[ 2002.05.11 〜 2002.05.21 ]
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● ニュースと感想 (5月11日)
「インフレ目標」はダメだ、とこれまで述べてきた。(減税なしではダメ。)
そこで、かわりに、もっと有効なものを、提案しておこう。
それは、「インフレ告知」だ。これはつまり、「インフレが確実に起こることを告知すること」である。タンク法による「減税」と、同時に実施すればよい。
「インフレ目標」は、単なる量的緩和に関する方法だから、有効性が曖昧である。
第1に、現在の量的緩和は、「流動性の罠」で効果がない。
第2に、将来の量的緩和は、需要が縮小した状態では効果は少ないだろう。また、「流動性の第2の罠」もあるだろう。
第3に、インフレでなく資産インフレになりそうなので、消費は増えないし、設備投資も増えない。(単に資産投資が増えるだけ。)
というわけで、「インフレ目標」は、効果が信頼できない。
一方、タンク法による「減税」ならば、効果は確実である。さらに加えて、確実性を高めるために、「インフレ告知」を行なう。次のように。
- 減税(タンク法)によって、貨幣供給量が増えました。その金は、滞留せずに、国民の手に行き渡りました。
- 国民の皆さん。物価上昇は確実です。今すぐ消費をすれば、あなたは、その分の金が増えたのと同じことになります。ただし、ぐずぐずしていると、物価上昇による損失が、増えた金の分を上回ります。
- 結局、早く消費した人は得であり、遅く消費した人は損です。国民全体を見れば、損も得もありません。あなた自身が、得をするか、損をするかは、あなた自身が決めることです。
- 今回の措置は、国民全体にとって、損でも得でもありません。ただし、損得とは別に、景気回復効果があります。不況から脱出できるので、国民全体は幸福になれます。
- その旨、告知します。情報は提供しました。このあと、あなたの行動は、あなた自身で決めてください。
このように告知すれば、人々は「早く消費しなくっちゃ」と思って、消費は、確実かつ迅速に拡大する。不況はたちまちにして解消するだろう。
「インフレ目標」なんていう、あやふやなものではなくて、「インフレ告知」という、確実なもの。それこそが、必要な政策なのだ。
( ※ 「インフレ目標」だと、上記の第1項が成立しない。つまり、貨幣供給量を増やしても、金が「滞留」するので、物価上昇は不確実。その理由は、「流動性の第2の罠」 → 4月30日b )
● ニュースと感想 (5月11日b)
「インフレ目標政策を」と唱える経済学者が多い。「物価上昇率が上がるという見込みがあれば、消費は増える。20%ぐらい縮小している消費が、たちまち元に戻る。つまり、消費が 20%も拡大する。これで景気は回復」と。
ひどい妄想だ。物価上昇による消費促進効果は、たしかにある。しかしそれは、消費を一挙に 20%も拡大させるほどの効果ではない。 デフレを解決するほどの効果ではない。(たとえて言えば、いったん動きだした大岩を加速させる効果はあるが、停止している大岩を動かすほどの効果はない。「最初にドカン」には、別の力が必要なのだ。)
だいたい、「物価上昇率を計算して、消費行動を決める」なんていう人が、どこにいるんですかね?
一番あり得そうなのは、高額の耐久消費財である自動車だが、それだって、物価上昇率を考えて購入時期を決める人なんか、ほとんどいないはずだ。百万円の自動車の購入に際して、数万円の値引きを考慮することはあっても、1%程度の物価上昇率の違いなんか、ほとんど考えないはずだ。嘘だと思うのなら、自動車購入者に、アンケートしてみるといい。「あなたは自動車の購入にあたって、物価上昇率による損得を、どのくらい計算しましたか?」と。
物価上昇率による影響は、あるにはある。しかしそれには、一国経済をデフレにするほどの、大きな影響はない。そしてまた、デフレから好況に反転させるほどの、大きな影響もない。そんなものを、過大評価するべきではない。
経済学者というのはどうも、自説にこだわりすぎて、その効果を過大評価しがちである。ほとんど妄想。
● ニュースと感想 (5月11日c)
主婦に聞いた貯蓄行動の調査。
デフレになったのは誰もが、消費を減らして、貯蓄を増やしているからだ……と思いきや、実は、半数の家庭では、貯蓄が減ってきているそうだ。というのも、「所得が減少したから、貯蓄を取り崩す」という要因が大きい。(読売・朝刊・家庭面 2002-05-08 )
これは重要な事実である。というのも、「インフレ目標」に賛成する経済学者は、こう主張しているからだ。
「物価上昇率がマイナスだと、消費よりも貯蓄をした方が得だ。だから、損得を計算して、消費をやめて、貯蓄をするのだ」
と。しかし、実際には、貯蓄は増えていないのだ。単純に所得が減っているから消費を増やさないのだ。それが消費減退の主要因なのだ。(「デフレスパイラル」と言ってもいい。)
さて。こういう事実があるとすれば、「物価上昇が予想されれば、消費は増える(貯蓄が減る)」という説は、成立しないことになる。なぜなら、人々は、物価下落ゆえに貯蓄を増やしているのではないからだ。
そもそも人々は、物価上昇による損得を綿密に計算して、行動を決めるわけではない。経済学者は「そう計算するはずだ」と主張するが、そんなことはないのだ。人々は、単純に、消費したければ消費するし、消費したくなければ消費しない。1%ぐらいの損得なんかは、計算もしないし、行動基準にはならない。
人々の行動基準は、「財布に金があるか否か」なのだ。そして今は、所得が減っているから、貯蓄も消費も減らしているのだ。
となれば、解決法は、ただひとつ。「財布に金を入れること」である。少なくとも、「所得が増えたと感じる」ようにさせることである。( → 3月07日 )
そして、そのために有効な経済政策は、「減税」以外にはありえないのだ。
● ニュースと感想 (5月11日d)
日産自動車の話。新3カ年計画。販売 100万台増(現在 260万台)という、超拡大計画。新型車を 28車種投入するというのが根拠。(朝刊・各紙 2002-05-10 )
呆れた妄想だ。経済学者の妄想もひどいが、日産の妄想もまったくひどい。よくもまあ、これだけ、大風呂敷を広げたものだ。日産はこれまで、「来年は販売1割アップ」とか言いながら、どんどんシェアを縮小してきたが、こんなに大風呂敷を広げると、一挙に2〜3割ぐらいシェアを低下させることになりかねない。
ゴーン社長は前言を思い出すがいい。「新型車で販売の大幅増」というのは、前も二度、言ったはずだ。先に新型車(プリメーラとスカイライン)を出したときに。で、結果は? 惨憺たるありさまだ。月間千台前後。目標の半分程度。これはほとんど手作り生産のレベルだ。販売は大失敗。計画も大ハズレ。……そして、もちろん、二度あることは、三度ある。
さて。過去の二度は、なぜ大失敗したか? 理由は、いずれも同じ。「すばらしい性能の車を作りました」というのは確かだが、デザインがひどいのだ。デザインが、良い悪いと言うよりは、消費者の意向から大きくはずれている。専門家受けするかもしれないが、消費者にはソッポを向かれている。女性で言えば、「そこそこ才色兼備だが、誰からも嫌われる女」である。だから、買い手がいない。
しかも、ここが一番肝心なことだが、「人々に不人気」というのは、発売のずっと前に、デザインを公開した時点で明らかになっていた、ということだ。その後にデザインを手直しする時間は、十分にあった。スカイラインは2年間も時間があったし、プリメーラはグリルの改訂だけで済むから短期間で修正できたはずだ。なのに、それができなかった。
「妄想」「一人よがり」「自惚れ」「自信過剰」── これが日産の根本的な体質だ。これを直さない限り、どうしようもない。
( ※ 同じ話は、日産だけじゃないですけどね。)
[ 付記 ]
以上の日産批判は、実証可能である。
日産の車のなかで、唯一、爆発的に売れている車がある。米国限定仕様の「アルティマ」だ。これだけが、「日産顔」をやめて、ごく普通のデザインだ。つまり、デザインさえ普通にすれば、爆発的に売れるのだ。
だいたい、ゴーン社長に似てる顔の車なんて、誰が買うんですかね? あれをハンサムだと思うようでは、日産の美的センスはひどすぎる。
● ニュースと感想 (5月12日)
「少子・高齢化」と「投資」の関係について。
「少子・高齢化が進むと、投資が縮小する」という説がある。「少子・高齢化に伴って、人口が減少して、国内需要が縮小する。だから投資も縮小する」
という説だ。もっともらしく聞こえるが、完全に誤りである。
(1) 生産性の向上
生産性の向上は、年 2.5% ぐらいある。この分だけ、経済は拡大する。
実際にば、労働時間の減少にともなって、その分だけ、マイナス効果が出るが、一方、専業主婦や高齢者が職場に進出すれば、その分、労働人口は増えるから、プラス効果も出る。
ま、おおざっぱには、年 2.5% 程度の経済拡大はある。ゆえに、投資の余地はある。
(2) 縮小の規模
少子・高齢化によって、人口が 10年間に5% 縮小すると仮定しても、それによる消費縮小効果は、年 0.5% にすぎず、あまりにも小さい。わずかな景気変動の幅にさえならない。景気変動の幅は、全体の±5% ぐらい。0.5% に比べて、圧倒的に大きい。また、(1)
の生産性向上の 2.5% と比べても、0.5% というのはずっと小さい。
結語
少子高齢化による需要縮小の効果は、確かにある。しかしそれは、あまりにも微々たるものである。小さなマイナス効果はあるが、それを補って余りあるプラス効果が別途ある。差し引きして、プラス。左手で少し減っても、右手でたくさん増える。「少子高齢化による需要縮小」というのは、ただの妄想である。
● ニュースと感想 (5月12日b)
「消費が縮小した」と言われる。では、消費縮小の幅は、どのくらいか?
実は、これは、かなり複雑である。「消費性向が低下した分」と、「所得が縮小した分」とが、合わさっているからだ。(比率と総額の双方。)
前者の分は、だいたい1割くらいだろう。本来ならば消費性向は 80% 以上あっていいはずなのだが、それよりも 10ポイントぐらい下がっているようだ。
後者の分は、ちょっと算定が難しい。常識的に言えば、年 2.5% (生産性向上分)程度の実質所得向上があるはずで、その割合で、GDP も拡大するはずだ。10年間の合計がゼロだと仮定すると、2.5% の 10年分で、30% ほど所得が減少していることになる。(本来の得られるはずの水準に比べて。)
両方を合計すると、40% もGDPが縮小していることになる。……これはまあ、一説である。諸説ありそうだ。
別の推定法では、こうなる。景気回復を仮定すると、潜在失業者も含めた失業率の改善で、8% の生産増。残業時間の増大で、10% の生産増。遊休設備活用の生産性向上(= 時間あたり賃金の向上による消費増)で、5% 〜 10% の生産増。合計して、25% 程度の生産増。……これは、消費縮小と投資縮小を合わせた量(つまり総需要縮小の量)。
おおざっぱには、「2割前後」と言ってよさそうだ。GDP が1割拡大したぐらいでは、失業者の解消ができるくらいで、設備投資もあまり増えないだろうし、せいぜい「病み上がり」と言える程度にすぎず、まだまだ景気は良好とは言えないと思える。(推定・推測)
● ニュースと感想 (5月12日c)
「投資縮小」と「消費縮小」について。
「今は、消費縮小の幅よりも、投資縮小の幅の方が大きいぞ。だから、消費よりも、投資を拡大するべきだ」
という主張がある。初歩的な誤解だが、一応、解説しておく。
この説の前段は正しい。たしかに、消費の縮小は 1割か2割に過ぎず、一方、投資の縮小は大幅である。激減と言っていいほどだ。
しかし、だからといって「ならば投資を増やせばいい」という理屈は成立しないのだ。なぜか?
投資の増減というものは、もともと、消費の増減を大きく拡大したものとなるだからだ。(トランジスターの増幅効果のようなもの。)
なぜか? 投資というものは、減価償却の分を除くと、もともと、追加分でしかないからだ。たとえば、景気が無変化ならば、投資は毎年の減価償却の分だけで、年 15%程度(7年で償却と仮定)。一方、好況で経済が5%拡大すると、生産設備を 100% から 105% まで増やす必要があるので、その5%の分が加算されて、投資額は、年 15% から年 20%へと、通常比 33% 増加する。(逆に、不況で経済が5%縮小すると、その5%の分が減算されて、年 15% から年 10%へと、通常比 33% 減少する……とはなりにくいが、とにかく、大幅に減少するのは確かだ。)
これはかなりおおざっぱな話だ。が、ともあれ、おおざっぱには、そういうふうになる。つまり、消費のわずかな増減に対して、投資の増減は大幅に拡大される。(5% → 33%)
だから、「投資が大きく減っているなら、投資だけを増やせばいい」という理屈はまったく間違っているわけだ。「投資が大きく減っているなら、消費を少し増やせばいい。それだけで、(増幅効果で)投資を大きく増やすことができる」というのが正しい。
( ※ これは初歩的な知識。たいていのマクロ経済の教科書にも、似た話が書いてある。なのに、マネタリストは、なぜ投資ばかりを増やそうとするか? たぶん、マクロ経済の教科書を、読んだことがないんでしょう。)
[ 補足 ]
細かい話をしておく。(特に読まなくてもよい。)
上では「おおざっぱ」と述べた。このことを解説する。
実は、「おおざっぱ」と言うほどでもない。ここで示した数値は、短期的にはおおざっぱであっても、長期的にはかなりきっちりとした数字となる。
まず、設備投資と売上げとには、既存の比率がある。さて、さらに売上げ増をめざすとすれば、この比率をほぼきっちりと守ることになる。なぜか? もし新規の比率が以前の比率よりも高ければ(多くの設備投資が必要であれば)、その事業は収益性が低いから、企業は投資の意欲が湧かない。どうせならもっと収益性の高い事業に投資するだろう。一方、新規の比率が以前の比率よりも低ければ(少ない設備投資で済めば)、収益性が高くなる。うまい話が転がっていることになる。しめしめ。となると、他の企業もわっとその分野に押し寄せて、みんながそろってその分野に大規模な投資をすることになる。となると、たちまち、収益性が低くなる。となって、元のもくあみで、やはり、比率は前とさほど変わらないことになる。
経済学的に言えば、この比率(元の比率)は、均衡点なのである。だから、この比率から、大きく上がったり下がったりすることはない。一時的に上がったり下がったりすることはあっても、長期的には安定する。というわけで、上の本文の論法における数字は、例としては、一応信頼していいことになる。
( ※ 減価償却については、翌日分を参照。)
● ニュースと感想 (5月13日)
「量的緩和は、効果が十分でない」ということの理由として、ちょっとした理由を示す。(つまらない話だから、読まなくてもよい。読むとがっかりするかも。)
要旨は、こうだ。
「量的緩和による設備投資の拡大効果は、あるにはあるが、ただし、設備投資の追加分にしか影響しない」。
私はこれまで、こう主張してきた。
「今は消費が不足している。だから企業による設備投資の意欲が衰えている。ゆえに、量的緩和をしても意味がない」
これに対して、反論が出るかもしれない。
「企業は設備投資をしているぞ。各社の合計を見ると、今でも設備投資は、すごい巨額になるぞ」
というふうに。しかしこれは、既存の額と追加の額を、混同しているのだ。以下で説明する。
企業は毎年、どうしても必要な投資額がある。それは、金利が上がっても下がっても、あまり変動しない。
たとえば、研究開発費だ。景気が良いからといって、急に増やしても、成果がその分、出るわけではない。急増は意味がないのだ。一方、急減すると、それまでの成果が、無駄になってしまうかもしれない。それでは、大損だ。
研究の現場を見ても、すぐわかる。研究者は、テーマをもっている。研究資金を2倍にしてもらったからといって、成果が2倍になるわけではない。研究者の数を2倍にしたからといって、優秀な研究がその年にいきなり2倍出るわけでもない。(クズ研究も含めれば、2倍になるが。)
というわけで、研究開発費というものは、毎年、ほぼ定額を実施するのが、最も有効である。急増も急減も非効率なのだ。
同様のことは、設備の更新についても言える。寿命の来た設備はどうしても更新するべきだし、寿命の来ていない設備を更新するのは無駄である。── このことは、「減価償却」という言葉で理解できる。おおざっぱに言うと、7年で均等償却するとして、毎年 14% は設備を更新する必要がある。とにかく、これだけの設備投資は、もともと確定的に存在しているのだ。たとえ景気が悪化したとしても、設備投資がゼロになってしまうわけではない。
結局、設備投資の額は、基本的には、毎年一定であるのが、一番効率的だ。
ただ、実際には、景気変動につれて、「一番効率的な方法」(つまり「毎年一定」)以外の方法を取ることもある。「利益率の最大化」ではなく、「利益総額の最大化」を狙うことがある。そして、追加の投資をする。この追加の分(不要不急の分)が、利子の変化に応じて、弾力的に変化する。
ただ、あくまで、不要不急の分である。だから、企業が存続の危機に瀕しているときには、こんなものに金をかけている余裕はない。従業員を何百人も首切りしているときに、遊休するはずの設備投資に金をかけるはずがない。
そういうことだ。「量的緩和で効果がある」のは、この不要不急な「追加の分」だけである。「基本的に毎年必要な分」は、量的緩和や金利はあまり関係がない。だから、「毎年いっぱい設備投資しているぞ」と指摘しても、意味はないのである。話はあくまで、「追加分」の設備投資なのだから。
( ※ 経済学用語でいえば、「限界 〜 」marginal というのだけが大事。量的緩和を一定量なしたときに、設備投資がどれだけ増えるか、という比率。総額は関係ない。)
( ※ 「量的緩和が無効だ」というのは、「この比率がゼロになっている」「金利低下による追加分がない」「金は投資に向かわず滞留するだけだ」ということ。)
( ※ そもそもの話、「いっぱいあるぞ」という主張自体が、無意味である。それは単に「ゼロではない」と言っているだけである。つまり「現状は大恐慌ではない」と言っているだけである。たしかに、投資はゼロではないし、現状は大恐慌ではない。しかし、そんなことを話題にしているわけではないのだ。設備投資の総額を、個人の財布と比べて「莫大だ」と主張しても、何の意味もない。「僕の財布には2万円しか入っていないのに、企業全体は莫大な金を投資している」と思うのは、比較する対象が狂っている。)
[ 付記 ]
人間には寿命があるが、企業には寿命がない。なぜか? 企業は、自己の一部を、次々と新しい部分に交換していくことができるからだ。
人間は、手や足を、新たな手や足に交換することはできない。しかし、企業は、そういうことができる。そして、それが「設備投資」だ。古い設備を捨てて、新たな設備に交換する。古い手足に交換するように。そうすることで、自己を、老いた体質から、若々しい体質に、作り替えることができる。
それゆえ、設備投資をやめることは、企業にとっては「死」を意味する。不況であっても、企業は設備投資をやめることはできないのだ。もしやめれば、設備が古いまま、競争力をなくして、やがては死に至る。ここでは「損か得か」の選択ではなく、「生か死か」の選択しかない。
この意味で、最低限の設備投資は、金利に関係なく、常に必要である。ただし、自己を拡大するための設備投資(追加分)は、金利に大きく影響を受ける。ここでは「損か得か」の選択が生じる。得ならばやるし、損ならばやらない。売上げ増が見込めればやるし、売上げ増が見込めなければやらない。……結局、追加分だけが、金利の影響を受けるのだ。
( ※ もちろん、基本的にはそうなる、というだけのことだ。最低限の設備投資も、金利の影響をまったく受けないわけではない。いくらかは影響を受ける。当たり前。)
( ※ なぜやたらと使い投資をしないかというと、企業の売上げはほぼ一定だからだ。たとえば、アホな自動車会社の経営者が、「年間 100万台の販売増」という妄想をいだいて、過大な設備投資をしても、もともと値引きしなければ売れないような車ばかりなのだから、売上げは増えず、追加分の設備投資はすべて遊休する。)
● ニュースと感想 (5月13日b)
朝日のトンデモ記事。堺屋太一の近著の紹介という形。(朝刊・1面・特集 2002-05-12 )
「将来、中国が発展するので、日本の製造業が衰弱し、1ドル=360円 の円安になる」という仮想ストーリー。
メチャクチャな話だ。円とドルのレートは、日本と米国の相対的な関係を示す。中国は無関係だ。中国の通貨が円とドルの双方に対して強くなったとしても、日本と米国の相対的な関係は何ら影響を受けない。したがって円とドルのレートには中国は無関係だ。
「円安」=「円が中国通貨に対して弱い」=「円がドルに対して弱い」
というふうに話を混同している。新聞がこんなデタラメを書いていいんですかね。
(……と指摘しても、馬の耳に念仏か。馬と鹿は経済学を理解しない。)
● ニュースと感想 (5月14日)
「量的緩和と速度」について。
「量的緩和は、効果が十分でない」ということには、理由がいくつもある。そのうち、ひとつを示す。それは、「速度」の問題だ。
量的緩和は、景気回復の効果があるかもしれない。しかし、あるとしても、効果が出るのに、時間がかかるのだ。つまり、速度が遅いのだ。不況解決の経済政策を取ったなら、さっさと効果が出てほしいのだが、いつまでもぐずぐずと不況が続いて、景気回復効果がなかなか出ないのだ。薬で言えば、「即効性」がなく、「遅効性」がある。人間で言えば、「愚図」ないし「ノロマ」である。
(1) 統計調査
まず、歴史的な事実を見よう。これについては、マネタリストが詳細な実証的研究をしている。「量的緩和」の本家本元の調査であるから、信用していいだろう。
量的緩和の効果がちゃんと出るまでには、どのくらいの時間がかかるか? 結論から言えば、1年半程度である。このくらいの時間をかけて、じわじわと効果が浸透していく。(これは、アメリカの例。ただし、どこの国でも、似たようなものだろう。)
つまり、量的緩和をして、金をたっぷり供給しても、その金がただちに国民の消費に結びつくことはない。最初は、銀行などに滞留する。それが、銀行貸出を通じて、企業へ、さらに国民へと、渡っていく。国民にすっかり渡って消費となるまで、1年半ぐらいの時間がかかるわけだ。
その間、物価上昇もじわじわと進むし、消費や生産の拡大もじわじわと進むことになる。ということは、景気回復効果が出るまで、それだけの時間がかかる、ということでもある。
( ※ これを形容すれば、「鋭敏」ではなくて、「鈍い」または「ダル」であるわけだ。そして、このことゆえ、「物価制御は困難だ」とも言われることになる。たとえて言えば、棒の先で石を動かすとき、棒が固ければ石を動かすのは容易だが、棒がふにゃふにゃであれば石を動かすのは難しい。自動車で言えば、「ダル」なステアリング[操舵機]だと、微妙なコントロールは難しい。)
(2) 原理
ではなぜ、1年半もかかるのか? それは、経路が長すぎるからである。経路は、次のようになる。
「量的緩和 → インフレ期待と金利低下 → 一部企業において投資計画の策定 → 投資計画の正式決定 → 投資の発注 → 投資を受けた企業が生産開始 → 投資を受けた企業が販売 → 投資を受けた企業の業績向上 → 投資を受けた企業でようやく賃上げ → 個人消費が部分的に拡大 → 投資を受けない企業(サービス業など)でも業績が向上 → ようやく大半の企業で賃上げ → 個人消費拡大が国中に行き渡る」
という過程だ。実に、迂遠である。どうしても1〜2年はかかる。(賃上げは年にいっぺんだから。)
この原理的な説明だと「1〜2年」となるが、これは、先の「1年半」という統計的調査と、符合する。結局、なるべくして、なったのである。効果の出るのが遅れたのは、遅れるべくして遅れたのである。
なお、上の理屈は「いかにも作り物めいている」と思われるかもしれないが、直感的に考えれば、すぐにわかる。たとえデフレでないときであっても、量的緩和をしたからといって、あなたの所得がすぐに増えますか? 銀行がちょっと金利を下げたからと言って、あなたの会社がすぐに給料を上げてくれますか? そんなことはないでしょう。量的緩和によって、企業の業績がいくらか向上したとしても、賃上げは来年の春まで待たなくてはならない。それまではせいぜいボーナス程度だが、それも春に一括して決まっていることが多いから、やはり、ずっと先の話だ。結局、量的緩和の効果はあるにはあるとしても、それがはっきりと「消費拡大」という結果に出るまでは、どうしても1〜2年はかかる。
( ※ 一方、「減税」ならば、上記の経路で、途中をすっ飛ばして、最初から最後まで一挙に進む。つまり、金を出してから、国民全体に行き渡るまで、かかる時間はゼロである。……さらに、5月11日分 の「インフレ告知」を併用すれば、かかる時間は、マイナスとなる。たとえば、今年 10月に「来年4月から減税」という法律を立法すれば、その瞬間に、消費が拡大する。つまり、マイナス6か月の時点で、人々は「まだ減税は実施されていないが、実施は確実だから、物価上昇が起こらないうちに、さっさと消費しよう」と思うので、消費が拡大しはじめる。その後、数カ月で、消費拡大の効果が十分に行き渡る。……というわけだ。結局、「減税」は「量的緩和」よりは、圧倒的に即効的なのだ。たとえれば、呑めばすぐに効く即効薬だ。ひどい重病の場合だと、完治までは、ちょっと時間はかかりますが。)
( ※ 上の長い経路[風が吹けば桶屋が儲かる ふう?]は、不況をかろうじて脱出するまでの筋書きだ。ここでは遊休設備を解消したにすぎない。設備投資追加の必要性はまだ生じていない。このあと、全企業で設備投資の追加・拡大が起こるまでには、さらに長い時間が必要で、少なくとも、十分な賃上げを二度繰り返したあとのこととなるだろう。3〜4年後か。……1度にドカンとやる減税ならば、すぐに済むことなんですけどね。)
(3) 賃上げのタイムラグ
消費拡大のためには、賃上げが必要である。(さもないと、実質所得減で、消費縮小の効果が出る。)
賃上げは、企業業績の向上にともなって、自然になされるはずだ。もちろん、普通の景気のときなら、「量的緩和 → 企業収益向上 → 賃上げ」というのに、1〜2年かかるが、ま、それだけで足りる。( (1) で述べたとおり。)
では、デフレのときは? もっと悪い。「デフレのときは、企業収益向上があっても、賃上げがなされるとは限らない」のだ。もうちょっとはっきり言えば、企業収益向上による黒字分に対して、それが賃上げに回る分は、ごくわずかである。
なぜか? 企業は、黒字を、過去の赤字解消に回すからだ。これには、かなりの時間がかかる。企業によって違うだろうが、平均して、2〜3年ぐらいはかかりそうだ。そうして累積赤字の解消にメドが立ったあとで、ようやく、まともに賃上げをするようになる。……というわけで、せっかく企業収益向上があっても、それが賃上げに結びつくまで、2〜3年かかる。その分、消費拡大が遅れ、企業業績の回復も遅れ、つまりは、景気回復が遅れることになる。(デフレのときは。)
これはいわば、先の (2) において、途中で「利益吸収」のための穴ぼこがあいているようなものである。いったんその穴ぼこを満たすまでは、先に進めない、というわけだ。(一種の「妨害機構」ないし「遅延機構」のようなものだ。それが「累積赤字」である。デフレのときは。)
このことは、過去の歴史を見ても、実証されている。97〜98年の、景気の小回復期だ。このとき、企業業績は回復したし、株価も上がった。で、賃上げはあったか? なかった。全然なかった。で、人々は、もちろん、消費を増やさなかった。ゆえに、景気は回復しなかった。
仮定の話だが、このとき、企業業績の回復に応じて、3%ぐらいの賃上げがあったなら、一挙に景気は回復していた可能性が強い。しかし、企業経営者はそろって、「まだ累積赤字があるから、そんな余裕はない」と言って、溜まった黒字を、賃上げに回さず、帳簿の赤字を減らすことに専念した。そして、結果的に、景気回復の時期を逃して、デフレをひどくした。企業は、帳簿の赤字を減らすことに専念した結果、帳簿の赤字を大幅に増やしてしまった。
( ※ これは「合成の誤謬」である。個別企業が最善を狙った結果、全体では最悪の結果を招く。……デフレのときは、こうなるものだ。企業経営者というものは、マクロ経済学なんか、全然理解できないからだ。自分で自分のために墓穴を掘っている、ということが理解できないわけ。)
( ※ 「ゲームの理論」の「囚人のジレンマ」でも説明できる。各企業は、賃上げをしないと、他の企業に比べて有利となるので、賃上げをしない。相手よりも有利に立とうとする。しかし、両者が同じように思うと、両者が最悪の結果を得る。)( → 2月19日 )
(4) いけにえ効果
「囚人のジレンマ」は、別の形でも成立する。「全員がそろって行動すれば、最善の結果を得られるとしても、一人だけがそうすれば、その一人は最悪の結果を招く」ということだ。これを「いけにえ効果」と呼ぼう。
たとえれば、こうだ。子犬が百匹いる。ライオンの前で怯えている。子犬がみんなでいっせいに襲いかかれば、ライオンに勝つことができる。だから「みんなでいっせいに襲いかかろう」と子犬たちは決めた。「いち、にの、さん」と号令をかけて、いっせいに襲いかかった……はずだったが、たいていの子犬は怯えて、尻込みしていた。決めたことを素直に信じたのは、数匹だけだった。その数匹だけが、ライオンに襲いかかった。だが、たちまち食い殺されてしまった。
そういうことだ。全員がそろって行動すれば、うまく行くとしても、その行動を、全員がやらないで、自分だけが先んじてやれば、大損するのだ。
第1に、賃上げ。全企業がそろって賃上げをすれば、景気は回復する。黒字だから、賃上げの原資もある。しかし、「自社だけが賃上げをすれば、価格競争力を失い、市場で負けてしまう」と企業は思う。ゆえに、どの企業も、自分だけが率先して賃上げをしようとは思わない。……いけにえの子犬にはなりたくないのだ。
第2に、設備投資。全企業がそろって設備投資をすれば、景気は回復する。低金利だから、融資も受けられる。しかし、「自社だけが設備投資をしたって、個人消費も増えないままだし、遊休設備が増えるだけだ。売上げは増えず、借金だけが増える。これでは倒産してしまう」と企業は思う。ゆえに、どの企業も、自分だけが率先して追加の設備投資をしようとは思わない。……いけにえの子犬にはなりたくないのだ。
結局、賃上げにしても設備投資にしても、みんながそれをやれば景気は回復するとは思っても、自社だけが率先してやる気にはならない。いけにはなりたくない。というわけで、誰もが損をしたくないと思ったせいで、誰もが前へ進まない。仮に、1匹か2匹だけが前に進んでも、無駄に食い殺されるだけで、何の効果もない。
というわけで、いくら量的緩和をしても、全員がそろって前へ進まない限り、なかなか効果は出ないわけだ。そして、「全員がそろって前へ進む」ということがあるとしたら、次の二つのいずれかの場合でしかない。
- 「損を覚悟で全員がそろって進むはずだ」と全員が妄想する( or 全員が自己犠牲をする愛他主義である。)
- 「減税」が実施される。「先に進んだものが損だ」という状況が改められ、「先に進んだものが得だ」という状況が用意される。そこで、全員が、「他人を出し抜こう」と思って、われ先に進み出す。(全員が利己主義である。)
市場経済というものは、そもそも、各人が「利己主義」であることを前提としている。とすれば、結論は、自明だろう。
[ 付記 ]
「インフレ目標」政策というのは、この二つのうち、前者の場合に相当するだろう。「全員が妄想をもてば」だ。確かに、全員が妄想にとらわれて行動すれば、景気は良くなるだろう。
しかしそれは、「国民がみな合理的であれば」という仮定とは反対の、「国民がみな不合理であれば」という仮定の上に立つ。まともな経済学だとは思えませんね。
もし私が経営者だったら、妄想をもたないので、自社をいけにえにするような危険を冒すつもりはない。たいていの経営者が、そうだと思いますけどね。「国民がみな不合理であれば」という仮定を唱える経済学者の説こそ、最も不合理であろう。不合理なのは、国民ではなく、経済学者なのである。
[ 補足 ]
ジョークと思われては心外なので、補足しておく。「インフレ目標」が妄想ではなくて現実となりうるのは、「小さなデフレ」の場合である。小規模なデフレであれば、少数の企業が小規模の投資拡大をするだけで、ただちに「流動性の罠」から脱して、景気は回復するだろう。小さなギャップを飛び越えるというのは、かなり容易である。
しかし、大きなギャップを飛び越えるのは、容易ではない。大規模なデフレのときには、話が異なるのだ。「大幅な需給ギャップが生じて、設備が大幅に遊休しているときに、大量の設備投資を追加発注する」……というのは、どう考えても、あり得そうにない。こういうあり得ないことを信じているのが、「インフレ目標で景気回復」というシナリオだ。妄想。
( → 流動性の第2の罠 )
● ニュースと感想 (5月15日)
「設備投資は需要か?」── この問題を考えよう。
「設備投資は、それもまた需要だ。だから、需要不足のときは、設備投資を拡大すればいい」と主張する人が多い。(特にマネタリスト。)
しかし、誰でもわかるとおり、需要のすべてが設備投資であるわけではない。GDPのうち6割程度が個人消費で、設備投資は2割以下だ。いくら景気が回復して、設備投資が増えたとしても、設備投資の総額は、個人消費の総額よりも、ずっと下回る。なのに、個人消費を無視するというのは、まったく筋が通らない話だ。
設備投資を増やすこと自体は、問題ない。しかし、「設備投資だけを増やそう」というのは、まったく見当違いと言うしかない。物事の主因を見失い、あえて副因ばかりに注目している。
実は、彼らがそう主張する理由は、
「設備投資を増やすのは、金利操作だけで済むから簡単だ。しかし、個人消費を増やすのは、減税をする必要があるので面倒だ。面倒な方法より、簡単な方法がいい」
ということだ。これが本当の理由である。そして、こういう態度は、経済学的に最適な方法を示すものではなく、政治的に最も楽ちんな方法を示すという、それだけのことだ。( → 4月25日 「最怠化」 )
さて。政治家と官僚をサボらせることばかりを考えている経済学者のことはほったらかしておいて、国民にとって何が有益であるかをちゃんと経済学的に考えてみよう。
設備投資は、需要か? ── たしかに、需要である。と同時に、供給力でもある。設備を購入した時点では、ただの需要だが、その設備が稼働し始めると、供給力となる。
では、両者の比率は、どちらが大きいか? それは、「需要」よりも「供給力」の方が、圧倒的に大きい。なぜか? 考えてみれば、すぐわかる。もしそうでなければ、どうして、企業は設備投資をするのか?
たとえば、100億円の投資をしたら、100億円程度の供給増(売上げ増)では、全然不足である。なぜなら、売上げのうち、人件費や原材料費などにも、何割かのコストがかかって、設備投資の減価償却に回せる分は、あまり多くないからだ。たとえば、設備投資の減価償却が、売上げの2割だったとする。他の8割は、人件費や原材料費や粗利益などである。この場合、100億円の設備投資に対して、500億円の売上げが必要となる。つまり、設備投資は 100億円の需要としかならないのに、500億円の供給増加をもたらす。……ここでは、需要拡大効果に比べて、供給拡大効果は5倍になる。
というわけで、とにかく、設備投資をどんどん増やしても、それは、短期的には「需要増加」の効果があるとしても、中期的には、需要増加よりも供給拡大の効果の方が大きい、ということになる。
ま、こんなことは、当たり前ですね。経営者なら、誰でも知っている。しかし、なぜか、経済学者だけは、このことを理解できない人が多いようだ。
朝三暮四という故事成語によると、猿は目先の得ばかりを重視するそうだ。夕方の得よりも、朝の得が大事。さて、経済学者は、朝の需要増加を見ても、夕方の供給増加を見ない。朝だけを見て、夕方を見ない。猿よりも愚かですね。
[ 付記 ]
需要不足のときに、「供給を拡大しよう」というのは、話が根本的に狂っている。にもかかわらず、この手の誤った主張をする経済学者は、非常に多い。
- 構造改革論者
……「産業構造を改革して、供給能力を向上させよう」
- 生産性向上論者
……「個別企業の生産性を向上させて、供給能力を向上させよう」
- インフレ目標論者
……「設備投資を増やして、供給能力を向上させよう」
というふうに主張する。いずれも、供給過剰のときに、さらに供給を増やそうとする。需給ギャップのせいでデフレが生じているときに、さらに需給ギャップを広げようとする。
● ニュースと感想 (5月15日b)
「インフレ目標」と「妄想」について。
前に「妄想」について述べた。「誰かが得をすれば、誰かが損をする。単に配分の変更があるだけで、全体ではチャラである」と。( → 5月07日 )
実は、これは、「インフレ目標」についても当てはまる。「インフレ目標」というのは、マクロ的には、「右手で得して、左手で損する」という政策なのだが、多くの経済学者は、右手だけを見て、「これで得する(だから景気が回復する)」と主張する。ある程度、妄想と言えよう。
具体的に示そう。「インフレ目標」の論者は、こう主張する。「物価上昇率が 2% で、名目金利が 0% になれば、実質金利がマイナス2%になる。これだと、投資が得だから、企業は投資を増やす」と。
なるほど、それはそうだ。右手を見れば、得をする。しかし、左手を見れば、損しているのだ。なぜか?
「実質金利がマイナス2%」というのは、「企業は得」ということだが、その分、「家計は損」ということなのだ。企業は、融資の実質金利がマイナスになった分だけ、得をする。しかし家計は、預金の実質金利がマイナスになった分だけ、損をする。……この損得は、きっちり同額である。国全体で見れば、損得はない。
なのに、論者は、右手だけを見て、「投資は得だ」と叫ぶ。差し引きしてチャラであるにもかかわらず、得だけが発生したと思い込み、「景気回復効果がある」と叫ぶ。── 実際には、得が発生した分だけ、ちょうど同額の損も発生しているのだが。つまり、景気回復効果が発生するだけでなく、景気悪化効果も同時に発生しているのだが。
では、正確には、どう考えるべきか?
「インフレ目標」というのは、二つの効果から成り立っているのだ、と理解するべきである。
第1に、物価上昇による効果。── つまり、「アメとムチ」効果である。物価上昇があると、「貯蓄」が損で、「消費」が得である。ゆえに、貯蓄を減らし、消費ないし投資を増やす。……この点は、これまで何度か述べてきたとおり。( → 「需要統御理論」簡単解説 )
第2に、金利引き下げによる配分変更。── これは、企業と家計の間の、配分変更である。さっき述べたとおりだ。企業に得をさせ、その分、家計に損をさせる。企業はマイナス2%の実質金利で得をして、家計はマイナス2%の実質金利で損をする。……なぜかと言えば、マクロ的には、企業は投資が多く、家計は貯蓄が多いからである。これは要するに、家計の金を奪って、企業に渡すことだ。こうなると、企業は補助金をもらって、手元の金の総額が増えたのと同じことだし、家計は増税されて、手元の金が減ったのと同じことである。
この第1と第2がともにある、ということを理解するべきだ。
企業にとっては、第1の点も第2の点も、どちらも「投資促進」である。ゆえに投資は増えるはずだ。一方、家計にとっては、第1の点は「消費促進」だが、第2の点は「消費抑制」である。(実質所得の減少があるから。)
では、すべてひっくるめると、どうなるか?
その答えは、一概には言えない。ただし、「インフレ目標」賛成論者は、第1の点だけに着目するから、「投資と消費が促進されるから、景気回復する」と主張する。これは、第2の点を無視した考え方である。物事の半面しか見ていないとも言えるし、右手だけ見て左手を見ていないとも言えるし、妄想だとも言える。
そこで、この両者をともに考えることとしよう。
(1) 金利がゼロでないとき
金利がゼロでないときは、差し引きして、景気拡大効果の方が上回るはずだ。なぜか? 金利がゼロでなければ、低い金利に対する需要があるということになる。だから、金利を下げれば下げるだけ、投資という需要は増える。その分、総需要は増える。
このとき、消費の増える分は少なくとも、それを上回って、投資が増えるはずだ。そうならないこともあるかもしれないが、経験的には、金利を下げることで、景気は回復の方向を取るものだ。少なくとも、過去の歴史を見る限り、金利がゼロになることはほとんどなかったわけで、そうなる前に景気は回復したということになる。
(2) 金利がゼロのとき
金利がゼロのときは、どうか? これが問題だ。(今の日本の状態だ。「流動性の罠」ないし「流動性の第2の罠」の状態。)
こういうときは、もともと、多少の物価上昇が予想されても、企業の投資需要はたいして増えない。こういう状態では、ろくに投資が増えないまま、物価上昇につれて、家計から企業への所得移転が起こるだけだ。国民は、「物価が上がるから、早く消費をしなくちゃ」と思う一方で、「物価が上がるから実質所得が減って、消費を減らさなくっちゃ」と思うようになる。……ここにはジレンマが発生する。実際にどうなるかと言えば、個人ごとに異なるだろうが、マクロ的には、だいたい相殺しあうだろう。場合により、景気回復効果の方が大きく出るかもしれないし、逆に景気後退効果の方が大きく出るかもしれないが、いずれにせよ、大きな効果とはなるまい。
結局、企業の投資拡大効果はほとんどなく、国民の消費拡大効果もあまりない。「インフレ目標」賛成論者の唱えるように、「物価が上がるから消費を増やそう」というだけの結果にはならないのだ。
( ※ どうしてこうなるか? 肝心の点は、「ひどい不況のときは、賃上げが予定されていない」からだ。ここに核心がある。── 普通の景気では、十分な賃上げが予想されているので、実質賃金の低下は起こらない。ひどい不況のときは、賃上げがないので、物価上昇の分だけ、実質賃金が低下する。そういう差が付くわけだ。……この件、前にも述べたとおり。 → 後日の 5月21日 でも具体的に述べる。)
結語。
「インフレ目標」による「マイナスの実質金利」は、企業の投資については「拡大」の効果が二重にあるが、一方、個人の消費については「拡大」および「縮小」の両面がある。
「マイナスの実質金利で企業は得するぞ、設備投資が増えるぞ」とだけ主張するのは、愚かしい。「マイナスの実質金利で家計は損するぞ、利子所得が減るぞ」という半面を忘れるべきではない。左手の富を、右手に移して、「右手の分が増えた」と喜んで浮かれるのは、猿知恵っぽい。
そして、その双方の効果が合わさって、全体としてどうなるかは、状況しだいである。小さな不況のときには、全体として好結果になるが、ひどい不況のときには、全体として好結果になるかどうかは不確実である。(賃上げが予想されているか否かに依存する。)
[ 補説 ]
さらに詳しく説明しておこう。比率の問題だ。(特に読まなくてもよい。4月下旬に述べたことと重複する。)
「金利引き下げ」は、個人(家計)から企業へ、金を渡すことを意味する。それがいいかどうかは別問題として、とにかく、そういう効果がある。そして、それが良いか悪いかは、状況によって決まる。── 「投資不足」のときであれば、「投資拡大」のために、企業に金を渡すべきだ。「消費不足」のときは、「消費拡大」のために、個人(家計)に金を渡すべきだ。
初めから言い直そう。まず、第1の「物価上昇」と第2の「配分変更」を、どちらも理解するべきだ。そして、「配分変更」の点で、企業と家計のどちらに得をさせるべきかを、考えるべきだ。
もし「投資拡大だけが必要で、消費拡大は不要だ」と思うのであれば、「企業だけに得をさせるべきだ」という結論になるから、「インフレ目標」を唱えればいい。そして実質金利の引き下げだけをめざせばいい。
逆に、もし「消費拡大だけが必要で、投資拡大は不要だ」と思うのであれば、「消費だけを増やすべきだ」という結論になるから、実質金利を1%程度のプラスにしたまま、減税だけを実施すればいい。
そして、「投資も消費もどちらも増やすべきだ」と思うのであれば、両者を適当に案分すればいい。たとえば、減税を実施して消費を拡大し、かつ、実質金利を1%程度よりも下げる(ゼロ程度にする)とよい。
私としては、最後の方針を勧める。「投資拡大」も必要だが、今は何よりも「消費拡大」が優先する。実質金利は、十分に下げて、投資を拡大することも必要だが、かといって、実質金利をマイナスにするのは、やりすぎである。それは「投資拡大」だけをめざしており、「消費拡大」をまったく無視している。きわめていびつな政策であり、副作用もある。
私は別に、「消費だけを増やせ」と言っているわけではないし、「設備投資を増やすべきではない」と言っているわけでもない。設備投資については、増やしたい企業は、増やせばいいだろう。しかし、増やしたくない企業に、無理に実質金利をマイナスにして強引にやらせるのは、やりすぎである。満腹して食べたくもない人に対し、強引に口に食物を突っ込むようなものだ。
GDP のうち、個人消費は6割程度。設備投資は2割以下。となると、消費と投資の促進の度合いも、この程度に割り振るべきだ、と私は考える。少なくとも、「設備投資一辺倒」というような「インフレ目標」政策は、狙いがずれていると思える。
結局、私が言いたいのは、「投資拡大」と「消費拡大」の比率を最適化せよ、ということだ。これまで何度か述べてきたとおり。
( ※ 個人のうちでも、借金をする個人については、マイナスの実質金利は得である。しかし、マクロ的には、マイナスの実質金利は、企業にとっては得で、家計にとっては損である。明らかに所得移転が発生する。)
[ 注記 ]
「インフレ目標」それ自体に反対しているわけではない。「それ単独でやっても効果は、あまりないから、消費拡大のための減税と組み合わせるべし」と主張しているわけだ。
なお、「マイナスの実質金利」については、賛成できない。このような施策は、たとえ景気回復効果があるとしても、経済を歪めるからだ。この件は、明日述べる。
● ニュースと感想 (5月16日)
「マイナス金利の弊害」および「ゼロ金利の弊害」について。
本項では、次の2点について、順に述べる。
・ 実質金利がマイナスであることには弊害があること。
・ 名目金利がゼロであることには弊害があること。
以下では、この2点について述べるが、ただし、前もって述べておくことがある。話の基本ないし前提だ。
それは、「現状では企業の投資意欲が非常に縮小している」ということだ。
今はもともと、企業に投資意欲がない。こういうときに、多少のインセンティブ(馬のニンジン)を与えて、設備投資意欲を喚起するのは、当然だ。だから、金利をいくらか低くするのは、別に悪くない。問題は、常識はずれと言えるほどの、過度のインセンティブをつけることの妥当性だ。
常識的に言って、金利は、たとえ低くても、ゼロにはならないのが普通だ。では、その限度を超えて、名目金利をゼロにしたり、さらには実質金利をマイナスにしたりすることは、妥当なのだろうか?
なるほど、それによって、設備投資が増えるから、景気回復効果はあるかもしれない。だとしても、総合的に見て、妥当なのだろうか? つまり、そのとき同時に、弊害が発生するのではないか? ── これが問題となる。
普通の経済学者は、物事のプラス面だけを見て、マイナス面を無視している。そこで、本項では、このマイナス面を考察してみる。(つまり、右手だけではなく、左手も見る。)
(1) 実質金利がマイナスであることには弊害がある
実質金利をマイナスにすることには、弊害がある。それは、国民の金を奪って、企業に渡すこととである。マイナスの実質金利によって、国民にその分の損を与え、企業にはその分の得をさせる。── これは、前日分で述べた通りだ。
そして、これは結局、「不採算事業に補助金を出す」というのと同じである。
その設備投資は、とうてい採算ベースには乗らない。だから企業は実施する気がない。そこで、「補助金」を与えることで、あえてその設備投資をやらせるわけだ。
なるほど、補助金をもらえば、企業は不採算の設備投資をするようになる。「だから設備投資が増えるぞ、景気回復効果が出るぞ、万歳」と論者は主張する。しかし、そのとき同時に、国民の側には損失が発生しているのだ。やりたくもない不採算の事業を無理矢理やらせるために、企業には補助金を出し、その分の金を、国民から奪う。
それはいわば、「効率の悪い特殊法人に金を出す」とか、「劣悪な国営企業に金を出す」というのと、同種の考え方である。「そうすれば経済が拡大するだろう」という理屈だ。なるほど、右手だけを見れば、経済が拡大する効果がある。しかし、同時に、補助金を出すために金を損しているわけだから、全体としてみれば、ちっとも経済を拡大する効果はないわけだ。しかも、ここが肝心のことだが、そもそも採算ベースに乗らないような事業を促進するということ自体が、経済学的に完全に間違っている。「経済が拡大すれば、どんな無駄が発生してもいい」というわけだ。
( ※ これはケインズ流の「穴を掘って埋める」というのと同じ理屈だ。どちらも馬鹿げた理屈。常識的に考えれば、無駄は無駄なのだ。しかし、どういうわけか経済学者は、経済的な観念がなくて、無駄を無駄と認識できない人が多い。本件もそうだ。)
もう少しマクロ経済学的に見よう。一般的に、市場経済では、需給の均衡点が最適である。その点が最も無駄がない。さて、この均衡点を、何らかの力を加えることで、移動させることができる。しかし、その力の加え方が問題だ。何をやってもいいというわけではない。何でもありではない。
たとえば、「量的緩和」とか「財政支出」とかならば、ただの経済運営の選択肢の一つだから、それ自体は、別に良くも悪くもない。裁量の範囲内と言えよう。しかし、「補助金」というようなものは、強引な変な力を加えることで、市場をいびつにさせるだけなのだ。(「円安介入」というのも、この種の「いびつにさせる」力である。)
金利操作もそうだ。実質金利がゼロ以上ならば、裁量の範囲内と言えよう。しかし、実質金利をマイナスにするというのは、もはや裁量の範囲内とは言えない。それは国民にとっては、金を奪われるということだ。利子の金をいくらか減らされるのは、金融当局の裁量だからそれも仕方ないだろうが、預金した金を勝手に奪うというのは、ほとんど泥棒も同様だ。およそ裁量の範囲内ではない。「金を貸してあげる」という善行には、報奨金が来るべきなのに、罰金が来るのでは、預金システムに対する信認が崩壊してしまう。しかも、その目的が、「企業にとって得をさせるため」であり、「企業がやりたくもない投資を、無理矢理やらせるため」であり、「およそ採算に乗らない事業を、損を覚悟でやらせるため」であれば、馬鹿馬鹿しくて、国民の怒りは爆発する。
「無駄な事業をあえて実施するために、国民の金を奪うこと」── これはもはや、「市場経済」の枠組みを逸脱して、「社会主義」の枠組みに近づくだろう。そういえば、以前のソ連も、そうだった。無駄な非効率な事業を、「失業者を出さないため」という名目で実施し、莫大な赤字を垂れ流して、その分の損を国民に押しつけた。……これはまったく、「マイナスの実質金利」というのと、同じ発想である。
こういうことが、もし実施されると、どうなるか? 無駄な設備投資が過剰に行なわれるし、設備投資以外の無駄な事業もどんどん行われるようになる。たとえば、「100円かけて、99円しか儲からない」というような無駄な事業が、「マイナス2%の実質金利だから、差し引きして、1%の利益が出る」ことになって、無駄を覚悟で行なわれるようになる。……こういうことを促進するのは、「構造改革」ならぬ「構造改悪」である。「産業構造の非効率化」がなされるからだ。
あまりにも馬鹿げている。「マイナスの実質金利」なんていう呼び方はやめた方がいい。むしろ、正直に、「非効率な経済システムの整備」とか、「不採算な劣悪事業の推進」というふうに呼ぶべきだろう。その方が、経済学者の狂気が、白日の下にさらされる。
( ※ ここで述べたことは、「マイナスの実質金利が景気回復効果をもたない」ということではない。誤解なきように。景気回復効果をもつことは認める。だから、その意味で、彼らの言っていることは正しい。……しかし、正しいが、馬鹿げているのである。「穴を掘って埋める」というのと同じ馬鹿らしさ。タコが自分の足を食って満腹する馬鹿らしさ。満腹できるのは確かでしょうけど。)
(2) 名目金利がゼロであることには弊害がある
名目金利をゼロにすることにも弊害がある。それはケインズの言う「流動性の罠」の発生である。つまり、預金することにインセンティブが働かなくなることにより、国民が金を預金しなくなる。(現金を好む。)……つまり、「タンス預金」が膨大になることである。
金融市場でもそうだ。金を預金して得る利子よりも、その手続きの手数料の方が高いので、ほとんど金が流れなくなる。
いずれにしても、「金の滞留」が膨大になる。そして、「金の滞留」とは、「経済の血液である金が社会に巡らなくなること」である。こうなると、経済は歪んでしまう。
金があまり流れないので、日銀は膨大な金を供給する。それでも金は流れないで、あちこちで滞留する。それらは、当面、眠ったままである。しかしいつか、インフレ期待が発生すると、「どんどん積んでいた薪に火がつく」という比喩の形で、眠っていた金が活動しはじめ、急激な物価上昇を起こす。 ( → 4月07日 )
金利というものは、ゼロであるべきではないのだ。そもそも、「金利がゼロ」というのは、「預金」というものを否定した考え方だ。それは資本主義経済そのものを否定している。
なるほど、イスラム諸国ならば、「利息を取ることはコーランに違反するから禁止」である。では、日本もまた、イスラム諸国のような経済体制にすればいいのか? 利息を取ることを禁止し、銀行業を否定すればいいのか? 昔の原始人が自給自足をしたように、日本でも企業は資金について自給自足すればいいのか? ……馬鹿げている。こういう馬鹿げたことを主張するのが、「ゼロ金利」政策だ。それは金融システムの成立そのものを否定している。(コーランの読みすぎですかね。)
ついでに述べておこう。「ゼロ金利が良い」という主張には、おかしなところもある。定量的に考えれば、すぐにわかることを、定量的に考えないから、デタラメな結論を出す。それは、こういうことだ。
「ゼロ金利は大切だ。0.1% の金利はやめて、0.0%の金利にするべきだ。さもないと、景気が回復しない。0.0%の金利にすれば、景気が大きく回復する」
と彼らは主張する。しかし、定量的に考えてみるがいい。そんなことはありえないはずだ。
仮に金利を 2% から 1% に下げたって、2割も3割も設備投資が増えるわけではない。となれば、金利を 0.1% から 0.0% に下げても、たいして効果はあるまい。せいぜい設備投資の総額は、1% かそこらしか増えまい。この程度は、ほとんど誤差の範囲内だ。
要するに、金利を 0.1% から 0.0% に下げたところで、ほとんど景気拡大の効果はない。逆に、金利を 0.0% から 0.1% に上げたところで、ほとんど景気縮小の効果はない。いずれにせよ、 0.1% と 0.0% との違いなんてものは、たいした影響はないのだ。それを、針小棒大に大騒ぎするのは、妄想と言ってもいいだろう。
私の意見を言おう。私としては、「名目金利はゼロよりも高い方がいい」と主張する。最低でも預金をしたくなるような金利として、「0.3%」を主張する。できれば、0.5% は欲しい。0.5% ならば、人々は「タンス預金」をあまりしなくなるだろうし、金融市場でも金はまともに流れるようになるだろう。「金の滞留」は発生しなくなるだろう。経済は正常に活動するようになる。
( ※ 「景気回復」のためには、「ゼロ金利」ではなくて、別の方策を取る。「減税」だ。)
[ 付記 1 ]
この (2) の問題の、核心ないし本質は、何か?
「景気対策は、金融政策だけでやるのはダメだ」ということだ。そんなマネタリスト流のやり方だと、金利や貨幣供給量ばかりを重視したすえ、結果的に、金を滞留させて、金融市場をマヒ状態にさせてしまう。資本主義経済そのものを、動脈硬化状態にさせてしまう。
だから、金融政策にこだわらず、「減税」(タンク法)という財政政策も用いるべきなのだ。
[ 付記 2 ]
この (2) において、注目すべきは、金利の意味の非対称性である。
預金する国民にとっては、ゼロ金利であるか否かは、大きな違いを生む。100万円を預けて金利がゼロなら、預金する気はないが、金利が 0.5% (5千円)つくなら、預金する気になる。これは「滞留」や「金融システムの正常化」の有無という点で、大きな差をもたらす。
融資を受ける企業にとっては、ゼロ金利であるか否かは、あまり違いはない。だいたい、プレミアレート(最優遇金利)で借りられる優良企業は少ないのだから、たいていの企業は若干の上乗せをされる。たとえば、3% の上乗せ。となると、金利が 3% と 3.5% とで、大差があるわけではない。それっぽっちの差よりは、売上げが伸びて利益が出るかどうかの方が、よほど大事だ。「今は金利が 0.5% 低い」と思って投資をしたら、「今は消費が縮小しているから売上げが全然伸びない」というふうになった、……というのでは、元も子もない。目先の利子を惜しんで、元金を失ってしまっては、本末転倒だ。
( ※ 経営者にとっては常識。なのに、経済学者は、これを理解しない。「利子が低いから投資するはずだ」と勝手に信じ込む。妄想。)
[ 補足 1 ]
先の (1) では、「不採算事業に補助金を出して推進するべきではない」と述べた。これについて、揚げ足取りをする人もいるかもしれないので、念のために補足しておこう。
私は別に、「あらゆる補助金をやめよ」と言っているわけではない。社会的に意味のある特定分野なら、補助金を出す意味もある。たとえば、環境分野とか、特殊な先端分野とか。採算ベースには乗らないが、国家的見地から必要な分野というものは、たしかにあるだろう。そういう分野で補助金を出すのは、それはそれでいい。
しかし、「全産業の不採算事業に、一律に補助金を出す」というのは、とんでもないことだ。私が批判しているのは、そのことだ。
[ 補足 2 ]
素人っぽい疑問もあるだろう。次のように。
「物価上昇があると、実質金利が低下することで、既存の借金の利子払いの額が減る。だから、企業の収益性がよくなる。たとえ投資は増えなくても、収益性向上の効果がある」
と。そして、それは、一応正しい。
しかし、これこそ、私が前日で否定しておいたことだ。つまり、「マイナスの実質金利で、企業が得をすれば、その分、家計は損をする」と。
右手だけを見て「得した」と喜んでも仕方ないのだ。左手の損も見なくては。ここでは単に、配分変更が生じているだけなのだ。
● ニュースと感想 (5月17日)
「将来の年金保険料が将来、多額になる。現状よりもずっと増えて、月収の3割にもなる! 少子高齢化のせいだ。老人が増えるのに、労働人口が減るせいだ。大変だ大変だ」という政府推計。(夕刊・各紙 2002-05-15 。なお、16日の読売朝刊でも、解説記事があり、やはり「大変だ大変だ」と騒いでいる。)
馬鹿げた話だ。ここには、問題点が二つある。
(1) 推計の問題
今回の推計では、「低めの成長率」ということを前提している。従来の推計では、平年の経済データを前提として使用していたが、今回の推計では、最近の経済データを前提として使用する。その数値が、最近の経済状態を反映して、かなり悪い基礎的な数字なので、それが20年以上も続くと仮定した結果、ひどい結論が出される。
あきれた話だ。これは「現状のような不況が 20年以上も継続すれば」ということを仮定している。たしかに、不況が 20年以上も継続すれば、その先には、ひどい未来が待ち受けているだろう。それは確実だ。しかし、そんな仮定そのものがメチャクチャだ。だいたい、不況を 20年以上も継続させるなんて、どういうつもりなんだろう? 小泉以降の政権も、やはり景気悪化の構造改革路線を取り、それが延々と 20年以上も続くということだろうか?
あまりにも馬鹿げた話だ。そうなったら、もはや、日本そのものが沈没しかねない。失業率は 30% ぐらいになっているかもしれない。そちらの方を心配するべきだろう。
これは冗談ではない。今回の推計では、「実質賃金の上昇が年1% だ」と仮定している。生産性の向上は、年 2.5% ぐらいはあるのだから、実質賃金の上昇も、年 2.5% ぐらいはあるはずだ。なのに、実質賃金の上昇が1% だけだとしたら、消費の上昇が生産性の向上を 1.5% も下回ることになる。これは、その分、デフレ圧力となる。── つまり、生産性の向上で、供給力が年 2.5% ぐらいは拡大しているのに、実質賃金の上昇が1% だけなら、総需要の拡大も年1% だけだから、毎年、需給ギャップ(供給過剰)が、 1.5% ずつ拡大していることになる。その分、労働人口が、毎年 1.5% 余剰になる(失業者が発生する)ことになる。
これが 24年も続けば、98.5% の 24乗である 70% になる。つまり、失業率は 30% だ。こんなにひどい失業が発生したら、大恐慌だ。大恐慌で日本が破綻しかけたときに、年金保険料の額が少し増えることなんか心配するのは、頭がイカレている。
結語。
「不況が 20年以上も継続すれば」という前提の上に立った推計など、無意味である。砂上の楼閣。統計のお遊び。
不況がずっと継続すれば、という馬鹿げた仮定を取るくらいなら、さっさと不況を解消して、前提そのものを変えるべし。
( ※ 格言。……人をうまくだますには、数字ほど便利なものはない。誰もが数字に弱い。)
(2) 少子高齢化
少子高齢化なんて、ちっとも問題ではない。たしかに、少子高齢化で、生産年齢人口は激減するだろう。しかし、労働人口が激減することにはならない。なぜなら、遊休している労働人口が、たっぷりと用意されてあるからだ。── それは、女性労働力である。
まったく、日本の女性労働力ほど、遊休しているものはない。欧米ではどこでも、女性労働力は十分に活用されている。東南アジアだってそうだ。ただひとつ、世界のなかで日本だけが、まったく遊んでいるか、低賃金のパート社員になっているか、どちらかだ。
専業主婦にせよ、パート社員にせよ、いずれにせよ、年金保険料や税金の支払いは、ほとんどない。稀に、男並みにバリバリ働いている女性もいるが、そういう人は、代償として、出産を諦めている。── 結局、「子供を産むが、保険料を払わない」または「子供を産まずに、保険料を払う」の、二者択一だ。あまりにも馬鹿げている。
この馬鹿げた状況を改めて、夫婦でまともに共働きするようになれば、「少子高齢化による保険料負担の増大」なんていう問題は、たちまち解決されるのだ。
政府やマスコミは、「大変だ大変だ」と騒ぐよりは、「女性労働力を活用せよ」と叫ぶべきなのだ。
[ 付記 ]
以下、細かなことを、いくつか述べておく。
- 日本だけの男女差別
日本には明白な男女差別がある。「出産すると退職」という不文律もそうだし、「女性を昇進させない」という暗黙の制度もそうだ。どんな優秀な女性にも、下働きやお茶くみをやらせる。こういう状況は、外国人には、きわめて奇異に思われ、ほとんど信じられないらしい。「外国人女性が日本企業でいかに女性差別されたか」という話が、書籍になって、フランスでは 50万部でも売れ、文学賞も受賞たという。おまけに、映画化までされた。(朝日・夕刊 2002-05-16 )
「未開の黄色人種の奇妙な社会習癖」と見なされているのだろう。ま、実際そうだから、反論できませんけどね。
- 男女差別の経済学的効果
男女差別がいけないのは、道徳的な理由からではない。経済学的に、非効率だからだ。だいたい、優秀な女性を生かさないのは、優秀な男性を生かさないのと同じだ。まったく、非効率の極みである。そんなことは、論理的に明らかだろう。
ただ、なぜ日本企業でそういうことがまかり通っているかというと、女性労働者の賃金を下げることで、その分、男性労働者の賃金を引き上げることができるからだ。会社の側から見れば、女性の賃金を下げることで、企業の利益を増やすことができる。
だから、個別企業では、そういう男女差別は、企業や男性社員にとって得である。しかし、せっかくの有能な戦力を無駄にしているとしたら、やはり、社会的には損失である。
また、彼女たちの給料が低いということは、その分、需要が減るということだから、マクロ的には、経済成長を阻んでいることにもなる。
- 男女差別の解消方法
男女差別を解消するのは、簡単だ。「男女差別をした方が得だ」という現状のシステムを改めればいい。企業は、「男女差別をした方が得だ」と思うから、そうするのである。たとえば、出産を機にさっさとやめてもらった方が得だから、さっさとやめさせるのだ。こういう状況を改めればよい。
私の提案は、「男女差別の禁止」を義務づけ、これに反する企業に、「男女差別の課徴金」のようなものを科することだ。たとえば、賃金総額における男女比率を 50:50 にすることを義務づける。女性全員の総賃金が男性全員の総賃金を下回るようであれば、その下回る分について、20% 程度の税金を課する。……こうすれば、企業は否応なく、女性に支払う総賃金を上げようとする。女性労働者を増やすとか、有能な女性に高賃金を払うとか、そういうふうにするだろう。
- 男女の逆差別
上の方法は、男性からは「男性への逆差別だ」と言われるかもしれない。しかし、気にすることはない。女房の賃金が増えて、亭主の賃金が減っても、夫婦はいっしょなのだから、夫婦全体としてみれば、損得はない。夫婦全体を見れば、差別などは考えなくていいわけだ。……強いて言えば、独身の男性が損だ。しかし、そう思うなら、独身の男性は、さっさと結婚すればいい。そうすれば、晩婚が解消し、子供が増える。これはこれで、一石二鳥だ。
- 男性の失業の恐れ
なお、女性がいっぱい働くと、その分、男性は失業するだろうか? そんなことはない。これは、「人口の多い国は、その分、失業者が増える」というのと、同じ心配である。実際には、単に労働者人口が増えたのと同じことだ。つまり、労働者は増えても、その分、所得が増えるから、単に経済の規模が拡大するだけである。需要も供給も同時に増える。だから、別に、失業者が増えるわけではない。
- 2倍になるか?
夫婦で働けば、所得は2倍になるか? どうも、そうなりそうにない。そこで、「夫婦で働いたって、所得は2倍にはならないんじゃ、ダメだ」という反論もあるだろう。
しかし、2倍にならなくてもいいのだ。夫婦が働いて、現状の3割増しの世帯所得を得るようになれば、結局、保険料を払って、ありあまる所得を得ることができる。2倍になんかならなくていいのだ。保険料の分ぐらいの所得増加があればいいのだ。それで問題はすっかり解決するのだ。
実際には、夫婦で働けば、所得は倍増とは行かなくても、6割ぐらいは増えるだろう。ならば、それはそれで、とても好ましいことだ。
- 少子化で養育費用が不要になること
「少子化のせいで、老人を扶養する負担が増える」という説はある。しかし、このとき同時に、「少子化のせいで、子供を扶養する負担が減る」という事実もあるのだ。
子供が少ないので、夫婦は子供を扶養する費用がかからなくなる。その分、財布には金が溜まる。となれば、その分、多めに保険料やら税金やらを払っても、大丈夫だし、その金で、老人を扶養すればいい。
結局、子供を育てる金を一人分減らして、老人を扶養する金を一人分増やすようなものだ。差し引きすれば、プラスマイナスが相殺する。だから、大騒ぎするほどのことはないのだ。
- 現状の負担率が低いこと
政府の推計では、国民の負担が急増することになっている。しかし、それは、換言すれば、現在の負担水準が低すぎるからだ、とも言える。
だいたい、日本の租税負担率や、社会保険料の負担率は、欧州各国に比べて、はるかに低い。消費税一つを取っても、欧州では 15%〜25% ぐらいあるのに、日本は 5% でしかない。年収 400万円クラスの人の所得税も、日本ではほぼ無税だが、欧州ではたんまりと取られる。
単に現行の負担率が低いだけのことだ。「急増するぞ」と大騒ぎするほどのことではない。(こういうふうに外国との比較をすると、大騒ぎがいかに馬鹿げているか、よくわかる。井の中の蛙、大海を知らず。)
[ まとめ ]
とにかく、少子化なんかで「大変だ大変だ」と騒ぐのはおかしい。だいたい、少子化になるような制度を、あえて用意しているのが、今の政府だ。これではまるで、自分で穴を掘って、そこに落ちて、「落とし穴があるせいだ」と騒ぐようなものだ。
だから、騒ぐよりは、まず、穴を掘るのをやめる(穴を埋める)のが先決だ。つまり「少子化促進」の制度を廃止し、「出産奨励」の制度を整備するべきだ。具体的には、「結婚退職」などを強いる企業を状況を改め、同時に、児童手当などの出産奨励策を採るべきだ。
そして、少子化とは別に、女性労働力を活用するように制度を整えれば、問題は何もないのだ。夫婦が働いて、世帯所得が5割以上増えれば、暗い未来ではなく、明るい未来が開けるだろう。(別に、嘘を言っているわけではない。日本以外の欧州や米国は、みんなこうやっている。短時間労働と、バカンスと、高所得と、高福祉。それが当たり前なのだ。日本だけが異常なのだ。それも、男女差別ゆえの、自業自得。)
● ニュースと感想 (5月18日)
年金負担が高額になる問題について。
実は、年金負担(保険料)よりも、もっと怖いものがある。「介護保険」だ。このコストは将来、急上昇する可能性がある。老人の人口が増えるだけなら、生活費を払うだけで済むが、寝たきりの超高齢者がどんどん増えると、介護保険のコストは急上昇する。── こちらの方が、よほど問題だ。
ただし、うまい方法がある。年金問題と、介護保険問題と、さらには海外援助問題を、すべてを解決する、一石三鳥の方法だ。それは高齢者のために、海外に「リゾートランド」(日本人村)をつくることだ。
・ 東南アジアに、「出島」のような租界領域を作る。
・ そこでは地価や食費なども安価で済む。
・ 現地の人を、介護などのために、安価に雇用する。
このメリットは、次の通り。
・ 年金や介護のためのコストを大幅に減らすことが可能。
・ 現地では、失業者が雇用され、外国政府には税収が入る。
経済学的には、いいことずくめだ。ただし、エセ人道主義者が出てきて、きっと反対するだろう。
なぜか? 彼らは、差別主義者だからだ。「老人の輸出なんて、けしからん」と叫ぶ。しかしそれは、「若い人が海外でリゾートを楽しむのは好ましいが、老人が海外でリゾートを楽しむのはけしからん」というわけだ。
主張者は、人権的なことを主張しているつもりらしい。しかし本音は、ひどい老人差別だ。そもそも、若者は、現地の職を奪うので現地には嫌われる。老人は、ただ消費するだけの金持ちだから、現地では非常に歓迎される。ありがたき VIP だ。なのに、それを送り出すのを禁じるとしたら、本音では、「老人というのは汚らしくて邪魔なゴミみたいなものだ。そういう邪魔なゴミを他国に押しつけるのはけしからん」と思っているのだろう。ひどい老人蔑視だ。老人というのは、VIP なのに、その VIP をゴミ扱いするのだから、彼らがいかに老人を蔑視しているか、よくわかる。(本当は若者の方がゴミなんですけどね。若い失業者の輸出なんて、それこそ産業廃棄物の輸出だ。)
この提案は、強制的に老人を送り出すわけではない。「国内で貧しく暮らすか、海外で豊かに暮らすか」は、本人の選択だ。本人の自由意思で決める。だから、何も問題はない。
なのに、エセ人道主義者が反対する。それゆえ、かつて「シルバーコロンビア」という同趣旨の政策がつぶされた。そのあげく、今ごろになって、「年金保険料が多額になる」と騒ぐ。
あほくさい。「年金保険料・介護保険料が低額で済み、誰もがハッピーになれる」という政策はあるのだ。なのに、善人面した人々が、あえてその「優雅な道」をつぶしたのだ。……自分で掘った穴に、自分で落ちて、大騒ぎするわけ。
( ※ 日本に残った老人はどうなる? 勝手にすればいいでしょう。どうせ日本は、冬は寒いし、冬になると風邪のせいで、老人はどんどんポックリ逝ってしまう。南洋で暮らす老人だけが、長生きを楽しむ。)
( ※ 私だったら? もちろん老後は南洋で、優雅に暮らしたいですね。パラダイス。マンゴーやパパイアを食べ、生きのいい魚を食べ、醤油や豆腐は日本人村で入手。世話は現地のメイドやボーイにやってもらう。娯楽はインターネットや書籍や衛星放送で十分。かくて、超リッチな生活。しかも費用は超低額。最大の楽しみは、日本にいる人々が不況や失業に苦しんでいるのを「馬鹿だな」と笑えること。)
● ニュースと感想 (5月18日b)
雑談。「金持ち優遇」について。
高額納税者の発表があった。(各紙・朝刊 2002-05-17 ) これに関連して、「金持ちを優遇するべきか否か」について私の立場を述べる。
私は「金持ちには累進課税をするべきだ」と考える。とはいっても、共産主義社風に、「悪平等」「全員均一」「怠け者にも同じ給与を」と主張しているわけではない。私の主張は、「能力主義」に近い。
ただし、この際、民間の制度と国の制度とを、分けて考えている。── ここが普通の人の意見とは、ちょっと異なる。
(1) 給与体系
民間においては、給与体系は、もっと貧富の差が開いた方がいいと思う。というか、一部の非常に能力のある専門職の人については、もっと高給になる給与体系が好ましい。── ただし、これは、「経営者の給料を上げよ」と言っているのではなくて、独創的な能力のある専門職の人の給与についての話だ。
こういうのは、当然のことだ。野球でも、スタープレーヤーは数億円の年俸だが、監督はずっと低い所得だ。会社でも、同様であるべきだ。青色レーザーを独力で開発して、会社に莫大な利益をもたらした技術者であれば、数十億円の所得でもおかしくはない。
なお、私がこういう「能力主義」を好ましいと思うのは、単に金が目的ではない。そういう制度にすれば、社会が活性化するからだ。今の子供は、「将来は野球選手になりたい」と思う例が多い。しかし、数億円の高給をもらう技術者が続出すれば、子供たちは目の色を変えて、科学の勉強をするようになるだろう。そして、そうなれば、日本の未来は明るい。(現実には暗い。)
(2) 税制
民間の制度は、「能力主義」で貧富の差が開くのが好ましいが、一方、国の制度は、貧富の差を縮小するようにするのが好ましい。つまり、税制は累進制を取るのが好ましい。私はそう考える。(おおざっぱには、現状程度でもいいが。)
所得税については、最高税率のみ、今よりも少し下げた方がいいかもしれない。(前述の (1) と同じ考え。) 一方で、相続税や資産課税については、もうちょっと税率を厳しくしてもいい。
なぜか? 私の主張は、「労働所得は優遇、不労所得は高率課税」だ。単に「金持ちに厳しく」ではない。
自分で稼いで高所得を得た人に対しては、労働所得についての所得税をやや低めにしてもいい。しかし親の遺産を濡れ手で粟で受け取った人に対しては、不労所得についての相続税を高率に課すべきだ。私はそう思う。── なぜならそれが社会を活性化するからだ。(遺産相続ばかりが優遇されると、英国病のようになる。)
[ 付記 1 ]
「日本では所得税の最高税率が高い」という声があるが、実際には、騒ぐほどのことはない。所得税(国税と地方税の合計)は、最高税率が、日本は50%で、米国は45%前後。差は5%だけで、大差はない。昔は最高税率が日本は70%だったが。
最高税率を、さらに5%下げて、米国並みにするべきか? 「そうするべきだ」と主張するエコノミストも多い。しかし、この程度の差は、大騒ぎするほどのこともあるまい。騒いでいるのは、エコノミストだけだろう。「最高税率を5%下げると、日本経済は劇的に向上するだろう」という妄想。
なお、各種控除は、日本の方が多いらしいから、その分まで見ると、実際には、日米の差はほとんど無視してもいいかもしれない。(所得階層別に、実効税率を見ると、低所得の階層を中心に、日本の方がかなり下回っているようだ。)
[ 付記 2 ]
「高所得者を優遇するべきだ。アメリカのように。そうすれば経済が活性化するぞ」
と主張する人がいる。どうも、「税金を下げれば、経済が活性化する」と思い込んでいるようだが、根本的に勘違いしているようだ。「ノブレス・オブリージュ」という言葉も知らない田舎者の発想だろう。
アメリカでは、高所得者は、優遇されている。しかし、優遇されているだけではない。制度や納税義務とは別の、モラルがある。高所得者は、税率は低くても、寄付をたくさんする。大金を寄付しない普通の人は、ボランティア活動をする。
「アメリカを見習え」と叫ぶ人は、まず自ら、アメリカ人を見習って、立派に行動するべきだ。寄付をしたり、社会奉仕のボランティア活動をしたり。多額の遺産があれば慈善活動に寄付したり。……アメリカ人なら、誰でもやっていることだ。
そういうこともできずに、「税金を負けよ」と唱えるようでは、ただの身勝手な黄色い田舎者でしかない。鼻つまみ。自分がいかに不躾であるか、自覚するべきだろう。
[ 付記 3 ]
「最高税率を引き下げるべきだ。そうすれば有能な人が優遇されて、経済が活性化するぞ」
という主張もある。特に、企業がこう主張する。
これも、話が根本的におかしい。有能な人を優遇したければ、まず、企業が社員の能力に応じて、高給を払うべきなのだ。アメリカのように。なのに、せいぜい2倍ぐらいの格差しか付けない。
企業はやるべきことを完全に間違えている。「最高税率を下げよ」と国に要求するのではなく、まず自ら、有能な社員に対する最高給与を、引き上げるべきなのだ。
そもそも、いくら税率を下げても、肝心の給料が低いままでは、絵に描いた餅でしかない。年収 1億円以上の税率がいくら下がっても、当人の年俸がせいぜい1千万円のままでは、最高税率引き下げは、何の意味もない。……こんなことがわからないんですかね?
それとも、わかっているのかな? つまり、有能な社員の給料は低くする。無能な老人経営者の給与を馬鹿高くする。それが本来の目的か?
なお、次項(翌日分)も参照。
● ニュースと感想 (5月19日)
前日分の続き。
「民間企業は、能力のある人に高給を払うべきだが、国は、累進的な税制をとるべきだ」
というのが、前日の主張だった。これはつまり、
「民間企業は、民間企業のやるべきことをやればいいし、国は、国のやるべきことをやればいい」
ということだ。つまり、本来ならば、
・ 民間企業は、国の税制には口出しない。
・ 国は、民間企業の生産性向上に口出しをしない。
というふうにするべきなのだ。
しかし、である。現実には、それと反対になっている。
・ 民間企業は、「国は高所得者優遇の税制を取れ」と言う。
・ 国は、「企業は生産性を向上させよ」と言う。
つまり、民間企業は、国の税制について「ああしろこうしろ」と主張する。国は、民間企業の経営に「ああしろこうしろ」と口出しをする。どちらも、相手側の領分に口出しをする。それでいて、自分のやるべきことが、ほったらかしだ。本来やるべきことが、おろそかになっている。
結語。
企業も国も、「経済活性化のために、こうやるべし」と口出しばかりをするが、他人の仕事に口出しするより、自分の本分をやるべきだ。それを逆にしているから、日本経済はどんどん悪化する。
特に、政府だ。企業努力に関することは関与するべきではない。政府の本分は、マクロ政策だ。今はそれだけが必要なのだ。
( ※ 「そんなことは経済学のイロハだろ」なんて言わないでください。政府は経済学のイロハを知らないんですから。小泉や竹中が知らないのはやむを得ないとしても、財務省の官僚も、経済学者の半数も、こういうイロハを知らない。彼らはいまだに、「経済活性化のために投資減税を」なんていう馬鹿げたことを言って、消費を縮小させたまま、さらに供給を過剰にしようとしている。)
● ニュースと感想 (5月19日b)
「貯蓄偏重」について。
「日本では家計の蓄えが 1420兆円もがあるが、貯蓄偏重だ。投資に回る分が少ない。株式などの有価証券に回るのは 10% だけだ。米国は 55%、ドイツは 35%だ」という指摘がある。(朝日・土曜版 be 2002-05-18 )
ここまでは事実の指摘だ。さて、「だから日本も米国・ドイツ並みになるようにすべきだ。政府はそのための優遇税制を整えよ」という主張がある。
これはつまりは、「大量の金を株式市場に流し込めば、株価が急騰し、資産インフレが起こる。そうすれば証券会社が儲かる」という主張である。(主張者は証券会社社長。記事は例によって、「企業トップにご意見伺いします」という記事。たぶん、企業から金をもらって書いているのだろう。)
この主張は、話の根本が狂っている。肝心の点を見失っているからだ。それは、「米国では、上場されている企業の数が圧倒的に多い」ということだ。米国では、企業の数が多いのだから、そこに流入する資金も多くなって当然だ。
一方、日本のように、少ない企業に同様の多額の資金を流入させれば、株価収益率は悪化するし、当然、実態以上の過剰な価格が付いて、資産インフレ(バブル)が起こるだけだ。
もう少し説明しよう。米国の株式市場には、ナスダックがあり、ここにはベンチャーなどが多数上場されている。一方、日本のジャスダックや店頭市場は、はるかに小規模であり、ほとんど無視してもいい程度の企業しか参加していない。
つまり、日米では、上場されている企業の規模も数も大差がある。だから双方で、株式市場に流入する資金も大差があって当然なのだ。「同額にせよ」などというのは、話が根本的におかしい。
では、根本問題は、何か? 日本ではなぜ、多くの企業が上場されないのか?
そもそも、「日本では、ベンチャーがなかなか上場されない」という状況がある。そして、そのまた原因としては、「日本ではベンチャーが成立しにくいこと」がある。
日本ではベンチャーが成立しにくい。なぜなら、やたらと大企業の信用ばかりが重視され、ベンチャーはなかなか相手にしてもらえないからだ。画期的な新製品を開発しても、日本の大企業には軒並み断られ、米国企業のみが採用してくれる、というのが普通だ。だから、ベンチャーが成功するコツは、「まず米国企業と取引をすること」である。そういう一定の実績を示さないと、日本企業は取引をしてくれないのだから。
根っこはここにあるのだ。「政府が優遇税制をすればいい」というようなものではないのだ。企業そのものが保守的な体質を改めない限り、日本経済はどうしようもないのだ。
[ 付記 ]
なお、私の言っていることは、誇張ではない。例として、日産自動車を示す。
日産は、ゴーン社長が現れるまで、どんなに高コストでも、系列会社とだけ取引をしていた。系列会社であれば、高コスト・低品質・低技術の製品であっても、そのまま取引を許され、外部の優秀な会社は排除された。(ルノーとの比較では、日産の購入する部品は1〜2割も割高だ、という内部調査が出た。)そういうことを続けていたので、日産は大赤字を出し、倒産寸前になった。
ところが、系列優先を排して、優秀であればどんな外部の会社とでも取引をするようになったら、驚異的な利益率を上げるようになった。(車は全然不人気で売れないのに、利益率は驚異的なのだから、コスト低下がいかに有効だったかがわかる。)
少なくとも日産は購買態度を改善した。しかし他の日本企業は相変わらず「系列優先」である。外部のベンチャー企業に門戸を開いている企業は少ない。
ただ、最近は、不況なので、同一品質の部品であれば、外部から低コストの物を購入するようにはなってきている。しかし、安い物を購入することはあっても、優れた技術の物を購入するというふうには、なってきてはいないようだ。ベンチャーにとっては、まだまだ厳しい。そして、それゆえ、日本の成長力はそがれているのである。
「日本を良くするには、国が税金を負ければいい。特に自社の分野で、税金を負けてくれ。これで日本経済は活性化するぞ」なんてことしか言わない経営者。そういう経営者ばかりでは、日本はいつまでたっても、ダメなままなのである。
( ※ 「そんなこと、当たり前だろう」と思うかもしれない。しかし、朝日新聞はほとんど連日のように、それと反対の記事ばかりを掲載している。企業経営者にご意見伺いして、「うちの企業の分野の税金を負けてくれ。これぞ景気回復策だ」という記事ばかり。経済学の知識がゼロだから、こういうデタラメな提灯記事ばかりを掲載するのだろう。「朝日にだまされないように注意すべし」というのが、本項の意図だ。とにかく、朝日の記事は、全部、企業のCMだと思った方がいい。)
[ 余談 ]
「証券業界が儲かるように、株式への優遇税制を」なんて主張するトンチンカンな経営者にかわって、私がまともな提案をしておこう。
国民が株式投資をしないのは、税制で優遇されていないからではない。企業が軒並み赤字で、しかも先行きに希望が持てないからだ。だから、個人資金を市場に招きたいなら、「企業の業績を改善させよ」と主張するべきなのだ。そして、その方法は、ただひとつ。「景気回復」のための「正しいマクロ政策」である。
どうせ政府におねだりするにしても、おねだりするものを間違えている。「税制で1%ぐらい優遇してもらおう」なんて考えるより、「企業収益を大幅に向上させて株価を100%ぐらい上昇させよう」と考えるべきなのだ。
そんな簡単なことがわからない。証券会社の社長からしてこうなのだから、日本の経済界はトンチンカンぞろいだ。
● ニュースと感想 (5月20日)
5月15日b ,5月16日 の続き。
5月15日b では、次のように述べた。
・ インフレ目標はあまり有効でない。
・ 将来の量的緩和で、マイナスの実質金利があっても、有効でない。
・ なぜなら、供給過剰のときは、設備投資の意欲がもともとないからだ。
では、有効ではないことをやると、どうなるか? インフレ目標による「マイナスの実質金利」は、何も起こさないだけか? いや、有効でないかわりに、有害となる。次の二点がそうだ。
・ マイナスの実質金利は、国民の金を企業に渡し、消費を減らす。
・ 過剰な資金は、設備投資でなく、資産投資に向かう。
前者は、先に述べたとおりだ。( → 5月16日 )
後者は、本項で新たに説明する。
実は、これと同種のことは、以前も述べたことがある。( → 1月06日b の (2) ,4月27日 の 付記2 ,4月28日 補説 ) それは、次のことだ。
「過剰な量的緩和は、インフレではなく、資産インフレを招く」
さて、本項では、これをさらに強めて、次のように主張する。
「インフレ目標は、インフレではなく、資産インフレを招く」
これは重要な主張である。多くの経済学者は、「インフレ目標によって、インフレが起こる」と主張する。しかし、実際には、インフレは起こらず、資産インフレが起こるだけなのだ。つまり、マイナスの実質金利によって、投資が起こるとしても、その投資は、設備投資とはならず、資産投資となるだけなのだ。
これが本項の結論である。以下では、理由を説明をする。(このうち、(1) については、すでに何度か述べた。)
(1) 企業の投資意欲がない
デフレ期においては、そもそも企業の投資意欲がない。
そのことを示すのが、「ゼロ金利」だ。もし資金需要があれば、資金における需要と供給の関係で、金利はゼロにはならない。逆に言えば、金利がゼロということは、「金利がタダでも借り手がいない」という状況を示すので、資金需要がないことになる。(「流動性の罠」という一言でも説明可能。)
( ※ なお、これは、「投資がまったくない」というのではなくて、「金利低下によって増大する追加分の投資がない」ということだ。 → 5月13日 )
(2) マイナスの実質金利
さて。企業の投資意欲がない状況で、物価上昇の期待が出たら、どうなるか?
このとき、「マイナスの実質金利」が発生する。たとえば、物価上昇率が2%で、名目金利がゼロで、マイナス2%の実質金利。── こうなると、「投資をした方が有利なので、企業は投資を増やすはずだ」というのが、「インフレ目標」論者の主張だ。しかし、そのシナリオ通りに行くだろうか?
たとえば、「実質金利がマイナス2%であれば実施する」という設備投資があったとする。その設備投資は、100円の投資をしても、98円しか回収できない。だから、差額の2円に相当する分を、マイナスの実質金利で補うしかない。ゆえに、「差額の2円に相当する分を、マイナスの実質金利で補えば、設備投資は増えるはずだ」というのが、「インフレ目標」論者の主張だ。
しかし、企業の経営者の立場で、考えてみよう。企業にして見れば、「マイナス2%」の実質金利を得れば、その事業は採算に乗る。だから、設備投資をしてもいい。しかし、その事業は、しょせんは2%の赤字を出すような不採算事業なのだ。マイナスの実質金利により、赤字は出さずに済むが、黒字になるわけではない。
それより、もっといい投資先がある。資産投資だ。こちらは、もともと不採算ではない。常識的には、物価上昇率と同じだけの資産価値上昇があるはずだ。(景気が回復途上であれば、さらに多くの資産価値上昇があるはずだ。) ここで、「マイナス2%の実質金利」があれば、その分、利益を得ることができる。
結局、企業にしてみれば、「不採算事業への設備投資なら、利益はゼロ。単なる資産投資なら、利益は2%(以上)」となる。つまり、同じ投資をするにしても、設備投資よりは資産投資の方が、ずっと有利である。となれば、どちらを取るかは、自明だろう。
それゆえ、投資は、設備投資よりも、資産投資に向かうのである。
(3) インフレと資産インフレの比率
実際には、企業にとって「設備投資よりも資産投資が有利だ」とわかっていても、「資産投資一辺倒」ということにはなるまい。設備投資にも、そこそこの割合が回るだろう。その意味では、「インフレ目標は有効だ」と言える。
しかし、あくまで「そこそこの割合」でしかない。つまり、「インフレ目標が有効だ」と言えるためには、設備投資に回る金に比べ、その何倍もの金を、資産投資に向けることになる。企業に対し、あまりやりたくない設備投資を十分にやらせるためには、「これでもか、これでもか」とばかり、過剰な資金を市中に出回らせることとなる。それでもなかなか設備投資が増えないので、「設備投資を増やすには、とにかく量的緩和をすればいい」という理屈で、どんどん資金をあふれさせる。たとえば、100兆円分のインフレ効果を引き起こすために、500兆円分の資産インフレを引き起こす。
これは、結局、「インフレをろくにもたらさないまま、資産インフレを過剰にもたらす」ということだ。── そして、そういうことは、過去にもあった。80年代のバブル期がそうだ。
(4) バブルの再来
「インフレ目標」がもたらすのは、インフレではなくて、資産インフレであるということ。── このことは、歴史によって証明されている。バブル期の日本がそうだ。
「日本はまだインフレ目標政策を実施したことがない」と思っている人々が多いようだ。しかしそれは誤解である。日本は「インフレ目標政策」を実施していたことがある。バブル期に。
当時、日銀は、「インフレ目標」政策を取っていた。つまり、「物価上昇率を基準にして金融操作をする」という政策を取っていた。いくら資産インフレが発生しても、それを無視して、物価上昇率だけを見て、「まだ物価上昇率が3%以下だ。物価は安定している。ゆえに金融緩和を続けよう」という方針を取った。つまり、「インフレ目標」政策だ。
そして、その結果は? 途方もない資産インフレの膨張であった。大量の金が市場に供給されたが、その金は、設備投資や消費にはいくらか回るだけで、大部分は資産投資に向かった。「財テク」という言葉がもてはやされ、企業は設備投資よりも資産投資にいそしんだ。「土地転がし」という言葉が紙上をにぎわせたように、土地の売買は盛んになったが、このとき、一般の設備投資はたいして増えなかった。(いくらかは増えたが、異常と言えるほど増えたわけではなかった。金利は5%を越えていたから、それも当然だろう。異常と言えるほど増えたのは、資産投資だけだった。)
当時、少数のエコノミストは、「バブルの急膨張は危険だ。いつか破裂するぞ。だから今のうちに、金利を大幅に引き上げ、バブルをつぶせ」と警告した。しかし、日銀は、「物価上昇率だけを見ていればいい。物価上昇率が高くなるまでは金融を引き締める必要はない」という立場を貫いた。「インフレ目標」だ。かくて、ひどい資産インフレが発生していたにもかかわらず、「まだインフレではない」「まだ物価上昇が起こっていないから、まだ需要過剰ではない」と思ったので、金利を引き上げなかった。……結局、まさしく「インフレ目標」を取ったことによって、バブルを急膨張させ、日本を破滅に導いた。
今となれば、少数のエコノミストの主張が正しく、世間のエコノミストの99%は間違っていたことになる。しかし当時、人々はそう気づかなかった。人々は、自らの愚かさに気づかず、「自分たちは正しい」と思い込んでいた。日銀は、金融を引き締めなかったし、企業や消費者は、せっせと資産投資に金をつぎ込んだ。「好況は永続する」と信じて。
そして、今また、同じことが繰り返されかけているのである。マイナスの実質金利は、設備投資よりも資産投資をもたらすだけなのだが、にもかかわらず、論者は、「物価が上昇するまで、どんどん量的緩和を続けよう」と主張して、過剰な量的緩和によって、資産インフレというバブルを再発させようとしているのである。
過去の失敗を理解できない人は、未来においても同じ失敗を繰り返す。
余談。
実は、バブル期に警告した「少数のエコノミスト」には、私も一応含まれる。私は当時、「バブルの急膨張は危険だ。バブルをつぶせ」と主張した。同じように、私は今、「過剰な量的緩和は危険だ。それはふたたび、インフレでなく、資産インフレを発生させるだろう」と主張する。
バブル期には、インターネットがなかったので、私が何を叫んでも、誰も聞く耳を持たなかった。しかし今は、インターネットがあるので、聞く耳を持つ人も少しはいる。── それだけが、両者の違いだ。ただそれだけが。
[ 付記 1 ]
実質金利がマイナスのとき、投資は起こるとしても、設備投資よりは、資産投資に向かう。── これが、本項の要旨だ。このことについて、いくらか補足しておく。
企業の行動は、次のように要約できる。
・ もともと設備が遊休しているので、設備投資の意欲がない。
・ たとえ投資意欲があっても、設備投資よりも資産投資の方が利益が高い。
・ 設備投資の方がいいと思えるのは、消費が拡大したときである。
・ 消費が拡大すれば、企業は設備投資を増やす。
・ 企業が設備投資を増やしても、すぐには消費は増えない。
(1〜2年程度のタイムラグがある。 → 5月14日 の (3) )
[ 付記 2 ]
「インフレ目標」は、「マイナスの実質金利」を確実に保証するわけではない。このことに注意しよう。
「インフレ目標」が保証するのは、「景気が回復するまで、金利を低めに誘導する」ことだけだ。だから、景気の回復にともなって、金利は上昇する。そして、その上昇のペースを、いくらか遅くする、ということを保証しているだけだ。
たとえば、物価上昇率が2%のときに、金利を0%にする。そうすると、投資が有利なので、投資が急拡大するかもしれない。しかし、投資が急拡大すれば、物価上昇率は急上昇する。となると、2%から4%、すぐに上がる。ここで、金利は2%ぐらいに上がる。さらに景気過熱の目が見えれば、金利はどんどん上昇する。半年かそこらで、4%仁摩で上がることだろう。
結局、景気回復のペースが速ければ速いほど、「マイナスの実質金利」の期間は短いことになる。「1〜2年ぐらいの間は、マイナス2%の実質金利だろう」と予測しても、そういう甘い具合には行かないのだ。
「インフレ目標」は、「マイナスの実質金利」を確実に保証するわけではない。これが事実なのだ。そして、そう気づけば、企業は、たとえ「インフレ目標」があっても、急激に設備投資を拡大することはあるまい。
ま、常識的に言って、企業の経営者は、そういう「バクチ」みたいなことはしないものだ。「確実に売上げ増加が見込めるとき」つまり「確実に消費が拡大しつつあるとき」のみ、設備投資をする。「予想金利だけで決める」というのは、よほどバクチ好きの経営者だけだろう。(たとえばデリバティブで自社を破綻させたエンロンのような。)
[ 付記 3 ]
バブル期に、設備投資は大して増えなかった、と先に述べた。
ただし、例外もある。バブル期にも、設備投資の増えた業界がある。それは、自動車業界だ。
とはいえ、ここには、自動車業界の特殊事情がある。消費税導入にともない、自動車の物品税が廃止されたり、3ナンバー車の税率が下がったりして、税負担が急減した。そのせいで、自動車の販売が急増し、同時に、自動車業界の設備投資も急増した。
当時、日産自動車などは、「250万台体制」などという掛け声のもとに、大幅な設備投資をした。新たに工場を建設した。販売台数の急増が、永続するものと信じ込んだ。
しかし、しょせんは一時的な事情による販売台数の増加にすぎないのだから、まもなく、販売台数は急減した。急拡大した設備投資は無駄となった。工場は余分となり、以後の同社の最大課題は、「いかにして過剰設備を廃棄するか」「いかに工場を閉鎖するか」であった。最終的には、それでは足りずに、自社をルノーの子会社とするしか、生き延びる策はなくなった。
バブル期に経済学者は、「設備投資の拡大で、景気拡大が続く」と主張していた。そういう経済学者の妄想を信じると、日産自動車のように自らを崩壊させるハメになる。
今も、「インフレ目標」なんてものを信じて、過剰な設備投資をする会社があれば、その会社はやはり、自らを崩壊させることとなるだろう。( → 5月14日 の (4) 「いけにえ効果」 )
[ 付記 4 ]
とにかく、企業は設備投資をしたがらない。たとえ金利が低くても、設備投資をしたがらないのだ。なぜなら、消費が少ないので、売上げ増加が見込めないからだ。
こういうときに、欲しくもないものをいくら与えても無駄だし、食べたくもないものをいくら食べさせようとしても無駄だ。
「馬を泉に近づけることはできるが、馬に水を飲ませることはできない」……この意味をよく理解するべきだろう。
● ニュースと感想 (5月21日)
「物価上昇と個人消費の関係」について。(前日の続き。)
前日に述べたのは、「物価上昇と設備投資の関係」であった。「物価上昇が予想されても、企業は、設備投資を増やさず、資産投資を増やす」ということであった。
これと関連して、「物価上昇と個人消費の関係」を考えてみよう。(話は前日の補足ふう。)
すでに 5月15日b で述べたことだが、物価上昇には、個人消費を「増やす効果」と「減らす効果」がどちらもある。
第1に、物価上昇による「アメとムチ」効果。(早く消費をすると得で、遅く消費をすると損。)
第2に、物価上昇による実質所得の減少。(マイナスの実質金利で、企業が得した分、個人は損をする。)
このどちらの効果が大きく出るか? だいたい同じぐらいかもしれない。ただ、私が前に述べたように、「賃上げが確実」であれば、第2の点は補われるはずなので、第2の点は無視していいだろう。しかし、デフレ期には、賃上げが予想されないので、第2の効果である「実質所得の減少」が大きく出るだろう。( → 5月14日 の (3) )
具体的に示す。
「物価上昇」と「実質賃金低下」が予想されているとき、人々はどう行動どうするか? もちろん、二つの行動を取る。
・ 必要な出費は、なるべく早く支出する。
・ 不必要な支出は、なるべく切りつめる。
具体的には、どうなるか? 普通の人にとって、どうしても必要なのは、食費・住居費・被服費・電気代・学費などの日常的経費である。これらは、できれば、早めに支出したい。しかし、これらは「支出の先食い」は不可能である。毎月ほぼ定額を払うしかない。
では、耐久消費財は? 先食いするのが有利である。だから、ある程度は、需要の先食いが発生するだろう。その分、景気回復効果が出る。……とはいえ、実際には、そういう目論見通りには行きそうもない。たとえ耐久消費財であれ、人はやたらと買い急ぐことはない。( → 詳しくは、本項最後の [ 補説 ]で。)
では、「日常的経費」も、「耐久消費財」も、支出先とはならないとしたら、個人にとって、物価上昇が発生したとき、支出する先はないのだろうか? いや、ある。「資産投資」だ。
人々が「日常的経費」も「耐久消費財」も、「先買い」をしないが、なぜかと言えば、「需要の先食い」をしても、「品物が腐る」からだ。生野菜は文字通り腐る。パソコンや自動車は、先買いして保存しておけば、型が古くなるので、実質的に腐る。何であれ、みな腐る。
しかし、例外がある。「資産」となるものだ。土地であれ、株であれ、宝石であれ、金塊であれ、有価証券であれ、「資産」となるものは、腐らない。(実は、「腐らない」ものを「資産」と呼ぶのである。)
だから、物価上昇が予想されたとき、確実に増えることが予想されるのは、「消費」ではなくて、「資産投資」である。── 特に、実質金利がマイナスのときは。
結局、個人も、企業と事情は同様であるわけだ。
「インフレ目標によって、マイナスの実質金利を予想させれば、需要が増えます。企業は設備投資を増やすし、個人は消費を増やします」と経済学者は言う。しかし、実際には、設備投資や消費に比べて、その何倍も「資産投資」が増えるのだ。「インフレ」が起こるのではなく、「資産インフレ」が起こるのだ。
「インフレ目標によって消費拡大」という狙いは、ほとんど実現しないだろう。物価上昇と実質賃金低下が判明したとき、人々は急いで消費を拡大するよりは、資産投機に走るだろう。
やはり、「インフレ」ではなく、「資産インフレ」の発生。
[ 補説 ]
耐久消費財の買い急ぎ効果について。
たとえ物価上昇があり、早く買った方が得だとわかっていても、人はそうやたらと、耐久消費財を買い急ぐことはない。このことは、「減価償却」「元を取る」という考え方をすれば、わかるはずだ。買い急ぐとは、どういうことか? 買った値段の分だけ利用しきっていないものを、さっさと捨てるということだ。そんなことをすれば、まだ元を取っていないので、損をする。
たとえば、パソコンだってテレビだって、買って1年目でまた買い換えることはない。買い換えが必要となるまで、なるべく先延ばしするはずだ。
「買い急ぐと得な耐久消費財」として、すぐ思い浮かぶのは、自動車だが、自動車もまた、通常は3年目か5年目の車検のときに買うものであり、買って1年目にすぐまた買い換えることはない。
「早く買わなくっちゃ」と思うことがあるとしたら、「買い換え」ではなく、「1台目の新規需要」だ。これはたいてい、十代か二十代の若者の話である。まだその耐久消費財を買っていないので、「さっさと買わなくっちゃ」と思う。しかし、彼らは、とっくの昔から、それが欲しくてたまらなかったはずだ。なのに、買わなかったとしたら、それを買えなかったのだ。つまり、金がなかったのだ。とすれば、「買い急がなくっちゃ」と思っても、手元不如意なので、やはり、買い急ぐことにはならない。(したくても、できない。)
結局、金のある人は、買い急ごうとはしないし、買い急ごうとする人は、買う金がない。かくて、「需要の先食い」ないし「需要の拡大」の効果は、たいしてあるわけではない。ま、少しはあるだろうが、急激に景気を拡大させるほど、大規模な消費拡大があるわけではあるまい。
( ※ だいたい、「物価上昇率を計算して、消費を増やすかどうか考える」なんていう人など、たいしているはずがない。通常、物価上昇率なんか、いちいち計算しない。単に「欲しければ買う」、もしくは、「急に財布に金が入ってリッチになったら買う」というだけだ。 → 5月11日b )
( ※ 普通の人が、こういうふうに物価上昇率をかなり無視するのは、それはそれで、ある程度当然と言える。通常、物価上昇率と賃上げ率は、ほぼ同じだから、物価上昇率が上がろうが下がろうが、たいして違いはないのである。「計算するだけ、頭が痛くなるので、面倒だ。1%ぐらいの損得なんて、計算していられるか。ふん」と思う人が大半だろう。私もそのクチです。……値札で1%違うのなら、すごく気にしますけどね。)
( ※ ま、いずれにせよ、「物価が上昇して、実質金利がマイナスだから、消費を増やそう」なんてことは、たいていの個人は、まず考えないだろう。よほど細かい計算をする人以外は。)
( ※ ただし、唯一、考える場合がある。それは、数百万円単位の「資産投資」をする場合だ。だからこそ、インフレではなく、資産インフレが発生する。)
[ 付記 ]
「資産インフレによって、インフレが起こる」と主張する経済学者も出るだろう。これについては、明日分で否定する。
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