[付録] ニュースと感想 (94)

[ 2005.09.07 〜 2005.09.26 ]   

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● ニュースと感想  (9月07日)

 「ハリケーン被害への支援」について。
 日本企業が続々と巨額の支援金を出している。たとえば、トヨタは、5億円以上。
  → ニュース検索

 これは別に文句はないが、振り返ってみよう。新潟震災の支援のときはどうだったか? 額も少なく、時期は遅い。
  → 読売のサイト

 彼らの主張。
 「日本のためには、金を惜しみますが、アメリカのためなら、どんどん金を出します。アメリカの被害は、単に堤防を築かなかっただけの人災だとしても、戦争をするブッシュのために、大金を出して、戦争を間接的に支援します。ブッシュさん。これからも、どんどん戦争をしてくださいね。堤防費用なんか、かけなくていいですよ。その尻ぬぐいは、私たちがしますから。戦争万歳! 殺人万歳! イラクでも米国でも、たくさん死んでしまって構わない。ブッシュが支持されて、日本車が売れれば、それでいいのさ。人命第一? いやいや、商売第一」
 というわけ。で、日本人が「日本の震災にも支援金を」と頼むと、
 「ふん。そんなの、商売にならんね」
 と一蹴するわけ。

 こういうのを、彼らは「人道支援」と呼ぶ。(正しくは「商道支援」または「ただの宣伝」じゃないですかね?)
 小泉並みの詭弁。


● ニュースと感想  (9月07日b)

 「水害対策」について。
 米国のハリケーン被害だけでなく、日本でも局地豪雨で水害があった。東京で河川が氾濫して、床上浸水などがあったようだ。
 で、これを受けて、「水害防止のために、地下に巨大な防水タンクを作りたいが、費用が数百億円」なんていう話も出ている。よくもまあ、馬鹿げたことを考えるものだ、と感心する。1億円の被害を防ぐために、百億円の費用をかけたら、本末転倒なのだが、そんなこともわからないらしい。

 で、正解を教えよう。こうだ。
 「雨水タンクを各戸に付ける」
 具体的には、こうだ。
 「ドラム缶のような適当な貯水タンクを用意しておく。そこに、雨樋の水を流し込む。あふれる分は、下水に。あふれない分は、タンクに。たまった分は、普段は、打ち水に使ったり、植物にかけたりして、日中の気温を下げる」
 邪魔なときには溜め込んで、使うときには使う。水不足の対策にもなる。一石二鳥。
 これ、常識ふうである。このくらいのことは、行政府やマスコミの人は、ちゃんと知っておいて欲しいですね。なお、この方法だと、コストは非常に低額だ。新規に用意するのは、タンクぐらい。入手が面倒なら、百円ショップで、プラスチック製の大きな箱を十個ぐらい買っておけば、大丈夫。全部で千円。

 [ 補説 ]
 水害対策の基礎理論を述べておこう。
 一般に、水害に対して、「ある場所で氾濫したから、その場所で対応すればいい」という発想は、対症療法であり、非常に効率が悪い。
 水害の基礎原理は、こうだ。
 「全地帯でAという雨量密度があると、それが一箇所(河川)に集中することで、河川では「A×流域面積」の水量となる。その水量が河川を流れるが、ある箇所で水流の速度が1割遅くなると、水量が1割増えたのと同じ効果が出る。そのせいで、その箇所で集中的に氾濫が起こりやすくなる」
 たとえば、ある箇所で、巨大な水流が氾濫したからと言って、別に、その箇所だけで大雨が降ったわけではない。その水は流域全体の水である。また、あふれたわけは、そこで水流が急に増えたからではなくて、そこがボトルネックになっていたから、そこであふれただけだ。
 以上のことから、対策は、二つ。
 「ボトルネックを解消する」(全体の河川改修は必要ない。)
 「流域全体の水量を減らす」
 このうち、後者に相当するのが、「雨水タンク」だ。雨量は一定でも、河川に流れ込む量としての水量なら、雨水タンクによって制御できる。氾濫箇所に巨大なタンクを作らなくても、流域全体に雨水タンクを分散建設すれば、前記のように、低コストで一石二鳥となる。地震対策としての「緊急貯水池」ともなるから、一石三鳥だ。
 こういう本質的な対策が必要である。「あふれた部分に巨大な貯水タンク」なんていう発想は、莫大な無駄を生むだけだ。通常、あふれることはないから、まったく意味のないことのために、莫大な金を費やすことになる。……こういう馬鹿げた「洪水用貯水池」というのは、実は、全国各地にあり、莫大な血税の無駄を生んでいる。それに比べれば、「郵政改革」なんていうのは、大した問題ではない。郵政事業は別に、大幅な無駄を生んでいるわけではないからだ。ひょっとして、民営化したら、かえってコストアップになるかも。(郵政事業の職員は、薄給です。クロネコヤマトも、薄給ですけどね。別に、小泉みたいに、高給をもらっているわけじゃない。)


● ニュースと感想  (9月08日)

 「水害対策」の続き。
 前項の続き。
 雨水タンクについて、読者からのご提案。( Nando ブログより。)
 家庭雨水タンクを作ろうという提案ですが、大雨が降り始めた時点でタンクが空でなければ機能しません。ため池の類なら土中に浸透するなり、蒸発するなり、流出するなりしますが、閉鎖タンクではたまったままです。とすると、タンク内の水を手動で放出せねばならず、面倒で誰も使わないでしょう。
 タンクの底に、小さな穴を空けるといいと思う。ゆっくりと下水に流れればいいのですから。

 なるほど。それも一案。暇のない独身の人だと、そうするといいでしょうね。
 一方、高齢者や主婦のいる家なら、庭の水まきにしょっちゅう水を使うはずです。また、自動車の洗車にもいくらか使えそうです。(下回りの洗車なら大丈夫。また、フィルターを付ければ、もっと安全。)
 いずれも、水の用途があります。水道代の節約。
 とはいえ、家庭ごとに事情は千差万別です。だから、上記のような提案も、それなりに有望でしょう。この場合、水はまったく使われずに無駄に流れてしまうので、一石三鳥にはなりませんが。
 ともあれ、みなさんがいろいろと頭を使うと、その分、世間は向上します。無駄なお金(公費)を使わずに、頭を使いましょう。

( ※ 本日はこれだけ。ネタ切れ。)
( ※ 余談ですが、血税を集めたせっかくの公費を、公共事業のために使うどころか、「南堂の悪口を言うために使う」という手段を取る人もいます。何のことだか、わかる人はわかる。説明は省略。……それとも。さて。南堂の悪口を言うことは、公共事業なのか???)

 [ 付記 ]
 さらに別の話題もある。
http://www011.upp.so-net.ne.jp/JRIC/recycle.html
に雨水タンクの値段があります。
「コープやまなし」の200リットルのタンク(1000円)
   というような話。これを購入すると、すぐにも実施できそうだ。
  → Nando ブログ
  → コープやまなし のレインポット
 ※ これ、安いですね。1000円なら、節約した水道代で、元を取れそうだ。全国各地で販売してもらいたいものだ。
 ※ 参考情報 → http://www.web-koz.com/no_rd/rainpot01/
  (これによると、この雨水タンクは、廃物利用。とすると、一石四鳥だ。)


● ニュースと感想  (9月08日+)

 前項の「雨水利用」については、その後も読者からの情報が寄せられた。興味のある方は、お読みになるといいだろう。
  → Nando ブログ


● ニュースと感想  (9月09日)

 「指導者の資質」について。
 選挙の結果は見通しがついたようだ。与野党の差は、狭まるどころか、開く一方であるようだ。ただ一人、岡田だけが、超楽観的な見通しを述べている。「神国日本の勝利」を信じた旧日本軍と同様。
 さて。気の早い話だが、その先を見通そう。岡田はもちろん退陣する。その後、どうなるか? 民主党の次期党首選。本命は菅直人で、対抗が前原と野田。穴が小沢で、大穴が松沢。……というあたりが、常識かも。
 ま、誰であろうと、私の知ったこっちゃないですけどね。私の見たところは、全員が合格点に達していない。点数を付ければ、後になるほど、悪くなる。
 そこで、架空の人物を想定して、その人をモデルにして、あるべき政治家の姿を述べよう。これは、「指導者のあるべき姿」である。
 原理は、「独裁的なトップダウンではないこと」だ。(岡田は正反対。)では、具体的には、どうするべきか? 次の通りだ。  これは、トップダウンでもなく、ボトムアップでもない。提案はボトムアップだが、選択はトップである。その後、大方針はトップダウンで示す。その大方針の下で、具体策をボトムアップで提出する。

 小泉の場合は、「郵政民営化」というのを選択したあとは、細部を審議会などに任せている。この点では、問題ない。ただし、景気政策では、駄目駄目である。というのは、「経済財政諮問会議」というのが、特定の経済学派だけで占められているからだ。これでは、多くの意見を吸い上げることにはならない。仲間内で馴れ合っているだけだ。ここが、小泉の失敗。要するに、竹中なんていうエセ経済学者を経済政策のトップに選任したところに、大失敗の根源がある。

 岡田の場合は、ただのトップダウンである。独裁体制だ。小泉よりも、はるかに悪い。

 では、どうするべきか? 
 「まともな経済政策」
 というのを、大いに論議すればいい。多くの論者がしっかりと論議すれば、サプライサイドやマネタリズムの主張が破綻していることが、はっきりとわかる。こういう論議をしっかりとやることが大事だ。
 そういえば、三年ぐらい前には、新聞にもいろいろと学者の説が掲載されていた。今はその傾向はなく、郵政民営化だの年金問題だの、細かな話題ばかりを取り上げている。企業の決算だけを見て、「景気回復だ」なんていう調子のいいことばかりを報道していて、莫大な失業者がいまだに残っている(雇用者はほとんど増えていない)ということを無視している。

 政治家もアホだが、マスコミもアホ。餓死しかけている国民が、郵便ポストのことなどで、どうでもいい話をしている。
 結局、成功したのは、小泉の猫だまし作戦だけ。彼だけは、選挙で票をたっぷりいただくようだ。……国民経済を犠牲にして。

 [ 付記 ]
 引用。
 前4世紀末、中国の燕という国の昭王は、側用人に相談した。「荒廃した国を立て直すのに、どうすればよいか?」と。郭隗は答えていわく。
「王者はよき友、覇者はよき臣をもっている。しかるに国を滅ぼす王は、つまらぬ臣をかかえている」
( → Sanspo


● ニュースと感想  (9月10日)

 「菅直人と南堂」について。
 菅直人と南堂は、ちょっと似たところがある。江戸っ子ふうであるところだ。
 菅直人を簡単に言えば、どうなるか? 例のエイズ問題のときの、厚相としての発言だ。
 「エイズ問題は、国に責任がある。厚相として、全面的にお詫びします」
 と深々と頭を下げた。これを見て、国民は「たいした男だ」と感嘆した。「エイズ問題を起こしたのは、当時の政権だ。そのときの菅直人は野党だった。だから菅直人は、敵の政策の失敗の尻ぬぐいをしたことになる。自分にはまったく責任がないのに、厚相として責任を感じて、頭を下げた。見上げた男だ」
 これを菅直人の側から見れば、どうなるか? 別に、パフォーマンスを狙ったわけではあるまい。彼の政治家としての信念がそういう行動を取らせたのだ。
 「エイズ問題は国の責任である。それについては、頭を下げるべきだ。で、誰が頭を下げるか? 例のAという大学教授か? 当時の局長や課長か? 現時点の総理か? いや、その誰もが、頭を下げる気概も能力もない。頭を下げることができるのは、この自分だけだ。自分がやらないで、誰がやる」
 こういう気概で、「責任はおれだ。文句があるなら、おれに言え」とばかり、頭を下げたわけだ。江戸っ子ですねえ。

 南堂は、どうか? 例の漢字問題のときの、ホームページ上の発言だ。
 「字形の変更の問題は、これに関与した専門家たちに責任がある。そのうちの発案者として、全面的にお詫びします」
 これは、別に、パフォーマンスを狙ったわけではない。研究者としての信念がそういう行動を取らせたのだ。
 「字形の変更は、文字コード関係者の責任である。それについては、頭を下げるべきだ。で、誰が頭を下げるか? マイクロソフトか? JISの委員会か? 国語審議会か? いや、その誰もが、頭を下げる気概も能力もない。頭を下げることができるのは、この自分だけだ。自分がやらないで、誰がやる」
 こういう気概で、「責任はおれだ。文句があるなら、おれに言え」とばかり、解説文書を出して、ついでに「ごめんなさい」と頭を下げたわけだ。江戸っ子ですねえ。

 ただし、世間の反応は、同じではなかった。
 菅直人には、「立派だ」と拍手して、「彼こそ首相にふさわしい」という声が上がった。
 南堂には、「当事者ヅラをしないで、黙っていろ」という意味の落書き文が、あちこちに書き込まれて、それを「もっともだ」と信じる人が多数出てきた。
 
 結語。
 菅直人は、無責任な他人のかわりに、責任を取って頭を下げたゆえに、喝采を浴びた。「責任を取るのは立派だ!」と。
 南堂は、無責任な他人のかわりに、責任を取って頭を下げたゆえに、非難を浴びた。「責任を取るのは当事者ヅラをしている! 責任を取るのはけしからん!」と。

 で、両者の違いは? 
 菅直人の場合は、無責任な連中が、自分は無責任であることを自覚していたから、口を閉じていた。
 南堂の場合は、無責任な連中が、自分は無責任であることを自覚していないから、自分のことを棚に上げて、南堂を攻撃するのだ。「私たちのかわりに非難を受けてくれてありがとう」と言うどころか、「私たちのかわりに非難を受けるなんて、当事者ヅラをするな」と威張り散らすわけだ。
 それが、政治家とJIS委員との違い。

 いやあ。政治家ってのは、ひどい連中ばかりだと思っていたが、JIS委員に比べれば、よほどまともである。小泉であれ岡田であれ、私に「その政策は駄目だ」と批判されたからといって、南堂の悪口をあちこちにこっそり書き散らしたりはしない。

( 参考 → Open ブログ

 [ 付記 ]
 菅直人のことを、けっこう褒めているが、べた褒めしているわけではない。例の女性問題のときには、誰にもわかる嘘をつき通して、シラを切り続けて、男を下げた。
 厚相時代には、立派に責任を取った。その後では、嘘をついて、責任逃れをした。……ここがまずかったですねえ。
 「不倫を絶対にやってはいない」
 とシラを切り続けるのは、女房に対しては、正しい。ただし、国民に対しては、正しくない。ここのところを読み間違えたのが、政治家としての難点。
 しかしまあ、この程度なら、その後の心がけしだいで、復活できる。ちゃんと経済学を勉強しましょう。竹森俊平みたいなマネタリズムの経済学者を妄信していては、いつまでたっても宰相にはなれません。小泉も、菅直人も、「だめな臣」をそばにかかえているのが、難点ですね。
( → だめな「臣」については、前日末尾を参照。マネタリズムについては、本日別項を参照。)


● ニュースと感想  (9月10日b)

 「銀行の貸出残高」について。
 銀行の貸出残高がいくらか増えている。( → ニュース
 これを受けて、「景気が回復している」という声も上がっているようだ。しかし、何でもかんでも明るい指標ばかり見たがるのは、悪い癖である。政府の示す「片側だけを見る」という発想に従ってはならない。
 そもそも、よく考えてみよう。投資が増えたというが、「消費が増えないまま、投資だけが増える」というふうになれば、どうなるか? 「供給過剰」になる。その結果は、ふたたび、需給ギャップの拡大である。

 経済学の基本原理を理解するべきだ。それは、こうだ。
 「投資と消費がともに伸びること」
 これが基本原理である。ところが、マネタリストの連中は、
 「投資だけを増やせ」(そのための金融政策を取れ)
 と主張する。しかしこれだと、一時しのぎの効果しかない。投資を拡大しても、拡大した投資が稼働しないから、それらの投資は、不良債権になる。これでは、何にもなるまい。

 投資を増やすことは、金融施策によって可能だ。しかし、金融政策は、消費を増やすことはできない。消費を増やすには、金融政策だけでは駄目なのだ。「減税」が不可欠なのである。
  ・ 投資を拡大する金融政策
  ・ 消費を拡大する税政策(減税)
 この双方をともに実施したときにのみ、景気回復は可能になる。片側だけをやっても、「供給の拡大」があるだけで、「需要の拡大」は不十分だから、一時的な景気拡大効果はあっても、やがては「供給過剰」による逆効果が生じる。

 「投資が拡大した」(貸出残高が増えた)
 というのは、喜ぶべきことではない。「消費なしに投資だけが拡大するという、アンバランスな状況になった」ということだから、かえって危険視するべきことなのだ。
 たとえて言おう。企業が投資する。月産10万台から、月産20万台へ、設備を倍増する。ここで、古典派なら、こう主張する。
 「生産能力が倍増した。これで売上げは倍増だ」
 マクロ経済学者なら、こう主張する。
 「需要が増えないのに、生産能力が倍増したのなら、余分の10万台は、過剰設備になるだけだ。その分は、リストラによって、設備廃棄する必要がある。」

 結語。
 10万台分の設備を購入して、10万台分の設備を廃棄する。……普通は、それを、無駄と称する。しかし、古典派経済学者は、そのうち前半だけを見て、「景気回復」と称する。


● ニュースと感想  (9月11日)

 「言葉と自然」について。
 言葉とは何か? 人は言葉をどう扱うべきか? これに対して、次の二通りの立場がある。
  ・ 言葉は人間がいくらでも改造できる。理想的な言葉に変えていくべきだ。
  ・ 言葉は人間が好き勝手にできるものではない。人間の手を離れたものだ。

 現実には、どちらか一方が全面的に正しいわけではなくて、中間的なものだろう。たとえば、何でもかんでも好き勝手に変えることはできないが、日本の漢字改革(当用漢字を新字体にしたこと)や、ドイツの正書法改革(ヒゲ文字を普通のラテン文字に変えたことなど)は、人為的な変革である。……こういうふうに、ある程度の改革なら、有効である。(良し悪しは価値判断となるので別だが、実用的な効果があったことはたしかだ。)

 とはいえ、基本的には、人は上の二つの立場のうち、どちらかを取る。まったくの中間的な「右往左往」という態度を取る人はいないだろう。(もしそんな態度で一国の国語政策を決められたら、国語はメチャクチャになる。)
 この二つは、日本では、次の二つの大別できる。
  ・ なるべく古来からある由緒正しい言葉を使おう。
  ・ 伝統なんか蹴散らして、おれの好きなようにさせろ。

 後者は、立場ごとに、千差万別だ。次のように。
  ・ ひらがな書きを多くしよう。漢字廃止! 
  ・ 日本語をなるべく使わないようにしよう。英語崇拝! 
  ・ 擬音語をやたらと使おう。意味の否定! 
  ・ 標準語の廃止! 方言の優位! 
  ・ 正字の廃止! 略字を導入! 
 このうちの最後が、「略字派」だ。言葉を好き勝手に改造しようという連中のうちの一部で、文字の字形だけを好き勝手に改造しようとする。
 ただし、略字派にも、いくつかの派がある。
  ・ JIS第一水準だけ略字にする。(83JIS)
  ・ その方針を貫徹して、正字復活を阻止する。(2000JIS)
  ・ 第二水準以上も略字にする。(朝日略字)
  ・ 簡体字にする。(中国ふう)
  ・ ケータイ文字にする。(例。「た」を「ナこ」と書く。漢字も同様。)

 要するに、「おれの流儀のようにやれ」と主張する人が、それこそ百花繚乱であるわけだ。単純に評価すれば、「わがまま連中のわめき放題」である。この方針があれこれと取られたら、国語というものは破壊されてしまうだろう。

 さて。話を転じよう。
 こういうふうに、「国語をおれの流儀に改造しよう」という立場と、似た立場がある。それは「自然改造」という態度だ。
 「自然に手を入れると、住みやすくなることがある。だから、徹底的に、自然を改造してやろう。」
 と思う。そしてさらに、
 「自然をおれの自己流で、どんどん好きなように改造してやれ」
 と思うようになる。
 で、こういう立場(自然改造派)は、国語改造派に、よく似ている。いずれも、「みんなが使うものを、おれの好みで、勝手に作り替えてやれ」と思うわけだ。というか、「世間のためには、おれの信じる理想の通りにすればいい。おれの言うとおりにやれば、世の中は良くなる。たとえ世の中の全員が反対しても、この方針を強行すれば、世の中は良くなるのだ」と主張する。…… 一種の狂信である。(だから、世間の反対を押し切って、強引に漢字テロを実行しようとしたりする。)
 なお、「自然改造派」は、西洋では、けっこう多いようだ。図式的に「自然を征服する西欧/自然と調和する日本」という対比で語られることも多い。あまりにも図式的だが、けっこう当たっているようだ。(ただし、最近は、日本庭園を愛好する外国人も多い。盆栽なんかが外国で流行っている。)

 さて。「自然改造」に似た話は、漫画の鉄腕アトムにあった。「アトム対ガロン」」という話である。以下、要約。
 「隕石のように、宇宙から落ちてきたものがある。それはロボットの部品だった。 お茶の水博士はそれを組み立てて、一台のロボットにする。部品に添えてあった手紙をアトムが翻訳すると、このロボットは惑星の改造のためにあるのだという。何らかの手違いでこの地球に落ちてきてしまったようだ。お茶の水博士は再度分解することを主張したが、その夜、雷のエネルギーを浴びたロボットは、目を覚ます。そのロボットはガロンという名前で、ガローンと叫びながら、周囲を破壊する。惑星の改造のためだけあって、その力はすさまじく、手がつけられない。途方もない破壊力だ。大地を断ち割り、山を溶かし、海を蒸発させる。その力に目を付けた狂人科学者は、ガロンを無人島に連れていって、その島をガロンの星そっくりにせよと命じた。すると、ガロンは大地を変えただけでなく、地球の大気をも変化させた。空気を吸い込み、有毒ガスを吐き出す。その有毒ガスは世界中に広まっていった。世界は滅亡の寸前である。そこで地球を救うため、アトムが送り込まれた。しかしアトムの十万馬力も、ガロンの前にはあまりにも微力だ。・・・・・」
 自分の理想のために、地球を改造する怪物ロボット。それと同様の人々は、日本にもいる。「理想の字形を!」と叫びながら、正字を吸い込み、略字を吐き出す。こうやって言葉を、自己の理想に近づけようとするわけだ。
 言葉であれ、自然であれ、自己の理想に近づけようとどんどん改造していく人は、ガロンのように、危険きわまりないのである。そしてまた、ガロンのように、手のつけようがないのだ。怪物ロボットのガロンに対抗できたのは、アトムただ一人だった。もしもアトムがいなかったなら、地球は破壊されてしまっただろう。
 そして、文字の世界では、どうだったか? 怪物 JIS委員会に対抗したのは、ただ一人(または二人)だった。……とはいえ、正字が救われたあとで、世間の人々がやったことは、「そんなこと、誰だってできるさ」とうそぶいて、アトムのような彼を、後ろ足で蹴っ飛ばすことであった。

 [ 付記 ]
 ついでだが、経済の分野でも、話は似ている。
 南堂のマクロ経済学は、今でこそネット世間の一部では支持されているが、当初は「トンデモだ」という批判が圧倒的だった。「学会の常識に反する異端の説を述べるトンデモ野郎」という評価である。「標準説は無謬であり、異端の説はトンデモだ」という評価だ。(つまりは、学会権力べったり。)
 で、南堂説に反すること(構造改革・量的緩和)を政権はやっているわけだが、そのおかげで、いつまでたっても景気は回復しない。南堂をトンデモ扱いするせいで、誤謬から抜け出せない。文字コードの分野では、南堂説をトンデモ扱いするのをやめたから、状況は好転したが、経済学の分野では、いまだに誤謬のさなかにいる。他人の悪口を言うのに熱中しているせいで、自分の間違いを自己認識できない。……自業自得というべきか。


● ニュースと感想  (9月12日)

 「巨人の次期監督」について。
 世間は選挙の話題でもちきりなので、私は別の下らない話題を取り上げる。
 星野SDが巨人の監督にはならないとしたら、誰がいいか? 私のお勧めは、この人です。名監督。
  → 夕刊フジの記事


● ニュースと感想  (9月13日)

 「選挙の評価」について。
 選挙の結果が出た。自民党の歴史的な大勝。ま、だいたい、予想されたとおりである。で、これについての有権者の感想を見ると、「郵政民営化はあまり問題ではないが、小泉さんなら何かをやってくれそうな気がした」という声が多い。(読売・朝刊・社会面 2005-09-12 )
 私も同感だ。ここから、次のように評価できる。
 「郵政民営化は、象徴にすぎなかった
 郵政民営化の是非が問題だったのではない。郵政民営化という一つの例を話題にして、もっと重要なことが問題とされた。それは、こうだ。
 「指導者の実行力」
 人々はこれを小泉に感じた。そこで、こう思う。
 「郵政民営化はどうでもいいが、小泉さんなら、郵政民営化以外でも、何とかやってくれそうだ。それに比べて、他の人は頼りない」
 ところが、岡田の方は、そのことに気づかないで、しきりに「郵政か年金か」という愚直な政策論争をしている。……小泉が「一国の指導者である器であること」を示しているときに、岡田の方は「優秀な政策立案者(部下)」であることを示そうとしている。
 ならば、結果は、当然だ。「優秀な部下」を選ぶコンテストでは、岡田が勝っただろう。しかし、「優秀な首相」を選ぶ選ぶコンテストでは、小泉が勝つ。……当然の結果だ。岡田は根本的に勘違いしていたわけだ。(で、「正当な手法を取ったセ略は正しかった」と釈明している。負けて、いまだに自己の過ちに気づかないほどの、馬鹿。)

 小泉の勝因はわかった。では、民主党の敗因は? ── 小泉の嘘を破れなかったことだ。
 「なるほど、首相は、たしかに実行力がある。私よりもずっと、実行力がある。ただし、その実行力は、見当違いの方向を向いている。すばらしい実行力で、とんでもない方向に進もうとしている。……大切なのは郵政民営化ではない。もっと大切なことは、他にある。景気対策だ。日本経済を健全化することだ。それをほったらかして、どうでもいいことばかりに邁進するのは、余計なことをしているだけだ。そんな実行力など、屁ほどの価値もない」
 そう主張して、こう断罪するべきだった。
 「名ばかりの改革を斬れ!」
 このキャッチフレーズを使わなかったことが、民主党の敗因だ。負けるべくして、負けたのである。勝つ方法はあったのに。
 今回の選挙の消化を言えば、小泉の勝利というより、岡田の自滅である。オウンゴール。


● ニュースと感想  (9月13日b)

 「南堂の悪口」について。
 南堂の悪口についての話。文字コード関連。(読んでもためにはなりません。下世話な話です。悪口に興味のある人のみ、お読み下さい。)
 → Open ブログ 2005年09月12日


● ニュースと感想  (9月14日)

 「衆院選後の民主党」について。
 民主党は惨敗した。反省しているかと思ったら、そうではなく、茫然自失である。「こんなことになるとは思わなかった。最後には勝つと思っていたのに」という台詞。代表的なのは岡田の感想。(各紙・報道。)
 呆れて、物も言えない。よくもまあ、そんな楽観的な予想ができたものだ。事前調査ではどこでも「自民の大勝」であり、「その差は開くばかり」なのに、現実とは正反対のことを予想するとは。妄想も極まれり。
 ただし、これとそっくりなことは、前にもあった。戦前の日本だ。
 「今はフリだが、最後には神風が吹いて、わが国が勝つ」
 こういう妄想を信じて、猪突猛進して、最終的には、大敗。原爆やら、東京大空襲やら、大被害。指導者がアホやと、国民が生きれへん。(変な大阪弁で済みません。)

 さて。今後はどうか? 民主党は、岡田の辞任の後を受けて、次期の党首を選ぶ予定だというが、迷走状態だ。そこで、私が、名案を教えよう。
 そもそも、今回の選挙の教訓は、何か? こうだ。
 「国会議員が党首を選ぶのではない」
 「党首で国会議員が選ばれる」
 民主党の議員は、「次の党首を選ぶ」というが、そういう発想をしている時点で、根本的に間違っている。彼ら国会議員が好き勝手に党首を選ぶのではない。彼らが党首を決めた時点で、彼らが国民に選ばれるのだ。次の選挙でどうなるかを。
 このことに気づかなかったのが、前回の党首選だ。民主党の国会議員は、「岡田を選んだ」と思い込んでいた。
 「いろいろ候補はいるだろうけど、とりあえず、無難なところで、これを選んでおこう」
 と思って、岡田を選んだ。そのとき、自分たちが自分たちの権限で岡田を選んだと思った。ところが、とんでもない。岡田を選んだとき、逆に、国民に選ばれたのだ。「岡田を選ぶような民主党は駄目。民主党なんか捨ててやる」というふうに。
 そのことが、今回の選挙で判明した。

 比喩的に言おう。駄目な男がいる。何をやっても駄目づくし。何とか格好を付けようと思って、知恵を絞って、洋服を選んで、格好を付けた。このとき、彼は、自分で洋服を選んだと思った。しかし、そうではない。彼は、変な洋服を選んだとき、同時に、女性たちに選ばれたのだ。「センスのない、野暮な男ね」と。あげく、女性たちに捨てられる。
 これと同じなのが、民主党の議員だ。彼らはしきりに、洋服を選ぼうとする。それが自分たちの大切な権限だと思い込んでいる。しかし、その権限の使い方が下手だから、逆に、女性たちに捨てられる結果になるのだ。何かを選んだと思っているとき、逆に、選ばれているのだ。……そのことに気づかないから、野暮な対象を選ぶ。そして、結果的に、国民に捨てられる。そのことが、今回の選挙で、判明したことだ。

 ここまで述べれば、民主党がなすべきことは、明らかだろう。民主党の議員は、自分たちのお好みの人物を党首に選ぶべきではない。国民のお好みの人物を党首に選ぶべきなのだ。具体的には、「首相予備選」のようなものを実施すればいい。アメリカの「大統領予備選」のように。
 ただし、注意しよう。アメリカでは、次の例があった。
 「党内の重鎮たちが、お好みの候補であるケリーに肩入れして、大々的に宣伝して、ケリーを民主党の大統領候補にした。この点では、重鎮たちは大成功。」
 つまり、党内の重鎮が勝手に選挙を操作するから、自然な選挙がなされずに、ケリーが勝った。自然な人気の点では最強の候補であるエドワーズは、ハンディキャップを負わされたので、勝つことができなかった。かくて、最強の候補はすべりおち、次点の候補であるケリーが勝った。……しかし、そのケリーは、予備選では勝ったが、本選で負けた。

 予備選で大事なのは、予備選で勝つことではなく、本選で勝てる候補を選ぶことだ。そのためには、予備選段階では、最強の候補でなくてもいい。いくつかの候補を挙げてから、本選で最も勝てそうな候補に決めればいい。
 とすれば、私のお勧めは、こうだ。
 「複数の首相候補者を決めて、3カ月ぐらいの交替で、党首にする」
 こうやって何人かの人物を党首にする。そして、党首であったときの国民の人気度を測って、最強の候補を、選挙のときの党首に決める。

 具体的な例を挙げよう。次の人物を、党首候補として招く。国会議員の議席をもつことを必要としないで、交代の党首になってもらう。
 「田中康夫・長野県知事」
 「中田宏・横浜市長」
 「松沢成文・神奈川県知事」
 「浅野史郎・宮城県知事」
 これらの人物は、現職の知事等なので、ちょっとまずいかもしれない。だったら、他の人でもいい。もちろん、党内の国会議員でもいい。(野田・前原を含む。)
 ともあれ、いろいろと、候補者に試させる。「私が首相になったら、こうします」とアピールさせる。こうして、国民への訴求力を見る。訴求力がなければ、その時点で、落第だ。そのことは、今回の小泉と岡田を見ればわかる。

 このような決定方法を、「市場原理」と呼ぶ。市場原理は、このような場合でこそ、最強の方法となる。
 不況経済で市場原理を貫徹しても、不況はちっとも解決しない。しかし、なれあいの無競争状態の党首選で、市場原理を導入すれば、状況は劇的に改善する。……市場原理を導入するべきは、郵政分野だけではない。党首選の分野もだ。党首選の分野こそ、民の知を導入して、状況を活性化するべきなのだ。
 そして、それができなければ、「民主党の民営化」だけが起こる。つまり、民主党の議員を、国家公務員から外して、民間人にしてしまう。……つまりは、国会議員を失業者にする。
 今回の選挙でなされたのは、郵政の民営化ではなくて、民主党の国会議員の民営化であった。
( ※ 皮肉がきつすぎますかね?)


● ニュースと感想  (9月14日b)

 「小泉の勝因」について。
 衆院選で、小泉の勝因は、何か? それを示そう。
 多くの人の投票の理由は、こうだ。
 「首相ならば、何かをやってくれそうだから」
 ここでは、未来への期待がある。これが決定的な勝因となったように見える。しかし、これは本来、現職首相の勝因としては、きわめて異常である。本来なら、次のいずれかだ。
 「与党の党首が、(過去に)何かをやってくれたから」
 「野党の党首が、(未来に)何かをやってくれそうだから」
 このいずれかだ。しかるに、現職の首相に対して、野党の党首への期待と同じ期待をいだいている。これは明らかに異常だ。現職の首相ならば、「過去に何をやったか」という実績を訴えるべきだろう。しかるに、実績はゼロも同然だ。四年もかけて、実績ゼロ。無為無策。しかしながら、未来への期待だけは、たっぷりもたせる。
 結局、今回の選挙をまとめると、こう言える。
 「ほら吹きの首相と、信じた国民」
 実際に何をやるか(やったか)は問題とされず、「やってくれそう」という雰囲気だけで物事を決める。この関係は、一言で言えば、
 「詐欺師とカモ」
 である。で、カモの方は今回、たっぷりと吸い上げられた。詐欺師の方は、たっぷりと吸い上げた。それが今回の評価だ。良し悪しを論じる以前の話である。

 さて。詐欺師である小泉を、私は批判するか? いや、そもそも、政治家というものは、みんな詐欺師である。小泉は「上手な詐欺師」というだけのことだ。
 問題は、詐欺師を詐欺師と指摘できなかった連中の馬鹿さ加減にある。どうせ同じく詐欺師ならば、民主党は相手の詐欺師具合を、しっかり指摘するべきだった。
 「名ばかりの改革を、斬れ!」
 こうやって、詐欺師の口先を断罪するべきだった。それができなかったところに、民主党の敗因(というより馬鹿さ加減)がある。民主党は、詐欺師でなかったわけではなく、やはり詐欺師だったのだが、愚かな詐欺師だったのである。それが惨敗の理由だ。ちゃんと断罪できれば勝てたものを。
 結論。馬鹿な詐欺師には、つける薬がない。退出するしかない。問題は、そのあとの後任ですね。(本日別項。)


● ニュースと感想  (9月15日)

 「民主党の敗因」について。
 民主党は今回の選挙で惨敗したあと、「どういうことかわからない」と、茫然自失して、思考停止状態になっている。痴呆状態に近い。そこで、私が教えよう。今回の惨敗は、次のことを意味する。
 「自分は正しいと思って行動すれば、議席は大幅減になる」
 つまり、「おれは正しい、だから国民は票を寄越せ」とふんぞりかえっていれば、国民に見放される、ということだ。簡単自明。
 これは、時代遅れになった老舗商店に似ている。「当店の商品は正しい。だから当然、客が来るべきだ」とふんぞりかえっていると、客に見放される。
 両者の共通点は何か? こうだ。
 「自分は正しいとだけ主張して、客の要望をまるきり無視する」
 こういう態度の店には、客が来なくなる。それが市場原理だ。そして、それと同じことがなされれるのが、民主主義の選挙だ。

 ここまで考えれば、どうすればいいかも、わかるだろう。
 「自分の信念に従い、正しいと思ったことを主張する」
 なんていうのは、尻の青い書生のやることだ。そういうのは、損得を考えない、アマチュア政治家である。プロの政治家なら場、プロとして行動するべきだ。つまり、こうだ。
 「市場の要望を調査して、市場の要望に合致した商品を提供する」
 今回、これをやったのは、小泉だった。市場の要望は、「改革」である。そこで、「改革」というレッテルの張った商品を提供した。一方、野党の方は、「年金」なんていう古臭い老舗商品ばかりを売っていた。これでは、見放されて、当然である。
 では、野党は、どうすれば良かったか? こうだ。
 「与党の商品は、レッテルこそは改革だが、中身は空っぽだ」
 つまり、
 「名ばかりの改革を、斬れ!」
 こう主張すれば、国民は野党の商品を見直しただろう。野党が
 「これぞ真の改革。箱だけでなく、中身も改革」
 というのを示せば、国民はこぞって支持しただろう。ところが、民主党が出したのは、「年金」ぐらいだ。いかにも老舗らしいが、一部の年寄りしか、そんなものは買ってくれない。かくて、惨敗。

 まとめ。
 野党政治家は、「自分の信念に従い、正しいと思ったことを主張する」という青臭い方針を取る。しかし、「自分は正しいと思って行動するだけでは、議席は大幅減になる」というのが、今回の結果だ。プロの政治家ならば、「国民の要望を調査して、国民の要望に合致した政策を提供する」という方針を取るべきだった。そのことに気づかないアマの政治マニアばかりがいたところに、今回の民主党の敗因がある。特に、惨敗の理由は、党首がこういう典型的なアマ政治家であったことだ。


● ニュースと感想  (9月15日b)

 「選挙の総括」について。
 選挙の意義や評価について、総括しておこう。
 今回の選挙で問われたのは、「改革」の有無であった。小泉は「改革あり」と示し、岡田は逃げ回ることで実質的に「改革なし」と評価された。かくて、国民は「改革あり」に投票した。あげく、「与党が3分の2」という結果を、「取りすぎ」と評価するどころか、「好ましい」と評価するありさまだ。(各紙・朝刊 2005-09-14 )
 要するに国民は、負けた民主党を見て、「かわいそうに」と思うのでなく、「ざまあみろ」と思ってるのである。情けない民主党。ゴミ同然ですね。廃棄物処理場送りか。(リサイクルもできないかも。)

 ここで、私の観点から、小泉を評価しておこう。いつも悪口ばかりを言っているが、難点だけでなく美点も含めて、客観的に評価する。
 第1に、美点は、改革の姿勢である。「断固として改革する」という姿勢だ。万難を排し、反対者を切り捨て、徹底的に改革に邁進する。……これは評価できるし、国民もそれに喝采したのだろう。(逆に言えば、国民はそこだけを見て、喝采したわけだが。)
 第2に、欠点は、改革の中身である。ラベルだけは「改革」だが、実体は改革なんていう物ではない。郵政民営化だって、肝心な「民間参入」がないから、単に「独占企業の誕生」になっているだけだ。改革どころか、改悪である。民営化した郵政企業が、勝手に莫大な値上げをしても、誰も文句を言えなくなる。

 この落差をともに理解することが大事だ。
 「改革の姿勢はいいが、改革の実体は空っぽである」
 と。そして、そのことを指摘して、「中身のある真の改革」を訴えれば、民主党は勝てただろう。すなわち、
 「名ばかりの改革を、斬れ!」
 と訴えたならば。……そして、そうできなかったところに、民主党の敗因がある。つまり、愚かな民主党のおかげで、国民を最後までゴマ化しおおせた詐欺師が勝てたわけだ。

 [ 付記 ]
 たとえ話。
 マスコミ 「国民のみなさん。世紀の魔術師、コイズーミが登場します。拍手喝采を!」
 国民たち 「わおー」(拍手喝采)
 コイズーミ 「では、魔術を行ないます。私が『改革』と三べん唱えて、赤い箱を開けると、赤い箱から、すばらしい富がたくさん飛び出して、国民のみなさんに、すばらしい富を分け与えます。きっと幸福になれますよ」
 国民たち 「わおー」(拍手喝采)
 このとき隅っこで、南堂が「そりゃ、嘘だよ。ただの詐欺だよ」とつぶやいたが、国民の声に、掻き消されてしまった。一方、好敵手であるオカーダは、こう唱えた。
 オカーダ 「日本を、あきらめない。漢字がうまく使えないので、ひらがなで『あきらめない』と書きます。ええと、何だっけ。お年寄りのみなさん、年金って大事ですねえ。年金を守らなくっちゃ。だから、若い人は、増税を我慢してね。年金、増税。日本を、あきらめない」
 いよいよ、決戦のときが来た。二人が登場して、対決した。
 コイズーミ 「では、魔術を行ないます。みなさん、すばらしい富を得られますよ。だから、私の魔術を見たければ、私に投票してください」
 オカーダ  「日本を、あきらめない。年金、増税。私は正しい」

 その結果は、ご存じの通り。詐欺師の圧勝。馬鹿の惨敗。


● ニュースと感想  (9月16日)

 「選挙と文化」について。
 今回の選挙の意義について、広い歴史的な視点からとらえよう。簡単に言えば、こう言える。
 「情報化時代に適しているか否か」
 これが勝敗を分ける。ここで、「情報化時代」というのは、インターネットやパソコンではない。そういうのは、若い世代には受けるが、人口の多数を占める高齢者にはあまり影響しない。また、ネットオタクは、投票率が低い。では、何が「情報化時代」か? テレビだ。いささか時代錯誤的に思えるかもしれないが、テレビがようやく、選挙の主役となった。
 それまでは何だったか? 地盤である。つまりは、コネと人情だ。「故郷のために役立つ ○山○郎 をご支援下さい。粉骨砕身、故郷のために尽くします」と人情がらみで訴えて、これまでは当選してきた。しかし今回、そういう古い連中は、落下傘の刺客に、粉骨砕身どころか、こっぱ微塵にされた。
 特に、影響を受けたのが、民主党だ。地盤なんかあまり関係ないと思えたが、相手は地元の対立候補ではなくて、テレビにいる小泉だった。民主党候補がいくら地元を駆けめぐっても、誰もその顔を見ることはない。(当り前です。普通の人は、昼間は地元にいない。)……で、テレビにいる小泉ばかりが目立って、民主党候補はノックアウト。

 ここでは、肝心なのは、
 「テレビで何を訴えるか」
 である。小泉という役者、もとい、詐欺師は、その点ではきわめて優秀だった。「改革」とだけワンパターンで繰り返し、短い時間の放送で国民の頭にCMをたたきこんだ。これは、まあ、15秒のCMを繰り返すのと、同じ手法である。
 一方、岡田の方は、こうだった。
 「愚直に政策を訴える」
 政策? 何を言っているんだか。「増税します」という言葉以外には、誰も何も知りはしない。だらだらと「年金、増税、少子化対策」なんていっても、耳に残るのは「増税」だけだ。

 結語。
 小泉はテレビ時代に適した対応をして、国民に広く訴えた。岡田はテレビ時代に取り残された地盤方式の対応をして、愚直にどさ回りをした。
 一言で言えば、役者が違う。片や、ヨン様かキムタクみたいな宣伝をして、片や、田舎芝居のチンドン屋みたいなことをしている。で、それを見た国民は、「田舎役者は引っ込んでいろ」と審判を下したわけだ。こうして、選挙ショーは、幕を下ろした。

 [ 付記1 ]
 このことの教訓は、「選挙はしょせん、ショー・タイムだ」ということだ。「選挙は政治的な美人コンテストだ」と言ってもいい。いずれにせよ、それが民主主義というものだ。民主主義とは、「最適のものを選び出す理想のシステム」なんかではなくて、ただの「宣伝競争の場」なのである。そこを生き残ったものだけが勝者となる。
 これは、経済の場における、「宣伝」の重要性とも共通する。どんなに良い商品があっても、宣伝がなされなければ、誰もその良い商品があることを知らないから、ちっとも売れない。「口コミで売れるさ」なんて思って、ふんぞりかえっている老舗は、市場から見放されるだけだ。
 「良いものを出せば自然に売れる」
 というのは、現代では、化石的な時代遅れの発想なのである。このことに気づかない人々は、さっさと退場するのが賢明だ。さもなくば、自分が沈没するついでに、他の人々を巻き添えにすることになる。愚かな船長は、自らの信念に従って、愚直に直進したあげく、氷山に衝突して、全員を死なせる。……それが岡田だ。で、巻き添えで溺れた連中が誰かは、わかりますね? 

 [ 付記2 ]
 こういう馬鹿げた「愚直な方針」というのを見たら、それをいさめるのがマスコミの仕事だ。しかし、逆に、けしかけている阿呆もいる。朝日のコラム 2005-09-15 である。呆れたものだ。愚直な政策という道を示して、「それ以外には道はない」と結論している。だが、「それ以外に正解の道がある」と教えたのが、今回の小泉である。……「過ちて改めず、これを過ちという」。失敗は誰でもやる。しかし、失敗しても気づかない無反省こそ、その人の愚かさを示す。


● ニュースと感想  (9月16日b)

 「錯視と錯覚」について。
 真実というものはただ一つの姿をもち、誰が見ても同じように真実の姿として見えるだろうか? 
 「イエス」と思う政治家は、「真実を訴えれば必ず理解してもらえる」と思うだろう。そして、「自分は正しいことを主張しているのだから、決して間違っていない。間違っているのは、自分を理解しない国民の方だ」とさえ思うようになるだろう。
 しかし、そういう発想は、まったくの間違いである。まったく同じものでさえ、環境によってはまったく別のものに見える。そのことを科学的に示したサイトがある。
 → 錯視・錯覚の実例(3種)
 ※ 英文だが、短くて平易である。高校1年生レベルの英語で十分。読むのは一分間ぐらい。趣旨は、「周囲の色合いによって、同じ灰色が別の色に見える」ということ。これさえ理解しておけば、意味はすぐにわかる。


● ニュースと感想  (9月16日c)

 「ジョブズの講演」について。
 マックの創始者、スティーブ・ジョブズの講演。
   → http://pla-net.org/blog/archives/2005/07/post_87.html
 中村正三郎のサイトで知ったものだが、とてもいい話である。一読、再読に値する。
その後、削除された。キャッシュはある。 → google キャッシュ

 【 おまけ 】
 ただしこのサイト、肝心の話は、1割ちょっとしかなくて、残りの9割近くは、読者の感想文である。「トラックバック」という機能を使った(使いすぎた)せい。
 ま、これは、このサイトへの悪口というより、ブログ一般の問題だ。トラックバックって、うざいので、私は嫌いなんですよね。


● ニュースと感想  (9月17日)

 前項の補足。
 前項ではジョブズの話を書いたが、とんでもない感想が来たので、紹介しておく。

   「できれば、世の中の全ての人がジョブズさんみたいに恵まれた
    人生を送れればよいのですが。」

 唖然。紹介した話を、正反対に読み取っている。もしかしたら、他にも誤読している人がいるかもしれないので、注釈しておく。(本来なら言わずもがなの話。)
 ジョブズが示しているのは、「自分がいかに恵まれた人生を送ったか」ということではない。「自分がいかに恵まれた人生を送ったと感じているか」ということだ。
 その違いは? ジョブズを襲った人生は、それこそ最悪の人生だった、ということだ。親はいない(安達祐実の家なし子みたい)し、大学は中退だし、せっかく成功したかと思うとクビになって放り出されるし、癌にはなるし、もう、不幸のオンパレードである。これほどひどい不幸が次々と襲ったら、普通の人は自殺してしまうだろう。
 しかしジョブズは、そのすべてを、あとで評価して、「幸福」と受け止めるようになれた。ジョブズは、そう言っているのだ。
 では、なぜ? 彼は決して、「うちひしがれない」からだ。最悪の状況にあっても、希望をもち、努力する。地獄のように深い穴の底に落ちても、希望を捨てず、ふたたび立ち上がる。その言葉が、こうだ。
 「 Stay hungry, stay foolish.」
 普通の人なら、不幸のどん底に落ちたなら、再起しようとは思うまい。いったん頂点に昇った人間が、どん底に落ちたなら、再起するのはほとんど不可能だ。しかしジョブズは、希望を捨てなかった。どん底に落ちても、ふたたび立ち上がろうとした。すでに得たものに満足せずに( hungry )。たとえ成功の見込みがゼロ同然でも( foolish )。……そして、その結果、最終的には、不幸を幸福に転じることができた。
 彼は本来ならば、こう言うことができたのだ。
 「すべては私の努力と才能がもたらしたのだ。決して諦めずに、強い意思を抱いたから、この成功があったのだ」
 しかし彼は、そう言わなかった。かわりに、同じことについて、逆の形で、こう言った。
 「それは、必死の努力ゆえというよりは、偶然的な幸運のおかげだった。立派な才能ゆえというより、くだらない愚かさのゆえだった」
 まったく同じことを、正反対に言うのだ。威張るかわりに、謙虚になるのだ。……ここでは、言葉は、逆の意味に使われている。彼が「幸運」と呼ぶものは、世間では「不運」と呼ぶものだ。彼が「愚かさ」と呼ぶものは、世間では「意思と努力」と呼ぶものだ。なのに、それを表面通りの意味で取っては、ジョブズの意図を何も理解していないことになる。
 「できれば、世の中の全ての人がジョブズさんみたいに恵まれた人生を送れればよいのですが。」
 そう思うのなら、簡単だ。世間の人々をすべて、親のいない子供にしてしまえばいい。さらには、大学を中退させる。職業に就いたら、絶頂点に昇った時点で、クビにして、放り出す。健康の点では、癌にしてやる。さらにもう一つ。ジョブズが謙虚にも触れていないことがある。彼の給料は、年収1ドルにすぎない、ということだ。彼はそれを自発的に決めた。

 結局、ジョブズの話は、何を教えるか? それは、勇気だ。
 自分の人生には、生まれながらにして、何一つ与えられていないかもしれない。他人には与えられる環境が、自分には何も与えられていないかもしれない。だとしても、自分には、自分というものが与えられている。だから、この自分を、信じよう。自分を信じることで、無を有に転じることができる。不幸を幸運に転じることができる。まるで魔術のように。……それは、自分の気持ちしだいなのだ。
 「 Stay hungry, stay foolish.」
 その気持ちさえあれば、今は何もないということは、逆に意欲に転じる。成功の見込みはゼロ同然でも、愚かしくも失敗を恐れずに済む。逆境を幸運へと転じるものは、自分の気持ちしだいなのだ。
 彼は決して、「自分は恵まれていた」と言っているのではない。「最悪の人生さえ、恵まれていたと感じることができるようになる」と言っているのだ。そして、そのことを、「自分は勇敢だ」という形で述べるかわりに、「自分は愚かだ」という形で述べているのだ。

 [ 付記 ]
 あなたがジョブズのようになりたければ、その方法は簡単だ。会社に交渉して、「自分をいったんクビにしてから、あとで年収1ドルで再雇用してくれ」と頼むだけでいい。それだけで、ジョブズと同じような幸運を得られる。以後、それが真の幸運になるかどうかは、あなたしだいだ。……さあ。ジョブズの真似をして、幸運という名の不運を手に入れよう。
 「 Stay hungry, stay foolish.」


● ニュースと感想  (9月17日b)

 「民主党議員のホームページ」について。
 民主党の次期党首をめぐって、党内はてんやわんやだ。そこでちょっと、各候補のホームページを覗いてみた。
 ざっと見て、合格点なのは、小沢と野田だ。まともなホームページになっている。前原のも、悪くない。ちょっとシンプルで、豪華さに欠けるが、悪くはない。ただし、フラッシュを使うのは、駄目だ。ここで失点。
 全然駄目なのは、菅直人だ。彼のホームページは、とんでもない形態である。ジャバスクリプトで表示するようになっている。未確認だが、これではケータイで見ることはできないのではないか。致命的。……さらに言えば、もっとひどいのは、「ホームページに何も書いていない」ということだ。本人の書いた日記風の話があるのはプラス点だが、本人の政策はホームページのどこにも書いていない。「カンパしてください」という項目ばかりが目立つ。唖然。
 とはいえ、この点では、小沢も大同小異だ。外交問題の政策ぐらいしか掲載していない。

 さらにひどいのは、野田だ。その主張は、小泉と同じ「構造改革」路線である。これは、何もしないのよりもさらに悪く、状況を悪化させる。野田はつまりは「プチ小泉」である。これだったら、小泉から交代させる理由は何もない。むさ苦しいツラがテレビに出るようになる分、かえって気色悪い。

 かろうじて合格点なのは、前原である。「増税はしない」と明言している。「減税する」と言わないのは、プラス点にならないが、「増税しない」という分、マイナス点がない。ただのオタクな防衛・外交マニアかと思ったら、そうでもないようだ。
 ちょっとプロフィールを見ると、学歴の点では、この人がトップであるようだ。けっこう頭いいんですね。顔だけじゃないのね。

 以上の点から見て、有望なのは、前原だ、という気がする。ただし、現時点で戦えば、小泉には完敗するだろう。なぜか? 弁舌が駄目だから。言葉をうまく仕えない政治家というのは、芸をこなせない大根役者と同じで、大人気を博すことはできない。前原が大人気を博するためには、自分自身は何も必要ないが、優秀な脚本家(比喩ですよ)を、参謀としてかかえることだ。
 政治を決めるのは、政策でもないし、顔でもない。言葉だ。── それを理解しているのが小泉であり、理解していないのが野党の大根役者たちだ。前原は頭がいいので、そのことに気づけば、一皮むけるだろう。一皮むけるかどうか。……そこが分かれ目だ。
 ついでに言えば、岡田みたいに、「愚直に政策を訴える」なんていう方針を取る限り、前原が党首になっても、同じ失敗を繰り返すだけのことだ。前原が岡田と同じくらい馬鹿かどうかが、決め手となる。同じぐらいの馬鹿なら、数年後にふたたび、「詐欺師と馬鹿」の争いが起こるかもしれない。ただし、馬鹿でなければ、「詐欺師の詐欺を告発する」ということが可能になるかもしれない。
 ま、あまり期待はしていないけど、ちょっとだけ夢を見たい気分。お先真っ暗じゃ、つまらないので。

 菅直人は……ホームページを見ても、どうも、時代に取り残されているようだ。このホームページのひどさ加減を誰も指摘しないところをみると、彼の側近には馬鹿ばかりがそろっていて、まともな参謀がいないのだろう。いくら本人が「首相の器」だとしても、まわりにいるのが時代に取り残された老人ばかりでは、本人もまた時代に取り残されることになる。まともな参謀を取らない限り、菅直人はこのまま引退した方が国のためだ。
 小沢と野田は……民主党にいない方がよろしい。自民党に入りなさい。

 [ 付記1 ]
 前原の立候補の談話が、朝日と読売の記事になっている。それぞれ、別の話。話を読むと、小泉の波立ちの主張に、かなり近い。とすれば、私の比較評価の結論は、簡単に決まり。

 [ 付記2 ]
 前原にアドバイスしておこう。彼の弱点は、その得意分野である。すなわち、安保・外交だ。
 この分野は、国家にとって死活的に重要とされ、花形の分野でもあった。とはいえ、そうであったのは、ソ連が崩壊するまでのことだ。今日ではもはや、日本には仮想敵国は存在しない。(ロシアと欧州が強く結びついている以上、ロシアが日本と戦争することは決してありえない。日本と中国が貿易で死活的に結びついている以上、日本と中国が戦争することも決してありえない。)
 では、今日では、安保・外交は、どんな意味があるか? 次のことだ。
 「米国の気まぐれな戦争ごっこに付き合うか」
 たとえば、イラク戦争。あるいは、ベトナム戦争。この手の戦争は、今後も何度も起こるだろう。そのとき、集団安保を名目として、日本は米国に協力するかどうか。……この問題だけが起こる。
 そして、これに対しては、歴史的に次のことが判明している。
 「米国に協力することは、日本の国益には、有益である。また、米国の政権にとっても、有益である。ただし、米国(米国民)そのものは、ひどく傷つく」
 イラク戦争をすることで、ブッシュは再選できた。しかし、米国は人的にも金銭的にも、ひどい被害を受けた。ハリケーンの被害もその一種だ。しかも、米国の政治的・外交的な孤立はますますひどくなり、世界は温暖化や核拡散の問題の際、米国の横暴に振り回されて、混乱の極みだ。……まとめて言えば、米国の戦争ごっこがなされると、世界中が破壊されるが、それを代償として、米国大統領と日本国民だけは利益を得る。
 で、米国の戦争ごっこに、日本は協力するべきか? 「世界中を犠牲にして、自分だけが利益を得る」という悪魔の発想を採るべきか否か。
 これについては、私は何とも主張しない。どちらも一長一短であるからだ。実益的にやるなら「イエス」だし、倫理的にやるなら、「ノー」だ。どちらにするべきか、私としては主張しない。政治家の信念しだいだろう。
 そこで、前原に言いたいのは、「これはただの政治家の信念の問題にすぎない」ということだ。つまりは、「個人的な政治ごっこ」という趣味の問題である。ブッシュやナベツネならば、自らの政治ごっこのために、喜んで世界を犠牲にするだろう。しかし前原は、彼らと違って、良心があるはずだ。自らの政治ごっこのために、世界を犠牲にする覚悟があるのか? 
 イラク戦争を支持することで、小泉はブッシュの歓心を買って、まんまと成功した。しかしその陰で、イラクや米国では、多大な人命と財産が奪われた。ブッシュは当選したが、ハリケーンの被害では莫大な死体が水上に浮かんだ。……ブッシュや小泉ならば、どんなに死体が浮かんで腐臭を放っても、平然としていられるだろう。「米国の威信のためには、国民の犠牲など、やむをえない」と。しかし前原も、その覚悟があるのか。
 まとめて言おう。安保や外交というのは、ひところは国家の命運を握ったが、仮想敵国のいない現在では、ただの政治ごっこの分野だ。その政治ごっこのせいで、多大な人命が奪われる。
 ならば、真の指導者というものは、政治ごっこをしたがる個人的な趣味を抑えて、禁欲的であるべきだろう。安保や外交というのが、どんなに面白い分野であろうとも、個人的な趣味を抑えて、冷静に損得を判断するべきだ。「米国に従う」でもいいし、「米国に従わない」でもいいが、自分のなしたことの意味を、はっきりと理解するべきだ。ブッシュや小泉のように、「どんなに死体が浮かんでも、自分の責任を忘れて、知らんぷり」という態度では、駄目だ。
 真の指導者というものは、政治ごっこをするべきではない。自分が何をやりたいかを考えるべきではなく、国民が何を望んでいるかを考えるべきだ。その点では、「集団安保」なんていう政治ごっこを唱えないで、「経済の改革」を唱えた小泉は、国民の要求に合致していた。つまり、少なくとも見かけ上は、「真の指導者」に見えた。
 前原がめざすべきことは、小泉を全面否定することではなくて、小泉を乗り越える(上回る)ことだ。そして、安保・外交なんていう政治ごっこの趣味にいつまでもとらわれていると、いつまでたっても宰相の器にはなれない。宰相というものは、自らの主張を実現するのが役割ではなくて、国民の声を聞き、国民の幸福を実現することが役割なのだ。

( ※ 本項の執筆時点では、前原が勝つかどうかはわからないが、いずれにせよ、数年後には、民主党の党首になるだろう。そのときのために、本項を書いた。彼の成長のために。……というか、将来の日本のために。)
( ※ 彼がどれだけ成長できるかは、彼がどれだけ自己反省できるかにかかっている。自分を利口だとばかり思う人間は、決して成長できない。……自負や確信は大切だが、同時に、謙虚さや自己反省も必要だ。この点では、本日別項の、ジョブズがいい見本だ。)
( ※ そう言えば、厚相時代の菅直人は、最後に述べた「役割」を果たしていた。あのときの菅直人は、ふんぞりかえって何かを主張するかわりに、腰を曲げて頭を垂れた。それこそが、宰相の器たる証拠であった。……今は知らねど。)
( ※ 私の予想を言えば、今回は菅直人の当選だろう。とはいえ、やがては前原の時代になるのだから、前原は役職に就いて、ちゃんと修行してほしいですね。特に、言葉でしっかり論戦できるようにしてほしい。小泉と論戦できるようにしてほしい。「日本を、あきらめない、ふがふが」なんて口にしちゃ、駄目ですよ。言葉の重要性を理解しないと、党首の器になれない。そこのところを、しっかり修行してもらいたいものだ。現時点では、キャッチフレーズの力では、小泉にかなり負けている。小泉に対抗するには、ゆっくりダラダラと反発するのではなくて、一発で切り返す鋭さが必要だ。それができなければ、岡田の二の舞だ。……小泉が「自民党をぶっ壊す。改革を!」と唱えたとき、「名ばかりの改革を斬れ!」と言い返せたら、満点だが。)


● ニュースと感想  (9月18日)

 「菅直人と前原誠司」について。
 よく調べると、どっちもあまり良くない。

 菅直人は「弱者を大事に」という趣旨のことを言っているが、どうも、年を食って、気が弱くなったようだ。今の日本で一番大切なのは、老人に年金をあげることじゃない。働いても働いても老人よりも貧しい生活しか送れないような、普通の人々のことだ。老人は毎月20万円もらえるのに、普通の人々は働いても25万円ぐらいしかもらえないで、それで家族を養わなくてはならない。子供の学費やら何やら大変だ。さらに言えば、失業している人も多い。……喫緊の課題は、「所得や職を得られない」という人々への対策、つまり、景気対策なのだが、その肝心の目標を見失っている。弱者への配慮が優先するあまり、世間一般が見えなくなっている。
 ま、心は優しいが、政治家としての資質が弱まっているようだ。

 前原の方は、その逆ですかね。政治家としての資質ばかりを考えるあまり、人間性にちょっと問題があるようだ。
 彼の最大の弱点は、やはり、その得意分野である。特に、国防だ。あれやこれやと研究しているのはわかるが、技術的な知識がまったくない。軍事技術の知識がないくせに、国防を論じている。笑止千万と言うしかない。
 たとえば、ミサイル防衛網については、「百発百中ではない」というふうな認識をしているようだが、実は「百発一中にもならない」という点を無視している。さらに言えば、「百発99中でも役立たずだ」という点を無視している。原爆搭載ミサイルなら、たとえ1発でも当たれば、大被害だ。逆に、原爆なしのミサイルなら、十発来ようが五十発来ようが、どうってことはない。小泉が不況で殺した自殺者の数に比べれば、スズメの涙にすぎない。一方、「ミサイル防衛網1兆円」という金をかければ、その分、確実に、人は何百人も死ぬ。あるいは、対照的に言えば、「1兆円をかければ、経済的な理由で死ぬ人を何百人も救うことができる」となる。……ミサイル防衛網というのは、国民を殺す効果があるだけで、救う効果はない。単に死因に、「経済死」と「ミサイル被爆死」の差をもたらすだけだ。
 その一方で、「ステルス」という肝心な技術をほったらかしている。役立たずの張り子の虎みたいな戦車や戦闘機に莫大な金をかけているくせに、肝心のステルス技術はほったらかしだ。
 要するに、技術のことは何も知らない素人の軍事マニアが、机上の演習で、軍人将棋ごっこをやっているだけだ。「こっちの駒の方が多いから勝ち」なんて言っているが、実際の戦争では、そうはならない。「ステルスのある方が勝ち、ステルスのない方が負け」となるだけだ。そんなことも知らない軍事素人のくせに、軍事のことを論じるなんて、ちゃんちゃらおかしい。どうせやるやるなら、まともな金をかけて、まともな軍備を整備するべきなのだが、実際には前原が主張しているのは、「米国の軍事産業に貢献しよう」ということだけだ。……ま、この点では、前原だけが馬鹿なのではなくて、日本中の文系軍事マニアの全員が失格だが。(理系の技術者なら、ミサイル防衛網は駄目で、ステルスがいい、ということは、すぐにわかる。)
 もっと単純に計算しよう。ミサイルが十発落ちたとして、その費用は、一箇所十億円なら、百億円。一方、ミサイル防衛網は、一兆円。だったら、落ちてから復旧する方が、ずっと効率的である。しかも、ミサイルなんて、来るはずがないものだ。なぜ? せっかくの防衛網が完成したころには、金正日は寿命で死んでいる。……何だったら、こう言ってもいい。
 「おまえはすでに死んでいる」

 で、何が言いたいか? こうだ。
 「無意味な国防ごっこなんかにいつまでもとらわれている限り、そんな政治家は首相の器にはなれない。なったとしても、せいぜい、米国のために献金するぐらいしかできない。米国の手下が一人できるだけで、日本の宰相は存在しなくなる」
 ま、現状も、そうですけどね。「米国の犬」の名前が、ポチからハチ公に変わるぐらいの意味しかないかも。
 前原も、国防なんていう子供趣味を、いつになったら捨てることができることやら。……子供じみているのは、顔だけじゃないのかも。

 あ、そうそう。彼の趣味は、(蒸気機関車の)SLである。つまりは、電車ごっこだ。さもありなん。その延長に、軍事ごっこがある。この子供趣味をどうにかしないと、とんでもないことになる可能性すらある。
 「わーい、SLを動かそう」
 「総理、日本国の軍隊には、SLはありません」
 「じゃ、ちょっと、イージスでも動かそうか。イラクにでも移してみれば? 米国が喜ぶよ。」
 「かしこまりました」
 自衛隊によるイージスの暴走。アメリカと共同しての、戦争推進。下手をすると、第三次世界大戦の勃発。
 「わーい、世界大戦だ。米国の味方をして、軍事ごっこができる。先の世界大戦争は負けたけど、今度の世界大戦争は勝てるぞ。嬉しいな。わーい。僕が司令官だ。わーい」
 このお坊ちゃん、何とかなりませんかねえ。

 [ 付記1 ]
 経済音痴の首相が経済をやると、「構造改革」と称して、不況を悪化させる。
 軍事音痴の首相が軍事をいじると、「国家防衛」と称して、戦争に巻き込む。
 どっちがひどいか? ……ま、いずれにせよ、こうは言える。
 「自惚れ野郎が首相の座に着くと、国を破壊する」
 小泉は最後まで、自惚れが治らなかった。菅直人は、途中で失敗して、一時引っ込んだ。(自惚れは治ったらしいが、気も弱くなった。)
 前原は……、まあ、小泉ほどひどい自惚れ屋ではないが、最悪の道を進まないことを、願いたいですね。「他人の意見を聞く耳をもつか」ということが、彼が宰相になるかどうかを、左右する。「小泉の波立ち」の前原批判でも読んで、「なるほど」と反省すれば、宰相になれるかも。あるいは、宰相になったあとで、失敗しないで済むかも。
 なお、菅直人がやや左寄りで、前原がやや右寄りなのは、別に、問題にするべきことではないと思う。左寄りか右寄りかは、料理の好みみたいなもので、良くも悪くもない。カレーを好きになろうと、寿司を好きになろうと、人の勝手だ。……ただ、そういう「好みの問題」を、「善悪の問題」と勘違いして、一国の命運を権力者の好みに染め上げようとすると、国は壊れてしまう。そのことは、どの国であれ、同様だ。

 [ 付記2 ]
 とはいえ、あれこれ文句の付けどころはあるとはいえ、前原誠司は、日本の政治家のなかでは、最も有望だ、と言える。菅直人の次の世代では、この人ぐらいしかいないだろう。対比して、神奈川県知事の松沢や、長野県知事の田中康夫や、横浜市長の中田なんかは、筋が悪すぎる。北川および浅野という知事(等)もいるが、これも筋が良くない。いずれも、細川にはずっと及ばない。
 ついでだが、「南堂を」という声もあるかもしれないが、私は政治家になんかなりたくありません。頼まれても、お断りします。たとえ千億円もらえるとしても、絶対にイヤです。あしからず。

 [ 付記3 ]
 以上のことを書いたあとで、前原が当選と判明。僅差で。……ま、不思議でもない。党内は右派が多いから、菅直人が左派ふうの発言をしたことで、嫌われたのかも。
 本項の内容は、特に書き直すほどのこともないし、前原当選でかえって意義をもつので、元の原稿のまま公開する。

 《 余談 》
 前原はなぜ当選したか? 実は、民主党の国会議員には、「小泉の波立ち」を読んでいる読者が何人かいたのだ。そのうちの二人が、前日の話を読んで、「南堂の言うことはもっともだ。前原ってけっこう利口だ」と思ったので、菅直人支持から前原支持へと、方針を転じたのである。菅直人の票は2票減り、前原の票は2票増えた。かくて、96対94から、94対96へと、逆転した。……「小泉の波立ち」のせいで、民主党の党首はひっくりかえってしまった。
( ※ 本気ではありません。念のため。……でも、「南堂は自惚れている! 当事者ヅラをしている!」なんて悪口を言う人が、また増えそうな予感。 )


● ニュースと感想  (9月19日)

 「前原党首への提言」について。
 前原が民主党の党首になった。ここで、私から、なすべきことを四つ、提言しておこう。

 (1) 党と党首の分離
 岡田は郵政改革について、労組の制約を受けた。これを抜本的に解決するには、次のことをするといい。
 「政策について、党と党首の分離」
 つまり、党が何を主張しようが、それとは別に、党首が独自の政策を提示できる。……これは別に、不思議でも何でもない。党の方針は、立法府の方針であり、党首の方針は、行政府(首相)の方針である。いくらか食い違っても、別に問題はない。
 小泉の場合は、この食い違いを最大限に利用した。党内反対派の存在を、自らの政権の強化のために使った。……この方が利口である。
 とにかく、党と党首とは、意見が一致している必要はない。むしろ、分離している方が、当然だ。この原則を確立するといい。
( ※ これは、党内の独裁を防ぐ効果があるし、党内に多様な意見を許すことにもなる。……好ましいことだ。)

 (2) 労組対策
 労組に対しては、意見の影響力を、一切封じ込めるといい。「口を出すな」と。
 これは言論圧殺とは違う。党内の労組派の議員は、何を言ってもいい。ただし、労組自身が党内に影響力を及ぼすのを、拒否する。
 ただし、その方法が、問題だ。「意見を言うな」と命じるだけでは、利口ではない。かわりに、こう言う。
 「その件は、政府に陳情してください。わが党が政権を取ったなら、政府として承ります」
 その意味は、こうだ。
 「野党の政策に影響力を及ぼしても、実効性は皆無である。郵政改革について民主党の政策に、どうのこうのと影響しても、民主党が政権を取らない限りは、ただの画餅だ。影響力を及ぼしたければ、民主党が政権を取ってからにしろ」
 馬鹿でなければ、この論理がわかるはず。逆に、どうしても相手が馬鹿なら、こう言えばいい。
 「自民党に政権を取らせたければ、労組擁護をしてください」
 これでもわからない馬鹿には、お引き取り願う。

 (3) 次世代の養成
 党首たるものは、次世代の政治家を養成する必要がある。ところが、これが、非常にお寒い。最近の有望な政治家は、前原を初め、たいていが松下政経塾の出身者だ。松下政経塾が日本の政治に以下に大きな影響力を及ぼしたか、よくわかる。
 ところが、松下政経塾は、もはや存在しない。となると、次世代のまともな政治家を養成するには、第2の松下政経塾が必要だ。二十年後の日本の政治のために。
 この問題は、非常に重要なので、しっかりと対策を練ってほしいものだ。

 (4) 守りと足元
 前原みたいなタイプは、攻撃には強いが、守りには弱い。足元をすくわれる危険がある。そこで、注意を喚起しておこう。
 「恨みを買うな。政治的な主張でなく人事面で、敵を作るな」
 人間というものは、論理で負けても恨まないが、人事で冷遇されると恨む。一方で、人事で優遇しても、「おれの実力だ」と自惚れるだけで、感謝なんかしない。……以上のことに留意しよう。
 このことから、こう結論できる。
 「能力主義なんて、屁もならない」
 だいたい、党内の「影の内閣」の肩書きなど、屁にもならない。何の権限もない。国対委員長などの肩書きも、大同小異だ。これらには、国の権限が、まったく付随しない。ほとんど空っぽな肩書きだ。
 だったら、こんなことに「能力主義」なんていう馬鹿げた発想をするのは、やめた方がいい。むしろ、次の方針を取るべきだ。
 「若手の人材の育成。そのために、三カ月か半年ごとの、ローテーション人事。」
 三カ月か半年ごとのローテーション人事をやれば、ポストの数は何倍にも増える。2年で一つが2年で八つになれば、ポストの数は8倍だ。これに、本人の志望などをかんがみて、誰もが好きなポストに付きやすい態勢を整えるといい。(いくらかの重みの傾斜は付けるが。)
 影の内閣の外務大臣なんて、誰がやっても大差はない。副大臣も5人ぐらいつくるといい。で、誰もが3カ月ぐらいなら、おおむね好きな役職に就けるようにする。……これで、ガス抜きだ。党内の不満は減る。同時に、若手の育成もできる。
 さらに言えば、長老に対しては、名誉職をいっぱい作るといい。「党最高顧問」みたいな肩書きをいっぱいつくって、小沢や鳩山たちを優遇する。
 とにかく、前原には、言っておこう。人事について「能力主義」なんていうのは、無能な経営者の発想である。自分が無能だから、部下の能力に頼りたがるわけだ。真の経営者は、そんな馬鹿げた言葉は使わない。カルロス・ゴーンを見るがいい。彼はそんな言葉を使わなかった。「一人一人の努力が大切だから、たがいに競争しろ」なんて言わなかった。彼は「能力主義」なんていう言葉を使うほど無責任ではなかったのだ。かわりに、「社内の改革」を通じて、「全社員の能力向上」を目標とした。単なる選別ではなくて、全体水準の向上を目標とした。……この違いがわからないようでは、一人前のトップにはなれない。

 [ 付記1 ]
 前原の勝因は、二つ。
 (1) 言葉
 印象的な言葉で、議員の心をつかんだ。キャッチフレーズふうに、うまく言葉を使えた。これは政治家としての強みになる。
 (2) 側近
 側近の意見を取り入れて、生い立ちの話などを盛り込んだ。「そんなの言いたくない」という自説を押し通さなかった。他人の意見に耳を傾けて、その進言を取り入れた。
 以上の二点が重要だ。これを今後も実施できるのであれば、指導者として大成できるだろう。
 ただし、現状では、まだまだ不十分である。演説の全文(?)が読売の記事に出ているが、なかなか良い演説だとはいえ、満点からはほど遠い。この程度では、強力なライバルが出たときに、とうてい勝てない。今回の菅直人の演説はひどかったが、逆に、菅直人が私に演説原稿を依頼していたら、間違いなく、前原はノックアウトされていたはずだ。前原は勝てたとはいえ、あの程度の演説ではまだまだヒヨッコである。なぜなら、「感動」がろくにないからだ。(ちょっとはあったけどね。ただし、政策の件ではなくて、生い立ちの件だけ。)

 [ 付記2 ]
 前原のプロフィール。
 「日本新党の衆院議員だった1994年、党代表の細川護熙氏(元首相)が小沢一郎氏(民主党前副代表)との連携を強めると、「立党の原点と違う」などと反発して離党した。京セラ創業者の稲盛和夫氏を後援者に持つなど、財界人との関係も深い。裁判官だった父を中学2年の時に亡くし、奨学金を得て学業を続けた。元高校球児で、京大では、国際政治学者の高坂正堯氏に師事した。熱狂的な阪神ファン。」( → 読売新聞
 ふうん。けっこう見所あるかも。ま、骨があるタイプなのは、偉い。小泉と、タメを張れる。(不良少年用語。)


● ニュースと感想  (9月20日)

 「中国の情勢」について。
 中国では反日教育をやっているので、反日運動が盛り上がる……というのが、常識だったようだが、すっかり様変わりしたらしい。現在では、中国当局は、反日教育を弾圧しているという。(ここまでは何度も報道されたとおり。)
 ただ、それを推進したのが、主席の胡錦濤であるという。しかも、彼がそうした理由が、「日中の経済は死活的に結びついており、反日運動は国家の利益をそこなう」ということであるという。とはいえ、「親日運動」を一方的に推進するのではなくて、政権維持のために、反日の雰囲気もちょっとは利用するらしい。結果的には、博物館の南京虐殺などの人形なども撤去して、反日運動はかなり抑制する方針となっているらしい。
 以上は、今週の漫画「島耕作」(週刊モーニング)から。漫画なのでどこまで本当かはわからないが、まんざら嘘でもないようだ。胡錦濤というのは、江沢民みたいながりがりの共産主義者ではなく、党内でも屈指の合理主義者(ゴルバチョフふう)だから、さもありなん、と感じられる話である。
 情勢はどうやら流動しているようだ。いつまでも「反中」みたいなことを言っている連中が多いと、日本は時代の流れに取り残されてしまうかも。「喧嘩はすばらしい」なんて思っている連中が多いと、日本はなすべきことを見失ってしまう。たとえば、一国の総理が靖国みたいなことばかりにとらわれていると、肝心の政治が「四年間かけて、郵政法案が一本通るか通らないか」ぐらいのことになってしまう。……情けない。


● ニュースと感想  (9月20日b)

 「堤防技術」について。
 利根川の堤防強化のため、莫大な費用をかけた工事が予定されているという。百年に一度か二百年に一度という洪水に対処するために、工事をする。その方法は、堤防のそばの民家を立ち退かせて、堤防の幅を拡幅すること。高さは変えないで、幅を広げるので、巨額の費用がかかる。(朝日・夕刊・社会面 2005-09-15 )
 ミシシッピの方は「小さな政府」の失敗だが、日本では「大きな政府」の失敗だろうか。「無駄な公共事業の典型」という指摘もあるというが、まったくだ。これが「小泉改革」の実態でしょうかね。
 さて。政府もマスコミも頭がないようだから、私が情報を提供しよう。堤防ならば、従来式の「拡幅」という方法でなく、堤防の「かさ上げ」や「コンクリート壁の強化」という在来技術がある。また、弱い特定箇所を検出することで、実質的に決壊を予防するという新技術もある。
  → 新技術一覧
  → 『カトリーナ』被災で注目される堤防技術(下)
 ※ 後者の記事は、実を言うと、朝日のサイトで紹介されている。上記の朝日の記事を書いた記者は、自社の関連記事も読んでないのだろうか。……とにかくまあ、記事を書くときは、前もって、関連情報をネットで探索しましょうね。


● ニュースと感想  (9月21日)

 「前原への提言(その2)」について。
 前原の方針を見ると、どうも危なっかしい。古臭い「能力主義」「選別主義」を取っている。それはつまり、「勝てば自分のせい」「負ければ部下のせい」という方針である。こんなのは、部下から見れば、「やってられんよ」となるだろう。

 そこで、提言しよう。最初に、こう宣言することだ。
 「勝ちも負けも、全責任は、党首にある」
 この宣言のもとで、次のように表明する。
 「先の勝敗は、すべて当時の党首の責任である。同様に、次の選挙での勝敗は、すべてその時点での党首の責任である。」
 「党首はその全責任を負うがゆえに、全責任を負うだけの全権限を有する」
 「その全権限とは、党に対する権限ではなくて、政府に対する権限である。つまり、民主党が政権を取った場合、政府の方針はすべて首相が決定する。党には決定権はない。党にできるのは、首相を選ぶことだけだ」
 「ゆえに、次期政権の方針は、私一人が決める。政府の方針は私が決める。一方、党の方針は党が決めるし、議員の方針は議員が決める。行政府と立法府は別々であり、両者は別のこととする。」

 たとえば、「郵政民営化」という問題があったとする。それに対する次期政権の方針は、前原一人が決める。「私が政権を取ったらこうする」というふうに。それを語ることができる(権限があるのは)のは、前原だけであり、その結果には、前原一人が責任を負う。勝ちも負けも、一人で責任を負う。
 民主党の方は、各議員が好き勝手なことを言えばいい。「郵政民営化賛成」でもいいし、「郵政営化反対」でもいい。ただし、党首が一定の方針を出したとき、「党首を支持するか支持しないか」という差が出る。たとえば、党首が「民営化」という方針を出したとき、議員が「党首の方針に反対」というふうに主張した場合、国民からは「裏切り」と見なされるだろう。また、党からも「裏切り者」と見なされて、刺客を送られるかもしれない。……いずれにせよ、議員は何を言ってもいいが、自分の言ったことに自分自身が個人として責任を持つ必要がある。
 現状は、そうなっていない。党首も議員も、どちらも無責任だ。党首は自分で自分の方針を決められず、議員集団である党に任せきりだ。議員も、自分の言ったことに責任を持たず、単に「党に対する影響力の行使」ばかりを考えている。
 こういう無責任体制を解決することが大事だ。ちなみに、カルロス・ゴーンは、責任ある体制を取った。「結果を部下の責任にする」という「能力主義なんかを取るかわりに、「数値目標」を掲げた。
 「三年間で、これこれの業績改善」(利益倍増その他)
 こういうふうに、およそできそうもない目標を掲げた。これを目標として、強い指導力を発揮した。前原も、能力主義なんかを掲げず、同様にするべきだろう。つまり、こうだ。
 「次期衆院選では、最低でも200議席を取る。それができない場合には、辞任する。」
 「次期参院選では、これこれの議席を取る。それができない場合には、辞任する。」
 党首たるものは、全権限を握り、全責任を負うべきだ。「他人のせい」なんていうふうに考えていては駄目だ。党の方針は党が決める。首相としての方針は党首が決める。党がなせるのは、党首を支持するかどうかだけであり、党首の掲げる政策についての決定権はない。党首は自分の掲げる政策について全責任を負う。その上で、党は、党首を支持するか否かだけを決める。
 前原に与えられた期間は、一年だけだ。その間に、やるべきことを、しっかりとやるべきだろう。「党内の意見の集約」なんてことを重視していては、小泉にぶっ飛ばされるだけだ。「自民党をぶっ壊す」と述べた相手に、「民主党をぶっ壊す」というふうにされるだけだ。
 前原がなすべきことは、小泉を見習って、「民主党をぶっ壊す」と語りながら、実際には「自民党をぶっ壊す」ことだ。……この点では、前原はまだまだ、肝っ玉が小泉よりも小さい。小泉が「自民党をぶっ壊す」と語って民主党をぶっ壊したように、前原もまた「民主党をぶっ壊す」と語って自民党をぶっ壊せば、満点だが。……どうも、小泉に比べて、心臓が小さいようですね。

 [ 付記 ]
 それにしても、小泉の詐欺師ぶりには、ホントに感心する。以前は、
 「改革なくして、景気回復なし!」
 と語って、うまく人心をつかんだ。かと思うと、今度は、
 「郵政改革なくして、他の改革なし!」
 と語って、人心をつかんだ。
 つまりは、「改革なし」という自分自身の無能ぶりを、逆に宣伝文句にするわけだ。無能をすばらしいと言い立てる。黒を白と言いくるめるのも同然である。
 この手を使えば、男は女をうまくだませるかも。たとえば、夫が浮気をして、妻に責められたら、
 「妻への愛情なくして、浮気なし!」
 と宣伝して、自分の浮気を、逆に、「妻への愛情の証明」だと言い立てる。で、妻はそれを聞いて、コロリとだまされる。
(……わけないか。女性というものは、政治についてはだまされるが、女性問題についてはだまされないようだ。つまり、妻は国民ほど馬鹿ではない、ということかな。)


● ニュースと感想  (9月26日)

 「ミサイル防衛網とV2号」について。
 V2号というロケットがある。第二次大戦中に、ナチス・ドイツがイギリスやフランスなどに向けて発射した弾道ミサイルだ。現在のテポドンに近いが、もうちょっと高性能だったらしい。Wikipedia の説明によると、約1000kgの弾頭を搭載したときの射程距離がおよそ300kmだった。
 このロケット(弾道ミサイル)は、多くの市民を殺し、市民を恐怖のどん底に陥れた。(普通の攻撃では市街地は攻撃の対象とはならないが。)しかしながら、軍事的には、ほとんど効果がなかった。市民を殺すことはできても、相手の戦闘機や艦船を破壊することはできなかったからだ。(命中精度が低すぎるので。)
 また、コストの点でも不利で、費用対効果は著しく低かった。コストはロケット4発で爆撃機1機に匹敵した。しかるに爆撃機は、かなり正確に攻撃できるし、より長距離を飛べるし、はるかに多い弾頭を運搬できるし、繰り返し使用できた。同じ金で攻撃効果を測るなら、爆撃機の方が圧倒的に上だ。というわけで、ドイツのV2はロンドン市民に恐怖を与えたぐらいの効果しかなかったが、一方で、英米軍の爆撃機はドイツの全土を徹底的に破壊し尽くした。

 以上を北朝鮮と日本との間に当てはめると、こうだ。北朝鮮はテポドンで日本国民を恐怖のどん底に陥れることはできるが、日本にある戦闘機や艦船の一つとして破壊できないだろう。その一方で、日本の米軍基地から出撃した爆撃機は、北朝鮮を根こそぎ焦土と化すことができる。(イラクやベトナムを参照。)
 とすれば、日本にとって必要なのは、ミサイル防衛網ではなくて、爆撃機だけである。特に大事なのは、ステルス爆撃機である。(爆撃機が日本軍のものであるか米軍のものであるかは問わない。)
 いずれにせよ、ミサイル防衛網などは、必要ない。仮に、ミサイル防衛網が必要だとすれば、現状の在日米軍基地は役立たずだということになる。とすれば、ミサイル防衛網を導入したあとでは、役立たずの在日米軍基地をすべて撤去するべきだろう。論理的に、そうなる。

 結局、論理的には、テポドン対策としては、次の二通りだけが可能だ。
  ・ ミサイル防衛網は必要だ。(在日米軍基地は役立たずだから将来撤去せよ。)
  ・ ミサイル防衛網は不要だ。(在日米軍基地にはステルス爆撃機を導入せよ。)
 このどちらでもいい。論理的には、どちらも成立する。(実効的にはともかく。)……なお、最悪なのは、次のことである。
 「ミサイル防衛網を導入するが、在日米軍基地を併用し、かつ、ステルス爆撃機を導入しない」
 この場合は、最大のコストがかかり、最小の効果がある。これが最悪の道だ。……とはいえ、この最悪の道を、日本政府は選択する。なぜか?
 それは、この最悪の道によって、日本の安全は守れないが、米国の軍事産業だけは大きな利益を得るからだ。日本の国防政策は、日本国民のためにあるのではなく、米国のためにある。……そしてそれを、「日本のため」というふうにゴマ化して、日本国民をだますこと。このゴマ化し(いわば洗脳)が、詐欺師たる日本国首相の役割である。
 だます詐欺師と、だまされる阿呆。

 [ 付記 ]
 将来の予想ストーリー。
 米国大統領 「自由のために、米国のマークを世界に広げよう。マクドナルドのマークを世界に広げることが、米国の国益に叶う。そのためには、独裁者たる北朝鮮を追放するべきだ」
 日本国のM首相(SLファン) 「米国のために行動するのが日本の義務である。これを集団的防衛権という。だから、米国のために、SLを出撃させよ」
 側近 「SL? 蒸気機関車じゃ、無理でしょう」
 M首相 「あ、言い間違えた。イージスを出撃させよ」
 米国大統領の側近 「大統領。日本は賛成です。自分の国はミサイル防衛網で守れるから、心おきなく、戦争を始めて下さい、とのことです」
 米国大統領 「そうか。せっかくM首相が言ってくれるんだから、やらなくちゃね。さもないと、再選がおぼつかない。それ、攻撃しろ!」
 かくて、北朝鮮との間で、戦争勃発。その結果は? テポドンは、たくさん発射されたが、ほとんどが日本海か太平洋に落ちるばかりだった。たまに日本に落ちるのもあったが、それも人のいない山中に落ちるだけだった。(日本の国土の大部分は山野である。)
 ただし、北朝鮮の軍は、ボートで海を渡って、こっそり密入国した。もちろん、自衛隊は、その情報を察したので、さっそくあちこちで、「テロリストの検出」という名目で、東京ドームや地下鉄などのチェックをした。そのせいで、国民生活は、大混乱。経済活動はマヒしかけた。その一方で、北朝鮮軍は、発電所やダムなどを爆弾で破壊したが、そのほとんどは、1週間ぐらいで復旧してしまった。わずかな効果はあったが、大勢には影響を与えなかった。
 結局、北朝鮮軍のもたらした被害は小規模だったが、自衛隊の見当違いなチェックの方が、よほど大がかりな被害を国民にもたらした。あちこちで「バッグを開けろ」「いやよ」「ボディチェックさせろ」「いやだ、エッチ」なんていう狂態が繰り広げられ、日本経済はマヒ状態になってしまった。……結局、テポドンの効果は、日本人を心理的に脅かしただけだったのである。そして、その被害が出た根源は、日本人が小心すぎたこと、ただそれだけであった。「怖い、怖い」と怯えすぎたせいで、自らあえて余計な被害を招いてしまったのだ。
 ただし、どんなに大被害が出ても、そのすべてに満足している人が、二人いた。
 米国大統領 「日本人に被害は出たが、米国人には被害は出なかった。米国の国益に叶う。おかげで私も再選できたしね」
 日本のM首相 「テポドンとイージスって、SLよりも面白かったなあ。趣味の写真で、撮影しておけば良かった。惜しい!」
 側近 「総理。これであなたも、歴史に名を残せます。あなたがかねて憲法九条を改正しておいたおかげで、日本はこの戦争で戦勝国の側に立つことができたのです。多大な被害は出たが、日本を勝利に導いた指導者として、歴史にきっと名を残せるでしょう。」
 M首相 「そうか。じゃ、在任中にもう一発、戦争をやろうか。……何と言っても、軍事は僕の専門だしね。専門分野で、いっぱい業績を上げなくっちゃ。」
 側近 「すばらしい。中曽根首相は『不沈空母』という言葉で、歴史に名を残しました。総理は『不沈イージス』という言葉で、歴史に名を残すでしょう」
 M首相 「それ、いいね。だけど、南堂が批判するかもしれないな。やばいぞ。もし南堂が政府にたてついたら、南堂の誹謗中傷をしてやれ。『不沈e-JISの委員じゃないくせに、当事者ヅラをするな』と」

 [ 補足 ]
 参考情報を二つ。

 (1) ミサイル防衛網
 ミサイル防衛網の開発予算が、当初の3倍になる見込み。
 ずるい、と言われそうだが、毎度のことである。過去の戦闘機開発では、常に、当初予算の数倍の金にふくれあがった。だいたい、政治や軍事というものは、自国の国民を守るのが使命なのではなく、自国の国民をだますことが使命なのである。実際には戦争なんか起こらないのだが、「戦争が起こるぞ」と脅かして、国民の金を使い込むわけだ。……たまに戦争が起こるとしても、外国の途上国が相手であって、ロシアや中国と戦争をすることなど、ありえない。(あったとしたら、核ミサイルの攻撃であるから、そのときは手遅れ。)
  → http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20050925it01.htm

 (2) ステルス
 影のM総理は、ちゃんと軍事知識を仕入れてほしいですね。日本にとって必要な軍事技術は、ステルスだ、と。ミサイル防衛網ではないし、SL(汽車ポッポ)でもない。
 なお、韓国は、お馬鹿な日本を尻目に、ステルス機を開発するという。
  → http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050924i413.htm

 [ 余談 ]
 「ステルス技術なんか大変だ」と思う人も多いだろう。ま、たしかに、大変である。とはいえ、ステルス技術の根幹の一部は、もともと日本製の技術である。特殊な磁性体の技術だ。また、ステルスの形状については、ロシアの技術者の公開論文が基礎となっている。
 で、結局、日本に欠けているのは何か? 金でも技術でもない。政治家の意思である。「米国の犬」であることを本分としているから、「日本を守ること」など二の次になっている。
 その点は、小泉よりも、影のM総理の方に顕著だ。小泉は自衛隊をサマワに派遣して、給水設備を建設させた。影のM総理なら自衛隊をバグダッドに派遣して、イラク相手の市街戦に戦争に参戦させただろう。なぜ? 「憲法改正をしたから、それが当然だ。そのために憲法を改正したのだ」という理屈。小泉は小さな泉を作りたがるが、影のM総理は汽車ポッポみたいなドンパチ騒ぎが大好き。彼は今、「民主党を戦う集団に作り替えよ」と言っているが、総理になったら、「自衛隊を戦う軍隊に作り替えよ」と言い出す。(ただし彼自身は、要塞のごとき首相官邸の地下室に引きこもっているのだろう。)
 とにかくまあ、彼のやりたいことは、戦争だけだ。経済のことは、ちっともわからないから、戦争だけをやりたがる。日本の首相は、(改革知らずの)改革マニアから、(軍事知識なしの)戦争マニアに交替するだけかも。……オタク首相にもてあそばれるだけ。

 [ 補説 ]
 憲法9条の改正については、私は、反対ではない。ただしその理由は、「法的な整合性のため」である。「防衛のための軍隊は、軍隊ではない」というのは、「白馬は馬にあらず」というのと同じで、論理的におかしい。そこで、この問題を回避するためには、憲法を改正するしかあるまい。(自衛隊を廃絶する、というのは、極端すぎるし、国民の大多数の意思に反するので、却下。)
 ただし、ここでは、「法的整合性のため」というのが理由である。「米国と協調するため」ではない。当然、戦争参加のための歯止めを、強固に設定することが条件となる。たとえば、「集団的防衛権」というのは、「先制攻撃をする権利」と同義であるから、こんなものは廃止するしかない。
 前原の主張だと、「朝鮮有事のときには、自衛隊を米軍に協力させよ」ということだ。とすれば、当然、日本は北朝鮮に宣戦布告したのと同じことになるから、日本は北朝鮮からどんな攻撃を受けても文句を言えない。たとえば、東京のあちこちにテロ攻撃をされても、それは北朝鮮の正当な戦争活動である。(パレスチナと違って国家があるから、テロではなくて戦争活動である。)で、そうなった理由は、日本が「集団的防衛権」の名目で、北朝鮮に宣戦布告したことにある。宣戦布告したから、攻撃すると同時に、攻撃されるわけだ。
 で、その目的は? 日本を米国の盾にすることだ。日本が盾になれば、日本を犠牲にして、米国を守ることができる。それが彼の最大の目的なのだ。それこそ彼にとって最大の国益なのだ。(なぜか? 彼は自分をアメリカ人だと思い込んでいるからだ。)

( ※ オマケで言うと、現在、米国では、「イラク戦争は大失敗だった。さっさと軍隊を引き上げよ。ハリケーン対策の方をやれ」という声が、大多数である。米国民は「イラク戦争は失敗だった」と判定しているのに、日本のお馬鹿な与野党の党首だけが、米国民を無視して、「イラク戦争に協力することで米国の国益に叶う」と思い込んでいる。虚構の米国を信じている。頭がイカレている。バーチャルな仮想現実の米国ばかりを信じて、米国の実態を理解しない現実無視。)







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「小泉の波立ち」
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