[付録] ニュースと感想 (71)

[ 2004.6.16 〜 2004.7.01 ]   

  《 ※ これ以前の分は、

    2001 年
       8月20日 〜 9月21日
       9月22日 〜 10月11日
      10月12日 〜 11月03日
      11月04日 〜 11月27日
      11月28日 〜 12月10日
      12月11日 〜 12月27日
      12月28日 〜 1月08日
    2002 年
       1月09日 〜 1月22日
       1月23日 〜 2月03日
       2月04日 〜 2月21日
       2月22日 〜 3月05日
       3月06日 〜 3月16日
       3月17日 〜 3月31日
       4月01日 〜 4月16日
       4月17日 〜 4月28日
       4月29日 〜 5月10日
       5月11日 〜 5月21日
       5月22日 〜 6月04日
       6月05日 〜 6月19日
       6月20日 〜 6月30日
       7月01日 〜 7月10日
       7月11日 〜 7月19日
       7月20日 〜 8月01日
       8月02日 〜 8月12日
       8月13日 〜 8月23日
       8月24日 〜 9月02日
       9月03日 〜 9月20日
       9月21日 〜 10月04日
       10月05日 〜 10月13日
       10月14日 〜 10月21日
       10月22日 〜 11月05日
       11月06日 〜 11月19日
       11月20日 〜 12月02日
       12月03日 〜 12月12日
       12月13日 〜 12月24日
       12月25日 〜 1月01日
    2003 年
       1月02日 〜 1月13日
       1月14日 〜 1月24日
       1月25日 〜 1月31日
       2月02日 〜 2月11日
       2月12日 〜 2月22日
       2月23日 〜 3月07日
       3月08日 〜 3月16日
       3月17日 〜 3月25日
       3月26日 〜 4月06日
       4月07日 〜 4月14日
       4月15日 〜 4月24日
       4月25日 〜 5月10日
       5月11日 〜 8月11日
       8月19日 〜 10月23日
       10月24日 〜 11月28日
       11月29日 〜 12月12日
       12月13日 〜 12月17日
       12月18日 〜 12月26日
       12月27日 〜 1月02日
    2004 年
       1月03日 〜 1月16日
       1月17日 〜 1月22日
       1月23日 〜 2月01日
       2月02日 〜 2月08日
       2月09日 〜 2月14日
       2月15日 〜 2月24日
       2月25日 〜 3月09日
       3月10日 〜 3月19日
       3月20日 〜 4月12日
       4月13日 〜 4月23日
       4月24日 〜 4月25日
       4月26日 〜 5月11日
       4月26日 〜 5月11日
       5月20日 〜 5月29日
       5月30日 〜 6月14日
         6月16日 〜 7月01日

   のページで 》




● ニュースと感想  (6月16日)

 「不良債権処理と土地処理」について。
 不良債権処理で放出された土地が、多大な利益を生んでいるという。外資系の土地ファンドや、民間の不動産業者が入り組んで、転売しながら、どんどん利益を出しているという。バブル期の「土地転がし」のような形だ。(朝日・朝刊・経済面 2004-05-30 )
 記事は、事実を報道している。ただし、それだけであって、一番肝心の話が抜けている。「その利益はどこから生まれたか?」ということだ。
 バブル期には「土地転がし」でどんどん利益を生む。不良債権処理のあとでは、十分の一に下落した土地を購入した業者が次々と転売して利益を生む。……ところが、土地の取引は、ただの1円も物を生産しない。自動車もパソコンも雑貨も何も生じない。単に帳簿で所有権が移転するだけだ。なのに、どこから、莫大な利益が生まれるのか? 
 それは、銀行の不良債権処理だ。1億円の担保で1億円を融資して、焦げ付く。それを1千万円で投げ売りする。業者はそれを1千万円で購入して、次々と転売して、3千万円ぐらいにまで持っていく。
 ここでは、銀行は、次の損をしている。
  ・ バブル期に、過剰融資をした損。
  ・ バブル破裂後に、安値で手放す損。
 前者は、仕方がない。今さら取り返しが付かない。しかし、後者は、取り返しが付く。何も、「需要不足・供給過剰」という時期に、やたらと異常な安値で土地を手放す必要はあるまい。無理に安値で手放しても、莫大な損が発生するだけだ。そして、その損の分だけ、ハゲタカのような業者が「濡れ手で粟」の利益を得る。
 彼らの得た利益の分は、銀行が損をするが、別に、銀行員が損をするわけではない。最終的に損をするのは、「高利率で融資を受ける企業」と「低利率で預金する預金者」と「低利で金を融通する日銀」である。つまり、国民全体である。
 要するに、一部のハゲタカ業者が何も生産しないままボロ儲けして、その分を国民全体が負担する。それが、「土地の安値放出」という行為である。別名、「不良債権処理」である。
 だから、こんな馬鹿げたことは、やめた方がいいのだ。なのに、「不良債権処理」論者は、やたらと「不良債権処理を進めよ」と主張する。かくて、国民に、莫大な損失がツケ回しされる。

 [ 付記 ]
 ここでは、経済学的には、どう説明されるか? 
 古典派エコノミストは、次のように主張する。
 「市場では適正価格が決まる。ゆえに、不良債権処理をしても、適正な価格で土地は販売される。だったら、どんどん不良債権処理を進めた方がよい」
 私は、次のように主張する。
 「そういう話が成立するのは、不況でないときだけだ。不況のときには、違う。需要不足・供給過剰という状況では、適正な価格を下回る異常な低価格で価格が決まる。なのに、やたらと商品を売りに出せば、大幅に損が出るだけだ。
 つまり、デフレという状況では、「市場価格は、均衡点において最適の点に決まる」ということが、成立しないのだ。ここでは、買い手に余裕がないせいで、買いたくても買えない企業が多い。そういう状況では、やたらと価格が暴落して、売り手は大幅に損をする。……「市場原理で最適化」という理屈は成立しないのだ。なのに、この理屈を妄信するところに、古典派の錯誤がある。
 で、この錯誤のせいで、国民に大幅な損がツケ回しされるわけだ。その規模は、数十兆円。国民一人あたりで、毎年数万円ずつ、数年間〜数十年間。逆に言えば、その分、ゴロツキのような連中(暴力団と結託する人々)がボロ儲けする。
 で、それを促進するのが、「不良債権処理」論者。朝日や読売もそこに含まれる。
( ※ ひょっとして、朝日や読売は、暴力団と結託しているのかもしれない。……ま、そうではないとしても、結果的に、暴力団のために資金源を提供しようとしているのは、まぎれもない事実である。仮に、朝日や読売が不良債権処理に反対したせいで、銀行の不良債権処理が進まなくなったら、暴力団は大幅な資金枯渇に悩んでしまう。)


● ニュースと感想  (6月16日b)

 「近鉄球団の消滅」について。
 近鉄がオリックスと合併する、という方針が報道された。よくわかっていない人が多いようなので、解説しておく。

 (1) 1リーグ化
 1リーグ化なんてことは、ありえないはずだ。なぜなら、セリーグの球団にとっては大損だからだ。現在、ファンの数は一定だとすれば、その大半をセリーグの球団が奪っている。1リーグ化すれば、ファンの数は同じまま、多くの球団で分けるようになるから、当然、1試合あたりのファンの数は減る。つまり、売上げは減る。
 たとえば、阪神ならば、現在は対戦の5分の1が巨人戦で、かなりの利益を得る。しかるに、1リーグ(10球団)になったあとは、9分の1が巨人戦で、巨人戦の利益は半減する。その分、元パリーグの球団は儲かるが、元セリーグの球団は損するだけだ。巨人にしても、対戦相手が阪神やヤクルトではなく、オリックスやロッテだから、売上げは大幅に減る。
 1リーグ化は、セリーグの球団にとっては、自殺行為である。どうしてもやるなら、球団数を半減する必要があるだろう。わかりやすく言えば、パリーグの廃止だ。

 (2) 理由
 なぜ近鉄は、この方針を取ったか? 球団名を残せないまま合併するとしたら、単なる廃止と同様であるのに、なぜ、そんなことをするのか? 
 直接的なメリットとしては、赤字の削減だ。オリックスの名を残すことにすれば、赤字の大半はオリックスが負担できる。オリックスとしても、近鉄が消滅すれば、関西地域のファンを大幅に流し込めるから、経営が改善する。
 わかりやすく言えば、「赤字の分かち合い」である。一種の「不良債権処理」とも言える。(だから本項で扱った。)

 (3) 対策
 対策としては、どうするべきか? 現状を前提とすれば、最善の策は「近鉄球団の売却」であろう。これなら、近鉄は、「赤字の分かち合い」ではなくて、売却益という「黒字」を得る。(累積損失の分は別として。)
 ところが、現実には、この仕組みが働かない。なぜかというと、売却をすると、プロ野球連盟に「30億円」の加盟料を払う必要があるからだ。ヤクザと同じで、「仁義を切る」代金である。でもって、正常な売買が不可能となる。ここでは「市場原理」が働かなくなっている。
 だから、ここでは、古典派の一部(規制緩和派)の唱える「市場の不完全性」が根本的な原因だ。そして、その不完全さをもたらす規制を緩和すれば、問題は解決する。すなわち、「加盟料の廃止」が正解である。
 現実的には、加盟料を1億円ぐらいにまで値下げした上で、近鉄球団を3億円ぐらいで売却するのが、ベストだろう。売却先としては、流通業の「イオン」(ジャスコ)か「ヨーカドー」が有力だ、と私は思う。ダイエー球団がダイエーの経営に及ぼすメリットを考慮すれば、イオンかヨーカドーはたぶん買ってくれるだろう。たぶん。……ま、このあたりは、私の憶測であるが。
( ※ なお、フランチャイズとしては、仙台あたりにすればよい。サッカーの新潟は大幅なファンを獲得しているから、真似をすればファンを獲得できるはずだ。仙台だけで不足なら、金沢あたりも含めてもいい。日本ハムは、東京と札幌。)

 (4) 急進的な改革案
 もっとドラスティックな改革案もある。私の推奨案。
 2リーグ12球団を、1リーグ6球団だけに再編する。オリックス・近鉄・ダイエーは、広島と一体化する。ロッテ・日本ハム・西武は、横浜またはヤクルトと一体化する。本拠地球場は既存のものを残すが、利益の上がる球場で多くの試合を開催する。
 理由は? そもそも、プロ野球は全体で莫大な赤字を垂れ流していて、産業として成立していないからだ。今はサッカーという有力な対抗馬がある。巨人さえも視聴率がサエないし、プロ野球は今後さらにじり貧になるばかりだろう。スポンサーは、プロ野球よりは、サッカーに向かいそうだ。12球団というのは、どうしても多すぎるから、大幅に減らすしかない、と思う。
 問題は、「単純な廃止」だと、九州のダイエーの複合施設などが破綻してしまう、ということだ。だから、既存の施設を生かすために、パリーグ・チームをセリーグ・チームと合併させるといいだろう。
 なお、1リーグ10球団は、実現の可能性はほとんどない。理由は、前述の通り。つまり、「総すくみ」だ。仮に、やれば、10球団のうち巨人・阪神以外のチームが倒産するかもしれない。たとえば、広島・中日・横浜・ヤクルトは(パリーグの赤字をひっかぶる形で)赤字が増えて、倒産しかねない。結果的に、6 or 8球団ぐらいしか残れなくなる。

 [ 補説 ]
 実は、以上のすべては、物事の本質を突いていない。ただの対症療法だ。では、本質は? 問題の根源は、どこにあるか? 
 それは、「莫大な赤字を垂れ流しながら、莫大な人件費を払っている」という点だ。近鉄はスター選手一人に年俸五億円も払っている。赤字会社なら、まず、人件費の削減が当然だ。その基本に反している。かくて、会社自体が倒産する。
 しかるに、金を払わないと、スター選手が他球団に流れて、戦力がダウンする。とすれば、その根源には、フリーエージェント制がある。さらにまたその根源には、戦力の均等化を阻む「ドラフトの形骸化」がある。
 アメリカなら、こういうことはない。弱小球団には、ドラフトの優先権が与えられるから、フリーエージェントで大金を払わなくても、戦力の強化ができる。ところが、日本では、それができない。……だから、本当の理由は、各球団が「巨人優先」「ドラフトの形骸化」という体制を敷いていることだ。各球団は、巨人を存続させることを優先しているから、自球団が大幅赤字に悩んで倒産しそうになるわけだ。
 たとえて言えば、三菱の社長が、トヨタファンになって、トヨタに協力することばかり励んで、優秀な技術者を全部トヨタに献上した結果、自社が倒産しそうになる、というようなものだ。かくて、トヨタは栄え、自社はつぶれる。
 プロ野球の球団の多くが赤字で倒産しかけるのは、自業自得だ。それが結論。

  【 追記 】 (2004-06-17)
 プロ野球の球団というのは、どうも、経営努力が足りなすぎる、と思える。あえてファン離れを招こうとしている。
 その最たる理由が、テレビで試合を正常に放送しないことだ。どんなスポーツだって、試合をしたら、その結果がわかるまで放送する。たとえば、マラソンでは、ゴールの瞬間を放送するし、水泳でもゴールの瞬間を放送する。ところがプロ野球だけは、そうではない。「時間が切れましたので、放送を中止します。試合の結果は、スポーツニュースでご覧ください」だ。
 ファンを馬鹿にしているとしか思えない。こんなものを見たって、腹が立つだけで、何の楽しみにもなりはしない。怒り狂いたい自虐的な人だけが、テレビの試合を見る。まともな人は、夜 11時ごろの試合結果だけを見る。
 要するに、プロ野球の球団は、ファンをあえて切り捨てているのだ。まともな経営能力があるなら、「テレビ局は最後まで放送せよ」なんて他人任せのことは言わないで、自分で試合開始時間を早めるはずだ。で試合開始時間を30分早めれば、最後まで放映できる可能性が高まる。また、ファンとしても、帰宅の時間を心配しなくて済む。
 なお、試合の進行のテンポが早すぎると、放送時間が余って、困るだろう。そこで、予定よりずっと早く終わりそうになったら、テレビのスポンサーを怒らせないために、時間を持たせる目的で、途中でアトラクションでもやるといいだろう。たとえば、チアガールのダンスなど。攻守交替のたびにやれば、けっこう時間が稼げる。あるいは、売り出し中の新人タレントでも出すとか。プロ野球ファンというのは、若い女性を見ると、やに下がる人が多いから、けっこう受けそうだ。(サッカーファン向けには、この手は利かない。)
 要するに、プロ野球の球団が儲からないのは、ファンに見放されているせいであり、その根本原因は、ファンをあえて切り捨てようとする球団の経営方針にあるのだ。その点、不人気球団を挽回させたダイエー・ホークスの経営力は、かなり立派である。……他の球団は、サッカーの浦和や新潟に比べれば、まったく劣る。無能の極みだ。かくて、あちこちのチームで経営が成立しなくなる。……カネボウと同じですね。


● ニュースと感想  (6月16日c)

  【 後日記 】
 前項の続き。「ライブドアによる近鉄買収」について。(本項の記述は、6月16日でなく、7月01日 )
 6月30日の報道によると、ライブドアが近鉄に買収を申し込んだが、近鉄はすぐさま拒否した。これについて解説しておく。
 そもそも、経営的な合理性を考える限りは、近鉄は、自己保有または売却がベストである。オリックスとの共有なんてのは、ほとんど意味がない。保有にメリットがあるならば保有、メリットがなければ売却だ。……では、なぜ、近鉄はあえて中途半端な形をしたがるか? それは、経営者の個人的な名誉欲のためである。経営的な合理性を考える限りは、近鉄本社が倒産寸前なのだから、売却しかありえない。しかるに、売却すると、オーナーとしての特権がなくなる。そこで、実質的には売却に近い形にしながら、肩書きだけはオーナーとしての肩書きを維持できるように、オリックスとの共有という形を取りたがるわけだ。
 近鉄の経営者としては、それで万歳。オリックスとしては、赤字を減らせて、観客を大阪で増やせるので、やはり万歳。そのかわり、他球団は、大幅に損をする。
 1リーグ制ならば、セリーグの球団が、お荷物のパリーグを背負い込むので、10球団が大損だ。(前項で示したとおり。なお、合併してできた新球団だけは得をする。)
 2リーグ制ならば、球団数が5球団となり、1日に1チームは遊ぶことになるので、売上げが大幅に減少して、大損だ。他のパリーグ4球団が大損だ。(ただし、合併してできた新球団だけは、損得がほぼトントンだ。球団数が減るデメリットと、合併するメリットとが、ほぼ釣り合う。)

 以上のことから、先行きの見通しは、次の通り。
 1リーグ制は、ありえない。セリーグの球団が大損をするから、断固、拒否する。「プロ野球の火を消さないため」という名分が以前はあったが、もはやライブドアという救世主が現れたのだから、あえてパリーグの尻ぬぐいをするはずがない。
 2リーグ制も、ありえない。合併だと、5球団だけとなる。他のパリーグの4球団は、大損をするので、大反対する。
 となると、残るは、次の一つだろう。
 「パリーグの6球団制を維持する
 このあと、近鉄は、オリックスとの合併を推進するかどうか、二つの選択肢がある。  結局、どちらにしても、たいして変わりはない。実質的には、近鉄をライブドアに売却するのと同然だ。そうすれば、大阪球場としても、今まで通りの球場使用料を受け取れるので、ありがたい。
 なお、「オリックス売却」というのは、ちょっと無理だろう。このチームはぼろくそだから、ライブドアは買う気になれないだろう。買うとしたら、超低額だ。マイナスの価格しか付かないかもしれない。オリックスとしては、こんな自チームはさっさと解消してしまいたい。できれば自チームを近鉄に衣替えしたい。だから、「ライブドアによる近鉄買収」に対しては、一番損をするのが、オリックスだ。たぶんオリックスは徹底抗戦するだろう。ワンマンな近鉄の経営者たちも反対するだろう。
 とはいえ、彼らのわがままを聞けば、他のプロ野球のチームは、すべてが大損だ。となると、「近鉄とオリックスをプロ野球から除名する」という手もある。そして、残った選手を、ライブドアと他1社で分かちあうか、あるいは、残る4球団でパリーグを維持するか、どちらかになるかもしれない。
 私の見通しを言えば、やはり、冒頭に述べたとおり、「ライブドアによる近鉄買収」だ。まともに考えれば、これしかありえないだろう。(ただし、ライブドアでなくて別の会社が名乗りを上げる可能性もある。)


● ニュースと感想  (6月17日)

 「カネボウ再建」について。
 カネボウの再建案が出た。「繊維事業の切り捨て」などによる、財務の健全化。(朝刊・各紙 2004-06-01 。前日の夕刊も)
 ひどい案だ。単に「採算の悪化した事業の縮小」だけをやろうとしている。MBA流の「帳簿主義」そのものだ。
 これは、本質的には、「おいしいところだけを取って、まずいところは捨てる」という方針だ。子供と同じ。経営能力はゼロでもできる。こんなことをやるくらいなら、カネボウの再建は子供に任せてもよかった。最悪。 ( → 5月18日 日産自動車との比較 )
 
 では、どうするべきか?
 第1に、化粧品単体ならば、花王に売却するのがベストだ。今からでも遅くないから、花王に売却するべきだ。そうすれば、それだけで、1000億円ぐらいの利益が新たに生じる。(その分、無駄が消える。)
 第2に、それ以外の事業は、単体では生き残れないとしたら、再建するべきだ。どうやって? 「他社に売却」するというのが、現経営陣の案だが、それだけでは、会社清算にしかならない。最悪。むしろ、化粧品部門を売却する利益(4400億円)を有効に使って、他社との合併を図るべきだ。次の二つがある。
 ・ 持参金つきでの合併
 ・ 他社の買収
 たとえば、繊維事業は、じり貧ではない。ハイテク繊維は有望だし、繊維事業の技術を生かしてIT技術に転用することも可能だ。実際、東レは、そうやっている。この方針ならば、景気回復後には、会社は発展できる。
 とにかく、「帳簿主義」による「おいしいとこだけ食べる」なんて方針は、子供の方針であり、経営ではない。最悪。……かくて、従業員は路頭に迷うし、債権者は莫大な赤字が確定してしまう。本来ならば、その赤字はカネボウが自分で解消できるのだが。
 かくて、「不良債権処理による莫大な赤字の発生」という例が、ここでも生じた。

 [ 付記 ]
 私ならどうするか? 細かいところでは「女性社員の雇用」という手を打ちたい。今は不況期だから、優秀な女性社員を雇用できる。薄給では駄目だが、高給で幹部社員として登用するなら、優秀な社員を採用できる。
 しかも、ここが肝心だが、カネボウは「女性向け」の商品を多く売り出しているのだ。化粧品であれ、家庭用品であれ、繊維であれ、主として「女性向け」の商品だ。ところが現状では、男性社員が多く雇用され、男性社員が女性用品を開発していることが多い。
 ま、それはそれで少しはメリットがあるかもしれないが、女性が男性用品を開発するようなもので、どうもピンボケなところがあるはずだ。女性用品はやはり原則として女性が開発するべきだし、そのためには優秀な女性を多く雇用するべきだ。
 実は、資生堂では、この方針をかなり取っていて、優秀な女性社員が昔から多かった。カネボウが倒産するハメになったのは、男女差別をしていたから、という可能性もある。
 ただし。何でもかんでも女性に任せればいい、というものでもない。大切なのは、男女の両方の視点だ。「すべてを女性任せにする」というのも、別の意味で危険である。……実は、この点で大失敗をしているのが、日産だ。内装でシートの布地の図柄を女性社員一人で決める、なんてことをやっていたら、やたらと柄入りばかりの図柄を選んで決めたため、無地の図柄を好む男性消費者にそっぽを向かれて、売上げが少ない、なんてこともあった。
 女性の服装は図柄入りのことも多いが、男性の服装は背広みたいに無地のことが多い。男女の好みはかくも異なる。男性ばかりも、女性ばかりも、どちらも好ましくないのだ。
 キャッチフレーズで言えば、「経済と経営には愛が大切」となる。「経済と経営には愛なんて邪道だ」なんて思っていると、カネボウのように倒産したり、日本のように少子化で悩んだりする。「経済にはエゴイズムこそ大切だ」なんて唱える古典派経済学者の方が、よほど邪道なのである。


● ニュースと感想  (6月17日b)

 「三菱再建とブランド」について。
 三菱自動車の欠陥隠しがまたもや発覚した。また、ここのところ、三菱の売上げは激減しており、販売店には客はほとんど来ないし、レンタカーでも三菱車を借りる客はゼロだという。(朝刊・各紙 2004-06-03。その他、毎日のように続報が続く。)
 さて。この話を「ブランド」の問題とからめよう。
 三菱はこれまで、「自社の市場評価を高めるには、ブランドを確立することが大切だ」と信じて、「ベンツやBMW車の鼻には独自のブランドマークがあるように、自社の車にも独自のブランドマークをつけよう」と狙った。実は、これは日産の二番煎じでもある。
 日産は、独自のマークを鼻につけるようになった。( Θ または   のようなマーク。これを90度回転させると Ф のような下品なマークとなる。男便所にある万国共通のマーク。) 三菱は、日産と同様に、独自のスリーダイヤのマークを、鼻に付けるようになった。
 また、日産は鼻のデザインを、逆三角形 ▽ のような爬虫類的な形にしたこともある。三菱は、ここでも日産と同様にした。鼻のデザインを、それとはちょうど上下反転させた形( △ という形)にした。まるで、ハロウィンのカボチャである。
 で、結果は? いずれも、惨憺たるありさまだ。日産の Θ のようなマークは、マークのなかに文字( NISSAN )が浮かんでいるという狂気的なマークであり、これは世界史上最悪のセンスのマークと呼んでもいいだろう。また ▽ または △ の鼻は、市場では非常に不評だ。 ▽ の鼻にしたプリメーラは、他のところでは公表なのには名のせいで売上げは最低レベル。パルサーやティーノにいたってはあまりにも売れなくて生産中止に追い込まれた。三菱の車(ギャラン・コルト)も同様だ。(詳しくは後述。)

 ここでは、問題は何か? もちろん、デザインセンスが最悪だ、というのが、直接の問題だ。(こんな鼻のデザインの車を買う客の方がどうかしている。日産の次期サニー[後継車]も、ほぼ同様だ。)
 だが、より根源的には、別の問題もある。それは、ブランドというものの根本認識だ。
 「ブランドとは、マークのことではなくて、高品質のことである」
 これが本質だ。このことを理解しよう。ベンツやBMWは、高品質さがあるからこそ、そのマークが生きる。逆に、低品質さがあれば、ブランドは逆効果となる。
 今、三菱のマークのついている車に乗っている人は、恥ずかしくて仕方ないだろう。「私は欠陥車という低品質者に乗っています」と宣伝していることになる。ここで、せめてブランドマークがなければ、まだ良かったのだが、ブランドマークがあるせいで、恥ずかしくて仕方ない。
 日産だって同様だ。キューブのように独自のデザインがある車なら、「私はこのデザインが気に入っているんです」と堂々と主張できる。しかし、今は生産中止になったパルサーやティーノみたいなデザインだと、その鼻によって、「私は自分勝手で攻撃的で思いやりのない人間です。世間の嫌われ者です。この車と同様にね」ということを宣伝しているから、恥ずかしくて乗れたものじゃない。
 「ブランドとは、マークのことではなくて、高品質のことである」
 この本質を理解しよう。本質を忘れて、表面的なことばかりを考える人間が、「マークさえ付ければブランドが確立する」と思い込む。そのあげく、肝心の品質をなおざりにする。その例が、欠陥を放置した三菱だ。また、日産の次期サニー[後継車]も、同様だ。他の ▽ 鼻の日産車も同様だ。
 なお、日産が独自の鼻に自信をもっているのならば、試しに、キューブやティアナの鼻を、例の鼻に置き換えてみるといいだろう。私の予想では、売上げは激減するはずだ。5分の1ぐらいまで下がるだろう。どうです? キューブの鼻を下品な ▽ にしてみませんか? 無反省な企業は必ず損をする、という実例ができるはずだ。
 おもしろそう。ね、日産くん、やりなさいよ。私は別に、トヨタの回し者じゃないけれど、そう勧めます。……なぜ勧めるか? 威張った唯我独尊な奴の、をへし折るのが好きなんです。
( ※ ホントは、このダジャレを言いたかっただけ。  (^^); )

 [ 付記 ]
 日産のマークの Θ は、「日」の字を図案化したものらしい。日本風ではあるが、グローバル企業としては時代錯誤だろう。 N を図案化すれば、とてもカッコいいデザインもできるし、インフィニティのマークにも似せることが可能なのだが。
 要するに、日産は、デザイン意識が最低だ、ということだ。いつまでたっても田舎企業だね。まったく。
 なお、 ▽ 鼻は、    ▼     とも書ける。三菱は逆で、    ▲     だ。似た者同士。駄目企業同士。商品の品質よりもマークを重視するところが似た体質。
 他方、三菱のスリーダイヤは、それ自体は、いいデザインだと思う。しかし、これと △ を重ねる発想は最悪だ。また、日産のインフィニティの ∞ マークは、平凡かつ単純すぎる。数学記号そのまんまだ。私だったら、似たデザインでも、もっと高品質な芸術的なデザインにできるけど。やはり日産って、センスがないね。
 なお、トヨタとマツダのマークは、標準的レベルであり、可もなく不可もなし。ベンツやアウディのマークは、優秀。プジョーやフェラーリの図案マークも良い。
 ロゴマークについては、一般に、ファッション産業が優れている。いろいろありますね。LVマークなんて超有名だ。……これらのなかに日産の Θ マークが混じり込んだりしたら、下品さのあまり、吐き気がしそうになる。「男便所の落書きの Ф じゃあるまいし」とね。

 [ 余談 ]
 私があんまり日産の悪口を言うので、「おまえ、日産に恨みがあるの?」と疑っている人もいるかもしれない。そこで、注釈しておく。
 私は実は、かつての日産が好きだったんです。「栄光の日産」時代を覚えているんです。ハコスカ(サーフィンラインの初代GT−R)はカッコよかったですねえ。いまだに人気があるし、いまだにどの日産車よりもカッコいい。キューブなんかよりずっと上だ。……日産をここまで腐らせて堕落させた現在の社員には、腹が立つばかり。「愛しさ余って憎さ百倍」みたいなものかも。違うかな? (トヨタは? こんな田舎会社は、最初から無視。)


● ニュースと感想  (6月19日)

 6月18日〜6月19日は、休載しました。


● ニュースと感想  (6月20日)

 「リコール調査官と内部告発」について。
 三菱自動車の欠陥隠しを見て、国交省が「リコール審査官」制度を創設することを決めた。専門知識を有する人材を十人雇用して、知識不足という問題を解決し、独自にリコールの勧告をできるようにするという。(朝日・夕刊・1面 2004-06-03 )
 まともなように見えるが、実に馬鹿げた制度である。ちょっと考えればわかるが、こんなものはほとんど実効性がない。アメリカで、薬害や株不正や航空事故を調査する調査官は、数百人〜数千人の規模で働いている。たった十人で何かができるはずがない。
 また、「ハムと食肉で不正が起こったから対策」、「雪印の牛乳で問題が起こったから対策」、「自動車で問題が起こったから対策」、……というふうに、個別に対応しているのでは、いつも対応が後手に回る。
 結局、こんな制度は、何の意味もない。まったく見当はずれである。では、どうするべきか? 

 根本的に考えてみよう。政府の論理はこうだ。
  目的:欠陥隠しをなくす。
  対策:専門知識のある調査官を雇用する。
  理由:専門知識がないと独自の指摘ができない。

 このうち、一番最初の「理由」が狂ってっている。「独自の指摘」など、まったく必要がない。大事なのは、「欠陥隠し」という目的である。そのためには、別に、「独自の指摘」などは必要ない。「メーカー内部の指摘」があれば十分だ。そもそも、メーカー内のすみずみまで目を行き届かせるには、メーカーの技術者の全員に匹敵するだけの調査官を用意しなくてはならないから、事実上、不可能である。
 なすべきことは、メーカーの技術者が気づいたことが、そのまま国の調査室に届くことだ。つまり、「内部告発」がなされることだ。それがあれば十分であって、国の独自の調査などは必要ない。

 では、現状では、どうか? それができない。つまり、「内部告発」ができない。
 今度の国会で、「内部告発」を保護する法案が成立した。しかしこれは、まったく不完全なものであり、ほとんど骨抜きだ。それというのも、「企業の自助努力」を訴える経団連の主張を取り入れて、初期の素案の重要な骨をどんどん抜いていったからだ。(読売・朝刊・社会面 2004-06-15 など。)
 こういう事情は、これまで何度か、朝日新聞でも報道された。「内部告発を保護する」という立法措置を立てようとすると、経団連が反対して、自民党に働きかけて、その立法をつぶしてしまう。かくて、「内部告発者は解雇される」というメーカーの勝手がまかり通る。国はそれを放置する。
 経団連は、「企業の自助努力」を訴えるが、それが何を意味するかは、三菱の例を見ればわかるだろう。まったく馬鹿げたことだ。
 とはいえ、経団連が反対するのは、当然だ。経団連というのは、もともと業界の利益集団だからだ。問題は、そういう業界の意見を取り入れる与党だ。こんなことがまかり通れば、マフィアや暴力団の献金を受け入れて、あらゆる犯罪が合法化されかねない。狂気の沙汰だ。(もっとも自民党自体がそういう犯罪者集団だから、そうなるのも当然だ、とも言えるが。)
 ともあれ、経団連というマフィアのような集団の言い分が通って、犯罪を報告する「内部告発」が実質的に阻止されている。だから、ここを解決して、「内部告発」が滞りなく実現することこそ、今の日本がなすべきことだ。そうすれば、「欠陥隠し」という問題は解決する。「リコール調査官」なんかに無駄金を使う必要はないのだ。実際、三菱の場合も、内部告発が届いたことが原因で、ようやく発覚した。リコール調査官がいたからではない。

 ここで、愚かな経団連のために、勧告しておこう。「内部告発」は、メーカーを救うのだ。たとえば、「欠陥隠し」がすぐに発覚したスバル(富士重工)は、軽微な損害で済んだ。しかるに、「欠陥隠し」が長らく発覚しなかった三菱は、倒産しかねないほどの致命的な危機を迎えた。「内部告発」がずっと前になされていれば、こんなことはなかったはずなのだ。
 日本の企業を救うには、「内部告発」をまともに保護する制度が必要だ。しかるに、政府は、そうしない。経団連のせいで。経団連は、日本経済を成長させるためにあるのではなくて、日本経済を破壊するためにある。……そのことが、三菱の事件から、はっきりと見て取れる。

 [ 付記 ]
 では、経団連は、なぜ内部告発を禁じるのか? なぜ、会社のためにならないことをあえて推進するのか? それは、経営者自身のためだ。経営者は、自分の任期中だけは、問題を隠蔽したいのだ。そのためには、会社の命運がどうなろうと、知ったことではないのだ。つまり、個人的な利益のために、会社全体を食い物にするわけだ。
 結局、彼らにとっての「経営」とは、企業経営を改善することではなくて、自分のために会社を食い物にすることだけなのだ。その一例が、三菱の社長だ。そして、同種の理念をもつ人々の集まった集団が、経団連というマフィアなのだ。
( ※ 今週発売の「週刊現代」か「週刊ポスト」に、日産のゴーン社長のインタビューが乗っていた。「欠陥隠しをした社員は首」と述べている。同時に、「業績改善の公約が達成されなければ責任を取って辞任する」とも述べている。自分に厳しい人間が、他人にも厳しくなれる。日本の経営者のやっていることは、その正反対だ。トヨタの会長は、「内部告発の禁止」を唱えているのだから、トヨタだってそのうち、隠されつづけた欠陥が暴露されるかもしれない。トヨタの体質は、三菱の体質と同じである。安心できるのは、日産だけかも。……「内部告発を推奨する」という企業は、是非とも自社を宣伝するべきだ。そういう企業の製品なら、消費者は安心して買える。)


● ニュースと感想  (6月20日b)

 「費用対効果(コストパフォーマンス)」について。
 費用対効果(コストパフォーマンス)は、民間企業ならば、基本的な基準となる。ところが、政府の政策を見ると、どうも、この点がいい加減すぎる。
 「何か問題が起こる」→「その問題を直接的に抑え込もうとする」
 という政策ばかりを取るが、こういう短絡的な方法は、非常に効率が悪い。費用対効果は非常に悪い。
 たとえば、「偽造旅券対策」というのがある。指紋を照合したり、入官のチェックを厳しくしたり。……しかし、それを実施している米国では、飛行機の登場の手間が非常に面倒になっている。これによる時間的・人的な損失は、途方もない巨額になっているだろう。貿易センタービルがいくつも吹っ飛ぶぐらいの損失になっている。ただ、数百万人もの人々に分散されているため、被害の額が目立たないだけだ。
 同様に、「ミサイル防衛網」というのもある。これも、1兆円をかけて、救える人命はせいぜい数十人だ。効率は非常に悪い。
 
 「効率が悪くても、人命を救うためには、金を惜しむべきではない」
 という主張もあるだろう。しかし、これは、経済学的に考えれば、まったくの誤りだ。論理を展開すれば、こうなる。

    「効率が悪くても、人命を救うためには、金を惜しむべきではない」
  ⇔ 「効率の悪い事業に金をかけてもよい」
  ⇔ 「金が一定ならば、効率の悪い事業に金をかけて、効率のよい事業の金を削減してもよい」
  ⇔ 「効率のよい事業の金を削減することで、死者を増やしてもよい」

 結局、目に見えるところの死者ばかりを減らして、目に見えにくい死者を増やす、ということになる。国全体の死者数は、莫大に増える。
 具体的に言おう。交通事故の死者数を減らすには、ごく小額の金をかけるだけで、大きな効果がある。たとえば、信号のない交差点に信号をつけたり、住宅街の交差点の路面を赤く舗装したり。……これによって、自動車が交差点に高速で突っ込むことがなくなるから、死者数は激減する。実際、私の住んでいる近所では、この二つの対策を取ったところ(2箇所)で、事故は激減した。一方、まだ対策がなされていない箇所も残っており、ここでは、いまだに自動車が歩行者の列に高速で突っ込むので、事故寸前の危険がしばしば生じる。
 ついでに言えば、交差点のそばで駐車中の自動車も非常に多く、これも見通しを利かなくすることで、事故の危険を非常に高めている。
 そこで、こういう交通事故を減らすために金をかければ、小額で莫大な成果を得る。「いつ来るかもわからないテポドン」のために1兆円もかけるより、毎年確実に生じている多大な交通事故の対策に金をかける方が、よほど有効だ。
 費用対効果をよく考えよう。一事が万事である。あらゆる分野で、この手の無駄な政策は行なわれている。


● ニュースと感想  (6月21日)

 「不良債権の削減」について。
 不良債権の残高が大幅に削減され、銀行経営も黒字化されてきたという。(朝日・朝刊・1面 2004-05-25 )
 これを見て、「不良債権処理の効果が出た」と喜ぶ人も出そうだ。「不良債権処理を進めたから、銀行は黒字化されてきたのだ。景気も回復基調にあるのだ」と。しかし、これは、はずれ。
 第1に、不良債権処理を進めれば進めるほど、銀行は赤字化する。常識。銀行経営が黒字化したのは、別の理由である。それは、何か? 低金利による恩恵だ。では、その原資は? 預金者に利子を払わないことだ。つまり、国民全体の金を奪って、銀行の経営を黒字化しているだけだ。
 第2に、景気が回復基調にあるのは、一時的に円安効果が出ているだけのことだ。一時的なカンフル剤にすぎない。

 では、効果は? 
 第1に、銀行の黒字化で国民全体の金を奪えば、消費が減るので、景気回復効果はかえって減じる。
 第2に、不良債権処理の効果で投資が増える、ということはない。不良債権処理論者の論法は成立しない。詳しく言うと、次の通り。
 「不良債権処理」の効果は、全体的には、プラスよりはマイナスである。直感的に言えば、「政府の財政赤字削減」とか「公共事業の削減」と同等の効果がある、と見なしてよい。帳簿は改善されるが、その分、マクロ的にはGDPが縮小する。金融面で言えば、いまだにゼロ金利を脱していないのだから、投資が拡大しているとは言えない。円安効果による投資増加はあるが、不良債権処理による投資拡大はない。……つまりは、「不良債権のせいで金融のパイプが詰まっている」という説は、まったく成立しない。不良債権処理をいくら進めても、銀行は企業にせっせと融資するようにはならない。というのは、融資先が借りてくれないからだ。(その証拠が、ゼロ金利。)

 [ 付記 ]
 景気の回復基調は、円安効果による輸出増加による外需拡大、という効果によるものだ。そして、これは、どんどん増えるどころか、減る。
 そもそも、輸出というものは、「どんどんスパイラル的に増える」ということは、ありえない。増えたり減ったりするだけだ。増えた時期のあとには、減る時期が来る。今はとても増えているとすれば、やがては減る。では、その時期は? 今は海外からの資金が流入している。その理由は、景気の回復予想と、株の先高だ。しかし、景気の回復は、やがては頭打ちとなる。株は上がり止まる。となると、海外からの資金は、元に戻る。つまり、流出する。となると、円高となる。となると、輸出も減る。
 つまり、現状は、投機資金のスパイラル効果で、一時的に輸出が増えているだけだ。やがては「どんどん上昇し続ける」という予想が消えて、「安定」という予想が成立し、そのとき、円高にともなって輸出が減少し、景気は急激に悪化していく。……だから、景気の悪化する時期は、投機資金の予想しだいである。「やがては景気は頭打ち」という予想が広がった時点で、安定するどころか、景気は悪化していく。
( ※ なお、この点、内需拡大の場合は異なる。内需拡大の場合は、景気はスパイラル的に上昇していく。その理由は、「所得の増加」だ。「所得の増加」があれば、マクロ的にスパイラル的な拡大がある。一方、「所得の増加」がなければ、企業の業績が黒字化するだけで、金は企業の預金口座に貯まるだけだから、経済がスパイラル的に拡大することはない。)
( ※ 最近、愛知県では労働需給が逼迫し、労働者不足だ、という話がある。しかし、ここで不足しているのは、期間従業員だけだ。「いつでも解雇されます」という不安定な職だけだ。まともな人間は、こんな不安定な職には応募しないだろう。となれば、こんな不人気な職の労働需給が逼迫しているとしても、それはたいして意味はない。それよりは、「労働者全体のうちにパートが占める割合は何と 25%にまで達した」ということの法が、ずっと重要だ。低賃金化を意味するからだ。 → 5月20日

 [ 補足1 ]
 不良債権処理というのは、原則的には、正しい方策ではない。やればやるほど、悪化する。読売の社説(25日)は、いつのまにか不良債権処理を信奉するようになっているが、これは朝日の社説(数年来)と同じで、間違いだ。
 ここで、次のような反問もあるだろう。
 「不良債権が片付いて、銀行経営が健全化するのは、良いことだろう? それのどこが悪いのか? 銀行の帳簿が改善するのが悪いのだとしたら、銀行の帳簿がひどいままなのがいいのか?」と。
 そこで、解説しておこう。「銀行経営(銀行の帳簿)を、良くするか悪くするか」が大切なのではない。マクロ的な視点が大切なのだ。
 不良債権処理をすると、銀行の帳簿は改善する。では、その原資は、どこから来たか? 「空からお金が降ってきた」と思うのが、「不良債権処理」論者だ。しかし本当は、そうではない。その金は、国民全宝奪ったのだ。金利を下げて、国民から利子所得を奪い、その金で、不良債権処理を進めただけだ。
 当然、国民は、利子所得を失い、その分、総需要は縮小する。不況は悪化する。── これがマクロ的な認識だ。
 つまり、「不良債権処理」というのは、「国民の富を犠牲にして、銀行が自分の帳簿を良くすること」なのである。もっとはっきり言えば、「銀行が国民の富を奪うこと」なのである。「一国経済の不況を悪化させることを代償として、自分の帳簿だけを良くすること」なのである。
 ここでは、「銀行が国民の金を奪う」ということが何よりも重要だ。しかるに、「不良債権処理」論者は、「不良債権処理のコストはかからない」と信じている。つまり、「お金は空から降ってくる」と信じている。こんなのは、ただのまやかしである。彼らは、国民をだましている詐欺師であるか、あるいは、自分自身でも妄想を信じている狂人であるか、そのどちらかだ。

 [ 補足2 ]
 不良債権処理が正しくない、ということを示すために、具体的に例で示そう。
 かつて、日産自動車が莫大な赤字を出していた。ここでは、「日産は不良債権だから、処理して、倒産させよ」というのは正しくなく、「日産を健全化せよ」というのが正しい。日産を倒産させれば、不良債権処理は進むが、その分、銀行に数千億円の赤字が溜まり、その莫大な赤字をを国民全体で負担することになる。日産を健全化すれば、日産は多大な労働者を雇用し、黒字になるから、個人の所得税と法人の所得税を国に何兆円も納入することになる。
 カネボウもそうだし、ダイエーもそうだ。とにかく、「倒産させて、その尻ぬぐいを銀行がやる」のが正しいのではなくて、「倒産させないように経営を健全化する」のが正しい。
 今、銀行は、「不良債権処理」の名目で、利子を払える中小企業さえも、「先行きが不透明」という理由で、「さっさと借金を皆済せよ。さもなくば倒産だ」という形で、どんどん倒産させようとしている。これが不良債権処理だ。こんなことをやればやるほど、経済は悪くなる。
 経済音痴が、日本経済を破壊する。
( → 不良債権物語



 【 注記 】
 本日から、表示設定を変更しました。
 基本となる文字サイズが大きくなりました。


● ニュースと感想  (6月22日)

 「輸出入と通貨と景気」について。
 小林慶一郎の経済解説が掲載された。(朝日・朝刊・オピニオン面 2004-06-06 ) これについて、例によって、解説しておこう。
 記事の趣旨は次の通り。
 (1) 現在の景気回復は輸出主導である。特に対米輸出。
 (2) 米国は双子の赤字が起きている。そのせいで、将来、ドルが下落する可能性がある。
 (3) ドルの下落が起こると、円高などのせいで、日本の景気が悪化する可能性がある。

 これらは、おおざっぱには、正しい。ただし、細かく見ると、正しくない箇所も多くある。彼のいつもの説のように、デタラメばかりということはないのだが、世間の平凡な意見をそのまま引用したらしく、正しい点も間違っている点も世間並みである。そこで、世間の誤解を正すために、以下で指摘しておこう。

 まず、基本として理解すべきことがある。それは、「ミクロとマクロとは違う」ということだ。換言すれば、「質と量とは違う」ということだ。質の改善と量の拡大とは、同じではない。質が改善したからといって、量が拡大するとは限らないし、逆に、量が拡大したからといって、質が改善するとは限らない。両者は別のことである。しかるに、彼は、この両者を混同している。それは、彼が古典派だからだ。
 だから、「ミクロとマクロとは違う」ということを理解しておこう。つまり、マクロ経済学の立場を理解しておこう。そうすれば、あとでいろいろと間違わずに済む。
 では、いよいよ、個別に指摘する。

 (1) 現在の景気回復は輸出主導である。特に対米輸出。
 この部分は、細かな記述も含めて、ほぼ正しい。「日本 → アジア → 米国」という輸出があり、一方、「日本 → 米国」という資金の流れがある。( → 2月12日
 米国の経済成長は、他国からの借金に頼っている。ただし、記事では「欧州や日本から」と記してあるが、中国が抜けている。実は、欧州は通貨ユーロへの介入をしていないが、日本と中国は自国通貨への介入をしている。だから、米国への資金供給をしているのは、「1に中国、2に日本」である。欧州はそのあとだ。
 なお、記事は、特に誤りというわけではないのだが、書くべき点が抜けている。一番大切な点が抜けている。それは、「経済成長と借金とは別だ」ということだ。
 米国ではたしかに経済成長があるが、それは借金(双子の赤字)をしているせいではない。そのことは、日本と中国を見ればわかる。両国は、米国とは逆に、大幅な黒字を出しており、そのことで、輸出拡大による経済成長をなしている。だから、経済成長と赤字とは、別のことであって、因果関係はない。「米国は赤字だから経済成長をしている」ということはない。当然、「米国は赤字がなくなれば経済成長が止まる」ということもない。
 記事では、「米国の消費や投資の活況は、借金に寄りかかっている」と記述しているが、この記述は、正確ではない。「寄りかかっている」という因果関係はない。「借金して、消費している」という事実はあるが、「借金をしたから、消費をしている」のではない。そのことは、個人の行動を見れば、わかる。「借金して、消費している」という事実はあるだろうが、「借金をしたから、消費をしている」のではない。そのことは、個人の行動を見れば、わかる。人には、「借金して、消費する」のと、「借金しないで、消費しない」のと、二つの選択肢がある。この二つの選択肢から一つを選ぶことはできる。しかし、「借金したせいで、消費する」と思い込むのは、勘違いである。それはまるで、「サラ金業者が貸すから、おれは無駄遣いするんだ。おれの人生が破綻したのは、サラ金業者のせいだ」というのと同じ弁解である。
 米国は他国から金を借りているが、「借りない」という選択肢もある。つまり、「ドル安介入」だ。そうしなかったのが、米国の借金が増えた理由である。サラ金業者のような日本のせいだけではない。

 (2) 米国は双子の赤字が起きている。そのせいで、将来、ドルが下落する可能性がある。
 これは不正確である。ドルの下落は、「可能性がある」のではなくて、「必然である」というべきだ。逆の方面から換言すれば、「永遠の借金は不可能である」と言うべきだ。
 記事の趣旨では、「ドルの下落は原則としては起こらない」というふうになっている。しかし、そんなことはない。「永遠の借金」などは不可能なのだから、いつかは借金返済の時期が来る。そのとき、ドルの下落は起こる。
 この問題は、「永遠の借金は不可能である」という事実を理解するか否かによる。私は、この事実を先に指摘した。( → 2月10日 ) しかし、古典派は逆に、「永遠の借金は可能である」というふうに信じているようだ。「無限に借金を繰り延べれば、無限の借金が可能である」と。(「永遠のバブル」と同様。)
 しかし、現実には、いつかは信用不安を起こす。だから、信用不安ゆえに、「永遠の借金は不可能である」となる。そのとき、ドルの下落が起こる。

 なお、記事では、「ドルの下落は永遠に起こらないかもしれない」と記述されている。その理由は、「高い経済成長が続けば、ドルの下落はなしで済む」ということだ。
 これは、まったく正しくない。先にも述べたとおり、「質」と「量」とを混同している。
 「ドルの上昇」が起こるのは、「ドルの価値の上昇」が起こる場合であるが、それは、「経済成長」という量的な拡大によってもたらされるのではなくて、「生産性の向上」という質的な上昇によってもたらされる。もう少し正確に言えば、「生産性の向上」が他国の平均的なレベルを上回ると、その上回った分だけ、ドルが他国通貨よりも強くなる。
 では、現実には、そういうことはあるか? 中期的には、一時的にならあるだろう。しかし、長期的には、ありえない。先進国と途上国とを比較すれば、途上国の方が生産性向上率は高いからだ。当然、アジア各国や中国の通貨は、長期的には現状よりも強くなる。その分、ドルは弱くなる。
 というわけで、米国の経済成長率には関係なく、長期的にはドルは下落する。どちらかと言えば、経済成長率が高ければ高いほど、需要超過が発生しやすく、赤字が増えるので、ドルは下落する。(現状維持と同じ。)

 (3) ドルの下落が起こると、円高などのせいで、日本の景気が悪化する可能性がある。
 これも、「可能性がある」のではなくて、「必然である」と言うべきだ。つまり、日本の現在の「景気回復」は、外需主導であるがゆえに、一時的なものであるにすぎない。その本質を指摘することが肝心だ。「景気は悪化するかもしれない」なんて「原則楽観」では不正確であり、「景気は悪化するはずだ」と「原則悲観」であるべきだ。
 また、「資産バブルが再来するかどうかは不確かだ」と述べているが、これも正しくない。正しくは「バブル(資産インフレ)は、通貨供給量だけに依存して決まる」である。通貨供給量が過剰であれば、不況の脱出後に、必ずバブルが起こる。一方、通貨供給量が過剰でなければ、不況の脱出後に、バブルは起こらない。……つまり、通貨供給量しだいである。
 このことから出る結論は、「不況期においては、過剰な量的緩和をするべきではない」となる。そしてまた、そのことは、「過剰な円安介入をするべきではない」というのと、ほぼ同義である。
 こうして、「過剰な円安介入も、過剰な量的緩和も、するべきではない」という結論が出る。つまり、「円安介入による外需主導の景気回復は間違いである」という結論が出る。その意味は、「そのような介入による景気回復は、たとえ一時的には有効だとしても、将来、ドルの下落を通じて、デメリットが多大に生じる」ということだ。そして、かわりに、「むしろ内需拡大という政策を取るべきだ」という結論が出る。
 外需拡大は、無効ではないが、しょせんは輸出企業頼みであるから、効果は小さい。輸出はそもそもGDPの1割にしかならない。そんなものに頼っても、本格的な景気回復は困難なのだ。「外需主導で内需の拡大を」というシナリオは、小さな不況のときには成立するかもしれないが、現状の不況は、あまりにも大きな不況だから、「一挙に景気拡大」というのは困難なのだ。
 むしろ、最初から「内需拡大」を狙う政策を取るべきなのだ。(以下の[補説]を参照。)

 [ 補説 ]
 好況と不況とは、まったく別々の状況である。好況から一挙に不況になることもあるし、不況から一挙に好況になることもある。(前者の例は、1991年のバブル破裂。後者の例は、第二次大戦のときの米国。)……だから、状況を一挙に転換させることが大事なのだ。「経済は徐々に変化するものだ」とか「景気は循環する」とか、そういう連続的な概念による発想を捨てるべきなのだ。
 景気調節というのは、アクセルとブレーキのようなものだ。不況のときにはアクセルを全開にすることもできるし、インフレのときにはブレーキを最大にすることもできる。その後、現実の経済の変化は、連続的に変化するが、しかし、経済政策そのものは、アクセルとブレーキのように「オン・オフ」型に切り替えることが可能だ。
 現状では、「アクセルを少しずつ上げよう」という政策は正しくない。もちろん、「外需主導でアクセルを少し上げる効果がある」という政策も正しくない。なすべきことは、「内需主導でアクセルを全開にする」という政策だ。そして、それが、「タンク法による減税」なのである。(「中和政策による減税」でもよい。金融緩和の続いたあとでは、両者は実質的には同義になる。)


● ニュースと感想  (6月23日)

 「円安介入の停止と、円安の維持」について。
 円安介入が3月で停止されたが、円安が維持されている。これは、私の予想とは異なった結果である。
 私の予想が間違っていたのか? しかし、「円安介入で円安」というのは、日銀の方針でもあるし、現実にはその効果はある。このこと自体を否定する人は、あまりいないだろう。
 だから、現実が予想と異なった推移をたどったのは、「円安介入の効果がなかった」ということではなくて、「円安介入の効果で円安になっていたが、円安介入のあとでは別の円安要因が新たに発生した」と見なすのが正しいだろう。
 では、別の円安要因とは? それは、米国の市場金利が上昇していることだ。日本の市場金利が少し上昇気味だと言われているが、その程度は微々たるものである。一方、米国の市場金利はかなり上がっている(なぜなら米国の景気回復の足取りは強いし財政は赤字である)ので、世界中の資金が米国に吸い寄せられつつある。……かくて、円安要因が新たに発生した。というわけで、差し引きして、プラスマイナスゼロで、円レートはあまり変化していないのだろう。

 では、今後の見通しは? 米国の市場金利が上がるとしても、どんどん上がりっぱなしということはないだろう。また、「外国から金を借りて、その金で輸入を増やす」ということも、いつまでも続くことはないだろう。「永遠の借金」は不可能だからだ。……となると、やがては、米国の市場金利の上昇は終わり、金利は高止まりし、日本の輸出増加も頭打ちとなり、日本への景気拡大効果(外需増大)も頭打ちとなる。
 日本では、「内需拡大」があれば、マクロ的に「所得増大 → 生産拡大」というスパイラルが生じるが、「外需拡大」があるだけでは、このスパイラルは生じない。企業は外需拡大で業績が向上するが、国民は消費を増やす所得がない。かくて「景気回復」のスパイラルは生じず、「企業業績の改善」だけがある。……これは、マクロ的には、「縮小均衡」である。「不況の悪化」は底打ちしたことになるが、「景気回復」が進んでいることにはならない。
 いわば、「穴の底に達した」だけだ。さらに落ちることにはならないが、元の高さに戻るわけではない。新たに失業者がどんどん発生するわけではないが、失業した人々がどんどん雇用されるわけではない。若年者を中心とした大量の失業者は、依然として失業状態が続く。
 これは「景気回復」とはまったく異なる。にもかかわらず、多くのマスコミは「景気は回復しつつある」なんて述べている。


● ニュースと感想  (6月24日)

 「米国の景気対策と、日銀の円安介入」について。
 米国では、「景気回復しつつある」との声がある一方で、「金利の急上昇」を懸念する声があるという。クルーグマン教授の試算によると、「十年もの国債で7%になる」との試算。
 では、私の示す処置は? 
 第1に、財政赤字と貿易赤字の問題を解決する必要がある。この両者を解決するには、「もっと働く」という形で、「ドル安」にすることが必要となる。「もっと働く」とき、同時に、失業という問題も解決されていく。
 第2に、働いて生産したものが海外に出て行くと、商品が不足し、物価上昇が起こる。これを避けるには、「増税」が必要となる。
 以上の二つを合わせれば、「過去において、働かないで品物を得る、という形で借金をした分、その借金の支払いをする」ということになる。「ツケ払い」だ。

 これだと、苦しいようだが、そんなことはない。第1に、増税によって、物価上昇が抑制される。そのおかげで、「利上げ」を抑制できる。そのおかげで、企業の投資の縮小を免れる。そのおかげで、供給力の拡大と雇用の拡大ができる。
 だから、「苦い良薬」を飲めば、病気を改善できる。その「苦い良薬」が、「ドル安と増税」である。所得をどんどん奪われることになるが、そのかわり、体質は強化されていく。今は苦みを味わうが、どんどん健全になっていく。
 一方、それとは反対なのが、目先の「甘いお菓子」だ。「ドル高」で海外製品を安く購入し、「財政赤字と貿易赤字」で不労のまま品物を得る。「タダで品物を得た」と喜んでいるが、その裏では、借金がどんどん蓄積する。味わうお菓子は甘いが、病気がどんどん深刻化していく。……それが現状だ。

 なお、米国の現状を支えているのは、日銀の「円安介入」だ。(最近ではともかく、少し前まではそうだった。) ここでは、日銀は米国にとっては、「甘いお菓子をお食べなさい」といって健康をむしばむ悪魔のようなものだ。その言葉を聞けば、いい思いができるが、あとで苦しむ。
 しかし、いったんいい思いをした以上、あとで苦しむことは不可避だ。とすれば、米国は今後、これ以上は悪魔にむしばまれないために、「良薬を飲む」ことが最善である。
 そして、そうなったとき、日本はもはや、米国に甘いお菓子を食わせることができなくなる。当然、円安介入の停止のあとで、(原理的には)円高が起こるはずで、それにともなって、輸出が減る。景気は悪化する。……これが今後のシナリオ。
 ただし、前項でも述べたとおり、最近は円高があまり進んでいない。それは米国の市場金利の上昇のせいだ。この件については、あとでまた述べる。

 [ 付記 ]
 少し前の統計によると、米国の貿易赤字が史上最大に拡大した。3月の貿易赤字は 459億ドル。輸入全体が 1406億ドルだから、その 33% に相当する。とんでもない巨額だ。
 貿易赤字の本質は、「外国からの借金」である。そして、当り前のことだが、「無限の借金」はできない。いつかは返済を迫られる。そして、そのとき、ドルの暴落が起きる。換言すれば、円の暴騰だ。
 これは、かつて発生したことがある。レーガノミックス時代、「強いドル」政策で、人為的に「ドル高・円安」をもたらして、莫大な貿易赤字(と財政赤字)を発生させた。その間は、幸福だった。というのは、借金生活をしているので、「働かないで富を得る」ということが可能だったからだ。
 ところが、その後、反動が出た。ドルは暴落し、円は暴騰した。そして、それに対処するため、日銀がとんでもない金融緩和を実行したあげく、バブルが発生した。そのあとは、バブル破裂と、長期不況。
 今また同じ路線をたどっている。米国はレーガノミックスを実行している。当然、このあと、円の暴騰が起こる。そろそろ覚悟しておいた方がいいだろう。これまでは日銀の「円安政策」のおかげで、楽しい思いをしてきたが、まもなくツケ払いの時期がやってくる。なぜなら、米国にとって「無限の借金」はできないからだ。つまり、米国が借金してたくさん輸入してくれることは、そろそろ打ち止めになるのだ。

( ※ 本項を最初に執筆したのは、実は、4月上旬でした。そのため、統計などの記述が少し古くなっています。)


● ニュースと感想  (6月26日)

  【 追記 】 ( 2005-01-22 )
 本項の言及内容は、あまり正しくないようですので、内容を消去します。
 ただし、参考のために、元の文章をそのまま小さい淡い字で残しておきます。
 「アジア通貨危機」について。
 アジア通貨危機については、これまで何度か言及してきた。ただし、言及しなかった(見落としていた)点もあった。それは、「ドルの利上げ」である。これもまた、アジア通貨危機については影響があった。
 さて。何で今またアジア通貨危機を話題に取り上げるかと言うと、結果としての「アジア通貨危機」が眼目になっているのではない。原因としての「ドルの利上げ」が最近また起こりかけているからだ。

 まずは、アジア通貨危機について、改めて言及しよう。次の事実があった。
 1994年に、米国で大幅な利上げがあった。FRB(米国連銀)が「年間で合計3%」という大幅な利上げを実施したのである。その結果、どうなったか? それまで海外投資に向かっていた資金が、急激に、米国へと環流した。……実は、これが、「アジア通貨危機」の主たる原因であったらしい。
 なお、アジア通貨危機の原因として、私は次のことを理由として指摘してきた。
 「アジア各国の通貨は、ドルに連動していた。そのせいで、ドル高に応じて、各国通貨も、通貨高になっていた(特に円に対して高くなった)。かくて、各国では大幅な貿易赤字が発生して、通貨の信用不安を招いた」
 こういう話は、クルーグマンなどの学説に依拠した。というのは、私はもともと経済学の専門家ではないし、1994年当時の経済情勢や通貨情勢には詳しくなかったからだ。他人の話を聞くしかなかった。
 そしてまた、こういう経済学者が、次の主張をしていれば、かなり納得していた。
 「固定レートでなくて、変動相場制にしていれば、多大な貿易赤字は発生しなかった。強すぎるドルに連動する固定相場制は好ましくなかった」
 「変動相場制にすると、いったん通貨が弱くなると、先安を見込んで通貨が雪崩を打って流出するので、変動が大きくなりすぎる。だから、変動相場制よりは、固定相場制の方が好ましい」
 この両者は、まったく正反対の結論を下しているのだが、どちらももっともらしく思えたものだ。

 だが、こういう発想(特に「変動相場制の支持」)は、あまりにも「古典派」の「自由放任で最適」という発想に依拠しすぎているようだ。「放置すれば均衡点で最適状態になる」というような話は、あまりにも単純すぎる。
 そもそも、よく考えればわかるとおり、このような説は、「1国だけの通貨危機」を説明することはできても、「多くの国で同時発生するアジア通貨危機」を説明することはできない。韓国通貨やタイ通貨の通貨危機を個別に説明することはできても、両者が同時発生することを説明できない。

 アジア通貨危機は、アジア各国において同時発生した。とすれば、その理由は、各国の個別の通貨にあるのではなくて、もう一方の側である「ドル」という通貨にあるのだろう。各国の通貨が弱くなったからアジア通貨危機が起こったのではなくて、ドルという通貨が急に強くなったからアジア通貨危機が起こったのだろう。そう考えるのが自然だ。
 そして、よく見れば、当時、たしかにドルは急激に強くなったのだ。その理由は、通常ならば、次の二つが考えられる。
  ・ 米国の生産性が急激に向上して、米国の貿易収支が急激に大幅黒字になった。
  ・ 米国で金利が急激に上昇して、世界各国の資金が急激に米国に環流した。

 現実には、後者の事実があった。つまり、「年間に金利が3%も上昇する」という事実である。これがアジア通貨危機の原因であった、と結論していいだろう。
 結局、アジア通貨危機は、システムが急におかしな働きをするようになったから発生したのではなくて、米国の金融当局が急におかしな働きをするようになったから発生したのだ。それが結論である。
 ついでに言えば、今もまた、米国が同様に急激に利上げをすれば、ふたたび似たことが起こる可能性は、十分にある。そのことに注意しよう。米国の金利は、景気回復や原油高にともなって、上昇基調にある。対応を間違えれば、ふたたび世界経済は混乱に渦にはまりかねない。
 金融政策は、経済を最適化することは必ずしも可能でないが、経済を混乱に突き落とすことは可能なのだ。……通貨乱発なら、ハイパーインフレを引き起こす。急激な利上げなら、通貨危機を引き起こす。

 [ 付記 ]
 アジア通貨危機のときには、IMFは「各国は流出した資金を環流させるために、大幅に利上げをせよ」と処方した。その処方に従った韓国は、金利を年 25%( 2.5%ではなくてその10倍)という途方もない高金利に設定した。そのおかげで、通貨安は免れたが、高金利のせいで投資が縮小し、韓国経済は不況のどの底に落ちた。
 IMFは、本来ならば、「アジア各国は利上げをせよ」と処方するよりも、「米国は利下げをせよ」と処方するべきだったのだ。「米国がいびつになったならば、他国もバランスを取るために同様にいびつになれ」と処方するよりも、「米国がいびつになったならば、米国自体がいびつな状態を是正せよ」と処方するべきだったのだ。
 しかし、IMFには、その発想がなかった。マネタリズムの発想によれば、すべてはマネーだけでバランスを取ればいいから、どちらにしても同じことに見えたのだ。
 しかるに、マクロ経済的に考えれば、たとえマネーについてバランスが取れたとしても、生産量については「好況」と「不況」の差がある。マクロ経済学的に考えれば、どちらが正解であり、どちらが不正解であるか、はっきりと判明する。
 マネタリズムに従うと、マクロ経済学的な発想がなくなるから、正しい処方を選択することができない。それが当時のIMFの失敗である。そしてまた、同じ発想は、今でも大多数の経済学者の頭にしみこんでいる。不況のさなかに「金融政策だけ」という原則のもとで「量的緩和」としか主張できないマネタリストが、あまりにも多すぎる。

 [ 補足 ]
 念のために解説しておけば、景気変動に対して、「マネタリズムは不正解」ということのかわりに言いたいことは、「マクロ経済学は正解」ということだ。
 景気変動に対しては、「金融政策だけ」というマネタリズム的な処方を取るべきではなくて、財政政策や増減税などのすべてを最適の量に調整するという処方を取るべきだ。たとえて言えば、両手が使えるときに「片手だけでやれ」という処方は、最適の処方とはならないのである。
 結果的に、「片手だけでやるのが最適だ」(金融政策だけをやるのが最適だ)というふうになる場合も、あることはある。しかし、あらゆる場合について、そうなるとは限らない。とすれば、あらかじめ「片手だけ」(金融政策だけ)というふうに、自らを束縛しておけば、なすべきこともできなくなるのだ。
 にもかかわらず、あえて「おのれの手を束縛せよ」と主張する人々がいる。それが「金融政策だけ」と主張するマネタリストだ。(一種の禁欲主義者なのかも。……私の想像では、「頭が固いだけ」だが。)

( ※ 米国の金利上昇については、前項を参照。「利上げ」以外の処方も示されている。)


● ニュースと感想  (6月27日)

 人名漢字についての追記 → 6月15日 [ 追記2 ]


● ニュースと感想  (6月28日)

 「中国通貨の切り上げ反対論」について。
 中国通貨(元)の切り上げを求める声が強いが、これに対する反対論が上がっているそうだ。ノーベル賞受賞のマンデルの意見。(マンデルは欧州通貨「ユーロ」の理論的背景を築いた。)(朝日・朝刊・経済面 2004-06-27 )
 これについて評価しておこう。簡単に言えば、こうだ。マンデルの主張は、まったくのマネタリズムの主張である。経済をすべてマネーで片付けようとする。そのせいで、生産量というものがまるきり無視されている。重要な面で、認識が欠落している。

 詳しく言えば、こうだ。
 核心を言えば、実は、切り上げを実施しようと実施しまいと、大差はない。なぜか? その理由は、こうだ。……切り上げを実施しなければ、多大な貿易黒字が発生するので、大量の外貨が流れ込む。その大量の外貨を、中国通貨に交換すれば、中国通貨の貨幣価値が低下する。(貨幣数量説による。)貨幣価値の低下とは、つまり、物価上昇である。ここで、「物価上昇前の通貨の貨幣価値」と「物価上昇後の通貨の貨幣価値」とは、異なる。通常、前者は高く、後者は低い。後者の時点で、固定相場制を実施したとすれば、貨幣価値の低いものに同じドルの価値がつくことになるのだから、中国全体の富は増えることになる。これは、中国の通貨が切り上げられたのと同じ効果がある。
 わかりやすく示そう。今、中国のGDPが1兆元で、レートが「1ドル=1元」で、貿易黒字により10%の切り上げが迫られているとする。この場合、次の二つが可能である。(数字はあくまで仮定のものである。簡略化のために仮想的な値を用いている。)
  ・ 10%の切り上げを実施する。  → 翌年のGDPは、1兆元=1兆1千億ドル
  ・ 10%の切り上げを実施しない。 → 翌年のGDPは、1兆1千億元=1兆1千億ドル

 つまり、どちらにしても、GDPは同じであるし、国民の生活レベルも同じだ。単に、物価上昇が起こるかどうか、という違いがあるだけだ。
 要するに、「固定相場制」というのは、純然たる「通貨価値の固定」がなされるわけではない。固定相場制を実施すれば、その通貨の貨幣価値が低下するので、実質的には、変動相場制を実施したのと同じ効果がある。
 たとえば、「固定相場制ならば人件費が抑制されるから国際競争力は保たれる」というのがマンデルたちの主張だが、実際には、物価上昇を通じて、人件費も上昇するから、固定相場制だからといって国際競争力が高まるわけではない。
 なお、マンデルは「失業者が多いから人件費は上昇しない」と主張している。しかし、これは貨幣数量説の自説に自己矛盾している。物価上昇の起こるインフレ期には、失業者の多少に関わらず人件費は同程度に上昇するものだ。(仮に、人件費が上昇しなければ、国民所得は物価上昇率の分だけ実質的に減少するから、物価上昇率の分だけGDPは縮小する。つまり、スタグフレーションだ。これはインフレよりもタチが悪い。……実際には、そうなることはまずありえないが。とはいえ、マンデルの主張は、「インフレは起こらない」だから「スタグフレーションになる」であり、「GDPは物価上昇率の分だけ減少する」となる。ほとんど愚説である。)
 
 もう少し本質的に見よう。
 マンデルは高度成長期の日本が固定相場制で高度成長をなしたことに着目している。そこで「中国も固定相場制で高度成長が実現できる」と主張している。しかし、これは、高度成長というものをあくまでマネーだけで片付けようとするマネタリズムの落とし穴にはまっている。
 経済成長は、通貨政策だけで決まるのではない。「日本は固定相場制で高度成長を実現したから、中国も固定相場制で高度成長を実現できる」というのは、「日本は日本語を話して高度成長を実現したから、中国も日本語を話せば高度成長を実現できる」というのと同様で、理屈になっていない。
 そもそも、日本が高度成長をなしたのは、なぜか? それは、「経済成長の理論」で説明される。前にも何度か述べたが、それは、「迂回生産」だ。当時の人々が、自らの消費を抑制し、社会基盤や企業設備の投資のために、金を使った。投資を増やし、消費を抑制した。このことで、生産能力を高めて、失業者を雇用していった。……これが高度成長の原理だ。アジアの高度成長も、ほぼ同様である。
( ※ ついでに言えば、「生産性の向上」が理由ではない。主として「労働者の雇用率を高めたこと」が理由である。そのことはクルーグマンが指摘している。ただし、「労働者の雇用率を高めること」のためには、企業が投資を増やす必要がある。そのことをここで指摘した。)
 だから、中国の高度成長も、それを実施するためには、「失業者の雇用を増やす」ことが必要であり、そのためには、「投資を拡大すること」が必要だ。この「投資の拡大」こそが、高度成長の根源であって、「固定相場制」なんていう通貨政策は、ほとんどどうでもいいことなのだ。固定相場制を取ろうが取るまいが、物価上昇が起ころうが起こるまいが、とにかく、「投資の拡大」と「雇用率の上昇」さえあれば、高度成長は実現される。これが本質だ。(固定相場制なんかに目をたぶらかされてはならない。)

 さて。以上からすると、「固定相場制も変動相場制も、どちらも同じだ」となるが、実は、まったくそうであるわけでもない。なるほど、原理的には、どちらも大差はない。ただし、変動相場制ならば、「なめらかな市場」があるが、固定相場制ならば、「介入された市場」がある。後者では、市場の動きに、歪みが出る。そのせいで、経済のあちこちに、歪みが出る。
 最大の歪みは、「米国の貿易赤字」や「中国の貿易黒字」であり、「中国の外貨資産が膨大になること」である。これらは、一時的には蓄積するが、あとでは解消されるだろう。たとえば、中国の通貨レートがいつかは切り上げられるので、その時点で、中国は受け取るべき外貨資産の価値が実質的に大幅減少する。中国は無用な介入をした分、大損をする。その損によって、過去の介入の歪みを正す。
 このような歪みは、一国経済の規模が小さければ、あまり問題にはならない。たとえば、小国であった過去の日本がいくら貿易黒字を出そうと、世界経済にはたいして影響がなかった。しかるに、今の中国は、一国経済の規模が大きい。中国が経済変動を起こせば、世界各国で問題が生じる。たとえば、対中輸出の増加に大きく依存している日本は、中国の景気変動の影響をもろに受けて、被害を受けかねない。
 
 マンデルは、変動相場制を否定する理由として、「レートが大きく変動しすぎること」を挙げている。なるほど、その指摘は正しい。しかし、だとすれば、正しい対処は「大幅なレート変動を避けるために小規模の介入すること」であって、「固定レートにするために大規模の介入すること」ではない。レートの振幅が年プラスマイナス5%程度になるように介入するのならば妥当だが、一定のレートを決めて変動を皆無にしようとするのは妥当ではない。

 結語。
 固定相場制と変動相場制は、結果的には、大差は生じない。どちらにしようと、中国のGDPは伸びて、経済は成長する。ただし、物価上昇が起こるかどうかという差がある。他にも、経済の歪みが起こるかどうか、という差がある。これらの歪みをなくすには、変動相場制の方が好ましい。固定相場制は、市場への介入を意味するので、その介入の分だけ、市場が歪み、経済が歪む。
 経済成長は大事だが、それは、通貨レートや通貨政策によって決まるのではなくて、一国全体の経済政策によって決まる。「固定相場制ならば高度成長」という説は、単純すぎて、正しくない。高度成長をもたらすものは、マネタリズム的な通貨政策ではなくて、雇用率を上昇させるための全体的な経済政策である。

 [ 余談 ]
 マンデルは、ユーロ導入の基礎も築いた。しかし、「ユーロ」という共通通貨政策もまた、正しくない。正しくは、「各国の所得水準に応じた別々の通貨」である。たとえば、次のように区別する。
 ・ 先進国 …… 安定成長の通貨政策(物価上昇率・資金需要・金利は、いずれも低め。消費重視。)
 ・ 中進国 …… 高度成長の通貨政策(物価上昇率・資金需要・金利は、いずれも高め。投資重視。)
 そして、こういう区別をするためには、イギリスなどの先進国と、ハンガリーなどの中進国は、別々の通貨をもち、別々の通貨政策をもつべきだ。「共通の通貨」は、その手段を破壊する。
 かくて、今の欧州では、先進国は高い失業率に悩み、中進国は経済成長が不十分であることに悩む。……わかりやすく言えば、「共通の制服」は、体の大きい人にも、体の小さい人にも、不適合なのである。
( ※ ユーロについて同趣旨のことは、すでに述べたことがある。)


● ニュースと感想  (6月30日)

 「失業と雇用の海外流出」について。
 「失業者が増えるのは、雇用が海外に流出するからだ」という説がある。この当否について考えよう。
 まず、失業者数が増えていること。これは、2000年以降の日本にも米国にも当てはまる。ただ、日本はGDPがまさしく以前よりも縮小しているのに、米国はGDPは回復している。米国では、「職なき回復」(ジョブレス・リカバリー)になっている。( → 2月06日b5月06日 以降 )
 そこで、特に米国に着目して、「景気が回復しても、失業率が改善しないのは、雇用の海外流出が進んでいるからだ」という説が生じた。たとえば、IT関係の雇用がインドなどに流出しているので、その分、米国内の雇用が奪われる、というわけだ。
 これに対して、マンキューという高名な経済学者が反論した。「そんなことはない。市場を通じて雇用はちゃんと均衡するから、雇用の流出なんていう問題は発生するはずがない」と。
 ところが、その後、「失業率が改善しないじゃないか。おれたちの雇用を守る気はないのか」とあちこちでさんざん叩かれて、「ごめんなさい」とマンキューは頭を下げた。今年の春ごろの出来事だ。
( ※ マンキューは、「新ケインズ派」と称される学派に属する。これは、不完全市場を唱えるが、あくまで古典派の一派であり、あくまで「神の見えざる手」を信奉する。マクロ経済学の解釈は取らない。というわけで、共和党の覚えがめでたく、共和党政府の経済政策担当者に任命された。民主党で任命されたスティグリッツとは全然違う。)

 さて。これに関連して、具体的な情報も示しておこう。
 (1) 5月の統計では、米国の就業者数は大幅に増加したが、失業率は同じだ、というデータがある。つまり、就業者数は増えても、失業者の問題が解決していない。(2004-06-05 の記事)
 (2) 米国の労働省の調査で、「雇用の流出なんかありえない」という調査結果が出たという。米国の雇用流出の数を調べて、失業者全体と比べると、たったの2%だけだ、という。つまり、1月〜3月の失業者18万人で、一方、アウトソーシング(外部委託)による失業の割合は 2.5%だ。だから、アウトソーシングによる雇用減など、たいしたことはない、という結論だ。ただし、この結論には、「この調査は大企業だけを見ているから無意味だ」という米国の新聞の批判もあるという。(朝日・朝刊・経済面 2004-06-12 )

 このうち、(1) はあまり意味がないと思えるので、(2) についてだけ言及しておこう。
 米国の労働省のこの調査は、デタラメであろう。「雇用流出」というとき、アウトソーシングの数だけを見ても仕方ない。雇用流出は、失業者全体の2%どころか、100%を大幅に上回っているはずだ。なぜなら、
  ・ 雇用流出
  ・ 雇用流入
 の二つがあるからだ。そして、両者の差が、雇用の純流出である。
 これは、商品の貿易と比べると、よくわかる。輸出と輸入の双方があって、その差が貿易赤字(貿易黒字)となる。輸入の額がそのまま貿易赤字になるのではない。どんなに輸入が増えても、輸出もまた同じように増えれば、貿易収支は赤字にならない。
 雇用も同様だ。どんなに「雇用流出」があっても、その分、「雇用流入」があれば、失業には影響しない。問題は、「雇用流出」と「雇用流入」の差だ。

 では、その差は、どれだけか?
 実は、これを知るには、雇用を調べる必要はない。貿易収支を調べればよい。次の意味があるからだ。
  ・ 貿易赤字 …… 働かないで、外国からの借金で商品を買う。
  ・ 貿易黒字 …… 働きすぎで、金を得ても、自分では買わず、外国に貸す。
 今の米国は、前者である。つまり、ろくに働かないで、外国から借金をして、多くの商品を買っている。働かないで変えるのだから、幸福ではあるが、その分、帳簿には借金がどんどん溜まっていく。(いつかは返済を迫られる。)
 ここでは、幸福なようではあるが、「ろくに働かない」ことゆえ、失業率も高い。だから、「失業率が高い」ことと、「貿易赤字が巨額である」こととは、等価なのだ。

 では、どうすればいいか? もちろん、その逆にすればよい。つまり、貿易黒字を出せばよい。そのためには、現状の「ドル高」をやめて、「ドル安」にすればよい。すると、次のようになる。
  ・ ドル安で、輸出競争力が高まり、失業率は改善する。
  ・ ドル安で、輸入品の競争率が下がり、輸入品をあまり買わなくなる。
 要するに、「働かないで、買う」という生活から、「働いて、買わない」という生活へ、転換するわけだ。これが、「失業率の改善」の本質的な方法だ。
 米国は、いずれは、そうすることを迫られる。短期的にはドル高でお気楽な生活をしていられるが、いつかはドル安で帳尻あわせを迫られる。
( ※ なお、そのとき同時に、日本は「ドル安・円高」に襲われて、「外需頼みの景気回復」という幻想から、目を覚まされる。「景気は自律的に回復しつつある」という幻想が壊れて、「景気回復は実は外需頼みだった」という現実と直面せざるを得なくなる。)

 まとめ。
 失業の増減は、「雇用の流出」という面だけを見ても意味がない。一国全体の「生産」と「消費」を見るべきだ。海外との関係で「生産不足・消費過剰」であれば、その分が、純然たる雇用の流出となる。これを避けるには、海外との関係で「生産不足・消費過剰」をやめるべきだ。つまり、通貨レートを下げるべきだ。これが本筋である。
 一方、国内だけの「生産量の不足」は、マクロ経済の問題である。これは、マクロ的に考えればよい。
 この二つの問題は、分けて考えるべきである。

 [ 付記1 ]
 「雇用流出」に対する処置としての、「自由貿易」の是非について言及しよう。
 米国では、景気回復後の失業問題(ジョブレス・リカバリーの問題)について、「自由貿易を制限せよ」という主張が出た。「自由貿易を制限して、輸入を減らせば、その分、国内の生産が増えて、雇用が増える」という論法だ。先の民主党の大統領候補を決める過程でも、このような主張が政策として出たこともあった。
 一方、マンキューは、「自由貿易による均衡」を主張した。「貿易が自由ならば、輸出入は均衡するはずだから、雇用の流出などはありえない」という原則論である。ところが、現実には、「自由貿易による均衡」などは成立しない。「莫大な貿易赤字」という現実がある。かくて、マンキューの主張はもろくも崩れ、マンキューは頭を下げるハメになった。
 では、「自由貿易」という原則が間違っていて、「保護貿易」という貿易制限派の主張が正しいのか? もちろん、そんなことはない。原則は、「自由貿易」であっていいはずだ。では、なぜ、その原則が成立しないのか? 
 もちろん、それは、「通貨政策」による介入だ。過剰なドル高があると、多大な貿易赤字が発生する。これに加えて、ある程度の投機資金の介入も考えられる。
 現実には、介入したのは、米国の通貨当局ではなくて、中国および日本の通貨当局だった。両者が「自国通貨安(元安・円安)」という政策を取ったため、「ドル高」という状況が生じた。かくて、中国と日本では雇用が増えて、米国では雇用が減った。
 結局、「自由貿易」という原則が間違っているのではなくて、この原則を歪める通貨政策が間違っている。だから、失業解決のためには、「自由貿易」という原則を否定して「保護貿易」にすればいいのではなくて、「自由貿易」という原則を歪める通貨政策を改めればいい。この点を勘違いしないようにしよう。

 [ 付記2 ]
 「雇用の流出」と関連して、「産業の流出」(いわゆる「ドーナツ化」)についても、言及しよう。
 「産業の流出」つまり「海外へ生産力が移転すること」は、良いか悪いか? 「雇用を守る」という面から見ると、「悪い」と思えるかもしれない。一部の経済学者は、「ドーナツ化が進むから日本は失業が増えてデフレになる」などと主張するありさまだ。
 しかし、「産業の流出」は、いくら進んでも、まったく問題がない。たとえば、これまで、日本にあった低能率な産業は、次々とアジア諸国に移転していったが、その分、高能率な産業が新たに拡大した。雑貨や繊維の産業が中国に移転して、ハイテク産業が日本で拡大した。これはこれで、まったく問題はなかった。(少なくとも、バブル破裂の時期までは、まったく問題がなかった。)
 だから、「産業の流出」は、それ自体では、まったく問題はない。問題があるとしたら、差し引きで問題が生じた場合だ。つまり、貿易赤字が発生した場合だ。この場合、生産力が海外に移転したのに、国内ではかわりの生産力が育っていないことになるから、問題である。
 では、現実には、どうだったか? 日本も米国のように、巨額の貿易赤字が発生したか? いや、そんなことはなかった。バブル破裂後も、日本はずっと、巨額の貿易黒字を出し続けた。とすれば、海外との関係を見る限りは、「産業の流出」はまったく起こらなかった、ということになる。
 一般に、「産業の流出」ないし「ドーナツ化」は、進めば進むほど好ましい。それはつまり、低能率な産業が衰退して、高能率な産業が拡大することだ。つまり、一国全体の生産性が向上することだ。そして、それにともなって、一国の通貨が強くなることだ。
 ただし、それはあくまで、「貿易収支が均衡している」ことが前提となる。この前提が崩れているときには、「貿易赤字」も「産業の流出」も好ましくない。ただし、ここでは、「貿易赤字と産業の流出があるから、状況は悪い」のではない。「無用な介入があるから、悪い状況が発生する」のである。原因と結果を間違えないようにしよう。
 愚かな政治家は、「貿易赤字」と「産業の流出」という結果だけを見て、「だったら保護貿易にしろ」と結論する。しかし、そういう対症療法では、駄目なのだ。物事の根源である「余計な介入」という本質な問題を直すことが大切なのだ。
 風邪を引いたときに、熱が上がる。素人は「熱を下げよ」と強制的に症状をなくそうとする。しかし、それでは、本質的な解決策にはならない。症状よりも、病気の根源が大事なのだ。そして、このことを理解しない政治家は、「貿易赤字」と「産業の流出」という結果だけを見て、あくまで結果だけを改善しようとして、短絡的な直接的な素人療法を取り、かえって状況を悪化させてしまうのである。


● ニュースと感想  (7月01日)

 ライブドアによる近鉄買収について → 6月16日c









   《 翌日のページへ 》





「小泉の波立ち」
   表紙ページへ戻る    

(C) Hisashi Nando. All rights reserved.
inserted by FC2 system