[付録] ニュースと感想 (5)

[ 2001. 11.28 〜 12.10 ]   

  《 ※ これ以前の分は、

       8月20日 〜 9月21日
       9月22日 〜 10月11日
      10月12日 〜 11月03日
      11月04日 〜 11月27日
        11月28日 〜 12月10日

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● ニュースと感想  (11月28日)

 「経済成長率とは何か」という特集解説記事。(読売・朝刊・経済面 2001-11-26 )
 「経済成長率を高めるには、労働生産性(一人あたりの産出量)を高めればよい。そのためには構造改革を進めればよい」という主張である。
 一見、まともな主張だと思えるらしい。「その通り」と思う人も多いだろう。しかしこれは、初めから最後まで、全部間違っている。以下、順に説明しよう。

(1) 経済政策は、労働生産性の向上を、最終目標としている。
 根本的におかしい。経済政策の最終目標は、「労働生産性の向上」ではなくて、「国民の幸福」である。
 考えてみるがいい。労働生産性が急速に向上すれば、失業者が大量にあふれる。実際、IT産業では、そういう現象が発生している。( → 10月29日 ) こういうふうに、「生産性が向上したせいで失業者の大量発生」という現象が、あらゆる産業で発生すれば、大不況になる。失業者や犯罪者や自殺者があふれ、国民は不幸になる。そんな状態が最終目標であるはずがない。「生産性が向上すればそれでいい」というものではないのだ。むしろ逆効果になることすらあるのだ。
( ※ ついでに、余談ふうの話。「一人あたりの産出量」の向上は、実は、産業効率の向上はなくとも、労働時間の増加があれば達成される。死ぬほど働かされて過労死する(そうして経済を成長させる)ことは、目的とはならない。「時間あたりの産出量」は増えることが望ましくとも、「一人あたりの産出量」は増える方が望ましいとは限らない。)

(2) 労働生産性の上昇率は、80年代には年 3%だが、90年代には年 0.6%。このように下がった理由は何か? 製造業と非製造業を比べてみると、非製造業の方が低下率が大きい。だから、非製造業に原因がある。
 根本的におかしい。非製造業の生産性向上率が、製造業の生産性向上率よりも低いのは、当たり前のことだ。どんな国でも、どんな時代でも、そうだ。もちろん、好況のときもそうだ。好況のときだって、非製造業の生産性向上率は、製造業の生産性向上率よりも、ずっと低かった。つまり、非製造業の生産性向上率の低さは、不況の理由にはならないのだ。
 では、90年代に生産性向上率が低下した理由は、何か? それは、景気が悪化したからだ。つまり、「生産性が低下したから景気が悪化した」のではなく、「景気が悪化したから生産性が低下した」のだ。原因と結果を間違えてはいけない。この件については、次の箇所で詳しく説明した。( → 「需要統御理論」簡単解説

(3) したがって、非製造業の生産性を高めれば、経済成長率は上がる。
 根本的におかしい。製造業では生産性が高まっているゆえに、労働者が不要となり、余剰人員が発生する。だから、その分を、生産性の向上しない(余剰人員を発生しない)産業で吸収することになる。これが自然なあり方だ。
 実際、過去の歴史を見れば、どこの先進国でも、そのような事情が見られる。第二次産業の労働者はどんどん減少し、第三次産業の労働者がどんどん増えていく。第三次産業では、生産性が向上しないからこそ、多くの労働者を受け入れることができたのだ。つまり、生産性の向上しない産業は、どうしても必要となる。
 もし第三次産業でも生産性を高めたら、どうなるか? たとえば、銀行で現金の受け渡しを、窓口業務から、ATM に変更したら、その分、雇用が減少した。これをさらに波及させれば、コンビニやスーパーなどの労働者はすべてロボットに置き換えられてしまうかもしれない。そうなったら、第三次産業の労働者は不要となり、何千万人という大量の失業者が発生する。しかも、その失業者を吸収するところは、どこにもない。
 はっきり言おう。「生産性の向上」とは、「高収入」の道である。その点だけを見れば、望ましく見える。しかしそれは同時に「雇用減」の道でもあるのだ。両者がうまく調和しているなら、好ましい状態となる。しかし、「何が何でも生産性の向上を目指せ」となれば、一部の人は高収入を達成するかわりに、大多数の人は失業してしまうのだ。「生産性の向上はバラ色だ」などというのは、夢想にすぎない。それは物事の半面しか見ていないのだ。

(4) 非効率な産業の生産性を高めるには、構造改革が有効だ。政府の規制や保護政策をやめて、自由な市場を形成すれば、非効率的な産業から効率的な産業に経営資源が移動する。かくて、経済全体の生産性は高まるし、人々の生活水準は高まる。
 根本的におかしい。構造改革は 90年代の方がずっと進んでいるのだ。80年代には、「何もしなくてもどんどん売れた」ので、構造改革はあまり進まなかったが、90年代にはリストラによって構造改革がどんどん進んでいる。なのに、生産性の向上率は、逆に、下がっているのだ。
 要するに、(2) の原因を正しく理解できないから、こういう間違った結論を出す。現実を見て結論を出すのではなく、自分の理屈に従って強引に嘘の結論をこね上げる。(小泉と同様だ。)
 まず、原因を正しく理解することだ。つまり、「生産性があまり向上しないのは、景気悪化が原因だ」と。すると、「マクロ的に生産性を高めるには、景気を良くすればよい」とわかる。
〔 ※ なぜ景気を良くすれば生産性が高まるか、については、(2)の → の参考箇所。〕
〔 ※ 景気を良くしないまま生産性を高めれば、経営資源は、他の産業に移行せずに、遊休するだけだ。失業など。〕

 【 結語 】
 「生産性を高めることは大事だ」というのは、部分的には真実である。しかしそれは、物事の半面しか見ていないのだ。つまり、供給の面だけを見ていて、需要の面を見ていないのだ。だから正しい理解ができない。
 「生産性を高めれば経済成長率が向上する」ということが成立するのは、「需要が十分にあれば」という仮定が成立する場合のみだ。需要が十分なら、供給力が向上した分だけ、経済は成長する。しかし、需要が不足しているときは、生産性を高めて供給力を向上させても、何の効果もない。単に「余剰分」(供給と需要のギャップ)が増えるだけだ。しかも、そのせいで「投げ売り」が起こるから、効果があるどころか、逆効果が出る。(それがデフレだ。)
 「生産性を高めて供給力を高める」というのは、長期的には大切だと言える。しかし、中期的な景気変動には、有効でないのだ。不況は中期的な景気変動(需要が一時的に縮小した状態)である。それを解決するには、「生産性を高めること」「供給力を高めること」ではなくて、「需要を拡大すること」が大切なのだ。不況のときに供給を拡大すれば、景気は回復するどころか、かえって悪化してしまう。
 不況の原因は、「需要」の側にあるのに、「供給」の側ばかりに着目するから、物事の真実を見抜けなくなってしまう。そして、見当違いな「生産性向上」「構造改革」をめざして経済運営をするから、今や、需要不足のまま、景気はどんどん悪化していくのである。
 「まず需要を拡大すること」── それこそが不況のときは大切なのだ。そのことを理解して実行すれば、経済を成長させ、同時に、生産性を高めることができる。

 [ 付記 ]
 以上、かなり手厳しく批判したが、筆者が特別に無知であるわけではない。このような意見は、多くの経済学者も信じているし、小泉も信じている。だから彼らは、景気を回復させようとして、逆に景気を悪化させている。「景気を回復させるには、生産性を向上させればいい。だから、劣悪な企業を退出させるため、日本中の企業をどんどん倒産させてしまえ」と。……今の日本の状況を示す言葉がある。「衆愚政治」だ。

( ※ 生産性と景気との関連は → 9月22日b10月24日c9月26日第2章「IT化」
( ※ 専門的な詳しい話は → 需要統御理論 および 要点


● ニュースと感想  (11月28日b)

 銀行の不良債権処理が加速。各社総計6兆5千億円。(朝刊各紙 2001-11-27 )
 単純に喜んでいる人も多いようだ。しかし、よく考えてみるがいい。これでもう銀行の財布は空っぽになったが、不良債権はまだまだ残っている。 となると、どうする? もちろん、国が金を出すしかない。国が金を出すということは、つまり、国民の一人一人が金を出すということだ。あなたの財布から何十万円かを奪い取って、不良債権処理という帳簿処理のために使うのだ。
 さて、それで、効果が出るなら、まだいい。しかしこれは、赤字処理というただの帳簿処理のために使われるだけだ。景気刺激効果はゼロだ。公共事業よりもさらに悪い。不良債権処理は、やればやるほど失業者が発生するので、景気は回復するどころか悪化する。メリットはただひとつ。帳簿がきれいになることだけだ。
 「帳簿がきれいになれば景気が回復するはずだ」という妄想をふりまく人もいる。なるほど、コストがかからなければ、そうだろう。しかし実際には、コストがかかる。国民の金は大幅に奪われるし、失業者は大量に発生する。帳簿はきれいになっても、実体経済はどんどん悪化していくばかりなのだ。
 銀行はこれまでさんざん妄想をふりまいてきた。「今回で不良債権の引き当ては十分に済ませました。来年からは大丈夫」と。しかし実際には、処理をすればするほど、不良債権は積み上がっていった。
 「不良債権処理で景気回復」という妄想は、そろそろ捨てるべきだ。それはいわば、「穴を埋めれば穴がなくなる」という理屈だ。馬鹿げている。肝心のことを失念しているのだ。穴を埋めるには、その分、よその土を持ってこなくてはならない、ということを。「よその土」とは? あなたの財布の金だ。


● ニュースと感想  (11月29日)

 経済財政諮問会議の「中期経済財政展望」。( 朝刊各紙 2001-11-28 )
  ・ 今後2年程度はゼロ成長。
  ・ 2004年以降は、実質 1.5%成長、名目 2.5%成長。
  ・ サービス業などの成長産業が、成長を主導する。
 というもの。まったく、ひどい話。

 (1) 今後2年程度はゼロ成長
 これはつまり、「今後2年間は不況を脱出できず」という無為無策の宣言だ。
 また、ゼロ成長になるはずだ、というのも、大甘の予測だ。来年は不況が悪化してマイナス成長が懸念されているというのに。

 (2) 2004年以降は、実質 1.5%成長、名目 2.5%成長
 差し引きして、1%の物価上昇率。「インフレ目標はダメだ」とい主張しながら、それとは反対に、プラスの物価上昇率を見込んでいる。呆れた自己矛盾。
 ここでは前提として、「景気回復には物価上昇がともなう」ということを、理解している。それがわかっているなら、より強い景気回復(より高い物価上昇)が必要だ、とわかるはずなのに、そこまで踏み込めない。軟弱。肝っ玉なし。かくて、いつまでたっても健全になれず、だらだらと病み上がり状態。
( → 低めの物価上昇率

 (3) サービス業などの成長産業が、成長を主導する
 「新たな産業で経済成長」という妄想。新たな産業ではなくて、既存の産業が全体的に成長することが必要なのだ。自動車も、電器も、流通も、不動産も、あらゆる産業がすべて成長する(低迷から脱する)ことが必要なのだ。それが「景気回復」ということだ。そんなこともわからないで、新規産業ばかり見ていたら、見捨てられた他の産業はどうなるのだろうか? ITとサービス業以外は、全部ドブに捨ててしまうつもりだろうか?

 【 まとめ 】
 あまりにひどい。「構造改革」という言葉に、自己陶酔していているだけだ。「南無阿弥陀仏」のかわりに、「構造改革、構造改革」と、お経のように唱えていれば、万事うまく行くはずだ、……という宗教的な妄想だ。経済学的な知識もゼロだし、現実の認識もできない。それどころか、何をするべきかさえ、理解できない。「2年間は何もできません」と居直っている。「今すぐ不況を解消せよ」という声に耳をふさいでいる。 このままだと、大恐慌になるかもしれない。かくて、日本経済そのものに、「南無阿弥陀仏」と唱えるハメになる。
( → 11月24日


● ニュースと感想  (11月29日b)

 「戻し減税を 10兆円ずつ 10年間」という提案。(朝日・投書面・コラム 2001-11-27 )
 素人学者の、思いつきの提案のようだ。これは「中和政策」に似ているが、全然ダメ。なぜかと言うと……

 (1) 10兆円では、規模が小さすぎて、効果がない。その実例は? 過去の公共事業。 ( → 「落ち込んだ場合」 ) 
 (2) 10年間も実行するのでは、将来景気が回復したときに、インフレになってしまう。
 (3) 自然増収で財政収支が改善する(減税分がすべて回収できて、さらにはお釣りが来る)、という大甘の予測は、レーガノミックス。しかし、レーガノミックスが予測に反して双子の赤字を作り出したことを、もう忘れている。

 結局、不況脱出の効果はないが、景気回復後にインフレを起こす効果はある。メリットはなくて、デメリットだけがある。最悪。予測だけは大甘で、自己陶酔しているだけ。
 では、正しい政策は? 以上の (1)〜(3) を、すべて逆にすればよい。つまり、中和政策 である。


● ニュースと感想  (11月29日c)

 記事4件へのコメント。(朝日・読売の朝刊・経済面 2001-11-29 )

 (1) 新潟鉄工所の倒産。(朝日)
 「倒産の理由は国内需要の縮小だ」という指摘。正しい指摘だ。ただ、コメントが足りない。私が以下のように、コメントを追加しておこう。
 「不況では、劣悪な企業が退出するので、構造改革が進む」
 という主張がある。これはまったく正しくない。劣悪だから退出するのではなく、国内需要の縮小のせいで退場を迫られるのだ。あらゆる企業が、売上げ減少で、劣悪にさせられるのだ。……このことを、今回の倒産は示している。
(結論。構造改革という名の不況促進策によって、日本経済の効率は、向上するどころか、かえって悪化していく。)

 (2) 世論調査。(読売)
 「痛みが出ても構造改革が必要だ」という主張に対し、世間の多くが「イエス」と支持した、という世論調査結果。
 まったく、無意味な調査だ。質問を間違えている。「痛みを覚悟すれば構造改革が進む」というのは、小泉の主張(妄想)であり、これを前提とした、誘導質問である。誘導質問などに、意味はない。
 「構造改革は、痛みがあるだけで、かえって改革を遅らせる」というのが事実だ。(上述の通り。) なのに、事実とは懸け離れたところで、妄想を前提として、質問する。……何やってるのかね。統計のお遊び?
( → 景気回復によって構造改革

 (3) 日本での量的緩和。(読売)
 「量的緩和をすれば、景気が回復する」という経済部記者の主張。
 呆れた話。「流動性の罠」という基礎知識を全然理解していない。
 そもそも、今の不況の理由は、「個人消費の縮小」だ。ここでは、量的緩和をしても、消費は増えないのだから、景気回復効果はない。また、たとえ景気回復効果が少しだけあったとしても、効果が出るのはずっと先の話だ。個人消費の拡大のために、「今すぐ 多大な 効果」を出すには、国民に直接、多くの金を渡すしかないのだ。
 あなただって、そうでしょ? 日銀が量的緩和をした( = 銀行の倉庫にお金を山積みした)からと言って、あなたの所得が増えるわけじゃない。なのに、あなたは消費を増やしますか? まさかね。財布はカラなのに。…… 一方、あなたの手元に 50万円の小切手が送られてくれば、そのうち何割かは消費しますよね。 ( → 中和政策

 (4) 米国での量的緩和。(朝日)
 FRBの理事がの講演。「低金利でも、さらに金融緩和を」と。つまり、「不況がさらに深刻化したときのために、利下げ余地を残すべきだ」という考え方を否定している。「不況が深刻化してからでは、流動性の罠に陥るので、手遅れになる。そうならないうちに、金融緩和をするべきだ。さもないと、日本の二の舞になる」という考え方。
 これは、前に私が主張していたことと、まったく同じである。( → 米国景気への対処法
 「南堂の言うことは変だ」と思う人も多いが、FRBはちゃんと私と同じ考えをもつわけだ。それも、私よりもずっと遅れて。── 米国での常識は、日本では非常識。(経済学の後進国の宿命か。)


● ニュースと感想  (11月30日)

 今後の景気への見込み。
 「今は景気が悪いが、あとで良くなるさ」と思っている人も多いだろう。しかし、これは楽観的に過ぎる。「景気循環」というのは、実は、「ほったらかしておけば、いずれよくなる」という甘いものではないのだ。
 「今は好況でも、やがては不況になる」という考え方がある。これは、一応正しい。たとえば、バブルがある。このころ、ぜいたくを楽しんだが、これは富の先食いにすぎなかった。帳簿の金(地価・株価)が増えたからといって、さんざん浪費したが、あとで帳簿の金が減れば、ツケ払いをするハメになる。無駄づかいした分は、ちゃんとあとで払う必要がある。プラスマイナスしてゼロである。
 一方、「今は不況だが、やがては好況になる」という考えは正しくない。なぜなら、今の状況(景気後退どころか大不況)は、単なる消費の縮小ではないからだ。単なる消費の縮小ならば、貯蓄が増加する。今は我慢していれば、貯蓄が増加するので、その分、あとで支出を楽しめる。しかし、事実は、そうではないのだ。今や、失業や賃下げがあふれている。所得そのものが減少している。経済そのものが縮小してしまっている。つまり、消費が縮小したからといって、その分、貯蓄が増えているわけではない。プラスマイナスしてゼロではなく、マイナスである。
 だから、「景気循環」というものは、好況がつぶれることについては成立するが、(大きな)不況がつぶれることについては成立しないのだ。下手をすれば、(大きな)不況はいつまでも続く。
 「不況はいつまでも続く」というのは、夢想ではなく、現実味がある。米国の 1930年代の不況は、ニューディールでも解決できなかった。(第二次大戦の発生まで続いた。) 日本の場合、現在、10年不況のあとで、「世界同時不況」に襲われたわけで、事情はずっと悪い。このあと 5年か 10年ぐらい 続くかもしれない。
 前日の 経済財政諮問会議 の中期的展望 は、将来をひどく楽観している。「たぶん2年もすれば景気は回復するだろう」と。しかしそれは、「今日は雨だから、明日は晴れだろう」というのと同じだ。何の根拠もない。ほとんど妄想である。そう言えば、十年前にも、同じことを言っていましたね。「3年後には景気はきっと回復するはずだ」と。同じ主張を、十年間、言い続けている。経済財政諮問会議なんてものは、必要ない。かわりにテープレコーダーを、十年間回していれば、それで足りる。


● ニュースと感想  (11月30日b)

 IT講習会の実情。
 小泉の進める「高齢者向けのパソコン講習会」。これに実際に参加した高齢者の意見を、私の近辺で聞いてみたら……
 「私たち高齢者も、小泉さんのIT政策のおかげで、パソコンを使えるようになりました。ありがたや、ありがたや」
 という声はなくて、逆に、
 「やっぱり私たちには無理だなあ。英語や運転免許と同じだ。年を取ってから、いきなりやっても、無理ですよ。覚えるそばから、忘れていく」
 という声である。彼らは「無駄」と批判するが、それは彼らにとって、努力と時間が無駄になる、ということ。つまり政府は、他人の人生を無駄にするために、無駄な金を使っているわけで、二重の無駄。何もしない方がずっと、世のため人のためになる。
 要するに、「特殊法人改革」で浮いた金があっても、別の無駄な用途に浪費する。それが小泉の「構造改革」の実態だ。一つの無駄を別の無駄に変える、というだけ。それもまあ、構造改革かもしれないが。
( → IT講習会 11月03日b11月13日


● ニュースと感想  (11月30日c)

 迷惑メールの防止へ、立法化が進行中。(各紙)
 配信拒否をした人への配信を禁止する、というもの。しかし、これじゃ、業者ごとにいちいち配信拒否を連絡するわけで、何十回も連絡する必要があり、手間がかかる。面倒なことには、変わりない。また、配信拒否を連絡したという事実を、証明する手段がない。(業者は証拠を抹殺できる。)
 では、どうすればいい? 業者別でなく、一括して「DMメールの配信拒否」の登録を受ける機関が必要だろう。これなら、証拠が残る。また、迷惑メールの発信を常に自動監視することもできる。
 ( ※ この項目は、無断転載 可。── ただし他の項目は除く。)


● ニュースと感想  (12月01日)

 医療制度改革。財政健全化のための改革。(朝刊・各紙 2001-11-30 )
 こういう「財政至上主義」というのを見ると、小泉は本当にIMFに似ている、と感じざるをえない。「財政緊縮 & 自由経済至上主義」というやつだ。
 これは、どういう結果をもたらすか? いい見本がある。ロシア経済だ。「劣悪な企業は退出」というのを実行した結果、供給能力が損なわれて、初年度に 2500% のインフレ率。そのあとも経済再生は遅々として進まない。10年後の今、いくらかは向上しているが、それを見て喜んで、「自由経済至上主義はやはり正しい」と主張する人もいる。しかし、その間、中国はどうなったか? ラジカセぐらいしか作れなかった国が、パソコンの供給基地と化してきている。三段跳びの向上だ。亀のごとき歩みのロシアとの差は大きい。中国は小泉とは正反対の考え方を取ったからこそ、このような急成長を成し遂げたのだ。(ちなみに、中国の物価上昇率は、かなり高めだ。もし小泉が中国の首相になっていたら、物価を低めに誘導していたので、成長は抑えられたはずだ。ちっ。小泉を中国に輸出しておけばよかった。)
( → ロシア経済の停滞については、スティグリッツの批判 を参照。)

 小泉の今回の方針は? 医療保険で節約できる金額は、1600億円程度。大したことはない。その一方、国民は、病気になった場合の費用を心配して、消費を大幅に萎縮させる。消費萎縮の効果は、1600億円の、数倍から数十倍になるだろう。
 それでもともかく、1600億円を浮かせたつもりになるのだろう。とはいっても、それは、病人というこの世で最も困窮した人から、もぎとった金だ。
 で、小泉は、その浮いた金をどうするか? 前日 に記したとおりだ。IT講習会に使って、無駄に捨てるだけだ。それが小泉の「構造改革」だ。


● ニュースと感想  (12月01日b)

 米国では 90年代、 家庭が過剰消費していたことについて。(朝日・朝刊・経済面 2001-11-30 )
 消費を増やしたのは、(割賦販売や住宅ローンなどで)借金していたからだ。家庭の借金返済額は、60年代には可処分所得の 10%以下だったのが、90年代後半には 20%を突破した。個人債務残高は今や、国全体で 196兆円になった。……という情報。
 なかなか有益な情報である。ここに書き留めておく。( cf. → 10月07日

 [ 付記 ]
 今回の記事では、「人は借金してまで過剰消費する」ということがよくわかる。つまり、うまく消費を促進すれば、収入以上に消費してくれるわけだ。今の日本では、収入のうち多くを貯蓄に回すという状況にあるが、これを「過剰消費する」という方向に導くこと(すぐさま不況から脱出すること)は、政策しだいでは可能なのだ。
 では、その政策とは? もちろん、消費の促進である。つまり、「 需要統御理論 」の方法である。

 [ 付記 ]
 記事の要旨は? 「かつての米国景気は、過剰消費によるものであり、今やそのツケ払いをする時期が来た」というもの。── これは基本的には正しい指摘である。
 一方、エコノミストは 90年代、こう主張してきた。「現在の米国景気の好況は、IT革命によるものだ。根本的に生産性が向上したことが理由だ。だから好況は、一時的なものではなくて、永続する」と。
 それはうたかたの夢だった、と判明したわけだ。しかしながら、奇妙なことに、この夢をいまだに信じている人が、日本には多いものだ。「IT産業を振興して、生産性を向上させれば、日本の景気は回復する」と。小泉もエコノミストもそうだ。……いつまでも夢を見ていて、夢を信じて行動する。夢遊病も同様だ。
 そろそろ現実を認識するべきだろう。「IT産業でバラ色」なんていうことはありえないのだ。IT産業こそ、今や不況の最も顕著な産業なのだ。生産の向上で景気が良くなるということはありえないのだ。( → 11月28日


● ニュースと感想  (12月01日c)

 持ち合い株売却。(読売・朝刊 2001-11-30 )
 銀行 14社の持ち合い株式の売却は、本年度上期に 2兆円。下期は3兆円以上の予定。年間で5兆円以上。
 「不況のときに株なんか売るな」と言いたいところだ。しかし不良債権処理のためには、金がいる。また、2004年9月以降は、株式保有制限がかかるので、今のところ 42兆円を保有している銀行としては、大量に売るしかない。
 かくて、景気はどんどん悪化していく。小泉の政策はとにかく、「景気悪化」で一貫している。唯一の例外は、「2年後に景気が回復する」という 予測 だけ。


● ニュースと感想  (12月01日d)

 失業率は最悪。あらゆる雇用データは悪化の一途だ。(夕刊・各紙 2001-11-30 )
 で、その結果は? 景気はこの先、悪化の見込み。誰もが失業と賃下げの恐れにおびえる。財布はどんどん締まるばかり。そしてまた景気が悪くなる。……
 完全にスパイラル状になっている。なのに、それを認識できずに、「2年後に景気回復」と妄想を唱える狂人が日本政府の中枢を占めている。
 構造改革を進めれば進めるほど景気は悪化していくのだ。( → 10月06日10月29日11月28日 ) その現実を、なぜ認識できないのだろう?
 そういえば、昔の大戦中も、似た例があった。「戦況は悪化の一途だ」という事実を、あるがままに認識することができなかった。そして、「いずれは戦況がよくなる。きっと神風が吹く」というお気楽な妄想を信じた。「自分は正しい」と言い張って、それまでの間違った方針をテコでも動かすまいとした。……まったく、今の政府とそっくりだ。そしていずれも、結果は同じだ。日本の破滅。


● ニュースと感想  (12月02日)

 経済解説の記事。野口悠紀雄による。(朝日・夕刊「ウィークエンド経済」 2001-12-01 )
 「病気の解決には、根本的な対処が必要だ」と、カッコいいことを言う。そして、こう主張する。「企業収益の悪化が問題だ。企業が経済環境の激変に適応していないことこそ、あらゆる症状の原因だ。必要なのは、民間企業の改革なのだ」と。
 つまり、政府のせいじゃない、民間の個別企業がだらしないせいだ、という主張だ。
 実は彼は、別の雑誌の特集記事でも、この手の主張をしている。「民間企業の改革と活性化こそ重要だ」というふうに。
 しかし、この主張は、まったく正しくない。
 彼の主張は小泉とは違うように見える。しかし実は、彼の立場は、小泉と同じである。「ミクロの総和がマクロだ」というものだ。要するに、マクロ経済というものを、まったく理解していないわけだ。そもそも、「ミクロの総和がマクロだ」というのは、素人のよくやる誤解だ。その誤解を正すのならともかく、逆に、広めようとする。経済学者のくせに、まったく困ったものだ。
 では、マクロ的に見れば? 今や、総需要が極端に縮小している。パイ自体が小さくなっている。こういう状況では、個々の企業が何をやっても、国全体では無意味なのだ。どこかの企業が非常に優秀になったとしても、それによって、他の企業の分を食うだけのことだ。その企業が雇用者を 1000人増やしても、他の企業が 1000人以上の失業者を出す。国全体で見れば、何にもならない。
 たとえて言おう。人間が生きるには、毎日一定の食糧が必要だ。なのに、100人の人間に対して、50人分の食糧しか与えなければ、どうしようもない。腕力の強い人間が2人分を食えば、その分、他の人の取り分が減る。こういうとき、「一人一人の腕力の低下が原因だ。腕力を鍛えるのが本質的だ」などと主張するのは、無意味だ。腕力の強い人間だけが生きても何にもならない。全員が生きることが大切なのだ。全員が生きられるだけの食糧を用意することが大事なのだ。── そう理解するのがマクロ経済というものだ。
 なお、こう提案する人もいるだろう。「食糧が不足するなら、みんなで分かちあえばよい。50人分の食糧を 100人で分かちあえばよい」と。── 実は、それを実行しているのが、今の日本だ。全体の量が縮小しているので、各人は生きるため必要な量を得られなくて、どんどん痩せていく。(赤字蓄積や失業発生。) あげく、耐えきれなくなったものから順に、餓死する。(倒産する。)
 さて、こういう現況を見て、「劣悪なものは退出させた方がいい」と唱える人もいる。しかし、勘違いしてはならない。能力の劣悪なものが餓死するのではない。飢えへの抵抗力のないものが餓死するのだ。生死を決めるのは能力ではないのだ。現実を見るがいい。能力のあるIT産業のNECや富士通や東芝などは、大量の失業者を発生するが、一方、能力のない農業は、つぶれずにぬくぬくとしている。「劣悪なものを退出させよ」というのを実行した結果は、能力のあるハイテク産業が消えて、能力のない農業だけが生き残ることとなる。
 【 童話 】
 昔々、ある国では、世界最強の軍隊を作ろうとしました。「競争を勝ち抜いた者だけを選抜すれば、最強の軍隊ができる!」……そう信じて、選抜をしました。各人には米百粒だけを与えて、あとは何も食わせませんでした。飢餓競争です。すると、筋肉隆々の大男はみんな餓死してしまって、ガリガリに痩せたチビ男ばかりが生き残りました。「生き残った彼らこそ最強だ! これで最強の軍団ができた!」と首相と参謀は叫びました。しかし実際に戦争が起こると、この軍隊はまるで役立たずで、国は滅んでしまいました。
 野口悠紀雄は、こういう考え方を取るわけだ。「(劣悪な)不採算企業が生き延びるのは良くない」と今回の記事では述べている。(自分のホームページ でも同様の主張をしている。) しかし、そんな言い分をまともに実行すれば、すべての企業を倒産させることになりかねない。不況とは、能力向上をめざす競争ではなく、飢餓競争にすぎないのだ。この競争が激化すれば激化するほど、日本の産業体質は痩せて弱体化していくのだ。(農業だけは生き残るが。)
 経済学者たるもの、もっとまともな知識を得るべきだろう。「競争万歳! 競争が経済を活性化する!」というのは、ミクロでは成立する。しかし、ミクロとマクロとでは、話が違うのだ。
 「ミクロの総和がマクロだ」ということはない。「ミクロにおける企業収益悪化の総和が、マクロにおける日本の不況だ」ということはない。原因と結果を取り違えてはならない。「企業の効率低下のせいで  不況が起こる」のではない。「不況(総需要縮小)のせいで  企業の効率低下が起こる」のだ。
 ( cf. 劣悪な企業の退出生産性の向上で景気回復


● ニュースと感想  (12月03日)

 「不況の原因は、バランスシートにある」という意見がある。
 「バブル破裂により、1100兆円〜1300兆円の富の消失が(帳簿上で)発生したが、このせいで不況になった」というわけだ。「すべては帳簿の問題だ。帳簿の数字が動いたから、実体経済は動いた」というわけであり、「帳簿の数字が赤くなったから、国民の顔は青くなった」というわけだ。── 本当にそうか? 否。

 第1に、帳簿上の問題は、あくまで帳簿上の問題にすぎない。単に帳簿上で、数字が一時的に上がった(バブル期)が、そのあとまた、元の数字に戻っただけのことだ。最初と最後を通してみれば、巨額の資産縮小が実際に発生したわけではない。(このことは、すでに述べた。 → 10月24日
 なお、元の価格よりも下がった分もある。その分だけが真の資産縮小である。1100兆円〜1300兆円の富の消失が起こった、というのは、話が過剰に過ぎる。8割ぐらいは割り引いて考えた方がよい。残った2割程度だけが「真の資産縮小」だ。
 ついでに言えば、原因と結果を間違えない方がいい。「地価と株価が下がったせいで、景気が悪くなった」のではなくて、「景気が悪くなったせいで、地価と株価が下がった」のだ。景気がよくなれば、また地価や株価は上がる。2割程度の「真の資産縮小」の分は、いずれ自然解消する。それどころか、景気回復にともなって、お釣りが来るだろう。大騒ぎすることはないのだ。

 第2に、資産縮小は損失とは異なる。たとえば 100万円かけて穴を掘って埋めれば、 100万円は無駄に消えてしまうので、 100万円は損失となる。企業が営業赤字を出した場合も、同様である。これらは、純然たる無駄だ。一方、資産縮小はそうではない。どこにも無駄は発生していない。3億円の土地が1億円になれば、売り手は2億円損するが、買い手は2億円得する。国全体で見れば、損得はない。
 バブル破裂による資産縮小も、同様だ。土地や株などの資産をもっている人たちは、 1000兆円損したことになるが、土地や株などの資産をもっていない人たちは、その分安く買えるので、 1000兆円得したことになる。国全体で見れば、損得はない。
 逆に言えば、「資産価値が上がること」は、ちっともありがたくない。今は土地が暴落しているが、逆に、バブル期のように暴騰したとしよう。資産の総額は増えたので、「すばらしい」と経済学者は喜ぶだろう。しかし、国民は悲惨である。住宅ローンの支払いのために、一生、奴隷のごとく働くことになる。企業は不動産に高額のコストがかかるので、物価が上昇して、賃金は下がり、国民は損をする。資産をもっていた人は大儲けだが、他の人は大損だ。国民全体で見れば、損得はなくて、単に所得が、貧者から富者に移転するだけだ。なのに物事の半面だけを見て、「総資産が増えた。すばらしい」と経済学者は喜ぶ。馬鹿げた話だ。

 「地価の下落によって不良債権が発生したのが不況の原因だ」というのが、冒頭の説だ。しかし、不良債権というものには、次の2種類ある。
  ・ 営業赤字により発生した損失
  ・ 地価の下落により発生した損失
 前者は、明らかな損失である。ここでは無駄(マイナス)が発生する。
 後者は、明らかな損失ではない。地価の下落は、無駄(マイナス)を発生させないからだ。では、どうなっているか? 地価の下落による損失は、高値でつかんでしまったことによって生じる。高値でつかんだものが、地価の下落にともなって、帳簿上で損失となった。ここだけ見れば、損失が発生したと思える。しかし、そこで損失となった分は、高値で売った人の利益となった分と、同額である。たとえば、1億円の価値の土地がある。これが一時的に3億円に上がって、また下がった。利口な人間は3億円で売って、2億円儲けた。愚かな人間は3億円で高値づかみして、2億円損した。両者を見れば、全体としての損失や無駄は発生していない。両者の間で、所得の移転が起こっているだけだ。一人が得をして、一人が損をしただけだ。なのに、「全体で2億円の損失が発生した。だから日本経済は不況になる」と主張しているのが、冒頭の説である。

 結局、冒頭の「不況の原因は帳簿の数字のせいだ」という意見は、正しくないわけだ。では、不況の真の原因は何か? それはもちろん、これまで何度も述べたとおりだ。つまり、需要の縮小 である。
(換言すれば、こうだ。景気回復のためには、帳簿の数字を何百兆円も増やす必要はない。単に需要を拡大するだけでよい。)


● ニュースと感想  (12月04日)

 リチャード・クーの評論。(月刊誌「諸君」最新号)
 内容は、彼の 新刊書 の要約ふう。書籍を読むのが面倒な人は、この評論記事を読めば、書籍の内容をざっと簡単に知ることができる。

 内容は、おおむね正しい。特に、不良債権処理をめぐる指摘は、鋭い。 ( → 合成の誤謬

 ただし、不況の原因については、ピンぼけ。
  ・ バランスシートの悪化が問題だ
  ・ 需要の縮小が問題だ
 この二つの意見を混在させて、ふらついている。
 結論としての対処法もまた、ふらついている。
  ・ 政府の財政刺激が大事だ
  ・ 個人消費の拡大が大事だ
 この二つの意見を混在させて、ふらついている。

 では、正しくは? 
 「バランスシートの悪化が問題か/需要の縮小が問題か」という点は、後者だけが正しい。前者は間違いである。(これは、昨日の分で述べたとおり。)
 実は彼は、経済統計を見誤っている。「90年も、99年も、消費性向は同じぐらいだ」と主張しているが、それは、頭と尻尾を見ているだけだ。途中が抜けている。90年代の全体を通じて、消費性向は低下している。そのことは経済白書などの経済統計で示されている。ただ、99年ごろになると、不況の悪化にともなって、収入そのものが低下してしまったため、見かけ上の消費性向が上がっている。実際には、90年代の最初から最後まで、個人消費は一貫して縮小しているのだ。ただ、最後の頃になると、分母自体が小さくなってしまったため、比率が縮小していないように見えるのだ。
 彼はそのことに気づかないから、「不況の原因は、個人消費の縮小ではなく、企業投資の縮小だ」(それはバランスシートが悪化したせいだ)と誤った結論を出す。しかし、本当にそうなら、個人消費を拡大させる必要はなくて、企業だけが投資を拡大すれば済むはずだ。だが、そんなことをすれば、投資過剰つまり供給過剰となって、不況はますます悪化するだろう。逆に、個人消費を拡大させれば、それに応じて、企業投資もハイペースで拡大する。……結局、「個人消費の縮小が根本原因だ」というのを、見極めることが大事なのだ。彼はそのことも指摘しているが、意見をふらつかせるべきではない。
 「対処法をどうするか」という結論もまた、正しくない。「10兆円程度の財政刺激(公共事業)をするべきだ」と主張しているが、この程度では、今の不況を改善するには、量が全然不足している。悪化を食い止める、という程度の効果しかあるまい。350万人もの失業者がいるし、景気はどんどん悪化の一途なのに、すべてを急速に解決するのに、たったの 10兆円程度では、悪化を食い止めるぐらいの効果しかない。彼自身、そのことを主張しているくせに、結論では自分の主張を忘れてしまっている。困ったことだ。……ただ、彼は別の箇所では、例によって話をふらつかせて、「公共事業はダメだ。むしろ個人消費の拡大が大事だ」とも述べている。こちらは、まったく正しい。とはいえ、話をふらつかせるのは、困りものだ。

 結語。
 彼の主張は、意見がふらついている。正しい意見と正しくない意見とが混在している。自分でも自分の考えがわかっていないようだ。しかしまあ、見当違いなことを述べている他の経済学者よりは、はるかにマシである。
 彼は、「自分が転向した理由」という話も述べている。ここでは、今まで自分が他の経済学者と同じ考え方をしていた非を、反省している。これは偉い。どこかのマスコミや経済学者も、このくらいの度量があればいいのだが。


● ニュースと感想  (12月04日b)

 「IBMの成果主義」という記事。(週刊ポスト・最新号)
 「IBMは成果主義で、最高級のプログラマを役員待遇で優遇している」というもの。年収 3000万〜4000万 クラスの報酬を得ている人が、300人ぐらいはいるらしい。で、業績向上はめざましく、この不況時に、6000人ほども雇用を増やす。一方、富士通やらNECやらは、「成果主義」というのを賃下げのために使っているだけのようで、社員の給与は下がるばかり。従業員はやる気をなくして、企業の業績は悪化の一途だ。大量の失業者を発生させてしまう。

 つまり、ケチればケチるほど赤字が溜まり、大盤振る舞いすればするほど黒字が溜まる、というわけだ。まるでイソップ物語みたいだ。しかし、逆説的に見えても、これは経済学的に見てまったく正しい。
 この話は、実に教訓的だ。小泉は、「不況のときは、赤字を減らせ」と言い張る。どんどん歳出を切りつめて、逆に、増税やら値上げやらをする。その結果、ますます不況がひどくなり、赤字はどんどん増えていく。……ダメな企業のボンクラ社長とまったく同じだ。小金をケチって、大金を失う。
 「昔々、ケチで有名な、しまりやのライオンがいました。何でもかんでもケチったせいで、全財産を失い、最後に『しまった』と言いました。」
 子供はイソップ物語を理解する。しかしどうも、小泉にそれだけの知恵を要求するのは無理のようだ。


● ニュースと感想  (12月05日)

 経済財政白書。( 2001-12-04 夕刊 〜 翌日朝刊 ) 。 内閣府白書ページ に 要約としての 説明 pdfファイル あり。)
 注目点は、「物価数値安定目標」の検討を提案していること。つまり、名前はともかく、「インフレ目標政策」に踏み込んだわけだ。
 詳しい話を知りたくなって、上記の pdf 文書を見たら、……
「さらなる量的緩和」と「物価数値安定目標」のメリット・デメリットを検討 → 日本銀行はデフレの圧力を和らげるためのさらなる施策を、検討すべき段階にあると考えられる。
 ま、これでもともかく、「1歩前進」というところだろうか。やっと議論が俎上に載ったということだ。千里の道も1歩から、である。(しかし千里の道は遠い。不況の解決は、来世紀になるかも。)
 それにしても上記の文章の字数が少ないと思ったが、白書本体は、「金融政策について十ページ近くを割いている」とのことだ。ただし、内容はやはり、日銀に検討を促すだけで、自分では何も検討していないようだ。(読売夕刊および朝日朝刊による。)
 困ったことだ。担当者さん。どうせなら、他人まかせでなく、ちゃんと自分で検討しなさい。やるかやらないかは、日銀の問題だが、検討するぐらいは、誰でもできることだ。自分で検討しなさい。そのための資料は、ふんだんに用意されている。統計データをパソコンでグラフにすることに何時間もつぶすくらいなら、2時間ぐらい頭を使って資料を読みなさい。派遣社員じゃないんでしょ? ( → 「インフレ目標」簡単解説

 白書には、その他の点でも、いろいろと問題がある。(以下は、細かな話。)


 【 余談 】 私のページからの無断引用について
 読売夕刊(4日)の記事では、経済財政白書に対して、大阪大学教授の解説がある。そこでは不良債権処理について、こういう趣旨で書いてある。「損失はどこにも消えない」「だから他の人々が負担するしかない」というふうに。ものの見事に、核心を突いている。
 ただしこれは、私がかねがね主張していたことと、うりふたつだ。偶然だろうか? ま、大学教授たるもの、「出典を示し忘れた」ということはあるまい。それは、「他人の意見を自分の意見のように見せかける」ということであり、「論説を盗んだ」というのも同然だからだ。
 ……なお、みなさんにも、勧告しておこう。「論説泥棒」というのは、バレたら、懲戒免職となる。大学教授でも、新聞記者でも、そうだ。それを避けるには、他人の論説を使ったときは、自分で出典を示しておくこと。(常識ですね。)



● ニュースと感想  (12月05日b)

 各国共同の国際学力テスト。32カ国の 15歳男女の調査。「数学応用力」では、日本が第1位。(各紙朝刊 2001-12-05 。読売が詳しい。)
 例年は最低クラス(ブービーなど)だったのに、突然、第1位に。こんな調査が本当なら、統計というものが疑われてしまう。どうにも信じかねる。で、よく調べたら……
 この調査は、サーキットの図形と速度変化の対応を見るもの。若い人なら知っているだろうが、これは、テレビゲームそのものである。「サーキットにおける現在位置」および「現在速度」というのは、レースのテレビゲーム画面に常に表示される。つまり、テレビゲームに慣れているほど有利であり、慣れていないほど不利。(たとえて言えば、「人形の着せ替えの手順」に関するような問題のようなもの。男だったら、「ブラウス」「スカーフ」というような言葉や絵が出た時点で、戸惑う。)
 今回の調査結果は、何を意味するか? 「日本の子供は世界1のゲーム中毒だ」つまり「読書も勉強もしていない」ということだ。そのことは事実として判明している。別の調査では、1日のゲーム時間は、日本の子供がダントツの1位。今回の調査では、1日の勉強時間と読書時間は、日本の子供が、突出したペケである。
 統計というものは、いくらでもゴマ化しが利くのだ。だまされないようにしましょう。


● ニュースと感想  (12月06日)

 新聞批評。朝日・読売の朝刊。( 2001-12-04,05 )
 朝日は3回連続で、失業についての特集コラム。内容は:
  ・ 途上国との賃金格差があるので、雇用の流出は当然だ。
  ・ だから構造改革が必要だが、それには「痛み」がともなうものだ。
   失業発生は、2〜3年、我慢するべきだ。
 というふうに述べる。小泉の「構造改革」の受け売りである。かくて、政府の無策をまったく正当化している。マスコミが政府を批判するのならともかく、政府の提灯もちになっている。ほとんど政府の広報紙である。
 で、主張の通り、失業が発生するわけだが、それに対しては、
  ・ 失業が発生したなら、企業や政府の安全網で対処すべきだ。
   さらに、ワークシェアリングも実施すべきだ。しかし現実には、
   それがうまく行かない。困ったことだなあ。
 と嘆く。
 呆れた話だ。「失業を発生させる構造」というものを是認した以上、「発生した失業が解決できない」のは、当たり前ではないか。一方では、「失業の発生する状態」を是認して、一方では、「失業の解決困難」を嘆く。これは、支離滅裂であり、ほとんど精神分裂的である。いわば、「台風を招け」と主張したあとで、「台風の暴風で家が壊れちゃった。困ったなあ」と嘆くようなものだ。「風邪を引いてもいい」と主張したあとで、「風邪の症状が出て困った」と嘆くようなものだ。
 あんまり呆れたので、仕方なく、「正しい解決法は……」と書こうかと思ったのだが、読売には、ちゃんと指摘した記事があった。( 04日と 05日のコラムや社説。) 大意は:
「デフレという根本的な問題がある。根本たるデフレが解決しない限り、不良債権処理も構造改革も実現できない。デフレ解決こそ最優先の課題だ。そのために適切なマクロ政策が必要だ」
 というものだ。
 正しい。物事の根本を正しく捉えている。政府の間違いを批判し、政府を正面からばっさり切り捨てている。おまけに「小泉デフレ」なんていう新語まで造り出して、イヤミたっぷりだ。マスコミとはかくあるべきなのだ。政府の提灯もちをする新聞社は、これを見習ったらどうか。── といっても、政府の欠点を見抜くだけの、知恵が必要だが。その知恵が……
( ※ 朝日には「経済についての無知」という、構造的な問題がある。構造改革が何より必要なのは、朝日自体の頭なのだ。)

 [ 付記 ]
 ワークシェアリング ……「貧しさを分かちあおう」というわけ。涙ぐましい感動的な話だが、そんなのは童話に任せておけばよい。今は、対症療法的な「痛みの緩和」でなく、根本的な「病根の削除」をするべき。
 インフレ目標 ……読売は、記事で言及している。しかし残念ながら、これも「経済財政白書」と同様だ。「検討すべきだ」と他人に言うだけで、自分では検討しない。まったく、政府もマスコミも、みんな無責任だ。肝心のことを、トランプのババみたいに、自分から手放して、他人になすりつけている。たらい回し。


● ニュースと感想  (12月06日b)

 小泉ボンド構想。05日・夕刊の 自民政調会長発言や、05日の 読売新聞・朝刊1面コラムなど。
 「帳簿のチョロマカシをして形式的に金をひねりだし、公共事業以外の分野に散財しよう」というのが、この構想である。
 この件については、11月12日 も述べたが、しかし、さらに付言しておこう。

 「公共事業以外でなく、ITなどの分野で財政支出を」と主張する。
 しかし、何だかんだ言っても、実は、その考えは、「穴を掘って埋める」というのと同じなのだ。とにかく金が出回ればいい、金を使え、というわけだ。しかし、こういう無節度さは、途方もない巨額の国債残高をもたらした。ほとんど能天気と言える。それこそ、小泉が否定したものだ。
 主張者は、「従来型の公共事業でなくて、ITならば、無駄ではない」と思い込んでいるようだ。しかしそれは、とんでもない誤解だ。どんな分野で穴を掘ろうと、穴は穴だ。「IT分野の穴ならば、無駄ではない」というのは、とんでもない誤解だ。たしかに、いくらかは有効ではあるが、そのくらいの有効さなら、道路建設にもある。「道路建設の無駄はダメだが、ITの無駄は良い」なんていうのは、とんでもない勘違いだ。IT分野であれ何であれ、無駄は無駄だ。
 では、無駄か否かは、どうやって判定するか? 「経済波及効果」ではなくて、「投資効率」(投下資本に対する回収比率)を見るべきだ。ITだろうが、福祉だろうが、その「投資効率」が1を上回るなら、実施すればいいだろう。しかし、そんな部門は、ほとんどない。(あればとっくに、民間が実施している。実際には、民間は軒並み赤字。つまり、投資効率は1以下。) だから結局、上記の主張は、「穴を掘って埋める」「赤字を垂れ流す」というのと、同じことなのだ。
 そもそも、この構想は、根本的におかしい。「改革で浮く金がある。それを財源にすればいい」という妙案(?)だ。しかしそれは、「改革でプラス効果を出しても、そのプラス効果を、すべて無駄づかいで散財してしまおう」ということだ。これでは、何のために改革をするのか、わけがわからなくなる。「ギャンブルは無駄なので、競馬をやめました」と言って、「浮いた金で競輪を始めました」というようなものだ。元のもくあみである。「いや、無駄ではなく、少しは効果があります」と弁解してもダメだ。「競馬には配当金が出るからいいだろ」というのと同じだ。

 では、どうすればいいか? もっといい方法はあるか? ある。「中和政策」だ。これは1円も無駄を発生しない。なぜなら、事業を行わないからだ。金を国民に貸して、それを返してもらうだけだからだ。しかも、国は貸した金以上の金を返してもらえる。国民は借りた金以下を返せば済む。一見、無が有を生むように見える。( → 経済学的なマジック
 この方法は、単年度では赤字にはなる。しかし、5年間程度を通せば黒字となる。かくて財政再建も成功する。しかも、無駄を1円も発生しないので、非常に巨額(数十兆円 〜 百兆円)を支出することができて、急速な景気回復効果がある。たったの半年間で、不況を霧のごとく吹き飛ばすことができる。
 この方法は、アホなエコノミストの主張とは違って、ノーベル賞学者のお墨付き だ。こちらこそ、実行するべきなのだ。


● ニュースと感想  (12月07日)

 「縮む需要」という特集コラムが連載された。「需要縮小」という面から、各分野の現況を報告する記事だ。(読売・朝刊・経済面。06日まで連載。)
 これは不況の本質を正しく捉えている。「個人消費の縮小のせいだ」と。立派だ。
 ただし、だ。そのあとの判断が抜けている。「個人消費の縮小」が不況の原因なら、「個人消費の拡大」が不況解決策だ、とわかるはずだ。 (小学生だってわかるはずですよね。)
 ところが、どういうわけか、読売にはこれができない。「個人消費を拡大せよ」とは言えない。かわりに、別のことを主張する。あれやこれやと。[ 後述 ]……困ったことだ。いつまでも迷走している。
 大切なのは、「個人消費の拡大」なのだ。そう理解するべきだ。 そして、そう理解すれば、次の問題に移ることもできる。つまり、「個人消費を拡大するとして、そのための方法は?」という問題である。
( その問題への解答は: → 「需要統御理論」簡単解説

 なお、夕刊( 2001-12-06 )を読むとよい。
 「米国株式は1万ドルを回復。今年の最安値に比べて、ダウ平均は 23%の上昇、ナスダックは 44%の上昇」
 つまり、米国では、株価がどんどん上がっていく。なぜ? 税制を優遇したからか? 違う。景気が回復する見込みが立ったからだ。それはなぜかと言えば、政府が「個人消費拡大」という施策を取ったからだ。
 小泉ボンドやら官需の拡大やら、馬鹿げたことばかりを提案する日本の政府やマスコミは、米国の施策 ( → 10月27日b ) を見習うがいい。そこには経済学の 最も正統的な施策 が現れている。


● ニュースと感想  (12月07日b)

 青木建設が破綻(民事再生法)。負債総額は 4000億円程度。(各紙・夕刊 2001-12-06 )
 「これで不良債権処理が進んだ! 万歳!」
 と喜ぶ人々が結構いるだろう。しかし、よく考えてみるがいい。それの効果は、ほとんどないはずだ。
 結局、トータルすれば、小さなプラスと、大きなマイナス。ごくおおざっぱに見れば、帳簿の項目の付け替えぐらいで、ほとんど何も変わっていない。これで景気が回復することなど、まったくありえない。(どちらかと言えば、不況がますます深刻化する。銀行の体力は、余力をなくした。危険。)


● ニュースと感想  (12月08日)

 青木建設・破綻の続報。(朝日・読売 2001-12-07 )
 赤字の垂れ流しをしていたわけではないようだ。利益ゼロまたは黒字という範囲で、ぎりぎりの低空飛行が可能であったらしい。しかるに、負債の蓄積による不安がひろまって、急に信用をなくし、受注が急減したということだ。
 つまり、心理的なものが、実態を変えてしまったことになる。

 これは、なかなか教訓的な話だ。「劣悪な企業を退場させよ。そうすれば構造改革が進む」という意見がある。小泉は今回も「これで構造改革が進んだ」と大喜びだ。
 しかし、実際には、劣悪な企業が退出したわけではない。青木建設を「劣悪」と呼ぶのなら、赤字を垂れ流している ソニー・富士通・NEC・東芝 などIT企業こそ、もっとひどい「劣悪」だろう。これらのIT産業をすべてつぶしてしまえ、というのなら、まだ理屈は通っている。しかし、逆に、「IT産業で新型の公共事業をやれ」なんていう意見を出すのは、どういうことか。劣悪でない青木建設を倒産させれば、大喜び。劣悪なIT産業には、逆に税金をプレゼントする。……支離滅裂。論理矛盾。頭が錯乱している。

 では、どうすればいいか?
 「供給過剰なのだから、過剰な供給を減らせば、市場は均衡する」
 というのが、構造改革主義者の意見だ。しかし、供給過剰のときは、供給を減らすのではなく、需要を増やすべきなのだ。どうせ景気が回復すれば、その供給は必要になるのだし、わざわざ減らすのは無駄だ。
 たとえて言おう。2台の車をもっているが、今は1台余っている。このとき、どうするべきか? 供給主義者は、こう主張する。「1台余っているなら、余った分を捨ててしまえ。無駄なものを退場させれば、無駄が消えて、効率が上がる」と。なるほど、それはそれで、需給は均衡する。しかし、いかにも馬鹿げた話だ。どうせあとで、その1台は必要になるのだ。なのに、いったん捨てて、あとで金を払って買い直す、というのは、あまりにも馬鹿げている。莫大な無駄と費用が発生する。一方、需要主義者は、こう主張する。「1台余っているなら、利用したい人を捜して、貸してやればいい」と。この場合も、需給は均衡する。しかも、何ら無駄は発生しない。それどころか、無駄をなくす。(設備の遊休がなくなる。)……この二つのうち、どちらが正しいかは、自明だろう。

 青木建設は、景気さえ回復すれば、自力で存続できた。だから本来、あえてつぶす必要はなかったのだ。(存続させた場合、多大なプラスをもたらしてくれたはずだ。銀行に利子を払ったり、従業員に給与を払ったり、従業員を通じて所得税を増加させたり、法人税を国庫に納入したり。……景気が回復すれば、という条件は付くが。)
 なのに、無理やり倒産させた。その結果、銀行も、債権者も、従業員も、国も、莫大な損失と無駄を発生させることとなった。
 「余っているものは余計だ。自動車でも企業でも、余っているなら捨ててしまえ。そうすりゃ、すっきりする」
 という主張に従えば、莫大な損失と無駄を発生させるのだ。そういう本質を理解できず、単に「帳簿がきれいになること」だけをめざすから、帳簿がきれいになるにつれて、日本の経済の実態はどんどん悪化していくのである。
 景気回復、という根源的な対処をせずに、表面的な帳簿ばかりを気にするから、こういうことになる。今のように、存続可能な企業をどんどんつぶしていけば、最後には、残る企業はひとつもなくなってしまう。「そして誰もいなくなった」だ。


● ニュースと感想  (12月08日b)

 GDPが四半期で減少した。名目では年率換算 3.1%減。実質では年率換算 2.2%減。個人消費の落ち込みが激しいため。(夕刊各紙 2001-12-07 )
 当たり前ですよね。失業率は高まるし、賃金は下がる。所得が減るのだから、個人消費が減るのは、当然。かくて、景気はどんどん悪化する。(これを「デフレスパイラル」と呼ぶ。基本的な経済的事象のひとつ。)
 なのに、これを理解できない人が多い。朝刊でも、「不良債権処理をして、構造改革が進んだ。これで景気が回復するはずだ」と述べている人がいる。つまり、「倒産と失業が出るのは好ましい。所得が減れば減るほど、支出が増える」と思うわけだ。
 狂気の人が多いのだから、まったく困る。デフレはどんどんスパイラルになるし、日本はどんどん左巻きの渦に巻き込まれる。
(経済 …… デフレ スパイラル。 頭 …… レフト スパイラル。)


● ニュースと感想  (12月08日c)

 改正金融再生法が成立。RCCによる不良債権の「時価」買い取りを認める。(朝日・夕刊 2001-12-07 )
 「時価」というと、何だか正当な価格のように見えるが、実際は、「相場よりもずっと高い値段」のことである。その価格では買い手が一人も現れない。なのにそんな価格で国が買うわけ。
 で、なぜ国が買うかと言えば、自分の金じゃなくて、国民の金だから、いくらでも無駄づかいのし放題、というわけだ。ともあれ、この結果、国民の負担は、膨大な額になる。数兆円〜数十兆円になるだろう。どんどこ不良債権処理を進めて、せっせと赤字を発生させ、それを国民にツケ回しするわけだ。

 小泉というのは、まったく、史上最大の首相だね。「構造改革」という名目で、特殊法人・道路予算・郵政事業などを改革した。その経済効果は、数千億円にもなる。彼はそれほど多額のプラスを国民にもたらした。実に立派だ。その一方で、RCCにより、数兆円〜数十兆円のマイナスを国民にもたらした。さらには「不況の継続」によって、国家経済に数年間で百兆円規模の損失をもたらした。……まさしく、空前絶後である。史上最大の政治家と言えよう。ヒトラーに比肩すべき存在だ。ビンラディンなんか、目じゃないね。


● ニュースと感想  (12月09日)

 朝日と読売の記事への批評。デフレが深まってきたことで、新聞もいろいろと提言しているので。

 読売は、「世界同時不況阻止 私の提言」という提言特集。(読売・朝刊 2001-12-07 )
 記事の狙いはいいのだが、いかんせん、人選を間違っている。ちゃんと知識のある人に提言させるべきだった。こんな半可通に提言させても無意味である。
 提言者は二人いるが、どちらも内容はほとんど同じ。
  (1) 「インフレ目標」を導入して、「デフレ阻止」を意思表示せよ。
  (2) 量的緩和や円安誘導をせよ。
 というもの。
 こういうデタラメを言うから、反対論者に論駁されるのだ。以下、説明しよう。

 第1に、「インフレ目標」は、「デフレ阻止」の意思表示をするためにあるのではない。単なる意思表示をするなら、小泉と日銀総裁が、「その意思があります」と言明すればよい。経済政策とは、意思表示という、心理的なことのために行なうのではない。何らかの実効性をもつために行なうのだ。その実効性を、提案者はまともに説明できていない。だから、口先だけで済まそうとするわけだ。結局、提案者は、「インフレ目標」というものについて、何もわかっていないことになる。
( ※ 口先の「インフレ目標」なら、今さら言われなくても、政府はすでに実行済みである。経済財政諮問会議は、2004年以降について「1%の物価上昇」と発表している。 → 11月29日(2)

 第2に量的緩和円安誘導は、正しい策ではない。そもそも「インフレ目標とは何か」ということがわかっていないから、こういうデタラメな提案を打ち出す。以下、説明しよう。
 「量的緩和」は、「流動性の罠」ゆえに、効果がない。(初歩的な常識)
 「円安」は、物価の上昇をもたらすが、人々の所得上昇をもたらさない。これはインフレのように、「物価も所得も上がる」のではなくて、「物価は上がるが所得は上がらない」のだ。実質所得の減少ゆえに、国民の生活は苦しくなり、弊害が非常に大きい。景気回復効果はあることはあるが、所得減少による景気悪化効果もある。 ( → 円安

 結局、経済学を理解せずに、生半可なことを言っても、ダメなのだ。まともなことを言いたければ、まともな知識が必要だ。だいたい、「クルーグマン」の「ク」の字も出てこないようじゃ、話にならない。おのれの無知を暴露している。まず基本的な知識をしっかり学びなさい。
( → 「インフレ目標」簡単解説「需要統御理論」簡単解説

 朝日は、識者のコメントという形の記事。(2001-12-08 朝刊・経済面)
 一人は、某慶大教授。趣旨は前記の読売と、ほぼ同じ。ただ、さすがに朝日だけあって、レベルが低い。「インフレ目標」を導入すべきだと言うが、その物価上昇率は 1.5% である。これは生産性上昇率の 2.5% よりもずっと低い。だからその効果は「景気をやや冷やす」である。「景気回復の方法は?」と問われて、「景気悪化の方法」を示すわけだ。さらには、「国債に課税せよ」だって。「課税を」という点が本質的にダメ。それは景気を悪化させる。さらに詳しく見れば? 利息に課税するのは(もともと低金利なので)無意味。所有に課税すれば普通預金に資金移動するだけだ。何らかの効果があるとすれば、資金が国外逃避する(キャピタルフライト)だけ。……ま、この意見は、素人の与太である。
 もう一人は、野口悠紀雄。こちらは、もっとすごい。「デフレ阻止は構造改革と矛盾する」と言って、「デフレを継続せよ。不況をもっと深刻化させよ」という意見である。彼は「(不況で)企業を効率化させるのが大事」と言う。なるほど、不況は、企業を効率化させる。しかしそれは「生き残った企業は」という限定が付く。生き残った企業は効率を従来比 105% ぐらいに上昇させるだろう。一方で、生き残らなかった企業(設備や人)は、生産しないので、効率を一挙に 0% に低下させる。生き残った企業だけを見れば、効率は上昇するが、日本全体を見れば、効率は大幅に低下する。……さて、彼は同時に、こうも主張する。「産業構造の変化が必要だ」と。なるほど、企業の倒産は、産業構造を変化させる。しかしそれは、「新規産業が成立すれば」という前提が付く。つまり、「需要が十分にあれば」という前提だ。この前提が守られないままで倒産を増やせば、生産しない部分(無駄となる部分 = 遊休設備や遊休人員)がいつまでも滞留するだけで、改革は少しも進まない。なのに、そのことを無視する。遊休という現象が発生することを無視する。需給のギャップというものを無視する。要するに、マクロ経済というものを、まったく無視するわけだ。かくて、「デフレを深化させて日本を破滅させよ」という結論となる。この人はどうも、経済学界のなかでも、特別の傑物であるようだ。
( ※ ただし、この人よりも、もっとひどいのがいる。小泉だ。「日本を破滅させよ」という意見は同じだが、まさしくそれを自分で実行してしまう。)
cf. 野口悠紀雄への言及は → 12月02日 にも。 良い物価下落 も参照。)

 朝日新聞社説。経済財政白書へのコメント。(朝刊 2001-12-09 )
 朝日の社説はこれまで、「インフレ目標には断固反対」と主張していた。で、経済財政白書が「インフレ目標」の導入を示したあとで、何を言うか、興味しんしんで社説を読んでみた。さぞかし立派な反論があるのだろう、と期待して。……しかし、期待はずれ。社説は、これまでとは一転して、「反対する」という言葉をひとことも述べていない。
 呆れた。あれだけ大反対をしていながら、政府が言い出したとたんに、一転して自説を引っ込めているのだ。「お上の言うことには逆らいません。お上がおっしゃるなら、自説もすぐに取り消します」ということのようだ。へいこら、へいこら。ただの腰巾着である。「いや、そうじゃない。お上に従うのではなく、自分で自分の考えを変えただけだ」と弁解するつもりかもしれない。しかし、その弁解は成り立たない。なぜなら、「自説を変えた理由」というのを、ひとことも述べていないからだ。つまりは、「理由なんかない。お上がおっしゃるから、態度を変えただけです」ということだ。
 まったく、朝日というのは、読売とはまったく異なる。読売は政府を大攻撃する。朝日は政府にへいこらする。 よくもまあ、これほど差が出るものだ。

 結語。
 それにしても、日本の新聞を見てつくづく思うのは、本当にトンチンカンぞろいだ、ということ。不況の根源としては、「個人消費の縮小」ということが、はっきりとデータに出ているし、12月07日記事では、そのことを大きく報道している。そのくせ、「個人消費を拡大させよ」という提言をする人は、一人もいない。(私だけだ。)
 民需(個人消費)が減ったときに、「官需を増やせ」とか「供給の効率を上げよ」などと提言しても、無意味なのだ。まったく、マスコミというのは、そろいもそろって、トンチンカンぞろいだ。
(……とはいっても、トンチンカンは、今に始まったことじゃないですけどね。何しろ、バブル期にも、「好況は素晴らしい。日本式経営と財テクで、永遠の好況が続く」と謳い上げていた。そうしてバブルを正当視した。帳簿の数字が上がったことで、自分たちが大金持ちになったと錯覚した。当時、自分たちが何を書いたか、思い出すがいい。特に、朝日の人は。)


● ニュースと感想  (12月10日)

 NHKテレビの「日曜討論」で、竹中とリチャードクー(など)との討論。( 2001-12-09 )
 やたらと長いので、いちいち見てはいられなかったし、論点もボケてしまったようだが、こういう「討論」つまり「意見のぶつかりあい」というのは、なかなか良い企画だと思う。「供給主義者」と「需要主義者」という人選も良い。
 新聞も、こういう企画をしてみたらどうか。テレビと共同企画で、メディアミックスしてもいい。ただ、口頭の討論では「思いつきの話の言いっぱなし」になりやすいから、じっくり考えて書くように、「Eメール討論」ないし「FAX討論」もいいだろう。分量も、掲載しやすい範囲に収まる。
 なお、ここでは、人選が大事。朝日新聞の記事みたいに、「供給主義」一辺倒なんてのは、バランスが取れないので、ダメ。(その点、NHKは朝日と違って、さえている。)

 ついでだが、竹中ばかりがテレビに出てくるのは、何とかならないものだろうか。この人は自分でも言っているように、経済学の専門家ではなく、経済学と政治との中間領域にいる。経済財政諮問会議を見ても、経済学者はいるが、マクロ経済の経済学者はほとんどいない。1人いるだけだ。 ( → 11月11日
 困ったことだ。経済財政諮問会議は、マクロ経済の政策を立案するところなのだから、マクロ経済の経済学者をちゃんと入れるべきだろう。今や、日本の経済運営は、基礎知識もない素人たちによって運営されている。だから、間違った処方を出している。 ( → 10月22日 構造改革の是非


● ニュースと感想  (12月10日b)

 学校のIT設備の状況。(読売・朝刊 2001-12-08 )
 全国の公立小中学校に配備されているコンピュータの総台数は、1校あたりでは、小学校は 16台。中学校は 36台。(総計 82万台。) また、インターネットに接続できるのは特別教室だけで、一般の教室ではケーブルが配線されていない。( 配線済みは 10% だけ)
 ケーブル代なんてのは、はした金なんですけどね。で、かわりに何に金を使っているのか? たとえば、莫大なIT浪費だ。 ( → IT講習会
 また、外務省の「ロシア御殿」もある。この費用は 100億円。全国の小中校 3.4万校に割り当ててれば、1校 30万円。ケーブル代よりもはるかに多額になる。情報教育の基盤をすべて犠牲にして成立する、豪華御殿! しかも、プールつき。さすがに小




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「小泉の波立ち」
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