[付録] ニュースと感想 (50)

[ 2003.8.19 〜 2003.10.23 ]   

  《 ※ これ以前の分は、

    2001 年
       8月20日 〜 9月21日
       9月22日 〜 10月11日
      10月12日 〜 11月03日
      11月04日 〜 11月27日
      11月28日 〜 12月10日
      12月11日 〜 12月27日
      12月28日 〜 1月08日
    2002 年
       1月09日 〜 1月22日
       1月23日 〜 2月03日
       2月04日 〜 2月21日
       2月22日 〜 3月05日
       3月06日 〜 3月16日
       3月17日 〜 3月31日
       4月01日 〜 4月16日
       4月17日 〜 4月28日
       4月29日 〜 5月10日
       5月11日 〜 5月21日
       5月22日 〜 6月04日
       6月05日 〜 6月19日
       6月20日 〜 6月30日
       7月01日 〜 7月10日
       7月11日 〜 7月19日
       7月20日 〜 8月01日
       8月02日 〜 8月12日
       8月13日 〜 8月23日
       8月24日 〜 9月02日
       9月03日 〜 9月20日
       9月21日 〜 10月04日
       10月05日 〜 10月13日
       10月14日 〜 10月21日
       10月22日 〜 11月05日
       11月06日 〜 11月19日
       11月20日 〜 12月02日
       12月03日 〜 12月12日
       12月13日 〜 12月24日
       12月25日 〜 1月01日
    2003 年
       1月02日 〜 1月13日
       1月14日 〜 1月24日
       1月25日 〜 1月31日
       2月02日 〜 2月11日
       2月12日 〜 2月22日
       2月23日 〜 3月07日
       3月08日 〜 3月16日
       3月17日 〜 3月25日
       3月26日 〜 4月06日
       4月07日 〜 4月14日
       4月15日 〜 4月24日
       4月25日 〜 5月10日
       5月11日 〜 8月11日
         8月19日 〜 10月23日

   のページで 》




● ニュースと感想  (8月19日)

 【 告知 】

 新しい理論を公開すると予告しましたが、さらに大幅に遅れて、9月中旬以降になりそうです。
 今月下旬に公開すると予告しましたが、現在の仕事の量が増えてしまいました。しかし、ようやく完成したので、それにともない、少々の休みを経たあとで、新しい理論を公開する準備に入ります。

 ※ 現在の仕事の方は、思った以上に、知的興奮の得られるものになりました。
   科学の話なのに、推理小説みたいに面白くて、芸術のように深く感動する、
   というもの。刊行が決まりしだい、詳細を示します。

 ※ それとは別に、すでに何度も予告した「新しい理論」というのは、経済学にも
   関するものですが、分野では、「複雑系」に属します。
   「カオス」や「フラクタル」に似ている話ですが、この両者は経済学には
   適用できない(適用しても無意味)であるのに対して、適用ができます。
   ただし、この新しい理論を経済学に適用したとしても、詳細がわかるわけ
   ではなくて、物事の本質的な原理がわかるだけです。金儲けにはなりません。
   相対性理論は、物事の本質的な原理を明かしますが、金儲けにはなりません。
   それと似たようなものです。


● ニュースと感想  (8月19日b)

 前項の続き。本日別項で示した、「新しい理論」というのは、どのようなものか? それは、考え方の枠組みを与えるものだ。
 典型的な例を示せば、「経済には自由が大切だ」ということがどの程度まで成立するかを、示す。
 現在、アメリカの大停電の例を見て、「自由化は大切だ」「いや、違う」という議論がなされている。ここでは、「こうなればこうなる」というような実証的・科学的な議論はなされず、「おれは自由を信じる」「いや、私は信じない」というような、宗教論争になってしまっている。
 こういうふうに、経済が科学でなくて宗教になってしまっているのは、「経済において自由とはどのような意味をもつか」ということを研究する学問がないからだ。せいぜい、「わかりません」ということを前提として、デタラメさをいくらかでも知ろうとして、カオスとかフラクタルとか、そういう理論で間に合わせようとする。しかし、カオスやフラクタルは、自分の無知さを疑似的に数式で表して、それで物事をわかったつもりになるだけだ。「自分の無知さを数式で表したから、それで利口になったぞ」というわけだ。なるほど、それは、正しい。無知さを知ることは、重要だ。しかし、無知さをいくら知ったところで、事実を知ったことにはならない。馬鹿が自分を馬鹿だと認識することは大事だが、いくら認識をしても馬鹿が利口になるわけではない。

 結論を言おう。
 「経済では自由が大切だ」ということは、一定の範囲でのみ、成立する。そして、その範囲が、問題となる。
 ただし、範囲がどのくらいになるかは、量的な問題だから、実証的な研究をすれば、汗と努力によって、凡人の研究者でも調べることは不可能ではない。問題は、「だいたいこの程度の範囲がある」ということを、あらかじめはっきりと理解しておくことだ。
 仮に、理解しなければ、次のような結論となる。
 「経済では、自由こそすばらしい! 自由にすれば、必ず最適化する!」
 これは、現在の経済学では、主流の立場である。しかし、もしそうだとすれば、次のような結論となる。
 「泥棒をしようが、殺人をしようが、何でも勝手だ。社会の富を奪おうが、自分さえ良ければよい」
 これが極端だと思うのならば、次にような例で言える。
 「停電で世間が大損をしようが、おれ(送電会社)の知ったこっちゃない。他人の損は、おれの損ではない。おれの懐を計算しよう。停電でおれが損をするのは、停電中の電気の売り上げだけだ。2年間で1日、停電をするだけならば、700分の1だけ、売上げが低下したにすぎない。そんなことは、どうでもいい。むしろ、700分の1だけ、売上げを増やすために、莫大な投資をすることの方が、経営原理に適しない。だから、電力安定のための、投資はしない。停電で世間が大損をしようが、おれ(送電会社)の知ったこっちゃない。他人の損は、おれの損ではない。」
 いずれにしても、同じ発想に立つ。「社会に損をさせて、自分が儲ければいい」という発想だ。
 古典派の発想とは、「そういうことはありえない」ということだ。「社会に損をさせて、自分が儲ける、ということは、ありえない。自分が儲かれば、社会も儲かる」という発想だ。
 しかし、「自分が得をすれば、その分、社会全体の富が増える」という古典派の主張は、成立しないことがあるのだ。なぜなら、世の中には、泥棒やエゴイストというものが存在するからだ。そのことに気づくことが大切だ。

 ただ、まともな人間ならば、「世の中には泥棒がいる」ということに気づくが、古典派の経済学者は、そのことに気づきにくい。それは、彼らが「需給曲線」というモデルを信じているからだ。このモデルを信じる限りは、「世の中には泥棒がいる」ということを理解しにくいのである。「おれたちの数理モデルは、こんなに高度な数式を使って説明しているんだ。そこでは、泥棒は存在しないことになっている。だから、泥棒は存在しないのだ。高度な理論こそ正しく、現実の方が間違っている」というわけだ。
 そこで、こういう現実無視の空理空論をもてあそぶ人々のために、彼らの思考基盤を完全に論破する新しい科学的な理論を提供するわけだ。
 「天動説は正しい」と主張する頭の古い頑固な宗教家には、地動説を示すだけでは不足である。万有引力の法則を見せて、宇宙の原理を根本的に示すことが大切だ。そして、そういうことを、今度の新しい理論は狙っているのである。

( ※ 「けっこう面白そうだ」と思うでしょう? たしかに、結論は、面白い。ただし、具体的な理論は、万有引力の法則みたいなもので、数学的な話になるので、けっこう面倒くさい。イライラするかもしれない。最後の結論だけが感動的になる。とはいえ、その感動は、上に述べたこととあまり変わらないから、期待しすぎてもらっても、困る。学問的には意味が大きいが、面白いかどうかとか、感動的かどうかとは、また別の話だ。ま、悪くはないですけどね。)
( ※ 一方、ただいま刊行準備中の方は、圧倒的なおもしろさと、圧倒的な感動がある。しかも、圧倒的な真実がある。われわれの信じていた科学観がくつがえされる衝撃だ。「小泉の波立ち」の全体を圧倒的にしのぐ興奮が得られる。乞う、ご期待。)


● ニュースと感想  (8月21日)

 「景気の先行き」について。
 「景気回復の芽が出てきた」という楽観論が、一部に出てきている。一方では、疑いの目を向ける人々も多い。では、私は、どう考えるか? 
 現状は縮小均衡の状態になっているかどうかが、問題だ。そうなっているかどうかは、長期的に判断するべきことであり、現時点では、判断がしづらい。ただし、経済というものは短期的に変動するから、短期的には何らかの理由で、経済が好転して、均衡を回復して、祝そう均衡の状態になる、ということは、十分に考えられる。つまり、「一時的な景気回復」である。問題は、それが本格的な景気回復に結びつくかどうかだ。
 不況のあとで経済が拡大するためには、供給力の拡大は必要なく、需要の拡大が必要である。需要は、投資・公共投資・消費の三つだ。この三つについて考えよう。
 投資は、過去の例を見ると、景気悪化の段階を脱したあとでも、2〜3年ほどは、企業は投資を増やさない。これは、当然だ。以前として供給力は過剰であり、稼働率は低下している。景気悪化の段階を脱したとしても、稼働率が最低限よりも向上したというだけだ。稼働率の適切な幅は、下限と上限との間である。下限よりも良くなったから、経済は小康を得る。しかし、上限よりは下だから、投資はなかなか増えない。つまり、「経済拡大」のためには、投資には期待できない。期待できるのは、小康状態が2〜3年ほど続いたあとのことだ。
 公共投資は、どうか? 効果はあるだろう。ケインズ的な政策は、不況の最中には、「悪化を弱める」という程度の効果しかないが、小康状態であれば、「景気を好転させる」という効果がある。ただし、金がかかる。いま無駄遣いをすれば、将来、ツケを払う必要がある。たとえば、あなたがいまパソコンを買うかわりに、政府がいま労働会館を建設すれば、景気は回復するが、その金は、あなたがあとで払う必要がある。
 消費は、どうか? 何度も言うように、これが王道だ。あなたが今すぐ、パソコンを買えばよい。そうすれば、パソコン産業の人々の所得が増えて、彼らが消費を増やし、あなたの会社の売上げも増えて、あなたの所得も増える。これで万事、解決。
( ※ ただし、そのためには、最初に、あなたの手持ちの金が増えている必要がある。最初に、十万円もらって、パソコンを買う必要がある。そして、景気が回復したあとで、七万円だけを増税で返すわけだ。残りの三万円は、返す必要がない。その三万円は、所得増加にともなって、所得税や消費税や法人税で払う。これは、増税ではない。払う額は増えるが、払う比率は増えないからだ。……このあたりは、「中和政策」として、何度も述べたとおり。)

 結局、「景気回復の芽が出たな」なんて浮かれていても、全然、ダメなのだ。「最悪を脱した」とか、「下落を脱した」とか、そういうことは、あるかもしれない。しかし、下落をやめたからといって、上昇すると思うのは、楽観のしすぎである。浮かれすぎた、酔っぱらいのようなものだ。(竹中はやたらと、こういう酔っぱらいのようなことを言うが。)
 必要なのは、「減税」である。以前ならば、20兆円の規模が必要だったが、いまならば、10兆円の規模で済むかもしれない。そういう違いがあるだけだ。減税の必要性は、変わりはない。そして、そのことを理解しない限り、現状もまた、不況の状態で、変わりはない。

 [ 付記 ]
 「じゃ、株は?」という質問があるだろう。株は、はっきり言って、わからない。適正価格などは、ないからだ。人々の思惑で、上がったり下がったりする。たとえ景気は回復しないとしても、人々が「景気は回復する」と思い込めば、株価は上がる。「実際には景気は回復しなかった」と気づけば、株価は下がる。そういうふうに、乱高下する。
 株をやるなら、次のいずれかだ。
 ・ 短期相場を張る。
   ……これは、マネーゲームであり、ギャンブルだ。博打師人生。
 ・ 長期相場を張る。(不況のときに買って、好況のときに売る。)
   ……これは、まともだが、一喜一憂しないことが大事だ。
     ま、あなたが死んだあとの、その子供の時代には、株価は上がっているだろう。
     あなた自身が得をするかどうかは、何とも言えない。下手をすれば、
     リストラで、首を吊るハメになるかもしれない。その場合、大赤字か。

 [ 補足 ]
 現状の分析をしておこう。
 景気回復の芽が出たようなデータが出ているが、実は、ほとんど統計的誤差の範囲を出ていない。成長率は、コンマ以下のパーセントだ。特に、名目成長率は、ほとんどゼロに近い。実質成長率は、少し高くなっているが、それはその分、物価が下落したというだけのことだから、数値の操作のようなものだ。(実質成長率が意味をもつのは、物価上昇のときだけだ。)
 消費は全然増加していない、というのが本質だ。その一方で、投資はわずかに増加している。これは一見、不思議に思える。しかし、タネはある。「過剰な円安介入による、輸出の増加」だ。つまり、円安介入によって、一時的な輸出増加という小康を得ているわけだ。特に、欧州向けは、対ユーロで大幅円安なので、輸出企業の採算性が好転している。これがタネだ。
 こういうことは、実は、前にもあった。2002年末〜2003年冒頭のころだ。同様に、円安介入で、輸出企業の業績が好転した。
 今回、「今度こそ景気回復だ」という予測が出ているが、そんな予測は、オオカミ少年と同じで、何度も出てきた。特に、2003年の冒頭のころも、同じ予測が出た。とはいえ、数カ月後の春には、腰を折られた。増税やら、定昇廃止による総所得減少やら、いろいろと理由はあるだろう。(定昇廃止だと、一般社員の所得は変わらないが、定年退職者がいなくなる分と、新卒者が雇用されない分、総所得は減る。)
 「円安」というのは、しょせんは、マネタリズム的な処方である。特に、輸出企業向けだ。輸出の分については、貨幣価値が下がり、輸出企業が得をする。しかしその分、国民全体が、輸入品の値上げを通じて、損をする。タイムラグがあるので、当初は得ばかりが目立つが、やがてはじわじわと国民の総所得を減らすので、しょせん、何の意味もない。意味があるとしたら、国民全体の貨幣価値を減らす場合、つまり、物価上昇があるときだ。物価上昇は、均衡時ならば、生産と消費を同時に増やすので、経済を拡大する。しかし不均衡時には、(企業が雇用を増やさないので)所得の増加なしに物価が上昇することになり、デフレからスタグフレーションになるだけだ。
 それでも、スタグフレーションになれば、スタグフレーションがインフレに転じる可能性もある。そうして景気回復軌道に乗る可能性もある。しかし、それには、「スタグフレーションになっても人々が消費を切りつめずに、どんどん消費をする」ということが前提だ。まず、ありえない。所得増加なしに物価が上昇すれば、人々は消費を切りつめるはずだ。
 うまく景気回復ができるとしたら、「(勤労の)所得増加なしで、物価を上昇させる。しかも、物価上昇の痛みがない」という方法だ。そういう方法があれば、すべてはうまく行く。そして、その方法が、「減税」だ。
 結局、経済の基本原理を理解しないまま、小手先で、「為替操作」だの、「市場金利操作」だの、「公共事業の乱発」だの、そういう勝手な策を出しても、ダメなのだ。そういうのは、コンピュータ操作法の基本を知らないまま、やみくもにメチャクチャにキーを打つのと同様である。「そのうち何とかなるさ。下手な鉄砲も、数撃ちゃ当たるだろう」というわけだ。こういうことをやれば、コンピュータを破壊してしまう。そして、いま、ど素人の経済運営者が、こういうことをやって、日本経済を破壊しているわけだ。


● ニュースと感想  (8月21日b)

 「ウィルス」について。
 本日あたり、ひどいメール・ウイルスが出回っているようだ。百通を超える迷惑メールが舞い込んでいる。困っている人も多いだろう。そこで、対策ソフトを示しておく。次の二つがある。いずれも無料。

 (1) MailDel
   http://www.vega.or.jp/~hawk/

 (2) Virus Mail Killer
   http://member.nifty.ne.jp/T_sugiyama/

    ※ いずれも、ホームページが移転している場合には、ソフト名で検索するとよい。

 解説しておくと、……

 (1) は、手動処理。百通のメールがあると、百回、チェックを入れる必要がある。
   (チェックの入れ方は、「スペースキーを押す」と、「カーソルキーで次行へ」)
   いちいちチェックを入れるのが面倒だが、ファイルのヘッダを確認できるので、安全。

 (2) は、自動処理。指定した条件に当てはまるメールを削除する。
   いちいちチェックを入れないで済むが、必要なメールを削除する危険がある。
   また、「100キロバイト以上」に設定すると、99キロバイトが削除できない。

 どちらがいいかは、お好みで。

  【 追記 】
 迷惑メールがあまりにも多いと、手間がかかるので、(2) の方がお勧めのようだ。

 ついでだが、このウィルスの名前は、「ソービッグF」( Sobig.F )である。添付ファイルから感染する。世界中で大騒ぎになっているとのことだ。

 なお、 ウィルスの削除というのは、ネット上のどこかでウィルスを検知して自動削除するのが、一番、有効である。ネットのあちこちに「ウィルス駆除機」を設置するよう、関係者が努力するといいのだが。(マイクロソフトがセキュリティホールを解決するべきだ、という意見もあるが、私はあまり賛成しない。猿に「空を飛べ」と命じても、できないものはできない。)

 なお、自分だけの対策なら、自分のプロバイダ(インターネット通信の契約会社)の、ウィルスチェックサービスという機能を利用すればいい。ただし、有料なんですよね。困ったもんだ。(いったい誰がウィルスをばらまいているのかな? ひょっとして……)

 [ 付記 ]
 私のアドレスからもウィルスが送付された、という報告があった。困ったものだ。私のアドレスを勝手に利用しているらしい。(発信元を偽っているわけだ。)
 もちろん、私がウィルスを出しているわけではない。だいたい、このウィルスが発信された時間帯(夜間)には、私は回線を切断していたのだから、物理的に、送付のしようがない。濡れ衣を着せられそうなので、釈明しておきます。


● ニュースと感想  (8月27日)

 「年金制度」について。
 週刊朝日に、「年金を減らされる」という話があったので、簡単に紹介しておく。
 従来、よく言われるのは、「40年間ちゃんと払わないと、年金をもらえない」という話だった。一方、週刊朝日の記事によると、「40年間以上ちゃんと払うと、年金を減らされる」ということだ。つまり、40年という期間ぴったりである必要があり、それより多く働いても、短く働いても、損をする。
 40年よりも短いと額を減らされる、というのは、よく言われる。「ちゃんと払わなかったから、懲らしめてやる」という罰則があるわけだ。で、下手をすると、払った額よりも受け取る額の方が少なくなる。500万円払って、300万円しか受け取れない。最悪の場合、全額が没収だ。
 40年よりも長いと額を減らされる、というのは、今回の記事で紹介されている。つまり、60歳よりも後まで働くと、「定年後に所得があるから、恵まれている高所得者と見なして、年金を減らす」という制度だ。おおざっぱに言って、10万円の所得があると、年金を7万円減らされる。3万円の増加にしかならない。ただし、年金加入期間が長くなるから、65歳ぐらいで働くのをやめたら、その後の年金は増える。とはいえ、差し引きすると、元を取るには、(おおざっぱに)90歳ぐらいまで生きないと、元を取れない。100歳まで生きないと元を取れない、というモデルもあった。
 で、私みたいな貧乏性だと、70歳ぐらいまでシコシコと働きそうなので、その場合、一生、年金をほとんどもらえないまま、となる。生涯かけて、必死に年金料を納付して、しかし、給付はほとんどなし、というわけだ。哀れなもんだ。
 今の年金制度というのは、やはり、詐欺のシステムですね。特定の人々だけが金を収奪するシステム。公平とか公正とかいう概念は、まったくない。

 [ 付記 ]
 それ以外にも年金をもらえなくなる条件は、いっぱいある。勤務先の変更とか、転居とか、結婚とか、そういう届けを怠っていると、「欠格」になることがある。また、勤務先があなたの納付金を猫ババしている場合もあり、その場合は、まるまる損となる。失業して、失業保険をもらっても、「失業保険でもらった分、年金を減らされる」という、ペナルティーのような損失を受ける。下手に失業もできない。
 テレビのスポーツ・バラエティで、「sasuke」というゲームがあるが、その全関門を突破した人だけが合格となり、他の全員が不合格となる。年金制度も、だいたい同じようなものだ。「自分は全関門を突破できる」という自信のある人だけが、喜んで加入しているのだろう。
( ※ 上に、「自信のある」と書いたが、「妄想癖のある」と訂正しておこう。)


● ニュースと感想  (8月30日)

 「ウィルス」について。続報。
 http://www.zdnet.co.jp/enterprise/0308/26/epn05.html
 の記事によると、この Sobig.F というのはきわめて悪質であるようだ。大量の電子メールを発送するというのもそうだが、どうも、作者が金儲けをしているらしい。というのは、このウィルスを利用して、感染したマシンのリストを作成し、それを迷惑メールの発送をする悪徳会社に販売しているらしい。で、この手の金儲けを試みる輩が、雨後の竹の子のように、次々と出てきそうだ。
 現在、「ネットが渋滞を起こしている」と言われるが、これは実は、好ましい状況である。ネットがボトルネックとなって、ウィルスの発生量を制限しているからだ。そのうち、マルチメディアのために、光ファイバーが普及すると、どうなるか? 今は1日に百通程度で済んでいるが、そのうち、一日に1億通ぐらいの迷惑メールが届くようになるかもしれない。下手をすると、HDが迷惑メールでいっぱいになる。削除するだけで、大変な手間だ。

 では、どうすればいいか? 
 この件は、私がずっと前から言っている。「迷惑メールの発送を禁止する」ことだ。発送した会社には、1通あたり10円ぐらいの罰金をかけるべきだ。100万通なら、1000万円。
 こういうふうに、悪徳業者を根元的に断つことが必要だ。なのに、政府も与党も野党も、「迷惑メール禁止」とは言わない。「未承諾広告」と入れればよい、なんていう規制をするだけだ。困ったものだ。

 [ 付記 ]
 私自身はどうしたか? プロバイダの「ウィルスメール・チェックサービス」を利用した。ところが、この so-net というのがとんでもない会社で、「ウィルスメールを削除しました」という通知を毎度毎度送ってくるから、その通知メールが毎日何百通も届く。ふざけた会社だ。「やめてくれ」と頼んだら、「やめるシステムがありません。ご希望は、担当者に連絡しておきました」だって。
 仕方ないから、別途、「着信拒絶」のサービスで、so-net のメールを拒絶することにした。これでうまく行くかどうか。……まったく、この会社自体が、ウィルスみたいだな。某社と某社は、地上から抹消した方がよさそうだ。誰か、会社に対して、ウィルス抹消ソフトをかけてください。
(  【 追記 】 「着信拒絶」だと、一部は片付いたが、一部はダメ。相変わらず、何十通も送られてくる。)

 ついでだが、MS Blast というウィルスは、メールのソフトではない。これに対しては、ファイアーウォールを設定することが大切であるらしい。
 → http://www.zdnet.co.jp/news/0308/18/cead_vamosi.html
 ファイアーウォールというのは、常識だと思うんですけど、そんなこともやらないで、ADSLなんかで常時接続する人が多いんですねえ。ユーザーの無知も、ウィルス蔓延の大きな原因であるようだ。


● ニュースと感想  (8月31日)

 「ウィルス」について。提案。
 ウィルスの問題は、国家的な大損害をもたらす。もはや国家として対策するべき段階に来ている、と私は思う。最低でも十億円程度の金をかけて、ウィルスを封じ込める策を取るべきだ。
 具体的には、どうするべきか? 技術的に細かな話になるが、次のような策が考えられる。

 (1) HTMLメール・ウイルス
 Outlook が普及しているのが諸悪の根源である。高機能で無料のメールソフトを国が頒布するべきだ。(現状では、電信八号や EdMax などがあるが、一長一短であり、万人向けではない。万人向けのものは、有料だ。)
 なお、このソフトは、国産として、世界の主流から断つ。そうすれば、世界標準のウィルスから免れやすい。また、簡易ブラウザを備えて、普通の HTML メールは MS-IE なしで閲覧できるようにするべきだ。(HTMLメールのために高機能なブラウザは必要ない。高機能すぎるから、ウィルスが作動してしまう。)
 また、「アドレス帳」は、Outlook とは別のものにする。専用の「アドレス帳」には、暗号をかけて、メールソフト本体からしか読み取れないようにする。この暗号は、マシンごとに別の暗号とする。一定期間が過ぎたら、暗号を自動変更する。

 (2) 添付ファイル・ウィルス
 画像ファイルと文書ファイル(.gif , .jpg , .txt , .htm など)を除いて、一般のファイル形式の添付ファイルがある場合には、「添付ファイルがあります。身元不明人からのメールでは、ウィルスに注意してください」という警告を、必ず出す。OKボタンを押さないと、添付ファイルを開けないようにする。
 ウィルスの感染したファイルは、メーラーから自動的に削除する機能を備える。そのための条件を記した更新ファイルは、簡単にインストールできるようにする。
(つまり、メーラーにおいて「条件の更新」ボタンを押すと、ネットに接続して、自動的に更新ファイルを導入する。この更新ファイルの分量は、ごく小さい。また、ダウンロードするのは更新ファイルだけであり、プログラムをダウンロードするわけではない。たとえば、Sobig.F の条件を記した更新ファイルをダウンロードすると、以後は、Sobig.F のファイルをダウンロードしたあと、その添付ファイルを自動削除し、かつ、送信時にも送信しなくなる。)

 (3) セキュリティ・ホール・ウィルス
 MS Blaster のようなタイプは、インターネットの接続をした時点で感染するタイプだから、メーラには関係ない。これについては、ファイアーウォールの設定をするしかない。
 ファイアーウォールの設定をしない場合には、ADSLなどの常時接続タイプには接続できないように、OSを定めるべきだ。そうでないOSは、「セキュリティ・チェックに不合格なので、販売を禁止」とする。
(ファイアーウォールなしの一般マシンがネットに接続するのは、ブレーキなしの自動車が公道を走るようなものであり、迷惑千万だ。「走行禁止」にするのが当然だ。ファイアーウォールなしでいいのは、「サーバー」と称されるプロ向けのマシンだけであり、普通のマシンにはファイアーウォールが必須だ。別に、高価なソフトを付けなくても、安価なブロードバンドルーターを付けるだけでも足りる。逆に言えば、これさえ付けていない素人ユーザが多いわけで、まったく困りものだ。)

 (4) 根本的対策
 Windows には根本的に問題があるから、これにかわる選択肢を用意しておくといいだろう。つまり、無料OSの Linux の政府版を、無料で頒布するべきだ。
 一般の業者と対抗するのも問題だから、次のようにするといいだろう。
 なお、このような簡易マシンが普及したら、この簡易マシンを、ネット接続専用にするといいだろう。ネットの接続をするときは、この簡易マシンを使う。一方、普通のビジネス用途には、Windowsなどのマシンを使う。こういうふうに、ハード的に分断しておく。こうすれば、ウイルスに感染する危険が減る。重要なデータは、ビジネス用のマシンに入っているわけだが、こちらは安全に守られる。
(両方のマシンを LAN で常時接続すると、ウイルス感染の危険があるから、共用フォルダを小さめに制限しておくといいだろう。)

 [ 付記 ]
 防衛庁は、来るかどうかもわからない北朝鮮のミサイルの対策費に、5000億円(維持費込みで1兆円)の予算を請求した。(2003-08-30 朝刊。)しかし、こんなことに大金をかけるよりも、ウイルス対策に金をかけるべきだろう。
 ミサイル対策費には1兆円をかけるという。しかし、それをしない場合の損害は、せいぜい数億円だ。ミサイルが落ちれば、人的損害はあるかもしれないが、ミサイルが落ちなくても、不況のせいで自殺者は毎年1万人以上、10年で10万人以上だ。10万人以上の死者が出ることはまったく放置して、ミサイルの被害の数人程度を防ぐためには1兆円をかける、ということの馬鹿らしさ。
 さらに言えば、こうだ。ミサイル被害を防ぐために1兆円をかければ、その分、増税になるから、そのせいで、自殺者は数百人ほど増える。
 政府は、ウイルス対策よりも先に、まず、足し算と引き算を勉強するべきだ。ウィルスにかかる前から、頭が狂っている。


● ニュースと感想  (9月04日)

 「長期金利の上昇」について。
 長期金利が上昇している。ひところは 0.7 %ぐらいだったが、今では倍以上の 1.6 %超になっている。これに対して、経済界では、議論がかまびすしい。
 「長期金利が上昇したのは、景気が回復したからだ」
 「いや。長期金利が上昇したのは、景気が回復したからじゃない。思惑で上昇しているだけだ。」
 「本当は景気は回復していないのに、長期金利が上昇すると、景気に悪影響が出る」
 「だから長期金利を下げるために、量的緩和をもっとやるべきだ」
 「でも量的緩和は効果はないはずだし……」
 などと。
 そこで、混乱した話を整理して、正解を簡潔に示そう。

 (1) 原因
 原因は、「景気が回復したから」ではない。各種の指標を見ればわかるとおり、景気はまったく回復していない。簡単に言えば、GDPは上昇していないし、「上昇するはずだ」という確実な予想も立たない。
 ただし、「景気は回復しそうだ」あるいは「最悪の時期は脱した」という、楽観的な見込みはある。そのせいで、株式市場に、金が流れ込んでいる。その金は、どこから来たか? そう考えれば、正解はわかる。金融市場の金が、株式市場に流れ込んでいるわけだ。それで、金融市場の金が少なくなって、市場金利が上がっているわけだ。そして、そういう傾向が明らかになると、「低金利で利幅もなく、将来は暴落する危険のある長期国債よりは、株式市場で金を運用した方が、安全だ」と考える人々が多くなる。
 簡単に言えば、こうだ。今までは、景気悪化の見通しが強かったので、資金を株式で運用することが、危険だった。そのせいで、銀行などはしきりに株式を売り込んだ。「株が下がるから株を売る」という冷静な投資判断によるのではなくて、「危険なものは持てない」という弱気な安全主義で株式を売り込んだ。そのせいで、株式は過剰に下落した。
 ところが、いつまでも株式を売り込むことはありえない。手持ちの株は、限られているからだ。そこで、株式の売りの圧力が減ったところで、株式は底を打った。すると、人々は、「自分が売らなくなったから、株は下がらなくなった」とは思わずに、「景気が回復するから、株は下がらなくなった」と思い込んだ。かくて、「株式市場は、先行きが楽観できる」と思い込んで、株を買い込んだ。
 結局、以前は、「みなが売るから、株はどんどん下がる」となっていたが、今度は、「みなが買うから、株はどんどん上がる」となっているわけだ。ケインズの主張のとおりである。ところが、人々は、フリードマンの主張を信じて、「自分たちの売買は関係ない。景気が良くなるから、株は上がるのだ」と思い込んだ。「市場経済」というのは、「売り手が増えれば価格は下がり、買い手が増えれば価格は上がる」ということだ。なのに、このことを理解できないのが、古典派だ。「市場経済で景気はうまく行く」と主張する古典派が、なぜか、市場経済というものをまったく理解できていないわけだ。
 要するに、「長期金利上昇」というのは、「株価上昇」といっしょに考えればよい。「長期金利が上昇して、株価が上昇する」にせよ、「長期金利が下落して、株価が下落する」にしても、しょせんは、金融資産の運用の問題であって、金融業界の話にすぎない。
 「長期金利が上昇すると、景気に悪影響が出る」という主張は、「株価が上がると、景気に好影響が出る」ということを無視しており、物事の半面しか見ていない。彼らは、「株価は上昇するが、長期金利は下がる」という状態を望んでいるのだろう。しかし、実体経済そのものが好転していないのに、そんなことはありえない。「株価は上昇するが、長期金利は下がる」という状態を望むのであれば、まず、実体経済そのものを好転させる必要がある。そういう根源を無視して、表面的に、金利だの株価だのだけを見ているから、「一方が好転して、他方が悪化した」という状況を見て、大騒ぎするわけだ。「一方が好転して、他方が悪化した」という状況に直面して、「好転した方を見て楽観し、悪化した方を見て悲観する」というのは、馬鹿げている。ここでは、「好転と悪化で、差し引きして、チャラだ」と見なすのが正解である。
 「長期金利が上昇して、株価が上昇する」というのは、あくまで、金融業界の話だ。マクロ的に大騒ぎする必要はない。そんなことで大騒ぎするのは、「マネーが景気を決める」と勘違いしているマネタリストだけだ。正しくは、どうか? 景気を決めるのは、実体経済そのものであって、マネーではないのだ。
( ※ 実体経済を好転させるには、当然、GDPを増やす必要がある。そのためには、国民総所得か消費性向か、そのどちらかを増やす必要がある。マネーなどは、ほとんど関係ない。特に、デフレという「流動性の罠」に陥っているときには。)

 (2) 効果
 「長期金利が上昇すると、悪影響があるから、量的緩和で、長期金利を下げるべきだ」という意見がある。もっともらしく思える感じもある。
 一方では、「量的緩和などは、もともと効果はない」という意見もある。その場合、「量的緩和をしないで、長期金利が上昇してもいい」ということになる。あまり正しそうには思えない。
 このどちらが正しいか? 直感的には前者の方が正しいように感じられるが、理屈または原理に従えば後者の方が正しいように感じられる。実は、後者の方が正しい。
 この問題は、物事の根本を考えることで、理解される。そもそも、長期金利とは、何か? あるいは、金利とは、何か? 
 経済学者は、「金利が上がると景気が悪化する」と主張する。特に、古典派は、そうだ。ところが、そのための根拠は何かと言えば、「IS-LM」などの面倒な理屈を出したりするが、しょせんは、「経験則でそうなっているから」と説明するだけだ。まったく、根拠があやふやだ。経済学者ならばそれで納得するかもしれないが、自然科学者ならばまったくな得できないだろう。
 そこで、説明しておこう。金利とは、何か? 企業が投資をするときには、金を借りて、経済活動をする。その経済活動によって、利益が生じる。そのときの「利幅(R)」と、借金の「金利(S)」とを、比較する。差し引きした値「R−S」が、企業の「利益率(T)」となる。
 ここで、Tがプラスならば、利益が出る。Tがマイナスならば、損失が出る。
 金利を操作するということは、Sを上げたり下げたりするということだ。金利Sを下げると、利幅Rが少なめでも、利益Tがプラスになる。だから、金利Sを下げると、利幅Rが少ないような(質の悪い)経済活動も可能となるので、マクロ的な経済規模が拡大する。── これが、原理だ。
 さて。この原理は、常に働くだろうか? 古典派は、「常に働く」と信じる。彼らの頭は、グラフにおける二本の曲線しか考えていないのだから、そのくらいの結論しか出せないのだ。
 しかし、本当は、そうではない。この原理が働くのには、条件が付く。それは、「経済が正常な状況にあれば」という条件だ。なるほど、「経済が正常な状況にあれば」という条件が満たされれば、金利を下げると、経済規模は拡大する。たとえば、金利を5%から4%に下げれば、その分、経済規模は拡大する。しかし、「経済が正常な状況にあれば」という条件が満たされなければ、金利を下げても、経済規模はほとんど拡大しない。では、なぜか? 
 たとえば、金利がゼロのときには、「金利をゼロにしても投資が増えない」ということである。それは、「金利(S)をゼロにしても、利益率(R−S)がプラスにならない」ということだ。それは、「利幅(R)が、もともとプラスの値になっていない」ということだ。
 要するに、本業の活動で利益を出せないときには、いくら金利を下げても、投資は増えない、ということになる。
 現在、長期金利がどうのこうのといっているが、短期金利は、相変わらず、ゼロ金利である。つまり、企業は投資で利益を出せない。景気は不況のさなかである。こういうときには、長期金利が上がろうが下がろうが、ほとんど関係ないのである。大事なのは、短期金利であって、長期金利は、金融市場の関係者の金融ギャンブルの話だけなのだ。
 経営者は、どう発想するか? 「今すぐ投資をすれば、金利が低いから、投資に有利だ。だから、すぐに投資をして、その機械を遊ばせておいて、五年後からその機械を稼働させよう」と発想するだろうか? マネタリストならば、「そういう発想をするはずだ」と主張する。しかし、現実の経営者は、「機械を遊ばせておこう」などとは考えない。「その投資をしたことで、今すぐ設備を稼働させて利益を出せるか」ということだけを考える。経営とは、マクロ経済の投資ギャンブルではないのだ。数百億円もかけて、不確実な投資にギャンブルをするわけには行かないのだ。投資をするのは、その投資が有効であるという、確実な見通しのある場合だけだ。

 結語。
 長期金利が上昇しても、それは、金融業界だけの事情にすぎない。金融業界において、金融市場から株式市場へと、資金が移転しただけだ。逆に言えば、株式市場から金融市場へと、資金が移転していたのが、元に戻っただけだ。
 そのことで、「長期金利が上がる」と騒ぐ人もいるが、「株価が上がる」という現象も起こってるのだから、騒ぐほどのことはない。景気は、現状では良くも悪くもなっていないし、将来的にも、良くも悪くもならない。底を這っているだけだ。
 「長期金利が上がると投資が減る」と騒ぐ人もいるが、不況のさなかでは、投資を拡大させるものは、金利水準ではなくて、需要である。需要がないときには、もともと投資意欲がないから、金利が上がろうが下がろうが、投資に対する影響はほとんどない。「金利が下がったから投資を増やす」ということも起こらないし、「金利が上がったから投資を減らす」ということも起こらない。(ほんの少しは起こるが、一国全体に影響を及ぼすほどではない。)
 要するに、金融市場がどうなろうが、そんなことは、どうでもいいことなのだ。「長期金利が上がった」とか、「株価が上がった」とか、大騒ぎしているのは、ネタに困っている新聞記者だけだ。「今日も変わりはありません。相変わらず不況です」という記事ばかりを、十年間も毎日書き続けているわけには行かないので、記者が大騒ぎしているわけだ。オオカミ少年のようなものである。「大変だ! ××が来た!」と騒いで、飯のタネにしているわけだ。彼らは、そうやって、自らの無能を隠蔽しているのである。金利や株価の問題は、新聞記者の失業対策事業にすぎない。
 大切なのは、「金融業界がどうなった」というようなオタクの話ではなくて、「国民経済に影響する国民純生産や国民総所得がどうなったか」ということだ。しかし、そういう大切な話は、新聞記者には、とても無理だろう。何しろ、そういう話は、マクロ経済の話であり、新聞記者には理解できないからだ。こういう半玄人(半素人)は、国民純生産や国民総所得ではなくて、金利や株価という、馬鹿でもわかるような数値しか、まともに扱えないのだ。というわけで、毎日毎日、紙面には、金利や株価という無意味な数値を論じる記事ばかりがあふれるわけだ。
( ※ 金利や株価という数値が意味をもつこともある。それは、普通の景気のときだ。経済が正常であるならば、金利が5%よりも上がるとか、平均株価が2万円よりも上がるとか、そういうことは、重要な意味がある。しかし、不況のときには、短期金利がゼロのまま長期金利がコンマ以下の微動をしたとか、株価がどん底の圏内のまま思惑で少しぐらい上下したとか、そんなことはまったく意味をもたないのだ。不況のときに大切なのは、実体経済の数値だけなのだ。どうせなら、「冷夏の気温」という数値でも並べる方が、まだしも意味がある。)


● ニュースと感想  (9月07日)

 「年金と少子化」について。
 「若い世代は、将来、年金をあまりもらえそうにない」ということで、義務化するとか、増税するとか、あれやこれやと、政府が施策を出そうとしている。
 まったく、困りものだ。「1回ぶん殴っても金を出さないなら、2回ぶん殴ってやろう」という発想だ。かくて、国民は、ぶん殴られっぱなしだ。
 物事の本質を考えるといい。「若い世代は、将来、年金をあまりもらえそうにない」ということの本質は、「金がない」ことではなくて、「人がない」ことである。「若い世代は金をたんまりと持っているのに、金を国に拠出しない」のではなくて、「若い世代そのものが少なくなっている」のである。ここが、根本原因だ。
 とすれば、少子化対策をするのが、先決であろう。「年金問題」の本質は、「少子化問題」なのだ。
 だいたい、出生率が半分に減れば、若い世代の一人あたりの負担率は倍になるのが当然である。このとき、「若い世代を二回ぶん殴ってやれ」と考えるのが、政府やマスコミだ。悪徳な高利貸し業者と、似た発想だね。

 [ 付記 ]
 次項との関連で言おう。地球環境の維持のためには、増大しすぎた人口を減らすことが必要だ。とはいえ、それは、あまりにも急激であるべきではない。急激すぎれば、歪みが出る。
 出生率で言えば、2を割ることは必要だが、1.7程度であることが好ましく、現状のように 1.3 程度になるのは、ちょっと行き過ぎだ。(同趣旨のことは、以前も述べた。)


● ニュースと感想  (9月07日b)

 「二酸化炭素対策」について。
 二酸化炭素の対策として、「過剰な二酸化炭素を、地中に閉じ込めよう」という研究が進んでいる。十数年後の実用化を目論んでいるようだ。「画期的な技術」と紹介する記事などが出ている。
 しかし、私は、賛成できない。なるほど、「二酸化炭素対策」という目先の問題が大切ならば、これはこれでいいだろう。しかし、そもそもの根源は、「地球の砂漠化」である。「緑が減っている。地球が砂漠化している」という病気が根本問題としてあり、その悲鳴として、「地球の温暖化」という問題が上がっている。ここで、「悲鳴をなくせば、病気はなくなる」と考える人々が、「二酸化炭素を地中に埋め込む」と考えているわけだ。なるほど、そうすれば、病人の熱を解熱剤で下げるように、病気の症状を隠蔽することができる。「地球の砂漠化」という大問題に、知らんぷりをしていられる。しかし、それでは、本末転倒であろう。
 病気のときに高熱であるのが病気対策となるように、地球の砂漠化のときに二酸化炭素が増えることは砂漠化対策となる。二酸化炭素が増えれば増えるほど、植物にとっては有利であるからだ。なるほど、地球が温暖化すれば、人類はひどい被害をこうむるだろう。しかし、人間がいくら死のうが、地球が破壊されるよりはマシである。だいたい、人間は、この地球において、増えすぎている。現状の数分の一程度が、適正規模だ。
 私が困ると思うのは、人類の部分的な死ではなくて、人類そのものの絶滅である。二酸化炭素が増えて、地球が温暖化して、あちこちで天候異変が起こるぐらいぐらいならば、人類の部分的な死が起こるだけだ。しかし、地球が全世界的に砂漠化すれば、あるとき、必要な一線を越えた時点で、人類のすべてが絶滅する危険がある。
 地球が悲鳴を上げているのであれば、その悲鳴に耳を傾けるべきだ。「悲鳴を消せば、問題が解決する」と考えるのは、愚の骨頂だ。そんなことをしていれば、いまはよくとも、最終的に、取り返しのつかない事態になりやすい。
 もう一度言う。地球が悲鳴を上げているのであれば、その悲鳴に耳を傾けるべきだ。

 [ 付記 ]
 なお、地球の進化の歴史では、数千万年に一度の割合で、ひどい大絶滅が起こっている。そのたびに、地上や海中の大半の生命が絶滅した。「恐竜の絶滅」というのは、その一例である。
 ただ、それらの大絶滅は、地球環境のせいで起こった。しかるに、今度の大絶滅は、人間が地球環境を変化させたせいで起こるのだろう。彼らは、「われらこそ地球の支配者」と自惚れて、地上の生命を次々と絶滅させていった。そして、最後には、牛と犬と鯨しか残さないのだろう。しかるに、それらの生物は、限られた種しかいないので、あるとき、狂牛病のようなウィルスが発生すると、たちまち全世界に蔓延する。その後、もともと牛と犬と鯨と人間しかいなかった惑星は、生物がすっかり消えて、無生物の惑星となるのだろう。
 この惑星に残るものはといえば、たぶん、炭酸ガス入りのサイダーだけだ。


● ニュースと感想  (9月08日)

 「小林慶一郎の解説記事」について。
 またしても、困った君の解説記事が出た。朝日の「小林慶一郎の 経済早わかり」という記事だ。(朝刊・オピニオン面 2003-09-07 )
 彼の主張によれば、経済学は二分できる。
  ・ 自由放任こそ最善(「自由主義」と称する。)
  ・ 放置よりも人為的な介入で最適化できる。(「合理主義」と称する。)
 そして、次のように主張する。
 「あらゆる主張は、この両極端の中間に位置する」
 「自分は、どちらかと言えば、自由主義の方だ。デフレの責任は、政府の人為的な努力の不足が原因かもしれないが、だとしても、個々の企業についてはその責任を免れない。何でも政府の責任にするべきではない」

 私なりにコメントしておこう。

 (1) 題名
 そもそも、人が何を言おうが自分の勝手だが、あくまでも「自分の意見である」と、はっきり明示するべきだ。つまり、「小林慶一郎の主張」と明示するべきだ。そうしてないで、「これは経済学者の正しい解説記事です」というふうに仕立てるのは、ほとんど詐称に近い。つまり、読者を騙しているわけで、詐欺師にも等しい。この人は、自分のことを道徳的だと思っているようだが、よくもまあ恥ずかしげもなく、これほどにも自分を偉そうに表示できるものだ。恥というものを知らないのだろうか?

 (2) 分類
 この主張の全体が、とんでもない個人的な見解である。
 「自由主義/合理主義」なんていう分類は、経済学では、存在しない。「古典派/ケインズ派」という分類ならば、ある。あるいは、「古典派/それ以外」という分類もある。また、「素朴な古典派(サプライサイド)/それ以外」という分類もある。そして、一番最後の分類が、小林慶一郎の言っている分類にほぼ等しい。
 だったら、そのように分類すべきであり、自己流の用語を使わないでほしい。どうしても使うのならば、その場限りの分類として、自己流の用語であることを明示するべきだ。あたかも経済学での一般的な分類であるような言い方は、やめるべきだ。ほとんど詐欺またはデタラメである。

 (3) 合理主義
 合理主義というものを、「社会科学の分野も、自然科学の分野と同様に、人為的な方法で制御できるようになる」と紹介している。基礎的な知識の欠如と言える。
 ここで彼が示そうとしているのは、科学のパラダイムには存在しない。(パラダイムというのは、「思想の範囲」というような意味であり、この用語は科学哲学でよく使われる用語だが、基礎知識のない彼は、この用語を知らないはずだ。)
 彼が示そうとしているのは、正しくは、「サイバネティックス」である。そして、「サイバネティックス」とは、「人為的な方法で何でも制御できる」という思想ではなくて、「人為的な方法で制御できることとできないことがある。制御できる分については、最適に制御するべきであり、無為・放置でいるべきではない」という思想だ。たとえば、嵐のなかの小舟は、放置すれば沈没するが、梶をうまく切れば沈没しない。巨大な嵐のなかでは、人間のできることは小さいが、できる限りの最善のことをなすことで、最悪の事態を免れることができる。そういう思想だ。決して、「人為的な方法で嵐をも制御できる」という思想ではない。
 彼は、この違いを、根本的に理解していない。彼の主張しているのは、「嵐のなかでは何もしないのが最善だ/嵐を人為的に制御できる」という二つの思想を示しているだけだ。無知の極み。

 (4) 責任
 「原因はともかく、各人にも責任はある」と彼は主張する。話を取り違えている。
 経済学においては、「誰に責任があるか」なんてことは、問題ではない。そのことは、たしかに、善悪の問題にはなるから、法的に扱うべきであり、裁判で裁くのもいいだろう。しかし、各人をいくら裁いても、不況という事実はどうにもならないのだ。「嵐のなかで船が沈没したのは、船長の責任だ」と主張して、船長を裁判にかけるのは、それはそれでいい。しかし、嵐の最中に船長を裁判にかけても、船が沈没を免れるべきわけではない。それとこれとは別の問題だ。
 人々はいま、「嵐の最中で、船を沈没させないためには、どうすればいいか?」と悩んでいる。人々は、このテーマについて議論している。ところが、彼(小林)は、「船長の責任が問題だ! 船長を裁判にかけよ!」と主張している。そんなことをしていたら、肝心のことがなおざりになり、船が沈没してしまう、ということに、気づかない。
 つまりは、彼は、ただのモラリストであって、経済学者ではないのだ。モラリストがモラルによって経済を語ることほど、危険なことはない。「イスラムの教典に従って、経済を運営せよ」と主張するのと、ほぼ同様である。狂信的とさえ言える。
 そして、狂信者というものは、常にそうだが、「自分だけが絶対的に正しい」と主張して、世間の標準を理解しないのだ。自分が世間の一部であるということを忘れて、自分こそが世界の全部であるかのごとくふるまうのだ。
 それが、今回の尊大な記事である。(ま、「尊大な記事」というのは、朝日の伝統であるから、その伝統に従っている、と見なせば、当然かもしれないが。)

 [ 付記 ]
 より本質的に示しておこう。
 彼は、「自由主義/合理主義」という区別をして、「すべての主義はこの両端の間に位置する」と主張した。実は、これは、間違いである。
 彼の主張によれば、この区別は、「自由放任でよい/自由放任ではダメ」という区別だ。そして、大切なのは、このような境界が存在することではなくて、このような境界が変化することだ。
 好況のときには、この境界が右に移動して、「自由放任でよい」という範囲がひろがる。不況のときには、この境界が左に移動して、「自由放任ではダメ」という範囲がひろがる。こういうふうに、「境界の移動」が起こる。そして、そのことを正しく理解することこそ、マクロ経済学のなすべきことだ。
 マクロ経済学の本質は、「どうこうせよ」ということではなくて、「どうしてそうなるか」を説明することだ。この意味で、マクロ経済学は、真実を解き明かす科学である。
 しかるに、小林ふうの解釈によれば、経済学とは、科学ではなくて、「こうするべきだと論者の主張する主義」つまり「宗教」であることになっている。とんでもない話だ。
 ただ、彼が、このようにとんでもない意見を言い張るのは、不思議ではない。彼の最終的な結論は、「どうしてそうなるか」という真実の探求ではなくて、「誰に責任があるか。誰を罰するか」ということである。これは、科学者の発想ではなくて、法学者の発想だ。
 彼はしょせん、科学者ではない。科学者ではない人間に、「科学的に真実を求めよ」と語るのは、八百屋に、「野菜でなくて数式を探せ」と求めるようなものだ。見当違いと言えよう。
 だから、大切なのは、八百屋が「自分は八百屋であると自覚すること」である。そしてまた、新聞社が「八百屋に数式を売らせるようなこと」をやめさせることだ。
 素人に経済記事を書かせるという、朝日の方針そのものが、根本的な間違いだ、と言えよう。すべての根源は、ここにある。

( ※ 「境界の移動」と述べたが、このことを詳しく科学的に論じたのが、私が近日中に公開する予定の新理論である。具体的に経済学に即した話は、すでにマクロ経済学として述べているが、それはいわば、「応用編」となる。物事の根元的な基礎を探る「原理編」というべきものが、別にある。それが、新理論の示すことだ。)


● ニュースと感想  (9月08日b)

 「小泉と戦国武将」について。
 読売新聞によると、小泉首相は、戦国時代の物語が大好きで、司馬遼太郎の本を何十冊も読んだという。それで、政局・政争のことばかり考えているのだという。(朝刊・政治面・コラム 2003-09-07 )
 なるほど。自民党という小さな器のなかで、「改革派・守旧派」という区別をして、「おれは正義の味方だ」と思って、「敵の武将をやっつけてやる」といういう気概でいるわけだ。
 しかし、そこに欠けているのは、「国全体の規模で考える」という、大きな視点だ。小さなレベルで、「勝った、負けた」ばかりを考えて、「国全体をどう動かすか」という視点が欠けている。
 考えてみれば、朝日もまた、この路線だ。「改革派・守旧派」という区別をして、「改革派の小泉は、守旧派の自民党多数派よりも偉い」と考えているわけだ。そのあげく、「構造改革は正しく、保守は正しくない」と信じているわけだ。

 この点では、中曽根康弘の方が、断然、優れている。彼は、「敵か味方か」なんていう政争をするよりは、「敵も味方にしてやる」という発想で行動した。「敵を排除する」のではなくて、「敵を服従させて敵の力をも利用する」という発想で政治を行った。当然、いつまでも「勝った、負けた」なんていう政争なんかをすることはなく、「国鉄民営化・電電公社民営化」という政治を行った。
 小泉は政争家であり、中曽根は政治家であった。どうやら、器が、全然違うようだ。
 大切なのは、「勝った・負けた」ではない。日本全体をどうするかだ。そのことを理解しない人々が、「構造改革」なんていうスローガンばかりを、いつまでも信じているのである。常にそうだが、スローガンというものは、手を動かさずに口を動かす人々が、大声で唱えるものだ。
 小泉内閣は、二年以上続いて、実績はほとんどなし。しいて言えば、「景気の悪化」だけだ。これほどにも無能であったとは! 私の予想は、悪い方向にはずれてしまった。(最初はいくらか期待していたんですけどね。)


● ニュースと感想  (9月11日)

 「ウィルス」について。
 8月31日 や、それ以前などで、ウィルスについて言及したが、その続き。
 インターネットの有名なサイト「がんばれゲイツ君」で、私の上記の話を紹介してただいたので、付言しておこう。

 どうもMSというのはダメな会社だが、やはり、根本的には、ライバルメーカーがダメすぎるのが原因であると思う。
 たとえば、年賀状ソフトの分野では、MSのシェアは非常に低い。これは、ライバルメーカーが頑張っているからだ。よく調べると、年賀状ソフトは、ユーザーの希望を調べて、至れり尽くせりの機能が付いている。やはり、「ユーザーの意向を重視する」というのを徹底したソフトは、非常に強い。
 ところが、オフィスの分野では、これができていない。特に、ワープロソフトだ。やたらとDTPの機能ばかりを備えて、肝心の文章作成の機能が非常に劣っている。
 実を言うと、MSのオフィスだって、全然優秀ではない。むしろ、非常に劣っている。現在のMS-Wordには「使いにくい、重たい」という悪評がさんざん寄せられている。それにもかからず、このソフトが圧倒的であるのは、他のソフトが輪をかけて、「使いにくい、重たい」というものであるからだ。
 私のパソコンには、一太郎6がインストールしてあるのだが、これはソフトとしては、非常に使いやすい。ただ、このソフトは、昔の Windows 3.1 に対応しているだけだ。だから、「開く」などのダイアログが全然違う形式で使いにくいし、ファイル名も半角8字までしか使えない。このソフトを Windows95 に対応させれば、かなりよいソフトができるはずだったが、ジャストシステムがやったのは、「使いにくい、重たい」という一太郎7以降を開発することだけだった。
 私としては、MSをいくらぶんなぐっても、現状は改善しないと思う。Windows をつぶすためには、Linux の機能をアップするしかない。MSオフィスをつぶすためには、他社のビジネスソフトの機能をアップするしかない。ところが、悲しいかな、そうする気概のあるソフトメーカーが全然ない。彼らの開発しているものとと言えば、「ユーザーにとって使いやすいソフト」ではなくて、「技術者にとって技術的に面白いもの」ばかりだ。
 かくて、困るのは、ユーザーばかりだ。

 ( ※ 「技術者の唯我独尊」と言えば、TRONだろう。ユーザを無視して、開発者の思い込みを、無理やり押しつける。「Windows に似た操作性を取ろう」なんてことは、絶対に考えず、自己流を押しつける。Linux は、それとは正反対だが、いかんせん、現状ではアプリが少ない。しいて言えば、現状では、Mac が唯一の対抗馬かもしれない。しかし、これもまた、「ハードとソフトの一体化」という押しつけをしている。Mac に比べれば、まだしも Windows の方に「ユーザの自由」を認める余地がある。実際、Windows がシェアを取ったのは、Macよりも技術的に優れていたからではなくて、技術的にはずっと遅れていたのにユーザの自由を認めたからであった。TRONと Mac は、どちらもひどい「唯我独尊」だ。……こういう現状を考えると、どれもこれも、帯に短しタスキに長しで、頭が痛くなる。)

 [ 付記 ]
 上記サイトでは、「セキュリティホールに罰金」という案が示してあった。これも悪くはないが、法律上、ちょっと難しい。たとえば、「欠陥自動車を作った」というだけで罰金を科するわけには行かない。
 そこで、ちょっとひねって、「ユーザーがこうむった損害の分を、賠償請求できる」とするといいだろう。現状では、「免責特約」なんてものがあって、否応なく、免責されてしまうので、それをあらためるわけだ。
 これだと、比較的、法制化は無理がないだろう。


● ニュースと感想  (9月12日)

 「セキュリティ・ホール」について。
 Windows にまた、新手のセキュリティ・ホールが出たそうだ。この欠点を突くような、新手のウィルス(MS Blasterのようなもの)も、たぶん出るだろう。
 で、これに対するパッチを当てると、半日つぶれるそうだ。というのは、一箇所だけではなくて、それ以前のサービスパックなども導入するハメになるため。
  → 中村正三郎のページ

 こういうのは、もう、キリがない。やるのは、馬鹿らしい。
 私としては、次の対策をお勧めする。
 (1) 基本的には、「ファイアーウォール」を導入する。
 (2) あれこれやるのが面倒なら、Windows98 に戻す。(もともとそうなら、XP に買い換えない。)
 (3) 根本的対策としては、Windows でネットに接続するのをやめる。ネット接続には、ノートパソコンで対応することにして、それには Linux か Windows98 を入れる。あるいは、もっと軽量の WindowsCE か、Palm などで、メールとブラウザを使う。とにかく、普通の仕事用のマシンでネットに接続するのを、やめる。物理的に、外部と切断する。

 外出する機会の多い人ならば、(3) がいいだろう。どうせ、モバイル・マシンを使うのだから、そちらに統一するわけだ。セキュリティ対策と、モバイル環境の構築とで、一石二鳥となる。
 ついでに言えば、だらだらとインターネットを見て時間をつぶす、という無駄がなくなるから、一石三鳥かもしれない。「楽しみがなくなる」と思うかもしれないが、よく考えれば、インターネットなんてのは、長時間接続すると、人生を無駄にする。だから、使いにくい環境でブラウザを使った方が、かえっていいかもしれない。
 「仕事用のマシンでネット接続すると、いつでも接続できて便利だ」と思うだろうが、実は、それこそが、問題であるわけだ。いつでも気楽に接続できるから、ついつい、インターネットで、無駄な時間をつぶしてしまう。ある程度、ハードルを立てて、接続しにくくした方が、無駄な時間をつぶさなくて済むから、かえって、時間を無駄にしないで済む。
 みなさん! 考えてみてください。これまで、ネットに接続したことで、あなたの人生はどれほど無駄につぶれてきたことでしょう。ま、有益な時間もあったでしょうが、8割以上は、無駄な時間だったはずです。
 われわれにそういう反省をさせてくれるとは、ウィルスというのも、けっこう役立つものなのかもしれない。「ここ(インターネット)は、ゴミ溜めなんだから、こんなところには、あんまり来るな!」とウィルスは警告しているわけだ。

  【 追記 】
 「こんなのでは根本対策にならないぞ」という企業のコンピュータ担当者から抗議が来た。もちろん、企業では、その通り。金と手間と技術のある企業は、金と手間と技術をかけて、セキュリティ対策をしっかりとやるべきだ。上記のような安直な方法では不十分だ。
 上記の安直な方法は、あくまで、金と手間と技術のない個人レベルの話である。もちろん、完璧な安全策ではない。
 だいたい、完璧な安全策など、この世に存在しない。雑誌によると、プロが「これぞ完璧」と思ったシステムを築いたら、結局、MS Blaster に感染してしまったそうだ。LANの内部に自分の感染パソコンを接続した初心者がいたせい。
 Linux や Mac が安全なのは、技術的にセキュリティ・ホールがないからではなくて、ウィルス制作者がこんなマイナーなOSを相手にしないからだ。こういう判断を持てば、これはこれで、けっこう有益な判断をしていることになる。
( ※ Linux の場合は、セキュリティ・ホールがあっても、すぐに解決されるはずだ。この点では、Windows よりもずっとよい。「パッチを当てるのに半日かかる」なんてことは、まず、ありえないだろう。)


● ニュースと感想  (9月18日)

 「日本人と独創性」について。
 「日本人には独創性がない」という説がある。学問でも、芸術でも、経済における商品開発でも、しばしば、そういうふうに言われる。しかし、生物学的に、「独創性のない人種」なんてものが存在するはずがない。そもそも、日本人というのは、人種ですらない。とすれば、「日本人には独創性がない」という説は、正しいのだろうか?
 実は、この説は、正しい。理論的にどうのこうのと論じる前に、歴史的な事実を見れば、判然としている。たしかに、学問でも、芸術でも、経済における商品開発でも、「日本人には独創性が少ない」という事実がある。とすれば、なすべき課題は、この事実を矛盾なく説明することだ。
 解答を言おう。「独創性が、日本人には先天的に欠如している」ということはなくて、実は、「独創性を、日本人は文化的に尊重しない」ということがある。日本人がもともと無能なのではなくて、日本人は無能であることを目的としているのだ。そうなろうとしているから、そうなっているだけのことだ。
 「そんな馬鹿な」と思うかもしれないが、こう言い換えれば、理解できる。「日本では、突出した能力よりも、集団との協調性が重視される」と。こう言えば、すでに世間で何度も指摘されたとおりの話となる。
 大切なのは、「独創性と協調性は矛盾する」ということを理解することだ。企業はしばしば、「独創性と協調性をともに備えた人材を希望する」と語るが、これこそ、「プラスとマイナスの双方の電荷を備えた電子を希望する」というのと同様で、不可能なことを望んでいることになる。経営的には、ど素人の発想だ。
 日本では、協調性が第一であり、独創性は、二の次である。だから、独創性は、重視されない。というか、独創性を備えた人材は、重視されない。それどころか、足を引っ張られて、みんなに引きずり下ろされる。
 企業であれ、人材であれ、「独創性」を身につけたければ、まず、「独創性を尊重する」という態度を備えることが必要だ。ところが、哀しいかな、現状では、そういう態度を備えた人は、数少ない。

 [ 付記 ]
 ついでに、「能力主義」に言及しておこう。
 企業ではしばしば、「能力主義」という方針が提言される。しかし、そこで意味される「能力主義」とは、「できないやつの給料を下げる」ということだけであり、「できるやつの給料を上げる」ということではない。ちなみに、「能力主義」を掲げる会社に、「では、あなたの会社で一番有能な技術者には、いくら払うつもりですか?」と尋ねるがいい。あるいは、「世界最高水準である中村修二を招くとしたら、いくら払うつもりですか?」と尋ねるがいい。断言するが、絶対に、本人を納得させるような金額にはならないはずだ。それが証拠に、中村修二はいまだに国外流出している。
 なお、私が経営者だったら、中村修二を是が非でも招くために、メチャクチャな高給を払うだろう。その代わりに、無能な重役の首を何人か切ればいいだけだ。ついでに、本人にCMに出てもらえば、それだけでCM費用が浮くから、相当の給料を払える。誰にも覚えてもらえいないような無駄なCMを垂れ流すよりも、よほど効果的だろう。
 とにかく、「能力主義」という言葉に騙されてはいけない。それは「できるやつの給料を上げる」ということではないのだ。せいぜい、1〜2割の給料アップにすぎない。それを「能力主義」と呼ぶところに、日本の文化的・精神的な問題がある。
 ただし、例外と言える分野がある。それは、プロスポーツの分野だ。なぜか? プロスポーツの分野では、外国人選手が、高給をとるからだ。とすれば、外国人社員を大幅に導入すれば、日本もそのうち、「能力主義」の給与体制になるかもしれない。……とはいえ、現状では、外国人社員は日本には来ないだろう。現状は、ただの「長時間労働の薄給主義」にすぎないからだ。とはいえ、日本人は、このタコ部屋のような制度を、「能力主義」と呼ぶのである。


● ニュースと感想  (9月19日)

  【 告知 】
 新しいページを公開しました。

   クラス進化論  

 生物学の、遺伝子や進化についての話です。
 非常に重要な知見が含まれています。
 二十世紀の科学観を根底から覆すほどの、衝撃的な内容を含みます。

   ※ 上記のページは、表紙ページです。そこから、リンク先の
     「クラス進化論の概要」というページに飛んでください。


● ニュースと感想  (9月21日)

  【 お詫び 】
 かねて予告していた新しい理論ですが、入力に手間取っているので、またまた予定を延期します。9月下旬の予定。
 内容は、3月に書いたものそのまんまなんですが、どうも、分量が多すぎて、入力が大変です。
 当面は、前々日に公開したページを読んで、暇つぶししていてください。どうせ、いっぺんに両方を読んでも、読み切れないでしょうし。(苦しい弁解。……)


● ニュースと感想  (9月23日)

 「 景気診断」について。
 状況がいくらか変動しているようだ。株価が下がったあとで上がったり、円が上がったあとで下がったり。……そこで、コメントしておこう。こういうことは、景気のどう影響するのか?

 (1) 株価
 「株が上がれば需要が増える」という説がある。もっともらしい説だが、あまりにも漠然としていて、学問的には評価に耐えない。
 正確に言おう。所得を得たならば、一定の消費性向を仮定して、
    消費 = 所得 × 消費性向
 という式から、消費を産出できる。つまり、所得の増加にほぼ比例して、消費は増える。
 では、株価はどうか? 株価が上がれば、所得は増えるか? いや、株価が上がった段階では、まだ株を売っていないのだから、まだ所得は増えていない。
 ここでは、「株価が上がったから、これこれの所得が増えそうだ」という予測に基づいて、消費は増えるだろう。このときの「所得」は、実際の所得ではなくて、「予想された所得」である。「予想所得」というのは、その予想が当たりそうな感じがして不適切なので、「仮想所得」と呼ぶのがふさわしいだろう。なぜなら、株価を売った時点で所得が増えるとしても、全員が株を売れば、株は暴落するからだ。つまり、「株を売れば所得を得る」ということは、一般的には成立しないのだ。(全員が錯覚していて、全員が株を売らずにいるときには、実行できるように見えるが、いざ実行しようとすると、実行は不可能となる。)
 実は、株式投資家も、そのことを漠然とわかっている。だから、「帳簿で1億円の所得を得るはずだから、限界消費性向の 0.5 に従って、5千万円を消費しよう」とは思わない。「まだ不確定だから、とりあえずは、1%ぐらい消費しよう」と思うだけだ。……ここでは、「消費性向」に従っているのではなくて、別の数値に従っている。それを「仮想消費性向」と呼ぼう。
 まとめてみよう。株価上昇で得られる金とは、所得ではなくて、仮想所得である。そのときに支出する割合は、仮想消費性向である。仮想所得がどれほど増えても、仮想消費性向が非常に小さいから、実際に支出される金はごく小さい。
 結局、「株価が上がったぞ。こんなに資産が上昇したぞ」と浮かれていても、それが実際に需要を増やす効果は、ごく小さいわけだ。
 ついでに言えば、株式の所有者のうち、個人資産家の占める割合はかなり小さくて、大部分は法人である。(日本では、だが。)ゆえに、このこともあって、株価上昇が景気回復に果たす効果は、ごく小さい。せいぜい、企業の帳簿を改善することぐらいだろう。倒産の発生を減らして、企業を延命させることはできるだろうが、せいぜい、「景気の悪化を食い止める」ぐらいであり、「景気を回復させる」力はあるまい。
 景気を回復させるには、生産量(GDP)を増やす必要がある。そのためには、総所得を増やす必要がある。現状は、むしろ、その逆である。

 (2) 円相場
 円安になれば、輸出企業の採算性はよくなる。企業がそれによって設備投資を増やせば、景気回復の力は生じる。とはいえ、総需要の6割は個人消費が占めているのだから、設備投資が1割ぐらい増えても、「焼け石に水」に近い。現状が不況すれすれならば、若干の設備投資の拡大でも意味があるが、現状では、とてもその水準にまでは行っていまい。
 現状を理解しよう。現状は、「縮小均衡」である。多くの企業や労働者が倒産・失業という目に遭っていて、残った企業だけがまともな状況に回復しつつある。こういう状況で、残った企業だけが少しばかりいい目を味わっても、全体状況を改善するには至らない。失業している人員が就業できない限り、意味はないのだ。
 たとえて言おう。学校のクラスのうち、餓死寸前が3割であり、最低栄養量でが6割あり、飽食が1割だったとする。ここで、状況がいくらか改善して、餓死寸前が3割のままであり、最低栄養量が6割から5割に減り、飽食が1割から2割に増えたとする。楽観的なエコノミストならば、「見ろ。飽食の黒字企業が、こんなに増えたぞ。状況は改善している。万歳! 景気回復だ!」と叫ぶだろう。しかし、餓死寸前の人々は3割のままなのである。状況がいくらか改善したとしても、危機的状況であることには変わりはない。餓死寸前をゼロにすることが必要なのであり、そうならない限りは、たとえ黒字企業がいくらか増えようと、「景気回復!」とは叫べないのだ。
( ※ 「景気回復」と叫べるか否かは、ゼロ金利という状況を、自然に脱することができるか否かによる。もう少し正確に言えば、金利が2%程度でも経済が自立できるようになったとき、ようやく「健全化した」と言える。)

 (3) 貯蓄率
 「貯蓄がゼロになった過程が全体の2割を超えた」という記事が出た。(朝日・朝刊・3面 2003-09-23 。ネタ元は、金融広報中央委員会 in 日本銀行。)
 これは、調査を始めた1963年以来の珍事で、最悪の状況である。
 「消費しないで貯蓄しているから、景気が悪いんだ。貯蓄を減らして、消費を増やせ。そのためには、予想物価を上げればいい」
 という主張を、マネタリストはしばしば言う。(ミニ・インフレ or インフレ目標。)しかし、彼らの主張の前提そのものが崩壊しているわけだ。手元に金がないのだから、いくら予想物価が上がっても、すぐに消費を増やすことはできない。むしろ、「物価上昇の分、将来の実質所得が減るから、当面は消費を減らす」という効果しか出ない。
 なお、この調査によると、平均貯蓄額が減っているほか、二極分化も進んでいるという。金持ちは貯蓄をどんどん増やし、貧乏人は貯蓄をどんどん減らす。消費性向は、金持ちは低くて、貧乏人は高いのだから、二極分化が進むと、全体の消費性向はどんどん下がることになる。

 (4) 見かけの景気回復
 あらゆる状況は、本質的には、「景気回復をしない」ということを示している。では、なぜ、株価は上がっているか? この件は、前にも述べたことがある。 ( → 7月04日
 要するに、日銀の円安政策のせいである。円安介入をして、ドルを買い、大量の円を投入する。投入された円は、外国人の手に渡り、外国人が円を日本に戻して、日本の株を買う。かくて、株価が上昇する。それに釣られて、日本人も株を買う。やがて、円高になったとき、外国人は株を売る。株が上がっているので、株式でいくらかもうかるが、それを除いても、円安のときに円を買って、円高のときに円を売るから、為替差益を得る。そして、彼らの為替差益の分だけ、日銀は手持ちのドルで為替差損をこうむる。結局、巡り巡って、日本人が外国人投機家に、大量の金をプレゼントしているわけだ。
 新聞記事には、「景気回復の先取りで株価が上昇している」という観測記事が出ているが、とんでもない妄言である。これではまるで、「景気回復は確実だから、株価が上昇するのは当然だ」と言わんばかりだ。とんでもない。株価が上昇しているのは、景気回復が予想されているせいではなくて、ただの思惑による投機のせいである。外国人投資家が、円高にともなって手を引けば、あっという間に、株価は暴落する。
 株価上昇は、あくまで、「見かけの景気回復」を意味しているだけだ。

 [ 余談 ]
 余談だが、「株式投資をしてはいけない」と言っているわけではない。「株は投機だ。ギャンブルだ」ということをわきまえているのであれば、ギャンブルをするしないは、当人の勝手である。それで儲かる人も、たくさん出てくるだろう。
 ただし、本質的には、(短期の)株式投資は、「ゼロサムゲーム」である。そのことをわきまえておこう。「株式投資は大切だから、生徒に教育しよう」なんていう主張もあるが、馬鹿げている。ゼロサムゲームなのだから、全員が得することはありえない。こういうのは、「全員にサイコロやルーレットのギャンブルを強制しよう」というのと同じで、狂気の沙汰である。子供に教えるべきことは、ゼロサムゲームのやり方ではなくて、サムを増やす方法である。つまり、「真面目に生産する」という方法だ。 ( → 4月01日b [ 付記 ])
 なお、ゼロサムゲームにおけるコツを、教えておこう。「知力を発揮して、他人よりもうまく立ち回る」ことを考えている人が多いようだが、そういう人は、たいていは、間抜けであり、いいカモである。ゼロサムゲームにおけるコツは、イカサマだ。たいていの人は知らないだろうが、トランプのギャンブルをやるとき、思いもよらぬ方法で、うまくイカサマをやる方法が、手品師の間では知られている。株式だって、似たり寄ったりだ。インサイダー取引なんてのは、イカサマとしては、ほんの序の口だ。なお、イカサマの集団がいっぱいいるところを、デリバティブ市場という。引っかかって金を巻き上げられるカモが、非常に多い。( → 2月12日 [ 付記 2 ])
 だから、学校教育の場で、株式投資の方法を教えるのならば、まず、イカサマの方法を教えるべきだ。そうすれば、次の試験では、生徒の成績が急上昇するだろう。誰も何も勉強しなくても、全員がイカサマで満点を取るかもしれない。
( ※ ついでだが、一番のイカサマ師は、政府である。「ギャンブルはゼロサムですよ。ただちょっと、税金がかかるだけです」と見せかけて、莫大な金をこすねる胴元となっている。)


● ニュースと感想  (9月28日)

 クラス進化論について、「わからない」という声が多いようなので、初歩的な解説のページを追加しました。「早わかり」というページです。なお、表紙は、下記。

   クラス進化論のページ  


● ニュースと感想  (10月04日)

 「横断の島」について。
 日本人の頭がいかに硬直しているか、ということを指摘した本がある。「イギリスはおいしい」という本で有名な林望のイギリス批評の一つ、「ホルムヘッドの謎」(文春文庫)である。彼我の文化の違いをいろいろと指摘しているが、これを読むと、イギリスの合理的な思考に比べて、日本人というのがいかに硬直した思考をもっているか、よくわかる。
 その典型的な事件が、またしても起こった。「開かずの踏切」という事件だ。(読売新聞・夕刊・1面 2003-10-03 )
 記事によると、1時間も開かない踏切があり、駅周辺の住民が大迷惑を受けているという。なぜ急に、「開かずの踏切」になったか? 工事のため、仮設線を敷設した。それまでは、上りと下りの複線があり、これを渡るには10メートルを要した。上りと下りの双方の電車が来ない時間に、踏切が開いた。(上 ∧ 下。)ところが、今度は、上りと下りと仮設線の3線すべての電車が来ない時間が必要である。(上 ∧ 下 ∧ 仮。)渡るためには28メートルを要するから、3線とも電車の来ない時間がたっぷりと時間のあることが必要だ。30秒ぐらいの短時間では不足であり、1分以上が必要だ。そういうことは、1時間にいっぺんぐらいしか、起こらない。ゆえに、1時間も、「開かずの踏切」となる。
 「しょうがないでしょ。我慢して」とJRは主張する。馬鹿丸出しである。いかに合理性を欠いた思考法であるかは、先の本(74頁)を読むとわかる。

 イギリスでは、太い道路を渡るとき、上りと下りの双方が空白になる時間を待つことはない。そんなのは、馬鹿げている。では、どうするか? 太い道路の中間に、「島」を作るのである。はるかな昔、路面電車が走っていたころには、停留所が道路の中央にあったが、それと同様である。「島」は、歩行者の安全を図るため、次のような感じになっている。つまり      の部分に、柱または壁のような形の、頑丈なガードが建ててある。


         ◯ →
────────  島   ────────
          ←   ◯ 


 自動車が  ◯  のように、両方向に往来している。片方の路線の自動車が空白になった時点で、歩行者は片側を渡って、島にたどりつく。そこでしばらく待ったすえ、もう片方の路線の自動車が空白になったら、もう片方を渡る。つまり、途中は、島で待っているわけだ。これだったら、何十分も待っている必要はない。片方だけが空白になればよく、両方が空白になる必要はないからだ。また、両側を渡りきる時間は必要なく、片側だけを渡りきる時間があればいいからだ。

 今回の踏切工事でも、同様だ。途中に「島」を作れば、済む問題だ。そのためのスペースは、たっぷりとあるのだから。
 日本人というのは、「自分たちは合理的だ」と自惚れている人々が多いが、実は、社会のあらゆるシステムが、非合理的である。イギリス社会と比べると、いかに非合理な未開社会であるか、上の本を読むと、よくわかる。
 住民を一時間も待たせるというのは、人々の人生を奪うということだ。殺人というのは、人の五十年ほどの人生を奪うことだが、たくさんの人々から少しずつたくさんの人生を奪えば、それはやはり殺人と同じことなのである。そして、そういうことを平気でしていて、少しも悪びれないでいる輩が堂々とのさばっている。
 これを未開人社会と呼ばずして、何と呼ぼう。われわれは、他人の人生を奪う人食い人種と、さして変わらないのである。知性の欠如と、倫理の欠如。

( ※ 知性がないだけなら、橋か地下トンネルを造るべきであった。それさえもしないのだから、「自分の金を失いたくないから、他人の金を奪う」というふうにしていることになる。泥棒だね。)


● ニュースと感想  (10月05日)

 かねて予告していた新しい理論である「秩序理論」を、部分的に公開します。
   → 「秩序理論 1
 ( ※ 分量は、最初の2割だけ。入力するのが面倒なので。)
 ( ※ 今月は超多忙なので、このあとしばらく、お休みです。)


● ニュースと感想  (10月08日)

 前項の解説。
 前項では、「秩序理論」を示した。この理論の本質は、「不連続性の科学」である。不連続的な現象の原理を明らかにする。
 「そんなことを知って、何がわかる? あまりにも特殊かつ抽象的すぎて、ちっとも役立ちそうもない」と思うかもしれない。しかし、そうでもない。非常に役立つことがある。

 実は、「進化とは何か?」という問題の解決は、この理論の副産物であった。この理論の原理に基づいて、「進化とは何か?」を考えると、「クラス進化論」という、新しい理論が生じたのである。
 「進化とは何か?」という問題は、これまで、まったく未解決だった。「自然は連続的に変化する」という素朴な信念のもとで、「進化とは連続的に起こる現象だ」と主張するダーウィン説を信じてきた。しかし、ダーウィン説に従えば、あまりにも多くの矛盾が発生するのである。(インターネット上で探すと、ダーウィニズムの問題の指摘がいっぱい掲載されている。)
 これまでの進化論には、問題があった。しかし、問題があるとわかっても、解決する方法がなかった。解決するための「とっかかり」さえ、なかった。どういう方向から攻めていけばいいかも、わかっていなかった。
 この問題を解決したのが、「クラス進化論」である。クラス進化論は、「進化は不連続的な現象である」ということを、理論的に明かした。
 そして、「クラス進化論」の発想の根拠は、「秩序理論」であったのだ。その理由は、次の箇所でわかる。
  ( → クラス進化論の数学的な原理の説明

 [ 付記 ]
 「秩序理論は、そんなに強力なのか。じゃ、おれも、秩序理論を勉強すると、他の分野で、画期的な業績を上げることもできるかな?」と思うかもしれない。たしかに、その通り。その可能性は、十分にある。……ただし、経済学と進化論は除く。この二分野については、私がもうやってしまった。それ以外の分野ならば、可能性はある。(ただし、ナッシュ均衡型の不連続性が現れる現象に限るが。自然科学の世界では、あまり多くないだろうが、社会科学の分野では、ひんぱんに見られるはずだ。)
 なお、手っ取り早く、世界レベルの論文を書く方法はある。それは、クラス進化論の方法に従って、進化をシミュレーションすることだ。「進化をコンピュータでシミュレーションする」という論文はいっぱいあるが、どれも、失敗してきた。元の理論(ダーウィニズム)がダメだから、ダメな理論に従ってシミュレーションをしても、うまく行かないのである。しかし、クラス進化論の方法に従えば、必ず成功するはずだ。
( → シミュレーションの方法
( → クラス進化論の方法で進化を実証した例 : 人為淘汰


● ニュースと感想  (10月09日)

 「シュレーディンガーの猫」のページの最後に、新たな話を追加した。「ナンドウの猫」の話。

   → シュレーディンガーの猫


● ニュースと感想  (10月12日)

 クラス進化論 のページに、 メンデルの法則 の話を追加。

 学問の世界というのは、きれいで澄みきっているように思われることもあるが、本当は、ごちゃごちゃで、濁っているのだ、……という話。


● ニュースと感想  (10月14日)

 「セーフティ・ネット」と「 e-Japan 」について。
 セーフティ・ネットにせよ、e-Japan にせよ、ひところは大騒ぎしたものだが、今ではもうすっかり耳にしなくなった。人々は忘れてしまったのかもしれないが、思い出した方がいいだろう。過去の自分を知って、恥を知るのは、良いことだ。選挙の前に、「私たちに任せれば必ず成功します」なんていう公約(マニフェスト)を出している与野党の政治家の顔に、冷や水を浴びせる効果がある。

 「雇用助成金は効果がなかった」という記事がある。「たいていの助成金は、使い勝手が悪くて、利用率が極端に低い。かといって、使い勝手のいいのは、不正受給が多発して、逮捕者が続出」という記事だ。(朝日・朝刊・1面 2003-10-13 )
 こういう馬鹿らしさを指摘するのもいいが、肝心な指摘が二つ、抜けている。「これはセーフティ・ネットという言葉で大々的になされた」という指摘と、「景気回復効果はゼロだった」という指摘だ。つまり、「税金をドブに捨てた効果だけがあった」ということだ。
 セーフティ・ネットについては、私はかねがね、批判していた。特定の困窮者だけに、大金をつかみ金で与えても、何の意味もない。今にも死にそうな人に「福祉」として金を与えるのならともかく、「景気回復」という経済効果を狙ってやるのならば、愚の骨頂である。特定の人々に金を与えて、その分、他の人から金を奪う、というだけのことだ。大切なのは、国民全員に金を与えることであり、逆に、一部の不心得者だけに金を与えて、国民全体から金を奪うのでは、景気悪化効果しかないのだ。
 たとえば、発泡酒の増税とか、社会保険料の値上げなどで、国民全体から、多額の金を奪った。そうして奪った金を、偽装倒産や偽装失業などをした不心得者や暴力団関係者に、何千億円も与えた。こんなことをしても、景気対策になるどころか、景気悪化効果しかない。
 セーフティ・ネットというのは、与党も、野党も、朝日などのマスコミも、さんざん主張していたことだ。しかし、その結果が、このていたらくだ。彼らは、過去の自分の主張を、思い出すべきだ。そして自己の主張について検証するべきだ。

 「 e-Japan 」なんていう詐欺みたいな夢物語も、同様だ。「ハイテクやコンピュータ産業を発展させて、景気回復」なんていう馬鹿げた夢物語を、多くの政治家が言っていたし、サプライサイドの経済学者も言っていた。その筆頭が、竹中と小泉だろう。
 彼らは、2年前に自分が何を言っていたか、思い出すべきだ。「2年前は2年前。今は別の嘘を付けばいい。そうしてどんどん嘘を変えていけば、自分の地位は安泰だ」とでも思っているのだろうか。
 せめて、マスコミぐらいは、「2年前に政治家はこう言っていた」という検証をしてほしいものだ。とはいえ、彼らも、2年前には、「セーフティ・ネット」だの「先端技術による構造改革」だの、同じことを言っていたのだから、同じ穴のムジナではあるが。

 [ 付記 ]
 2001年後半〜2002年初頭にかけての、政府やマスコミや経済学者の主張を、今になって検証してみると、けっこう笑える。よくもまあ、あれだけデタラメを言っていたものだ、とわかるだろう。
 ただ、そういう彼らが、過去をケロリと忘れて、自分について反省もせず、新たな嘘を突き通している、というのも、まったく笑える話だ。笑いすぎて、悲しくなる。阿呆が自分を阿呆と認識できず、過去の自分を他人のように思っているのだから、まったく、どうしようもない。
 彼らに言っておきたい。真実を知りたければ、まず、過去の自分の誤りを認識するべきだ、と。それなくしては、決して、正しい道を歩むことはできない。「無知の知」こそ、真実への第一歩なのだ。自分が無知であることに気づかない限り、永遠に闇のなかをさまようしかない。


● ニュースと感想  (10月17日)

 「マスコミの報道」について。
 所沢の野菜のダイオキシン濃度についてテレビ朝日が誤報したことについて、最高裁が「責任あり」と判断した。(2003-10-16 夕刊・各紙)
 これについて、マスコミから、「報道が萎縮する」とか、「真実性をいちいち検証するのは困難だ」とかいう反論が出ている。特に、朝日がそうだ。しかし、こういう態度は、物事の本質を見失っているので、指摘しておこう。
 確実だと判明していないことを報道したり、真実ではないが危険性のあることを警鐘のために報道することは、たしかに、必要だ。しかし、今回の問題は、そういうことではない。まったく別のことだ。
 ここで批判されているのは、「マスコミの驕(おご)り」である。「おれは偉いんだ。だから愚かな世間ために情報を伝えてやる」という姿勢だ。あるいは、「おれの主張は絶対正しいから、おれの主張で世間を変えてやる」という姿勢だ。今回も、「ダイオキシンは有害だから、この危険性を大々的に報道しよう」という方針が最初にあった。そのせいで、「真実を報道する」という真実重視の姿勢は失われ、「針小棒大に誇張して伝えればいい」という嘘による洗脳重視の姿勢になった。かくて、検証もしないまま、あえて世間を騒がせようとして、虚偽の報道をした。
 実は、こういう姿勢は、ワイドショーでは日常茶飯である。そういう姿勢を、一般のニュースにまで持ち込んだ結果、今回の虚偽報道が生じたわけだ。マスコミの姿勢そのものに、根元的な理由があるわけだ。

 [ 付記 ]
 この姿勢は、米国のブッシュにも共通している。イラクには大量破壊兵器などは存在しなかった。にもかかわらず、「ある、ある」と針小棒大に誇張して伝えようとした。かくて、自分の政治思想によって事実を曲げて伝えるという、虚偽の情報伝達をした。そうやって、戦争に持ち込んだわけだ。
 ブッシュの方針も、テレビ朝日の方針も、まったく同根である。真実を無視して、自分の伝えたいように事実をねじ曲げて伝える、というわけだ。
 なお、この態度が身に染みついているのが、朝日新聞だ。だから、今回も、朝日新聞はしきりとテレビ朝日の肩を持っている。ま、その気持ちは、わかる。同病相憐れむ、だろう。もちろん今回も、「マスコミは真実の報道という目的を忘れてはならない」なんてことは主張せずに、「嘘でもデタラメでもどんどん報道して、国民を一定方向に洗脳しよう」と主張するだろう。「マスコミの使命とは、真実の報道ではなくて、われわれが正しいと信じることの報道だ」と彼らは信じている。……ブッシュにそっくり。

  【 追記 】
 もう少し補足しておこう。
 何が問題かというと、「真実性の確認が不足している」ということではなくて、「情報操作をしている」ということだ。
 朝日の社説では、誤報しても効果があった、としきりに弁護している。「ダイオキシン汚染に警鐘を鳴らした報道の意義を否定することはできまい。……この報道をきっかけに、ダイオキシン対策法ができ、大気中に排出されるダイオキシンの総量規制が導入されるなど対策が進んだ。所沢のダイオキシン濃度も大幅に下がった」と。
 しかし、これは、結果論だ。結果論で弁護するなら、ブッシュも同様だ。「大量破壊兵器は見つからなかったが、フセイン独裁体制を崩したぞ。だから、大量破壊兵器があると嘘をついて、イラク戦争を始めたのは、正しかった」と。
 どちらも結果論で、「何らかの点で有効であった」と弁護している。これを「盗人にも三分の理」という。
 彼らはしきりに、論点をずらそうとする。ゴマ化されてはならない。三分の理が問題ではないのだ。泥棒は、泥棒自体がいけないのであって、「泥棒によってこれこれの効果があった」などということは、弁明にならないのだ。
 今回の核心は、「情報操作」である。「自分がこういう方向に世間を誘導したい」と思って、そのために、好都合な情報ばかりを選択しようとして、頭にフィルターをかけ、そのあげく、情報にもフィルターをかける。かくて、「真実の報道」を歪める。── そこが問題なのだ。
 朝日はそこを理解していないから、「情報操作」ということすら理解していない。たとえば、「野菜と煎茶を間違えたのは、正確さが不足していた」などと言う。話を取り違えてはならない。食品の種類を誤報することなど、ちっとも問題ではない。白菜が汚染されていようと、キャベツが汚染されていようと、消費者にとってはどちらも危険であり、そんなことの違いなど、まったく問題ではない。では、何が問題か? 「煎茶は乾燥食品だ」ということだ。乾燥食品では、水分が飛んでいるゆえに、重量比での成分が多く表示される。生の茶葉に比べて、煎茶では水分が百分の1だとすれば、重量比での成分は百倍に表示される。この手でよく使われるのが、「海苔は栄養が最も多い」という宣伝だ。海苔は水分がほとんどないから、重量比では、栄養素が百倍ぐらいに多く表示される。だから、「海苔は最も栄養の多い野菜だ」などと宣伝されることがある。もちろん、無意味だ。白菜を百グラム食べることならばあるが、海苔や煎茶を百グラムも食べることはないからだ。
 とにかく、ここでは、「生野菜と乾燥食品を同列に並べて比較する」ということが問題となっている。水分を減らすことで、実際の濃度の百倍ぐらいに多めの表示をする。そこが問題なのだ。結局、ここでは、「誤報したこと」つまり「種類を取り違えたこと」が問題なのではない。「データを百倍に誇張したこと」つまり「なかったことを、あったと報道したこと」つまり「情報操作した」ことが問題なのだ。
 そのことから目を逸らそうとしている朝日の社説は、これもまた、一種の情報操作である。騙されないように、注意しよう。
( ※ 私は何度も、朝日の批判をするが、別に、朝日の悪口を言いたいわけではない。「朝日のことは何でも嫌い」といって、あれこれと揚げ足取りをしているわけではない。私が問題としているのは、ただ一つ、朝日の体質である。「情報操作して、世論を一定の方向に導こう。真実の報道なんて、くそ食らえ」という体質だ。この一点だけを、何度も問題にしている。私が朝日批判を何度も繰り返すとしたら、朝日がそういう体質の記事を何度も掲載するからだ。辟易するようなことを何度も繰り返しているのは、私ではなく、朝日である。)
( ※ もう一つ気にくわないのは、朝日が善人面して、誰からも批判されないことだ。ブッシュが情報操作して戦争を始めたとわかれば、世論から袋だたきにされるのに、朝日が情報操作しても、世論はちっとも批判しない。だから、私がかわりに、孤軍奮闘しているわけだ。「月にかわって、お仕置きよ」と。)


● ニュースと感想  (10月18日)

 前日分に加筆した。
  → [ 追記 ]


● ニュースと感想  (10月19日)

 生物にとって、「愛と性の本質は何か?」という話。
  → クラス進化論 「愛と性の本質」


● ニュースと感想  (10月20日)

 「インフレとデフレ」について。
 朝日に対照的な二つの記事が出た。小林慶一郎の「景気対策」案と、海外面の「アルゼンチン経済」情報だ。(2003-10-19 朝刊)
 小林慶一郎は、「金融システムを健全化せよ(そうして投資を拡大せよ)」とか、「構造改革を進めよ」とか主張している。「金融重視のマネタリスト政策」と「供給重視のサプライサイド政策」の合体であり、古典派丸出しだ。
 さて。この方針は、アルゼンチン経済に対しては、ぴったりだ。アルゼンチン経済は、供給能力がひどく損なわれている。企業もダメだし、金融もダメだ。投資の拡大と、企業の体質強化と、金融の健全化が必要だ。ここでは、小林の方針がぴったりだ。彼の方針は、超インフレ対策としては、最適なのである。
 ところで、今の日本は、超インフレか? いや、逆に、デフレである。足りないのは、供給力ではなくて、需要だ。ここで、彼の主張する「供給拡大策」を取れば、どうなるか?もちろん、とんでもないことになる。
 インフレ状態には、インフレ対策をするべきだ。デフレ状態には、デフレ対策をするべきだ。なのに、デフレ状態に、インフレ対策をするのが、小林の案だ。
 「火事を消すには、水をぶっかけて、正常化しろ」という方策がある。これは、火事に対しては、正しい。しかし、同じ方策を、おぼれかかっている人に向けて取れば、どうなるか? アップアップしておぼれかけている人に、頭と口の上から水をぶっかければ、水死するだけだ。
 火事で焼け死にそうな人も、海で水死しそうな人も、どちらも死にかけているという点では同じだ。超インフレ(正しくはスタグフレーション)で失業者が続出している状態も、デフレで失業者が続出している状態も、どちらも失業者が続出しているという点では同じだ。しかし、表面的な「悪化した状態」という点だけにとらわれて、その本質を見失うと、「火事で死にそうでも、水死しそうでも、どっちも同じだ」という結論を出しがちだ。
 今回の朝日の二つの記事は、経済学的な無知はどういうものかということを、如実に示している。こういう無知は、国家を救おうとして、逆に、国家を泥沼の底に引きずり込むのである。


● ニュースと感想  (10月22日)

 「新聞記事における日本語」について。
 新聞ではときどき、「正しい日本語」というような特集が出る。それはそれで、好ましい内容だ。ただ、それは別として、新聞記事自体に、変な日本語を使うのを、やめてもらえないだろうか?
 特にひどいのが、朝日だ。「ですます」体と「だ」体を、チャンポンで使うことがある。たとえば、見出しのあとのリードは「ですます」体にして、その後の記事本文を「だ」体にする。あるいは、普通の書評記事を「だ」「である」体にして、そのなかの一つだけを「僕は……だよね」なんていう口語体にする。── いずれにしても、文体がチャンポンであり、非常に気持ち悪い。日本語としての最低限の感覚を失っており、狂気的ですらある。読まされる読者としては、新聞社の狂気が伝染しそうになって、非常に気分が悪い。
 念のために言っておくが、「ですます」体や口語体を使うこと自体を問題にしているのではない。たとえば、投稿欄や、ジョークコラムや、社外執筆者のコラムでは、そこだけ口語体になることもある。これはこれで、問題はない。そこだけが区別されているし、発言者も別であることが明示されているからだ。ところが、一つの記事のなかや、一つの特集のなかで、文体をチャンポンにするのは、不統一であり、錯乱的であり、狂気の沙汰だ。
 もう一つ、念のために言っておこう。同じ文章のなかで、「ですます」体と「だ」体をチャンポンで使うことは、作家の文章にもある。また、私の文章にも、ある。しかし、こういうことは、いい加減にチャンポンにしているのではない。ここでは非常に高度な文章技術を使っているのだ。そういう高度な技術を持たない素人が、勝手に文体をチャンポンにするのは、いわば、料理の基礎も知らない素人が、高価な調味料を使うようなもので、料理全体を台無しにしてしまう。食わされる客は、たまったもんじゃない。「独りよがりな料理を食わせるな。まずくて、吐きそうになる。金返せ!」と叫びたくなる。
 ついでに、言っておこう。朝日の記事の見出しは、下手なダジャレが多すぎる。いわゆるオヤジギャグだ。担当者は得意になっているのだろうが、99%は下手くそであり、まったく寒くなる。夏に書くのならば省エネになるが、これからは寒い冬になるのだから、やめてほしいものだ。

 [ 付記 ]
 ときどき思うのだが、朝日はどうして、自社の部数を減らす努力ばかりしているのだろう? そしてまた、私はどうして、朝日の部数を増やす忠告ばかりしているのだろう?


● ニュースと感想  (10月22日b)

 「新聞におけるカタカナ語」について。
 「新聞でカタカナ語の乱用を避けよう」という記事が出た。これこれのカタカナ語は、これこれの日本語に言い換えよう、という趣旨。(読売新聞・朝刊・新聞特集・2003-10-20 )
 これはこれでいい。ただ、アドバイスしておこう。このような言い換えは、いちいち考えなくても、コンピュータで自動化できる。ATOKの自動補正機能を使えばいいのだ。
 この機能は、標準でも備わっていて、たとえば、
      けいきちょう
 と入力してから、変換すると、「経企庁」になるだけでなく、おまけを付けて、
      経企庁  《 → 内閣府 》
 というふうに忠告してくれる。
 この機能に自分で単語を追加すればよい。たとえば、
      アイデンティティ  《 → 自分性 》
 というふうに忠告させればよい。また、「自動置換」のチェックを入れておけば、カッコ内の語に置き換えることができる。たとえば、「あいでんてぃてぃ」と入力したあと、
      アイデンティティ  《 → 自分性 》
 と表示される。あとは、キー操作により、「自分性」と出力される。
( ※ 具体的な設定方法は、ATOKのヘルプで、「コメント」(登録)の箇所を参照。また、このための設定ファイルを用意しておけば、多くの単語を一括して登録できる。)

 [ 付記 ]
 カタカナ語の語尾の長音は、どう書くべきか? たとえば「アイデンティティ」と「アイデンティティー」だ。この問題は、簡単だ。次のようにする。
  ・ 縦書きでは、長音なし。「アイデンティティー」
  ・ 横書きでは、長音あり。「アイデンティティ」
 理由は、長音記号「ー」を、ダッシュの「−」「─」と区別するため。
 ついでだが、数字の「1」は、縦書きでは使うべきではない。特に、「1人」なんて書いて「ひとり」と読ませるのは、誤用である。、「いちにん」と読ませるならともかく。
    ○ 「私一人で行きました」
    × 「私1人で行きました」
    △ 「参加者数は1人です」


● ニュースと感想  (10月23日)

 「ウイルス対策」について。
 コンピュータのウィルスが蔓延(まんえん)して、なかなか解決しない。「マイクロソフトはしっかり対策せよ」との声も強いが、マイクロソフトは、やる気も能力もないので、とても解決しそうにない。困ったことだ。そこで人々は、「困った、困った」と大合唱をしているが、大合唱しても、解決はしない。
 そこで提案しよう。それは「善玉ウィルス」だ。悪さをする悪玉ウィルスを検知して、自動削除するような、善玉ウィルスを伝染させればよい。そうすれば、あちこちで被害が続出する問題を、ある程度、防ぐことができる。
 ただし、現状では、善玉ウィルスは違法である。許されていないし、バレれば逮捕される。たとえて言えば、警官が殺人犯をぶんなぐって逮捕するのは当然だとしても、市民が殺人犯をぶんなぐって逮捕すると「暴行罪」で自分が逮捕されてしまう。「正当防衛」が成立するのは、被害者だけであり、第三者には同様のことは成立しないのだ。
 だから、この件を、法律的に対処することが好ましい。善玉ウィルスを合法化するべきだ。
 なお、善玉ウィルスを作るにしても、一般人がやるとろくなことはない。だから、IPAあたりが担当して、ウイルス対策ソフト会社あたりに外注して、公式に善玉ウィルスをばらまくといいだろう。万一、善玉ウィルスが悪さをする可能性もあるだろうが、その場合は、善玉ウィルスを削除する新たな善玉ウィルスをばらまけばよい。また、そもそも、善玉ウィルスには、有効期限を設定しておいて、1週間後には自動消滅(自殺)するようにしておけばよい。
 善玉ウィルスが1種類だけだと、ウィルス政策をする悪人は、「善玉ウィルスを殺す悪玉ウィルス」を作成するだろう。だから、善玉ウィルスは、何種類も作ることが好ましい。少なくとも、ファイル名ぐらいは変えるべきだ。

 [ 付記 ]
 「マイクロソフトはしっかりするべきだ」という意見もあるが、マイクロソフトが何をどうしようと、ウィルスは必ず次から次へと出てくる。特に、メールで感染する添付ファイル形式のは、始末に悪い。これはマイクロソフトの欠陥とは何の関係もなくて、OSの正常な機能を使って悪さをするからだ。
 実を言うと、現在のウィルスは、技術的には、かなり単純なタイプだけである。ウイルス対策ソフトで、簡単に削除できる。しかし、である。ウイルス対策ソフトでは削除しにくいタイプの強力なウィルスも、原理的には作成できる。どうやって作成するかは、公表するとまずいことになるので、私としては黙っているが、将来的には、きっと、こういうタイプの強力なウィルスが登場するだろう。
 無差別的に犯罪をするウィルスに対しては、こちらが手ぶらでは、自己防衛のしようがない。目には目を。ウィルスにはウィルスを。敵が無差別的にマシンを殺しまくるのであれば、こちらとしても無差別的に悪玉ウィルスを殺しまくるしかない。さもなくば、社会全体のシステムがマヒしかねない。
 私がこう言うと、きっと反対者が出てくるだろう。「いくら相手が悪玉だからって、こちらも同じことをしていいということにはならない」と。これはいかにも善人づらをした意見だ。そして、彼らの意見を聞いて、「ふむふむ」と人々が納得していると、その隙に、強力な悪玉ウィルスが蔓延して、社会をマヒさせるだろう。
 ビン・ラディンは、「日本は、敵だ。米国に追従して、イラクの無実の民を殺す悪魔だからだ」と言って、日本を攻撃目標に据えた。彼はそのうち、日本の社会をマヒさせようとするかもしれない。その際、彼の仲間はきっと、善人づらをするだろう。「善玉ウィルスをばらまくなんて、けしからん!」と。そしてこっそり、悪玉ウィルスをばらまくのである。

 [ 補足 ]
 実を言うと、この「善玉ウィルス」とよく似たものは、すでに実用化されている。それは、プロバイダの「ウィルスチェック自動サービス」という機能だ。この機能を利用すると、ユーザに断りもなく、勝手にどんどん悪玉ウィルスを削除する。プロバイダのサービスとユーザのパソコンを一つのシステムとして、まとめて認識すれば、「プロバイダのサービスは、善玉ウィルスとほぼ同じことをやっている」とわかる。
 ただ、プロバイダのサービスは、有料であるし、利用しないこともできる。そこが根本的に異なる。そして、そういうふうに限定が付いているせいで、ウィルスは「しめしめ」とばかり、増殖できるのである。

  【 追記 】
 MS Blaster などの不正アクセスをするウィルスに対処するには、ファイアーウォールソフトが必須である。WindowsXP には、「パーソナル・ファイアーウォール」という簡易版のものがあるが、これは、機能が低いし、設定がしにくい。しかも、機能不十分(もしくはセキュリティ不全)のせいで、ウイルスが侵入してしまったらしいという情報もある。
 というわけで、単体のファイアーウォールソフトが好ましいが、たいていは、有料だ。ただし、無料のソフトもある。雑誌の「ウルトラ ONE」12月号で推薦されていたので、紹介しておく。
     → Outpost Firewall
( ※ ただし ver 1.00 のみ。 ver 2.00 は有料。)
( ※ このソフトは、日本語専用ではなく、多国語対応なので、最初の設定時に、言語を「Japanese」にしておく必要がある。その他、細かなことなどは、上記の雑誌を読むといいだろう。)
( ※ このソフトについて、インターネット上で検索してもいいだろう。検索語は、「Outpost-Firewall」である。……一般に、英語で2語以上の連結した語を検索するには、語と語の間に、ハイフンを入れるとよい。さもないと、AND 検索になってしまう。)
( ※ ルータまたはルータ型のモデムがあれば、ファイアーウォール機能はすでに備わっているので、あらためて単体ソフトで[二重に]設定する必要はない。)


● ニュースと感想  (10月23日b)

 「要約筆記ソフト」について。
 講演者やアナウンサーが口頭で語った言葉を、パソコンで入力する、という作業がある。これは、欧米語では簡単だが、日本語では「カナ漢字変換」という手間がかかるので、かなり面倒である。(変換なしで、漢字を直接入力する方法もあるが、特殊すぎて、一般向けではない。)
 そこで、うまい方法を提案しよう。それは、「入力と変換の分離」である。一人がどんどんカナ入力をする。そのカナを、別の人が、漢字変換する。この場合、特別なソフトを利用して、次のように進む。
  1. 1台のパソコン(A)で、カナ入力する。
  2. 入力したカナデータを、別のパソコン(B)に渡す。
  3. 別のパソコン(B)では、受け取ったカナデータを、未確定状態として扱う。
  4. そこで、さらに変換・確定の作業をする。
 このソフトは、1台のマシンで使うソフトではなくて、複数のマシンで協力して使うソフトである。普通のソフトとはまったく異なる概念で利用される。こういうソフトは、画期的な分野を開拓するから、この分野で先行すると、他の商品でも先行できるだろう。特に、企業分野では、複数の人間が同一業務を分担できるので、チーム作業や会議などに、非常に有効である。
 上記のソフトは、「電子会議ソフト」として利用すると、かなりの売上げが見込めそうだ。高額であっても、企業はきっと買ってくれるはずだ。

 [ 付記 ]
 上の箇条書きで、別のパソコン(B)は、1台でなく、複数で分担してもいい。たとえば、入力者が句点「 。 」を入力するたびに、センテンスを、二つのパソコン( B1 と B2 )に、交互に割り振る。受け取った方は、自分の担当するセンテンスだけが、着色表示されて、変換可能となる。別人が担当する方は、反転表示され、当人が変換するたびに、自動的に確定されていく。
 こういうことをソフト的にやるには、かなり面倒である。だからこそ、こういう分野で先行すると、先行者利益を得ることができるはずだ。
 一般に、誰にでも作成できるような簡単なソフトは、すべて、フリーソフトになってしまうだろう。作成がすこぶる困難なソフトこそ、ライバルがいないので、市場を独占することで、大きな利益を得ることができる。
( ※ ついでだが、私がこう書いたのは、商売の方法を教えるためではない。「高齢者・障害者のためのソフト」というのは、決して、社会奉仕という意味だけでやるものではなくて、先端技術開発という意味があるのだ、ということを示すためだ。いくら金儲けだからといって、目先のことばかりを考えるな、と言いたいわけだ。)






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「小泉の波立ち」
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