[付録] ニュースと感想 (21)

[ 2002.07.01 〜 2002.07.10 ]   

  《 ※ これ以前の分は、

    2001 年
       8月20日 〜 9月21日
       9月22日 〜 10月11日
      10月12日 〜 11月03日
      11月04日 〜 11月27日
      11月28日 〜 12月10日
      12月11日 〜 12月27日
      12月28日 〜 1月08日
    2002 年
       1月09日 〜 1月22日
       1月23日 〜 2月03日
       2月04日 〜 2月21日
       2月22日 〜 3月05日
       3月06日 〜 3月16日
       3月17日 〜 3月31日
       4月01日 〜 4月16日
       4月17日 〜 4月28日
       4月29日 〜 5月10日
       5月11日 〜 5月21日
       5月22日 〜 6月04日
       6月05日 〜 6月19日
       6月20日 〜 6月30日
         7月01日 〜 7月10日

   のページで 》




● ニュースと感想  (7月01日)

 サミュエルソンの意見。(読売・朝刊・1面・コラム 2002-06-24 )
 「米国の 90年代の成長は、労働分配率が低かったからだ」という意見。そして、「これは、世界のどこでも成立するだろう」という意見。
 この二つの意見のうち、前段は正しいが、後段は間違い。

 「米国の 90年代の成長は、労働分配率が低かったからだ」というのは、正しい。消費を抑制して、投資に回した。その結果、高度成長ができた。以前の日本や、途上国でも、そうだった。このことは、何度も指摘したとおり。( → 6月10日6月21日
 ただし、である。それが成立するのは、「需給ギャップが発生していなければ」つまり「需要が不足していなければ」という前提が成立する場合だけだ。── 不況でなければ、それが成立するので、どんどん成長していく。しかし、いったん不況となると、需要が不足する。こうなると、供給を増やせば増やすほど、状況は悪化の一途となる。
 つまり、「状況しだい」というのが正解である。「その方法はどこでも成立する」と思うのは、間違いだ。
 たとえば。── 健康であるときは、スポーツをすることで、人の体力はどんどん向上していく。病気であるときは、スポーツをすることで、人の体力はどんどん悪化していく。「ある人に成立するなら、他の人にも成立するだろ」という推測は間違いなのだ。

( ※ このことを理解しない人々を、一般に「古典派」と呼ぶ。病気状態の日本経済に対して、健康人に対する処方ばかりを繰り返す。「企業体力を向上させるためには、かくかくしかじか」などと。「まず病気[需給ギャップ]を治すのが先決だ」ということがわからない。小泉や政府の方針は、こういうものばかりだ。かくて病気は悪化するばかり。)


● ニュースと感想  (7月01日b)

 中央公論 2002-07月号に、榊原英資の意見がある。「日銀券のかわりに、政府証券を発行する。これで不良債権処理をすればよい。景気回復と不良債権処理ができて、一石二鳥だ」という主張。
 さて。「日銀券のかわりに、政府証券を発行」というのは、日銀券を発行するのと実質的に同じだから、意味はない。経済的には、どちらでも同じことだ。(ただし、経済的にはともかく、政治的には愚劣である。自販機でも使えない紙幣を出すなんて、社会混乱を招くので、愚劣の極み。)
 それはともかく、「景気回復と不良債権処理ができて、一石二鳥だ」というのは、どうだろうか? 「名案だ」と思うかもしれない。しかし、まともに考えれば、これもまた愚劣である。
 この考え方は、例によって、「金は空から降ってくる」という発想なのだ。「政府証券を発行すれば、その分、富が増える」という発想だ。貨幣数量説を全然理解していない。貨幣を増やせば、その分、貨幣の価値が減るだけだ、ということを理解していない。(どうも、この人は、まるきりケインズ派に属するようだ。だからマネタリズムの考え方を全然理解できないらしい。)

 本質的に考えよう。「貨幣を増やして、それで不良債権処理をする」とは、何を意味するか? 次のことだ。
 前者は、何を意味するか? 「富は少しも増えていない」ということだ。ここでは、単に物価上昇が発生して、名目価格が増えているだけであり、富はちっとも増えていない。(とはいっても、「インフレ効果」自体は好ましい。)
 後者は、何を意味するか? 「増えたを、不良債権処理に使うのではない」ということだ。単に、富の配分変更をしているだけだ。つまり、国民の富を奪って、不良債権処理につぎこむだけだ。
 以上をまとめれば、この政策は、次のことと等価である。
 問題は、後者だ。
 これは「徳政令」と同じことだ。事業に失敗した相手に対して、国が尻ぬぐいをするわけだ。で、それは、本質的には何を意味するか?
 それは、「構造改革」とは逆の、「構造改悪」だ。「劣悪な企業に対しては、補助金を贈り、一方、優秀な企業に対しては、罰金を科する」ということだ。それはつまり、「優秀な企業から、劣悪な企業へ、富の再配分をする。そのことで、日本の経済構造を、質的に劣化させる」ということだ。

 そもそも、市場経済では、劣悪な企業はつぶれるし、優秀な企業は拡大する。そのことで、市場全体が効率化する。……これは、小泉たちの信じる「進化論的な市場経済万能論」だが、基本的には、これは間違っていないのだ。
 小泉たちが間違っているのは、「そのために、どんどん水をぶっかけて、企業をどんどん苛酷な状況にさらそう」ということだ。そういう人為的な環境悪化は、無駄に企業をつぶすだけなので、状況を悪化させる。私はそのことを批判してきた。
 しかし、だからといって、それを正反対にすればいいというものでもない。「水をぶっかけるかわりに、お金をぶっかけよう。ダメな企業をどんどん優遇しよう」なんていうのも、もちろん、間違いだ。
 前者は、古典派的(市場経済万能論)的な考え方。後者は、ケインズ派的な考え方。どちらも、間違いだ。現在の状況を、冷やせばいいわけではいいし、温めればいいわけでもない。正常な状況にすることだけが大切なのだ。……その意味で、古典派も、ケインズ派も、ともに間違いである。

 「政府の金で不良債権処理を」というのは、「悪しきバラマキ」の典型である。「国の金だから、好き勝手に使ってしまおう」とか、「有効な分野に重点的に使おう」とかいう考え方だ。それは、発展途上国においては、正しいこともある。しかし、先進国経済においては、あまり好ましいことではない。好ましいのは、「良いバラマキ」つまり、「全国民に均等なバラマキ」なのである。この両者を区別するべきなのだ。
( → 第3章「政府か国民か」)

 [ 付記 ]
 常識的に言っても、「徳政令」なんてのは、モラルの荒廃を引き起こすし、とんでもないことだ、とわかる。ただし、この手のひどい主張をする経済学者は、非常に多い。たいていは、ケインズ派だ。「穴を掘って埋めろ」とか、「タヌキ専用道路を作れ」とか、「自然破壊のためのコンクリートの塊を作れ」とか。……彼らは、モラルが荒廃しているだけでなく、頭の中身が荒廃しているのである。
( ※ 「数字だけを合わせればいいだろ」という帳面屋に似ている。物事の本質を考えず、帳面の数字だけを見ればいい、という考え方。この手の経済学者は、非常に多い。)


● ニュースと感想  (7月02日)

 スティグリッツの「IMF批判」。
 スティグリッツのIMF批判は、以前から相当ある。インターネット上にも論文和訳があるし、月刊誌「サピオ」の少し前の号にも論考があったし、また、一冊の著作もある。(「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」という本。その書評は、朝日・朝刊・読書欄 2002-06-30 にも少しある。)
 いずれも、内容は、大同小異だ。「IMFはいかに愚かで悪いことをやっているか」という批判である。
 たとえば、アジア金融危機で、IMFが25%の高金利政策を強要して、多くの経営破綻を招いたことへの批判だ。IMF政策を取らなかったマレーシアが大丈夫だったこととの対比をしている。

 私見を述べよう。  スティグリッツの言っていること自体は、正しい。しかし、これは経済学ではない。ただの悪口にすぎない。「おまえは失敗したぜ。ば〜か」と言っているだけだ。便所の落書きのようなものだ。
 IMFはたしかにバカである。しかし、問題は、なぜバカであるかだ。つまり、なぜ間違えたかだ。そこを分析するべきだ。
 私の考えでは、IMFの失敗の理由は、「金融政策だけですべてを片付けようとしたこと」つまり「マネタリズムで片付けようとしたこと」にある。アジア金融危機では、投資マネーの急激な流出が起こった。それに対して、IMFは「高金利」という金融政策だけで取りつくろおうとした。そのため、途方もない高金利を引き起こし、同時に、経済を過剰に萎縮させた。経済を拡大するべき時に、経済を縮小させてしまった。そこに根本的な失敗の理由がある。

 そして、この話は、現在の日本にも関連するのだ。  今、日本では多くの経済学者が、「量的緩和だけ」である。これは、IMFの「高金利だけ」とは正反対ではあるが、「金融政策だけ」という点では、同じである。同じ穴のムジナ。状況が反対だから、方向が反対であるだけであり、立場としては、「金融政策だけ」という点で、まったく同じなのだ。

 どうも、ここのところをわかっていない経済学者が、多すぎるようだ。物事の本質をつかめていないわけだ。スティグリッツの批判を聞いて、「アジアで失敗したIMF(マネタリスト)はバカだなあ」と笑っている人が多いが、そう笑う本人が、「日本で失敗したマネタリストはバカだなあ」と笑えないで、逆に、「量的緩和をせよ。マネタリストに従え」と真面目な顔をして言う。
 これを称して、「目クソ鼻クソを笑う」と言う。
( ※ この件、 7月08日 に続く。)

 [ 付記 ]
 正しくは? もちろん、「金融政策だけ」でなく、「増減税」を組み合わせればよい。ポリシー・ミックスの箇所で述べたとおり。( → 4月下旬のあたり。)
 アジア経済危機のときは、金利引き下げよりも、増税をすればよかったのだ。そのことが金利引き上げと同じような効果をもつ。その分、金利を引き下げる。消費を縮小させ、投資を拡大させる。いわゆる高度成長路線だ。このことで、高度成長が約束されるので、投資資金も戻る。
 現在の日本では、それとは逆に、減税をすればよい。

 [ 付記 ]
 スティグリッツは、「消費税を一時的に減税せよ」という主張をしている。
 これは、悪くはないが、まずいやり方である。その理由は、すでに示したとおり。( → 4月19日b
 簡単に言えば、こうだ。減税として 36万円を行なうとして、それを消費税でやれば、2年間(720日)でなら、1日に 500円。1カ月なら 15000円。これでは、小遣い程度だ。これっぽっちでは、景気回復の効果は、ろくにない。
 むしろ、最初にドカンとやるべきなのだ。今すぐ 36万円をもらえば、その多くが消費に回される。「インフレ告知」を併用すれば、急速に景気回復が起こる。そのことで、波及効果が発生する。36万円の減税で、景気回復が起こり、50万円ぐらいの消費増加も起こりそうだ。
 とにかく、「最初にドカン」が大切なのだ。シブちんな減税は、意味がない。そのことは、もう何度もやって、実証されている。



● ニュースと感想  (7月02日b)

 「財政政策」と「流動性の罠」。
 「金融政策が無効になっているなら、財政政策をやればいい。財政政策で景気回復」という主張がある。
 これ自体は、正しい。ただし、「財政政策であれば、何でもいい」というわけではない。ダメなものもある。次の二つが代表例だ。

 (1) 不良債権処理
 前日の榊原英資の主張など。「不良債権処理に財政支出をすれば、それで、経済が拡大するから、景気回復効果があるだろう」というわけだ。
 しかし、これは成立しない。なるほど、不良債権処理に金を出せば、その金は、民間に入る。しかし、民間は、それで金を得ても、その金をほとんど支出しない。企業であれば、その金を設備投資には回さない。個人であれば、大金を1年で全額は使わない。結局、投資も消費もほとんど増加しないから、生産の増加には結びつかない。ゆえに、景気は回復しない。単に、その資金が、滞留するだけだ。
 結局、日銀が大量の金を提供して、その金が滞留するかわりに、政府が大量の金を提供して、その金が滞留するだけだ。こんな財政政策は、やっても無駄である。害ばかりが多く出る。

 (2) 投資減税
 投資のための減税というのも、減税の一種であり、財政政策の一種である。しかし、投資意欲そのものが非常に減退しているときには、効果がない。企業は、減税で金をもらっても、それを単に貯蓄するだけだ。ここでも、単に滞留が発生するだけだ。

 結語。
 単に金を出せばいいというものではない。実質的な生産が増加することが必要なのだ。「金を出せば経済は動く」と思うのは、経済学者の思い上がりである。通常の経済状態であれば、それは成立するだろう。しかし、「流動性の罠」の状態のときには、それは成立しないのだ。
 マネタリストも、ケインズ派も、ここのところを理解しない。「金を出せばその金は滞留せずに使われる」と思い込む。大いなる錯覚。


● ニュースと感想  (7月02日c)

 バブル破裂に関して、FRB(米国連邦準備制度理事会)のリポート。(読売・朝刊・経済面 2002-06-29 )
 「バブル破裂の直後には、ただちに大幅に金利を低下させるべきだった。ぐずぐずしているから、デフレになって、制御不能になってしまった」
 という見解。これは、私が先に述べていたことと、ほぼ同じである。( → 第3章・前「落ち込んだ場合」 ,第3章・後「日銀の失敗」)

 [ 付記 ]
 FRBのリポートは、こうも述べている。
 「バブル破裂後だけでなくく、不況が深刻化したあとでも、90年代前半に、さらに金利を2%ほど下げて、ゼロ金利にしていれば、不況を脱出できただろう」と。( → 4月27日の最後の表 に金利データ。)
 これは、推測である。これが正しいかどうかは、検証のしようがない。そうであるかもしれないし、そうでないかもしれない。「正しい」としたら、「設備投資の増加だけで景気が回復できる」ということになるが、そうである保証は何もない。
 私が政治家だったら、そんなことは楽観的なことは言わないだろう。
 なぜか? 「こうすれば景気回復が確実にできる」というような政策のみ、実施してよい。「こうすれば景気回復ができるかもしれない」というような政策は、実施するべきではない。一国経済を賭けて、丁半博打をするべきではないのだ。
 まともな頭があれば、誰だって、そういう道を取るはずだ。「こうすれば確実に生きていける」という安全な道と、「こうすれば生死は半々だ」という危険な道と、二つがあるとき、人は前者の安全な道を取るべきだ。「後者の方が料金は安いから、後者を取ろう」などと思って、命懸けの綱渡りをするのは、狂人である。

( ※ たいていのマネタリストは、こういう狂人である。「金融政策は、コストが安い。それでうまく行くかもしれないぞ。だから、金融政策だけで済ませよう」と。まったく、ものすごい楽観的なギャンブラーだ。)
( ※ 実を言うと、金融政策だけでなく、均等バラマキの減税も、コストはかからない。……このことは、タンク法や国債の関連で、かつて説明しておいた。 → 4月29日 etc. )


● ニュースと感想  (7月03日)

 「構造的失業と需要不足失業」について。失業を2種類に区別する考え方がある。次のように。

 「構造的失業」(摩擦的失業・ミスマッチ失業)とは、雇用のミスマッチによる失業だ。たとえば、IT技術者には求人が多いのに、それに適した人材がいない。この分野では、人手は不足している。一方で、農業や経理などの分野では、失業者が発生している。……こういう雇用のミスマッチで失業が発生している。こういうのは、ただのミスマッチであり、本当の失業ではないのだ、というわけだ。
 「非自発的失業」(需要不足失業)とは、総需要が不足していることで、労働力需要全体が不足してしまい、それで起こる失業だ。本当に問題なのは、こちらだけだ、というわけだ。

 こういう区別は、以前から、古典派(サプライサイド・マネタリスト)が主張している。しかし、私は、「こういう区別は無意味だ」と考える。
 私の考えでは、「構造的失業」なんてものは無視してよく、失業はすべて需要不足失業である。つまり、あらゆる責任は政府にある。政府の弁解は一切許されない。「構造的失業」なんてのは、政府の弁解としての詭弁である。私はそう考える。
 なぜか? 理由は二つ。

 第1に、「雇用のミスマッチ」というものは、あらゆる経済状況において常に発生する。好況であろうと不況であろうと、常に発生する。そして、この「雇用のミスマッチ」を考慮した上で、なおかつ、失業をなるべく発生しないようにすることが、政府の責任である。
 結局、「雇用のミスマッチ」が何%あろうと、関係ないのだ。「雇用のミスマッチ」があるなら、それを解消するほど、「人手不足」の度合いを強めるように、総需要を拡大する(そして労働力需要を拡大する)べきなのだ。それが政府の仕事である。
( ※ この考え方の基本は、「需要統御理論」で述べた。)

 第2に、「雇用のミスマッチ」というものは、あらゆる経済状況において常に発生するが、そのミスマッチは、もともと価格調整されるのだ。(古典派の大好きな「市場経済」「価格調整」である。古典派が、なぜこのことを主張しないのか、まったく不思議である。)
 たとえば、IT技術者であれ、独創的な半導体開発者であれ、人手不足が発生するのは、まったく当然である。しかも、この人手不足は、本質的に埋めることが不可能である。なぜか? それは、「高賃金」であることと同義だからだ。そもそも、優秀な技術者は、常に不足している。だからこそ、彼らには、高賃金が払われるのだ。仮に、優秀な技術者が余ってしまって、単純労働をする人がいなくなってしまえば、単純労働をする人が高賃金になる。現実には、そうならない。人類史上、いつどこにおいても、優秀な技術者は不足している。だからこそ、いつでもどこでも、優秀な技術者には高賃金が払われる。
 つまり、優秀な技術者が不足して、かつ、単純労働者が余るというのは、当然なのだ。高賃金の職種の労働者が不足して、かつ、低賃金の職種の労働者が余るというのは、当然なのだ。つまり、雇用のミスマッチが生じるのは、当然なのだ。……こういうのは、ごくごく当然なのであり、まったく当たり前のことだ。
 そして、こういう当たり前の状況を理由として、「全体では人手不足は発生していない」などという計算をするのは、比べられないものを比べているわけで、頭がイカレている。
 たとえて言えば、「日本では失業者があふれている。しかし米国では人手不足が発生している。差し引きすれば、失業者の不足は発生していない。日本で失業が発生していても、世界的にはちっとも問題ではない」と主張するようなものだ。比べられないものを比べている。詭弁。 ( *

 結語。
 失業というものは、常に避けるべきものである。かつ、政府の経済政策しだいで、失業は避けることが可能である。「構造的失業と需要不足失業」というふうに、2種類に区別する考え方は、政府の無能無策を弁護するための、ただの屁理屈である。

( ※ 私の考えでは、こんな屁理屈を言う経済学者は、狂人である。上の ( * ) を見ても明らかだろう。)

 [ 付記 1 ]
 「雇用のミスマッチ」という考え方が、いかに奇妙であるかは、商品市場と比較してみればわかる。
 たとえば、半導体のメモリが過剰生産になっていて、野菜のキャベツが品不足だったとする。ここで、「需給のミスマッチがある。NECや富士通は、半導体のメモリの生産をやめて、キャベツの生産をするべきだ」とか、「そのために、政府は補助金を出して、構造改革を促進させよ。no-Japan 計画だ」なんてことを言っても、ダメなのだ。
 そりゃまあ、理屈の上では、NECや富士通がメモリの生産をやめて、キャベツの生産をすれば、需給のミスマッチは解決するだろう。しかし、そんなことは、馬鹿げている。机上の数字あわせにすぎない。(経済学者はやたらと、こういう「机上の数字あわせ」ばかりをやる。)
 労働者だって、同様だ。労働者がそう簡単に、別の職種に転職できるわけではない。それはNECが農業をやるのと、同じぐらい馬鹿げている。なのに政府は、こういう馬鹿げた政策を、強引に推進する。── それが、「IT講習会」というやつだ。中高年のおばちゃんたちに、無意味なIT教育をすることに、多額の税金を費やす。( → 11月03日b の (3)

 [ 付記 2 ]
 ではどうすればいいか、と言えば、「価格調整(賃金調整)で」である。たとえば、IT技術者が不足しているのであれば、IT技術者の賃金を高くすればよい。
 一方、「政府が産業構造を改革させる」というのは、社会主義的・国家計画経済的な考え方だ。e-Japan とかね。ま、やってはいけない、とは言わないが、古典派の人々がそんなことを主張するのは、自己矛盾だろう。「市場経済」主義は、どこへ行ったのだ?
( ※ 彼らは失業に対しては、「賃金低下で失業を解決できる」と主張する。その一方で、人手不足に対しては、「賃金上昇で人手不足を解決できる」と主張しない。……前者では市場原理が成立すると主張し、後者では市場原理が成立しないと主張する。ご都合主義。)
( ※ 「南堂説はそれを逆の形にしたご都合主義ではないか?」という批判もあるかもしれない。違う。私は、「価格調整」を原則とするが、「賃金の下方硬直性」も主張する。だから、「賃金低下では失業を解決できない」とは主張する。その詳しい説明は、 → 1月18日 「雇用における流動性の罠」)

 [ 付記 3 ]
 「価格調整」という考え方に従えば、優秀な技術者は、実は、全然不足していないことになる。なぜなら、その価格で、量的に均衡しているはずだからだ。
 仮に、不足している社があれば、もっと高賃金を払えばいい。そうすれば、他社から引き抜いて、たちまち人手不足は解消する。(高賃金を払えないようであれば、そもそも雇用する資格がない。)
 だから、実際には、「優秀な技術者が不足している」のではなくて、「安月給で我慢してくれる優秀な技術者が不足している」だけだ。それは、つまりは、「優秀な技術者を雇うのに、安月給で済ませたい」「当然の高給を払いたくない」という、経営側のムチャな望みが満たされないだけのことだ。
 足りないのは、優秀な技術者ではない。企業の人件費である。もっと正確に言えば、「人件費を低くしよう」「給料を下げよう」と思うばかりの、経営者の脳味噌が足りないだけだ。

( ※ こういう馬鹿な経営者が、「わが社は独創的な人材を求める」としきりにPRする。「で、いくら払うの?」と聞くと、「平凡な社員と同じ給与だ」と答える。こういう馬鹿な経営者と、馬鹿な経済学者は、発想が同じである。いずれも「需給曲線」というものを理解できないわけ。)
( ※ ついでだが、「IT技術者が不足している」と政府が主張するのは、間違っている。IT技術者というのは、低賃金・過密労働の典型だ。こんな職種で働くのは、よほどの物好きだけだろう。……ま、例外的に、IBMのように、年収 3000万円ももらえるところもある。こういうところでは、全然、技術者不足は起こらない。技術者不足が起こるのは、残業が毎日6時間ぐらいあって、給料は激安、というようなところだ。IT分野では、こういう会社は、とても多い。サービス残業と過労死だらけ。なのに政府は、「こういう職場では、技術者不足が起こっています。雇用のミスマッチです」と述べる。呆れるね。頭のミスマッチ。)
( ※ もしプログラマが本当に不足しているのならば、プログラマを雇用した会社は、大幅な利益を上げているはずだ。そして、賃金も高額を払えるはずだ。しかるに、実際には、そうなっていない。── 結局、「プログラマの賃金が低めだ」ということは、「本当はプログラマの不足などは生じていない」ということを意味するわけだ。不足しているのは、「有能なのに低賃金で働いてくれるプログラマ」だけである。そういうのが不足するのは、当たり前のことだ。)
( ※ 「プログラマが真に不足している」という状況は、過去においては、あった。今から 20年ぐらい前には、C言語を使えるプログラマは数少なく、非常に高給を得ることができた。しかしプログラマがどんどん増えるにつれて、プログラマの不足は解消され、それにともなって、賃金は大幅に低下していった。今や、プログラマはありあまっているから、低賃金・長時間労働となる。……これを理解できないのが、「 e-Japan 」を唱える政府であり、「雇用のミスマッチ」を唱える経済学者である。)

 [ 付記 4 ]
 「価格調整(賃金調整)すればいい」と述べたが、ここを誤解しないでほしい。
 古典派は、「失業が発生するなら、賃金を下げれば雇用の場が増える」と主張する。そういうのは、正しくない。失業が発生する分野は、低能率なのだから、「賃金を下げて存続する」のではなくて、「賃金を払えないからつぶれる」のが正しい。……たとえば、生糸産業は、存続しにくい。こういうとき、「賃金を下げれば生糸産業は存続できる」と主張するのは正しくなく、「生糸産業は(賃金をまともに払えないので)日本では成立しない」と主張するのが正しい。
 このとき、政府がなすべきは、マクロ的な調整だけだ。総需要を拡大すれば、まともな賃金を払えない産業はつぶれ、高賃金を払える産業が成長する。政府がいちいち産業構造に介入する必要はない。
( ※ 古典派はここのところを勘違いしている。小泉の「構造改革」も同様。)

 [ まとめ ]
 失業問題の解決に対する私の主張は、「政府による総需要の拡大と、市場における価格調整(賃金調整)で」である。政府が、個別の産業に口出しして、産業間の労働需給関係を強引に調整することは、国家統制的であり、あまり好ましくない。市場において、うまく流動化がなされるようにするだけで、十分だ。
 これと似た話は、企業経営においても、成立する。技術者が不足して、事務職員が余ったとする。このとき企業は、事務職員を技術者へと、強引に転換させるべきではない。むしろ、社内公募や年俸調整などで、自然に最適の職種転換がなされるようにするべきだ。

 [ 補足 ]
 少し補足しておこう。
 私は上記で、IT講習会に反対した。ただし、「政府による職業訓練で、労働者のスキルアップ」というのには、私は基本的に賛成する。では、その違いはどこにあるか? 
 「需給のミスマッチの解決のために、とにかく何が何でもIT技術者を養成しよう」なんていう考えは、ダメだ。しかし、「個々の労働者のために、各人に最適の職業訓練をなそう」という考えは、好ましい。
 後者は、産業政策と言うよりは、教育政策である。その目的は、失業の解消ではなくて、所得の向上である。

 [ 参考 ]
 (1) 古典派の説には、フリードマンの「自然失業率仮説」などがある。
 (2) 失業の資料として、下記のものがある。( pdf 450KB )
    http://www.csfb.co.jp/client_entrance/research/economic/eco020510.pdf
 政府の示す統計的な数字(有効求人数の数字)が、実態から離れていることを示す。「統計のトリック」のようなものの一例となるだろう。
 (3) 次のエッセーもある。本項と関連する、失業の話題。
    http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2659/zakkan/zakkan13/uv.html
 (4) 失業率の最新情報は、数日前に、新聞で報道された。史上最悪レベル。総数 375万人。ちっとも改善していない。「企業の景況感」は、輸出増加にともなって、いくらか向上しているが、失業率自体は、少しも改善されていない。輸出増加の効果も、つぶれてきたようだから、お先も暗い。……明るいのは、政府の吹聴する見通しだけ。「今度こそ」「今度こそ」と、毎度述べる。オオカミ少年。(≒ ライオン)


● ニュースと感想  (7月04日)

 失業対策の具体策。
 「政府による雇用促進策」というのがある。いわゆるセーフティネットだ。これは、玉石混淆である。次の (1) (2) (3)

 (1) 教育
 「雇用訓練や労働者教育── これは、労働者のためにやるのなら、有効だ。ただし、「産業構造の調整」というような名目で、「猫も杓子もパソコン講習会」というのは、馬鹿げている。
( ※ 前日に記述したとおり。)

 (2) 補助金
 「雇用補助── これは、は、大金がかかる割には、有効ではない。
 たとえば、失業者を企業に試験雇用させて、一定期間後に正式雇用させるように仕向ける。その間、「雇用訓練」という名目で、国が賃金の大部分を払う。( 参考記事:朝日・朝刊・経済面 2002-05-23 。デンマークの例では、国民総生産の1%という巨額の金を使う。)
これは、ある意味では、無駄ではない。「失業手当」として莫大な金を払うよりは、その間、同じ金を払って、試験雇用させた方が、ずっとマシではある。
 しかし、本質的には、「失業手当」を払うのと、さして変わりはない。あまりにも多大な無駄が発生する。企業は、対して必要のない社員を、補助金目当てで、無理に雇うようなものであるから、経済効率の面からも、あまり好ましくはない。効率アップよりも、効率ダウンをめざす道だ。最悪を避けるだけで、悪い状況をめざすという点では、「失業手当」とさして変わらない。
 やはり、あくまで、市場経済のもとで、均衡により最適化をめざすべきだ。補助金というような余計なものは、この原則を逸脱させるだけだ。失業者を無理に雇わせるよりは、自然に雇わせるようにするべきだ。

 (3) 失業保険
 今の失業保険は、二重の意味で、好ましくない。
 第1に、働かなくてももらえるので、遊び半分で失業保険の給付をもらう人がいる。昔、コンパニオンガールは、この手を使った。高給でコンパニオンガールを勤めて、そのあとは、失業保険の給付で遊んで暮らす。しばらくしたら、また高給でコンパニオンガールをやる。……この繰り返し。「遊んで暮らす」の典型。
 第2に、就業意欲があっても、「どうせ無理」と思う人は、最初から諦めてしまっている。多くの専業主婦や高齢者がそうだ。これらの人々は、失業保険ももらわないが、本当なら、働く意欲はあるのだから、失業者にカウントするべきだし、また、雇用の場を提供するべきなのだ。
 さて。では、どうするべきか? 「働く意欲がある人々は、やや低い給与で、政府が雇用する。そして政府が人材派遣をして、それらの人々を企業に派遣する」という形が好ましい。……この政策は、実は、ドイツで実現する方向だ、とのこと。

 [ 付記 ]
 本当を言えば、以上の政策は、いずれも、「失業解決」の根本対策とはならない。その政策によって、失業者を減らせても、その分、別のところで、新たに失業者が発生するだけだ。つまり、政府の政策によってAという人が雇用されても、かわりに、Bという人が雇用されなくなる。マクロ的には、意味がない。
 マクロ的に失業者を減らすには、マクロ的に需給問題を解決するしかない。(すでに何度も述べたとおり。)


● ニュースと感想  (7月04日b)

 「失業率を下げるには?」── この問題については、何度か考えてきたが、ここでいったん、まとめてみよう。(すでに述べたことと重複する。)

  1.  物価上昇率が低い場合
     「失業率が高く、物価上昇率が低い」という場合。これは、単なる不況である。
     この場合は、「減税 & 低金利」という「普通の景気刺激策」を実施すればよい。景気回復にともない、失業も減る。話は簡単だ。

  2.  物価上昇率が低く、資産インフレが発生する場合
     「失業率が高く、物価上昇率が低く、資産インフレが発生する」という場合。これは、単なる不況であるとも言えるが、資産インフレが発生するという状況が加わる。
     これは、「量的緩和」が過剰であり、かつ、それによって設備投資が増えない状況である。(「流動性の罠」が続いたあとで、景気回復の見込みが立ち、しかも、実体経済はまだ動かない場合。)
     この場合も、「減税 & 低金利」という政策でいいはずだが、ただし、「低金利」が過剰であり、「減税」が不十分である。そのために両者のバランスが崩れている。消費や設備投資が増えないまま、低金利による資産インフレばかりが発現する。「バブル前期」と言ってよい。
     こういうときは、「減税」を実施し、かつ、過剰な「低金利」を抑制するべきである。
     ( → 7月16日 「ゼロ金利の弊害」,7月20日 「資産インフレ」 )

  3.  物価上昇率が高い場合
     「失業率が高く、物価上昇率が高い」という場合。これは、スタグフレーションである。
     この場合は、単なる景気回復策を採ると、物価上昇がますますひどくなる。いわゆる「フィリップス曲線」による「失業と物価上昇の二律背反」である。
     こういうときには、「増税 & 低金利」という「相反型のポリシー・ミックス」を実施すればよい。タンク法の増税によって、貨幣供給量が減り、物価上昇率は下がる。その分、金利を低くすることができる。金利が低くなるので、企業の投資が増え、供給が拡大する。それにともなって、失業率は低下する。
    ( ※ 金利低下で、個人から企業に金が移るという、「富の配分変更」が生じる。しかしそれは、当然である。需要過大・供給不足のときは、消費者が冷遇され、生産者が優遇されるべきである。)
    ( ※ ここまでは、すでに述べてきたとおり。)
 以上をまとめれば、こうなる。(失業解決の方法。)
 [ 付記 1 ]
 以上は、主として金融政策について述べた。
 それとは別に、制度的な政策もある。これについては、「システム改革」として、第3章・後 で述べた。
 基本的には、「ワークシェアリング」を推進するのが有効である。つまり、特定の人々が失業して、その分、他の人が長時間労働をする、という現状を改める。誰もが少しずつ「時短・賃金減」を受け入れる。
 ただ、これは、急激に推進すれば、所得減少のデメリットが大きくなりすぎる。長期的に少しずつ推進するべきことだ。当面のデフレ対策とはならない。(もし実施すれば、かなり大幅な賃金削減が起こるので、好ましくない。とはいえ、「賃下げだけあって、時短がない」というような現況に比べれば、はるかにマシである。)

 [ 付記 2 ]
 労組の主張は、
  ・ 「ワークシェアリングは、賃下げをともなうので反対!」
  ・ 「単純な賃下げは、雇用を守るので賛成!」
 であるようだ。どっちも所得は減るが、ワークシェアリングだと、仕事をしない。単純な賃下げだと、仕事をする。かくて、仕事をしないまま、会社でブラブラとしている時間が増える。よほど会社にいるのが好きらしい。(哀れなオヤジは、家に居場所がないのかな?)


● ニュースと感想  (7月05日)

 時事的な簡単コメント。

 (1) 郵政民営化
 民営化してほしい理由の一つは、「日曜・深夜営業」だ。コンビニではできるのだから、郵便局だってできるはずだ。切手の販売と郵便の引き受けぐらいは、一人でできるはずだ。ポストからの収集だって、1台あれば十分だ。だいたい、宅配便は、日曜日もちゃんと働いている。
 上記の新サービスをやれば、利用者に便利なだけでなく、新規の雇用も発生する。一石二鳥。
( ※ ついでに言うと。読売・朝刊・投書欄 2002-07-04 に、次の意見がある。「郵便ポストが、自宅付近では、道路の交差点のそばにあるだけだ。自動車の駐車場所がないので、投函できない。これは困る。まともな場所にポストをおいてほしい」と。なるほど。場所も不適切だが、「道路側にも投函口を置く」という発想もないわけだ。)

 (2) 米国の自動車販売
 米国の自動車販売台数は微減だ、とのこと。2002年上半期は 1.7%減。この6月も、微減。(新聞各紙・朝刊・経済面 2002-07-04 )
 つまり、「米国景気は、2002年にはテロ不況を脱して回復する」という見込みは、はずれたわけ。「米国景気の回復により、外需頼みで、日本も景気回復」という見込みも、はずれ。
 エコノミストというのは、楽観的な嘘ばかりを吹聴する。

 (3) 日銀の見解
 日銀副総裁の見解。「量的緩和は意味がなかった」と述べた。さらに、「需要が不足すれば物価は下落する」と、需要不足に言及した。(朝日・朝刊・経済面 2002-07-04 )
 やっと「需要不足」に目が行った。当たり前のことに、ようやく気がついた。なかなか、偉い。幼稚園児が、学生程度の知識を得たことになる。そもそも、日銀というのは、マネタリストの巣窟だから、マネタリストの枠から出たというのは、立派なものだ。
 私の考えでは、日本の経済をダメにしているのは、次の二つである。
  ・ 「経済のすべては企業の体質強化で決まる」というサプライサイド
  ・ 「経済のすべては金融政策だけで決まる」というマネタリスト
 こういう視野の狭い人々が経済を牛耳るから、経済運営の手足は縛られてしまう。「あれもダメ、これもダメ。需要喚起策はみんなダメ。やっていいのは、おれの主張すること(供給拡大 or マネー拡大)だけだ」という偏った思想。「需要が縮小したときには、需要拡大よりも別のことをなすべきだ」というピンボケな思想。

 (4) 各国の失業率の数値
 初歩的な知識だが……
 失業率の数値は、国ごとに意味が異なる。日本では、失業率は、低めに出る。(しばしば指摘されていることなので、「そんなの知っているよ」と言われそうだが。)
 欧州のいくつかの国では、失業率がずっと 10%程度で、高い傾向にある。日本では、失業率の数値そのものは 5%程度であり、ずっと低い。しかし、失業のひどさは、日本の方がずっとひどい。
 欧州では、気軽に失業保険がもらえるので、さっさと失業者として登録する。日本では、たとえ就業意欲があっても、初めから就業を諦めている人が多いので、カウントされないことが多い。たとえば、結婚退職または出産退職した女性は、「どうせ応募しても就職できない」と思って、職安に行かないので、失業者にカウントされない。
 しかし、これらの女性も、正当に就職できれば、欧米並みの就職率になるはずだ。その意味では、日本の女性の失業率は、ものすごく高いとも言える。高齢者も同様。


● ニュースと感想  (7月05日b)

 「増税は困難ではない」ということを示す。
 私は「景気回復策としては、減税をすべし」と主張している。これに対し、心配がある。「減税は可能だが、あとで増税をするのが困難だ。だから、減税だけを虫食いされて、あとで増税できないまま、財政赤字だけが残る」というものだ。
 しかし、この心配は、不要である。増税は、簡単なのだ。なぜなら、増税をすればするほど、国民は得になるからだ。(景気が過熱したときは、だが。)……そのことを示す。

 簡単に言えば、次の2点が理由だ。
  ・ タンク法による増税は、損得がない。
  ・ 増税によって失業率が低下する。

 この2点について、以下で説明する。

 (1) タンク法による増税は、損得がない。
 タンク法による増税は、国民には実質的な損得がない。貨幣価値の変化だけがある。このことは、すでに何度も示したとおり。( → 2月22日 など。)
 つまり、増税で金を奪われても、物価下落( or 物価上昇の抑制によって)金の価値が上がる(金の価値の低下を防ぐ)。だから、増税があっても、ちっとも損はしないのだ。
 「増税が損だ」というのは、タンク法でない場合だ。つまり、その増税で得た金を、国が一般歳出などに使ってしまった場合だ。こういうときは、国民の支出が減って、国の支出が増えるので、物価下落効果は起こらず、増税は損となる。
 タンク法による増税と、そうでない場合とを、区別するべきだ。増税しても、その金を日銀の金庫(タンク)に入れてしまうのであれば、誰も得をすることはないから、誰も損はしない。つまり、国民はちっとも損をしないわけだ。

 (2) 増税によって失業率が低下する。
 タンク法による増税は、国民にとって損得はないが、経済的な影響が全くないわけではない。物価上昇率が低下する。そういう効果がある。
 では、物価上昇率の低下は、何を意味するか? 
 そもそも、タンク法で増税をするのは、物価上昇率が高い場合に限られる。(物価上昇率が高くない場合は、増税の必要がない。たとえ財政赤字や国債残高が拡大しても、[タンク法の]増税の必要はない。)
 さて、物価上昇率が高いときに、増税によって物価上昇率を下げるということには、どんな効果があるか? それは、「金利の引き下げの必要が減る」ということだ。
 通常、物価上昇率が上がると、その弊害をやわらげるために、金利を引き上げる。これが経済学の教科書にある方法であり、また、マネタリズムの方法である。
 しかし、このようにすると、高金利にともなって、失業率が上昇する。下手をすると、「高い物価上昇率と、高い失業率の、併存」(スタグフレーション)となる。そうはならなくとも、一般的に、「フィリップス曲線」によって、「物価上昇率と失業とのトレードオフ関係」(あちらが立てばこちらが立たず)が成立する。
 つまり、物価上昇を抑止しようとして、金利を上げると、失業率が上がってしまい、困ってしまうのである。二律背反。
 しかるに、上で示したように、増税には「物価上昇率を引き下げる効果」がある。そして、物価上昇率が下がれば、もはや高金利にする必要はなくなるから、金利を下げることができる。金利を下げることができれば、供給が増え、雇用の場が増える。かくて、失業率は低下する。……つまり、「増税」をすることで、失業率を下げることができる。( → 5月03日「相反型のポリシー・ミックス」)
 「増税によって失業率が低下すること── これが大切だ。将来、物価上昇率が上昇したとき、政府が「増税します」というと、たぶん、国民間には、反対する声が上がるだろう。だから、そのとき、政府は次のように説明するべきなのだ。
  1.  増税をしますが、タンク法による増税だから、損得はありません。理由はかくかくしかじか。
  2.  増税がイヤなら、金利が上昇します。そのせいで、あちこちで倒産が発生して、失業が発生します。ちょうど、バブルが破裂したときのように。あるいは、過去で何度も起こった景気後退のときのように。……そういうふうにして、多大な失業者が発生してもいいのですか? あなたは、運良く失業しないかもしれないが、その陰で、不運な人は会社が倒産して、一家崩壊が起こって、自殺者が出たりします。あなたは増税を受けないせいで気分がいいかもしれませんが、その陰で、人が死にます。それでもいいのですか? また、運が悪ければ、あなた自身が失業したり自殺したりします。それでもいいのですか? 
  3.  増税をしても、あなたは別に損はしません。それどころか、景気の変動を避けることにより、あなたは得をします。その証拠は、あります。90年代のクリントン経済です。当時、増税をすることで、物価上昇率は抑制され、長い繁栄を享受することができました。米国民は、増税を恐れず、賢明な道を取りました。
  4.  日本はどうするべきか? 増税をするべきか、増税をしないでいるべきか。さあ、国民の皆さん、よく考えてください。何もしないで放置すれば、物価上昇と高金利がさらに暴走して、どんどん景気が過熱して、あとでもっとひどい目に遭うでしょう。あまり景気が過熱していない今のうちに、最適の政策を選択するべきです。
  5.  国民の皆さん、選択してください。目先の現金を手にしようとして、多くの失業者を出すか。当面の増税を甘受して、長い繁栄を得るか。……さあ、どっちです?
 政府の役割は、ここまでである。つまり、情報を提供して、選択肢を示すところまでだ。あとは、国民に任せればいい。
 第1に、もし「増税して、長い繁栄がいい」という結論が出たら、増税をすればいい。
 第2に、「目先の現金がいい、増税はイヤだ」という結論が出たら、増税をしなければいい。その場合、経済状態は悪化し、国民は不幸になるだろうが、国民がそれを選んだのであれば、それもやむをえまい。「不幸になりたい」と望んだのであれば、不幸にさせてやればいい。きっと、国民はマゾなのだろうから。

( ※ もしマゾでなければ? 「増税は困難ではない」という結論となる。つまり、最初に示した命題が、こうして説明されたわけだ。)

 [ 補足 1 ]
 見通しを良くするために、補足しておく。
 本項では、従来の経済学を批判している。特に、失業について。
 失業対策として、ケインズ派は、「財政出動で」と唱えた。すると、インフレが起こった。
 物価対策として、マネタリストは、「金利引き上げで」と唱えた。すると、失業が悪化。
 つまり、どちらも失敗した。物価上昇と失業の、二律背反が起こった。「フィリップス曲線」だ。( → 5月02日b」)
 この双方を、私は批判している。「財政出動も金利引き上げもダメだ」と。では、かわりに、何を唱えているか? タンク法とポリシー・ミックスだ。
 (1)「金利政策や財政政策ではなくて、増減税を用いる」
 (2)「単なる金利政策や財政政策ではなくて、それを最適に組み合わせる。特に、場合によっては、逆方向に(相反するように)」
 という2点だ。特に、後者が大事だ。単純な景気拡大策や景気冷却策では、ダメなのだ。そういうことをやって来たから、従来の経済学は、失敗を重ねてきたわけだ。


● ニュースと感想  (7月06日)

 前日分の続き。「増税」と「タンク法」の関係について。
 「増税」によって国が得た分は、すべて日銀に渡すのが、タンク法である。これならば、国民には、損得はない。
 さて。それはそれでいい。原則としては、そうなる。ただし、実際には、それを逸脱することがある。
 なぜか? 今、タンク法で、30兆円の増税をして、その 30兆円を日銀が売りオペで回収したとする。ここまでは、タンク法の通りだ。
 ただし、失業率が高いときには、金利を引き下げる。つまり、量的緩和の買いオペをする。となると、売りオペと買いオペとが相殺しあう。たとえば、30兆円の売りオペがあっても、10兆円の買いオペ(量的緩和)があれば、差し引きして、20兆円の売りオペだけが残る。
 これはこれで、別に問題はない。「30兆円の増税をしたのに、20兆円の売りオペしかやらないぞ」と憤慨するべきではない。ここではたしかに、タンク法で30兆円の売りオペがあったのである。ただ、それとは別個に、10兆円の買いオペがあっただけのことだ。タンク法による増税があろうとなかろうと、この分の買いオペはもともとあるのだから、いちいち憤慨する必要はない。── 仮に、そんなことで憤慨するのであれば、金利引き下げのたびに憤慨しなくてはならない。そういうのは、馬鹿げている。(そもそも、金利引き下げや量的緩和は、貨幣価値の低下をもたらし、国民に損をもたらすが、しかし、そのことはわかった上で、景気回復策を採るのだ。だから、そんなことに憤慨するべきではないのだ。いわば、100円払って、120円分の商品を得たとき、「手元の 100円が消えてしまった」と憤慨するようなものだ。)

 さて。「30兆円の増税をしたのに、20兆円の売りオペしかやらない」となると、どうなるか? 政府の手元には、差し引きして、残りの 10兆円が余る。これが、財政黒字となる。── つまり、こうだ。政府は、増税によって 30兆円を得た。そのうち 20兆円を、借金返済のため、日銀に渡した。そして、10兆円が手元に余った。
 この余った分が、問題となる。これを、どうするべきか? その使い道は、二つある。
  ・ 政府が使ってしまう。(一般歳出など。)
  ・ 民間引き受けの国債の返済に回す。
 このいずれも、「10兆円分の景気刺激」という効果が発生する。どちらがいいかは、ケースバイケースとなる。
 (a) ろくに税収のない途上国では、一般歳出に回してもいいだろう。(それで教育や福祉を実施。)
 (b) 日本のように、莫大な国債残高のある国では、国債の償還に当てるのがいいだろう。

 このうち、後者の (b) が大切だ。つまりは、「物価が上昇して、失業が高い」という状況が発生したならば、国債の償還をするべきだ。(つまり、国債の償還が自然に進むことになる。) なぜなら、
  ・ 物価上昇を減らすために、増税をする。
  ・ 失業を減らすために、金利を下げる。
 という二つのことをなすからだ。

 結局、「減税をすると、将来、国債の償還が大変だ」というような心配は、まったく不要なのである。将来、景気が回復すれば、タンク法による分も、タンク法によらない分も、増税によって、国債は償還されるからだ。それというのも、増税することが国民にとって最も得だからだ。
 「景気回復をしたとき、増税は困難だ」という心配もある。それは、「増税は損だ」という間違った説にもとづく誤解だ。── 経済学者のなすべきことは、「増税は国民に損をもたらすから、増税は困難だ」と気弱に諦めることではなく、「増税は国民に得をもたらすから、増税は大切だ」と国民にしっかり説明することなのである。
( ※ なぜ増税は得か? 
  ・ 第1に、タンク法による増税は、貨幣価値の変化をもたらすだけで、損得がない。
  ・ 第2に、物価上昇率の低下は、国民に心理的な安定感をもたらす。
  ・ 第3に、金利の低下は、失業の低下や所得の上昇をもたらす。
 これらは、すでに述べたとおり。)
( ※ この説明をするときには、「増税をしても、政府は別に無駄づかいをしていないでしょ?」と示すことが必要となる。つまり、一般財政規模を拡大しないことが必要となる。身が清ければ、信頼してもらえる。逆に、やたらと公共事業などを増やすと、「嘘つけ」と疑いの目で見られることになる。)

 [ 補説 ]
 「でもやっぱり増税は損だ」という考え方もある。それはそれで、一理ある。
 たしかに、民間引き受けの国債の償還の分、国民一般は富を奪われるわけだから、その分、損をする。それは事実だ。
 だから、どうしても「損得」にこだわるのであれば、(a) に従って、教育費や福祉費に政府が使えばいい。そうすれば、国民は損はしない。……しかし、損はしないが、賢明ではないのだ。教育費や福祉費は、毎年低額で計画されているのに、一時的に急激に増やしても、無駄になる分が多い。つまり、無駄が発生する。
 むしろ、(b) に従って、国債の償還に回した方がいい。その金は、国債償還を受けた人が全部使ってしまえば、あまり効果はない。しかし、実際には、国債償還を受けた人は、国債償還で得た金をそのまま消費することはなく、大部分を、再投資に回すだろう。たとえば、民間社債を買う。そうすれば、金利の引き下げを通じて、設備投資が増える。かくて、失業が減る。また、国債償還を受けた人が得をすることがないので、増税をされた一般国民が損をすることもなくなる。(得が発生しないので、損も発生しない。しいて言えば、民間企業全体が得をするが、民間企業全体の得は、国民全体の得へと、拡散される。)
 結局、政府が金を一時的な一般支出で無駄に使うよりは、国債を償還することで、民間に最適な金の使い方(消費でなく投資)をしてもらうのが、一番いいのである。だからこそ増税で得た金は、国債償還に回すのが好ましいのだ。

 [ 付記 ]
 以上のことが成立しないことがある。それは、国債償還を受けた人が、その金のほとんどを消費に回す場合だ。
 これだと、高級車や宝石や美食などがやたらと売れるが、生産増をもたらす設備投資に金を回すのとは違って、かなりの無駄が発生する。物価もいくらか上昇するし、金利もいくらか上昇する。
 こういうことは、バブル期に発生した。当時、国債償還が進んで、大蔵省は大喜びであったが、高級車や宝石や美食などが売れても、日本経済の強化には結びつかなかった。80年代後半、日本は「おれたちは利口だ」と自惚れて、高級車や宝石や美食ざんまいの日々を続けていた。一方、諸外国は、金を真面目なことに使った。生産設備の更新や研究開発費などである。そして、その違いの結果が、1990年代や 2000年代になって現れた。
 企業は今になって、「研究開発費減税を」「投資減税を」と唱える。そうして自らの失敗の尻ぬぐいのために、国民の金をぶんどろうとする。……話の根本が狂っている。物事の本質を考えず、自分の愚かさに気づかないから、そういう自分勝手なことを主張するのだ。
 大切なのは、マクロ経済的な損得を本質的に考えることだ。高級車や宝石や美食ざんまいの日々を続けて、無駄に金を浪費したあとで、「研究開発費や投資に金が回らないのは、政府のせいだ。だから、もっと税金を負けよ」なんて言うのは、本末転倒だ。遊び果てたあとで不平タラタラという、放蕩息子だ。
 経済学の核心を理解しない愚かなエコノミストが、こういうデタラメをふりまく。そして、世間の人々は、こういうデタラメを聞いて、「そうだなあ」なんて思って、だまされるのである。
 かくて不況はいつまでも続く。

( ※ 注記しておく。「不況のときには消費拡大。好況のときには消費縮小」というのが、私のめざすものだ。不況期と好況期とでは、事情が異なる。「消費の安定」が、私の主張だ。)


● ニュースと感想  (7月07日)

 「物価上昇」と「失業増加」の二者択一について。
 前々日に述べたことは、こうだ。── 「物価上昇」と「失業増加」は、二律背反である。(フィリップス曲線。) そして、この二律背反を解決する方策が、「相反型のポリシー・ミックス」である。これによれば、「物価上昇」の分は、「増税」によって代替できるので、物価上昇なしに、失業問題を解決できる。しかも、タンク法による増税ならば、増税があっても実質的な損失は発生しないから、問題はない。かくて、二律背反を解決できる。

 さて。それはそれとして、ちょっと違った方面から、考え直そう。
 「物価上昇」と、「高い失業率」とは、どちらが大きな問題なのだろうか? ── この問題である。
 もちろん、どちらも問題であるが、いっそう問題なのは、どちらなのだろうか? 

 (1) 物価上昇
 「物価上昇」は、実は、あまり大きな問題ではない。それは単に、貨幣価値の変動にすぎない。
 たしかに、物価上昇があれば、損する人もいるし、得する人もいる。しかし、国全体を見れば、その損得は釣り合うから、国民全体では、チャラである。
 このことは、「需要統御理論・簡単解説」でも、「アメとムチ」として述べた。早く消費すれば早く消費するほど、物価上昇前に高い貨幣価値で金を使うので、得をする。つまり、
  ・ 早く消費した人(景気回復に協力した人)……得をする
  ・ 遅く消費した人(景気回復に非協力な人)……損をする
 となる。そして、両者の損得は、釣り合う。国民全体では、損得はない。
 なお、「(高齢者を中心とする)資産家は損をする」という説もある。しかし、それは、物価上昇とは直接は関係ない。物価上昇率は名目値だが、資産家の損得は名目値ではなく実質値が問題だからだ。たとえ物価上昇が発生して、資産価値が下落しても、名目金利が物価上昇率を上回って、実質金利がゼロ以上になれば、何も問題はない。(逆に言えば、景気が悪化して、名目金利が非常に低下すると、実質金利がマイナスになることがあり、そうなると、たとえ物価上昇率が低くても、資産家は損をする。一般的に言えば、物価上昇率が低い不況状態は、資産家にとっても損である。)
 結局、物価上昇は、単に貨幣価値の変動を意味するだけだ。それ自体は、プラスを発生させないし、マイナスも発生させない。単にアメとムチで消費や投資を促進する[他に働きかける]だけであり、それ自体はプラスもマイナスも発生させない。だから、ことさら大騒ぎするほどのことはないのだ。
( ※ 「マイナスを発生させない」というのは、次の (2) との比較で明らかとなる。)

 (2) 失業
 「失業」は、どうか? 物価上昇と違って、失業は、明白な損失を発生する。なぜなら、労働資源が遊休するからだ。つまり、実質的な無駄が発生し、生産そのものが直接的に縮小するからだ。……これは国民に明白な損をもたらす。
 「他人が失業したって、おれは別に損はしないぞ」と思う人がいるかもしれないが、それは勘違いだ。一国全体でマクロ的に損失が発生すれば、あなたにもその損失は波及する。
  ・ 失業者に失業手当を払うことで、財政赤字が拡大する。
  ・ 失業者が納税しないので、その分、増税や福祉削減が起こる。
  ・ 消費が減ることで、あなたの会社の売上げが減り、あなたの収入が減る。

 こういう形で、失業していない他の人々にも、損失は波及する。
 たとえば、「失業率が 5%」というのは、「国民の富が 5%減っている」ということだ。それは、あなたの所得が5%減ることを意味するわけではないが、国全体の損失を通じて、あなたの所得も確実に減るのだ。
 なお、マクロ的に一国全体を見れば、失業による損失は、次の2種類がある。
  ・ 生産の減少(これは所得の減少をもたらす)
  ・ 生産性の低下(設備や労働力の遊休による無駄の発生)
 このどちらも、問題である。

 結語。
 「物価上昇」と「失業」のうち、大きな問題となるのは、「失業」の方である。物価上昇は、一国経済そのものを実質的に損なうことはないが、失業は、一国経済そのものを実質的に損なう。
 経済政策の運営に当たっては、このことに注意するべきだ。物価上昇を恐れるよりは、失業を恐れるべきなのである。

 [ 付記 ]
 「物価上昇よりも失業が問題だ」ということは、マクロ経済学の教科書などにも、いろいろと記述してある。統計的に調べて、「失業率の悪化は、その何倍もの経済悪化をもたらす」という調査もある。これを「オークンの法則」という。
 初心者向けに説明すると……
 「オークンの法則」は、通常、失業率とGDP増大率の、負の関係を言う。アメリカの場合で、2.5倍。日本の戦後を見ると、5〜10倍。(平成11年度の経済白書による推計データ。)
 この数値の厳密な量はともかく、こういう傾向はだいたい正しいわけだ。

 [ 余談 ]
 「物価上昇は絶対にダメだ」と大騒ぎする人もいる。たとえば、日銀など。しかし、そういう大騒ぎは、経済学とは関係ない、一種の心理的な減少であろう。「物価上昇は怖い、怖い」と騒ぐわけで、「物価上昇フォビア」と名付けられる病気の一種だな。(「フォビア phobia 」は、「強迫神経症」。)
 実際には、年3%程度の物価上昇なら、世界中のどこでも起こっている。(「怖い怖い」と騒ぐのは日本だけ。)
 また、年 7% 〜 10% 程度の大幅の物価上昇があっても、それを上回る高度成長があれば、問題ではない。かつての日本や中国がそうだ。(例: 1960年代の日本は、経済成長率が年平均 10% を越えた!)……こういう高度成長中の社会では、人々は、不幸にはならず、むしろ、非常に幸福感をもつ。急速に豊かになっていくからだ。実際、1960年代の高度成長期の日本では、物価上昇率は高かったが、所得が急上昇していたので、人々は幸福だった。「鉄腕アトム」などの描く「バラ色の未来社会」という夢が支配的だった。その象徴が、大阪万博 EXPO’70 だろう。ほとんどユートピアのような夢の未来が描かれた。ひるがえって、今の日本では、お先は真っ暗である。


● ニュースと感想  (7月07日b)

 「失業問題に対する一般的な処方」を示す。(日本の不況に限らず、一般化する。)
 まず、現状だ。現在、失業の問題は、世界中で深刻だ。欧州では、失業率が高い。イタリアは、ここ十年ぐらい、ずっと失業率が 10% を上回る。フランスやドイツも同様だ。他にも、同様の国が多い。
 では、どうすればいいか? 普通は、不況のときは金利を引き下げればいいのだが、やたらと金利を引き下げると、物価が異常に上昇する。前にも述べたように、「物価上昇」と「失業」の二律背反だ。

 ここで、既存の金融政策は、二つ考えられる。
 (1) 「陽性のマネタリスト」(量的緩和論者)
  ……「失業率を低下させるために、どんどん金融緩和をせよ」と主張する。
 (2) 「陰性のマネタリスト」(IMFなどの財政健全論者)
  ……「物価上昇率を低下させるために、金融を引き締めよ。財政赤字の枠を守れ」と主張する。
 しかし、(1) (2) のいずれも、ダメなのだ。

 では、正解は? こういう場合には、「金利引き下げ」でもなく「金利引き上げ」でもない。金融政策のほか、増減税を組み合わせる。つまり、ポリシー・ミックスだ。具体的には、次の通り。

 まず、いったん金利を引き下げる。(そのことで供給を増やして失業者を減らす。需給ギャップのないときは、これが可能。) そして、金利引き下げのあと、場合により、次のいずれかとなる。
 (a) もし物価が上昇して金利がかなり上がっていったら、(金利引き上げではなく)増税をするべきなのだ。
 (b) もし失業率が下がらなかったなら(ゼロ金利でも景気回復効果がなかったなら)、流動性の罠になっているのだから、消費拡大のために、減税をするべきなのだ。
 つまり、増税になるか減税になるかは、その時点で金利引き下げの効果が出るか出ないかによる。
( ※ (a) (b) の理由を説明すれば、次の通り。── (b) のように「ゼロ金利のときは減税」というのは、これまで何度も述べてきたことだから、明らかだろう。(a) のように「増税」というのは、ここ数日、失業の解決法として示してきたことだ。)
( ※ なお、好況のとき、特に失業が多く発生していない場合は、単に金利引き上げをするだけで十分であり、増税をしなくてもよい。ただ、失業解決とは別の理由で、増税をした方が好ましいだろう。異常な高金利はまずいので。)

 上記では、「失業」に対する解決策を示した。
 これとの関連で言うと、逆の問題、つまり、失業率が低下しすぎて「人手不足」になることがある。こういう場合の処方も、同様に示すことができる。
 「人手不足」(景気過熱)のときは、まず、金利を上げるべきだ。そうして、設備投資を減らして、供給を絞る。同時に、増税をして、過剰な消費を冷やす。供給も需要もどちらも絞られる。過熱した経済は、平熱になる。
 なお、補足しておこう。過熱した景気は、なぜ、平熱に戻すべきか? その理由は、二つある。
 第1は、「景気変動を防ぐため」である。つまり「将来の景気後退を防ぐため」である。現在において加熱があれば、将来において不況が来る。山高ければ、谷深し。景気変動は、なるべく避けた方がいいのである。……とはいえ、欲張りな企業経営者は不平を鳴らすだろう。「せっかく売上げが増えるチャンスがあるのに。儲けそこなった。ぶつぶつ」と。しかし、「今日、儲けすぎる」ならば、「明日、儲けそこなう」のである。そのことを教えてあげるべきだ。「明日のことなんか知ったことか。とにかく今日、儲けたいのだ」と言い張る人は、朝三暮四の猿並みなのだよ、と。
 第2に、景気の過熱は、生産性を下げるからである。どんな生産設備にも、最適の生産量というものがある。それを越えて過剰に生産することは、生産コストを上げて、効率を悪化させる。たとえば、1日に100台しか生産できないはずの設備で、無理に 130台生産すると、原料を高額でスポット購入したり、労働者を過剰に雇用したり残業させたりして、コストが上昇する。企業としては、利益率が低下しても、利益総額が増えるので、そういう行動を取るが、一国全体としてみれば、生産性は悪化するのだ。その最悪の結果が、「過労死」である。「生産を増やすほど儲かる」という方針で、企業は労働者を眠らせずに働かせるが、それで企業は儲けても、世帯主を失った家庭は崩壊する。

 [ 付記 ]
 以上を場合分けして、図式化すると、次の通り。

 ・失業増加 ━━ 金利引き下げ ━┳━ 物価上昇 ━━ 増税
                  ┃
                  ┗━ 物価下落 ━━ 減税

 ・人手不足 ━━ 金利引き上げ & 増税


 この図式を、実例に適用してみよう。それには、バブル期が最適だ。
 バブル期には、金利を上げるべきだったか否か?
 答: 上の図式の、2番目と3番目が適用される。(1番目は、スタグフレーションのとき。)

 (1) バブル前期
 円高不況対策。
 1985年のプラザ合意によるドル安政策で、円高が発生した。これによる景気後退を解消する目的で、量的緩和を実施した。それ自体は好ましかったが、あまりにも過剰に量的緩和を実施した。量的緩和をしても、なかなか景気が回復しないので、「これでもか、これでもか」とばかり、量的緩和を過大に実施した。過剰な資金は、設備投資や消費にはあまり向かわず、資産投資に向かう割合が大きかった。なお、円高の効果もあり、物価上昇は起こらなかった。
 → 量的緩和はそこそこにとどめておいて、減税するべきだった。(資産インフレを防ぎ、インフレを招くため。)

 (2) バブル後期
 バブル景気。
 資産インフレはひどく発生したが、インフレ(好況)もいくらか発生した。円高による物価下落効果で、物価上昇はあまり発生しなかったが、景気は過熱した。人手不足・残業時間増加・過労死。日銀は金利を引き上げたが、常に後手に回って、ますます景気は過熱していった。
 → 日銀は即時的に、大幅な金利引き上げを実施するべきだった。(例:年利 10% 。量的緩和の逆。) その後、この急速な高金利による倒産などを防ぐため、金利引き下げ効果のある増税をなるべく早く実施するべきだった。(増税により、資産インフレや消費の過熱を防ぐことができ、一方、異常な高金利を引き下げることで、倒産を防ぐことができる。)


● ニュースと感想  (7月08日)

 前日までに述べたことを、見通しよく説明しよう。話の本質を示す。
 「物価上昇」と「失業」という二律背反を解決するには、「金融政策」および「増減税」という「ポリシー・ミックス」が必要である、と示した。
 ここでは、本質的には、何が核心となっているか?
 「増減税」とは、タンク法による「増減税による貨幣量の調整」である。これが核心なのだ。つまり、貨幣量の調整をするにしても、単に「金融政策による貨幣量の調整」だけでなく、「増減税による貨幣量の調整」も、同時に併用するべきなのだ。── それが、ポリシー・ミックスとなる。

 逆に言えば、私が批判しているのは、「金融政策だけ」ということだ。単に金融政策だけで済ませようとすると、問題が生じるわけだ。では、なぜか? 
 すでに4月下旬のところで示したように、タンク法の増減税を用いることで、「投資」と「消費」の比率変更が可能となる。不況のときであれば、「減税」をすることで、「消費」の比率を上げることができる。景気過熱のときであれば、「増税」をすることで、「消費」の比率を下げることができる。……そうして、「投資」と「消費」の比率を最適化できる。単に「総需要の拡大」をするだけでなく、「投資」と「消費」の比率を最適化できるのだ。

 「金融政策だけ」では、そういうことはできない。一般に、金融政策は、主として「投資」にのみ作用する。「消費」には作用しない。たとえば、次のように。
 こういうふうに、「投資」と「消費」の区別をしないから、「消費を増やそうとして投資を増やす政策(金利引き下げ)を取る」とか、「消費を減らそうとして投資を減らす政策(金利引き上げ)を取る」というふうに、見当違いのことをやってしまうのである。

 ここが本質だ。「投資」と「消費」の区別をしないから、間違った効果のあることばかりをやってしまうわけだ。「金融政策だけ」というのは、そういうことだ。(マネタリストの間違い。ついでだが、「金融政策だけではスタグフレーションは解決できない」というのは、経済学の定説である。「金融政策だけで万事片付く」と思い込んでいる人は、経済学の定説を理解できないでいるわけだ。)

 余談ふうに、たとえ話で言おう。
 「あたしはデブだ。体重を減らしたい」と思った女がいる。体重を減らそうとするが、その結果、脂肪は減らずに、必要な筋肉組織ばかりが減って、死んでしまった。あとに残るのは脂肪のかたまりだけ。
 「おれはフィジカルが弱い。筋肉を付けねば」と思ったスポーツ選手がいる。体重を増やそうとするが、その結果、筋肉はつかずに、脂肪ばかりがついてしまった。できた体は、ブヨブヨの脂肪体質。
 こういうふうに、狙いと異なった結果が生じる。
 「金融政策だけ」という政策も、同様だ。投資と消費の区別ができないで、単に需要だけを見る。(筋肉と脂肪の区別ができないで、単に体重だけを見る。)そして、投資か消費か、どちらかを増やそうとして、「需要増大」を狙う政策を取るが、狙いとは違ったものが増えてしまう。(「筋肉増強」ないし「脂肪縮小」を狙う方策を取るが、狙いとは違って、「脂肪増強」ないし「筋肉縮小」となってしまう。)……こういうふうになるのも、対象をちゃんと区別できないからである。(投資と消費の区別。筋肉と脂肪の区別。)

 [ 付記 ]
 こういうわけで、「金融政策だけ」と主張するマネタリストは、間違っている。
 たとえば、「通貨の安定だけが大事だ」と述べるIMFや日銀もそうだし、「量的緩和だけが大事だ」と述べる量的緩和論者もそうだ。[ ※ 前者は「陰性のマネタリスト」、後者は「陽性のマネタリスト」……と仮称できる。私流の呼び方だが。]
 いずれにしても、「金融政策だけ」というところが話の核心である。
 だから、マネタリストは、間違っているが、バカであるわけではない。半可通であるだけだ。物事の全体を見ることができず、半分しか見ることができない。そして、その半分についてだけは、たしかに正しいのである。
 では、「半分だけ正しい」ことを主張したあげくの結論が、「全然正反対の間違った結論」になるのは、なぜか? それは、経済学の特質による。
 理系などの分野では、半分だけ正しい論拠は、半分だけ正しい結論を出すことが多い。しかし、マクロ経済学の分野では、半分だけ正しい論拠は、まったく間違った結論を出すことが多いのである。
 繰り返して言う。マネタリストの結論は、まったくの間違いである。しかし、彼らの論拠自体は、まったくの間違いではなく、半分だけ間違っている(半分盲目である)にすぎないのだ。

 ここの点をよく理解できずにいるのが、スティグリッツだ。彼はIMFを批判する。( → 新刊書 「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」,7月02日
 なるほど、彼の批判するとおり、IMFの結論は完全に間違いである。180度、そっぽを向いている。しかしそれは、スティグリッツの罵倒するように、IMFが大馬鹿であるからではない。半分だけ利口で、半分だけ馬鹿(盲目)だからなのだ。
 スティグリッツは、ここを理解できない。そもそも彼の上記の本では、IMFがなぜ間違えたかの説明もないし、IMFに対抗する正しいマクロ政策とは何かも示していない。(巻末付近に、ごくみみっちい政策が列挙してあるが、とてもマクロ政策と呼べるようなものではない。こんなことでは需要管理はできない。)
 IMFが間違った結論を出すのは、「金融政策だけ」というマネタリズムそのものに理由があるのだ。そして、正しいマクロ政策とは、IMFとは正反対の政策を取ることではなくて、IMFの思考の枠組み(マネタリズム)から脱することである。……つまり、「金融政策だけ」でなくて、さらに「増減税による貨幣量調節」を追加することで、「投資と消費の比率をコントロールすること」である。
 そして、そのことがわからない限り、多くのマネタリストは、どちらも、真実の半分しか理解できないのだ。「陰性のマネタリスト」も、「陽性のマネタリスト」も、しょせんは同じ穴のムジナなのだ。

 [ 補足 ]
 この両者のマネタリストを、説明しておく。

 (1) 陰性のマネタリスト (緊縮主義者)
 「貨幣価値の維持こそが最大目的だ」と考える。IMFなど。
 日銀は、「物価の安定こそが大事だ。それが中央銀行の努めだ」と考える。「物価さえ安定していれば、景気が悪化しようと、あまり気にすることはない。景気の安定よりも、物価の安定が大事」と考える。
 IMFは、もっと楽観的で、「通貨価値が安定すれば、あとは万事うまく行く」と信じる。「通貨価値が安定すれば、外国から資金が流れ込んで、うまく投資が進んで、経済は発展する」と考える。そこで、アジア通貨危機のときには、「通貨価値を維持するため、金利を上げて、外国資金を呼び寄せよ」と考えて、「年利 25% 」(2.5% ではない)という途轍もない高金利政策を取った。もちろん、こんな超高金利のもとでは、投資が成り立たないので、破産も続出し、経済は急速に縮小した。急速に縮小する経済の国に投資する企業はなかったし、むしろ資金を逃避するから、IMFの目論見は完全にはずれた。……結局、通貨価値だけを見て、実体経済(投資や消費などの経済活動)を無視したことによる、大失敗。
( ※ ここがIMFの失敗の本質なのだ。スティグリッツのIMF批判は、そこを十分に理解していない。ただの罵倒に終わってしまっている。)
( ※ ただし、「過剰な投機を規制すべし」というスティグリッツの説は正しい。クルーグマンも同じことを言っている。私も。 → 流動の慣性

 (2) 陽性のマネタリスト (緩和主義者)
 「量的緩和さえやれば、投資が増える」という主張。これは、今まで何度も批判してきたとおり。
 彼らは、「流動性の罠」を理解しない。「いくら貨幣を増やしても、貨幣は金融市場に滞留するだけだから、(貨幣数量説において、)物価水準は上がらずに、貨幣の流通速度が下がるだけだ」ということを理解しない。
 貨幣数量説を理解できないマネタリスト、という、奇特な人々。
 (あるいは、「貨幣の流通速度は一定だ」と勝手に妄想する妄想狂。 → 1月07日c

 [ 余談 1 ]
 上では、2種類のマネタリストを示した。そこで言いたかったことは、両者の違いではなくて、両者の共通点である。
 スティグリッツのIMF批判を読んで、「なるほど、ほんとにIMFってバカだなあ」と笑っているマネタリスト(量的緩和論者)がいる。呆れたものだ。マネタリストがIMFを笑うことこそ、まさしく、「目クソ鼻クソを笑う」だ。自分も同類だということがわかっていない。同じ穴のムジナだ、ということがわかっていない。

 [ 余談 2 ]
 マネタリストは半可通である。ただしそれは、当たり前かもしれない。マネーのことしか考えないからこそ、マネタリストと呼ぶのである。つまり、字義通りであるわけだ。
 マネタリストというのは、本人は得意であるようだが、実は、自分が半可通であることを自称しているわけだ。(人間で言えば、「わたしは右目を開きません。常に左目だけで見ます。二つの目の半分を閉じているんです。えっへん」と威張っているような人々。)

 [ 余談 3 ]
 ついでに注記しておく。私はマネタリストをさんざん批判しているが、「彼らの主張が全部間違いだ」と主張しているわけではない。「彼らの主張はそもそも全部取り込んで、その上に、さらにいくつかを追加するべきだ」と主張している。「片目を開くだけでなく、両目を開け」と主張している。
 金融操作そのものを否定しているわけではない。「金融操作だけ」というのを否定しているのだ。
 だから、私の主張は、マネタリズムを全否定しているわけではなく、マネタリズムを包含しているわけだ。場合によっては、マネタリズムと同じ結論になることもある。(つまり、「金融政策だけ」で話が済む場合には、「金融施策だけ」という結論を出す。……ま、問題が深刻なときには、たいてい、それでは済まないものだが。)


● ニュースと感想  (7月08日b)

 「減税」と「消費・投資」の関係について。
 「減税は消費を増やす」と何度か述べてきた。それは、なぜか? 
 もちろん、減税の対象が個人だからである。個人を対象とした減税だから、個人消費が増える。当たり前だ。
 一方、減税の対象が企業であれば、投資が増える。「投資減税」とか「研究開発減税」とかの減税がそうだ。
 結局、減税の対象を選択することで、「消費」か「投資」か、どちらを増やすかを選択できるわけだ。
 「そんなの、当たり前だろ」と思うかもしれない。ま、当たり前かもしれない。しかし、ここで強調しておくことがある。こういうふうに区別することは、金融政策ではできない、ということだ。
 たとえば、銀行は、融資の相手を、個人か企業であるかで、選別できない。「個人だけに融資します」とか、「企業だけに融資します」とか、そういうことはできない。(仮にできるとしても、やるべきでない。)
 とにかく、融資や金融政策では、「消費」と「投資」の区別はできない。しかし、減税では、減税対象を選ぶことで、「消費」と「投資」の区別ができる。── このことを一応、理解しておこう。
( ※ ここで述べたことは、なぜ増減税だと「消費」と「投資」の区別ができるのか、という疑問に対する解答。)
( ※ なお、融資にも、例外的なものもある。消費と投資を区別して、消費だけを増やすことが可能なものがある。それは、政府による「住宅ローン」だ。これは「政府が個人だけに融資します」となる。とはいえ、もともと、毎年の額は大変動しないから、あまり景気に及ぼす影響は大きくなかった。しかも、住宅金融公庫は、廃止される予定なので、今後はこういうことがまったくできなくなってしまう。)
 
 [ 補説 ]
 「投資減税」について、少し補足しておく。(かつて述べたことの要約など。)
 投資促進は、企業への減税ではなくて、(金融政策である)「金利の引き下げ」でも可能である。ただ、金利がゼロ金利になっているときは、「金利の引き下げ」は不可能だから、「投資減税」というのは、それはそれなりに効果はある。
 ただ、「投資減税」は、効果はあることはあるのだが、デフレ期には、あまり大きな効果はない。もともと企業に、設備投資意欲がないからだ。
 というわけで、どうせ減税するのならば、企業向けよりも、消費向けの方が有効だ。だから、「減税」というのは、原則として、「個人向けの減税」を意味することになるわけだ。「投資減税」なんてものは、ほとんど無意味だから、考えなくてもいいのである。やりたければやってもいいが、あまり効果の出ないまま、金が滞留し、かつ、国民間で富の不公平配分が発生するだけだ。無駄遣いの一種。

( → 4月24日 投資と消費 )
( → 5月01日 マイナスの実質金利 )
( → 5月02日 投資減税と普通の減税)
( → 6月19日 投資減税が無効であること )


● ニュースと感想  (7月09日)

 前項まででは、「需要」をひとくくりにはせず、「投資」と「消費」というふうに区別してきた。さて、私がそういうふうに区別するには、理由が三つある。次の点だ。
  ・ 稼働率が低下している
  ・ 設備投資は需要よりも供給を増やす
  ・ 生産設備そのものがすでに過大であること
 以下、順に示す。(最初の二つは、すでに述べたこと。最後の一つが、目新しい。)

 (1) 稼働率が低下している
 この件は、すでに何度も述べたとおり。再論すると……
 すでにある設備は稼働率が低下している。遊休設備がたくさんある。これこそが不況である。こういうふうに設備が遊休しているのに、さらに設備を増やしても、意味がない。設備の稼働率を上げることが大切なのに、稼働率がさらに低下するだけだ。
( ※ 例:1日に50個しかパンが売れないパン屋が、1日に 100個生産できるように設備を倍増しても、売れ行きは伸びないし、かえって倒産するだけ。)

 (2) 設備投資は需要よりも供給を増やす
 この件も、すでに5月15日で述べたとおり。再論すると……
 設備投資は、当面は需要であると同時に、将来的には供給の増加をもたらす。両者の伸びがトントンであれば、需給ギャップに対する影響はない。しかし、実際には、設備投資は、需要の何倍もの供給能力を生み出す。
 たとえば、100億円の投資をして、毎年 20億円の減価償却が必要だとする。商品コストのうち減価償却費が 10% と仮定して、毎年 200億円の売上げが必要だ。これが5年間だから、計 1000億円の売上げが必要。……つまり、100億円の設備投資の需要増に対して、1000億円の供給増。
 結局、需要増加効果は 100億円しかないのに、それよりはるかに大きな供給増加効果がある。それだけ、需給ギャップが開く。
 なお、もしこの「計 1000億円の供給増(売上げ増)」が成立しないとしたら、企業は減価償却ができなくなるので、赤字が発生して、倒産する。
( ※ 実は、現在、そうなっている。企業は過去の過剰投資による過剰設備をかかえており、減価償却ができない。その分、どんどん赤字を生み出し、倒産する。だから企業としては、倒産を避けるため、なるべく投資を控えるのである。)
( ※ 「設備投資で景気回復」と主張したい人は、なぜ企業が投資をせずに、有利子負債を返済したがっているか、よく考えるべきだ。たとえば、あなたが半導体などの会社社長だとする。商品が供給過剰状態で、設備が余っている。こういうときに、さらに設備投資するか? そんなことはするまい。……企業の投資方針を決めるものは、金利だけではない。金利と需要予測の双方である。ここを理解できないのが、「すべてはマネーで決まる」というマネタリストの偏見である。)

 (3) 生産設備そのものがすでに過大である
 これについては、まだ述べたことがない。ここで新たに述べよう。(なお、「過大」というのは、「需要に比べて過大」ということではなく、「労働力に比べて過大」ということ。「需要に比べて過大」ということなら、すでに何度も述べた。)
 「設備投資をすれば景気が回復する」という説がある。その根拠は、「設備投資によって、生産と雇用が増えて、所得も増える。消費が回復すれば、需給は均衡する」という見通しだ。
 この考えは、疑わしい。とてもそうはなりそうにない。現在、大きな需給ギャップが存在しているのだ。それを埋め合わせるほど、消費がすぐに増えるとは思えない。タイムラグがあり、1年〜2年程度の時間がかかりそうだ。かくて、投資の増加は、消費の拡大に結びつきそうもない。( → 5月14日(3)
 さて、ここまでは、すでに述べてきたことだ。問題は、そのあとだ。

 仮に、それらのことがすべて好都合に進んで、うまく消費が拡大したとする。生産も消費も増えて、需給ギャップが消えたとする。つまり、不況が解決したとする。つまり、何もかも、量的緩和論者の主張するとおりになったとする。── では、それは、国民にとって好ましい状況なのか? 
 そうではない、と私は思う。たとえ不況が解決したとしても、国民は不幸になると思う。「不況」という不幸から、別の不幸に変わるだけだ。では、それは、何か? 「過剰労働」である。つまり、「長時間労働と過労死」である。
 不況期の今、国民の年間総労働時間は、先進国のなかでも、多い方である。ここで、消費が 20% ぐらい拡大して、年間総労働時間も 20% ぐらい拡大すれば、たしかに、不況は解決するし、失業も解決する。しかし、そんなに長時間労働をすることは、国民にとって幸福だとは、とても思えない。……たとえば、失業で自殺するのをやめるかわりに、過労でノイローゼになって自殺するようなものだ。どっちにしても、不幸なのである。
 より本質的に示そう。量的緩和論者の主張は、「投資をすれば生産が拡大する」である。なるほど、それは、ある程度までは成立する。特に、失業者だらけの途上国では、余剰労働力を使うことができるので、明白に成立する。しかし、失業者のいない余剰労働力のない状態では、必ずしも成立するわけではない。とりあえずは、労働時間がどんどん増えるが、それも頭打ちだからだ。なぜなら、1日は 24時間であり、時間は有限だからだ。設備投資は無限に増やすことも可能かもしれないが、時間は無限に増えるわけではない。だから労働力は無限に増えるわけではない。ゆえに、「設備投資をすれば、必ず生産が増える」ということは成立しないのだ。
 こうなると、「需要不足」が生産増加の制約条件になるかわりに、「労働力不足」が生産増加の制約条件になる。にもかかわらず、量的緩和論者は、「設備投資をすれば、必ず生産が増える」と思い込む。妄想。
 結語。
 「設備投資をすれば、必ず生産が増える」ということは成立しない。労働力不足が生産増加の制約要因となるからだ。また、労働時間が長くなるという弊害もある。ここでは、失業は解決しても、それとは逆の問題が発生する。だから、現在、十分な生産設備があるのならば、やたらと設備投資を増やすことは、好ましくないのである。

 [ 付記 1 ]
 では、現在、(最適な労働力に対して)十分な生産設備はあるか? これについては、しっかりとしたデータはない。しかし、たぶんそうだろう、と推察できる。
 仮に、現在、バブル期とほぼ同程度の生産設備があると仮定すれば、これらの設備がすべて稼働したとき、人々はバブル期と同じように長時間労働をしなくてはならない。この上、さらに追加の設備投資をすれば、もっと長時間労働をしなくてはならない。
 また、先に述べたように、現在の年間労働時間の 20%増、という試算もある。

 [ 付記 2 ]
 長時間労働は、是か非か? 
 これは、実は、必ずしも「長時間労働はダメ」とは言えない。「いっぱい働いて、いっぱい稼ぐ」というのは、一つの人生観である。「家に帰ってもやることがない。会社の方が落ち着く。それで金を稼ぎたい」という人も多いだろう。働きネズミ。
 私の個人的な好みを言えば、1日に8時間ぐらい労働して、あとは自分の好きなことをやる、というのがいいと思う。(本音を言えば、1日ゼロ時間労働が一番いい。小原庄助。)
 ただ、問題は、「人によって好きな方を選べる」というふうにはなっていないことだ。「あまり働きたくない」と思っても、そうは行かない。
 ときどき聞くが、「他人はともかく、自分だけは長時間労働なんかしたくない。残業は拒否したい」という意見がある。しかし、それは不可能である。法律では、残業は、拒否できない。どうしても拒否すれば、「業務命令に不服従だから、解雇」というふうになる。
 労働者は、残業命令を拒否できない。何だかんだいっても、法律がそうなっているのだ。仮に、会社が「1日15時間働け」と命じたら、あなたはそれに従わなくてはならない。欧州はともかく、日本では、労働者の雇用環境はひどいものだ。
 さて、普通の状況での労働時間は、どのくらいだろうか? 
 10年〜15年ほど前に、同窓会で同窓生に尋ねたことがある。夜8時前に帰宅する人はほぼ皆無であった。ほとんど全員が、夜10時ごろの帰宅であった。これほどにも、長時間労働の状態だったのだ。
 となると、景気が回復すると、そういう状態が、また再発するかもしれない。それが「設備投資増加」という主張だ。
 なお、同じ時期、同窓生のうちで、一人だけ、5時半に帰宅する人がいた。5時に退社して、5時半に帰宅。……彼は、アメリカの職場で働いていたのである。そして、残業をしない彼だけが、大型車に乗って、豪邸に住んでいた。他の残業だらけの人々は、日本にいて、小型車に乗って、ウサギ小屋に住んでいた。

 [ 余談 ]
 「労働時間が生産を制限する」という考え方について。
 皮肉を言おう。これを無視するのは、古典派の癖だろう。セイの法則「供給は需要を生む」をもじって、「供給は労働時間を生む」と思い込んでいるわけだ。── 「時間を必要とすれば、時間はいくらでも湧いてくる。1日25時間が必要ならば、1日は25時間になる」とか、「労働者を必要とすれば、労働者はいくらでも湧いてくる。2億人の労働者が必要ならば、日本の人口は2億人以上になる」と思い込んでいるわけだ。「時間も労働力も、金さえあれば、どんどん生まれてくる。金さえあれば、時間も人も買える」と思い込んでいるわけだ。── だから、「供給は労働時間によって制限される」ということを無視するわけだ。そうして「設備投資、設備投資」と大騒ぎする。

 [ 補足 ]
 本項で言いたいことは、何か? 「設備投資なんか増やして、長時間労働をするよりも、ワークシェアリングでまともな生活をする方がいい」ということだ。
 「需給ギャップ」をなくすにも、いろいろな道がある。私としては、「現状均衡」が好ましく、「縮小均衡」も過剰な「拡大均衡」も好ましくない、と思う。
 「金融緩和で設備投資を増やそう」と主張する人たちは、なぜ長時間労働がすばらしいのか、その理由を示すべきだろう。そんな理由があれば、の話ですけどね。

 [ 参考 ]
 ちょっと見通しを説明しておこう。
 ここ数日、話題にしてきたのは、失業問題である。そして、「失業を解決するためには、金融政策だけでなく、増減税を組み合わせるべきだ」と主張してきた。
 本項では、その関連で、「金融政策で設備投資を増やすというのは、うまく行かないだけでなく、たとえうまく行ったとしても、国民は不幸になる。不況という不幸は解決しても、別の不幸が生まれる。むしろ、ワークシェアリングの方がマシだ」と示したわけだ。
( ※ ただし、「不況解決としてのワークシェアリング」とは異なる。「需要を縮小したままのワークシェアリング」には賛成せず、需要を回復させた上での「ワークシェアリング」を勧めている。縮小均衡には賛成せず、現状均衡を勧めている。過度な拡大均衡は、嫌い。だから過大な設備投資は、嫌い。)


● ニュースと感想  (7月10日)

 ここまで、「物価上昇」と「失業」との関係を、「不況」の場合に即して説明してきた。さらに、前日分では、「好況」の場合の「人手不足」(失業とは逆)についても、関連的に説明した。
 本項では、「物価上昇」と「失業」との関係を、「好況」の場合に即して説明しよう。
 7月07日b では、「人手不足のとき → 金利引き上げ & 増税 」で、と処方を示した。ここでは、金融操作と増減税だけを呈示している。(ポリシー・ミックス)
 ただ、前項では、金融操作と増減税だけでなく、労働量も操作するべきだ、と述べた。この点を詳しく考えよう。

 前日分では、「設備投資を増やした結果、将来、労働時間が増大するのが心配だ」と述べた。「失業で自殺しなくなるのはいいが、過労死で自殺したんじゃ、何にもならない」というわけだ。そして、その心配が現実化したのが、好況期だ。特に、バブル後期だ。
 バブル後期には、やたらと労働時間が増えて、過労死が続出した。こういうときには、明らかに、「時短」が必要である。単に経済政策として必要であるというのみならず、国民の幸福のためにも必要である。
 では、時短は、経済学的には、どういう意味があるか? それは、次の二つだ。
  ・ 労働力の制約による、供給の抑制
  ・ 労働時間減にともなう所得減少の結果、消費の抑制
 つまり、「供給」の抑制がただちに発現し、いくらか時間を置いて、「所得減少」にともなう「消費減少」が発生する。……そして、ここが大切なのだが、(時短による)「供給の抑制」と「消費の抑制」は、ほぼ同じ程度なのである。たとえば、労働時間が5%減少すると、供給が5%減少し、所得も5%減少し、消費も5%減少する。……厳密にその値になるわけではないが、おおざっぱには、こうなる。
 この点は、設備投資とはまったく異なる。設備投資の場合には、6月10日に述べた「加速度原理」(増幅効果)が働く。つまり、「消費の変動」に対して、何倍もの「供給の変動」が発生する。消費が少し増えれば、設備投資は莫大に増え、消費が少し減れば、設備投資は莫大に減る。……しかし、時短の場合は、そういうことはないのだ。消費の変動と、供給の変動とが、ほぼ同量になるのである。つまり、時短は、景気の攪乱要因とならない。(景気を不安定化する要因とならない。)
 というわけで、景気が過熱したときには、「時短による景気冷却」というのは、なかなか経済学的に好ましい方策であるわけだ。これが結論となる。
( ※ だから、単なる金融操作や増減税のほか、労働量の調節も、経済学では考慮するべきだ、と言える。)

 さて。以上のことを、他の経済学者の説と比較しよう。

 (1) 日銀
 日銀の主張がある。日銀はバブル当時、金利を段階的に少しずつ引き上げたが、まったく効果がなく、資産インフレは途方もなく上昇し、地価も株価も異常に上昇した。
 ただし、当時、日銀は、「物価上昇率はたいしたことはないから、インフレじゃないのだ。だから、金利なんか上げなくてもいいんだ」と言い張っていた。指標として、物価上昇率だけを取っていたせいである。(つまり、当時、「インフレ目標」を採用していたことになる。そのせいで、金融緩和を続けたが、その金融緩和の効果は、インフレではなく、資産インフレに向かっていた。そのことに気づかないゆえに、資産バブルを途方もなく膨張させた。)

 (2) マネタリスト
 マネタリストの主張がある。「バブル期のマネーサプライは非常に多大だった。このことはマネーサプライを管理するマネタリズムの原理に反する。だから日銀はバブル期には金融を引き締めるべきだった。一応、日銀は金融を引き締めたが、あまりにも遅くて規模が小さすぎた。もっと迅速かつ大規模に金融を引き締めるべきだった」という主張である。
 これには、私も、一応は同意する。ただし、これだけで話は片付くと思うほど、おめでたくはない。「金融政策も大事だが、金融政策だけではダメ」というのが、私の主張である。
  ・ 第1に、7月07日b にも述べたように、「増税」も組み合わせるべきだった。(ポリシー・ミックス)
  ・ 第2に、前日分および本日前半で述べたように、「時短」も組み合わせるべきだった。
 さて。ここまでは、すでに述べたことだが、もうちょっと、よく考えてみよう。
 「バブル期には、金利を引き上げれば、それで解決したはずだ」
 と言えるのだろうか? 「金利引き上げ」は、バブル収束の必要条件ではあるだろうが、十分条件であるのだろうか? (つまり、バブル収束のために金利引き上げは必要であるが、金利引き上げをすれば必ずバブル収束は可能だったろうか?)
 マネタリストならば、「イエス」と答えるだろう。しかし、私には、疑わしく思える。理由は、次の通り。

 そもそも、投資には、設備投資と資産投資がある。この両者を区別するべきだ。
 「金利を上げれば投資が減る」というのは、その投資が設備投資であれば、成立する。たとえば、利益率が5%であれば、金利は5%が損得ラインとなる。5%以下の金利ならば、投資をした方が得だが、5%以上の金利であれば、投資をすると損だ。だから、金利の上下が、設備投資の是非に結びつく。
 では、資産投資ではどうか? 資産投資は、金利に左右されるか? もちろん、ある程度は、左右される。しかし、たいして左右されないのだ。
 一般の企業の利益率は、5%程度である。これを大きくはずれることはない。だから、金利の1%の上下にも、設備投資の是非は過敏に反応する。資産投資は、そうではない。金利の1%の上下には、あまり左右されない。なぜなら、資産投資は、比較的短期間に、大幅な変動があるからだ。たとえば、資産投資による利回りは、5% どころではなくて、10% とか 20% とかの大きな値になることが多い。(いわゆる「土地転がし」だ。)
 また、期間の違いもある。設備投資ならば、2〜5年ぐらいの長期で考えるのが普通だ。しかし、資産投資では、数カ月程度の期間で考えるのが普通だ。金利が2%上昇しても、3カ月では4分の1の 0.5% にしかならない。ほとんど無視できるレベルだ。一方、設備投資では、2% の変化が5年も続けば、総計 10% になり、とても無視できないレベルになる。
 というわけで、「資産投資」に対しては、「設備投資」に対するほどには、「金融操作」(金利の引き上げ)の効果は、あまり大きくないわけだ。「金利を引き上げればそれでインフレが収束する」というのは正しいが、「金利を引き上げればそれで資産インフレが収束する」というのは正しくないのだ。
 そして、実際、そうだったのである。バブル期、年利7%程度になっても、バブルは収束しなかった。バブルを収束させたのは、「金利の引き上げ」ではなく、「土地融資規制」という「総量規制」だった。……こういう国家統制的な強権発動が好ましいかどうかは、話は別だ。しかし、とにかく、単純な金融市場における操作はほぼ無効であり、資産金融市場への強権的な介入のみが有効であった。……仮に、単純な金融市場における操作だけで資産インフレを抑止させようとすれば、年利 10% ぐらいの高金利が必要だったかもしれない。マネタリストは「それでいい」と言うかもしれない。しかし、そんなことをすれば、実体経済は非常に縮小してしまう。資産市場が異常であるだけなのに、一般商品市場(財市場)までがその異常の影響を受けてしまう。── それが、「金融市場だけで金利操作する」ということだ。
 だから、結局、「金利の引き上げだけで」というマネタリストの主張は、ダメなわけだ。バブルの抑制には、「金利の引き上げ」以外のものが必要だったのである。

 [ 補足 ]
 結局、どうなのかといえば、……
 「金利引き上げだけ」というマネタリストの主張はダメで、増減税や労働量の調節も必要だ、ということ。先に述べたとおり。
 そして、そうすれば、消費の縮小にともない、実体経済が縮小する。だから、インフレ期待が消える。当然、株価上昇はつぶれる。そしてまた、土地神話という妄想の上に成り立つ土地バブルもつぶれる。……結局、インフレの終息が、資産インフレの終息に結びつく。
 つまり、「総量規制」という強引な強権的な手法によって資産市場での資金需要をつぶすのではなくて、バブルが永続するという妄想そのものをつぶすことで、資産市場での資金需要をつぶすわけだ。……これが本質的なあり方だ。
( ※ 「金利の引き上げだって、インフレをつぶせるぞ」という意見もあるかもしれない。しかし、これはダメなのだ。たしかに、金利の引き上げで、インフレをつぶせる。しかし、多くの企業が赤字化して、倒産してしまう。副作用が強すぎる。一方、増税や時短ならば、消費を縮小させることで、企業の稼働率が落ちるが、単にそれだけのことだ。企業は、強引に赤字化させられて、倒産させられるわけではない。……一般的に言って、金利の過大な引き上げというのは、常にまずい結果を招くのである。実例は、IMFがさんざんやっている。)
( ※ 「総量規制」というのと「時短」というのは、ある意味で、似ている。経済活動の規模そのものを、直接的に減らす効果があるからだ。金利操作[金利の引き上げ]が有効でないときには、こういう直接的な方策の方が好ましくなる。なぜなら、過度の金利操作は、副作用が大きすぎるから。)






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