[付録] ニュースと感想 (11)

[ 2002.02.22 〜 2002.03.05 ]   

  《 ※ これ以前の分は、

       8月20日 〜 9月21日
       9月22日 〜 10月11日
      10月12日 〜 11月03日
      11月04日 〜 11月27日
      11月28日 〜 12月10日
      12月11日 〜 12月27日
      12月28日 〜 1月08日
       1月09日 〜 1月22日
       1月23日 〜 2月03日
       2月04日 〜 2月21日
         2月22日 〜 3月05日

   のページで 》




● ニュースと感想  (2月22日)

 このあと、「財政・金融問題」シリーズを始める。
 私はこれまで、「中和政策」(今の減税と将来の増税)を提案してきた。この件について、財政問題とからめて、詳しく考察することにしよう。

 まずは、1月30日b を再読してほしい。そこにある記述は、このあと何回も取り上げる予定なので、前もってよく理解しておいてほしい。
 ただし一応、ここに要約を記しておこう。
 「増税は損ではないし、減税は得ではない」── このことを深く理解するべきだ。
 一般的には、「増税は損で、減税は得だ」という意見が出回っている。しかし、そんなことはないのだ。増減税は、単に、貨幣価値を変えるだけにすぎない。国民にとって損得はない。たとえば、減税して大金をばらまいたからといって、国民が何台も自動車を持てるようになるわけではなく、単に物価が上がるだけのことだ。
( 例 : 減税によって、貨幣の総量を2倍に増やしたとする。このとき、所得が2倍になっても、物価も2倍になるだけだから、「所得が2倍になった」と喜ぶのは、ぬか喜びだ。たとえば、自動車やパソコンの生産量が2倍になるわけではないから、手元に入る富が2倍になるわけではない。国民全体で見れば、生産した分を消費するだけのことだ。貨幣の量を2倍にしても、商品の生産量が2倍になるわけではなく、変わるのは、値札の数字だけだ。)

 [ 付記 ]
 では、国民が実質的な富を増やすには、どうすればいいか? それには、もちろん、国全体の生産を増やせばよい。当たり前だ。( 貨幣を増やすことで、自動車やパソコンの生産が増えるとしたら? それはもう「魔法」も同様だ。印刷機で紙幣をどんどん印刷すると、自動車やパソコンがどんどん出てくる、というわけ。機械工場などは一つも必要なく、印刷機が1台だけあれば、あらゆる商品が生産される、というわけ。……もちろん、そんなことはない。自動車やパソコンを得たければ、自動車やパソコンを生産するしかない。)
 では、生産を増やすには? それには、「労働時間の増大」「生産性の向上」という二つの方法がある。
 もう一つ、生産量は同じままで、国民の富を増やす方法もある。「国民の取る割合を増やす」という方法だ。……それは、「政府をスリムにする」ことだ。 ( → 2月13日 ) 政府の無駄を省けば、その分、国民の富は増える。つまり、単に「政府をスリムにする」だけで、国民の富が増えるわけだ。たとえば、政府が兵器の購入をやめれば、国民はその分で自動車を購入できる。ここでは、いちいち減税によって金を渡さず、貨幣価値の上昇を通じて、富を渡す。

 [ 付記 ]
 以上の考え方の基本は、「貨幣数量説」と呼ばれるものである。ここで、経済学的な学説を紹介しよう。(教科書に書いてあるようなことを、私の言葉でまとめてみる。)
 貨幣数量説は、次のように定式化される。
   (貨幣供給量)= × (物価水準)×(実質国民総生産)
 ここで、 k は定数である。(「マーシャルの 」)
 この式の意味するところは、(貨幣供給量)と(物価水準)が比例関係にある、ということだ。つまり、貨幣供給量が2倍になれば、物価水準も2倍になる。(これを増減税とからめたのが、先の主張だ。)

 貨幣数量説は正しいか? よく考えると、それは、「k は本当に定数になるか否か」というのと等価である。(なぜなら、上の式では k は単に他の3項目から定義されているにすぎないのと同等だからだ。)
 そして、貨幣数量説は、「上の式は正しい」つまり「 k は定数である」と主張するわけだ。
 では、実際には、どうか? 本当に k は定数か? 過去の実際例を見ると、「基本的には正しい」と結論していいだろう。
 ただし、細かく見れば、数パーセントのズレ(誤差・変動)はある。たとえば、貨幣供給量を金融市場を通じて、5%増やすと、そのことの効果がただちに現れて、物価が上がるわけではない。(つまり、このとき、貨幣供給量の効果を打ち消す方向に、 k の値が5%ほど変化するわけだ。)
 しかし、短期的にはそうでも、2年ほどたてば、貨幣供給量を5%増やしたことの効果が、はっきりと現れてくる。まさしく5%増えたことによる5%分の効果(物価上昇)が現れる。このことは、統計的に、だいたい裏付けられている。また、理論的にも、当然だろう。増やした金がどこかに消えてしまうわけではないのだから、全体を見ればそういう形で釣り合っているはずなのだ。
 結論。
 短期的には数パーセントのズレが発生するとしても、効果はしだいに浸透するので、長期的・大局的には、「貨幣数量説」は正しい。貨幣の増減と、物価水準の増減は、ほぼ比例する。それゆえ、増減税は、国民にとって損得はない。……そして、そういうことを前提とした上で、このあとの議論を進めることとしよう。

 [ 余談 ]
 短期・中期的には、数パーセントのズレが生じることもあるわけで、これが問題となることもある。ただ、これについて考察するとなると、たかが数パーセントに着目するような、詳細な考察が必要となる。というわけで、こういう細かなことについては、あとで考察し直すこととする。
 当面は、「貨幣数量説は基本的には正しい」つまり「印刷機は自動車を生産しない」と考えておいてほしい。このことを前提として、増減税の効果を考えていくわけだ。

 [ 予告 ]
 今回のシリーズは、なかなか面白くなります。最終的には、古典派とケインズ派との争いに決着を付けます。もちろん、足して2で割るわけじゃない。両者に対抗する、第3の道を探すわけでもない。両者を含む、もっと広い学説です。……しかも、そのヒントは、本日分の記述にあります。


● ニュースと感想  (2月23日)

 前日( 2月22日 )で述べた増減税は、貨幣の操作によって行なうもののことだ。つまり、
   ・ 増税 …… 使途は国債償還
   ・ 減税 …… 財源は赤字国債 (日銀引き受け)
 このように、貨幣の操作によって行なう。つまり、「増減税による貨幣操作」である。(目的は、景気調節。)
 一方、それとは逆に、「増税して得た金を、(国債償還でなく)政府が使ってしまう」とか、「減税の財源を、(日銀引き受けでなく)民間から借りる」という案もある。これらは、無意味なので、ここでは考慮しない。

 [ 付記 ]
 なぜ無意味かと言えば、
   ・ 増税 …… 得た金を勝手に政府が使うというのは、無駄づかいだ。
   ・ 減税 …… 財源を(日銀引き受けでなく)民間から得るのは、ほぼ無意味。
 ということによる。
 前者がダメなのは、明らかだろう。必要もない不要不急のことに金を使うのは、国民の富をドブに捨てるようなものだ。( → 2月13日
 後者は、ダメではないが、ほぼ無意味である。財源を民間から得るのでは、結局、貨幣の総量は増えない からだ。単に、誰かから借りて、誰かに貸しているだけだ。これはつまりは、国民同士の間で、強制的に貸し借りをさせているだけのことだ。ごくわずかの効果はあるかもしれないが、本質的に言って、まったく、何のために何をやっていることやら。右手で穴を掘って、左手で穴を埋めているようなものだ。
( ※ 貨幣の総量が増えないと、なぜダメなのか? それは、2月22日 に述べた「貨幣数量説」の考え方に反するからだ。この考え方では、貨幣の総量を調整することで、インフレ効果・デフレ効果をもたらし、景気調整をする。ここでは、貨幣の総量を調節することが、どうしても必要となるのだ。……なお、この件については、後日また述べる。)

 [ 補説 ]
 「増税の使途と減税の財源を、国債で」つまり「国債と増減税による、貨幣量の調節」という貨幣操作は、マネタリズムの量的管理法とはまったく異なる貨幣操作である。……この貨幣操作は、特に学説として聞いたこともないし、名前も付いていないようなので、「タンク法」と私が名付けておこう。(名前の由来は、本日別項 による。意味は「中和政策」と実質的に同じ。)
 「タンク法という貨幣操作で景気調節をすべし」というのが、私の主張である。その眼目は、「(タンク法による)増減税は、国民にとって損得はない。貨幣価値の上下による、デフレ・インフレ効果があるだけだ」という点にある。
( ※ なお、「増減税は損得がない」ということを述べているのは、私である。「貨幣数量説」に依拠してはいるが、「貨幣数量説」がただちに「増減税は損得がない」と述べているわけではない。「貨幣数量説」は、単に、前日のような定式化をしているだけである。)


● ニュースと感想  (2月23日b)

 増減税と国債による貨幣操作というのは、タンクというモデルを使うと、わかりやすくなる。
 国家債務(国債残高)というのは、タンクのようなものである。これによって、金を出し入れして、現在の貨幣流通量を調整することで、経済の変動(景気変化)を平準化することができる。
 経済が小さくなったときは、このタンクから金を水のように引き出して、経済を拡大する。経済が大きくなったときは、このタンクに金を水のように移して経済を縮小する。そうしてタンクを使って調節することで、経済の規模を常に中くらいに安定させることができる。経済とタンクとの間の、金のやりとりが、減税・増税である。これをうまく実行することで、バブルのような景気過熱を防ぐこともできるし( ← 増税 )、現在のような景気悪化から抜け出すこともできる。( ← 減税 )

 ただし、注意してほしい。ここでは、実質的な富を出し入れしているわけではない。あくまで貨幣を出し入れしているだけだ。流通する貨幣を多くすれば、貨幣価値が下がる(インフレになる)。流通する貨幣を少なくすれば、貨幣価値が上がる(デフレになる)。流通する貨幣の量は変化するが、実質的な富の量が変化するわけではない。単にインフレにしたりデフレにしたりしているだけだ。……これは、1月30日b に記したとおり。
 だから、先に述べた「経済を拡大・縮小する」というときの「経済」とは、実質値でなく、名目値としてのものである。名目値の経済の大小を調節するということが、つまり、インフレ・デフレの調節をするということになる。

 要約。
 タンクを使って、金を出し入れすることで、インフレにしたり、デフレにしたりすることができる。そのことで、現在の偏った経済状況(デフレ・インフレ)を、逆方向に動かして、中和することができる。

 [ 付記 ]
 ここでは、タンクの必要性を述べた。逆に、タンクを使わないと、どうなるか?
 それは、「何が何でも財政健全化を」という考え方だ。小泉流の緊縮財政路線だ。これに従うと、経済が小さくなったときに、ますます経済を削って、金をタンクに移すことになる。かくて経済は、必要な血肉を与えられず、どんどん痩せ衰えていくことになる。
 こういう「病人をさらに痩せさせる」という路線を、さらに続けると、日本経済は、ガリガリに痩せたあげく、死んでしまうかもしれない。

 [ 補説 ]
 「タンクを使うといいのはわかったが、使いにくい」という反論もあるだろう。つまり、「減税はしやすいが、増税はしにくい」と。よくある反対論である。
 しかし、この問題は、次の二つによって、解決できる。
 第1に、2月22日 に述べたとおり、「増税は(貨幣価値の変動をもたらすだけだから)損ではない」ということを、広く理解することである。損でも得でもない、とわかれば、増税を拒む理由はなくなる。
 第2に、「増税は(インフレ期には)得である」と、広く理解することである。得だとわかれば、誰もが増税を受け入れるだろう。(実際、これを受け入れたのが、クリントン時代のアメリカ国民だ。クリントンは、増税して、財政を黒字化し、長い好況をもたらした。国民は、この政策を支持した。……この件、詳しい話は、また後日。)


● ニュースと感想  (2月24日)

 タンク法について、マネタリズムとの関係を述べておこう。
 マネタリズムの量的管理は、「定量管理」とでも呼ぶべきものであって、なるべく量を一定にしようとするもの。インフレのときは増大を戻し、デフレのときは減少を戻す[量的緩和]。単に貨幣量を一定にしようとするだけだ。この方法は「タンク法」(私の方法)とはまったく異なる。
 なぜ私が「タンク法」を主張し、マネタリズムの方法を否定するかというと、デフレのときには、「流動性の罠」が発生するからだ。つまり、マネタリズムの方法は無効となる。……というわけで、「量的緩和」つまり「減税しないで、買いオペだけ」というのは、ダメなのである。 (詳しくは → 1月06日 以降 )
 「タンク法」の根拠は、 簡単に言えば、こうだ。── われわれの目的は、金融市場を動かすことではなく、実体経済を動かすことである。ならば、金を金融市場に入れただけではダメで、国民に直接手渡さなくてはならない。だから、国債やら証券やら土地やら株やらを、日銀が買っても、あまり意味がないのである。なぜなら、それらを日銀が買っても、渡した現金は、商品を買うことには向かわず、ほとんどは国債購入などに向かうからだ。結局、金は金融市場で、ぐるぐる回っているだけだ。……それが「流動性の罠」。それに気づかないのがマネタリズム。
 図式化すれば、こうだ。── 貨幣の量だけに着目して、「金を銀行に積み重ねればいい。増やした金を貯蓄に回せ」というのがマネタリズム。実体経済に着目して、「金を国民に手渡せばいい。増やした金を消費に回せ」というのがタンク法。……両者は、「貨幣数量説」を基盤とするところは同じだが、手法はまったく別である。基本的には、増やした金の使途を、貯蓄にするか消費にするか、という問題。

 [ 付記 ]
 誤解されると困るのだが、私は「タンク法だけをやれ」と言っているわけではない。「通常はマネタリズムの方法で、十分間に合うことが多い。しかし、デフレのときは流動性の罠が生じて、マネタリズムが無効になるので、こういうときはタンク法を併用せよ」と言っているわけだ。つまり、両方の併用を主張している。
 また、「何が何でもタンク法をやれ」と主張しているわけでもない。通常の景気なら、タンク法は不要である。なすべきことは、何が何でもタンク法を使うことではなく、「タンク法にはどういう効用があるか」ということを理解した上で、必要なときには使う、ということだ。


● ニュースと感想  (2月24日b)

 タンク法に関して、日銀引き受けのことを補足しておこう。
 「国債の日銀引き受けはけしからん」という意見があるかもしれない。しかし、日銀引き受けというのは、しょせんは、日銀のやる「買いオペ」と同じことである。
 政府が国債を発行して、それを日銀が直接引き受けるのを、「日銀引き受け」という。
 政府がいったん国債を市場に売却して、それを日銀が買うのを、「買いオペ」という。
 両者は、直接か間接か(途中に中間者がいるかいないか)、というだけの違いである。同じことだ。大騒ぎするほどのこともない。
 だから、「日銀引き受けはどうしてもダメ」というのであれば、「国債発行と買いオペ」の組み合わせでもよい。まったく同じことだからだ。……ただ、この場合、「買いオペ」は「量的緩和」を意味するので、経済学的には、マネタリズムの方法に似てくるし、また、「インフレ目標」とも関連してくる。そういう経済学的な理論上の差はある。(これは経済学者だけの話。国民には関係ない。)
 ともあれ、(途中で市場を経由するかどうかは別として)「国債を発行して、すべて日銀に引き受けさせる」というのが大事だ。

 [ 補説 ]
 日銀の買いオペは、単純な日銀引き受けと比べ、どこが違うか? 
 第1に、減税の額と買いオペの額が、少しずれることがある。規模がずれたり、時期がずれたり。……この点は、なるべく、ずれを少なくすることが大事だ。
 第2に、買いオペの場合、あとで、景気が加熱したときに、売りオペが可能となる。売りオペをすると、市場の金が減るので、金利が上がる。だから、売りオペよりも、素直に増税することが大事だ。この件は、後日また述べる。
 結論。買いオペなんかやらないで、素直に日銀引き受けにすればよい。それを狙っているのだから、狙ったことを単純にやればよい。カモフラージュは不要。シンプル・イズ・ベスト。
( ※ なお、「買い切りオペ ≒ 日銀引き受け」であるから、買い切りオペならば問題はない。これは、言葉の問題だけ、とも思えるが。)

 [ 付記 ]
 「日銀引き受けよりも、民間引き受けの方がよい」という説もある。これについては、後日また述べる。
( ※ 結論をここで簡単に述べておこう。こうだ。── 「日銀引き受けならば、単純なタンク法の操作であり、メリットもデメリットもない。一方、民間引き受けには、余計なことをすることのデメリットがある。国民に不公平や損をもたらす。」……詳細は、後日。)

 [ 付記 ]
 財政規律について。
 「財政規律がどうのこうの」という問題もある。しかし、それが単なるモラル論であるのならば、経済学とは関係ないので、無視してよい。(私の考えでは、「財政規律」というのは、「自分で自分を制御できないことを恐れる」ということであり、「自分の愚かさを恐れる」ということである。しかし、彼が何か正しい決断をしたとしても、それは愚かな人間の愚かな決断であるから、論理的に言って、無意味である。嘘つきパラドックス。)
 モラル論でなく、経済学で言えば? その問題は、この政策による減税の規模を、大きくするか小さくするかで解決する。財政規律が大事なら、減税の規模を小さくすればいい。それだけのことだ。(ただし、かわりに、景気刺激効果も小さくなる。トレードオフ関係。当たり前。なお、「国債発行はイヤだが、景気を回復したい」と欲張るのは、欲張りな駄々っ子だ。「あれもほしいよ、これもほしいよ!」)

 [ 補記 ]
 財政法には、「赤字国債はダメ」つまり「国債を政府の一般支出に当てるのはダメ」という規定がある。しかし、これは、「一般支出」から「減税」を除外すればいいだろう。「貨幣量調節としての増減税」というのは、あくまで金融操作なのだから、「一般支出を国債でまかなう」というのとは、本質的に異なる。


● ニュースと感想  (2月25日)

 タンク法に関して、ちょっとした余談を述べておこう。
 タンク法で言うタンクというのは、貨幣を溜め込むだけであり、実質的な富(自動車やパソコンなど)を溜め込むわけではない。この点、勘違いしないように。
 実質的な富を溜め込むのは、(財政の)タンクではなくて、現実にある貸金庫などである。実質的な富を溜め込みたければ、そこに宝石や美術品や株券や土地証書でも突っ込んでおけばよい。(ただし、時代変化により無価値になる可能性あり。時代変化に耐えるのは、たぶん、土地だけ。といっても、最近は暴落しましたけどね。)
 ところで、話半分に考えよう。現実の富を貸金庫に溜め込んで、何かいいことがあるか? 宝石は使えなくなるし、美術品は鑑賞できなくなる。株や土地は、単に売れなくなるだけだ。……そして、その「売れなくなる」ことだけが、肝心だ。自分で勝手に財産を食いつぶすことがなくなるからだ。結局、「現実の富を溜め込む」ことのメリットは、「浪費しなくなること」である。「他人の魔手から自分の財産を守る」というよりは、「自分の愚かさから自分の財産を守る」わけだ。(つまり、「自分が愚かであること」を前提してのこととなる。)
 ま、冗談を別とすれば、災害や泥棒や物価上昇から守る効果はある。とはいえ、預金の利子を失う。あまり賢明ではない。


● ニュースと感想  (2月25日b)

 日本の企業・製品がダメな例。
 日本の家電製品(白物)は全然ダメだ、という指摘。25年前の米国製品に比べても、全然使い勝手が悪い。数値上の性能向上ばかりめざして、実際の使い勝手を考慮していないせいらしい。見た目は未来製品のようにすばらしいが、しかし、実際に使うと、使いにくくて仕方ない、という話。米国製品と比較した、外国人主婦の指摘。(朝日・日曜版 2002-02-24 )
 消費者無視の典型である。消費者重視の経営方針は、CS( customer satisfaction 顧客満足)という用語で知られているが、それとは正反対であるわけだ。
 こういう例は、枚挙にいとまがない。最たるものは、パソコンだ。まったく、使いにくい。最悪なのは、キーボードだ。10キーがあるせいで、マウスをまともに使えない。だから、マウスを使うときは、ミニキーボードを使うのが正解である。なのに、今のパソコンはみんな 10キーが付いている。こんなものを売りつけておいて、「マウスをご利用ください」なんて言うのは、ほとんど矛盾である。(マウスか 10キーか、どちらかを[一時的に]捨てるべきだ。ノートパソコンとのキーボードの互換性を考えれば、10キーを捨てるのが正解。)
 また、「五十音配列」のキーボードを用意しない、というのも、高齢者にとって不便なこと、この上ない。だいたい、「JISカナ配列」なんていうのは、まったく無意味な配列なのだから、こんなものはキートップに印刷してあるだけでも邪魔だ。キートップにあるJISカナ文字を消去するべし。「JISカナ文字に従って入力することもある」という説もあるだろう。しかし、そんなことをしたら、能率は非常に低下するのだ。わざわざ能率低下の手段を提供するのは、ほとんど犯罪に近い。(落とし穴を用意しておくようなものだ。それでいて「落ちた方が悪い」と言うわけ。)
 だいたい、「アルファベットだけ」を覚えれば済むのに、「アルファベットとカナ配列の双方」を覚えるなんて、呆れてしまう。能率向上のかわりに、能率低下をめざすわけだから、つまり、馬鹿になるためにさんざん努力するようなもので、狂気の沙汰である。
 そういう愚劣な製品を売りつけているのが、愚劣な日本企業だ。(だいたい、日本以外では世界中のどこでも、JISカナ配列のキーボードなんていう欠陥製品は、絶対に売っていない。当たり前だけど。) 
( → 五十音配列キーボード

 [ 付記 ]
 ついでに、CSに関する提案。
 「自社製品の苦情を受け付ける掲示板」というのを、用意して公開したらどうか? 「自分の愚かさを公開する」というのは、なかなかやれるものではないが、こういう努力をしたところが、生き残るのである。政府だって、情報公開することで、仕事がまともになるが、それと同様だ。私だって日々、自分の愚かさを公開している。
 逆に、経営を悪化させるには、隠蔽主義を取ればいい。雪印のようにね。徹底的に隠蔽して、ついに破滅する。……思えば、隠蔽主義というのは、日本のすべての企業に共通する体質だ。「自社は違うぞ」なんて言っている人がいたら、その人の頭は、反省能力が欠如しているわけで、社訓だけは立派だった雪印と同じだ。(キ印かも。)


● ニュースと感想  (2月25日c)

 田中真紀子と外務省。
 田中真紀子が退場したあと、外務省改革が急速に進んでいる。真紀子の辞任と引き替えに、事務次官を辞任させ、改革派の事務次官を就任させた。そして今や、守旧派(鈴木宗男一派)の一掃をしている。ここでは、小泉首相の全面的な支持もある。
 これを、どう評価するか? 
 結局、田中真紀子は、自らは改革をなしえなかったが、自らの退場と引き替えに、改革を進める結果をもたらしたのである。自分では何もなしえなかったが、世間の心を引っ掻き回したことで、結果的に、古い状況から、新しい状況へ、転換させたのである。
 つまり、「真紀子はトリックスターだ」という、私の主張の通りになったわけだ。すべては台本の筋書きの通りに進んだわけだ。
 かくして、劇は終わり、幕は閉じられる。みなさま、拍手を。
( ※ お暇ならば、以前の私の主張を、お読みください。台本作者:南堂久史。 → 第1章


● ニュースと感想  (2月26日)

    ※ ただのマスコミ批判です。特に読む必要はありません。

 朝日の記事。「識者に提言を聞く」というインタビューのシリーズをやっている。しかし、「識者」というのが、経済学に無知な政治家など。(朝刊・経済面 2002-02-22 ) ……いずれにしても、内容はデタラメばかり。
 たとえば、「不良債権を処理せよ」というが、コストは無視。記者も「その金はどこから?」と聞かない。国民の負担になることを忘れている。また、「不良債権処理を一挙に進めよ」というが、「それで日本中の企業が失業して、日本中の企業が倒産して、大恐慌になる」という指摘が抜けている。
 こういうふうに、経済学を無視したデタラメばかり。「真実を報道する」かわりに、「無知ゆえの虚偽を報道する」ばかり。
 朝日さん。「識者」というのは、経済学音痴のことではありません。だから、「識者」に聞きたければ、ノーベル賞学者など、まともな経済学者に聞きなさい。
( …… と書いたが、無理な注文かもしれませんね。素人記者には、一流と二流と三流の区別ができませんからね。)

 ついでに言うと、別の間違いもある。ちょっとしたことだが。ダイエーの普通株の減資を受ける株主は、「一般消費者だ」と述べている。(朝刊・経済面 2002-02-24 )
 あのねえ。貧しかろうと何だろうと、株主は「資本家」(投資家)です。また、金持ちであろうとなかろうと、「消費者」というのは、ダイエー(など)で物を買う人のことです。勘違いしないでください。ダイエーの普通株減資で損をするのは、ダイエーの株をもっている「資本家」(投資家)であって、ダイエーで商品を買う「消費者」じゃありません。
 変に同情しないでください。株をもっている人が減資で損をしたとしても、当然のこと。彼はそれを見込んだ上で、株をもっているのだから。減資をすれば、損をする。減資をしなければ、得をする。そういう欲得づくで、ギャンブルしているのだから、他人が口を挟むことではない。ギャンブルのあと、「彼が得したら、その得した金は彼のもの。彼が損したら、その損した金は銀行や国がまかなう」というのでは、話がメチャクチャだ。
 また、もう一つ。会社側の方針として、「一般株主が不利益をこうむらないように、年2万円の買物券は維持する」と伝えているが、これも偏向報道だ。破綻した会社の株はそもそも無価値であり、それに買物券(つまり実質的な配当)を出すことは、業務上の背任に等しい。会社存亡の危機に、大切な財産を、勝手に無駄づかいしていることになる。自分の見栄張りのために。
 結局、朝日の報道は、嘘と曲解に満ちている。その結果は、「銀行の損を通じて、国民全体の金を奪う」という泥棒経営者を、擁護していることになる。
 朝日は以前、わずか十円だけを盗んだ泥棒を、顔写真入りで大々的に報道して批判した。そして今や、国民の金を数千億円も盗む泥棒を、「立派だ」と大いに擁護しているのだ。それが朝日の体質だ。(…… だから小泉を擁護するんでしょうね。)
( ※ この件、朝日の一時的な誤りではない。根本的なところに原因がある。「不良債権処理とは、つまり、破綻企業の赤字処理のために、国民の金を奪う」ということだ。朝日はそれを推進している。もともと「国民の金を奪う」ということを目的としている。だから、その体質がここでも発現しただけなのである。)

 [ 付記 ]
 私がマスコミ批判を繰り返すのに、うんざりしてきた読者もいるようだ。しかしねえ。政治家や政府は、ただの無知・無能にすぎないし、そもそも無知・無能なのが当然なのだから、一応免責される。猿が猿知恵なのは当然だ。
 しかし、マスコミが真実を報道しないのは「報道義務の不履行」(医師が患者を見殺しにするようなもの)であるし、自分好みの嘘ばかりを書くのは「報道義務の悪用」(医師が毒を注射するようなもの)である。ゆえに、マスコミのみが有罪なのである。
( → 狂気的な誤報の例 12月30日b


● ニュースと感想  (2月26日b)

    ※ ただの税制論です。特に読む必要はありません。
      ( → 基礎的な説明は、読売・経済面 2002-02-25 )

 連結納税制度の「連結付加税」について。
 反対論:「会社分割で納税額が増えるのはおかしい」
 賛成論:「赤字会社を形式的に合併して、納税額を減らす節税がまかり通る」

 以上の賛否両論がある。ここで、私の意見を述べておく。
 どちらも正しいのだから、どちらも成立するような方法を取ればよい。つまり、「親会社の株式所有が 100% である子会社については、連結付加税を課さない」と。
 この場合、資本的に独立しておらず、すべて一体化した会社なのだから、単純な連結納税でいいだろう。
 一方、他人の資本が入っている場合は、もはや独立した会社ではないのだから、別個に決算処理するのが当然である。連結付加税うんぬんより、そもそも連結納税する方がおかしい。別個の会社は、別個に納税するべきだ。
 決算報告で連結決算の報告をすることは、ただの情報処理なので、どうでも構わないが、納税自体は、別の会社は別に行なうべきである。
 とにかく、物事の根本から考えるべきだ。「誰が得で、誰が損する」というのは、単なるパイの配分にすぎない。そんなことは、本質論ではない。


● ニュースと感想  (2月26日c)

 「生産性の向上」による「合成の誤謬」について。
 「生産性の向上」で、「合成の誤謬」が発生することがある。つまり、各企業が「生産性の向上」をめざした結果、国全体では「生産性の向上」どころか、「生産性の低下」が生じてしまうのである。
 その過程は、次の通り。
  「各企業が生産性の向上をめざす」 → 「リストラする」 → 「余剰労働力を解雇する」 → 「失業発生」 → 「総需要の縮小」 → 「総生産の縮小」 → 「生産性の低下」

 解説しよう。
 各企業は、生産性の向上のために、リストラをする。すると、前よりも少ない労働力で、同じ生産をすることになる。とはいえ、その分、労働者の一人あたりの労働時間が増えるわけで、総労働時間はあまり減らない。その意味で、各企業では、生産性の向上の幅は、たいしたことはない。ただし固定費(社会保険料などの負担)が減るから、損得で言えば、たしかに得になる。
 さて、各企業がリストラすると、総労働時間は変わらないまま、失業者だけが増える。日本全体を見ると、失業手当という無駄なコストが発生する。また、失業者が生じたことで、総需要が減るし、失業率が上がったことで人々が不安になって消費を下らすので、総需要が減る。総需要は減るばかり。総需要が減れば、総供給も減る。各企業の売上げが減る。それゆえ、企業の操業度が下がり、生産性が悪化する。
 かくして、「合成の誤謬」が発生したわけだ。
( →  2月20日b

 [ 付記 ]
 これは、「貯蓄のパラドックス」と同じタイプの「合成の誤謬」である。つまり、「不均衡から、もっとひどい不均衡に移る」タイプだ。
 だから、原因も同じだ。つまり原因は、消費が詰まっていることだ。もし消費が詰まっていなければ、リストラされた人は、失業せずに再就職できるから、総需要も減らないし、ゆえに、国全体の生産性が悪化することもない。


● ニュースと感想  (2月26日d)


 「生産性の向上で景気回復」という説について。この説が間違っていることは、これまでも詳しく説明した。( → 11月28日1月25日 など。)
 それとは別に、次の二点を指摘しておこう。似たような話だが、見地がやや異なる。

 (1) 因果関係
 現在の不況について、上の説は、認識が間違っている。「生産性の低下」と「景気悪化」の因果関係を、逆にとらえている。
 「生産性が悪化したから景気が悪化した」という説は、正しくない。生産性が悪化したなら、労働力が多く必要になる。だから、失業率は下がるはずだ。しかし現実には、失業率が上がっている。
 本当は、逆なのである。「景気が悪化したから、生産性が悪化した」のだ。なぜなら、失業者は、生産性がゼロだからだ。生産性のゼロの人が増えれば、社会全体の生産性が下がるのは当たり前だ。(たとえ個別企業の生産性が上がるとしても。 → 前項

 (2) 効果
 同じことを逆の面から見れば、対策もわかる。
 「生産性を向上させれば、景気は良くなる」という説がある。しかし、そんなことはない。今の日本を見ればわかるとおり。生産性を向上させようとすれば、失業者が増えるので、社会全体の景気は悪くなる。(たとえ個別企業が一時的に生産性を向上させても。 → 前項
 本当は、逆なのである。「景気が良くすれば、生産性が良くなる」のだ。なぜなら、失業者は生産性がゼロだったが、彼らが働くことで、プラスの生産性を取り戻し、社会全体の生産性が急激に上がるからだ。(遊休していた生産力が回復する。無駄が消える。)

 [ 付記 ]
 そもそも、実現性を考えるがいい。生産性というものは、長期的に少しずつ向上していくものであり、短期的に急激に上がるものではないのだ。
 「生産性を上げよ」とエコノミストは主張する。そんな号令一つで、生産性が急に上がる、と思い込んでいるらしい。つまり、「経営者も労働者もみんなサボっている」と思っているわけだ。で、「自分たちが号令をかければ、人々はサボっているのをやめて働くから、生産性が向上するはずだ」と主張しているわけだ。
 とんでもない思い上がりである。現実には、人々は毎日、必死に努力しているのだ。それを、勝手に「サボっている」と決めつけてほしくないものだ。
 はっきり言おう。サボっているのは、エコノミストだ。彼らは、ゴミみたいな学説しか生産しないわけで、生産性は、ゼロであるどころか、マイナスだ。そういうふうに、自分たちがサボっているから、他人も自分と同様にサボっていると思い込んでいる。そして号令だけで済むと思い込んでいるのだ。(号令を出すぐらいしか、能がないのだろう。猿に学説を期待する方が間違っているのかも。)


● ニュースと感想  (2月27日)

 また朝日のデタラメ記事。エコノミストへのインタビュー。(朝日・朝刊・経済面 2002-02-26 )

 (1) 量的緩和論者
 「量的緩和をすると、株や外債の購入が増えて、株価高と円安になる」という説。ミニバブルを期待しているわけ。しかし、ダメ。
 量的緩和で株価高? ── 奇妙奇天烈な説だ。日銀が量的緩和して、どれだけ株が上がりましたか。ここ1年間、下がっただけでしょうが。
 人々が株を買うのは、金利と比べて、株の利回りが上回る場合だ。ゆえに、インフレのときには、量的緩和は有効だが、デフレのときには、有効ではないのだ。経済学の基本だ。ちゃんと勉強してください。
 外債購入で景気回復? ── これもひどい。円安のときに外債を購入して、景気回復して円高となってから売却したら、外債が大幅に目減りしてしまう。たとえば、 135円で1ドルを買って、110円で1ドルを売る。差し引き、25円の損。国民に莫大な為替差損をもたらす。狂気の政策。ちゃんと外債投資の基礎を勉強してください。
( ※ 「外債購入が良い」と言えるのは、景気が悪化するときだけ。「外債購入で景気回復」というのは、ほとんど論理矛盾。ただ、「外債購入で円安にして、景気を悪化させよ」というのなら、論理は通っている。現実にそうなっているのだし。つまり、この人は景気悪化策を述べているわけだ。でなければ狂気。)
 
 (2) 「インフレ目標」否定論者
 「量的緩和はバブルを生むだけ」という、量的緩和批判論。「デフレ解決は、需要回復でなすべきであり、(1) のようなミニバブル発生を狙うのは、邪道だ」という意見。これは正しい。
 だけど、「インフレ目標とは量的緩和だ」と誤解している。批判する対象を勝手に勘違いして、ああだこうだと批判している。何かを批判したいのなら、その前に、対象について、ちゃんと勉強してください。対象を理解しないで、幻を批判するようでは、困ります。ただの妄言。あるいは幻想恐怖症。
( ※ 知識は → 「インフレ目標」 簡単解説

 結語。
 どちらも根本的に間違っている。新聞がデタラメ情報を書くのは、本当にやめてほしいですね。まったく。(記者も、無知だから、間違った意見を「ハイハイ」と聞くだけ。こんな記者は不要だ。アルバイトの素人記者に任せるか、白紙の紙面にした方が、ずっとマシだ。)


● ニュースと感想  (2月27日b)

 「消費税の一時的な減税と、将来の増税」という提案。(朝日・夕刊 2002-02-26 )
 これは、そう悪くはない。「一時的な減税」が提案されたとたん、消費が縮小して、デフレがますますひどくなる、というマイナスはある。しかし、総合的には、悪くはない。
 ただし、実務上の難点がある。いったん下げて、また上げる、というのは、企業にとって手間が面倒だし、社会的な混乱や無駄も生じやすい。たとえば電車料金や郵便料金が上がったり下がったり。自動販売機の缶飲料の値段が上がったり下がったり。……こういうのは、コストがかかって、無駄が発生する。生産性向上とは正反対だ。所得税や均等(バラマキ)ならば、コストは最小限で、ほぼ同等の効果が上がる。なのに、あえて高コストで無駄の出る方法を、選ぶべきではあるまい。

 一番大きな問題は、「何の根拠で増減税するか」という点が不明確な点だ。タンク法ならば、「増減税は損得がなく、単なるインフレ・デフレ効果があるだけだ」とわかる。しかし、この人の主張では、財源がおそらくは民間引き受けの国債であるため、増減税と物価上昇と所得増との関係が不明確であるのだ。
 ま、本人もわかっていないのだろう。だから、私が説明しよう。簡単に結論だけを述べれば、こうだ。
  ・ 増減税は、タンク法で。(民間引き受けの赤字国債はダメ。)
  ・ 物価上昇から景気回復に至るには、「インフレ目標」で。
 この二点を組み合わせないと、ダメだ。(前者について、詳しい説明は、また後日。)


● ニュースと感想  (2月27日c)

 「所得税減税と消費税の段階的増税」という案。(朝日・朝刊・オピニオン面・投稿 2002-02-26 )
 私の「中和政策」に似ている案だが、ダメである。基本はいいが、具体策がメチャクチャ。

 (1) 所得税減税
 所得税減税は、低所得者にとっては、恩恵がほとんどなくて、莫大な増税だけがある。大反対が起こるので、実現の可能性はほとんどない。実現したとしても、低所得者は消費を減らすし、高所得者は消費性向が低いし、結局、あまり効果は出ない。
 この問題は、「所得税減税」による限りは、ダメだ。たとえ所得税減税をいくらかやるにしても、基本的には「バラマキ(均等)」をやることが必要である。
( → 方法は、第3章 の「実施形態」の箇所。)

 (2) 物価上昇
 物価上昇による実質所得減少を、考慮する必要がある。失業問題を解消するには、少なくとも年3%程度の物価上昇は必要だが、これは 500兆円の国民所得に対して年額 15兆円、2年で 30兆円である。これだけの物価上昇(つまり実質所得減少)が起こる。
 ならば、それを補償するだけ(= 2年で30兆円以上)の減税が必要となる。なのに、この案では、ずっと不足する。(9兆円程度。)
 インフレは、本来、所得増をともなうものだ。しかし、それは、インフレが起こったあとだ。初年度は所得増が起こらないのだ。また、2年目も、景気回復が不十分であれば、賃上げなどは起こりにくい。
 初年度には、多額の減税が必要なのだ。物価上昇を打ち消すために。そう理解するべきだ。さもないと、実質所得減少のせいで、景気回復はできない。
( ※ かといって、3%でなく 1〜2% の物価上昇だと、「どちらかと言えば、ややは不況」であるから、いつまでも弱い不況がダラダラと続く。「不況を治す」のではなく、「不況を弱める」だけ。意気地なし。びびっている。)

 (3) 増税の時期
 増税の時期は、「1〜2年後」でなく、「景気回復後」でなくてはならない。さもなくば、「将来の実質所得減少」を見越して、消費を引き締める効果が出る。実質所得減少が実際に起こるかどうかはともかく、それを予想して、消費を引き締める。
 たとえば、「物価上昇を考えると、減税があっても、実質所得は減少する」と予想して、そのとたん、現在の消費を急速に引き締める。かくて、景気悪化。
 結局、増税の時期は、「景気回復が確定したあと」「所得増加が確定したあと」でなくてはならないのだ。

 (4) 国債の財源
 そもそも、減税の財源としては、日銀引き受けが基本だ。これを、民間引き受けにしてはダメだ。民間引き受けだと、その分、民間の金を奪うことになるので、結果的には、総需要はあまり増えないことになる。
( ※ この件、複雑なので、後日また詳しく説明する。)

 結語。
 「中和政策」と似て非なる案ではダメである。生半可な案だと、景気回復どころか、景気悪化を招くことになる。


● ニュースと感想  (2月27日d)

 「現金所有に課税せよ。2%ほど。そうすれば、株や土地を買うので、デフレは解決する」という珍案。(読売・朝刊・経済面 2002-02-27 )
 どう考えても、冗談ですよね。新聞もおもしろいことをやるものだ。私も冗談に付き合って、シミュレーションしよう。

 一般個人なら …… 株も土地も買わない。現金所有。タンスと金庫が売れるので、タンス業界と金庫業界が潤う。一番喜ぶのは空き巣。
 小金持ちなら …… 黄金を買う。社債や手形なども。転換社債も。とにかく、民間の元金保証のものであれば、何でも良い。
 企業なら …… 電子的に金を帳簿だけで移転する方法を取る。(詳細は省略。)
 ハイテクな人は …… 電子マネーを使う。(ここも課税されるなら、ここに入れる量を最小にする。)
 賢い人なら …… 地域通貨を発行する。自分が日銀になったようなもの。好き勝手に発行しても、通貨偽造(偽札犯)には問われない。

 結語。
 アングラマネーに移行するだけである。金は経済の血液であるが、これを流れにくくするだけ。動脈硬化と同じ症状を起こす。今はかろうじて生きている日本経済も、動脈硬化状態になれば、ポックリ逝ってしまうだろう。日本を殺すには、この方法が最もいいと思う。最悪の珍案。


● ニュースと感想  (2月28日)

 「電子投票」と「IDカード」について。
 国政選挙などに関して、「電子投票を実施せよ」という意見がある。(読売・朝刊・社説 2002-02-23 )
 主張自体は、悪くはないが、「電子投票機を購入せよ」というのは、金の無駄である。ITというものを理解できていないようだ。
 電子式の投票機なんてものは、大金をかけて購入する必要はない。購入しても、たまに蔵から出るだけで、ほとんどは眠ったままだ。また、すぐに時代遅れになる。
 タッチパネル式の機器は、いちいち購入なくても、すでに大量に用意されている。銀行や郵便局だ。投票日はどうせ日曜日だから、銀行や郵便局で投票すればよい。銀行や郵便局だって、人々が来てくれれば、客引きのチャンスだから、大喜びで、無料貸し出しに応じるだろう。有権者としても、いちいち小学校なんかに行かなくても、買物ついでに繁華街の銀行に立ち寄ったり、地元から遠く離れた旅行先の郵便局で投票できれば、便利なこと、このうえなし。

 問題は、個人認証だ。他人の名前で投票すると困る。
 しかし、これは、個人認識のための「電子式のIDカード」を使えば、問題は一挙に解決する。── こいつを、早く実現してもらいたいものですねえ。免許やパスポートや保険証などを、一枚のカードで間に合わせることができるのだから、とても便利になる。
( ※ 当面は、一回限りの[投票用]電子カードでも大丈夫。)

 [ 付記 ]
 「個人情報の国家管理になる。納税額など、知られたくない」という反対意見がある。(朝日・朝刊 2002-02-26 「住民基本台帳ネット」の記事。)
 しかし、個人情報の国家管理など、すでになされている。納税額は国税庁がちゃんと知っている。大騒ぎすることはない。単に番号とカードを統一するだけだ。
( ※ ただし、脱税したい人々は、大騒ぎして、大反対するはず。所得のチョロマカシが困難になるから。さしずめ、国会議員なんてのは、その筆頭かもね。二番目が、朝日の社員かな。)
( ※ なお、私は、脱税大反対です。善良だからではなく、脱税するだけの金がないから。……してみると、私も金持ちになると、悪人になるかもしれない。貧乏であることは、すばらしい。)


● ニュースと感想  (2月28日b)

 「ID口座」について。
 前項 で述べた「電子式のIDカード」に合わせて、「ID口座」というものを設定するといいだろう。これは、銀行口座のようなものだが、民間への支払いのためには使わず、政府への支払いのためにだけ使う。
 その主たる目的は、何か? 政府への支払いを、一元化することだ。

 (1) 一元化
 一元化すべきものは、税・社会保険料・年金料などがある。こうした納入を、現在、バラバラに行なっている。それをすべて一元化するとよい。たとえば、給与から源泉徴収で納入したり、毎月の保険料を銀行口座から納入するのでなく、ID口座から納入する。銀行との関係は、銀行からID口座へ入金するだけだ。
 ID口座が赤字になると困るので、銀行からID口座への入金は、コンピュータで自動的になされるようにしておく。銀行口座が赤字にならない限り、ID口座は赤字にならないはずだ。(銀行口座まで赤字になるようなら、小額の罰金が課される。)
 政府は、税金や保険料などを、ID口座から徴収する。その際、徴収額などをID口座に連絡する。だから各人は、ID口座を見ることで、どう徴収されたかを、一括して管理できる。

 (2) 減税の入金
 ID口座は、政府に金を払うためだけでなく、政府から金をもらうためにも使える。具体的には、「減税」(戻し税)を入金できる。入金された金は、以後の納入のために使うことができる。
 たとえば、20万円の戻し税を受ければ、その分、以後の毎月の所得税や保険料の支払いを、その金でまかなうことができる。その分、銀行口座からID口座への入金が減るから、銀行口座の金が増えたのと同じことになる。

 (3) 利用者
 このID口座およびIDカードの利用者は、本人だけに制限する。つまり、支払先は (1) に関する当人の税金・保険料だけとする。
 たとえば、あなたのIDカードを誰かが拾ったとしても、そのIDカードを使って支払いのできる先は、あなたの税金・保険料だけである。ゆえに、IDカードの紛失や盗難があっても、危険がほとんどない。(この点、キャッシュカードやクレジットカードとは違う。)

 [ 付記 ]
 前記の (3) の「紛失・盗難の危険がない」ということは、大切である。クレジットカードは、毎年の年会費のほかに、利用金額の5%〜10%がカード会社の手数料となり、非常にコストが高いが、それというのも、盗難・紛失の危険があるからだ。その点、(3) のことがあれば、危険は少ないので、手数料(ないしコスト)が著しく少なくて済む。
 また、盗難に関しては通常の盗難以上の、厳罰を科することもできるので、この点でも、手数料(ないしコスト)を少なくすることができる。

 [ 補記]
 口座を一元化することには、別のメリットもある。減税と社会保険料の帳尻あわせが可能なので、保険料の未払い問題が解決する、ということだ。
 今、国民保険料の未払いが問題となっているが、それは、口座を一元化することで解決する。たとえば、社会保険料を未払いの人は、「減税」をしたとき、未払い分が、口座を通じて自動的に徴収される(帳尻あわせする)。だから、未払い問題はなくなる。税金の不払いや、交通違反の罰金なども、取りはぐれがなくなる。
することで、によって、帳尻あわせできる。未払いの人は、その分、減税の効果が減るからだ。
 なんだか国民にとっては損であるように見えるが、不心得者が損するだけで、正直な国民は別に損しない。どちらかといえば、メリットがある。交通違反の罰金とか、法的手続きの料金とか、そういうのを、いちいち納入の手間なしで、まとめて自動的に処理できる。なすべきことは、自分の口座の明細を確認することだけだ。
 なお、口座の確認は、コンピュータまたは書類でやるが、コンピュータを使えば、毎年の自分の支払いをうまく計算処理できて、便利である。
(例:「今年は結婚して出産して家を建てたな。それで、婚姻届の費用を払ったり、出産の一時金をもらったり、不動産の税金を払ったりしたが、トータルすると、これだけの損得があったわけか。そして減税でこれだけをまかなってもらったわけか」と納得する。……面倒くさそうだが、受け取りと支払いの一覧表があるだけであり、その一覧表を見るだけでよい。最後に、帳尻としての総計を見ればよい。……ついでだが、このことは、自分でやる必要はなく、奥さんに見てもらうだけでもよい。財布を奥さんが握っているのであれば。)

 [ おまけ ]
 このID口座は、提案として、特に他と区別して検討したいときは、検討するときだけ、「南堂式ID口座」とでも呼んでください。


● ニュースと感想  (2月28日c)

 前項 の「ID口座」と、「景気操作」との関連を述べよう。
 前項の (2) では、ID口座に減税を入れることができる、と述べた。これと、「消費税増税」とを組み合わせると、景気操作をうまくやることができる。

 たとえば、今すぐ、消費税を 5% から 10% に増税する。と同時に、各人のID口座に、減税を振り込む。(均等でもいいし、所得税の減税という形でもいいし、両者の組み合わせでもいい。標準的には、消費税の増税とトントンとなるようにする。)
 さて、こうすると、何かいいことがあるだろうか? ある。法律を変えることなく、容易に税率を変化させることができる、ということだ。
 今の制度では、所得税や消費税の税率を変えるには、いちいち法律を決めなくてはならない。これでは迅速な景気対策はできない。手足を縛られているようなものだ。たとえば、「金利の上下には、立法措置が必要だ」などとなったら、景気対策は常に後手に回って、インフレやデフレが暴走してしまう。(もっとも、日銀が無能でも、インフレやデフレは暴走するが、それはまた別の話。)
 しかるに、上記のような方法を取れば、いつでも迅速に景気対策をすることができる。たとえば、「今は不況だな」と思ったら、年度の途中であっても、減税額を増やして、国民に金を渡す。また、「今は景気過熱だな」と思ったら、減税額を減らして、実質的な増税をなす。(あらかじめ消費税が 10% に上がっているので、減税額を減らすことで、実質増税になる。)
 つまり、増税や減税を行なうのではなくて、あらかじめ増税しておいたあとで、減税の額だけを調整することで、実質的な増減税を行なうわけだ。しかも、ID口座を使うことで、この操作はいつでも迅速にできる。年度の途中に追加減税することもできる。それで効果が不足したら、さらに追加減税をすることもできる。また、逆に追加減税の効果が過剰であるとわかったら、今度は減税を減らすことで、実質増税することもできる。

 ここでは、注意すべきことがある。こうして増減税の操作を、政府はできるが、そうして得た金は、あくまでタンク法による金の出し入れとしてのみ使う、ということだ。つまり、日銀との金のやりとりにだけ使う、ということだ。
 つまり、実質増税で得た金を、政府が一般支出や公共事業に使ってはいけない、ということだ。それは、国民の金を、政府が勝手に奪うことになるので、「租税法律主義」の概念に反する。
 逆にいえば、タンク法による増減税であれば、たとえ増税しても、その分、貨幣価値が上がるだけであって、国民の金が政府に奪われるわけではないので、「租税法律主義」の概念には反しない。(これは単なる貨幣操作にすぎない。)

 というわけで、ID口座をうまく使うことで、タンク法による景気調節が簡単にできるようになるわけだ。
 なお、実務的な細々としたことは、以下に記しておく。

 [ 補説 ]
 (1) 消費税増税
 増税を(所得税でなく)消費税にするのは、この操作が「貨幣価値の変動」をもたらすものであるからだ。消費税というのは、つまりは、「貨幣価値にかかる税」であり、貨幣を使った分だけにかかる税であるから、この増税が最も公平であるわけだ。
 (2) 減税
 同様に、減税も消費に比例するものであることが好ましいが、そういうシステムは存在しない。仕方ないので、疑似的に、所得税減税と、均等の戻し税(バラマキ)とを組み合わせるのが、最も公平だろう。
 ただ、現実の景気対策としては、均等の戻し税(バラマキ)を多めにした方が、効果は高い。このあたりは、政策決定の裁量の範囲内である。

 [ 付記 ]
 通常の方法だと、所得税の下限はゼロなので、課税最低限以下の多くの国民には、所得税減税の恩恵が及ばない。しかるに、ここで述べた方法では、均等の戻し税(バラマキ)をすることができて、その金を、社会保険料の支払いに充てることができる。その分、景気調節の裁量の幅が広くなる。また、金をたくさん渡したとしても、別に、国民にタダで金をプレゼントしたことにはならない。その金は、しょせんは、社会保険料の形で国に回収されるからだ。(その他、消費税を通じた増税効果もある。)


● ニュースと感想  (3月01日)

 不良債権処理の調査。「不良債権処理を進めても、どんどん不良債権がまた新規発生する」ということの、具体的な数値データ。(読売・朝刊 2002-02-27 )
 結論は、「不良債権処理は意味がない。デフレを解決して、根っこを断つべき」。……正しい。これは良い記事である。

 一方、同日の朝日社説は、ひどい。「不良債権処理を進めよ」という言葉を、ただわめくだけ。単に「フリョーサイケンショリ」と何度も繰り返しているだけ。テープレコーダーでリピートしているみたい。字数が多いだけ無駄。
 あのねえ。朝日さん。根拠も論理もなしに、経済学的知識ゼロで、ただ「やれ」と主張しても、意味がないでしょう。それは、論説ではなくて、子供の駄々です。どうも、書く場所を間違えていますね。あなたたちの書くべき場所は、「朝日小学生新聞」です。そこなら、論理も経済学も、不要ですからね。
( ※ 社説と違って、経済面の方は、経済学を少々わかりかけてきたようにも見える。少々ね。読売とは、大人と子供の差。……やっぱり、「朝日小学生新聞」だな。)


● ニュースと感想  (3月01日b)

 政府の総合デフレ対策。(朝刊・各紙 2002-02-28 )
 「不良債権処理」など、無意味なことばかり。まったく新味がない。ヘソのないカエルみたいだ。
 なるほど、小泉は「断固たる決意」を表明した。しかし、こんな言葉だけで、景気が回復するはずもない。(「総理の意思表示だけで景気は回復する」と言った人もいますけどね。 → 12月09日2月15日e
 ついでに言えば、小泉は「即効性はない」とも言っている。つまり、自分で自分の言葉を否定している。二枚舌というか、精神錯乱というか、支離滅裂というか。……だから、日本はひどいことになる。首相は髪型をメチャクチャにして、頭の中もメチャクチャにして、ついでに日本経済もメチャクチャにする。


● ニュースと感想  (3月01日c)

 日銀総裁は、「量的緩和は絶対ダメ」と主張していた。ところが、一転して、そこそこの規模で、「量的緩和をする」と表明した。(朝刊・各紙 2002-03-01 )
 まったく、矛盾していますねえ。君子豹変? 「絶対ダメだ」と言っていたくせに、一転して、やるとは。つまりは、間違っているとわかっているのに、屈する。呆れたものだ。
( ※ ただ、量的緩和は、無効ではあるが、この程度では特に害もない。だから、非難する必要もない。ただ呆れるだけ。)

 一方、「インフレ目標」については、あくまで拒み通す。これも呆れたものだ。どうせ屈するなら、こちらこそ屈するべきなのだが。── 結局、やるべきでないことはやり、やるべきことはやらない。困ったことだ。
 一番問題なのは、どこか? 「量的緩和」と「インフレ目標」とを、混同していることだ。両者は全然別のものなのだが。(混同しているから、「インフレ目標は物価上昇をすぐには引き起こさない」と、見当はずれの拒否理由を述べている。)
 こういう無知な最高責任者のために、マスコミの皆さん、どうか、情報を出してあげてください。── 「インフレ目標と量的緩和は違うのだ」と。「前者は将来、後者は現在、という決定的な差があるのだ」と。「だから、量的緩和をいくら否定しても、インフレ目標の批判にはならないのだ」と。
( → 「インフレ目標」 簡単解説


● ニュースと感想  (3月01日d)

 「量的緩和せよ」と叫ぶ人々が多い。いい加減、うんざりだ。そこで、提案。すばらしい景気回復策がある。
 こういうふうに「量的緩和」を唱える人々の、名前の一覧表を作っておくといい。そのあとで、彼らの主張通り、10兆円、量的緩和するといい。つまり、銀行の口座で、電子的に、数字だけを 10兆円、増やしておく。「必要ならばいつでも現金を運びます」と日銀が保証しておく。これで、10兆円の量的緩和が実現したことになる。(実際に紙幣を 10兆円も印刷するのは大変ですからね。)
 で、どうなるか? どうにもならない。銀行は、手持ちの 10兆円を、誰かに貸し出すことはできる。しかし、デフレのとき、これ以上、無理やり貸そうとしても、貸し倒れになるだけだ。たとえば、誰かが株や土地を買ったとする。その買った物が値下がりするので、貸した金が返らない。つまり、また不良債権が増える。……で、銀行は、そんな馬鹿なことはしない。だから結局、銀行はこれ以上、少しも貸し出しを増やさない。
 これは、当たり前だ。今はそもそも 0.1% 以下の短期金利である。こんな低金利でも、貸し出しがちっとも増えない。なのに、今さらごくわずかだけ下げて、 0% の金利にしたって、貸出先が増えるはずがない。(……この状況を「流動性の罠」と呼ぶ。それを理解できない経済音痴たちが、九官鳥かオウムのように、「リョーテキカンワ」と叫ぶ。)
 かくて、10兆円の量的緩和が、何の効果も発しなかったことが、実証される。この段階で、「量的緩和をやれ」と唱えていた人々を、パージするとよい。竹中や、自民党の幹部など、「量的緩和をやれ」と唱えていた人々を、いっせいに追放する。
 こうすれば、以後、正しい景気対策が取られるようになるだろう。すばらしい名案。
 ( ※ この案は、カエルに教わりました。「コルゲンコーワ」と叫んでいるんで。)


● ニュースと感想  (3月01日e)

 量的緩和で株価が上がる効果は、少しぐらいはあるだろうか? 実は、まったくない。ゼロである。(どちらかと言えば、マイナスの効果。)
 理由は、次の通り。
 量的緩和したとする。そのとき銀行は、株式投資のために、金を貸すか? 「イエス」と論者は主張する。しかし現実には、ありえない。銀行が株式投資なんていうバクチみたいなことに、金を貸すはずがない。仮に担保があったとしても、金を事業資金でなくバクチに回すという、そんなデタラメな経営をする経営者を、信用するはずがない。
 反論する人もいるかもしれない。「貸す銀行だって、一つぐらいはあるだろう」と。だったら、その銀行は、金を私のために貸してほしい。たとえば、1000億円を、私のペーパーカンパニーに融資してもらう。もし株価が上がったら、銀行に 0.1% の利子を付けて返却する。もし株価が下がったら、ペーパーカンパニーを倒産させて、損失の数百億円は、銀行に尻ぬぐいしてもらう。(つまり、不良債権処理だ。不良債権処理論者の勧めるとおりだ。「他人の失敗を、銀行が尻ぬぐいする」というやつ。)
 かくて私は、「リスクなしで 1000億円のバクチ」というのができることになる。シメシメ。逆にいえば、銀行は、「うまく行けば 0.1% の利益だが、うまく行かなければ数百億円の損」という最悪の丁半バクチをやることになる。(成否の確率はほぼ五分五分。)
 狂気の沙汰である。こんな銀行は、一つもないだろう。しかし仮に、一つあったとする。とすると、その銀行は、「当行は欠陥銀行です」というシグナルを発していることになる。こういうシグナルを発している欠陥銀行は、倒産の危険があるので、預金者が金を引き上げる。ゆえに、シグナルを発したとたんに、取り付け騒ぎが起こる。たちまち倒産。下手をすれば、金融恐慌。株価大暴落。
 ……馬鹿げているでしょう? たしかに、馬鹿げている。ただし、馬鹿げているのは、私の話ではない。「量的緩和で株価上昇」「銀行は丁半バクチに金をホイホイ貸す」なんていうホラを吹いている人たちだ。

( ※ 物事の本質を考えるがいい。銀行は、株のために金を貸すところではない。正常な事業のために金を貸すところだ。「銀行は見境もなく金を貸す」なんて信じている人は、頭がどうかしている。いっぺん銀行に行って、融資を断られて、恥をかいてみなさい。何か説を主張したければ、自らの無知を知ってからにした方がいい。)


● ニュースと感想  (3月01日f)

 本日のいくつかの項目(前出)では、「量的緩和」について否定的に述べた。
 その要点を一言でいえば、こうだ。── 「デフレ解決のために、金を出すのはいいが、その金は、政府が勝手に使うのでなく、国民が使うのでなくては意味がない」。
 株、土地、外債、……そういったものを買うのは、すべて、バクチみたいなものである。国民の金を、そんなバクチみたいなことに、デタラメに使わないでほしいものだ。国民の金は、国民各自が自分の判断で、自分にとって最も有益なことのために使うべきなのだ。
 株、土地、外債、……などに、勝手に金を使って(使わせて)、その損失を国民に尻ぬぐいさせよう、などというのは、根本的に間違ったことなのだ。

[ 付記 ]
 わかりやすく言えば、こうだ。政府が勝手に「これ買うべし」と言って、あなたの財布の金で、株や土地や外債を買う(買わせる)、ということだ。そして、その損失はあなたが払う。……それでいいですか? いいと言うのなら、その人の財布に、私が手を突っ込んであげます。さしずめ、ダイエーの株でも買ってもらいましょうか。紙屑となったマイカルの二の舞かもね。……こういう泥棒行為を、政府は「景気回復策」と称する。盗人にも三分の理。


● ニュースと感想  (3月02日)

 「南堂の説は狂気的だ!」という批判が、世間から届いてきそうだ。では、「正気の経済政策」とは? それを、以下に示しておこう。「正統的な政策集」である。日本政府公認。
 これが「正気の経済政策」である。(狂気の南堂説とは、すべて正反対。)
 こういう状況は、不思議だろうか? いや、不思議ではない。狂人は、正気を狂気と呼び、狂気を正気と呼ぶ。それだけのことだ。
( ※ 本項は、ジョークではありません。真面目です。)


● ニュースと感想  (3月02日b)

 初心者向け、一口解説。
 Q 政府はどうして景気を良くできないんですか? 
 A 「インフレをつぶすための政策」を取っているからです。つまり、「景気を冷やそう」という政策を取っているからです。
( ※ たとえば、不良債権処理、構造改革、……どの政策も、そうです。本日別項を参照。正気か狂気かは知りませんけどね。とにかく、「政府は景気を良くする方法を取っている」と思うのは、それ自体が誤解です。)


● ニュースと感想  (3月02日c)

 初心者向け、一口解説。
 Q 経済学者の処方箋は、どうして有効でないんですか? 
 A 「供給を改善する方策」を述べているからです。今の不況は、需要不足なのに、供給の改善ばかりを求めています。「企業を立派にさせよ」「技術や体質を強化せよ」「(量的緩和で)株や土地の簿価を高めよ」などと。……そんないくらことをやっても(国民の需要は増えません。つまり、あさっての方向を向いているからです。あっち向いてホイ。


● ニュースと感想  (3月03日)

 日本の経済運営は狂っている。では、最も狂っているところは、何か? 候補をいくつか上げて、考察してみよう。(経済学的に素人であることは仕方なしとして、論理のみを問題とする。)
 この最後の点が、最も狂っているところだろう。日本は今、言葉では「失業率を下げよう」と唱えている。にもかかわらず、「物価上昇はダメ」つまり「失業率を下げるのはダメ」という経済政策を取っている。頭と行動が正反対である。狂気。

 [ 余談 ]
 「頭と行動が正反対」というのは、ギリシア神話で言うと、「ケンタウロス」か「ミノタウロス」だろう。半人半獣。今の日本の状況を描写するのにぴったり。(そういえば、首相の頭は獅子ですね。)
 ついでに言えば、国民はシジフォスであろう。懸命に努力して、岩を山頂まで持ち上げる。すると首相が「構造改革」と叫んで、岩を蹴落とす。国民はまた懸命に努力して、岩を山頂に持ち上げる。するとまた首相が……この無限の繰り返し。(すでに十年間、続いているのかも。)


● ニュースと感想  (3月03日b)

 「流動性の罠」について。
 日銀は「量的緩和」を実行した。(朝刊・各紙 2002-03-01 ) しかし、効果はない。理由は、「流動性の罠」だ。だから、「流動性の罠」について、マスコミは正しい情報を提供するべきだ。このことを強調しておきたい。

 読売・社説(同日)は、例外的に、「流動性の罠」に言及している。しかし、この言及は、後述のように、問題がある。知識が不足したまま、勘違いしているわけである。
 とはいえ、社説は、経済学の専門家が書いたわけではではないのだから、仕方あるまい。咎めるべきではあるまい。
 咎められるべきは、経済学部の記者だ。経済で給料をもらっているはずだ。そのくせ、いったい、何をやっているんですか? 社説でさえ、「流動性の罠」という言葉を出している。なのに、どうでもいいような、些末な経済解説ばかり書いている。「不況解決」という、一番肝心なことをほったらかして、あれやこれやと、余計なことばかり書いている。
 今からでも遅くない。すぐさま「流動性の罠」について、解説するべし。自社の論説委員を含めて、無知と誤解ばかりがはびこっている。そういう世間の無知と誤解を正すため、正しい情報を提供するべし。それがマスコミの義務というものだ。

 [ 補説 ]
 読売の社説で、どこに問題があるのか、指摘しておく。「デフレは金融的な現象である」と述べている点だ。これは、間違いである。
 インフレならば、「インフレは金融的な現象である」と言える。実体経済は変わらないで、貨幣量だけが増大しているからだ。これはたしかに、貨幣量だけの問題だ。だから、インフレのときの対策は、貨幣量を縮小するだけでいい。(そうすれば、インフレも収束する。)
 デフレは違う。「デフレは金融的な現象である」と言えないのだ。ここでは、実体経済が縮小しているが、貨幣量は(ほとんど)変わらないのだ。デフレは、貨幣量の問題ではない。だから、貨幣量を増やしても、何ら事態は解決しないのだ。
 もう少し詳しく言おう。インフレでは、経済活動自体は傷つけられていない。単に物品の価格が上昇していくだけである。デフレは違う。実体経済が縮小しているのであり、ここでは経済活動自体が傷つけられている。単に物品の価格が下落していくだけでなく、生産活動そのものが縮小しているのである。(それが倒産や失業の発生だ。)
 つまり、インフレは名目価格という形を傷つけるだけだが、デフレはまさしく経済の実体を傷つける。その意味で、デフレはインフレよりも、はるかに深刻である。
 たとえれば、こうだ。インフレは、(余計な)ぜい肉が付くことであり、健康に悪いが、生命に関わるほどではない。デフレは、(必要な)肉や骨や内臓を削ることであり、健康に悪いだけでなく、生命に関わる。(実際、日本では、自殺者が急増しており、まさしく生命が奪われている。1万人超も。 → 2月15日b
 インフレは金融的な現象だが、デフレは実体経済の現象なのだ。インフレで傷つくのは形だけだが、デフレで傷つくのは人々そのものだのだ。人々の生命が奪われたり、家庭が破壊されたり。……デフレとは、そういう不幸を実質的にもたらすものであり、実体経済の現象であり、ただの金融的な現象なんかではないのだ。
 社説は、こういう深刻な事実を、完全に甘く見積もっている。

 もし経済学的な知識があれば、このような勘違いは生じないはずだ。考えてみるがいい。「金融的な現象」ならば、「金融的な措置」だけで解決するはずだ。そして、量的緩和論者は、そう主張する。── 「デフレは、金融的な現象だ。だから金融面で、量的緩和すれば、デフレは解決する。簡単なものさ。おちゃのこさいさい」と。
 何ともまあ、能天気な考え方である。日銀はこれまで1年間、ずっと量的緩和してきた。しかし、その巨額の金は、ちっとも効果を発揮しなかった。金は銀行に滞留するばかりで、少しも貸し出し増加には向かわなかった。── それが事実なのだ。その事実を「流動性の罠」と呼ぶ。
 だから、「流動性の罠」という用語をよく理解すれば、間違わないはずなのだ。なのに、知ったかぶりの生半可な知識で、「流動性の罠」という用語を使う。そのせいで、「デフレは金融的な現象だ」などと、とんでもない勘違いの意見を述べている。つまり、実体経済が傷ついていることを、すっかり見失ってしまうのである。
 はっきり言おう。デフレとは、単に価格が下落する現象のことではない。デフレとは、実体経済が縮小することであり、倒産や失業が続出することであり、人々の生命や財産が大幅に奪われる現象のことなのだ。それは、「金融的な現象」なんていう甘ったるいものとは、天と地ほどにも遠く離れているのだ。

 [ 余談 ]
 こういうひどい状況なのも、デタラメばかり言う経済学者が多いせいもある。「流動性の罠」も知らないで、量的緩和ばかり主張する経済学者は、実に多い。日本は、政治も経済もひどいが、経済学者は特にひどい。 ( → 1月07日
 で、こういうデタラメな学者の、デタラメな説ばかり掲載するマスコミってのは、最悪ですね。このホームページでも指摘しているが、マスコミは毎日、自らの義務に反して、デタラメな説を出して、日本を不況のどん底に落としている。その罪は大きい。……いつか地獄に堕ちますよ。地獄に堕ちたくなければ、デタラメな報道をするのはやめて、真実の報道をするべし。つまり、「流動性の罠」について、正しく報道するべし。── これが本項の結論だ。

 [ 付記 ]
 「流動性の罠」を経済学的に説明するには、二通りの説明法がある。一つは、「需要−供給」曲線で示すもの(南堂流)。もう一つは、「IS-LM」曲線で示すもの(クルーグマン流)。……二通りあるが、理論的には等価である。ただ、前者の方がわかりやすい。
( ※ 実は、前者の方が厳密である。というのは、後者は、物価の変動しない静的なモデルでしか成立しないが、前者はその制約がないからである。詳細は略。)
( ※ ケインズの言う「流動性の罠」は、別種のものである。 → 1月10日


● ニュースと感想  (3月03日c)

 迷惑メール法案について。
 「!広告!」と題名を書いた迷惑メールがたくさん送られてきている。先月初めから、政府の指針ができたことによる。で、「お上の公認」(?)ができたので、送り放題になっているようだ。
 さて、規制するための法案が準備中である。二つの並立する法案があるとのこと。(読売・朝刊 2002-03-01 )
 で、どちらがいいか? よく見ると、どちらもダメだ。現状とはたいして変わらない。
 迷惑メールは、「!広告!」と書けばいいわけじゃない。いちいち送信拒否の連絡をすればいいわけでもない。どっちにしても迷惑なのだ。迷惑メールというものは、一括して規制するべきなのだ。一網打尽にして拒否できるようにするべきなのだ。
( → 正しい法案 1月13日

 政府の法案を見ると、何百回も拒否しない限り、迷惑メールは送り放題だ。いったん拒否されても、別の業者名にすれば、また送れる。ほとんど何も変わらない。
 結局、日本は「自由の国」ではない、とはっきりわかる。日本にあるのは、「迷惑企業が他人に迷惑をかける自由」だけだ。「自分の利益のために他人の時間を奪う自由」だけだ。個人の自由などは侵害されっぱなしなのだ。
 まったく、迷惑な人々が多くて困る。「迷惑役人」「迷惑政治家」を削除する法案を期待したくなる。さもないと、これらのウィルスにやられて、日本がクラッシュする。
( ※ 今でも日本国民の顔はブルー画面ですけどね。日本はシステムがビジー状態になっているようだ。)


● ニュースと感想  (3月04日)

 「減税を先行させよ」という意見が、最近、チラホラと聞こえる。新聞記事にも、「そういう声がある」などという記事が見られる。
 ほとほと呆れる。「何を今さら」である。減税先行という声がある? それなら、半年も前から、このホームページに書いてあったでしょう。(新聞各社も読んでいたようですね。)
 で、各社はその間、いったい、何をやっていたんですか? 半年間、ずっと惰眠をむさぼっていた。そして半年たって、やっと目覚めたんですか? まったく。半年間も冬眠しているとは。まるでですね。
 ま、それでも、春になって、「春眠、暁を覚えず」かと思ったら、ようやく目覚めたわけか。つまり、「減税先行」について、ようやく考慮するようになったわけか。……それはまあ、いくらか進歩だ。しかし、である。私はその間に、ちゃんと半年分、進んでいる。今や「タンク法」という方法を示している。つまり、「減税は得ではないし、増税は損ではない」と。( → 2月22日
 なのに、新聞は、それを理解できない。やはり半年遅れている。「減税は得だが、増税は損だ」とか、「そんなことだと財政赤字を招く」とか、とんでもない勘違いとデタラメを述べている。
 いつまでたっても、半年遅れて、私のあとを追いかけるようでは、まったく困る。この分だと、タンク法に言及するのも、半年後になりそうだ。つまり、半年間、日本経済はずっと悪化し続けることになる。
 マスコミの責任は、きわめて重い。彼らは、「情報伝達」という最大の使命を忘れている。ほとんど政府の広報誌に成り下がっているのだ。

 結語。
 今の日本をダメにしているのは、獅子と熊である。

 [ 付記 ]
 「減税先行」という意見は、最近よくある。しかしどれもこれも、ただの思いつきばかりだ。経済学的な根拠がまったく欠如している。どんな仕方でやるべきかも、どんな規模でやるべきかも、どんな効果があるかも、わからない。厳密な根拠なしに、憶測で主張しているだけだ。
 また、「これまでの減税は効果がなかった」と主張して、「だから減税なんて、すべて無効だ」と論理を飛躍させたりする。「減税と名前が付けば、どれもこれも同じ。あれもダメ。これもダメ」という理屈だ。単細胞というか。……そこには過去の失敗に対する分析が欠けている。 いわば、過去の失敗体験がトラウマとなって、ふたたび立ち向かうことができなくなっているのである。(私が思うに、こういう主張をする人は、ひどい失恋体験があるに違いない。「自分は二度も恋愛に失敗した。だから恋愛というものはすべて失敗するものである。今後は絶対に恋愛をするまい」と決意するわけだ。意志薄弱。)
 なるほど、これまで何度か、減税が失敗した。では、それはなぜか? ちゃんと分析するべきだ。もちろん、そこには、はっきりとした理由がある。── 「減税による景気回復が信頼されなかったこと」だ。信頼されないから、人々は消費を増やさなかった。だから景気は回復しなかったのだ。
 そう理解すれば、対策もわかる。「景気回復が信頼されるようにすること」だ。そのためには、次の二点が必要だ。
 ・ 額を十分巨額にすること。(20兆円以上)
 ・ 「インフレ目標」を実施すること。
 これが最低限、必要なのだ。この二点を含まない減税策は、ただの名目的な「減税」にすぎず、「景気対策」にはなっていない。過去の失敗は、失敗するべくして失敗したのである。そのことを理解するべきだ。
 とにかく、単なる思いつきではダメだ。経済学的に十分考慮しておく必要がある。単なる「先行減税」なんていう思いつきだけなら、子供でもできる。「おこづかい、先にちょうだい」
cf. 思いつきの案 → 2月27日b2月27日c
cf. 十分な額 → 大きな力


● ニュースと感想  (3月04日b)

 「減税しても、後で増税するのでは、国民はちっとも得にならない。」という説がある。── そして、「だから、(将来の増税をしない)正味の減税が必要だ。そうすれば消費が増える。」と話を進める。
 この説は、もっともなように思える。しかし、これこそ、私がここで否定している説だ。
 すでに 2月22日 で述べたとおり、次のように言える。(タンク法による減税では)「減税は、損でも得でもない。増税も、損でも得でもない」と。だから、正味の減税をしても、それは単に貨幣量を増やすことにしかならないのだ。得にはならないのだ。
 先の説は、そのことを理解しない。逆に考えている。「減税すれば、富は空から降ってくる」と考えている。それはつまり、「紙幣をどんどん印刷すれば、国民の手元にはどんどん自動車が増える」ということだ。「紙幣をどんどん印刷しよう。国民に紙幣を渡せば、紙幣が自動車に化けて、国民は自動車をたくさん所有できる」ということだ。
 間抜けな話だ。実は、これと似た話は、昔話にもある。タヌキが人に、葉っぱを与えた。人はそれを団子だと思って、大喜びした。紙幣という葉っぱを、自動車という団子だと見なす、というエコノミストは、タヌキに化かされているのである。
 実際は、葉っぱは、団子ではない。紙幣は、自動車ではない。紙幣を印刷しても、紙幣が自動車になることはない。……つまり、減税は、少しも得ではないのだ。減税しても、単に物価が上がるだけだ。( 2月22日 で述べたとおり。)

 では、得ではないとしたら、何のために減税をするのか? 実は、物価が上がるという、そのことが、景気対策としては大事なのである。インフレ効果をもつからだ。つまり、減税は、国民に得をさせるためになすのではなく、インフレ効果を出すためになすのだ。
 だから、「一時的な減税は得にならない」というような意見は、根本から狂っているわけだ。一時的であろうとなかろうと、減税というものは、そもそも損でも得でもないからだ。同様に、増税というものは、損でも得でもなく、単にデフレ効果をもたらすだけだ。
 減税は、損でも得でもない。増税も、損でも得でもない。増減税は、損や得をもたらすためになすのではなく、景気を操作するためになすのだ。 ( → 2月22日
 そして、そのことを理解しない人が、「減税してから増税するのでは、得にならない」という誤った結論を出すわけだ。
 こういう勘違いは、世間には結構広まっている。なるほど、素人なら、「減税は得だ、増税は損だ」と勘違いするだろう。しかし、素人が勘違いするのはともかく、エコノミストが勘違いしては困る。素人ならば、自分の財布にある貨幣の枚数を数えるだけでいいが、エコノミストならば、貨幣の価値(= 何を買えるか)を考えるべきだ。個人の財産とは、貨幣の枚数のことではない。枚数だけを数える人は、貨幣価値というものを理解できないでいるのだ。そういう人は、葉っぱでも数えていればいい。

 結語。
 「正味の減税が大事だ。将来の増税があってはいけない」というのは、誤りである。そう唱える人には、貨幣価値のない「1億円」と書いた葉っぱでも与えればいい。貨幣価値を理解しない彼は、大喜びするだろう。

( ※ 本項では、「リカードの等価定理(等価性)」を否定している。この件、後日また述べる。)
( ※ 本項で述べたことが理解できない人は、 2月22日 を読み直してほしい。)

 [ 補説 ]
 参考に述べておこう。
 「どうせ減税をするなら、赤字国債を発行して減税するよりも、政府の無駄を減らして減税するべきだ」(*)という意見もある。
 しかし、この意見は、やはり、勘違いしている。(まったくのデタラメや虚偽というほどではないが、見当違い。馬鹿ではないが、お間抜け。)
 「政府の無駄を減らす」ということと、「減税する」ということとは、まったく無関係のことなのだ。(相互に独立しているわけ。サッカーの話とバレンタインデーの話ぐらい、無関係。)
 なるほど、「政府の無駄を減らす」のは、たしかに良いことだ。( → スリムな政府 ) しかし、それによるメリットは、それをなした時点で発生するのであって、あとで減税をするか否かには依存しない。減税しなくても、減税したのと同じ分、国民の富は増える。(なぜならその金を、タンク法で国債償還に当てれば、貨幣量が減って、貨幣価値が上がるからだ。)減税をしてもしなくても、国民にとって損得はないのだ。
 政府の無駄を減らすことは、得をもたらすので、減税とは関係なく、どんどんやるべきだ。一方、減税は、やろうとやるまいと、損得は関係なのであって、景気にだけ関係あるのだ。だから、減税はそれ独自で(政府の無駄減らしとは関係なく)、景気対策として、やるべきときにやればよい。
 結局、(*)の意見は、比較するべきものを間違えているのである。比較できないものを比較して、勝手に無意味なことを主張しているのである。


● ニュースと感想  (3月05日)

 「国が増減税を勝手にやるのはけしからん」という意見がありそうだ。「勝手に増減税して、金を動かすのは、所得の再分配だ。そんなのは、国家による個人への介入であり、けしからん」というわけだ。
 しかしその考えは、根本的におかしい。なぜなら、課税というもの自体が、所得の再配分効果をもつからだ。
 所得税というものは、ある程度の累進制をもつ。これは、どこの国でもそうだ。ここでは、所得の再配分が行なわれている。
 とすれば、「増税して減税」であろうと、「増税も減税もしないで元のままの税制」であろうと、所得再配分効果があるのは、同じことなのだ。どこが違うかといえば、せいぜい、所得再配分の効果がいくらか変わるということくらいだ。そんなことは、税制の制度改革ぐらいの意味しかもたない。大騒ぎすることなど、全然ないのだ。

 [ 補説 1 ]
 ついでに、累進税制について述べておこう。
 「高所得者を優遇しないと、創業する人が出てこなくなるので、日本経済が活力を失う」
 という意見がある。「だから、高所得者の税率を大幅に下げよ」というわけだ。しかし、これには賛成できない。
 これは、「人は税を基準に生きる」という考えだ。「人は納税額を少なくするために生きるから、納税額を少なくするように制度を整えればいい。そうすれば起業家が増える」というわけだ。
 しかし、起業家は、そういう基準で生きてきたか? 過去の例を見るがいい。ダイエーの中内。ホンダの本田。ソニーの井深。……彼らは、税で得するために起業したか? ただの金儲けのために起業したか? 違う。若々しい情熱ゆえに起業したのだ。彼らには、理念があった。大いなる理念が。彼らはその理念をめざして生きたのだ。決して、税で得しようというような、せせこましい目的のために生きたわけではないのだ。
 「税の優遇で活力」というのは、とんでもない見当違いなのだ。むしろ、話は逆なのだ。経営者が「目先の損得のために生きよう」という、せせこましく考えると、どうなるか? いい例がある。中内だ。彼は、若き日には、ダイエーを起業して、成長させた。しかし晩年は、息子に財産を残そうとして、いつまでも経営者の座にしがみついたあげく、老人ボケの経営を継続して、ダイエーを事実上破綻させた。
 「誰もが税を基準に生きる」というのは、政治家の思い込みにすぎない。自分たちが税をちょろまかすことばかり考えているから、そういう説を出すのである。ま、たしかに、それも当然かもしれない。彼らはもともと、何か有益なものを生産しているわけでもないから、せいぜい納税額を減らすことぐらいしか、人生の目的はないのである。
 私の知人の一人は、こう主張した。「いっぱい稼いで、いっぱい納税して、いっぱい貢献しよう」── どこかの政治家やエコノミストとは、雲泥の差である。
( ※ 知人の話だが、こう主張したのは、脱税がバレたあと。)

 [ クイズ ]
 「人は金を目的に生きる」とエコノミストは主張する。ではなぜ、経済学者は、経済学なんていう、ちっとも儲からないことをやっているのか? 

 [ 補説 2 ]
 ついでに、所得再配分が必要な理由を述べておこう。次の三点だ。
  1.  最低必要額
     人間は生きていくために、最低の必要額がある。この分は、免除する必要がある。さもなくば、「死ね」ということになる。国民がどんどん死んでしまったら、国家が崩壊するから、金持ちも損だ。だから、課税最低限以下は、免税にする必要がある。
  2.  中産階級による需要効果
     少数の金持ちと、多数の貧乏人。──これは19世紀型の社会だ。ここでは、中産階級が存在しないので、製品がまともに売れない。これでは、金持ちも損だ。だから、ある程度の所得再配分をして、中産階級を増やす必要がある。
  3.  社会システムの利用料金
     そもそも、「市場経済」というものが、不公平な仕組みになっている。そこでは「弱肉強食」がなされる。強いライオンが弱い子鹿を食い尽くすように、金儲けのうまい者が金儲けの下手な者から金を奪う。金持ちとは、「正当な所得を得たもの」ではなくて、「社会システムをうまく利用して自分の富を増やした者」のことである。彼は、自己の才覚だけによって儲けたのではなく、社会システムをうまく利用して儲けたにすぎない。ならば、社会システムを利用したことの利用料を払うのは当然なのだ。「自己の才覚だけで儲けた」と思い込むのは、ひどい思い上がりである。そんなことを言う資格があるのは、隔絶した無人島にいる人だけだ。どうしても税金を払いたくなければ、無人島で一人で暮らすべきだ。
    •  [ 注釈 ]
       これ、なんだか、マルクスみたいな意見ですね。  (^^);
       でも、勘違いしないでほしい。「資本家は人民の金を搾取している」と言っているわけではない。「金儲けのうまい投資家はコンピュータの金を搾取している」と言っているわけでもない。「社会システムを利用して儲けたなら、社会システムの利用料を払え」と言っているだけだ。「ただ乗り禁止」である。払いたくない人は、社会から完全に隔絶して孤独に暮らせばいい。
  [ 余談 ]
  本項には、貧乏人のひがみが多くまじっています。


● ニュースと感想  (3月05日b)

 少子化の基礎資料。(読売・朝刊 2002-03-04 )
 なかなか情報豊富で、ためになる記事だ。諸外国との比較など。
 日本の女性の就業比率は、49% とのこと。もっと少ないかと思ったが、案外、多い。(北欧を別として)欧州諸国と比べても、特に大きく見劣りするわけではない。劣るのは、待遇。何せ、薄給のパートが多いですからね。

 少子化による経済力の縮小は、当面は、どうしようもない。今から子供を産んでも、労働力になるのは 20年後だ。それまで、労働力人口は減り続ける。となると、女性の就業率を高めるしかない。
 で、私の提案は、「男女差別税」だ。つまり、各企業に対し、労働者の男女比率を 50:50 にするように義務づける。女性が多すぎるのはいいが、少なすぎるところには課税する。となると、企業は、否応なく、女性を多く雇うようになる。
 それで、男はあぶれるか? いや、女性が雇われれば、その分、所得が増えて、需要も増える。男があぶれるわけではない。経済が成長するだけの話だ。
 しいて言えば、男の残業は減るだろうし、男だらけの職場も減る。かわりに、女だらけの職場が増える。そこに勤めれば、女がいっぱい。両手に花。……いいなあ。みなさん、転職したくなるでしょ? 「産業構造の改革」は、小泉流より、ずっと進むかもしれない。

 [ 付記 ]
 ついでに一言。
 出生率の低下で問題なのは、「高学歴の人ほど、出生率が低い」ということだ。頭の悪い人はどんどん子供を産むが、頭のいい人はあまり産まない。……となると、どうなるか、わかりますね? 
 マスコミはよく「出産奨励の政策を」と言うが、単に金を渡すだけだと、低学歴の人がやたらと××××に励むだけだろう。……アメリカでも、同様のことが起こっている。
 単に少子化を問題にするだけでなく、もっと質の面でも注目してもらいたいものだ。さもないと、日本は、少子化が解決されても、人口は単純労働者ばかりになってしまう。


● ニュースと感想  (3月05日c)

 ワークシェアリングについての特集記事。「中長期型」と「緊急避難型」とにわけている。(読売・朝刊 2002-03-04 )
 私の意見を簡単に言えば、次の通り。

 (1) 中長期型
 推進するべきである。ただし、その率は、生産性向上率(2〜3%)程度。このくらいの時短・賃金減ならば、現在の生活水準を維持できるので、特に問題ない。これ以上の幅だと、実質賃金の低下を招くので、社会的混乱が生じる。
( ※ ただし、「雇用形態の多様化」ならば、選択可能なので、問題ない。)

 (2) 緊急避難型
 景気回復策を採らないで不況を放置するのであれば、「雇用を分かちあう」ことは、「痛みを和らげる」効果をもたらす。しかし、それだけだ。
 本来なら、ワークシェアリングなんかに1年以上の時間をかけたりしないで、ただちに景気を回復させるべきなのだ。そうすれば、失業者はなくなるから、「雇用を分かちあう」必要そのものがなくなる。これが根元的な対策だ。
 緊急避難型は、あくまで、「不況を継続させる」ことが前提となる。そんなものは、本筋をはずれている。風邪を引いたときは、「風邪を治そう」とするべきであり、「ずっと風邪を引いたまま痛みを和らげよう」とするべきではない。「貧しさを分かちあう」なんてことをめざすより、「貧しくなくなる」ことをめざすべきなのだ。
( ※ ただ、「やってはいけない」と否定しているわけではない。「枝葉末節より、肝心のことをやれ」と言っているわけ。無能な獅子が二つのことをやろうとしたら、どっちも失敗するだろう。だって、猿なんだもん。)

 結語。
 厚生政策として中長期的に進めるのならいいが、当面の景気対策としては外道である。


● ニュースと感想  (3月05日d)

 世論調査。(朝日・朝刊 2002-03-03 )

  内閣を支持する   はい 44  ノー 40
  首相の政治姿勢   良い 27  悪い 12
  行政・財政の改革  良い 20  悪い 15
  景気・雇用対策   良い  6  悪い 44


 まとめ。
 前回( 1月31日b )と比較すると、初めの2項目は、幻想が冷めた分、急速に悪化している。4番目はもともと悪い。3番目は中間的。……こういう傾向は、真紀子解任の直後( 2月03日 )と、大差はないようだ。

 [ 付記 ]
 朝日社説が何と言うか、興味津々で待っていた。翌日(04日)の社説を読むと……やっぱり、小泉ファンのままである。
 たとえば、首相の改革イメージを「幻想にすぎないと国民が思い始めた」と書いてあるので、「ふんふん。いくらかわかってきたのかな?」と思ったが、やはり、甘い記述だ。そもそも、(幻想にすぎないと)「思い始めた」ではなくて、「はっきりと理解した」と書くべきだ。「構造改革は幻想だ」ということは、今や、国民の大多数が理解している。その証拠が上記の 6 : 44 という数字だ。(しかも、これに近い数字は 10月01日b にはすでに出ている。)
 小泉に幻想をもっているのは、今や、朝日だけだろう。この日の社説も、小泉に対して、「自民党を内側から壊せ」とか、「内なる敵と闘え」などと期待している。呆れた話だ。そんなことを思うのは、政治的な喧嘩の大好きな、朝日の社説だけでしょうが。国民は、腐った政党の腐った党内争いなんか、どうでもいいのだ。そんな左翼かぶれみたいな意見は言わないでほしい。
 今は、日本経済の不沈がかかっている、緊急時なのだ。こういう時期に、社説は、「自民党を内側から壊せ」と主張することで、日本経済をほったらかさせようとしている。つまり、「日本を壊してしまえ」と主張しているのと同然だ。
 まったく、度しがたい小泉ファンだ。少しは世論調査の意味を理解してはどうか? いったい、何のために世論調査をやっているんですか。上記の 6 : 44 という数字のうち、朝日は  の方に含まれる。自分が世間から遊離していると、はっきり自覚するべきだ。(無自覚なところは、朝日も小泉も同様。)






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「小泉の波立ち」
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