【 後日記 】
以下の記述をしましたが、原文を流し読みしていたせいで、誤読していた箇所が多々あります。話の要約としては不正確なので、取り消します。
<以下の説明は誤りです。ごめんなさい。世界史の勉強が不足していて、根本的に間違いがありました。>ローマが繁栄していたころに、新興国家であるカルタゴが勃興した。これは、米国と日本の関係に、たとえることができる。巨大な領土と経済を誇っていたローマの前に、急激に勢力を増したカルタゴが登場した。カルタゴの繁栄は、ローマにとって、目の上のタンコブだった。それまでは自国が世界最高の国家だと自他共に認めていたのに、すばらしい技術などを発揮して急速に繁栄していったカルタゴは、目障りで仕方なかった。
ローマは何度も、カルタゴに対して、屈服を強いた。無理難題を、何度も押しつけた。(これは、第二次大戦前の米国と日本の関係にそっくりだ。) そのあげく、カルタゴは、無理難題を受け入れることができなくなり、ついには、立ち上がった。ポエニ戦争の勃発である。カルタゴは、小国家であるにもかかわらず、 名将ハンニバルのもとで、当初は連戦連勝であった。(これも、太平洋戦争に似ている。)ところが、やがては、地力が出た。小国家の カルタゴは、人的にも余裕がなく、やがてはローマに敗れた。そして、問題は、その敗れ方だ。ローマ人がカルタゴになした処置は、空前絶後のものだった。国家を完全に消滅させたのである。それまでの戦争では、「××という国家が滅亡した」という記述がしばしば見られるが、それは、政府が滅亡したという意味であり、人民が消滅したという意味ではない。ところが、ローマ人がカルタゴになした処置は、まさしく人的にも物質的にも消滅させたのである。女も子供も皆殺しにして、地面に埋めた。建物はすべて崩して、ガレキにした。かくて、地上の楽園とも呼ばれた最も美しい国家であるカルタゴは、ただの更地になってしまった。これほどにも極端な処置は、歴史上には、類を見ないものだった。正確に言えば、似た例は、あと一回だけあった。それは、米国による、広島・長崎への、原爆投下だ。これもまた、カルタゴにおける例と同様、極端な破壊行為であった。
[ 付記 ]
カルタゴの話は、塩野七生の著作「ローマ人の物語」に依拠した。興味があれば、本屋さんでカルタゴのところを読んでみてください。日本の歴史を知るには、日本のことだけを見ていればいいわけではない。古代ローマの話も、非常に参考になるのだ。
上記の話では、カルタゴとコリントが混同されています。この件については、下記の指摘があったので、引用します。
「ローマ人の物語(U ハンニバル戦記)」(以下「物語」)を拝見したところ、
いくつか管理人様の御記述と内容が一致せず、疑問を覚えた点がありました。
──
「最も典型的なのは、古代のローマ時代における、ローマとカルタゴの例だ。
ローマは何度も、カルタゴに対して、屈服を強いた。無理難題を、何度も押しつけた。
(これは、第二次大戦前の米国と日本の関係にそっくりだ。)
そのあげく、カルタゴは、無理難題を受け入れることができなくなり、ついには、立ち上がった。
ポエニ戦争の勃発である。
カルタゴは、名将ハンニバルのもとで、当初は連戦連勝であった。(これも、太平洋戦争に似ている。)
ところが、やがては、地力が出た。カルタゴは、人的にも余裕がなく、やがてはローマに敗れた。
そして、問題は、その敗れ方だ。
ローマ人がカルタゴになした処置は、空前絶後のものだった。国家を完全に消滅させたのである。」
との御記述でしたが、
「物語」の記述では、ハンニバルが活躍したのは、
第二次ポエニ戦争(紀元前219年〜前201)
で、開戦の契機となったのは、カルタゴによるローマの同盟都市サグントへの攻撃
カルタゴが滅亡したのは、第二次ポエニ戦争より約50年後の
第三次ポエニ戦争(紀元前149年〜前146)
で、開戦の契機となったのは、ローマによる首都カルタゴの沿岸から内陸部への移転要求
となっておりました。
御記述では、両者が混在しておられませんでしょうか?
──
「それまでの戦争では、「××という国家が滅亡した」という記述がしばしば見られるが、
それは、政府が滅亡したという意味であり、人民が消滅したという意味ではない。
ところが、ローマ人がカルタゴになした処置は、まさしく人的にも物質的にも消滅させたのである。
女も子供も皆殺しにして、地面に埋めた。建物はすべて崩して、ガレキにした。
かくて、地上の楽園とも呼ばれた最も美しい国家であるカルタゴは、ただの更地になってしまった。」
・「物語」では、第三次ポエニ戦争勃発直前の状況について、以下の記述がありました。
『この状態がつづくことへの危機を感じたのは、首都カルタゴよりも、
カルタゴ第二の都市のウティカをはじめとする、カルタゴ国内の諸都市の住民たちである。
これらの都市は代表をローマに送り、もしもローマとカルタゴの間で
戦争状態が再発した場合には、自分たちはローマ側につくと宣言した。』
これから考えますと、領域国家としてのカルタゴは戦争が始まる前に既に崩壊しており、
首都カルタゴを除く、領土のほとんどの人民には戦火が及んでいないということになるではないでしょうか?
・また、カルタゴ陥落時の状況について、以下の記述がありました。
『降伏勧告を拒否して闘った市民の、落城後の運命は決まっている。
奴隷にされたカルタゴ市民は、子供まで入れて五万にのぼった。』
「女も子供も皆殺しにして、地面に埋めた。」との管理人様の御記述とは、合致していないように思われます。
──
「これほどにも極端な処置は、歴史上には、類を見ないものだった。
正確に言えば、似た例は、あと一回だけあった。
それは、米国による、広島・長崎への、原爆投下だ。
これもまた、カルタゴにおける例と同様、極端な破壊行為であった。」
との御記述でしたが、
「物語」の「カルタゴ落城」の章に、カルタゴ陥落と同年のギリシアの都市国家コリントの最後について、
以下の記述がありました。
『コリントに急派されたローマ軍によって、コリントは徹底的に破壊され、美術品は没収されてローマに送られ、
住民は老若男女を問わず奴隷に売られた。
すきとくわで地表をならし、街そのものが消滅してしまったコリントは、
不遜なギリシア人全体への見せしめであったのだ。』
「歴史上には、類を見ないものだった。正確に言えば、似た例は、あと一回だけあった。」との御記述とは、
合致しない部分かと思われます。
「物語」に依拠されたというには、内容の異なる御記述が散見されましたが、
あるいは管理人様は、「物語」に加えて別の資料にも依拠されたのでしょうか?
もしそうでしたら、元の資料の内容に関する誤解を招きかねませんので、
どの部分はどの資料に依拠されたか、明記された方がよろしいのではないかと愚考いたします。
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