[付録] ニュースと感想 (36)

[ 2002.12.25 〜 2003.1.01 ]   

  《 ※ これ以前の分は、

    2001 年
       8月20日 〜 9月21日
       9月22日 〜 10月11日
      10月12日 〜 11月03日
      11月04日 〜 11月27日
      11月28日 〜 12月10日
      12月11日 〜 12月27日
      12月28日 〜 1月08日
    2002 年
       1月09日 〜 1月22日
       1月23日 〜 2月03日
       2月04日 〜 2月21日
       2月22日 〜 3月05日
       3月06日 〜 3月16日
       3月17日 〜 3月31日
       4月01日 〜 4月16日
       4月17日 〜 4月28日
       4月29日 〜 5月10日
       5月11日 〜 5月21日
       5月22日 〜 6月04日
       6月05日 〜 6月19日
       6月20日 〜 6月30日
       7月01日 〜 7月10日
       7月11日 〜 7月19日
       7月20日 〜 8月01日
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       11月20日 〜 12月02日
       12月03日 〜 12月12日
       12月13日 〜 12月24日
         12月25日 〜 1月01日

   のページで 》




● ニュースと感想  (12月25日)

 前項の補足。
 前項の (1) に関連する話を、3つ述べる。いずれも「補足」として示す。

 [ 補足 1 ]
 欧州の失業問題を解決するには、どうするべきか? この件について考えよう。
 この問題については、前項の (1) で述べた「投資と消費の比率を最適化する」というのが有効だ。具体的に言えば、「投資優遇・消費抑制」である。そのためには、「増税と低金利」を実施すればよい。
 なぜか? 失業が多いときに、「増税する」というのは、話がおかしくはないだろうか? 失業が多いときには、むしろ、需要を喚起するべきではないだろうか? 
 従来の経済学ならば、そういうふうに思うだろう。しかし、私の見解は違う。
 欧州では、不況(需給ギャップ発生)ではない。需給は均衡している。だから、ことさら「需要喚起」のための「減税」は必要ない。
 となると、あとは、均衡状態での経済政策の選択だ。ここでは、「投資優遇」と「投資冷遇」の2種類の選択肢がある。そして、「投資優遇」というのは、単なる「消費縮小」のことではない。「現在は消費を我慢するので果実を得られないが、将来は豊かな果実を得られる」という路線だ。つまりは、「高度成長」をめざす「迂回生産」のことである。
 欧州であれ、途上国であれ、失業者の多い国では、「労働者に比べて設備不足」と言えるわけだから、「投資拡大」による「迂回生産」が好ましいわけだ。ここで「消費抑制」をするのは、「物価上昇」や「金利上昇」を抑制するためだけでなく、「投資優遇」によって将来の果実を得るためである。それはまた、「現在の失業の解消」をも意味する。

( ※ ここで述べたことは、「話がうますぎる」と思えるかもしれない。しかし、夢物語ではない。これを実施した成功例はある。高度成長期の日本がそうだ。当時の日本の人々は、自らの消費を抑制し、自らの生活の向上を犠牲にして、会社に富を与え、会社の高度成長をもたらし、日本経済全体を成長させた。「個を犠牲にして、国に尽くす」という形で、国民全体が豊かな果実を得たのである。かくて、かつては途上国レベルだった日本の経済力は、世界最高水準にまで向上した。)
( ※ ただし、である。彼らにとっては、誤算があった。それは、自らの子供の世代が、あまりにも忘恩であったことだ。── 子供たちは、親がさんざん努力して、この日本を築いたことを、忘れてしまっている。「俺たちの稼ぎがいいのは、俺たちの能力が優れているからだ。能力主義で成果を得よう。能力の劣る高齢者は、クビにしてしまえ。稼ぎのない高齢者にくれてやる年金は、減額してしまえ!」と主張する。国の経済財政白書にも、「高齢者ばかりがいい目をしている」と高齢者批判が掲載されている。高齢者世代がかつてどれほど自己犠牲をしてくれたかということを、すっかり忘れている。── 高齢者世代は、日本経済を成長させることには成功したが、自らの子供たちをまともな人間に育てることには失敗したのだ。その結果が、忘恩の子供世代だ。たしかに、高齢者世代は、家庭を顧みずに働いたが、そのせいで、家庭ではまともな教育をできなかった。育ったのは、道徳も倫理もなく、先人への感謝もない、半人半獣だけだ。オマケに最近の子供たちは、学力まで大幅に低下してきている。勉強時間は、先進国中、突出して最低レベルだ。日本の途上国化は、目に見えている。高齢者世代が築き上げたものを、孫の世代がぶちこわしていくわけだ。にもかかわらず、この愚かな若年世代は、「能力主義なら俺たちの方が上だ」と自惚れる。)
( → 5月30日 勉強時間 )
( ※ 簡単に言えば、こうだ。経済学は、景気変動という中期的な問題を解決することはできるが、国家の衰退という長期的な問題を解決することはできない。この問題を解決するには、経済学ではなくて、教育が肝心となる。その方法は? 私案だが、未成年には、テレビゲームとケータイを全面禁止するといいかもしれない。ハイテクを禁止すれば、人は自らの頭で考えるしかなくなる。……しかしまあ、現実には、無理だろう。かくて、日本の崩壊は、不可避となる。)

 [ 補足 2 ]
 上では、欧州の失業問題の解決法として、「増税と低金利」というポリシー・ミックスを示した。ただ、ここでは、「増税」というのは、必ずしも必要ではない。これは、「物価上昇」を抑制するためのものにすぎない。だから、「物価上昇」を受け入れるのであれば、「増税」はなくてもいい
 たとえば、最近のドイツでは、財政健全化を狙いとして、「増税」をしている。しかし、もともと低成長で低金利である状況では、たとえさらに低金利にしても、物価上昇は起こりにくいものだ。これは景気(消費心理)が冷えているせいである。これは、不況に近い状況だ。最近の米国も似た事情にあるが。
 こういう場合は、物価上昇は起こりにくいので、増税は必要ない。むしろ、減税の方が好ましいこともある。
 私見では、欧州はもっと高めの物価上昇が受け入れた方がいい、と思える。具体的には、年率5%ぐらいの物価上昇があるといいだろう。この状況で、金利を低めに誘導することで、高めの成長を実現できるだろう。物価上昇率が高いのは、痛みではあるが、10% という高い失業率の痛みに比べれば、まだマシであると思える。また、5%ぐらいの物価上昇は、受け入れることが可能だ。(昔の日本でも、特に問題とはならなかった。)
 物価上昇の方法は、タンク法による「減税」よりは、普通の金融政策による「金利低下」の方が好ましいだろう。それは場合によっては「マイナスの実質金利」になるかもしれないが、とにかく、「消費」よりも「投資」を優遇することで、生産量を拡大させ、失業をなくすことを優先する。(タンク法が有効なのは、もともと設備が余剰であって、稼働率が低下していて、需要不足である状況である。つまり、需給ギャップのある不均衡の状況である。欧州の場合は、それに当てはまるまい。金利がゼロ程度に下がるまでは、金融政策を実施するべきだ。そして、金利がゼロ近辺まで落ちて、なおかつ失業が解決できないのであれば、そのときようやく、タンク法の出番となる。)
( ※ 以上の話を読むと、「企業優遇の結果、国民は貧しくなる」と思えて、悲観的になるかもしれない。しかし、そんなことはない。たとえ一時的には損でも、中期的は必ず得をする。「失業問題の解決」というのは、普通の人にとっては、必ず幸福となるのだ。……たとえば、10%の失業者がすべて雇用されれば、その分、失業手当の財政支出が不要になる。だから普通の人は減税などを通じて、所得が10%増えるのと同じことになる。失業者は、新たに雇用されることで、安定した職場を得られる。唯一、不幸になるのは、「遊んで金を得る」ことを目的とした、故意の失業者だ。彼らだけは、無為徒食ができなくなるので、不幸になる。「今までは失業していられたのに。これからは働かなくちゃならない。ぶつぶつ」と不平を垂らす。……そして、無為徒食の人が新たに働く分、今まで真面目に働いていた人は得をするわけだ。)

 [ 補足 3 ]
 前項とは関係ないのだが、欧州の失業問題について付言しておく。それは「通貨統合」との関連だ。
 欧州の「通貨統合」と「失業」については、前にも述べたことがある。「通貨統合をすると、タンク法を実施できなくなる」という問題だ。( → 1月02日c9月23日b ,9月24日 ,9月25日 )
 なぜ、そうなのか? タンク法で減税や増税をするには、各国の所得水準が同じであるべきだからだ。たとえば、通貨量を増やすとして、特定の国だけで減税すれば、他の国が文句を言う。かといって、各国で平等・公平に減税をすれば、タンク法の効果が損なわれる。(もともと各国には「景気の差」や「所得水準の差」がある。それに同一の経済政策を実施すると、国ごとに、メリットが出たり、デメリットが出たりする。最適のタンク法を実施できない。)

 さて。各国の「所得水準の差」に着目しよう。実は、これが、通貨統合の根本的な問題点でもある。
 なぜか? 各国の所得水準が異なれば、水が高きから低きに流れるように、高賃金の地域から低賃金の地域へと、生産力が移転する。となれば、高賃金の地域では失業が発生し、低賃金の地域では人手不足が発生する。欧州という統合された領域内で、不況と好況とが併存する。となると、統一的な経済政策を取ることができない。「失業解決のために景気刺激」をすれば、低賃金の地域で物価上昇が発生する。その物価上昇を放置すれば、賃金の上昇にともなって、低賃金の地域のメリットが失われる(途上国が通貨を切り上げたのと同じことになる)から、低賃金がなくなったことの代償として、成長力を失う。
 上では、「水が高きから低きに流れるように、高賃金の地域から低賃金の地域へと、生産力が移転する」と述べたが、これはもちろん、通貨統合がなされていなくても、国家間で発生する。たとえば日本から中国へ、生産力が移転する。いわゆる「空洞化」だ。しかし、これは、通貨統合がなされていない限り、問題はない。なぜなら、たとえ日本から中国へ生産力が移転しても、日本は実際には「空洞化」しないからだ。というのは、日本の方がはるかに商品の水準が高くて、経済力が強いからだ。たとえば、中国の最強力のハイアールという家電会社がサンヨーと提携して日本に進出したが、その家電は日本市場にはまったく受け入れられなかった。いくら価格が低くても、商品的魅力がなければダメなのだ。
 それでも中国の経済力は、いつかは強力になるだろ。しかし、それでも、大丈夫だ。なぜなら、中国の経済力が強力になれば、中国の通貨が強くなって切り上げられる。それはつまり、中国の賃金水準が上昇するということだ。となれば、中国の経済力が強まるにつれて、中国の通貨が切り上がり、それにともなって、中国の賃金水準が上がる。だから、「水が高きから低きに流れるように、高賃金の地域から低賃金の地域へと、生産力が移転する」ということもなくなる。そして、そういうふうになるまでは、中国の通貨水準は低い水準に保たれ、「低賃金によって成長する」という路線を取れる。

 結局、通貨統合がなされていない限りは、各国の経済の変動を、通貨レートの変動で吸収できる。しかるに、通貨統合がなされていると、各国の経済の変動を、通貨レートの変動で吸収できない。ある国では高めの成長にして、ある国では低めの成長にする、ということが、実施しにくい。欧州というものを一つの領域としているために、その領域内で景気にメリハリをつけることができない。そういう問題があるわけだ。
 放置すれば、低賃金の国では好況・高成長となり、高賃金の国では不況・低成長となる。だから、それを埋め合わせるように、低賃金の国では高金利にして、高賃金の国では低金利にするべきだ。しかるに、それができない。通貨統合は、国家間で金融政策のメリハリを付けることができなくする。そういう問題がある。

 結語。
 通貨統合のためには、各国で所得水準が同一であることが必要だ。所得水準がバラバラなままでは、各国間に成長の差が発生し、成長にふさわしい景気を金融政策で制御することができなくなる。
( ※ 逆に言えば、こうだ。通貨統合を実施する条件は、国家間で所得水準に差がないことである。たとえば、アメリカの各州は、地域間で差がない。だから、アメリカの各州は、通貨統合をして「ドル」という共通通貨を持っていても、何ら問題がない。)
( ※ 失業に関連して言えば、こうだ。通貨統合をなしている限り、欧州では最適の金融政策を実施できない。ドイツなどの先進国では、低金利にして成長を促すことができないし、ゆえに、失業は不可避である。……「財政赤字を抑制して物価上昇を抑えればいい。それだけで景気は自動的に最善になる」なんていうマネタリズムを信奉している限り、欧州の先進国の人々は、慢性的な失業に苦しまなくてはならない。誤った信念は、人々を苦しめる。昔も今も。)
( ※ では、どうすればいいか? 通貨統合を廃止すればいいか? いや、それは無理だ。いちいち論議していては、決定までに 20年以上かかる。だから、最善の策は、「通貨統合からの脱退」である。特に、ドイツのような国は、さっさと脱退した方がいい。脱退したあと、4%程度の物価上昇率を維持するように経済政策を実施すれば、失業が減って、人々は幸福になる。ただし「物価上昇恐怖症」という心理的なトラウマを拭うことが先決だが。……現実には、現状維持なので、いつまでたっても、失業と所得喪失という不幸に苦しみ続けるだろう。かわいそうに。)


● ニュースと感想  (12月26日)

 「スタグフレーション」について考えよう。
 前々項(1) で述べたのは、「生産量不足」であり、(2) で述べたのは、「生産量過剰」であった。これらは景気が冷えた場合と、景気が過熱した場合に相当する。
 それらとは別に、「失業が多いのに、物価上昇が高い」という状況(スタグフレーション)がある。これについて考えよう。

 スタグフレーションは、「失業」と「物価上昇」の同時発生である。従来の経済学の考え方では、「あちらが立てば、こちらが立たず」となって、(失業と物価上昇の)二律背反に悩んでいた。特に、ケインズ派は、その無力を味わった。
 この問題は、実は、論理的に考えていけば、自然に解決できる。
 まず、「失業」だが、これを解決するには、「生産量の拡大」が必要である。当然だ。ここでは、必要なのは、「物価上昇」ではなくて、「生産量の拡大」である。このことに注意しよう。
 さて。「物価上昇」だが、これはどうして発生したのだろうか? 状況からして、単なる「不況」(物価下落や需要縮小をともなうもの)ではないことは明らかだ。
 ここで、スタグフレーションが主要問題となった 1970年代の事情をよく考えると、「石油ショック」があったことに気づく。「石油ショック」によって、「石油価格の高騰」が発生し、このとき、石油の代金の支払いとして、「富の流出」があったことに気づく。「富の流出」というのは、実質的には、「その富によって商品が買われること」をともなうから、結局は、「商品をタダで奪われること」というのと等価だ。そして、ここでは、外国からの需要の拡大が発生している。需要はたしかに増えているわけだ。当然、物価上昇が起こるはずだ。
 外国からの需要の拡大が起こるのであれば、当然、「生産量の拡大」も起こっていいはずだ。産油国にタダで物品をプレゼントすることになったのなら、その分、生産の拡大が必要だ。ところが、そうならなかった。外国にプレゼントする分の生産を、そう簡単には増やせなかった。そこに、「スタグフレーション」の理由がある。
 富の流出は、通貨の引き下げ要因となる。通貨の引き下げは物価上昇をもたらす。だから政府は緊縮政策を取る。特に、金利を引き上げようとする。そのことで、物価の上昇は抑制されるが、同時に、生産の拡大も抑制される。かくて生産力不足となる。
 まとめてみよう。石油ショックによって、富の流出が発生した。当然、国全体としては、二者選択が発生する。「金を渡して、貧しくなる」か、「物を多く渡して、多く働く」かだ。前者ならば、単に生活レベルが下がる。後者ならば、労働時間が増える。通常、生活レベル急に下げることはできないから、後者を選ぶしかない。つまり、「労働時間を増やして、生産量を拡大する」ことだ。このとき、同時に、「投資の増大」も必要である。にもかかわらず、政府の金融政策のせいで、投資が抑制された。十分な生産量まで生産を拡大することができなかった。生産量不足。そのせいで、物価上昇が発生し、かつ、失業も残った。
 ここでは、デフレのときと違って、「失業者がどんどん増える」というスパイラル的な状況ではなかった。単に「失業者を吸収できない」という持続的な状況だった。「生産量の拡大」がなされなかったゆえに、「失業」と「物価上昇」が同時に発生したわけだ。
 では、解決策は? 当然、「生産量の拡大」をめざすことだ。それには、「投資の拡大」つまり「金利低下」が最も有効だ。政府がそれを実行できなかったのは、「物価上昇のときは金利引き上げ」という、例のIMF流の政策(マネタリズム)を取ったせいである。このIMF流の政策が途上国でさんざん失敗してきたことは、すでに何度か述べたが、それと同じことが、スタグフレーションのときの先進国でも発生したわけだ。
 では、IMF流の政策のかわりに、どうすればいいか? 「金利の引き下げ」を実施すると同時に、「増税」をすればよい。「スタグフレーションの解決には、金利の引き下げと増税で」というのは、ポリシー・ミックスの政策であり、これについては、すでに何度か述べてきたとおりだ。
( → 4月26日5月03日

( ※ ここで、本質的な事情に注意しよう。スタグフレーションにおける失業は、「失業の新規発生」ではなくて、「既存の失業が解決できないこと」なのである。失業の原因は、「総生産が縮小していくこと」ではなくて、「総生産が十分な伸びを達成できないこと」なのである。)
( ※ スタグフレーションというのは、「先進国の途上国化」というのと似ている。産油国が急に貿易上で有利な立場になると、先進国は有利さを失うので、途上国のような位置に引き下げられてしまう。)
( ※ 増税の必要性については、前項の[ 補足1 ]でも述べた。)


● ニュースと感想  (12月27日)

 前項で、「失業とスタグフレーション」の話を述べたが、それに関連して、「スタグフレーションと円安」の話。
 最近、「円安にせよ」という意見がチラホラと聞こえる。「円安政策の実現のために民主党を脱退する」と主張する議員まで出る始末だ。(おかしな話だが、それでいて、新党では「円安をめざす」とは言わない。支離滅裂。)……ともあれ、経済学音痴の人々は、たいてい、「円安」を主張する。だから、経済学音痴の人のために、ふたたび解説しておこう。

 12月07日 の [ 付記 ] で述べたように、「円安」は、「ドル表示の賃金の切り下げ」を意味し、「国全体の賃金の切り下げ」を意味する。それはもちろん、輸出増加の効果をもつが、同時に、国民の生活は苦しくなる。
 さて。このことに注目すると、こう言える。「円安はスタグフレーションをもたらす効果がある」と。
 第1に、円安を通じて、輸入品価格が上昇するから、国全体の物価も上昇する。石油や飼料や食品などの輸入品格の上昇にともなって、ガソリンや電気やガスや肉や果物や納豆などの価格が上昇する。もちろん、パソコンや日用雑貨(100円ショップの中国製品)などの製品も上昇する。
 第2に、物価は上昇しても、賃金は上がらないので、実質所得が減少する。国内製品の物価が上がる「インフレ」ならば、物価が上がったとき、買い手が余分に金を払っても、その分は売り手に渡るから、国全体で損得はないし、実質的な総所得の増減もない。しかし、輸入品の物価が上がった場合は、買い手が余分に金を払ったとき、その金は海外に渡るだけであり、日本人全体の手取りは増えない。海外の人は、日本の商品を安く買えるので得をするが、日本人全体は、富を安売りするので、損をする。……では、この損失は、どうやって支払うか? 次のいずれかだ。すなわち、「物価上昇による損失」または「増税による損失」だ。いずれにしても、損失である。
 ここで、政府が賢明であれば、「増税」を実施する。国民は、損失を損失として受け止める。逆に、政府が賢明でなければ、「増税」をしない。すると、物価が上昇する。すると、市場金利が自然に上昇するし、また、日銀が物価上昇を拒んで(「インフレ目標による金融引き締め」でも同じことだが)金利を高めに誘導する。すると、当然、失業が発生する。……かくて、「物価上昇と同時発生の失業」である。すなわち、スタグフレーションである。
 
 以上に述べたことは、「風が吹けば桶屋が儲かる」ふうの、うまくこねくり上げた論法のように見えるかもしれない。しかし、そうではない。まさしく、上記の論法が本質となっている。実際、かつてのスタグフレーション状況を見てほしい。日本でも、外国でも、スタグフレーションが発生している状況では、ほぼ必ず、「通貨安」という状況が発生している。
 石油ショックのときの日本でも、現在のアルゼンチンでも、「通貨安」という状況が見られる。ここでは、「富の流出」が発生している。「富の流出」が発生する以上、国民の生活が苦しくなるのは、当然のことだ。
 ただし、注意しよう。アルゼンチンならば、「富の流出」が発生するのは、当然のことなのだ。というのは、それまで、「人為的な通貨高」を通じて、「富の流入」が発生していたからだ。生産する以上に、消費していた。となれば、いつかは、生産する以下しか、消費できない。「ツケ払い」である。これは当然だ。だから、アルゼンチンは、「通貨安」によって、「国全体の賃金切り下げ」を実施して、「いっぱい働いて、少しだけ消費して、借金を返済する」というのが、当然であるわけだ。
 一方、日本では、どうか? 話は逆である。「需給ギャップ発生による不況」という状況は、「生産する以下しか、消費していない」という状況だ。アルゼンチンとは、正反対だ。このとき、「もっと働こう、しかし消費は我慢しよう」という「円安」政策を実施するのは、処置としては、正反対である。本質的に間違っている。そのようなことをやれば、たしかに(円安で)輸出は増えるだろうが、(円安で)国民の所得が減少することで、国内の消費はさらに縮小するし、だから、不況はスパイラル的に悪化する。
 
 まとめて言おう。生産力が不足しているときには、「スタグフレーション」が発生する。そういうときには、「円安」が同時に発生するが、「円安」を通じて、「スタグフレーション」を解決する方向に働く。(賃下げによる輸出増加。)だから、そういうときには、「円安」ないし「賃下げ」は好ましい。
 しかし、生産力が過剰であるとき(需要が不足しているとき)には、「生産力を増やすための賃下げ」を実施すれば、かえって状況が悪化する。輸出は増えるが、国内消費がそれ以上に激減する。輸出企業は一時的に利益を得るが、国民全体では、物価上昇を通じて、「総所得の減少」という損失を受ける。

 もう少しわかりやすく言おう。「円安とは国民全体の賃下げだ」と 12月07日 に述べた。だから、「国民全体の賃下げ」をしたと考えればよい。もしそうすれば、企業は利益を大幅に増やすので、企業は大喜びするだろう。「収益性が改善した、これで不況は脱出できる」と。そして、古典派の経済学者も、「ほれみろ、円安でうまく行く」と主張するだろう。
 しかし、そのあと、どうなるか? 企業は一時的には利益を増やすが、労働者は実質賃下げを受けたから、物を買えなくなる。国全体では、総所得の減少にともなって、総需要が縮小し、総生産も縮小する。すなわち、経済がスパイラル的に縮小し、不況がスパイラル的に悪化する。結局、マクロ的に考えれば、「賃下げ」は、状況をかえって悪化させるのである。(「所得」を通じた効果。)
 そして、そういうマクロ的な「所得の効果」を理解できないのが、経済音痴の素人(と古典派)だ。彼らは単に、「企業収益を向上させよ」とのみ主張する。そして「円安を」「賃下げを」と主張する。本人は正しいことを言っているつもりらしい。しかし、その論理は、マクロ的な「所得」の効果を無視した、まったくの底抜けの論理でしかない。
cf.  円安については → 6月02日6月09日c6月15日

 [ 付記 ]
 実例を見るがいい。2002年の初めのころは、1ドル=135円ぐらいの円安で、輸出企業は大幅に為替差益を得た。では、それで、景気は回復したか? 否。すぐあとの春闘で、「大幅な利益を得たトヨタでさえ賃上げゼロ」「他の企業は賃下げ」という状況になった。つまり、「所得の低下」があった。これはマクロ的には、経済を縮小させる。当然、不況はさらに悪化した。
 この件は、私が春に予想したとおり。当時、「企業収益が向上したから、不況脱出の目が出てきた」などと主張した経済学者が多かったが、私は「所得減少で不況悪化」と予想した。現状は? もちろん、失業率は増加の一方だし、政府の見通しは「デフレ解決は予想よりもさらに遠のいた」だ。
(私の春の予想は → 3月16日3月30日5月29日c ,5月29日d )

 [ 補足 ]
 以上のことを逆に言うこともできる。つまり、「円安はスタグフレーションをもたらす効果がある」というのを逆にして、「円高はスタグフレーションを阻止する効果がある」と言える。
 このことは大切だ。経済学者は「円安は素敵だ」と主張しているが、実は正反対であって、「円高は素敵だ」と言えるのだ。正確に言えば、「強引に円高にすれば素敵になる」のではなくて、「自然に円高になるときには、国家経済力が上昇している状況だから、人々は経済力の上昇にともなって幸福になる」と言える。
 円高とは、ドル表示の国民所得( or 生産性)の上昇である。こうなれば、外国の商品を安価に購入できる。だから人々は幸福になる。たとえば、アラブの石油のほか、アジアのパソコン、ドイツの自動車、フランスのブランド品、米国の食料品、中国の雑貨、……こういうものを同じ給料でたくさん購入できるようになる。幸福だ。
 円安は、その逆だ。ドル表示の国民所得( or 生産性)の下落である。アラブの石油を購入したら、あとは残る金が少ししかないので、ろくに商品を買えずに、貧しい暮らしを送るしかない。「低賃金になったから、中国に対する価格競争力が付いた。国際競争力が付いた」と経済学者は主張するが、実は、話は反対であり、国際競争力がなくなったから、円安になって、生活が苦しくなるわけだ。
 私がこう述べると、「そんな馬鹿な」と思う人もいるだろう。しかし、そう思うとしたら、頭がどうかしている。繰り返して言おう。「円安とは、ドル表示の賃金低下」である。そして、「賃金低下はすばらしい」なんて思うのは、阿呆だけなのだ。企業の経営者は、「賃金が下がれば払う給料が減るので楽になる」と思うだろうが、実際には、マクロ的には、賃金が下がった分、総所得が低下して、総生産も減る。国内分を見ている限りは、名目賃金が低下する(= 貨幣価値が上がる = 物価が下落する = デフレになる)だけだ。一方、国外との比較では、明らかに「ドル表示の賃金低下」で所得の損失が発生する。
 
 [ 参考 1 ]
 関連して、円安の話。「将来の円相場」について。
 将来の円相場を予想すれば、「円高になるだろう」と予想できる。
 そもそも、「適切な円相場」は、どのくらいか? これは、諸説ある。よく聞くのは、「購買力平価」だが、こんなものは意味がない。それは生活水準を示すには役立つが、適切な相場とは何の関係もない。適切な相場は、「貿易財だけの国際競争力」で決まる。非貿易財である土地や人的サービスの価格を比べても意味がない。では、「購買力平価」のかわりに、何を持ち出すべきか? 私としては、「貿易産業の賃金」が適切な指標になると思う。これを見ると、どうか? 日本では、貿易産業の賃金も、他の産業の賃金も、あまり変わらない。いずれにしても、日本の賃金ないし所得は、先進国中では、低レベルである。つまり、ドル表示の賃金が安い。これは、「賃金が安い」と見なすよりは、「円レートが安い」と見なすべきだろう。将来的には、日本の賃金も、他の先進国並みになるように、円レートが上昇するべきである。その水準を予想すると、現在の2割高、つまり、「1ドル= 100円」程度が、適切な水準と思える。景気が回復したあとは、このくらいの相場になるだろう。
 もし「1ドル= 100円」程度になれば、円高にともなって、景気回復後には、物価下落圧力が働く。すると、その分、スタグフレーションが起こりにくくなる。これは、好ましいことだ。
( ※ ただし、物価下落にともなって、デフレ圧力も働く。ここで、「インフレ目標」を実施していれば、「低金利と量的緩和」によって、「資産インフレ」を引き起こしやすい。バブル期がそうだった。いつか来た道。だから、円高が発生したときは、「インフレ目標」なんかを実施しないことが大切だ。円高のときに「インフレ目標」なんかを実施していると、過剰な金融緩和により、バブルの膨張と破裂を、ふたたび繰り返しかねない。……「インフレ目標は、インフレと資産インフレを区別できない」という点に注意しよう。これはマネタリズムの欠点の一つ。)
 
 [ 参考 2 ]
 「円安の本質は何か」という話。
 「円安とは、国民全体の賃下げ」のことだ、と先に示した。では、これは、何を意味するか? 「富の流出」だ。両者は実質的には同じことだ。
 わかりやすく示そう。円安とは、低賃金でいっぱい働くことだ。換言すれば、同じだけ働いても、少しのものしか得られないことだ。換言すれば、得るべきものを外国に与えることだ。それがすなわち、「富の流出」だ。
 それは、「外国に富を無料でプレゼントすること」と同じだ。それはつまり、「無償援助を多大になす」ということだ。ただ、普通の援助は、途上国に富を流出させるが、円安では、輸出相手の国に富を流出させる。(その最大の相手は、米国だ。)
 だから、具体的に言えば、「米国などの外国に、富を莫大にプレゼントする」ということと同じだ。国民の視点で言えば、莫大に働いて、多大な生産をして、その生産物をタダでプレゼントする、ということだ。(不当に安値で輸出する、ということは、余剰に生産した分を、タダでプレゼントするのと同じだ。)
 このとき、景気は、どうなるか? 多大に生産するから、景気は回復する。その意味で、景気回復は実現する。しかし、それで「めでたしめでたし」とはならない。単に無賃労働をしているだけのことだ。
 結局、「円安にせよ」というのは、「無賃労働をして、その生産物を外国にプレゼントしよう」ということだ。別の形で言えば、こうだ。「消費税を 50兆円増税する。そして、その増税をした 50兆円で、政府が自動車や電器製品などを購入する。その 50兆円分の自動車や電器製品を、外国に無料でプレゼントする」と。── そして、こうすればたしかに、景気は回復する。国民の生活は非常に苦しくなるが、それでも食費などの生活費を大幅に削減するわけには行かないので、貯蓄を取り崩すことになる。かくて、貯蓄が減って、消費性向が上がるからだ。国民は生活苦に不平を鳴らすだろうが、そもそも、円安というのは、「生活苦を代償として輸出を増やす」という政策なのだから、仕方ない。
 しかし、「需要拡大」にしても、これは最悪の需要拡大策である。「公共事業」というのは、「半分ぐらいが無駄になる生産をすること」であるが、「円安」というのは、「すべて無駄になる生産をすること」である。
 ケインズは、「穴を掘って埋めればいい」と主張した。「円安」というのは、「自動車や電器製品を生産して、それを捨てればいい」という主張だ。両者はそっくりだ。……なるほど、いずれの場合も、有効需要は増えるから、需給ギャップはなくなり、景気は回復する。しかし、その代償として、「無賃労働」という莫大な痛みをこうむるのである。
 結語。
 「円安」も「公共事業」も「減税」も、「需要拡大」という景気回復効果は同じである。ただし、生産したものを誰が得るかということだけが異なる。誰が生産物を得るか?
   ・ 「円安」ならば、外国が得る。
   ・ 「公共事業」ならば、政府が得る。
   ・ 「減税」ならば、国民が得る。
 この違いに注意しよう。「景気回復だけが目的だ。これこれをやれば景気回復は回復するぞ」という主張は、底抜けなのである。払うべき代償のことを忘れているからだ。
 タコは空腹という問題を解決しようとして、自分の足を食う。「問題は解決するぞ」とだけ主張して、払う代償を忘れる。それと同じなのが、「円安」や「公共事業」論者だ。
( ※ 本項の本文の「スタグフレーション」の関連で言おう。「円安」は、富の流出にともなって、物価上昇をもたらす。同時に、生産の拡大で、失業を減らす。しかし、しょせんは、国民が富を得るわけではないから、正常な景気回復過程には載らない。円安を強引に続けている間は、生産が拡大する。しかし、国民の所得はどんどん減るから、強引な円安をやめた段階で、所得減少の効果が出て、ふたたび不況に陥る。ここでは物価上昇と不況が併存するスタグフレーションとなりがちだ。「富の流出」という馬鹿げたことをやれば、最悪の状況が訪れるのは不可避だろう。富を捨てれば、苦しくなるのは当然のことだ。)


● ニュースと感想  (12月28日)

 「スタグフレーションはいつか来る」という話。
 デフレのときにスタグフレーションの心配をするのは、杞憂と思えたり、遠い先のことのように思えたりしそうだ。しかし、そうではない。スタグフレーションは、いつか必ず来る。決して杞憂ではない。
 状況としては、次のようなものが考えられる。
  ・ 大地震
  ・ 輸入資源の価格高騰
 「大地震」は、「今世紀前半に発生の恐れがある」という記事が出た。「23万戸が全壊し、死者は 7000人に上る恐れも。津波もひどい」と。このとき、高速道路などの社会インフラも破壊されるし、地下鉄も津波で水没するかもしれない。交通が寸断されれば、いくら生産設備が耐震性を備えていても、無意味である。
 「輸入資源の価格高騰」は、「地球温暖化」などによる「天候異変」とか、「ブッシュの中東戦争による石油危機」とか、いろいろと状況が考えられる。
 
 このような状況になれば、「供給不足」による「物価上昇」は不可避だ。しかも、ここで「物価上昇を阻止する高金利」を実施すれば、「失業率上昇」は免れない。特に、「大地震」のような場合は、企業倒産にともなう失業が多発するはずだ。ここで「高金利」を実施すれば、「スタグフレーション」は不可避だ。
 だから、たとえ今はデフレであっても、スタグフレーションへの正しい処置を理解しておくことは、是非とも必要なのである。やがてくるスタグフレーションのために。
 
 それでも、「遠い先のことだろう」と楽観する人もいるかもしれない。しかし、楽観しない方がいい。なぜなら、「必ず」ではないにせよ、近い将来にスタグフレーションが再来する可能性は、かなりある。
 なぜか? それは、今、デフレだからだ。デフレのときは、需要不足にともなって、生産力を縮小させる。企業は次々と設備を廃棄したり、人員を解雇したり、設備投資を抑制したり、そうやってどんどん生産力を縮小させる。そうやって、採算性を良くして、デフレ下でも生き延びようとする。その行きつく先は、「縮小均衡」だ。
 そして、「縮小均衡」のもとで、企業は「採算性が良くなった。赤字を出さずに済むようになった」と思って、ほっとする。しかし、である。そのあと、政府が正しい経済政策をするか、あるいは、別の何らかの理由で消費心理が急上昇して、需要が拡大したとする(消費性向は心理的なものだから、変化しやすい)。このとき、正常化した需要にともなって、経済は拡大するはずだが、いかんせん、すでに「縮小均衡」の状態になっているので、企業は生産量を拡大することができない。単なる「不況」ないし「経済悪化」のときには、稼働率の低下に悩んでいた(遊休設備がいっぱいあった)。しかるに、「縮小均衡」のときには、稼働率の低下に悩まずに済むかわり、今さら生産を拡大しようにも、遊休設備がないので、生産を拡大できない。生産が拡大できないのに、需要が拡大すれば、「物価上昇」である。そして、「物価上昇」を防ぐために「高金利」を実施すれば、生産設備を拡大できないので、高い失業率はそのまま維持される。
 たとえば、「インフレ目標」という政策がある。これは、「物価上昇率が高くなれば高金利」という政策だ。この政策をスタグフレーションのときに実施すれば、単なる「高金利」政策になる。だから、不況を脱出したとしても、「低金利による経済拡大」はできないで、「高い物価上昇率と高い失業率」というスタグフレーションの状況になる。……つまり、「ひどいデフレ期(縮小均衡期)に開始したインフレ目標政策」というのは、デフレを脱出したあと、「インフレ」にはならず、「スタグフレーション」になる可能性が高い。「インフレ目標のおかげでデフレを脱出したぞ」と喜んでいると、「インフレ目標のせいでスタグフレーションになったぞ」と苦しむわけだ。以前は、「物価下落と高い失業率」だったが、今度は「物価上昇と高い失業率」となるわけだ。どちらかと言えば、状況はひどくなる。
 
 結語。
 スタグフレーションは、決して杞憂ではない。特に、ひどいデフレ期のあとには、スタグフレーションが発生する可能性が高い。そして、その原因は、「金融政策だけで」というマネタリズムふうの考え方を取るからだ。経済の舵取りを、「金融政策だけ」で行なおうとするべきではない。失業という問題は、「金融政策だけ」では片付かないのだ。経済というものは、多くの要因が絡み合っている。「金融政策だけ」で済むほど単純・素朴ではない。スタグフレーションというものは、複雑なものであり、その複雑な姿を正しく理解するべきだ。そうすれば、複雑な現象に複雑な対処をなして、正しく解決することができる。

 [ 付記 ]
 スタグフレーションは現実に来るか? その予想を示そう。
 まず、不況を脱出したとして、その直後には、物価上昇は起こらない。なぜなら、採算価格(下限直線)よりも価格が上がったとしても、いまだに設備は遊休しており、供給は十分であるからだ。当面は、普通の好況となるだろう。すなわち、「稼働率の向上」である。それにともなって、失業も改善していく。物価上昇率は、微弱に上がるが、急上昇はしない。
 しかし、やがて、生産力の上限に近づく。ひどい不況(縮小均衡)が続いていると、生産力は縮小している。十分な生産設備がない。だから、需要の増加にともなって、設備不足が発生する。すなわち、「上限均衡点の突破」が発生し、「急激な物価上昇」が発生しやすくなる。しかも、この時点で、いまだに失業者は多大に残っているだろう。(400万人程度の失業者のうち、半分ぐらいは解消するかもしれないが、まだ半分ぐらいは残るだろう。)
 ここでは、「生産力の不足」つまり「設備投資の不足」が発生している。当然だ。バブル崩壊後、十年以上に渡って、設備投資がずっと停滞していたのだから、経済が拡大すれば、設備不足が露見するはずなのだ。だから、このときは、「設備投資の拡大」が必要となる。
 しかるに、設備投資の拡大にとって必要な「低金利」が実施できるか否かが、問題だ。マネタリズムふうに、「インフレは貨幣的な現象である」なんて主張して、高金利政策を取れば、設備投資不足は解決しない。投資不足で、経済は拡大せず、失業率は高いままとなる。
 だから、予想は、こうだ。
 「デフレ脱出後、しばらくは、好況が続く。しかしそのあと、スタグフレーションが発生する可能性が十分にある。もしマネタリズムやインフレ目標などに従って、高金利政策を取れば、スタグフレーションは発生するだろう。しかし、マネタリズム流の考え方を脱して、ポリシー・ミックスによって増税を実施すれば、スタグフレーションにはならず、順調に経済は拡大していくだろう」

 ただし、である。上記は悲観的な予想だが、もう一つ、楽観的な予想も立つ。その違いはどこにあるか? それは、景気が回復したあとで、「消費意欲が強いか弱いか」による。
 前者ならば、スタグフレーションになりやすいが、後者ならば、スタグフレーションにならない。
 そして、その分け目は、「消費意欲が強いか弱いか」である。日本人が従来と同じく、「倹約大好き、貯蓄大好き、働いたお金は使わずに溜め込む」のならば、スタグフレーションの危険はない。しかし、「浪費大好き、消費大好き、あまり働かずにどんどん金を使いたい」のならば、スタグフレーションの危険はある。
 実際には、どうか? 現在の高齢者世代は、「遊ばず働く」という人生観を持っていた。こういう人生観が続けば、スタグフレーションは起こらないだろう。しかし、最近の若い世代を見ると、「働かずに遊ぶ」という傾向が見られる。たとえば、親は子供に、オモチャやらテレビゲームやら、さんざん好き勝手をさせている。これでは、「我慢」ということができる子供が、どれだけいるだろう? 今の若い世代は、高齢者とは反対の人生観を持っている。となると、楽観的な予想は、あまり成立しそうにない。

( ※ 「スタグフレーションになるか」という予想については、「消費意欲が強いか否か」ことが影響するほかに、「円安か円高か」ということも影響する。この件は、前項を参照。)

 [ 注記 ]
 上では、二つの可能性を示したが、いずれにせよ、「増税 or 物価上昇」または「貯蓄増大」があって、働いても成果を十分に得られない。所得の一部を奪われる。どっちにしても損をする。
 では、なぜか? それは、「多大な借金があるからだ」と説明できる。莫大な国債残高がある。そして今また莫大な財政赤字を積み重ねている。それはつまり、今は「働いた以上の所得を得ている」ということだ。( → 12月19日
 それゆえ、将来的には、「働いた以下の所得しか得られない」ことになる。ツケはいつかは払わねばならない。当然のことだ。デフレは不幸だが、デフレを脱したあとも不幸なのである。「莫大な借金を帳消しにするような、打ち出の小槌はない」と理解しよう。

 [ 補足 ]
 スタグフレーションとマネタリズムの関連について、補足しておく。
 スタグフレーションの阻止には、増税が必要となる。ところが、マネタリズムは、「金融政策だけでいい」と主張する。(この件は、上で述べたとおり。)
 ここで、本質を示しておこう。マネタリズムの考え方がダメなのは、「金融政策だけ」ということによるが、では、それがどうしてダメなのか?
 理由は、「投資と消費の区別をしない」というところにある。この両者を区別せずに、単に「金融政策で需要を制御すればいい」とだけ考えるのでは、あまりにも粗っぽいのである。
 だから、区別するべきものを区別できずに、見当違いのことをやる。
 (1) デフレ期……「消費を増やすべきときに、投資を増やそうとする」(ゆえに無効)
 (2) スタグフレーション期……「投資を増やすべきときに、消費といっしょに投資を減らそうとする」(ゆえに逆効果)
 いずれも、投資と消費の区別をしないから、どちらを増やしてどちらを減らすべきかを、正しい比率で制御できない。ここに、マネタリズムの欠陥がある。


● ニュースと感想  (12月29日)

 ケインズの説について、これまで、あれこれと述べてきた。最後に、ケインズの説に対する「古典派による批判」について、私の考えを述べよう。── つまり、最初にケインズの説があって、それに古典派が批判して、さらに、それに私が言及するわけだ。
( ※ なお、注記しておくと、本項で述べる失業は、「不況」ではなくて、「スタグフレーション」のときの話である。スタグフレーションについてのケインズ的な政策は、不況のときについてのケインズ的な政策とは、事情が異なる。古典派が批判したわけだが、かなり当たっている面がある。)
 
 古典派は、ケインズ説について、次のように批判した。
「不況脱出のために、ケインズは総需要拡大ばかりを狙う。しかし、そんなことを、スタグフレーションのときにまでやって、財政支出をやたらと増やすのは、好ましくない。マネタリズムの見地から言えば、貨幣量をやたらと増やすのは過大な物価上昇を起こすので、好ましくない。ケインズ的な方策では、失業は解決しないまま、物価上昇ばかりが起こる。それよりはむしろ、貨幣量を一定のままにした方がいい。そして、失業問題については、マクロ的な政策よりも、職業訓練などをした方がよい」
 なるほど、この批判は、スタグフレーションが発生しているときには、妥当だと思えた。というのは、ケインズ的に財政拡張をしても、物価が上昇するばかりで、失業は解決しなかったからである。
 では、本当にそうなのか? 

 まず、私の主張に戻ろう。「失業解決のためには、生産量の拡大で」というのが、私の主張であった。では、この主張は、正しくはないのだろうか? 
 この問題を突き詰めて考えると、本質にぶつかる。次の2点の違いだ。
   ・ 生産量の拡大
   ・ 景気拡大のための政策(財政刺激など)
 この二つは、同じだろうか? 通常は、同じだ。景気拡大の政策を取れば、実際に景気が拡大して、生産量が拡大する。そして、そうなれば、失業は減る。だから、 「景気拡大の政策」=「失業の減少」 というふうに、等号で結べるはずだ。
 しかるに、その等号が成立しない場合がある。それは、スタグフレーションの場合だ。スタグフレーションのときには、景気拡大策を取っても、「生産量の拡大」や「失業の減少」に結びつかない。
 
 では、そういう状態(景気拡大策を取っても「生産量の拡大」や「失業の減少」に結びつかない状態)とは、本質的には、何のことか? それは、前にも述べた、「上限均衡点の突破」だ。── 生産能力が上限に達してしまっているために、市場価格が上昇しても生産量が増えないまま、単に価格が上がるだけとなる。
 通常は、そうならない。価格が上昇すれば、それに応じて生産が増える。生産が増えれば、失業が減る。つまり、単純な「好況」となる。
 では、なぜ、生産が増えないのか? そこが肝心なところだ。答えを言おう。それは、生産を増やそうにも、金利が高すぎて、設備投資ができないからだ。実際、スタグフレーションが発生する状況では、必ず、「高金利」という状況が発生している。理由は、さまざまなだ。一応、次の3通りが考えられる。
  1.  高金利
     投資を阻害する原因として、典型的なのは、高金利だ。特に、IMF流のマネタリズムによる「財政健全化のための高金利」という高金利だ。「財政が悪化したから、金利を上げて、財政健全化をしよう」という名目で、金利を上げる。当然、投資はなされない。投資がなされないから、生産能力は増えない。生産能力が増えないから、実際の生産は、上限に張りついたままで、増えない。かくて、生産不足によって、「物価上昇」と「高失業率」が発生する。
    ( ※ IMF流の高金利は、金融恐慌によって人為的に発生する高金利だ。一方、物価上昇に応じて、市場において自然に発生する高金利もある。次の 1.  2. を参照。)
  2.  生産力の削減
     生産力が突発的に削減されることがある。原因は、大地震や戦争など。これらによって工場が相当規模で壊滅すれば、生産力が削減され、たやすく上限均衡点に達する。しかも、ここで「物価上昇」が発生するわけだが、それにともなって、金利も自然に上昇する。すると、当然、投資も阻害される。
  3.  輸入価格の上昇
     輸入品の価格が突発的に上昇することがある。たとえば、「石油ショック」とか、「大豆・トウモロコシの飢饉」とか、「米国による局地戦争の勃発」とか、いろいろとある。これらによって、海外から輸入するもの価格が上昇すると、それらの輸入品を購入するために、莫大な金を払わなくてはならない。その輸入品が、自動車や電器製品のように、国内生産で代替できる商品であれば、特に問題はない。しかし、石油や大豆やトウモロコシなどは、国内生産では代替できないから、輸入価格の上昇、即、国内の富の流出である。当然、国民は、生産したものを、国内ではなくて外国に渡さなくてはならなくなり、国内に回す分が減少する。これは、実質的には、国内の生産能力が減少するのと同じことである。すぐ上の 2. と同じことになる。
 結局、高金利ゆえに設備投資が増えないことが、生産能力の拡大を阻害し、物価上昇と失業問題をともに発生させる。
 そして、これに対して、「ケインズ的な財政拡大策は無効だ」という古典派の批判は正しい。しかし、それは、古典派の主張が正しいことを意味しない。「貨幣量を管理して物価上昇を抑制する」というマネタリスト的な主張もまた、「供給能力の拡大」については有効ではない。むしろ、彼らの主張する高金利政策は、事情を改善するどころか悪化させる。マネタリストのの主張は、「無効」ではなくて、「有害」なのである。
 また、もう一つ、サプライサイドの考えもある。これは単純に「無効」と言ってよい。彼らの主張は「生産性の向上」だ。なるほど、「生産性の向上」とお題目を述べて、それでどんどん生産性の向上ができるのであれば、こんなにすばらしいことはない。しかし、それは、「空からまんじゅうが降ってくればいい」というのと、同じ主張なのだ。「生産性向上、生産性向上」と経済学者が主張して、それで空からまんじゅうが降ってきたり、生産性がどんどん向上するのならば、こんなに素敵なことはない。しかし、空からまんじゅうは降ってこないし、経済学者がいくらお題目を述べても、生産性の向上は至難である。そもそも、「生産性の向上」というのは、阿呆でもがわかっていることだし、あらゆる企業がそれをめざして必死に努力していることだ。経済学者の出る幕はない。経済学者が「生産性の向上」のために役立つことをしたいのならば、そういう完全に無意味な駄弁を吐かずに、自分で汗水垂らして働くべきだろう。彼らが「生産性の向上」と叫べば叫ぶほど、生産性は低下するだけだ。

 では、どうするべきか? 
 もちろん、4月下旬ごろに「スタグフレーション」のところで述べたとおりだ。つまり、「高金利」を解消するために、「増税と低金利」を行なう。「投資の促進と消費の抑制」を行なう。こうして、「現在の消費を我慢して投資に回すことで、将来の所得をいっそう多くする」という「迂回生産」をなす。
 これが、スタグフレーションのときの対策だ。話はこれで済んでいる。

 ただし、である。この「スタグフレーションのときの対策」を、デフレという正反対のときに実行すると、どうなるか? もちろん、状況をかえって悪化させる。
 スタグフレーションのときは、消費が過剰で、投資が不足している。だから、金利を下げることで投資を増やすべきなのだ。
 デフレのときは、逆に、消費が不足して、投資(供給力)が過剰である。だから、金利を下げることは、意味がない。そもそも、金利を下げようにも、ゼロ金利で、もはや下げる余地がない。「マイナスの金利にすればいい」という説もあるが、そもそも、「投資を増やす」という狙いそのものが根本的にずれている。
 小いうふうに、根本的にトチ狂った政策をやるのが、マネタリストだ。彼らは、スタグフレーションのときには「高金利」を主張して、投資を抑制して、状況を悪化させる。デフレのときには、「投資拡大」を主張して、消費拡大を無視し、やはり状況を悪化させる。……まったく、呆れる。サプライサイドというのは、単なる無知の白痴にすぎないが、マネタリストというのは、間違った説を妄信して突き進むテロリストのようなものだ。彼らが自説を信じれば信じるほど、経済は破壊されていく。

 まとめ。
  1.  失業の解決には、「生産量の拡大」が必要である。
  2.  「総需要拡大」という「景気拡大策」を取っても、「生産量の拡大」が可能だとは限らない。それは、「生産力が上限に達しているとき」だ。(上限均衡点の突破。)
  3.  そういうときには、「景気拡大策」を取っても、物価上昇が発生するだけであり、失業は解決しない。(ケインズの説が無効。)
  4.  そういうときには、「高金利政策」を取っても、物価上昇を抑制させるだけであり、失業は解決するどころか悪化する。(マネタリズムの説が無効。)
  5.  「高金利政策」は、投資を抑制するので、「生産の拡大」を抑制する。(マネタリズムの説は、無効であるどころか、かえって有害である。)
  6.  そういうときには、有効なのは、(マネタリズムとは逆の)「低金利」政策である。これによって、投資を拡大し、生産を拡大する。かくて、失業を減らす。また、物価上昇は、増税によって消費を減らすことで、実現する。(ポリシー・ミックス。)
 [ 補足 ]
 書き落としたことを、いくつか補足しておく。
 (1) 「上限均衡点の突破」というのは、生産設備が上限に達したことを意味する。これは、ケインズにおける「完全雇用点」に似ているが、異なる。前にも述べたが、「完全雇用点」なんてものは、ない。労働者数には「人口」という上限があるが、労働時間は残業や時短などで変化するからだ。これらを混同しないこと。
 (2) ケインズ的な「完全雇用点」というのを、「上限均衡点」のことだと解釈すれば、ケインズの説は、「上限均衡点の突破」を、ある程度うまく説明する。この意味で、古典派の批判とは逆に、ケインズ説はけっこう正しいことになる。
 (3) ケインズの説は、いくらか当たっているところはあるにしても、基本的には間違っている。それは、「消費性向は変化しない」と見なしている点である。それゆえに、「均衡状態における生産量の拡大」という概念がない。また、物事を需要の面だけから考えていて、生産能力の面を考えていない。(この点では、実は、古典派も、目くそ鼻くそだが。)
 (4) 結局、ケインズ派の考え方は、「均衡状態」における「投資の促進」ということを、ほとんど考えない。二重の意味で間違っている。少しは正しい面もあるが、根本的には間違っている。(古典派ほどひどくはないが。)
 (5) ケインズの考え方のどこが本質的な問題か、ということは、12月23日 などを参照。
 (6) スタグフレーションについては、前々項と前項も参照。


● ニュースと感想  (12月30日)

 昨日までは、失業について、「ケインズの説」について言及してきた。
 今日と明日と明後日の三日間は、一休みして、細かな話題。
 その翌日からは、失業について、「古典派の説」について言及する。


● ニュースと感想  (12月30日b)

 「インフレは制御できる」という説について。
 インフレ目標が最近、次期日銀総裁とのからみで、話題になっている。そこで、少し述べておこう。
 インフレ目標への反対論として、「インフレを制御できなくなるのでは?」という懸念が表明されている。それに対して賛成論者は、「インフレは制御できる」と主張する。

 ここで、数日前に記した「スタグフレーション」との関係で、補足しておこう。
 実は、「インフレは制御できないのでは」という意見も、「インフレは制御できる」という意見も、どちらも正しくない。どちらの意見も間違っているのだ。なぜか? 
 「インフレは制御できる」という結論は、それ自体は、間違っていない。ただし、通常の「インフレ目標」では、「金融政策で」というふうに政策に枠をはめる。「物価が上がれば金融政策で、金融を引き締めるから、インフレを制御できる」というわけだ。
 しかし、そのように「金融政策で」というふうにやれば、スタグフレーションが発生する。物価上昇率を低めに誘導しようとすれば、多大な失業が発生する。
 たとえば、「物価上昇率を2〜3%にする」というインフレ目標を定めたとする。デフレ脱出後、景気が回復する。ところが、設備が不足しているから、需要を十分にまかなえない。物価が上昇する。そこで、投資が必要になるが、物価上昇にともなって、金融を引き締めるから、十分な投資ができない。かくて、スタグフレーションが発生する。
( ※ この件は、12月28日 に述べたとおり。)

 結語。
 「インフレ目標」への反対論として、「インフレの懸念」を心配するのは、正しくない。「スタグフレーションの懸念」を心配するべきなのだ。
 つまり、心配するべきことは、「物価が異常に上昇すること」ではない。「物価上昇率がそこそこ高いのに、いつまでたっても失業が解決せずに、経済も成長しないこと」(スタグフレーションになること)なのだ。そして、それは、「インフレ目標で経済はうまく行く」というふうに信じている限り、ほぼ不可避なのである。
 デフレという不幸のあとには、スタグフレーションという不幸が来る。誤った理論は、不幸を二重に招く。

 [ 付記 ]
 結局、インフレ目標については、こうまとめることができる。
 「インフレ目標が有効なのは、金融政策が有効なときだけである。すなわち、通常のインフレおよびリセッション(景気後退)のときだけである。範囲を広げても、せいぜい、微弱なデフレのときまでである。……言葉を換えれば、スタグフレーションや、資産インフレのときには、インフレ目標は有効ではない(むしろ逆効果だ)。また、深いデフレのときにも、有効ではない(無効だ)。」
 参考までに、ニュージーランドの例を見ると、よくわかる。「ニュージーランドではインフレ目標でデフレを脱出した」と言われることがある。しかし、ニュージーランドの例は、デフレ脱出の例ではない。リセッション脱出の例だ。なぜなら、ここでは、物価上昇率は微弱なマイナスにはなっていたが、金利は6% 程度あったからだ。つまり、「金融政策が有効であった」からだ。こんなに馬鹿高い金利を取っていれば、景気が悪くなるのは不思議ではない。そしてまた、インフレ目標を取ろうが取るまいが、単に金利を下げるだけで、景気が良くなるのは、当然のことだ。結局、ニュージーランドの例は、「インフレ目標が成功した例」ではなくて、「普通の利下げで景気が回復した例」である。つまり、「金融政策が有効であった例」という、きわめてありふれた例である。マネタリストの「我田引水」に、だまされないように、注意しよう。
( → 11月20日 )

 [ 注記 ]
 誤解を避けるため、注記しておこう。
 私は上記では、インフレ目標に批判的に述べたが、「インフレ目標はダメだ、やめろ」と言っているわけではない。「過剰に期待するな」と言っているだけだ。
 世間では、インフレ目標に、過剰に期待しすぎだ。「これは万能薬だ、これさえ飲めば重病もたちまち治る」と。しかし、「そんなことはない、この薬は、ほんの少しは効き目があるが、劇的な効果などはない。まして、あらゆる病気への万能薬でもない」と、注意を喚起しているわけだ。
 「インフレ目標」というのは、従来の「金融政策」の枠組みを、ほんの少し拡張するだけである。それはそれなりに、いくらかは有効だ。しかし、あくまで、「金融政策」という枠組みの範囲内のことしかできない。それ以外の広い範囲のこと(ただのインフレやリセッションではなくて、スタグフレーションや資産インフレなど)には、適用不可能なのだ。……そして、そのことは、歴史が証明している。スタグフレーションのときでも、資産インフレのときでも、「インフレ目標」と同じ金融政策は、しばしばなされた。そして、その成果は、惨憺たる大失敗だった。「スタグフレーションのときの高金利」も、「資産インフレのときの低金利」も、正しい政策とはまるで正反対の政策だった。そういう失敗例(インフレ目標の失敗例)に注意せよ、と私は指摘しているわけだ。


● ニュースと感想  (12月30日c)

 「デフレは貨幣的な現象だ」という説について。(この説は、マネタリストの説。)
 ここのところ、失業の解決策として、「生産量の拡大が必要だ」と何度も述べてきた。これと、上記の説とを、関連させよう。
 「デフレは貨幣的な現象だ」というのは、正しくない。デフレというのは、単なる「貨幣的な現象」だけでは済まないのだ。単に「物価が下落する」とか、「貨幣価値が上昇する」とか、そういう現象では済まない。「実態経済そのものが縮小する」という根本的な現象がある。これこそが本質的なのだ。
 デフレのときには、価格下落にともなって、生産量も縮小している。このうち、根本的なのは、価格下落ではなくて、生産量の縮小である。こちらのほうが肝心なのだ。
 すると、マネタリストは、反論するだろう。「価格が下落するから、生産量が縮小するのだ」と。違う。それは本末転倒だ。「生産量( or 需要量)が縮小するから、価格が下がる」のだ。理由は、「需要低下にともなって、均衡価格が下がるから」だ。
 マネタリストの根本的な欠陥は、そのモデルに「総所得」とか「GDP」とかいう、マクロ的な概念が欠落していることだ。マクロ経済を考察するなら、GDPをモデル的に考察するべきなのに、そういう概念をなくして、単に「マネー量を増やせば貨幣価値が下がって物価上昇をする」とだけ唱える。その単細胞ぶりには、呆れるほかない。
 仮に、マネタリストが企業の社長になったら、商品の価格ばかりを考えて、企業の総売上をまったく無視するだろう。「価格を上げればいいのだ」とだけ主張して、ものすごい値上げを実施し、「これで莫大な利益が上がるだろう」と主張するだろう。そして、製品値上げのせいで、売上数量が激減しても、そのことはまったく無視するだろう。

 結語。
 デフレとは、単なる貨幣的な減少ではなくて、実体経済そのものが縮小する減少である。そして、そのことを正しく理解するには、貨幣だけでなく、GDPを考慮したモデルを築く必要がある。そういう理論が必要となる。総生産や総所得や総需要を無視して、「デフレは貨幣的な現象である」なんて主張しても、何も解決しないのである。
( ※ 下手をすると、スタグフレーションになる。つまり、「物価上昇と生産縮小の併存」だ。最悪。しかも、これに対して、マネタリストは何も言えない。「物価が上がれば景気は良くなる」と主張するだけだ。生産量という本質的なものを無視すると、こういう単細胞な非定量的な結論しか出せない。)


● ニュースと感想  (12月31日)

 「成長の必要性」について。
 「成長至上主義は良くない。低成長でも豊かさが実現できる社会が大切だ」という意見がある。(朝日・朝刊・経済面・コラム 2002-12-30 )
 これは、私がここのところ述べてきた「失業解決には成長が必要だ」という意見とは、正反対である。そこで、解説しておく。

 私が主張していることは、「成長至上主義」ではない。「安定した成長」である。そして、それは、二つのことを意味する。
  1.  生産能力は、低成長でもよい。
  2.  稼働率は、低下したあとは、急上昇させるべきだ。
 つまり、「生産能力」と「稼働率」を区別することが必要だ。「経済成長」とひとくくりにせずに、「生産能力の向上による経済成長」と「稼働率の向上による経済成長」とを、区別することが必要だ。注意しよう。(前者は投資拡大によって向上し、後者は消費拡大によって向上する。前者では遊休設備は問題とならないが、後者では遊休設備が問題となる。)
 今のような不況の時期には、「稼働率」が非常に低下している。失業も多大に発生している。莫大な無駄が発生している。こういうときには、「需要の急拡大」によって、「稼働率の向上」を実現する必要がある。そうすれば失業も解決する。このとき同時に、「成長率」も急上昇する。ここでは、「(稼働率の向上による)成長が大事」と言えるのだ。
 いったん不況を脱出して、「稼働率」が上昇したら、もはや、莫大な無駄などは存在しない。ここではもはや「成長率」の急上昇は必要ない。むしろ、「成長率」の急上昇をめざしても、生産設備の急拡大は不可能だから、ひどいインフレになるだけだ。労働者も過労死しかねない。ここでは、「(生産能力の拡大による)成長が大事」とは言えない。

 両者をちゃんと区別しよう。たとえば、歴史を振り返ろう。戦後の日本は、失業者が多大に存在したから、「高度成長」が必要だった。一方、失業問題が解決したあとでは、「高度成長」は不要となり、「低めの安定成長」こそが大切となった。(もしそうしなければ、成長は低いままで、ひどいインフレとなっただけだ。)
 この両者を区別しないと、冒頭の朝日のように、トンチンカンな主張をすることになる。「成長至上主義を捨てよう。低成長でも豊かな社会をめざそう」と。それは無意味なのだ。なぜか? 「低成長でも豊かな社会」というのは、失業の解決した状態でなら、可能だ。しかし、失業が解決していないときには、「低成長でも豊かな社会」というのは不可能なのだ。── 失業者がたくさんいるときには、「低成長」というのは、「失業が解決できない」ということを意味する。それは「貧しい社会」を意味する。「低成長」というのは「貧しい」ことだ。「低成長で豊か」というのは、「貧しくて豊か」ということであり、論理矛盾なのだ。(不況期にはそうだ。)
 だいたい、 「失業して豊か」というのは、つまりは、「働かないで豊か」というのと同じだ。「空から金が降ってくれば幸福だ」というわけだ。小原庄助ふう。
 思えば、「不良債権処理」にせよ何にせよ、朝日の主張は、「空からお金が降ってくればうまく行く」という方針で一貫している。こういうふうに底抜けの素人論理で、記事を書き続けるわけだ。だまされないように、注意しよう。
( ※ ただし、朝日の記者だけは、この理屈が適用される。ゴミ以下のデタラメ記事を書いていて、給料をもらえる。「遊んで金儲け」を、朝日の記者だけは実行しているわけだ。)


● ニュースと感想  (12月31日b)

 時事的な話題。「不良債権処理」について。
 朝日に、次の二つの記事が掲載された。(朝刊 2002-12-29 。3面と1面)

 (1) 社説
 社説などを書く論説委員に、小林慶一郎を招いた。(社外の委員としての待遇で、社内意見を形成したり、社説などを書く。)……つまり、「不良債権処理」論一辺倒の朝日が、さらにその立場を強化しようとしたわけだ。普通、マスコミというものは、複数の意見をかかえるものである。なのに、初めから「不良債権処理」という路線を敷いて、その路線だけを突き進み、他の意見を排除しよう、というわけだ。しかも、この路線は、政府の路線とほぼ同じだから、「政府べったり」である。「反政府派の粛正」にあたる。……どうも、北朝鮮に似た状態である。朝日に、「言論の自由」ないし「複数の意見の存在」が許されるのは、いつの日のことであろうか。

 (2) 再生企業
 「不良債権処理をして、企業を再生させよ」というのが、朝日の意見だ。さて。そうすると、どうなるか? そのことの実態を、論説委員ではなくて、足で調べた記者が、記事を書いている。(1面。特集コラム。)
 莫大な債務を負った建設会社(ゼネコンなど)がたくさんある。事実上、倒産状態にある。これらについて、「不良債権処理」と称して、債務を免除して、再生させた。すると、債務を免れた劣悪企業は、低コストで、どんどん受注していった。「これで倒産しないで済んだぞ、万歳!」と不良債権処理の推進論者は叫んだ。しかし、である。その分、一般の建設会社は、受注することができなくなった。劣悪企業は、銀行に金をもらったおかげで、(利益度外視で)どんどん安値受注する。優良会社は、自力で借金を返済しなくてはならないので、(返済する借金の利益が必要なので)安値受注できないので、売上げを落とす。だから、一般の企業は、みんな悲鳴を上げた。「倒産したはずのゾンビ企業が生き返って、健全だったわれわれが死んでしまう!」と。
 これが「不良債権処理」の実態だ。つまり、倒産した企業を再生させれば、逆に、普通の企業が倒産してしまうのだ。
 結局、パイが小さい限り、パイをどう分けても、誰かが助かり、誰かが困るのである。根本的な解決にはならない。根本的な解決には、「パイの拡大」つまり「総生産の拡大」しかない。わかりやすく言えば、「景気回復によって解決する」しかない。ところが、である。「不良債権処理」論者は、逆のことを主張する。「景気回復で不良債権処理が進むのではない。不良債権処理で景気回復が進むのだ」と。つまり、「パイの切り分け方をうまくやれば、パイが大きくなるのだ」と。支離滅裂である。ほとんど狂気だ。

 そして、朝日は、この狂気に沿って、どんどん突き進む。どうやら、来年も、お先は真っ暗かな。政府とマスコミで、狂気の二重奏。狂人同士は仲がいい。


● ニュースと感想  (12月31日c)

 時事的な話題。「政策立案の方法」について。
 小泉首相の経済政策はダメだ、とよく言われる。たいてい「丸投げ」という言葉とともに批判される。では、どうすればいいのか? たとえば、「経済財政諮問会議に任せる」という方法があるが、これも丸投げの一種なので、やはり好ましくないだろう。
 実は、この問題は、「政策立案の方法」として、一般化できる。ちなみに、現在は、三つの方法がなされている。
  1.  官僚に任せる。(いわゆる政府立法)
  2.  国会議員が立案する。(いわゆる議員立法)
  3.  審議会に委ねる
 このどれもが良くないのは、すぐにわかるだろう。では、どうするべきか? 私は、次のことを提案する。
 こうすれば、最適の政策を選択して実現できる。
 たとえば、「インフレ目標」とか、「景気回復策」とか、そういうテーマで、プロジェクトチームをいくつか作る。各チームに競わせ、最適の結論を出させる。

 この方法が、なぜいいか? 現状では、たとえば、竹中や小泉が勝手なことを言っている。「構造改革なくして成長なし」だの、「不良債権処理で景気回復」だの。そういうことを主張するのは勝手だ。しかし、「最もよく理解した人物正しい政策を実行する」のではなく、「たまたま権力を握った人物の思い込み的な政策を実行する」というふうになっている。これではダメだ。
 政策立案者と政策実行者(政策決定者)は、別々でなくてはならない。ここが肝心だ。一般に、経営というものは、「自分の考えたとおりにやる」べきではなくて、「部下に考えさせて、自分は最適のものを選択する」べきなのだ。「論理的に細かく考察すること」と、「総合的に判断すること」とは、別々の人物が担当するべきなのだ。
 優秀な企業組織では、どこでも、そうしている。しかるに、日本という組織は、その両者が分離できていない。そのため、特定の方向に独走しがちだ。たとえば、審議会にしても、もともと特定の方向の人物が選任される。そういう弊害がある。だからこそ、複数のチームを作成して、複数の意見を出させる。そして、そのあとで、「市場原理」ふうに、最適の報告書が生き残るようにすればよい。
 もしこのような政策運営がなされれば、日本の政治は非常にうまく行くだろう。以上に述べたことは、将来のための、お年玉だ。(とはいえ、現実には、日本は愚かな道を進みそうだが。……)


● ニュースと感想  (12月31日d)

 時事的な話題。「北朝鮮への経済制裁」について。
 「北朝鮮が核開発をするから経済制裁をする」という米国政府の方針。(朝刊・各紙 2002-12-30 )
 まったく。いかにも歴史音痴らしいブッシュらしい政策だ。そこで、歴史の教育をしてあげよう。「けしからん国には経済制裁をする。国家の存立を不可能にする」という政策は、昔も、米国はやったことがある。「軍国主義の日本に対する石油禁輸」という方針だ。この結果、どうなったか? 「窮鼠、猫をかむ」である。日本は真珠湾を攻撃し、第二次大戦に向かった。
 
 当時と現在は、驚くほど状況が似ている。
 当時……「欧米諸国がアジア諸国を植民地化するのは構わないが、日本がアジア諸国を植民地化するのはけしからん。同じことでも、白人がやるのは構わないが、有色人種がやるのはけしからん」という主張。それに従って、日本のアジア進出に対して経済制裁をした。(実を言うと、欧米のアジア進出は富を奪う「植民地化」だったが、日本のアジア進出は日本の富をアジアに投資する「開発」だった。事情は正反対だった。当時の米国がいかに言語道断だったか、よくわかる。ついでに言えば、当時、「植民地化はけしからん」と主張した米国は、国内で人種差別政策を実施していた。この点に注意。)
 現在……「欧米諸国が核開発をするのは構わないが、北朝鮮が核開発をするのはけしからん。同じことでも、白人がやるのは構わないが、有色人種がやるのはけしからん」という主張。それに従って、北朝鮮の核開発に対して経済制裁をする。(ついでに言えば、「核の先制使用をするぞ」とか、「核拡散防止条約をホゴにするぞ」と主張したのは、米国である。「ならずもの国家」というのは、米国のことなのだ。かつて人種差別政策をして黒人を奴隷化したように、今や世界各国を自らの手下にしようとしている。自分の武力を強力にして、世界各国を手下にするためには、自国と同じような核戦力を許すことはできない、というわけだ。まったくもって、ならずものの主張だ。)

 結語。
 北朝鮮が核兵器を持つことは、たしかに好ましくない。しかし、それならそれで、北朝鮮が望んでいるとおり、「核武装の権利を放棄する代償として、金をやる」というのが自然だろう。タダで物をもらおうとするのは、乞食根性だ。……そして、このことがわからないケチな乞食国家である米国は、唯我独尊のもとで、昔と同じく、「気にくわないやつをいじめてやる」と主張して、理不尽な経済制裁を実行しようとする。(だいたい、核武装に対して経済制裁をするのならば、米国こそ真っ先にその対象となるはずだ。)……そして、こういう理不尽な政策の行きつく先は、何か? 昔の日本では、戦争勃発だった。今もまた、そうなる可能性はある。
 昔、日本が米国に戦争を仕掛けたときは、国力は米国の五十分の一にすぎなかった。日本が米国に戦争をふっかけることがあるとは、ほとんど誰も予想しなかった。ところがある日、その戦争が勃発した。すると、意外なことに、またたくまに日本軍は、米国軍を圧倒的に蹴散らかした。
 歴史の教訓を知ることは、大切である。


● ニュースと感想  (1月01日)

 時事的な話題。「欧州の通貨統合」について。
 欧州で、先進国が不景気で、後進国が好況だ、という状況について、こういう説明がある。
 「通貨が共通で財と人が自由に動く市場では、賃金やコストの高い豊かな国は競争力を失い、生産拠点は収入水準の低い国に移る」(読売新聞・朝刊・国際面 2002-12-28 )
 これは、「日本から中国へ」に似た、「空洞化」論である。もちろん、正しくない。この件は、「空洞化」の否定として、何度も述べた。つまり、「通貨水準の変更」によって、空洞化は阻止される。
 たとえば、中国が急成長するようであれば、中国の通貨が急上昇する。それは中国の賃金の上昇を意味するから、急成長にともなって有利さが失われ、結局は、常に均衡する。逆に言えば、中国の賃金が現在では低いとしたら、それは中国製品の競争力が弱いからだ。だから、「中国の技術水準が高まり、しかも賃金が低賃金のままであれば、将来、日本は中国に負ける」というのは、全然意味がないわけだ。仮定そのものが間違っているのだから。
 欧州でも同様である。たしかに、高賃金の国家から、低賃金の国へ、生産力は移転する。しかし、移転すれば、その分、低賃金の国は賃金が上昇する。だから、低賃金の有利さは失われる。結局、賃金水準の高低は、ちっとも問題ではない。
 では、何が問題か? マクロ政策の選択肢だ。正しくは、「高賃金の国では景気刺激をして、低賃金の国では景気冷却をする」というふうにするべきだ。なのに、単一通貨を取っているために、統一された金融政策しか取れない。低賃金の国に合わせて、「財政健全化」などの景気冷却策を取れば、高賃金の国では、不景気は避けられない。
 結局、どういうことか? 「通貨が共通で財と人が自由に動く市場では、空洞化が起こる」という記事の説明は、事実を正しく理解していないわけだ。問題なのは、「単一通貨」であって、「財と人が自由に動く市場」というのはちっとも問題ではないわけだ。
(たとえば、日本と中国でどんなに自由貿易をしていようと、自由貿易は全然問題ではない。両国が、別の通貨を持って、別の金融政策を行なえばいい。それだけのことだ。「自由貿易はダメだ」「自由貿易を制限せよ」なんていう結論はおかしい。)
( → 12月25日 の最後でも、「単一通貨はダメ」と述べた。)

 [ 付記 ]
 ドイツについては、別の事情もある。それは「東独の吸収」だ。途上国にすぎなかった東独を吸収したので、その分、西独の人々は生活水準が低下した。「仕方ないな」と諦めている西独人が多いようだ。(読売・朝刊・国際面 2002-12-29 )
 ドイツのような国で、どうすればいいかを示そう。やはりここでは、「多大な失業者」がいるのだから、「物価上昇をともなう生産量拡大」が正解である。すなわち、「通貨をいくらか切り下げて、実質賃金を低下させ、その分、生産量を拡大する」という方法だ。
 西独に対する経済政策の処置の違いを、対比的に示そう。
 上では、「マルク安」という通貨切り下げを示した。これは、先に私が批判した「円安」とほぼ同じ処置だ。では、どうして同じ「通貨安」が、日本では悪くて、ドイツでは良いのか?
 その理由は、状況の違いだ。日本では、「生産力不足」ではなく、「需要不足」がある。ここでは、単に需要を増やせばいいのであって、「賃下げ」は必要ないし、むしろ、逆効果がある。一方、ドイツでは、東独部分の「生産力不足」がある。当然、生産力を拡大する必要がある。それには、「賃下げ」による「供給の刺激」が必要となる。ここでは、「賃下げ」があっても、生産力の拡大にともなって、失業者が雇用されるから、実質的な総所得は増えるはずだ。一方、日本では、もともと「生産力の不足」はなくて、「需要の不足」だけがあった。だから、「生産力を増やすための賃下げ」は必要なく(むしろ有害だ)、「需要を増やすための賃上げ」が必要となる。結局、日本とドイツは、事情はまったく異なる。
 核心を言えば、「生産力不足」のスタグフレーション状況と、「需要不足」のデフレ状況では、同じく「失業問題」があっても、解決の方法はまったく異なるのだ。

 [ 参考 ]
 「空洞化」論というのが、いかにおかしいかは、国際経済を考えればすぐにわかる。「中国は低賃金だから日本が空洞化する」という主張は、日本と中国だけを見ていて、国際経済をまるきり無視している。仮に、そういう「中国脅威論」が成立するのならば、世界中の先進国はすべて中国の脅威を受けて、不景気になっているはずだ。実際には、90年代には、米国は好況が続いた。欧州だって、そう悪くはなかった。(欧米はどちらも物価上昇率は 3% 程度の水準が続いた。不景気ではなかった。また、中国よりも高賃金のアジア諸国も、不景気ではなかった。)
 別の面もある。アフリカ諸国は、中国に輪を掛けて低賃金だったが、これらの国は少しも有利ではなく、成長の低さにずっと悩んでいる。「低賃金の国だけが有利だ」ということはありえないのだ。
 根本原理を示そう。賃金の低さとは、通貨の弱さのことだ。そして、それは、その国の経済力の弱さの反映だ。「賃金が低いから」とか、「通貨レートが低いから」というのは、経済状況についての説明にはなっていない。賃金や通貨は、単に経済力を反映しているだけであって、経済力を決める原因ではないのだ。経済力を決める原因は、別にある。── ここを勘違いすると、原因と結果を取り違えて、本末転倒になる。「円安で景気回復を」という説も、この本末転倒の一種である。

( ※ 欧州の「通貨統合」がなぜ問題かというと、この「経済力の反映」ができなくなるからだ。弱い経済には弱い通貨が必要であり、経済力の変化に応じて通貨レートも変化するべきだ。なのに、通貨レートが固定されているために、適切な反映ができなくなる。簡単に言えば、「通貨統合」とは、「完全なる固定相場制」である。変動する経済に対して、固定相場制がいかに有害であるかは、歴史上に実例が何度も見られる。)


● ニュースと感想  (1月01日b)

 前項の続き。「欧州統合」について。
 前項では「欧州の通貨統合」について、否定的に述べた。では、「欧州の統合」という理想そのものは、どうか? これは、正しいのか? 
 結論から言おう。「欧州の統合」は、正しいか否かの問題ではない。「不可能」なのだ。そして、「不可能」なことをめざせば、とんでもない状況に至る。それが欧州の現状だ。

 説明しよう。
 欧州で失業問題を解決するには、「通貨統合」を廃止する必要がある。(これは前項で述べたとおり。異なる景気状況には、異なる金融政策が必要だから。また、先に述べたとおり、各国の所得水準が同じであることが必要だから。)
 さて。この結論は、「各国が別々の状況にある」ことを前提としていた。では、「各国が統合されて同じになる」という状況では、どうか? もちろん、大丈夫だ。つまり、欧州が完全に統合されれば、「通貨統合」をしてもよい。
 では、「欧州が完全に統合される」とは、どういうことか? それは、各州が完全統合された米国と比較すればわかる。次のことが必要だ。
 第1に、政治的な統合が必要だ。
 現状では、各国の国民で、待遇が異なる。たとえば、ドイツでは失業者が高い失業手当をもらえるが、スペインやポーランドでは失業者は低い失業手当しかもらえない。その他、各種の福祉水準も異なる。また、課税最低限も異なる。課税制度も異なる。
 こういう待遇を、すべて同一にする必要がある。すると、どうなるか? ドイツでは、失業者は、失業手当が激減する。スペインやポーランドでは、失業手当が何倍にも上がって、働くよりも失業した方がずっと高所得になる。……換言すれば、ドイツなどの富を、スペインやポーランドに大幅に移転させる。
 そういうことは、「欧州が一つの国」であれば、可能だ。しかし現実には、不可能だ。
 結局、各国に所得水準の差がある限り、所得が「高きから低きへ」と移転する。しかもまた、前項でも述べたように、生産力もまた、「高きから低きへ」と移転する。(これが景気の差をもたらす。)……だから、各国の所得水準が異なる限り、「欧州の統合」は、うまく行かない。「欧州の統合」を可能にするには、「各国の所得水準」や「各国の待遇」を同一にする必要がある。そして、それは、ドイツなどの高賃金地域の所得を大幅に奪うということを意味する。
 西独は、東独のためであれば、所得の低下を我慢できる。同じドイツ人のためだからだ。しかし、スペインやポーランドのために、所得の大幅低下を我慢できるか? とうてい我慢できまい。ゆえに「欧州の(完全な)統合」は不可能である。そして、それが不可能であるゆえに、「欧州の通貨統合」は、失業などの問題を解決できない。
( ※ 待遇の違いは、「国籍」の有無による。スペイン人は、ドイツへの国籍がない。だから、スペイン人は、「スペインで低賃金で働く」かわりに、「ドイツやデンマークで高い失業手当をもらって遊ぶ」ということができない。福祉政策については、国籍により、自国民と外国民とでは、差があるのだ。)

 第2に、言語的な統合が必要だ。
 「欧州では、人と物が自由に移動できる」と言われるが、実はそうではない。スペインやポーランドの人間がドイツで生活することはできない。言語の差があるからだ。スペイン人は、ドイツに行ったとたんに、ドイツ語を話せるようになるわけではない。
 「欧州の統合」を完全に実施するためには、「言語の統合」が必要となる。なぜなら、「言語の違い」こそが、「国家や民族の違い」を生むからだ。たとえば、プロシア時代のころのドイツは、非常に多くの小国があった。しかしビスマルクによって「大ドイツ」に統合された。これが可能だったのは、「ドイツ語」という同一の言語があったからだ。逆に、英国は、同一の国であっても、「イングランド語(イングリッシュ)」と「ウェールズ語」と「アイルランド語」が相当違うために、各地域が独立運動を起こしている。また、「バスク語」「カタルーニャ語」「クルド語」などでも、その言語のある地域が独立運動を起こしている。なぜか? 言語の違いとは、生活慣習や思考の違いを意味する。これは人格に関わるのだ。
 はっきり言おう。「欧州の統合」のためには、「言語を一つに統合すること」が絶対に必要である。さもなくば、「政治の自由」を求めて、各地域が独立運動を起こす。具体的に言おう。たとえば、「英語」に統合するとする。その場合、ドイツやフランスでは、もはやドイツ語やフランス語を、公定語からはずす必要がある。放送局ではドイツ語やフランス語の使用を禁止する。全国紙も同様だ。教科書も同様だ。ドイツ語やフランス語は、あくまでローカルな日陰の身としてのみ使用を許すだけだ。そして、教育が英語でなされるのにともなって、若い世代では順に英語が浸透し、50年後にはドイツ語やフランス語が一掃される。
 こうなれば、「欧州の統合」は実現できる。しかし、そんなことが、必要なのか? そもそも、人々がそれを喜ぶのか? もちろん、否。それはいわば、「ドイツやフランスを英国に吸収する」ということだ。誰もそんなことを喜ばない。

 結語。
 「欧州の統合」や「欧州の通貨統合」は、必要でもないし、可能でもない。そして、そんなものをめざせば、経済的な状況は悪化するだけだ。
 なるほど、「平和のために、欧州の統合をめざす」という理想そのものは、すばらしい。しかし、その理想は、あくまで理想に留めておくべきであって、実現をめざすべきものではないのだ。
 実現するべきは、何か? 「できる限りの統合」だ。たとえば、関税をゼロにしたり、経済的に内外無差別にしたり、そうやって各種の障壁をなくすことには、大きな意味がある。また、欧州共同体の会議において各国の意見をなるべくすりあわせることにも、大きな意味がある。しかし、それ以上に、「何でもかんでも強引に統合する」ということをやれば、きしみが出る。「通貨の統合」、「福祉の統合」、「言語の統合」というのは、各国にもともとの違いがある以上、やってはならないことなのである。違いがあるのが自然なのであって、違いを無理に解消するべきではないのだ。たとえば、「福祉の統合」と称して、高所得の国の富を強引に奪うべきではないのだ。
 理想は理想に留めておくのがいい。理想をめざして強引に突き進むと、「過激派」となる。アナーキストやテロリストのようなものだ。「理想に殉じて、一命を捧げる」と信奉して、爆弾をかかえて自爆する。それと同様なのが、今の「欧州統合」を推進する人々だ。
 理想というのは、妄想というのと、紙一重である。「何をめざすべきか」が大切なのではない。「何が可能であるか」が大切なのだ。可能でもないことを強引に押し進めれば、きしみが出る。さまざまな問題が発生する。国家全体が病気になる。……それが今の欧州先進国の病状だ。


● ニュースと感想  (1月01日c)

 オマケで、年賀状を書きます。


 新春
           二〇〇三年 元旦

 干支にちなんで、気の利いたことを書く予定でしたが、今年はネタ切れです。不況が続いて、十二年。干支が一周してしまったので。
 「明けまして おめでたくありません」とか、「今年は明けませんが、来年は明けるといいですね」なんて、毎年毎年 書き続けて、もはや十二年。

 ああ、日本はこの先、どうなっちゃうんだろう。不良債権処理だか、不良細君処理だか、そんなことを言い出したら、国も家庭も大変なことになる。
 小泉さん、ここは、あなたの政策に対する、羊の評価を聞いてください。
 「迷〜、迷〜」 

 景気対策には、実は、すばらしい迷案があります。それは、羊をどんどん増やすことです。なぜなら、羊、羊、羊、羊、羊、羊、……と増やせば、ほらね、 ¥ もどんどん増えるでしょう。
 あまり数が増えると、だんだん 眠くなりますが。








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「小泉の波立ち」
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