルがしぼんだだけだ。実質的には、何の意味もないのだ。バブル期に消費が増えたのは、そういう勘違いをして、自分の資産を食いちぎっただけだ。── たとえば、100万円投資して、帳簿上で 200万円まで上がったからと言って大喜びして 50万円消費する。そのあと株価が下落して 50万円に下がって、あわてて売る。100万円払ったのに、手元には 50万円しか残らない。先に 50万円消費したが、これは貯金を食いつぶしていただけで、関係ない。結局、100万円得したと夢見ていたが、実は 50万円損していたわけだ。喜劇である。 (こういう阿呆がいるから、カモにする人が出てくる。「株で儲かりますよ、お買いなさい」と口先優しく勧める人たちだ。彼らは自分では買わずに、他人に買わせる。ツノとシッポを隠しながら。)

 ただ、こういう勘違いを、うまく逆用する方法がある。帳簿上でのみ、何百兆円も増やす方法だ。次のように。
 まず、適当なダミー会社を複数設立する。ただのペーパーカンパニーであり、価値はゼロである。これらの会社が株を発行して、政府が全部保有する。次に、これらのダミー会社間で、株を交換して、株の持ち合いをする。そして、これらの会社を、特例により、一括上場する。このあと、これらの会社間で、それぞれの株を交互に買いあう。これらの会社間でのみ、どんどん高値を付けさせる。全体で百兆円くらいになるまで、値を釣り上げる。1株 10億円ぐらいになるかもしれない。(無価値の株であるから、関係者以外、誰も買わないはずだ。誰かが間違って買ったら、そこで減資して株を消してから、またやり直す。)
 こんなことをやっても、もちろん、何の意味もない。ただし、計算上、株式総額および平均株価だけは上がる。かくて、計算上、日本の株式総額は、何百兆円も増えたことになる。実態は何も変わらないが、帳簿の上の数字だけは変わる。
 「バカらしい」と思うだろう。しかし、「バブル時には日本の株式総額が何百兆円もあった」というのもまた、まったく同じ理由でバカらしいのだ。市場価格というのは、少しだけ売ったときの価格、つまり、限界価格である。「限界価格 × 株式総数 = 時価総額」 というふうにして算出した計算上の価格が、「時価総額」だ。これは、「株式を全部まとめて売ったときの価格(= 真の株式総額)」とは、異なる。わかりやすく言えば、「少しだけ売るなら高値で売れるが、まとめてドカンと売れば値は極端に下がる」ということだ。計算上で総額 1100兆円になるというが、そんな大金はどこにもないのだから、現実にその価格で売却することはできないわけだ。計算価格はあくまで机上の空論である。(たとえば、その価格で売るには、誰かが買わなくてはならない。その誰かは、土地を買うために株を売ったり、株を買うために土地を売ったりする。となると、その分、株や土地が値下がりする。こういう効果を全然考慮していないのが、上記の机上の空論。なのに、土地転がしや株転がしをして値を釣り上げ、それが永遠に続くと錯覚したのが、バブル。机上の空論から現実に戻ったのが、バブル破裂。ふたたび机上の空論に戻ろうとするのが、最初の説。)
 ── というわけで、バカらしい話を信じている人のために、そのバカらしさの本質を典型的にした場合を、上記のダミー会社の例で示したわけだ。

 さて。このダミー会社の操作だが、ここに、銀行を仲間に加えてもいい。政府だけでなく、銀行も仲間に加えれば、銀行各社の手持ち資産は帳簿上では何十兆円も増える。だから、いちいち公的資金などを投入しなくても、同じ効果が得られるわけだ。(もっとも、実際に売ったら、その株は無価値だから、1円にもならない。あくまで帳簿上で効果があるだけだ。)
 「そんなことをしたらモラルがすたれて、経営がおかしくなる」という批判も出るだろう。しかし、銀行というのは、もともと政府の「預金保証」の対象となっている。ペイオフがあっても、1000万円までは保証対象となる。モラルを問題にするなら、預金保証を廃止するべきだ。もちろん、そんなことをすれば、取り付け騒ぎが起こるだろうが。
 エコノミストは、モラルなんてものよりも、経済のことを考えるべきなのだ。たとえモラルに反しても、無駄な金を莫大に使って国家経済を歪めるべきではあるまい。だからこそ、何ら実害のない、帳簿上だけの処理に意味があるのだ。
( 参考: → 10月04日 「ウルトラC」)


● ニュースと感想  (10月24日b)

 朝日新聞・朝刊・経済面 2001-10-23 に、不良債権をめぐるインタビュー記事。
 「銀行が貸し渋りをしている、ということはない。企業が投資しないので、資金需要がないのだ。不良債権を処理したからといって、貸し出しを増やすわけじゃない。IT産業に貸し出したら、ITバブルの破裂で、大半が焦げ付いた」
 しごくまっとうな意見だ。私がこれまで何度か主張してきたことを、事実として、現場に詳しい人が裏付けているわけだ。
 なお、ここでは暗黙裏に、他人に反論していることになる。「不良債権処理を進めれば景気がよくなるという意見は妄想だ」「ITに投資すればいいという政府の意見は妄想だ。」というふうに。
 今回の朝日の記事は正しい。朝日もようやく、空虚な妄想を並べるのをやめて、現実の事実を報道する姿勢が出てきたのだろうか。ただし、同日の社説は、相も変わらずだ。「不良債権処理で薔薇色」なんて、新興宗教みたいに妄想を宣伝している。やはり、洗脳から抜け出すのは困難であるようだ。
( ※ 朝日は以前、「IT化で薔薇色」という妄想を振りまいていたはずだ。この妄想は、最近は、やめたのかな?)


● ニュースと感想  (10月24日c)

 朝日新聞・朝刊・3面 2001-10-23 で、「IT大手のリストラ」という大きな記事で、IT産業の大規模な人員削減を報道している。夕刊各紙では、NECが人員の一時帰休を実施しで、赤字決算の見込み。また、「週刊朝日」最新号は、ネットバブルがはじけて、有望なITベンチャーがそろって駄目という話。こういう話は、最近、よく見かける。 ( → 08-0108-3009-30
 つまり、今や、IT産業は、お先真っ暗なわけだ。私が以前、第2章 「IT化 で指摘したとおりだ。当時、経済財政諮問会議は「ITで薔薇色」なんて計画していたが、その構想はとっくに破綻したわけだ。
 さて。
 「利益も出せないような非効率な企業は、さっさと退場してもらった方がいい」という意見が世間にはよくある。 ( →  劣悪な企業 )
 それに従うとすると、まず退場するべきは、上記のように、IT産業(NEC,富士通,ソニーなど)だろう。一方、不況のときにも確実に利益が出るのは、農業だ。となると、「日本は先端産業から撤退して、農業国家になればいい」ということになる。
 すごい意見ですねえ。こういう意見を出す人は、自分で自分の言っていることがわかっているのだろうか? たしかにまあ、日本が工業国家から農業国家になれば、構造改革は果たされる。だから、小泉は喜ぶだろうね。「米百俵の収穫!」


● ニュースと感想  (10月25日)

 《 インタビューの仕方 》
 インタビューの仕方について、やり方がわからない記者が多いようだ。そこで、以下に示しておく。マスコミ向け講座。
 [ 付記 ]
 相手の問題点を突く方法。その例を、ひとつ。
 「……ならば、これこれだ」と相手が主張することがある。「その『……ならば』というのは成立するのですか」と質問するとよい。成立 or 不成立のどちらかが不明であるように話しても、実際は、どちらか一方になることが多い。
 具体的な例は、次に示す。

  〜〜〜〜〜〜〜 以下は具体例 〜〜〜〜〜〜〜

 朝日新聞・朝刊・経済面 2001-10-24 に、インタビュー記事。
 相手は経団連会長。その言い分は、要するに、「不良債権処理をして、その金は税金で尻ぬぐいしてくれ」というのを、レトリック巧みに言っているだけだ。ま、経団連というのは、国の金をむしり取って、企業に回すのが仕事だから、それはそれで、会長としての職務を果たしたことになる。それは問題ない。泥棒の仕事は泥棒だ。しかし、記者がそのことを見抜けず、「はいそうですか」と聞いているのは、情けない。
 どこが問題か? 会長は二つの論理を続ける。「RCCに再生のプロを投入できるかどうかがカギを握る」。そして、「RCCの回収がうまく行かない場合は、税金で面倒をみるしかない」。
 この二つの論理の間に、質問が入っていない。そこが問題だ。
 「RCCに再生のプロを投入できるかどうかがカギを握る」というのは、正しい。では、そのカギの結果は? カギは開くか、開かないか? 「開かない」というのが答えだ。不良債権というのは、日本中で、膨大な数になる。一つか二つだけならともかく、膨大な破綻企業に、再生のプロを膨大に投入できるはずがない。もともと、そんなにいないからだ。だいたい、並みの「再生のプロ」なら、元の経営者よりは悪くなるのが普通だ。たとえば、長崎屋は、いまだに「再生のプロ」が見つからずに、ほったらかしだ。うまく行った「そごう」は、西武グループに面倒をみてもらったわけで、例外中の例外である。── 結局、「RCCの回収はうまく行かない」のは必然である。そして、「RCCの回収がうまく行かない場合は、税金で面倒をみるしかない」と会長は言う。だから、結局、「不良債権は税金で面倒をみるしかない」というのが会長の主張だ。換言すれば、「国民の金を企業に回してくれ」と言っているだけだ。泥棒も同然だ。 (レトリックは巧みだが。)
 そこを突くことができない。ただ「はいそうですか」と記者は聞いているだけだ。なぜか? 先の編集長と同じである。インタビューの基本的な心構えができていないのだ。ご意見伺いの態度でへりくだっているだけで、批判的な精神が欠落しているのだ。
 インタビューの際、外面的には、うやうやしくへりくだった態度をするべきだが、内面的には、刃を鋭く磨いている必要がある。相手が穴を見せれば、ズバリと切る。これが基本だ。

   【 注 】 以上は、相手に情報料を払う有料インタビューの場合。
        無料インタビューでは、相手のPRだけをすることになる。
        (貧乏な新聞社は、そうせざるを得ない。貧すれば鈍す。)

 [ ※ 無断転載 禁止。リンクは可。]


● ニュースと感想  (10月26日)

 不良債権をRCCで時価で買い入れする方針が決まりかけている。これをめぐって、2001-10-25 の朝日と読売の朝刊・経済面に、解説記事。
 「時価とは何かが、はっきりしない。また、不良債権をRCCに渡しても、国民負担になるだけだ」という本質的な指摘である。この点では、朝日も読売も、内容は同じ。ただし、読売はちょっと指摘が生ぬるい。朝日の勝ち。
 今回の朝日の記事は、珍しく、舌鋒が鋭い。「RCCが不良債権の飛ばし先になる」云々と皮肉っぽく述べているし、他の指摘も本質を鋭くえぐっている。偉い。私が何か書こうかと思ったけど、書くまでもないかも。今回の朝日の記事には、心から拍手を送りたい。これぞ、マスコミのあるべき姿だ。
 ただ、つい先日まで、「不良債権処理をせよ」というキャンペーンまがいの記事を連載していたくせに、いざそれが実現しそうになったら、一転して、批判的な記事を載せるとは。マッチポンプだ。無節操だ。……という感じもしなくはないが、ま、厳しいことは言うまい。新聞社にも多様な意見があるのだろう。イヤミは言わないでおこう。 (……と書いたわりには、もう言ってしまったな。すみません。)

 さて。他人を褒めてばかりいては、このホームページの読者が納得しないだろう。そこで私もいくらか、ピリリと辛子を利かせておこう。

 (1) 景気回復効果
 不良債権処理に、景気回復効果を期待する人がいるかもしれない。しかし、景気回復効果はない。あくまで銀行救済のためにやるだけだ。景気に対しては、(倒産や失業などの影響で)景気回復どころか、景気悪化効果がある。それは、長銀や山一などを処理したときの影響を見ればわかる。今後、不良債権処理が進むにつれて、失業率は急速に高まり、景気は非常に悪化していくだろう。当然、「要注意債券」は「不良債権」に転じるので、不良債権処理を進めることによって、不良債権の残高は急速にふくらむだろう。(だから、「やめろ」と言っているんですけどね。)
 (2) コスト(国民負担)
 不良債権処理は、莫大な金がを使う。使っても、資産が手元に残るならいい。しかし、実際には、残らない。そのうちの何割かは消えてしまう。なぜなら、景気は回復するどころか悪化するから、「時価」で買い取った資産は景気悪化につれて「時価」がどんどん下がるからだ。たとえば、1億円の時価で買ったものが、1年後には 7000万円になる。かくて、 3000万円の損失が発生する。この損失は、税金で埋めることになる。
 これは悲観的な予想だろうか? しかし、考えてみるがいい。2年前にも「不良債権処理を」という声はあったのだ。あのころ、今と同じことをやっていれば、どうなっていたか? やはり、上記のように、RCCが時価で買った資産が大幅に目減りしていたはずだ。
 例として、マイカルがある。2年前に、マイカルの債券をRCCが時価で買っていたら、どうなったか? マイカルが破綻したときに残した債券は 7000億円ほど。( → 9月17日 ) これを時価で買うとしたら、当時で(要注意債権として) 5000億円ぐらいになるだろう。こうして払った金がすべて蒸発してしまうことになる。本来ならば、この債権は銀行などが持っていて、自分たちが損をこうむっていたはずだ。なのに、RCCに渡したおかげで、自分たちはツケ払いを免れ、国民にツケ払いをさせることになる。
 こういうことが、今後、続々と起こるわけだ。マイカルの例が 100件あれば、総額で 50兆円。国民一人あたりで 50万円弱。1世帯あたり 200万円ぐらいになる。今回の不良債権処理をすることで、これだけの無駄な負担を強いられる。(なぜ無駄かと言えば、これはまったく払わなくて済むコストなのだ。なぜなら正しく対処すれば、時価より下がることはないので。) しかも、不良債権処理をしたことで景気が回復するならともかく、逆に景気は悪化するので、国民の収入はどんどん減っていく。悪くすれば、あなたも失業して、破産して、全財産を奪われる。運がよければ、 200万円を奪われるだけで済む。
 ついでに言えば、上記の 50兆円というのは、別の根拠からも出る。現在の不良債権総額は 70兆円ほど。( → 10月19日 ) その 70兆円に、要注意債券から転じる分を合わせると、200兆円ぐらいにはなるだろう。それを時価で買って、70兆円。この先の景気悪化で消える分が約7割とすると、50兆円。
 (3) 対案
 どうしてもRCCでやるなら、別の方法が好ましい。RCCには公的資金を投入せず、かわりに銀行の融資ですべてまかなうべきだ。
 こう言うと、「そんなのは粉飾だ! 不良債権を別の不良債権にするだけだ!」と批判する人が出てくるかもしれない。しかし、それは誤解である。RCCが適正価格で買えば、RCCは赤字を出さないのだから、RCCへの融資は不良債権とはならない。全額を正常に回収できるはずだ。── 少なくとも、建前上は、そうである。仮に、RCCへの融資が不良債権になるとしたら、RCCに過剰な高値で引き取らせたことになり、時価買い取りという制度そのものが問題となる。
 だから、資金はすべて銀行の融資でまかなうべきだ。仮に損失が発生したら、国ではなくて銀行が面倒を見ることになるのだから、国民が直接損をかぶることはなくなる。結局、RCC反対論者は、それで文句はないし、RCC賛成論者も、(損失は出ないという建前なので、)文句はない。── どうです? これなら、丸く収まるでしょ? [なお、銀行ごとの不公平をなくすには、銀行別にRCCをいくつも作ればよい。]
( ※ とはいっても、やはり、不良債権処理というもの自体を先送りするのがベストなんですけどね。どうせ金を使うなら、景気対策の方がずっと効率がいいのだが。ノーベル賞の経済学者たちだって、みんなそう言っていますよ。景気が回復すれば、コストなしで不良債権は大幅に縮小するのだから。)

 《 余談 》 構造改革
 小泉は、「特殊法人廃止」「財政赤字縮小」と唱えた。そうして莫大な無駄を削減しようとした。これは立派だ。しかし、口とは逆に、実際には、不良債権処理を進めることで、途方もない赤字を発生させて、莫大な負担を国民にツケ回ししたわけだ。どんな詐欺師も彼には叶うまい。何しろ、十兆円規模なのだ。
 実に、たいしたものだ。これほど巨大な二枚舌をもった首相は、空前絶後だろう。国民を見事にだましたことになる。まったく、「構造改革」というのは、すばらしい煽動的なスローガンだ。「世界に冠たるドイツ(ドイッチュラント・ユーバー・アレス)」とともに、世界史に残りそうだ。


● ニュースと感想  (10月26日b)

 構造改革 v.s. 景気対策。── これをめぐる、二つの記事。
 (1) 読売新聞・朝刊・政治面 2001-10-24 の記事。政府と与党が対立する。「構造改革優先で、国債 30兆円枠だ」 v.s. 「景気回復優先で、国債枠をはずせ」。
 (2) 朝日新聞・朝刊・経済面 2001-10-25 の記事。 経済財政諮問会議 の議事録紹介での議論。「構造改革優先」 v.s. 「景気対策優先」

 構造改革か、景気対策か。── まったく、不毛な議論ですねえ。両方いっぺんにやればいいでしょ。短期的には景気対策優先。長期的には構造改革。両方同時にやる。……誰が考えても、これ以外の答えはありえないはず。中学生でもわかると思うけど。なのに、まったく不毛な議論をするとは。
 ああ、不毛な議論の間に、どんどん景気が悪くなっていく。

 なお、「国債 30兆円枠」というのは、単なる財政主義であり、構造改革とは全然関係ありません。昔から、そういう財政主義は言われてきた。たとえば、橋本内閣の失敗例
 【 注 】 財政赤字を増やさずに、景気対策(財政支出)をするには? 
      その方法は、→ 中和政策 。つまり、「今は減税、後で増税」
      という方法。あとで回収できるので、無駄なコストはゼロ。


● ニュースと感想  (10月27日)

 ソニーが赤字転落! (読売新聞・朝刊・経済面 2001-10-26 )
 これでソニーも、「劣悪企業」の仲間入りをしたわけだ。さて、「不良債権処理」論者は、こう言っていたはずだ。
「赤字企業は劣悪企業だ。市場から退出させよ。存続させても、赤字が溜まるだけだ。さっさと融資を打ちきって、破産処理をしよう。そうして不良債権処理をするべきだ」
 さあ。今こそ、ちゃんと声を上げてください。「ソニーを不良債権処理で倒産させよ」と。それが言えないとしたら、二枚舌ですよ。
 ついでに言えば、ソニーは、日本で最優良の企業である。不況でないときで言うと、ソニーの利益率は 10%であり、他社の 5%の、倍の利益率を誇ってきた。世界最強レベルのブランド力をもつ。そういう最優良の企業を倒産させようとするのだから、つまりは、日本中の企業をみんな倒産させるようなものだ。たとえば、あなたの勤務先はソニーより優秀だと、自信をもてますか?
 まったく、たいした意見ですね。「不良債権処理をすべし」というのは。なのに、こういう意見を、天下の大新聞が公言するのだから、どうなっていることやら。正気なんでしょうか。……
( → 10月24日c


● ニュースと感想  (10月27日b)

 ビッグニュース。私がこれまでさんざん提案してきた 中和政策 の法案がとうとう可決された! ( 2001-10-25 夕刊各紙) ── ただし、日本ではなく、米国の下院で。  (^^);
  ・ 1000億ドル規模。
  ・ 所得税の減税。
  ・ 中・低所得者には、小切手で還元。
 などを軸とする。つまり、「中和政策」とほぼ同様である。「将来の増税が担保されていない」という点は異なるが、「10年間の所得税減税のスケジュールの前倒し」というのが似ているし、また、先のことは別として、当面の策としては、「中和政策」そのものである。(配分方法には若干の差があるが。)
 この法案は、上院は賛成していないので、成立までまだ紆余曲折があるらしく、変更されることもあるらしい。が、とにかく、米国は正しい景気回復策をしっかり理解していることは確かだ。「議論もされない」などということはありえない。

 ひるがえって、日本は、どうなっているのだろう? 「中和政策」に反対する、というのなら、まだわかる。しかし、議論さえしていないのだ。議員もひどいが、マスコミもひどい。国会は政策を決定するのが職務だが、マスコミは多くの情報を提供するのが職務だ。ところが、そのマスコミが、何ら情報提供しない。景気回復策として、「最も標準的な経済手法はどうか。米国で実現に向けていますよ」と情報提供せず、それを隠蔽し、デタラメな手法ばかりを情報提供する。(国民に大損させるという、不良債権処理案。)
 はっきり言おう。今のマスコミは、ただのデマゴークである。ゲッベルスである。嘘ばかりを報道して、真実を一言も報道しない。報道の自由を阻害するばかりだ。報道の自由の敵である。 ( 「いや、違う」と言うのなら、なぜ、米国で当たり前のことを情報提供できないのか。)
 私としては、こんなマスコミなど、全部、出版禁止にして倒産させるといいと思う。かわりに、自由な報道をする、外国のマスコミを招くべきだ。それが国民にとって最も有益だ。とにかく、「今の日本にとって最も重要な情報」について、一言も述べず、情報を隠蔽しているマスコミなど、有害無益である。── それとも彼らは、誰かに命令されて、情報操作しているのだろうか? タテガミの生えた人にでも?  ( → 10月22日補記 〔 不況の原因とマスコミ 〕)

   ※ 逆毛になった頭を鎮めるには、音楽が最適です。心の安らぎ。
      → クラシック音楽を聴けるサイト(英文)
     英語の自動翻訳は
      → エキサイト Web 翻訳

   ※ 米国の法案の詳しい報道は下記の英文ニュースで。
その1 , その2 , その3 , その4 , その5 , その6 , その7 , その8 , その9 , その10 , その11 , その12

● ニュースと感想  (10月28日)

 前日分の続報。
 米国政府の景気刺激策を受けて、米国株価が上昇した。9月11日のテロ以降で最高値となったそうだ。(2001-10-27 夕刊各紙)
 つまり、株価を上げたければ、前日に記述したような政策(中和政策)を採ればいい、ということ。それが証明されたわけだ。
( ※ 株式優遇策という無意味なことをやる極東の某国は、ひどい経済音痴の集まりだ、ということ。さすがに、黄色い猿と馬鹿にされるだけのことはある。「焼け石に水」という言葉を教えてあげよう。)


● ニュースと感想  (10月28日b)

 デパートの売上げが増加していて、ホクホクだという。(朝刊各紙・経済面 2001-10-27 )
 はて、景気が良くなったのだろうか? と読者は思うだろう。実は、この記事は、肝心なことが書いていない。デパート業界全体の総売上げである。
 昨年7月にそごうが倒産して、閉店 or 業務縮小した。その分、客が他店に流れる。デパート業界全体の客数が同じだと仮定すると、そごうで減ると、その分、他店では増えるから、他店では平均して 1〜2割の売上げ増加になっていなくてはならない。なのに、実際には、3%内外の売上げ増加にしかなっていない。これから推定して、デパート業界全体の総売上げはかなり減っているはずだ。それも「大幅に」と言ってよさそうだ。景気は良くなっているどころではないのだ。
 記事では、「店内改装したから」とか、「高級化路線を取ったから」などと解説している。ひどいデタラメだ。そんなことをやっても、そごうの客を取り込めなかったのだ。大失敗と言ってもいいくらいだ。事実を誤認にして、事実とは正反対の解説をつけて報道しているわけだ。「デパート業界全体の総売上げ」という基礎データを抜きにして。ほとんど誤報である。

 なお、今回の記事から、推論を働かせることができる。
 不良債権処理をすると、企業がどんどんつぶれる。その分、他の会社は、業績が向上するだろう。(今回のデパートのように。) 多くの企業で、「5%の売上げ増」を誇り、「新規雇用者の拡大」などを打ち出すだろう。それを見て、小泉は「どうだ。不良債権処理の効果が出た。構造改革は成功した!」と威張るに違いない。しかし、その背後では、倒産企業の分の損失がある。それらの売上げが消滅しており、それらの雇用も消滅している。全体で見れば、経済は縮小していることになる。失業者に対し、国は失業保険として、1人あたり百万円単位で金を払わなくてはならない。莫大なツケが国にのしかかるわけだ。
 表面的には得をしているように見えても、隠れたところまで見れば、総計して、損をしていること。これは、要するに、タコが自分の足を食っているようなものだ。足を2本切り取って、そのうち1本を食う。「1本食えるようになった、万歳! 不良債権処理の成果が出た! 」と叫ぶ。そしてまた、自分の足を切って食う。自分の足がなくなるまで。── こういうことを、今の日本は推進しているわけだ。
(だから、タコの足切りなんか、やめるべきなんですけどね。今のままでは、タコの足はすべて消えてしまうし、あらゆる企業はすべて消えてしまう。最後に残るのは、タコの笑いだけ。)


● ニュースと感想  (10月28日c)

 朝日新聞・朝刊・コラム「私の視点 ウイークエンド」に、漢字表記法への批判的な意見を掲載。「真し」「こう丸」などという交ぜ書き表記への批判。
 これを読むと、朝日などが漢字表記で、いかに「〓〓丸出し」(伏せ字)の方針を取っているかが、よくわかる。

 さて。朝日はこういうふうに、自社への批判を掲載することがある。これは立派だ。愚かな人間が自分の愚かさを堂々と公開するというのは、なかなかできないことだ。朝日はとにかく、「おれは正しい、世間は従え」という意見をやたらと出す(例:外国人単純労働者)のだが、一方で、「わたしゃ馬鹿です、ピエロです」という意見もけっこう出す。なかなか、バランスが取れているのかもしれない。
 ただね。朝日も、文化部のあたりはリベラルらしいが、経済部のあたりは唯我独尊であるようだ。経済記事に対する批判など、一度も掲載しないようだ。「自分への批判は一切拒否」というわけだ。
 だから、仕方なく、私がここで情報公開しているんですよね。朝日の読者は、私のページといっしょに読まないと、正しく情報を得られないわけだ。私は朝日新聞の補足をしているようなものだ。だから私は実は、朝日のためにタダ働きする奴隷なのかもね。それでいて朝日に恨まれたりしたら、「わたしゃ馬鹿です、ピエロです」と泣かなくちゃ。
 [ 付記 ]
 漢字表記については、私も「文字講堂」の「ルビのために」というページで、同様の意見を示している。同種の意見を言う人はけっこう多い。(というか、これが主流で、朝日と狂人は異端。)


● ニュースと感想  (10月28日d)

 経済財政諮問会議についての記事。(朝日新聞・夕刊 2001-10-27 「ウイークエンド経済」の、日本医師会会長の談話。)
 経済財政諮問会議の面々は、医療については素人ばかりで何もわからず、実質的に企画立案しているのは財務省の官僚だ、という話。官僚が帳簿だけで方針を決めているので、現実無視のメチャクチャな政策になる、というわけ。
 さもありなん。小泉も竹中も(他のメンバーも)、ろくに知識もないまま、国の路線を決めているわけだ。彼らにあるのは、「改革の意欲」だけ。それが空回りしている。
 今の日本に欠けているのは、何か? リーダーではない。参謀だ。無知な参謀ばかりだから、間抜けな提案しかできない。首相は決断をするが、決断する前の選択肢がゴミばかりでは、どれを選択しても、クズのような決定となる。
 さて、一番の責任者は、誰か? 私は、マスコミだと思いますけどね。世間に知られていない必要情報を、広く世間に知らせるという、情報の拡散 ・伝達。それをやるのは、マスコミの仕事じゃないんですか? 必要情報なら、クルーグマンやスティグリッツや米国政府など、ある種の集団がすでに示している。それを報道するべきなのだ。なのに、そうせずに、無知な人々を無知なままにしておく。── 本来の仕事をサボっているマスコミの責任は本当に大きい。
 《 余談 》
 ついでに一言。
 「経済財政諮問会議の面々は、専門家のくせに、なぜ無能なのか?」という疑問が湧くかもしれない。しかし、これは、当然なのである。もともと役人が、自分たちのコントロールしやすい甘ちょろい人物だけを、推挙したからだ。つまり、無能であることが、メンバーの要件なのだ。逆に、口うるさいと思われている人物だと、候補に上げられた段階で、絶対に官僚に拒否される。たとえば……


● ニュースと感想  (10月29日)

 IT産業が赤字決算。ソニー・東芝・富士通・NECが、すべて赤字。(読売朝刊・経済面 2001-10-27 など。)
 これを、不思議に思う人もいるかもしれない。「IT産業では生産性が向上しているのに、なぜ不況になるのか?」と。
 しかし、それは勘違いである。話は逆である。生産性が向上するから不況になるのだ。
 たとえば、技術革新により、これまでと同じ生産資源(設備・人員)のまま、生産量が大幅に増加したとする。(あるいは単純にコストダウンしたとする。) すると、当然、価格は大幅に下落する。
 ここで、需要は、どうなるか? これまでは、パソコンの普及率は低かったから、価格がいくらか低下すると、それを上回る大幅な需要増加があった。だから、メーカー側は、単価は下がっても、需要が大幅に増えて、総売上もかなり増えたので、潤った。ところが、近年、パソコンの普及率が高まると、需要の増加が鈍るので、単価の低下を補うだけの需要の増加が生じなくなった。売上げは横ばいになった。そしてさらに普及率が高まると、価格が低下しても、需要の増加はほとんどなくなった。かくて、生産性の向上の分、売上げは下がることとなった。(さらに、メモリでは、生産が過剰になって、投げ売り状態になっている。)
 そういうことだ。ある程度、普及率が高まると(需要が頭打ちになると)、生産性が高まれば高まるほど、生産過剰となる。かくて、生産設備の余剰が発生して、大幅な利益減少とか、大量の首切りとかが発生する。
( → 第2章 IT

 小泉の「構造改革」は、おおむね、この路線を取っている。だから、構造改革を進めれば進めるほど、生産性の向上にともなって、供給過剰となり、景気は悪化するわけだ。
(では、対策は? もちろん、「総需要」を増やすこと。)

 ついでに言うと、「良い物価下落」などというものはない。これを信じている人も多いようだが。( → 毎日新聞社説 。なお、用語の震源地は、日銀 らしい。
 特定産業においてパソコンなどが「価格低下」をするのは、良い。しかし、「物価下落」(デフレ)が起こるということは、全産業における「総需要」が縮小していることを意味する。IT産業で余剰人員が発生したら、他の産業で吸収しなくてはならないのに、総需要が縮小しているせいで、他の産業で吸収できない。
 「物価下落」(デフレ)というのは、倒産や失業や自殺を大量に発生させる。そんなものに「良い」というものはありえない。理由が技術革新であれ、生産性の向上であれ、何であれ、理由のいかんを問わず、「物価下落」(デフレ)というのは、「良い」とは言えないのだ。理由のいかんを問わず、殺人が「良い」と言えないのと同様である。
 「良い物価下落」などを主張する人がいるとしたら、その人は、経済音痴であることを告白するようなものである。そういう経済音痴の意見に惑わされないよう、注意しよう。
(では、対策は? パソコンなどが価格低下したら、その分、他の産業で、価格上昇 [≒ 雇用不足] が必要である。一国全体では、微弱な物価上昇が必要である。しかし、「そんなのイヤだ」と拒む人が多い。その結果が、今の不況である。)
( → ニュースと感想 9月26日


● ニュースと感想  (10月30日)

 「需要統御理論」簡単解説 のページに、新項目を二つ追加。
    ・ 2種類のインフレ
    ・ 物価上昇率と金利の関係  (やや難解)


● ニュースと感想  (10月31日)

 日銀の予測によると、景気はさらに悪化の一途。需給ギャップは拡大し、価格は下落し、倒産も失業も増えるばかり。( 2001-10-30 朝刊各紙 )
 それでも日銀は「インフレ目標」に反対する。「効果がない」というのは、反対の理由にならないから、「デメリットがある」つまり「超インフレになる」というのが理由なのだろう。
 しかし、その心配については、世界標準の経済学が「金融引き締めで超インフレは防げる」と示している。なのに、そういう世界標準の経済学を否定して、日銀流の経済学が正しい、という唯我独尊の主張をしているわけだ。「世界中のノーベル賞クラスの経済学者はみんな間違いだ。おれたちだけが正しい」と。 恥知らずもいいとこだが、よほど自信があるのだろう。

 そこで提案。政府の責任で、「インフレ目標」を実行すればよい。その結果、もし超インフレが発生せずに、弱いインフレだけが発生したとしたら、日銀は間違っていたことになるので、その責任を取ってもらう。リストラである。日銀を倒産させて、新日銀を設立する。平社員は継続雇用するが、管理職以上は全員クビ。特に理事と研究職員は退職金も出さずに路頭に放り出す。……このくらいは当然だろう。とんでもないデタラメを言って国家を崩壊させようとした責任である。 (はっきり言って、日銀は、国家崩壊を実現した点で、ビンラディンなどのテロリストよりも、はるかに悪質である。)
 なお、逆に、もし超インフレが発生して制御不能になったら、世界標準の経済学が間違っていたことになる。その場合は、政府がノーベル賞をもらえるかもね。「奇跡的な新事実の発見」と。(実際にはありえない話。だいたい、世の中に出回るお金が急激に減ったら、札束を出したくても出せない。だから、超インフレはありえない。馬鹿でもわかる単純な話。)

 ついでに一言。
 超インフレというのは、人々が思うほど、大きく心配することはない。たとえば、仮に年率換算 100% の超インフレが発生したとしても、1週間では 1.5% ぐらいにしかならないからだ。その時点でただちに金融引き締めをすれば、年率換算 100% の超インフレは(1週間だけ続いて)年に 1.5% のインフレをもたらしただけで収束することになる。
( ※ この程度ならば、むしろ、発生した方が好ましい、と言えるかもしれない。デフレという大きなマイナスをつぶすことができるからだ。)


● ニュースと感想  (10月31日b)

 失業率が最悪。景気はさらに悪化の見込み。(2001-10-30 夕刊・各紙)
 そりゃ、当然ですよね。「景気回復策」を取るべきなのに、それとは逆に、「景気悪化策」(= 「構造改革」プラス「不良債権処理」)を取っているのだから。……つまり、経済学の示すとおりに、現実は動いているわけです。「悪くしよう」としているから、悪くなっているわけ。
 だから、「今のやり方じゃ駄目だ」「これまでとは別の路線を取らなくてはならない」と理解することが第一なんですけど。……どうなっているんでしょうね。政府も、マスコミも。

( ※ この日の読売・朝刊・社説は「政府は景気回復策を示せ」という意見。あのねえ、無知な政府に、そんなこと、できるわけないでしょ。真実を伝えるのは、政府の仕事じゃない、マスコミの仕事です。景気回復策はすでに、ちゃんと示されているんです。この世界のどこかに。……インターネットでも、検索してごらんなさい。「小泉の波立ち」というキーワードで。  (^^); )


● ニュースと感想  (11月01日)

 「インフレ目標」簡単解説 のページを更新。
    (国債大量発行による、国債暴落の懸念
    (クルーグマン説と量的緩和に関する、細かな補説


● ニュースと感想  (11月02日)

 米国の減税について。
 朝日新聞・朝刊・3面によると、米国ではすでに所得税戻し税を実施済み。独身者に 300ドル、結婚家庭に 600ドルなど、小切手を郵送。7月以降、計400億ドル(約5兆円)の規模。
 これはまさしく「バラマキ」の形の「中和政策」である。「バラマキはけしからん」なんて思っている頭の固い人は、経済学の先進地である米国を見習おう。
 さて。記事では、「各家庭は得た金を貯蓄に回したので、消費は増えていない」と報道している。これを読んで、「それ見たことか。やっぱりバラマキは無意味なんだ!」と喜ぶ批判者も多そうだ。
 あなたもそういう勘違いをしませんでしたか? この点については、すでに「需要統御理論」の 該当項目 の後半で、例の形で示している。── つまり、単に「中和政策」を実行しただけでは駄目で、「需要のコントロール」をする必要があるのだ。そもそもの話、「需要のコントロール」をして、需要を増やすのが、本来の目的なのである。そして、それを支えるための補助的な役割として、「中和政策」があるのだ。だから、主的なものがないまま、補助的なものだけがあっても、効果は十分上がるはずがないのだ。言ってみれば、「減税だけ」というのは、魚の載っかっていない、シャリだけの寿司のようなものだ。これでは効果があまり出なくて当然なのである。

 不況とは何か? 消費の縮小である。だから、不況を脱するには、消費を拡大するしかない。そのためには、需要をコントロールする しかない。これが正解だ。このことを理解することが大切だ。
 ひるがえって、今のマスコミは、どうか? みんなてんでに、見当違いのことばかり言っている。「ワークシェアリングをせよ」「セーフティネットを充実せよ」「不良債権処理を進めよ」「公的資金を投入せよ」「株式優遇税制を実現せよ」 etc. ……そんなことは、すべて無意味なのだ。なぜなら、「消費の拡大」には全然役立たないし、むしろ、「消費の縮小」の効果すらあるからだ。(たとえば、ワークシェアリングで賃金を下げれば、所得が減るので、消費はさらに縮小する。)
 見当違いのことばかり報道するマスコミには、まったく呆れるほかない。100人がそろいもそろって、デタラメと嘘ばかり報道する。どこかに1社ぐらい、真実を報道する社はないものか? 「消費の縮小が原因だ」「だから消費を増やす策以外に解決策はない」と。
 「真実の報道」── このことを忘れたマスコミばかりだ。まことに嘆かわしい。政府の愚かさには十分気づいているようだが、自らの愚かさにはまったく気づいていないのだ。


● ニュースと感想  (11月03日)

 日本の新聞って、まったく興味深いですね。読売と朝日の社説 2001-11-02 を読んでの感想。
 読売の方は、「ほぼ隔日」という感じで、「景気の危機」を警告する。これは大したものだ。船が沈没しかけているときには警鐘が絶対に必要だろう。ただ、それはいいのだが、内容が毎度同じなのが残念だ。「インフレ目標を」と唱えるのはいいが、なぜそうなのかがわからない。米国の減税を引用するが、「日本では減税を」とは言わない。(ま、課税最低限がすごく上がっているから、単純な所得税減税では効果はないんですけどね。)……つまり、警鐘はいいのだが、「じゃ、どうすりゃいいの」という解答を示してくれない。鐘を叩くだけだ。毎回、同じ音で。

 朝日の方は、これはすごい。だいたい、紙面が戦争一色である。「不況? それ、どこの国のこと?」といった感じである。自分の船が沈没しかけているときに、よその船の争いに血眼になっている。呆れますねえ。そんなに戦争が面白いですかねえ。出歯亀根性ですね。他人の「〓〓丸出し」より、自分が「〓〓丸出し」なのに気づくべきだと思うんですけどね。
 おっと、話が逸れた。紙面全般ではなく、社説で言うと、この日の 社説はすごい。これほどすごい社説を見たのは初めてだ。史上1位の座を獲得できるだろう。まったく、最悪のジョークである。

 内容は、新生銀行への批判。新生銀行は、
   ・ 融資の審査を厳しくする。
   ・ 危険度に応じて金利を上げる。
   ・ 危険企業からは融資を引き上げる。
 といった方針を取っていて、融資の総枠を減らしている。そのことを朝日は批判する。「けしからん」と。
 しかし、新生銀行は、当たり前のことを当たり前にやっているだけである。上記の三点は、当然のことなのだ。 ( → 倒産の危険性
 で、朝日は、「それがけしからん」と主張しているわけだ。つまり、「危険な企業にもどんどん甘ったるく貸し出せ」と主張しているわけだ。

 さて。他の銀行は実際に、朝日の主張通りにしている。で、その結果、どうなったか? 莫大な不良債権の山である。途方もない赤字の山を築いた。それを自社で処理しきれきない。「だから政府で負担せよ」という結論になる。……結局、朝日は、その論調で一貫しているようだ。「銀行はどんどん不良債権を作り上げよ。しかし銀行だけでは処理できないから、国が税金で負担せよ」というわけだ。
 まったく、ジョークでなければ、狂気だろう。どういう頭で、こういうことを主張するのか、まったく理解できませんね。
 だいたい、新生銀行がやっていることは、「不良債権処理」そのものである。「赤字が生じた企業は劣悪だから、さっさと退出させよ」というのが朝日の主張であり、その朝日の主張に従って、どんどん倒産させている(不良債権処理をしている)だけではないか。朝日の主張に従った銀行を、「けしからん」と呼ぶのでは、自己矛盾だ。いったい、銀行は不良債権処理を、すればいいんですか、しなければいいんですか? 「さっさとやれ」と普段はけしかけておいて、実際にやったら、今回のように「けしからん」と怒るのでは、わけがわからないじゃないですか。
 ── 朝日の論旨を理解するとすれば、それは、ただひとつ。次のように考えることだ。
「人間は正しくなければならない。しかも優しくなければならない。そうふるまうべきだ。そのためにかかる費用は、天からいくらでも降ってくる」
 きっと、そう考えているのだろう。それ以外、理解のしようがない。朝日の主張のすべては、「正しく優しいことをやれ」と言っているだけで、そのための経済学的な裏付けがまったく欠如しているからだ。「金は天から降ってくる」── まことにありがたい妄想だ。こういう妄想を信じていれば、朝日のように、「正しく優しいことをやれ」と言って、善人面をしていることができるわけだ。 (ホントはピエロ面なんですけどね。)

 《 付記 》
 ついでに言えば、経済学的には、どうなるか? 
 正しい方策は、「不良債権をこれ以上増やさず、かつ、企業の経営を好転させること」を実現する策、すなわち、「景気回復策」である。ただし朝日と小泉は、「構造改革 & 不良債権処理」という「景気悪化策」を選択しているから、どうしようもない穴に嵌まって、脱出できないわけ。自縄自縛。 かくて「空からお金は降ってくる」と信じる以外、どうしようもなくなる。……だからやっぱり、この社説は、狂気かジョークだな。
cf.  「構造改革で景気悪化」 → 10月29日


● ニュースと感想  (11月03日b)

 政府が雇用対策で1兆円規模の補正予算。(2001-11-02 夕刊・各紙)
 これは3重の意味で間違っている。
 (1) 効果がない。50兆円の消費縮小のなかで、たったの1兆円だけ出しても、焼け石に水である。少しだけ景気回復効果を出すが、それもすぐに押し戻されて、元のもくあみとなる。要するに、無意味なのだ。( → 第2章の「不安定構造」)
 (2) それでも金をもらった人は、一時的に痛みが和らぐ、という効果はある。ただし、それが、あまりにも不公平である。国民のうちのごく少数の人間だけが莫大な金をもらう。(失業保険など。) 他の人間は1円ももらえない。税金の不公正配分。
 (3) バラマキや減税ならば、国の出した金と国民のもらった金は、釣り合う。失業保険もそうだ。しかし、「講習会への補助金」というのは、無駄(ロス)が発生するのだ。世間でよく言われているのは、こういう声だ。
「真面目にパソコン講習会に出ても、ローマ字も知らない人たちが徹底的に授業を妨害するので、講習が全然進まない」
「おばさんたちが講習そっちのけで、大声でおしゃべりしている。文句を言うと、『出席すると金をもらえるから出席しているだけ。おしゃべりの邪魔をするあんたこそ、私たちには迷惑だ』と反撃される」
 要するに、税金をドブに捨てているわけだ。いや、それより悪い。人々の貴重な時間と人生を奪うために税金を使っている。最悪の政策。

 雇用対策なんてものは、一種の公共事業である。あれほど「公共事業は駄目」と言っていたくせに、こんなことをやる。マスコミも野党も「セーフティーネットを充実して、痛みをやわらげる」などと主張する。── かくて、1億総白痴状態である。
 金を無駄にドブに捨てるべきではない。金は景気回復に使うべきなのだ。雇用訓練なんていう無意味な供給拡大策に使うべきではなく、はっきりと効果のある消費拡大策に使うべきなのだ。……そんなことが、なぜわからないのだろうか?
( ※ これを とすれば、 は「原因(=消費縮小)を理解しないから」となる。)




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「小泉の波立ち」
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