[付録] ニュースと感想 (15)

[ 2002.04.17 〜 2002.04.28 ]   

  《 ※ これ以前の分は、

    2001 年
       8月20日 〜 9月21日
       9月22日 〜 10月11日
      10月12日 〜 11月03日
      11月04日 〜 11月27日
      11月28日 〜 12月10日
      12月11日 〜 12月27日
      12月28日 〜 1月08日
    2002 年
       1月09日 〜 1月22日
       1月23日 〜 2月03日
       2月04日 〜 2月21日
       2月22日 〜 3月05日
       3月06日 〜 3月16日
       3月17日 〜 3月31日
       4月01日 〜 4月16日
         4月17日 〜 4月28日

   のページで 》





● ニュースと感想  (4月17日)

 「減税先行」について。
 最近、あちこちで報道されている。「税制改革をするが、改革のうち、減税部分だけを先行する。減税は、投資減税・相続税減税など」という話。(財務省あたりは、「減税の先食いは、財政を悪化させる」と反対している。)
 さて。この「減税先行」は、私の「中和政策」とは、似て非なるものである。次の点で。
  1.  増減税の組み合わせではない
     将来の増税が担保されていない。ゆえに、減税の規模はきわめて小さくなる。ゆえに、景気回復効果は、ほとんどない。(逆に、将来の増税が担保されていれば、減税の規模はいくらでも大きくできる。私のお勧めは、30兆円。一方、「減税先行」では、規模は数千億円レベルか。「地域振興券」と同程度。)
  2.  減税対象が一般国民ではない
     「投資減税」や「相続税減税」では、恩恵を受けるのは、限られた人々だけだ。「所得税減税」や「消費税減税」とは異なり、一般国民には、恩恵が及ばない。ゆえに、一般国民を対象とした増税を、将来、実施することができない。(強引に実行すれば、一般国民にとっては、実質増税となる。「増税で景気回復を狙う」という、珍妙なる政策。)
  3.  財源は、民間引き受けの国債である。
     日銀引き受けでなく、民間引き受けとなる。この件は、今月初めから、ずっと話題にしていることだ。明日以降、いよいよ本格的に分析する。
 結局、どうなる? 
 a ゆえに、効果はない。
 b は、a と関連して、減税が十分でないことの原因となる。
 c は、大問題があるわけではないが、効果を悪くする。(詳しい話は、数日後。)

 [ 付記 ]
 「投資減税をせよ」というのは、「投資を増やせば不況は解決する」という発想。「消費なんか増やさなくてもいい。とにかく投資を増やせ」というわけ。「需給ギャップなんかには、目をつぶってしまえ。供給過剰でも、とにかく設備投資せよ」というわけ。
 これは、「量的緩和」論者にも共通する。古典派やサプライサイドは、こういう主張をする。ついでだが、クルーグマンもここに含まれそうだ。( ← 実質金利低下による、投資の拡大を主張するので。)
 「需給ギャップがあるから、消費を拡大させよ」という私の主張は、他の人々とは、大きく異なる。(「官需を増やせ」というケインズ派とも異なる。)

 【 追記 】
 経済財政諮問会議は 16日になって、「将来の増税」を言い出した。(各紙・朝刊 2002-04-17 )
 しかし、これは、「減税の先食いは許さない」との意味らしい。私の言うのは、「将来の増税があるから、現在の減税を十分にできる」ということ。

 《 予告 》
 国債の話は、ここしばらく一休みしていたが、明日から再開する。(今までの国債の話は、準備段階みたいなものだった。このあと、本格的に、マクロ経済らしい話となる。かなり画期的な話もする。従来の常識の間違いを示し、常識を覆す話もある。乞う、ご期待。)


● ニュースと感想  (4月17日b)

 「減税」と「公共事業」との比較。(これまで述べたことの要約など。)
 次の (1) (2) の二点がある。

 (1) 投資効率
 公共事業は、一律に「良い/悪い」と決めるべきではない。投資効率によって決まる。次のように、場合分けされる。
 この主張は、ケインズ派とは異なる。ケインズ派は、単に、有効需要の創出効果だけを見る。投資効率を無視する。だから、「穴を掘って埋めるという、投資効率が 0 の公共事業でもいい」という結論になる。あるいは、「金をかけてわざわざ環境破壊するという、投資効率がマイナスの公共事業でもいい」ということになる。馬鹿げた話。(投資効率を理解しないせい。)

 さて。このことから、「景気対策としての公共事業は、あまり好ましくない」というふうに、一般化できる。なぜか? 景気対策としての公共事業は、投資効率が低いからだ。というのも、投資効率の高い公共事業は、もともと長期計画に組み込まれているからだ。
 つまり、下らない公共事業は、「こんなものは優先度は低いし、やらなくてもいい」として、長期計画から漏れる。なのに、公共事業の総予算拡大にともなって、やらないはずのものを、あえてやるようになる。
 結局、公共事業そのものに問題があるのではない。景気対策としての公共事業が、好ましくないのだ。そして、その理由は、投資効率が低いからだ。

( ※ 私は別に、「公共事業は全部ダメ」といっているわけではない。原理的には、投資効率が 1 を上回るならば、やるべきである。たとえば、インフレが未整備な途上国における、必要なインフラ整備。)

 (2) 将来の増税
 不況期に財政赤字を拡大するのは、問題ない。しかし、それなら、好況期には、増税して、財政を黒字化する必要がある。理由は、次の2点だ。
 ・ 過去の財政赤字の分を放置すると、インフレ効果が持続する。
 ・ 財政赤字が溜まりっぱなしで、財政破綻の危険が来る。

 しかし、である。「増税」は、必要だとしても、可能だろうか? これは、公共事業と減税とでは、事情が異なる。国民の納得の仕方が違うのだ。
  1.  「公共事業」に金を使った場合。
     数年後に「公共事業のツケ払いをせよ」と言われても、国民としては、納得が行かない。「パソコンと自動車と貯金が手元に残るのなら、増税も納得が行くが、タヌキのための道路が辺地に残るのならば、増税は納得が行かない」というわけだ。「勝手に勘定書を回すな。おれたちゃ、そんなに気前よくはないぞ」と大反発が起こるだろう。( この点は、私がこれまで何度も主張してきたとおり。)

  2.  「減税」に金を使った場合。
     数年後に「減税のツケ払いをせよ」と言われても、国民としては、納得が行く。たとえば、「5年前に 50万円もらったんだから、今になって 50万円返すとしても仕方ない」と思うし、「50万円もらって、30万円返すだけでいいなら、差し引きで、20万円儲けちゃった」と喜ぶだろう。 ( → 第3章 「マイナスの利率」 の「経済学的なマジック」 )
 結語。
 将来の増税が困難か否かは、現在における金の使途しだいである。
 (a) 金の使途が公共事業である場合、あとで「増税」を国民に納得してもらうことが困難である。(というか、馬鹿でなければ、納得するはずがない。) ……つまり、「減税は簡単だが、増税は困難だ」という理屈は、まさしく成立するわけだ。使途が公共事業である場合は。
 (b) 使途が減税である場合は、そうではない。国民は、「50万円もらったことに対して、30万円返せ」と言われたとき、納得する。(素直に納得はしなくても、渋々ながらも、とにかく納得する。泥棒根性でなければね。)

 ともあれ、後年における「増税のしやすさ」を考慮した場合、使途が公共事業であるのと、減税であるのとは、大違いであるわけだ。
( ※ ついでに言えば、これは、単なる政治的な実行難易度の問題ではない。「国民が実質的に損するか否か」という、実質的な問題だ。国民が猿なら、目先の公共事業をもらって喜び、あとで増税が来ることを忘れるだろう。しかし、国民はではないのだから、「穴を掘って埋めました。代金 50万円」と請求書を突きつけられて、喜ぶはずがない。……ま、「毛 in zoo 派」の主張を別とすれば。)

 [ 付記 ]
 ここでは「景気回復後の増税」を前提としている。
 不況のときに、財政支出を拡大して、公共事業をしたとする。それによって、インフレ効果が発生する。それがうまく効果を発揮して、不況を脱出したとする。ここまではいい。
 しかし、好況になったあとも、いまだにインフレ効果は続くのだ。だから、やがては、景気を冷却する必要が出てくる。当然、財政を引き締める必要がある。
 しかし、である。財政を引き締めるにしても、それがうまくできないのだ。なぜなら、公共事業の資金は、長期国債による長期償還であって、(景気回復後という)5年程度で償還するべきものではないからだ。
 公共事業は、利益期間が長期に渡るゆえに、償還も長期となる。「景気回復後に早めに償還しよう」と意図しても、そう都合良くは進まないのだ。財政の都合で、勝手に償還を早めるわけには行かないのだ。
 仮に、長期で償還すべき国債を、強引に5年程度で償還するとすれば、富の移転が発生する。将来世代が負担すべきものを、強引に現在世代が負担することになる。これは、「増税」という形で、現在世代に過分な負担がかかることになる。 ( → 4月08日 の最後 )
 ケインズ派は、この点を理解していない。現在の不況脱出の効果(経済効果)だけを乗数効果などで計算しているだけで、将来の返済のことを考慮していない。おおかた、「増税によって返済する必要はない」とか、「長期間に少しずつ返済すればいい」と、勝手に考えているのだろう。しかし、それは間違いなのだ。(理由は前述の通り。)
 こういうわけだから、ケインズ派は、「不況対策のことばかり考えていて、インフレ対策が無力だ」と批判されるわけだ。もしケインズ派の言い分を聞いて、不況期に「これでうまく行くぞ」とばかり財政支出を拡大すれば、あとでインフレ過熱で困った事態となるだろう。「行きは良い良い、帰りは怖い」である。
 結語。
 景気回復後には、増税が必要である。不況期に増やした財政赤字の分は、好況のときに全額きっちり返済する必要があるのだ。そのためには、国債は中期償還であるべきだ。そしてまた、使途も、中期で償還可能なものであるべきなのだ。つまり、公共事業ではなく、減税であるべきなのだ。
cf. → 4月08日
( ※ こういうふうに説明が付くから、これまでの「国債論議」は必要だったわけだ。)

 [ 余談 ]
 結局、以上では、「公共事業よりも、減税が良い」ということを示してきたわけだ。── 減税が大事だということ。これが当面の結論である。
 さて、これを前提とした上で、明日以降、「減税」に関することを、いろいろと述べることになる。……なお、話の主眼は、あくまでも、「タンク法」(増減税による貨幣量の調節)である。これを念頭に置いている。
 話の筋道としては、本日はケインズ派への批判だったが、このあとはマネタリズムへの批判が多くなる。ただし、批判はオマケであり、目的は、真実の探求である。
( ※ タンク法は → 2月22日 以降。)


● ニュースと感想  (4月18日)

 「民間引き受けの国債」の使途が「減税」である場合について。
 「民間引き受けの国債」の使途については、「減税/公共投資」という区別をした。そして、使途が「公共投資」である場合について、先に述べてきた。( → 4月08日
 本項では、「減税/公共投資」のうちの他方である「減税」について考察する。
 減税をするにしても、その財源が問題だ。財源を 「日銀引き受けに」にするのと、「民間引き受け」にするのとでは、どういう違いがあるだろうか? これがテーマとなる。

 なお、民間引き受けにするにしても、その償還期間については、すでにわかっている。 4月08日 で述べたように、「減税」のためなら、短・中期国債であるべきだ。なぜなら、長期国債は、世代間のツケ回しを起こすので、好ましくないからだ。
 つまり、発行と償還の期間については、「不況のときに減税/好況のときに増税」である。これが基本である。……減税をしても、数年後の増税できっちり償還する。何十年もかけて少しずつ償還するようなことはしない。短・中期国債を用いて、長期国債は用いない。
 これが、前提である。
 では、この前提の上で、「民間引き受け」の短・中期の国債で減税をすると、どのような効果があるだろうか? そのことを考えるわけだ。

 この問題は、二つに分けて考えることができる。 「国民にとっての損得の問題」と、「景気への影響の問題」だ。── このうち、前者の「国民にとっての損得の問題」について、以下では考察することにする。(後者の「景気への影響の問題」は、明日以降で。)

 国民にとっての損得の問題。これは、いくつかあるが、列挙すると、次の通りだ。
   (1) 配分の問題
   (2) 価値の問題
   (3) 単純な損得の問題
   (4) 物価上昇の問題
   (5) 税率の問題
 これらについて、以下、順に考察していこう。

    *   *   *   *   *   *   *   *   *

 (1) 配分の問題
 国債発行によって「減税」をすると、国民間に(意図せぬ)富の再配分が起こることがある。つまり、損得が発生することがある。
 これは、好ましくないことだ。別に、特定の人々のみに得をさせようとしたり、損をさせようとしたりする意図はない。単に景気を回復することだけが狙いだ。なのに、ついでに「富の再配分」が、意図せぬ形で発生するのは、好ましくない。
 では、このようなことは、「減税」にともなって、発生するだろうか?

 第1に、タンク法ではどうか? これは、特に明白な損得は発生しない。国民全員に減税し、国民全員に増税する。だから、特に、特定の人が得したり損したりすることはない。
 ただ、「得する度合い」「損する度合い」が、国民間で差がつくことはある。凸凹と言ってもいいだろう。これをなるべく少なくするようにするべきだろう。……この件は、すぐあとの [ 補説 ] を参照。

 第2に、民間引き受けではどうか? 現在においては、(国債の)債権者が金を出し、一般大衆が金を受け取る。将来においては、(国債の)債権者が金を受け取り、一般大衆が金を出す。……つまり、先に述べたように、「強制的な借金関係」が発生する。現在においても、将来においても、富の「配分変更」が発生する。ただし、現在と将来とでは、その配分変更の方向が反対だ。だから、両者をあわせれば、チャラとなる。(当たり前。)
 ただし、ここでも、タンク法と同じよな凸凹が発生する。これをなるべく少なくするようにするべきだろう。……この件は、次の [ 補説 ] を参照。

 [ 補説 ]
 減税と増税を組み合わせても、国民の間で、微妙な損得が発生することがある。凸凹である。減税時と増税時には、数年間(4年程度)のずれがあるが、その間に、いろいろと状況に変化が発生するからだ。
 たいていの人は、4年たっても、少し所得が増えるぐらいだろう。国民間で、大差はあるまい。ただし、例外的な場合もある。若年者は、学生だったのが、勤労者となる。高齢者は、勤労者だったのが、年金生活に入る。……こうなると、損得が発生することもある。たとえば、「所得税減税」と「所得税増税」という形だと、若年者は恩恵を受けずに、負担だけがある。高齢者は、恩恵だけを受けて、負担がない。
 だから、「所得税による増減税」というのは、ちょっと問題があるわけだ。( → 4月05日 の (1) の「注記」でも述べた。)
 では、どうすべきか?
 私としては、減税は「所得税減税と均等バラマキの組み合わせ」、増税は「消費税の増税」、というのが好ましいと思う。所得階層に対する影響では、これなら凸凹がほとんどなくなる。(おおざっぱに言えば、金持ちほど多く減税され、金持ちほど多く増税される。)
 前述の年齢の問題は、学生なら「均等の減税」と、「低額の所得税増税」となる。高齢者だと、「かなりの減税」と「ほとんど増税なし」だから、高齢者は得をする。しかし、高齢者は、不況のときは「実質金利の低下」で損をするから、政策全体を見れば、損得はほぼチャラになるだろう。
 一般的に言おう。このような国民間の凸凹は、ある程度は起こる。しかし、しょせん、そのような凸凹は、どのような税制改革をしても、必ず発生するのだ。……たとえば、課税最低限を上げたり下げたりするもある。所得税の最高税率を下げることもある。消費税を上げることもある。相続税を下げることもある。年金や健保などの社会保険料を上げることもある。……こういうふうに、政府がいろいろと制度をいじれば、それにともなって、国民間で凸凹は発生する。
 結局、こういう凸凹の発生は、しょせんは、やむをえないのだ。凸凹の発生をゼロにすることは不可能である。なるべく凸凹を減らすように努めるだけでいい。しかもまた、「何もしなければ凸凹が発生しない」ということにもならない。現状は現状なりに、それなりの凸凹が発生している。改訂後が現状よりも悪くなるとは限らない。
  【 追記 】
 「減税は完全な均等バラマキ」(所得税減税を組み合わせない)というのも、悪くはない。理由は、次の通り。
 ・ 低所得者ほど消費性向が高いので、景気刺激効果が高い。
 ・ 景気回復によって得をするのは、高所得者の方が大幅だ。
 ・ ゆえに、高所得者としても、「均等バラマキ」の方が得だ。
  (減税額は少なくとも、景気回復による所得増加が大きくなる。)
[ ※ 私が高所得者だったら、やはり、「均等バラマキ」の方を望む。「減税(500万円)が50万円に減る」としても、「所得(3000万円)が2割増加」となるなら、その方がずっと得だ。さらに、期間の差もある。減税は一時的であり、所得増加は長期的である。]
 (2) 価値の問題
 価値の問題がある。別に国民が要求しているわけでもないのに、勝手に減税をして、勝手に増税をする。となると、そのことで、(たとえ金銭的に損得はなくとも、)価値の損得が発生することがある。( → 4月04日
 では、価値的には、どうか? 実は、全員が得をする。
 この「減税」では、国民は、不況のときに金をもらって、好況のときに金を返す。つまり、金がないときに金をもらって、金が余っているときに金を返す。……これは、価値的には、誰にとっても得である。(逆に言えば、「財政健全化」は、誰にとっても損である。不況のときに金を奪われ、金が余っているときに金をもらう。価値的に、損だ。)

 [ 補説 ]
 こういう「価値の損得」というものがあるから、人は「借金」というものをすることがあるわけだ。たとえば、病気のときに金を借りたり、若いうちに住宅ローンを組んだりする。
 これに対して、「合理的な人間はそんなことをしない」という説もある。いわゆる「合理的期待形成仮説」だ。単に金銭的な損得だけを考え、価値的な損得を考えない。病気で薬が必要なときでも、「薬代が高いから」という理由で薬を買わず、病気が治ったあとで、「薬代が安いから」という理由で薬を買う。家族が増えて部屋が必要なときに、「住居費が高いから」という理由で狭い家で暮らし、家族がいなくなった老後になって、「住居費が安いから」という理由で広い家を買う。いずれも、単に金銭的な損得だけを考えて、価値的な損得を考えない、という理屈だ。
 この「合理的期待形成仮説」というのは、古典派の考えだが、ケインズ派も似たような考えをする。「金は利子収入のためにある」という考え方だ。この考え方によると、金は使うためではなく、増やすためにある。だから、瀕死の人間は、「残りの人生でパーッと使い果たそう」とはせず、最期の一瞬まで、利子の計算に熱中している、ということになる。
 もちろん、普通の人間は、そんなことはしない。金は、数字的な意味があるだけではなく、価値的な意味がある。だからこそ、人は、借金して利息を取られるとわかっていても、あえてサラ金や銀行やクレジット会社から借金するのである。── 普通の経済学は、数字だけを見ているから、現実の経済活動を、説明できないわけだ。 ( ※ この意味で、「経済学では価値が大切」というのは、「経済学では愛が大切」というのと、ちょっとだけ似ているかもしれない。……なんだか、話が横道に逸れたが。)

 (3) 単純な損得の問題
 前述の「価値の損得」があるから、たとえ少しぐらい損でも、不況のときに減税を受けると、人々にとってはありがたい。金銭的には損でも、価値的に得となる。
 だから、「不況期に減税、好況期に増税」というのは、国が無担保で融資をしてくれるようなものだ。まことに、ありがたい。サラ金なんかを利用しなくて済む。
 ただ、利率が問題だ。年利 30% ぐらいのサラ金とは違って、国が融資をしてくれるのだから、もっと低くなるはずだ。たぶん、無利子になるだろうが、実際には、どのくらいになるか? 0% か? 1% ぐらいか?
 実は、この利率は、マイナスである。つまり、国民は、借りた金よりも少しを返すだけでいい。たとえば、50万円を借りて、30万円だけ返す。50万円の減税を受けて、30万円の増税を課せられる。
 つまり、単純な損得でいえば、「景気調節のための増減税」は、「誰もが得する」のである。
 その理由は? それはすでに、「経済学的なマジック」として、先に詳しく説明した。 ( → 第3章 「マイナスの利率」
( ※ このとき、景気回復にともなって、国家財政も黒字化する。全体として見れば、「無から有を生む」ように見える。それが、マジックのマジックたるゆえんである。ただし、手品にタネがあるように、ここにもタネはある。無から有を生むわけではない。原資は「景気回復」だ。全体としてプラスになるから、国民の誰もが得するようになるわけだ。単なる配分変更なら、ゼロサムなので、プラスマイナスゼロだが、全体のパイが大きくなれば、誰もが得するようになる。)

 (4) 物価上昇の問題
 減税が効果を発揮すれば、景気が回復する。すると、インフレ気味となり、物価上昇が起こる。
 さて、この「物価上昇」は、別に、まずい事態ではない。あえて狙って起こした事態である。(物価上昇は、マイナス効果よりも、プラス効果が大きい。物価下落[デフレ]は、その逆。)
 さて。物価上昇にともなって、国民間に損得が発生する。これは、減税自体が直接的にもとらす損得ではないが、減税によって間接的にもたらされる損得である。( 減税  → 景気回復 → 物価上昇 → 国民間の損得 )。これについて、考察してみよう。
( ※ 「良いか悪いか」を判定するわけではない。この「物価上昇」は、不可避であり、「だったらやめよう」という選択肢などはない。ここでは単に、「国民間の損得」について考察するだけだ。)

 「物価上昇による損得」には、基本的な原理ある。「アメとムチ」の効果だ。つまり、消費をした人は得をするが、消費をしない人は損をする。金を借りた人は得をするが、金を貸した人は損をする。そういう効果だ。
 ( → 「需要統御理論」簡単解説 の 「アメとムチ」「物価上昇の効果」
 では、この「アメとムチ」の効果は、減税においては、どういう意味をもつか?

 第1に、タンク法ではどうか?
 タンク法では、国民間に貸し借りは発生しない。減税や増税は、誰に対しても均等になされる。(額は均等ではないとしても、所得比例または消費比例で、差別的ではない。) だから、減税による国民間の損得は、特に生じない。特に国民間に凸凹は生じない。
( ※ 「消費した人が得だ」という効果はあるが、それは、減税とは別の要因によるものだ。)
( ※ タンク法による増減税は、それ自体は、特に損得を発生しない。このことは、あちこちで述べた。 → 2月22日 以降。)

 第2に、民間引き受けではどうか?
 民間引き受けでは、国民間に貸し借りが発生する。減税用の国債の発行にともなって、その分、貯蓄をする人と消費をする人とに分かれる。債権者は、(国債を買うので)貯蓄をする。他の人々は、(減税を受けるので)消費をする。
 ここでは、貸し借りが発生するのにともなって、損得が発生する。債権者は損をして、他の人々は損をする。(これは、「アメとムチ」の効果による。)
 具体的には、こうだ。債権者は、国債を買う。しかし、国債は、不況のときは、低金利だ。そこへ、景気回復にともなう物価上昇が発生すると、物価上昇の分、実質金利が下がる。下手をすると、実質金利がマイナスになる。(クルーグマン流の「インフレ目標」では、実質金利がマイナスになるから、投資をする企業はマイナス金利で得をするが、その分、銀行預金者や、国債所有者は、マイナス金利で損をする。)
 では、それは、良いか、悪いか? 国民一般が得をするのは良いだろう。しかし、その分、債権者に損がかかるのは、悪いのではないか? せっかく減税のための資金として、国債を買ってくれる人に、あえて損をかかるのは、悪いのではないか? そんなふうに損をかけたら、誰も国債を買ってくれなくなるのではないか? 
 否。実は、好ましいのである。そしてまた、国債を買ってくれる人はありあまっている。
 なぜか? それは、不況だからだ。不況というのは、人々が消費をしないで、貯蓄をしている状況である。あまりにも多くの人々がそういうふうに貯蓄過剰だから、現状は不況になるのだ。貯蓄をしている人は、不況に加担し、不況を悪化している。罪深い。だからこそ、貯蓄をする人々が損をするのは好ましいし、逆に、過剰に消費する人が得をするのも好ましい。── これは、需要統御理論における「アメとムチ」効果と、同じことである。
 結局、ここでは損得が発生するが、その損得は、好ましいのである。そのような損得を発生させることによって、かえって、不況を解決する効果が生じるわけだ。
( ※ ただし、マクロ経済学的な効果としては好ましいとしても、国民感情としては、そうではあるまい。国債を買ったせいで、実質マイナス金利で損するなんて、本人にとっては、腹立たしいこと、この上ない。政府は「国民全体の幸福」をめざすべきなのだから、「お国のために、あんた損しなさい」という政策を取るのは、ちょっと問題がある。……この問題は、タンク法では生じない。誰も得せず、誰も損しないので。)
( ※ ただし、別の解釈もできる。「たとえ損得が生じても、それは自ら選んだものであるから、やむをえない」という解釈だ。低利の国債は損だとわかっているのに、あえてそんなものを買う方が悪い、というわけだ。……とはいえ、国債を買うときは物価上昇がなくて、あとで物価上昇が発生するわけだから、「だまされた」と感じる国民も出てくるだろう。悪口を言えば、「政府による口先三寸の詐欺」と言えなくもない。)
( ※ ただし、常識的に言えば、こういう損得は、市場経済のなかで、納得して受け入れられるはずだ。「国債購入は損だ」と人々が思えば、国債を買う人がいなくなるので、利子が高くなる。逆に言えば、利子が低いという状況は、人々が損だとは思わないから、その低い利子を受け入れる、ということだ。だから、それはそれで、特に問題はないわけだ。)

 (5) 税率の問題
 減税と増税をすると、税率が一定期間おいて変化する。そのことで損得も発生する。

 第1に、消費税だ。今は消費税が低くて、将来では消費税が高い。となると、今のうちに消費をした人が得で、将来で消費をした人が損となる。……これは、好ましい損得である。不況のときには、消費を増やすべきだし、好況のときには、消費を減らすべきだ。この損得は、あった方がいいのである。

 第2に、所得税だ。今は所得税が低くて、将来では所得税が高い。となると、今のうちに多く働いた人が得で、将来で多く働いた人が損となる。……この損得は、何とも言えない。所得税の損得で働く量を変える人など、ほとんどいないだろう。無視してよさそうだ。
( ※ ただ、若年者と高齢者では、働くこと自体の有無が生じるから、ここを考慮する必要はある。この点は、先に (1) で述べたとおり。)

 《 余談 》
 最後に一言。 (1) (5)で、いろいろと述べてきた。これらは、「減税」の損得の考察である。
 ただ、最初に述べたとおり、「だからこうせよ」という問題ではない。単にそういう状況が発生する、ということを分析しただけだ。誰かが得をして誰かが損をする、という状況は発生する。しかし、「だから減税をやめよ」ということにはならない。景気回復のためには、減税は必須であり、それを前提とした上で、損得を考察すればいいわけだ。
 政策の選択肢としては、「減税をするかしないか」ではなくて、「損得の発生をなるべく少なくするには、どういうするべきか」「国民間の凸凹をなるべく少なくするには、どうするべきか」という点だけがある。


● ニュースと感想  (4月18日b)

   《 告知 》
   本日の分(別項)は、かなり長い話になります。
   かわりに、明日の分は、やや短くします。
   ※ 明日の分は、重要度が低いので、読まなくても構いません。

   なお、本日の分も、話の筋としては、核心から少々ずれているので、
   特に読む必要はありません。 ( 核心的な話は、3日後から。)


● ニュースと感想  (4月19日)

 国民間の凸凹について。(前日分の続き。)
 前日分では、減税にともなって、さまざまな効果が発生することを述べた。それによって、国民間に損得のバラツキが生じること、つまり、凸凹が生じることを示した。
 前日分では、効果ごとに考えたが、これを、世代別に考えてみよう。

 世代ごとに、損得が一応、発生する。さまざまな効果があるが、次のようなものだ。
  1.  高齢者は、所得税減税の恩恵だけを受けて、所得税増税の負担を免れることがある。(若手は逆。)
  2.  高齢者は、今後数年間で全財産を使い果たしてしまえば(そして死んでしまえば)、あとで増税があっても、消費税を免れる。
  3.  高齢者は、財産をあまり使わなければ、物価上昇により、多額の貯蓄が目減りするので、損をする。
  4.  高齢者は、財産を自分では使わず、遺産として次世代に残せば、自分自身は損も得もせず、次世代に損得が発生するだけである。(相続する遺産が増えるか減るか、という問題。)
 さまざまな損得の効果が発生するが、全体としてみれば、この程度のことは、大きく騒ぎ立てることのほどのものではあるまい。減税ではなく、公共事業をしても、他のことをしても、しょせん、あらゆる経済政策は、国民間に損得の違い(凸凹)が発生するものだ。いちいち凸凹を大騒ぎしても、仕方ない。「なるべく凸凹を少なくしよう」と考慮するだけで十分だ。

 ただ、例外的に、「凸凹を是認すべきだ」という点もある。それは、物価上昇の効果だ。物価上昇は、「アメとムチ」の効果がある。消費は得で、貯蓄は損。そのことによって、消費を促進し、貯蓄を抑制する。かくて、景気を回復する効果をもたせる。
 だから、この凸凹は、必要なのだ。「貯蓄を全部消費してしまう高齢者が得だ」とか、「貯蓄を貯め込んで消費しない高齢者が損をする」とかいうのは、悪いことではなくて、良いことなのだ。それはつまり、「景気回復に協力する人が得をして、協力しない人が損をする」ということだからだ。そのことによって、景気回復効果を強めるわけだ。

 結語。
 上記のように、世代間の損得は、考えられなくもないが、いちいち考慮するほどのこともない。逆に言えば、「世代間の損得があるから減税は問題だ」などと、騒ぎ立てる必要もない。

( ※ ここで述べたことは、「民間引き受け」に限らず、「タンク法」と共通する部分もある。あまり区別しないで述べた。厳密には、区別すべきかもしれないが、上記の点に関する限り、区別する必要はほとんどない。)


● ニュースと感想  (4月19日b)

 「消費税の増減税」という案について。
 私の唱えるのは「中和政策」だが、これと似て非なるものとして、「消費税の増減税」がある。一案が、月刊誌「論座」の最新号に掲載されている。民主党の若手によるもの。要旨は、次の通り。
 これは一応、「今の減税と将来の増税」である。その意味で、私の主張に沿っている。他の人の全然見当違いな主張に比べて、非常にまともである。その意味では、高く評価できる。
 ただし、である。それで実際に景気回復ができるか? 私としては、クエスチョンマークを付けざるをえない。「どうも無理かも」という判断となる。つまり、景気回復の力はあるとしても、その力は、必要とされる力の半分ほどでしかないので、力不足であり、十分な政策とはならないのである。なぜ力不足かと言えば、理由は次の通り。

 (1) 額が少なすぎる
 提案では、2% の消費税減税を 2年間。試算すると、GDP が年間 500兆円と見て、2年間で 1000兆円。消費税減税は、その 2% の 20兆円。これは、額としては、十分と見える。(私の提案も、とりあえずは 20兆円 〜 30兆円 だ。)
 ただし、である。この額は、政府の財政において赤字となる額である。国民に渡る金のことではない。では、国民に渡る金は? 
 GDP のうち、家計の占める割合は、6割程度。だから、個人が「減税」と実感する分は、6割の 12兆円だけ。しかも、これは 2年間の合計だ。初年度は半分の 6兆円。しかも、それが一時に与えられるのではなく、一年間をかけて、少しずつじわじわと与えられるだけだ。……この程度の減税は、「効果不足だ」ということが、過去の減税の例から、はっきりとしている。「全然効果なし」とはならないだろうが、「一挙に景気回復」ということは、まずありえない。「少しはマシになる」という程度だろうか。
 こういう状態を2年間続けても、2年後にデフレが解決している保証は、まったくない。今のようにひどい状況ではなくとも、90年代前半のような「不景気」状態は続きそうだ。

 (2) 増税時期が早すぎる
 増税というものは、「インフレ防止のために」、「好況になったときに」なすものなのだ。「財政を健全化させるために」、「不況を脱出したら」なすものではないのだ。……そこを勘違いしてはならない。
 なのに、景気回復が不十分なまま、2年後に増税がなされたら、どうなるか? 「ちょっと景気が回復したから、さっそく増税しよう」というのでは、元のもくあみであり、またデフレに落ち込む。橋本政権の二の舞だ。(日銀のゼロ金利解除とも似ている。)
 増税の時期は、「2年後」ではなく、「景気回復後」「好況時」でなくてはならない。さもなくば、人々は、2年後にどうなっているか不安なので、現時点でも消費をろくに増やさないだろう。

 結語。
 「消費税の増減税」というのは、悪くはないが、良くもない。景気対策としては、いくらかは効果はあるが、不十分である。
 特に (1) の点が問題だ。「不足気味の額を、少しずつじわじわと」というのでは、景気回復は成功がおぼつかない。「最初にドカン」が必要なのだ。つまり、「今すぐ一挙に、 20兆円 〜 30兆円 の金を出す」ことが必要なのだ。
 それでも、財政赤字の総額は、変わらない。「少しずつじわじわと出すか」「一挙に出すか」の違いだけだ。
( ※ これと似た話はある。戦争では、「兵力の逐次投入」というのは、最悪の方法と言われている。大量の兵力を一挙に投入すれば、圧倒的な勝利を得ることができるが、兵力を少しずつ投入すると、少しずつ撃退されて、結果的には全滅しがちだ。)
( ※ 補足しておこう。「消費税減税」に比べ、均等分与の「バラマキ」は、低所得者に有利なので、消費性向が高くなり、景気回復効果は大きくなる。この点も考慮するべきだろう。)


● ニュースと感想  (4月20日)

 減税と増税の是非について。
 「今は減税して、将来は増税する」というのが、私の主張だ。( → 中和政策
 これについて、財政健全論者などから、反論がある。次のように。
 「今は減税して、将来は増税するなんて、ダメだ。今は楽をして、将来は苦しむなんて、悪いことだ。……よく言われているとおり。『先憂後楽』または『アリとキリギリス』」
 というわけだ。一種の人生訓である。

 この考え方に従うと、「今は辛くとも、我慢しよう」ということを主張することになる。あげくは、「今は辛くとも、じっと我慢していれば、やがては良くなるさ」と楽観することにある。(首相がそうですね。)……しかし、こういうのは、経済音痴というものだ。

 そもそも、経済学の目的は、何か? 人々の幸福である。具体的には、景気変動をなくすことだ。インフレやデフレをなくすことだ。常に普通の状態にすることだ。
 とすれば、「不況を我慢しよう」なんて主張は間違っている。「我慢しよう」ではなく、「さっさと不況を解決しよう」と主張するべきなのだ。そして、そのためには、「不況期には減税、好況期には増税」が必要なのだ。

 先の意見は、人生訓としては、正しいとは言える。ただ、人生訓としては正しくとも、経済学としては正しくない。なぜか? そこでは、景気の状況を区別していないからだ。
 「今は楽をして、将来は辛くなる」という形の減税は、単純な原則では、「良くない」と言える。しかし、状況で区別するべきだ。

 ・ 普通の景気のときには、それは良くない。(無変化のところに凸凹を起こすから。)
 ・ 好況のときにも、それは良くない。(凸凹を増幅するから。)
 ・ 不況のときには、それは良い。(凸凹を打ち消すから。)

 このように、景気の状況によって、区別するべきなのだ。
 なのに、財政健全論者は、その区別ができない。「普通の景気のときに、やたらと減税するべきではない」という原則にこだわるあまり、不況のときにも、「減税するべきではない」と思い込む。状況に応じて対応を変化させることができない。……つまりは、思考が硬直しているのである。

 たとえ話をしよう。「道をまっすぐ進め。道から逸れるな」と上官が命令した。兵隊はそれを守って行進した。道の途中で、大きな穴(不況)が現れた。兵隊は「道から逸れた方がいいと思います」と述べたが、上官は「まっすぐ進め」と命令した。兵隊は次から次へと穴に落下していった。……状況に対応することができず、原則に従うと、こうなる。
 愚かな人間は、自分の頭では判断できないから、既存の原則に従うのである。これを「馬鹿のひとつ覚え」と称する。

 [ 余談 ]
 先の人生訓について。これを「正しい」と述べたが、実は、これが「正しい」かどうかは、国民性しだいである。
 この人生訓は、日本では「正しい」と見なされるが、外国ではそうではない。新聞記事によると、イソップの「アリとキリギリス」の話は、ラテン気質のイタリア人にはまったく不人気なのだそうだ。
 イタリア版では、こうなる。「アリはせっせと汗水垂らして、働きました。すると、過労死で、死んでしまいました。キリギリスは、アリの遺産をもらって、楽に暮らしました。人生、楽しむのが一番ですね。ケセラセラ ♪♪ 」
 なるほど。一理ある。日本の状況は、「せっせと働いて、バブルを起こし、そのあとバブル破裂で、自殺者多数」というものだ。キリギリスたる外国が、円安に乗じて日本の資産を格安で買い占めれば、話がかなり似てくる。


● ニュースと感想  (4月20日b)

 「今は減税して、将来は増税する」というのが、私の主張だ。これは、5年程度の期間で、減税の分を増税で償却するものだ。放漫財政とは異なる。
 さて、である。これとは別に、「放漫財政はすばらしい」という説もある。ほとんど冗談のように思えるが、言っている本人は本気であるようだ。
 それは、次のような主張だ。
 「財政赤字なんて、問題ない。政府の借金というのは、国民の貯蓄のことだ。差し引きして、チャラだ。だから、国全体を見れば、問題ない」
 あるいは、もっと極端に、
 「財政赤字は、すばらしい。政府の借金というのは、国民の貯蓄のことだ。政府の借金が溜まれば溜まるほど、国民の貯蓄が増える。何とすばらしいことか」
 と。もちろん、こういう説は、正しくない。以下で説明する。……この国債が「日銀引き受け」であるか、「民間引き受け」であるかで、区別して考える。通常の国債は、「日銀引き受け」ではなく、「民間引き受け」であるが、ともあれ、一応、両者を区別して考える。

 (1) 日銀引き受け
 日銀引き受け(タンク法)ならば、どうか? 
 国債の発行は、貨幣量の増加を意味する。このとき、国民に損得はないし、国全体で見ても損得はない、ということは成立する。たしかに、損得はない。
 ただし、貨幣量を増大させたままだと、インフレが発生するのだ。それが好ましくない。だからこそ、将来、増税によって、過剰になった貨幣量を縮小させる必要があるのだ。
 この意味で、「借金をしたままでいい」とは言えない。将来の増税は、必要である。

 (2) 民間引き受け
 民間引き受けだと、貨幣量の増加はない。この意味で、インフレは発生しない。
 しかし、そのかわり、国民間に「強制的な借金関係」が生じるのだ。減税をしたとき、人々は富を得るが、同時に、借用書も受け取るわけだ(見えない形で)。── その借用書とは、つまりは、「将来の増税」である。だから、結局、将来の増税は、不可避である。
 ここで、肝心なことが二つある。
 第1に、「貸し手と借り手を合わせて考えれば、チャラだ」という考えをしてはいけない、ということだ。そんなデタラメな考え方をしたら、あらゆる借金が無責任に増えてしまう。常識で考えればわかる。あなたがサラ金に借金をしたら、それで平気ではいられまい。
 第2に、「政府/国民」という区別をしてはいけない、ということだ。政府の赤字というのは、将来の増税を意味するので、国民全体の借金を意味する。ここでは、「政府の赤字 = 国民全体の赤字」であり、「政府の赤字 = 国民全体の黒字」ではないのだ。また、このとき国債保有者の債権が溜まるが、「保有者の債権 = 保有者本人の債権」であり、「保有者の債権 = 国民全体の債権」ではないのだ。たとえば、隣の金持ちが国債をたくさん保有しているからといって、そのうち一部があなたの国債になるわけではない。彼のものは彼のものであり、あなたのものではない。「彼も私も国民だ。だから、彼の黒字が溜まれば、私の黒字が溜まる」ということはない。当たり前だ。 ( → 4月03日 の 「行列モデル」 )

( ※ 以上の話を読んで、「当たり前だ。いちいち馬鹿げた話をするな」と思うかもしれない。しかし、である。こういう馬鹿げた話が、今の経済学界の公式的な見解なのだ。こういう馬鹿げた理屈を立てて、「財政赤字は全然問題ではない」「財政赤字万歳」と唱える経済学者が威張っている。……たいていは、ケインズ派だ。なるほど、「財政赤字なんか、いくら溜まっても、全然問題ない」とか、「財政赤字が増えれば増えるほど、状況が良くなる」というのであれば、「放漫財政はすばらしい」「だから公共事業を増やすのが好ましい」「将来の償還なんか無視しよう」という結論となるだろう。……たしかに、ケインズ派は、「国債の償還を無視する」(将来の増税を無視する)という点で、首尾一貫しているのである。)
( ※ では、古典派は? こちらはこちらで、「合理的期待形成仮説」という説を提唱している。「財政赤字(減税)なんか、増やしても減らしても、まったく変わらないさ」というような結論を出したりする。これがいかにデタラメであるかは、話が長くなるので、後日また、独立して長々と説明する。)
( ※ 両者をまとめて言えば? 国債償還に関する限り、ケインズ派も、古典派も、まったくのトンデモ学派だ、ということだ。国債償還に関する経済理論は、これまで経済学では、まともに研究されてこなかったのである。……私がこれまで国債論を長々と述べてきたのも、ゆえなきことではないのだ。退屈だったかもしれないが、それは必要だったのだ。なぜ必要だったかは、明日以降の分で、わかるだろう。)
cf. 4月03日 の最後。)


● ニュースと感想  (4月20日c)

   《 告知 》
  いよいよ明日から、肝心な話が始まります。乞う、ご期待。
  (今日の分は、ほとんど雑談に近いが。)


● ニュースと感想  (4月21日)

 財政問題の結論を述べる。
 これまで(4月01日以来)、財政や国債について長々と述べてきた。いよいよ、結論を述べるときが来た。これまでのすべては、本項の準備であった。

 そもそも、何について考えようとしてきたか? それは、「タンク法」の意味だ。タンク法というのは、「日銀引き受けの国債による、増減税」である。
  ・ 日銀引き受け
  ・ 増減税
 という二点がポイントだ。
 このうち、後者の「増減税」というのは、「中和政策」である。中和政策は、かなり以前から述べてきたことだし、経済問題としても理解しやすい。あらためて考察する必要はない。
 考察すべきは、前者の「日銀引き受け」という点である。なぜ、減税の財源たる国債を、「日銀引き受け」にして、「民間引き受け」にしないか? ── これが問題となってきた。そして、この問題には、簡単には回答が出せないのである。そこで、その回答を出すために、これまで、長々と準備をしてきたわけだ。
 では、いよいよ、回答としての話を始めよう。

 まず、4月01日 に述べたことを、次に再掲しておこう。
 民間引き受けだと、……
  (1a) 全体として、貨幣量の増加がない。
  (1b) ゆえに、物価上昇効果がない。
  (2a) 物価上昇効果がないのは、インフレ時には好ましい。
  (2b) 物価上昇効果がないのは、デフレ時には好ましくない。
  (3a) 勝手に紙幣を印刷しないので、財政規律上は好ましい。
  (3b) 勝手に返済できないので、増税(貨幣量縮小)には不便。

 以上のことは、「タンク法の説明」のところで、いろいろと説明した。また、特に難解でもないから、すぐにわかるだろう。
 ただし、これだけでは、「日銀引き受けが良い」ということはわかっても、「民間引き受けではダメ」ということがわからない。そこで、4月03日 以降、「民間引き受けの国債とは、どういうことか?」と考えてきたわけだ。
 わかったことは、次の点だ。
  (4a) 国民間で「強制的な貸し借り」を発生させる。
  (4b) 一般国民は、現在では富を得て、将来ではそれを返済する。
  (4c) それゆえ、現在から将来へのツケ回しを発生させる。

 この (4a) 〜 (4c) というのは、かなり大事なことである。このことゆえ、次のこともわかった。 ( → 4月05日 以降 )
  (5a) 公共事業は、日銀引き受けではなく、民間引き受けにするべきである。
  (5b) 減税をするなら、民間引き受けの国債で、長期償還するのは、悪い。
  (5c) 減税をするなら、民間引き受けの国債で、中期償還なら、特に悪くない。

 さて、そういうことが、これまでにわかってきた。となると、問題は、次の点だ。
 「減税をするとき、中期償還の国債を財源とするにしても、民間引き受けと、日銀引き受けとでは、どう異なるか?」
 ということだ。
 ここまで書くと、勘のいい人は、気づくかもしれない。問題の核心は、何か? それは、「クラウディング・アウト」だ。

 「クラウディング・アウト」とは? 元は、ケインズ派批判のために、マネタリズムが使い出した概念だ。要点は、こういうことだ。
「ケインズの唱える有効需要を創出するため、公共事業をするには、財源が必要だ。その財源を、国債発行でまかなうと、(民間引き受けの国債では)、金融市場で、資金を吸い上げる。すると、資金を吸い上げた分だけ、金融市場で資金が逼迫する。つまり、民間の投資をするための資金がなくなる。結局、公共事業を増やしても、その分、民間の投資が減るから、差し引きして、チャラになる。だから、公共事業を増やしても、景気回復効果なんか、ない」
 これが、「クラウディング・アウト」の原理的な概念だ。
 これは、国債で得た金の使途が「公共事業」である場合だが、使途が「減税」であっても、話は同様だろう。── つまり、民間引き受けの国債で「減税」をすると、その分、企業の投資が減るので、やはり、「景気回復効果はない」という結論となる。(これも「クラウディング・アウト」と呼んでいいだろう。)

 さて、この「クラウディング・アウト」は、本当に成立するのだろうか? そこが問題となる。
 すぐにわかることがある。「クラウディング・アウト」の概念は、金融市場のマネーの量が一定であることを前提としている。しかし、実際には、「量的緩和」により、金融市場のマネーの総量を増やすこと(金利を引き下げること)が可能である。……つまり、「量的緩和」によって、「クラウディング・アウト」を打ち消すことができる。
 これに対しては、「そんなことをすると、インフレになる」という批判がある。それはそうだ。しかし、そもそも景気の悪いときには、インフレにすることが目的となるのだから、この批判は、お門違いと言うしかない。「インフレになる、だから悪い」のではなく、「インフレになる、だから良い」のである。(不況のときには。)
 つまり、「民間引き受けの国債」であっても、「量的緩和」をすれば、「クラウディング・アウト」の問題がなくなり、十分な効果を発揮するわけだ。

 ところで、だ。「民間引き受けの国債」に対して、「量的緩和」を組み合わせると、どうなる? 「政府が国債を発行して、民間に引き受けさせる」わけだが、同時に、「民間の引き受けた国債を、日銀が買いオペで買い上げる」わけだ。……となると、結局、「政府が国債を発行して、日銀に引き受けさせる」というのと、同じことになってしまう。
 そうだ。それが本質だ。つまり、等式で示すと、次のようになる。
    「民間引き受けの国債発行」 + 「量的緩和」 = 「日銀引き受けの国債発行」
 これは、厳密な意味での等式ではないが、だいたいこういう意味での等号が成立する、と考えていいだろう。そして、これが、本項で述べることの、最も重要な核心である。そしてまた、結論でもある。

    *   *   *   *   *   *   *   *   *

 さて、である。話はここでは終わっていない。まだ先がある。
( ※ いま述べたことだけなら、基礎的・常識的という感じもするだろうし、「なあんだ」と思うかもしれない。話はまだ続くのだ。)

 実は、上の等式で、等号は完全な等号ではない。つまり、「 = 」ではなく「 ≒ 」となる。つまり、左辺と右辺は完全に一致するわけではない。……そのことを、以下で示そう。

 (a) ゼロ金利のとき
 ゼロ金利のときに限れば、上の式は、一応、成立する。民間引き受けをしても、過剰な量的緩和(買いオペ)を同時になせば、民間引き受けの国債は、すべて日銀に吸い上げ上げられる。差し引きして、過剰な量的緩和(買いオペ)の分が、民間引き受けの分だけ減るが、それはつまり、量的緩和(買いオペ)の量が調整された、というだけのことだ。状況的には、何も変わらない。金利もゼロのままである。「流動性の罠」で、過剰な資金が滞留している、という状況にも違いはない。
 (b) ゼロ金利でないとき
 ゼロ金利でないときはどうか? これが問題だ。
 今、弱い不況であったとする。金利は 1% 程度であったとする。ゼロ金利ではないから、「流動性の罠」は発生していないし、過剰なマネーの滞留も発生していない。金融市場は、均衡状態にある。
 ここで、民間引き受けの国債を発行すれば、どうなるか? もちろん、ある程度、クラウディング・アウトが発生する。政府が資金を吸い上げる分、金融市場で資金が逼迫し、金利が少し上がる。
 ここで、日銀が買いオペをしたら? 買いオペの額が、民間引き受けの国債の発行額と比べて、同額であれば、国債の発行額と買いオペの額が同じになり、影響は相殺される。結局、日銀引き受けをしたのと同じ(タンク法と同じ)になる。
 では、それが同額でなければ? この点が問題だ。よく考えれば、当然、次のようになるはずだ。
 結局、国債の発行額に比べて、買いオペの額を減らすか増やすかによって、クラウディング・アウトの効果を出すか、量的緩和の効果を出すか、可変的にコントロールされるわけである。
 たとえば、政府が 10兆円の国債を(民間に)発行して、日銀が 5兆円の買いオペをすれば、10兆円のうち、日銀が 5兆円を引き受けたのと同じことになる。(あとの 5兆円は民間に残る。) つまり、民間引き受けを5兆円、日銀引き受けを 5兆円、というふうに、分けて国債発行をしたのと、同じことになる。

 上の説明では、(5兆円などの)買いオペの金額を指標としている。他方、市場の金利を指標とすることもできる。
 たとえば、元の金利が 1% であるときに、買いオペをしなければ、クラウディング・アウトによって、金利が 2% に上がる。買いオペを少しすれば、金利は 1.5% となる。買いオペを多くすれば、金利は 0.5% となる。買いオペを同額だけすれば、金利は元と同じく 1% のままとなる。
( ※ ここでは、貨幣量調節以外の、他の要素は考慮していない。例 : 景気回復の予想の効果。)

 なお、最初の式に戻って考えよう。次の式を示した。
    「民間引き受けの国債発行」 + 「量的緩和」 = 「日銀引き受けの国債発行」
 この式が成立するか否かは、「量的緩和」(買いオペ)の額しだいであるわけだ。額が同じであれば、等号が成立するが、額が同じでなければ、違いが現れる。
 結局、次のように言える。
 民間引き受けの分と、日銀引き受けの分との、配分比率は、買いオペをどのくらいやったかによって、自動調整される。

 (c) 返済時
 上の (a) (b) で示したのは、減税の時点における、国債の発行についての話だった。
 では、増税の時点における、国債の償還については、どうか? 

 実は、これも、話は (b) と同様である。つまり、次のように言える。
 民間償還の分と、日銀償還の分との、配分比率は、売りオペをどのくらいやったかによって、自動調整される。
 たとえば、政府が 10兆円の国債を(民間に)償還して、日銀が 5兆円の売りオペをすれば、日銀が 10兆円のうち、5兆円を償還されたのと同じことになる。つまり、民間償還を5兆円、日銀償還を 5兆円、というふうに、分けて国債償還をしたのと、同じことになる。
 このことが、売りオペの金額でなく、市場の金利を指標とすることもできる、というのも、話は同様である。

 [ 付記 ]
 本項で述べたことを、どう理解すればいいか? 
 話の基本としては、「タンク法がある」ということだ。つまり、減税の額と同額の国債を発行して、日銀引き受けにする。
 ただし、民間引き受けと買いオペを組み合わせると、タンク法と同じ効果が出る。しかも、買いオペの量を適当に変更することで、民間引き受けと日銀引き受けの分を可変的にコントロールすることができる。そういうふうに、裁量の余地が出てくる。
 ともあれ、タンク法を物事の中心に置いてとらえると、他の方法を、一種のバリエーションとして、わかりやする理解できるようになるわけだ。
( ※ そういうバリエーションが、政策として良いか悪いかは、別の話。ともあれ、そういうバリエーションについて、位置づけができるようになる。位置づけができれば、それが良いか悪いかも、判断できるようになるだろう。)

 《 予告 》
 本日以降、数日間、重要な話が続きます。(シリーズ)
 ここでは、個別の断片的な知識ではなく、全体像に留意してください。


● ニュースと感想  (4月22日)

 前日分の記述の、応用編。

 前日に記したことの基本は、次の式で示されることだった。
    「民間引き受けの国債発行」 + 「量的緩和」 = 「日銀引き受けの国債発行」
 つまり、「民間引き受けの国債発行」に「量的緩和」(買いオペ)を併用すると、「日銀引き受けの国債発行」と等価なる。
 さて、これを逆に言えば、次のようにも書き直せる。
    「日銀引き受けの国債発行」 + 「量的緊縮」 = 「民間引き受けの国債発行」
 つまり、「日銀引き受けの国債発行」 に「量的緊縮」(売りオペ)を併用すると、「民間引き受けの国債発行」と等価になる。

 このことを、具体的に例示しよう。
 たとえば、政府が 10兆円の国債を(民間に)発行して、日銀が 5兆円の買いオペをすれば、10兆円のうち、日銀が 5兆円を引き受けたのと同じことになる。(あとの 5兆円は民間に残る。)……これは、前日に述べたとおり。
 逆に、政府が 10兆円の国債を(日銀に)発行して、日銀が 5兆円の売りオペをすれば、10兆円のうち、民間が 5兆円を引き受けたのと同じことになる。(あとの 5兆円は日銀に残る。)
 いずれの場合でも、民間引き受けを5兆円、日銀引き受けを 5兆円、というふうに、分けて国債発行をしたのと、同じことになる。

 ここまでは、手順の問題である。異なる手順(金融操作・国債操作)が同等の効果をもつ、ということを示したわけだ。
 大事なのは、その意味である。こういうふうに「同等の効果をもつ」ということは、いったい、何を意味するのか?

 先にも述べたとおり、タンク法を基本として考えよう。
 タンク法では、減税のために、10兆円の国債発行をして、日銀引き受けにする。これは当たり前のことである。
 民間引き受けでは、いくらか異なる。10兆円の国債発行をして、日銀引き受けにしたあと、さらに、5兆円の売りオペをすることになる。(これは、先に述べたとおり。)

 さて、である。「5兆円の売りオペ」とは、何か? その意味は、「量的緊縮」であり、「景気冷却効果」である。(「買いオペ」による「量的緩和」とは反対。)
 つまり、ここでは、「10兆円の景気刺激」だけでなく、「5兆円の景気冷却」も、同時に実行していることになる。これはつまり、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなものだ。(ブレーキを踏んでいる分、アクセルを踏む効果が、帳消しになってしまっている。)
 なお、「アクセルとブレーキを同時に踏んでいる」と言ったが、それでも、差し引きすれば、
   10兆円 − 5兆円 = 5兆円
 だから、5兆円の景気刺激効果が残る。半減したとはいえ、あとの半分の景気刺激効果は残っていることになる。

 では、半分ではなく、全部にしたら? つまり、アクセルを踏む量と、ブレーキを踏む量を、同じにしたら? 10兆円の景気刺激と、10兆円の景気冷却を、同時に実施したら? つまり、日銀引き受けで 10兆円の国債発行をしたあと、さらに、10兆円の売りオペを実施したら? ……もちろん、差し引きして、効果はゼロとなる。そして、これは、民間引き受け 10兆円の国債を発行したのと、同じである。
 結局、民間引き受けの国債発行というのは、景気刺激効果と景気冷却効果とが、たがいに中和しあうので、景気に対する効果がゼロである── このことが、「クラウディング・アウト」なのだ。

 クラウディング・アウトというのは、財政措置(公共事業・減税)のために、国債発行をしても、その分、民間の金融市場の金を吸い上げるので、差し引きして、効果がゼロになることだ。……そして、それは、「民間引き受けの国債」では、たしかに発生するわけだ。
 こうも言える。「日銀引き受けの国債発行」に対して、「量的緊縮」というマイナス効果を組み合わせる、という政策、つまり、「アクセルとブレーキを同時に踏む」政策が考えられる。このとき、両者の割合は、可変的である。アクセルとブレーキの量は可変的である。そういう可変的な場合のうち、極端な場合が考えられる。「ブレーキがゼロ」または「ブレーキが最大」という場合である。後者(ブレーキが最大)の場合、ブレーキの量は、アクセルの量と同じになる。つまり、量的緊縮(売りオペ)の量は、日銀引き受けの国債発行額と同じにまでなる。このとき、両者を同時実施すると、事実としては「民間引き受けの国債発行」と同じになり、景気刺激効果は(相殺しあって)ゼロとなるわけだ。(つまり、クラウディング・アウト。)
( ※ 上記の操作は、「可変的」なので、ブレーキの量を少な目にすれば、クラウディング・アウトの量も、応分に減る。)

 こうして、クラウディング・アウトということの意味もわかったし、民間引き受けということの意味もわかったことになる。
 要約すれば、次のようにまとめることができる。
  1.  景気刺激のための国債発行は、日銀引き受けが基本である。
  2.  国債発行を、民間引き受けでやるのは、好ましくない。
  3.  なぜなら、民間引き受けというのは、「日銀引き受け」と「量的緊縮」(売りオペ)を、同時に実行するのと同じであり、(景気刺激の)効果が帳消しになるからだ。
  4.  この「効果が帳消し」という現象を、「クラウディング・アウト」と呼ぶ。
 なお、前日に述べたことを参考とすれば、次のようにも言える。
  1.  「民間引き受け」の国債発行をしたとき、「クラウディング・アウト」を避けるために、「量的緩和」(買いオペ)を同時に実施にすると、「日銀引き受け」の国債発行をしたのと同じことになる。
 これが本項での結論である。
 なお、細かなことは、以下の [ 付記 ] に記しておいた。
 話の本筋は、明日の記述に続く。(いよいよ核心に近づく。)

 [ 付記 1 ] 貨幣量
 「民間引き受けだと、貨幣量の増加がない。(だから物価上昇効果もない。)」と、先に述べた。( → 4月21日4月01日
 これは、上に「クラウディング・アウト」として述べたことと、等価である。つまり、先に、単に「貨幣量の増加がない。だから景気刺激効果がない」というのを、いっそう詳しく説明したのが、本項のことである。
 とにかく、貨幣量に注目のこと。日銀引き受けならば、その分の貨幣量増加がある。しかし、民間引き受けだと、貨幣量の増加はない。(当たり前。) ただし、同時に「量的緩和」を実施すれば、貨幣量の増加をもたらすことができる。しかし、それは結局、「日銀引き受け」をしているのと、同じことになるわけだ。

 [ 付記 2 ] タイミング
 「民間引き受けと量的緩和を組み合わせれば、日銀引き受けと同じになる」と述べた。
 では、両者は、まったく同じことだろうか? どちらにしても構わないのだろうか? いや、どちらでも構わない、ということはない。日銀引き受けの方が好ましい。その理由は、効果ではなく、手続きによる。
 効果だけなら、どちらでも同じことだから、どちらが良いとか悪いとか言っても意味はない。まったく同じである。ただし、手続きとしては、異なる。では、どう異なるか?
 タイミングの問題がある。民間引き受けの国債発行は、その分、金融市場から資金を吸い上げるので、金利上昇効果がある。量的緩和は、その分、金融市場に資金を供給するので、金利下落効果がある。この両者に、タイミングのズレが発生すると、金利の乱高下が発生する。たとえば、前者を1日目にやって、金利を大幅に上昇させ、後者を2日目にやって、金利を大幅に下落させる(元に戻す)。あるいは、後者を1日目にやって、金利を大幅に下落させ、後者を2日目にやって、金利を大幅に上昇させる(元に戻す)。……いずれにせよ、金利の乱高下が発生する。金融市場は混乱する。情報の漏れが発生すれば、インサイダー取引で、莫大な金を吸い上げる人が出てくる。その分、一般国民の金は失われる。だから、両者にタイミングのズレが発生するのは、好ましくない。
 では、タイミングのズレをゼロにしたら? その場合、問題は発生しない。しかし、タイミングのズレをゼロにするというのは、両者を同時に実行するということだから、結局、日銀引き受けで国債発行をするのと同じことである。単に途中で市場を経由するかどうか、という形式上の差でしかない。(「A → 市場 → B」というのを、一瞬にして実施するから、「A → B」とするのと同じことになる。) これは、実質的には日銀引き受けになる。比較は、無意味。「クロス取引」とも言う。
 とにかく、結論としては、同じことをやるなら、余計な手間はかけず、シンプルにやればいい、ということ。わざわざ市場を経由させて、無駄と混乱を発生させるのは、懸命ではない。

 [ 付記 3 ] ゼロ金利のとき
 本項で述べたのは、ゼロ金利ではない場合の話である。これに対して、
 「ゼロ金利のときならば、クラウディング・アウトは発生しないぞ」
 という反論が起こるかもしれない。しかし、この反論は、無意味である。
 なぜか? ゼロ金利の場合については、前日分で説明した通りだ。つまり、ゼロ金利のときは、もともと量的緩和が多大になされているので、民間引き受けにしても、自動的に、日銀引き受けと同じことになるからだ。それならもちろん、クラウディング・アウトは発生しない。当たり前だ。
 結局、ゼロ金利のときは、民間引き受けと、日銀引き受けは、同じことになる。だから、どっちがどうのこうのと議論をしても、意味はない。

 [ 付記 4 ] 国債の交換
 「民間引き受け」と「日銀引き受け」で、実質的に異なる点が、一つある。それは、「国債の交換」だ。つまり、短・中期国債と長期国債との交換だ。
 「民間引き受け」で、短・中期国債を発行し、一方、「量的緩和」で、長期国債を買いオペする。こうすれば、市場では、短・中期国債が供給され、長期国債が吸い上げられることになる。……そういう違いはある。
 ただ、よく考えると、これもあまり意味はない。それはつまり、「国債の交換」を、政府が別途実行したのと、同じことになるからだ。つまり、短・中期国債の発行と、長期国債の償却を、政府が同時に別途実行しても、同じことになる。
 だから、この点は、特に意味はない。無視して構わない。
( ※ 参考までに、一言。現在、短期国債は、ものすごく人気がある。先日の新聞報道によると、応募倍率は 600倍という、空前の値になったという。「国債の大量発行があり、国債を引き受け手もらうのが大変だ」と心配をする財政健全論者もいるが、そういう心配とは正反対の現象が、実際には発生しているわけだ。では、その理由は? 「量的緩和による、過剰な現金の供給」「ペイオフによる、銀行預金の不安」などがあるだろう。このうち、「量的緩和」の方は、「長期国債の買いオペ」だから、これと「短期国債の発行」とで、「国債の交換」は、実質的になされているわけだ。資金自体は、いくら量的緩和をしても、投資には向かわない。単に、金融市場のなかで、資金がぐるぐる回っているだけである。……「流動性の罠」のときは。)


● ニュースと感想  (4月23日)

 前日の話と関連して、タンク法の位置づけをすることにしよう。(論拠がまだ記述不足だとも思えるが、全体の見通しを良くするために、いきなり結論を出すような形で、位置づけをする。)
 問題は、「タンク法は、他の主張(マネタリズム・ケインズ派など)と比べて、どう位置づけられるか?」ということだ。これに対する答えを述べる。

 まず、前日に述べたことをまとめよう。
 「日銀引き受けの国債発行」というのは、「民間引き受けの国債発行」と「量的緩和」の同時実行に、等価である。
 そして、「民間引き受けの国債発行」というのが、「公共事業」または「減税」の原資となるわけだ。
 だから、「日銀引き受けの国債」で「減税」をせよ、と主張するのは、「民間引き受けの国債発行による減税」と「量的緩和」を同時実行せよ、と主張するのに等価である。(しかも、「民間引き受けの国債発行」と「量的緩和」とが、同額であることになる。)

 結局、以上をまとめると、どうなるか? 
 ということになる。
 つまり、タンク法は、マネタリズムの主張とケインズ派の主張を、同時に同額で実行することを求める。
 この意味で、タンク法は、マネタリズムとケインズ派を、統合していることになる。「マネタリズムとケインズ派の、どちらの主張を実行するべきか?」という問題ではないのだ。どちらもいっしょに実行する必要があるのだ。しかも、単に両者を併用するだけではダメで、さらに、「同時に同額で」というコントロールが必要になる。(この意味で、タンク法は、マネタリズムとケインズ派の、単なる折衷ではない。)

 しかも、さらに話は続く。
 「量的緩和」と「財政支出」(特に減税)を併用した場合、その効果は、単なる合計ではないのだ。まったく別の意味合いをもつようになる。それは何か? 「物価上昇の効果」だ。
 物価上昇の効果とは、何か? それは、マネタリズムやケインズ派が主張したことではない。クルーグマンが主張したことであり、私(南堂)が定式化したことだ。それは、「アメとムチ」による「消費促進」の効果だ。( → 「需要統御理論」簡単解説
 タンク法は、「増減税による貨幣量の調節」だから、(減税のときには)国債発行にともなって、貨幣量が増大する。貨幣量の増大は、物価上昇をもたらすはずだ。(ここまでは、マネタリズムの主張と同じだ。ただし、ここからあとが違う。)
 さて、貨幣量が増大するが、この貨幣は、減税によって、直接国民に渡される。だから、「流動性の罠」に陥ることがない。したがって、「物価上昇」の効果が必ず発生する。
 そして、である。この「物価上昇」が、ある効果をもつ。それは、「アメとムチ」の効果であり、つまりは、「消費促進」の効果である。
( 「消費促進」とは、「平均消費性向の向上」を意味する。たとえば、 0.7 ⇒ 0.9 という向上。ケインズ理論では「平均消費性向は変化しない」と仮定して、乗数効果を狙うが、タンク法では、平均消費性向の向上を狙う。 → 4月10日 の (2)

 結局、タンク法では、消費拡大 [= 平均消費性向の向上] を狙っているわけだ。そこが他の経済学とは異なる。
 というふうになる。つまり、効果の点で、タンク法は、マネタリズムとケインズ派の合計ではない。まったく別の効果による、まったく別の結果を狙っているわけだ。
 では、なぜ、タンク法が大切か? それは、「消費の拡大」をもたらすからだ。なぜなら、不況のときには、「消費の拡大」こそが大事だからだ。というのも、「消費の縮小」こそが「不況」と等価なのだから、「消費の縮小」に対しては、「消費の拡大」を狙うべきであって、「投資拡大」や「官需拡大」を狙ったりするのは、狙うべきものがずれているのだ。
 彼らは、本当の狙いとは別のものを狙っている。マネタリズムは「投資拡大」を狙うが、それは、「投資を増やせば、景気が回復する効果が出るので、消費も循環的に増えるだろう」というものだ。ケインズ派は、「官需拡大」をねらうが、それは、「官需を増やせば、乗数効果が出るので、民需も波及的に増えるだろう」というものだ。
 いずれも、本来の狙いとは別のものを狙っている。マトの中心を狙うのではなく、マトの外側を狙っている。「マトの外側を射れば、ついでにマトの中心にも波及するだろう」という理屈だ。しかし、そんなマトはずれなことをしていては、まだるっこしすぎる。景気回復の効果は、なくはないが、あまりにも迂遠すぎる。効果は間接的だ(弱い)し、効果が発揮されるまで時間がかかりすぎる。(「投資拡大 → 消費拡大」も、「官需拡大 → 消費拡大」も、かなり時間がかかる。一方、「減税 → 消費拡大」は時間はかからない。正確に言えば、マイナスの時間がかかる。実施が確定すれば、それを予定して、実施以前に消費が増えるからだ。)
 結局、マトを狙うなら、マトの中心を狙うべきなのだ。消費の拡大を求めるなら、消費の拡大そのものを狙うべきなのだ。マトはずれな方法は取るべきではないのだ。……そのことを、タンク法は主張する。

 タンク法の位置づけは、以上の通りだ。
 逆に、タンク法から見れば、他の経済学派は、次のように位置づけられる。
 結語。
 タンク法とは、
   ・マネタリズム
   ・ケインズ派
   ・クルーグマン
 の三者を統合した概念である。しかも、それは、単なる足し算ではなくて、新たな意味合いをもつようになっている。
 逆に言えば、タンク法から見て、上記の「マネタリズム」と「ケインズ派」は、いずれも不完全なことを主張している。物事の半面しか見ておらず、他の面を見ていないのだ。

( ※ 以上が、結論となる。論拠が不十分と思えるかもしれないが、その点は、順次、補強していく。)
( ※ 明日の記述では、今までの経済学とは異なる、新たな知見が得られることを示そう。)

 [ 付記 ]
 ケインズ派では、財政支出は、公共事業である。では、なぜ、タンク法では「公共事業」でなく、「減税」にするのか? ── 理由は、次の二つ。
 (1) 期間
 公共事業では、償還が「長期」となる。景気回復後の「中期」で償還できない。(前出。) つまり、たとえ「国債償還」と「売りオペ」とを同時実行したくても、それが不可能。(これは、不況時ではなくて、好況時の問題。)
 (2) 額
 公共事業では、額を十分にできない。量的緩和と財政支出を同額で実行するのが肝心な点だが、大きな不況のときには、この額が、数十兆円規模となる。数十兆円規模という、それほど大規模な公共事業は、実施できない。(建設業界に受け入れ能力がない。)
 逆に言えば、小さな不況の場合には、この問題はない。量的緩和と公共事業を同時に小規模で実行することで、小さな不況から脱出することも可能である。問題となるのは、大規模な不況の場合だ。(たとえば、現在のような。)

 [ 注記 ]
 ここでは、「ケインズ派」という言葉を使った。ケインズ本人はどうかと言えば、「公共事業」に限定せず、「減税」も認めている。ただ、乗数効果を考えて、前者を優先させている。
( ※ というわけで、「公共事業」を優先するのを、ここでは「ケインズ派」という言葉で表現した。)

 [ 余談 ]
 マネタリズムはケインズ派は、なぜ、誤ったか? それは、減税や国債償還のことを、ろくに考えていないからである。「貨幣供給量」とか「財政支出」とか、そればっかり。減税や国債償還との関連は、まともに考えていない。特に、景気との関連では。

( ※ 古典派は? いくらかは考えることもあるが、すると、「合理的期待形成仮説」といった、全然見当違いなことを言う。この件は、ずっとあとで、あらためて考察する。今ここでざっと示せば、「減税のことを考えると、景気のことを忘れてしまう」と言えよう。常に半可通だ。)
( ※ ケインズ派は? 金を使うことばかりを考えていて、金を返すことをまったく考えていない。「そのうち何とかなるさ」と楽観して、残る借金を無視する。……ついでに言えば、投資効率も無視する。「穴を掘って埋めよう」とさえ主張する。「建築物をすべて破壊しよう」とさえ言い出しかねない。たしかに、建築物をすべて破壊すれば、解体作業の分、有効需要は増える。景気は拡大して、あとに残るは廃墟。宍道湖や諫早湾とかね。)

( ※ なぜ彼らは、減税や国債償還との関連を考えていない、と言えるか? もし考えたなら、自然に、タンク法にたどりつくからだ。タンク法というものは、私が発明したものではない。あらかじめこの世界に存在する真実である。誰であれ、真実を探ろうとすれば、必ずそこに行きつくはずなのだ。真実は、発明されるものではなくて、発見されるのを待っているのである。)


● ニュースと感想  (4月24日)

 話はまだ続く。いよいよ話は佳境になってきた。
 実は、前々日の記述と、前日の記述とは、深く関連するのだ。

 「量的緩和」というものは、「投資」を増やすものだ。一方、「タンク法」というのは、「消費」を増やすものだ。
 ここで、大事なことがある。「投資拡大効果」と「消費拡大効果」は、両者の比率を、可変的にコントロールできるのである。どうやって? それは、前々日に示したとおり、「民間引き受け国債」の量に対して、「買いオペ」の量を、うまくコントロールすることによる。
 以下で説明しよう。
  1.  投資拡大
     「投資」だけの拡大を狙うのならば、単純に「量的緩和」をすればよい。これは、当たり前だろう。(いちいち説明すれば……「投資」は、金を借りることによるが、その金は、金融市場や銀行から借りる。だから、金融市場に金を入れれば、その分、投資を増やすことができる。「金融市場に金を入れれば、金利が下がって、投資が増えて、生産が増える」とまとめることができる。IS-LM 分析というのを使ってもよい。)
  2.  消費拡大
     「消費」だけの拡大を狙うのならば、消費者(国民)を対象とした「減税」をすればいい。これも、当たり前だろう。(念のために言うと、「投資減税」などは、消費拡大ではなく投資拡大の効果をもつから、こういうものは「減税」ではあっても不適である。「減税」はあくまで消費者を対象としたものであるべきだ。)
     さて、ここでは、減税は、「タンク法」で行なうものとする。つまり、「日銀引き受けの国債発行」による。換言すれば、「民間引き受けの国債発行と、量的緩和を、同時に同額で実行すること」による。
  3.  投資と消費の相殺
     上記の「タンク法」とは異なり、「民間引き受けの国債だけ」にすることもできる。つまり、「量的緩和」をしない。すると、どうなるか? 貨幣量の増大がともなわないから、金融市場は逼迫する。消費と投資が資金を奪い合う。消費が増えた分、投資が減る。つまり、クラウディング・アウトの発生だ。
 以上をまとめれば、次のようになる。
  1.  量的緩和 だけ  …… 投資拡大
  2.  量的緩和 + 減税 …… 消費拡大
  3.  減税   だけ  …… 消費拡大と投資縮小
 ここでは、三つの典型的な場合だけを述べた。しかし、実際には、この比率を可変的にコントロールできる。
 たとえば、「投資拡大」と「消費拡大」の比率を、適切に設定できる。
 まず、上記では、どういう比率になっているか、見てみよう。
  1.  投資拡大= 100% , 消費拡大= 0%  …… 量的緩和 だけ
  2.  投資拡大=  0% , 消費拡大= 100%  …… 量的緩和 + 減税
  3.  投資拡大= -100% , 消費拡大= 100%  …… 減税 だけ
 これをまとめれば、次のように言える。
 具体的に言えば、こうだ。
 10兆円の減税をすれば、10兆円の消費拡大の効果がある。これは、量的緩和には関わらず、独立に決まる。
 さて、このとき、量的緩和の量しだいで、次のように変わる。
  1.  量的緩和を全然しなければ、10兆円分の資金逼迫が発生して、投資が 10兆円分の減少。
  2.  量的緩和を 10兆円やれば、資金逼迫が埋め合わされ、投資は不変。
 この二つが典型的な場合だ。
 さらには、両者の中間の状態もあるわけだ。たとえば、10兆円の減税に対して、6兆円の量的緩和をする。すると、消費は 10兆円の拡大で、投資は( 10兆円のクラウディング・アウトと 6兆円の量的緩和で) 4兆円の縮小となり、差し引きして、6兆円の景気拡大効果となる。
 量的緩和の額は、減税の額を下回る必要はなく、それを上回るようにすることもできる。たとえば、20兆円の量的緩和と 10兆円の減税。この場合、投資拡大効果と消費拡大効果の比率は、2:1 である。先のパーセンテージで言えば、「 200% : 100% 」つまり「 67% : 33% 」となる。
 このようにして、投資拡大と消費拡大の効果を、任意にコントロールすることができる。

    *   *   *   *   *   *   *   *   *

 さて、以上のことを読んで、「何だ、当たり前じゃないか」と思ったかもしれない。「たいしたことはないな」と思ったかもしれない。しかし、実は、たいしたことはあるのだ。なぜなら、次のように言えるからだ。

 タンク法は、「日銀引き受けの国債発行による、減税」を主張する。なるほど、それは基本だ。しかし、これは、あくまで原理にすぎない。基本中の基本にすぎない。実際には、上記に述べたように、可変的なコントロールを意味する。
 「減税に対して、量的緩和を、同時同額で実施」
 というのが、基本である。しかし、この基本にこだわらず、「同額」というのを、可変的にコントロールしていいわけだ。そうしたすべてのコントロールを、タンク法は含意する。
 すると、どうなるか? 
 「量的緩和」というのは、「タンク法」のうちの、「ごく限られた特殊な場合にすぎない」ということになる。つまり、タンク法で許容されたさまざまな可変的な比率のうち、「投資拡大 : 消費拡大」 = 「100% : 0%」という特別な場合だ。(本来は逆の比率にするべき。
 同様に、「財政拡大」というのは、「投資拡大 : 消費拡大」 = 「 0% : 100%」という特別な場合を意味する。
 そして、「財政拡大」による「消費拡大」のうち、消費の配分が、「民需 : 官需」= 「 0% : 100%」という特別な場合になるのが、「公共事業」だ。(本来は逆の比率にするべき。
 また、「財政拡大」をまかなう国債について、国債の償還法の種類が、「中期 : 長期」= 「 0% : 100%」という特別な場合になるのが、「公共事業」だ。(本来は逆の比率にするべき。

 結局、どういうことか? 
 量的緩和(マネタリズムの主張)というのは、「タンク法」のうち、ごく特殊な(極端な)場合のことである。
 公共事業(ケインズ派の主張)というのは、「タンク法」のうち、ごく特殊な(極端な)場合のことである。
 つまり、マネタリズムやケインズ派は、「タンク法」のうち、ごく特殊な場合のみを主張しているわけだ。その意味で、「タンク法」は、マネタリズムやケインズ派を含む、より広い概念である。「タンク法」は、マネタリズムやケインズ派を全否定するわけではなくて、特殊なケースとして自らの内に含むような、より広い概念なのだ。
 では、「量的緩和と国債発行を、同時同額で」という結論は、どう得られたか? タンク法の概念によって、広い範囲を考えたとき、そのなかで、不況の場合について最適化すると、こういう結論(同時同額)を得るわけだ。
( ※ 最適化というのは、つまり、上記の3箇所で「本来は逆の比率にするべき 」と述べたようにすること。ただし、厳密に言えば、単純に逆にすればいいとは限らない。もっと可変的にコントロールすることもできる。特に、完全なデフレ期以外では、比率をうまく変更するべきだ。)

 念のため、注釈しておこう。
 マネタリズムやケインズ派の考えは、タンク法に含まれる。では、なぜ、私はこれまで、この両者を批判してきたか? それらを批判することは、自分自身の一部を批判することになり、自己矛盾とはならないだろうか? ……そういう疑問が湧くだろう。だから、答えておく。
 マネタリズムやケインズ派の考えは、考え方自体には、間違いはない。何が間違っているかというと、適用する場合を間違えているのである。それらは、タンク法のうち、ごく特別な状態と見なされる。だから、それらが適用されるのは、ごく特別な場合だけなのである。
 ・「投資の拡大だけが必要であり、消費の拡大なんか不要だ」という場合。
 ・「投資や民需の拡大なんか不要であり、官需の拡大だけがあればいい」という場合。
 そういう非常に特別な場合には、マネタリズムやケインズ派の考え方も成立する。しかし、あくまで、非常に特別な場合だけだ。そういう特別な場合は、まず、ありえない。結局、特別な考え方は、特別な場合にのみ適用可能なのであって、適用する場合を間違えてはいけない、ということだ。
 つまり、「状況に応じて、対処法をうまく変えよ」「適用する場合を間違えるな」というのが、私の主張だ。一言で言えば、「状況に応じて最適化せよ」ということだ。
( ※ たとえ話で言おう。経済対策は、病気の治療のようなものである。「量的緩和一辺倒」薬とか「公共事業一辺倒」薬とか、そういう特別な薬は、特別な病気には役立つだろうが、普通の病気には役には立たないのだ。「病気には、その病気に適した最適の薬を使え」というのが私の主張だ。上記の二つの薬については、「何に対してもまったく無効だ」と批判しているのではなくて、「使うべき状況に応じて、最適の薬を使うべきなのに、いつも同じ薬ばかり使っているようだと、効果がうまく出ないし、副作用が出る」と批判しているわけだ。「どんな病気にもアスピリン」というのでは藪医者だ、というわけ。)

    *   *   *   *   *   *   *   *   *

 話はさらに続く。
 これまでは、「量的緩和と国債発行を、同時同額で」(つまり日銀引き受けで)というふうに主張してきた。しかし、これは、あくまで、不況時において、「消費」だけの拡大をめざした場合の話だ。これはあくまで、基本的なものである。
 実際には、この基本にとらわれず、もっと可変的にコントロールすることができる。つまり、そのときの状況に応じて、いろいろと比率を可変的に変更することができる。
 では、どんな状況において、どんな比率にすればいいか? (さまざまな状況で「最適化」するには、どうすればいいか?)── この問題がある。これは、「タンク法」の応用編である。
 次項(明日分)では、このことを説明しよう。


● ニュースと感想  (4月25日)

 前日の続きを述べよう。実は、これは、「ポリシー・ミックス」の問題でもある。

 「投資拡大」と「消費拡大」の割合を、適切にコントロールできる。それには、「財政支出(減税)のための国債発行」と「量的緩和」との、比率を適切にコントロールすればいい。金融政策と財政政策との、比率を適切にコントロールすればいい。……これが、前項で述べたことだ。
 ただし、その比率が問題となる。いったい、どういう比率にすればいいのか? どうすれば「最適化」できるのか? 

 この問題は、普通に考えれば、そう難しい問題ではない。現状がどうなっているかで、次のように場合分けできる。
 現状としては、次の場合が考えられる。
  1.  供給過大 & 消費過小
  2.  供給過小 & 消費過大
 この二つの場合について、以下で、順に説明しよう。ただし、おおざっぱに述べておくと、こうなる。     *   *   *   *   *   *   *   *   *

 (1) 供給過大 & 消費過小
 「供給過大で、消費過小だ」というのは、今のようなデフレの場合である。こういう場合は、供給を増やす必要はなく、消費だけを増やせばよい。だから、投資拡大の必要はなく、消費拡大だけを実施すればよい。そもそも、投資拡大のために量的緩和をやっても、「流動性の罠」の状態で、無効かつ無意味である。
 結局、「消費拡大」を目的とした方法を取ればよい。それはつまり、「量的緩和 + 民間引き受けの国債発行による減税」(同時同額で)であり、つまりは、「日銀引き受けの国債発行による減税」である。
 ただし、それは「金利ゼロ」となるような、強い不況(デフレ)の場合だ。

 一方、それほど強い不況とはならないことも多い。つまり、「金利が 2%程度」となるような、弱い不況となることが多い。(たとえば、 2001年秋の米国は、ゼロ金利にまではならなかった。日本でも、何度か不況ないし景気後退があったが、金利がゼロになることはなかった。)
 こういう弱い不況の場合には、「消費だけを増やす」という方策は、適切とは言えない。「投資も消費も、ともに増やす」という方策が必要となることもあるだろう。この場合、比率の可変的なコントロールをすることになる。(その具体的な方法は、前日に述べたとおり。)
 (2) 供給過小 & 消費過大
 「供給過小で、消費過大だ」というのは、今の状況とは正反対の、インフレの場合である。こういう場合には、どうするべきか? もちろん、逆効果を出せばよい。つまり「供給過小 & 消費過大」を埋め合わせるために、「供給の拡大」と「消費の縮小」をすればよい。
 「供給の拡大」と「消費の縮小」。これが必要である。では、そのためには、どうするべきか? 

 まず、「消費の縮小」のためには、「増税」が必要である。これは、わかりやすい。
 では、「供給の拡大」のためには、どうすればいいか? もちろん、「投資の拡大」をすればいい。……ただし、である。ここで、問題がある。「投資の拡大」は、「需要の拡大」と「供給の拡大」の、双方の効果があるからだ。このことは、次のようにまとめることができる。
 こういうふうに、双方の効果があるわけだ。となると、金融操作(金利の上下)の効果は、次の二通りが考えられる。
  1.  金利引き上げ。……
    • 即時的には : (投資)需要を減らす
    • 一定期間後には  :  供給を減らす
  2.  金利引き下げ。……
    • 即時的には : (投資)需要を増やす
    • 一定期間後には  :  供給を増やす
 この a ,b の、どちらを取るべきか? 目的は、「需要を減らして、供給を増やすこと」なのだから、上記のいずれも、最適ではない。金利引き上げも、金利引き下げも、それだけを単純にやっても、最適化はできない。
 では、どうするべきか? 実は、答えは、「状況しだい」となる。次のように区別される。
  1.  「循環的なインフレ」の場合。
     「循環的なインフレ」というのは、景気循環のうちで、一時的に景気が過熱した状態だ。やたらと需要が過熱するが、供給も過熱する。ただし、供給の伸びが、需要の伸びに追いつかないので、インフレギャップが発生して、インフレとなる。
     ただし、ここで注意しよう。供給は、当面は不足していても、本質的には過剰なのだ。当面は需要があまりにも過大だから、供給が一時的に不足しているが、それでも普通の景気のときの供給を基準とすれば、当面の供給は過剰である。
     だから、将来のことを考えれば、これ以上、あえて供給を拡大する必要はないわけだ。
     結論。
     「循環的なインフレ」のときは、供給を減らしてよい。だから、単純に、「投資の減少」(= 需要と供給の減少)を狙って、「金利の引き上げ」をすればよい。つまり、普通の金融政策で足りる。

  2.  「慢性的なインフレ」の場合。
     「慢性的なインフレ」というのは、需要が一時的に過剰であるだけでなく、供給能力が長期的 ・根本的に不足している場合だ。(供給能力の劣る途上国など。)
     こういう場合には、単なる「金利引き上げ」は逆効果である。投資を抑制することで、当面の需要は減るし、当面の物価上昇は抑止できるが、同時に、供給能力の拡大もなされないので、供給能力の不足という長期的・根本問題は解決しない。これは好ましくない。
     とはいえ、この好ましくない経済政策が、現在では標準的とされているようだ。(たとえばIMFがよくやる。)

     では、私の考え方は、どうなるか? 
      ・ 金利引き下げ
      ・ 増税
     この二つを同時に実行するべきである。その理由は、次の通り。
     第1に、「金利の引き下げ」は、投資を拡大する。これは、一定期間後の供給能力増加をもたらすので、長期的には、経済体質の強化をもたらす。
     第2に、「増税」は、消費を縮小する。これは、「金利の引き下げ」による物価上昇の効果を、ただちに打ち消す。

     このように、二つの政策を同時に実行するべきなのだ。しかも、この二つの政策は、方向自体としては、相反する。(前者は景気刺激、後者は景気冷却。)
     これは、いわゆる「ポリシー・ミックス」と言える。
     次項では、この問題について、さらに詳しく考えよう。
 [ 補記 ] 用語解説
 「ポリシー・ミックス」という用語について、用語解説しておく。(特に読まなくてもよい。)
 この用語は、単に「政策の混合」だけを意味する。その意味は、あえて分類すれば、次の二通りに分類される。
  1.  協調型
     二つの独立した政策が協調するタイプ。「金融政策と財政政策を同時に同方向に実行する」というタイプ。
     このタイプは、よくある標準的な経済政策である。いちいち「ポリシー・ミックス」という用語を使う必要はないだろう。単に「財政政策と金融政策の同時実行(併用)」と言うだけで足りる。
     なお、そういう併用に対しては、批判がある。「金融政策オンリーにせよ」という立場から、「財政赤字はダメだ」「だからポリシー・ミックスはダメだ」という批判となる。もちろん、金融政策オンリー派たる、マネタリストによる批判だ。
     ともあれ、このタイプの併用の例としては、次のような例がある。
       例 : 金利引き下げ & 財政赤字拡大 (ともに景気刺激)
       例 : 金利引き上げ & 財政の健全化 (ともに景気冷却)

  2.  相反型
     二つの独立した政策が相反するタイプ。「金融政策と財政政策を同時に逆方向に実行する」というタイプ。
       例 : 金利引き下げ & 財政の黒字化(増税)
     このタイプが、いま問題になっているわけだ。次項でまた考察する。


● ニュースと感想  (4月26日)

 前日に引きつづき、「ポリシー・ミックス」について、さらに詳しく述べよう。

 前日に述べたことは、こうだ。
  1.  投資には、「当面の需要」および「将来の供給」という、双方の意味がある。
  2.  需要も供給も、ともに過剰であるときには、投資を減らすだけでも足りる。それには「金利の引き上げ」をすればよい。
  3.  需要が過剰で、供給が不足であるときには、投資を増やすべきである。だから「金利の引き下げ」をするべきだ。ただし同時に、増税を実施するべきだ。
 ここで、23 の違いに注意しよう。
 まず、 2 の方は、単純なインフレの場合である。こういうときには、通常の「金利引き上げ」で、一応は足りる。
 また、 3 の方は、単純なインフレとは異なる場合である。こういうときに、通常の「金利引き上げ」をすれば、当面の「物価上昇」には役立つかもしれないが、長期的には逆効果となる。むしろ、ここでは、(長期的に)供給が拡大が必要な状況なのだから、通常の「金利引き上げ」とは逆に、「金利引き下げ」によって、投資の拡大を狙う。ただし、それだけでは、当面は需要が過大になるから、その効果を打ち消すために、「増税」を行なう。……ここでは、「金利政策だけ」ではなくて、「金利と財政」を同時に行なう。しかも、その方向は逆方向である。つまり、「相反型のポリシー・ミックス」となっている。

 では、3 の場合というのは、どういう場合か? 単純なインフレとは異なる場合(慢性的なインフレの場合)だというのはわかったが、具体的には、どういう場合か?
 それは、ひとことで言えば、「スタグフレーション」だ。つまり、「物価上昇」と「高い失業率」の併存だ。具体的には、次のような二つの例がある。

 (1) 途上国でのスタグフレーション

 《 現況 》
 途上国でスタグフレーションが起こることがある。
 途上国では、たいてい、供給能力が劣悪である。ここで、まともな生活水準をしようとすれば、需要が過大となり、物価上昇が発生する。
 ここで、物価上昇を抑制しようとして、金利を引き上げれば、当面は投資抑制により、物価上昇を抑制できるが、投資抑制の半面の効果として、供給能力も拡大しない。いつまでたっても、供給能力は劣悪なままである。投資抑制の結果として、職場も確保されないので、失業者もあふれたままである。
 IMFの処方は通常、こういうものであり、たいていは、こういう惨めな結果を招く。物価上昇はいくらか抑制されるが、大幅な失業が発生するので、国民は不満になるものだ。

 《 対策 》
 この問題は、「ポリシー・ミックス」で解決できる。前述の方法をそっくりそのまま適用すればよい。金利を引き下げて、投資を拡大する。同時に、増税して、消費を抑制する。
 すると、どうなるか? 当面、増税によって、国民の富は奪われ、企業の設備投資に回る。これはどういうことかというと、「公共事業の民間版」だ。
 公共事業とは、何か? 途上国では、社会基盤が不足しているので、成長ができない。いつまでたっても、貧しいままである。そこで、当面の消費を我慢して、かわりに、道路などの社会基盤を整備する。つまり、当面は我慢することで、将来の大きな発展を得る。それが「公共事業」だ。
 「民間投資」も、「公共事業」と本質的に同様である。貧しい国では、社会基盤が足りないだけでなく、民間企業の設備が足りない。そこで、当面の消費を我慢して、生産設備を購入する。そうして当面は我慢することで、将来の大きな成長を得る。それが「民間投資」だ。
 そして、こうなるように促すのが、「ポリシー・ミックス」だ。つまり、「投資の拡大」と「消費の抑制」である。
 この政策は、国民の一人一人にとっては、「当面の損」と「長期的な得」を意味する。
 具体的には、こうだ。当面は増税によって損するが、長期的には、投資によって供給が拡大するので、得をする。(賃金水準が上昇するし、雇用機会も増えて失業率は低下するからだ。)
 かくて、「物価上昇率と失業率がともに高い」という、二律背反の状況(スタグフレーション)を、解決するわけだ。

 (2) 先進国でのスタグフレーション

 《 現況 》
 先進国では、基本的には、スタグフレーションは発生しにくい。
 といのは、途上国とは違って、設備投資などはもともと十分に存在するからである。「設備過剰」で不況になることはかなりあるが、「設備不足」でインフレになることはあまりない。(物価上昇が発生したら、金利の引き上げで対処できるので、たいていは、インフレにならない。)
 ただし、例外的には、慢性的なインフレになる場合がある。たとえば、「石油ショック」だ。石油価格が急上昇するので、国内の富が産油国に流出する。そのせいで、その損失をまかなうため、物価が上昇する。(具体的には、通貨の下落を通じて。)
 こういうときには、物価の上昇は不可避である。しかし、このとき、「物価の上昇」を避けるため、「金利の引き上げ」だけを実施すれば、失業率は悪化する。

 《 対策 》
 先進国のスタグフレーションの場合も、対策は、途上国のスタグフレーションの場合と同じだ。つまり、「金利引き下げ」と「増税」というポリシー・ミックスを実行すればよい。(この点は、前記の「途上国」の場合と同じ。)
 では、なぜ、そういうことが必要か? 
 「物価上昇」と「高い失業率」が併存しているとしたら、明らかに、供給能力が不足しているのである。それは、つまり、その国の経済体力が悪化しているということだ。その国が途上国的であるということだ。
 先の「石油ショック」も同様である。そこで「通貨安」が発生しているということは、その国が国際経済圏のなかで、劣位になったということだ。つまり、いくらか途上国化したということだ。明らかに、経済体力が悪化している。(石油ショックの場合は、技術が低下したのではなくて、状況的に、産油国が優位になったことで、先進国は相対的に劣位になってしまった。)
 こういうときは、経済体力を改善する必要がある。供給力を拡大する必要がある。(何のためかといえば、貿易黒字を発生させるためだ。いったん産油国に流れた富を、貿易黒字によって回収するためだ。そのためには、供給力を拡大する必要がある。)
 話は、石油ショックの場合に限らない。一般的に、その国が貿易収支で赤字を垂れ流しているような場合は、経済の体力が劣位なのだから、経済の体力を向上させる必要がある。そのためには、供給力を拡大する必要がある。
 だから、こういう場合には、「供給の拡大」つまり「投資の増大」が、どうしても必要なのだ。だから、「金利の引き下げ」をするべきなのだ。(「物価の上昇には金利の引き上げで」という、IMF流ないしマネタリスト流の方策は、逆効果なので、不適。やれば、当面の物価上昇は抑止できるが、供給力が不足したままなので、長期的に低迷する。)
 さて、「金利引き下げ」をすれば、どうなるか? もちろん、物価の上昇が起こる。だから、「金利引き下げ」をするだけでなく、同時に、「増税」が必要となる。
 では、その結果は? これも、途上国の場合と同様だ。国民の一人一人にとっては、「当面の損」と「長期的な得」を意味する。
 具体的には、こうだ。当面は増税によって損するが、長期的には、投資によって供給が拡大するので、賃金水準が上昇して、得をする。また、雇用機会が増えて失業率が低下する、という効果もある。
 かくて、「物価上昇」および「失業率」がともに高い、という二律背反の状況(スタグフレーション)を、解決できるわけだ。

( ※ この意味では、「増税は得」なのである。増税をしなければ、いつまでもスタグフレーションで悩むことになるが、増税をすることで、経済は病気状態だったのが正常化する。「増税は損だ」というのは、間違った常識なのである。)

 [ 注記 ]
 こういうポリシー・ミックスの本質は何か? それは、「経済全体を拡大する(インフレにする)量は抑え気味にしながら、投資と消費の比率を変更する。そうして、物価上昇を抑えながら、投資を拡大して、経済を成長させる」ということだ。
 ここでは、「投資と消費の比率」が、うまくコントロールされている、という点に注目のこと。
( ※ この意味で、「国民の富が企業に移るのは、国民にとって損だ」というのは、間違った常識なのである。国民が本来の水準以上の富を得ていれば、失業率が上昇するし、経済は低迷する。国民の富が企業に移るのは、必ずしも損ではない。それは、「国民が貯蓄をして、その貯蓄を使って企業が投資するので、経済が成長する」というのと、本質的には同じである。「公共事業の民間版」である。)

 [ 付記 ]
 ポリシー・ミックスの具体的な成功例としては、クリントン経済がある。「増税」と「金利引き下げ」を同時に実行し、長い好況を持続させた。
 これが成功したのは、米国経済が当時、単純なインフレ(供給過剰)ではなく、スタグフレーション気味(供給不足)であったせいだろう。米国は、もともとは、米国がレーガノミックスのもとで、「双子の赤字」を発生させて、米国の経済体力を低下させていたからだ。こういうふうに供給が不足気味の状況では、ポリシー・ミックスは有効だ、と実証されたわけだ。
( ※ インフレ気味であるときに、常にこの手が成功するわけではない。そのことは、明日の分で例示する。)


● ニュースと感想  (4月27日)

 話が込み入ってきたので、全体の見通しを良くするため、位置づけをしておこう。
 経済政策には、大別して、次の4種類がある。 (矢印は対比のために示す。)
  1.  金融緊縮 & 財政緊縮  (↓ ,↓)
  2.  金融緩和 & 財政緩和  (↑ ,↑)
  3.  金融緩和 & 財政緊縮  (↑ ,↓)
  4.  金融緊縮 & 財政緩和  (↓ ,↑)
 このうち、 1 2 は、ありふれた普通の経済政策であり、特に言及する必要はあるまい。 3 は、前日分で述べたばかりだ。残るは、 4 だ。これについて、以下で述べることとしよう。

 
金融緊縮 & 財政緩和

 まず、 3 の「金融緩和 & 財政緊縮」の方は、スタグフレーションのときに有効だ。(前日分で述べたとおり。)
 では、 4 の「金融緊縮 & 財政緩和」の方は? どうだろう? 単純に考えれば、「スタグフレーションとは逆のとき」つまり「物価下落」と「低い失業率」のときに有効であるはずだ。そして、それは一応、正しい。
 具体的な例としては、どのような場合が考えられるだろうか? それは、「投資がやたらと過大であり、かつ、人々の消費意欲が弱いとき」である。
 このような状況は、あったか? 似た状況は、あった。バブル期がそうだ。バブル期は、通常、「資産インフレ」と要約される。その意味は、「物価上昇率は低いのに、資産投資が異常に過大である」という状況である。その原因は、「円高による物価下落効果」と「過剰な量的緩和による金余り」であった。
 これに対しては、「日銀は金利を引き締めるべきであった」という批判が多い。なるほど、それはそうだ。しかし、「物価上昇率は高くなかったから、景気を悪化させないために、金利引き上げをためらった」という日銀の理屈も、一理あるのだ。仮に、資産インフレをつぶすために、大幅な金利引き上げを実施していたら、景気は急速かつ大幅に悪化していただろう。(そして、それが、バブル破裂だ。)
 実は、「金利を引き上げよ」という批判も、「金利を引き上げない」という日銀も、どちらも間違いなのである。それらはいずれも「金融政策だけで景気を操作しようとした」という根本的な間違いを犯している。

 では、正しい政策とは? 「ポリシー・ミックス」だ。それは、それは、前日に述べた 3 の「金融緩和 & 財政緊縮」ではなく、 4 の「金融緊縮 & 財政緩和」を意味する。
 具体的に言おう。
 第1に、大幅な資産インフレをつぶすために、大幅な金利引き上げを実施するべきであった。第2に、金利引き上げによる景気冷却効果を補償するために、財政緩和(減税)を実施するべきだった。
 この双方を併用すれば、異常な資産インフレの発生は抑止できただろう。しかもまた、そのあと、急激なバブル破裂も抑止できただろう。なぜなら、金利引き上げで、消費縮小が発生しても、減税によって、消費拡大があり、景気悪化効果が抑止されるからだる。つまり、資産インフレをつぶしながら、なおかつ、景気悪化を妨ぐことができるわけだ。

 理屈はその通りである。では、現実には、どうだったか?
 現実には、その正反対のことをした。まず、(金融をさっさと引き上げるべきだったのに)金融を徐々に引き締めた。金融の引き締め自体は、好ましかったが、それがあまりにも遅くて小幅だったために、資産バブルは急速にふくらんでいった。そのあと、遅ればせに金利引き上げや総量規制を実施して、マネーサプライを減らした。これ自体は、好ましかったが、ほぼ同時に、消費税導入(増税)を行なった。(1989年4月に消費税。)そうして消費を縮小した。本来ならば、減税によって、金利引き上げの効果を打ち消すべきであったのだが。
 というわけで、単純な金融緊縮の結果、資産インフレはつぶれたが、同時に、景気は急速に悪化した。

 この急速な景気悪化(バブル破裂)のあとの処置に対しては、批判がある。「もっと急速に金利を引き下げるべきだった。そうすれば急速な景気悪化は避けられただろう」という説だ。
 実は、私も一時、そういうふうに考えたものだった。しかし、よく考えると、この説は、厳密には妥当ではないと言えそうだ。なぜなら、バブル破裂当時、設備はすでに過剰であったからだ。「設備が過剰で、需要が縮小している」というときには、「設備投資を促進する金融緩和は意味がない」と思える。
 仮想的に想像してみよう。この時期、もし、ゼロ金利にしていたら? もしかしたら、それで、うまく行ったかもしれない。しかし、うまく行かなかったかもしれない。あまり楽観はできない。なぜなら、当時、ゼロ金利にしても、もともと設備は過剰だったのだから、効果を出さずじまいになっていたかもしれない。つまり、「流動性の罠」に陥っていたかもしれない。
 結局、当時、ゼロ金利にしていても、景気は回復せずに、単に「流動性の罠」に陥る時期が早くなるだけだった、── という可能性も考えられる。たしかに、そういう可能性は十分にあるのだ。(本当にそうかどうかは、明白には断言できないが。)
 ただ、はっきり言えることはある。「(たとえ大幅かつ急速であっても)金利引き下げだけというのは、最適の処置ではない」ということだ。
 バブル破裂時には、「金利引き下げ」だけではなく、「減税」も併用するべきだったのだ。「金利引き下げ」をすれば、それでバブル破裂を防ぐことができたかもしれないが、そのことで、バブルを拡大する結果になったかもしれない。……もしそうなったとすれば、そのときはバブル破裂を防ぐことはできるかもしれないが、バブルはさらに拡大して、将来的もっとひどいバブル破裂が来ることになったかもしれない。
 本質的に考えよう。バブル期にせよ、バブル破裂期にせよ、設備投資は過剰だったし、資産投資も過剰であった。とにかく、投資が過剰であった。こういうときに、景気が悪化したという理由で、「金利引き下げ」を実行しても、それは、過剰な投資をさらに過剰にさせようというものであり、本質からずれた施策なのだ。(おそらく、メリットはほとんどなく、デメリットだけがあるだろう。)
 投資が過剰である状況においては、投資だけを促進する政策は適切ではないのだ。最適の政策は、別にある。そして、そのためには、単純な金融操作ではなくて、金融操作と財政操作を最適にコントロールしたポリシー・ミックスを取るべきなのだ。

 結語。
 バブル期には、「金融緊縮 & 財政緩和」というポリシー・ミックスをするべきであった。つまり、「金利引き上げ & 減税」を実施するべきだった。(金利引き上げは妥当であったが、同時に、「増税」のかわりに「減税」を実施するべきだった。)
 バブルが破裂したあとは、単純に「金利引き下げ」を大幅に実施するだけでなく、「減税」も併用するべきだった。

 最後に、教訓を述べておく。
 大切なのは、「投資」と「消費」を区別することだ。その両者を区別しないで、単に「需要」と見なすと、失敗する。
 バブル期には、「消費を増やすべきだったのに、実際には、(資産)投資ばかりを増やす」というふうにした。そしてデフレの今は、「消費を増やすべきなのに、実際には、(設備)投資ばかりを増やそうとする」というふうにしている。
 経済政策では、「投資拡大と消費拡大の比率」を、はっきり区別するべきなのだ。そして、それが、「金融緩和と財政緩和の比率」をコントロール、という、タンク法の概念なのである。
 このことの重要性を、ここまで長々と述べてきたわけだ。

 [ 付記 1 ]
 上記のバブル期に関する主張は、私のこれまでの主張に少し矛盾するように感じられるかもしれない。
 私のタンク法の主張によれば、「インフレ期には増税」である。そして、「バブル期はインフレであった」とすれば、「バブル期に増税するべきであった」という結論になりそうだ。(3段論法。)……なのに、上記では、「バブル期には減税するべきだった」と結論した。
 実は、これは、矛盾ではない。論理を考えればわかる。「A ならば B」が正しく、かつ、「B」が否定されているなら、「A」という前提が間違っていたことになる。つまり、「バブル期はインフレであった」という前提が間違っていたのだ。
 結局、バブル期は、インフレではなかったのだ。たしかにインフレのように見えたものだった。高級品がずいぶん売れたし、企業の操業度は上がったし、労働時間は増えた。しかし、物価はあまり上昇していなかったのだ。
 バブルというのは、単なるインフレではないのだ。

 [ 付記 2 ]
 バブルは、単なるインフレではない。では、何なのか? 資産インフレである。
 バブル期に、大量の資金があふれていた。(「金余り」という用語が新聞をにぎわした。)銀行は手持ちの大量の金[有利子]を、遊ばせておくわけには行かないので、何とかして融資しようとして、土地を担保にして、担保価値の 100% まで貸し出そうとした。「土地を買いなさい、その土地の代金は融資します」と。……そのすべては、日銀が大量の金を流通させたことによる。
 日銀の狙いは、低利氏の資金で、設備投資を増やし、日本経済を拡大させることだった。なるほど、その効果は、いくらかはあった。しかし、それでもまだありあまるほどの大量の資金が供給されたのだ。その資金の多くは、土地や株に向かった。かくて、資産インフレが発生した。
 ここでは、マネタリストの主張[マネーサプライの拡大 = 物価の上昇]は、まったく成立しなかった。なぜか? 金は、消費財の購入には向かわず、資産の購入に向かったからだ。一定の金があり、人々がその金で消費財を購入すれば、消費財の価格が上がる。人々がその金で資産を購入すれば、資産の価格が上がる。購入対象は、消費財と資産の双方なのだから、消費財と資産をひっくるめた意味での「物価」ならば、「マネーサプライの拡大 = 物価の上昇」という説は成立する。しかし、資産抜きで消費財だけに限った意味での「物価」(消費者物価)ならば、「マネーサプライの拡大 = 物価の上昇」という説は成立しない。
 日銀は、資産価格の上昇を無視して、消費者物価だけに注目した。そして「物価は上昇していない」と判断して、大量の資金を供給した。それが「資産インフレ」たるバブルの本質だ。
 それはまた、マネタリズムの失敗の、壮大な金字塔でもある。

( ※ マネタリズムが失敗した理由は? もちろん、「投資拡大」と「消費拡大」を区別しなかったこと。そして歴史は繰り返す。この区別ができないマネタリズムは、今なお同じように、「リョーテキカンワ」という一語を、何度も繰り返しているのである。九官鳥のように。やっていられんわ。)

 [ 付記 3 ]
 「バブル期には減税するべきであった」と述べた。これは、一見、不思議に思えるかもしれない。「好況のときに減税なんて、おかしい」と。
 しかし、注意してほしい。この減税は、単独の減税ではない。「大幅な金利引き上げ」と併用する減税だ。別に、景気を過熱させようとしているわけではない。
 「でも、減税よりは、増税をするべきだったのでは?」という疑問が生じるかもしれない。しかし、そう思うとしたら、これまで私が述べてきたことを、よく理解していないことになる。
 「増税」は、消費を抑止するものであり、単純なインフレを抑止する効果がある。そして「増税」は、投資を抑止するものではなく、資産インフレを抑止する効果はない。……これが事実だ。ここを誤解してはならない。消費と投資をあくまで区別するべきであり、増減税と金融操作をあくまで区別するべきである。

 [ 参考 ]
  バブル時の物価上昇率などのデータ。
        (数値の単位は %)
  年 実質GDP
成長率
インフレ
 率 
失業率 金融市
場金利
  1981   3.2   4.1   2.2   ... 
  1982   3.1   1.8   2.4   ... 
  1983   2.3   1.8   2.7   ... 
  1984   3.9   2.6   2.7   6.5 
  1985   4.4   2.1   2.6   6.6 
  1986   2.9   1.8   2.8   5.1 
  1987   4.2   0.1   2.8   4.2 
  1988   6.2   0.7   2.5   4.5 
  1989   4.8   2.0   2.3   5.4 
  1990   5.1   2.3   2.1   7.7 
  1991   3.8   2.7   2.1   7.2 
  1992   1.0   1.7   2.2   4.3 
1981-92 平均  3.7   2.0   2.5   5.7 
          
  1993   0.3   0.6   2.5   2.9 
  1994   0.6   0.2   2.9   2.3 
  1995   1.5  -0.6   3.1   1.2 
  1996   3.9  -0.5   3.4   0.6 
  1997   0.9   0.6   3.4   0.6 
1993-97 平均  1.4   0.1   2.4   1.5 
     (出所:International Financial Statistics, 1998)
     ※ クルーグマン論文 から孫引き。

 なお、景気の波を示す「業況判断指数」は  → 10月02日


● ニュースと感想  (4月28日)

 本項では、「流動性の罠」と「ポリシー・ミックス」の関係を述べる。
 まず、ここまで述べてきたことを、簡単に整理しておこう。景気の現状には、次の4種類がある。
  1. インフレ      …… 投資過剰 & 消費過剰
  2. 不況        …… 投資不足 & 消費不足
  3. スタグフレーション …… 投資不足 & 消費過剰
  4. 資産インフレ    …… 投資過剰 & 消費不足
 それぞれ、投資と消費の過不足がある。そこで、その状況に応じて、過不足を補正するように、投資と消費を拡大ないし縮小すればよい。
 これまでの経済学は、投資と消費を区別せずに、両者をひとくくりにして、単に「金融政策」または「財政政策」によって、「景気の拡大または縮小」を狙った。
 しかし、タンク法では、投資と消費を区別する。そして、両者の拡大または縮小の効果を、適切な比率でコントロールする。
 上の 1 , 2 のとき(好況・不況のとき)は、投資と消費を、同じ方向で「拡大」または「縮小」すればよい。だから、単なる金融政策や財政政策でも、それなりの効果を得た。
 しかし、上の 3 , 4 のとき(スタグフレーション・資産インフレのとき)には、投資と消費を、同じ方向で「拡大」または「縮小」するのではダメで、逆方向に操作しなくてはならない。その政策がポリシー・ミックス(相反型)である。

 以上が、前日までに述べてきたことだ。
 さて、ここで、新たな問題を考える。デフレのあとで、むやみやたらと量的緩和をすると、「流動性の罠」の状態となる。では、「流動性の罠」の状態は、どうか? 上記の2番目の「不況」の場合と見なしていいだろうか? そういうふうに、簡単に考えていいだろうか?
 実は、そうではない。いきなり結論を言おう。「流動性の罠」の状態というのは、普通の「不況」とは違って、上の 4 に似たところがある。つまり、「流動性の罠」の状態は、「資産インフレ」に似たところがある。
 これが結論だ。以下では、この結論に至る、論拠を示す。
( ※ 一言で要約すれば、こうだ。「流動性の罠」と「資産インフレ」は、どちらも「量的緩和が過剰」という状態である。その意味で、状況がかなり似ている。)
( ※ 以下、特に重要な話ではないので、読まなくてもよい。ただし、たとえ話がおもしろいので、楽しめる。)

 よく考えてみよう。
 「流動性の罠」という状況では、金融政策が無効になっている。では、なぜ?
 「実質金利がマイナスでないからだ」(だから物価上昇で実質金利をマイナスにすればよい)という説もある。(クルーグマンなど。) しかし、である。企業に投資意欲があるのならば、金利をゼロ以下にする必要はないはずだ。金利は最低でもゼロ金利で十分であるはずだ。「無利子で金を貸してあげます」というのは、最大限の譲歩である。
 「もっと譲歩すればいい」という考え方もある。しかし、金利をマイナスにすると言うのは、もはや譲歩ではない。「お金をプレゼントするから、どうしてもお金を借りてください」ということになる。あまりにも非常識である。
 本質的に考えてみよう。「利息はタダでもいい」というのに、金を借りてくれないのだとしたら、本質的に、金を借りたがっていないのだ。「金利が高いから借りることができない(本当は借りたいのだけれど)」というのではなくて、もともと金を借りたくないのだ。
 たとえて言おう。二人の男女がいる。結婚したがっている。しかし、金がなくて、なかなか結婚できない。そういうときに、「金がなくて困っているなら、金を援助しよう」というのは、わかる。それはそれでいい。しかし、である。もともと結婚したがっていない男女に、「金をやるから結婚しろ。たとえ結婚したくなくても、とにかく結婚しろ。金をたくさんやるから」と言って金を渡すのは、本質的に間違っている。結婚したがっていない男女を、無理に金で結婚させるべきではないのだ。望んでもいないことを、金の力で、無理に押しつけるべきではないのだ。札束で頬をぶん殴るような形で、無理に結婚させても、ろくなことはない。

 企業の投資もまた同様だ。今、企業が金を借りて投資をしないのは、「金利が高くて投資ができない」のではない。本質的に「投資をしたくない」のだ。なぜなら、設備が余剰である(設備が遊休している)からだ。こういうときには、たとえ無利子でも、金を借りたくない。「タダでいいから金を借りてくれ」と銀行に言われても、お引き取りを願うだけだ。「金を借りてくれれば、一定割合でお金をプレゼントします」と言われても、腹が立つだけだ。たとえば、設備の稼働率が 80% のときに、新規に設備投資をしても、設備の稼働率がその分低下するだけだ。つまり、遊休設備が増えるだけだ。そんなことをやっていては、企業は倒産してしまう。従業員をリストラしたり、さまざまな固定費を削減して、必死に原価低下や赤字削減に取り組んでいるときに、銀行に「設備投資をしてくれ。遊休設備をさらに増やしてくれ。固定費をもっと増やしてくれ」などと言われたら、腹が立つだけだ。「銀行がそんな無駄なことをしているから、景気はどんどん悪化するばかりだ」と追い返したくなる。

 にもかかわらず、経済学者は、そこを理解しない。「借りた方がお得ですよ」と主張するばかりだ。なるほど、借りた方が得かもしれない。しかしそれは「設備が遊休せずに稼働して、借りた金を返済できて、ちゃんと減価償却できる」という前提が成立する場合だ。実際には、その前提は成立しない。(もともと設備は遊休しているから。) 結局、企業の財務体質が悪化して、倒産に近づくだけの効果しかない。
 なのに、経済学者は、「借りた方がお得ですよ」と主張する。借りたがっていない企業に、無理に借りさせようとする。それは、「結婚した方がお得ですよ」と言って、無理に男女を結婚させようとするのと同様なのだ。一番肝心なこと(結婚したがっているか/投資を欲しているか)を忘れて、単に利子の銭勘定だけをしている。本体部分を忘れて、枝葉末節ばかりを見ている。完全にトチ狂っているのだ。

 結局、どういうことか? 
 現在の「流動性の罠」という状況は、ただの不況ではない。投資意欲が極端に縮小している。こういうときには、投資を促進しようとする(金利を引き下げる)のは、効果がないのだ。もともと全然、投資をしたくないのだから。利子が高くて投資をしないわけではないのだから。
 だから、こういうふうに投資意欲のないときは、「投資」よりも、「消費」を増やすように促進するべきなのだ。
 なのに、「流動性の罠」という現状は、どうか? 「消費」を増やすべきときに、「投資」ばかりをやたらと増やそうとしているわけだ。
 この点を、先の4つの分類と比較する。すると、2番目の「不況」の場合よりも、4番目の「バブル(資産インフレ)」の場合が、「流動性の罠」の状況に近いことになる。バブル期もまた、地価や株価が異常に上昇していて、量的緩和が行き過ぎていた。「消費」を増やすべきときに、「投資」ばかりをやたらと増やしていた。


 結局、「流動性の罠」および「バブル」というのは、どちらも、量的緩和をやりすぎた状態である。その点、この両者は似ている。形の上では、一方は不況、一方は好況、というふうに対照的であるが、「量的緩和をやりすぎている」という点では、共通する。
 このように、一見して異なるものに、共通性を見出すことができると、全体の見通しが良くなるだろう。
 要するに、「流動性の罠」というのは、普通の不況とは、かなり様相が異なるのだ。このときは、通常の不況対策(金利操作)は、有効でなくなっている。「流動性の罠」のときは、「投資」はもともと過剰なのだから、さらに「投資」の拡大を狙うべきではないのだ。こういうときには、さらに量的緩和を狙うべきではなく、むしろ、量的緩和はただちに停止するべきなのだ。理由は、「百害あって一利なし」だからだ。

 [ 補説 ]
 上記のことから、重大な結論を得ることができる。
 それは、「流動性の罠」のときには、デフレから脱出しても、インフレは起こらず、かわりに、資産インフレが起こる、ということだ。
 クルーグマンを始め、多くの人が「量的緩和やインフレ目標で、インフレを起こすことができる」と信じている。しかし、そのインフレは、普通のインフレではなく、資産インフレなのだ。
 なぜか? 設備投資をしないからだ。もともと消費が縮小しているのだから、設備は遊休している。となると、企業が設備投資をするのは、消費が拡大したあとである。
 一方、クルーグマンたち自身が述べている主張は、「設備投資の拡大 → 消費の拡大」である。「消費の拡大 → 設備投資の拡大」ではない。つまり、「鶏が先か、卵が先か」の循環論法に陥る。消費の拡大も、設備投資の拡大も、どちらも他方を必要としているのに、その他方が実現していない。ゆえに、どちらも実現しない。消費の拡大も、設備投資の拡大も、どちらも発生しない。発生するのは、「消費の拡大」を必要としない投資、つまり、資産投資だけだ。だから、資産インフレが発生する。(「減税をしなければ」という条件は付くが。)
 結局、量的緩和によって供給された大量の資金は、インフレ目標によって、たしかに「投資」に向かう。しかし、その「投資」は、「設備投資」ではなく、「資産投資」である。だから、結果的に発生するのは、インフレではなく、資産インフレである。つまり、バブルだ。(当面、土地と株ばかりが上がっていくわけだ。失業率も高いままの状態が続くだろう。なぜなら、設備投資も消費も、さして増えないからだ。)
 「流動性の罠」と「バブル」は、かなり似ている。似たもの同士なら、自然に移行するはずだ。つまり、「流動性の罠 → バブル」という移行だ。……そういうことを、本論から予想できる。
( → 1月06日b の (2)

 [ 付記 ]
 オマケふうに、対称的な場合を考えてみよう。「量的緩和をやりすぎている」のではなく、「減税をやりすぎている」という場合だ。
  ・ 量的緩和のやりすぎ …… バブルと流動性の罠
  ・ 減税  のやりすぎ ……  ?? と ?? 
 という対称性が考えられる。
 そこで、考えてみると。
 「量的緩和のやりすぎ」で、投資過剰となり、バブルが発生する。同様に、「減税のやりすぎ」では、消費過剰となり、普通のインフレが来るはずだ。「バブル」のかわりは、「普通のインフレ」だ。
 「流動性の罠」のかわりは、何か? 「量的緩和が無効になる」という状況のかわりに、「減税が無効になる」という状況だ。これは、よくある話だ。たとえば、不況期の小規模な減税。(地域振興券など。) つまり、将来の不安が大きいときに、小規模の減税をしても、ほとんどは貯蓄にまわるだけとなる。(将来の不安がなければ、7割ぐらいは消費に向かう。減税の規模が大きければ、景気回復期待が生じるので、平均消費性向が一挙に上昇する。)
 ともあれ、こういうふうに、一種の対称関係を得ることができる。
( ※ 「それがどうした」と言われるかもしれない。しかし、別に、何か意味があるわけではない。ただ、位置づけをすることで、全体の見通しがよくなるはずだ。)

 [ 補記 ]
 上記では、「企業に投資意欲がない」と述べた。一方、「中小企業は金を借りられないで困っている」という話も聞く。しかし、これは、「運転資金が借りられない」ということだ。投資とは別の話である。
 つまり、「需要が縮小しているときには、いくら量的緩和をしても、投資拡大の効果はない」ということに、変わりはない。中小企業の運転資金の問題は、また別の話である。(景気拡大策ではなくて、倒産防止策。別のレベルの話。)



 [ 概説 ]
 タンク法と景気の関連について、これまで述べてきた。ここでいったん終えることとする。
 これまでの要点は、次の通り。
 《 告知 》
 明後日以降は、経済学全般の、基本的な問題点を扱う。
 非常に重要な指摘があるので、乞う、ご期待。








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「小泉の波立ち」
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