[付録] ニュースと感想 (76)

[ 2004.10.23 〜 2004.11.08 ]   

  《 ※ これ以前の分は、

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      12月28日 〜 1月08日
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    2003 年
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    2004 年
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       4月26日 〜 5月11日
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         10月23日 〜 11月08日

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● ニュースと感想  (10月23日)

 「NTT加入権廃止と小泉の責任」の補足。
 NTTの加入権の廃止では、悪いやつは誰か? NTTか? 違う。小泉だ。
 そもそもNTTが、今になって急に強引に加入権廃止を実現させた(つまり政界に献金して根回しして審議会で強引に決定させた)のは、なぜか? 新電電がNTTよりも低い価格で固定電話に参入したからだ。では、新電電がNTTよりも低い価格で固定電話に参入したのは、なぜか? 新電電がNTTよりも低い価格でできるほど、効率が高いからか? 違う。NTTの回線を無料で使用できるからだ。たとえて言えば、「クロネコヤマトが郵便事業に参入するとき、全国の郵便局や郵便ポストを無料で使える」というようなもの。ライバルを利するだけの、メチャクチャな制度だ。
 では、なぜ、そんなメチャクチャな制度があるのか? 小泉のせいだ。彼は「構造改革」という方針を掲げた。「競争が進めば、経済も景気もは好転する。だから、NTTも、固定電話という分野に、他社を参入させるべきだ。そのためには、回線を他社に無料で使用させるべきだ」という方針だ。
 で、「公平にする」という自由競争のかわりに、「弱者に有利になる」というメチャクチャな制度を導入した。市場で競争を実現するために、自由競争とは逆の社会主義的な制度を導入した。
 要するに、価格低下の原資として、「競争によって経済の効率が上がること」を用いるかわりに、「NTTの資産を他社に与えること」を用いた。
 しかし、こうなると、NTTは、たまったもんじゃない。小泉は「競争が進めば、金は天から降ってくる」と思ったのだろうが、そんなことはない。他社にしてみれば、金はNTTから降ってくる。NTTにしてみれば、金は天から降ってこないから、仕方なく、他のところから奪う。つまり、国民の財布から。
 というわけで、NTTは、金を国民の財布から奪う。そして、その張本人は、NTTではなくて、小泉だ。彼の「構造改革」という政策のせいだ。


● ニュースと感想  (10月23日b)

 「構造改革という用語」について。
 「構造改革」という用語は、小泉の専売特許ではない。実は、ずっと昔からある用語である。百科事典などを引けばわかるが、「構造改革」というのは、1956年以降、イタリア共産党の党書記長であるトリアッティの提唱した用語だ。
 その趣旨は、こうだ。
 (1)「規制を強化する」(独占資本の横暴を防ぐため)
 (2)「社会主義への移行を導く」

 これは、名前は構造改革でも、小泉の主張とは正反対みたいだ。同じ用語で、矛盾? ……だけど、よく考えると、実質的には同じかな。小泉のは、こうだ。
 (1)「規制緩和」なんて言っているが、やったのは郵政事業だけ。他の分野は、くだらない規制がちっとも緩和されない。談合も相変わらず継続。
 (2) 自由を唱えるが、実際には個人の自由を弾圧する。米国という大権力へ従属する。イラク人質事件でも、イラク戦争でも、靖国でも、米国(または日本政府)への従属を日本国民に強制する。個人の自由を無視して、「国に従え」「国に迷惑をかけるな」だ。

 以上が、小泉の「構造改革」の実態です。トリアッティそっくり。顔も似ているかも。高慢な鼻のあたりが。


● ニュースと感想  (10月23日c)

 「構造改革と農業振興」について。
 「公共事業を減らすと、雇用の場が減るので、その分、どうするべきか? 農業を増やせばよい。そのためには、株式会社の農業進出を容易にすればよい。実際、それで雇用の場が増えたこともある」という意見が出た。(朝日・社説 2004-10-21 )
 これもまた、構造改革論の一環だ。経済音痴の典型だ。(朝日はいつもそうですけどね。)

 この問題を考察しよう。個別の場を見れば、なるほど、農業進出によって雇用の場が増えることもある。では、一国全体を見れば、どうか?
 たくさんの企業が農業に進出すれば、一国全体で農業の就業者が増えるか? 否。かえって減る。
 そもそも、農業全体の生産数量は、基本的には、農業全体の需要(食糧需要)によって決まる。たとえば、人の食欲は一定であるから、キャベツやニンジンの消費量は一定である。ここで、農業に企業が進出して、生産性が向上すれば、農業全体の生産金額は増えるか? いや、逆に、減る。生産性の向上のおかげで、コストが低下して、単価が低下するから、「単価 × 数量」という生産金額は、かえって減少する。また、生産性の向上にともなって、一定の生産数量のために必要な就業者は減少する。
 つまり、一国全体で見れば、企業の進出によって、農業の就業者数は減るばかりなのだ。(当の企業では増えるが、全体では減る。)── マクロ的に見れば、そうわかる。

 では、そういう変動(産業構造の変化)は、良いことか悪いことか?
 実は、良いことである。日本では、農業従事者が多すぎるのだ。むしろ、農業従事者を減らして、かつ、生産数量を維持すれば、一人あたりの生産性と所得は増える。……そして、これが、戦後日本の一貫して維持してきた道であった。農業人口は減ったが、生産数量はあまり減らなかったから、農家(特に兼業農家)の一人あたりの所得はかなり上昇した。本来ならば、発展途上国並みの所得しか得られないはずの農家が、他のサラリーマンと同様の所得を得ることができるようになった。
 で、これはこれで、構わないのだ。農業人口が減ることは、農家の収入が増えることと等価だから、歓迎すべきことなのだ。しかるに、朝日は、「農業人口を増やそう」と主張する。これは、マクロ的な視点が欠けているので、経済音痴の発想である。

 なお、仮に、農業人口を増やしたら、次のうちから三者択一になる。
  ・ (一人あたりの)農家の収入が減る
  ・ 人々の食べる金額が増える
  ・ 人々の食べる数量が増える
 それぞれ、次の結果をもたらす。
  ・ 農家の収入を補助金で埋める (国民には 増税
  ・ 人々の食事の金額が増える (物価上昇
  ・ 人々は食事の分量が増える (肥満化
 経済的に言えば、増税も物価上昇も、困る。となると、残りは、肥満化だけだ。
 要するに、朝日が主張しているのは、「農家がいっぱい働けるように、国民は豚になれ。そうすれば問題は解決する。まいう〜」ということだ。……経済音痴になると、思考が豚になる。……トンでもないね。

 [ 付記 ]
 じゃ、どうすればいいか? 簡単だ。何もしなければよい。ここでこそ、古典派の本来の主張が生かされる。どの産業を伸ばすか、というような、産業間での配分の最適化については、古典派の信じる「神の見えざる手」に任せればいいのだ。政府は何もしなければいいのだ。
 逆に、「構造改革」と主張して、政府がいちいち口出ししようとするのは、社会主義的な発想なのである。小泉の構造改革というのは、社会主義政策なのだ。


● ニュースと感想  (10月24日)

 「道路公団のお手盛り」について。
 道路公団が、不要な職員をたくさん雇用して、金を無駄遣いしているという。政府が改革を要求したが、道路公団は断固拒否したという。(読売・朝刊・1面 2004-10-22 )
 小泉は「構造改革」というキャッチフレーズで、道路公団を改革すると言ったが、実状は、このありさまだ。何もできない。
 では、どうして? 当たり前です。自民党が、国民の金を食い物にしている。政府の金やら、企業の献金やら、国民の金をさんざん食い物にしている。で、その政党の党首が、小泉だ。
 道路公団は、小泉のいる政党の真似をしただけです。「オレの真似をするな」なんて、小泉が言えるはずがない。
 いや、言うだけなら、言えるかな。厚顔無恥な人間なら。……そうして言った言葉が、「構造改革」というキャッチフレーズだ。こんな嘘のキャッチフレーズを信じる阿呆がいるんですかねえ。(いや、いることは、いるな。朝日新聞が。いまだに「構造改革を推進しろ」とヨイショしている。ヨイショ新聞。)

 [ 余談1 ]
 小泉・自民党の場合は、強引に国民の金を食い物にしているわけだが、贈る方が強い立場で贈ることもある。これは、ちょっと話が違うが、賄賂である。
 賄賂は、日本中に蔓延している。たとえば、プロ野球のドラフト候補への「袖の下」も同様だ。阪神25万円、横浜60万円、巨人は200万円。
 報道では球団は「これだけだよ」なんて言っているが、嘘八百。これだけのはずがありえない。特定のドラフト候補だけに金を与える、なんていうえこひいきをするはずがない。当然、全候補に出回っている。だいたい、本人が言っているじゃないですか。「この程度なら常識の範囲内だと思った」と。袖の下は日本社会の常識。

 [ 余談2 ]
 そもそも、お中元だって袖の下である。で、私としては、特に袖の下を非難しません。私ももらいたい、という意味ではないが。 (^^);
 ただし、袖の下のやりとりの条件がある。下記。
  ・金額が1回1〜2万円以下。年間合計で4万円以下。
  ・現金でないこと。
  ・なるべく自腹。(この場合は、悪意がきわめて稀薄。)
 こういう袖の下は、特に部下向けであれば、私はきわめて推奨します。管理職は、なるべく、この形(特に食事)で、部下に賄賂(?)を贈るといいでしょう。職場の潤滑剤。
 ときどき、上司が部下との関係に悩むが、それは、本人がケチだからです。部下は、ケチな上司には、反発を感じる。だから、部下との関係に悩む管理職は、この手の潤滑剤を使うといい。自腹であれば、その気持ちを酌んで、部下がなついてくれる。だいたい、自分が部下の立場になってみればわかる。自腹を切っておごってくれる上司には、親近感をいだく。特に、寿司なんかだとね。
 人間というのは、食い物につられて動く動物なのである。ポチと同じ。
 あなたは、どちらですか? ポチですか? でなければ、ケチですか? 


● ニュースと感想  (10月24日b)

 「郵政民営化と宅配便」について。
 宅配便の市場に郵政公社が参入することが、「民業圧迫」として問題視されている。ま、それはそうだが、ここでは「構造改革」との関連を考えよう。
 小泉流の構造改革とは、「郵政民営化」であり、「官営の事業を民営化することで、効率向上」というのが狙いであったはずだ。そのことの是非は別としよう。(かえって悪くなる場合もある。 前々項 を参照。)ともあれ、そういう狙いがあった。
 ところが、現実には、「官営の事業を民営化する」のとは逆に、「民営の事業を郵政公社が奪う」というふうになっている。狙いとは正反対だ。官営の事業を効率化するかわりに、非効率な公社が市場のシェアを奪っている。そして、それは、市場原理によってそうなっているのではなくて、政府が非効率な郵政公社に補助金を与えている(各種の税を免除している)からだ。で、小泉が「構造改革! 郵政民営化!」と声を上げれば上げるほど、郵政公社は民間の市場を奪おうとするわけだ。補助金をもらって。
 小泉流の構造改革というのが、本末転倒である。「天国をめざそう」と笛を吹いて、人々を地獄に連れ込む。「上へ行こう」と叫んで、下に向かわせる。このことを、はっきり認識しよう。ここに気づかないと、朝日みたいに、「構造改革万歳! どんどん構造改革を勧めよう!」と主張して、ピエロになる。ピエロというより、猿回しの猿。踊らされるだけ。……もっと悪いかも。朝日は、自分自身、ハーメルンの笛吹になっている。


● ニュースと感想  (10月24日c)

 「郵政民営化と職員雇用」について。
 郵政民営化にともなって、職員を継続雇用することを保証しない、という政府原案が明らかになった。(読売・夕刊・1面 2004-10-20 )
 古典派流の「自由競争こそベスト」という発想に従っての決定だろう。頭悪いですね。
 なるほど、「規制緩和こそベスト」という発想に従えば、職員をクビにしようがどうしようが、民営化後の会社が決めればよい。しかし、民営化したら、職員はストができる。ここを忘れてはならない。
 競争相手となるライバル会社のいない市場で、唯一の会社があるとしたら、労組はどうするか? 当然ながら、(古典派の大好きな)自己エゴイズムのためには、「無期限スト」が最善の道だ。いくらでも給料の上げ放題。いやなら、ストだ。で、ストが困るなら、会社側は賃上げをするしかない。
 市場にライバルを参入させないまま規制緩和するというのは、最悪の道である。つまりは、カルテルないし市場独占である。小泉は、構造改革なんて言いながら、しょせんは、独占とカルテルの市場をめざしているだけだ。で、経営者もそれを食い物にするだろうし、労働者もそれを食い物にする。あげく、国民は食い物にされる。……つまり、「各人が自己エゴイズムのために行動すると、市場は最適化される」という古典派の主張に従うと、結果的に、こういうふうになってしまうわけだ。ま、たしかに、食い物にする方にとっては、独占市場というのは最適でしょうけどね。(どうせ古典派は、国民のことなんか何も考えていないから、これをめざすのかも。)

 ただし、である。国民が食い物にされるとしても、これは別に、最悪ではない。では、最悪は? ストとは逆の、「ストの禁止」である。つまり、ストを強権的に禁止して、ストをやった労組に対しては、弾圧する。こうなると、ムッソリーニとかヒトラーの独裁状況となる。……でもまあ、小泉はそれを狙っているのかもしれない。もしそうだとしたら、頭いいですね。

 [ 付記 ]
 週刊新潮(今週)によると、郵政公社の営業利益率は、10%を越えている。ボロ儲け。これに該当するのは、他には日産自動車ぐらいしかない。トヨタは10%弱で、それ以外のほとんどは1〜4%程度でしかない。
 ただし、トヨタと日産は、給与水準も最高レベルだ。一方、郵政公社の給与水準は、最低レベルだ。となると、民営化したあと、大幅な賃上げが実施されるはずだ。実際、NTTがそうだった。
 もちろん、「賃上げしてよ。ね。お願い」と労組が頼んでも、経営者は拒否するに決まっている。となると、当然、ストだ。で、ストを見せつけたあとで、大幅賃上げ。その後、郵便料金値上げ。かくて、ああ、国民は大損。……これが小泉改革の成果。


● ニュースと感想  (10月25日)

 「失業と自殺」について。
 「景気は回復基調にあるのに、なぜか、自殺者がどんどん出ている」という記事が出た。その趣旨は、「過剰労働・失業の長期化・借金苦」などを理由としている。(朝日・週末版・be 青色版 2004-10-23 )
 これはもちろん、基本認識が根本的に狂っている。「景気回復」というのを単純な現象としてとらえているが、とんでもない。マクロ的には、「縮小均衡」である。つまり、「企業にとっては業績改善が進むが、労働者にとっては失業が増えたまま」という状況だ。ここでは当然、景気回復といのは、企業にとって有益なだけで、労働者にとっては有益ではない。(さらに悪化するというふうに害があるわけではないが。)
 というわけで、冒頭の疑問そのものが、根本から狂っているわけだ。縮小均衡のときには、「景気は回復基調にあるのに、自殺者がどんどん出ている」というのは、ごく当然のことなのだ。狂っているのは、現実の経済ではなくて、現実の経済を正しく認識できないエコノミストの頭の方だ。

 [ 付記 ]
 記事では統計を示している。そこには「実質成長率がマイナスからプラスへ大幅改善」なんて馬鹿なことを書いている。つまり、名目成長率を見ていない。実質成長率がプラスというのは、物価下落が進んだということだ。とすれば、状況は悪化している。(実質成長率が高い方がいいのは、インフレのときだけ。 → 2月24日b 以降。 )
 また、完全失業者は350万人で、前年より9万人減った、という。しかし、9万人ぐらいでは、減ったことにはならない。どちらかといえば、失業者にカウントされない「永続的無職者」は増えているかもしれない。
 なお、今夏発表された作年の自殺者数は、前年比7%増で、3万4千人。


● ニュースと感想  (10月25日b)

 「失業と不良債権」について。
 前項の記事によると、サラ金などの高利貸しに追い立てられて、自殺する人が多い、という。
 なるほど。こういう高利貸しが世にのさばるせいで、人々の人生は破壊されるわけだ。困ったことだ。
 とすれば、こういう高利貸しの分は、「返済不能」として、「不良債権処理」をしてしまった方がいい、という気もする。どうせ返済できなくて、貸し手が「債権放棄」するしかないのであれば、自殺した後よりは、自殺する前に、そうした方がいいだろう。金の勘定は同じだが、人間の命の生死が異なる。
 私は、「不良債権処理」にはかねがね反対してきたが、それは、「不良債権処理をしなければいい」という意味ではない。「もともと健全な企業については、マクロ的に状況が悪化したせいで赤字になったからといって、無理につぶすべきではない。むしろ、不良債権処理を猶予した方がいい。その間に、マクロ的な経済状況を改善すれば、その企業は自力で再建できる」ということだ。
 一方、個人の場合には、サラ金相手では、とうてい自力再建は不可能だ。なぜなら、高利貸しの年に40%ぐらいの高利は、(超小額でなければ)誰だってとうてい返済できないからだ。こんな高利を主張するのは、マネタリストとサラ金業者だけだ。……とすれば、不良債権処理(個人破産)をした方がいいだろう。そうすれば、借り手は救われるし、ダニみたいなサラ金業者も雲散しそうだ。(ついでにマネタリストも雲散してくれればいいのだが。)
 というわけで、ダイエーみたいに(イオンやヨーカドーと同等の利益率を出す)優良な会社を「不良債権処理」することには反対だが、個人をサラ金から守るために「不良債権処理」することには賛成しよう。どちらかと言えば、個人を守るためというよりは、サラ金というダニを撲滅するために。

 [ 付記 ]
 サラ金というのは、非合法的な存在である。いわゆるグレーゾーンの金利を取っているが、しょせんは非合法だ。
 そして、それが非合法だと見なせるには、根拠がある。そもそも、「元金に対する利率」ならば、高利を取ることも許されるが、「利息に対する利息」まで高利を取ることは許されない。たとえば、十万円を借りて、年利率が40%ならば、毎年の利息は4万円だ。これならば、まだわかる。ところが、現状のサラ金は、利息についてもさらに高利を取る。つまり、複利で計算する。最初に十万円だけ借りたのに、複利で利息が雪だるま式に増えていって、何十万円も何百万円も利息を払って、それでもまだ追い立てられる。メチャクチャだ。
 エコノミストは、「単利と複利の違いがあるだけさ。計算法の違いがあるだけだよ」なんて主張するが、そこには計算法があるだけで、人間的な倫理が欠落している。彼の頭の構造は、電卓やソロバンと同じであり、犬や豚ほどの情愛も備わっていないのだ。
 はっきり言おう。高利を設定して、利息に対して利息を取る、というのは、悪魔の商売だ。暴力団ならば、麻薬を売って金をむしり取る。悪魔は何もしないで、電卓とソロバンを動かすだけで、数字をパチパチと変えて、金をむしり取る。こっちの方がずっと悪質だ。
 悪魔の商売に対しては、「無効」を成立するのが最も正当である。それがつまり「踏み倒し」だ。
( ※ ところで、「不良債権処理」を主張する経済学者はたくさんいるが、彼らも「踏み倒し」という用語を使うべきだろう。竹中大臣や、朝日など。彼らは堂々と、「企業は踏み倒しをしよう」と主張するべきなのだ。)


● ニュースと感想  (10月26日)

 「地震被害」について。(地震問題1)
 新潟の大地震(23日・夕刻)で、被害が甚大であるようだ。24日午後ないし25日午前の時点で、あちこちで、電気やガスも止まって、寒くて震えているし、水や食糧さえないというありさまだ。寒くて家では暮らせず、自動車で暖を取りながら、腹をすかしているという。復旧の見込みは立たないという。
 当然、国としては、食糧・水・簡易トイレ・暖房器具などを、間髪を入れず、大量に送付したはずである……と思ったら、何もやっていないのも同然である。やったように報道されているのは、該当の市町村や、他県の自治体など。水や食糧をヘリコプターで運んでいる、と報道されているのは、国がやっているのではなくて、自治体がやっているのだ。国は、ほとんど何もやっていない。自衛隊は、ヘリコプターで何回か救助したのが目立つだけ。十数万人もいる隊員は、基地であぐらをかいているようだ。だいたい、何かを運ぼうにも、運ぶべきものがない。食糧も携帯燃料もない。とはいえ、隊員だけはいるのだが、それも「ボランティア任せ」で、自衛隊は何もしない。せめてボランティアを運ぶぐらいはやってもいいと思えるのだが、どうも規則で禁じられているらしい。だから、やれるのは、あぐらをかくことだけ。
 政府の一部の部局は、さっそく行動を開始した。で、何をやったか? 第1に、地震に命名した。第2に、補正予算を付けるぞ、とアピールした。第3に、対策本部を設置した。あとは? ほぼ皆無である。何かをやるのは、前記の通り、自治体だけ。政府も自衛隊も、あぐらをかいて、テレビ見物。

 [ 付記1 ]
 当の小泉は、何をしたか? 当初のコメントは、「情報収集が最優先」だって。グズの典型。何をしたらいいのか、自分じゃわからないんでしょうね。部下に教えてもらわないと。
 それにしても、一夜明けたあとでも、ほとんど無為無策。どうしてでしょうか? 「構造改革」のせいかも。「政府は介入をするべきではない。民間の自助努力に任せよう。自由放任・無為無策こそ最善である」と古典派流に思っているのかもしれない。
 それとも、別の理由かな。ブッシュのためなら、サービス精神が旺盛で、サマワにでもどこにでも、自衛隊を派遣して、復興に努める。しかし日本国民のためなら、新潟だろうとどこだろうと、自衛隊を送らず、復興にも努めない。
 つまり、米国がご主人様であって、日本国民のことなんかどうでもいい。ポチというのは、そういうもの。わんわん。

 [ 付記2 ]
 自衛隊員は、もっと有効に活用されるべきだろう。だいたい、普段の訓練からして、災害救助を主目的にするべきだ。
 「それじゃ実戦に役立たない」なんて思う自衛隊幹部もいるかもしれない。しかし、実戦というのは、「サマワで災害復興」のことでしょう? だったら、日本でも災害復興をやってほしいものだ。それとも、アメリカのためなら災害復興をやるが、日本のためならやる気がないのだろうか?
 よく考えてみよう。自衛隊というのは、人殺しが目的なのではなくて、日本国民を守ることが目的なのだ。殺しが目的ではなくて、救命が目的なのだ。銃をもつにしても、敵を殺すのが楽しい殺人狂として殺すのではなくて、日本国民を守るためにやむを得ずに殺すのだ。そこのところを、勘違いしないでほしいですね。
 と私が言っても、無駄かも。殺人ゲーム・マニアの連中しかいないのかも。自衛隊[隊員でなく幹部]というのは、殺人ゲームのオタク連中が集まっているのかも。隊員ならば命を賭けて身をさらすが、幹部連中はゲーム盤を見ながら作戦を練るだけだ。……で、こういう幹部には、そもそも、人命救助なんか無理なのかも。


● ニュースと感想  (10月26日b)

 前項の続き。(地震問題2)
 「地震対策」について。
 地震があった。こういう場合、どうするべきか? 私なりの考え方を示そう。(ぐずな首相のかわり。)

 (1) フェイル・セーフ
 基本となる発想がある。それは「フェイル・セーフ」だ。つまり、地震の被害を避けようとする(皆無にしようとする)のではなくて、地震の被害がある(皆無にならない)ことを前提として、被害の規模を最小限にしようとする。
 たとえば、新幹線を例に取ろう。現在の対策は、「地震が起こったら、それを機器で検知して、地震が到来する前に、新幹線を止める」というものだ。これだと、距離差を利用して、「地震の到来を予知する」ということが実質的に可能だ。距離を渡る間の数十秒間を利用して、新幹線を止めよう、というわけだ。ただし、である。新幹線が止まるには、ブレーキをかけてから、数分間かかる。となると、この予知システムが正常に働いたとしても、被害は避けられない。今回は、直下型だったから、予知すらもできなかった。当然、直撃を受けた。
 さて。新幹線は、直撃を受けても、ケガ人を出さなかった。「奇跡的だ」とか「直線地帯だったから」とか「時速 210キロから 200キロに減速していたから」の指摘がある。しかし、本当はそうではない。フェイル・セーフの機構が、部分的ながらも、働いていたからだ。たとえば、最後尾の車両は、脱線して傾いたが、転覆はしなかった。線路の両側が、一応は平坦であって、断崖絶壁みたいになっていなかったからだ。(田舎の電車だと、線路だけが盛り上がっているので、いったん脱線すると、どんどん坂を転がるように、転覆してしまう。)
 ただし、今回の新幹線でも、対策は不十分だった。たとえば、最後尾の車両は、脱線して傾いた。これは、上りと下りの路線の間に、深い溝があって、その溝にはまってしまったからだ。そのような溝をなくせば、脱線しても傾かないで済んだはずだ。
 また、別の対策もできるはずだ。たとえば、
  ・上りと下りの路線の間の、深い溝をなくす。
  ・レールとコンクリートの段差をなくす。
  ・路線の左右に車両保護壁を作る。
 これらの対策をすれば、脱線しても、転覆は避けられる。こうして、「脱線しても被害を減らせる」というシステムにするべきだったのだ。── これが「フェイル・セーフ」の思想だ。
 JRの幹部は、「対策は、高架橋の柱を強固にすることぐらいしかできない」と述べているが、そんなことはない。フェイル・セーフの対策なら、いくらでもできるはずだ。特に、是非とも必要なのは、災害発生のシミュレーションだ。「こういう被害が生じた」と想定して、それへの対策をあらかじめ用意しておくことだ。
 そして、以上の方策は、新幹線だけでなく、あらゆる分野に適用される。「シミュレーション」で予想して、「フェイル・セーフ」の思想に基づいて対策を立てておくべきなのだ。
 特に、政府に言っておこう。地震対策とは、地震予知のことではない。地震予知の研究を長年やっても、成果は皆無である。だいたい、原理的に成果は皆無であるはずなのだ。こんなのは、いくら巨額の予算を付けても、地震対策にはならない。( → 8月06日

 (2) 組織
 あらかじめ、組織を用意しておく必要がある。対策本部なんてものは、いちいち設置するものではなくて、事前にマニュアルで準備しておくべきだ。
 たとえば、自衛隊などの統制も、いちいち協議するのではなくて、災害時には統一した指揮権を持つ担当大臣が存在するべきだ。この時点で、自衛隊員の大部分は、災害担当大臣の指揮下に入る。統一した指揮権のもとで、対策組織が一元的に行動する。
 当然、行動は、バラバラにならない。自衛隊員は主としてマンパワー(人力・労務)を提供し、物資などは本部が(自治体と連携して)別に用意する。また、全国各地に分散保管しておいた物資を、被災地へ集中的に運搬する。

 以上の (1)(2) が基本だ。細かな対策はいろいろとあるだろうが、骨子はここに述べたとおり。
 肝心なのは、「国レベルで対策を取る」という基本方針だ。それさえあれば、あとは細かな作業になるから、細かな対策は組織の実行部門に任せればよい。
 逆に言えば、「市町村レベルで対策を取る。国はほとんど何もしない」という、小泉流(前項で述べたとおり)を否定している。

 [ 付記 ]
 フェイル・セーフについて述べておこう。
 フェイル・セーフの思想がないと、どうなるか? いったん被害が発生すると、被害が甚大になる。いわば、「外堀が破られると全滅」というようなものだ。それに対して、「外堀が破られても、内堀がある」という二重・三重の対策が、フェイル・セーフだ。
 この発想は、あらゆる分野で重要だ。たとえば、自動車。夜間暗視装置みたいなのを、私は先日、批判した。これも「事故の予防」という発想だ。しかし、大事なのは、「事故の被害」を減らすことだ。
 たとえば、「衝突の直前に自動ブレーキをかける」という自動装置。こういう機器は、すでに開発済みだが、なかなか実装されない。自己を皆無にすることはできないが、死亡事故を激減されることが可能なのだが。
 時速300キロを超すF1レースでは、事故はときどき起こるが、「ドライバーは無傷」ということが多い。つまり、適切な機構さえあれば、事故が起こっても被害を減らすことは可能だ。F1レースでは、フェイル・セーフの思想が徹底している。そこが、市販品の自動車とは違う。市販品では、「安全性」ではなくて、「売れること」が最優先だ。

  【 追記 】 ( 2004-10-27 )
 上記の新幹線対策について、専門知識のある方からご指摘を受けた。一応、予測の範囲内ではあったのだが、誤解を招きやすい内容があったと反省したので、補足しておく。(ただし、専門的な話であり、普通の読者向けではない。)
 (1) 「上りと下りの間に深い溝がある」というのは、「これは無用だから埋めてしまえ」という意味ではなくて、「別の形の溝にせよ」ということ。溝は有用である(積雪対策)であるから、溝は必要だ。ただし、積雪対策のためだけであれば、こんなに巨大な空隙である必要はない。たとえば、穴を用意して、そこに積雪が落ちるようにしておけば、穴の回りには囲い壁をつくれるから、脱線した新幹線が落ち込むことはない。脱線したものが傾かないで済むような方法で、対策を取ることは可能だろう。(新幹線の車両は巨大なのだから、「積雪は落ちるが、巨大な車両は落ちない」という工夫は可能だ。)
 (2) 「レールとコンクリートの段差をなくす」というのは、「路面電車とまったく同じように段差をゼロにせよ」という意味ではなくて、「被害を最小限にするように、なるべく段差をなくす」ということ。現状は、「被害をなくすこと」ではなくて、「コストを下げること」が狙いである。ちょっとまずい。私の案は、現状のように工事したあとで、レールとレールの間に、コンクリートの畳のようなものを敷設すること。上面は凸型。かまぼこみたいな形。狙いはあくまで、「脱線後の被害を減らすこと」だ。特に、現状では、脱線したあとで、レールがぐしゃぐしゃになる。これだと、人命が危険にさらされる。
 (3) 「路線の左右に車両保護壁を作る」というのは、「防音壁を作れ」という意味ではなくて、「脱線後に大きくはずれるのを防ぐ」という意味。ガードレールみたいなものだ。コンクリ製ではなく、金属製であると、コスト低減ができるし、見苦しくない。(ただし、この案は、うまく行かないかも。車両は自動車よりも重すぎる。とはいえ、道路のガードレールは、重いトラックに対してさえ、ないよりはマシである。)
 ともあれ、いろいろと述べたが、狙いはすべて「フェイル・セーフ」である。つまり「事故をなくすこと」ではなくて、「事故の被害を最小限にすること」である。事故が起こることを前提とした上で、そのあとの被害を最小限にする。
( ※ オマケで言えば、読者のご指摘では、「免震構造」というのもあった。これも一案だ。ただしこれは、「フェイル・セーフ」とは別の発想だ。本項では、新幹線対策が主眼ではなくて、「フェイル・セーフ」という発想を述べることを主眼としている。)
( ※ なお、新幹線について、誉めておくこともある。それは、「レールの基盤面が平坦なコンクリート面であったこと」だ。これが決定的に有効だった。これは「フェイル・セーフ」になっていた。一方、東海道新幹線は、違う。「コンクリート枕木プラス砕石」というレール基盤だ。これだと、脱線した車両の車輪は、コンクリートの枕木に激突する。ものすごい衝撃が車両に加わる。最悪、大きく脱線したり、車両と車両が衝突したりする。おそらく、死者が多数出るだろう。……つまり、「フェイル・セーフ」を、JR東日本はやっているが、JR東海はやっていない、ということ。せめて、枕木の間だけでも、コンクリートの畳で埋めれば、何とかなるのだが。現状では、命の惜しい人は、東海道新幹線には乗らない方がよさそうだ。飛行機の方が安全ですね。たぶん。)

  【 追記2 】 ( 2004-10-28 )
 新幹線の復旧に手間取っているという。脱線した車両4両を、大型クレーンで吊り上げるので、一日に一両が限度だという。(読売・朝刊)
 溝にはまった車両が問題。これは大型クレーンで吊り上げるしかない。一方、ちょっとはずれただけだと、ジャッキで直せるという。これなら簡単。レールが曲がったとしても、新規のレールを応急で付ければ、何とかなる。
 要するに、溝なんかがあるから、復旧にもすごく手間取る、ということ。逆に、フェイル・セーフの措置を取っていれば、復旧も簡単なのだ。
( ※ ついでだが、27日の朝日・朝刊には、上記の私の話の、後追い記事みたいなことが出ている。)


● ニュースと感想  (10月27日)

 「復興の予算」について。(地震問題5)
 地震の震災の復興のために、どういうふうに金を使うべきか? それを考えよう。
 政府は「仮設住宅」という案を出している。ただし、これは、かなり高額の金が必要だ。1世帯あたり数百万円はかかるだろう。(500万円ぐらい?) で、そうして建設した仮設住宅は、仮設であるから、将来はすべて消滅してしまう。あくまで一時しのぎだ。……その一方で、地方には空き家がいっぱいある。半年借りるとして、10万円×6カ月=60万円。つまり、60万円で、同等の効果がある。しかも、仮設住宅と違って、壊してゴミが出ることもない。なお、空き家のほかに、公民館だってあるし、小学校の空き教室だってある。
 「倒壊家屋への支援金を数百万円」という案もある。ま、たしかに被災者は可哀想だが、一方で、もともと借り家に済んでいた間借り人には、何も与えられない。また、都会で解雇されて失業自殺する人にも、何も与えられない。どうも、不公平ですね。……とはいえ、何もしなければ、救われる人の人生が破壊されて、これもまた大いなる無駄である。何もしないのがいいわけでもない。
 いろいろ考えると、私の提案は、下記だ。
 「数百万円の規模で、低利・長期の無担保融資」
 これは、いい案だ。今はゼロ金利なのだし、住宅ローンも長期固定タイプでさえ低金利だ。だから、超低金利で公的に融資すればいいだろう。国が負担するのは、融資リスクの分だけ。
 この案だと、被災者は、「都会に移転する」というような最適の行動も選択できる。一方、仮設住宅その他では、被災地に留まることが強制される。各人は最適行動を選べない。
 一般に、物を支払うよりは、金を支払う方がいい。どうしても仮設住宅を建設するのならば、仮設住宅を建設したあとで、各人の判断に任せることにして、現金だけを支払うべきだ。仮設住宅を購入するか、仮設住宅を借りるか、あるいは、民家を借りるか、都会に引っ越すかは、各人に任せるべきだ。「ものを恵んでやる」というように、金の使途を指定する(仮設住宅に限定する)のは、好ましくない。なぜなら、すごい無駄が発生するからだ。


● ニュースと感想  (10月27日b)

 「地震と経済理論」について。(地震問題3)
 新潟の地震は、被害がきわめてひどいようだ。特に、事後の対策ができていない。水・食糧・暖房・燃料などが、いずれも不足している。
 ただし、注意しよう。ここでは、物資の絶対量が不足しているわけではない。日本は今は不況であり、供給過剰の状態だ。物資はありあまっているのだ。ただし、それがうまく配分されないのである。
 とすれば、ここには「配分の最適化」という問題がある。これは経済学の問題だ。

 経済学の問題として、学問的に考えてみよう。
 たとえば、各地の避難所や非難世帯では、水も食糧も毛布も不足しているが、集配所には、物資がありあまっている。ただし、配達職員も自動車も不足しているので、うまく配分できない。(記事に出ていた市町村では、運送会社から借りたのが15台だけで不足、とのことだ。)その一方で、宅配便のトラックというのは、日本全国でうるさいほどうじゃうじゃと走り回っている。震災地でも、宅配便のトラックは動いているのだろう。で、配達すると、配達先では人がもぬけの殻である。無駄な配達のためにトラックが動いている。不合理。また、「山岳地だから自衛隊員に食糧を背負ってもらうしかない」という声もあったが、自衛隊員はヘリコプター担当者以外はほとんどやってこないようだ。
 とにかく、震災地では、物資の絶対量よりも、配分が問題となっている。配分の最適化のためには、人と運搬手段が必要だが、人と運搬手段がうまく配分されていない。

 さて。ここで、古典派の経済学者が登場して、こう主張する。
 「最適配分の方法? それは、『神の見えざる手』です。自由放任にすれば、自然に最適配分がなされます」
 冗談じゃないですね。平時ならともかく、地震という大変動があった場合には、自由放任による最適配分など、ありえないのだ。それは、ソ連崩壊のときも同様だ。また、不況下の日本でも、同様だ。……にもかかわらず、古典派経済学者は、それがわからない。
 で、それを実行すると、どうなったか? 「ソ連解体後のロシアでは、自由放任を」と唱えた結果は、「財閥による国家財産の収奪」であった。(たとえばサッカーのチェルシーというチームを買った人は37歳で世界有数の大富豪。ビル・ゲイツみたいに何かを生産したからではなくて、ソ連の国歌財産を奪ったから。)また、不況下の日本では、「不良債権処理」と称して、あちこちの企業を倒産させて、それを二束三文で売り払った。(たとえば、長銀には、莫大な国家資金をつぎこんだすえに、二束三文で売り払った。それを買った人は大儲け。)そして、今また、新潟では、同様のことがなされている。「自由放任、無為無策、それで最適化」と小泉は唱えて、新潟にいる人々を物資不足で苦しめている。その一方で、日本の企業は、物資過剰・供給過剰で苦しんでいる。……これが小泉および古典派の「最適化」。

 [ 付記 ]
 じゃ、どうすればいい? 簡単だ。「無為無策こそベスト」なんていう経済理論を、さっさと捨てればよい。かわりに、「配分の最適化」のためには、「行動の最適化」をすればよい。(「書を捨てよ。町に出よう。」……寺山修二の言葉だったかな。)
 では、行動の最適化のためには、どうすればいいか? それには、自分の頭を使うべきだ。「誰かに頼って教えてもらおう」とか、「理論に従おう」とか、そんなふうに他人任せにせず、自分の頭で、その状況における最適行動を探るべきだ。
 たとえば、目の前に苦しんでいる人がいたなら、その原因を探って、適切な行動を取ればよい。水不足なら水を、暖房不足なら暖房を、薬不足なら薬不足を。自分で判断するべきだ。「理論に頼ろう」なんていう現実無視では駄目だ。特に、「無為無策こそベスト」とか、「神まかせ」とか、そんな態度では駄目だ。
 だけど、古典派と小泉と来たら、まったく……
 先が思いやられますね。将来、関東大震災が訪れたら、どうなるんだろう。それは来年来るかもしれないのに。そのとき、首相が小泉だったら、被害はものすごい被害になるはずだ。
( ※ 新潟では、被害が比較的少なめだった。豪雪地帯で、柱が太いので、地震にも強かったらしい。不幸中の幸い。……阪神大震災では、七千人が死亡。新潟では、二十数人らしい。大差が付いた。関東大震災では? 死者は二万人ぐらいかな。首相が小泉ならばね。……なぜ? 今、自衛隊の役割は、国民を救うことではなくて、米国を救うことだから。サマワには行くが、震災地には行かない。)


● ニュースと感想  (10月28日)

 「地震と失業対策」について。(地震問題4)
 経済学の立場から論じる。地震対策として、緊急の応急処置は別に、政府として経済政策の一環として実行できる政策がある。それは、「失業者の臨時雇用」である。
 今、日本には失業者があふれている。ならば、失業者を臨時雇用して、震災復興に努めれば、けっこう効果があるはずだ。
 失業者を臨時雇用するのに、どのくらいの費用がかかるか? 実は、たいしてかからない。なぜなら、その間、失業保険を払わないで済むからだ。

 また、被災者の側を見よう。震災復興を受ければ、その効果で、経済的な生産能力が向上する。だから、効果は多大である。── たとえて言えば、病人を死なせると無駄だが、病人を小額の医療で治癒させると、少額のコストで多額の生産を得る。とても効率が高い。
( ※ だから、被災者へ緊急支援することは、とても大切だ。小額の緊急支援で、人命という巨大なものを救うことができる。……このことは、永続的な巨額の住宅支援とは、別の問題だ。また、法律的にも、「最低限度の生活」ということで、憲法で保障されている。)

 ここで視点を変えて、地震よりも経済学について評価しよう。
 古典派学者みたいに、「生産性の向上」なんて口先で唱えても何も起こらないが、政府が復興事業を推進すれば、生産性はまさしく大幅に向上するのだ。また、「穴を掘って埋める」というケインズ的な公共事業は、ただの無駄遣いだが、「地震が掘った道路の穴を、政府が埋める」のであれば、社会基盤の向上によって、まさしく経済力を大幅に高めるのだ。

 結局、経済であれ何であれ、物事の本質を突くべきだ。
 逆に、経済学において、「穴を掘って穴を埋めよ」とか、「劣者退場。病人をほったらかして、死なせてしまえ」とか、「失業者は自分の勝手で失業しているのだから、失業者が失業自殺したのも本人の責任だ」とか、そういうことを主張する経済学は、いくら論理的に緻密であろうと、机上の空論にすぎないのだ。つまりは、もっともらしい嘘八百。(だから、エコノミストは、うそノミストと呼ばれる。)

 [ 付記 ]
 失業者ではないが、失業同然の人々がいる。自衛隊だ。戦争中ではないのだから、遊んでいる。たぶん、「戦争への訓練」と称して、レンジャー部隊ふうに、山間地で人命救助の訓練でもしているのだろう。戦争中に戦争の訓練ごっこをやっているようなものだ。……まったく、何やっているんですかね。


● ニュースと感想  (10月28日b)

 「地震・台風とテポドン」について。(地震問題6)
 地震と台風の被害がひどかった。死者も多数だし、被害も多数だ。で、対処は? 被害に比べると、まったく不足している。ひどいものだ。
 新潟の地震では、簡易トイレの不足やら、暖房の不足やら、食料・ミルクの不足やら。……いずれも、すでに聞いた話。つまり、阪神大震災の再来だ。あのとき、大問題になったことが、ふたたび大問題となっている。つまり、経験がまったく生かされていない。これらの備品は、別に、新潟に設置していなくても、全国の6箇所ぐらいに備蓄しておけば、翌々日(25日)ぐらいには十分に出回っていていいはずだ。なのに、駄目。備品もないし、人も車もない。まったく駄目。
 では、なぜ? 基本的には、政府の無能のせいだ。馬鹿には何もできないということ。
 ただし、もう一つの理由がある。金がない、ということ。備品などを用意するには、金がかかる。金、金、金。では、経済の問題だろうか? 

 しかし、金がないわけではない。実は、金はある。どこに? 北朝鮮のテポドンへの対策として、ミサイル防衛網には1兆円も使うのだ。来るか来ないかわからないテポドンのために、当たるか当たらないかわからないミサイル防衛網を用意する。それに1兆円だ。( → 12月31日
 金はある。ならば、テポドン対策なんかのためよりは、確実に来る地震・台風への対策のために、金を使うべきだろう。

 [ 付記1 ]
 金があるとして、どんなことに金を使うべきか? もちろん、当面の緊急対策に金を使うのが、最優先される。地震ならば、震災対策だ。
 たとえば、新潟では、ガソリンが不足している。ガソリンスタンドでは電気が切れて機械が動かない。こういうところに、ガソリンを入れる小型タンクを送ったり、機械を動かす人力を送ったり、機械を動かす小型発電機を送ったり、……というふうにいろいろと手を尽くすことができるはずだ。地震のあと、今からでも遅くはないから、物資だけでなく、人力と自動車を十分に提供するべきだろう。
 台風ならば? 被災対策もあるが、救助のためにも費用を用意するといいだろう。たとえば、台風のとき、洪水のなかでバスの屋根に十時間も立ち往生した人々がいた。足まで濡れたし、意識を失った人まで出た。たまたま流れてきた竹ざおを使って、そばの樹木に結びつけて、流されないようにできた。(ただし決死の覚悟で川に飛び込んだ人がいたから。)そのすえに、翌朝にヘリコプターで救助された。とはいえ、これは、運が良かった。もうちょっと運が悪いと、腰まで水に濡れたりして、あげく、流されてしまっただろう。玄倉川の例もある。 ( → 1月08日 の [ 参考 ])
 で、台風に襲われたとき、救助するためには、何を用意すればいいか? ミサイル防衛網みたいな世界最先端のハイテクを使うべきか? 自動車につくナイト・ビジョン(暗視装置)みたいな映像装置と、アシモみたいなロボットを組み合わせるべきか? 日本の技術の粋を尽くすべきか? ── いやいや、ハイテクは必要ない。超ローテクで十分だ。その方法は? 原理的には、人力と自動車だ。
 だから、テポドンばかりに目を奪われるべきではない。(前にも似たようなことを言った。「どうせ人命を救うために金を使うなら、失業自殺を減らすために金を使え」とか、「交通事故死者を減らすために使え」とか。 → 6月20日b3月31日b

 [ 付記2 ]
 現状は? 小泉は「地震の被災地を視察したい」なんてを言っているが、物見遊山じゃあるまいし、そんなことをしている暇があったら、首相としての仕事をするべし。例によって、実行なしのパフォーマンスばかりなんだから。震災を利用して、自己PRに励む首相。
 なお、自衛隊は? 前日分では、「自衛隊は何もやっていないようだ」と書いたが、実は、すでに炊き出しなどをやっているという。(朝日・朝刊・社会面 2004-10-27 など。)
 炊き出し? 自衛隊って、そんなことしかできないんでしょうかねえ。屈強な肉体を使って、救援物資をどんどん運ぶのならともかく、楽をして、飯炊きおばさんみたいなことをやっている。そんなことは、被災者に任せてもいいのに。しょせんは、やはり、震災を利用して自己PRに励むだけか。
 ま、自己PRでも、やらないよりはましだ。記事になったのは、ごく少数。十数万人もいる自衛隊員のうち、どれだけが新潟に出向いたことやら。かけた金も、どれだけやら。……サマワに行った自衛隊は、400億円も使ったのだが。もしかして、新潟では、400万円?

 [ 付記3 ]
 特に、保守派の連中には、言ってやりたいね。「テポドンが危険だ。国民を救え、1兆円を出せ」と大騒ぎしていたくせに、台風や新潟地震のあとでは、だんまりを決め込んでいる。あんなに大騒ぎしたのは、本当は、国民を救いたかったからじゃないんですね。ただ「怖い、怖い」と怖がっていただけなんですね。(「オオカミ怖い、オオカミ怖い」。)
 彼らに少しでも男気があるなら、はっきりと自説を主張するべきだ。「テポドン対策には、1兆円を惜しむな。しかし新潟震災対策では、金を惜しもう。ごく小額で十分だ。せいぜい、炊き出しをすればいい」と。

 [ 付記4 ]
 ついでにオマケ。台風で、上記のバスの場合で、川で流されかかっている。ここで、救助のためには、どうすればいい?
 うまい方法を探せば、一応、あることはある。救命ボートと、ロープ2本。川の両側から、ロープ2本で救命ボートを流して、人力で引きながら救えばよい。V字型にロープを張るわけですね。
 だから、台風の被害をなくすために、とりあえず、(運搬用のトラックと一緒に)救命ボートとロープ2本を、全国各地にあらかじめ用意しよう。……え? 駄目? 金がかかる? ……あ、そうでした。テポドン対策で1兆円も使うので、救命ボートとロープ2本を買う金がなくなってしまったのでした。


● ニュースと感想  (10月29日)

 「イラクの新・人質事件」について。
 イラクで新たに人質事件が発生した。これについて何かコメントを期待している読者も多いだろうが、私としては何もコメントすることはない。しいて言えば、「無視すべし」である。
 人質を「馬鹿なやつめ」と思って、非難したがる人も多いだろうが、これについては、私は先に述べたとおり。つまり、「自分の命を危険にさらすだけであり、他人の命を危険にさらしたわけではないのだから、世間があえて非難する必要はない」ということだ。
 彼がどんなに無謀なことをしたとしても、私が何か困るわけではない。また、私が何かしてあげるわけではない。誰だって、そうだろう。小泉だって、そうだ。
 とすれば、事件があっても、ほったらかしておけばよい。彼はそもそも、「何とかなるさ」と思って、周囲の反対を押し切って、強引に出掛けたのだ。つまり、自分の運命は自分でつかんだことになる。ならば、彼が信念に従って死のうが死ぬまいが、第三者が口を挟むべきことではあるまい。第三者にとっては、知ったこっちゃない。
 あっしには関わりのないことでござんす。 It's none of my business. ── それで済む話。

 [ 補足 ]
 「迷惑だ」と怒る人もいるだろうが、迷惑に思えるのは、マスコミがデカデカと報道するからだ。マスコミが小さな記事にすれば、誰も迷惑には思わない。文句を言うなら、マスコミに言うべし。
 つまりは、マスコミが事件を無視すればいい。それだけのことだ。人質問題というよりは、マスコミ問題だ。
 なのに朝日は、紙面をつぶして大騒ぎしている。しかし、こんなことで紙面をつぶさないでほしい。今、新潟では震災で、どんどん人が死んでいるのだ。こちらこそ報道するべきだ。どうせ人命を扱うにしても、こっちでは合計で30人を越えた死者が出ている。今後もストレスや寒さが原因の死者が増える見込みだ。こっちの死者の方が大事なのだから、こっちこそ報道するべきだ。なぜ大事か? 地震には政府の責任はないとしても、救助には政府の責任があるからだ。(私たち一般人としても、自分がイラクに行くことはないが、自分がいつか地震に襲われることはある。)
 マスコミは自分の使命を果たすべきだ。正しい報道という使命を。……どうも、朝日は、そこのところをわかっていないようだ。
 
 [ 付記1 ]
 小泉は例によって、「テロには屈しない」とだけ述べた。なるほど。だったら、テロリストは、それを利用するべきだったのだ。「自衛隊を撤退するな。残留しろ。さもなくば人質を殺すぞ」と。
 そうすれば小泉は、「テロに屈する」のかな。  (^^);
 
 [ 付記2 ]
 読売・社説は、「認識が甘かった」なんて非難しているが、それはちょっと、自己矛盾なんじゃないの? 「イラクでは米軍のおかげで治安は回復しつつある」なんて、さんざん提灯持ちをしてきたのだ。「認識が甘い」というよりは、「ブッシュ・小泉・読売を信じた」だけのことだ。
 「オレの言うことを信じるなんて、おまえは考えが甘い」なんて、どのツラ下げて、言うんですかね。

 [ 付記3 ]
 世間の人々でも、この人質のことを「馬鹿者め」と思う人がいるだろう。しかしそういう人々は、自分自身を「馬鹿者め」と非難しているのと同然である。
 なぜか? この人質は、「どうせ何とかなるさ」と楽観して、イラクに行ったすえに、こういう被害にあった。……とすれば、ほら、たいていの世間の人々と同じじゃないですか。 → 前項最後 の赤字部分を参照。


● ニュースと感想  (10月29日b)

 「地震と台風」について。
 台風のあとで、地震が来た。雨の降った土壌が崩れたりして、最悪の事態である。「踏んだり蹴ったり、泣き面にハチ」と思っている人も多いようだ。
 しかし、私の推測は、ちょっと違う。ひょっとしたら、今回、台風が引き金を引いて(きっかけとなって)、新潟の地震を発生させたのかもしれない。
   台風 → 空気圧の巨大な変化 → 大地の歪みの発生 → 地震発生
 というシナリオだ。けっこう、可能性がある。空気圧というのは非常に巨大な力があるからだ。竜巻なんて、自動車を吹き飛ばすこともあるし。「オズの魔法使い」だと、家が吹き飛ぶし。ブリキの人形は、小泉と同じで脳がカラっぽだし。(話が逸れました。)
 関東大震災であれ、今回の大震災であれ、巨大台風の時期に大地震が来るのは、偶然ではないかもしれない。次の関東地方の大震災も、ひょっとしたら……

 [ 付記1 ]
 台風被害では、予測がはずれたことに注目しよう。
 [ 付記2 ]
 上記で列挙したことの教訓。── 「どうせ大丈夫さ」と楽観している人に限って、被害に遭う。
 上記は典型的だ。ただし、彼らだけじゃない。大多数の人は、多かれ少なかれ、同様だ。地震対策もそうだ。また、パソコンでもそうだ。
 「どうせ大丈夫さ」と思って、バックアップを取らずに、データを消去してしまった人は、だーれ? 「MSのソフトを使えば大丈夫さ」と思って、ウィルスに感染したり、SP2 で被害にあったのは、だーれ? (楽観主義者はイラクにも……)


● ニュースと感想  (10月29日c)

 「台風被害と環境保護」について。
 地震騒ぎですっかり霞んでしまったが、台風の被害が全国で激甚だった。戦後最大規模の台風だったようだ。で、その理由は? もちろん、地球温暖化だ。
 で、これを防ぐには、地球環境の保護に向けて、何らかの行動を取る必要がある。そのための方法としては、「京都議定書」とか「環境税」とか、いろいろある。
 で、それに向けて、努力がなされない。米国は、京都議定書に反対だし、日本はそれを容認する。環境税は、経団連が大反対で、日本政府はそれを受容する。……で、その結果、台風で大被害だ。「オレの利益が、オレの利益が」とオレ流をつらぬいたすえに、台風にぶん殴られる。
 各人がエゴイズムをつらぬくと、全体としてはかえって損する、という見本。ま、わかっているならいいのだが、それもわからずに、「オレ、オレ」とばかり言っているのが、保守派の人々だ。救いようがないですね。
 大洪水が来たら、ノアの箱船にでも頼りますか。

 それはさておき。……
 「地球温暖化対策」というと、「排出ガスの規制」というのがしばしば言われる。なるほど、これは、先進国の課題だ。技術的な課題でもある。しかし、私としては、もっと重要なことがある、と考える。
 それは、緑地の減少だ。砂漠化である。アフリカやアマゾンや東南アジアでは、森林が急激に減少している。これこそ問題だ、と思える。排ガスを規制して、排ガスを減らしたとしても、森林が減少している限りは、状況の悪化はひどすぎる。砂漠化した地球は、死んでしまうも同然だ。
 どちらかと言えば、排ガスはあまり規制しない方がいい、と思う。それで地球温暖化が進んで、人類が苦しんだとしても、自業自得であり、仕方がない。単に人間が苦しんで死ねばいい。それだけのことだ。
 しかし、地球の破壊だけは、何としても避けねばならない。そのためには、炭酸ガスが増えるのは、かえって好ましい。炭酸ガスが増えれば、植物の生育にとって有利であるから、砂漠化を防ぐ能率が上がる。
 逆に言えば、こうだ。地球温暖化で人類が苦しんでいるとしても、それは、地球を砂漠化させつつあることの報いを受けているのだ。そして、その報いに気づかずに、「排ガスの規制」なんてのを唱えても、しょせんは小手先の処置にすぎない。「地球を砂漠化させて、排ガスを規制して、それでオーケー」なんてのは、皮相的なのだ。なすべき王道は、「砂漠化のストップと、緑化の推進」である。「排ガスの規制」ではない。
 京都議定書などで、「炭酸ガスが増えたから、炭酸ガスの排出を減らそう」なんていうのは、表面の数字だけにとらわれた皮相的な発想にすぎない。環境悪化の本質は、「炭酸ガスの濃度上昇」ではなくて、「地球の破壊」なのだ。

( ※ とはいっても、温暖化ガスは、これはこれでやっぱりまずいんですけどね。オナラと同じ。)


● ニュースと感想  (10月30日)

 「震災対策の方法」について。
 新潟地震では、事後の震災生活のなかで、死者が次々と出ている。被災者の人命は大切だ。何とかせねばなるまい。
 そこで、「仮設住宅を」という対策が出て、3000戸も建設するという。もちろん、費用も巨額にかかるし、事後にはすべて取り壊される。壮大な無駄だ。もっといい方法はないのだろうか? 

 例によって、本質的に考えよう。そもそも、被災者の人命が奪われているのは、なぜか? 地震のせいか? いや、地震なら、もう収まった。人命が奪われているのは、地震のせいではない。では、何のせいか? 環境が悪いせいだ。では、環境とは? ライフラインだ。つまり、ガス・水・電器である。この三つがそろっていないと、健康を損ねて、体力の弱い者から、死者が出る。(古典派ならば、「劣者退場!」と喜ぶだろうかもしれないが。)
 で、ライフラインが途絶えているなら、ライフラインを復旧すればいい。しかし、それには、全力が尽くされているので、これ以上はどうしようもない。となると、どうするべきか? 

 ここで出たのが、「仮設住宅」という対策だ。しかし、これは、「住」という面では有益だが、ライフラインという面では有益ではない。ライフラインが復旧したあとなら有益だが、当面のライフラインの問題には解決手段とならない。しかも、莫大なコストがかかる割には、効果が小さい。戸数で 3000戸だというが、1戸に1人しか住まない、という非効率な場合もたくさんあるはずなので、1万人も住めないだろう。一方で、被災者は6万人もいる。また、仮設住宅が全部できるのは、ずっと先の話であり、死者がたくさんでたあとの話だ。
 つまり、「仮設住宅」という対策は、答案としては「不可」点である。

 では、どうするといいか? 私の案は、「一時的転居」である。別名、「公費による旅行」である。たとえば、草津温泉あたりで、ゆっくりしてもらう。それでコストがかかりすぎるなら、適当な民宿かアパートでもいい。どっちみち、旅行気分で、どこかへ一時避難してもらう。そして、ライフラインの復旧後に、地元に戻ってもらう。
 これで、費用は? ある程度はかかるが、仮設住宅なんかよりは、ずっと無駄が少ない。また、当面の緊急対策となり、死者を大幅に減らすことができるはずだ。
 このような方針を、原則として立てるべきだ、と思う。さもないと、これから行きが服新潟で、多くの被災者が雪に埋もれてしまうかもしれない。「地元がベスト」なんて説は、「旅行は悪だ」という説と同様であり、メチャクチャなのだ。

 なお、このような方針を事前に立てておくと、次期の関東大震災のときにも、役立つだろう。被災者はなるべく、全国に一時疎開するべきだ。そして、ライフラインの復旧後に、地元に戻ればよい。
 こういう方針を立てないと、次期の関東大震災のときに、数万人規模で、事後被害の死者が出てしまうだろう。
 とにかく、こういう大局的な計画性こそ、政治には必要だ、とも終える。

 [ 付記1 ]
 ここで疎開の対象となるのは、主としてお年寄りである。つまり、現地に留まる体力が少なくて、かつ、現地に仕事を持たない人々である。これらのお年寄りが地方に疎開することは、地方でも受け入れ可能だし、被災地の負担を減らすことにもなる。
 とにかくまあ、経済学的に、「費用対効果」を考えるべきでしょう。「金さえ出せばいい」というものではないのだ。(仮設住宅とか、補正予算とか、やたらと公共事業みたいなのばかりやりたがるのが政府だが。ケインズ流?)

 [ 付記2 ]
 自衛隊もけっこう頑張っている、という趣旨の記事が出た。(読売・朝刊・解説記事 2004-10-29 )
 何もしていないわけではなくて、炊き出しやら、風呂たきやら、隊員千人を超え、車両百両以上、という規模で、そこそこやっているらしい。とはいえ、現地では圧倒的に人手不足と車不足だ。その一方で、自衛隊員は十数万人。
 現地でも、本部までは物資を運ぶが、その先は駄目。……やっぱりね。ここでは、「自分が何かをしている」という自己満足ばかりが先にあって、「被災者のためになる」という最終的な効果までは考えが及ばないらしい。


● ニュースと感想  (10月30日b)

 「遷都」について。
 韓国で政府の進める「遷都」案が、憲法裁判所の判断で、挫折した。(各紙・朝刊 2004-10-22 )
 これを法律論としてとらえるのは、よその国への内政干渉みたいなものだから、論じないでおく。ただし、日本における遷都案の、他山の石とすることはできる。
 遷都というものは、政府がいかに強力に推進しても、国民の抵抗を受ける。これは、当然だ。遷都は、国家百年・千年の大計である。しかるに、人間の大人としての人生は、五十年ほどでしかない。遷都なんかやっている間に、寿命が尽きてしまう。そのために莫大なコストを払うのは、割が合わない。
 しかし、だからといって、何もしないでいれば、状況はどんどん悪化していく。何らかの計画性は必要だろう。では、その計画は? 「すぐには実現しないが、いつかは実現する」という計画だ。

 というわけで、私が提案するのは、「一挙の遷都」ではなくて、「段階的な遷都」である。当面の形としては、「遷都されるべき場所の候補地を、いくつも作ること」だ。たとえば、福島やら、栃木やら、つくばやら、あちこちに、新しい副都心みたいなのを作って、「展都」する。あちこちに工業コンビナートのなれの果てみたいなのもあるから、そういうのも利用する。そして、政府の省庁が、夏期には、北海道の苫小牧あたりに移転して、避暑をする。冬になったら、九州のあたりへ移転して、避寒する。転々と「転都」する。
 こういうのは、大変か? 以前なら、大変だった。しかし今なら、簡単だ。ネットがあるからだ。ネットさえあれば、日本中のどこでも、同じような仕事ができる。
 結論。
 「遷都」の案としては、あちこちにたくさん「展都」してから、あちこちを順々に「転都」すればよい。これだと、首都の予備(バックアップ)ができるから、地震が来ても大丈夫。

 [ 付記 ]
 逆に言えば、現状は、首都の予備(バックアップ)がないから、いざというとき、壊滅的な打撃を受ける可能性がある。
 たとえば、悪夢のシナリオ。──
 天候異常で、台風が来て、大洪水。江戸川などが氾濫したり、都心のあちこちで局地的な洪水が発生する。その水が、地下鉄に流れ込む。地下鉄の停止。首都の交通マヒ。首都機能が一カ月ぐらい停止する。日本壊滅。
 地震の場合は、もっとひどい。下手をすると、高層ビルが低周波振動でぐらぐらしてから崩壊するかも。都庁崩壊。新宿全滅。あるいは、新幹線が脱線して、高架から落下する。いちばんの懸念は、インターネットの停止だ。日本のネットの連絡は、鉄道や自動車と同様で、東京という中央に向かって伸びている。分散型ではなくて、放射形だ。東京が壊滅すると、日本全国が壊滅する。「生き残った東北同士で連絡し合う」なんてことは、十分にはできないのだ。


● ニュースと感想  (10月31日)

 「水俣病と現代」について。
 水俣病についての最高裁判決が出た。国の責任を認定する。(各紙・夕刊 2004-10-16 )
 こういうのを聞くと、若い人は大昔の歴史的事件だと感じるだろう。「昔の人は馬鹿なことをやっていたなあ」とか、「ふうん。どうせ他人事だし、関係ないね」とか、そんな感想を出すだけだろう。ところがどっこい、同種の事件は現代にもある。
 それは、ディーゼル車の排ガスに含まれる、ディーゼル微粒子だ。ディーゼル微粒子の被害は、水俣病よりも、ずっとすごい。水俣病は、水俣(および数カ所)という特定地域で生じただけだったから、たいていの国民にとっては無関係だった。ところが、ディーゼル微粒子は、日本中で大被害が出ている。特に、花粉症の患者は、ものすごい数だ。数千万人。
 水俣病の発生当時は、「有機水銀だらけの魚を食った猫が、狂い死にする」なんていう事件があった。人間の被害者もどんどん出た。それでも、政府と産業界は、「経済重視・環境無視」で、廃液垂れ流しだった。まったくひどい。で、今は? やはり、政府と産業界は、「経済重視・環境無視」で、排ガス垂れ流しだ。まったくひどい。
 水俣病の方は、大問題になって、やがては収束した。ディーゼルの排ガスの方は、東京都知事が大問題にしただけで、国も産業界もマスコミもほとんど放置している。収束の兆しは、まったくない。朝日みたいなハイテク・オタクの浮かれ新聞社に至っては、「プリウスなどのハイブリッドは、省エネと温暖ガス減少で素晴らしい」なんていう、提灯持ちの記事ばかりを、しょっちゅう掲載して、自動車会社にさんざんおべっかを使っている。
 ふん。自動車会社ってのはね、ディーゼル車をたくさん売って、排ガスを垂れ流しているんだ。水俣病を生み出した悪徳企業と同じなんだ。で、今も、奥田某のひきいる経団連はエゴイズムをふりまいて、「環境税には絶対反対。そんなことをすると、売上げが減る」と、国の政策を左右している。水俣病の工場よりも、ずっと悪質だ。水俣病の会社は、別に、国の政策を政治献金で左右することはなかったのだから。
 ついでに言えば、環境省もおかしい。環境税で抑制しようとするものには、温暖化ガスはあっても、ディーゼル微粒子やその他の有害ガスは含まれていない。一番危険な毒物を規制しようとしない。……水俣の狂い猫みたいに狂っている。

 なお、もう一つ、「鉛汚染」というのもある。天才画家のゴッホは、精神病で発狂したが、その理由は「鉛中毒」であったらしい。絵具には鉛を含むものが多くあり、ゴッホはそれを舐めていたため、鉛中毒になったらしい。で、その鉛だが、今も水道の給水管に使われている地域が多くあるという。(朝日・朝刊・オピニオン面・コラム 2004-10-19 。この鉛汚染の記事は連載物。)
 あなたの地域も、そうかも。どこがどうなのか、データが提供されているといいんですけどね。ま、たとえ気づいても、脱出しない限りは、汚染されっぱなし。

 で、こういう現状を放置して、「昔の人は馬鹿だったなあ」なんて感想を出している若者が、今の日本にもいっぱいいるわけだ。昔の若者なら、「水俣病を解決せよ」なんていうデモを繰り広げたりしたが、今の若者は、ネットでエロサイトを見て「萌え〜」なんて叫ぶだけだ。ゴッホと同じかな? 水俣の猫になったのかな?
 それともやはり、ネット・ウィルスのせいですかね。PCだけでなく、頭もウィルスに感染。

  【 追記 】
 ディーゼルについては舌足らずだったかもしれない。すでに述べた話だが、下記の箇所を参照のこと。
   → 9月22日11月30日c7月29日


● ニュースと感想  (10月31日b)

 「新型ウィルス」について。
 緊急情報。
 新種のメール・ウィルスが出てきた。「Hi」という標題のやつ。30日の夕方ごろから。最新の情報は、フレッシュアイ などのニュース検索で見つかりそうだ。

 [ 補説 ]
 別の問題もある。実は、こっちが本題。
 「HTML メールは楽しいので、どんどん使いましょう」という狂気的な記事が出た。例によって、朝日である。(朝日・朝刊・週末版・be 青色 2004-10-30 )
 最後の方でオマケで、「HTML メールは、受信者が読み取れない環境にあることもあり、嫌われることもあります」なんて弁解しているが、とんでもない。
 そもそも、HTML メールは、(メール本体に)ウィルスを含むことがある。だから「嫌われることもある」のではなく、「常に嫌われる」のだ。だから、まともな人間は、ウィルス感染を避けるために、メールを開封しない。ゆえに、受け取った方は、「読み取れない環境にある」のではなくて、「読み取れようが読み取れまいが、読まない」のだ。また、「読んではいけない」のだ。
 たとえば、あなたのところに HTML メールが来たなら、開封してはならない。もし HTML メールを開封したら、あなたのパソコンはウィルスに感染する可能性がある。当然、データの全消去や、パソコンが壊れる可能性もある。(Outlook で開くのは厳禁。たいていのメールソフトも、HTML の表示は MS-IE を使うから、やはり厳禁。どうしても開きたいのであれば、HTML としては開かずに、いったん保存してから、エディタで開いて、ソースだけを見ればよい。通常、そんな面倒なことはしないで、さっさと削除するべし。)
 今回の記事は、世の中にウィルスをはびこらせるだけだ。この記事自体が、ウィルスのごとく有害である。週末版の be というのは、毎度毎度、素人記者が初歩的な間違いだらけの、嘘情報を書く。まったく、有害ですね。専門家によるチェックを受けるべし。デタラメを流布させるわけだから、朝日というのはまさしくウィルスだ。正真正銘のウィルスだ。一度に五百万部ぐらいのウィルスを日本中に頒布する。
 朝日新聞というウィルスを、ワクチンソフトで消去してしまえ。

( ※ 朝日の記事は HTML メールをすばらしいプレゼントのように記述している。しかし、ウンチと病原菌入りのプレゼントなんて、もらったとしても、捨てるのが正解。「せっかくもらったものは開封しなくちゃ」なんて思うと、もくもくと煙が上がって、ひどい目にあう。浦島太郎。……「浦島太郎」という民話は、何と予言的であったことか! 今日のウィルス時代を予告して、「もらったものを開くな」と警句を鳴らしたのである。)
( ※ 「乙姫様はどうして、わざわざ変な危険なものを渡したのか?」という疑問がある。答は、二つ。第1に、返却だ。竜宮城にいる間は、時間の経過を忘れさせられたが、年は過ぎていった。その年はもともと浦島太郎のものである。だから、その年を、本人に返却しただけだ。第2に、警告だ。「きれいな女に惑わされるな」ということ。女がきれいだからといって、彼女がくれるものがみんな有益で安全だと思ったら大間違い。危険なものも、いろいろくれる。「美人は善人で親切だ」というのが錯覚である。…… HTML メールもそう。見映えはきれいだが、実は危険だ。というわけで、ここでも、浦島太郎の物語は予言的である。)


● ニュースと感想  (10月31日c)

 前項の補足。
 メールソフトとして、「Outlook は駄目だ」と述べた。では、どうするといいか?
 私のお勧めは、電信八号だ。ただし、操作法が独特だ。
 初心者には、Edmax というソフトもある。最近、バージョンアップしたようだ。詳しくは知らないが。細かい話は、ネットで検索するといいだろう。


● ニュースと感想  (11月01日)

 「温暖化と気候異常」について。
 温暖化とか環境問題とか、そういう言葉を聞いても、ピンと来ない人が多いだろう。たとえば、「台風がたくさん」という話を聞いても、「オレは別に被害を受けなかったもんね」というふうに。
 しかし、温暖化の問題はまさしく、われわれの各人に切実に降りかかっている。その事実は、はっきりとしているのだが、われわれが鈍感になっているので、なかなか気づきにくいだけだ。そこで、はっきり指摘しておこう。

 (1) 台風の異常到来。
 (2) 異常気象。それによる農産物根上がり。(レタス 1000円)
 (3) 昔の夏は、暑くなかった。(31度以上の時期は、真夏の一時期だけ。夏のたいていは、31度以下。30〜31度が普通。)今の夏は、暑い。(34度がざらだ。今年は40度になることもあった。)……ただしこれには、都市化の影響もあるが。
 (4)今年は、秋がない。暑い夏から、寒い冬へ。一年で一番すてきな「涼しい時期」が、日本から消滅してしまった。

 このうち、(3) については、昔の夏が懐かしいですね。 (4) については、今年は秋がないのは、いやですねえ。われらの秋を返せ! 


● ニュースと感想  (11月01日b)

 「政府の審議会」について。
 政府の審議会のデタラメぶりが報道されている。(朝日・朝刊・1面 2004-10-18 )
 政府が勝手に人選したり(いわゆる御用学者)、気に食わない委員を強引に辞任させたり。……ただしこれは、前にも指摘したとおり。( → 9月19日
 また、審議会の委員の3割がダブっている(複数委員を兼任している)という。メチャクチャなようでもあるが、当然である。気に食わない委員を次々と辞めさせていけば、気に食う委員は変なのが少数残るだけだ。必然的に、兼任になる。
 要するに、審議会なんてのは、ただの政府の隠れミノにすぎない。自分たちの無為無策を責任転嫁するための、弁解道具である。アリバイづくりのようなものだ。こんなものに頼るから、日本はどんどん悪くなる。
 審議会などは、廃止するのが正しい。むしろ、国民の声を広く聞くべきだ。そうしないから、現状は悪化する。特に、環境問題で。

 [ 付記 ]
 プロ野球の新規参入問題でも、「審議会」みたいなもので検討する、と言っているが、実際には、第三者が審議するのではなくて、球団代表や代表代理たちが審議しているだけだ。これも隠れミノ。
( ※ 対案を示す。公正明大にするなら、「入札」にするべきだろう。どうせもともと、近鉄を購入するのに、それだけの費用はかかるはずだから、同じことだ。つまり、近鉄がもらうべき金を、プロ野球界全体でもらう。それが最も合理的。この方法だけが経済的に正当だ。市場原理。市場においては、「買い手を誰にするべきかを、売り手でも買い手でもない第三者が決める」というのは、不明朗なのだ。)


● ニュースと感想  (11月01日c)

 「環境と経済」について。
 環境保護と経済とは関係がある。両者を結びつけるのが「環境税」だ。その目的は、経済的な効果(補助金・罰金)を通じて、環境改善を進め、環境悪化を抑止することだ。経済的な手法による、環境改善だ。これは当然だろう。
 環境を改善するために出す補助金としては、緑化推進などがある。一方、太陽電池への補助金は、まずい。なぜなら、太陽電池というものそれ自体は、環境を悪化させるからだ。太陽電池は、石油や石炭や天然ガスによる発電よりはマシであるが、最初に太陽電池を作るときに莫大なエネルギーを使う(だから高額である)ので、環境を悪化させる。どちらかと言えば、電器を使わないで原始人みたいな生活をしている方が、補助金を受け取るのに値する。……たとえば私みたいに、夏はあまりクーラーを使わず、冬はあまり暖房を使わない、というように倹約&心身鍛練に努力している人は、太陽電池を使う人よりも、補助金を受け取る資格がある。(これは手前ミソ。  (^^); )

 さて。環境税については、経団連が反対している。「経済活動を阻害する」というふうに。しかし、これは本来、無意味な主張だ。というのは、環境税は本来、経済活動には中立的であるからだ。悪い会社は金を取られるが、良い会社は金をもらう、というふうになる。たとえば、二酸化炭素を排出する企業は罰金を取られるが、そうして取られた罰金をプールして、法人税減税に回す。企業全体としては、損得なしだ。新日鉄だって、鉄を作るかわりに、鉄の技術を応用して、コンピュータのソフトウェアでも作っていれば、差し引きして、減税の方が多くなるかもしれない。また、女性や高齢者を雇用すれば、そこでも補助金をもらえるかもしれない。……ま、どっちみち、本来は、環境税は経済活動に対しては、中立的であるはずだ。

 ただし、である。環境省がそれを阻止する。環境省の方針だと、「環境税の国庫収入は、全部自分たちが使い切ってしまう」だって。(読売・夕刊・2面 2004-10-21 )
 これでは、実質増税だ。当然、企業は環境税に反対する。となると、環境税は実現不能となり、環境発火する。
 結論。環境税を阻止して、環境悪化に励んでいるのは、環境省である。環境破壊の張本人は、環境省なのだ。こいつが一番のワルだ。

 [ 付記 ]
 環境省は環境税の収入を自分たちが勝手に使い切ってしまおうとする。ここでは、名目は「環境対策経費」であるが、その形は、指定した特定分野の補助金がほとんどだ。つまり、自分たちの勝手に指定する恣意的な項目に対して、補助金を設定して、「このために金を使え」と決めつけて、補助金を出す。
 たとえば、「太陽電池」と決めつけて、太陽電池を購入した人たち先着5000名には30万円をプレゼントして、その次の5001人目からはビタ一文も出さない。整合的に計画された政策というよりは、国の金で官僚が「補助金ごっこ」をして勝手に遊んでいるだけだ。
 要するに、「人生ゲーム」みたいな遊びを、国の金を使って、数千億円規模でやるわけだ。いくら無駄遣いしても、しょせんは国の金だから、自分の懐が痛むわけじゃない。「楽しいなあ」と思うわけだ。
 で、だから、官僚になりたがる連中が多いわけだ。なるほど。テレビゲームと違って、リアルの世界で札束を切れる。ネット・オタクにとっては、羨ましい限りだろう。
 で、その分、国民は一世帯あたり、年間5千円を徴収されるという。……ま、繁華街でもそうですね。暴力団がバクチ遊びをするための資金を、みかじめ料として、繁華街の各店から強制的に徴収する。環境省も同じ。


● ニュースと感想  (11月01日d)

 「災害と企業支援」について。
 新潟震災の物資不足のなかで、企業の支援、という記事があった。(朝日・朝刊・社会面 2004-10-31 )
 ケチな会社が多いことがよくわかる。消費者と結びついている流通業や衣料品産業では、支援が多い。その一方で、自動車や電器などの、日本を代表する産業は、実にしみったれである。トヨタなんか、数千億円の利益を出したと報道されたばかりだが、義捐金はスズメの涙だ。せめて、ガソリンスタンドの稼働に努力するとか、なんとかできないんですかねえ。自動車で最低限の生活を送っている人が多く、暖房用にガソリンを使ったりしている人が多い。この関連で、ちょっとぐらい努力しても良さそうだが。……やはり、自分の金のことしか考えていないようだ。
( ※ ついでに言うと、トヨタは、アメリカでは、「社会貢献する」とさかんにPRしている。仮に今回の地震がアメリカで発生したならば、トヨタは多大な貢献をしていたはずだ。……でも、新潟地震ですからね。ま、その点、トヨタと小泉はそっくり。)

 [ 付記 ]
 私が社長だったら? ま、お金はともかく、「ボランティア休暇」を認めて、数日間のボランティアを推進します。一流メーカーの社員なら、高度な技術を持つ人も多いだろうから、多大な貢献ができるはずだ。
 ただし、現状では、社員は企業に縛られている。かくて震災地は人手不足。死者続出。その一方で、トヨタなどの企業は「利益が出ているぞ。えっへん」と威張る。


● ニュースと感想  (11月02日)

 「災害時のサバイバル」について。
 震災の被害がいまだに収まらない。政府や自治体や自衛隊に頼っても、被害は出るばかりだ。彼らの目的は「自分は働いています」とPRすることであって、被害者を助けることではないようだ。となると、自力で何とか、対処するしかないようだ。そこで、サバイバルの方法を示す。
 
 まずは、現状分析。
 水も食糧も電気もトイレも不足する。当面は、誰にも頼れない。2日ぐらいは、何もなしになることがある。
 2日ぐらいすると、さすがに、食糧や水は用意されるようだ。炊き出しや給水がある。電気は復旧することもしないこともある。ガスは駄目。暖房は不備。トイレは、いつまでたっても数が足りないようだ。となると、トイレが問題だ。
 特に、夏だと、野外で用足しをしたりすると、糞便から、赤痢やコレラが蔓延する危険がある。今は寒い秋(新潟は冬同然)だから目立たないが、夏期ならば疫病で死ぬ危険が高くなる。なのに、政府には、こういう衛生観念がまったく欠落している。たぶん、疫病で病人が多数出てから、あわてて対策するのだろう。ひどいものだ。ま、夏期でなくても、今はトイレ不足のせいでトイレを我慢して命を失う人が多く出ている。特に高齢者はそうだ。「水飲み健康法」というのがあるが、それとは逆の「水我慢自殺法」を実施していることになる。最悪。
 つまりは、政府は当てにならない。そこで、サバイバルの方法。
 やはり、トイレが重要ですね。政府や自治体は、トイレを重点にするべきだろう。衛生上の問題もある。トイレは、実は、うまい方法がある。熱と微生物によって、水なしで大量処理する、ハイテクトイレが開発済みだ。こういうのを大量に用意するべきだろう。
 日本にとって一番危険なのは、テポドンではない。ウンチだ。下手をすると、次の関東大震災のとき、頭上のマンションから、糞便爆弾が降ってくる。
( ※ 糞便爆弾というのは、ただの冗談じゃない。クソまみれという意味ではなくて、赤痢菌・コレラ菌まみれという意味。爆弾ぐらいの影響がある。)
( ※ トイレ不足の記事は、朝日・朝刊・社会面 2004-10-31 )

 [ 余談 ]
 ところで、自治体のやる乾パンの備蓄って、意味がわからないんですけど。まずくて、水なしでは食べられない。悪いことだらけ。
 昔なら、乾パンは安価だったが、今では国専用にわざわざ作って、高額だ。レトルト食品ならいくらでもあるんだから、その方がいいと思うんですけどね。おもちのパックでもいいし。
 やはり、国民のためではなくて、賄賂をもらうのが目的だから、特定企業しか生産できないようなものしか、備蓄しないのかも。うむ。納得。……で、震災のときには、誰も乾パンなんか食べないから、捨ててしまうわけ。

 [ 補足 ]
 ここまで書いたあとで判明したが、トイレ対策には名案がある。専門家のアドバイスだ。それは、「消臭剤と凝固剤」である。これを使ったあとで、乾燥させたりするのだろう。(トイレで流すわけではない。)
 売場は、東急ハンズやデパートらしい。(記事は、読売・地方版 2004-10-31 )
 なお、そうだとすれば、トイレ不足の今は、高価な簡易トイレの設置に励むよりは、消臭剤と凝固剤を配布した方がいい、ということになる。また、震災対策の備品としては、乾パンばかり備蓄するより、消臭剤と凝固剤を備蓄するべきだ、ということになる。

  【 追記 】 ( 2004-11-05 )
 読者から後日、有益な情報を得た。以下に丸ごと引用させていただく。
  土と微生物によって分解するハイテクトイレというのは、コンポストトイレのことですよね。これは、10万ちょいくらいから売られているもの(欧米製)が多いですが、原理はものすごく簡単で、家畜の糞から堆肥を作ったことのある人ならばどこでもすぐ作ることができるはずです。
 実は私も、この分野(人糞の堆肥化処理)は、研究中(といっても各社のコンポストトイレや文献をあたるだけですが)なのですが、堆肥化そのものは、糞尿などチッ素を多く含むものと、おがくずなど炭素を多く含むものを、混ぜるだけで自然発生するというもので、悪臭もなく、熱によって病原菌なども殺され、肥料として使用可能です。
  非常時の処理の仕方として、土に埋めるのがよいとおっしゃっていましたが、地下水汚染の危険性があり、井戸水を使っている地域などでは、避けた方がよいです。わらなど通気性のあるものと混ぜて、加熱堆肥化を促して、数日か数週間後に埋めるほうが、安全でしょう。非常の場合には、新聞紙をちぎったものをバケツに入れて、便座をのせたようなものでも、しばらくは大丈夫だと思います。

   推奨の参考文献(英文):
   The Humanure Handbook : A Guide to Composting Human Manure
   (The Humanure Hand Book, 2)
   Joseph C. Jenkins ISBN: 0964425890
    → amazon
 なお、付言しておくと、最初に使う微生物は、土に入っている微生物を使うようだ。空中の微生物や大腸菌じゃないですよ。
 ともあれ、この情報が、新潟にいる人のお役に立てると、いいですね。

 ( ※ 貴重な事実情報を下さったことに感謝します。専門知識のある方による事実情報はありがたいですね。)
 ( ※ なお、事実情報ではなくて、ただの感想ふうの意見が来ることもありますが、当方は、感想は受け付けておりません。感想は、ご自分のホームページにどうぞ。)



● ニュースと感想  (11月02日b)

 「安全規制」について。
 食品などの安全性については規制が必要だ、という意見が強い。しかし、あまりにも過剰な規制は、やりすぎだ、という気がする。
 と思ったのは、最近、カイワレを食べられないからだ。皆無ではないが、ほとんどの八百屋で売っていない。あっても、高い。以前なら、安くてふんだんに買えたのだが、そうも行かなくなった。
 こうなったのも、例の O157 という大腸菌の騒ぎのせいだ。結局、冤罪らしかったのだが、いったん有罪と疑われたせいで、市場から消えてしまった。おかげで、不便。
 狂牛病(BSE)を疑われている牛肉もそうだ。最近ようやく、「月齢管理したものは輸入許可」という方針でまとまったようだ。(24日・朝刊)とはいえ、それまで、ずっと問題が続いた。アメリカからの牛肉がストップしてしまったせいで、牛肉は高くなるし、牛丼は廃止されるし、焼き肉屋はどんどん倒産していく。(あちこちで業績悪化が報道されている。特に焼き肉屋は惨憺たるありさまだ。)
 ここでは、やたらと規制がある(あった)。しかしアメリカでは、BSEによる死者はほぼゼロだ。当然、日本でも、同様だろう。とすれば、規制をしても、狂牛病の被害者総数(ほぼゼロ人)よりは、売上げ減少による被害者数(数千人以上?)の方が、圧倒的に多いだろう。人命だけ見ても、売上げ減少による自殺者が確実に出そうだ。(ちなみに不況による自殺者総数は年1万人程度。先日TV報道された焼肉店主は、人生を破壊されていた。) ……これじゃ、帳尻が合わない。なのに、規制を続けてきた。
 大事なのは、表示だけだ。「アメリカ産・狂牛病未検査・20カ月以下」とだけ表示すればよい。気にする人は買わなければいいし、気にしない人は買えばいい。
( ※ ただし、アメリカだって、かなりメチャクチャだ。自分たちが気にしないで食うのは構わないが、日本に20カ月という制限を撤廃させようしてきたのも、強引すぎる。これは最終的には改められたが。)

 なお、牛肉とは別の問題もある。農薬や添加物だ。日本国内では農薬や添加物についてさんざんずさんな規制をしているのだから、BSEばかりウルトラ過剰な規制をしても仕方ない。
( ※ 農薬や添加物については、日本の食品における規制がいかにずさんであり、日本の食品がいかに汚染されているか……ということは、漫画の「美味しんぼ」に情報が書いてある。BSEなんか比較にならないほど危険なのだ。)

 ついでに言えば、そもそも牛について、一番危険なのは、狂牛病なんかじゃない。脂身だ。牛丼なんかに、ギトギトしている脂身が、たっぷりと入っている。ハンバーガーにも、ほぐして入っている。動物性の脂肪分やコルステロールがたっぷり。これのせいで、成人病になって、毎年、相当多数が健康を損ねていく。狂牛病の死者よりもずっと多くが死んでいく。とすれば、輸入解禁で、死者はかえって増えるかも。
 せめて、牛肉といっしょにカイワレを食べれば、少しは成人病を予防できるのだが。  (^^);

 [ 付記 ]
 O157 という大腸菌の騒ぎで、真犯人は結局、不明だったようだ。で、真犯人がわからないままだと、気持ちが悪い。カイワレでなかったとしたら、何なのか? 別の野菜か? 肉か? 魚か? 魚貝類か? ……そのどれもがアリバイが証明されたらしいが、だとすれば、いったい、どんな食い物だったのか?
 ここで、参考となる話がある。「ペスト菌の運搬役は、ネズミだった。今も都会のネズミから、さまざまな食中毒の病原菌が見つかる」という記事。(読売・夕刊・科学面 2004-10-30 )
 こいつが真犯人だったのかもしれない。食い物ではなかったらしい。探す範囲を間違えていたようだ。……よくある話。教訓的。
( ※ 疫学的に考えれば、ネズミ犯人説は、かなり当然だ。仮に、食物だとすれば、大量にあちこちで同時発生するはず。一定地域で散発的だったとすれば、食材ではなくて、調理具に菌が付いていたことになる。調理具に菌を付けるものがいるとすれば、ネズミとゴキブリぐらいだ。で、ゴキブリというのは、見た目と違って、案外、きれいだ。となると、ネズミが怪しい。蚊もいるが、蚊は食材ではなくて人体に直接感染するから嫌疑外。カイワレは、ネズミのが付いていただけかも。……というわけで、カイワレは無罪らしい。そもそも最初から、無罪を訴えていたはずだ。「カイワレの表面なんかで、大腸菌が繁殖するはずがないじゃないか! ここは大腸菌の繁殖する条件を満たしていないぞ! 人間ってのは、どうして、おれたちより頭が悪いんだ! カイワレよりも馬鹿な人間ども!」)


● ニュースと感想  (11月03日)

 「エコノミークラス症候群」について。
 新潟の震災で車中生活をしている被災者たちに、エコノミークラス症候群が高頻度で発生しているという。死には至らなくても、足に血栓ができている人が大半だという。(朝日・朝刊・社会面 2004-11-02 )
 生理的に言おう。人体には血液が循環しているが、心臓はポンプとして圧力をかけているだけだ。心臓から動脈で押し出すことはできるが、(毛細血管で圧力を失ったあとでは)心臓に静脈で引き戻すことはできない。では、何が、血液を引き戻すか? 心臓より上には、重力が働く。心臓より下では、筋肉などの力が働く。で、足はしばしば、「第2の心臓」と呼ばれる。しかるに、その力が弱まると、心臓に血液が環流しにくくなる。すると血栓ができやすくなる。こうしてエコノミークラス症候群が起こりやすくなる。
 対策として、しばしば言われるのは、(女性なら)「きついストッキングをはくこと」だ。「きついロングソックス」でもいいかもしれない。……断ちっぱなしの人には効果的なようだ。
 エコノミークラス症候群を防ぐには、通常、「ときどき立って、足を動かす」と勧告されるが、眠っている最中は、ちょっと無理だ。夜中に何回も用便に立つならともかく。
 なお、車中泊以外であれば、足を低くせず、水平に置くか、頭より高く置くとよい。ただし、自動車(フルフラットにならない乗用車)では、まず無理だ。ダッシュボードが邪魔ですから。

 そこで私の提案。
 自動車そのものを改造してしまおう。(今からでは手遅れだが。)通常、自動車は、足を伸ばせない。高速道路を走ったり、渋滞に巻き込まれたりして、何時間も座りずくめのこともある。足を伸ばしたいが、なかなか伸ばせない。ダッシュボードが邪魔だ。
 だったら、車内で伸ばせるようにしてほしいですね。ダッシュボードの下に、つま先を入れるためのスペースを用意してほしい。空間はちょっとだけだから、そんなに無理ではないだろう。機器類が設置されているらしいが、ちょっとずらせば済む問題だ。特に、助手席は、がらんどうの箱みたいなものをデカデカと設置したりせずに、足を伸ばせるように空間を備えてほしいものだ。(できることなら、ダッシュボードに穴をあける形が好ましい。底蓋を下げると、ダッシュボードの部分ががらんどうの空間になる、というのがいいですね。)
 今の自動車は、「室内空間を広げる」ことを至上命題としているくせに、そのときの人間の姿勢を固定的に考えている。「足を動かしながら」という空間配置にはなっていない。……頭が固いんですね。だから、足まで固くなる。だから、エコノミークラス症候群が発生する。自動車会社のせいかな。やはり、自動車会社の頭に、血栓が溜まっているのかも。

 [ 余談 ]
 もし心臓が停止したら、どうなるか? 血液が沈降して、皮膚の表面に紫色の斑点が生じる。これを死斑という。死斑がどのくらいあるかを見て、死後経過時間を推定する一助とする。死斑の位置を見て、死後に死体が移動されたかを判断することもある。
 こういうことを知っておくと、あとで殺人をするときに便利です。……じゃなくて、推理小説を読むのに便利です。雑学ね。  (^^);


● ニュースと感想  (11月03日b)

 「商品名」について。
 商品名というのは、けっこう重要だ。覚えてもらわなくては、仕方ない。ただし、旧製品の評判が悪いと、モデルチェンジに乗じて、名前を変えたくなることがある。
 しかし、こういうのは、無能な経営者の発想である。「自分たちの能力がなかったから、製品が売れなかったのだ」という事実を直視せず、小手先の命名で対応しようとする。「新製品に新名称をつければ、フレッシュな感じがして、いっぱい売れるようになるだろう」と思い込む。で、名前だけ変えて、相も変わらず、魅力の薄い製品をつくりだす。
 これで大失敗した例が、以前のマツダだ。ルーチェという伝統のある車名を廃止して、かわりにセンティアという車名にしたが、全然売れない。名前も覚えてもらえない。オマケに、似たような新車を次々と出したが、どれもこれも知名度が薄くて、共倒れ。
 
 さて。今回、特に指摘したいのは、日産という馬鹿会社だ。上記の「名前オタク」の典型である。やたらと外国っぽい名前を付ければいいだろうと思って、変な名称を付けたがる。
 「ティーノ」「ティアナ」「ティーダ」「ラティオ」
 どれもこれも、「ティ」がつく。「ティ」は、日本語の五十音にはない音だ。(外来語表記用の音。)当然、外国ふうの雰囲気がする。外国かぶれの人は大喜び。しかし、たいていの日本人は、この音を覚えにくい。特に高齢者は、発音するだけでも面倒だ。
 たとえば、「ティーノ」なんて名前、覚えている人、いますか? ほとんどいませんよね。思い出そうとしても、頭に浮かばない。その一方で、同じようにつぶれた車でも、「パルサー」「ローレル」「プレーリー」なんて名前は覚えやすいから、車名だけはすぐに浮かぶ。
 このことは、自動車の購入時点でも同様だ。「ティーノ」なんて名前を覚えている人は少ないから、購入候補に挙がらない。おまけに鼻は日産鼻だ。……二重苦。当然、全然売れない。
 「ティアナ」も、車はそんなに悪くはないが、名前が悪いから、売れ行きは芳しくない。(余談だが、プリンセスが頭に付ける宝石の冠は、何という名称でしょう? 「tia**」

 で、新製品の「ティーダ」「ラティオ」は? 製品のレベルだけを見れば、爆発的に売れてもいいだけの出来映えだ(内装のデザインは別として)。しかしやはり、名前に「ティ」があって、顔は日産鼻だから、爆発的に売れるはずがない。
 名前なんて、いくらでも簡単に変えられる。鼻なんて、ごく簡単に変えられる。(実際、オーテックという会社が有料で変えてくれる。)なのに、最悪のものを選ぶ。……というわけで、経営方針がほんのちょっとイカレているせいで、車は売れなくなる、というわけ。
 というわけで、日産は馬鹿会社となる。「百万台の売上げ増加」なんて目標が達成できなくて、四苦八苦しているようだが、当然だ。社員がいくら真面目に立派な製品を作っても、管理職に馬鹿がいると、名前と鼻を勝手に変なものにして、すべてを台無しにする。

 架空談。……芸能会社が、松嶋菜々子みたいなタレントを発掘して、売り出そうとする。「すばらしい顔とスタイル。魅力満点。成功間違いなし」と担当者は思い込む。CMで「お・ま・た」と言わせよう、と計画する。「これで大人気だろう」と。……そこへ、ゴン社長が出てくる。「なるほど。素晴らしいタレントだ」と評価して、「だったら、売り出し方はおれに任せろ」と言い張る。そして売り出し方を変更する。まず、名前と鼻を、自分が指定する。名前は彼に似ている「山田花子」をもじった「ティダ鼻子」で、鼻は自分のように気の強そうな合成ワシ鼻をくっつける。そしてテレビと新聞で大宣伝する。「ティダ、ティダ、ティ〜ダ」。
 こんな会社は、さいてぃーだ。

 [ 付記 ]
 別に日産に恨みがあるわけじゃない。日本語を無視した独善的な言語感覚を、批判している。言葉の問題だ。
 そして、欠点を指摘するのは、日産を苦しめてやりたいからではなくて、日産を救ってやりたいからだ。無料経営アドバイス。ああ、私は何と、慈悲深い親切な人間であることか。  (^^);


● ニュースと感想  (11月04日)

 前項の続き。 「日産車の商品名」について。
 日産車の商品名について、いい案が思い浮かんだので、提案しておこう。
 リバティという車の後継車があり、名前は「ラフェスタ」。例によってイタリアかぶれの名前である。たいていの人が聞いても、「フェラ」と「シェスタ」の合成語ぐらいにしか思えないかも。「シェスタ」に「フェラ」なんて、品がないですね。ま、それでも覚えてもらえばまだいいが、とうてい、覚えてもらえそうにない名前だ。
 で、私が決定的に素晴らしい名称を考案した。そのものズバリの名称だ。日産車のあの鼻を見れば、思い浮かぶ言葉は、これだ。……「ちょびヒゲ」
 ゆえに、日産車の名前は、こうするといい。「ちょびヒゲ1号」「ちょびヒゲ2号」「ちょびヒゲ3号」etc. ……こういう名前なら、顔を見て一発で覚えられる。そのものズバリ。(実車のデザインを見て、この名前と比べてくださいね。)

 いやあ、名は体を表す、というものでしょうか。あるいは、顔は性格を表す、というものでしょうか。日産のちょびヒゲ・デザインは、まさしく日産の本質を表している。つまり、「ちょびヒゲ」と同じで、「自分だけはカッコいいと思っているが、世間からは物笑いのタネ」というやつだ。
 ちょびヒゲは、チャップリンと同じ。ただし、チャップリンはわざとやっていたんですけどね。(日産もわざと笑いものになっているのかな?)
 なお、ひょっとしたら、ちょびヒゲは、ヒトラーの物真似かも。ティーダの開発者の方針は、「唯我独尊」だという。まったく、そうですね。ユーザー無視の、自分勝手な独りよがりは、ヒトラーに共通する。結果的には、狙い通りに、最低のデザインになった。見事なものだ。これほど狙い通りに開発が成功することは、めったにない。

 で、日産は、どうせデザインを変えないのなら、せめて名前を変えるといい。「ちょびヒゲ1号」にしましょう。これなら、誰にでも、ちゃんと覚えてもらえます。ブスの名前を「ブス子」にするのと同じ。すばらしい名前ですね。
 ああ、私は日産には、なんて親切なんだろう。


● ニュースと感想  (11月04日b)

 「環境保護とリサイクル」について。
 環境保護というと「リサイクル」という言葉が連想されるらしい。朝日新聞はやたらとリサイクルのキャンペーンをやる。(朝刊・特集面 2004-10-28 )
 しかし、リサイクルと環境保護とは、等価ではない。理由を二つ示す。

 (1) 帳尻
 スーパーのレジ袋を受け取らないようにして、かわりに、大きなゴミ袋を買う。これでは、何の意味もない。(ここまでは、よく言われる話。)……おまけに、ゴミ袋を買うためにわざわざ自動車でガソリンを使ったりするとしたら、かえって石油を食い尽くすことになる。
 だから、帳尻が大事だ。「右手で節約して、左手で浪費」では、帳尻はプラスになるとは言えない。帳尻を見る必要がある。ポリ袋なら、「レジ袋の分 マイナス ゴミ袋の分」である。それが正味だ。……この正味を考えると、レジ袋の節約なんて、ほとんど意味がない、と言える。たとえば、スーパーで買物をすれば、レジ袋の分は、ほんの少しだ。その一方で、さまざまな商品には、大量のポリ包装が使用されている。
 目に見えるところだけ節約する、というのでは、浅はかすぎる。猿知恵だ。(主婦知恵だ……なんて皮肉ると、非難が殺到しそうで怖いが。  (^^); )
 ま、どうせ節約するなら、自動車のガソリンでしょうね、やはり。私のお勧めは、多人数の乗れるようなRV車をなるべくやめること。週末の家族レジャーが主目的なら、それもいいが、普段の買物が主目的なら、RV車はやめた方がいい。リッターカーか軽自動車にすればよい。(昔の軽自動車だと、ガス食いだから、これもまずいが。)で、たまに週末レジャーをやるときには、レンタカーを使うとよい。地方でレンタカーが少ないのであれば、レジャーカーの共同購入をしましょう。「共同購入」って、いいアイデアですね。(「カーシェアリング」についての特集記事がある。朝日・週末版・be 青色版 2004-10-30 )
 だけど、一番のエネルギーの無駄は、冷暖房である。夏も冬もすごい。ポリ袋の節約なんて、目じゃない。ここで工夫するのが一番効果がある。リサイクルなんてのは、気構えばかりで、効果が少ない。
 なお、冷暖房のために一番効果的な方法を、私が伝授します。それは、スポーツです。毎日、ジョッギングなどのスポーツをたっぷりやりましょう。これで、冷暖房が非常に節約できます。最大のメリットは、風邪を引きにくくなること。

 (2) リサイクル
 リサイクルを進めるというと、製品を解体して原料に戻す、という形が推進されるが、それで意味があるんですかね? たとえば、ペットボトルをリサイクルして、飾り棚や花瓶にしたとしよう。それで、何か意味があるんですかね? 一つのゴミが、別のゴミ(不要品)になっただけだ。ほとんど無意味だ。もしかしたら、部屋が狭くなるだけ、かえって悪いかも。……ただの自己満足にすぎない。こういう例が多すぎる。なのに、マスコミにはしばしば、「すばらしいリサイクルの実例」という形で紹介される。
 よく考えてみよう。リサイクルなんて、いくらやっても、効果は部分的だ。たとえば、自動車を解体して、鉄やプラスチックやガラスなどを再生利用しても、それで最終的に節約できる資源は、全体のうちでは部分的だ。大半は、ゴミに消えたり、回収費用・回収エネルギーの形で消えたりする。
 リサイクルよりも、ずっと効率の高い方法がある。リユース(再利用)だ。たとえば、自動車を中古車の形で再利用する。故障したら、故障した部品のみ取り替える。この形だと、製品寿命が延びる。たとえば、自動車を十年で廃車にするかわりに、十年目に中古部品を組み合わせて延命してやり、20年使うことにする。寿命が2倍になるということは、製品の数が半分になるということだから、使用する資源総量は2分の1に激減したことになる。また、20年目に解体する時点で、リサイクルすれば、もっと良くなる。
 上記の記事によれば、自動車の解体の率は、8割にもなる。海外で中古車として生きる分が2割。これを増やす方がいいと思うんですけどね。
 海外の人が日本に来て驚くのは、「日本では新車ばかりが走っている」ということ。米国を含めて、外国では、十年選手ぐらいの中古車がいっぱい街中を走っていることが多い。日本でリユースできなければ、海外でリユースを。……その方が、自動車だって、幸福です。解体されるよりはね。
 「製品を解体してリサイクルを!」という硬直した思考を、解体して再構築しよう。

 [ 付記 ]
 農業の話。リンゴがまるまる赤いのは、昔は地面に銀色シートを敷いていたせい。今はさらに、「樹上の葉っぱを全部刈り取る」のと、「リンゴを袋で覆う」のと、二通りの手間をかけている。
 袋入りは、1個ずつ1万個以上もやるので、ものすごい手間だそうだ。で、袋入りだと、色は良くなるが、味は悪くなるのだそうだ。それでも、色がいいという理由で、値段は倍になるという。消費者に間違った知識が出回っているので、見てくれで選ばれる結果、こうなるという。(朝日・夕刊・2面 2004-10-28 )
 馬鹿らしいですね。おまけに、袋だけでも相当な数が無駄になる。資源の無駄。主婦たちは、レジ袋を節約する一方で、リンゴ袋を無駄にする。……これが、賢明な(?)主婦の発想。
( ※ ついでだが、私は甘いだけのリンゴは嫌いだ。酸味がなくちゃね。ちかごろ、甘ったれた果物ばかりがはやりすぎる。けっ。)
( ※ なお、「小泉の波立ち」は、辛口です。激辛だ。ハバネロより辛い。甘口好みの子供や主婦には向いていません。)


● ニュースと感想  (11月04日c)

 「プロ野球参入の談合」について。
 楽天の参入とライブドアの排除が決まった。出来レース。談合みたいなものですね。
 だいたい、品格を問うのであれば、西武・読売・横浜・阪神はどうなのか? 西武は、株式問題で、とんだ犯罪行為をしていたと判明した。読売・横浜・阪神は、ドラフト候補への金銭供与で、プロ野球憲章に反していた。
 また、経営力を問うのであれば、西武・ロッテ・オリックス(ダイエーも?)は、どうなのか? いずれも「このままじゃやっていけない」と言っていた。だったら、これらの企業も、近鉄同様、追放してしまえばよい。
 私の案は、こうだ。西武・ロッテ・オリックスを「経営力不足」として追放する。かわりに、新規参入を三社。楽天・ライブドアと、あと一社。(あと一社は、Yahoo ではなくて、放送局系や有線事業社などがすでに名乗りを上げている。Yahoo は品格で落選。あるいは、西武・ロッテ・オリックスが合併してもいいけどね。)
 とにかく、西武・ロッテ・オリックスを「経営力不足」として追放するべきだ。これらの企業を残しておくと、禍根を残す。自分自身が「2リーグ制ではやっていけない」と主張していたのだから、自分の言葉に責任を持つべきだ。さもなくば、嘘つきですよ。

 [ 付記 ]
 読売およびそのシンパは、「経営の安定性を」と主張して、「ライブドアだと経営に不安がある。倒産してチームが消滅したら大変だ」と述べている。(読売・朝刊・スポーツ面 2004-11-03 )
 新聞たるもの、こういう嘘八百を書かないでほしいものですね。ライブドアの場合、「倒産するとチームが消滅する」というのは、かわりの社がいない場合に限られる。今回は、楽天がいるのだから、ライブドアが倒産しても、チームが消滅することはない。だから、「ライブドアに任せて、もしライブドアが倒産したら、楽天などにチームを渡す」ということも可能なのだ。つまり、「経営の安定性」など、まったく不要である。
( ※ そもそも、ライブドアは黒字を出しているのだから、他人がいちいち心配をしてやる必要はない。経営不良の会社が、経営優良の会社の心配をするよりは、自分たちの足元を見た方がいい。ダイエー、西武、ロッテ、みんな駄目ではないか。「あの人、危ないよ。足元が崩れるかも」なんて心配しながら、自分自身の足元が崩れている。愚の骨頂。)

( → 11月01日b では、「新規参入に入札制」という案も掲げた。)


● ニュースと感想  (11月05日)

 「談合の方法」について。
 談合はもちろん悪である。警視庁への納入品でも談合があったとして、問題となった。(各紙・夕刊・社会面 2004-11-01 )
 ところが、である。合法的な談合というのがあるようだ。その手口は、次の通り。
 各社がバラバラで相談すると、談合になる。そこで、ダミー会社を用意する。ダミー会社だけ(1社だけ)が応札して、高額で受注する。そのあと、ダミー会社をトンネルして、下請けの形で各社に発注する。これで談合が実質的に成立する。
 ダミー会社以外の第三者が受注する、ということも考えられる。その場合、第三者が受注しそうになるが、ダミー会社も値引きするから、第三者は結局、損をする。で、第三者も、ダミー会社に参加する。
 これぞ、合法的な(?)談合。カルテルと同然。まともに考えれば違法だが、公取も政府も摘発するどころか容認する。

 さて。こういう悪質なことをする悪徳会社は、どこの企業か? 土木の談合まみれ・泥まみれの、汚い会社か? いや、日本を代表する、ハイテク企業だ。実名を上げる。
 NECと、日本IBMと、日立製作所だ。受注額は700億円。例の e-Japan 計画の受注。国税庁の大型コンピュータ入札。
( ※ 記事は、朝日・朝刊・経済面 2004-10-31 。だけど、「談合」なんて、書いてない。朝日はいつも大甘だ。悪口がいっぱいで辛口なのは、私だけ。)


● ニュースと感想  (11月05日b)

 「米国大統領選」について。
 ブッシュ勝利。ケリー敗北。
 で、その理由は? 私の判断では、前回のゴアと同じ。どちらもただの秀才で、カリスマ性がない。これじゃ、朴訥な田舎の米国人には受けません。
 ケリーは、ブッシュ側に批判されても、まともに反論できない。「コロコロ政策を変える」と言われて、「優柔不断」とのレッテル張られる。打たれっぱなしで、反攻できず。私だったら、「臨機応変だ。頭の固いブッシュとは違う。自分の馬鹿さを威張るな」と逆襲するんですけどね。
 
 で、ブッシュ当選の根本原因は? そもそも、ケリーなんて、東部のエスタブリッシュに受けているだけで、米国全体の支持を得るのは困難だった。なのに、予備選の初期の時点で、民主党のリベラル勢力が、ケリー支持に一本化して、ケリーに決めてしまった。これが大失敗。
 「予備選で圧勝すれば、本選でも圧勝できるだろう」というのは、大いなる錯覚である。予備選というのは、そもそも、勝つか負けるかが大事なのではなくて、最強の候補を選択する場だ。そういう場で、勝手に介入すれば、最強の候補が選ばれず、党本部に受けのいい候補が選ばれてしまう。それがケリーだ。
 党本部には受けの良くなかったエドワーズなら、ブッシュに対抗して当選できたはずだ。党本部(というよりそこに巣くう連中)の「介入」こそ、ブッシュ当選の決め手となった。「競争の場における余計な介入は最適化を妨げる」という見本。
 党本部の勢力は、「最適の選択がなされる」という場を整えればよいのであって、「これこそ最適」と勝手に決めつけると、事態を悪化させるだけだ。その見本が、今回の選挙。

 なお、クリントンの場合には、このような介入はなかった。アーカンソー州なんていう(島根県みたいに)ちっぽけな州の知事だったクリントンは、泡沫候補みたいなものだったが、党中央の勢力からの干渉がなかったので、自然に競争を生き延びることができた。このとき、今回みたいに、「こっちの候補の方が有名で有力だ。クリントンなんていう泡沫候補は、どうせ勝てっこないから、つぶしてしまえ」なんていう力が働いていたら、クリントンは当選しなかっただろう。
( ※ 党中央の勢力からの干渉というのは、「談合」ではないけれど、談合と似たような効果がある。いずれも最適化を阻害する。)


● ニュースと感想  (11月05日c)

 「韓国ブーム」について。
 韓国ブームということで、冬ソナのヒロインであったチェ・ジウや他の女優について、特集記事があった。(朝日・日曜版 2004-10-31 )
 ま、それはいいですけどね。韓国の女優といえば、チェ・シラこそ、絶世の美女です。今はもうちょっと年を食ってしまったし、人妻になってしまったが、十数年前なら、韓国の女優として女王としてふるまっていた。日本で言えば、吉永小百合の全盛期に相当する。チェ・ジウは、松嶋菜々子みたいなものでしょう。スケールはずいぶん小さい。
 昔のチェ・シラの特集をするマスコミはありませんかねえ。私の美人判断は絶対に的中します。松嶋菜々子も、CMで「お・ま・た」を見た瞬間から、ピンと来たし。ハセキョーや藤原紀香も同様。一般に、私が指摘してから一年後に、大化けする。
( ※ 日本人で次に大化けする女優は? ハセキョーのあとは見つかっていません。新人を待つしかないですね。)


● ニュースと感想  (11月06日)

 「新札発行と経済効果」について。
 新札発行にともなって、「タンス預金が、株式投資・不動産投資・銀行預金に向かうと、景気が回復するかも」という意見があちこちに出ている。
 呆れますね。こういうのを「風が吹けば桶屋が儲かる」という。では、正しくは?
 株式投資・不動産投資は、多額の資金が必要だ。家庭に眠るタンス預金では、買えません。なお、脱税している人は、数千万円のタンス預金をこっそり金庫に隠しているが、そういうひとは、株式投資や不動産投資には金を回しません。(やれば国税庁に把握されて、脱税が発覚する。)
 銀行預金は、可能だ。しかし、たとえ銀行預金が増えても、もともと金余りだから、投資拡大の効果はありません。金融市場で眠る金が増えるだけだ。(タンス預金をあえて出さなくても、日銀がすでにたっぷりと出している。)

 結局、冒頭の理屈は成立しない。なのに、古典派はマクロ的な知識がないので、こういう「風が吹けば桶屋が儲かる」というエセ論理を、やたらと吹聴する。ひどいものです。これが今の経済学の現状だ。
( → 10月16日 経済学のデタラメ )


● ニュースと感想  (11月06日b)

 「新札発行の意義」について。
 新札が発行された。見ました。世評とは違って、あまり代わり映えはしませんね。ま、それはいいんですけどね。
 さて。新札騒ぎのさなかで、一人だけ、蚊帳の外になっているのがいますよ。「わしを忘れないでくれたまえ」と叫んでいる。それは「二千円札」です。「わしの肖像を知っているかね?」と訴えていますよ。

 で、私としては、「こっちこそ早く普及してほしい」と思う。では、なぜ? 理由を示そう。
 たとえば、1万円で買って、お釣りをもらうと、千円札で9枚返ってくる。財布がとたんにふくらむ。二千円札が普及すれば、9枚でなく5枚で済む。財布がふくらまない。これがメリット。(特に薄っぺらな札入れをもつ男性にとって。)
 どこかの誰かが、「二千円札よりも千円札の方が便利だ」と主張していた。しかしこれは、とんでもない勘違いだ。二千円札は千円札のかわりにあるわけじゃない。二千円札が出ても、千円札が廃止されるわけじゃない。二千円札は、現状に追加されるだけだ。
 二千円札は、しいて言えば、あってなきのごときである五千円札のかわりである。五千円札の市場流通率は、4%程度であって、存在しないのも同様とも言えそうだ。
 一方、日本でなく外国なら、二千円札と同等程度の紙幣は、非常に多く流通している。「千円札ばっかり」なんていう日本の現状とは大きく異なる。

 私が思うに、「二千円札よりも千円札の方が便利だ」と主張する人は、1万円札を使わない人だと思う。小銭ばかり使う主婦や子供。一方、サラリーマンは、財布に万札を数枚入れているだけ、というのが普通だ。小銭で足りない買物をするときは、万札で払って、千円札でお釣りをもらう。9枚だと、いやですよね。
 なお、「二千円札だと、額面が大きすぎて不便だ」と言う人もいるだろう。それは、たぶん、300円ぐらいのおつかいしかしないガキだと思う。
( ※ 自販機の問題は? 新型紙幣への切替があるから、千円札も二千円札も同じこと。)

 で、私がこういうことを書く理由は? 「人々は頭が固い。便利かどうかよりも、慣れているかどうかで物事を決める。新しいもの受け入れたがらない。保守的である」ということだ。
 だから、馬鹿でアホなブッシュが当選してしまうんですね。

 [ 付記 ]
 ついでに言えば、似た話は、他にも例がある。それは、消費税の表示だ。
 「内税は駄目、外税がいい」なんて言っていた人が多いが、やはり、総額表示つまり内税は便利です。おかげで、端数が楽になった。今の商品はたいていが 「298円」みたいな価格になっている。千円札でお釣りを受け取っても、お釣りは 702円で、問題ない。以前だと、「298円プラス税」みたいな価格になっていた。千円札でお釣りを受け取ると、お釣りが 688円みたいな半端な額になって、小銭がじゃらじゃら。めんどくさいったら、ありゃしない。
 また、「外税は、支払いのたびに痛みを感じるので、その方がいい」と言う人もいたが、私はマゾじゃないので、いちいち痛みなんか感じたくありません。痛みを感じたい人は、その人だけが、支払いのたびに、ゲンコツでぶん殴ってもらえばいい。あるいは、鞭でピシッと打たれればいい。私は痛みを感じたくないので、私をマゾごっこの巻き添えにしないでほしいね。
( → 8月13日 にも、内税・外税の話。)


● ニュースと感想  (11月07日)

 「二千円札と五千円札」について。
 前項で述べた「五千円札の市場流通率」は、読者から情報によると、4%程度だという。額面でも枚数でも、ほぼそのくらい。というわけで、前項の記述を少し修正した。
( ※ なお、細かな数値を調べても、あまり意味はないと思う。新札発行後に、二千円札の流通が増えて、勢力は変動するはずだから。)

 [ 余談 ]
 ついでに、「二千円札と五千円札のどちらがいいか?」という問題に、私なりの答を与えておく。暇つぶしのムダ論議。論理遊び。(読む必要はありません。)

 (1)便利度
 「二千円札と五千円札のどちらが便利か?」
 という問題がある。これを考えよう。
 便利さから言うと、比率が等分であるのが最も便利だ。となると、千円札と1万円札の中間は、三千円ぐらいのお札が最適だ、ということになる。しかし、三千円札というのは、3が10の約数になっていないので、割り切れなくて、不便だ。たとえば、三千円札を三枚でも、1万円にならない。だから、約数から取ることにして、二千円か五千円となる。
 このあとは、二千円札と五千円札で、たいして違わない。ただし、頻度を考えると、日常の買物は千円前後のことが多いから、五千円札よりも二千円札の方が出番は多くなる。二千円札の方が多く使われるだけ、「便利だ」と感じられる機会は多くなるわけだ。ここでは、頻度が重要である。
( ※ 場合分けして便利さを比較するだけでなくて、それぞれの場合がどのくらいの頻度で起こるかが重要となる。五千円札の方が二千円札よりもずっと便利な場合があるとしても、五千円札の方が利用機会が少なければ、便利さが現れる回数が減るので、効果が減る。)

 (2) 流通度
 五千円札が利用される回数が少なくなると、流通する五千円札の総数が減る。となると、「五千円札はなかなか便利だ」と思っても、肝心の五千円札が手元にないことになる。
 実は、これが、最大の問題だ。私としては、二千円札でも五千円札でも、どっちでもいい。しかるに、現実には、五千円札はろくに流通していない。これは、日銀が制限しているというよりは、市中にニーズが少ないからだ。というのも、たいていの場面では、千円札で足りるからだ。だから、
 「二千円札と五千円札のどちらが便利か?」
 という問題は、あまり意味がないわけだ。むしろ、
 「どちらが流通するか」
 の方が、重要となる。

 (3) 問題の意義
 さて。ここで、最初から、問題を考え直してみよう。
 五千円の場合、千円との比率が5倍で、1万円との比率が2倍。だから、千円札とはあまり競合せず、1万円札と強く競合する。五千円札が多く流通した場合、千円札はあまり影響を受けず、1万円札が影響を受ける。(とはいえ、1万円札は最高額紙幣だから、きわめて強い。となると、五千円札は、負けてしまう。)
 二千円札だと、どうか? 千円札と競合する。二千円札が増えると、千円札が減る。とはいえ、千円札は、もともと莫大に流通している。二千円札が1枚増えると、千円札が2枚減る。となると、二千円札というのは、けっこう流通していていいことになる。
 ここまで考えると、問題の所在がはっきりする。
 「二千円札と五千円札のどちらが便利か?」
 というのは、問題として、不適切なのだ。なぜなら、両者は、同じ土俵の上で争わないからだ。二千円札は、五千円札と競合するのではなくて、千円札と競合する。二千円札の利便性を問うときには、「二千円札があると、五千円札が少なくなって不便になる」という批判は、成立しない。なぜなら、五千円札は(二千円札の有無に関係なく)もともと少なくて不便だからだ。二千円札の利便性を問うのであれば、五千円札を無視して、「二千円札があるのと、二千円札なしで千円札だけなのと、どっちが便利か」と問うべきだ。
 たとえば、1万円札(または五千円札)で買物をしたとき、おつりとして千円札を9枚(または4枚)もらうのと、二千円札でもらって枚数がほぼ半減するのと、どちらがいいか? そういうふうに考えるべきだ。「1万円札で買物をして、おつりを五千円札1枚と千円札4枚」なんて考えても、駄目である。五千円札はろくに流通していないのだから。

( ※ 本項の話は、統計のパラドックスドックみたいな問題である。数学的ですね。たいていの人だと、こう考える。1万円札で買物をしたとき、おつりを「五千円札1枚と千円札4枚」にするのと、「二千円札4枚と千円札1枚」にするのでは、どちらが便利か、と。……しかしながらそこには、「五千円札が存在する」という暗黙裏の前提がある。その暗黙裏の前提が成立しない、というところに、パラドックスの原因がある。)

 [ 補足 ]
 ついでに補足しておこう。「日常的に一番よく保有される紙幣」というのは、人それぞれだろう。一方、「日常的に一番よく使用される紙幣」というのは、まず間違いなく千円札だろう。両者は同じではない。
 後者は、たとえば、昼食代金や、スーパーの買物代金など、日常生活費(日常雑費)の支払い用途である。ここでは、千円札が多く使用されているはずだ。二千円札が取って代わることも可能だ。
 一方、五千円札というのは、保有されることはそこそこあるが、使われることは少ない。財布のなかに入っている日々は多いかもしれないが、財布から出ていく機会が少ない。たとえば、昼食代は普通は千円以下だろうし、書籍代は二千円以下だし、映画やCDも二千円前後だ。出番は千円札ばかり。五千円札は出番のない役者みたいなものだ。
 ついでに言えば、五千円札を入手するのは、かなり困難だ。お釣りでもらうことは、かなり稀だ。通常、自分で銀行で両替するしかない。面倒ですね。私は昔、そうしていましたが、今では面倒で(銀行の両替で待たされるので)、やめました。二千円札がもっと普及してほしいですね。

( ※ 要するに、五千円札が多く普及してくれれば文句はないのだが、五千円札が多く普及するはずがない。理由は、出番が少ないから。原理的に、五千円札が普及することはありえない。そこが問題。で、対案が、二千円札であるわけだ。二千円札が五千円札の領分を奪うのではない。五千円札が引っ込み思案すぎるから、かわりに二千円札がしゃしゃりでるわけだ。それで勢力が減るのは五千円札でなく千円札である。……でもまあ、不人気の根暗なやつは、「自分が不人気なのは自分のせいだ」とは思わずに、「あの人気者が出たから、自分は不人気になったんだ」と逆恨みして、「何とかして、新顔の人気者の足を引っ張ってやろう」と悪口を言う。二千円札の足を引っ張ったって、五千円札の人気が出るわけじゃないのにね。今は誰もが貧乏なんですから。……ま、バブル期なら、五千円札でランチを食べることも多かったでしょうけど。)
( ※ そう言えば、南堂ってやつも、根暗ですねえ。前項では、女子供を馬鹿にするようなことを言って、性格悪いね。本人は冗談のつもりらしいが、性格がイヤミなんだよ。まったく。)


● ニュースと感想  (11月07日b)

 「自衛隊の災害派遣の計画」について。
 次の関東大震災に備えて、自衛隊が災害派遣の計画を立てている。24時間以内に2万人を投入し、72時間以内に7万人を投入する、という。読売のスクープらしい。(読売・朝刊・1面 2004-11-06 )
 新潟の地震の件で、私はさんざん自衛隊の問題をあげつらってきたが、ようやく防衛庁も腰を上げたようだ。ま、それはそれでいい。ようやく、新潟での失敗を認めたのだろう。
 一方、マスコミは今まで、何をやっていたんですかね。「自衛隊は頑張りました」なんて言う記事はさんざん書いてきたくせに、「人手不足で被災者が困っている」という話は書いても、「自衛隊が働け」という指摘は書かなかった。朝日は自衛隊を働かせたくないから黙っているし、読売は自衛隊をけなしたくないので黙っている。どっちも自分の都合で黙っている。で、被災者が見殺しだ。仕方がないから私が声を上げているけれど。……どうも、マスコミってのは、報道をしないために存在しているらしい。

 さて。今回の自衛隊の計画でも、一番肝心の点が抜けている。「知事の派遣要請を受けて」ということだ。現実には、派遣要請には、大幅に手間取るはずだ。まず、電話も携帯電話も、なかなか通じにくくなる。たとえ通じるとしても、知事が決断を下しまでに、部下の意見を聞いたりして、時間がかかる。さらには、知事はケガをしているかもしれないし、死んでしまったかもしれない。……いずれにせよ、「地震が起こった直後に行動」なんてことは、ありえない。で、その間に、家につぶされた人々が、どんどん死んでいく。阪神大震災でも、「最初の数時間が決め手」と言われたのに、その最初の数時間を、ただただ「知事からの派遣要請を待つ」ことでつぶしてしまう。
 馬鹿げた話だ。自衛隊の無為無策を正当化して、地震のときに莫大な死者が出るのを放置する。その一方で、「テポドン怖い」と叫んで、ミサイル防衛網のために、一兆円を無駄につぶす。呆れますね。
 いったい、自衛隊というのは、何のためにあるのか? テポドンを見ながら、シューティング・ゲームみたいなお遊びをするためか? イラクに出向いて、ブッシュのご機嫌取りをするためか? 国威発揚のためか? ……どれであるかは知らないが、「国民の命を救うため」でないことだけは、確かだろう。たぶんね。


● ニュースと感想  (11月08日)

 「震災への寄付金」について。
 震災への義捐金(ぎえんきん)として、韓国の女優 チェ・ジウが、1万ドルをプレゼントした。(朝日・朝刊・第三社会面 2004-11-06 )
 偉い。ただの浮ついたタレントじゃないのね。

 そこで、私の格言。
 「善行は隠さずにやれ」
 隠れてやっても、世間にはわからない。堂々と発表すれば、「じゃ、自分も遅ればせに」と釣られる人も出てくるだろう。世間の重い腰を上げる効果がある。
 企業も、堂々と、寄付金を出してもらいたいものですね。企業は、慈善活動を広告で宣伝する必要はないが、「これだけの金を出しました」と発表するべきだし、新聞は報道するべきだ。そのことで、釣られて寄付される金が増えるし、また、被災者は感謝できる。(私だったら、もらったら、感謝したいですね。「もらいっぱなしで、相手の素性がわからない」というのは、困ります。)
 ま、企業も、ときどき発表しているし、新聞もときどき記事にしている。ただし、たいていは、すごくケチで、チェ・ジウには及ばないが。トヨタなんか、先日、目のくらむようなものすごい利益を出したが、すごいシブちんだ。……もしかして、あまりにも小額なのが恥ずかしくて、声を大にできないのかも。
( → 11月01日d

 [ 付記 ]
 ちなみに、私の善行も大々的に公開しておこう。それは、えっへん……なにもないです。(消え入りそうな声。)


● ニュースと感想  (11月08日b)

 「日産の新車」について。
 私がさんざん悪口を言った「ティーダ」が結構売れている。(朝刊・経済面 2004-11-06 )
 「なんだ、南堂の言ったことは当てにならないな」なんて思うなかれ。数字をよく見てください。ティーダが売れた分、日産のマーチとキューブが売れなくなった。日産車のなかで共食いしているだけだ。何やっているんですかね。馬鹿丸出し。
 新車効果が薄れたあとでは、日産全体では減少しているかも。

 [ 付記 ]
 日産はさんざん威張ってふんぞりかえっているが、「百万台増加」の公約は達成困難。その一方で、トヨタは低姿勢のまま、ネチネチ喜ぶ。「この5年間で、日産自動車1社の分、生産台数を増やしたぞ。うひひ」と。
 なるほど。商売上手。金儲けはトヨタがうまいね。

  【 追記 】
 ティーダの購入者は、50歳以上が全体の55%だという。(10発売の「CAR AND DRIVER」誌による。)
 年寄りにしか、受けないわけ。若者には見向きもされない、というのに近い状態か。「ティーダはカッコいい」と思うかどうかで、あなたのジジイ度を計れる。


● ニュースと感想  (11月08日c)

 「西武球団の身売り」について。
 西武球団が身売りしているという。(夕刊・各紙 2004-11-06 )
 どうせマスコミは、「パリークの球団経営は成り立たない」なんていう意見を掲載するのだろうが、だまされてはいけない。仮に、その意見が成立するのであれば、身売り価格はゼロであり、かつ、ゼロでも引き受け手がいない、ということになる。(無価値であれば、ゴミ屑と同じで、価格はゼロになる。)
 現実は、違う。二百億円ぐらいの値段を付けている。ま、この値段になることはありえないが、それでも、五十億円ぐらいなら妥当だろう。そのくらいの価値はある。
 ということは、五十億円ぐらいの価値があるわけだから、「パリークの球団経営は成り立つ」ということだ。経済学的に、そうなる。
 報道にだまされないように注意しよう。

 たとえ話。
 ティファニーで、ものすごい大型のダイヤモンドが、五十億円で売りに出た。それを見て、マスコミは報道した。「大型ダイヤモンドが、身売りに出された。ゆえに、大型ダイヤモンドには、何の価値もないのである。ダイヤモンドなんてものには、まったく商品価値がないのだ。ダイヤモンドは、ガラス玉と同じだ」
 馬鹿丸出し。

 [ 付記1 ]
 楽天の選手構成を見ると、オリックス・近鉄の売れ残りだけ。大リーグ流に「戦力均衡」のための選手拠出をするべきだが、楽天が申し出たが、既存球団側が拒否した。
 これも、馬鹿丸出し。来年度、パリーグの楽天戦の試合は、閑古鳥が鳴く。他球団の主催試合では、「楽天と戦うゲームなんか馬鹿らしい」と感じて、客が見ない。楽天の主催試合だけは、仙台のファンが物珍しさゆえに勝ち負けに関係なく観戦してくれる。というか、やっと来てくれた球団だから、どんなに負けても、観戦してくれるだろう。札幌でも九州でも、やっと来てくれた球団は愛された。「強くなくちゃ駄目」なんて思うのは、ナベツネだけだ。
 要するに、パリーグの各球団の経営が成り立たないのは、自分で自分の首を絞めているから。馬鹿丸出し。

[ 付記2 ]
 本質的に言えば、球団の売買など、ただの商取引であるから、いちいち騒ぐことはない。流通業が衰退して、IT産業が栄える、という歴史的な盛衰に従うだけだ。プロ野球が消えてしまうわけではない。球団の買い手は、いくらでも現れるだろう。
 買い手とは? そもそも、一番有力なのは、ケータイ会社だ。莫大な資金をもっているし、球団保有による宣伝効果はすごい。au や ボーダフォンは、中高年向けの知名度上昇のためにも、球団保有をした方がいいだろう。なんでそうしないんですかね? その一方で、やたらと無駄金を使って、街頭でうるさい宣伝をしている。邪魔くさい。
 ついでに言えば、au とかボーダフォンとか、ひどい社名を変えた方がいいと思うんですけどね。少なくとも、ブランドぐらいは変えた方がいい。au なんて、日本語じゃない。黄金 Au のまがいもの、という意味ですかね。(ローマ字読みで「会う」または「英雄」のつもりかも。田舎の小学生のセンスで。) ボーダフォンも「boda」でなく「voda」であるから、わかりにくい。「Jフォン」の方がずっといいですね。ブランドぐらいは、こっちに戻した方がいいと思うんですけど。あるいは、せめて、「暴駄フォン」にすべきだ。それなら日本語になって覚えやすい。  (^^);  

 [ 参考 ]
 前に横浜ベイスターズを「市民球団」と書いたが、これは不正確でした。訂正します。
 TBSが株式の54%をもっているので、一応は、TBSが親会社です。横浜市も株式をもっているはずだが、過半数ではないので、ここでは、「市民球団」と見なすのは不適切でしょう。


● ニュースと感想  (11月08日d)

 更新の日付について。
 「更新の日付が1日ずれているぞ」とお思いの方も多そうですが、……

 すみません。雑誌の早付け日付と同じです。前日にアップします。
 なお、更新時間は、一定しないとお考え下さい。私の都合で、早くなったり遅くなったりします。(遅いときには、アップするのは、当日の朝になります。)

 お読みになるのに、お勧めの時刻は? 夜分です。会社からの帰宅後に、翌日の新聞のかわりに、「小泉の波立ち」をご覧ください。
 ただし、私が酔っぱらっていると、夜になってもまだ更新されていないこともあります。
(なお、午後に訪問なされる場合、まだ更新されていないことがあります。更新時間は気まぐれなので。)







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