[ 2002.05.22 〜 2002.06.04 ]
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● ニュースと感想 (5月22日)
「資産インフレは、インフレをもたらさない」── このことを解説しておく。
( ※ 全否定しているわけではない。「真っ黒だ」と言っているわけではなく、「黒に近い灰色だ」と言っているわけ。)
( ※ 話の内容は、5月20日 の (3) といくらか重複する。)
5月05日 に「おこぼれ効果」という言葉で説明したが、「資産家に金が入ると、そのおこぼれをもらって、一般民衆も豊かになる」という考え方がある。しかし、これは、完全な間違いとまでは言えないまでも、ほとんど間違いである。
なぜか? 論者の意見は、「資産家は、資産インフレによって大金を得れば、その金の大部分を消費に回すので、インフレが起こるはずだ」ということだ。しかし、実際には、大金を得ても、その金の大部分を消費に回すわけではない。ほとんどを貯金してしまうはずだ。その分、景気回復効果はそがれる。
逆に言えば、「資産インフレ」によって「インフレ」を起こそうとすれば、その何倍もの大規模な「資産インフレ」を引き起こす必要がある。(つまり、メリットを取るには、同時に、ひどいデメリットを取る必要がある。)
たとえば、50兆円のインフレ効果を起こす必要があるとする。もし 50兆円を減税によって直接国民に渡せば、それに応じた十分な景気拡大効果はあるだろう。(単純なモデルでは、限界消費性向が 0.6 ぐらいになると見込める。「インフレ告知」政策と併用すれば、限界消費性向が 1.0 をかなり上回ると見込める。)
しかし、「資産インフレ」を通じて「インフレ」を起こすのであれば、大部分が貯蓄にまわって、その「おこぼれ」の分だけでインフレを起こすのだから、効果はずっと小さくなる。「おこぼれ」の率が 10%と仮定して、50兆円の消費拡大を見込むには、 10倍の 500兆円ぐらいの「資産インフレ」を起こす必要があるだろう。
(乗数効果の乗数については無視しているが、これを考慮しても、話の大略はだいたい同じ。)
つまり、「小規模のインフレ」を引き起こすために、「大規模な資産インフレ」を引き起こす必要がある。 ( → 5月20日 の (3) )
この実例となったのが、バブル期だ。当時、株価は異常に暴騰し、土地も異常に暴騰した。(株価は、「土地を含み資産と見なす」という理由で上昇したから、株価の高騰も土地が原因だったわけで、土地の異常な高騰が核心だった。)
さて。土地は当時、正常な価格のだいたい5倍ぐらいに上がったと見ていいだろう。これほど大規模な資産インフレが発生したのに、インフレ効果はごく少なかった。消費者物価の上昇率は 2% 程度にすぎなかった。
なぜか? 資産家はいくら金を得ても、大半の金を貯蓄して、消費にはあまり回さなかったからだ。金は貯蓄されて、さらに土地投機(土地転がし)のために使われるばかりだった。金は資産市場と金融市場の間で、ぐるぐる回るだけだった。その金が商品市場に回る分は少なかった。つまり、設備投資に回る分も少なかったし、自動車や電器などの実需に回る分も少なかった。
かくて、景気刺激効果はあまりないまま、資産インフレばかりが異常にふくらんだ。そして、そのすえにたどりついたのは、バブル破裂である。
結局、「資産インフレ」で起こるのは、「いつか来た道」である。つまりは、次のことだ。
- 一部の資産家が、金を湯水のごとく浴びて、贅沢をする。
- それでも金は使い切れない。大半の金は貯蓄に回される。
- 貯蓄された金は、投機に回されて、資産インフレをスパイラル状に拡大させる。
- 一般国民は、資産家のおこぼれをもらって、いくらか豊かになる。
- 一般国民は、「富の配分変更」によって、資産家が得をした分、損をする。 ( → 5月06日 )
- 一般国民の損は、「労働時間が過大になる」「時間を失ったほどには、金を得られない」という形で、発生する。(ただし、損をしても、景気の好転により、所得は向上する。安月給で働くようなもので、手に入る金自体は増える。)
- 結局、国民は、金ではなく、時間を奪われる。その典型が、「過労死」である。
- 最後に、バブルが破裂する。発生した莫大な損失は、国民全体で分かちあう。デフレの苦しみも、国民全体で分かちあう。
つまりは、「資産インフレでインフレを起こそう」というのは、「またバブルを発生させよう」ということであり、「またバブルを破裂させよう」ということなのだ。いつか来た道。
結語。
「資産インフレによって、インフレが起こる」ということはない。そういう効果は、少しはあるが、たいしてあるわけではない。資産インフレによって、インフレを起こそうとすれば、ひどい資産インフレを起こさなくてはならない。メリットよりもデメリットの方が強く出る。
( ※ 効果がまったくない、と全否定しているわけではない。)
[ 付記 ]
「資産家」にも、2種類があることに注意しよう。
上記で述べた「得した資産家」というのは、実際に資産を売った人のみである。資産を売らなかった人は、たとえ資産を持っていても、「資産家」とは見なされない。「国民の大半は、株や持ち家があるから、資産家だ」という説は成立しないのだ。
たとえば、自宅やアパートを持っていても、それを売るつもりのない人は、たとえ地価が暴騰しても、消費を増やすことはない。自宅を持っている人は、別に、毎月のローン返済額が減るわけでもないし、かえって固定資産税が増えて損するだけだから、消費を増やすことはない。アパートを持っている人だって、それで家賃を上げることができるわけではないから、消費を増やすことはない。(ま、家賃を1割ぐらい上げることはできるかもしれないが、たいしたことはない。)(そもそも、家賃を上げれば、その分、アパートの間借り人の消費が減るから、差し引きして、少しも消費拡大効果はない。)
結局、実際に土地を売った人だけが、「資産家」と見なされる。(株でも同様。)
ただし、錯覚がある。( → 5月07日 )「売ってもいないものを、売ったつもりになる」人がいる。一種の妄想狂である。こういう人が、消費を増やす。その分、消費拡大効果は、たしかにある。
しかし、消費を先食いした分、あとで「あれは夢だった」と気づいて、愕然とする。貯蓄が減っていることに気づいて、消費を急に縮小する。……つまりは、「消費の先食い」による、経済の大変動が発生するだけだ。(いつか来た道。)
[ 注記 ]
本項で述べたことには、「資産インフレ」を発生させる方法は、関係ない。「量的緩和」でも、「日銀による土地の買い占め」でも、話は同様でなる。
● ニュースと感想 (5月23日)
「資産インフレは富の増大をもたらさない」── このことを解説しておく。
「資産デフレのせいで景気が悪化したのだ」という説がある。その根底にあるのは、「資産デフレは富の減少をもたらす」、つまり、「資産インフレは富の増大をもたらす」という考え方だ。しかし、これらは正しくない。
なぜか? 資産インフレは、名目価格の上昇をもたらすだけだからだ。その意味で、資産インフレはインフレと同類である。
インフレにおける事情を示そう。
たとえば、今、貨幣量を急上昇させて、物価を上昇させたとする。大幅に貨幣が増えて、物価が2倍になったとする。では、このことで、国民の富は増えるか? もちろん、まったく増えない。ただの1円分も増えない。単に名目価格が上昇しただけだ。
( ※ 物価上昇にともなって、景気が良くなって、生産が増えれば、国民の富は増える。しかしそれは、生産が増えたことによる、富の増加だ。物価が上昇したことによる、富の増加ではない。たとえば、生産量が最大限度であり、これ以上生産が拡大できないときには、いくら物価を上昇させても、国民の富は少しも増えない。)
同じことを背理法で示す。
仮に、インフレが富の増大をもたらすのであれば、ハイパーインフレにすればいい。昔のドイツのように、物価上昇率を 1000% ぐらいにする。10倍だ。国民の収入は 10倍になる。(支出も 10倍になる。)で、それで、富は増えるか? もちろん、ちっとも増えない。
こんなことは、馬鹿でもわかる。物価上昇が起こったとき、「富が増えた」と思うのは、よほどの阿呆だけであろう。
ところが、である。それにもかかわらず、資産インフレについて、経済学者は阿呆と同じことを主張するのだ。
多くの経済学者は、こう主張する。
「貨幣供給量を増やして、資産インフレを起こせ。資産の名目価格を急上昇させよ。そうすれば、国民の富が増大する。だから景気が良くなる」と。あるいは、同じことを逆に言って、「バブル破裂で、資産の名目価格が急減して、資産デフレが発生した。だから、景気が悪くなったのだ」と。
彼らは、「貨幣供給量を増やして、景気を過熱させよ」というふうにマネタリストらしい主張をするが、実は、基本中の基本を理解していないのだ。つまり、「貨幣供給量では、名目価格の上昇が発生するだけで、実質的な富は増えないのだ」ということを理解できないのだ。
マネタリズムの基本は、「貨幣数量説」である。彼らは、これを理解できないのだ。「貨幣数量説」の核心は、こうだ。
「価格(物価)と貨幣供給量は、比例する」
今、貨幣供給量を増やしたとする。その貨幣が、一般商品市場に流れ込めば、一般商品の物価が上がる。一方、その貨幣が、一般商品市場に流れ込まず、資産市場にだけ流れ込めば、(一般物価は上昇しないまま)資産価格だけが上昇する。……このとき、資産市場では、資産価格がどんどん上昇するが、それは単に「名目価格」が上昇しただけである。少しも富が増えたことにはならないのだ。── この点は、一般商品市場で、貨幣供給量の増大で、名目価格が上昇するだけであるのと、まったく同じである。(だから「資産インフレ」と呼ぶのであり、「資産の増大」とは呼ばないのだ。)(もし「資産の増大」があるのならば、土地の面積が急に増えたり、土地の利便性が急激に良くなったりするはずだ。実際には、そういうことはない。単に名目価格が上昇するだけだ。)
結語。
貨幣供給量を増大させたとき、その貨幣がどこに流れ込むかで、状況は変わる。その貨幣が、一般商品市場に流れ込めば、一般商品の名目価格が上昇して、「インフレ」となる。その貨幣が、資産市場に流れ込めば、資産の名目価格が上昇して、「資産インフレ」となる。……いずれの場合も、単に名目価格が上昇しただけであり、富が増えたわけではない。
( ※ かくて、「資産デフレによって、富が消失した」という説は、成立しないことになる。もちろん、「資産インフレを起こせば、富が増えるので、景気が回復する」という説も、成立しない。)
[ 付記 1 ]
反論もあるだろう。「資産インフレがあれば、実際に人々は消費を増やすのだと、統計的に実証されている」と。
なるほど、それは事実だ。たしかに、バブル期には、資産インフレにともなって、消費が増えた。しかし、それは、二つの理由による。
・ 貨幣供給量の増大によるインフレ効果。
・ 資産インフレを「富の増大」と錯覚したことによる消費増加。
前者は、貨幣供給量の増大による、ありあまる資金が、資産市場でなく一般商品市場にも向かっただけのことだ。別に、資産インフレがインフレを起こしたわけではない。どちらかと言えば、「資産インフレのせいで、貨幣供給量の増大が食われてしまって、インフレ効果が抑制された」と見るべきだろう。つまり、資産インフレは、インフレに対しては、拡大よりも縮小の効果がある。(「貨幣供給量増大」による手柄を、「資産インフレ」が横取りして、「自分の手柄だぞ」と主張しているわけ。本当は、手柄を立てるどころか、足を引っ張っていただけなのにね。)
後者は、錯覚による効果である。たしかに、錯覚のせいで、国民は消費を増やす。しかし、資産インフレは、実質的には富の増大をもたらさないのだから、しょせんは、いつかは妄想ははじける。となると、その時点で、消費を減らす。……結局、妄想ゆえに、将来の消費を先取りしていただけのことだ。自分は金を持っていないのに、「金が増えた」と錯覚すれば、一時的に消費を増やすだろうが、「実際は金が増えていなかった」と気づけば、そのとき消費を減らす。現在と将来を合計すれば、消費はちっとも増えない。
それでも、「錯覚による効果はちゃんとあるぞ」という説もあるだろう。つまり、「資産インフレを起こせば、人々が錯覚するので、景気が良くなる」というわけだ。
その説は、たしかに成立する。しかし、錯覚に依存して、人々を間違った行動に走らせようというのは、どう考えたって、まともな経済政策ではありませんね。
当然、いつか、人々は錯覚に気づく。「金がたっぷりある」と思って過剰消費していたが、実は「たっぷりあると思った金は幻だった」と気づく。かくて、あとで、身の破滅を招いたり、サラ金に追い立てられたり、家庭崩壊を起こしたり、自殺したりすることになる。……それはすべて、マクロ経済学者が「資産インフレで富が増える」と嘘を付いて、だましたせいなのだ。(今また、同じ嘘を付いて、だまそうとしていますけどね。)
[ 付記 2 ]
別の反論もあるだろう。「実際に高値で資産を売った人がいる。彼らは、得をする。だから、資産インフレによって、富が増えるのだ」と。
しかし、これも勘違いである。このことについては、明日分で詳しく解説する。
[ 付記 3 ]
錯覚する経済学者の実例を示そう。どうも、最近、一番羽振りのよさそうな人がいるので、その人を示す。たとえば、次の文書だ。( → 岩田規久男の説(pdf) )
この文書には、「逆資産効果とバランスシートの悪化を通じて個人消費を抑制する」と書いてある。つまり、「資産デフレと帳簿の赤字により、個人消費が縮小した」というわけだ。── こういうふうに、もっともらしい経済学的な説明を付ける。たしかに、もっともらしい。数式つきのモデルまである。しかし本当は、「資産デフレの効果」というのは、「妄想から現実に戻った」というだけのことなのだ。それこそが本質なのだ。(先に本項で述べたことを参照。)
国民は、「資産価値が減少したから、やむをえず消費を減らした」のではない。「資産価値が増大したと妄想して消費を過剰にやっていたら、実際には資産価値の増大なんかないと気づいた。過剰消費のせいで、貯蓄が減っていた。そこで、あわてて、現実に合わせて、過剰消費をやめて、消費を引き締めた」というだけのことだ。(引き締めすぎでもあるが。)
「資産デフレはけしからん」と多くの経済学者は言う。とんでもない話だ。妄想から現実に戻るのは、悪いことではないし、むしろ好ましいことだ。「また妄想に戻ろう」ということこそ、ずっと悪い。悪いというより、狂っている。
とにかく、最初に述べた通り、「資産デフレは、富の減少をもたらさない」のだ。このことがよく理解できない読者は、最初からまた読み返してほしい。
資産デフレが発生したとしても、一国全体の土地の面積が減ってしまったわけでもないし、資産デフレのせいで企業の採算性が悪化したわけでもない。……そういう根本を理解するべきなのだ。「帳簿の数字が現実を決定する」とか、「帳簿の数字を書き換えれば、企業の収益が良くなる」なんて思うのは、経済学者の悪い癖である。(粉飾決算狂。)
[ 付記 4 ]
株については、どうか?
株は、土地とは事情が異なる。株式総額が下がっているが、これは、全企業合計の価値が下がっているからである。そして、それは、企業が経営を失敗したからと言うよりは、単に政府がマクロ政策を誤って、企業の収益悪化を招いているからにすぎない。
だから、話はごく簡単だ。「マクロ政策を正しくやって、景気を回復させればよい。それで株価も上がる」という結論になる。
一方、これを逆にして、「株価上昇 → 景気回復」なんて思うのは、狂気の経済学だ。(こう思う人が多いが。)
● ニュースと感想 (5月24日)
前日の続き。
「資産インフレは富の増大をもたらさない」── と前日述べた。これに対して、
「資産インフレがあれば、資産家はまさしく利益を得るぞ。単に名目価格が上昇するだけでなく、現実の売却益が資産家の手に入るぞ。その分、資産インフレによる、富の増大があるはずだ」
という反論がありそうだ。しかし、これは勘違いである。
なるほど、実際に高値で資産を売った人がいる。彼らは、得をする。そこで、こういう人々だけを見て、「資産インフレによって、富が増えるのだ」というふうに考える経済学者もいる。
しかし、よく考えよう。たしかに、得をした資産家はいる。しかし、その分、他の誰かが損をしているのである。一国全体の富は増えてはいないのだ。貨幣供給量の増大は、富の増大をもたらさないのだ。
貨幣供給量を増大すると、一国全体の富の名目価格が上昇する。ただし、このとき、すべての名目価格が均一に上昇するわけではなく、バラツキが生じる。特に、資産インフレだと、一般商品の価格がほぼ不変で、資産の価格だけが急上昇する。こうなると、資産の価値だけが増えたように思える。
しかし、実際は、資産の価値が増えたわけではない。
第1に、売り手が得をした分、買い手は損をする。
第2に、実際に売買されない分は、富が増えたと錯覚されるだけである。
それだけのことだ。(この二点は、すでに先日でも指摘しておいた。)
- 売り手と買い手の損得
本来の価格よりも高価格で売れば、売り手は得をする。しかし、売り手が得をしたのとちょうど同じ額だけ、買い手は損をする。売り手だけを見れば、得をしたように見えるが、買い手も見れば、全体として、ちっとも富は増えていないことになる。( 100円の大根を 200円で売買しても、ちっとも富は増えないのと同じ。売り手が得をして、その分、買い手が損をするだけ。)
( → 5月04日b ,5月07日 の 第3項。)
ただし、買い手の損は、資産インフレの最中には、気づかれないものだ。( 100円のものを 200円で買っても、自分が損したと気づかない。200円の価値のあるものを所有していると錯覚する。損失の発現が猶予される。) それゆえ、「富が増えた」と勘違いする。
そして、資産インフレが終わったあとで、夢から覚めると、「土地は高値だと思ったが実は安値だった」とわかる。このときようやく、「富はちっとも増えていなかった」と気づくわけだ。(それまでは錯覚しつづける。錯覚については、次の ii
を参照。)
わかりやすく言えば、「ババ抜きのババ」である。資産インフレの最中に、他人に高値づかみをさせれば、その人は、ババを他人に渡したことになるので、得をする。しかし、高値づかみをした人は、ババをつかんだことになるので、損をする。(問題は、自分がババをつかんだと、なかなか気づかないことだ。正気の人だけが、他人にババをつかませることができる。他の人々は、葉っぱをつかみながら、「これは小判だ」と思い込む。タヌキに化かされているようなもの。)
- 売ったつもりになる錯覚
資産を売ったわけでもないのに、資産を売ったつもりになって、「自分はこれだけの含み利益を得た」と錯覚する。
しかし、実際に売るまでは、その利益は確定していないのだ。そしてまた、全員がその利益を確定させようとすれば、その利益は消えてしまうのだ。
たとえて言えば:
松嶋菜々子が結婚していないうちは、誰もが松嶋菜々子と結婚できるつもりでいる。しかし、松嶋菜々子が誰か一人と結婚してしまえば、その夢は消えて、あれは妄想だったと気づく。
馬鹿らしい話だ。しかし経済学者は、こういう馬鹿げた妄想を信じる。売れてもいない土地を売ったつもりになって、「日本全体の土地の資産価格は 1000兆円」などと計算する。「1000人の男が松嶋菜々子と結婚できれば、1000人分の幸福が発生する」と計算するのと同じ。
( → 5月05日 ,5月06日 )
この二点について、細かな説明は、次の補説で。
[ 補説 1 ]
上の i (売り手と買い手の損得) に関連して、説明を追加しておこう。
「資産インフレが起これば、景気が良くなる。だから自分も得をする」と思っている人が多いようだ。なるほど、いくらか景気は良くなるかもしれない。名目所得も増える。……となると、物価上昇が発生しても、労働時間が増えても、「金が増えた」と錯覚して喜ぶかもしれない。
ま、そこまでは、勝手に錯覚していればいい。問題は、そのあとだ。
あなたは今、売るための資産を持っているか? 場合分けして、考えよう。
- あなたが自宅を持っているだけでなく、売却用の遊休地を持っていれば? それなら、高値で売れるので、資産インフレは、たしかに得だ。(しかし、そういう人は、国民のうちでごくわずかでしかない。)
- あなたが自宅を持っていれば? それなら、「得をした」と感じるかもしれない。しかし、その自宅を売るはずがないので、資産インフレは、単に固定資産税の増加を意味するだけだ。(賃貸用のアパートを持っていても、話は同様だ。賃貸収入を得るだけであり、売る気はないので。)
- あなたが若くて、自宅を買う予定があるならば? それなら、あなたは大損をする。「3000万円で一戸建てを買おう」と思っていても、資産インフレが発生して、3倍に価格が上昇すれば、あなたは 9000万円を払わなくてはならない。6000万円の損だ。景気が回復したことで、賃金が1割ぐらい上昇しても、6000万円の損をまかなうことはできない。
そういうことだ。資産インフレは、資産を売る人は得だが、その分、資産を買う人は損だ。
私の近辺を見回しても、「まだ自宅を持っていないので、将来買いたい」とか、「今の自宅は狭いので、もっと広い家に買い換えたい」という人が大部分だ。こういう人々は、みんな、数千万円の損をする。国民のほとんどは、大損だ。
( ※ なお、単に資産を持っているだけの人は損得なし。厳密には、固定資産税の分だけ、少し損する。)
[ 補説 2 ]
上の ii (売ったつもりになる錯覚) に関連して、説明を追加しておこう。
「資産デフレが起こったので、数百兆円もの富が消えてしまった」という説がある。しかしそんなことは、ありえない。「売ったつもり」で計上した帳簿価格など、もともと意味はないのだ。なぜなら、全員がそのときの帳簿価格で売ることはできないからだ。(松嶋菜々子と結婚できるのは一人だけ。)
にもかかわらず、馬鹿な経済学者は、ここを勘違いする。それは、なぜか? ── 理由は、一般商品と資産との違いを理解できないからだ。
一般商品と資産とは、どこが違うか? それは、「資産は腐らない」という点だ。
5月21日 にも、「資産は腐らない」と述べた。それは、「買い手にとって」のことだった。今ここで述べるのは、「売り手にとって」のことだ。
一般商品は、腐る。生野菜は文字通り腐るので、売れなくなる。衣服や耐久消費財などは、型が古くなることで、比喩的に腐るので、売れなくなる( or 売値が下がる)。」……かくて、パソコンであろうと、自動車であろうと、みな腐る。
しかし、「資産」となるものだけは腐らない。土地であれ、株であれ、宝石であれ、金塊であれ、有価証券であれ、「資産」となるものは腐らない。(「腐らない」ものを「資産」と呼ぶのである。)
さて。腐るものは、いつまでも保存することができない。だから、「全量を売り切る」必要がある。一方、腐らないものは、持っていても損しないので、「全量を売り切る」必要はない。つまり、資産は、「全量を売り切る」必要がない。
ここに重大な違いが生じる。一般商品は、全量が売買される。だから、「売るか/売れ残るか」だけであり、「売ったつもり」になることはありえない。(仮に売れてもいないものを「売ったつもり」で帳簿に記載すれば、粉飾決算となる。それで損することはあっても、得することはない。) 一方、土地などの資産は、実際には売買しないまま、全量ではなく一部だけの売買だけを見て、「売ったつもり」になるものだ。
「売ったつもり」になるというのは、どういうことか? 個人なら、勝手に金持ち気分になることだ。企業なら、「資産の時価を帳簿に記載すること」だ。つまり、「時価会計」── そうすることが推奨されている。
そして、経済学者や、経営者というものは、何よりも帳簿の価格が大好きなのだ。実際の売買なんか無視して、帳簿に記載された数字だけを見て、「損した得した」と騒ぐ人種なのだ。
そういうことだ。一般の商品については、「全量を売り切る」ゆえに、その価格はまさしく利益や損失を確定させる。一方、資産については、「全量を売り切らない」ゆえに、市場全体のうちのごくわずかの取引だけを見て、実際には売買がなされないまま、その価格が成立すると信じ込む。……ここに、「錯覚」が生じるのだ。
そして、その「錯覚」は、熱狂騒ぎの最中には判明せずに、「多数の人々が売ろうとしたとき」に判明する。その値段では売れないことがわかるので。このときようやく、人々は、「あれが錯覚であった」と気づいて、夢から覚めるのである。(松嶋菜々子が結婚したとき、人々はようやく、「自分たち全員が松嶋菜々子と結婚できると思い込んでいたのは錯覚だった」と気づくのである。)(ただし、経済学者だけは、いつまでたっても、夢から覚めない。)
[ 付記 ]
わかりやすくモデル化すれば、こうだ。(資産インフレで富が増えないことのモデル。)
「トランプやサイコロでバクチをやっても、全体の富はちっとも増えない」
以下で説明しよう。
トランプやサイコロで、バクチをやったとする。当然、勝者と敗者が出る。勝者は、まだゲームが終了していないし、勘定はしていないのだが、「10万円の得」と思い込んで、「10万円の得」と帳簿に付ける。敗者は、「10万円の損」なのだが、まだゲームが終了していないので、「当面は保留」ということにして、損失を帳簿に付けない。かくて、「10万円の得」だけが帳簿上に発生する。ゆえに「全体を見れば、富が 10万円増えた」と経済学者は主張する。
勝者は、10万円を儲けた気になって、トランプをしながら、5万円の酒を飲む。これを見て、経済学者は「5万円の経済効果が発生した。景気が良くなった」と主張する。
そのあと、ゲームの調子が反転して、勝者と敗者が逆転する。元のトントンに戻る。貸し借りはチャラになる。敗者は、「10万円の損が消えて、良かった」と安堵する。勝者は、「ありゃ。10万円儲けたと思ったのに、ちっとも儲かっていない。5万円の過剰消費により、5万円の借金だけが残った。しまった」と思う。
それでも、トランプの終了後には、勝者も敗者も、損得はないので、納得する。そして去ろうとする。
そこへ経済学者が、「ちょっと」と呼び止める。そして、こう説明する。
「途中までは、富が 10万円増えていたんです。なのに、最後には、その 10万円の富が消えてしまった。これは莫大な損失だ。大問題だ。実際、勝者には、5万円の借金が溜まったわけだし、その分、消費を減らすことになる。かくて、景気は悪くなる。これを解決するために、もう一度バクチをやろう! 夢よもう一度!」
[ 補足 ]
最後にもう一度、まとめふうに繰り返しておく。
「貨幣供給量の増大で、資産インフレを起こしても、それは資産の名目価格を上昇させるだけである。」
「貨幣供給量の増大は、実質的な富を増やさない。土地の面積を増やすことはないし、土地の利便性を向上させるわけでもない。」
「貨幣供給量の増大で、資産の名目価格が上昇すると、実際に得をする少数の人が出てくる。また、『自分も得をした』と妄想する多数の人々が出てくる。それによって、一時的に経済は拡大する。ただし、その妄想の分、あとで経済は縮小する。」
● ニュースと感想 (5月25日)
「時価会計」について。(帳簿についての話。特に読まなくてもよい。)
「時価会計」というのは、私は、あまり好ましくないと思う。景気ないし妄想による過度な変動が発生するからだ。バブル期に高すぎる時価を採用するのもおかしいし、デフレ期に低すぎる時価を採用するのもおかしい。
かといって、「簿価」(取得時の価格)を採用する、というのもおかしい。
私としては、次のようにするといいと思う。
「10年前、5年前の価格を基準として、それを物価上昇率で補正したもの」
だ。こうすれば、中期的な変動を抑えられ、長期的に安定するので、かなり適正な値となるだろう。
( ※ 計算が大変なら、現在の時価に対して、政府が修正用の補正係数を示せばよい。たとえば、「現在の時価は下がりすぎているので、現在の時価に対して、1.5 倍に補正する、というふうな。ただし、長期的に保有していることが条件。短期間しか保有していないものは、適用外。)
● ニュースと感想 (5月25日b)
ダイエー続報。(読売・朝刊・経済面 2002-05-24 )
ダイエーが 99% 減資。雪印も 98% 減資。その後、別途増資。
これは、私の勧めた「 100% 減資」と実質的にはほぼ同じ。正しい措置である。ようやく、正しく解決できた。
( ※ これまでずいぶん迷走してきたものだ。4か月も無駄にした。 → 1月17日 )
● ニュースと感想 (5月25日c)
「国債残高」「国債格付け」に関する新聞コラム。(朝日・朝刊・オピニオン面「私の視点」 2002-05-24 )( 同日・読売・朝刊・経済面 にも関連記事あり。)
「日本国債の格付けが先進国中最低だというのは不可解だ」という意見。国債残高は 400兆円。自治体分も合わせて 700兆円弱。GDP比率で 120%(欧米諸国は 60%)。これだけ見ると際立って悪い。しかし金融資産も 400兆円ある。(年金積立金や外貨準備高。)差し引きした純債務残高を GDP 比率で見ると、51%だが、これはユーロ平均の 55%を下回る。また、91年から98年までの米国の純債務残高の GDP比は 50%台だが、それと比べても悪くない。……という意見。
これは、二つの点で間違っている。
第1に、「年金積立金」は、政府の金ではなく、単に国民の金を預かっているだけだから、そんなものを政府の債権に組み込むのはおかしい。(この分が巨額になる。外貨準備高などは、たいしたことはない。)
第2に、こちらが肝心だが、そもそも財政赤字や純債務は、国債格付けの判断基準とはならない。論者の意見は、「純債務を基準とすれば、不可解だ」というものだが、「純債務を基準とする」という、前提そのものが間違っているのだ。「不可解だ」としたら、理解不能な現実が間違っているのではなく、理解不能な頭が間違っているのだ。
では、正しくは? 「景気が悪いから」である。それゆえ、財政赤字が巨額になり、将来の返済能力が疑われるからである。
財政赤字そのものが問題なのではない。財政赤字にせざるを得なくなるような経済体質が問題なのだ。たとえば、金持ちが借金して単年度赤字になろうと、問題視されない。しかし、貧乏人が所得を減らして、どうしても借金せざるを得なくなったら、問題視される。……借金するか否かが問題なのではない。借金せざるを得ないという経済体質が問題なのだ。
日本が今、借金をして(民間引き受けの国債発行をして)、減税をすれば、財政赤字は拡大するが、景気回復によって経済体質は強化される。日本が今、借金を拒んで、減税をしなければ、経済体質は弱体化し、財政赤字がさらに悪化して借金返済が困難となりかねない。財政赤字そのものが問題ではないのだ。経済体質そのものを、「国債格付け」は問題視するのだ。
論者は、帳簿の数字だけを見て、経済学の分析ができない。ただの帳簿屋にすぎない。だから、いつまでたっても、「不可解だ、不可解だ」と頭をひねるばかりなのだ。こういうふうに、自己の頭の悪さを自覚しない経済学者があふれているせいで、日本の経済政策は無策なままなのである。そのことを、「国債格付け」は警告する。
( → 3月20日 「純債務」)
( → 3月08日 「返済能力」)
● ニュースと感想 (5月25日d)
「環境保護」についての経済学的な考察。
環境保護のために、リサイクルが推進されている。しかし、リサイクルには、コストがかかる。そこで、「コストをまかなうために、広告を入れよう」というアイデアがある。……たとえば、大人のおむつ。1000円の商品に広告入れて、100円下げ、コストアップの分をまかなう、という話。(読売・朝刊・家庭面 2002-05-23 )
これは本質的におかしい。いくらリサイクルが大事だからといって、1品につき 100円もコストアップするようなら、どこかで莫大な無駄が生じているはずだ。たとえば、紙のリサイクルのために、莫大な水を浪費するとか、莫大なエネルギーを浪費するとか。たとえ紙をリサイクルしたとしても、かわりに水や石油を浪費するのでは、何にもならない。ひょっとしたら、たった 20円分の紙をリサイクルするために、100円分の資源を浪費しているかもしれない。何をか言わんや。
では、どうすればいいか? 基本的には、簡単だ。エントロピーに反するようなことは、やめればよい。いったん秩序が崩壊したあと、崩壊した秩序を回復するためには、多大なエネルギーが必要となり、無駄である。そんなことは、やめる。
かわりに、「ゴミ発電」をすればいい。たとえば、集めた紙は、原則として古紙にして再生するが、牛乳パック紙のように表面コートされているものは、剥がすのに多大な手間がかかるので、再生しないで、燃やす。燃やすことで、そのカロリーをエネルギーとして回収する。このとき同時に、火力発電所では、ゴミ発電で使ったカロリーの分だけ、燃やす石油の量が減る。……結局、牛乳パック紙が、同等のカロリーの石油に変化したことになる。かくて、リサイクルは完了。しかも、余分な手間はかからないので、余分なコストもかからないし、余分な資源浪費もなくなる。すべて丸く収まる。
実は、これは、資源再生研究者の間では、常識である。(書店の新書にもある。) では、なぜ、このベストの方式が普及しないか?
それは、環境保護論者が、反対しているからだ。「紙は紙にリサイクルするべし。プラスチックはプラスチックにリサイクルするべし。ゴミ発電なんて、とんでもない」という理屈である。なぜか? 彼らは、「ゴミが石油のかわりになる」という理屈を、理解できないのだ。マクロ的な差引勘定の計算ができないのだ。あくまで、プラスチックがプラスチックに再生されるというふうに、目で見える形にしないと、理解できないし、環境保護をした気分になれないのだ。(幼稚園児並み。)
結論。
今の環境保護運動というのは、環境を保護するためにあるのではなく、環境を保護した気分になって自己満足するためにある。環境自体を良くするためにあるのではなく、彼らのお遊びとしてにある。彼らにとって、リサイクルとは、レクリエーションなのである。
たしかに、原義に戻れば、re-creation (再創造)というのは、リサイクルに似ている。これは、ほとんどジョークだが、今の環境保護運動というのも、ほとんどジョークなのである。かくて、牛乳パック紙などを再生するために、莫大なエネルギーを浪費して、環境改善のために、どんどん環境を悪化させる。それでも彼らは、「良いことをしている」と自己満足にふけることができるのだ。しょせんはお遊びなのだから。
[ 付記 ]
ついでだが、ジョークのような例は、他にもある。「スーパーのレジ袋廃止」というやつだ。なるほど、これで、レジ袋はなくなり、資源は節約される。しかし、その分、ポリエチレン製のゴミ袋を別途、購入して使うので、その分、資源は浪費される。差し引きして、どれだけ効果があることやら。ほとんど意味はないだろう。(価格を見れば、むしろ高くなる。)
どうせなら、自動車の燃料を節約した方がいい。交差点のアイドリング停止とか、過剰な物流の低減とかとか。……こちらなら、レジ袋に比べ、圧倒的な資源節約効果がある。
ただし、誰もやろうとしない。しょせんは、環境保護というのは、主婦たちの趣味ですからね。
[ 補説 ]
まじめに考察しよう。「リサイクルを促進するために広告を」という案は、妙案のよう見えても、実際はまったく無意味である。なぜか? それでリサイクルされる量は、あまりにも少ないからだ。全体の 0.01% 以下だろう。(そのまた百分の一ぐらいかも。)
これよりもっと増えることはあるか? あるかもしれないが、あればあるで、そうなったとき、今度は、広告があふれる。そうなると、広告効果が少なくなり、商品ごとの広告料が減る。 100円も出してもらえることはなくなる。(今は物珍しさから出してもらえるが。)
根本的に考えよう。「古紙に補助金を出す」という考え方が、本質的に間違っている。正しくは、「新規パルプに課税する」ことだ。そういう形で、新規パルプを抑制することで、間接的に古紙利用を促進することだ。
私のお勧めは、「輸入木材(パルプ)に課税すること」である。そして、その課税分を、全額、輸入先の相手国に還元する。ただし、相手政府には渡さない。植林のために使うよう、使途を限定する。
かくて、新規パルプの使用が抑制され、かつ、相手国の緑化が促進される。一石二鳥。
● ニュースと感想 (5月26日)
「資産インフレは、なぜ悪いか?」── その理由を示す。(「資産インフレは、別に、悪いことではない。善悪の問題ではない」と思っている人が多いようなので。)
そもそも、「資産投資」は、経済活動と言ってよいのか?
「資産投資」というものが、普通の経済活動であるならば、損した人が出ようと、得した人が出ようと、それは各自の問題であって、いちいち他人が口を挟む必要はない。得のできる人は得をすればいいし、損しかできない人は損をすればいい。……その点、普通の経済活動における損得と、まったく同じである。誰が金を儲けようと、誰が失敗して破産しようと、知ったことではない。 It's none of my business.
しかし、「資産投資」というものは、普通の経済活動ではないのだ。実際、何らかの生産をするわけではない。土地はそのまま不変で、単に所有者が変わるだけだ。……こういう経済行為は、普通の経済活動ではなくて、「投機」と呼ばれる。俗称で言えば、「バクチ」である。
さて。「資産投資」は「投機」である。では、投機であると、なぜ悪いのか? 倫理的でないからか? いや、そんなことは、倫理的な良し悪しにはなっても、経済学的な良し悪しとはならない。
「投機は経済学的に良い」と信じている人もいる。「投機もまた経済活動だ。それは、価格の変動を抑えて、市場価格を安定させる」というふうに。
こういう考え方は、成立するかもしれないが、あまりにも純真すぎる。嘘つきの集団のなかで、「他人はみんな正直だ」と信じるようなものである。あまりにも単細胞で幼児的だ。
実は、「投機は良い」とも言えるし、「投機は悪い」とも言える。では、正解は? 「投機には、良い投機と悪い投機がある」ということだ。詳しくは、「市場を安定させるための投機は、良い投機。市場を不安定にさせるための投機は、悪い投機」となる。
実例を示そう。
株で、風評というものがある。ある株をどんどん買い占めておいてから、適当な嘘の風評を出回らせて、株価を釣り上げる。風評を聞いた初心者や、株の上がったのを見た初心者が、わっと集まって買う。提灯買い。そこで、最初の風評を流した相場師は、売り逃げる。……つまり、「不安定」状態をあえて作り出して、ボロ儲けする。
ここで、ちょっと頭の働く人は、「風評なんか信じるものか」と思って、値が上がったところで、空売りをする。ところが、悪賢い相場師は、空売りした株を買い占める。(あらかじめ買い占めが可能なような小さな会社に狙いをつけておく。)市場に出回る株は、ごくわずかとなる。このの株を、買い占めて、異常に高騰させる。このあと、空売りした人は、一定期間後に、買い戻さなくてはならないので、高値で買い戻し、莫大な損をこうむる。……ここでも、「不安定」状態をあえて作り出して、ボロ儲けするわけだ。( ※ これを「仕手戦」と言う。昔はこれが可能だった。今では禁止されているが。ま、当然だろう。「不安定化させる投機は悪だ」ということが法的に示されたわけだ。)
別の例を示そう。
為替市場で円の対ドルレートが変動する。ここで、長期的に円を安定化させる方向に日銀が介入することは、良いことだ。しかも、そうすれば、「高いときに売って、安いときに買う」ことになるから、介入による利益が出る。(たとえば、急に円高が進んだときに、円安介入して、元の水準に戻すこと。)
一方、不安定化させる方向の介入することは、悪いことだ。いくらか円安が進んだときに、「もっと円安にしろ」というふうにすれば、市場に悪影響を及ぼす。これは、「高いときに買って、安いときに売る」ことになるから、介入による損失も発生する。
また、不安定化の例でも、介入とは別のケースがある。政府ではなく民間資金による場合だ。つまり、海外投機筋から投機資金が流入する場合だ。たとえば、円が固定相場制で、異常に円安の「1ドル=360円」になっていたとする。ここで、「これでは不自然だ」と思った海外資金がわっと押し寄せて、円を買う。その直後、過剰なマネーでインフレが発生すると、日本はもはやこの固定レートを維持できなくなるので、「1ドル=240円」に切り上げる。すると、短期間で円の価値が上昇するので、海外投機筋は莫大な利益を得る。(2ドル払って、3ドルを得る。)と同時に、その分、日本には莫大な損失が発生する。(1ドルを得るのに、240円で済むところを、360円も払っていた。つまり、溜まる外貨が、本来の 3分の2 に減ってしまった。)
ここでも、「不安定」状態をあえて作り出して、ボロ儲けすることができるわけだ。
別の例もある。(読売・朝刊・解説面 2002-05-24 )
米国の電力自由化で、電力の売買市場ができた。エンロンは、この市場で、意図的に市場を逼迫させ、価格が暴騰したところで、売り戻した。── ここでも、「不安定」状態をあえて作り出して、ボロ儲けしたわけだ。 (ただしそのあと、相場の失敗で、莫大な損失を出した。莫大な赤字の尻ぬぐいは、一般国民に任された。しかし経営者だけは、倒産する前に、超巨額の報酬を得た。最高の詐欺師。)
以上の例では、いずれも、市場を不安定化させた相場師が巨額の利益を得て、その分、他の人々が損失をこうむった。損と得の量は釣り合う。一方が得をした分、他方が損をする。
土地も同様である。
土地は、単に将来の収益性とか、具体的な用途とか、そういう実用性を考慮して買うのならば、問題はない。しかし、「土地転がしが流行っているから」というような理由で「投機」をすることは、悪いことだ。なぜなら、「不安定」状態をあえて作り出して、ボロ儲けする、ということが、ここでも成立するからだ。
そもそも、投機にとって一番得なのは、バクチをして、「得になったら、オレのもの。損になったら、他人のもの」という方法だ。そして、それが可能なのだ。
どうやるか? まず、土地転がしをする。これは、しょせんは、「ババ抜きのババ」みたいなものである。誰か他人につかませれば、勝ち。最後まで自分でつかんでいれば、負け。いつ「最後のとき」(バブル破裂のとき)が来るかは、わからない。
これはただの「投機」ないし「バクチ」である。あたるも八卦、あたらぬも八卦。まともな人間なら、こんなバクチはしない。しかし、抜け目ない詐欺師は違う。
土地転がしを、自分ではやらずに、(自分の)企業にやらせる。もし企業が、ババを他人につかませれば、企業には利益が発生する。そこで、その利益を、自分のものにする。もし企業が、ババを他人につかませることができなければ、企業には莫大な赤字が発生する。しかし、それは、自分で負担する必要はない。倒産させるとか、土地を買うための金を踏み倒すとかいう方法で、赤字を負担しないでおく。つまり、企業を「不良債権」にする。そして、そのまま、おさらば。
かくて、損失は、債権者(銀行など)に尻ぬぐいさせる。実は、詐欺師はそれまでに、さんざん金を貯め込んでおいたから、その金をつぎこめば、かなりの返済が可能なのだし、尻ぬぐいは可能なのだ。しかし、詐欺師は、そんなことはしない。「利益が出たら、オレのもの。損が出たら、他人のもの」という主義である。
というわけだ。かくて、バブルが破裂したあとには、富の再配分が起こる。詐欺師には多額の利益が残り、銀行(など)には多額の不良債権が残る。その不良債権という形の莫大な赤字は、もちろん、国民全体で尻ぬぐいする。多くの国民は、ひどい目に遭うが、詐欺師だけは、高笑い。「ガハハハハ」
だから、詐欺師は、ヒゲを撫でながら、今また虎視眈々と狙っているのだ。「ふたたび資産インフレよ起これ!」と。なぜなら、そうなれば、ふたたび市場を不安定化させて、大儲けすることができるからだ。そのあとで、「利益が出たら、オレのもの。損が出たら、他人のもの。だ〜から世界はオレのもの」と歌うのだ。
結語。
投機は、生産活動ではない。何一つ物を生み出しはしない。投機が生み出すのは、詐欺師の利益と、国民全体の損失である。
私は以前、「資産インフレは資産家にとって得だ」と述べた。しかし、本当は、「資産インフレは、詐欺師にとって得だ」というのが正しい。
たいていの資産家は、「売っていないのに売ったつもりになる」だけであり、「得していないのに得した気分になっている」だけである。妄想をしているだけであり、損も得もしていない。
しかし、詐欺師はまさしく、「売って得する」のだ。そして、「売れずに損する」分は、自分では負担しないで、銀行に「不良債権」として押しつけるのだ。
それが「資産インフレ」というものだ。だからこそ、今、われわれは、「多額の不良債権」という負債に苦しんでいるのである。── そして、この不良債権は、無理矢理押しつけられたものではない。われわれが愚かだから、「資産インフレ」を招くことで、あえて不良債権を引き受けたのである。
( ※ ここでは、「われわれは愚かだ」と述べた。こう言うと、「愚かな集団のなかに、僕を引き込まないでくれ」と反論する読者もいるかもしれない。しかし、その読者も、「不良資産」という損失を、銀行や企業を通じて間接的に引き受けているのだし、被害をこうむっているのだから、その読者もまた、たしかに「愚か」であるのだ。自分の愚かさを理解しよう。なお、「自分は愚かではない」と主張できるのは、バブル期にさんざん儲けた詐欺師だけだ。)
( ※ 要するに、資産インフレが発生すると、国民は、「愚か」か「悪い」か、どちらかになるわけだ。)
[ 余談 ]
たとえ話。
昔々、欲張り爺さんがいました。「お金がほしい、お金がほしい」と日頃ずっと望んでいました。するとある日、打ち出の小槌を拾いました。打ち出の小槌を振ると、「資産インフレ、資産インフレ」という声が出て、小判がどんどん出てきました。欲張り爺さんは、大喜びで、小判を使って、贅沢をしました。経済学者も保証しました。「爺さん。あんたの家は、急に価値が増えたのだ。贅沢をしなさい」と。
さんざん贅沢をしたあとで、気が付いてみると、欲張り爺さんの家は、すっかり抵当に入っていました。家にはペタペタと「差し押さえ」という赤紙が貼りつけられています。やがて、執行吏が来て、追い出しました。
「出ていけ」
「でもここは、わしの家だぞ」
「差し押さえられたんだよ。不良債権処理の抵当でね」
「なぜ!」
「さんざん小判を手に入れて、贅沢をしただろうが」
「あれは打ち出の小槌でもらったんだ」
「打ち出の小槌で、富が増えると、本気で信じているの? そんなはずがないでしょうが。打ち出の小槌は、紙幣を印刷することはできるが、米や麦を生産することはない。そんなことは、馬鹿でもわかる。わからないのは、経済学者だけだ。」
「でもわしは、経済学者を信じたんだ」
「信じたあなたが馬鹿だったってこと。これまで、さんざん贅沢して、浪費して、楽しんだだろ。その報いは、当然受ける。当たり前だろうが。富は湧いて出てくるわけじゃないんだから。」
「あのときは確かに、小判を手に入れたんだ!」
「だから今はその分、不良債権処理をするのさ。大儲けした分、大損する。そういうことさ。帳尻は必要だよ」
欲張り爺さんは、途方に暮れて、手にしているものを見つめました。打ち出の小槌。そう思っていたのですが、それは今では「量的緩和」と書いてある金槌になっていました。
「ああ、経済学者を信じたわしが愚かだった。タダで資産が増えると、ホラを吹いた経済学者なんかを、どうして信じたんだろう。まったく愚かだった」
爺さんは、金槌で頭を打って、そのままポックリ逝ってしまいました。
● ニュースと感想 (5月27日)
前日は、「資産インフレは悪い。その理由はこれこれ」と述べた。
では、その話の本質は?
何であれ、相場というものは、なるべく安定させるべきものなのだ。「資産インフレ」というのは、それとは逆で、基本的には「資産価格を実勢以上の価格に上げよう」とするものである。つまり、「相場を不安定にさせよう」というものである。
そして、相場を不安定にすれば、山と谷の差に相当する変動が発生する。この変動によって、誰かが利益を得て、誰かが損をする。
それを詐欺師は狙う。詐欺師は、自分が利益を得て、他人が損をするように取りはからう。たいていの人々は、それに引っかかる。なぜなら、人々は、「自分は利口だ」と自惚れているからだ。自惚れ屋ほど、だましやすいものはない。
一番の自惚れ屋は、誰か? もちろん、経済学者だ。彼らは、「資産インフレは正しい」と主張する。詐欺師にとっては、最高の支援者だ。
[ 補説 ]
なぜ相場が不安定になることが起こるか? 市場経済のもとでは、最適の均衡点で安定するはずなので、相場は安定するはずではないか?
答えを言おう。市場経済で、安定するのは、市場が「安定型」の場合であるときだけだ。それは必ずしも成立するわけではない。成立するには、二つの前提がある。
(1) 市場では、なめらかに価格変動すること。
(需給の変動に対して、なめらかに価格変動が起こること。)
(2) 需給の変動が、市場を歪めない範囲であること。
(個々の参入者の規模が、市場全体に影響しないほど小さいこと。)
普通の市場では、これらは成立する。しかし、成立しない場合もある。
(1) 独占状態 etc. の理由で、価格や量がなめらかに変動しない場合。
(2) 市場が小さい割には、参入者の規模が大きく、市場が歪む場合。
(雪崩を打って、同一方向に変化する場合。)
特に、 (2) の場合が問題だ。普通の市場なら、買い手は一人一人の消費者にすぎない。しかし、円相場などの市場では、買い手は巨額のマネーを動かして、一人で相場の流れを作ることができる。その流れを見たとき、「棒線グラフ」などを信じる他人が、その流れを増幅させる。
この場合、市場は「安定型」とは逆の「不安定型」となる。こういう場合には、相場師の介入で、その介入が増幅され、市場が大きく変動する。
そういうことだ。こういう状況では、「安定型」にはならず、均衡点で落ち着くことはないのである。むしろ、「不安定型」であるゆえに、大きく上がったり下がったりするものだ。(実際、円相場というものは、投機的な思惑によって、上がりすぎたり下がりすぎたりする。)
なお、それでも「市場経済は必ず安定的だ」という妄想を持つ人のために、実例を示そう。
離島経済を考えるといい。住民が 20人ぐらいしかいなくて、市場規模がごく小さい。こういうところで、荒天などで外部との交流が途絶えた状態で、誰かが買い占めを行なったとする。どうしても食糧や燃料が必要なので、需給が逼迫する。そして、価格が高騰したところで、売り手が少しずつ売りに出す。……かくて、市場を不安定化させることで、彼は大きな利益を得る。
こういうケースがあるのだ。「市場経済は必ず安定的だ」ということはないのだ。
( ※ 「資産インフレ」では、どうか? 全員が妄想をもっているわけだから、全員が介入しているのと同じ状況である。全員が、「自分こそは利口な相場師だ。他人にツケを回してやれ」と思い込む。そういうふうに「自分は利口だ」と自惚れる間抜けぞろいだから、彼らはこぞって損をするのである。)
( ※ 「資産インフレ」は、不安定型だから、当然、大きく上がって、大きく下がる。それが当然だ。ただし、素人と経済学者だけは、「資産価格はずっと上がりつづける」「資産バブルは永久に破裂しない」と信じ込むのである。)
● ニュースと感想 (5月27日b)
相場への「介入」について。( 本日の前項 のつづき。特に重要な話ではない。)
原則として、「安定化させるため」の介入であれば、良いことだ。 たとえば、株価が過剰に下落したり、地価が過剰に下落したりすれば、政府が介入するのも、良いことだ。つまり、過度の資産デフレが起こっているときは、資産インフレを起こすように、政府が介入しても良い。……そう言ってもよさそうだ。
ただし、現状を見ると、別に、株価や地価は、過剰に下落しているとは思えない。株価収益率や土地収益率による理論価格と比べると、低すぎるわけではない。となると、「政府の介入による価格操作は正当だ」とも言えなくなる。
となると、このあたり、判断は分かれるだろう。
一方、別の理由もある。そもそも、「景気が悪いから、株価収益率や土地収益率が低い」という事情はある。そして、それならそれで、話の筋から言って、「景気を回復する」という方が先決だろう。── つまり、「資産価格上昇によって景気回復を」というのは、話の順序が逆である。
だいたい、株や土地を買い占めても、たいして景気回復効果は出ない。「減税」ならば、もっと確実に明確な効果が出る。やはり、こちらの方が、ずっと賢明な策だろう。
資産インフレを起こす(資産デフレをつぶす)ための介入は、必ずしも悪くはないが、賢明ではない。
結語。
政府の介入による資産価格の釣り上げは、価格の下落した局面では、必ずしも悪いとは言えない。(株式保有機構とか、土地保有機構とか、RCCとか、そういったものは、その資産の総額が、将来的に値上がりを見込めるようであれば、必ずしも悪いわけではない。)
ただし、同じ金を使うにしても、それは、非効率である。どうせ金を使うなら、もっと公平かつ有効である「減税」に使った方が、ずっと賢明である。
[ 付記 1 ]
「将来的に値上がりを見込めるのなら、利益が出るはずだ。介入で利益が出るのなら、なぜ介入を批判するのか」と思う人も出るだろう。
答えは、何度も示したとおり。政府の介入により、資金が投入されて、資産価格の釣り上げが発生すると、景気回復効果は出る。たしかに、それはそうだ。
しかし同時に、物価上昇がいくらか発生するのだ。(物価上昇こそ、景気回復効果の結果だ。)
結局、国民全体としては好ましい結果になるとしても、一部の資産家が集中的に得をし、同時に、国民の大多数は、物価上昇の分、損をする。……だから、投機をする一部の資産家だけを優遇するより、国民全体を優遇する方が、賢明だということだ。(このことは、以前も述べた。 → 5月06日 )
比喩的に言えば、こうなる。「金持ちに大幅減税して、庶民に小幅増税すれば、国民全体としては減税となっても、経済全体は縮小する。」
たとえば、シーマやセルシオなどの高級車が 10万台ぐらい馬鹿売れするだろうが、そのかわり、大衆車が 100万台ぐらい売れなくなる。なぜなら庶民は、物価上昇効果で損するからだ。(このとき、減税した金の大部分は、金持ちの預金口座に貯まるだけだ。ゆえに、金持ちの消費増よりも、庶民の消費減の効果が大きい。かくて経済全体は縮小する。)
金持ちはたっぷり金を手に入れるが、貧者はひどく金を失って、どんどん乞食になる。哀れな乞食に、金持ちは金を恵む。こういう状況を見て、「乞食は金を恵んでもらえる! 貧富の差が拡大するのはすばらしい! 乞食が増えるのはすばらしい!」と主張するのが、たいていの経済学者だ。
( ※ これはあくまで、比喩である。実際には、乞食は、法律で禁止されている。)
[ 付記 2 ]
なお、資産相場ではなく、円相場については、円が急激に高くなったり下がったりすれば、介入することは正しい。基準価格は、過去数カ月の円相場だから、基準もはっきりする。
( ※ 「安定化」のための介入は正しく、「不安定化」のための介入は正しくない。前述の通り。── このことは、「円相場」については、強く当てはまる。相場そのものが不安定型の構造を持つからだ。 → 本日の前項 の[ 補説 ] )
● ニュースと感想 (5月28日)
ニュース雑感。「個人情報保護法案」について、私見を述べる。
この問題は、政治家とマスコミが対立している。
・ 政治家 …… 「自分たちの恥部を報道されたくない」
・ マスコミ …… 「政治家の恥部をあばいて、金儲けしよう」
このいずれにも、私は賛成しない。私の立場は、「政治家のためでもなく、マスコミのためでもなく、国民のため」である。── ゆえに、次のように主張する。
(1) 公人と一般国民とを区別するべきだ。
(2) 一般国民のプライバシーや人権にもっと配慮するべきだ。
この2点を、私は主張する。
( ※ 参考記事: 読売・朝刊 2002-05-26 。なお、読売新聞は、独自に修正案を出し、それが首相の目に止まって、政府改定案のベースとなっている。この案も、私は不十分であると思う。)
マスコミはやたらと「報道の自由」と主張する。しかしそれは、ただの「業界の都合」でしかない。土建産業が「われわれは国民のために建設する」と自慢するのと同様で、マスコミは「われわれは国民のために報道する」と自慢する。まったく、自惚れも甚だしい。「報道の自由」なんてものは、しょせんは、マスコミ業界の都合にすぎない。むやみやたらと、何でもかんでも、好き勝手に報道していいわけではない。人権に配慮すべきだ。そこを自覚するべきだ。
「報道の自由」が「人権の保護」を少しでも侵害していいのは、相手が公的な存在である場合だけだ。一般私人の場合は、話が異なる。たとえその報道が、公共の関心を引くとしても、公人でない私人については、個人情報をやたらと報道することは許されない。……これが私の立場だ。
たとえば、政治家が二号さんを持っていたり、裏で情事をしたりしているのは、私としては、知りたくもないが、「政治家にだまされたくないから知りたい」という要求を拒むほどではないと思う。報道を禁止することはあるまい。何しろ、相手は政治家なのだから。(日頃、有権者をだましてばかりいるような人物など、立派なことを言う資格はない。)
しかし、公的権力を持つ政治家ならいざ知らず、そうでもない人々についてまで、やたらとプライバシーを暴くことは、許されない、と私は考える。たとえば、事件の被害者。スポーツマン。タレント。世間の有名人。……こういう人々の「有名人のプライバシーを知りたい」という欲求もあるだろうが、それは、ただの覗き屋根性だ。出歯亀根性だ。下品。低劣。
こういうのは、報道すればするほど、世の中が悪くなる。たとえば、悪賢い金持ちがいて、「美人の彼女のヌードを撮影したいな」と思って、彼女を金の力で有名人に仕立てたてたあげく、こっそり盗み撮りして、報道する。……なんていう、出歯亀犯罪が、「報道の自由」の美名で、堂々となされるようになる。そういうのが、今のマスコミの立場だ。
もっと具体的な例を挙げよう。ある有名な映画監督が、裏で情事をしていたのを盗み撮りされ、写真週刊誌に掲載された。盗み撮りしたカメラマンは、百万単位の大金を入手したし、週刊誌も大儲けした。しかし、映画監督は、プライバシーを暴露され、徹底的に傷ついた。腹立ちを抑えきれず、編集部に殴り込みをかけた。傷害罪やら、器物破損罪やらで、逮捕され、有罪。監獄行き。
しかし、彼は被害者だったのだ。他人の金儲けのダシに、自分のプライバシーを暴露された。彼が誰と情事をしようと、世間には何の影響もない。単に覗き見根性が満たされるだけだ。そんなことのために、人の心をひどく傷つけていいはずがない。
金を奪うことより、もっと悪いことは、心を傷つけることである。
なのにマスコミは、人の心を傷つけるのに構わず、プライバシーをあばこうとする。しょせん、マスコミの「報道の自由」「表現の自由」というのは、その程度のものだ。いくら美名で飾っても、本音は、「金儲けをしよう」ということだけだ。「視聴率を上げよう」「部数を増やそう」「金儲けをしよう」と思っているだけだ。「他人のプライバシーを侵害すればするほど、自分の財布が豊かになる。他人を犠牲にして、自分だけが儲ければいい」というわけだ。彼らは社会のダニだが、自分が社会のダニであることを認めるのは気恥ずかしいから、自分の良心を偽るために、「報道の自由」なんて言葉を掲げる。
だから読者に忠告しておく。こういう品性下劣なマスコミの論調にだまされてはいけない。「そうだなあ、報道の自由は大切だなあ」なんて思っていると、あなたもいつか、事件に巻き込まれたとき、マスコミにさんざんプライバシーを侵害されかねない。彼らの目的は、単に「視聴率の向上」「部数の向上」だけなのだ。それは、国民の利益のためではなくて、自らの財布のためなのだ。
結語。
「報道の自由」を認めるには、対象を限定するべきだ。公共の利害に直接的に結びつくような対象のみ、自由な報道を認めるべきだ。たとえ有名であろうと、公共の利害に直接的に結びつかないような人々については、プライバシーを侵害するべきではない。特に、公共の好奇心のための記事、つまり、「覗き見記事」は禁じる。
( ※ それは、社会倫理のためではない。一人一人のプライバシーを尊重するためだ。あなた自身のためだ。)
[ 付記 1 ]
ただし、私のこういう主張は、世間の総スカンを食う恐れがある。なにしろ、世間の人々は、ワイドショーと週刊誌とゴシップ記事が大好きですからね。心であれ体であれ、とにかく他人の裸を覗き見したい、という下品でスケベ根性な人たちがいっぱい。……どうやら私は、世間を敵に回すことになりそうだ。
[ 付記 2 ]
トルシエ監督の顔写真を表紙に大きく載せたスポーツ雑誌が出ている。この記事によると、トルシエ監督の自宅のプライバシーを探ろうとして、マスコミが始終張りついていていて、覗き見もするので、彼は頭に来ているのだそうだ。だから彼はすぐにカッカとするのかな。
この記事によると、朝日新聞は以前、「トルシエを解雇せよ」というキャンペーンを張ったのだそうだ。それほどひどくなかったような気もするが、たしかにそういう傾向の記事は結構出ていたと記憶する。
教訓。
・「マスコミは常に自分を正義漢扱いする。」
・「マスコミはやたらと世論を煽動する。」
・「マスコミは覗き見が大好き。」
・「マスコミは自分がやったことを、けろりと忘れてしまう。」
[ 参考 ]
関連して、「国民総背番号制」の話題も述べておく。
「国民を番号で管理するなんて、けしからん」
と主張するマスコミの論調があるが、これには、断固、反対する。なぜか? その主張自体が嘘だからだ。
現在、すでに国民は番号で管理されているからだ。免許証だけでなく、さまざまな社会保険制度でも、番号がちゃんとついているはずだ。抜けているのは、「納税者番号」ぐらいだろう。そしてまた、番号があろうとなかろうと、国家が国民一人一人を管理することには変わらない。「個人番号がなければ、国家は国民を管理しないはずだ」などと思うのは、妄想である。……結局、「番号を付けるのには反対する」というのは、ほとんど精神的錯乱としか思えない。
ついでだが、番号で管理するせいで一番迷惑なのは、民間のクレジットカードだ。これで個人の支出はほとんど見え見えだ。デパートでブランド・バッグや宝石を買って、ホテルで酒を飲んで、ダブルの部屋を使えば、何をしたか、行動はバレてしまう。(そのうち、電子マネーが普及すると、あなたの生活は丸見えだ。酒を買いすぎたり、エッチな雑誌を買ったり、ゴム製品を買ったりすれば、ちゃんと記録されてバレてしまう。)
だからこそ、私は強調するのだ。「個人情報を保護せよ」と。
● ニュースと感想 (5月29日)
前日分の続き。
「国民総背番号制」の補足。「週間プレーボーイ」の最新号に、この話題がある。
「携帯電話に、ICカードと同等の機能が組み込まれて、電子マネーを使うことになりそうだ。自販機やら自動券売機やら何やら、電子マネーを使う。そして、それが、すべて筒抜けになる」
という話。
これは、前日の記述で、「クレジットカードで個人情報が筒抜けになる」という話と同様だ。個人の消費活動がすっぽり知られてしまう。
なお、同誌は、「この番号が住民基本台帳番号と結びつけられ、個人の消費活動が全部、政府に知られてしまう。悪夢だ」というような危惧をいだいている。
これは、心配すべき対象を間違えている。危険なのは、政府ではなく、民間である。同誌は、「政府に情報が筒抜け」というのを心配しているが、もっと危険なのは、「民間に情報が筒抜け」という方だ。間抜けな役人なんかより、賢い悪徳業者の方がずっと危険だ。彼らは本質的に自己利益を目的とする、一種の犯罪者である。政府に目を奪われていると、肝心のところがお留守になる。
結論。IDカードのところで私が主張したとおり、住民基本台帳番号の利用は、民間には使用を禁じるべきである。民間が政府の所有する番号を使うことも禁じるべきだし、政府が民間の情報にアクセスすることも禁じるべきだ。これは絶対の原則だ。
[ 付記 ]
セキュリティのデタラメな民間企業が多く、個人情報の漏洩は、ちょいちょい起こっている。今週もまた発生。YKK がハッカーにやられた、という事件。(読売・朝刊 2002-05-28 )
ハッカーの意見は、「戸締まりをしないでカギをかけないでいる家が、泥棒にやられるのは当然だ」というもの。なるほど。彼らは警告してくれているんですね。本当の泥棒は、盗んだこと通告しないだろう。
● ニュースと感想 (5月29日b)
論点の整理。
ここのところ、「資産インフレ」の話が続いている。そろそろ、飽きた読者も多いかもしれない。「なんでこんな話が続くんだ」と疑問に思うかもしれない。「経済学の中心の話じゃないな」と軽視するかもしれない。
そこで、見通しを立てておく。
私が問題視しているのは、「資産インフレ」そのものではない。「量的緩和で物価上昇が起こる」という、現代経済学の基本的な考え方だ。
・「量的緩和で、物価上昇が起こる」
・「金利を下げれば、インフレ気味になる」
と、たいていの経済学者が思い込んでいる。そのあげく、
・「無制限に量的緩和をせよ」
・「マイナスの実質金利にせよ」
というような過激な説を唱える。つまり、「押してもダメなら、もっと押せ」というわけだ。
それに対して、私は、「押してもびくともしないなら、いくら押してもダメ」と批判しているわけだ。つまり、「いくら押しても、インフレは起こらず、資産インフレになるだけだ」と。
このことを、ここのところ、説明を続けているわけだ。
「そういう主張はわかったが、説明ではなく、実証せよ」
という意見もあるかもしれない。しかし、実証なら、すでに済んでいる。バブル期だ。バブル期には、量的緩和や金利引き下げを実行しても、インフレは発生しなかった。かわりに、資産インフレが発生した。(物価上昇率は3%以下のまま、金融緩和により、膨大な資産バブルが発生した。)
これが事実だ。これが彼らの説に対して、明白な反証となる。反証がある以上、彼らの説は「間違っている」と否定されるのだ。
にもかかわらず、「金融緩和でインフレが起こる」というデタラメを、経済学者は主張する。「どういう場合にインフレが起こり、どういう場合に資産インフレが起こるか」を分析することもない。単に馬鹿のひとつ覚えのように、「金融緩和でインフレが起こる」と唱える。そして今日もまた、金融緩和の方法として、「ああしろこうしろ」と、間違った提案をせっせと主張する。
だからこそ、私は日々、彼らの狂気と妄想を指摘しているのである。日本を狂人による破滅から救うために。
( ※ 狂気は国を滅ぼす。昔のドイツでは、ナチズムが。今の日本では、マネタリズムが。)
( ※ なお、彼らの間違いの本質は、どこにあるか? 「マクロ経済は金融政策だけで」と考えることだ。ひとつのことにこだわりすぎて、それをやたらと過大視するのである。偏執狂。「世の中万事、金しだい」というわけ。守銭奴にそっくり。 → 1月06日b の最後。)
[ 予告 ]
資産インフレの話は、明日以降も続く。実は、これまでの話は、チマチマとしていたが、明日以降、かなり大がかりな話となる。かなり根元的な話と結びつくようになる。
ここで予告ふうに述べておくと、「みんなつながっている」となる。「資産インフレなんて、経済学のローカルな話題じゃないか」と思うかもしれないが、さにあらず。「ポリシー・ミックス」とも関連するし、「タンク法」とも関連するし、「賃上げ率」とも関連するし、さらには芋ヅル式に、「古典派 v.s. ケインズ派」という大問題とも関連するようになる。
ちょうど数学で、離れた命題が奥でつながっているように、経済学でも、多くの問題が奥でつながっているのだ。そのことは、このあと、おいおい判明する。
● ニュースと感想 (5月29日c)
「景気は底を打った」という報道が、最近ある。(各紙・朝刊 2002-05-27 など。)
つまり、「1月〜3月期は、円安効果で、輸出が増えて、輸出企業の収益性が好転した。その分、企業全体でも、業績が向上した」という話である。ただし、一方で、「個人消費は、増えていない」(政府の調査では、サンプル数が少ないことで、統計誤差が出ているので、増えているような調査結果が出るが、民間のさまざまな正確な情報を見ると、個人消費はほとんど増えていない)というものだ。また、4月以降、消費が増える見込みもない。(賃下げや定昇中止が実施されている。)
私はここで警告しておこう。「輸出企業は、業績が改善したなら、その分、賃下げを解除するべきだ。さらには賃上げも実施するべきだ」と。
しかし、実際には、そうはなるまい。企業はやるべきことをやらない。だからこそ、いつまでも個人消費が回復せず、景気回復が困難になっているのである。
● ニュースと感想 (5月29日d)
新聞記事のメモ。(朝日・朝刊・経済目 2002-05-27 )
「日本経済団体連合会。経団連と日経連が統合して発足した、新団体。初代会長はトヨタの会長」
「トヨタが日本経済をリードする。1兆円の経常利益。今年の春闘では、トヨタが流れを決めたと言われる。つまり、トヨタが賃上げゼロだから、他社は賃上げゼロか賃下げ。(ベアゼロ・定期昇給の中止など)」
「同会長は、賃上げゼロのときの記者会見で、『ここ10年間、生産性と賃金が大きく離れてしまった。元に戻す時期が来た』と述べ、賃下げを推進する」と。(…… * )
要するに、企業がそろって、賃下げをして、総需要をどんどん縮小し、かつ、将来の所得について不安にさせているわけだ。(消費の総枠を縮小し、かつ、消費性向を低下させているわけだ。)
経済学的には、こうだ。 企業は、「収益を改善するため、賃下げをする」と努力する。しかし、個々の企業がみんなそうすれば、一国全体では、マクロ的に総需要が縮小して、景気はますます悪化する。つまり、「状況を良くしよう」と努力すればするほど、かえって状況を悪化させる。合成の誤謬。
[ 付記 ]
この件については、私は何度か言及した。( → 3月16日 など。) 以後でも言及する予定なので、留意しておいてほしい。(朝日の記事も読んでおくといいだろう。)
( ※ 今後、数日間、「労働分配率」の話題が続く。本項の記述は、それと関連する。)
[ 補説 ]
「ここ10年間、生産性と賃金が大きく離れてしまった」という説(上の * )について。
これは、奇妙に思えるだろう。なぜなら、ここ 10年間、賃金はほとんど上昇していなかったのだし、とすれば、ここ 10年間、生産性は大きく低下していた、ということになるからだ。(論旨から言って、そういうことだろう。)
では、本当にそうか? ここ 10年間、生産性は大きく低下していたのか? これは、イエスとも言えるし、ノーとも言える。
技術的な意味での生産性なら、ちゃんと技術的進歩はあったわけだし、常識的に言って、年 2.5% ぐらいの生産性向上はあったはずだ。10年間で、30% ぐらいになる。
ただ、その間、企業収益はずっと悪化していた。なぜかと言えば、不況で売上げが伸びず、稼働率が低下していたからである。不良債権処理の分もある。かくて、企業収益が悪化していた。だから、単純に企業の産出した生産額(富の額)を、労働者の数で割り算すれば、一人あたりの生産額は低下していたことになる。
つまり、技術的な理由による生産性向上の分を、不況による企業収益の悪化で、食いつぶしてしまったことになる。
わかりやすく言えば、こうだ。
一人一人が努力して、一人あたりの靴の生産量を増やす。十年間に、1日 10個から、1日 13個まで、3割も生産量を増やした。その意味で、量的な(技術的な)生産性は向上した。しかし、金額的な生産性は低下していた。なぜか? 靴が売れないからである。13個作っても、9個しか売れない。(総需要縮小。)おまけに、生産性向上のせいで、1個あたりの価格は低下している。かくて、企業は赤字だし、労働者の賃金も下がる。13個全部売れれば、収入はいくらか増えたはずなのに、9個しか売れないのだから、どうしようもない。
結局、労働者や企業がいくら努力しても、不況のときにはどうしようもないのだ。
( ※ まったく、どうしようもないのか? 強いて言えば、手はある。「他社のシェアを食う」ことだ。そうすれば、当の企業は生き残れる。しかし、その分、他社が痩せ衰える。……だから、しょせん、マクロ的には、企業の努力などはほとんど無意味である。13人の人間がいるときに、9人分の食糧しかなければ、他人の食糧を奪うか、全員がひもじくなるか、どちらかだ。そういうマクロ的な理解ができないと、トヨタの社長のように間違った説を唱えて、不況を悪化させることとなる。)
● ニュースと感想 (5月30日)
高校生の勉強時間。遊びほうけてばかり、という話。(朝日・朝刊 2002-05-29 → 記事ページ )
この記事によると、日本の高校生の勉強時間は、日米中の三カ国で、最低レベル。時間別の分布グラフを見ると、中国では長時間の勉強する人が多くて、2時間ないし4時間ぐらい勉強をする人が多い。しかし日本では、2時間ないし4時間ぐらい勉強をする人は、中国に比べて4分の1ぐらいしかいない。これは米国にも劣る。特に、「ほとんど勉強しない」(約20分以下)が、中国は4%、米国は 27%なのに、日本は 51%だ。圧倒的に大差でペケ。世界一のぐうたら。
こういう話は、最近では当たり前で、驚くべきことではないとも思う人も多いだろう。「それでいいじゃん」と思う若者も多いかもしれない。しかし、今の 40代〜50代の中年の人々は、高校生時代、世界で一番の勉強量を誇っていたし、学力テストでも抜群の成績だった。
しかし、たったの20年 〜 30年で、驚くほどの低下が起こっている。これはとんでもないことだとも言える。
なお、別の情報によると、出版業界の調査では、本を買う人(読書する人)は、40代〜50代の男性がほとんどだ。20代〜30代の層は、読書をしない。(ゲームとケータイばかりやっているようだ。)
戦後、日本は世界的に類のない高度成長を遂げた。しかしそれは、現代の中高年が、必死に勉強して、必死に働いたからだ。その成果が、敗戦後の廃墟だった日本を、世界でも指折りの先進国にした。
日本が今や世界トップクラスの経済大国だとしても、それは、自然な状態だと思ったら、とんでもない大間違いだ。努力したから、果実を得ただけだ。努力なしでは、果実は得られない。今は、中高年層のおかげで、不況期でもまだまともな生活を送れるが、それがいつまでも続くと思ったら、とんでもない勘違いだ。
日本の若者は、中国や台湾や韓国の若者と比べて、全然勉強しない。となれば、日本が将来、中国や台湾や韓国に追いつかれ、追い抜かれるのは、必然なのである。
[ 付記 ]
注釈しておく。私は別に、「ガリ勉をせよ」と、けしかけているわけではない。人は必ずしも猛勉強する必要はないし、若者は遊んで暮らしたければそうしてもいい。
ただし、それならそれで、将来、貧しい生活を送るしかない。そのことはわきまえておくべきだ。「勉強しないで、遊びほうけて、あとで高収入を得る」なんて、そんな夢想や妄想を持つべきではない。「遊んで高収入になる」ほど、世の中は甘くないのだ。(学校の劣等生は、やたらとそう妄想を持つが。「勉強なんかしなくたって、金儲けできるさ」と。そうしてテストで零点を取っても、平気でいる。)
スポーツ選手を見るがいい。野球選手であれ、サッカー選手であれ、最高位にのぼりつめた人は、死にものぐるいで努力をしてきたのだ。遊んで強くなったのではないのだ。そして、勉強もまた、同様だ。勉強しないで、頭が良くなるわけでもない。勉強とは、知識を詰め込むことではなくて、頭の訓練なのである。
なのに、ここのところを理解できない、頭の悪い大人が多すぎる。文部科学省の官僚は「ゆとり教育」「のんびり暮らそう」と唱える。よろしい。それなら、それでいい。生徒はゆとりを持って、のんびりと暮らすがいい。ちょうど、南洋の島国の住民のように。そして将来も、南洋の島国の住民のように、薄給で怠惰に生きるがいい。ハイテク産業などはすべて捨てて。
若者が勉強しないでいれば、日本は将来、知的産業に関わることはできなくなるのだ。知的な産業は、しっかり勉強した中国人や韓国人に任せるしかない。日本はその下請け産業ぐらいしかできなくなるのだ。
経済学者は言う。「中国の低賃金が脅威だ」と。違う。脅威なのは、中国の低賃金ではなくて、しっかりとした教育なのだ。彼らは勉強して、急速に進歩する。日本人は遊びほうけて、急速に退化していく。
中国の高度成長の、根本の原因は、教育にある。なのに、「中国の低賃金が脅威だ」なんて、誤認識をしているような経済学者は、あまりにもピンぼけすぎる。たぶん、学生時代、遊びほうけていたのだろう。教育を受け直した方がいい。
( ※ ただの低賃金なら、ちっとも脅威ではない。例: 中南米の諸国。)
[ 補記 ]
「少子化」よりも怖いのは、「少知化」だ。これこそが日本経済を、本質的に蝕む。「少子化」による量的な労働人口減少は、女性労働者の参入で対処可能だ。しかし「少知化」による質的な知的水準悪化は、ひどい経済悪化をもたらす。
具体的には、ひどい円安となる。経済の質の悪化にともなって、日本は途上国となる。高度な製品は輸出できなくなり、安価な賃金による、労働集約的な産業しか残らなくなる。人々は、安い給料で、長時間労働をして、せっせと低価格品を輸出する。そして外国から、コンピュータや自動車など、高度な製品を高価格で輸入する。まさしく今の中国人並みだ。
そして、そうなって喜ぶのは、「円安こそ最善」「低賃金による競争力回復こそ最善」と唱える経済学者だけだ。 ( → 5月09日c の最後 )
[ 補足 ]
ついでだが、読書や勉強をしないと、なぜ悪いか、述べておく。
それは、「思考は言葉によってなす」からだ。人間の思考というものは、もともとは霧のように、ぼやけたものだ。自分ではわかったつもりになっていても、はっきりと形にできない。そういうぼやけたものを、言葉は、はっきりとした形にする。そのことで、思考は明晰になり、思考は発展していく。
原始人は、言葉を使えないので、ただ漠然と「感じる」ことしかできない。「考える」ことはない。せいぜい骨や石を使って、狩りをすることぐらいだ。しかし、言葉を使えば、自分が何をしたいかを、はっきりと言葉にして理解できる。自己との対話をすることもできる。また、知識を他人に伝達して、知識を社会で共有することもできる。
言葉をうまく使えない現代の若者は、原始人も同様なのだ。たとえば、ろくに自分の考えも表現できず、ろくに文章も書けないような若者は、実際、非常に多い。しかし、文章力とは、思考力なのだ。文章をまとめる力とは、思考を体系化する力なのだ。言語能力の欠けている現代の若者は、思考力そのものが欠落していることになる。原始人並みである。そして、その原因は、読書の不足にある。
日本の若者は、ゲームに夢中になっている。洞穴アドベンチャーとか、自動車のレースとか。……なるほど。それなら将来、日本の若者は、穴掘り人夫になるか、トラックの運転手になればいい。知的な仕事は、しっかり勉強をした中国人に任せることとしよう。日本は滅びても、世界は滅びないから、それでよしとしよう。
● ニュースと感想 (5月30日b)
「企業への減税による、経済の活性化」という説について。
こういう説を、読売新聞はここのところ、連載している。税制問題の特集コラムという形で、連日のように、「企業の税金を負けろ、所得税を負けろ、投資減税をしろ」と主張する。「そうすれば経済は活性化する」というわけだ。
なるほど、企業に金を渡せば、企業はその金を得て、活力を増すだろう。それはそうだ。しかし、その金は、どこから得るのか?
どうも、「空からお金が降ってくれば」ということのようだ。「空からお金が降ってくれば、日本は豊かになる」というわけだ。ほとんど妄想である。
では、もし妄想でないとしたら? もちろん、減税をするなら、その分、どこかで増税をして、埋め合わせることとなる。となると、次の二つがある。
(1) 他分野での企業増税
法人税減税や、投資減税をして、かわりに、他分野での企業増税すること。
しかし、そんなことをやっても、しょせんは、マクロ的には意味はない。単に凸凹を増やすだけだ。税制の簡素化とは逆に、税制の複雑化をすることになる。「各種控除額を増やす」のと同じだ。馬鹿げている。
(2) 個人への増税
企業に減税して、個人に増税すること。(所得税・住民税などの増税。)
なるほど、そうすれば、企業の投資は活発になる。供給力は増大する。しかし、その分、消費が縮小するのだ。
では、それは、無意味か? 無意味ではない。意味はある。
第1に、インフレのときには、インフレを沈静化する効果がある。これは、良い意味だ。(供給不足・需要過剰という状況を、改善するからだ。)
第2に、デフレのときには、デフレを深刻化する効果がある。これは、悪い意味だ。(供給過剰・需要不足という状況を、深刻化するからだ。)
結局、こんなことをすれば、現在のような不況のときには、状況を悪化させるだけだ。
そもそも、よく考えてみよう。現在、「金利引き下げ」によって、個人所得は企業の側に、大幅に移転している。「企業投資を活発にする最も有効な方法は、金利の引き下げだ」という事実がある。そして、それは、すでになされている。そういうことも理解しないで、単に税制だけをいじろうとするのは、はっきり言って、マクロ経済音痴である。マクロ経済のイロハもわからないで、需要を無視して、単に「企業に金を渡せば経済が活性化する」と思い込んでいる。供給と需要の関係も理解しないで、単に供給だけを改善しようとしている。(いわゆる「サプライサイド」だ。)
これは、完全に、間違っている。── このことについて、以後数日間、詳細に説明する予定だ。
[ 付記 ]
記事では、財源として、別のことも主張している。「行政コストを削減して、その金で減税をすればいい」と。
しかしそれは、小泉の「構造改革」路線そのものだ。「特殊法人や道路予算を削減しよう、それで経済を活性化しよう」と。
なるほど、それは悪くはない。しかし、そういう考え方は、「誇大妄想」である。「行政コストの削減」というのは、口で言うのはたやすいが、実際には、せいぜい5千億円ぐらいにしかならない。もう少し増えるかもしれない。しかし、今の日本に必要なのは、30兆円ぐらいの景気拡大効果なのだ。5千億円程度では、とうてい足りない。(読売と小泉は、数字の勘定ができないらしい。)
どこかの亭主が、妻にこう言った。「家計には無駄な金がいっぱいある。だから、それを節約すれば、金がたっぷりと浮く。そのたっぷり余った金を、おれの小遣いに回せ。とりあえず、30万円もらおうか」と。
ふだん必死で家計を節約して、ようやく5千円を節約した妻は、呆れて、亭主の尻を蹴飛ばした。「ふざけんなよ。ホラを吹いていないで、真面目に働け!」
読売や小泉の主張は、こういう現実知らずの馬鹿亭主と同じだ。
● ニュースと感想 (5月31日)
税制の情報。(朝日・朝刊・オピニオン面・コラム 2002-05-30 。経済財政諮問会議の本間正明 教授の投稿。)
非課税世帯の割合。……サラリーマンは 11%、自営業者は 26%、農業などは 54%。
非課税法人……全法人の 70%が赤字で非課税。そのうち 98%が中小企業。全法人の 0.7% が法人税収入の過半を負担している。
という指摘。さらに、「その結果、低生産性分野を温存させ、高生産性分野に過度な負担を求め、経済活力を喪失させてきた」
これは、正しい指摘だ。
前日の記述で言えば、 (1) 他分野での企業増税 に似ている。ただ、読売のように、「一部の企業に減税しよう」というのとは話は逆で、「一部の企業にだけ過度に課税しているのをやめよう」というわけだ。話の方向は、正反対だ。(凸凹を付けよう、というのではなく、凸凹をやめよう、というわけ。)
この件、私もそのうち書くつもりでいたのだが、うまく話がまとまって指摘されているので、ここにメモをしておく。(細かな税制論議は、またいつか、機会があれば書こう。)
[ 余談 ]
この人(経済財政諮問会議の議員)は、この件では良いことを言っている。しかし基本的には、あまり信用のならない人物である。
今回の投稿でも、最後には、こう述べている。「抜本的な税制改革こそが、景気回復の唯一の方法である」と。
違う。税制改革というものは、負担の公平化を通じて、経済体質を強化する。しかし、それは、「需給ギャップ」という景気問題とは、何の関係もないのだ。長期と短期とは、話は別なのだ。
景気変動について、勘違いするべきではない。もっと経済学の基本を理解してもらいたいものだ。(こんなことだから、日本はいつまでたっても、景気回復ができないのだ。)
● ニュースと感想 (5月31日b)
「量的緩和によって、インフレではなく、資産インフレが起こるのは、いったい、なぜか?」── その理由を考えてみよう。(原因分析。)
上の命題は、経済学の常識に反する。普通は、「量的緩和によって、インフレが起こる」となるからだ。なのに、なぜ、インフレではなく、資産インフレが起こるのか? その理由は?
実は、この問題は、難しくない。論理的に考えれば、自然に答えは得られる。
- 「インフレではなく資産インフレが起こる」ということは、量的緩和によって確かに「投資」が増えるのだが、その「投資」が、「設備投資」よりも「資産投資」に向かうということだ。
- なぜ「投資」が「設備投資」よりも「資産投資」に向かうか? それは、「設備投資」よりも「資産投資」が有利だからだ。
- その理由は、二つ考えられる。
- 設備投資が不利である
……これは、消費が縮小していて、投資が無駄になる場合。
- 資産投資がことさら有利である
……これは資産バブルが急上昇中である場合。
(「財テク」や「土地転がし」が流行る。)
実際には、この a ,b
双方の効果があっただろう。ただし、a
が最初の原因であり、b
は状況を加速するだけだ。基本的には、この a ,b
のうちの a
が問題となる。
- ともあれ、量的緩和をしても、企業は設備投資をあまりしない。となると、余った金は、設備投資のかわりに、資産投資に向かう。(前項の
a
)
- それによって資産インフレが発生するので、「これがずっと続くぞ」と思った人々がいっせいに資産投資をしはじめ、資産インフレのスパイラルが起こる。(前項の
b
)
- ではなぜ、企業は設備投資をしないか? 理由は、明らかだ。企業が愚かであるからではなく、企業が賢明であるからだ。つまり、過剰な設備投資をしても無駄になる、とわかっているから、過剰な設備投資をしない。
- ではなぜ、設備投資が過剰になるか? 生産しても、それに見合うほど、売上げが増加しないからだ。
- ではなぜ、生産しても、売上げが増加しないか? 売上げが増えないのは、商品が売れないからだが、マクロ的に言えば、それは、消費が増えないからだ。
- ではなぜ、マクロ的に消費が増えないか? それは、買物をするだけの金が手元にないからだ。つまり、賃上げが不十分だからだ。
- ではなぜ、賃上げが不十分なのか? 企業が金を持たないからではない。バブル期には、企業は金がありあまっていた。現在でも、トヨタは連結利益が1兆円だった(なのに賃上げはゼロだった)。……ここでは、「労働分配率の低下」が起こっている。
以上をまとめて言えば、こうなる。
- 量的緩和をしたとき、インフレになるか、資産インフレになるかは、労働分配率によって決定される。
- 労働分配率が高ければ、インフレとなる。
- 労働分配率が低ければ、資産インフレとなる。
- 労働分配率が高いときは、賃金が上昇することで、賃金コストが増えるし、消費も増えるので、インフレとなる。「コスト・プッシュ型インフレ」および「デマンド・プル型インフレ」である。(経済学の教科書にある通り。)
- 労働分配率が低いときは、賃金が上昇しないので、消費が増えないし、設備投資も増えない。金は、企業の内部留保となって、余る。余った金は、銀行に貯蓄される。これが「資産インフレ」を引き起こす。
最後のところを、説明しておこう。銀行に貯蓄された金が、「資産インフレ」を引き起こすのは、なぜか? 次のような事情による。
- 銀行の手元には、たくさんの金がある。
- 銀行は余った金を眠らせておくと、金利の分だけ、損をすることになる。金を眠らせておくわけには行かない。(特に、金利が高いときは。)
- 銀行は、否が応でも、金を貸し出さなくてはならない。しかるに、企業は、もはや設備投資の分は目一杯である。(消費が増えないから、設備投資もあまりやらない。)……となると、銀行が過剰な金を貸し出す先は、ただひとつ。「資産投資」である。
- 本来ならば、銀行は「資産投資」などを、企業にはやらせたがらないはずだ。工場敷地としての土地購入ならば、その土地の代金は、生産活動によって回収される見込みがある。しかし、投資としての土地購入は、投機・バクチであり、健全的な経済活動とは異なるからだ。将来、投機の失敗により、融資した金が不良債権となる恐れが強い。(実際、そうなった。)
しかし、日本の銀行の特殊事情が、危険なはずの「資産投資」にかぶりつかせる。
- 銀行の融資は、本来、「将来の業績を勘案しての融資」であるべきなのだ。諸外国では、そうしている。だが、日本の銀行は、企業経営に対する判断力・評価力がない。判断・評価をしたくても、することができない。
- かくて、無能なまま、「担保を取っての融資」という「担保主義」に走る。「担保さえあれば、それでいい。担保に対して、どんどん融資する」という態度になる。
- 資産インフレが進むと、担保価値が上昇する。それでいっそう融資枠が増える。
- 資産インフレが進めば、暴落の危険が出るから、担保に対する融資率を引き下げるのが普通だ。たとえば 60% 程度に。しかし日本の銀行は、狂人ぞろいなので、資産インフレが進めば進むほど、融資枠を引き上げ、「担保価値の 100%まで融資」という常識はずれのことまでやるようになった。(頭が完全にイカレている。)
結語。
量的緩和によって、インフレになるか資産インフレになるかは、労働分配率によって決まる。換言すれば、労働組合と企業との力関係によって決まる。企業の力が強ければ、企業は賃上げをあまりやらない。その結果、自らの内部利益を蓄積するが、同時に、マクロ的には、総需要が抑制されるので、消費拡大も設備投資拡大も、あまり起こらなくなる。かくて、インフレは起こりにくくなる。
こういう状況で、量的緩和を進めると、余った大量の金は、「設備投資」でなく、「資産投資」に向かう。かくて、「資産インフレ」が発生する。
「資産インフレ」は、過剰になりかけたら、銀行が自己抑制するはずだ。しかし日本の銀行は、頭がイカレているので、過剰に融資をする。かくて、過剰な「資産インフレ」が進む。
過剰な「資産インフレ」が発生すれば、日銀が金融を引き締めるはずだ。しかし日銀は、「インフレ目標」を信じているので、物価上昇率だけに注目して、「まだ物価は上昇していない」という判断で、金融をろくに引き締めない。かくて、「資産インフレ」のバブルは、スパイラル状に急拡大する。(そのすえに、破裂する。どんどんふくらんだ風船が、いつか破裂するように。)
教訓。
本来ならば、インフレ期には、適当な賃上げが必要である。適当な賃上げがあれば、たしかに、物価は上昇する。しかし、そのことで、(日銀の金融政策などにより)金利の上昇が発生するので、インフレは収まる。……これが自然な姿だ。
しかし日本では、インフレ期に、企業はこう主張する。「過剰な賃上げはインフレを起こす。だから賃上げを抑制せよ」と。それを実行する。(労働組合もハイハイとそれを容認する。) その結果、賃上げが抑制されるので、総需要が抑制される。
要するに、企業は、賃上げを抑制することで、マクロ的には、自らの売上げを減少させていることになる。と同時に、自らの内部留保を拡大することで、余剰資金を発生させ、マクロ的には、資産インフレを発生させている。企業は、インフレを抑制することで、資産インフレを招く。
日銀は、本来ならば、インフレも資産インフレも、どちらも起こさないようにするべきだ。しかるに、指標としては、物価上昇率だけを見る(地価上昇率を見ない)ので、量的緩和を過剰に実施する。インフレか、資産インフレか、どちらかが起こるようにする。しかも、前述のように、労働分配率の低さから、インフレは起こりにくい。……かくて、資産インフレが発生する。銀行も、こういう状況を後押しする。
結局、企業と日銀と銀行との、三者がそろって、愚かな行動を取るから、インフレではなく、資産インフレが発生するわけだ。
( ※ では、正しくは、どうするべきか? 単に労働分配率を上げれば、それで解決するのか? ── この問題については、明日分の最後で述べる。)
( ※ なお、以上では、「流動性の罠」は、考慮していない。あくまで、「流動性の罠」を脱した時点の話である。)
● ニュースと感想 (6月01日)
「労働分配率と競争力」。(前日分との関連。)
「賃上げを抑制すると、競争力が高まる」という説がある。これについて考え述べよう。
(1) 国際競争力
「競争力」を「国際競争力」と見れば、どうか? (マクロ的に一国全体を見て、競争力を考える。)
賃上げ抑制によって、国際競争力が高まれば、平価が上昇する(円高となる)。そのことで、ドル表示の賃金は上がる。
結局、円表示では賃金は上がらなくとも、ドル表示で見れば、賃金は上がる。だから、「(円表示の)賃上げ抑制で、競争力が高まる」という説は、成立しないことになる。
ただし、何も変わらないわけではない。労働分配率の変更により、国民の金は減り、企業の金が増える。このことが影響する。どんな? それは、消費減少と設備投資増加を招く。(「タンク法」で述べた「比率変更」に相当する。)
では、それは、好ましいか? ── 供給不足のインフレのときには、これは好ましい。逆に、消費不足のデフレのときには、これは好ましくない。(この状態で過剰に「量的緩和」を実行すると、「インフレ」のかわりに、「資産インフレ」が発生する。)
結語。
賃上げを抑制しても、国際競争力は向上しない。なぜなら、円高になるからだ。(一方、消費縮小による、デメリットが発生する。)
(2) 企業間競争力
「競争力」を「国内の企業間競争力」と見れば、どうか? (マクロ的に一国全体を見るのではなく、個別の企業を見る。)
ある特定の企業が賃上げを抑制すれば、他の企業に比べて、競争上、有利になる。その企業は、売上げを増やすし、他の企業は、売上げを減らす。
単にそれだけのことだ。これを全体で見れば、その企業の分野(たとえば自動車)で、競争が激化して、シェアの変動があるかどうか、という程度の違いにすぎない。A社がシェアを増やすことができるが、その分、B社のシェアが落ちる。競争激化によって、全体のシェアも少しは増えるだろうが、大して意味はない。ほとんど微々たる影響である。
( ※ 例: ホンダのフィットの値引きが1万円増えたからといって、全体の自動車販売台数の総数は、ほとんど変化しない。新たな新車が出れば、総数の向上には大きな影響があるが、それに比べれば、値引きの拡大など、ほとんど総数には影響しない。影響するのは、あくまで、企業間のシェアであり、総数ではない。)
結論。
「賃上げを抑制すると、競争力が高まる」という説は、個別企業の間で成立するが、一国全体を見れば、成立するとは言えない。単に円高が起こるだけだ。
ただし、賃上げの抑制は、まったく意味がないわけではない。
インフレのときは、賃上げの抑制は、インフレを抑止する効果がある。「コスト・プッシュ型インフレ」や「デマンド・プル型インフレ」を抑止する。そのことで、金利引き下げが可能となり、経済体質は強化される。(これは「相反型のポリシー・ミックス」による「増税&と低金利」と同様である。)
デフレのときには、話逆となる。デフレのときには、インフレ効果が必要なのだ。なのに、賃上げの抑制をすれば、インフレを抑止する(デフレを強化する)ので、状況をかえって悪化させる。デフレのときに、賃金を引き下げると、個別企業は有利だが、一国全体では、個人消費や総需要をますます縮小させ、状況を悪化させることになる。
まとめ。
「賃上げ抑制」は、デフレ効果をもつ。それは、タンク法の増税による、「貨幣量縮小による物価下落(貨幣価値上昇)」と同様の効果である。
結局、「賃上げ抑制」は、インフレのときには有益だが、デフレのときには有害である。良し悪しは、状況しだい。
( ※ ただし、デフレのときは、マクロ的には有害であっても、個別企業にとっては有益である。だから個別企業は、「賃上げ抑制」をしたがる。そのことで、デフレはますます悪くなる。── 「合成の誤謬」である。)
[ 付記 ]
前日分では最後に、こう述べた。
「結局、企業と日銀と銀行との、三者がそろって、愚かな行動を取るから、インフレではなく、資産インフレが発生するわけだ。」
では、正しくは、どうするべきか? これについて、答えを示そう。
インフレ期には、過剰な賃上げは有害である。(「コスト・プッシュ型インフレ」および「デマンドプル型インフレ」。) だから、過剰な賃上げではなく、少な目の賃上げがあればいい。それによって、需要が縮小するので、需要過剰とならずに、インフレを防護できる。すると、金利を低めに設定できるので、企業活動が活発になり、失業率も下がる。
しかし、それも程度しだいだ。賃上げがあまりにも少なすぎるのも、有害である。そうなると、不況を招く。需要過剰を防げるどころか、需要過小を招くのだ。
そして、いったんこうして不況になると、景気の悪化を防護するために、やたらと量的緩和を実行することになる。しかし、需要不足のままでは、設備投資もあまり増えないので、やたらと量的緩和をした結果は、資産インフレとなる。
結局、賃上げは、高すぎてもいけないし、低すぎてもいけない。高すぎれば、インフレを招くし、低すぎれば、不況を招く。(こうして不況になったとき、賃上げが低いまま、過剰な量的緩和をすると、資産インフレを招く。)
( ※ なお、賃上げが高すぎるか引きすぎるかは、どう判定するか? それは、現状を見ればわかる。
・現状がインフレ …… 需要過剰なので、賃上げが高すぎ。
・現状が資産インフレ …… 需要過小なので、賃上げが低すぎ。
と判定できる。後者の場合では、「量的緩和が過剰」という状態も付随する。)
[ 補足 1 ]
今の日本のように「消費不足」のときは、「量的緩和」と「賃上げ」がともに必要だ、とわかる。しかし、現実には、企業に賃上げの能力がない。となれば、方法は、ただひとつ。「減税」である。それは賃上げに似た効果をもつからだ。
だから、ここでも、結論は同じだ。「減税が大事」ということになる。
[ 補足 2 ]
「減税が大事」と言った。ただし、この「減税」は、「国民への減税」である。「企業への減税」ではない。
最近、やたらと「投資減税」なんていう提案が出ているが、話がそっぽを向いている。そんなことをやってもインフレ圧力[個人消費拡大]にはならない、ということがわからないようだ。今は賃上げ効果だけが必要なのだが。
仮に、企業に対して大規模な減税を実施しても(あるいはマイナスの実質金利を実施しても)、企業は設備投資を増やさず、資産投資を増やすだけであり、インフレを招くかわりに、資産インフレを招く。
財界人は、「企業に減税をせよ」とやたらと主張するが、それは単に「おれに金を寄越せ」と言っているだけであり、経済のことなんか全然理解していないわけだ。彼らは、単に「労働者に金を与えるのは良くない」と思っているだけで、「消費者に金を与えて企業の売上げを増やすのは良い」というふうに考えられないのだ。経営を知っても、マクロ経済を知らず。
[ 補足 3 ]
もう少し解説しておこう。蛇足ふうだが。
「所得不足で消費が縮小しているときには、減税によって所得減少を補うべきだ」というのが、私の主張である。一方、
「消費の縮小なんか、知ったこっちゃない。とにかく設備投資を増やせ。そのために、マイナスの実質金利を」
というのが、インフレ目標論者(量的緩和主義者)である。
それに対して、私は、「そんなことをやっても、消費不足のままでは、資産インフレを招くだけだ。根本原因の消費不足に対処せよ」
と批判しているわけだ。
また、読売1面コラム(2002-05-31)などでは、「資産デフレを解消せよ。土地や株式の取引を優遇せよ」などと述べているが、こういう説も否定しているわけだ。なぜなら、いくら資産インフレを起こしても、それによってインフレが起こるわけではないからだ。少しは効果があるとしても、せいぜい「おこぼれ」程度の効果でしかない。(何度か述べたとおり。)
今、必要なのは、実体経済を活発化させることである。それはつまり、土地や株の投機を活発にさせること(資産インフレをもたらすこと)ではなくて、生産を拡大すること(インフレ気味にすること)である。そして、それには、消費意欲を拡大することが、何よりも必要なのだ。ここが物事の根本なのだ。── ここを理解しないピンボケの人々が、「資産インフレを!」とか、「量的緩和を!」とか、見当違いのことを主張するわけだ。(事実とは正反対の嘘を言っているわけではないが、およそ、核心をはずしている。「マトはずれ」「ピンボケ」という言葉がぴったり。)
● ニュースと感想 (6月02日)
労働分配率と景気。(前日分との関連。)
「労働分配率が上がったから不況になった
」という説がある。そのシナリオは次の通り。
「景気が悪化したときは、賃金を下げるべきだが、賃金の下方硬直性により、賃金が下がらない。企業の収益性が悪化するせいで、企業の倒産が発生し、失業率が上がり、不況がひどくなる。だから、賃金を下げよ。労働分配率を下げよ。そうすれば、企業の収益性が向上して、不況は解決するはずだ。」
これは、部分的には正しい。しかし本質的には、間違っている。
実は、私も先に、 第3章・前 で、似たようなことを述べた。「物価上昇があれば、名目賃金据え置きが、実質賃金引き下げの効果をもつ。だから企業は倒産しないで済む」と。(クルーグマン説の紹介という形で述べた。)
さて、これはつまりは、「物価上昇によって、実質賃金を引き下げれば、企業は倒産しない」ということだ。だから、これは、先の話に似ている。
しかし、私がこれによって説明したのは、あくまで、「赤字企業が倒産しないで済む」方法である。(「倒産を回避するのが大事だ」というのは、不均衡を回避するためである。不均衡の発生は、何としても回避したい。赤字企業は、存続するべきではないが、倒産ではなくて、黒字清算するとか買収されるとかいう形で、均衡状態で消滅することが好ましい。)
さて、(倒産しそうな)赤字企業については、賃下げが必要だとしても、(倒産しそうもない)黒字企業についてまで、同じ理屈が通るわけではない。
「黒字企業で、賃金をやたらと引き上げると、(企業収益の悪化のせいで)デフレになる」というのが、先の説だ。これは、話がおかしい。「黒字企業で、実質賃金をやたらと引き上げると、(需要過剰と賃金コスト上昇で)インフレになる」というのが、経済学の常識だ。(つまり、コスト・プッシュ型インフレおよびデマンド・プル型インフレだ。)
たしかに、賃金を引き上げると、企業は収益性が悪化する。しかし、「個々の総和が全体となる」わけではないのだ。そう思うのは、ミクロ経済的な考え方だ。マクロ経済的な考え方をすれば、「一国全体における賃金の上昇は、総需要の増加を招くので、デフレではなくインフレを招く」とわかるはずだ。(こんなことは、マクロ経済の初歩。ミクロの視点でマクロを論じると、たいてい、間違う。)
では、本質は、どうなのか? 労働分配率と不況とは、どういう関係にあるのか?
実は、「労働分配率が上がったから、不況になった」のではなく、「不況になったから、労働分配率が上がった」のである。なぜか? 不況になれば、企業利益が減る( or 赤字になる)。 だから、労働者の賃金は変わらなくても、企業の取り分が減るわけで、労働分配率は自然に上がるわけだ。
ここでは、「総額と比率とを区別する」ことが大切だ。先の理屈は、「総額を見ずに比率だけに着目する」という間違いを犯している。「労働分配率が上がる」と言うと、まるで、労働者が企業利益を食い尽くしているように聞こえる。しかし実際は、労働者の賃金も実質的に減っているのだ。(生産性向上に比べて少ししか上昇していないので。)
「労働分配率を下げれば、赤字企業も生き残れる」というのは、たしかに正しい。そして、それが、昨今の「賃下げ」「解雇」ブームだ。しかし、そんなことをやればやるほど、マクロ的には、総需要は縮小する。(そう理解するのが、マクロ経済学というものだ。)
ここを誤解した考え方は、ずっと昔からある。「賃金を下げれば、企業の収益性が向上する。また、労働市場で需給が均衡点に達するので、失業は解消する。かくて、倒産も失業も起こらなくなるので、不況は解決するはずだ」という考え方だ。それはつまり、古典派の考え方だ。
しかし、そんな考え方が成立しないことは、「合成の誤謬」という言葉で片付けることができる。古典派は、ミクロ経済学をマクロ経済学に適用しようとするから、こういう間違いを犯して、気が付かないのだ。
彼らは、自己矛盾に気づくべきだ。「労働分配率の向上」という同一の事象から、「それでデフレになる(だからけしからん)」と言ったり、「それでインフレになる(だからけしからん)」と言ったりするのは、自己矛盾である。
こういう自己矛盾を、企業経営者も犯す。企業経営者は、デフレのときには、「賃金が高いせいでデフレになった」と言い、インフレのときは、「賃金が高いせいでインフレになった」と言う。
彼らは、インフレ期に自分の言ったことを覚えているべきだ。「賃上げはインフレを引き起こす」と主張したことを。ならば、今、「賃下げをしてデフレを招くよりは、賃上げをしてインフレを招くべきだ」と主張するべきなのだ。しかし、どうも、健忘症であるようだ。(経営者は、高齢の老人ばかりだから、健忘症なのもやむを得ない。ただし古典派の経済学者は、若くても、若ハゲになるかどうかはともかく、健忘症となる。)
結語。
正しい不況解決策は、正しいマクロ政策から生まれる。自己矛盾しているような理屈からは、間違った結論が出るだけだ。
[ 補足 ]
古典派の間違いは、どこにあるか?
現状が均衡状態であれば、古典派の主張は正しい。賃金の引き下げで、均衡はうまく持続する。しかし現状が不均衡であれば、古典派の主張は成立しない。(需給ギャップによって)不均衡状態のときに、均衡を回復しようとすれば、均衡が実現するどころか、不均衡が拡大する。── これが「合成の誤謬」だ。
本質的な原因は、「均衡/不均衡」という点にある。「労働分配率の向上」は、デフレの真の原因ではなくて、不均衡の状況に対してプラスとマイナスの双方の効果をもっているだけにすぎない。
この問題については、後日また述べる。
● ニュースと感想 (6月03日)
適切な賃上げ率。(前日分との関連。)
「労働分配率は高すぎても低すぎてもいけない」と先に述べた。そして、「高すぎるか低すぎるか(賃上げをするべきか否か)は、現況の景気を見ればわかる」とも述べた。
ただ、理論的には、賃上げは、どのくらいの値が最適なのか?
その答えを、いきなり言おう。賃上げの最適な率は、生産性向上率との比較で決まる。次のように。
- 賃上げが、生産性向上率を上回れば、インフレ気味。
- 賃上げが、生産性向上率を下回れば、デフレ気味。
- ゆえに賃上げは、生産性向上率と同等なのが、最適である。
(1) 賃上げ > 生産性向上率
賃上げが、生産性向上率を上回れば、インフレ気味となる。これは、明らかだろう。需要は増えるし、供給は減る。つまり、
・ デマンド・プル型インフレ (所得上昇で需要拡大)
・ コスト・プッシュ型インフレ (労働コスト上昇)
の双方の効果が出る。
(2) 賃上げ < 生産性向上率
賃上げが、生産性向上率を下回れば、デフレ気味となる。これは、簡単な話ではない。
企業はよく、「生産性基準原理」というのを唱える。「賃上げは生産性向上率を下回るようにせよ」という主張である。
この説は、一見、もっともらしい。というのは:賃上げがあると、労働コストが上昇する。その分、生産性の向上が食われてしまう。その分、供給が縮小する。つまり、賃上げによって生産性向上の効果が食われてしまう。……そう思えるからだ。
しかし、この説は、正しくはない。話は複雑になるので、後述の [ 補説 ] で示す。
かくて、賃上げが(生産性向上に比べて)不足すると、「供給を縮小させる」効果がなく、単に「需要を縮小させる」効果だけが残る。というわけで、この場合は、デフレ気味となる。
とにかく、(1) (2) の結論としては、「 賃上げ率 = 生産性向上率 」というふうに、両者の率は同等であればよい。
たとえば、生産性向上率が 2.5% のときは、賃上げも 2.5% であればよい。このとき、需要も(賃上げと同じく)2.5% 増大する。供給能力は、(生産性向上率と同じく)2.5% 向上する。実際の供給(供給能力ではない)は、需要と同等なので 2.5% の増大だが、これは、供給能力の向上と同等なので、需給ギャップは生じない。(需要過剰でもなく、供給過剰でもない。)……かくて、インフレにもデフレにもならず、安定した景気が持続する。
ただ、現況が平常状態でなければ、平常状態に戻すように、賃上げの幅を上下するべきだろう。たとえば、インフレ気味のときは、賃上げを抑えて、デフレ気味にする。デフレ気味のときは、その逆。……こういうことは、当然だろう。
( ※ いちいち言わなくても、たいていは、自動的にそうなる。ただし、例外もある。たとえば、労働組合の力が強すぎて、やたらとコスト・プッシュ型インフレになるとき。また、労働組合の力が弱すぎて、やたらと賃下げをしてデフレ・スパイラルに陥るとき。)
[ 補説 ]
(2) では「賃上げによって生産性向上の効果が食われてしまう」という説に対して、「そんなことはない」と述べた。このことを説明しよう。
例で示そう。
生産性が 2.5% 向上するとする。賃上げが 2.5% なら、需要も 2.5% 向上する。
問題は、供給だ。労働コスト上昇を考慮しないと、生産性の向上の分、供給が 2.5% 増大する。かくて、需要も供給も 2.5% 増加で、需給は釣り合うはずだ。
さて、実際には、労働コスト上昇がある。これによるコストアップ効果は、(コストにおける)人件費の比率に依存する。人件費が 100% ならば、コストアップも 2.5% となる。人件費の比率が 40% なら、コストアップは 2.5%アップ の 40% にあたる 1.0% アップとなる。
では、このコストアップの分、供給は減るか? たとえば、上の例に従って、 1.0% コストアップの分、供給は減るか?
単純に考えると、コストアップした企業は、競争上で不利だから、売上げが減らすはずだ。かくて、全企業が供給を減らした結果、総供給も減るはずだ。
しかし、もしそれが正しいとすると、コストアップの 1.0% の分、生産性が低下する結果、一国全体の生産性は、1.5% である、ということになる。これは、「生産性が 2.5% 向上する」という最初の仮定に矛盾する。論理矛盾。
つまり、話がおかしい。どこかが狂っていることになる。では、どこが?
実際には、賃上げが一部企業ではなく全企業に及べば、賃上げによるコストアップが競争上、不利になることはない。こうなると、賃上げがあっても、供給が減ることはない。単純に、生産性の向上の分、供給が増えることになる。
では、何も影響はないか? いや、マクロ的に影響はある。賃上げによって、物価が上昇する。人件費増大による「コスト・プッシュ形インフレ」である。そういう影響がある。そして、それだけだ。賃上げによる労働コストの上昇は、物価上昇効果だけがあり、供給を減らす効果はない。
たとえば、人件費の比率が 40% だとする。コストアップは 1.0% アップ。これを受けて、物価は 1.0% アップ。この分を実質賃上げの 2.5% に加えて、名目賃上げは 3.5% となる。供給能力には影響しない。(供給能力は、単に生産性向上の分だけ、増える。実際の供給は、所得上昇による需要増大の分だけ増える。)
( ※ どうでもいいような細かな話をすると。……
最後の試算では、「名目賃上げは 3.5% となる」と述べた。名目賃上げが、2.5% でなく、物価上昇の 1.0% の分を加算されるので、この分、労働コスト上昇の計算では、名目労働コストの上昇も、その分、影響を受ける。……ただし、計算をすると、話が循環的になって、面倒になる。おおざっぱには、上の試算の通りで、構わない。)
結局、こうだ。人件費の上昇によって、生産性が低下する、という説は、個別企業はともかくとして、マクロ的には、意味がない。人件費の上昇は、供給を減らす効果はあまりなくて、単にインフレを増大させるだけである。
ただし、生産性の低下とは別に、企業収益を考えれば、話はやや異なる。人件費の上昇は、企業収益の悪化を通じて、設備投資に回る金を減らし、マクロ的には生産を減らす。細かなところまで見ると、次のように言える。
- 大ざっぱに言えば、人件費の上昇は、インフレを増大させるだけである。
- 元が理想状態(完全雇用かつ需給ギャップゼロ)であれば、人件費の上昇は、企業収益の悪化をもたらし、投資(生産能力)を減らす。また、インフレによる金利が上昇の効果でも、投資は減る。
- 元が不況状態(失業発生かつ需給ギャップ発生)であれば、人件費の上昇は、所得増大や物価上昇(消費促進)を通じて、需要を増やすので、実際の生産を増やす。(生産能力の増大よりは、遊休設備の稼働の効果が大きい。)
つまり、理想状態に限って言えば、人件費の上昇は、供給をいくらか減らす。
だから、「賃金は、過度に上昇せず、生産性向上の分だけ伸びればよい」という結論になるわけだ。
( ※ 上では、「いくらか」と述べた。ここに注意。人件費比率が1%上昇したからと言って、その分、投資が減るわけではない。企業は、手元の金がなくても、融資を受けることができるからだ。人件費が上がれば、需要が増えるので、企業は投資を増やす。その金は、融資を受ける。── つまり、人件費と投資との間で「単純なぶんどりあい」が生じるわけではなくて、経済全体の規模が拡大することを通じて、両者がともに成長する。「人件費が増えた分だけ、投資が減る」わけではないのだ。── とはいえ、両者の間で、逼迫が生じるのはたしかだから、投資の量は最適化はされず、いくらか少な目になる。その分だけ、投資が減る。このとき、消費と投資の間で逼迫が生じるが、逼迫という無理が生じることで、インフレが発生する。)
( ※ だから、逼迫という無理を生じさせないように、賃上げを生産性向上の分だけにすれば、消費も投資も最適に成長し、かつ、インフレも起こらないわけだ。)
[ 注記 ]
本項では、肝心の数値は、「生産性向上率」となっている。このことが大事だ。
前日までは、「労働分配率」に着目していた。だから、「労働分配率を一定にすればいいのかな」と思う人もいるかもしれない。そうではないのだ。
労働分配率というものは、企業収益の短期的な変動に依存して、大きく変動するものである。企業の利益が増えれば、労働分配率は下がるし、企業の利益が減れば、労働分配率は上がる。だから、労働分配率というのは、賃上げの基準とするには、あまり重要な数値ではない。
だからこそ、「労働分配率」よりも、「生産性向上率」に着目するべきなのだ。
マクロ的には、一国全体の賃上げは、一国全体の生産性向上率に等しいのが好ましい。さもないと、インフレ気味またはデフレ気味となる。……それが「適切な賃上げ率は?」という質問に対する回答となる。
[ 補足 ]
細かな点をいくつか、補足しておく。
(1) 個別企業
マクロ的には、人件費の問題は、上記のようになる。ただし、個別企業で言えば、「人件費の上昇は生産の縮小をもたらす」と言える。他社よりも多く賃上げをした企業は、競争上で不利になり、シェアを落とし、生産を落とす。……ただし、個別企業の総和が、国全体の経済になるわけではない。「各社がすべてシェアを落とす」ということはありあえない。シェアの総計は常に 100% である。(ここを理解しない愚かな経済学者が多すぎる。)
(2) 国際競争力
国際競争力についての問題も、同様。労働コストが増えると、外国との競争で不利になる、と思える。実際には、個別企業はたしかにそうだ。しかし国全体で見れば、その分、インフレになって、円安になるので、差し引きしてチャラである。たとえインフレによってチャラにならなくても、国際競争力の弱体化によって円安になるので、チャラである。この点、前にも述べたとおり。……結局、マクロ的には、賃上げがあろうとなかろうと、国際競争力に対しては、まったく影響しない。(それが変動相場制というものだ。)
なお、強いて言えば、国内での産業間の競争力には、影響する。たとえば、賃上げにともない、自動車産業が強くなり、繊維産業が弱くなる。しかしそれは、当然の流れなのだから、やむを得ない。賃上げのできない劣悪な産業は、長期的には、衰退して当然だろう。
( ※ 経営者が「賃上げはダメ」と言っているのは、自らが劣悪な産業であることを告白しているようなものだ。そういう産業は、かつての繊維産業と同じなのだから、さっさと衰退すればいいのだ。はっきり言って、「生産性向上以下の賃上げ」と主張することは、「構造改革」とは正反対の「産業構造の劣悪化」を主張するのと同然である。そんなことをやっていれば、日本全体の生産性はどんどん低下していく。)
[ 参考 ]
第3章・後 の [付録4] でも、「生産性向上率と賃上げの関係」について述べた。話の内容は、本項とだいたい同じ。「両者の率を同じにするべきだ」という結論になる。
● ニュースと感想 (6月04日)
「国債格付けの低下」について。(少し前の時事ニュース。たとえば、朝日・朝刊・経済面 2002-06-01 )
日本の国債格付けが低下したことについて、「問題だ」という批判が新聞記事をにぎわせている。ただし、勘違いが多い。そこで、簡単に解説しておく。
(1) 金利の分
「外国で社債や国債を発行する際、日本国債の格付けが低いせいで、金利が(リスクの分)上昇して、不利になる」
という説がある。これは、無意味だ。第1に、外国で社債などを発行する必要はない。外国で高金利の資金を調達しなくても、日本国内でいくらでも低金利で資金を調達できる。第2に、日本国内では、過度に低金利になっている。これは、景気が悪いことの、半面だ。こちらの効果の方が、上の説の効果の分よりも大きい。
(2) 暴落の懸念
「そのうちいつか長期国債が暴落するかもしれない」
という懸念が出ているのだそうだ。これは、当然だ。だから日銀がさっさと長期国債を吸い上げればいいのだ。かわりに、需要の多い短期国債を発行すればよい。(応募倍率は 600倍という超人気。)
(3) 日銀の損失
「日銀が長期国債を溜め込むと、国債暴落で、日銀のバランスシートが悪化する」
という説がある。(朝日など。) いかにも素人っぽい理屈だ。たしかに日銀は損失をこうむるが、ちょうどそれと同額、政府には利益が入る。だから、差し引きして、国家的には何の損得もない。
(4) 財政健全化
「国債格付けの低下を避けるために、財政を健全化せよ」
という意見もある。これも、勘違い。正しくは、次の通り。
「財政破綻を招くものは、債務の巨大さではなくて、返済能力の悪さである」
「財政破綻を招くものは、財政の悪化ではなくて、経済力自体の悪化である」
なのに、「財政健全化をせよ! 増税せよ!」なんていう主張に従えば、不況をますます悪化させ、財政赤字を拡大し、経済体力を低下させ、財政破綻がまさしく現実化してしまう。
「落とし穴にはまると、大変だ。ハンドルを切れ」と言って、わざわざコースを変更して、落とし穴に落ちてしまう。馬鹿丸出し。
( → 3月06日b 〜 3月08日 )
● ニュースと感想 (6月04日b)
税制論議。(読売・朝刊・1面コラム 2002-06-02 )
「減税で経済活性化を」と経済財政諮問会議の民間議員(吉川・本間)が主張し、「減税は経済活性化に役立たない」と主張する政府税調(税制調査会)会長と対立している。
どちらが正しいか? どちらも正しくない。
「減税は、経済活性化に役立つ」というのは、正しいとも正しくないとも言えない。「ほんの少しは効果はあるが、ろくに効果がない」と言えるだろう。微々たる効果はある。しかし、今は、そんなことは、どうでもいい。
今、何より大切なのは、「景気回復」だ。そのために必要なのは、「経済活性化」ではなく、「需給ギャップの解決」なのだ。
ここを理解しない限り、何を議論しても、見当はずれだ。「経済活性化のための税制改革」なんてのは、景気が回復したあとで、長期的な観点から、他の諸政策といっしょに、チマチマと論議するべきだろう。今現在の課題としては、あまりにピンボケだ。
つまり、甲論乙駁しているが、まったく無駄な議論をしているわけ。タイタニックが沈没しかけているときに、「エンジン出力の効率化の方法は?」というテーマで議論しているようなもの。見当はずれ。そんなことだと、すっかり沈没してしまいますよ。
( ※ なお、民間議員の主張は、次の通り。「経済活性化を目的とする。財源は構造改革による無駄の解消による。減税は、企業向けの減税で、投資を促進する」。……これは、読売の主張と同じで、話がずれている。 → 5月30日b )
● ニュースと感想 (6月04日c)
読売のここ数日の「税制問題」連載コラムについて。
この連載は、話がメチャクチャだ。勝手に自分の都合のいいデータばかりを持ち出して、勝手な話を主張する。情報の捏造も同然だ。
例1:
所得税の日米比較。比較先として、米国で特別に地方所得税がゼロである州だけを取り出して、それが代表であるかのごとく主張する。詭弁。
例2:
不動産投資について、「初年度は税額が多くて赤字になるから、税が多すぎる。初年度から単年度収支を黒字になるようにせよ」と主張する。冗談じゃない。これは、減価償却というものを無視した、メチャクチャな話だ。経済とか経営とかの常識を完全に無視している。詭弁。
なお、一方では、設備投資について、「加速償却を認めよ」とも主張している。これは「初年度に多く償却する」ということだから、上の話とは完全に矛盾している。狂気と錯乱。
結語:
国がやるべきは、マクロ的な需要管理だけだ。個別の企業の経営方針に介入するべきではない。「税金を負けて、実質的に補助金をやろう」なんてのは、論外だ。
さてさて。これを、「インフレ目標」の話と関連づけよう。
実は、「税金を負けよう」という読売の主張は、「実質金利をマイナスにしよう」という「インフレ目標」論者の主張と、よく似ている。どちらも「企業に補助金を与えよう」(その金は消費者から奪おう)という話だからだ。
私はこれを批判している。なぜか? 「消費者の金を企業に与えるのは、けしからん」というような、主婦連のオバチャンふうの発想ではない。経済学の根本を考えるからだ。
そもそも、根本的に考えるがいい。「状況が悪くて、企業活動が活発でないから、補助金を与えよう」なんていうのは、話が本質的に狂っている。「企業が実行したがらないなら、いっぱい補助金を与えて、実行させよう」という発想。それは社会主義的な発想だ。読売にせよ、インフレ目標論者にせよ、社会主義者にせよ、いずれも、似ている。それらは、自由主義経済や市場経済からは逸脱した、国家管理経済の発想である。
そんなことをすれば、もちろん、経済効率は悪くなる。企業のしたがらないような無理なことを、補助金を与えて、イヤイヤ渋々やらせるわけだから、経済全体の効率はどんどん悪くなる。(たとえば、マイナス2%の実質金利を付けたり、税金を負けて2%の利益を与えたりすれば、経済効率は2%の分だけ悪化する。狂気の沙汰。)
では、どうすればいいか? 話の根本に立ち返ろう。現状は、「状況が悪くて、企業活動が活発でない」である。
これに対して、「補助金を与えよう、イヤイヤやらせよう」という対症療法的な方法が、先の論者の主張だ。
一方、私は、次のように主張する。
「状況が悪いのが原因であるなら、状況を改めるのが本質的な対策だ」
「状況をそのままにして、対症療法的な方法を取るのではなく、逆に、状況そのものを改善するべきだ。それこそが本質的な対策だ」
では、「状況を変える」とは、どういうことか? 現在の状況は、「消費不足」である。だから、「消費不足」という状況を変えればよい。そして、「消費不足」の原因は、失業や賃下げなどによる、「現在および将来の所得減少」(の不安)である。だから、「現在および将来の所得上昇」を確実にすればいいわけだ。
そして、その具体的な方策が、これまで私の提案してきたことだ。(提案内容は、ここでは再論しない。)
結語。
物事の本質を見るべし。状況が問題であるなら、状況そのものを変えるべきだ。そして、そのなかで最適化をするのは、普通の市場原理に任せればいい。「国家の補助金で一定の方向に進めよう」なんて考えるべきではない。
「やりたくもないことを、金をめぐんで、イヤイヤやらせよう」なんてのは、不適切である。
[ 余談 ]
たとえ話。
とても素敵な美女がいました。これに対して、二人の男は、それぞれ、別の方法を取りました。
南ちゃんは、こう考えました。「美女を得るには、美女に私のことを好きになってもらえばいい。それにはこちらから、愛と薔薇をプレゼントしよう」
狂ちゃんは、こう考えました。「美女を得るには、金を与えればいい。たとえイヤイヤであろうと、いっぱい金を与えれば、こちらの望むとおりにしてくれるだろう。経済学的に言えば、均衡点になるまで、たくさん金を与えればいいのだ。これで、うまく行くこと、間違いなし」
( ※ 後者の考え方をする人を、「マネタリスト」と呼ぶようです。 (^^); )
● ニュースと感想 (6月04日d)
明日以降の予告。
「賃上げと景気」の問題は、明日以降も続く。経済学の理論(マクロ経済の教科書にある)に沿って、話を進めることとしよう。前日までの記述を、忘れずにいてほしい。
《 翌日のページへ 》
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