[付録] ニュースと感想 (74)

[ 2004.8.22 〜 2004.9.27 ]   

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● ニュースと感想  (8月22日)

 「未知の素粒子」について。
 量子力学に未知の現象が発見され、未知の素粒子が予測されているという。さらには、標準理論の破綻がはっきりしたので、新しい理論の構築が要請されているという。
 では、新しい理論とは、どんなものか? 量子力学と重力理論を統一したものらしい、と漠然と感じられているようだ。ただし、実は、「こういうものだ」というふうに、はっきりと明示できる。そのためには、空間の新しい認識が必要だ。
 詳しい話は、先に公開した、量子力学のページに「オマケ」として記述しておいた。専門家向けなので、素人が読んでも、ちんぷんかんぷんです。

  → 二重スリットと観測問題 (オマケ)

( ※ 古いバージョンのファイルとの比較を知りたければ、お手持ちのファイルと最新バージョンとを、「ファイル比較ソフト」で調べるといいでしょう。いろいろあります。vector などで入手可。朝日・週末版 be 青色版 2004-08-21 にも解説されている。)

 [ 付記 ]
 朝日の上記記事には、URL が書いてあるのだが、そこでは数字の「 1 」と半角英字の「 l 」(エル)がほとんど同じ字形であるため、うまく区別がつかない。狂気的ですね。
 ま、パソコンなら、文字が区別できなくても、コピーすることで自動的に正しい文字になる。しかし、新聞記事では、その手は使えない。ちゃんと字形を区別して印刷してもらいたいものだ。
 例。「kill1120」,「kill1120 」,「kill1120
 つまり、「数字だけは太字か斜体にする」など。


● ニュースと感想  (8月22日b)

 「中国の報道規制」について。
 中国で、日本の国旗が焼かれたり、大使館員の乗っている乗用車が破壊されたり、といった暴動が起こっているが、そのことが報道規制されているせいで、中国でまったく報道されないという。こんなことでは駄目だ、と読売が指摘している。(読売・朝刊・解説面 2004-08-20 )
 言っていることはまさしくその通りだ。しかし、一般人が言うならいざ知らず、新聞社がそんな他人事みたいなことを言ってもらっては困る。「ちゃんと報道する」のは、ほかならぬマスコミの使命ではないか。「ちゃんと報道するべし」って、自分自身に言ってほしいですね。
 なぜか? たしかに、読売は中国の新聞ではない。しかし、今では、インターネットという道具がある。これを利用すればよい。インターネットに「読売新聞・中国版」というのを公開して、 yominet.cn  なんてサイトで、中国語の新聞を出せばよい。
 そもそも、情報は、新聞社が握っている。たとえば、私が読売新聞の記事を中国語訳して、適当に広告を集めて、「読売・中国語版」なんてサイトを立ち上げれば、大儲けできるが、たちまち読売新聞社が「著作権の侵害だ」と言って、文句を言うに決まっている。ま、それは正当な文句であるが、だったら、私なんかにやらせないで、自分でやればいいではないか。
 そうすれば、読売は広告料で儲かるし、コストは翻訳料以外はほとんどかからないし、中国ではすごく有名になるし、中国人は情報を入手できるし、いいことずくめだ。
 ま、こうすると、中国当局は、きっと「読売・中国語版」へのアクセス制限を実施するだろうが、それまでに、読売中国語版は、世界各地に転載されて、情報がばらまかれるから、中国当局としては、そのあちこちのページをしらみつぶしにすることはできない。だいいち、google のキャッシュに入ったら、制限はちょっと無理だろう。それとも、google へのアクセスを制限するんですかね? それは自殺行為。

 ま、朝日でも読売でもいいが、「真実報道」の中国語新聞を立ち上げてもらいたいものだ。それが面倒だというなら、少なくとも、どこかの誰か(たとえば私)が勝手に転載して大儲けするのを、邪魔しないで欲しいですね。
( ※ 事業の試算をしよう。コストは、日本語の読める中国人にやらせるなら、一日五千円ぐらい。公開する手間は、ブログみたいな形で単純にHTML化すれば、ほとんど無料。一方、広告は、いくらでもいいが、1日に1万円を上回れば十分。……簡単ですね。容易に黒字になります。3年ぐらいで、すごく売上げが増えているかも。その時点で株式を売ると、google 創業者みたいに巨万の富が手に入るかも。)
( ※ 読売新聞は、ヤンキースの球場に、「読売新聞」という馬鹿でかい漢字の看板を出して、大恥をかいた。莫大な金を払って宣伝をして、自己の悪宣伝をしただけ。……この金を別のことに使えばいいのに。)


● ニュースと感想  (8月23日)

 「UFJ問題」について。
 UFJの問題について、エコノミストの分析があるが、勘違いが多いようなので、私なりに解説しておく。
 まず、「経済的にどうなるべきか」という問題と、「法律的にどう判断されるか」という問題とは、別である。このことをわきまえておこう。

 第1に、経済的には? UFJは、三井住友と合併するよりは、東京三菱と合併する方が、補完的な効果が大きいから、当初の計画通りの方が、経済的なメリットは大きい。UFJにとっては、それがベストだろう。ただし、三井住友にとっては、ライバルがデカくなるのは自社のデメリットだから、ライバルをたたきつぶすためにUFJとの合併を選択するのも当然である。三井住友にとっては、現状維持がベストであり、次善がUFJとの合併だ。もしうまく合併できたら、UFJを適当に切り売りしたり、元UFJ社員を二級社員扱いしたりして、デメリットをなるべく減らそう、という道を取るだろう。……というわけで、UFJは、東京三菱と合併するのが自然である。

 第2に、法律的には? 契約では、信託銀行について「独占交渉権」というのを認めている。とすれば、契約に違反すれば、違約金を払うのが、当然だ。違約金を払うとなれば、その前提として、あくまで「独占交渉権」を認めるべきであり、違約金を払わない限りは、「独占交渉権」の一方的廃棄は認められない。当然だ。この意味で、一審の判決は当然である。
 一方、二審は、「もはや実質的に両者の関係は破綻しているから、独占交渉権は無意味」と判決している。馬鹿げた判決だ。法律を無視している。実質的にどうするかを決めるのは裁判所の仕事ではない。法律が有効かどうかを決めるのが裁判所の仕事だ。つまり、「契約は有効だから、契約破棄するなら違約金を払え」と判決するべきだ。なのに、「契約はもはや守れないから、契約は無効だ」と判決している。気違いじみている。
 このような判決が正当化されるとしたら、次の行為はすべて合法となる。  これらの行為がすべて合法化されてしまう。馬鹿げた話だ。裁判所というのは、ある法律を厳守するかどうか[つまり行為意思]を決めるところではなくて、「法律違反をしたら罰を加える」ということを判決するところだ。結婚の破棄なら、慰謝料。無銭飲食なら、罰金・拘留。殺人なら、懲役または死刑。……そういうふうに判決をするべきだ。「守れなかったから守らなくていい」なんて判決は、狂気の沙汰である。
 UFJに戻っていえば、「契約の一方的な破棄には、違約金を払え」と判決するべきだろう。逆に言えば、「違約金を払わない限りは、独占交渉契約は有効」と見なしてもいいだろう。たぶん。……そのあたりは、いくらかは判断の裁量の余地があるが。


● ニュースと感想  (8月23日b)

 「朝日のデタラメ記事」について。
 また例によって、小林慶一郎が、とんでもないデタラメ解説を書いている。この人は、経済学の教科書にもない珍説を、やたらと書き散らすが、いい加減、世論を惑わすのはやめてもらいたいものだ。はっきり言って、「トンデモ」である。

 今回は、経済について、「市場原理主義」と「設計主義」という区別をしている。UFJ銀行をどうするか、ということを例にしているらしい。
 しかし、UFJ銀行の問題は、こんな問題とは何の関係もない別問題だ。ただの法律論であるにすぎない。経済学者の出る幕はない。( → 前項 )
 一方、「市場原理主義」と「設計主義」なんてのは、初めて聞いた区別だ。たぶん、小林の造語だろう。こんな馬鹿げた区別は、これまで誰もしなかったはずだ。
 そもそも、市場原理主義に対立するのは、経済学的には、次の二つだ。
  ・ マクロ経済学
  ・ 社会主義経済
 前者は、「ミクロ的には市場原理だが、マクロ的には国家調整」という立場だ。市場原理そのものを否定しているのではなくて、「市場原理万能」という極端な説を排除しているだけだ。
 後者は、市場原理そのものを否定している。今回、小林が「設計主義」と呼んでいるのは、この「社会主義経済」のことだ。だったら、いちいち「設計主義」なんていう用語を用いずに、「社会主義経済」と呼べばいいのだ。そして、社会主義経済が駄目だということは、誰でも知っているのだから、いちいち解説する必要などはない。「設計主義」なんていう用語で概念を混同させようとするべきではない。
 記事では例として、米国の例を挙げている。一部銀行で金融破綻問題が起こったときに、金融業界に奉加帳を回して、破綻処理をした。これを「設計主義」なんて呼んでいるが、例としてはまずすぎる。これは単に、「金融業界に増税して、破綻処理の資金の穴埋め」というのをやめて、直接的に奉加帳を回しただけだ。どっちにせよ、実質的にはほとんど同じことなのだが、奉加帳の方が、ずっと速く済む。法律処理の手間を減らしただけのことだ。経済的には、何の意味もない。
 ここではもちろん、金融業界の優勝劣敗や合併などを社会主義的に設計したわけではなくて、単に財政負担のツケ回しを簡略化しただけである。これを「設計主義」なんて呼ぶのは、頭がイカレているとしか思えない。
 記事では例として、日本の例も挙げている。「不良債権処理はもっと迅速に進めるべきだったのだが、政府が邪魔したから遅くなって、不況が深刻化した」なんて趣旨で述べている。例によって「不良債権の遅れが不況をもたらした」という主張。マクロ経済音痴。「倒産が増えれば、総所得と総需要が減る」というマクロ面を無視して、「金融の帳簿がきれいになれば投資が増える」と主張する。需要不足で供給過剰でいるときに、「もっと供給を増やせば、不況が解決する」と主張する。「供給過剰という状況のときには、設備投資で供給を増やすと、供給過剰が解決する」と主張する。倒錯的。

 こういうトンデモ記事は、いい加減、掲載をやめてもらいたいものだ。せめて「社会主義的な統制経済」という用語を用いることにして、「設計主義」なんていう独自用語はやめてもらいたいものだ。

 [ 付記 ]
 だいたい、組織統制と市場調整とを同列に並べて、「うまく切り替えよ」なんて主張をするところからして、頭がイカレている。組織統制と市場調整とは、まったく別のことなのだから、同列に論じるべきではない。そりゃまあ、両者が噛み合ったり食い違ったりする場合も、個々の事例ではあるだろう。しかしそれは、両者が同列の次元にあるということではない。たまたま、かちあう場合がある、というだけのことだ。
 たとえば、会社の残業と、妻と映画鑑賞の約束とが、かち合う。すると、妻が言う。
 「あなた、あたしと仕事の、どっちが大切なの?」
 そんなの、答えられるわけがないじゃないですか。全然別次元のことなのだから。たまたま、かち合っただけのことだ。だから、どうせなら、次のように尋ねてほしい。
 a. 「あなた、あたしと愛人の、どっちが大切なの?」
 b. 「あなた、仕事と趣味の、どっちが大切なの?」
 c. 「あなた、仕事とウェブ更新の、どっちが大切なの?」
 こういうのなら、答えられなくもない。(一番最初の a. には、ちょっと答えにくいが。どっちだと答えても、大変みたいだ。)……これらにはとにかく、答えられなくもない。しかし、これらと違って、次元の違うものを同列に並べたとしても、比較はできない。
 なのに、そういうことを無理にやろうとする。そんな馬鹿女房と同じなのが、エセ経済学者だ。なるほど、この両者なら、同列に比較できる。馬鹿さ加減で。
( ※ 馬鹿女房というのは、特定の人物を意味していません。決して。……ただし、エセ経済学者というのは、特定の人物を意味しています。世間に嘘を垂れ流す迷惑人物。名前の冒頭に「小」が付く人物は、要注意。)


● ニュースと感想  (8月24日)

 「オリンピック」について。(運動音痴の愚痴かも。)
 オリンピックの騒ぎを見ても、どうも今ひとつ共感できない。ドーピングや金まみれという悪要因の影響もある。( → 7月22日b )ただ、それとは別に、もっと根源的に、スポーツというものの意義を、よく考えてみたい。
 スポーツ競技は、観客に感動をもたらすという意味で、芸術に似ている。ただし、芸術とは根本的に異なるところがある。それは、「勝利」を目的としている、というところだ。基本的には「勝者」はただ一人であり、他の全員は敗者である。勝者が栄誉を独り占めして、他の全員は涙に泣きくれる。これを見て、「敗者の美学」なんてことを唱える人もいるが、馬鹿らしい。だったら最初から敗者になるために怠けていればいいだけだ。
 スポーツ競技では、勝敗が決定的に重視される。その意味では、芸術よりは、戦争に近いかもしれない。そこで、「スポーツは戦争の代替物だ」という説もある。しかし別に、国家間で戦争するかわりに、代表者が競争しあうわけではない。そもそも、オリンピックは「平和の祭典」というのが建前だ。(現実は金まみれだ、ということはさておいて。)

 この問題は、経済学的に考えると、事情がはっきりする。
 古典派的な「神の見えざる手」の原理では、「全員が競争することで、社会全体が最適状態になる」というふうになるはずだ。では、スポーツ競技では、どうか? そのことで全員の状態がよくなるか? いや、よくなるのは、勝者となる一人(または少数)だけだ。残りの 99.9%ぐらいは、莫大な努力に対して、何一つ見返りがない。典型的なのは、高校野球だ。生徒たちは高校時代の三年間を費やして、莫大な汗を流すが、その結果、何を得るかと言えば、プロ野球や大学野球に入った数十人を除けば、ほぼ全員が無益である。逆に、彼らがそれだけの努力を、勉学に向けたなら、彼らは自分の人生を豊かにしただろうし、社会をも豊かにしただろう。
 スポーツというのは、まったく無意味ではないし、健康を高めるという有意義な効果がある。だから私も毎日、ジョッギングをやっている。とはいえ、私は一日に十時間もスポーツに費やすようなことはしない。(例外は、ごくたまにやる山登りだけだ。)
 結局、スポーツというのは、適度に短時間だけやるのならば有意義だが、過度にやるのはまるきり無駄なのだ。無駄にならないのはごく少数のスポーツエリートだけであって、他の大多数には無益なのだ。トップアスリートでさえ、有益と言えるのは、金メダルをもらえる人ぐらいだ。日本で一番になったとしても、オリンピックで敗退すれば、ほとんど無益である。

 で、何が言いたいか? 「競争は社会を最適化する」なんてことは成立しない、ということだ。それが成立することもあるが、成立しないこともある。そして、スポーツの場合には、成立しないのだ。競争が激しければ激しいほど、社会が向上するのではなくて、逆に、競争が激しければ激しいほど、社会が悪化する。
 典型的な例は、ボクシングだ。プロとして成立するのは、世界でたった一人、各階級のチャンピオンだけだ。いや、チャンピオンでさえ、まともには生計が立たないことが多い。なのに、チャンピオンになるために、莫大な努力をして、人生をつぶす。あげく、引退後は、パンチドランカー症(パーキンソン病)になって、手足がしびれてしまって、まともに運動できなくなり、廃人のようになる。
 オリンピックの華やかな栄光の裏には、暗い陰がある。それは、無数の敗者であり、無数の屍だ。栄光が美しければ美しいほど、その陰には陰惨な不幸がある。人々が、栄光を賛美して感嘆しているとき、彼らは陰の部分を見ない。しかし、陰の部分は、まさしく存在しているのだ。人々は見ようとしないが。

 光と陰。その両方を見よう。光だけを見ないで、陰も見よう。そうすれば、今の日本経済についても、真実を理解することができる。── 長い不況のあとで、「縮小均衡」という状態が現れる。それは、自由競争の結果だ。そこでは、企業の収益はどんどん好転する。そういう光が見て取れる。しかし一方では、そこに至るまでには無数の倒産が発生したし、倒産のあとには莫大な失業が発生した。生き残った企業だけは勝者として栄光を受けるが、他の多数は敗者として陰に覆われる。古典派経済学者は、勝者だけを見て、自由競争を賛美するが、実は、自由競争は、多大な敗者をも生み出すのだ。光と陰は同時に発生するのだ。
 「自由競争は社会を最適化する」なんていう主張は、世界の半面しか見ない偏見にすぎないのだ。── そのことを、オリンピックは教えてくれる。とはいえ、テレビに現るのは、表彰台に立つ勝者の笑顔だけだが。
( ※ ということもないか。……福原愛ちゃんの悲しそうな「敗者の弁」はとてもよかった。楽しめましたか? という問いに、「楽しむために来たんじゃありません」だって。今回のオリンピックでは、これだけが収穫かも。)

 [ 余談 ]
 ともあれ、教訓を言えば、こうだ。
 「世界一のアスリートになれないような、平凡なわれわれは、人生のすべてを賭けてスポーツに邁進するべきではない。ほどほどに楽しもう」
 「世界一の金持ちになれないような、平凡なわれわれは、人生のすべてを賭けて金儲けに邁進するべきではない。ほどほどに楽しもう」
 こんなことを言うと、古典派の経済学者は怒り狂うだろう。「おまえが真面目に働かないと、社会全体が向上しない! もっと働け! 必死に働け! お国のために!」と。
 しかし私は、やはり、こう勧告する。
 「いくら必死に働いて、ものすごい大発明をしたって、しょせんは成果を、経営者がごっそりかすめ取ろうとするのさ。濡れ手で粟でね。青色ダイオードのときの経営者の言い分を見ればわかる。真面目に働いても、ほとんどの利益は、経営者の側へ。それが実状ですよ。今だって、そうでしょ? 景気は回復しつつあると言われるが、せっかくの利益はみんな、企業の側へ。労働者には、ちっとも還元されない。……結局、古典派の言うことを聞いたって、ちっとも幸福にはならないんだ。働いても、賃金は下がるばかりだ。働けば幸福になるなんていう説は、嘘っぱちだよ。だから、適当に、のらくらしよう!」
 あなたのために、幸福になる方法を教えます。それは、必死に働いて、汗水垂らして、小金をチョコチョコと稼ぐことじゃない。くそ暑いさなかで、汗をかきながら、適当にのらくらと仕事をしたあとは、冷たいビールをグラスで、ぐいと飲みほすことだ。……どうです。ああ、幸せ。
( ※ ついでだが、ビールの税金を大幅に引き下げてくれないですかね。民主党あたりが、「ビール減税」の公約をすれば、すごく票が伸びるはずなんだが。)

 [ 補足1 ]
 以上は、(運動音痴の)一般人向けの話です。日本のオリンピック選手に向けて、「スポーツなんか、やめちまえ」とけしかけているわけではありません。もちろん。
 体操では、金メダルを取ったが、これは、「偉い」と称賛しておこう。というのは、体操選手というのは、まったく報われないからだ。水泳の北島や卓球の福原愛などなら、何千万円(1億円以上?)も手にしているが、体操の選手は、全然違う。恵まれないひどい環境のなかで、栄養費などに莫大な金をかけながら、収入はほとんどない。先日、テレビで放送された練習環境を見て、あまりにもひどいみじめさに、「かわいそう」と涙が出そうになった。「すかんぴん」という言葉がぴったりだ。
 思えば、体操というのは、ほぼ唯一、ドーピングがない種目だ。たいていの種目はパワーと筋力が勝負だが、体操では運動神経が勝負だ。ドーピングなんかやって、余計な筋肉が付いたら、かえって運動のバランスが崩れるので、無意味だ。
 オリンピックの選手村に行くと、巨人症みたいな怪物みたいな体格の人間がごっそりいるなかで、体操の人間だけが小柄だ。しかも、すかんぴんだ。
 偉いです。頭が下がります。……ついでに言うと、私もすかんぴんです。  (^^);

 [ 補足2 ]
 上記を数日前に書いたあと、いろいろ情報を知ると、メダルが続々出るが、経済的にはかなり厳しいようだ。体操だけではなく、水泳選手も、レスリングや柔道の選手も、マラソンの野口みずきも、経済的にはかなり厳しい。所属先を見ても、名のない企業ばかりだ。北島・高橋尚子・福原愛みたいに儲かる選手は例外で、メダリストの9割以上はすかんぴんであるようだ。
 経済的にはとうてい引き合わないですね。で、「だから、やめちまえ」とはいわないけれど、とにかく、経済的には引き合わない。「どんどんやりましょう」なんて、とても言えない。
 ま、普通の人はやめた方がいいと思うが、メダリストぐらいには、せめて、一般企業がまともに応援してあげるといいのだが。莫大な金を儲けているトヨタがやったことは、メダルが絶対確実と言われていた柔ちゃんを雇用したことだけ。どうせなら、他のメダル候補だった(そして実際に何個も金メダルを取った)女子柔道選手も、いっしょに雇用すればいいのに。名古屋のケチ。しみったれ。
 私の結論は、「日本の企業はケチすぎる」だ。ま、「景気回復が遅れている」という点では、普通の企業は何とか免罪されるかもしれないが、輸出産業はみんな大儲けしているのだから、免罪されない。某新聞社も、ヤンキース球場に馬鹿みたいな恥さらし広告をするくらいだったら、その金でメダリストを一人ぐらい雇用する気にはなれないんですかね。情けない。
( → 7月11日c


● ニュースと感想  (8月25日)

 「宇宙のビッグバン」について。
 一般相対論にもとづく宇宙論によると、ビッグバンの最初は、「体積がゼロで、密度が無限大である」という状態から始まったということになる。そしてそこは数学的には特異点となる。
 しかし、くりこみ理論を回避する私の理論によると、最初は体積がゼロではないから、密度は無限大ではない、ということになる。
 両者の違いは、「一般相対論は古典力学的(連続的)であるが、私の理論は量子力学的(離散的)である」ということによる。
 要するに、宇宙の最初は、「ゼロ × ∞ 」という量ではなかった、ということ。(これだと数学的な整合性がある。特異点なんていう概念は不要だ。)

   → 詳しい話


● ニュースと感想  (8月26日)

 「科学と方法」について。
 前日の箇所に、新たに次の一文を追加した。興味深い話なので、ここに転載する。
 科学の世界には、「高度な数学を使えば、宇宙の真実が判明する」と思っている人が多いようだ。しかし、そんなことはあるまい。数学というものは、論理遊びのオモチャではないのだ。事実を複雑に扱うために数学があるのではなく、事実を単純化するために数学はある。
 私の個人的な所感を言えば、こうだ。「真実は、シンプルである。ただし、真実をつかみそこねると、本来のシンプルな姿を見失う。そうなると、かろうじて、複雑な数式で認識するしかない。……だから、数式が複雑であるとしたら、真実をうまくつかんでいるからなのではなくて、真実をうまくつかみそこねているからなのだ。単純なものを、歪んだメガネで見ると、複雑な姿で見える。それだけのことだ。」
 例を示そう。石を投げると、放物線を描く。愚かな人なら、たくさんの円弧を複雑に組み合わせて、何とか近似しようとするだろう。しかしニュートンならば、二次関数で簡潔に表示する。ここでは簡潔なものが真実であり、複雑なものが疑似的な真実なのだ。そして、今のたいていの学者は、疑似的な真実ばかり追究している。
 これは、物理学についての所感だが、経済学についても同様のことが言えるだろう。前にも同趣旨のことを述べた。
( → 4月02日8月19日b3月30日5月28日b

 [ 付記 ]
 素粒子について、新たな現象が発見された。原子核よりも密度の濃い状態。
   → 詳しい話


● ニュースと感想  (8月27日)

 「理論と本質」について。
 理論の本質とは、何か? 理論の形式ではなく、奥にある意味のことだ。では、意味とは? ── それを示すために、次の比喩を述べよう。
 ジグソーパズルがある。ピース数は膨大だ。これを何とか解決したいが、ピース数が膨大すぎて、とても困難だ。たいていの人が取り組んだが、失敗した。戦略としては、「小さな部分を組み合わせていって、最終的に大きなまとまりにする」という方針を取った。しかるに、部分的には成功しても、いくつかのまとまりを組み合わせる段階で、矛盾が生じてしまう。部分的には成功しても、最終的には大失敗だ。
 ここで、人々は、どういう発想を取ったか? それは「ピースには意味はない。ピースの形だけが重要だ」という発想だ。なるほど、ピースとピースが組み合わさるか否かは、形だけで厳密に決まるし、ピースに意味なんか考えても仕方ない。数学的な厳密さは、ピースの形だけで決まる。たしかに、ピースの形は、成功するための必要十分条件であり、それ以外の要素は不要だ。……しかし、そのような発想を取る限り、シラミつぶし的な試行錯誤をするしかない。人生は有限であり、ピース数は膨大だ。シラミつぶしなんかしていては、きりがない。そのまま、十年、二十年、三十年、……と経過していった。
 ここで、別の発想が現れた。「ピースには意味がある」と。ピースをよく見よう。そうすると、絵の一部が描いてある、とわかる。その絵は、部分的な組み合わせを決める際には、ほとんど役立たない。しかし、全体的な配置を考える際には、ヒントとなる。いちいちピースを試行錯誤しなくても、ピースの絵を見れば、あるピースが妥当かどうかは、あらかじめ見当がつく。どのピースがどのあたりに来るかも、おおよその予想がつく。だから、大切なのは、絵なのだ。大切なのは、意味なのだ。そして、その意味が正解であるかどうかを確認するためにだけ、ピースの形がある。ある絵柄から全体像を予測しても、その全体像が形によって否定されたなら、その全体像は否定される。その意味で、最終的な厳密な決定は、形によってなされる。とはいえ、絵柄はまさしく有益なのだ。絵柄を知り、意味を知れば、わからなかった全体像がわかるようになるからだ。
 それまで、多くの人々は、ジグソーパズルのピースをたくさん手にしたとき、ピースを一つまた一つと組み合わせて、試行錯誤した。莫大な手数をかけたが、どんなに莫大な手数をかけても、ジグソーパズルは複雑すぎて、なかなか解決しなかった。ところが、新たな発想をした人は、別の方法を取った。まずは、ピースの全体を、バラバラに並べたのだ。ここでは、一つ一つのピースの形がどう組み合わさるかという細かなことは、一切忘れられる。ただ全体を漠然と眺める。そして、それらのピースにある絵柄を眺めて、全体像を思い浮かべる。ここでは、手を動かすことは、まったくない。かわりに、目を閉じる。そして、目を閉じながら、頭のなかで全体像を思い浮かべる。手によって一つ一つを試行錯誤するのではなくて、想像によって全体像を試行錯誤する。たいていの発想は、部分的には成功するが、全体像としてはどこかがおかしいので、却下される。そういうことを何度も繰り返す。するうちに、ついに、ピンと来る全体像が思い浮かんだ。「これだ!」と思った。そのあとは、ピースを取って、全体像に従って、次から次へと、絵柄のあるピースを全体像に当てはめていく。先に全体像があって、そこにピースを当てはめる。先に意味があって、そこに形をつける。そして、形がうまく付いた段階で、「問題なし」と判定される。そうして何度もピースを組み合わせていくが、もともと矛盾のない全体像があるのだから、「先の方で矛盾が生じるかもしれない」という危険もほとんどない。ピースを当てはめていっても、途中で矛盾が生じることもない。そして、ついに、ジグソーパズルが完成する。「できた!」
 そして、彼がそれに成功したのは、形よりも意味を考えたからなのだ。その意味とは、ジグソーパズルの絵柄である。そして、本質とは、ジグソーパズルの全体像なのだ。
 物事の本質は、もともとは、はっきりとは目に見えない。ジグソーパズルも、バラバラのときには、すぐにはわからない。しかし、いったんジグソーパズルが解決されたあとでなら、そこにある絵は誰にでもわかる。そのときには、本質は、誰にでもよくわかるはずなのだ。


● ニュースと感想  (8月28日)

 「不確定性原理」について。
 量子力学の基礎に「不確定性原理」というものがある。移動する粒子について、「位置と運動量について、不確定さがある」という原理だ。
 この原理は、数式としては正しいが、数式の解釈としては正しくない。なぜなら、「移動する粒子」なんてものを考えるのは、正しくないからだ。移動するのは波であって、粒子ではない。たとえば、音波では、音の波は移動するが、酸素分子という粒子は移動しない。
 不確定性原理が示すのは、いわば、振動する酸素分子について、「振幅の分の不確定さがある」ということだ。しかし、「酸素分子が音速で移動していくときに、位置や速度に不確定さがある」ということではない。また、「音波が音速で移動していくときに、音波の位置や速度に不確定さがある」ということではない。……不確定性原理が示すのは、「波が発生すると、粒子には振幅という形の不確定さがある」ということだ。波と粒子とを区別しよう。
 一方、従来の解釈は、「音波が伝わるとき、酸素分子が音速で移動すると、酸素分子には粒子と波の二重性が現れる」というものだ。しかし、ここでは、「酸素分子が音速で移動する」という解釈そのものが間違っているのだ。(比喩的表現だが。)
 なお、図示すれば、

      ◯  〜〜〜〜〜 → 

 という形で、「 が振動しながら移動する」というのは、従来の解釈だが、これは正しくない。量子について「粒子と波の二重性がある」というのは、そういう意味ではないのだ。まったく別の図で説明する必要がある。さもないと、論理矛盾を起こす。
   → 詳しい話


● ニュースと感想  (8月28日b)

 新ページの告知。
 物理学(量子力学)のトップページを、新たに作成しました。(目次だけ。)
 お暇な方は、よろしければ、このページへのリンクを作成してくださるといいのですが。  (^^); 

    量子論/量子力学 …… その最前線
    http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/quantum.htm


● ニュースと感想  (8月29日b)

 「環境税」について。
 「環境税」という名目で、森林保全のために課税するという動きが各県で広がっているという。一人あたり 500円程度。埼玉・岡山・鳥取・鹿児島・香川・愛媛・神奈川などの各県。(読売・朝刊・1面 2004-08-27 )
 これはおかしい。指摘しておこう。
 環境税というのは、そもそも、環境を破壊する行為に課税して、環境を改善するためにある。たとえば、二酸化炭素を大量に出す工場や、窒素酸化物などの有害ガスを出す自動車に、課税する。この課税を避けるために、排ガスを減らせば、それはそれで効果がある。排ガスを減らさなくても、課税を通じて、社会負担をしていることになるので、社会的な公正さがある。
 これは、「公共経済学」という分野で考察されるとおりだ。公共の財産を損壊する者に対して課税して、社会的な公正さを保つわけだ。
 では、今回の環境税は? まったく違う。
 第1に、課税を受けるのは、個人である。個人は、別に、環境を破壊していない。正確には、森林を破壊していない。つまり、名目だけは「環境税」だが、実質的には、「環境税」ではなくて、ただの「増税」であるにすぎない。正確に言えば、「人頭税」である。もっと本質的に言えば、「空気税」だ。昔、自分勝手な王様がいて、贅沢をするための費用の捻出に困った。そこで、「空気税を」と提案した。空気はそもそも、王様のものである。なぜなら、「人のものはオレのもの、オレのものもオレのもの、だから世界はオレのもの、何でもかんでもオレのもの」というわけだ。そして、国民はみんな、空気を吸って、利益を得ている。ゆえに、その利益に対して、課税してやれ。かくて、「空気税」という発想が生じた。……今回の「環境税」も、まったく同じ発想だ。環境(森林)を破壊したわけでもない人々が、空気のかわりに森林を利用しているという名目で、課税される。やがて、数年後には、本当に「空気税」や「雨水税」や「日光利用税」などが徴収されそうだ。……それにしても、「空気税」なんて、ジョークの世界だけだと思ったのだが、本当に実行する自治体が現れるとは、呆れたね。もっと呆れるのは、それを「はいはい」と信じる人々がいっぱいいることだ。だまされやすい人々。(旗振り人は、マスコミですかね。ハーメルンの笛吹。)
 第2に、森林を破壊した張本人は、誰か? 住民の各人か? 違う。森林の管理者だ。放っておけば1円もかからないのに、勝手に金儲けを狙って人工林に変えて、そうしたら今度は管理に費用かかって赤字になる。そこで、その赤字を、他人にツケ回しする、という構図だ。不良債権処理みたいなもので、誰かが大失敗した赤字を国民全体にツケ回しする、というわけだ。この件は、前にも述べた。そちらを参照。( → 8月05日b 水源税 )


● ニュースと感想  (8月30日)

 「ブラックホールとは何か?」── この問題に、一般相対論を使わずに、初歩的な概念によって説明できる。その本質は、光学における「全反射」だ。つまり、水中に入れた黒い卵が、(空気層のせいで)銀色に見える、というのと同じ原理だ。
 ブラックホールから放射した光は、外側にある稀薄な真空のところで全反射するから、外部に抜け出せないのだ。
( ※ トンデモな珍説と誤解されると困るので注釈しておくが、一般相対論を否定しているわけではない。比べると、表現や論理は異なるが、内容はまったく等価である。ただし私の話は、一般相対論と等価の話を、単純に示している。同じことを、一般相対論は複雑な数式で証明し、私の話は簡単な原理で証明する。表現の仕方が違うだけだ。シュレーディンガー方程式とハイゼンベルク行列式のような関係。)

   → ブラックホールの話 に説明してある。
   → ビッグバン以前の話 も別にある。


● ニュースと感想  (9月01日)

 「オリンピック騒ぎ」について。
 オリンピックが終わった。メダル数が史上最高だったことを受けて、「次回のオリンピックではもっとメダルを取ろう」なんていう意見も出ている。しかし、メダル数を競うなんて、馬鹿げたことだ。
 オリンピックは、あくまで、スポーツの祭典であれば良くて、メダルの数を競争しても、ろくなことはない。そういうことにこだわると、金まみれだの、ドーピングだの、遺伝子による人間改造だの、変な道ばかりが出てくる。
 今回のメダル数はたしかに史上最高だったが、東京五輪に比べると種目総数もメダル総数も倍増しているから、別に、大騒ぎすることはない。また、ロシアや東独の国家的な育成(ドーピングを含む)もかなり減ったから、その分、メダル数が増えてもおかしくない。
 ま、それはそれとして、そもそも根本的に、メダル数の競争なんて、無意味だ。たとえば、今回のメダルは、柔道・レスリング・体操で大部分を占めたが、これらは、日本人に不利でない種目だ。柔道とレスリングは、体重別。体操は、小柄な方が有利。一方、水泳や陸上などは、「パワーと体格」の勝負であるから、日本人はどうしたって不利だ。室伏だって、白人とのハーフだから好成績なのであって、ただの黄色人種ならば、この成績は望めまい。
 スポーツには先天的な人種差が現れる。これは、どうしようもない事実だ。この事実を無視して、「他の種目でもメダルを取ろう」なんて思っても、非常に困難である。
 なお、ついでに言えば、日本人が水泳や陸上で不利だとしても、それは別に、「日本人が白人や黒人よりも劣っている」ということにはならない。たしかに、体格で言えば、
    黄色人種 <  白人 ≒ 黒人
 という比較は、おおざっぱに成立する。しかし、ここに旧人であるネアンデルタール人を入れれば、圧倒的な差でネアンデルタール人が勝つ。つまり、
    黄色人種 <  白人 ≒ 黒人  << ネアンデルタール人
 となる。ネアンデルタール人がオリンピックに登場すれば、(技術よりも体力勝負の分野では)メダルを根こそぎ総ざらいするだろう。
 では、それは、ネアンデルタール人が現代人よりも優れている、ということになるのか? そうではあるまい。むしろ、逆だろう。ネアンデルタール人は、体力は優れていたが、知力は優れていなかった。だから、滅亡した。なのに、今さら、ネアンデルタール人を理想とするような競争(?)など、ほとんど無意味である。
 極東にいるモンゴロイドは、体力や体格を犠牲にして、持久力や脳容量を高めた。それはそれで、一つの進化のあり方だ。とすれば、いったん犠牲にしたものに目を奪われて、あれやこれやと望んでも、仕方のないことだ。野口みずきやアフリカ人選手が暑さのなかで持久力を発揮し、ラドクリフが暑さのなかでへばったのも、それはそれで、人種的な差が現れた、と見なすことができる。ラドクリフがへばったのは彼女が根性なしで調整に失敗したというよりは、もともと白人は暑さに対する調整能力が足りないせいだ、と見なした方がいい。
 オリンピックのようなギリギリ勝負のところでは、人種的な差はたしかに現れる。それならそれで、そのことをわきまえた上で、スポーツの祭典を楽しめばいい。やたらとメダル数の競争をするなんて、馬鹿げたことだ。特に、「プロの選手を出して、アマと競争する」なんていう野球は、ひどいたわけだ。

 [ 付記 ]
 この話は、選手に対して、「その種目は日本人に不利だからやめよ」というような形で、勧告するわけではない。誰がどの種目をやろうが、それはその人の勝手だ。また、社会がそれを支援するのも、それはそれでいい。陸上短距離で、末續が頑張ったのも朝原が頑張ったのも、それはそれでいい。
 しかし、「それなら今度はメダルをめざせ」「あらゆる種目でメダルを取れ」なんてのは、とんでもないことだ。人種による向き・不向きというのはたしかにあるのだから、その現実をそのまま受け入れればよい。いくら頑張っても、無理なことは無理だ。……それはちょうど、私みたいな運動音痴がいくら頑張っても、オリンピックには出られないのと同じだ。
 私は他人に、「オリンピックに出られるように頑張れ」とは言われたくないし、「オリンピックでメダルを取れ」とも言われたくない。できもしないことを「やれ」と言われたくもないし、期待されたくもない。私には私なりの、向き・不向きがある。勝手にメダル数の競争なんかに巻き込まれたくはない。……これは別に、オリンピックに限ったことではない。たとえば、社内運動会のチーム対抗戦に出るとして、「わがチームのために必死で5000メートル走でがんばれ! チームの勝利のために死にものぐるいで走れ!」なんて、言われたくない。そんなことを言われたら、ドーピングでもするしかないじゃないですか。
 ドーピングが世にはびこるのは、選手が悪いからじゃない。社会の人々がやたらとメダルに期待するからだ。オリンピックなんかで大騒ぎしないでほしいですね。それより、「毎年1万人が生活苦で自殺」という記事に着目してほしい。「若年者の失業が非常に多い」という記事もある。
 結語。
 世間が何かに熱中しているときは、騒ぎに巻き込まれずに、冷めた目でクールに眺めよう。そうすれば、「ひねくれ者」と見られます。  (^^);



● ニュースと感想  (9月02日)

 「パソコンの静音化」について。
 パソコンの静音化の方法は? 
 通常は、「ファンを静音ファンに交換すること」だが、これは初心者にはちょっと無理。また、効果も、あまり大きくないらしい。というのは、ファンの音というのは、デシベルで言えば大きいが、低い音だから、あまり気にならない。また、ファンの音は、CPUの発熱量とのかねあいだから、アスロンなんていう高熱CPUだと、しょせんはファンがうるさくなる。ペンティアムも、その傾向がある。セレロンだと、低熱だから、かなり静か。モバイル用のCPUを使ったノートパソコンだと、ファンそのものが全然働かないでいることが多い。
 実は、パソコン静音化で一番効果があるのは、HDの高周波音を削除することらしい。これが気になる。で、その方法は? 流体軸受けのHDにすること。これだと、静かで、しかも、高寿命。
 流体軸受けのHDは、通常、パソコンを購入するときに、自分で指定する(2000円アップ)か、もともとそういうタイプのHDを使った高価なパソコンを購入する。ただし、あとで自分で増設してもよい。OSの入っているHDを、流体軸受けタイプにする。第2HDは、そうでなくてもよい(ボールベアリングタイプでもよい)。どうせほとんど稼働しないのだから。(第2HDをデータ保存用にしておけば、作業の開始時と終了時にいっぺんずつ稼働するだけ。作業中には稼働しない。だから、ほとんど気にならない。)
 なお、以上は、(私みたいな)安いパソコンを使っている人向け。お金のある人は、もともと高価なパソコンを買っていて、すでに流体軸受けHDを使っているはず。
 ま、ともかく、「流体軸受け」という用語を覚えておきましょう。このタイプだと、HDは実質的に無音になるそうです。(わずかに音はしても、闇夜のカラスで、ぜんぜん聞こえない。)
 【 追記 】
 流体軸受けだと、通常、「速度が 7200回転で、 2000円高くなる」というふうになる。この場合、静音化もさることながら、高速化のメリットが非常に大きいらしい。古いパソコンの場合、CPUの交換よりも、HDの交換の方が、メリットが大きいらしい。……ま、そりゃそうでしょうね。一番遅いHDがボトルネックなんだから。普通の操作では。
 [ 付記 ]
 詳しいことがわからない人は、「静音パソコン」というふれこみの製品をショップで購入すればよい。お金が余っている人は、水冷パソコン。会社などでノートパソコンを使っている人は、現状のままで、変更はできない。
 ついでだが、決定的に無音化する方法もある。それは、コードを延長して、パソコン本体を遠くの方に移動することだ。キーボードとマウスとモニターだけを机上に置けばよい。発想の転換ね。
 もう一つ有効なのは、耳栓をすることだ。特に、夜は効果的。うるさい女房の小言を聞くときにも使えます。……けど、バレたら、あとで小言が百倍かも。   (^^); 


● ニュースと感想  (9月03日)

 【 告知 】
 ネタ切れなので、しばらく休載する予定です。ただし、ときどきは散発的に書くかも。

 ( ※ お暇な方は、二重スリットのページ でもご覧ください。
   新実験の話もあります。この実験をやれば、ノーベル賞かも???
   何かを観測する実験ではなくて、何かを観測できないことを示す実験。)


● ニュースと感想  (9月05日)

 「チェチェンの虐殺事件」について。
 ロシアのカスピ海のそばの北オセチヤで、チェチェンの独立派によるらしい占拠事件のあとで、ロシア特殊部隊による突入のあと、大量の犠牲者が発生した。(朝刊・各紙 2004-09-04 )
 これについて、「痛ましい事件だ」とまともに悲嘆する人もいるが、「テロに屈するな。そのためには大量の犠牲も当然だ」と肯定する保守派もいる。(読売社説とか、右翼系の先進国首脳とか。)
 では、どうするべきか? 私なりに考えを示そう。
 まず、保守派の論拠は、次の通りだ。
 「テロに屈すると、さらにテロを引き寄せる。だから、断固、テロに屈してはならない」
 これは、もっともらしい理屈だが、実は、論理的には正しくない。そのことは、ゲーム理論の「タカ・ハト」ゲームからわかる。( → 4月14日c
 つまり、こうだ。相手がタカであるときに、こちらが一方的にタカからハトに転じれば、タカである相手に食い物にされるだけだ。つまり、一方的な譲歩は、明らかに損である。(その意味で、保守派の論理は成立する。)
 ただし、同じことを双方が主張すれば、双方がひどく傷つけ合う。最悪だ。(保守派はこのことに気づかない。)
 こういう現状において、どうすればいいか? こちらが取るべき態度は、ハトかタカか? いや、どちらでもない。正しくは、「相互信頼の醸成」だ。つまり、同じ状況において態度をどうするかを考えるべきではなくて、状況そのものを変えようとするべきだ。二つの駄目な選択肢を与えられたときは、どちらか一方を選ぶべきではなくて、選択肢そのものを変更するべきだ。
 具体的には、どうするべきか? 「タカとハトのどちらにするか」と自分一人で考えるかわりに、相手と同じテーブルに着いて、「おたがい一緒に、ハトになりましょう」と契約するべきだ。── これが正解だ。
 保守派の「こうするしかない」という主張は、正しくない。「現状ではこうするしかない」という主張ならば成立するが、そもそも「現状ならば」という前提そのものが間違っているのだ。つまり、「戦争」という状況を変えて、「交渉」という状況に移るべきなのだ。それが根本である。
 そして、その「交渉」の前提は、誠実さだ。不正選挙をして傀儡政権を立てるとか、隣国(グルジア)の反政府派のテロに加担して隣国を転覆させようとする(親露政権を立てようとする)とか、そんな不誠実なことをやっている限り、「交渉」などは成立しない。
 「自分は正しい」とだけ主張しながら、汚いことをやっているのであれば、当然、その反発は、血なまぐさい形で襲ってくる。それが、今回の事件だ。

 [ 付記 ]
 理屈とは別に、歴史的に考察しよう。
 保守派は「テロに屈するな」と主張する。しかし、歴史的に見れば、そんな政策が取られることは、ほとんどない。これは、ただの短期的な建前(ポーズ)であって、長期的にはそんな政策は取られない。
 たとえば、イラク戦争ではどうだったか? 短期的には、やはり「テロに屈するな」と言っていた。そして、その間、どんどん、テロ事件が起こった。しかしその後、時間がたって、米軍による掃討作戦が鎮静化したり、イラク人による暫定政権が成立するようになった。すると、テロ事件は激減した。つまり、「テロに屈する」というのと同じ結果を取ることで、状況は平穏になった。戦いは状況を悪化させたが、双方の譲歩は状況を平穏にした。(サドル派との争いも、米軍が圧倒的に攻勢をしている間は解決しなかったが、そのあとで和平交渉をすると、解決した。)
 別の例もある。第二次大戦前、インドネシアやビルマなども、中国も、独立闘争をしていたが、ここでも、侵略する側が「テロを弾圧せよ」という政策を取っている間は解決せず、侵略された側が独立したあとで解決した。
 結局、民族独立の紛争は、侵略が続く限りは闘争が続くものであり、独立が完了した時点で闘争が終了する。それが世界の歴史の示すところだ。例外はほとんどないはずだ。(ただし、ローマによるカルタゴ侵略は、カルタゴ人を根こそぎ皆殺しにしたので、例外である。この例外をめざすのだとすれば、今回の事件でも、莫大な数のチェチェン人を皆殺しにするしかない。「テロに屈するな」というのは、そういうことだ。)

 [ 補足 ]
 読売などの保守派は、どうも勘違いしているようだが、今回の事件は、民族独立闘争である。オウムのサリン事件とか昔の連合赤軍みたいな、単純なテロ事件ではないのだ。あくまで、民族独立闘争である。
 今回の事件が起こったのも、数日前に、チェチェンで侵略行為が成立したばかりだからだ。つまり、不正な選挙操作によって、新ロシアの傀儡政権を樹立したからだ。
 たとえて言えば、「日本に、親北朝鮮の傀儡政権が樹立して、そのせいで、民族独立闘争が起こった。すると、傀儡政権の側は、国民を虐殺した。頭に来た日本国民は、北朝鮮に出掛けて、テロ行為をした」というようなものだ。
 こういうときに、「テロは駄目だ」と主張して、侵略を正当化しても、問題は解決しない。民族独立というのは、人間の権利なのだから、その権利を侵害すれば、紛争が起こるのは当然なのだ。
 弾圧や侵略だけを正当化しても、問題は解決しないのである。
( ※ 念のために言えば、私は「テロに屈せよ」と主張しているわけではない。その点、誤解なきように。……だけど、保守派というのは「イエスかノーか」という単細胞だから、私の意見を見ると、「テロに屈せよという主張だな」と勘違いしそうだ。頭の悪い人って、いやですね。)


● ニュースと感想  (9月07日)

 「変動金利の国債」について。
 個人向け国債というのがある。10年物の固定金利国債の金利に連動して、金利を変動させる、というタイプ。(9月06日の朝日・朝刊に全面広告と解説がある。)
 これは「市場金利に連動させる」ということになるから、当然だ。政府は発売の当初からこの方針で決めていた。
 ところが、その後、新聞ではしばしば、「物価連動債」という記事が出た。特に、朝日だ。「市場金利連動」と「物価連動」とは、まったく異なる。「物価連動」だと、デフレのときには金利がマイナスになる。下限としてゼロ金利を設定するとしても、「デフレが当分続く」と予想される時点では、購入のメリットはない。(どうせなら、普通預金にしておいて、物価が上昇しかけた時点で、「物価連動債」を買えばいいからだ。)
 というわけで、「物価連動債」なんてものは、インフレのときならともかく、デフレのときには、狂気の沙汰なのである。また、インフレのときには、福祉対策としては有効だが、経済対策としては「金融政策を無効化する」という重大な弊害があるので、やはり狂気の沙汰なのである。
 だから、正しくは、「市場金利連動」というタイプだけだ。これなら、「固定金利」(つまり金利でギャンブルをすること)なんてタイプよりも、はるかに正常である。
 なのに、新聞は何度か、「物価連動債」という用語を使った。頭がイカレている記者が書いたのだろう。というより、頭がイカレた新聞社がイカレた新聞を発行したのだろう。……私はこれまで朝日の記事を見て、「物価連動債を発行するなんて、政府は頭がイカレているのかな」と思ったこともあったが、どうやら、イカレているのは、政府ではなくて、事実を歪曲して報道する朝日であったようだ。
( 物価連動債 → 3月07日 2月15日 9月07日3月19日 の最後。)

 [ 付記 ]
 経済学的な原理を示しておこう。
 賃金上昇率から物価上昇率を引いたものを、「実質賃上げ」と呼ぶ。これは正味の賃上げを意味する。
 名目金利から物価上昇率を引いたものを、「実質金利」と呼ぶ。これは正味の金利を意味する。
 賃金ならば、実質賃金を維持することが大事なので、「物価連動」というのが好ましい。
 では、金利は? 実質金利を維持することが大事か? いや、そうではない。実質金利を変動させるということは、実は、金融政策そのものだ。景気が過熱したときには実質金利を上げて景気を冷やし、景気が冷えたときには実質金利を下げて景気を刺激する。こうやって景気を調節するわけだ。……だから、実質金利を維持する(変えない)ということは、金融政策を無効にするということだ。景気調節の重要な政策手段を放棄して、景気の変動を暴走させるということだ。狂気の沙汰である。
 結局、賃金ならば「物価連動」は大切だが、金利については「物価連動」はあってはならない。通常、「物価と同じだけ」という変動は、「市場に応じた変動」に比べ、変動の幅が少なくなっている。逆に言えば、「市場に応じた変動」は、「物価と同じだけ」よりも、変動の幅が大きい。
 たとえば、物価が少し上がれば、金利はもっと上がる。物価が少し下がれば、金利はもっと下がる。ただし、物価上昇率がマイナスになると、金利は大幅にマイナス素になるべきなのだが、金利はマイナスになれない。そのせいで、金融市場で不均衡となる。……これが「流動性の罠」だ。
 物価上昇率と金利との違いを、ちゃんと理解しよう。これを理解しないような人は、朝日の記者ぐらいにしかなれません。


● ニュースと感想  (9月07日b)

 「発明報酬」について。
 発明報酬についての意見があった。「青色ダイオードのように、あとで大化けする発明があると、企業はあとで巨額の発明報酬を払わなくてはならない。そのリスクを負うので、企業の国際競争力がそがれる」という意見。(読売・投書面 2004-09-06。 東大教授。知的財産法の専門家。)
 企業が詭弁を弄するのならともかく、東大教授でさえこんなことを言うのだから、呆れてしまう。掲載する読売もどうかしている。日本の経済界には、狂人ばかりがそろっているのだろうか?
 ここでは、発明が大化けすることを「リスク」と見なしている。なるほど、発明が大化けすれば、青色ダイオードのように、200億円ぐらい支払うハメになりそうだ。しかし、200億円ぐらい支払うとしたら、その前に、1000億円ぐらいの利益を得る。大化けするとしたら、発明者も利益を得るが、企業はその何倍も利益を得る。つまり、大化けするのは、デメリットではなく、メリットなのだ。
 仮に、企業が大化けするのをリスクだと思うのであれば、大化けした時点で、その発明を他人に売却すればよい。ライバル企業でもいいし、発明者本人でもいい。たとえば、青色ダイオードでは、発明者に200億円払うのがイヤなのであれば、特許権を1億円ぐらいで他人に売ればよい。そうすれば、200億円を払う義務を免れる。ただし、同時に、1000億円の利益も失う。差し引きして、800億円の利益逸失だ。
 たとえ話。猿に果物を一つやると言ったら、猿は喜びました。次に、カニが出てきて、猿にこう言いました。「果物を十個あげるけど、かわりに手数料として2個をもらうよ」と。すると猿は、「2個を奪われるのか。それじゃ、損だ。だったら、十個はいらない」と拒否しました。これを見て、たいていの仲間は「馬鹿な猿だ」と軽蔑しました。しかし東大教授だけは、「猿は2個を奪われるリスクがある。猿の国際競争力がそこなわれる」と読売新聞に投書しました。読売新聞は「これはすばらしい意見だ」と掲載しました。

 [ 付記 ]
 リスク負担の問題を言うならば、発明報酬を、「利益を得たあとの事後の支払い」に転換するべきだろう。将来の利益が不確実だから、将来の利益が確定したあとで支払えばよい。
 ただし、これは、経済学的に解決することもできる。「将来の不確かさ」というのは、投資や投機と同じだ。だから、「株式」や「ワラント」の形で、発明者に権利を渡せばよい。発明者は、それをそのまま持っていてもいいし、将来の不安定さを免れるために時価で市場で売却してもいい。この場合、リスク負担は、市場における投資家に移行する。
 すると、投資家は、損するかもしれないし、得するかもしれない。リスクがあるが、このリスクは別に損でも得でもない。五分五分だ。それはそれで、別に問題ではない。ただし、東大教授ならば、「五分五分というのは、リスクがあるから損である。国際競争力を損ねる」と主張するだろうが。
 馬鹿馬鹿しくて、やってられないね。阿呆な人間は、東大教授ぐらいにしかなれない。


● ニュースと感想  (9月08日)

 「北朝鮮の情勢」について。
 北朝鮮の金正日総書記の夫人が死去したという情報が出回っている。事実らしい。(読売・朝刊 2004-09-06 )
 総書記は失意のさなかであるようだ。とすれば、この機を利用するべきだろう。私の提案は、こうだ。
 「総書記に、引退を勧告する。民主化と引き替えに、多大な援助を、(国ではなくて)総書記個人に与える。ざっと見て、十億円ぐらい。場合によっては、もっと増額してもよい。宮殿もそのまま維持してよい。」
 これで、総書記は、ブッシュや小泉よりもはるかに大金持ちになれる。余生を遊んで暮らせる。息子の心配もない。
 ついでに言うと、現在の日米の政策は、こうだ。
 「核拡散を防ぐために、発電所に数百億円の援助。国民には、飢餓を免れさせるために、やはり巨額の援助。同時に、日本国内では、ミサイル迎撃網の建設のために、1兆円の支出」
 莫大な支出をするハメになる。しかも、それが、ずっと継続する。一方、私の提案ならば、現時点で、一回限りだ。なぜなら、北朝鮮が民主化すれば、自立できるからだ。現状では飢餓がずっと続くが、民主化されれば(肥料などを使って)経済的に自立できるから、永続的な援助は不要だ。
( → 11月13日5月24日


● ニュースと感想  (9月08日b)

 「北方領土返還」について。
 小泉首相が、北方領土問題に熱心だという。北朝鮮のあとでは、北方領土で、という、めくらまし戦略。
 ところが、ロシアの方では、「期待過剰になるな」と釘を刺している。「タダで引き渡すはずがない」という主張。これはまあ、常識ですね。小泉首相は、「もともとおれのものなんだから、タダで寄越せ」と主張するようだが、それでは外交は通らない。本気で主張するなら、ロシアと戦争するしかない。……これはまあ、世界史の常識。
 さて。では、どうするか? 私の提案は、こうだ。
 「ロシア国内の各都市の中心部で、(ダミー会社を使って)土地を買い占める。日比谷公園みたいな公園を、あちこちに作る。平日開放と、週末開放とを、交互に繰り返す。『ただし、日露平和条約が結ばれて、北方領土が回復された時点で、これらの公園をロシアに無償プレゼントしますよ』と公約する。」
 こうすれば、ロシア国内に、返還論がふくらむ。
 「北方領土なんか、くれてやれ。身近な公園の方が、ありがたい」
 こういう主張がふくらんだ時点で、日本国内では、逆の意見を醸成する。
 「北方領土なんか、返還してもらわなくてもいい。今のロシアの公園の方が、金銭的に価値がある。地価もだいぶ上がったしね。だから、損得勘定で考えよう。ロシア国内の公園を、全部つぶして、緑のない更地にすればいい。そのあとで、マンション建設をすればいい。ロシアの公園が消えることなんて、知ったことか」
 右翼を使って、じらすわけだ。この右翼の意見を聞いて、ロシア国民は、あわてる。
 「まずい。急いで北方領土を返還しちゃえ。ゴミみたいな島は捨てて、貴重な公園を手に入れよう」
 かくて、計画は成功する。しめしめ。……なお、この方法だと、莫大な経済援助をするより、ずっと安上がりです。

 [ 付記 ]
 これは、とんでもない意見と思えるかもしれないが、実は、逆のことを日本政府はやっている。米国から首都圏の米軍敷地を返還してもらったら、莫大な緑地があるのに、それをあえてつぶして、マンション建設をする、と決めた。(9月04日ごろの報道。)
 私にはまったく理解できませんね。だったら、日比谷公園や何やら、あちこちの公園も全部つぶして、マンション建設をすればいい、ということになる。
 「公園をつぶすぞ」と言えば、ロシア人ならば怯えるだろうが、日本人はどうやら自分であえて公園をつぶすようだ。ほとんど自殺行為だ。私にはまったく理解できませんね。
 もしかしたら、日本政府には、「金銭」という概念だけがあって、「環境」という概念はないのかも。(当り前?)


● ニュースと感想  (9月08日c)

 「WindowsXP SP2」について。
 SP2 はトラブル続き、という話。
  → がんばれ ゲイツ君

  【 追記 】 (2004-09-09)
 (1) ファイアーウォール
 SP2 の主な問題点は、ファイアーウォールが勝手に設定されることであるようだ。とすれば、XP のファイアーウォールを解除すれば、問題の多くは解決するだろう。というか、XP のファイアーウォールを解除するのが、当然のことだ。かわりに、自分で別のファイアーウォールを設定する。これが正解。
   → 10月23日 のソフト。
     このソフトは、雑誌付録でも、ときどき収録される。PC Japan など。

 (2) 時期
 上記の措置が可能だとはいえ、SP2 のインストールは、あまりお勧めしない。すでに最新の SP1a などが入っているのであれば、急いで対処する必要はないだろう。今後、2カ月ぐらいの間に、SP2 の犠牲者がたくさん出て、その後に、修正された SP2a というのが出るだろうから、それまで待っても、遅くはない。
 なお、現時点では、新たなウィルスが出回る可能性は、かなり小さい。というのは、現時点で、 SP1a に感染するウィルスを作っても、作製者は無駄手間だ。また、SP2 に感染するウィルスが出回るのであれば、SP2 をインストールしてもしなくても同じだ。だから、あと2カ月ぐらいの間は、様子見をするのがいいだろう。ついでに、犠牲者の見物をすると、「うひひひ」と意地悪っぽく見物できる。

( ※ なお、とても古いパソコンと古いXPを使っている場合には、SP2 の導入のメリットはある。そのかわり、変更が多くなりすぎて、フリーズする可能性もかなり大きくなる。……では、どうする? 今はパソコンも激安だから、古いパソコンをもっているようならば、最初から SP2 または SP2a の入っているパソコンを買うのが正解かも。これが一番マシかも。なお、その場合、流体軸受けに注意。 → 9月02日


● ニュースと感想  (9月09日)

 「プロ野球のスト」について。
 プロ野球で選手側がストをすることに対して、経営者側からの反発がある。「選手が経営方針に介入するべきではない」という意見と、「選手は個人事業主であり、労働者ではない」という意見だ。
 もっともらしい意見だが、こういうのを「詭弁」と称する。だまされる人が多いようなので、簡単に解説しておく。

 (1) 経営介入
 「選手が経営方針に介入するべきではない」という意見は、成立しない。
 第1に、選手の方針は、合併するか否かというよりは、合併するか否かを協議せよ、ということだ。この種の件では、協議することがプロ野球協約で決まっているのだから、プロ野球協約にのっとって、会社側は交渉の場に着くべきだろう。その「交渉拒否」が問われている。
 第2に、そもそも、これは経営方針の問題ではない。名目は「合併」だが、実質的には「球団廃止」である。つまり、2チームから1チームになり、選手の半数が解雇される、ということだ。仮に、「ただの経営方針の問題だ」と言うのであれば、勝手に会社側は合併してもいいが、そのかわり、選手の雇用は保障されなくてはならない。つまり、チームは2チームを残して、1チームについては会社が合併し、残る1チームについては他社(ライブドア)に無償譲渡すればよい。……これが最も現実的な方針だ。これなら、選手も納得できる。しかるに、現実には、2チームでなく1チームしか残らない。つまり、球団の廃止だ。これは当然、「ただの合併」ではない。「ただの経営」でもない。仮に、「ただの経営」だと主張するのであれば、オリックスを存続球団として、近鉄の選手については全員をフリーエージェントにするべきだ。それなら一応、理屈は通る。「選手の雇用は縛るが、雇用総数は半減する」なんていうのは、当然ながら、球団のわがままであり、こんなのは「経営の裁量」なんかでは、断じてない。詭弁。

 (2) 労働者か
 「選手は、個人事業主であるか、労働者であるか」という意見は、どちらでも成立するが、両方が成立することはない。経営側は、双方のつまみ食いをしているが、そんな理屈は成立しないのだ。
 第1に、労働者であるとすれば、労組としてのスト権が成立する。選手は、ストに対する損害賠償の責任を負わない。
 第2に、個人事業主であるとすれば、市場経済のもとで、自由な契約をする権限がある。つまり、どの球団とも、自由に入団交渉ができる。つまり、完全なフリーエージェントだ。仮に、それが成立しないとしたら、独占禁止法に違反する。球団側は、独禁法違反を問われて、選手側に莫大な補償金を払うべきだ。同時に、今後は、完全なフリーエージェントを認める必要がある。さもなくば、カルテルとなるから、現状のプロ野球システムを解体する必要がある。当然、プロ野球機構は、カルテル機構となって、解散を命じられる。
 以上の二つのうち、どちらを選ぶかは、双方が決めればよい。通常、第1の方だろう。第2の方にすれば、スト権は認められないかわり、選手側はフリーエージェントで大儲けするし、球団側は大損をする。そうしたければ、勝手にどうぞ。


● ニュースと感想  (9月13日)

 「たかが選手(プロ野球のスト)」について。
 パイプをくわえて威張り散らしながら、「たかが選手が」と発言したのは、読売の社主だが、いまだに本人は読売の社主として、ちっとも反省していないようだ。「選手は経営に介入するべきでない」と毎度毎度、社説に執筆している。(12日の朝刊も)
 これは、一見、正論のようでいて、労働組合法をないがしろにする、違法なものである。懲役刑にすら相当する。なぜか? 「経営に介入する」のは、もともと根本的に許容されているからだ。それが労働組合法の趣旨だ。
 だいたい、「経営に介入するな」となったら、あらゆる横暴が許容されてしまう。「選手を全員解雇する」とか、「リストラで人員を半分に削減する」とか、そういう横暴があったとき、「経営に介入するな」という名分で、一切の抵抗が許されなくなるからだ。
 はっきり言おう。「経営に介入するな」という主張が成立するのは、「労働者の雇用に影響がない場合」に限られる。たとえば、新車開発とか、営業方針とか、そういうことなら、「労働者の雇用に影響がない場合」であるから、労組の介入は不適当だ。一方、「人員の削減」のような場合には、労組の介入は正当である。このことは法律的に保証されていることであり、このことで「経営に介入するな」という主張は違法なのだ。(口先の主張だけならともかく、強引に実行すれば、懲役刑に相当する。)
 では、今回の場合、どうか? 人員は実質的に半減する。なぜならば、二つのチームが合体して、1チームができるだけだからだ。仮に、そうでないとしたら、新チームは9人でなく18人で野球をやることになる。この新チームでは、各ポジジョンには、2チーム分の人間がいる。ピッチャーは一度に二人が投げ、バッターは一度に二人が打つ。冗談ですかね。
 というわけで、雇用は守られない。人員の半数は解雇される。解雇されたあとで、他のチームに雇われるとしても、解雇は解雇だ。雇用条件が下がるのは、当然である。当然ながら、他チームでも、解雇者が増えるだろうし、雇用条件が下がる。
 経営側は、「あぶれた選手を、他チームで雇う」と弁解しているが、暴論も甚だしい。こんな理屈が成立するとしたら、普通の市場でも、解雇のやり放題だ。「自社で解雇しても、どうせ他社で雇用してくれるさ。だから、解雇するのは正当だ」という理屈だ。……しかし、こんな理屈は、成立しない。現実には、全体では、失業者があぶれる。プロ野球も同様だ。近鉄からあぶれた選手が、他のチームで雇われるとしても、業界全体を見れば、雇用者総数は長期的には増えないから、1チーム分、雇用者は減る。その分、失業する。これが経済学の常識。
 経営側は、経済学をまったく理解していない。だから多くのチームが、赤字を出すのだ。狂気の経営者ぞろい。
 パリーグを救う唯一の方法を教えよう。それは、経営者を解雇することだ。かわりに、米国人の野球管理者や監督を招けばよい。日本ハムのように。……実際、日本ハムは、成功例である。パリーグのチームは大赤字だといわれているが、日本ハムは例外だ。もともとは中小のハム会社だったのに、プロ野球のおかげで、莫大な宣伝効果を出して、国内トップのメーカーにまで伸びた。北海道移転と新庄選手でも、多くの効果を出した。宣伝効果その他の帳尻を合わせれば、大幅な黒字だ。仮に、日本ハムがプロ野球球団を手放したら、倒産しかねない。……こういうのが、正しい経営だ。

 結語。
 「たかが選手」なんて態度で、選手会を馬鹿にしているような経営者は、彼ら自身がプロ野球を破壊している。彼らは経営の何たるかを理解していないのだ。(日本経済では小泉が経済を理解していないのと同様に。)


● ニュースと感想  (9月13日b)

 「保続」について。
 プロ野球問題では、近鉄球団の経営者は、あくまで「合併」にこだわり、「売却」という方針に転じようとしない。「売却」にすれば、すべては簡単に片付くのに、あくまで「合併」にこだわる。実は、ここに、核心がある。
 では、なぜ、こういうふうにこだわるのか? それは、合理的な理由からではなくて、心理的な理由からである。その心理的な理由を「保続」と呼ぶ。精神医学の用語。
 人間の行動は、二つの要素によって決まる。「選択」および「ON・OFF」だ。前者はハンドルに相当し、後者はアクセル・ブレーキに相当する。
 通常、何らかの行動を選択してから、その行動に踏み切る。たとえば、「右」というふうに方向を決めてから、踏み出す力を入れる。このことは、あらゆる行動に共通する。たとえば、「菜々子と京子のどっちにプロポーズしようかな」と考えて、一方を選択してから、実際にその行動に踏み切る。
 さて。いったん行動に踏み切ったあと、事情が変わったとしよう。たとえば、「菜々子」と決めたのに、「菜々子は既婚者だ」と急に判明したとする。ここでは、状況が変化したのだから、選択を変更しなければならない。「菜々子をやめて、他の女性にせよ」と。なのに、行きがかり上、選択を変更するのは、大変だ。そこで、間違っているとはわかっていても、同じ方向をとり続ける。たとえ破滅に至るとわかっていても、同じ方向をとり続ける。……これが(いわば)「保続」だ。
 「保続」は、精神医学の用語では、精神障害の一つとして扱われる。「同じ行動をとり続ける」というのが症状だ。たとえば、「木魚を打つという行為を続けて、いつまでたってもやめない」というような。一方、上記のような例は、精神障害ではないが、原理的には、精神障害の保続と同様である。  人間は、年を取ると、「状況に応じた変更」というのを、やりたがらなくなる。いったんこうと決めたら、たとえ間違っているとわかっても、その行動をとり続ける。ここではもはや、理性よりも、メンツが問題だ。他人から、「間違っている」と非難されればされるほど、意地になって、その間違った方針にこだわる。
 今のプロ野球の本質は、経営者の「保続」だ。近鉄の経営者も、読売の社主も、「保続」になっている。世間から、「間違っている」と非難されればされるほど、意地になって、その間違った方針を強引にこだわる。……なぜ? 老人ボケのせいだ。軽い精神障害である。ここに、狂気的な行為の本質がある。


● ニュースと感想  (9月17日)

 「WindowsXP SP2」について。
 WindowsXP SP2 の情報がけっこう出回ってきたようだ。「WindowsXP SP2」でウェブを検索すると、いろいろとわかる。また、次のページもある。
  → がんばれ ゲイツ君
 さて。いろいろと情報を整理すると、ざっと次の通り。
 まとめて言えば、危険は非常に大きく、メリットはごく小さい。たとえて言えば、「この薬を飲むと、命を失う危険があります。ただし、メリットとして、病気を避ける効果がほんのちょっとだけ上がります」というようなもの。害は多く、益は少ない。
 だから、常識的に考えれば、「SP2 は入れない方がよい」というのが、まともな判断だ。個人的に言えば、SP2 は入れない方がよいに決まっている。
 さらに言えば、「メリット」というのは、実は、少ないどころか、ほぼ皆無ですらある。なぜか? メリットがあるとすれば、「SP2 入りならば安全だが、SP2 なしだと感染する」というウィルスが出回った場合だ。しかし、そういうウィルスは、実際に出回るだろうか? ここで、ウィルス作製者の立場になって考えよう。そういうウィルスを作成しても、SP2 入りのパソコンには感染しないから、あまりおもしろくない。しかも、自分のウィルスがひろがると、MSがこう言う。「当方は、対策をしましたから、当方には責任はありません。責任は、対策ソフトを入れていないユーザーにあります。ユーザーの皆さんは、さっさと当社のサイトに接続して、対策ソフトを入れてください。それが面倒ならば、新しい Windows の入ったパソコンを、新たに買ってください。」……実際、「それじゃ、この際、買うか」と思う人も多いだろう。かくて、ウィルスを作成すればするほど、マイクロソフトはどんどん売上げが増える。「古いパソコンを使おうと思っていたけど、もう、しようがないな」と思って買う人がいるから、マイクロソフトはどんどん金を手に入れる。こうして、ウィルス作製者のおかげで、ビルゲイツは大儲けできるわけだ。
 だから、まともな頭をもっているウィルス作製者ならば、「SP2 入りならば安全だが、SP2 なしだと感染する」というウィルスなんか、つくるはずがない。ゆえに、SP2 なんか、入れなくてもいいのだ。
( ※ ただし、例外はある。アダルトサイトに MS-IE で接続するような人だ。こういう人は、情報を盗まれる危険があるから、SP2 を入れた方がよい。ただし、SP2 を入れても、しょせんは MS-IE はセキュリティ・ホールが山のようにあるし、SP2 もいまだに新欠陥には対応していない。だから、アダルトサイトなんかには接続しない方がいいし、接続するならば MS-IE 以外の Opera かなんかにした方がよい。)

 結局、SP2 は、駄目ソフトである。では一般的に、「人々は SP2 を入れるべきではない」と結論するべきか? 実は、そうではない。このことを説明しよう。
 仮に、「誰もが SP2 を入れない」となったら、WindowsXP の欠陥は放置されたままとなる。そうなると、ウィルス作製者が喜んで、その欠陥を突くウィルスを作成する。それはまずい。だから、結論としては、次のようになる。
 「他人には『 SP2 を入れよ』と推奨する。それでパソコンが壊れたとしても、しょせんは他人事であるから、自分には関係ない。そうして他人にはどんどん勧めておきながら、自分だけは SP2 を入れない」
 これが一番賢明だ。皮肉ですけどね。
 実は、これは、経済学の応用だ。「合成の誤謬」というのに似ている。「 SP2 を入れない」というのは、個人にとっては最適行動である。しかし、全員がその最適行動を取ると、社会全体にとっては、好ましくない。だから、国全体としては、「 SP2 を入れる」という行動を取った方がよい。ただし、自分たち少数派だけは、「 SP2 を入れない」という行動を取る。
 たとえば、病気のワクチンがあるとしよう。ワクチンを受けた人のうち、一定割合の人が、副作用で死んでしまう。それでも、ワクチンを誰もが受けないと、病気が蔓延する。だから「ワクチンを受けよ」と人々に推奨して、社会における病気の感染を防ぐ。ただし、自分だけは、ワクチンを受けないで、安全地帯にいる。
 こういう行動を取る人を、天の邪鬼と呼ぶのかも。
( ※ 私? もちろん、天の邪鬼です。……でも、「ズル」と責めないでほしいですね。責めるなら、例の会社をせめてほしいですね。病原菌を作って、同時に、欠陥ワクチンを作っている、例の会社を。……欠陥ソフトを作れば作るほど、新しいパソコンへの買い換えが進んで、ボロ儲け。だから、あちこちのパソコンを破壊しているんです。)


● ニュースと感想  (9月19日)

 「プロ野球のスト」について。
 プロ野球のストが決行されることになった。このことの是非については、各人にいろいろと意見があるだろう。私の意見は、個人的な意見になるので、ここでは特に述べないでおく。(別のところでは述べたが。→ 9月09日9月13日
 本項では、それとは別に、マスコミの報道について述べよう。マスコミ記事には、大いなる嘘が含まれているのだ。このことを指摘しておこう。

 マスコミ記事は、事実報道を別とすれば、「スト賛成」か「スト反対」か、どちらかの見解が示されていることが多い。このうち、後者が問題だ。「選手は、球団統合という経営問題に介入するべきではない」という趣旨だ。この趣旨がほとんどである。(たとえば、18日の読売の大多数の記事や社説。)
 しかし、選手会の声明を見ればわかるとおり、このことは争点とはなっていない。争点は、次の三つだ。「球団統合のシミュレーション」「近鉄選手の移籍の自由」「新規球団参入」。
 つまり、選手会側は、「経営統合」を受け入れている。そもそも、前回では「経営統合」を禁じているのではなくて、「延期」を主張しているだけにすぎない。つまり「現状維持」だけだ。そして、それさえも、今回は放棄している。
 また、今回の三項目については、どうか? プロ野球の話を離れて、法律的・経済的に考慮してみよう。

 (1) 「シミュレーション」については、前回の交渉で経営側が約束しておきながら、今回は「近鉄・オリックス」のシミュレーションだけを示して、12球団のシミュレーションという選手側との約束を反故にした。約束違反。……法律的な問題。
 (2) 「移籍の自由」は、経営問題ではなくて雇用問題なのだから、これを認めないのもおかしい。「球団が雇用条件を勝手に変更したのだから、球団との雇用契約を破棄したい」ということだ。なのに「勝手にやめることは許さん」というのは、経営問題などではない。……労働法という法律的な問題。
 (3) 「新規参入」を拒むのは、「仲間だけのギルドへの参入を拒否する」というものであり、一種のカルテルだ。このようなカルテルは、社会的な意義があるかどうかで、判定される。12球団を維持するというのであれば、社会的な意義があるので、認められるだろう。しかし、11球団にこだわり、従来通りの12球団を維持しない、というのでは、あまりにもカルテル的な度合いが強い。……経済的な問題。
 このうち、最後の (3) が問題だ。日本の企業は、一般に、カルテルや競争制限がひどすぎる。仲間内だけで、なれあいの市場を維持しようとする。普段は「市場原理」なんてことを口にして、「おれたち民間企業は、政府なんかとは違って、正当に競争しているんだ」なんてことを口に出しているが、実際は、競争制限と寡占市場の維持ばかりを狙っているのだ。( → [ 付記 ])

 今回の問題の、核心を言おう。それは、「市場原理」である。経営者は、「経営が赤字だ」と言う。「だから、市場を競争制限しよう。そのためにカルテルを結んで、供給を6から5に減らそう」なんて泣き言を出す。だが、こんな経営者は、失格だ。
 だいたい、経営に失敗した経営者が、「経営に口を挟むな」と偉そうに語るなど、あまりにもおこがましい。オリックスや近鉄の経営者は、「経営に口を挟むな」と語る前に、「経営に失敗しました。自分は経営者の資格がないので、退陣します」と語るべきなのだ。
 では、正しくは? 「市場原理」のもとで、「優勝劣敗」をすることだ。つまり、赤字を出して耐えられない企業(近鉄・オリックス)は、市場から退出するべきだ。かわりに、別の企業(ライブドア・楽天)が市場に参入するべきだ。
 選手会としては、「合併阻止」なんてことを主張するかわりに、「合併しなくては生き残れないような二社は、どっちも市場から退出せよ」(かわりに別の二社を入れよ)と主張するべきなのだ。これは、経営問題ではなくて、経済問題だ。なすべきは、「古いものを捨てて、新しいものを入れる」という「新陳代謝」である。「腐ったリンゴを残そう」という経営者側の判断を、一刀両断するべきだ。経営のことばかりを考える落第経営者に、「経済とは何か」「市場原理とは何か」を、しっかり教えてやるべきなのだ。

 [ 付記1 ]
 前述のように、日本の企業には、「競争制限と寡占市場」という体質がある。だから、たとえば外国企業が参入しようとしたりすると、やたらと政府による規制を望んだりする。
 たとえば、18日・朝刊の報道によると、シティ・バンクを日本から撤退させるための「業務停止」という措置を、政府は取った。シティ・バンクが違法行為をしたという理由による。しかし、違法行為なら、三菱自動車や雪印や日本ハムを初め、日本企業だってけっこうやっているのだ。いきなり業務停止・会社撤退という過激な措置を取るのは、外資に対してだけだ。それというのも、日本の金融業界が、政府に対して根回ししたせいだ。

 [ 付記2 ]
 なお、いわゆる審議会などは、すべて根回しで決まる。たとえば、先日、BSEの疑いのある牛について、審議会では「20カ月未満は対象外」という結論が出た。実は、この前の段階では、もっと厳しい方針を委員会で決定したのに、「それではまずい。米国に怒られる」と思った官僚が、その決定を変更することに決めた。官僚が背後で根回しして、委員会の決定をくつがして、次回会合では、「前回の決定を否定して、新たな甘い方針を決める」というふうに、いつのまにか方針が変更されてしまった。……つまり、委員会が何を決めようが、その結論は、官僚の承認を得る必要がある。官僚の方針に反する結論を委員会が出せば、その結論はくつがえされる。これが審議会というものだ。(朝日新聞・朝刊 2004-09-16 )
 プロ野球でも、同様だ。「新規参入企業を審査会で審議する」なんて案もあるが、これも同種だ。一種のペテンである。有識者を招くと言われるが、「事務局のお気に入り」の有識者に限られる。要するに、あらかじめ「新規参入企業を拒否する」という委員だけを選んでおいて、彼らを任命して、それから、「新規参入企業を拒否する」という結論を出して、「公正に審議した結果、新規参入企業を拒否するという結論を下しました」というふうにする。仮に、「新規参入企業を招く」という結論を出しそうになった委員がいたら、「あんた、そんなことだと、委員をクビにしますよ。クビになると、いろいろと余録がなくなりますよ。百万円以上の損になりますが、それでもいいの? あんたをやめさせるかどうかは、こっちのさじ加減なんだけどね。どう? 言うことを聞いた方がいいよ」と脅迫する。
 嘘みたいに聞こえるかもしれないが、これが官僚の常識だ。たいていの審議会は、こうなっている。「お役所のご法度」という暴露本に書いてある。この内実を暴露した官僚は、「本当のことをばらした」という咎で、役所の猛スカンを食って、事実上、左遷された。あげく、懲戒免職である。(この本の著者は、前著「お役所の掟」を書いてベストセラーになった人。)
 なお、正確に言えば、もうちょっと手が込んでいる。「審議会で全員一致」だと、シナリオが書いてあるのがバレバレだ。だから、あえて、反対派を少しだけ入れておく。そうして「賛否両論のあとで、少数派の意見は否決され、最終的には多数派の意見を取りました」という形にする。なかなか手が込んでいますね。
 で、シナリオによれば、「A氏がこれこれの賛成論を述べ、次にB氏がこれこれの反対論を述べ……」というふうに、発言の順序と内容も、すべてあらかじめ決まっている。そのシナリオを書くのが担当者。シナリオの最終結論は、あらかじめ、上司の決裁を得ておく。
 今回の例で言えば、「新規参入は拒否」という最終結論を決めておいて、それに合致する委員を選択するわけだ。似た実例がある。18日の読売の紙面だ。「有識者の意見を聞きます」という記事の体裁を取っているが、あらかじめ「経営側の意見を支持」というような人選ばかりしている。で、そのせいで、「経営統合という経営問題に、選手が介入するのはけしからん」という統一された勘違いの記事で埋まる。「経営統合という経営問題に、選手が介入する」なんてことはないのだが。前述の通り。(つまり、経営統合という問題ではなくて、新規参入について要望している。)
 結語。
 マスコミの目的は、事実の報道ではなくて、国民を虚報で洗脳することだ。それは、朝日も読売も同じ。政府も同じ。小泉も同じ。……それを暴露するのが、「小泉の波立ち」。(で、私も懲戒免職になるかも。いや、まさか。官僚じゃなくてよかった。ほっ。)


● ニュースと感想  (9月19日b)

 量子力学の話を、さらに追加した。
 「この宇宙の本質は何か?」という問題に、最終的な回答を与える。量子力学と相対論は、一つの理論のもとで統一的に説明される。

 先に、「真空は ◯ たちの集まりである」というモデルを提出した。しかし、そのモデルが具体的には何を意味するかは、はっきりとしていなかった。単にモデル的に示されただけだった。
 しかし今や、そのモデルの意義は明らかになった。それは「虚数エーテル」という概念である。これは本質的には、超ヒモ理論とよく似ている。
 この宇宙は、3次元の空間ではない。4次元めの次元がある。ただし、その次元は、ごく小さい。プランク定数程度であるにすぎない。しかも、その次元は、虚数なのだ。
 いわゆる「エーテル」という概念は、実数の次元をもつとすれば、マイケルソン・モーリーの実験に反する。しかし、虚数の次元をもつとすれば、相対論や量子論と整合的になる。
 「量子のエネルギーは、とびとびの値になる」ということは、従来の量子論でも示されていた。しかし、「なぜそうなのか?」という疑問には答えられなかった。単に天下り的に受け入れるだけだった。しかし、「虚数エーテル」という概念を使えば、この疑問に答えることができる。

  → 二重スリットと観測問題  の最後の箇所。


● ニュースと感想  (9月20日)

 「プロ野球の問題の解決案」について。
 プロ野球の問題が迷走状態にある。そこで、画期的な解決案を示そう。二つある。

 (1) 狙い撃ちスト
 球団側は譲歩について、賛否半々だったという。ただし、反対側の巨人とオリックスが強硬に反対を主張したので、妥協がならなかったという。セの5球団とパの日本ハムは、賛成側だったという。
 だったら、簡単だ。ストは、「巨人とオリックスの主催試合のある日」に限定すればよい。セリーグとパリーグに分けて、セは巨人の主催試合のある日、パはオリックスの主催試合のある日。その日に限定して、ストをする。かくて、巨人とオリックスは、主催試合の収入がゼロになる。他の球団は、巻き添えを食うが、巨人とオリックスほどはひどくない。
 こうすれば、まず、オリックスは音を上げる。残るは巨人だけだ。この件は、以下で。

 (2) 選手離脱
 「巨人を狙い打ちするスト」なんてのをやると、ナベツネは怒り狂うだろう。「それなら、巨人はリーグを脱退する。別リーグを結成する!」と主張する。まず間違いなく。
 しかし、それならそれで、別に、構わない。他の球団があわてて、「じゃ、うちも巨人と一緒に」なんて腰巾着になろうとして、恥をさらすかもしれないが、ちっとも問題ではない。うまい対策がある。それは、こうだ。
 「全選手が、球界を離脱する。そして、選手たちによる新リーグを結成する」
 要するに、巨人が「現在のリーグを離脱する」と言い出したら、逆に選手が「現リーグも別リーグもどちらも離脱して、自分たちで勝手に新しいリーグを作る」と言い出せばよい。
 具体的には、「新セリーグと新パリーグ」を結成する。それぞれ、「新タイガース」「新ファイターズ」などのチームで、そっくりそのまま移行する。ただし、巨人とオリックスと近鉄だけは、別だ。オリックス(ブルーウェーブズ)は、楽天に渡す。近鉄(バッファローズ)は、ライブドアに渡す。前者は、大阪と兵庫。後者は、仙台。巨人は、どこに渡すか? 読売以外であれば、どこでもよい。日本テレビが欲しいといえば、日本テレビ。日本テレビがナベツネの影響を抜け出せないのであれば、TBSでもフジテレビでも何でもいい。あるいは、オーナー会社なしの市民球団にしてもいい。どうせジャイアンツは、黒字球団なのだから、オーナー会社なしの市民球団でも、しっかり自立できる。(広島や横浜は市民球団だ。)……これで、ジャイアンツの選手の待遇は、悪化するどころか、好転する。なぜなら、球団の黒字になる分(読売に吸い上げられる分)を、選手たちで分配できるからだ。
 私としては、これが最善だと思う。災い転じて、福となす。球界の厄災である読売の手から離れて、プロ野球を自立させるために、選手は現状の球界をいっせい離脱して、「新セリーグ」と「新パリーグ」を結成するべきだ。
 これぞ、最善の改革案。革命的。誰もがびっくり。驚天動地。……「たかが選手」と思っている傲慢な経営者たちの、腰を抜かしてやれ。
 次回(25・26日)のストが終わったら、10月になる。それ以降は、ストなんかよりも、いっせい離脱のために、舵を切り替えよう。
( ※ 「いっせい離脱」は、合法的である。ただの「任意引退」にすぎない。シーズン途中での離脱は契約違反だが、来期の契約を結ばないのは何ら問題はない。合法的。)

 [ 付記1 ]
 本質的に言おう。野球というのは、選手がやるものであって、経営者や事務方がやるものではないのだ。経営者たちは、ただの寄生虫にすぎないのだ。オリンピックで言えば、選手たちがすばらしいスポーツを見せる一方で、IOCの委員は美食で接待されて、オリンピックを食い物にしている。それと同じく、プロ野球というスポーツを食い物にしているのが、経営者たちだ。
 そこを勘違いしている経営者が、「経営に介入するな」などと言い張る。彼らは自分たちだけでプロ野球をやっているつもりなのだろう。そういう経営者は、自分たちが勝手に、ボールを投げて、バットで打って、グラブでつかみ損ねて、すってんころりと転べばいいのだ。そういう馬鹿げた糞ゲームを見れば、物事の本質がわかる。── 「スポーツにおいて、経営者なんてのは、糞ほどの価値もない」ということが。(特に、赤字会社の経営者は。)

 [ 付記2 ]
 ストについて、「選手も経営者も、ともに反省せよ」という主張が見られたが、ちょっとおかしいのでは? 大リーグのストでは、選手は「高年俸」を狙って、わがままなストをやった。しかし日本のストでは、そうではない。単なる「現状維持」だ。
 なお、現状では球団経営が成り立たない(だから球団を減らすしかない)というのならばわけがわかる。しかし今回は、参入したいという球団をあえて参入させない(増やせるものをあえて増やさない)という、逆方向に狙っているのが、経営者側だ。
 単純にいえば、ナベツネの球界支配という野望を満たすか、その野望に選手が抵抗するか、という図式だ。「どっちも反省せよ」なんてのは、「独裁者も国民もどっちも悪い」と言っているのと同じだ。

 [ 付記3 ]
 それより、マスコミは、事実を報道するべきだ。虚報を垂れ流すのは、やめてもらいたいものだ。
 虚報とは? 「5球団の場合のシミュレーション」なんてのを、球団発表そのままに、マスコミは垂れ流している。馬鹿言わないでほしい。これは、「140試合やる」ことが前提となっているが、5球団に減らした場合、従来の期間では、140試合を実施するのは不可能だ。やるとしたら、期間を1カ月増やす必要がある。寒い3月か11月に実施する。当然、選手はケガ人が続出だし、ファンだって寒いところに来るはずがない。ゆえに、3月か11月に実施することは不可能だ。不可能なことを「可能だ」と前提したシミュレーションを、堂々と報道する。これぞ虚報。
 こういうマスコミは、企業や政府が嘘を発表すると、それを検証することもなしに、堂々と掲載して、「国民は信じなさい」とか、「国民と政府はどっちも駄目だ」とか、勝手なことを主張して、政府の独裁を許すようになる。
 繰り返す。マスコミは、事実を報道するべきだ。虚報を垂れ流すのは、やめてもらいたいものだ。

 [ 付記4 ]
 ついでに言えば、経営者側の二枚舌も、やめてもらいたいものだ。一方では「新規参入企業についてはしっかり審査すべきだ。時間をかけて審査せよ」と主張し、もう一方では、オリックスと近鉄の統合会社については、「新規統合企業についてはしっかり審査しなくていい。時間をかけて審査しなくていい」とあっさり無審査で認める。一方では白と主張して、もう一方では黒と主張する。
 つまりは、楽天やライブドアは「チームをつぶす可能性があるから、駄目」と否定され、オリックスと近鉄は「チームを現実につぶすから、立派」と肯定される。犯罪で言えば、善人は「泥棒をする可能性があるから」と否定され、泥棒は「もう泥棒をしたから安心」と肯定される。
 とにかく、楽天やライブドアなら、ただの白紙状態だ。一方、オリックスと近鉄は、球団経営に失敗したという前科がある。オリックスなんて、どうせまたすぐに撤退するとか何とか言い出して、球団数を減らそうとするだろう。ロッテも西武も巨人も、どうせまた撤退すると言い出すだろう。(だからこそ、あくまで「球団削減」にこだわる。)こういう駄目な球団が、審査されずに、残留を認められる。その一方で、「球団をずっと維持する」というライブドアと楽天が、はねつけられる。
 経営者側は、ひどい二枚舌だ。マスコミは、その二枚舌をそっくりそのまま垂れ流す。両者で一緒になって、国民をたぶらかす。
 こんな12球団は、全部ぶっつぶしてしまった方がいいかも。国民が困る? いや、球団はつぶれても、選手はつぶれない。選手たちだけで、12球団を新規に立ち上げればよい。……かくて、ふりだし。 冒頭の主張へ。(2) へ。

  【 追記 】 ( 2004-11-08 )
 前に横浜ベイスターズを「市民球団」と書いたが、これは不正確でした。訂正します。
 TBSが株式の54%をもっているので、一応は、TBSが親会社です。横浜市も株式をもっているはずだが、過半数ではないので、ここでは、「市民球団」と見なすのは不適切でしょう。


● ニュースと感想  (9月21日)

 バックアップの話。
 Windows のシステムファイルのバックアップの方法。
 Windows が起動しない、という問題に対処する方法。

  → バックアップの話


● ニュースと感想  (9月21日b)

 量子力学の話の、発展。
 先日は、「この宇宙は、3次元と、極微の1次元からなる。合計4次元である」と述べたが、話を発展させて、「この宇宙は、3次元と、極微の9次元からなる。合計12次元である」と述べることもできる。

  → 二重スリットと観測問題  の最後の箇所。


● ニュースと感想  (9月23日)

 「小泉首相への勧告」について。
 拝啓。小泉首相 殿。
 首相就任以来、「コーゾー・カイカク」という掛け声を上げるだけで、実績は皆無で、たまに始球式などでパフォーマンスをするだけのあなたのために、支持率アップの名案をお教えします。
 それは、プロ野球のストを解決することです。次のように。
 「近鉄と楽天とを、料亭に招く。首相要請という名目のもとで、近鉄は楽天による買収を受け入れる」
 どうです。これで八方丸く収まる。
 近鉄は、売却代金を得る。楽天は、球団を得る。他球団と選手は、ストを回避できる。面目をつぶされるのは、巨人とオリックスだけだが、これらは「お上」に弱いから、首相に頼まれれば、いやとは言えない。どっちみち、ストを回避する利益があるんだから、「ストを続けよ」とは言えない。
 国民は拍手大喝采。
 「首相はこれまで、何もしなかったが、ようやく一つだけ、業績を上げたな。貴乃花に『感動した!』と叫んで以来、唯一の業績だ。これで、首相の支持率を上げてやろう」
 どうです。コイズミくん。失地挽回策ですよ。やってみたら? ……え? アメリカで始球式をやっている方がいい? 日本よりアメリカが大好き? やっぱり、そうですかねえ。


● ニュースと感想  (9月24日)

 「波状スト」について。
 プロ野球のストが解決の見込みだという。(23日・朝刊各紙。)
 「5球団よりも6球団の方がいい、ということは誰でもわかる」と巨人とオリックスは釈明している。しかし、だったら今までの頑なな拒否は、いったい何だったのだ? 茶番だったんですかね? 道化喜劇? 彼らは、「誰でもわかることを、これまで、わかりませんでした。私は脳足りんでした」と告白しているのだろうか?
 両球団は、豹変の理由を、ちゃんと釈明してほしいですね。
 ついでに読売新聞は、社説で「巨人は妥結するな」と対決をけしかけてほしいですね。おのれの馬鹿さ加減が、はっきり暴露されるから。あるいは、数日前の社説を、再掲載してほしい。
( ※ 私の予想では、読売社説は、過去の論説を忘れたフリをするはず。「大量破壊兵器があるから、イラクと戦争せよ」という論説を張ったのを忘れたフリをするのと同じ。ま、マスコミってのは、偉そうなことを言っても、こういう破廉恥な無責任野郎ばかりだ。)

 ま、それはそれとして。今回の件から、ためになる教訓を得ることができる。
 選手の一部は「無期限スト」を主張したが、古田会長のもとで「週末だけ」という形になった。つまり、「波状スト」(断続スト)だ。これは、選手にとって出血が少なく、会社側にとって出血が多い、という利点がある。しかし、それはそれとして、もっと有意義な点がある。次のことだ。
  ・ストのない間に、経営者側が頭を冷やせる。
  ・ふたたびストをやると、経営者側はふたたび出血する。
 「波状スト」(断続スト)には、このような利点がある。「無期限スト」だと、基準点たる現状は「スト」だから、このままストが続いても、失うものが増えたという感じはしない。かくて、ストがダラダラと続く。解決は遠のく。一方、「波状スト」だと、基準点たる現状は「ストなし」だから、ふたたびストが再発すると、失うものが新たに出る。それは痛い。
 比喩で言おう。肌に針を刺す。針を刺しっぱなしなら、痛みはだんだん鈍磨するから、「ふん」と我慢していられる。しかし針を抜いたり刺したりすると、あらためて刺すたびにすごく痛いから、「もうやめて!」と叫びたくなる。
 これが波状ストの効果だ。だから、ストをやるなら、波状ストが最も有効なのだ。
( ※ 女性はこのことをよく知っています。たとえば、夫婦喧嘩すると、夫は一挙に解決しようとして、圧倒的にわめきたてようとする。しかし妻は、いったん負けたフリをして、その場をやり過ごす。しかし妻は、しばらくたってから、話を蒸し返す。三日後も四日後も五日後も、針のように痛い言葉をネチネチと繰り返す。これが何度も続くと、夫の方は悲鳴を上げる。かくて、夫婦喧嘩というものは、常に妻が勝つ。妻の方が、頭いいですね。)

 さて。これと同じことは、国家間にも成立する。ストのかわりに、経済制裁を考えるといい。「経済制裁をやり続ける」というのは、これまで、効果が上がったことはいっぺんもない。キューバ、北朝鮮、イラク、ミャンマー、いずれも独裁が何十年も続いた。要するに、「相手が気に食わんから、徹底的に対抗せよ」という「スト強硬派」みたいな過激な主張をしても、あまり効果はないのだ。「手段が強力なら効果も強力だ」と思うのは、発想が単細胞すぎるのだ。
 そこで、私の提案するのが、「波状スト」ふうにやる「波状の経済制裁」つまり「断続的な経済封鎖」だ。これこそ有効なのだ。……この件は、前にも提案したことがある。
( → 4月13日c


● ニュースと感想  (9月25日)

 「量子テレポーテーション」について。
 「量子テレポーテーションの実験が成功した」という記事が掲載された。(24日・夕刊各紙・ベタ記事)
 「情報が瞬時に移動する、すごい情報通信だ」とか、「高速コンピュータが実現する」とか、けっこうトンデモな内容の話が掲載されているので、指摘しておこう。

 (1) 超光速
 「情報が瞬時に移動する」という報道もあるが、別に、情報が移動しているわけではない。それが証拠に、「移動経路」なんてものは存在しない。単に「あるところで情報が消滅し、別のところで同じ情報が発生する」という現象が生じただけだ。たとえれば、東京でミッキーが消滅して、ニューヨークでミッキーが登場しただけだ。別に、「移動」という現象が起こっているわけではない。「テレポーテーション」という用語は不適である。
 「量子はたがいに区別できないから、移動しているのと同然だ」という主張もあるが、それを言うなら、同一の量子は無限にある。「あるところで情報が消滅し、別のところで同じ情報が発生する」という現象が生じたとき、まったく無関係なところでも、同じ量子で同じ情報が発生しているはずだ。そっちは別にテレポーテーションが起こったわけではあるまい。
 そもそも、量子テレポーテーションの解説書にはどれにも、「情報が超光速で移動するわけではない。そう見えるだけだ」と解説してある。ちゃんと解説を読んでほしいものだ。
( → 二重スリットと観測問題 量子テレポーテーションと量子力学 )

 (2) 併用する通信
 量子テレポーテーションが超光速にならないのは、別途、光速以下の速度の通信を併用する必要があるからだ。たとえて言えば、「量子テレポーテーションの暗号を解く鍵」のようなものを、肝心の情報内容とは別に、光速以下で送信する必要がある。それを送信しない限り、量子テレポーテーションは成立しない。ゆえに、光速の制限がある。

 (3) 併用する物質
 もっと重要なのは、あらかじめ、通信媒体としての物質を二者間で送付しておく必要がある、ということだ。具体的に言えば、こうだ。
 現状では、あなたがアメリカにいるジョージに電子メールを送りたいときは、簡単だ。単にメールを送付するだけでいい。メールの内容は電子的に送信される。これは光ファイバーや銅線を伝わるから、光速にかなり近い速さだ。
 一方、あなたがアメリカにいるジョージに量子テレポーテーション・メールを送りたいときは、大変だ。なるほど、量子テレポーテーションを使えば、メールの内容は一瞬にして伝わる。しかし、そのためには、あらかじめ媒体を物質として送付する必要がある。たとえば、飛行機便と宅配便で、媒体を小包で送付する。そのためには、郵便局に行って手続きする必要があるし、先方はやはり郵便局から配達してもらう必要がある。というわけで、一週間ぐらいはどうしてもかかってしまう。こうして媒体を受け取ったあとで、ようやく、量子テレポーテーションによる送信が可能だ。そこだけが一瞬で済んだとしても、総計すれば、時間は一週間ぐらいかかる。しかも、それで済むのは、限界がある。媒体の分量を使い果たしたら、ふたたび、新たな媒体を送付する必要がある。かくて、ふたたび、一週間ぐらいかけて、媒体を送付しなくてはならない。
 なお、それでも、相手がアメリカにいるならば、まだいい。一方、相手が船上や僻地にいるとしたら、大変だ。小包を送付することが不可能なので、媒体の送付には数カ月か一年ぐらいかかってしまう。衛星通信を使う電子メールならば、ほぼ瞬時で済むのに、量子テレポーテーションによる通信なんかをすると、最後だけが一瞬で、それ以外には数カ月か一年もかかる。しかも、通信容量には、限界がある。馬鹿らしくて、やってられないね。
 特に、容量の限界は、致命的だ。コンピュータがどんなに高速で作動しても、その情報の限度となる量が小さければ、あっというまに限界が来るから、「高速」であることに意味がない。たとえて言えば、「3ギガヘルツCPUをもつ通常のパソコン」に対抗して開発した高速コンピュータが、1万倍の「3万ギガヘルツのCPU」を誇りながら、その利用可能メモリ量が 640キロバイトしかないので、MS-DOS しか扱えない、というようなものだ。ギガヘルツの高速さだけを追求しても、無意味なのだ。

 (4) 暗号通信
 無知なマスコミは、上記の点を誤解して報道するが、まともな研究者は、上記の点を理解している。だから、量子テレポーテーションの実用的な用途としては、たった一つを示すだけだ。それは、量子テレポーテーションを利用した「量子暗号」である。
 では、「量子暗号」の用途は? せいぜい、「暗号鍵の伝達」ぐらいである。肝心の暗号文書(つまり本文)は、別の暗号(たとえば楕円関数暗号)などを使って送信する。一方、その暗号の鍵だけは、量子暗号を使う。
 せいぜい、このくらいだ。で、その意義は、ほとんどない。実際、われわれの普段の用途を見ても、暗号の必要なんか、ほとんどない。電子メールだって、暗号をかける人は、ほとんどいない。どうせ秘密性はほとんどないし、いちいち暗号をかけたり解いたりする手間が面倒だからだ。
 さらには、インターネットのブラウザのような「通信と放送の中間」みたいな「一対多」の通信では、量子テレポーテーションや量子暗号は、まったく無意味だ。なぜなら、手元の情報が消えてしまうのでは、不便この上ないからだ。たとえば、ホームページの公開では、ホームページの情報が消えてしまっては困る。また、ホームページの情報は、そもそも秘密性がなくて、逆に、公開したい。私だってそうだし、企業の宣伝ページだってそうだ。(ついでに言えば、露出癖の女性のエロ・ページだってそうだ。「見て見て」というわけ。)
 ま、それでも、暗号が必要な場合もある。現状で言えば、SSL暗号を使っている場面だ。逆に言えば、量子暗号や量子テレポーテーションの出る幕は、せいぜい、このくらいでしかない。「量子暗号が未来社会を大きく変える」なんてことは、ありえない。未来社会は、秘密社会じゃなくて、公開社会になるはずだからだ。今もそうですけどね。
( ※ ただし、お役所だけは別。だから、量子暗号を使う一番のユーザーは、お役所になりそうだ。「国民に対して情報を秘匿する」という目的で、せっせと情報を暗号化するわけ。三菱自動車なんかも、その傾向がありそうだ。)

 (5)セキュリティ
 量子暗号は、原理的に他人に盗まれない。それは事実だ。では、量子暗号が実現することで、われわれの情報社会は、セキュリティが万全になるか? 
 現状を見ればわかる。「暗号を盗まれたことによる被害」なんてのは、現実には、まったくと言っていいほど発生していない。なぜか? 暗号を解読できるほどの優秀な人なら、そんな犯罪行為はしない。(人生を棒に振るのはまっぴらだ。)また、暗号を解いたところで、たいていは役立たずのビジネス文章であるに過ぎず、情報を盗んでも、現実に金儲けにはならない。たとえば、盗んだ情報をライバル会社に持って行っていっても、胡散臭い目で見られて、警察に通報されて、監獄行きになるだけだ。「暗号の解読」なんてのは、研究者の研究課題になるだけであって、金儲けにはほとんどならないのだ。(暗号を作ることなら、いくらかは金儲けができるが、暗号をこっそり解くことは、ほとんど金にならない。)
 というわけで、量子暗号によるセキュリティの向上は、無意味とは言わないが、たいした意義はあるまい。世の中のごくごく一部を占める程度の重みしかない。

 [ 付記 ]
 ついでに言えば、暗号以外でなら、セキュリティの問題は、山のようにある。一つは、人間心理を突くものだ。「オレオレ詐欺」や、「キャッシュカードの偽造」など。これについては、私も何度か言及した。もう一つは、マイクロソフトのセキュリティの問題。こっちこそ、最大の課題だ。
 量子暗号でいくらセキュリティを万全にしても、そもそも Windows を使ったコンピュータシステムがセキュリティでは穴だらけなのだから、こっちの穴をふさがない限りは、「頭隠して、尻隠さず」である。
 「量子暗号ですばらしいコンピュータ社会」なんてのは、愚かな妄想であるにすぎない。昔も、「超高速CPUと光ファイバーによるインターネットで、21世紀の情報社会は薔薇色だ」なんて新聞記事がわんさとあふれたが、現実には、ウィルスと欠陥OSのせいで、ユーザは日々、苦しめられている。「やれパッチを当てろ」だの、「やれSP2でマシンがダウンした」だの。
 はっきり言っておくが、現代の情報社会の最大の課題は、暗号技術なんかではない。欠陥OSを何とかすることだ。そして、その根源には、「すばらしい技術」という盲信がある。「すばらしい技術」を夢見て、「Windows さえあれば、何でもかんでもできるようにしよう」と目論んだ結果、「悪質なハッカーは Windows を好き勝手に操作し放題」というふうになってしまった。そして、その根本には、「万能の道具」を提供しようとした基本理念があるのだ。「 MS-IE でネットに接続すれば何でもできる」というふうにした結果、「外部から、MS-IE と ActiveX と経由して、パソコン内部をいくらでも勝手にいたずらできる」というふうになってしまった。
 大切なのは、「万能の道具」なんかではなくて、「安全で禁欲的な道具」なのだ。「悪さをしたくても悪さをできないような道具」なのだ。たとえば、ブラウザであれば、ホームページ閲覧だけができれば十分であり、パソコン内部を勝手にいじくる機能などは不要なのだ。……ところが現実には、マイクロソフト(など)は、やたらと高機能を望む。かくて、その高機能を利用して、悪質なウィルスが蔓延する。
( → 7月04日 Windows のセキュリティホール )


● ニュースと感想  (9月26日)

 「パワースーツ」について。
 パワースーツが実用化されたという。脳(運動野)の微弱な電流を皮膚表面で検知して、その信号が筋肉に達するよりも早く、機械に送る。かくて、手足に装着したフレームのモーターが動作して、手足の運動を補助する。(朝日・朝刊・2面・コラム 2004-09-24 )
 記事では「ロボットスーツ」と書いてあるが、機械単体では動かず、人体とほぼ一体化して使われる機械なのだから、サイボーグに分類してもいいかもしれない。
 ともあれ、このようなものが開発され、実用化された、ということは、好ましいことだ。一方、残念なのこともある。こういう立派な業績をやるのに、大学教授が自力でベンチャーを起業するしかなかった、という点だ。
 ソニーは、原理的に不可能な「人間並みのロボット」なんてのをめざして大金を垂れ流す。トヨタや日産は、技術的にはともかく法的難関のある「自動運転」なんていうシステムなんかをめざしている。だが、いずれも、実用化にはほど遠い。莫大な金をかけて、成果は微々たるものだ。一方、パワースーツは、今回で実用化されているし、用途も介護などのためにたくさんある。企業はこういうのを、しっかりやってもらいたいものですね。
( → 5月31日7月29日8月18日 (3)

 [ 付記 ]
 私の提案。「パワースーツを使うオリンピック」(パワリンピック)をやろう。百メートル走で8秒、なんてのは、楽々可能だろう。重量挙げなら、今すぐにでも、世界新記録が出そうだ。ロボットのサッカー選手権、というのは、ただのお笑い(幼児じみたオモチャごっこ)でしかないが、パワリンピックなら、人間たちの汗水垂らすオリンピックをお笑いにすることができる。
 特に、障害者がパワースーツやパワー義肢・パワー義足などを使うと、健常者よりもずっと上になるだろう。オリンピックよりも、障害者のパワリンピックの方が上になる。
 こういう競技会は、生身の肉体がやるのではなく機械がやるので、ドーピングみたいに見える。だが、別に、悪いことではないのだから、むしろ、推奨するべきだろう。(まさか、パワリンピックで優勝するために、あえて障害者になろうとして、自分の足をちょん切る、なんてことをする人がいるはずがないのだから。むしろ、障害者に対する偏見をなくす効果がある。)
 余談で言えば、パワリンピックの義肢開発は、メーカーの技術力を発揮する場ともなる。その点、無意味なスピード競技をして排ガスを撒き散らして自然を破壊するF1やラリーなんかよりは、ずっとマシだと思える。メーカーは、「F1の技術が市販車に還元される」なんて主張しているが、嘘八百である。市販車で見ると、ホンダはFFしか生産していないし、トヨタのサスは最悪だ。一方、まともなサスのある日産やマツダは、F1もラリーもやっていない。たぶん、優秀な技術者が、レース開発でなくて市販車開発をしているせいでしょう。
 なるほど、レースや競技会が有効なこともある。しかしその時期は、市販品技術が未熟であって、先行開発が有意義である時期だけだ。そして、その時期に、今の義肢技術は当てはまる。


● ニュースと感想  (9月26日b)

 「最近の景気」について。
 景気は回復基調にある、という診断が長く報道されてきたが、私はこれについて否定的だった。政府や新聞がいかに楽観の観測を掲げても、実際のデータを見れば景気回復なんかしていないからだ。
 それを裏付けるデータがまた出た。「猛暑で消費も夏バテ」という記事。猛暑と五輪効果で消費が拡大して、景気は回復する、という6月ごろの予測とは裏腹に、現実は駄目。7月だけは五輪効果が出て、テレビなどが売れたが、全体としては、駄目。
  (下記の数字は%。記事は朝日・朝刊・経済面 2004-09-25 )
          7月    8月
  百貨店    −1.3   −4.8
  スーパー   −1.9   −4.6
  家電量販    9.9   −7.3
 というデータが出た。7月と8月を通じてみれば、百貨店とスーパーで大幅減。家電量販店は少しは増えているが、これはテレビ増販の効果だろう。なお、家電量販店は差し引きして景気がいいように見えるかもしれないが、実は、家電量販店以外を含めて、パソコン専門店やネット販売も含めると、そうではない。というのは、パソコンは大幅に売上げが減ったから。読売の記事によれば、24%減、だという。つまり、この夏は、パソコンが売れなくなって、テレビが売れただけだ。差し引きすると、電器製品全体(家電とIT機器)の売上げは、若干のマイナスだろう。
 なぜ? 当たり前です。総所得が減っているんだから。何度も指摘したとおり。
( → 前回のデータなどは  8月16日7月03日


● ニュースと感想  (9月27日)

 「ネット株取引」について。
 「ネット株取引は儲かるぞ」なんていう記事が氾濫しているが、比較的まともな記事が掲載された。次の趣旨。(朝日・週末版 be 青色版 2004-09-25 )
 「過去のデータの変動から推察して、外挿法のように推測する、という方法ではなくて、対象企業の現状を精密に調査することで、将来の成長性を予測する、という方法」
 「デイトレードで儲ける人もいるが、まともに儲ける人はせいぜい1割で、投資としては非効率、というカリスマ投資家の指摘」

 なかなかまともである。よくある記事は、「誰でも儲かるから、ちょっとやってみよう」とか、「過去のデータから推測しよう」とか、そんなデタラメが多かったが、今回の記事は、比較的まともだ。
 ただし、一番肝心のことが抜けている。「まともにも受ける人はせいぜい1割」というが、他の9割は「損得なし」ではない。「ちょっとやってみるか」と思った人のほとんどは損をする、ということだ。
 簡単に言えば、「素人が参入してカモとなり、相場師がカモを食い物にする」という構図だ。しょせん、投機というものは、ゼロサムと同然だから、誰かが得をすれば、誰かが損をする。そして、損をするのはもちろん、素人だ。彼らがカモとなる。
 これが一番肝心のことなのに、記事にはそう書いていない。「カリスマが登場する」なんて書いているが、「カリスマというのもカモを食い物にする連中だ」とは書いていない。一見、まともなようでいて、ちっともまともではない記事。

 [ 付記 ]
 はっきり言っておこう。朝日の be というのは、糞記事のオンパレードである。同じ日の記事には、「ネットゲームをやってみよう」なんて記事もある。冗談ではない。こんなことを勧奨する阿呆がどこにいる? 「勉強もスポーツも読書もやめて、ネットオタクになりましょう」というのは、「他の真面目な読者も、馬鹿な記者の道連れにしよう」というだけのことだ。麻薬中毒患者が、麻薬中毒の連鎖を広げるようなものだ。非倫理的。
 私は別に「ネットゲームをやめよ」と強制するつもりはない。パチンコも、ギャンブルも、キャバクラ通いも、エッチごっこも、「やめよ」と強制するつもりはない。しかし、それらを「やってみよう」と勧奨することはない。そんなことを公器たる新聞で「やろう」と勧奨するなんて、狂気の沙汰だ。
 今の朝日は、暴力団と同じだ。「パチンコも、ギャンブルも、キャバクラ通いも、エッチごっこも、ぜひ、やろうぜ。楽しいぜ。めくるめく気分になれるぜ。どんどん金を使え」とけしかける暴力団は、盛り場にあふれている。それと同じ悪徳な連中が、朝日だ。「やろう、やろう」と勧奨して、中毒者をやたらと広げて、社会や家庭を破壊しようとする。
 仮に、記事の通りにしたすえに、息子や娘や妻や夫がネット中毒になって、一日中、ネットばかりに吸い付くようになったら、どうやって責任を取ってくれるのだ? 「責任なんか取らないよ。本人の責任だ」なんて言うのでは、麻薬の売人と同じだ。それが朝日だ。
 こんな新聞は、公器たる資格がないから、廃刊にされても、やむを得まい。
( ※ シティ・バンクは、「社会に悪いことをした」という理由で、業務停止にされた。当然、朝日も、業務停止処分にされてしかるべきだ。ロシアでは、プーチン大統領が、どんどん新聞を廃刊にしている。彼らは、本当のことを主張したせいで、廃刊になる。これなら、本望だろう。朝日なら、社会に害悪を撒き散らしたせいで、廃刊になる。これは、本望ではなくて、自業自得。)
( ※ 記事では「やりすぎは禁物」なんて注釈しているが、根本的に狂っている。酒や煙草は「やりすぎに注意」なんて注釈すればいい、というものではない。それは「吸い過ぎにご注意」と書いてお茶を濁す煙草と同じだ。「やるべきではない」というのが正しい。記者は「うちでは息子に禁じています」と書いているが、それで弁解したつもりになっているのだろうか? 「自分の息子には禁じるが、読者の家庭には勧める」というのは、「自分は毒を飲まないが、読者には毒を勧める」というのと同じで、悪魔の発想だ。……ま、麻薬ならば、元締めの売人は、自分では麻薬をやらない。買い手を食い物にするだけだ。朝日の記者も、それと同じで、悪魔の一種なのだろう。……早いところ、廃刊処分にするべし。)







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「小泉の波立ち」
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