前々項 の続き。「円安とドル高の図式」について。
前々項では、円安やドル高について言及したが、円安介入の原理は、よくわかりにくいと思えるので、説明しておく。
まずは、次のように、図式的に示そう。
( ※ 投機的な取引の分だけを示す。通常の分[正常な輸出入の分]は、うまく均衡するはずで、考慮する必要がないので、この図からは省いている。つまり、輸出業者と輸入業者の正常取引の分は登場しない。)
日本 金融市場
(為替市場)
債券↓ ↑円 :
商品 円
米国 商品市場
← 輸出企業
← 日
→ → 銀
ドル ドル ‖
ドル↑ ↓商品 ‖
日本 株式市場
‖
株↓ ↑円 円 ‖
米国政府
投機業者
← 日
→ 銀
ドル
ドル↑ ↓国債 ドル↑ ↓国債 ドル↓ ↑国債
米国 金融市場
= 米国 金融市場
= 米国 金融市場
( ※ 「国債」は「米国国債」のこと。) 《 無断転載は不可 》
図式としては、以上のように示せる。
たとえば、日銀は、為替市場で「円売り・ドル買い」をして、そのドルによって金融市場で「ドル売り・米国国債買い」をする。そして、金融市場では米国政府が「ドル買い・米国国債売り」をする。結局、日銀は金融市場を通じて、米国政府との間で、国債購入をしたことになる。
ただし、この図式では、ごちゃごちゃしていて、複雑すぎて、何が何だか、よくわからないだろう。そこで、簡単にわかるように、本質を説明しておこう。
円安介入というのは、結局は、「日銀による米国国債購入」のことなのである。ただし、日銀が発行できる金は、ドルではなくて、円である。そこで、米国国債購入のドルを、為替市場で調達する。
( ※ この際、円の貨幣供給量は増えているが、ドルの貨幣供給量は増えていない。つまり、ここでは、日銀による円増刷はなされているが、米国中央銀行によるドル増刷はなされていない。注意!)
さて。このことは、「タンク法」と比較すると、本質がよくわかる。タンク法ならば、
「日本政府が国債を発行して、その国債を(国内の中央銀行である)日銀が購入する。その資金は日銀が円を発行する」
という形になる。ところが、円安介入では、
「米国政府が国債を発行して、その国債を(国外の中央銀行である)日銀が購入する。その資金は日銀が円を発行する」
という形になる。
すると、両者では、どういう違いが生じるか?
前者(タンク法)では、単なる物価上昇が起こる。なぜなら、貨幣供給量の増加があるからだ。このとき、物価上昇によって国民に損があるかないか? それは、国債売却によって得た金を、国民が取るか政府が取るかによって決まる。その金を国民が取れば、(減税という形で)国民は損がないが、その金を政府が取れば、(財政赤字・公共事業という形で)国民は損がある。ともあれ、いずれにしても、物価上昇は起こるから、「借金」はない。
後者(円安介入)では、米国では物価上昇がない。なぜなら、ここでは、貨幣供給量の増加するタンク法にはなっていなくて、貨幣供給量の増加のない「民間引き受けの国債」と同様になっているからだ。この「民間」というのが、米国市民でなくて、外国政府(日銀)である。つまり、ここには外国政府に対して「借金」がある。当然、現在は「借金」ゆえに幸福であり、将来は「借金返済」ゆえに不幸になる。……このことは、前項で述べたとおり。
結局、大切なのは、単なる金の流れを見ることではなくて、「借金の有無」があるかどうかを見ることだ。借金があれば、「現在の幸福と将来の不幸」となる。借金がなければ、「現在の物価上昇」となる。(米国にとって。) ( → その原理は、ミドル経済学の考え方を参照。)
「円安介入」があれば、貨幣供給量の増加がある。これによる物価上昇は、「金の滞留」があれば、当面は発現しない。ただし、将来になって、一挙に発現する。そのとき、急激な物価上昇を避けようとして、「米国国債の売却」をすれば、日本は破綻[スタグフレーション]を免れることができるかもしれないが、かわりに米国が破綻する。
そして、こういう困った事態が発現する根本的な原因は、「円安介入」によって、無意味に大量の貨幣を供給して、市場を歪めることである。無理な力を加えるから、市場が歪んで、あげく、突発的な破局に至りやすいのだ。
( ※ たとえて言えば、下敷きに重りを載せれば、当面、下敷きは重りを支えてくれる。「まだ大丈夫、まだ大丈夫」と思って、どんどん重りを載せる。しかし、いつまでも大丈夫であるわけではない。あるとき、支えきれなくなって、おもりが滑り落ちて、下敷きは一挙に反発する。このことは、地震の発生と、同じ原理である。つまり、「歪みの蓄積と解放」である。……だからこそ、不自然な歪みを蓄積することは危険である。「まだ大丈夫、まだ大丈夫」とおもりを追加し続ければ、大丈夫でなくなったときに、ひどい問題が生じるのだ。「問題が生じるまではどんどん危険を続けよう」なんて考えるギャンブル的な発想は、正常な人間のやることではない。チキンゲームのようなものだ。「ぶつかるまではどんどん直進しよう」と。実際に問題が起こってからでは手遅れなのだが。)
[ 付記1 ]
輸出企業の分は、どう見るか?
米国は借金をしている。そして、その借金で、日本の輸出企業から、物品を購入していることになる。そういう意味で、米国は国を挙げて、「借金生活」をしていることになる。
( ※ なお米国は、日本から直接輸入する必要はなくて、中国や韓国から輸入しても同じことである。「日本 → 中国・韓国 → 米国」というふうに輸出超過の流れがあれば、日本から米国へ輸出超過があることになる。)
[ 付記2 ]
米国でなく、日本の立場で見ると、どうか? 米国は借金をしているという問題があるが、日本は黒字を出しているから、「借金をしている」という問題はない。ただし、それは、国際間での話だ。
国内的に見れば、日本政府は民間に対して、多大な借金をしていることになる。莫大な財政赤字をどんどん蓄積しているからだ。(一月中のシリーズで詳しく述べたとおり。ミドル経済学。)……こういうことゆえ、「莫大な借金をしている」という問題は国内的には存在する。
ここで、「円安にして輸出を増やせば、仕事が増える」と思い込んでいるのがマネタリスト流の思考だ。しかし、仕事が増えることが大切なのではなくて、所得が増えることが大切なのだ。通常なら、均衡状態だから、「仕事が増えること」=「所得が増えること」である。しかし、不均衡状態では、企業は貯め込んだ金を、投資にも所得にも回さず、眠らせるだけだ。となると、いくら企業業績が回復しても、マクロ的には経済成長がほとんど起こりらない。……だから、「円安にすれば問題は解決する」ということはなくて、「所得を増やすこと」が何よりも必要なのだ。にもかかわらず、所得はなかなか増えない。(先に「春闘で賃上げなし」などと述べたとおり。)
かくて、正しいマクロ政策がなされないから、日本は不況を脱せず、財政赤字が蓄積して、借金はどんどん増えていくのである。結局、「円安が借金を増やす」ということはないが、「円安で国際的には黒字をいくらか出しても、国内的には赤字が莫大に増えるままだ」というふうになる。
[ 付記3 ]
日本でなく、米国の立場で見ると、どうか? 本項のことから、「米国は借金をしなければいい」と言える。
とすれば、そのためには、「米国国債をあまり発行しなければいい」ということになる。しかし、そうとすれば、今度は、日本政府が米国国債を購入できなくなる。
それでもとにかく米国が財政健全化をして、国債を発行しなくなったとしよう。日本政府は米国国債を購入できなくなるから、たぶん民間の社債でも購入するのだろう。すると、米国では、金融市場の金利が低下する。(現実にそうなっている。米国の長期金利は、とても低い。名目成長率が8%なのに、長期金利は4%だ。)
となると、民間企業は、多くの投資をするようになる。多くの投資をするとなると、借金をすることになる。そして、その金を、日銀が出す。
要するに、米国政府が国債を発行するかわりに、民間企業が社債を発行するわけだ。いずれにしても、「借金」をすることには、かわりはない。米国政府としては、手の打ちようがない。日銀が無理な「円安介入」をしている限り、問題は根源的に解決不可能だ。
さて。日銀が社債購入をした場合、どうなるか? もちろん、米国で民間投資がどんどん増えるだろう。(社債購入でなくて国債購入でも、同様である。米国政府が国債の発行量を増やさなければ、日銀が国債を購入した分、誰かが国債を売却して社債を購入するから、同じことになる。いずれにせよ、民間投資が増える。)
では、米国で民間投資がどんどん増えて、それで、ペイするだろうか? ペイすれば、借りた金を(投資したあとの事業によって)うまく返済できる。とはいえ、「消費不足・投資過剰」という状況がいつまでも続けば、「作っても売れない」という状況になるから、やがては「供給過剰」となるだろう。これは、日本がバブル期にたどった道だ。つまり、「当面は投資増大によって好景気を享受できるが、やがては、消費不足に直面して、供給過剰となり、デフレとなる」というわけだ。
とにかく、むやみやたらと「投資」ばかりを増やすのは、投資と消費の比率を無意味に歪めるので、一国経済を破壊する行為なのである。現在の日本は、円安介入によって、米国国債を購入することで、米国に、過大な借金と過大な投資を強要している。そのことで米国に将来のデフレを用意している、とも言えよう。(日本は、バブル期に円高であったせいで、その後のバブル破裂とデフレが用意された。米国も現在、ドル高のせいで、その後のバブル破裂とデフレが用意されているわけだ。)
では、正しくは? 今の米国は、投資よりは消費を拡大するべきである。ただし、貿易を見ると、輸入過剰であるから、輸入を増やす必要はない。米国は、外国との関係では、輸入よりは輸出を増やすべきであり、消費よりは生産を増やすべきである。その一方で、国内的には、投資よりは消費を増やすべきである。……こういうふうに、複雑な事情にある。単に「消費を増やすべきか否か」という質問には、正解はないわけだ。比較するべき対象ごとに、正解が変わるわけだ。間違えないように注意しよう。
( ※ 簡単に言えば、自動車の工場を造るよりは、自動車の工場の稼働率を上げるべきである。自動車の工場建設に金を出すよりは、自動車の購入に金を出すべきである。ただし、輸入自動車の購入に金を出してはダメであり、国内産の自動車の購入に金を出すべきだ。……こうすれば、財政赤字の問題も、貿易赤字の問題も、失業の問題も、すべて解決する。そして、そのためには、「ドル安」が必要となる。「通貨安」が必要なのは、日本ではなくて、米国なのだ。)
( ※ 単純に言えば、米国は「働いて、自動車を生産して、自動車を得る」というふうにすればよい。一方、現状では、米国は「働かないで、日本から借金して、日本の自動車を輸入する」というふうになっている。つまり、サラ金人生だ。これだと、「働かないで品物を得る」となるので、大喜びできる。日本も、「働いて、借用証を得る」となって、大喜びできる。しかしそんな状況がいつまでも続くはずがない。将来、通貨危機が訪れて、米国の信用は失墜し、日本の借用証は二束三文になる。そういう大問題が訪れるのだ。だからこそ、今は米国も日本も、大喜びして浮かれていてはいけないのだ。)
( ※ 経済の本質とは、物が売れるとか何とかいう表面的なことではなくて、「働いて、消費する」という正常な姿になっているかどうかだ。この本質を見失うと、「働かないで、消費する」とか、「働いて、消費しない」とか、そういう歪んだ状況を「幸福だ」と勘違いするのである。)
[ 補足 ]
米国では「投資偏重」となっているのが問題となる。ただし、「投資偏重」というのが、うまく成功するような例外がある。それは、昔の日本のような、途上国の場合だ。途上国では、「社会資本が未整備」というような状況があるから、さまざまな公共投資が有益であるし、設備投資も有益である。
一方、現在の先進国では、社会資本も機械設備も、すでに足りている。社会基盤も機械設備も何もないような途上国(かつての日本)とは、事情が異なる。こういう先進国では、投資と消費の比率を安定させることが重要である。やたらと投資ばかりを過剰にすれば、最適成長は不可能となる。
( → 2月05日 で述べたとおり。)
[ 余談 ]
ついでに、中国について述べておこう。
米国は「多大な貿易赤字を出して借金をする」というふうになって、これはは好ましくない。一方、中国は「多大な貿易黒字を出して融資をする」といふうになって、話は逆であるが、これもまた好ましくない。
「先進国が借金をして、途上国が融資をする」というのでは、「成長性の高い途上国が、成長性の低い先進国に投資をする」というわけであるから、あるべき姿とは逆である。
中国は、「黒字を出して嬉しい」なんて喜んでいるが、とんでもないことだ。「輸出を増やして国内の失業を減らす」という方針自体は間違っていないが、正しくは、「輸出を増やし、輸入も増やす」である。輸入を増やせば、その分、中国通貨の通貨レートが下がるから、輸出を増やすことも不自然ではない。中国が失業を国内の解決するために、通貨レートを低めにして、輸出を増やすこと自体は、悪くはない。ただし、そのためには、輸入をもっと増やすべきなのだ。輸出を減らすべきではなくて、輸入を増やすべきなのだ。たとえば、日本から部品を輸入したり、外国のハイテク商品を輸入して楽しんだり。
なのに、中国がそういうふうに輸入を増やしていないのは、健全な市場経済システムが育っていないからである。そのせいで、経済がいびつになってしまっている。特に、商品を輸入していないということは、得るべきものを得ていないということで、あり、不幸なのである。米国は将来の富を食いつぶして現時点で過剰に幸福になり、中国と日本は富を将来に先送りして現時点で過剰に不幸になる。どちらも経済が歪んでいる。
( ※ こういう歪みが出ると問題だ、というのは、すぐ前に、下敷きの比喩で述べたとおり。)
【 追記 】
日銀が円安介入をしない場合には、どうなるか? この場合、米国では、国債購入のために海外資金が流入しないので、タンク法で米国中央銀行が国債を買ったのと同じことになる。すると、借金がふくらむかわりに、物価上昇が起こる。詳しくは、後日の項で。
→ 2月13日b ,2月14日