[付録] ニュースと感想 (78)

[ 2004.11.17 〜 2004.12.12 ]   

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      12月28日 〜 1月08日
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    2004 年
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         11月17日 〜 12月12日

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● ニュースと感想  (11月17日)

 「最近の景気」について。
 最近の景気は腰折れしつつあるようだ、としばしば報道されている。(12日ごろの新聞各紙。)
 ま、そんなことは、私がずっと昔から何度も指摘してきたことだ。「持続的な成長のためには、所得の増加が必要だが、それがない。今のちょっとした景気回復は、外需主導のものにすぎないから、まもなく腰折れする」と。
 
 マスコミは相も変わらず、「景気回復の調子が心配だ」なんて書いているが、ひどい事実錯誤だ。景気というものは、意思を持たない。人間や動物のように意思をもって、上がったり下がったりすることはないのだ。
 景気は、台風の進路と同様で、気まぐれに動くように見えても、何らかの根拠ゆえに、上がったり下がったりするだけだ。気まぐれで動くわけではない。ちゃんと変動の根拠がある。だから、その根拠をはっきり知ることが大切だ。
 では、今現在ではどうか? 「所得の増加」がないのだから、景気が上昇するはずがない。そう悟るべきだ。

 景気診断と称して、「上がるか下がるか、景気の先行きを予測する」というのは、ただの占いと同じである。根拠なしに、自分の勝手な憶測に従って、勝手に判断する。
 テレビの朝の番組には、星占いや花占いなど、いろいろと占いがある。これらの占いは、当たるも八卦、当たらぬも八卦。だいたい、五分五分だ。とすれば、経済学者よりは、ずっと正しい。古典派経済学は、事実とは正反対のことばかり主張しているからだ。
 三年ほど前は、「構造改革で景気回復するだろう」と楽観的に予想し、ここ半年ぐらいも「最近は景気回復基調にあるから日本は不況を脱しつつある。このまま景気は回復基調が続くだろう」なんて楽観的に予想していた。そのあげく、予想がはずれたといって、今になってあたふたとしている。……どうせ予想するなら、子供の下駄占いの方が、よほどマシである。

 [ 付記 ]
 景気には、「気まぐれ」な要素がないわけではない。突発的な事件の影響というものは、気まぐれに発生する。
 昨今の「外需の急増」というのも、これに近い。とすれば、「景気は回復しつつある」と思えたことの方が、「基調」ではなく、「気まぐれ」であったことになる。
 たとえ話。好きな女にアタックしたら、「来週ならデートしてもいいわよ」と言われた。そのあと数日間、ちょっとおしゃべりすることも、何度かできた。竹中くんは大喜び。「すげなかった彼女はとうとう僕を好きになりつつある。彼女の愛を得る基調にある」と。ところが、数日後、彼女はすげなくなった。(本命の彼氏と仲良くするため。)すると竹中くんは、がっくりして、こう考えた。「彼女の愛を得る基調にあったのだが、この基調は腰折れした」と。……彼はまったくわかっていない。女の軽い遊び心なんてのは、「気まぐれ」なのだが。モテない男というのは、困りますね。勘違いして、やたらと楽観主義になる。

( ※ 景気診断の話は、数日後の箇所にも。 → 11月22日


● ニュースと感想  (11月18日)

 「成果主義」について。
 成果主義を先んじて実施した富士通のてんまつ。結果的に、どうなったか? IT各社がここのところ業績改善をしたのに、富士通だけが一人負け。おまけに、社員が「富士通は成果主義で失敗」という趣旨の本を出版して、20万部のベストセラーになる始末。(読売・朝刊・特集面 2004-11-15 )
 「成果主義なんかやったって駄目」ということは、私もこれまで何度も指摘してきた。その結果が実証された、と見ていいだろう。

 原理的に考えよう。そもそも、「競争で最適化」なんてことはありえない。それは経営をサボる口実にすぎない。では、正しくは? 「全体の最適化」だ。つまり、一人一人が勝手に競争し合って、たがいに共食いみたいにつぶしあっても、社内は向上しない。それよりは、社内の仕事の環境を改善して、各人が自分の能力を発揮できるようにするべきだ。経営とは、そういうことである。
 逆に、「競争による最適化」を唱える経営者は、「自由放任による最適化」を唱えているわけで、「経営は無為無策が正しい」と主張していることになる。自らの無能を正当化しているだけだ。

 では、「成果主義」は、まったく悪いのか? 「悪平等」がいいのか? もちろん、そんなことはない。仕事の出来映えをある程度、正当に評価するのは、当然である。社会主義的な悪平等など、ちっとも良くない。(見本は公務員。)
 では、正しくは? 
 ここで、私なりの「正しい成果主義」を示そう。下記の通り。
  1.  評価は公正にする。恣意的にしない。(ここまでは当然。)
  2.  前項の目的を達するために、「上司による評価」を一切、排除する。すなわち、「勤務態度」などの評定をなくす。かわりに、外部からの「客観的な評価」のみを評定する。外部からの「客観的な評価」のできない項目については、評定しない。(セールスマンならば、「販売台数」ぐらいだけを評定する。客観的な数字になるものだけが評価対象。)
  3.  原則として、「減俸」は実施しない。「増額」だけを実施する。しかも、これは、青天井だ。
  4.  給与への反映だけでなく、昇格についても、成果主義の精神を取り入れる。ただし、ここでは、上司による「推薦」を重視する。ただし、「上司による低評価」を部下が拒否するために、「社内転職」を自由化する。
  5.  重役もまた、評価の対象となる。業績悪化をもたらした重役は、さっさと降格させる。
  6.  当然、若手を重役にどんどん登用し、老人重役をどんどん降格する。
  7.  結局、「成果主義」をまともにやるなら、ちゃんと若手を昇進させることだ。米国や台湾のIT企業では、30代ぐらいの重役が続出しているのに、日本のIT企業では、60代ぐらいの重役がそろっている。こういう現実を変えることこそ、大切だ。「ちょっと給料を上げたり下げたりするさじ加減」なんかではなくて、まともに昇格させるべきだ。また、下っ端社員を評価するより、重役をこそ評価するべきだ。特に、駄目な重役は、はっきりと降格させるべきだ。
 こういうことをやれば、社内も活性化するだろう。ちなみに、富士通は、どうだったか? 以上のうち、一つもやっていないようだ。正反対のことをやっているようだ。……これじゃ、業績悪化も、当然だ。
( ※ 成果主義 → 11月27日 , 12月04日b , 3月24日c3月16日b )

 [ 付記 ]
 日産自動車の業績改善について、「ゴーン社長が社内の環境を改革し、活気あふれる職場にした」という記事がある。(日産のフーガが馬鹿売れ、という記事。週刊現代か週刊ポスト。今週発売されたばかりの号。)
 日産再生のカギは、「社内活性化」であったわけだ。日産は、なすべきことをちゃんとやったから、業績が改善したわけだ。

 [ 余談 ]
 日産は、幸運だった。ゴーン社長が来たからだ。ただし、最大の幸運は、産業再生機構が担当しなかったことだ。
 もし産業再生機構が担当していたら、ゴーン社長が来るまでもなく、産業再生機構が自分で勝手に処理していた。とすれば、「社内活性化」なんて、絶対にやらなかっただろう。かわりに、「組織の切り売り」と「資産の切り売り」だけをやっていたはずだ。なぜ? 連中がせっせと勉強した米国のMBAの課程では、それだけを教えるからだ。
 で、その方法を、前はカネボウに適用し、今度はダイエーに適用しようとしているわけ。哀れなカネボウとダイエー。……ひょっとしたら、そのうち、「成果主義」を取り入れるかも。そのあげく、全員が減俸だ。ただし、産業再生機構の職員だけは、減俸にならない。彼らだけは、公務員だから、成果主義の適用外だ。
 産業再生機構を、産業再生機構によって、解体するべし。
( ※ 産業再生機構 → 10月15日 , 10月17日 )


● ニュースと感想  (11月19日)

 「進化論と環境」について。
 18日のNHKの番組で、進化論の話。サーベルタイガーの絶滅の謎について、「絶滅したのは環境に適応できなかったから」と述べているそうだ。(同日の朝日・番組欄・予告記事より。)
 しかし、絶滅について、何でもかんでも「環境のせい」と決めつけるのは、NHKの悪い癖だ。サーベルタイガーの絶滅については、諸説紛々である。私としては、次の説にかなり共感する。「人類による殺戮」である。( → 該当サイト
 およそ400万から200万年前に人類が現れてからは、絶滅の速度が変わってきたことがわかっている。ことに現代人の祖先であるクロマニョンが現れてからは、大型哺乳類が次々と滅んだ。……初期の人類は火を使って環境を破壊し、生物を殺しまくったと考えている。
 3万から1万年前のヨーロッパでは、マンモス、まっすぐな牙を持ったゾウ、ケブカサイ、オオツノジカ、ジャコウウシ、ステップバオソン、ドウクツライオン、ホラアナグマ、サーベルタイガーなど大型哺乳類の50%が消滅した。
 さらに1万年前の北アメリカでは3種の地上性ナマケモノ、巨大なビーバー、大きなカリフォルニアライオン、2種のペッカリー、アメリカラクダ、ダイアオオカミ、アメリカマストドンなど大型哺乳類の約70%が絶滅しているのである。
 それでも絶滅した種の数と絶滅までの期間を考えると「まだ少なかった」といえないこともない。それ以後も絶滅は止まるどころかますます加速したのである。17世紀以降になると絶滅は驚異的なものとなった。例えば哺乳類では1801年から1850年までの50年間に11種、1901年から1944年までの44年間に40種が絶滅した。4年半に1種となり、1年と少しで1種滅びるようになったのである。
 要するに、こうだ。長い歴史のなかで少しずつ絶滅するとか、十万年単位で急に絶滅するとか、そういうことなら、環境の変化も考えられる。
 しかし、たったの1〜3万年ぐらいの「一瞬」といってもいいような短期間に、多種多様な絶滅が起こっていたとしたら、環境の変化というのはちょっと納得しにくい。よほど大規模な環境変化が一瞬にしてあったならともかく。たとえば隕石衝突。しかし現実には、3万年前に、巨大隕石衝突などはなかった。この期間にあったのは、現生人類の急激な発達だけだ。
 こう考えてみると、「絶滅は環境のせいだ」と主張するのは、殺人をした犯人が、「殺人は太陽のせいだ」と責任逃れの弁解するようなものだろう。
 私は人類を訴える。「殺人犯はおまえだ」と。(……で、私も含まれるのかな?)


● ニュースと感想  (11月20日)

 「ストレス」について。
 「ストレスとは何か?」という解説記事があった。(読売・朝刊・解説面・コラム 2004-11-19 )
 外部からの有害な刺激に対して、刺激に対処できるように、体内システムを整える必要がある。そこで、副腎皮質ホルモンが分泌されて、血圧・血糖・筋肉緊張などが起こる。ただし、それが持続すると、副作用として、血行障害などが起こる。この症状に着目したのが、ストレスという概念。
 だから、ストレスというのは、本質的には、正常な生体反応の副作用である。副作用をなくそうとすれば、正常な作用もなくなる。なぜなら、両者は、物事の半面ずつ(裏と表)であるからだ。

 では、どうすればいいか? 緊張自体は、悪くはない。問題は、それがいつまでも長く続きすぎて、肉体的に耐えきれなくなってしまったことだ。「走りすぎで疲れる」という現象が、神経や内臓でも発生した、と考えるといい。とすれば、対策は、「休むこと」「くつろぐこと」である。
 仕事でやりすぎの人々は、気をつけましょう。私の経験では、一番いいのは、夕食後の酒を飲んで寝てしまうことだ。ただし、もっと良さそうなのは、朝寝・朝湯に朝酒である。私はこれが大好き。これなら、ストレス知らずになれる。
 
 [ 付記 ]
 新潟震災では、体をこわす人や風邪を引く人が続出したという。血行障害で死ぬ人も多かったという。いずれも「ストレス」という概念で説明できる。だから、震災対策は、金や食糧だけでは駄目で、別の心理的なケアも必要となるわけだ。
 よく聞く話では、病院に喜劇役者が訪問すると、効果がある、という。酒も効果があるという。ボランティアの優しさも効果があるという。


● ニュースと感想  (11月20日b)

 「実質成長率の算出方式」について。
 GDPの実質成長率を算出する方式を、政府が変更した。従来の方式だと、パソコンの価格下落などの影響が過大に出すぎる。それを修正する。新方式の値は、従来の方式の値と、名目成長率の値との、ほぼ中間になる。(朝日・朝刊・1面 2004-11-19 )
 では、今回の方式変更は、妥当か? 結果としては妥当であるように見えるが、実は、本質的には、妥当ではないようだ。読売の記事(朝刊 2004-11-19 )に解説がある。これを見ると、基準年を「5年に1回」から「毎年」に変更するだけ、ということであるらしい。統計処理の方法の変更であるにすぎないようだ。たいして意味はないかもしれない。結果の違いが出るだけで、本質的には、あまり意味はなさそうだ。

 では、本質的には? 読売の記事を読むと、「パソコン価格の急激な下落を十分に反映させるため」だという。しかし、それでは、補正の方向が正反対だ。パソコン価格の急激な下落は、反映させてはならないのだ。
 わかりやすく言おう。「パソコン価格の急激な下落」なんてものが何年も続いているとすれば、現在のパソコンの価格は5年前に比べて十分の1以下に大幅下落しているはずだ。しかるに、実際には、そうではない。若干の下落はあるだろうが、売れ筋のパソコンは以前も今も、だいたい20万円前後である。ただし、その間に、モニタはCRTから液晶に変わったし、CD-ROM は 書き込みDVD に変わったし、メモリやCPUも大幅に向上した。結局、性能の向上が大幅にあったが、価格そのものはあまり変わっていない。変わったのは性能であって、価格ではないのだ。
 ここでは、「同じ商品で価格を比較する」という発想そのものが根源的に狂っている。統計の算法が間違っているのではない。その前提となる発想そのものが根源的に間違っているのだ。手の操作が間違っているというより、頭がイカレているのだ。
 単純に言えば、パソコンは生鮮品なのである。生魚や野菜などは、腐ると無意味なので、売れ残りはバーゲンで処分する。スーパーでは、閉店間際に捨て値で売る。しかし、翌朝になれば元の値段になっているはずだ。とすれば、閉店間際の価格は、物価の下落とは何の関係もない。……なのに、ここを理解しないで、「パソコンの旧型製品の価格が大幅に下落したから、物価の下落が大幅に起こっている」と主張するのが、政府である。(読売の解説も同じ。)
 パソコンは生鮮品である。それを無視して、腐りかけたものの値段の下落を、強引に反映させようとする。そして自画自賛する。「どうです。物を安く買えるようになったのは、政府の経済政策がうまく行っているからです。政府の経済政策は素晴らしい!」と称賛しようとする。そして、「こういう現実を正確に反映させるために、統計には、この数値を入れよう」と改訂する。
 ここには、統計による、世論の誤誘導がある。こういう「統計の嘘」に、だまされないように、注意しよう。腐った論理を信じると、こちらの頭が腐る。

 では、正しくは? 前にもあちこちで書いたことがある。要するに、「物価下落期には、名目成長率だけが意味をもち、実質成長率はほとんど意味がない」のである。
( ※ インフレとデフレとは、対称的な概念ではないのだ。両者はマクロ経済学的には別の次元の問題なのである。混同しないためには、マクロ経済学というものをしっかり勉強する必要がある。マネタリストは、生産量を無視して、貨幣量だけで片付けようとするから、このことを理解できないが。)
( ※ 実証的な数値を述べておこう。パソコンの価格はどのくらい下がったか? 旧製品の価格なら、私はよく見ている。1996 年ごろだと、売れ筋新製品は、25万円ぐらいだったが、秋葉原のアウトレット店で投げ売りされた低性能の旧製品は、モニタつきで8万円。この新旧双方の価格は、2004年でも、ほとんど変わっていない。性能だけは大幅に変わったが。)
( ※ 物価上昇率について詳しい話は → 2月24日5月20日5月20日b11月26日

 [ 付記 ]
 ついでに、景気診断の話。
 この方式変更とは別に、朝日の記事を見ると、グラフが興味深い。GDP成長率は、プラスの値が出ているのは、2003年だけだ。2004年(4月〜6月、および、7月〜9月)には、旧方式でプラス、新方式でゼロ、名目でマイナス。
 2003年の時点で私が何度も予測したように、「現在の景気回復は一時的であり、4月以降は腰折れ」という予想がばっちり的中したことになる。
 何度も言うが、「所得増加なしには総需要は増加しない」のである。ただし、一時的には、外需が増えることもあるから、GDPが一時的に増えることもある。ただし、一時的に増えたのを見て、「景気は回復しつつある」と錯覚してはならないのだ。
 少し前に述べた竹中くんの話を参照。( → 11月17日の[ 付記 ]


● ニュースと感想  (11月21日)

 「財政再建と増税」について。
 財政再建のための増税策として、「定率減税の廃止」が決まりそうだ。2005年に半分廃止、2006年に全額廃止。政府税調の方針。(最近しばしば報道されている。たとえば、読売・朝刊・1面 2004-11-18 )
 つまりは、ものすごい大幅増税である。橋本増税(消費税の引き上げ)以来の、大型増税だ。
 これを見て、経済学者の多くは、「よろしい。財政再建は必要だ」と考えている。ただし、「景気回復の芽をそぐといけないから、状況をよく見て、細心の注意をしなくては」と留意している。両取りを狙っているというよりは、左右を見ながら、「右も左も駄目」と言って、右往左往しているだけだ。

 ここで、混迷した頭をガツンと一発やるために、私なりに本質を示しておこう。
 「財政再建」という目的は、一見、必要であるように見える。では、何のために? ── それが問題だ。正解は、こうだ。
 「財政再建の目的は、インフレを抑制すること」
 これを示すために、逆の例を挙げよう。財政放漫でインフレを招いた、という例だ。戦争中になると、戦時国債というのを中央銀行に引き取らせて、国が財政赤字を拡大する。(紙幣を急増させるわけ。マネタリストが批判するもの。)……この場合は、当然ながら、
  「財政赤字の拡大」 = 「マネー急増」 = 「物価上昇」 = 「インフレ」
 となる。だから、財政赤字の拡大は、いけない。インフレを撲滅するために。

 では、今は? 今はインフレを撲滅するべき時期か? 逆だ。デフレであって、インフレを歓迎する時期だ。この時期に、「インフレ撲滅」のために、「財政再建」をめざして、「増税」をしたがるとしたら、正反対だ。気違いじみている。これはいわば、真冬のさなかで寒くてぶるぶる震えている人間が、「夏に暑くなりすぎると危険だ」という理由で、クーラーをガンガン効かせるようなものだ。……日本経済の凍死をめざす作戦。

 結語。
 エコノミストはしばしば、不況対策として、「投資」の拡大を主張する。しかし今や、「凍死」の拡大を主張するようになってしまった。ダジャレふうの経済学。
( ※ ふざけているようだが、ふざけているのは、私じゃなくて、政府とエコノミストです。)
( ※ 今は地球温暖化が進んでいる。そこで、「地球温暖化だから、夏の暑すぎを防止するために、クーラーを効かせよう」といって、冬のさなかにクーラーをがんがん効かせるべし」という説もありそうだ。「地球温暖化だから」なんていう説を出すと、いかにももっともらしいから、こういう珍説を信じてしまいがちだ。「不況期に財政再建を」という珍説も同様。ふざけているとしか思えない、凍死作戦。)

 [ 付記1 ]
 政府だけでなくマスコミも同罪だ。「投資」を歓迎して「量的緩和」を主張したり、「凍死」を歓迎して「増税」を主張したり。……マスコミってのは、政府の提灯持ちしかしない。政府に抵抗するマスコミってのは、どこかにないんですかねえ。
(朝日も読売も経済については政府同様の保守派である。日本は古典派の天国。)

 [ 付記2 ]
 正しくは、どうすればいい? 何度も述べたとおり。「病人は、病み上がりでは借金返済なんかしないで、さっさと病気を治せ。直してから、借金返済せよ」ということ。これは、病気状態の経済への比喩。
( ※ なお、サラ金業者は、通常、政府よりも賢明である。たとえば、貸した相手が病気なら、無理に「返せ」とは言わない。相手が病気をこじらせて死んでしまっては、何にもならないからだ。それでは元も子もない。最悪。……そんな簡単なことがわからないのが政府とマスコミだ。日本は愚民国家ですね。ブッシュを選んだ米国もひどいが、少なくとも米国は、イラク人を殺しただけで、自分を殺すことはなかった。日本は自分を殺そうとしているわけで、米国以上にひどい。)

 [ 付記3 ]
 私の主張を聞いて、「減税ばっかりじゃ不安だ」と思う人もいるだろう。そう思う人は、私の主張を理解していないことになる。私の主張は「減税」ではない。「税率の調整」である。── つまり、不況期には大幅減税。景気過熱期には大幅増税。
 だから、景気回復後には、大幅増税するべきだ。たいていの経済学者や経営者は、「増税すると企業活力が減じる」なんて反対するだろうが、私はそういう発想を取らない。世界的に最低レベルの税率しかないのに、まともな税も払えないような企業は、もともとろくに企業活力がないのだから、さっさと倒産してしまえばいいのだ。

 [ 付記4 ]
 増税については、特に、奥田某(トヨタ&経団連)に言いたいね。「おれたちの会社は、世界最高の利益水準を出しているぞ。えっへん」と威張っているが、税金はどれだけ払っているんですか? 欧州の自動車会社に比べれば、ずっと少ししか払っていない。威張らないでもらいたいものだ。
 郵政公社は、税を払わずに、「低料金です」と自慢している。トヨタも、ろくに税を払わずに、「低価格です」と自慢している。自惚れと勘違いがひどすぎる。威張るのは、社会的責任を果たしてからにしてもらいたいね。(とはいえ、名古屋のはずれの田舎企業人には、「社会的責任」なんていう概念はないのだろうが。)
 西武の堤義明は、最低の経済人だ。私は彼を最低だと思ったのは、彼がこう言っていたからだ。「税金なんか払うやつは馬鹿だ。おれなんか、あちこちの企業で帳簿操作しているから、莫大な売上げを計上しながらも、ほとんど税を払っていない。どうだ。うまく経営をしているだろう。えっへん」と。……その結末が、先日の経済犯罪だ。
 経団連も同じ。「会社はなるべく税を払いたくない」と主張する。ちなみに、私の親戚である中小企業経営者は、こう言っていた。「いっぱい働いて、いっぱい税を払うべきである。税を減らそうなんて、せせこましいことを考えるな」と。
 彼は建前で、そう言っていたのではない。本気でそう言っていたのだ。……なぜかというと、その前年に、脱税で摘発されたから。巨額の追徴金を貸されて、金をほとんど没収されたわけ。人間、痛い目に遭うと、発想が変わります。  (^^); 
 ついでだが、トヨタは違う。痛い目にあっても、発想が変わらない。「残業手当の不払い」という犯罪を犯して、摘発されたのに、「喉元過ぎれば」である。いつまでたっても、ケチ根性。「無駄をなくせ」というカイゼンをするのはいいが、「納税も無駄だ」と思って、税を払いたがらないし、新潟震災でも義捐金を出したがらない。ケチは生まれ変わってもケチ、ということ。


● ニュースと感想  (11月22日)

 「最近の景気への認識」について。
 景気に関する記事が出た。「景気の見方が二分している。このまま息の長い拡大を続けるのか、山を迎えて後退しつつあるのか」という問題を出して、「過去には景気診断を見誤った例がある。バブル時には低金利を維持してバブルを膨張させたし、バブル破裂時や消費税増税では景気後退を招いた」と。(朝日・朝刊・経済面 2004-11-21 )
 この記事の趣旨は、すべて勘違いである。簡単に指摘しておこう。

 (1) 景気循環
 「景気は循環する」という基本的な発想が正しくない。景気は循環しない。「息切れ」や「腰折れ」はあるので、上がったり下がったりすることはあるが、周期的に変動するわけではない。この件は、何度も記述したとおり。
( → 8月16日

 (2) 対処
 では、どう認識するべきか? 
 上がるも下がるも、経済政策しだい。「天任せ」「神様任せ」を前提にして、「天気予報」みたいな診断をするのは、無意味である。経済は、自然現象ではなく、人為的な現象なのだ。上げようと思えば上がる。下げようと思えば下がる。それだけのことだ。
 ここで、問題は、正しい政策をするかどうかだ。このことだけがポイントとなる。「政府ただし政策をするか」が論点となるのであって、「明日の天気は晴れか雨か」なんていうような診断は意味がない。
 ま、「放置すればこうなるはず」という診断はできるがそもそも、「放置すれば」という前提が狂っているのだ。(古典派の難点。)

 (3) 診断
 それでも現実には、政府は「無為無策」である。となると、「放置すれば」という前提が(残念ながら)成立してしまう。この場合には、「腰折れ」が当然だ。(後退局面にはいる、というふうに見えなくもない。)
 理由は、何度も述べたとおり。外需の影響が消えて、所得増加がないこと。(輸出産業では少しだけボーナスが増えたようだが、悪化を食い止めるぐらいの効果しかない。)

  (4) 雇用状況
 今秋の大卒予定者の内定率はひどく低くて、6割程度。多くの若者は就職できない。就職できても、不如意な職場だったせいか、3割ぐらいは3年ぐらいで退職してしまう。その他、中高年の失業率も高い。雇用状況は相変わらず良くない。

 (5) 経済政策  [ 重要 ]
 記事では、「景気の強弱を見誤らず、正しい景気診断をすることが大切だ。さもないと、過去の例のように、景気を誤った方向に導く」と主張している。これは根本的に 正しくない。
 バブル膨張であれ、バブル破裂であれ、消費税増税の時期であれ、景気診断はさほど間違っていなかった。好況期には好況期と認識していたし、不況期には不況期と認識していたし、景気悪化の終息期には終息期と認識していた。別に、景気診断を間違えたわけではない。強弱を少し間違えたかもしれないが、そんなのは大差をもたらさない。
 間違えたのは、認識ではなく、根本的な経済政策だ。朝日の主張でもそうだが、彼らの経済政策は、こうだ。
 「景気が上向きになったら、景気引き締め。景気が下向きになったら、景気刺激」
 こういう経済政策を取っている。それをすべての前提にしている。ここが根源的に狂っている。では、正しい経済政策とは? こうだ。
 「景気の上向き・下向き(つまり微分値)に対して対処するのではなくて、景気の高さ・低さ(つまり絶対値)に対して対処する」
 そうするべきなのだ。── たとえば、「上向きなら下げる」「下向きなら上げる」のではなくて、「高すぎれば下げる」「低すぎれば上げる」とする。現状で言えば、「上向きだから引き締める」のではなくて、「まだまだ低すぎるから景気刺激する」とすべきだ。
 過去の経済政策のすべては、このことを勘違いしたことによる失敗だ。そして、その間違った方法を、「マネタリズム」と呼ぶ。たいていの経済学者はそうだし、朝日もそうだ。間違った発想を前提にして、間違った経済政策を取るから、景気は暴走してしまうのだ。
 現時点では、景気はまだまだ低迷している。少しぐらい上向きだからといって、「景気が回復しつつあるから財政再建のために増税を」なんてのは、とんでもないことだ。( → 11月21日
 たとえて言おう。飛行機を飛ばす。飛行機が正常に飛び続けるためには、一定の高度が必要だ。そこで、私ならば、こう処方する。
 「十分な高度になるまでは、どんどん上昇せよ。最初は急上昇で。ある程度まで上がったら、上昇の度合いを緩める。十分な高度になったら、そこでようやく、上昇をやめる」
 逆に、従来の経済学ならば、こう処方する。
 「必要なのは、水平で飛行することである。上昇したなら、下げよ。下降したら、上昇させよ。ゆえに、離陸直後に、急上昇したなら、すぐさまエンジンを絞って、急上昇をやめよ。急上昇は燃料の無駄だ。」
 とたんに、失速して、墜落してしまう。── 今の経済学者が主張しているのは、こういうことだ。そしてまた、今回の朝日の趣旨も、同様。
 彼らの頭は、「上がるか下がる」かしかない。「登るか降りるか」しか考えない猿みたいなものだ。自分のいる高さがどのくらいかを理解できない。猿知恵以下。
( ※ 今回の記事を読めば、まさしく猿知恵以下だとわかるはずだ。狂気的というより、痴的な記事。)
( ※ ただしまあ、朝日だけが猿知恵だというわけじゃない。他の経済学者もみんな同様だ。こういうエセ学問を信じている人々がいかに多いことか。……私の考えでは、経済学者のかわりに、猿を講師や教授にした方が、経済学部の質は向上すると思う。……なお、これは、ホントです。冗談ではありません。なぜ? 猿は「ぎゃー」と叫ぶことはあるが、嘘をつかないから。点数で言えば、零点です。逆のことを言ってマイナス点にならないだけ、現状よりは改善します。……例。猿が飛行機を操縦しても、何もできない。経済学者が飛行機を操縦すると、墜落する。)


● ニュースと感想  (11月22日b)

 「民営化のてんまつ」について。
 景気対策として、小泉は「構造改革」を主張する。では、構造改革とは何か? 郵政民営化などだ。では、郵政民営化は、成功するのか? 
 これについて、参考となる記事が出た。おもしろいので、紹介しておく。(朝刊・朝刊・1面コラム 2004-11-21 )
 英国の国鉄民営化。とにかくがむしゃらに民営化したが、制度は民営化されても、実態が追いつかず。制度だけは株式会社になったが、設備も人間も頭が古臭いままだ。体質改善は進まない。あげく、短期利益の追求をめざして、長期的な体質強化が疎かになる。タコが足を食うようにして、配当を出して、株価を維持したが、しかしやがて、体質劣化に起因する事故が起こる。それで体質劣化が暴露する。妄想でふくらんでいた株価バブルは、当然、破裂する。株価は暴落し、ついに、倒産して、株券は紙屑になった。……「国営企業を民営化すれば、市場経済によってすべてうまく行く」という主張に基づいて、民営化すると、これが結果となったわけだ。民営化のてんまつ。
( ※ 日本でも似た例がある。電電公社の民営化のあと、NTT株価がバブルでふくらんで、その後、破裂した。ま、NTT自体は破裂しなかったが、最近はちょっと破裂しかかっているようだ。)
( ※ 郵政公社は? 体質改善を疎かにして、形式的な民営化ばかりをやると、英国の国鉄の、二の舞だろう。先日も、社内活性化なしの再建策についての話をした。産業再生機構の件。 → 11月18日 [ 付記 ]


● ニュースと感想  (11月23日)

 「サイボーグ技術」について。
 「サイボーグ社会の誕生」を話題にする雑誌が創刊された。「医療・福祉・生活向上のためのサイボーグ技術」という特集をする、「Bionics 月刊バイオニクス」という新雑誌。22日創刊。(朝日の新聞広告より。)
 これは、私が前に述べた「ロボットよりもサイボーグ」という話に符合する。
 つまりね。私のアイデアを使うと、新雑誌を発行して、金儲けができます。小泉の波立ちを読んで、商売しましょう。アイデア使用料は無料です。
( → 5月31日7月29日 ロボットよりもサイボーグ )
( → 8月18日 の (3) ロボット技術にとらわれる会社への悪口。)


● ニュースと感想  (11月24日)

 「朝日の嘘記事」について。
 朝日新聞の経済記事は、嘘情報が異常に多すぎる。タイプは二つ。
  ・ マクロ経済学の無知
  ・ 業界の専門情報の無知
 前者は、何度も指摘してきた。後者は、ときどき言及してきた。要するに、素人記者の書いた素人記事。生半可な知識で書いたため、専門家が見ればすぐに嘘とわかることを書く。専門家によるチェックが働いていない。この件は、しばしばあるが、あらためて指摘しておこう。

 前にも朝日は、「ポルシェのスポーツカーが大人気」という記事を、業界の失笑を買ったことがあった。売れていたのはカイエンというRV車ばかりで、普通のスポーツカー(ポルシェ911など)の方は増えるどころか減っていた。なのに、「ポルシェ = スポーツカー」という素人の思い込みをした。で、登録台数を見て、「ポルシェが売れている」と判明したので、「ポルシェのスポーツカーが売れている」という嘘記事を書いたわけだ。

 今回も、嘘記事。朝日はやたらとトヨタの肩持ちをしていて、「トヨタのハイブリッドは素晴らしい」という提灯持ちばかりをやっている。「ホンダや日産は駄目だが、トヨタだけは偉い」という調子だ。嘘八百。
 たしかに、トヨタのハイブリッドは立派だが、しょせんは、実用化が優れているという程度だ。研究レベルでは、ホンダも日産も十分な水準にある。ただし、トヨタには及ばないから、市場に出せば、明白に負ける。そんなものに莫大な出費をかけるよりは、トヨタから部品を導入して、自分のところで組み立てた方が、コストが安い。だから、日産はそうする。ホンダは、自社で生産して販売しているが、これだとコストが異様に高くなっているので、あまり売れない。でもまあ、ホンダだって、トヨタ並みにやっていることはやっているわけだ。(高すぎて売れないが。……ただしこれは、環境技術とは関係なくて、商売の問題。)
 というわけで、「トヨタだけがやっている」という趣旨は、嘘である。

 第2に、トヨタのハイブリッドが普及したからといって、「トヨタ式」という方式がひろがっている、ということにはならない。「トヨタ製」の部品がひろがっているだけだ。ハイブリッドの市場が広がれば、トヨタ式だけでなく、ホンダ式や日産式も普及するだろう。それだけのことだ。
 つまり、記事は、技術と物とを混同している。

 第3に、「業界にはハイブリッドに対して冷ややかな見方があった。というのは、燃料電池の方が将来性があると見込まれていたので」と書いているが、これもまた、嘘である。こういう見方をしていたのは、日本の「業界」ではなくて、「米国自動車会社」であるにすぎない。主語を間違えている。「ブッシュがイラク戦争を始めた」というのを、日本の政界はイラク戦争を始めた」と書くのと同じぐらいの誤報だ。……正しくは? 日本では昔から、「両方」である。中期的にはハイブリッド、長期的には燃料電池。こういう両面作戦を採ってきた。トヨタ、ホンダ、日産、いずれもそうだ。一方、米国自動車会社は、研究コストを惜しむために、「ハイブリッドを捨てて、燃料電池だけに専念」というふうにしてきた。で、今になって、あわてているわけだ。これが正しい。
 というわけで、「トヨタ以外の他社がハイブリッドを軽視していた」という趣旨の報道は間違い。軽視していたのは、他社ではなくて、他国(米国自動車会社)だ。

 第4に、燃料電池車との関係で、ハイブリッドがどこまで普及するが不明だ、と書いているが、これも嘘である。燃料電池車が普及するのは、今から十年以上あとのことだ。実用化には、あまりにも距離があり過ぎる。とうてい、今すぐ実用化することなど、ありえない。当然、ハイブリッドとは競合関係にない。
 ハイブリッドが普及するかどうか、そのライバルとなるのは、普通のガソリン車と、普通のディーゼル車だ。ひょっとしたら、水素エンジン車も。とにかく、ありもしない燃料電池車をライバル視するなんて、あまりにもピンボケ過ぎる。
( ※ なお、詳しく言うと、燃料電池車は、実現していることは実現しているが、あまりにもコスト高だ。現段階では、1台あたり数千万円になってしまう。燃料電池を実用レベルにするためには、技術的な課題があまりにも多すぎて、解決のメドすら立っていない。何しろ、ごく簡単なパソコン用の小さな燃料電池でさえ、3年ぐらい前から実用化寸前といわれながら、いまだに販売されていない。NECや東芝が来年あたり販売しそうだが、どうなることやら。自動車用の燃料電池となると、技術的にはあまりにも難しくて、実用化ははるかかなただ。頂点の見えない山のようなものである。……40歳ぐらいの人にとっては、定年までに燃料電池車が実用化するかどうか、かなり微妙である。ま、いずれにせよ、画期的な技術革新が突発的に必要となる。それがいつ起こるかは、ギャンブルみたいなもので、とうてい予測がつかない。)

 [ 付記 ]
 ハイブリッドが普及するかどうかは、技術の問題ではなくて、大量生産できるかどうかの問題だ。技術的に言うなら、4WDのRV車に関する限り、ガソリン車を上回る水準になっている。近い将来、ハイブリッドのコストが低下するにつれて、4WDのRV車では、普通のガソリン・エンジン車は消えてしまうだろう。ジープタイプもそうだし、1ボックスタイプもそうだ。
 4WDのスポーツカーも、ハイブリッドが優勢になりそうだ。ポルシェが今回、技術導入をしようとしたのも、たぶん、4WDのスポーツカーかRV車に掲載するためだろう。そういう予測記事を書くべきだった。だから、「リアエンジンの911がハイブリッドになるかも」という想像は、成立しないわけだ。私の予想では、今回のハイブリッドの掲載予定のポルシェ車は、カイエンだろう。次期ハリアーのハイブリッドユニットを使うわけ。(勝手な推測ですけど。プリウスのユニットを使うとは思えないしね。)
 なお、私の勝手な予測では、超高級車も、ハイブリッドになる可能性が高い。理由は二つ。一つは、ハイパワーを受け止めるには4WDの方が好ましいこと。(例はレジェンド。)もう一つは、発進時の静粛性。モーターで発進すると、エンジン音が完全にゼロになる。(エンジンは止まっているから。)
 なお、日産のフーガは、GT−Rみたいな高性能スポーツ車だという評価があるが、レース場のコーナリングの際に、内側車輪が空転して、パワーが抜けてしまうという弱点があるという。この問題は、ハイブリッド4WDにすれば解決できる。フーガも将来はハイブリッドになるかも。(誰がレース場でマイカーを走らせるんだ、という問題はさておいて。  (^^); ……ま、そういうありそうもないことを考えるのが、ポルシェなどの技術者たちです。)


● ニュースと感想  (11月25日)

 「経済成長と社会保障のモデル」について。
 「経済成長に社会保障はどのような影響を与えるか?」という問題がある。これに対して、内閣府が独自のモデルを考案して、研究したという。社会保障の額が大きい場合と、小さい場合とを、比較する。両者の社会保障の額の違いは、10兆円。それで、経済成長の比較をする。その結論は、「小さい社会保障の方が、経済成長率は高い」となる。実質で 0.25ポイント上回るという。理由は、こうだ。
  1. 給付が減った高齢者が働きはじめる。 → 労働供給増加。(供給増加)
  2. 企業の社会保障負担の減少。 → 投資増加 (供給増加)
  3. 消費性向の高い高齢者への給付が減少 → 消費減少 (需要減少)
  4. 国民の社会保障負担の減少。 → 消費増加・投資増加(需要・供給の増加)
 以上は、新聞記事(朝日・朝刊・経済面 2004-10-24 )より。ただし、このうち、4番目の項目は、記事には書いてなかった(もともと試算になかった?)ので、私が補足しておいた。

 さて。この内閣府の試算を評価してみよう。
 結論から言えば、まったくのデタラメである。古典派の経済成長理論と、マクロ経済学とを、よく理解しないまま、適当にごちゃ混ぜにしている。そのせいで、勝手につまみ食いしている。まさしく、理論のつまみ食いである。それで自分勝手なお遊びをしている。統一された原理や理論のないまま、モデルだけをあれやこれやと適当にいじっている。無知な学生のモデルごっこにすぎない。
 そこで、正しい分析法を示しておく。

 (1) 経済成長理論
 古典派流の経済成長理論がある。この場合は、次のことが原理だ。
 「需給の均衡を前提とする」
 「その前提のもとで、最大成長のためには、最適成長路線を取ればよい。すなわち、初期状態を健全な均衡状態にした上で、投資と消費とを、均等に成長させる。成長率は、『労働生産性の伸び率』と『労働者数の伸び率』との和である。(正確にはもう少し大きい端数だが。)」
 これによれば、投資と消費の比率がどちらかに偏れば、最適成長はなされない。投資過剰ならば、作っても売れ残る。消費過剰ならば、必要なものが生産されない。だから投資と消費とを等しく成長させる必要がある。
 ただし、最初の初期状態が、均衡であることが必要である。最初の時点で不均衡であるならば、以上の話は前提が成立しないことになるので、すべては無意味。

 (2) マクロ経済学
 これは、不均衡と均衡との問題を扱う。つまり、経済成長における最初の初期状態を健全化する、という問題だ。好況の場合には問題がないが、不況の場合には、まず、不均衡を解決することが先決となる。「需要不足・供給過剰」という状況があるから、これを解決することが大事だ。

 以上をまとめれば、こうだ。
 「いったんマクロ経済学で、不均衡の問題を解決する。その後、均衡状態になったら、投資と消費とを同じ割合で成長させていく。その成長率は、基本的には、生産性の向上率である。ただし、労働人口が増減すれば、その分、成長率は補正される」
 これが正解だ。つまり、「マクロ経済学による不況解決」のあとで、「古典派の成長理論による最適成長」となる。

 では、内閣府の試算は、どうか? マクロ経済学と古典派の理論とを、チャンポンに使っている。だから、メチャクチャになる。
 そもそも不況のときには、「均衡」を実現することが先決なのだ。なのに、「不均衡」という状況を解決しないまま、成長をめざす。第一段階の前提を満たさないまま、第二段階を進めようとする。前提が満たされないのだから、以後のすべては砂上の楼閣だ。空論。
 また、いったん「均衡」が前提されたあとでは、供給と需要の均衡は常に成立しているはずだ。なのに、「供給過剰気味になって、需給ギャップが開き気味になり、物価水準が下落気味になり、名目成長率が低下する」と主張する。メチャクチャだ。
 そもそも、供給過剰気味になるというのは、マクロ経済政策が失敗して不均衡になるということだ。需給ギャップが開くかどうかというのは、名目成長率を下げるか否かという問題ではなくて、マクロ政策が正しいかどうかという問題だ。だから、マクロ政策が正しくない場合には、マクロ政策を正しくすることが先決だ。ここでは、「経済運営が間違っているから名目成長率が下がるだろう」なんていう予想をするのは無意味であり、「経済運営が間違っているのなら、経済運営を正しくするべきだ(需給を均衡させるべきだ)」と主張するのが正しい。このモデルは、モデル自体のなかに、自己の愚かさが含意されており、メチャクチャなモデルというしかない。
 以下、先の格好について、個別に示そう。

(1) 給付が減った高齢者が働きはじめる。 → 労働供給増加。(供給増加)
 これは、「労働者の増加」という問題だ。「均衡」が実現していれば、成長率は、労働人口に依存する。だから、高齢者の増加にともなって、供給は増えていいはずだ。ここまでは、理屈は正しい。
 ただし、現実には、この理屈は成立しない。高齢者の場合、労働市場で、供給過剰だからだ。高齢者は、雇用されたくても、雇用される職場がない。だから、まずは、高齢者の有効求人倍率を上げることが先決だ。この値が1を上回らない限り、「高齢者が働きたがれば労働人口が増える」という主張は、空論でしかない。無意味。
( ※ ついでに言っておこう。労働供給の増加のためには、そのための政策を打ち出すことが必要だ。つまり、「高齢者や女性の雇用を促進する」というふうに。たとえば、高齢者や女性の雇用率の低い企業には、法人税を増税する。逆の場合は、減税する。)

(2) 企業の社会保障負担の減少。 → 投資増加 (供給増加)
 メチャクチャ。投資が増えるか消費が増えるかは、政府の政策しだいだ。この件は、「ポリシー・ミックス」の箇所で説明したとおり。(マクロ政策と言ってもいいが、正確には、ミドル経済学の分野。)
 たとえば、企業の社会保障負担の減少があっても、金利が上昇すれば、投資は増加しない。投資が増加するかどうかは、金融政策との関連で決まる。上記の主張(企業負担の減少による投資増加)は、まったくの空論でしかない。
 それはいわば、「天気が晴れだと、気温は高い」というような主張である。一見、正しいように見える。しかし、夏と冬では、気温に差がある。雨の夏では、晴れの冬より、気温は高い。気温がどうなるかは、天気だけでは決まらないのだ。なのに、勝手に「その他の条件が同じであれば」と仮定して、天気だけで温度を決めようとする発想がある。馬鹿丸出し。それが、内閣府の試算だ。無意味。

(3) 消費性向の高い高齢者への給付が減少 → 消費減少 (需要減少)
 これも同様。消費が増えるかどうかは、投資が減るかどうかということと、表裏一体である。(マクロ的な総額を別として、割合だけに着目すれば。)
 たとえば、高齢者への給付を減らしても、金融政策で金利を下げれば、住宅ローンや自動車ローンを借りる壮年者が増えるから、その分、消費は増える。また、金利が下がった分、貯蓄意欲が減って、消費が増える。つまり、消費はある程度、金融政策に依存する。金融政策でどうにでも変動するのだから、高齢者への給付だけで試算しても意味がない。無意味。

(4) 国民の社会保障負担の減少。 → 消費増加・投資増加(需要・供給の増加)
 これも、(3) と同様だ。高齢者への給付が減ると、壮年者の負担が減る。しかし、それだけを単独で考慮しても、仕方ない。金融政策で変動するのだから。だから、無意味。

 さて。以上で指摘したのは、主に、ミドル経済学的な問題だ。その他、マクロ経済学的な問題がある。つまり、不均衡のさなかで、経済成長を論じても、すべては砂上の楼閣なのだ。
 現状を基準として、「小さな社会保障と大きな社会保障の、どちらがいいか」と試算しても、そのどちらもまったく駄目だ。「馬鹿と阿呆のどちらが好ましいか」という選択であり、正解がない。
 正しくは? 現状を基準としないことだ。「現状」ではなくて、「景気回復後の正常状態」が基準となる。その基準に達することが先決だ。つまり、「馬鹿でも阿呆でもなく、まずは利口になる」ということが先決だ。そして、利口になったあとで、「さらに利口になる方法は? 最適の学習方法は?」と考えればよい。今はまず、馬鹿ないし阿呆という状況を脱出するのが先決だ。
 なすべきは、小さい社会保障でも大きい社会保障でもない。消費の拡大だ。つまり、壮年者が高齢者に与える給付金を小さくするか大きくするかではなくて、全国民が全国民に与える給付金を大きくすることだ。ここでは、「全国民が全国民に与える」という形を取る。その方法は、「未来の金を現在に渡すこと」つまり「未来から現在への融資」である。現在から見れば、「未来からの借金」である。── それが「中和政策」だ。これが正解である。

 最後に、講評を言っておこう。
 「社会保障を減らせば、経済成長率が高まる」なんて、どうせ、最初から結論が決まっていたはずだ。結論に合わせて勝手に都合良く論理を組み立てから、そういうモデルができただけだ。
 そういう馬鹿げたモデルごっこをする暇があったら、さっさとまともにマクロ政策を取るべきだ。すなわち、「景気は回復基調にある」なんていう他人事ふうの観測をしていないで、「景気をまさしく急速に回復させる」というマクロ政策を取るべきだ。「長期的には経済は最適化される」なんて言っていれば、ぐずぐずしているうちに、人の人生は終わってしまう。
 「モデルで遊ぶ前に仕事をしろ」というのが、講評だ。

 [ 付記 ]
 内閣府の試算の難点は、何か? 基本的には、天気の比喩の通りだ。つまり、「他の要素が一定であれば」というふうに、勝手に想定して、勝手に試算している。現実には、他の要素がいろいろ変わるから、その試算は無意味になる。
 で、どうしてこういうふうに「他の要素は一定である」と仮定するかというと、マクロ的な素養が欠落しているからだ。マクロ経済学というのは、需要や供給などの関連の仕方を考える学問体系である。つまり、「変数はたがいに独立しておらず、相互関連する」ということを認めて、その相互関連の仕方を調べる学問体系である。そういう学問体系の素養がないから、一番最初に、とんでもない仮定を据える。マクロ経済学音痴。トンチンカン。
 で、この問題を明々白々に指摘するのが、近著である。( → 9月30日

 [ 補足 ]
 本項ではいろいろと経済学用語が出ている。以前からの読者ならば、すでに理解しているだろうが、新しい読者だと、理解できないかもしれない。用語の理解のためには、次のページの案内がある。
  → 経済理論全体の概要


● ニュースと感想  (11月26日)

 「経済成長と社会保障」について。
 経済成長と社会保障について、モデルごっことは別の観点から、私なりの結論を示そう。
 このようなことは、根源的な理解なしに、モデルだけをいきなりを出しても仕方ない。その前に、まずは根源を理解するべきだ。
 社会保障とは、何か? 一般的には、強者から弱者(富者から貧者)への所得移転である。このことには、長所と短所がある。
 長所は、もちろん、所得の平準化だ。所得が平準化すると、経済的には購買力が増すので、消費向上の効果がある。たとえば、貧富の差があると、「高級車や高額ダイヤが少数だけ売れる。残りは貯蓄を通じて投資に回される」となる。貧富の差が少ないと、「自動車や電器製品が多数売れる」というふうになる。どちらにしても、総額は同等だ。ここで、投資の増加が注目されるが、実は、投資の増加(消費の減少)は、金融政策でいくらでも調整ができる。金融政策で最適化ができる。だから、残りは、「ダイヤ1個か、電器製品が多数か」という差だけだ。となると、貧富の差が少ない方が、経済は成長する。また、消費だけでなく、労働の質も、長期的には影響する。貧富の差が大きいと、高度な教育を受けられない貧困家庭の子供が出てくるので、その分、社会の労働の質が悪化する。
 短所は、社会保障が十分すぎることによる、労働意欲の低下だ。……ただし、これは、けっこう眉唾だ。これが正しいとすると、「金持ちは金が余っているから労働意欲がない」ということになる。現実には、その逆だ。金持ちほど、働き中毒だ。さっさと引退したがる人は、ほとんどいない。私ならさっさと引退したいという気もするが、私は金持ちではない。……要するに、労働意欲と所得とは、どうも、相関関係はまったくないらしい。全然別のことであるようだ。つまり、短所はないらしい。

 結語。
 社会保障があると、長所がある。消費を阻害するような、所得面の阻害要因(所得不足)を取り除くことができる。また、経済成長を阻害するような、労働面の阻害要因(教育不足)を取り除くことができる。かくて、成長の阻害物を取り除いて、成長の可能性を高める。
 その一方で、短所もあるらしいが、どうも眉唾だ。統計的に実証されない「労働意欲への影響」に基づいているだけだからだ。
 長所や短所とは別に、マクロ経済学的な効果もある。投資や消費への影響だ。しかし、これは、政策しだいで、いかようにも調整される。「投資や消費への影響がこれこれである」と述べても、空論でしかない。なぜなら、その影響を打ち消すように、経済政策をとれるからだ。「その影響を経済政策で打ち消さなければ」というような仮定は、無意味である。
 影響を経済政策で打ち消したあとの差し引きが、正味の結果だ。それは、前述の「長所と短所」で示される。つまり、社会保障は、あった方がいいのである。
 典型的に言えば、こうだ。社会保障のある国では、北欧や日本のように、所得がかなり平準化される。(日本の場合、福祉の面では充実していないが、高率の所得税があるし、民間の慣習としての給与体系が、社会保障ふうの所得再配分機構を含む。)で、所得の平準化が進むと、国民全体が高学歴化して、一国の経済力が高まる。一方、中近東やアフリカや中南米では、貧富の差が非常に激しい。特定の金持ちが富のほとんどを奪い、国民の大半は飢餓状態となり、学校にもろくに行けない。これでは、経済成長は望めない。
 例を示す。ゾマホン・ルフィン(だったかな)というような名前のアフリカ人は、「教育こそ日本を成長させた」と見抜いて、祖国の成長のために、自腹で祖国に小学校を建設した。まことに見上げた心がけである。彼は、一国経済を成長させるものが、人間の力であることを見抜いて、人間の力を向上させようとした。また、明治の時期の政府も、近代国家ができたばかりという非常に貧しい国家財政の中で、「教育こそ国家なり」という方針で、教育に重点的に金を注いだ。そのおかげで、以後の日本は急速な成長が可能となった。
 明治の政府は賢明だった。彼らは教育の重要性を理解し、国民全体の教育水準を高めるようとした。彼らは決して、「社会保障は経済成長を阻害する」というようなモデルを取らなかった。だから、「税金を減額して、教育を廃止しよう」とは主張しなかった。つまり、「経済を成長させるには、税金を減免すればよい。そのためには、教育にかかる国家費用を浮かせればよい。ゆえに、教育は、公教育を廃止して、私学に任せよう。民間にできることは、民間に任せればよい。政府は小さければ小さいほどよい。社会保障は小さければ小さいほどよい。教育を受けるのは、金持ちの子弟だけで十分だ。貧乏な小作人の子弟は、田畑で働くだけでいい」とは主張しなかった。だから、日本は、中南米やアフリカのようにはならず、高度成長が可能となった。国民の知的水準を高めることで。
 今の日本は、正反対だ。国家による費用を浮かせることばかり考えている。大学進学にかかる費用は莫大となり、その負担が怖くて、たいていの家庭は「子供は一人」と決めている。かくて、少子化。かくて、労働人口の不足。
 結局、今の日本政府は、明治の政府とは違って、中南米やアフリカの政府のようになってしまっている。そのキャッチフレーズが、「小さな政府」「小さな社会保障」である。内閣府の今回の試算も、そういう愚かさの表れだ。ついでに言えば、大学教育の費用をどんどん上げて、奨学金の金を減らす、という財務省の方針も、同様である。その証拠が、少子化。つまり、労働人口の減少。彼らはこれを「最適の経済政策」と称する。
 彼らの主張に従えば、日本はやがて、「ものすごい金持ちと、大多数の貧者」というふうになるだろう。そして、それが、彼らの理想なのだ。そのとき日本は、現在の中南米やアフリカのようになっているだろう。そのかわり、中南米やアフリカでは、やがていつかは貧富の差という問題を解決して、日本を途上国にするのである。


● ニュースと感想  (11月27日)

 「経済成長と初期状態」について。
 経済成長について、最適成長の路線は、こうだ。
 「いったん均衡状態に達したあとで、消費と投資を同じ伸び率で成長させること。その伸び率は、生産性向上率に等しい」
 ここまでは、すでに何度か述べたとおりだ。

 さて。ここで、問題がある。古典派の解釈では、「均衡状態」は、最適状態であるただ一点だけだ。しかし、マクロ経済学では、「均衡状態」は一点だけでなく、いっぱいある。(「均衡区間」として示される区間のうちのどれでもいい。)── では、最適成長の一番最初の状態には、どれを選ぶべきか? これが問題となる。この問題に答えよう。
 まずは、次の三つの小問題がある。

 (1) 産業間のバラツキ
 マクロ的には均衡状態に達しているとしても、個別産業を見ると均衡状態に達していないことがある。たとえば、自動車産業は生産力不足で、繊維産業は生産力過剰、というふうに。こうなると、ひっくるめて「均衡状態」と言うことはできない。初期状態も、よくわからない。
 この小問題は、簡単だ。最初に、個別産業の生産力を最適化すればよい。つまり、最初に、自動車産業で多大な投資をして、繊維産業では投資をマイナスにする。……ただし、現実には、投資をマイナスにすることはできない。だから、時間をかけて、全体を成長させていく過程で、繊維産業の比率を少しずつ下げていけばよい。
 要するに、産業間のバラツキを減らすように、投資配分を調整しながら、全体としては少しずつ最適成長路線を取ればよい。つまり、一挙にやるのではなくて、過渡的な過程を経てやる(徐々に最適化していく)、ということ。

 (2) 設備と労働力のバラツキ
 設備の生産上限と、労働力の生産上限とが、一致しないことがある。
 労働力の生産上限の方が高いときには、単に投資を増やせばよい。それで、両方の上限は一致する。それで解決。
 設備の生産上限の方が高いときには、経済成長にともなって、「労働力不足」が生じる。ここでは、投資を増やしても、投資を減らしても、設備が遊休する。この場合は、しばらく投資を停止することで、少しずつ両方の上限を一致させればよい。つまり、(1) と同様で、過渡的な過程を経てやる(徐々に最適化していく)、ということ。

 (3) 労働時間の大小
 以上の問題が解決しても、一つだけ、どうにも解決できない問題がある。それが、労働時間の問題だ。
 設備の生産上限は、投資によって適当に変動させることはできるとしても、労働量は、そうは行かない。たとえば、週35時間労働の場合もあるし、週40時間労働の場合もあるし、週48時間労働の場合もあるし、週60時間労働(残業込み)の場合もある。……そのどれを選択するかについては、最適化の指針がない。
 実は、これは、経済学的には解決できない問題だし、そもそも、経済学の問題ですらない。社会厚生の問題だ。週にどのくらい働くのがベストかは、経済学的には決定できない。個人については個人の人生観で労働時間を決めていいが、社会については社会で決めるしかない。一般に、貧しい状況には、長時間労働で多くの金を欲しがる。豊かな状況では、短時間労働で多くの時間を欲しがる。どちらにするかは、裁量の余地がある。
 というわけで、経済成長の初期状態において、「生産量をどのくらいにするか」という問題は、「労働時間をどのくらいにするか」という問題に帰着する。その労働時間に合わせて、生産量を決めればよい。そして、いったん初期状態が決まったら、あとは生産性向上率で、消費と投資を同じ伸び率で成長させていけばよい。

 [ 付記1 ]
 ここを逆に考えてはいけない。生産量に合わせて、労働時間を変える、というのは、好ましい経済政策ではない。たとえば、欧州にように、「失業者があふれているから、ワークシェアリングで、短時間労働をすればよい」という発想は、正しくない。それだと単に「縮小均衡」になるだけだ。
 たとえば、「今の週40時間労働は働き過ぎだ。労働時間を減らして、週35時間労働が好ましい」と思っているのであれば、ワークシェアリングを実施して、週35時間労働するのもいいだろう。しかし、週35時間労働になったあとで、まだ失業者がいるからといって、「週35時間労働が好ましいのだが、失業者が多いから、週30時間労働にするしかない」と考えるのは、好ましくない。そんなことを次々とやっていくと、ついには、労働時間が無限小になってしまう。その前に、生産設備が遊休して、経済誌システムが崩壊してしまう。
 ここでは、むしろ逆に、労働量を先に決める。たとえば、「週37時間労働が好ましい」と決める。その労働量に合わせて、設備を決める。現状が設備不足であれば、設備投資を増やして消費を減らす。現状が設備過剰であれば、設備投資を中断して消費を増やす。

 [ 付記2 ]
 なお、欧州の典型であるドイツについていえば、こうだ。短時間労働とは、高所得と同義である。だから、「短時間労働・高所得」という形を選ぶかどうかを決める必要がある。その形を選ぶのであれば、労働時間を減らすしかない。(実質的なマルク高と同じ。)その形を選ばないのであれば、労働時間を増やすが高所得を諦めるしかない。(実質的なマルク安と同じ。)……ところが、現実には、「労働時間を減らさないで、かつ、高所得」というのを選ぼうとする。となると、残る道は、失業だけだ。かくて、失業が発生する。……そこで、企業は「失業がいやなら、国際競争力の維持のために、労働時間延長か賃下げか、どちらかを選べ」と労組に迫る。
 この問題は、特定の産業にのみ、しわ寄せが来ていることだ。むしろ、全産業で分かちあうべきなのだ。私の判断では、ドイツの賃金が高すぎるのが問題だと思う。とすれば、ドイツの賃金を下げるのがベストだ。それには、通貨安を通じて、マルクの価値を下げるのがベストだ。ところが、現実には、共通通貨ユーロの導入で、マルクの切り下げが不可能になってしまった。かくて、一国全体で(外国と比べての)賃下げをすることが不可能となってしまった。というわけで、歪みがしわ寄せされる形で、特定産業で失業または長時間労働または賃下げが、集中的に発生する。
 欧州共通通貨の導入は、問題の根源ではないが、問題の解決手段を奪ってしまっているのだ。
( ※ 欧州共通通貨の難点については、だいたい同趣旨のことを、前にも述べた。)


● ニュースと感想  (11月28日)

 「産業再生機構」について。
 ミサワホームの経営再建に産業再生機構が関与するという。民間だけではうまくまとまらないようなので産業再生機構に頼りたいという銀行の意向が働いてるらしい。(読売・朝刊・1面 2004-11-27 )
 こういう記事を見ると、「産業再生機構もちょっとは役立つかな」と思う人もいるだろう。そして、その通りだとすれば、「民間企業だけでは経済はうまく回らないから、経済には国の関与が必要だ」という社会主義的な発想となる。で、「少なくとも経営破綻した企業の再建には、国の関与が必要だ」というふうな意見が出てきそうだ。
 私の判断は? なるほど、そういう面があることはある。ただしそれは、市場原理の中で、「国という新たな強力な参加者が出た分、市場原理の働きが強化された」という程度のことにすぎない。本質的ではない。

 本質は何か? 「不況のときには市場原理はまともに働かない」ということだ。このことを認識することが大切だ。とすれば、なすべきことは、「民間だけでは市場原理がうまく働かないから、そこに国も参加するべきだ」ということではなくて、「市場原理がまともに働いていない不況という状況自体を解決する」ということだ。ミクロの強化ではなくて、マクロの改善だ。

 例示的に示そう。新生銀行というのが最近、頑張っている。これは米国系の再建会社が買収して再建したもの。これは破綻した長銀を、安値で買収して、今になって大儲けしているわけだ。ただし長銀の処理のために政府は数千億円もの巨額を投入した。莫大な血税をつぎこんだ結果が、米国系の会社の大儲けだ。
 一方で、最近は、三井住友がUFJの買収のために巨額の金を投入しようという意向だ。とすれば、長銀だって、三井住友が買収すれば、結果的には低コストで処理ができたことになる。「国の血税を莫大につぎこんで、米国系の会社がボロ儲け」なんてふうにはならずに、「三井住友が買収して、国の損失は小額で済む」というふうに処理ができたことになる。
 しかし、現実には、長銀を三井住友が買収することはなかった。なぜか? 当時は、日本の企業はどこもかも青息吐息だった。そもそも、メガバンクはまだ登場していなかった。三井と住友は別々だったし、三菱と東京も別々だったし、UFJも三和などのままでバラバラだった。
 では、どうすればよかったか? 長銀の処理を急がなければよかったのだ。そのまま放置して、他の銀行が健全になるまで待ち、そのあとで、メガバンクが出てから、長銀を処理すればよかった。

 とすれば、ダイエーやミサワホームも同様だ。「産業再生機構で今すぐ処理せよ」という方針では、巨額の損失が発生する。それよりは、マクロ的に、日本経済を健全化するのを優先すればよい。そして、不況を脱したあとで、健全な企業がダイエーやミサワホームを買収すればよい。(その際は、民事再生法などを使えばよい。だいたい、そのために、この法律はできたのだ。)

 結語。
 「産業再生機構で個別の企業を再建しよう」という方針そのものが根源的に狂っている。そんなふうに一つ一つ処理しても、賽(さい)の河原で石を積み上げるようなものだ。キリがないし、いつまでたっても駄目だ。なすべきことは、個別の処方ではなくて、マクロの処方である。国全体をマクロ的に健全化するべきだ。そして、そのためには、供給側をいくらいじっても駄目で、需要側を一挙に拡大する必要がある。
 日本政府が再建すべきは、ダイエーやミサワホームではなくて、日本政府自身なのだ。

 [ 付記 ]
 政府がいちいち介入するより民間任せの方がいい、というのが一般原理である。例を見よう。
 今年のカー・オブ・ザ・イヤーはレジェンドに決まったが、その理由は独自の4WD技術。これを開発したのは、一人の優秀な技術者がいたから。その技術者は、日産の先進的な技術(HICAS)を開発していた人。この人が、日産から出て、ホンダに移った。かくてホンダは、優秀な技術者を得て、優秀な技術を自社で育てることができた。
 これはこれで、いいことだ。仮に、この技術者が日産に残っていたら、この技術は生まれなかったはずだからだ。日本全体としてみれば、優秀な技術者が自己を生かせる環境に移行することは、よいことだ。
 ただし、ここ産業再建機構なんかが出てきたら、とんでもないことになる。「日産を解体してバラ売りせよ」と言い出した結果、日産がベンツに買収されて、優秀な技術が日本から国外流出していたかもしれない。
 これは悪夢または妄想だろうか? そんなことはない。当時の事情を見よう。結果的にはベンツのかわりにルノーが登場して、ルノーが日産の株の4割を握ることになった。ルノーは「4割でいい」と言ったからだ。一方、ベンツは「5割以上でなくては駄目だ。できれば100%の子会社化」と言ったので、日産と決裂した。……というわけで、日産はルノーのおかげで、子会社化しないで、自立しながら、現状のようになった。
 ただし、である。ここで産業再生機構が介入していたら、日産はベンツに買収されて、今ごろは「ベンツ・ジャパン」になっていただろう。その場合、(ルノー出身の)ゴーン社長はいないから、ひどい状態になっていたはずだ。ベンツに買収されたクライスラーか、ベンツから社長を送り込まれた三菱か、そんなふうになっていただろう。これは、とんでもない状態だ。しかるに、そういう状態を、当時、産業再生機構だったら、めざしたはずだ。「日産を解体してバラ売りせよ」と。
 日産は、経営難になったのが古い時期で、よかったですね。もし当時ではなく今ごろだったら、産業再生機構に処理されて、とんでもないことになっていたかもしれない。……恐怖ですね。
( → 11月18日 [ 付記 ]


● ニュースと感想  (11月29日)

 「プリペイド携帯」について。
 オレオレ詐欺の根源であるプリペイド携帯を規制しようとしたら、業界が大反対。「追加料金の支払いの際に本人確認することについて、「システム構築に数百億円もかかる」という理由。(読売・朝刊・社会面 2004-11-27 )
 呆れますね。頭が悪すぎる。「システム構築」というのは、たぶん、店頭でオンラインで処理しようとしているのだろう。そんな無駄なオンラインシステムを構築する必要など、さらさらない。
 では、どうするか? 確認したあとは、オンラインなんかやらないで、当のケータイで直接、登録すればいいのだ。「確認しました」という番号を該当サイトに送るだけ。該当サイトでは、ケータイの番号と確認番号を照合して、「OK」と処理すればよい。二つの番号を照合するだけの話だ。ごく簡単。開発費は、数百万円か、せいぜい数億円ぐらいでできる。
 「システム構築に数百億円もかかる」という理由だったら、私に発注してください。格安の十億円で引き受けます。で、概念設計だけして、あとは下請けに丸投げする。これだと、濡れ手で粟で、ほとんどボロ儲けできそう。
 どこかのソフト会社も、NTTに名乗り上げるといいですよ。「うちで格安で受注します」と。

 [ 付記1 ]
 わかりやすく言おう。あなたがドコモのケータイをもっているとする。あなたがドコモに追加料金を払うとき、どうやって本人証明するか? ドコモがあなたの住居に確認番号を葉書で郵送する。その葉書の番号をもって、あなたはドコモの扱い店に行って、本人確認してもらう。本人確認のあとで、ドコモの扱い店では、あなたの番号と「合格確認」番号を暗号処理して、パス番号を渡す。(つまり、あなたのケータイにパス番号を処理する。)あなたはパス番号を自分のケータイで、ドコモに送信する。ドコモはパス番号を見て、あなたが本人確認にパスしたことを知る。……以上の作業のすべては、店員がやるから、あなたはただ顔を見せて立っているだけでいい。
 要するに、処理としては、ごく単純な計算処理をするだけ。システム開発は、うまく行けば、十万円で済むかも。
( ※ 実際の確認では、葉書送付コストや、店頭確認の人件費はかかる。とはいえ、これは、システム開発とは関係なく、ただの確認費用。その分は、本人に別途請求すればいいだけだ。1回数百円。)

 [ 付記2 ]
 ついでに言えば、オレオレ詐欺の刑罰は甘すぎる。高齢者を狙って莫大な金を得ようとする、非常に悪質な犯罪なのに、先日決まった刑罰は、あまりにも軽微だ。
 泥棒と比較しよう。頭の悪い失業者が、出来心でついフラフラと泥棒に入って、家のなかの金銭を探したが、数千円しか見つからない。(普通はそんなものでしょう。)その数千円を盗んで、フラフラしていたら、目撃されていた上、指紋を残していたせいで、あっさりつかまる。……これだと、犯意は弱いし、被害も軽微だ。しかるに、非常に重い刑罰がかかる。バランスが取れない。
 ま、百円を盗んであっさりつかまった単純な泥棒と、オレオレ詐欺で高齢者から五百万円ずつ五千万円を盗んで、なかなかつかまらないという悪質な知能犯。両者を比べてみると、犯罪のひどさは雲泥の差だが、刑罰はどちらも数カ月の懲役だから、刑罰の差はない。
 あなたのご両親も狙われていますよ。下手をすると、全財産を盗まれて、首を吊るかも。オレオレ詐欺の場合、娘や息子を愛するがゆえに、だまされる。そこをつけねらう、非常に悪質なやつら。
 そいつらの味方をするのが、官僚と、政治家と、ケータイ会社。……グルですね。


● ニュースと感想  (11月29日b)

 「風力発電とハイブリッド車」について。
 風力発電とハイブリッド車を組み合わせる、という案が提案されている。(レスター・ブラウンによる。読売・朝刊・1面コラム 2004-11-28 )
 これは、なかなかいい案だ。風力発電は、需要のムラにうまく対応できないのが難点だ、と言われてきた。しかし夜間に、ハイブリッド車に電力を蓄積しておけば、この難点が消える。需要のムラをなくすために、ハイブリッド車の蓄電池を使うわけだ。頭いい。
 なお、風力発電のコストは、現在では1キロワット時で3セント(3円強)ぐらいだという。数年前には、火力発電並みの10円ぐらいだと言われてきたが、ずいぶんコストダウンしたものだ。これだったら、火力発電よりは低コストだ。なお、原子力は、核処理を含まない費用で、8円ぐらい。……風力発電が一番コスト安であるようだ。

 [ 余談 ]
 ハイブリッド車のプリウスが売れていると言うが、これはやはり、専用ボディを使ったところが経営上の好判断だった。プレミアム感がつくから、威張れるように、専用ボディで専用車であるといいわけだ。
 ホンダや日産のハイブリッドは、既存のボディを使うから、すぐにはハイブリッドだとはわからない。これだと、プレミアム感がない。
 プレミアム感がつくと、原価を大幅に上回る価格を付けることができて、メーカーはボロ儲けできる。これが高級品メーカーのあるべき姿。一方、安物しか作れない会社は、しきりにコストダウンばかりをめざす。
 トヨタは、商売が下手ですね。コストダウンは上手だが、高値を付けて儲けるという商法が身につかない。安物ばかり売りなれているから、高級品の売り方がわからない。半年も注文残をかかえているというのは、値付けが安すぎるということであり、利益を得そこなっているということだ。……で、どうなる? 販売店ばかりが、高値で売る。トヨタから安値で仕入れて、客に馬鹿高値で売る。せっかくの利益を、米穀販売店にかすめ取られる。その分、トヨタの利益が減って、社員の給料も上がらない。
 開発は好判断だったが、商売は悪判断。名古屋商人はどうしようもないですね。京都の老舗から、高値で売る商法を学びましょう。


● ニュースと感想  (11月30日)

 「少子化の対策」について。
 少子化の対策について、実効のある政策の例(英国)が示されている。
 大手の通信会社で、在宅勤務や短時間勤務を認めると、離職率が大幅に下がり、産休後に復帰する女性の割合が98%に高まった。新規募集コストが100億円ほど減り、生産性は30%も上がった。さらに、英国政府が国全体でこういう方針を推進したことで、出生率が上がった。01年の1.63から03年の1.71へ。
 これはみずほの研究員の報告。

 [ 付記 ]
 この話は、朝日新聞(朝刊・社説 2004-11-28 )に掲載されたもの。内容自体はとてもいい話だと思う。ただし、なぜこれが社説なのか、さっぱりわからない。「少子化対策」の記事にするべきだろう。
 朝日は、社説では意見を書かずに事実情報だけを書いて、「これは私の立派な意見です」と威張る。その一方で、記事では自分の意見をこっそりまぎれこませて、「これは私の意見ではなくて事実報道です」というフリをして、世間を洗脳する。……新聞としての規範が根本的に狂っている。


● ニュースと感想  (11月30日b)

 「少子化と児童手当」について。
 少子化の対策として、「児童手当」という案が出ている。(朝日・朝刊・社説 2004-11-29 )
 この主張の論旨は、「大学教育などに金がかかるから、少子化が進む。児童手当はバラマキなので、本来は増やすべきではないが、欧州の仏独では児童手当で成功している。だから日本でもやろう。その財源は、高齢者向けの福祉の削減などだ。」というもの。
 まったく、呆れるね。自説を撤回することにして、理由は「仏独の真似をしたいから」ということだけだ。欧州かぶれ。恥ずかしくないんですかね。
 では、どうするべきか? 「欧州のマネをしよう」なんて思わずに、自説を論理的・学問的に検証するといい。

 まず、「大学教育に金がかかる」というのを「少子化の原因」と見なした。だったら、「大学教育に金がかかる」という現状を改めるのが先決だろう。昔の国立大の学費は年額5万円ぐらいだったが、その後、財政健全化という名目で、急激に上昇していった。国立大については、この金額を下げるべきだろう。少なくとも、全学生の半数ぐらいは、優待奨学生として、半額免除や9割免除にするべきだ。(逆に、遊びほうけている学生には、高値でも仕方ないが。)

 また、児童手当をバラマキと見なすのは、正しくない。全国民(ただし子持ち)に対して配分するのであれば、つかみ金をばらまくという恣意的なバラマキとは異なり、単純な所得再配分だ。朝日は「恣意的なバラマキ」と「公正な所得再配分」との区別ができていない。経済学音痴。(財務省と同じでただの帳簿屋。経済学素人。)

 児童手当が所得再配分であるとすれば、財源は、「増税」であると判明する。児童手当は、無駄遣いではなくて、ただの「減税」なのである。「財源として増税はいけない」なんていうことはない。「減税と増税の組み合わせで、税体系の変更をする」というだけのことだ。朝日の主張は、「増税は駄目」で、「他の福祉の削減をせよ」だが、こういう硬直した頭は、あまりにも古典派的(小さな政府主義)である。
 朝日の頭は、レーガノミックスふうだ。小泉とも相性がいい。サプライサイドふうでもある。要するに、素人のエセ経済学。……もうちょっと経済学を勉強しましょう。

 [ 付記 ]
 朝日は経済学の知識が不足しているというより、まったく経済学に無知だ。経済学に無知な輩が経済政策を論じる。恥知らず。
 小泉と朝日はそっくり。政府もマスコミも最低な連中ばかりだ。だから日本の不況はいつまでも解決しない。「不況は解決しつつある」という嘘宣伝を出すことばかりに熱中している。……でもって、私が「だまされるな」と声を上げているわけだ。


● ニュースと感想  (12月01日)

 「相続税」について。
 相続税がしばしば話題になる。しかし私の個人的な意見では、相続税のことなど、いちいち政府が論じることはない、と思う。そんなことは、死ぬ人が遺言でちゃんと指定しておくべきであって、政府がいちいち口を挟む必要はないのだ。
 で、死ぬ人が何も言わなかったとしたら、受け取る方は何をもらおうと文句を言うべきではない、と思う。ま、配偶者ならば、そのまま相続してもいいだろう。しかし、子供の方は、相続についてぐちゃぐちゃ言うべきではあるまい。本来、子の方が金を出して、年老いた親を養うべきである。年老いた親が、なけなしの金を子に与えるのは、本筋ではあるまい。
 ま、例外的に、子供が未成年であった場合には、相続した方がいいとは思う。とはいえ、成人して、いい年を扱いたら、親の金をおねだりするなんて、みっともない。「ばぶばぶ。お金ちょーだい」なんて、大人が言うことだとは思えない。

 私の案は、次の二つ。
 原則の発想としては、相続税は、国が全額を没収してもいい。(これは極論である。あくまで発想だけ。)
 ただし、没収は、当の老人が死んだときではなくて、65歳になったときにやればよい。そして、財産を没収するかわりに、老後の面倒をすべてみる。たとえば、1千万円を没収して、それに相当する分、毎月一定の金額を支給する。(本人が死ぬまで。)
 要するに、こうだ。子は、「親の面倒を見るが、財産が余ったらもらう」というのが、本筋である。しかし今の子は、「親の面倒を見ないが、財産が余ったらもらう」という、人でなしばかりだ。だから、不真面目な子のかわりに、真面目な子の役割を、国が果たす。
 それが私の、「財産没収」という案だ。
( ※ 種明かしすると、「一括払い込みタイプの養老年金」のことですけどね。とにかく、こうすれば、年金問題はかなり解決に近づく。年金の不足額を、国民から頂戴する必要はない。相続遺産から頂戴すればいいのだ。前にも似たことを論じたことがある。)


● ニュースと感想  (12月01日b)

 「少子化の対策」について。
 朝日の社説は少子化問題をシリーズで扱っている。ちょっと古いが、土曜日の社説では、こう結論している。
 「『結婚したくはないが、子供は欲しい』という女性が増えている。ゆえに、少子化対策として、婚外子の相続税を下げればよい」(朝日・朝刊・社説 2004-11-28 )
 婚外子の優遇? 呆れますね。馬鹿じゃなかろうか。「婚外子の相続税が高いから、子供を産むのをやーめた」なんていう女性が、いるわけがないでしょうが。本質をずらしている。
 それより、根本が問題だ。「結婚したくはないが、子供は欲しい」なんていう女性が本当にいるんですかね? いるわけないでしょうが。長井ナントカとかいう毒舌タレントが言っていたぞ。「結婚したくないんじゃない、結婚できないんだ。間違いない!」と。

 つまりね。「結婚したくはないが、子供は欲しい」という話をよく聞くが、これは、男の論理。「子供は欲しいが、結婚したくない」ということ。「おまえとは、エッチはするけど、結婚しないよ」といって逃げるわけだ。無責任男。責任感ゼロ。
 実はこれは、朝日の体質ですね。いつも心の底で思っていることが、社説の意見で、バレてしまいましたね。
 要するに、「少子化対策」なんてことを口にしているが、本音は「エッチのやり放題で、子供を作り放題で、責任は取りたくない」ということだ。無責任の極み。父なしになった子供の気持ちなんか、まるきり無視している。ひどいね。こういう連中が、自分の身勝手な欲望を満たすために、社説を書いて、日本中を洗脳しようとしているわけだ。
 はっきり言っておこう。朝日の執筆者は、人間のクズだ。

 [ 余談 ]
 「どうしても結婚したくない」という女性は、いるだろうか? いるわけがない。いるように見えても、それは、「相手がいない」か、「この相手じゃイヤだ」というだけのことだ。理想の男性がいるなら、結婚を嫌がるわけがないですね。
 女性にとっての理想の結婚の例は、林望の家庭だ。夫が料理も皿洗いもすべてやってくれて、妻の方はほとんど何もしない。ただし、おしゃべりの相手だけはやる。といっても、夫がぺちゃくちゃしゃべるのを聞いているばかり。やることと言えば、温かな床暖房に寝転がって猫みたいに寝そべることぐらい。
 どうです? こういう結婚なら、女性もしてみたいでしょう? ヨンさまなんかより、ずっといいですよ。……だから、女性が「どうしても結婚したくない」なんてことは、まずありえないですね。
( → 「恋せよ妻たち」林望・著、小学館・刊。)

( ※ ところで、林望はどうして、こんなにマメなのか? それはね。美人たちとデートするためです。妻の公認のもとで、美人たちとデートする権利を得るために、せっせと家庭で働くわけ。……で、林望はデートしているだけで、実際には深い仲になっていないか? それは本人のみが知る。……しかしまあ、たとえ深い仲になったとしても、「エッチはしても責任は取りたくない」なんて思っている朝日ほど、ひどくはないはず。)


● ニュースと感想  (12月02日)

 「少子化と結婚難」について。
 少子化の前に、結婚難がある。男性たちが仮想恋愛に夢中になって「萌え〜」なんて言っているせいか、女性たちがなかなか結婚できない。これこそ少子化の最大要因かも。
 特に女性は深刻であるようだ。ぐずぐずしていると、年を食って、出産年齢を超えてしまう。「負け犬」の本の著者は、「どうすべきか?」と問われて、「それがわかっているならとっくに結婚しているわい」と吠えている。
 ふうむ。わかっていないようだ。それなら、私が、結婚の方法を教えます。下記の通り。
 結局、女性が結婚できるかどうかは、「王子様に愛してほしい」なんていう甘ったれた夢想を捨てて、「二人で一緒に頑張ろう」という気になることだ。とすれば、恋愛に際しても、男が来るのを待ったりしないで、自分でさっさと見つけて、アタックして、ものにしてしまえばいい。
 たとえば、東京都庁には、(例の皇族のお相手となった)黒田さんという男性が売れ残っていた。39歳で、シャイで、優秀で、けっこうハンサムで、超真面目。お買い得です。……世の中には(特に理系には)、こういう男性がいっぱいいます。私の同窓生だって、ひところ、こういう連中がいっぱい売れ残っていた。シャイな彼らは、「いい相手がいない」と悩んでいた。
 だから、女性は、こういう男性をどんどん捜して、どんどんアタックすればいいのだ。で、ものにする方法は? 簡単だ。「できちゃった結婚」だ。……子作りをすれば、結婚もできるし、少子化も解決します。子作りって、有益ですね。人間ってのは、生物的に、うまくできているものだ。エッチ欲にとらわれて行動すれば、ちゃんと社会が健全化する。(……のかな?)

 [ 付記 ]
 ただし女性は、相手を選ぶとき、注意した方がいいですよ。特に、朝日の社員だけは、やめた方がいい。理由は、前述。( → 該当箇所

 [ 補足 ]
 本項の話が不真面目すぎて役立たないとお思いの方は、週刊「 Yomiuri Weekly 」(今週発売)を読むといいでしょう。「35歳の結婚難」というような特集記事で、結婚の仕方が書いてあります。


● ニュースと感想  (12月02日b)

 「冬ソナと電車男」について。
 中年女性が「ヨン様」に夢中になって涙をこぼしている。と思ったら、今度は中年男が「電車男」に夢中になって涙をこぼしている。(朝日・朝刊・読書面の高橋源一郎のコラムと、読売・朝刊・経済面の経済部長のコラム。日付はともに 2004-11-28 )
 呆れはててしまいますね。ま、どっちもどっちという気はするが、男の方がずっとひどいね。
 女性が懐古調の古臭い純愛ドラマに夢中になるというのは、わからなくもない。何しろ最近の現代ドラマは、軽薄なことこの上ないからだ。古ぼけた果物であっても、イミテーションの果物よりはマシだろう。
 男性が掲示板の書き込みに夢中になるというのは、わけがわかりませんね。私も「電車男」はざっと目を通したが、愚劣としか言いようがないね。こんなもの、小説でも芸術でも何でもない。ただの書き込みでしょう。はっきり断言していいと思うが、こんなもので感動する人は、本当の恋愛をしたことがない人だけだと思う。つまりね。「電車男」というのは、モテない男の仮想恋愛。こんな仮想体験をするよりは、モテる男の真の恋愛を仮想体験した方がいい。その方法は? 本物の恋愛小説を読むことだ。

 [ 付記1 ]
 本物の恋愛小説とは? 私の推薦本は二つ。
  ・ ゲーテ著・手塚富雄訳「若きウェルテルの悩み
  ・ エミリ・ブロンテ・田中西二郎訳「嵐が丘
 いずれも絶版です。(別の訳者のならあるが、この訳者のは絶版。)古本屋で探すしかないですね。……つまり、日本では、本当の恋愛小説は絶版になっている。でもって、粗悪な「電車男」だの「世界の中心で愛を〜」なんかを読む連中が増えているわけだ。ジャンク恋愛ばかり。……ジャンクフードばかり食べているから、まともな食事を食べられなくなっているわけ。
 なお、女性読者向けでは、シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」も有名です。
 ついでに言うと、比較的最近の本では、東野圭吾の「秘密」は、なかなかよくできた恋愛エンターテインメントだと思う。お勧めです。
 ちょっと古い例だと、村上春樹の「ノルウェイの森」がある。これは、とてもいい小説だと思う。ただしこれは、小説ではあっても、恋愛小説ではありません。「100%恋愛小説」と帯に書いてあるのは嘘です。(このキャッチフレーズは村上春樹が考えたのだが、嘘は嘘です。)……なぜ嘘か? ここでは主人公はほとんど恋愛をしていないから。主人公は二人の女性の間をさまよっているが、弱い女性に対しては一方的に愛するばかりでちっとも愛されず、強い方の女性には愛されるばかりでちっとも愛さない。要するに、空回りしている「愛もどき」が二つあるだけ。まともに恋愛関係が成立しているのは、最後のあたりだけです。「10%恋愛小説」と書くべき。残りの90%は、恋愛の話じゃなくて、「井戸の穴」もしくは「心の穴」のことです。(普通の男と違いますね。変態みたい。)
 ま、それに比べれば、「電車男」に書いてあるのは最初から最後まで恋愛です。「100%恋愛小説」と書いても嘘ではない。(ただし、質はひどいから、とても「小説」と言えたものではないが。これを「小説」と呼ぶ人は、頭のレベルがひどく低知能化している。次の述べる批評家が代表だ。)

 [ 付記2 ]
 ついでだが、高橋源一郎ってのは、最低の批評家だね。書籍の一番のサワリを丸ごと引用している。批評家として絶対にやってはいけないことをやっている。推理小説で、犯人をバラすのよりも、もっと悪質だ。……本人も悪質だが、こんなものを掲載する朝日というのも、最低の新聞社だ。読者を馬鹿にしているとしか思えない。読者としては、迷惑情報を受け取るのだから、朝日に金を払うどころか、朝日から賠償金をもらいたくなるね。「金返せ!」
( ※ 「高橋源一郎は小説家だよ」とわざわざ教えてくれる人もいそうだが、この人は小説家なんでしょうかねえ。小説と称するものを書いていることはたしかだが、ジャンク小説家と呼ぶべきかも。その作品レベルは、「電車男」と比べればいいだろう。それで本人も満足するはず。)

 [ 付記3 ]
 私のお気に入りは? 実は、恋愛小説ではなくて、恋愛詩。シェークスピアの「ソネット集」(西脇順三郎・訳)こそ、恋愛文学の王冠と称するべきものでしょう。特に十八番は至高の文学作品だ。
 これと並ぶべき至高の文学作品としては、ボードレールの「悪の華」もある。無料で読めます。
( → 新訳・悪の華


● ニュースと感想  (12月03日)

 「ナイトビジョン」について。
 ナイトビジョン(夜間暗視装置)がホンダのレジェンドに搭載されていて、これをホンダは大々的に宣伝している。(朝日&読売・朝刊・カラー全面広告 2004-12-01 )
 この広告は非常に作為に満ちている。(先日も似た話をしたが、同じ話題を取り上げる。)

 (1) 写真
 「目では見えない路上の人物が、ナイトビジョンでは映し出される」という写真を示している。つまり、「闇夜のカラスの人物が、ディスプレイ上に白く姿を表示される」というふうに。
 とんでもない。だいたい、夜間の路上にいる人物が全然見えないなんてことはありえない。なぜなら、ライトで照らされるからだ。ところが、この写真では、わざとライトを消している。
 馬鹿じゃないの? 「夜間にライトを消して運転しても、ナイトビジョンで大丈夫」とでも言うつもりだろうか? 「夜間はライトを付けよ」というのが常識でしょうが。「法律を守るのが先決」というのが正しい。
 広告の写真は、「合成写真」と書いているが、「やらせ写真」「嘘写真」とでも書くべきだ。

 (2) ディスプレイ
 これが肝心な話だが、一番駄目なのが、ディスプレイを使うことだ。先日、「カーナビで運転しながらテレビを見ていて危険だ」(違法ではない)という報道があったが、これと同様だ。危険なときには、ディスプレイなんかを見ていては、ますます危険になるだけだ。
 路上に誰かが現れたのなら、ディスプレイで表示するより、ライトアップするべきだ。たとえば、黄色のランプをその方向に照射する、というふうに。あるいは、強力なハイビームを(高速点滅させながら)点灯する、というのでもいい。……とにかく、ディスプレイ上ではなく、現実の人物を照射するべきだ。

 (3) 無効
 ホンダのシステムでは、「闇夜にカラスの人物でも、ディスプレイに表示されます」と示されている。で、示されて、どうすればいいのか? 「闇夜にカラスの人物」は、どうせ見えないのだから、よけることができない。つまり、無効だ。
 ブレーキを踏むといいのかもしれないが、距離感がわからないから、その判断もつかない。(自動ブレーキをかけるのならまだしも。)
 結局、こんな暗視装置は、まったく無効だ。むしろ、運転者を戸惑わせて、事故を増やすだけだ。

(4) ズレ
 仮に、ディスプレイを見ながら判断した場合、通常はズレが生じる。たとえば、危険な領域に人間が立っていて、衝突しそうになったとする。それが人間でなくタヌキならば、そのまま立ち往生しているかもしれない。しかし人間であれば、立ち往生することはなく、さっさと逃げ出す。すると、ディスプレイに映った位置と、現実の人間との位置が、食い違う。(視線をずらしている間に、人間が移動するから。)
 ディスプレイ上には歩行者が立っているのに、現実を見たら別の人間が別の姿で逃げ出しているだけだ。両者は同じ人物か? あれこれ迷っている間に、事故が起こりやすい。最悪。

(5) 違法
 広告の写真に戻ろう。この写真は、現実にはありえない写真だ。なぜか? 現実には、「闇夜にカラス」ではなくて、ライトで照らされるからだ。夜間にライトを点灯しないのは、違法行為である。この写真は、違法な無灯火運転を前提にした写真である。犯罪を前提にしているわけだ。
 そもそも、ライトが点灯していない場合には、運転を停止するべきだ。ホンダの広告は、違法な運転を奨励している。
 たとえて言えば、「酒を飲んだら運転してはいけない」という法律があるのに、「酒を飲んでも安全に運転できます」というふうに、違法行為を奨励するようなものだ。反社会的。ホンダ自体が、反社会的な会社なのだ。(サリンをぶちまける麻原と同様。)

 (6) 受賞
 オマケで一言。「カー・オブ・ザ・イヤー受賞」と書いているが、まるでこの技術で受賞したかのようだ。そうじゃないでしょ。受賞したのは、4WD技術。ナイトビジョン技術なんて、関係ない。

 結語。
 ディスプレイで表示するというのは、駄目だ。最悪である。こんなのは、ただのハイテク・オモチャである。事故を減らすどころか、事故を増やす。
 ディスプレーで表示するのではなく、ライトで現実の対象を照射するべきだ。また、ついでに自動ブレーキがかかれば、なおさらよい。
( → 10月13日 同趣旨の話。)

 [ 付記1 ]
 イヤミを言っておこう。そもそも、ナイトビジョンなんてのは、発想が出歯亀なんだよね。「こっそり見てやろう」なんて発想はしないでほしいね。
 こんな馬鹿げた広告をするくらいなら、「夕方の無灯火運転はやめましょう。薄暗くなったら必ずライトを点灯しましょう。」というキャンペーンを張るべし。その方がずっと事故は減ります。(自分が見えりゃいいってものじゃない。事故を減らすためにライトを点灯するのだ。プロ・レーサーなどの上級ドライバーがちゃんと指摘しています。心がけましょうね。)

 [ 付記2 ]
 もっとイヤミを言っておこう。自動車会社は、自分の会社が人殺し会社だということを自覚していないのだ。責任感と反省が稀薄すぎるんだよね。まったく。恥知らずの連中が多すぎる。
 トヨタなんかは、金儲けばかりに熱中していないで、少しは足長おじさん基金に寄付するべし。アメリカの犯罪マフィアだって、麻薬で金儲けしたら、少しは寄付しているんですからね。
( ※ 先日、新潟震災があったが、トヨタが4千万円ぽっちを寄付した、という話が報道された。一方、チェ・ジウは個人的に1万ドルを寄付した。また、大相撲の相撲協会は1千万円を寄付した。相撲協会の年間利益は、トヨタの年間利益の4分の1か? まさか。トヨタの年間利益は、ざっと1兆円ぐらいあるんだから、チェ・ジウを見習えば、百億円ぐらい寄付してもいいんですけどね。3桁違っていますね。)


● ニュースと感想  (12月03日b)

 年賀状について、インターネット情報のご案内。

  → 年賀状の画像・情報


● ニュースと感想  (12月04日)

 「インフルエンザ・ウィルス」について。
 近年、新型の凶悪なインフルエンザ・ウィルスが出回る危険が増えているという。鳥インフルエンザがひどくて、すでに1億羽以上が処分された。猫や虎にも感染しているという。さらに、鳥のインフルエンザ・ウィルスと人のインフルエンザ・ウィルスが、豚の体内で融合して、新型インフルエンザ・ウィルスになって、人間に感染する危険が高まっているという。出回ると、莫大な被害が出そうだという。(読売・朝刊・解説面 2004-12-02 )
 いやですねえ。SFもどき。どうも、高齢者や乳幼児を中心に、数十万人ぐらいの死者は出るかもしれないらしい。
 それを避けるには、対策は、ワクチンと薬剤。だけど、いくら頑張っても、十分には出回らないようだ。私の友人は、医学系の学者であり、自分で処方箋を書いて、薬剤を自由に入手できる立場にあったが、風邪を引いたときは、抗ウィルス剤を服用することもなく、自然治癒に任せていた。医者の不養生。紺屋の白袴。ま、いったん寝込んだら、いちいち数千円を出して、薬を買いに行くのは、面倒なのだろう。で、その間、あちこちにウィルスをまきちらしていたらしい。(というのは私の推測だが。)

 風邪のシーズンには、風邪薬を無償で供与した方がいい、と私は思う。その費用は税金でまかなってもいい。(その分の増税はあってもいい。薬代のかわりだ。)……国全体で見れば、その方が効果的だろう。一人一人が善意で努力するより、全員でウィルス撲滅をした方が、ずっと効果的である。
 でも、政府は、やらないんですよね。なぜ? ミサイル防衛網に1兆円もかけるから、ウィルス対策のお金がなくなっちゃうんです。北朝鮮のミサイルで十人ぐらいが死ぬのを防止するためなら、1兆円を費やすが、ウィルス対策で数十万人が死ぬのを防止するためには、その1%以下の金額だってケチるんです。……だから、風邪がうつるんです。
 つまりね。ミサイル防衛網ってのは、国民の命を救うためにあるのではなくて、アメリカの軍事産業を育成するためにある。で、ブッシュは、当選したときに、アメリカの軍事産業に借りがあるから、小泉に命じる。小泉はポチだから、ご主人様に言われたらシッポを振る。
 実は、北朝鮮の金正日というのは、ブッシュの部下なのだ。アメリカの軍事産業がボロ儲けするためには、北朝鮮という仮想敵が必要である。でもって、金正日は、その仮想敵という道化役を演じているわけだ。こいつが道化をやっているおかげで、ブッシュも小泉も、とても得をする。損をするのは、日本国民ばかり。
 かくて、ウィルスが蔓延して、日本人は大損をする。莫大な人命を奪われる。……誰のせい? 金正日のせい? それは違うんじゃないの。道化なんて、しょせんは、あちこちにいっぱいいるんだから。

 結語。
 テポドンよりも危険なのは、インフルエンザ・ウィルスである。もっと危険なのは、保守派の洗脳ウィルスである。狂犬病並みだ。こいつに感染すると、脳をやられて、正常な行動ができなくなり、自ら死を選ぶ。致死的。

 [ 付記 ]
 防衛庁がまたあらたに長距離ミサイルを開発するらしい。離島を守るためだという。(読売・朝刊・1面 2004-12-03 )
 離島なんてのは、莫大なコストをかけないと、維持できない。火山噴火の三宅島には、一軒あたり、数千万円もの公共事業(砂防ダムなど)を費やしている。新潟の震災者は? 全壊家屋への補償はあるが、家族の人命を失った人への補償はなし。家財の損失も同様。(赤十字などからの補償はあるが、これは国とは別。)……国がやるのは、建設のためというより、破壊のためのミサイル。やってられんわ。

 [ 参考 ]
 イラクの自衛隊の効果についても、01日ごろの朝日新聞(社説か記事)に掲載されていた。やったことは、給水事業ぐらい。しかしまもなく、ODAで給水システムが整うので、自衛隊の16倍の規模で給水事業が実施される。コスト比較で言うと、自衛隊は四百億円だが、ODAは1件あたり十数億円で済むという。コストと効果の比率であるコストパフォーマンスで比較すると、二百倍ぐらいの差がつきそうだ。
 だけど自衛隊は駐留し続けるという。何のため? イラクの平和のため? まさか。もちろん、米国の忠犬であることを誇示するためです。わんわん。



● ニュースと感想  (12月04日b)

 「コンピュータ・ウィルス」について。
 コンピュータのウィルスが出回っていますね。冬で、風邪のシーズンだからでしょうか。
 MS-IE のセキュリティ・ホールがあるとか、WindowsXP SP2 にセキュリティ・ホールがあるとか、まったく、枚挙に暇がなし。WindowsXP SP2 なんかやっても、意味がないようだ。
 ブラウザで Firefox というのが最近、大々的に話題なっている。MS-IE にかわるブラウザ。Opera と違って、広告がない。しかも、MS-IE より動作が軽い。

 ま、このあたりは、私のサイトではなくて、他の関連サイトを参照してください。


● ニュースと感想  (12月05日)

 「財政再建と増税」について。
 「財政再建のために増税を」という意見が結構ある。朝日のコラムから引用しよう。
 「経済理論が教えるのは、政府の債務がふくらんでも歳出の削減や増税ができなければ、超インフレが起こる、ということだ」(朝日・夕刊・2面・コラム 2004-11-30 )
 これは、いかにももっともらしい主張だが、デタラメである。こういうデタラメを言うのは誰かと思って書名を見たら、「小林慶一郎」とあった。やっぱりね。
 この主張が間違っているということは、現実を見ればすぐにわかる。現実は、どうか? 今、政府の債務がふくらんで、歳出の削減や増税ができない。で、超インフレが起こったか? 逆に、デフレが起こっている。
 要するに、現実を見ればわかるとおり、上記の主張はまったくのデタラメである。

 ま、非常に長期を見れば、上記の主張は正しい。しかしケインズの言うとおり、「長期的にはわれわれはみんな死んでいる」のだから、非常に長期を考えたって、意味がない。
 たとえば、バブル期の前に、莫大な財政赤字が蓄積したことがあった。あのころも、「財政赤字が大変だ」と大騒ぎだった。で、そのあと、超インフレが起こったか? 別に、起こらなかった。そのあと適当な時期に歳出削減などが進んだから、特に大きな問題は起こらなかった。(なお、バブル期の資産インフレは、過度の金融緩和が原因であり、財政赤字とは直接の関係はない。)
 要するに、非常に長期を考えれば、「ずっと財政赤字」ということはなくて、いつかは解決の時期が来るのだから、短期的に財政赤字を大問題にする必要はさらさらない。「いつかは増税が必要だ」という主張は正しいが、「今すぐ増税が必要だ」という主張はまったく正しくない。(このことを小林は故意に書き落としている。彼はやたらと経済をモラルで論じるモラリストだからだ。モラリストというのは、誉め言葉ではありません。エコノミストになれない、という意味。)

 では、正解は? 
 上記の主張が成立するには、一つの条件がある。それは、次のことだ。
 「国民が消費を増やせば」
 この条件が満たされれば、上記の主張は正しい。なぜなら、国民の消費と、民間の投資と、政府の支出とがぶつかりあって、需要の奪い合いが起こるからだ。当然、超インフレが起こる。
 一方、この条件が満たされなければ、上記の主張は正しくない。なぜなら、国民の消費と、民間の投資とが、ともに減るので、政府の支出とがぶつかりあわず、需要の奪い合いも起こらないからだ。当然、超インフレは起こらない。(むしろデフレが起こる。)

 この問題は、「国の借金とは何か?」を論じるミドル経済学を理解すると、本質がわかる。そして、ミドル経済学を理解しないと、「国の借金とは何か?」と問われて、単に「借金である」と答えて、「借金は悪いことだから、さっさと借金を減らそう」というモラルを主張することになる。
 小林が示しているのは、経済学ではなくて、エセ経済学(正確には経済道徳)なのである。そして、経済を道徳で論じると、「正しいことをなそう」としたあげく、ひどい結果を招くことになる。素人というものは、そういうものだ。素人というよりは、嘘つきと言うべきかもしれないが。

 [ 補説 ]
 では、財政再建は、しなくてもいいのだろうか? 財政赤字をどんどん拡大してもいいのだろうか? この問題には、本質的に考えることで、結論を出せる。
 財政赤字を減らすということは、しょせんは、帳簿の数字の問題だ。ここに注目しよう。
 たとえば、人が借金をすることは悪いか? 百万円の借金をしても、その百万円をそっくり銀行預金してしまえば、赤字が百万円で黒字が百万円だから、差し引きしてチャラである。この場合の赤字は、無意味だ。一方、赤字なしでも、「先払い」の約束でローンを組んで、ポルシェを千万円で買えば、先で破綻する。この場合は、赤字はなくても、赤字と同様である。
 だから、帳簿がどうのこうのというのよりも、実質が大切だ。では、実質を考えると、どうか? 
 「減税」ならば、問題はない。国が国民に金を貸しているだけだ。今は財政赤字を出しているが、後で増税が可能だから、この赤字は無意味である。このような赤字はどんどんふくらんでも問題ない。(無限ではないが、多少は問題ない。)一方、「公共事業」ならば、ポルシェを買うのと同様で、まったくの無駄だ。軽自動車でも済むのに、わざわざ余計な買物をするのは、純然たる無駄である。たとえ当面の赤字が出なくても、無駄は無駄だ。
 結論。財政赤字が問題なのではない。実質的な無駄のあることが問題だ。「財政赤字を減らせ」という主張で、金の卵を産むガチョウ(国家経済)を殺してしまっては、元も子もない。一方、当面の赤字は生まなくても、純然たる無駄を生み出すもの(公共事業)は、さっさと削減するべきだ。── 要するに、帳簿の数字ではなくて、実質が大事なのだ。本質を見れば、そうわかる。


● ニュースと感想  (12月06日)

 「財政再建」について。
 小林慶一郎の記事がまた出ている。(朝日・朝刊・解説コラム 2004-12-05 )
 前回の記事の続きという形。ついでに、私も前日の言及の続きの形で述べておこう。

 今回のコラムは、前回のコラムほど、メチャクチャではない。とはいえ、やはり、一番の基本が間違っている。
「財政再建には、歳入増加か歳出削減か、どちらかしかない」と述べているが、これは、とんでもない話だ。ここには、マクロ経済学の視点がまるきり欠けており、そのせいで、とんでもない結論になっている。
 歳入増加は、増税を通じて、GDPを減らす。
 歳出削減は、支出削減を通じて、GDPを減らす。
 だから、どちらも正しくない。では、正しくは? 「GDPの増加」である。GDPの増加があれば、歳入増加も、歳出削減も、どちらもしないでよい。
 国民レベルで言えば、増税も福祉削減も、どちらも困る。かわりに、「労働増加」があればよい。たとえば、百万円分働いて、七十万円をもらって、三十万円を納税する。これなら、国民も政府もハッピーだ。……それがつまり、「GDPの増加」であり、「労働増加」である。

 一般に、古典派というものは、「パイの配分」ばかりを考えている。パイの切り方を巡って、
 ・ 政府が多い方がいい
 ・ 国民が多い方がいい
 とカンカンガクガクだ。小林の主張は、「前者か後者か」という命題を立てた上で、「前者がいい」と結論する。
 もちろん、これは誤りである。正しくは、パイの配分をどうこうするのではなくて、「パイそのものを大きくすること」だ。それが「GDPの増加」である。
 マクロ経済学を理解できない人って、本当に困りますね。本人は正しいことを主張しているつもりだが、国中に嘘をばらまいて、日本経済を破壊しようとする。「救います」と述べながら、殺そうとする。


● ニュースと感想  (12月07日)

 「財政再建とインフレ」について。
 前項の続き。
 前項では、小林の主張として、「財政再建には、歳入増加か歳出削減か、どちらかしかない」というふうに記した。ただし、元の記事には、「歳入増加」と「歳出削減」のほうかに、もう一つ、「インフレ」という選択肢もある。ただしこれは、「財政再建しない場合」の選択肢だ。まとめて言うと、こうだ。  ついでに言うと、この三つは、対等ではない。「歳入増加」と「歳出削減」は、財政再建を可能とする。しかし、インフレは、財政再建を可能とするわけではない。インフレによって借金をチャラにするためには、インフレ率(物価上昇率)を無限大にする必要がある。現実には、インフレ率はもっと低い。インフレ率が百%になった場合でさえ、債務は半減するだけだ。
 財政再建しないとインフレになるが、インフレになっても財政再建ができるわけではない。


● ニュースと感想  (12月08日)

 「財政再建と金利」について。
 前3項の続き。
 「財政再建をしないと金利が上昇する懸念がある」という主張がある。(朝日・朝刊・社説 2004-12-06 )
 これは、よくある意見だが、正しくない。

 「財政再建をしないと金利が上昇する懸念がある」というのは、こういう理屈だ。
 「財政再建をしないと、財政破綻の危険が増す。インフレまたは返済不能(デフォルト)の危険が増す。そういうふうに懸念すると、国債保有者は、国債を投げ売りする。すると、金利が上昇する。つまり、国債暴落」
 こういうのは、経済学というよりは、投機ゲームの心理予想であるにすぎない。経済というものを市場の心理で決めつけようとする。理論もへったくれもあったものじゃない。経済音痴の典型。

 では、経済学的には? 
 まず、「財政破綻」とは何か? 上述の通り、「インフレ」または「返済不能」である。両者に分けて考えよう。(順序は逆。)

 第1に、「返済不能」。この懸念は、まったくない。国の債務と国の債権を差し引きした純債務は、他の先進国並みであり、多くはないからだ。(前々項の小林の記述にある通り。)つまり、莫大な債務を負っていても、米国やら何やらに債権をもっているから、差し引きして、大した債務にはなっていない。
 ついでに言えば、本当の「返済不能」の問題は、増税するか否かではなくて、増税できるか否かだ。不況が続いたままだと、増税できる能力が奪われるから、そちらの方が問題なのだ。「返済不能」が問題となるときには、「今すぐ増税しているかどうか」よりも、「このあと増税できる経済力があるかどうか」が着目されるのだ。不況期に増税なんかすれば、「今すぐ増税している」と見なされる一方で、「このあと増税できる経済力が奪われる」と見なされるから、不信感を浴びる危険はかえって増える。

 第2に、「インフレ」。前々々項でも「インフレ」に言及したが、それとの関連で言おう。
 「インフレ」と「高金利」は、セットでなされる。というのは、「インフレ」が起こると、自動的に「高金利」が起こるからだ。では、「インフレ」と「高金利」が起こるのは、どういう場合か? 
 「インフレ」は、貨幣量の増大にともなって起こる。「高金利」は、貨幣量の縮小にともなって起こる。とすれば、両者は矛盾する。マネタリズム的に解釈すれば、両方はありえないことになる。困ってしまうでしょうね。(マネタリズムによれば、「インフレになれば、高金利によってインフレを解決できる」となる。だから、「高金利にすれば、インフレは起こらない」と思うのだろう。現実には、「インフレのときには高金利があるから、インフレと高金利はセットで発生する」というふうになる。)
 この問題を理解するには、ミドル経済学の発想を取るとよい。つまり、「消費」と「投資」と「借金返済」の関係を考える。すると、どうか? 
 貨幣量が増えた場合には、インフレが起こるから、貨幣量をやたらと増やさなければよい。これが原則。
 そこで、貨幣量が一定であると仮定しよう。すると、消費と投資の和は一定だ。消費が増えれば、投資が減る。このとき、投資意欲にたいして、資金量は減るから、金利は上昇する。……これが「インフレ期の高金利」という現象だ。
 ただし、この場合は、消費の向上にともなって、生産量が拡大するはずだ。実際に生産量が拡大するかどうかは、そのときの状況しだいだ。そのときが不況であれば、実際に生産量が拡大する。そのときが好況であれば、生産量は上限にぶつかる(頭打ちになる)ので、物価上昇ばかりが起こる。
 前者の状況(不況期の生産量増大)は、好ましいことであるから、放置してよい。むしろ、これを抑制してはならない。
 後者の状況(好況期の物価上昇)は、悪いことだから、抑制するべきだ。通常、マネタリストは「利上げ」を主張するが、このときは「増税」が正しい。このときこそ、「増税」をするべきなのだ。(なぜ「利上げ」が駄目かというと、投資を抑制して、生産能力の拡大を抑制するから。ここでは、投資を抑制するより、消費を抑制するべきである。ゆえに「増税」が必要。)
 この前者と後者を混同してはならない。しかるに、混同しているのが、朝日だ。朝日は、「好況期の物価上昇(後者)の危険があるから増税せよ」と主張している。しかし、現状は不況期である。だから、「不況期の生産量増大(前者)は好ましい」と言うべきなのだが、逆にそれを否定している。 (
 たとえて言えば、「夏になると体温上昇の危険があるから薄着をするべきだ」と主張して、冬のさなかに「薄着をせよ」と主張するようなものだ。夏の危険を想定して、夏の危険を避けるために、冬のさなかで夏対策をする。不況期には減税をして、好況期には増税をするる。それが朝日の「増税」論だ。正しくは、「冬は厚着をして、夏は薄着をする」のであるが、両者の区別がつかないのだ。

 以上が、経済学的な結論だ。
 朝日の主張では、「財政再建に及び腰だと見なされる状況になると、市場関係者が国債を投げ売りして、国債が暴落するかもしれない」と述べている。これは、たしかに、あり得る。ただし、その前提は、「市場関係者がみな朝日と同様に愚かである」ということだ。
 「市場関係者がみな朝日と同様に愚かである」という前提が成立すれば、経済学のことなんか考えないで、単にモラルだけで考えるので、「増税をしないのはけしからん。モラルに反する。モラルのないやつは信頼できない」と思う。かくて、「不信ゆえに、国債を売る」という結果になるだろう。(朝日の主張の通り。)
 一方、「市場関係者がみな朝日と同様に愚かである」という前提が成立しなければ、どうか? つまり、「市場関係者が経済学的な知識をもつ」という場合には、どうか? 次のいずれかだ。

 ケース1。減税した場合。すると、こうなる。「減税によって、経済体力が強まる。GDPは増加し、企業は大幅に利益を得るし、労働者はせっせと働くようになる。日本の経済力は高まり、円高になる」と市場関係者は思う。この場合は、経済の正常化にともなって、金利はだんだん上昇して、やがては3%程度にまで上昇するだろう。それにともなって、国債はゆるやかに下落していく。しかし、それは正常化の過程であるから、当然だ。
 ケース2。増税した場合。すると、こうだ。「増税をするなんて、経済体力を弱めるから、かえってまずい」と市場関係者は思う。ただし、それによってデフレが進めば、物を買うよりは国債をもっている方が有利だ。この場合には、国債の投げ売りは起こらない。ただし、不信感は増す。
 ケース3。大幅増税の場合。橋本増税を上回る大幅増税だ。すると、こうなる。「財政再建のために大幅増税」という方針で、消費税を30%ぐらいに上げる。とたんに、消費は激減して(30%減になり)、ものすごいデフレスパイラルに載る。GDPは半減以下になり、国家経済が完全に破壊される。日本中の半分の企業が倒産する。経済力が半分になるから、国債を返済する能力も半減する。実質的には、返済不能だ。デフォルト。アルゼンチン化。国債は大幅に暴落して、紙屑になる。

 現状は、ケース1とケース2の中間である。(減税も増税もなし。回復も悪化もなし。)
 朝日などの増税論者の主張しているのは、ケース2とケース3の中間である。(中規模の増税。)……これが愚かだといことは、すでに示したとおり。そして、その理由はも、すでに示したとおり。(「前者と後者を区別しないこと」として示した。の箇所。)


● ニュースと感想  (12月09日)

 「財政赤字とドル安」について。
 財政赤字がどんどんたまると最終的には破綻するはずだ。それに近い状況が、現在の米国に当てはまりそうだ。
 新聞報道によると、ドル安がかなり進んでいるようだ。円に比較してのドル安は、あまり目立たないが、他の通貨に比較してのドル安は、ずいぶん進んでいる。その例が最近のユーロ高だ。
 これでもまだ米国の財政赤字は減らない。というわけで、ドルはどんどん下がる可能性がかなりある。
 また、ドルに比較しての円レートは、ユーロのように高くなっていないで、あまり変わらない。これは不自然だ。円もユーロと同等に高くなってもいいだろう。

 以上をまとめると、米国の要因でドル安は進むだろうし、日本の要因で円高は進むだろう。日本政府は、為替介入でゴマ化すつもりだろうが、どこまでもやるわけには行かないから、やはりこの方向が進む。
 結局、「ドル安・円高」が、来年は進むだろう。特に米国については、「赤字の垂れ流しのし放題」という状況に限界があることが、やがてははっきりするはずだ。

 [ 付記 ]
 中国の通貨の問題は? これは、「関係ない」と中国はいっているが、関係あるともないとも言える。正解は中間だろう。つまり、「関係ある」の度合いは、米国の輸入高における中国からの輸入の比率。これはけっこうある。
 ただし、これを皆無にしても、米国の赤字はいくらか減るだけで、根本的な赤字構造は解決しない。根本問題は、米国にある。
 ただし、米国が貿易収支を黒字にしても、対中赤字はやはり残るはずだ。中国相手以外には黒字で、中国相手では大幅赤字、となる。やはり、中国通貨のレートは変更されるべきだろう。
 とはいえ、これは、「中国の輸出が増え、他の国の輸出が減る」ということだから、中国と他国との関係だ。米国は関係ない。米国の赤字はあくまで米国の問題だ。この点では、中国の主張は正しい。
 だけど、「中国の通貨を上げなくていい」というのは、他の諸国にとっては問題だ。だから中国の通貨は適正な水準にするべきだろう。……とはいっても、現状で損しているのは、中国(の国民)なんですけどね。通貨安のせいで、安月給。企業重視、国民軽視。
 中国の問題を解決するには、中国の政治体制を解決しなくては。
(けど、日本の政治体制も、米国の政治体制も、他国のことを言えた義理じゃないが。)


● ニュースと感想  (12月10日)

 「学力低下」について。
 学力低下がひどいという。15歳の計測では、2000年に比べて2003年は大幅に低下したという。特に読解力は、極端に低下して、41カ国のうちで、平均点を下回るという。前回はトップだった数学力も低下。(各紙・夕刊 2004-12-07 )
 これは、不思議ではない。読解力の低下というのは、あらゆる科目に影響する。人間的な思考力そのものが低下しているのと同様だ。思考力が低下すれば、あらゆる科目で点数が下がるのは当然だ。(知能指数が下がるのと同じ。)
 原因は、「ケータイ文化」のさなかの「読書離れ」らしい。さもありなん。
 ただし、私は別に、これを批判するつもりはない。悪口を期待している読者も多いだろうが、そのつもりはないので、念のため。(若年世代に憐れみを感じるだけだ。)

 対策は? 
 家庭では、子供に読書をさせること。親としての責任である。この責任を放棄して、やたらとケータイやゲーム機やキャラクター製品やオモチャを買い与える親は、親として失格だ。「子供に手間をかけるのがイヤだから、オモチャでも買い与えておとなしくさせてやろう」という魂胆が見え見えだ。はっきり言って、親が愚劣だから、子供も愚劣になる。子供はその犠牲者である。(子供をどう育てるかは、百パーセント、大人の責任である。子供には責任はない。)
 教育制度としては、「ゆとり教育」なんかはやめるべきだが、「試験地獄」にするのも正しくない。正しくは、「考える教育」だ。長文の読解や長文の作文を指導するべきだ。これこそ思考力を育てる。「ボランティア」とか「総合教育」とか、そんな中途半端なことをやっても、思考力は育たない。
 試験制度としては、「短時間の反射神経能力・知能指数能力」みたいな試験とは別に、「長時間をかけた、長文読解・長文作文」という試験科目を設定するべきだ。
 膨大な分量の長文を、2時間かけて読ませて、2時間かけて作文を書かせる。ただし、「短時間で量を処理する能力」が問われるわけではない。質が問題だ。じっくり考える能力を問う。
 例題。次の文献を読んで、人類における「思考力の向上」のための教育政策について論じよ。
 さて。こういう論述問題だと、「採点が難しい」という難点がありそうだ。困るか? いや、大丈夫。受験者の全員を採点するのではなくて、ボーダーラインの少数だけを採点すればよい。 (ほとんど零点に近いような答案しか書けないような受験生は、ボーダーラインをかなり上回っていても、不合格とする。他科目全体での上位合格者90%ぐらいについては、もともと採点外とする。)
 こうすれば、採点の手間は、十分の1以下で済む。

 [ 付記1 ]
 読解力低下の原因は何か? 「活字離れ」が直接の原因だが、そのまた原因は何か? ケータイか? それは高校生だろう。私の推定では、中学生はやはり、ゲームである。画像ばかり見ていれば、文字を読むことは少なくなる。当然。
 一般に、抽象概念は、画像にはならず、言葉を使うしかない。その言葉を使う機会が減っていれば、抽象概念を使う機会も減るし、当然、思考能力は低下する。
 ついでだが、「読み」と「書き」は関連している。「読み」の機会が減れば、「書き」の能力も低下する。「書き」の能力の低下は、すなわち、思考力の低下だ。……とにかく、言語能力の低下は、思考能力の低下であり、そのことが、今回の調査で判明した、と言えるだろう。
 ま、根本原因は、ゲーム機というよりは、ゲーム機を買い与える親であるが。「子供にはインスタント食品とゲーム機を与えるだけ」なんていう親が、諸悪の根源だ。
 だけど、そのまた原因には、「親を長時間労働で忙しくさせている」という会社がある。そのまた原因には、「不況を続ける」という政府の経済政策がある。……すべての根源は、小泉ですかね。学力低下は、小泉政策の波紋かも。

 [ 付記2 ]
 テレビゲームの批判なんかをすると、オタクの連中が「南堂の野郎、何言ってやがるんだ。おれの大好きなテレビゲームを批判するなんて、けしからんぞ。おれはテレビゲームをやっているけど、ちっとも害悪を受けていないぞ」と主張しそうだ。(ついでに「萌え〜」と叫びそうだ。)
 ただし、それは見当違いだ。私の主張は、「テレビゲームに(直接の)害悪がある」ということではなくて、「テレビゲームをやっていると、健全な精神発達をする機会を奪われる」ということだ。その意味で、「間接の害悪がある」とは言えるが、「直接の害悪がある」とは言えないだろう。
 だから、未成年の子供がテレビゲームをやることは(成長の機会をなくすので)良くないだろうが、ボケかけた老人がテレビゲームをやることは(どうせ成長はするはずがないので)悪くないだろう。
 ま、一言で言えば、テレビゲームというのは、ボケ老人のためにある。自分がボケかけた老人だと思う人は、テレビゲームをやるといいだろう。
( → 次項 「自閉症と言語能力」)


● ニュースと感想  (12月10日b)

 前項 の続き。「自閉症と言語能力」について。
 「自閉症」と呼ばれる知的障害がある。自閉症という言葉からすると、「自分自身の殻に閉じこもって、周囲の人に打ち解けない」という意味があるように感じられるが、そういう意味の障害ではない。ある種の人間的な判断力の障害である。脳機能全般の低下(精神的未発達や低知能)とは異なる。原因は、心理的なショックなどではなくて、脳の一部に器質的(物質的)な機能障害があることだと推定されている。
 「自閉症」の症状は、判断力・認知力の低下であるが、その一方で、図形的な知能などは人並み以上に優れていることも多い。ただし、常に現れるのが、言語能力の障害だ。(失語症とは違って、音声レベルではなくて内容レベルの言語障害。)

 このことから、私は、次のように推定する。
 「判断力(思考力)と言語能力は、密接に結びついている
 
 極端に言えば、現代の若者は、自閉症的なのである。(「的」というのは、実際には物質レベルの機能障害などはないからだ。)
 現代の若者は、頭が悪いせいで思考力が低下しているのではない。勉強時間が足りないから思考力が足りないのでもない。「言語能力」が未発達だから、「思考力」が未発達なのだ。たとえて言えば、「類人猿から人類になる」という進化の過程を、半分しかたどっていないようなものだ。
 結局、テレビゲームとケータイばかりやっていて、まともに読書しない。そのせいで、言語能力が未発達になり、判断力や思考力が未発達になる。それが今の若者だ、と言えそうだ。
 前項を参照。

 [ 付記 ]
 先日、イラク人質事件で、ひどい人身攻撃があった。これも「自閉症」という観点からすると、わかりやすい。
 このように攻撃的になるのは、自閉症の患者が突然攻撃的になるのと似ている。対人的な交流をなくして、ネットばかりに吸いついて、低レベルな変な特殊言語を使い、狭い世界に閉じこもり、特定の幼稚な趣味ばかりに喜んで、あるとき突然、異常なほど攻撃的になる……これは、どう見ても、「自閉症」的だ。ひどい精神発達障害である。


● ニュースと感想  (12月11日)

 「小学生のパソコン教育」について。
 「小学生にパソコン教育をやっても仕方ない。ネットで検索しても、教育効果のあるページはヒットしない。むしろ図書館の書籍で調べる方が、教育的に有効だ」という意見があった。(読売・朝刊・投書欄 2004-12-10 )
 まことに正論だ。「コンピュータ教育をやれば生徒が利口になる」なんていうIT馬鹿に踊らされると、ろくなことはない、という見本。下手をすると、ネット中毒になり、九州の女児殺害事件みたいなことさえ起こる。( → 6月03日b
 
 では、どうするべきか? 生徒をコンピュータから隔離すればいいのか? そうではあるまい。馬鹿とハサミは使いよう。コンピュータは馬鹿なハサミであるが、使いようでは役に立つ。特に便利なのが、「ワープロ」「メール」だ。(「データ整理」も含めていいが、個人的なデータはあんまりないでしょう。)
 親指の一本打ちなんて、「あほくさ」に尽きる。ぜひとも、十本指で、能率を十倍にするべし。そのために、ブラインドタッチを習得するべし。これが教育としてなすべきことだ。
 幸い、キー打鍵のための計測法もある。「一分間に何字打てるか」という数値化だ。一分間に300字を上限として、これを満点として、点数化すればよい。誤字・脱字などがあれば、マイナスになる。

( ※ 私自身は? このホームページは、誤字・脱字だらけだから、いい点数は取れないみたい。   (^^); )


● ニュースと感想  (12月11日b)

 「IBMのPC撤退」について。
 IBMがパソコン事業を中国企業に売却して、パソコンから撤退した。これをめぐって、ああだこうだと騒いでいる人が多いようだが、騒ぐほどのこともあるまい。
 そもそも、パソコン産業というのは、今ではただの組み立て産業になっている。規制のパーツを組み立てれば、個人でさえパソコンを組み立てることができる。(広告でもよく、「組み立てセット」というのが販売されている。)
 中国が世界の大半を占めると言っても、単にパーツを組み立てているだけだ。どちらかと言えば、そばの台湾でHDやマザーボード(メインボード)生産していることの方が、意味が大きい。
 デルのシェアが大きいと言っても、粗悪品を大々的な規模で宣伝しているからだ。一種の詐欺商法。まともな会社のやることじゃないですね。いつつぶれるか、わかったもんじゃない。
 デルの通販が伸びているというのも、通販がうまいというよりは、現物を見ると粗悪品であるのがばれてしまうから、通販でやっているだけだ。Bicカメラなどでは実物を売っているが、ここではデルのシェアなどまったく低い。あんな粗悪品、見れば、買う気がなくなる。(だいたい、ケースをあけることすら、まともにできない。ネジ止めしてなくて、ツメ留めだから。)

 話が逸れた。話を戻そう。
 ただの組み立て産業なんてのは、途上国の産業であるから、いちいち先進国の大企業のやることではない。ほったらかしておいても、ちっとも困らない。

 ただし、である。ここからが本論だ。
 先進国の企業ならば、市場がある以上は、シェアを取りに行くのが王道だ。では、どうやって? 市場に規格品があふれているのなら、規格品を越えた独自製品を投入すればよい。
 そのうちの一つは、B5のサブノートパソコン。これは、汎用品では小型が困難なので、独自仕様にすることが多い。
 また、デスクトップで、液晶一体型のも、同様だ。ソニーやNECもやっているが、アップルが上手。
 しかし、である。私がやってほしいのは、肝心のデスクトップだ。今のデスクトップ製品は、まったく、何ですか。やたらと奥行きがありすぎる。それというのも、マザーボードの配置がなっていないからだ。本当ならば、A4サイズのノートパソコンぐらいに小さくすることもできるのに、やたらと奥行きがありすぎる。奥行きは 30センチにしてほしいですね。縦横は、少しぐらい大きくなってもいい。上に物を載せることができれば問題ない。(書類や本や事務用品を載せるため。専用の文具収納ケースがついていると、なおさら良い。500円ぐらいで済むはずだし。)
 さらに言えば、後ろのコード用の空間も無駄だ。コードは後方でなく、横または下または斜めに伸びるようにするべし。そうすれば、後方の空間が、無駄にならない。あるいは、接続端子全体を引っ込ませる(窪みに入れる)のでもいい。
 こういうデスクトップならば、買いたい人は多いだろう。しかも、規格品では、作れない。(規格品は馬鹿でかいケースが大半だ。)
 つまりは、アイデアです。コストの削減なんかやっても、たいしたことはない。アイデアと魅力で売りましょう。

 [ 付記 ]
 ついでに、キーボードの話。
 パソコンメーカーは、ノートパソコンとデスクトップパソコンとで、まったく別のキーボードにするのは、やめてもらいたいものですね。スペースキーと変換キーの配置が、両者で異なることが多い。たいていのノートパソコンは、スペースキーがデカすぎる。これだと、普通のデスクトップパソコンとで、操作の互換性がなくなる。困りものだ。
 まともなのは、IBMぐらいだ。(富士通もそこそこ。)他のすべてのノートパソコンはペケだ。
 IBMがなくなると、困りますね。今回はとりあえず中国企業に身売りとなったが、今の設計思想は残されるのかな? 心配です。
 悪貨は良貨を駆逐する。
( ※ だけど、IBMのデザインはいいとは思わないね。武骨すぎる。外装ぐらいは、もうちょっとしゃれていてもいいと思うが。)


● ニュースと感想  (12月12日)

 「自衛隊のイラク派遣の延長」について。
 自衛隊のイラク派遣について、延長すると決定された。(朝刊・各紙 2004-12-10 )
 まったく、小泉ポチにも困ったものだ。国民の大多数が批判している、と朝日はしきりに報道している。

 さて。どうして小泉は、かくも親米ポチなのか? これについて、おもしろい話がる。石原慎太郎の「わが人生の時の人々」という本に書いてある話。
 日本の首相のなかで、ただ一人、親米ポチでなかった首相がいた。「国益の追求」をして、対米依存を脱し、石油資源で自立しようとした。「もう米国の言うことなんか聞かないよ。こっちは自立した大人なんだ。ポチじゃない」という態度を示そうとした。
 で、米国は、どうしたか? ご存じの通り。たちまち、ロッキード事件(ピーナッツの話)の秘密情報を、特定機関に故意に横流しして、田中角栄政権をつぶした。彼は政権から引きずり下ろされ、被告の身になって、部下に裏切られて頭に来て脳卒中を起こしたすえに、失意のさなかで死亡した。

 上記の本には、裏付け情報がある。ロッキード事件で賄賂を受け取ったのは、世界中の各国だったのだ。(当り前ですね。日本だけに賄賂を出すはずがない。)……しかるに、こういうふうに秘密情報を横流ししたのは、日本の情報だけだった。また、情報を流した先は、特定の政府機関だが、これもまた、非常に不自然な形で横流しした。(嘘八百がバレバレの形。つまり「配達を間違えて担当機関に送付されました」という形。たとえて言えば、宝くじの一等賞を猫ババした人間が、「一等賞の券がたまたま自宅に誤配されたんです。故意に盗んだんじゃありません」と弁解するようなもの。不自然きわまりない。)
 
 教訓。
 親米ポチでない首相は、米国に引きずり下ろされる。

 [ 付記 ]
 「だから首相が親米ポチなのは当然である」……というふうに読むのは、いい。
 ただし、「だから首相が親米ポチなのは正しい」……というふうに読むのは、駄目だ。
 なぜか? 首相としては、「米国に引きずり下ろされるのを覚悟で、親米ポチを脱するべきなのだ。── 気骨があればね。
 デビ夫人はテレビで、「小泉首相は気骨があると思います」と明言していたが、ふん、気骨なんかあるものか。ありそうに見えるだけだ。しきりに吠えているが、しょせんはご主人様にシッポを振っている。気骨はないね。(気骨のかわりに骨をしゃぶりたがるだけだ。)
 私が首相だったら? 当然、米国と対決します。たぶん、引きずり下ろされるだろうが、その前に、差し違えてやる。「死んでもいいが、おまえも道連れだ」というわけ。……気骨というのは、そういうものだ。(たぶん相手がびびるだろう。特に、ブッシュならばね。レーガンなら、びびらないだろうけど。……小泉? 犬は最初から、びびっています。わんわん。)


● ニュースと感想  (12月12日b)

 「財政再建と増税」について。
 この件は 12月05日 以降、数日間の連載をしたが、その続き。
 (下記の (1)(2) の出典となる記事は、朝日・朝刊・経済面 2004-12-10 )

 (1) 景気と財政再建
 景気と財政再建との二つの政策の間で、政府・与党内で、綱引きが行なわれているという。景気重視は、経済財政諮問会議(竹中たち)。財政再建は、党税調(財務省系の与党重鎮)。

 (2) 法人税との比較
 竹中たちが「国民の味方」みたいに見えるかもしれないが、そうではない。国民には減税廃止をするが、法人税は減税廃止をしないでそのまま。それを見て、労組系の「連合」は、「順序が逆だ。企業は黒字だが、国民は赤字だ。法人税を増税しろ」と主張する。……だけど政府はほおかむり。

 (3) 評価
 私の意見は? 
 (1) について。経済政策は、財政再建よりは、景気対策が重要だ。
 (2) について。「先に法人税増税」というのは、正論ですね。現状は、投資不足と言うより、消費不足。国民の減税が優先される。

 (4) 金融政策との比較
 同様の理由により、増税よりは、金利の利上げの方が先であるべきだ。だいたい、財政再建なんて、緊急の課題ではない。数十年レベルの長い目で見て、徐々に解決するべき問題だ。今すぐ解決する必要は、さらさらない。また、今すぐ解決することは、まったく不可能だ。もともと莫大な赤字があるときに、少しぐらい赤字を増やそうが減らそうが、たいして違いはない。「中期的に徐々に赤字を減らそう」とするだけで十分。ここ一、二年の問題ではない。
 一方、金融政策は、緊急の課題だ。大量の資金が金融市場に滞留したまま、景気係に回復すると、ひどい物価上昇が起こる可能性がある。しかも、いったん資金が投機に流れると、暴走して、利上げでは制御できなくなる危険がある。例は、ロシアや韓国。暴走状態になると、高金利という政策だけでは、金利が年率50%というサラ金並みの高金利となった。……こんなことになると、金利を払えなくなった企業が倒産して、経済が破壊される。(マネタリズムの破綻。)
 なるべく早く、「ゼロ金利」の状況を抜け出す必要がある。「利下げで効果なし」という流動性の罠を脱することはできないとしても、「メリットなし」という状況は不変のまま、「デメリットなし」という状況に移行する必要がある。それがつまりは、「無駄な滞留をなくすこと」であり、「ゼロ金利を脱すること」である。
 増税なんかよりも、利上げの方がずっと大切なのだ。少なくとも年利0.5%に上げるべし。増税はその後だ。

 (5) 増税と減税
 「増税か減税か」という二者択一なら、「減税」が好ましい。この件は、何度も示したとおり。理由は? 失業者が多数であるからだ。GDPが縮小しすぎている。GDPを大幅に拡大する必要がある。今の状況を「上向き」ととらえるのは正しくなく、「まだ低すぎる」ととらえることが正しい。
 たとえ話。人が水中に沈められた。このままでは死んでしまう。そこで南堂は「速く浮上しなさい」と指摘した。ところが政府は「いやいや、状況は上向きなんだから、ゆっくり浮上すれば大丈夫。十年ぐらいかけて浮上すれば、それで十分だ。だから、当面は、増税という名の重しを付けてやろう」……ま、それでもたしかに、十年後には浮上します。ただし、死体がね。(理由は? 「長期的にはわれわれはみんな死んでいる」)

 (6) 所得税減税と一律減税
 「増税か減税か」という二者択一でなければ、「所得税の増税」はあってもいい。「所得税の減税」は、金持ち減税である。とすれば、この減税は、廃止して、かわりに、一律減税をやればよい。
 私のお勧めは、この両者のセットだ。
  ・ 定率減税は直ちに廃止する。(恒久措置。)
  ・ ただし、同時に、一律減税を大規模に実施する。(時限措置。)
 差し引きして、「大幅減税」である。だいたい、年収1千万円クラスで、トントン。それ以上では増税で、それ以下では減税。年収4百万円クラスなら、年額20万円ぐらいの減税。(1家庭あたりではない。専業主夫や老人も含めて国民一人あたりで。)
 減税の形は、「児童手当」を重視するのがいいか? それだと、「少子化対策」を兼ねるが。……いや、これは、駄目だ。児童手当は恒久措置にする必要がある。一時的では駄目。だから、やはり、「全国民一律」の減税が好ましい。







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「小泉の波立ち」
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