[付録] ニュースと感想 (102)

[ 2006.02.12 〜 2006.02.26 ]   

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● ニュースと感想  (2月12日b)

 「ライブドア問題の本質・その12」について。
 話を戻そう。2月07日b で述べたように、次の二つの課題がある。
 「真実に対して、誤解は何か?」
 「真犯人を知ったあとで、対処はどうするべきか?」
 このうちの前者の問題を扱うことにしよう。

 まず、次の二つのことを区別すべきだ、と指摘しておこう。
 「法律的な悪/経済的な悪」
 この区別は重要である。なぜか? 悪は悪でも、悪の種類を間違えてはならないからだ。

 このことは、法律論でもそうだし、ただの論理でもそうだ。しかし素人は、善悪感情に凝り固まって、単に「悪は悪だ」とだけ決めつける。その悪がどんな悪であるかを、まともに理解しない。論理の錯乱である。しかし、そんなことでは、処置が正当ではない。あげく、対処を間違えるせいで、混乱が余波のように引き起こされる。

 比喩的な例を示そう。次の事例がある。
 「凶悪犯が、殺人を狙いとして、拳銃を盗んだ。その拳銃を使って、殺人を犯した。すると、それを知った世間は、拳銃という銃器にばかりとらわれて、『拳銃泥棒は悪である。ゆえに銃器を規制せよ。銃器を盗んだ人を重罪に処せ』と大騒ぎした」
 この例では、「殺人」という本質を見失って、「拳銃泥棒」という点にばかり目を奪われている。なるほど、拳銃というのは、目立つものだ。とはいえ、泥棒は泥棒であり、それ以上でもそれ以下でもない。しかも、泥棒というのは、世間に山のようにありふれている。こんな小悪にばかり目を奪われるべきではない。ここでは、「殺人」が核心であり、「拳銃泥棒」は付随するものにすぎない。主従関係を勘違いしてはならない。本質を見失ってはならない。

 ライブドアの事件でも、話は同様だ。人々はしきりに「不正経理」という帳簿の犯罪をわめきたてる。しかし、不正経理など、いくらでもある犯罪だし、世の中にありふれている。こんなものに目を奪われるのは、殺人犯の泥棒に目を奪われるのと同様で、見るべき核心を見失っている。
 ここまで言えば、私の本当の見解を、理解できるだろう。

 まず、読みの浅い人の誤解は、次の通りだ。
 「ライブドアの犯罪は、ただの形式犯で微罪だから、そんなものはいちいち気にしないで、放置してしまえ。ただの立ち小便みたいなものだから、いちいち摘発しなくてもいい」
 こういうふうに南堂は言っている、と思い込む人は、「南堂は鈍感な奴で、正義漢の薄い奴だ。悪人を許すことばかり考えている」と感じるので、納得できない気分になるだろう。
 しかし、私の主張は、そういうことではない。むしろ、こうだ。
 「ライブドアのやったことは、まさしく悪であり、許しがたいことだ。ただし、その悪の理由を、勘違いしてはならない。コソ泥みたいな小さな形式違反が悪なのではない。そんなことだけなら、見逃していい。ただし、本当は、とても悪いことをやっている。それは見逃しがたい、ひどい悪だ。そのひどい悪が何であるかを、はっきりと理解するべきだ。それは決して、不正経理なんかではない」
 比喩的に言えば、「殺人犯を罰するなら、殺人行為を理由とするべきだ。ちっぽけなコソ泥なかを理由とするべきではない」ということだ。「拳銃泥棒が最初の原因となって、人が死んだのだ。だから泥棒罪で、死刑にせよ」なんていうメチャクチャな暴論は、あってはならないのだ。で、こういう暴論がのさばると、「泥棒をしない殺人ならば、不正ではないので許される」というふうになってしまう。かくて、巨悪がのさばるようになる。

 結局、私が言いたいのは、「ライブドアの悪を見逃せ」ということではなくて、「それを悪だと見なす理由を間違えるな」ということだ。
 ところが、世間では、この点を大いに勘違いしている。そのせいで、どうでもいいような帳簿の問題ばかりにこだわっている。真実を見失っているのだ。
 では、真実とは? 悪の種類を間違えないで理解することだ。そのためには、悪の区別をする基準があればいい。それが、冒頭のことだ。つまり、
 「法律的な悪/経済的な悪」
 という区別だ。
 この区別の理由は、次のことだ。

 第一に、法律的には、ライブドアのやったことは、ただのコソ泥のようなものである。いちいち大騒ぎして罰するほどのことではない。見逃したって構わない。帳簿を間違える程度の不正経理なら、世間に掃いて捨てるほどある。全員を監獄にぶち込んだら、監獄がいくらあっても足りなくなる。
 第二に、経済的には、ライブドアのやったことは、大いなる悪である。ただし、それによって莫大な金が奪われたからではない。仮に、莫大な金が奪われたのだとしたら、それは莫大な金額の詐欺であるから、まさしく法律的に罰されるべきだ。しかし、現実には、法律的には大罪ではないのだ。というか、法律的には無罪である。しかし、法律的には無罪であっても、経済的には大罪なのだ。すなわち、実質的には大罪なのだ。
 では、経済的に、どんな悪であったか? それは、「莫大な金を集めた」ということである。それは、「バブル」という言葉で要約できる。

 ともあれ、ここでは、次のことに注意しよう。
 「バブルは、経済的な悪であり、法的な悪ではない」
 このことに十分に注意した上で、バブルが悪である理由を、経済学によって、はっきりと理解する必要がある。
 というわけで、明日以降では、経済学の観点で詳しく論じていこう。

 [ 付記 ]
 誤解を避けるために言うと、「経済的に悪をなしたからライブドアを処罰せよ」と述べているわけではない。悪は悪だが、法律違反として処罰されるべき悪ではない。それは、小泉の罪と同様だ。彼は、日本を不況にして、日本中の富を減らしたが、だからといって、法律違反に問われることもないし、監獄にぶち込まれるわけでもない。
 「悪か否か」と「法律違反か否か」とは、別のことなのだ。法律違反にならない大罪もあるし、法律違反になる小罪もある。その区別をはっきりとするべきだ。
 「ライブドアは法律違反となる小罪をしたから、実質的にも大罪を犯したことになる」
 というのが世間の風潮だが、これはとんでもない勘違いである。素人的な勘違い。
 ついでに、もう一つある。「虚業だから悪であって、だから監獄にぶち込め」なんていう主張も、よくある素人的な勘違いだ。こんなのがまかり通ったら、投資ファンドやら、年収数億円の為替トレーダーやらは、みんな監獄にぶち込まれてしまう。暴論であろう。
 とにかく、この手の素人的な勘違いを犯してはならないのだ。しかしながら、残念なことに、検察がライブドアを検挙したのも、マスコミの論調も、こういう素人的な勘違いに基づいている。投資家の錯覚によってバブルが事件が発生したあとで、検察とマスコミの錯覚によって逆の事件が発生する。錯覚の二重奏。

  【 追記 】 ( 2006-02-13 )
 本項で述べたことから、次のように結論できる。
 「経済的な悪を処置するために、法律的な悪を拡大解釈することは、あってはならない
 これは「別件逮捕」と同様で、やってはならないことだ。
 比喩的に言おう。名うてのプレイボーイが、バラの花を盗んでから、そのバラを女にプレゼントして、たぶらかしたすえに、女を捨てた。女は自殺した。このプレイボーイを非難する声がごうごうと上がった。そこで検察は、彼を「バラの花の泥棒」という名目で逮捕した。普通、花泥棒は、微罪である。しかし、検察は、法律的な悪を拡大解釈して、「泥棒」の罪で長期にわたって拘留した。さらには、彼が別の女性を「デブ」と呼んだのを聞きとがめて、この罪でも長期にわたって拘留した。( → 嘘みたいな実例
 こういう「別件逮捕」みたいなことは、やってはならない。Aという行為が悪だからといって、別のBという悪を拡大解釈することで、「小さなBという悪を巨大に処罰する」ということは、やってはならないのだ。
 経済的な悪に対処するには、経済的に処置するべきだ。小さな法律的な悪を見て、それを拡大解釈して、経済的な悪を処罰できない分を埋め合わせる、というのは、とんでもないことだ。それでは、検察が経済政策を遂行することになる。越権だ。
 ライブドアのやったことは、不正経理なのだから、せいぜい、普通の脱税と同程度の犯罪である。罰するなら、書類送検か、重加算税か、せいぜいそのくらいのことだ。通常、十億円ぐらいの脱税があっても、たいていは「見解の相違」で済んで重加算税程度だ。
 ま、悪質な場合には、検挙されて、懲役刑が科されることもあるが、だからといって、「会社そのものをつぶしてしまえ」なんていうことは、ありえない。たとえば、トヨタが脱税したとか、賃金不払いをしたとか、そういう実例があったとしても、「トヨタの経営者をみんな逮捕して、トヨタをつぶしてしまえ」なんていうことはありえず、単に、その悪を是正させるだけのことだ。おまけで、お尻をひっぱたいてやることもあるだろうが、せいぜいそのくらいだ。「トヨタをつぶしてしまえ」なんていうことはありえない。
 なのに、そのありえない非常識なことを、検察はライブドアに対してのみ、大々的にやり遂げた。これはまあ、検察のスタンドプレーであろう。とんでもない暴走である。
 とにかく、「数十億円の不正経理を理由として、投資家たちに数千億円の喪失をもたらす」なんていう、狂気的な暴走は、経済テロと呼ぶしかない。
 おまけで言えば、検察に付和雷同する連中もまた、同罪である。彼らは言う。
 「検察がやらなくても、もともとライブドアは虚業をやって、投資家から数千億円を奪っていたんだ。検察のせいで損害が発生したわけじゃない。もともと詐欺で金を奪ったのだから、もともと投資家は損をしていたのだ」
 これは嘘八百である。こういう嘘を唱える連中こそ、ありもしない損失を語ることで、自分たち自身がとんでもない嘘を付いているのだ。「ライブドアは数千億円規模の嘘を付いた」と非難する連中こそ、ホリエモンの罪とまったく同じ罪をなしている。方向が逆なだけだ。ホリエモンはありもしない「未来の富」を妄想の形で振りまいた。マスコミ連中はありもしない「現実の損」を妄想の形で振りまいた。ともに嘘つき罪。
 では、両者は、同等か? 「嘘つき罪」という点では、同等だ。しかし、その後、妄想を振りまくことによって、「現実の損」をもたらすか否かで、評価が異なる。ホリエモンのもたらしたのは、「バブルの膨張と破裂」という罪だけにすぎない。一方、大騒ぎした連中がもたらしたのは、「ライブドアの破壊」という経済テロである。比喩的に言えば、ホリエモンがやったのは、NYビルから嘘をたくさん流したことであり、マスコミ連中のやったことはNYビルそのものを倒壊させることだ。どちらの罪が重いかといえば、マスコミの方がはるかに重い。
( ※ なお、ライブドアが現実の損をもたらしていない、という件については、次項で。)


● ニュースと感想  (2月13日)

 「ライブドア問題の本質・その13」について。
 前項の話を続けよう。前項では、次の区別の重要性を示した。
 「法律的な悪/経済的な悪」
 なぜこの区別が必要かというと、人々は、両者を混同して、次のように主張する。
 「ライブドアは、不正なゴマ化しをやって、莫大な金を投資家から奪った。」
 ここでは、「不正経理」という法律的な悪と、「金を集める」という経済的なこととが、混同されている。本来は別のことであるのに、両者を一体化・混同して、認識が不正確になっている。
 一方、これを因果関係で見る意見もある。次のように。
 「不正経理があったせいで、あとで莫大な被害が生じたのだ。だから、不正経理が原因だ。この原因がけしからん。この原因を非難しよう」
 というふうに。しかし、この因果関係は、成立しない。実際、不正経理をしている企業は山のようにあるが、それらの企業は、何千億円もの金を投資家から集めているわけではない。つまり、不正経理はあくまで不正経理であって、帳簿の問題にすぎないのだ。それは以後の「金集め」の原因とはならない。
 この両者を区別した上で、もう少し詳しく見ていこう。

 (1) 法律的な悪
 「法律的な悪」とは、「不正経理」の問題である。これは、二つの意味がある。
 まずは、不正経理そのものだ。これは帳簿の嘘である。もちろん、法律違反であるから、犯罪だ。ただし、その犯罪性は、あくまで法律で規定された分だけである。帳簿の「入金」の項目が、「資本金」になるか「営業利益」になるかの違いだけだ。

 (2) 経済的な悪
 「経済的な悪」とは、それによって実際に生じた被害の問題である。これこそが事件の実体となる。
 口先でちょっと嘘を付いたとか、帳簿をちょろまかしたとか、その程度の軽い犯罪なら、掃いて捨てるほどある。たとえば、私だって女性に「きみってとても美しいね」と嘘を付くことは何度もあったし。  (^^);  (……実はこれが嘘です。)
 だから、「嘘つき罪」にあたる「不正経理」というのは、それ自体は、あまり大した問題ではないのだ。最近の報道によれば、ライブドアがちょろまかした不正の金額は、たったの 40億円だけ。これを聞くと多くの人は「そんなに巨額なのか」と思うかもしれないが、たいしたことはない。(理由は、明日か明後日の分で説明する。)
 では、「嘘つき」が罪ではないとしたら、何が罪になるのか? それは、「実際にどれだけの被害がどのように生じたか」ということだ。これの有無が問題となる。
 で、この問題を考えると、以下のことがわかる。(実質的な損害を調べる。)

 [i] 不正経理そのもの
 まず、不正経理そのものは、実質的な損害はない。帳簿の不正は、良し悪しの点では悪いが、損かどうかという点では、帳簿を付けるノート代とインク代ぐらいだろう。(というのは極論だが、大同小異。)

 [ii] 株価操作
 次に、営業利益を増やすように見せかけたことで生じた、株価操作だ。本来の価値以上に、株価が高くなった。このことは、株価操作であるがゆえに、良し悪しでは悪である。とはいえ、実際よりも良く見せて、人をたぶらかすというのは、女のお化粧と同様であろう。また、他の企業だって、お化粧のようなことはやっている。通常、それは、「宣伝」と呼ばれて、正常な商活動と見なされる。というわけで、「実際以上に良く見せかけて気を引く」ことが罪だとするなら、ライブドア以外の企業も、多かれ少なかれ、同様の罪を犯していることになる。

 [iii] 資本金と営業利益
 次に、株価操作によって高くした値段で、株を売却したことによる、売り抜けの利益だ。たとえば、本来ならば 300円の株を、粉飾して 400円に見せかけて、400億円を得たとする。これを、「資本金」に組み込まずに、「営業利益」に組み込んだなら、帳簿の不正に当たる。しかし、これもまた、単に帳簿の不正にすぎない。「資本金に数えるべきものを、営業利益に入れた」という「不正経理」である。これはただの帳簿の勘定の問題にすぎない。ただの帳簿の問題であるから、帳簿のノート代とインク代ぐらいしか、損害とはならない。これは、前述の通り。

 [iv] 不正利益
 本来ならば 300円の株を、粉飾して 400円に見せかけて、400億円を得たとすると、差額の 100億円は、ズルをして得たことになる。不正な利益を得たことになる。これだけが、実質的な金の流れだ。これは「不正利益」であるから、これは問題だ。
 とはいえ、この不正利益は、ホリエモン一人のものになったわけではなくて、株主全体のものになったのだ。つまり、「泥棒」ではなくて、「配分の変更」があっただけだ。
 このことは、前にも述べたことがあるが、大事なことなので、ふたたび説明しておこう。図式で示す。

 まず、人々は、こう信じる。
                 ライブドア  ←  一部の株主(高値づかみ)
 しかし、ライブドアはホリエモン一人のものではなくて、株主全体のものである。だから、上の図式と同時に、次の図式がある。
     株主全体  ←  ライブドア
 結局、双方をまとめて、こうなる。
     株主全体  ←────────  一部の株主(高値づかみ)

 要するに、高値づかみをした一部の株主が、余分の金を奪われて、株主全体の利益となるだけだ。
 このとき世間は、一部の株主の分を見て、「株主が金を奪われた」と大騒ぎする。すなわち、上の図式を取る。しかし本当は、奪われた金は、ライブドアのものになったとき、株主全体のものになったのだ。
 「ライブドアが不当に得た金は、ライブドアのものになったとき、同時に、株主全体のものになった
 このことが重要だ。そしてこれは、「法律的な不正」ではなくて、「経済的な不正」なのである。「泥棒」という不正ではなくて、(投資家間の)「配分の変更」という不正なのである。(この経済的な不正は、「バブル」という言葉で説明される。)

 というわけで、どこでどう問題があったかを理解することは、大切だ。たとえば、
 「帳簿のチョロマカシがあったのがすべての根源だ。それがあるから、投資家が莫大な損害を受けたのだ」
 と思うのは、大いなる錯覚である。帳簿のチョロマカシは、それ自体は、何の損害ももたらさない。投資家が莫大な損害を受けたことには、帳簿のチョロマカシなんかによるのではない。それよりも肝心な理由が、二つある。
 「検察と東証とマスコミがこぞって株価を暴落させたこと」
 「投資家が過剰に金を投資してしまったこと」
 この二つが大事だ。
 特に、後者は、バブル構造である。これは、次の図式で説明される。( → 2月04日
    元の株主  ←  新規の株主  ←  さらに新規の株主
 帳簿の不正が損失をもたらしたというよりは、バブル構造(ネズミ講ふうの利益移転)が、損失をもたらしたのだ。「何も儲かっていないのに儲かっていると錯覚する」という幻想が、損失をもたらしたのだ。
 だから、たとえ不正がなくても、バブルがある限りは、必ず大損が発生する。たとえば、日本経済は、巨大なバブルを膨張させたあとで、そのバブルを破裂させた。このとき、バブル破裂で国民は大損をこうむった。しかし、だからといって、それは誰かが不正経理をしたことが原因だったわけでははない。不正経理の有無などはどうでもいい。バブル自体が問題だったのだ。

 人々がライブドアに莫大な金を投資したのは、錯覚ゆえによるバブル行動であった。これについて、「不正経理があったからバブルがふくらんだのだ」なんて思うのは、とんでもない責任転嫁である。
 「ホリエモンは改革者みたいで面白いから、ライブドアに投資しよう」
 と思った人がたくさんいた。その「ライブドアがいい」と思う感情自体が、錯覚をふくらませたのだ。さらに言えば、ライブドアに限らず、多くのIT企業や他の一流企業についても、実態以上に、「これらの企業はすてきだから」という感情が、錯覚をふくらませた。
 ライブドアのバブルがふくらんだ理由は、不正経理なんかではない。日本人全体の錯覚なのだ。マスコミが煽り、国民が煽られた。錯覚ばかりが、あぶくのように、ぶくぶくとふくらんだ。
 この錯覚に根源がある。だから、この錯覚を理解しない限り、物事の真実を理解できない。あげく、勘違いする。
 「ライブドアの不正こそが問題だ。この不正を摘発するのが大事だ。ゆえに、あらゆる企業は、帳簿の経理をしっかりすべきだ。帳簿の経理を間違えた企業は、みんな倒産させてしまえ。そうすれば日本経済は健全化する」
 こういうのは、大いなる妄想なのだ。この妄想を自覚することこそが、大切である。なぜなら、この妄想は、ライブドアだけにあるわけではなく、他の企業にも当てはまるからだ。「ライブドアの株は黒い」と思って得意がるべきなのではなくて、「あらゆる企業の株は多かれ少なかれ黒い」と自覚するべきなのだ。
 「ライブドアは黒い、ゆえに自分たちは白い」
 などと思うのは、とんでもない錯覚と自己誤認である。それはいわば、「他人が穴に落ちるのを見て、自分は穴に落ちないと思い込む」というようなものだ。
 このひどい錯覚こそが、私の主張の核心である。今後、このテーマで、いろいろと述べていくだろう。

 [ 付記 ]
 前日分への追記もあります。
  → 該当箇所


● ニュースと感想  (2月14日)

 「ライブドアの上場廃止」について。

 東証が上場廃止を正式に決める見通しだという。(各紙報道。)
 これについて、「本質」と「影響」に分けて考えよう。

 まず、「本質」について。
 これは、1月29日 に述べたとおりで、次の比喩で示せる。
 「被害者である株主としては、ライブドアに頬をぶん殴られたあとで、東証に刺し殺される、というようなものである。」
 「交通事故で、自動車が人を轢いたとしたら、それは悪質である。ゆえに、轢かれた被害者をぶんなぐってやる」
 つまり、事件が悪質だからといって、加害者よりも被害者の方を処罰する、というわけだ。メチャクチャである。とはいえ、世間では、「ライブドアは悪いことをやったのだから、悪いことをやった奴は処罰せよ」という声が大勢だ。
 では、どうして、こういう食い違いが発生するのか? それは、次のことによる。
 「経営者と会社を区別しないで、同一視する」
 ここでは、不正経理という犯罪をなしたのは、経営者である。その被害を受けたのは、会社に投資した株主(株主全体ではなくて一部株主)である。で、経営者が悪をやったからという理由で、株主(株主全体)に責任を負わせよう、というのが、上記の主張である。
 ここでは、加害者と被害者を区別しないで、どちらも「同じ仲間」と見なしている。それで、加害者を罰しようとして、加害者と被害者の双方をまとめて処罰してしまうわけだ。

 たとえれば、
 「交通事故は悪だから、その加害者と被害者をともに死刑にしよう。そうすれば、一罰百戒で、交通事故はなくなるだろう」
 というようなものだ。もうちょっと正確な比喩で言えば、
 「酔っぱらい運転で、交通事故を起こした奴がいる。運よく外部に被害はなかったが、自動車が大破したので、自動車の損害だけが生じた。保険が適用されなかったので、自動車の持主は大損だ。『ひどい目にあった、大損だ』と持主が落胆していたら、東証がやってきた。『運転者だけでなく、持主にも責任がある』と叫んだすえ、持主のもっている他の車を、全部破壊してしまった。運転者が破壊したのは一台だけだったが、東証は持主のもっている全部を破壊してしまった。『これは、みせしめだ。こうすれば、もはや誰も、酔っぱらい運転をしなくなるはずだ。』と主張した。持主は呆れて、『運転者が違法行為をしたからといって、持主を責めても、仕方ないじゃないですか』と抗議したが、東証は聞く耳をもたずに、『これは正義だ』と言い張るばかり。」
 というわけだ。大いなる錯覚と妄想。狂気的な混乱。
 とにかく、「ホリエモンなどの経営者を嘘つき罪で監獄にぶち込む」というのなら、まだわけがわからなくもない。しかるに、被害者の方を身ぐるみ剥がしてやろう、というのは、まったく正気の沙汰ではないですね。
 現在の世論が、いかに論理の混乱を起こして、狂気のふるまいをしているか、よくわかる。

 さて。次に、「影響」を考えよう。上場廃止となると、どうなるか? 次のように分けて考える。

 (1) 投資家にとって
 まず、投資家にとってはどうか? 
 「上場廃止となると、株券が紙屑になる」
 と思う人が多い。しかし本当は、そうではなくて、「買収企業による買収合戦が起こる」というふうになるだろう。私は前に「 120円で買収」という案を示した。だが、いったん上場廃止を決めたとなると、もっと低い金で買収することもできそうだ。

 なお、紙屑になるということは、ありえません。もしそうだったら、私か誰かが、1株1円で買収します。
 現実には、そんなことはありえない。「1円」という声が上がったら、別の誰かが「2円」という声を上げる。かくて、どんどん上がる。オークションみたいなものですね。
 で、最後に会社を解体すれば、180円を手にする。会社を解体しなければ、300円ぐらいの価値が残る。どっちみち、底値で拾った投資ファンド(など)は、困らない。売った株主が損するばかり。
 結局、投資家を狼狽させて、無理やり株を売らせる。そのあとで、詐欺師みたいな投資ファンドが、濡れ手で粟で、ボロ儲け。で、それに加担しているのが、東証だ。東証と検察とマスコミによる、巨大な詐欺が、こうして完成する。

 (2) 一般国民にとって
 次に、一般国民にとってはどうか? 
 「ライブドアの株を買った奴が悪い。自分にはまったく関係ないね」
 と思っている人が多い。私もひところは、そう思っていた。しかし、それで済むほど、話は甘くないようだ。現実には、損のツケ回しがあって、巡り巡って、国民一般に跳ね返ってきそうだ。知らないうちにババ抜きのババが回ってくるようなものである。自分ではババを引いた意識はなくても、知らないうちに、たくさん引いたカードのうちのどれかに、ババが混じってしまう。
 なぜか? 次のことがあるからだ。
 「ライブドアの株を売って大損した莫大な売り手のうちには、金融機関がたくさん混じっている」
 金融機関が大損を出している。となると、その大損は、巡り巡って、国民に広く拡散してしまう。データによると、信託銀行が多いということだが、これはつまり、ファンドなどの金を預かっていたからだろう。年金や保険の金も預かっていたかもしれない。となると、年金や保険の配当利回りの低下という形で、国民にツケが回ってきそうだ。

 なお、裏付けとなるデータは、下記からわかる。
  該当ページ1該当ページ2
( ※ このサイトでは、次のページも参考になる。 → 参考ページ


● ニュースと感想  (2月15日)

 「ライブドア問題の本質・その14」について。
 ライブドアの悪については、「不正経理をしたのが悪だ」という意見が強い。たとえば、次の意見が典型的だ。( → 朝日・社説 2006-02-14 )
 これがなぜいけないのか。
 決算書類に示される売上高や利益などは、投資家が株を売買するうえで極めて重要な手がかりである。自社株の売却収入は本業から上がる収益とは全く別物だ。それを売上高に紛れ込ませれば、事業の実態を見誤らせ、投資家を欺くことになる。
 社説は、さらに続けて、こう述べる。
 生き馬の目を抜く市場の「グレーゾーン」は広い。
 だからこそ、目に余ると思われる行為を証券取引法違反に問い、裁判所の判断を求めるのは、今後の株式市場の透明化のために必要なことだろう。それによって、判例が積み重ねられ、違法か合法かの一線が明確になっていくからだ。
 書いている本人は、自分が正当なことを言っているつもりなのだろう。しかし、これは、論理的に成立しない。自分が何を書いているか、さっぱりわかっていないようだ。
 話の流れは、「前半 → 後半」という順で、次の流れがある。
 「不正経理は市場を欺く悪である → ゆえに悪を裁くために検察が摘発したのは正しい」
 これは全然、理屈になっていない。これで論理的に説明されるのは、「不法行為を摘発する」ということだけである。その結果得られる結論は、法的にはこうだ。
 「ライブドアを、不正経理を理由として、裁判に持ち込むべし」
 その意味は、常識的には、こうだ。
 「ライブドアあるいは経営者を、書類送検すべし。」
 不正経理については、通常は、書類送検で済む。会社を解体させるほどの大騒ぎに持ち込むようなことは、断じてない。仮に、会社が解体しそうな騒ぎになったら、すぐさま事件の鎮静化を図るために、経営者をいったん釈放するだろう。それが常識だ。
 たとえば、三菱や松下が、違法なことをやって、ユーザーに迷惑をかけた。死者さえ出た。だからといって、これらの企業を解体するべきだろうか? いや、そんなことはない。万一、経営者の事情聴取をして、その騒ぎでこれらの企業が倒産しそうになったら、すぐさま経営者を釈放して、倒産を免れるようにするだろう。それが常識だ。

 結局、「不正経理」は、「書類送検」の理由にはなっても、「ライブドア解体」の理由にはならないのだ。なのに、社説は、このことを混同して、検察の行為を正当化している。その論理は、こうだ。
 「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」
 「相手がちょっと小さな失敗をしたら、揚げ足取りをして、憎い相手を殺してしまえ」
 こういうのを、暴挙または狂気という。マスコミと世間がやっているのは、そういうことだ。

 とはいえ世間では、
 「なーに、ライブドアのことなんか、知ったこっちゃないね」
 と思っている人も多いだろう。だが、他人事ではないのだ。トヨタであれ、ソニーであれ、東芝であれ、日立であれ、完全に法を遵守している会社など、この世に一つもないだろう。この世の企業のほとんどは、何らかの小さな悪を犯している。そういう小さな悪をたまたま見咎められて、マスコミに大騒ぎに仕立て上げられたら、どんな企業だって、倒産しかねない。たとえば、雪印は、牛肉擬装や牛肉の擬装をやったせいで、マスコミに大騒ぎで騒ぎ立てられ、倒産寸前に追い込まれた。……同様にして、あなたの会社だって、同じような目に遭いかねないのだ。
 「私は自営業だから大丈夫」
 なんて思っている人も、考えが甘い。ちょっと比較しよう。雪印なら、牛肉擬装をしても、国の金をちょろまかしたぐらいであって、ただの脱税と大同小異である。悪は悪だが、数億円ぐらいの金の問題にすぎない。一方、もっとすごいのがある。トヨタや日産やホンダなんか、自社の自動車によって、年間何千人もの人間を殺すのに、製品を供給している。さらには、ディーゼル車による排ガスで、花粉症を起こして、国中で数千万人もの健康を害している。
 ま、それでも、自動車には害を上回る利益があるから、自動車を抹消してしまえ、とは言わない。が、だとしても、自動車による社会的な害悪には、留意するべきだろう。ところが、トヨタなどは、その害悪を無視して、「自社は全面的に正しい。おれの利益はおれが稼いだもの」とだけ主張して、社会から利益を吸い上げ、自分の懐ばかりを肥やしている。社会に莫大な損失を与える企業が、社会から莫大な利益を吸い上げて、まったく還元しない。
 このことを逆に言えば、社会全体は、トヨタのような自動車産業によって、ひどい被害を受けているのだ。その一人が、あなただ。あなたの金とあなたの健康は、トヨタのような企業に奪われている。「自分には関係ないね」なんて言っているが、ライブドアのような赤い金魚に目を奪われているうちに、あなたの金と健康はいつのまにむしばまれているのである。

 さてさて。話が社会の方に波及してしまったが、本題に戻そう。
 本題は、「不正経理」である。そして、これについては、次のように述べた。
 「不正経理は、書類送検ぐらいが相応であって、会社を倒産させるほどのことではない」
 なぜそうか? この話題については、前々日でも述べた。次のように。
「ライブドアがちょろまかした不正の金額は、たったの 40億円だけ。これを聞くと多くの人は「そんなに巨額なのか」と思うかもしれないが、たいしたことはない。」
 その説明をしよう。これはかなり本質に関わる。

 ライブドアがちょろまかした不正の金額は、たったの 40億円だけである。(別の粉飾もあってもうちょっと増えるという報道もある。)しかし、たかが 40億円の粉飾など、大勢には影響しないからだ。
 たとえば、ライブドアと同規模の企業があったとする。その企業が、利益幅で 40億円の増減があったとして、そのことで、株価総額が異常に上昇したり下降したりするか? もちろん、しない。
 たとえば、対比すべきものとして、ソニーを見よう。つい先日の報道だと、ソニーの利益は 700億円である。しかし、この利益は、円安によるものだ。本来の営業活動による利益は、ほぼゼロであるのだが、円安のおかげで、為替差益が出て、利益ゼロが利益 700億円にまで上昇した。企業としての能力は、本来ならば利益ゼロであるのに、たまたま日銀が異常な量的緩和にしてくれたおかげで、実力が上げ底されて、利益ゼロが利益 700億円にまでかさ上げされた。……これはまあ、日銀による粉飾みたいなものである。
 で、その粉飾があったとして、ソニーの株価にどれだけ影響があったか? この粉飾まがいは公表されているのだから、「本来の実力は利益を出せない体質」と見なされて、ソニーの株はゼロ円になってもおかしくない。ある時期、利益が急減したなら、そのせいで、株価がゼロになってもおかしくない。株価がゼロなら、株価総額もゼロだ。で、そうなったか? いや、ならない。ソニーの株価総額は、相変わらず、膨大なものだ。つまりは、決算が一時的に増えたり減ったりしても、大勢にはあまり影響しないのだ。
 ライブドアでも同様だ。報道されているのは、2004年9月期の決算である。報道通りの粉飾があったなら、40億円の操作で、利益はマイナス5億円からプラス 35億円に化けてしまったことになる。それはそれでいい。一方、2005年9月期には、その三倍の利益を上げている。こちらについては、粉飾はあったかもしれないが、その粉飾はまったく報道も摘発もされていない。今回の事件は、あくまで 2004年9月期の分であり、2005年9月期の利益については、少なくとも粉飾は判明していないのだ。とすれば、その値は、現時点では「不正」とは見なされていない。とすれば、その株価も、特に不正ではないことになる。とすれば、ライブドアが 2004年9月期で 40億円程度の不正をしても、それは大勢には影響を与えなかったことになる。
 ライブドアの不正を摘発するためには、2004年9月期で 40億円程度の粉飾があったことではまったく不足しており、2005年9月期で 150億円程度の粉飾があったことを証明しなくてはならない。それがあって初めて、「2004年9月期の株価も間違いだった」と結論できる。逆に、2005年9月期で 150億円程度の粉飾があったことを証明できなかったとすれば、2004年9月期で 40億円程度の粉飾があったとしても、ソニーの経営の一時的な悪化と同様で、大勢には影響を与えていなかったことになる。

 株価の粉飾は、確かに悪だ。しかし、それを証明するには、一時的な粉飾を証明してもほとんど意味はなく、全体像の粉飾を証明しなくてはならない。さもなくば、その摘発自体が、ほとんど粉飾のようなものだ。
 たとえば、日産自動車のような企業は、赤字が出たときに、自社の資産を切り売りして、赤字の幅を縮減した。同様のことは、多くの企業がやっている。決算対策で、一時的に赤字を縮小するわけだ。で、それは、別に悪いことではない。株価の変動を避けるために、赤字の出た時期には赤字幅を削減し、黒字の出た時期には黒字幅を削減する。こうして、長期的に決算をなだらかにするわけだ。それだけのことだ。
 ライブドアが 2004年9月期で粉飾したとしても、それが一時的なものである限りは、「不正経理による粉飾で株価を暴騰させた」とは言えないのだ。その効果はあくまで一時的なものにすぎないからだ。2004年9月期で 50億円の粉飾したとしても、その1年後に 150億円の利益を現実に出しているのであれば、50億円の粉飾はさして意味がないのだ。
 ライブドアは確かに、「不正経理による粉飾で株価を暴騰させた」という企業であるのかもしれない。ただし、それを示すには、2005年9月期で 150億円程度の粉飾があったことを証明する必要がある。その証明がない限り、「不正経理ゆえにライブドアを解体せよ」という論拠は、暴論なのである。それは、一部の小さな不正を見て、全体を崩壊させる、という論理だ。テロリストの論理と同様である。「米国は小さな悪をやっているから、米国全体を崩壊させてしまえ」というふうに。
 朝日であれ、他のマスコミであれ、同様だ。小さな不正を見て、全体を崩壊させようとする。全体を崩壊させる根拠はまったくないのに、小さな不正という点だけを見て、その弱い根拠によって、全体を崩壊させようとする。
 そこには論理の倒錯がある。「一部と全体を混同する」という倒錯だ。「一部分の悪を見て、それを全体に適用する」という倒錯だ。……この倒錯が、ライブドア事件では、本質的な倒錯となっている。

 [ 付記1 ]
 実際には、2005年9月期で 150億円程度の粉飾があったか? それは何とも言えない。しかし、検察がしきりにチェックしているのに、それが不正の証拠として上がらないのだから、なかったのかもしれない。少しはあったとしても、150億円という利益の全額が粉飾だったわけではないのかもしれない。
 そして、その可能性は、十分にある。ライブドアの傘下の企業はほとんどが普通の企業だし、買収前まではそこそこの利益を上げていたのだから、ライブドアに買収されたあとも、そこそこの利益を上げていたはずだ。全部が全部、粉飾だったということにはなるまい。
 そして、そうだとすれば、「不正経理ゆえに倒産させてしまえ」というような論理は、根本的に狂っていたことになる。朝日みたいに「検察の正当化」をすることはするべきではなかったことになる。単に「本質には関係のない一時的な帳簿の操作」と見なして、書類送検が妥当であったことになる。なぜか? 実際に 150億円程度の利益が上がっているのであれば、現時点では株価はことさら粉飾によって上昇していたことにはならないからだ。たとえ 2004年の時点で株価が暴騰していたとしても、その後に上がった価格が正当であったのであれば、 2004年の時点で株価が暴騰していたのは、実質的な違法性がほとんどなかったことになる。単なる形式犯みたいなものである。
 こんなことで企業が解体されてしまうのであれば、ソニーたって何だって、為替差益で暴利を上げている企業はみんな倒産させられても、文句は言えまい。

 [ 付記2 ]
 「不正経理は悪だ。嘘によって投資家を欺くから」
 などと、どの面下げて、マスコミが言えるのか? そもそも、「嘘つき」なら、マスコミの十八番(おはこ)ではないか。
 たとえば、朝日は、「捏造記事」というのを何度もやらかした。つい最近も、田中知事への架空インタービューというのを掲載して話題になったばかり。読売に至っては、もっとひどく、「イラクに核兵器・大量殺害兵器がある」という嘘を、堂々と主張して、イラク人を数千人も殺すのに加担した。
 こういう嘘を、マスコミは自分自身、やらかしている。それでいて、ライブドアの嘘を見咎めて、「悪だ、悪だ」と大騒ぎする。仮に、「嘘つき」という罪で、経営者が根こそぎ逮捕されて、会社が解体されるのであれば、朝日だって読売だって、同じ目にあってもいいはずだ。
 いや、実際に、検察はそのつもりなのかもしれないぞ。これから嘘を見出して、そのたびに、マスコミの経営者をひったくる。そういえば、プーチン大統領は、それをやっている。日本もそういう暗黒社会になるんですかね? ライブドア摘発は、その序曲かな? 


● ニュースと感想  (2月16日)

 「ライブドア問題の裏事情」について。
 前項では、こう述べた。
 “「不正経理」は、「書類送検」の理由にはなっても、「ライブドア解体」の理由にはならないのだ。”
 では、なぜ、検察は「ライブドア解体」をしきりにめざすのか? ここではどう見ても、検察が異常に情熱を上げすぎている。これは、あまりにも不可解だ。となると、何か裏がありそうだ。そう訝しんで、裏事情を推測してみた。

 まず、以前に考えたのは、「フジテレビの恨み」である。しかし、フジテレビは、ライブドアを傘下に収めることができる状態になっても、買収に走らない。仮に恨みがあるとすれば、相手を傘下に収めて、部下にして、溜飲を下げるところだ。というわけで、フジテレビは嫌疑から、はずれそうだ。
 では、ほかに、ライブドアを恨んでいる人物はいないか? ライブドアを恨んでいる人物はいそうにないが、ホリエモンを恨んでいる人物なら、一人いる。ものすごく恨んでいる人物が。

 それは、ドラエモンに出てくるヒロインの「しずかちゃん」を思わせる名前の、亀井議員である。しずかちゃんは‥‥‥じゃなかった、亀井議員は、ドラエモんのせいで‥‥‥じゃなかった、ホリエモンのせいで、ひどい目にあったのだ。
 広島の自分の選挙区で、ピエロみたいな奴に乗り込まれて、落選寸前。接戦でかろうじて勝利した。負けていたら、みっともないこと、この上ない。しかも、相手は懲りずに、「また挑戦します」とほざいている。恨み骨髄であろう。
 かくて、彼が検察を動かした……というシナリオが成立する。
 ただし、である。このシナリオが成立するためには、前提がある。彼が検察を動かすほどの、巨大な力をもっていることだ。巨大な力を。首相にもできないほどの力を。検察内部を動かしうるような構造的な力を。そんな力を、彼はもっているのか? 

 そこで、ざっとネットで検察してみた。「亀井 検察」という用語で。とたんに、驚くべき事実が判明した。
 亀井議員は、実は、法務省や検察や警察などの世界で、トップに位置する人間だったのだ。経歴からして、警察庁のトップに近い水準である。その後は、警察族のトップとして、政界に君臨した。
 当然、同期の仲間などが、検察界を牛耳っている。政治家と官僚との関係は、持ちつ持たれつであり、おたがいに強い依存関係があるのだから、亀井が頼めば、検察はたいていのことはいうことを聞いてくれるだろう。もちろん、法に違反するようなことは聞いてくれないだろう。だが、「法をものすごく適用せよ」ということなら、尻を叩くのと同然だから、聞いてくれそうだ。

 ともあれ、以上から得られそうな結論は、こうだ。
 「検察は、正義のために悪を摘発しているのではなくて、どこかの政治家の個人的な復讐のために、公権力を勝手に暴走させている。つまりは、怒り狂った政治家の個人的な怨念に応じて、公権力の乱用という犯罪的行為をしている」
 選挙ウォーズ・エピソード1・しずかの復讐。つまりは、陰謀である。……こう考えれば、検察のメチャクチャな行動は、すべて説明が付く。もしこの説を取らなければ、「検察は気が狂っている」ということになるが、そういうことはありそうにない。合理的に考える限りは、この解釈を取るしかないだろう。
 ま、以上は、事実というよりは推測である。だが、十分にあり得る推測だ。仮にこの推測が間違っているとすれば、検察は、この異常な「法の拡大解釈」というような状況を、ちゃんと説明するべきだろう。つまり、「自分はなぜ気が狂っているか」を説明するべきだろう。

 ついでに言えば、マスコミもまた、同様だ。マスコミは、気が狂っているというよりは、踊らされている阿呆なのだろう。同じ阿呆なら、踊らにゃ損損、と踊るわけ。というか、踊らされているわけ。……本来ならマスコミは、検察の暴走をチェックする立場にある。なのに、検察がメチャクチャに暴走したとき、その尻馬に乗って、踊らされて、自分まで暴走するようでは、マスコミの存在価値などはない。結果的に、亀ちゃんの個人的な思惑に乗って、たぶらかされていることになる……のだろう。たぶん。
( ※ 亀井議員の経歴については → ウィキペディア「亀井静香」)


● ニュースと感想  (2月16日b)

 「マスコミの煽動記事・その1」について。
 ライブドア問題をめぐって、読売新聞で「背景を探る」という趣旨の連載が始まった。(15日・朝刊から。)
 読者がいかにも喜びそうな背景を探る。たとえば、ホリエモンが銀行を買収して、思惑通りに事が運ばないと、相手の社長を罵倒した、とのこと。記事によれば、「自分の父親に当たるほどの」という形容が付いており、年長者を馬鹿にする粗暴な若者、という印象を作り出そうとしている。始めから終わりまで、こういう「悪をあげつらう」という調子だ。
 しかし、この報道では、一番肝心のことが忘れられていう。それは、こうだ。
 「民事紛争では、関係者の一方だけから聞いて記事を書いては、いけない。必ず、双方の言い分を聞くこと」
 しかるに、現時点では、ライブドアの関係者は検察に事情聴取を受けているので、留置所入りだ。記者はライブドアの側から、話を聞けない。当然、相手側からだけ、話を聞くことになる。今の時点では、ライブドアを堂々と擁護するような人間は、私以外にはほとんどいないだろうし、たいていの人は、「ここぞ」とばかり、ライブドアを中傷するだろう。で、そういう一方的な中傷を聞いて、ろくに検証もしないで、片面だけからの主張を掲載する。

 上記の銀行の例だって、しょせんは、民間企業同士の経済争いにすぎない。たとえば、キヤノンとエプソンがシェアをめぐって争う。両者は仲良くしないで、いがみあう。「あっちの製品はこんなにボロだが、わが社の製品はこんなにすばらしい」とか、「あっちの会社はひどいが、当社はすばらしい」とか。ま、そういうことがあっても、ただの経済的な競争だから、第三者としては、ほったらかしておけばいい。いちいち片方の言い分を、新聞で報道する必要などはない。仮に、報道するとしたら、両方の言い分を聞いて、公平に掲載するべきだろう。
 ところが、読売は、その原則を逸脱した。マスコミの記者としての最低限の分別を失い、一方的な見方の記事だけを掲載した。これは、煽動記事である。真実を伝えるのとは逆に、真実を歪めて伝えようとする。「AとB」という二つの意見があるときに、あえてBの方を隠して、Aばかりを徹底的に報道して、世論を一方に誘導しようとする。
 これは、マスコミとしては、絶対にやってはいけないことだ。ライブドアの罪よりも、はるかに重い。ライブドアの罪は、せいぜい一部の株主に一時期だけ影響した程度だが、読売の罪は、日本国民の半分ぐらいを一方的に洗脳しようとするものだ。その罪は、金正日やフセインに匹敵する。……こういうひどいことをする企業ならば、解体されても、文句は言えまい。なのに、話が逆だ。
 たとえて言えば、泥棒を見て「あいつは悪だから死刑にせよ」と叫んでいる人間が、殺人を犯しているようなものである。極悪の犯罪者が、微罪の犯罪者を、非難するという倒錯。……気違いじみている。

 [ 付記 ]
 だから、こういう狂気に、洗脳されてはいけない。それが大事だ。「ライブドア事件なんて、他人事だから、どうだっていいさ」なんて思っていると、まんまとマスコミの記事に煽動されて、彼らの洗脳に染まってしまうのだ。
 洗脳に抗するのは、容易ではない。意識を常に覚醒させて、彼らの洗脳から頭を守る必要がある。各人の自発的な強い意思が必要なのだ。さもなくば、知らぬまに骨抜きにされて、ふにゃふにゃの頭になってしまう。脳が骨粗鬆症になって、脳がスカスカ。……今の日本は、そうなっているんですよね。


● ニュースと感想  (2月17日)

 「マスコミの煽動記事・その2」について。
 前項 の続きで、読売の報道について述べよう。
 読売も実は、なかなか良い報道をすることがある。欧州のイスラム侮辱の漫画報道で騒ぎが起こったことで、「表現の自由には責任がともなう」という趣旨の社説を書いて、欧州マスコミの自重を促した。 ( → 読売のサイト
 また、2月16日の朝刊・国際面では、ジャカルタの新聞の論説を転載した。その趣旨は、こうだ。
 「わが国ではイスラム教徒とキリスト教との対立をマスコミが煽ったことがあった。憎しみが煽られ、それは止まることがなく、双方が疲弊しきるまで終わらなかった。最終的には、数千人の死者という結果であった」
 こういう記事を掲載するのは、まことに立派である。マスコミの対立を煽るのではなく、そのことを反省せよと語るからだ。自己の正当化ではなく、次項反省がある。

 ところが、である。他人のこととなると、まともに理性が働くくせに、自分のこととなると、とたんにトチ狂う。
 たとえば、2月16日の朝刊・社会面では、昨日分に引きつづき、ホリエモンを貶めようという趣旨の煽動記事を掲載する。( → 記事のページ
 「元社員は冷やかに語る」
 「堀江は会社経営は素人だった」
 「部下に八つ当たりした」
 「会社の体をなしていなかった」
 「理念がない。儲かるかどうかがすべてだった」
 というもの。社員ではなくて、やめた元社員による悪口を、一方的に掲載している。これじゃ、まるで、インターネットのゴミ掲示板と同じである。2ちゃんねる新聞。
 こんなことが許されるのであれば、「やめた元社員からの悪口」という記事を、あらゆる企業について掲載する必要があるだろう。通常、たいていの社員は、自社に対して不満を持っていて、残業後に酒の肴にする。たとえば、
 「社長は会社経営は素人だ」
 「部下に八つ当たりしている」
 「会社の体をなしていない」
 「理念がない。儲かるかどうかがすべてだ」
 なんて、どこの会社でだって、社員が同じことを言っている。なのに、これをことさらライブドアのことだけだというふうに報道して、一方的に貶める。ただの悪口の羅列。客観的な事実の報道がなくて、下っ端の素人の感情的な不満ばかりを掲載する。特に、やめた元社員なら、不満ゆえに悪口を言いたいことは、たくさんあるだろう。どこの企業だって、当然だ。だからといって、そんなのを新聞が掲載したら、新聞がゴミ掲示板になるだけだ。
 ま、それでも、上記の批判については、「うちはそんなにひどくはないぞ」と思うかもしれない。ま、たいていの企業なら、そんなにひどくはない。とはいえ、マイクロソフトやアップルなら、上記の批判はぴたりと当てはまる。情報系の新興企業ではどこだって似た状態だ。たとえば、ジョブズだってゲイツだって、部下に怒鳴り散らして、部下を酷使して、ひたすら金儲けに励んで、その結果、会社を巨大にしたのだ。そんなジョブズやゲイツを「すばらしい」と称賛してきたくせに、同じ流儀でやったホリエモンばかりを責めても、仕方あるまい。
 「×××は、会社経営は素人だった」
 「×××は、部下に八つ当たりした」
 「×××は、会社の体をなしていなかった」
 「×××の会社は、理念がない。儲かるかどうかがすべてだった」
 ここの主語が「ホリエモン」だと「悪だ」と批判し、「ゲイツ」または「ジョブズ」だと「すばらしい」と称賛する。まったく、ひどいものだ。二重基準。二枚舌。
 ま、それでも、小さな記事でこっそり漏らすぐらいなら、「書き手が馬鹿だった、情報業界の実情を何も知らなかった」ということで、片付くかもしれない。しかし、今回のように、ことさら煽り立てて、国民を煽動する記事を書くようでは、ジャカルタの新聞の批判した煽動新聞に、まるきり当てはまる。国民を煽り立て、ひたすら国民を破壊活動に駆り立てようとする。……まるで、悪魔ですね。

 [ 付記1 ]
 こ記事では「堀江は」というふうに、名前は呼び捨てである。最後にこっそり「敬称略」と記して、それで免責になっているつもりだろう。だが、「敬称略」と記すなら、冒頭に記さなくてはなるまい。さもなくば、侮辱に当たる。
 なお、普通の犯罪者は、「○○被告」というふうに、一応、肩書きみたいなものが付いている。ホリエモンだって、現在はまだ容疑者だし、被告にすらなっていない。ことさら呼び捨てにするのは、やはり、特定の悪意が働いているからだろう。

 [ 付記2 ]
 おまけで言えば、読売自体が、ひどい会社である。社長は独裁者たるナベツネであり、ちょっとでも対立する意見を出すと、みんな地方に左遷されてしまう。優秀なライバルはことごとく左遷させられ、ナベツネ一人の独裁体制を確立した。
 ここでは、社長の悪口を言うこと自体が、許されない。もしバレたら、左遷か首である。「社長の悪口を言える幸福」というのを、よく考えた方がいい。
 ともあれ、独裁者の牛耳るところの新聞が、ホリエモンを批判するなんて、目くそ鼻くそよりも、もっとひどい話だ。


● ニュースと感想  (2月17日b)

 「上場廃止の有無」について。
 東証は「少なくとも当面、ライブドアの上場廃止をしない」という「決定先送り」の見解を出した。そのせいで、ライブドアの株価は上がっているという。( → Yahoo ニュース
 それで思ったのだが、ライブドアは東証に対して、「上場廃止にした場合には、裁判で千億円を求める」という見解を示してはどうか? 東証による上場廃止は、メチャクチャなのだから、それによって株主が受ける損害を、ライブドアが受ければよい。ライブドアが千億円を受ければ、それは株主のものになるから、つじつまがあう。
 で、なぜライブドアがその金を要求する権利があるかというと、翌日分で述べるように、「不正経理」というのは、ありふれたことだからだ。これで上場廃止になるなら、トヨタだって上場廃止にする必要がある。
 どっちも上場廃止ならわかるが、ライブドアだけというのは話の筋が通らない。当然、偏った方針については、賠償を求める権利がある。
 というわけで、ライブドアは、東証に千億円を要求するべし。裁判に訴えるべし。少なくとも、何らかの仮処分を求めるべし。たとえば、「保証金を千億円積まない限りは、上場廃止をしてはいけない。上場廃止をするなら、保証金千億円を裁判所に預託させて、もし東証が裁判に負けたら、その金を没収」というふうにする。

 [ 付記1 ]
 ただ、ライブドアの経営陣というのもひどいね。このくらいのアイデアも思い浮かばないし、思い浮かんでも実行しないで、なすがままになって流されるだけなのだから。株主は、検察に怒るのもいいが、ライブドアの経営陣にも怒った方が良さそうだ。

 [ 付記2 ]
 なお、上場廃止というのは、ちっとも怖くない。株主は、たとえば、今すぐ百円以下で売れば、大損だ。しかし、そのまま持ち続けていれば、上場廃止になっても、しばらくたったあとで、買収先の企業からの連絡が、株主宛に郵送で届く。
 「TOBをかけたので、あなたの株をこれこれの値段で買います。証券会社にご連絡下さい」
 で、その値段を見ると、「300円」というような値段が付いているはずだ。だから、それまで待てば、どうってことない。待てない人が売るだけだ。売ったって、たいして金は戻ってこないんですけどね。単に損を確定するぐらいの意味しかない。
 とはいえ、こういう阿呆が多いからこそ、証券取引においては、濡れ手で粟でボロ儲けすることが可能なのだ。証券取引というのは、阿呆があわてて金を手放し、それを小賢しい悪人が拾う場所である。……いずれにせよ、善人は登場しない。つまりは、金を得て、良心を失うところ。私はこんなところには、足を踏み入れません。清貧の方が好きですね。金よりも愛の方が好き。よりも  の方が好き。
 ここで、キツーイ冗談を一発。
 「何千億円もの金を欲しがるのは、もてない醜男に限られる」
 ※ 特に誰かを念頭に置いているわけではありません。

 [ 付記3 ]
 次の参考記事もある。
  → ライブドア買収に20社以上が名乗り


● ニュースと感想  (2月18日)

 「不正経理の実例」について。
 不正経理というものは、世の中に掃いて捨てるほどある。……そのことは、常識だが、具体的に指摘するといっそうはっきりするので、そのデータを得る方法を示す。
 次のページを参照。
   → 「追徴課税」の記事一覧
 記事 111件のうち、最新の 20件だけが表示されている。これは無料ページ。有料だと、全部読める。もちろん、ここにあるだけがすべてではなくて、これは氷山の一角。「追徴課税」という用語の使われた脱税事件(不正経理)だけだ。他にも、別の不正経理は、わんさとある。たとえば、次のサイト。
   → 不正経理の記事
 もちろん、これも氷山の一角だ。次のデータもある。
   → 個人的な脱税メモ
 これには特にトヨタの脱税として、次のメモがある。
 「2003/10/8   トヨタ自動車  2002年3月期までの2年間 約10億円の所得隠しを含む約50億円の申告漏れ。重加算税を含む20億円を追徴課税(更正処分)」
 してみると、トヨタの社長が逮捕されて、トヨタが上場廃止になってもいいはずだ。そうしないとしたら、理屈が通らない。何しろ、ライブドアは、赤字を黒字にして国に税金を払いすぎたのが罪であるが、トヨタは黒字を減らして国に払う税金をかすめ取ったのだ。不正は不正でも、犯罪の方向が正反対だ。たとえて言うと、トヨタはあなたの財布から金を奪ったのが罪であり、ライブドアはあなたの財布に金を入れたのが罪である。どっちも不正ではあるが、どっちが悪質かは、言わずもがな。

 [ 補説 ]
 これらの例では、処分は書類送検ぐらいで済んでいる、ということに注意しよう。というわけで、公平性の原則から、ライブドアもまた書類送検ぐらいで済ませるのが妥当なのである。(前日分の主張の根拠となる。)
 さて。私がこういうふうに「軽罰」を主張すると、「おまえは悪に甘いのか!」と批判する人が出てくるだろう。しかし、それは勘違いである。私は、悪には甘くない。ただし、悪を処罰するための原則が、それ自体、悪の原則であってはならないのだ。つまり、公平性を欠いていてはならないのだ。
 不正経理を処罰するのであれば、法律によって全員を等しく処罰するべきだ。トヨタもライブドアもともに解体するか、トヨタもライブドアもともに書類送検にするか、どちらかだ。
 現状では、どうか? 「法律による原則は軽罰であるのに、検察の恣意的な解釈で、特定の場合だけ超重罰にする」というふうになっている。こんなのは、「悪を処罰する」というよりは、それ自体がデタラメな悪である。法律や公権力の乱用だ。
 つまり、本来ならば原則的に、「不正経理はそこそこ厳しく処罰する」というふうにするべきなのだ。なのに、原則が「不正経理にはことさら大甘で」というふうになっている。だから、検察の勝手で、処罰のひどいバラツキが生じる。
 では、なぜ、「不正経理はそこそこ厳しく処罰する」というふうにするべきなのにもかかわらず、原則が「不正経理にはことさら大甘で」というふうになっているのか? なぜ、現実が歪んでいるのか? それは、前にも指摘したとおり。
 「経団連が不正経理の処罰を大甘にするように、法律を骨抜きにした」
 これが諸悪の根源だ。ただし、これは世の常として、当然といえば当然である。理由は、前にも述べたとおり。( → 1月24日
 つまり、「不正経理をした会社の経営者は逮捕」ということになる法律は、経団連にとっては最悪なのである。その法律は、「ミスによって自分が逮捕されることもある」という法律であり、「無能な経営をしていればいつ逮捕されるかわからない」という法律だ。無能な経営者にとっては、これほど恐ろしい法律はない。人生をつつがなく送ってきたはずなのに、最後の晩年になって、刑務所入りになりかねない。人生がメチャクチャになる。
 というわけで、無能な経営者にとっては、「無能ゆえに刑務所入り」という法律は、断固として阻止したくなる。かくて、「不正経理の処罰は大甘で」という原則が、制度的に確立したのだ。経団連のせいで。……実際、これを是正しようという動きがあるたびに、経団連の連中が断固として阻止した。

 だから、私が言いたいことは、「ライブドアを免罪せよ」ということではなくて、「あらゆる企業をそこそこ厳しく罰するように制度を改めよ」ということだ。
 そして、その制度ができていない限りは、ライブドアだけをことさら咎めて正義ヅラをするのは、一つの正義を通すことによって、多くの悪を隠蔽することだ。
 「ライブドアは悪だ。不正経理を咎めよ」
 と主張している連中は、そのすべてが偽善者なのである。彼らは、小さな悪を咎めれば咎めるほど、大きな悪を補佐しているのだ。
( → 経団連の悪についての話題[過去分]


● ニュースと感想  (2月18日b)

 「民主党の暴走」について。
 「武部幹事長の次男あてに送金を指示した」という、ホリエモンから社内の関係者への社内メールが話題になっている。だが、ホリエモン自身は、きっぱりと否定した。
  → 朝日のサイト
 武部幹事長も否定しているが、政治家の言葉は信用できない。しかし、刑事被告の証言は、信用ができる。嘘を付いたら、あとで自分に跳ね返るからだ。嘘を付くくらいなら、「覚えていません」ととぼけるはずだ。わざわざ罪を重くするような嘘を付くはずがない。とすれば、ホリエモンの言っていることがホントで、話題にした民主党議員の言っていることが嘘だ……ということになりそうだ。

 ま、そもそも、メールなんて、いくらでも偽造できるのだから、信用性はまったくない。信用できるとしたら、社内のサーバーから探り出すことぐらいだが、こんなことを勝手にやったら、それこそ犯罪的である。社内関係者なら「仕事状況の管理」でチェックすることは許容されるが、それを外部に出したとしたら、まったく犯罪的だ。
 というわけで、民主党が出したというこの疑惑は、ただの嘘であるか犯罪であるか、どちらかである。そういえば、ライブドアのやったことも、ただの嘘であるか犯罪であるか、どちらかである。
 民主党はライブドアと同じぐらい悪い。悪さの程度は、同じぐらい。ホリエモンが監獄入りなら、当然、民主党議員も監獄へ。

 それにしても、天下の事件で、この程度のことしか言えないとは。民主党も、地に落ちたものだ。単に党利党略を狙って、政争の具にしているだけ。国家の利害を忘れて、自分の利害だけを、考えている。ライブドアは自分の利益を標榜して、そういう行動をしただけだが、民主党議員は国民の利益を標榜して、自己利益のための行動をしている。それも、嘘か犯罪を通じて。……最低ですね。ライブドアよりはるかに下品だ。腐敗した肉と同様に、ひどく腐っている。
 ライブドアを上場廃止にするよりは、こういう腐った議員を議員資格停止(弾劾処分)にする方が、よほど世のため人のためになる。


● ニュースと感想  (2月19日)

 「民主党の暴走・事後談」について。
 前項では、民主党の暴走について述べたが、私がいちいち述べるまでもなかったようだ。というのは、世間でもさんざん批判が湧いているからだ。たとえば、国会審議でもそうだ。また、マスコミの社説もそうだ。
  → 朝日の社説読売の社説
 朝日の方は、奥歯に物がはさまったような、中途半端な批判である。これは、よくわかる。というのは、朝日は常日頃、根拠のあやふやな情報を、さも事実であるかのように掲載するからだ。自分がやっているので、他人がやってもきっぱりと批判できないのだろう。仮に、きっぱりと批判したら、今後自分がやったときに矛先が自分に向かうはずだ、とわきまえているのだろう。
 読売の方は、きっぱりとした批判だ。これはこれでよい。これだけ書いてあれば、私が書くまでもない、という感じになる。

 ただし、である。肝心の話は、このあとだ。
 今回の読売の態度は、まったく意外であった。というのは、読売はこれまで、ライブドアを中傷する虚報ばかりを掲載してきたからだ。これまでさんざん虚報で中傷してきたのに、民主党が同じことをやったからといって批判するのは、筋が通らない。中傷と虚報がいけないのであれば、本体の方であるライブドア報道についても、中傷と虚報をやめるべきだ。なのに、肝心の本体の方であるライブドア報道については、さんざん中傷と虚報を垂れ流しにしておいて、民主党のちっぽけな中傷と虚報をことさら非難する。自分と他人とに、別の基準でものを言う。呆れてしまうね。これだったら、「中傷と虚報をあまり批判しない」という朝日の方が、まだ趣旨一貫している。
 
 とにかく、問題は、ちっぽけなメールの虚偽性ではない。マスコミのライブドア報道という巨大なものが(その全体が)虚偽性をもつのだ。── 肝心のこいつを報道しなくては、何の意味もない。ちっぽけな民主党の議員だけをあげつらっても、重箱の隅を楊枝でほじくっているだけだ。ほとんど無意味。(ま、気づかないよりはマシかもしれないが、残りの 99.9%を無視しているんだから、ほとんど無意味。)
 というわけで、巨大な虚偽性の指摘が、本サイトの眼目となる。これまでも指摘してきたが、詳しい指摘は、まだまだ続きます。

( ※ だいたいのところは、「バブル」という経済学用語で説明したが、それに巨大な錯覚がともなうことについては、このあとまだまだ説明が必要です。)


● ニュースと感想  (2月19日b)

 「野口副社長の自殺」について。
 この話題は、手持ちの資料が不足しているので、言及するつもりはなかったのだが、ネットをぶらついて、いくらか資料を得た上で、私なりの見解を示す。(特に読む必要はありません。18禁。残酷表現あり。)

 まず、遺族(夫人)による、次の言葉がある。解剖所見が示されている。
 「解剖した先生の説明は、とてもわかりやすく、あと3ミリずれていたら死んでいなかったかもしれないと言われ、自分で傷つけたのかもしれないと思ったことは事実です。解剖の写真を見て、首にも片側ずつ3本と2本傷があり、ためらい傷もありました。思っていたよりも素人が見ると大きな傷でした。手首と首の傷の深さは1センチもいっていないということでした」
( → 出典:「きっこの日記」2006-02-17 )
 これはまあ、私の予想通り。「手首に大きな傷なんか付けられるはずがない」と思っていたが、その通りであるようだ。というわけで、「自殺説」は、補強される。法医学的に、特に矛盾はあるまい。
( ※ おまけで言えば、「手首を切らずに腹を切る」ことの方が、よほど難しい。やってみればわかるでしょう。包丁の根元のあたりには、角があるんだからね。なお、使ったのは、魚用の包丁です。出刃ですね。)
 
 次に、「他殺説が成立しないこと」の一因として、「動機がない」ことが挙げられる。彼を殺して得をする人物が一人もいない。特に、ホリエモンなどならば、事件の発覚前ならともかく、発覚直後に殺しても、百害あって一利なしだ。大騒ぎになって、損しただけ。

 次に、「他殺説が疑われること」の理由として、「犯人はライブドアだ」という推定がある。「ライブドアは天下の悪だ。悪だから殺人をしたはずだ」という、粗っぽい感情論理。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ので、「不正経理をやった奴は殺人をするはずだ」と論理を飛躍させる。かくて、ありもしない殺人があったと、必死に信じ込む。論理的に可能かどうかというより、自分がそう思い込みたいことを勝手に思い込んでいるだけだ。自己洗脳。……つまりは、自己反省能力のない人物に典型的な、精神病的な妄想症状。

 さて。ここまでは、誤解だ。次に、私の推定した真相を示す。

 そもそも、夫人が推定したような、「自殺の決意」などはなかったはずだ。
 「自殺を決意していたとしたら、なぜ東京ではなくて、沖縄だったんだろう?」「沖縄に行ったのは、自殺するためではなく、絶対に何か別の理由があり、」(前出箇所よりの引用)
 ……という疑問があるが、もっともな疑問である。ここでは、「自殺の決意」などは、なかったはずだ。「単に発作的に自殺した」というのが正しいと思う。たぶん、一日か半日ぐらいで決めたのではなかろうか? ぴったり一日前には、そこまで思い詰めていなかったはずだ。

 では、真の死因は? 「自殺の決意」でなく、「発作的な自殺」であるとしたら、なぜ? それは、簡単だ。「どうしてよりによってこの時期に自殺したか?」を考えれば、すぐにわかる。
 答えは、「マスコミの報道による、心理的な圧迫」である。つまりは、あのとき、大地が崩れたような崩壊感覚を味わった。それに似た感覚は、あの当時、多くの人が感じたはずだ。とすれば、当の本人なら、その感覚はいっそう強かっただろう。しかも、マスコミの集中攻撃は、彼のもとに浴びせられつつあった。
 要するに、真の原因は、「崩壊感覚をともなう心理的な圧迫」であり、それをもたらしたのは、マスコミだったのだ。ただの「書類送検」ふうに報道するならともかく、天下の巨悪であるように報道した。当然、「崩壊感覚をともなう心理的な圧迫」があったはずだ。かくて、自分で自分を制御できなくなった。つまり、「死の強い意思」があったのではなくて、「生の意思」を維持できなくなったのだ。生の基盤が崩壊したがゆえに。……それが真の死因だ。

 ここまで来れば、真犯人が誰かは、はっきりとわかる。それは、マスコミだ。「われこそは正義なり」と思い込んで、「悪をやっつけろ」とばかり報道した、狂信的なマスコミ連中。ビンラディンのような狂気に駆られて、正義を通すために、彼らの想定した悪を攻撃しようとした連中。……その攻撃の渦に巻き込まれて、自らを支えきれなくなった被害者が、野口副社長だ。
 とすれば、マスコミが「他殺説」を唱えるのは、当然だ。なぜなら、彼らこそが、真犯人であるからだ。「あいつこそ犯人だ」としきりに吹聴する奴が、実は真犯人であった、というわけ。推理小説の常道ですね。マスコミの報道にたぶらかされるのも、いい加減にした方がいいでしょう。
 未亡人に言いたいことは、「だまされるな」ということだ。野口副社長は、他人の罪をひっかぶって、かわりに殺されたわけではない。ありもしない濡れ衣を着せられたライブドアのなかの多数のうちの一人として、いちばん食い物にされただけだ。一番前にいたから、一番最初に餌食にされた。それだけだ。意地汚いのは、ハイエナのようなマスコミ連中である。彼らは、野口副社長を殺して売上げを伸ばし、その殺人を他人に押しつけてふたたび売上げを伸ばす。そうやって死を二重に食い物にしている。
 「誰かに殺された、だから、きっとどこかに手を下した犯人がいるぞ」
 と思っている限り、「直接手を下さずに、体でなく心を傷つけた」という真犯人を、まんまと見逃してしまうだろう。
 そもそも、ライブドアの罪は、金を奪ったことではなくて帳簿の項目をゴマ化したことだけだ。しかるにマスコミは、もっとひどい。めざす相手の金と命をどんどん奪って、その血をすすって、自分ばかりが肥え太るのだ。

 [ 付記 ]
 実を言うと、「野口副社長が他殺ではない」と断定するに足る、非常に強力な根拠がある。それは、「野口副社長が自殺ではない」と断定した最大の主張者が、週刊文春だ、ということだ。週刊文春。つまりは、売らんがために、嘘の捏造記事をやたらと掲載する点で、日本で最も有名なマスコミである。
 つまりは、「一番の嘘つき」が大々的に唱えたという事実が、その話がまさしく嘘であるということの、強力な根拠となる。
 名うての嘘つきが何かを語ったら、その逆がたいていは真実です。「最大の嘘つき」が語ったことを、まともに信じるなんて、どうかしてますよね。


● ニュースと感想  (2月20日)

 「人々の義憤と錯覚」について。
 人々がライブドアの不正を見て、怒り狂っているのは、なぜか? そう疑問に思って、考えてみたところ、推測がついた。人々は、「自分は正しいことをしている」と思い込んでいるのである。そして、そのわけは何かと言うと、原理的にはすでに示してあるのだが、わかりやすく示すと、次のたとえ話のようになる。

 イラブ家の物語。
 ドアを作っているイラブという家があった。そこの作成したイラブ・ドアは、なかなか評判が良かった。家には父親と息子がいた。父親は「主」(あるじ)と呼ばれ、息子は「カブ」ちゃんと呼ばれた。父親は自分のものである「カブ」の成長を楽しみにしていた。実際、カブはどんどん成長していった。学校の成績も、うなぎ登りだ。父親は喜んで、目を細めた。人々は、カブがあまりにも急成長するので、羨んでいた。妬む人も多かった。
 あるとき、悪が発覚した。2004年9月期の試験で、息子は不正をしたのだ。つまり、カンニングである。どうやら、このときは下痢をして、体調が悪かったので、ついつい、評判を落とさないために、カンニングをしてしまったらしい。これを見て、日ごろカブを妬んでいた人々は、ここぞとばかり罵った。
 「あいつは実力もないくせに、カンニングだけで点数を稼いでいたんだ。虚飾の数字だったんだ」
 「虚飾をやったから、追放してしまえ。そんな奴は存在価値がない」
 「悪は徹底的に弾圧するべきだ。それこそ正義だ」
 人々はこう大々的に主張した。不正を摘発することが正義だ、と思い込んでいたのである。人々はあくまで、自分が正しいことをしていると、思い込んでいた。
 
 さて。これを見て、へそ曲がりの変人が、ヒゲもじゃの顎をさすりながら、異を立てた。
 「実力がないと言いますけどね。それ以外のときにも、ちゃんと優秀な成績だったんですよ。今回以外に、他のときもカンニングしていたという証拠はあるんですか?」
 「いや、別にないがね。しかしねえ。一時的にもカンニングをしたんだ。だったらきっと、いつもカンニングをしたのに決まっている!」
 「そりゃ、憶測でしょう。証拠もなしに、憶測で罰を決めていいんですかね?」
 「証拠なら、上がっている。2004年9月期のカンニングだ」
 「しかしあなたが言っているのは、そのカンニングじゃなくて、彼の全体が虚飾だと言うことでしょ? 一時的な小さな罪を批判しているんじゃなくて、彼の全体を批判しているんでしょ?」
 「うるさい。一事が万事だ」
 「それを、論理の飛躍というんですよ」
 「論理なら、規則がある。不正をした奴は、処罰する、という規則だ」
 「しかしその規則は、形骸化していたじゃないですか。級長のトヨタ君がカンニングをしたとき、それを見逃すことにしたので、以来、何十人も、カンニングをしてきたでしょう。そのたびに、始末書一枚で、片付けてきたでしょ。『カンニングしたら退学』という規則は、ほとんど実施されなかったはずだ。何で今回に限り、そんなに騒ぐんですか?」
 「だって、ケンサツ先生が言ったんだもん。カブ君が不正をしたって」
 「ケンサツ先生は、どうしてそんなに騒いだんですかね」と顎のヒゲをさすった。「そういえば、ケンサツ先生は、しずかちゃんがお気に入りでしたね。そのしずかちゃんは、この前、カブくんとすごい喧嘩をしましたね」
 「それがどうした?」
 「いやね。まあ、その。……で、大騒ぎして、どうする気なんですか? トヨタくんは始末書だったんだから、カブくんも始末書で済ませていいんじゃないですか?」
 「いや、駄目だ。正義を通す」
 「正義? なぜ?」
 「カブの奴は、日頃から『金がすべて』『金さえあれば何でも買える』なんて言っていて、気に食わん。こんな奴は、たたきつぶしてやる」
 「それじゃ、私的なうっぷん晴らしでしょう」
 「いや、公正に処置する。裁判で処分してやる」
 「それだけですか?」
 「裁判もやるが、その前に、留置して、さんざん油を絞ってやる」
 「ひどいですねえ。たかがカンニングで、何十日も豚箱に入れるなんて」
 「そのくらい、当然だ。ついでに言えば、隣の東証先生も、別の処分をすると言っていたぞ」
 「どんな?」
 「本人に聞きたまえ」

 というわけで、場所を変えて、東証先生の意見を聞きに行った。すると、返事はこうだ。
 「イラブくんか。彼はひどい不正をしたのでね。厳格に処分する必要があるな」
 「でもトヨタ君は、もっとひどいことをやっても、ただの始末書だったんですよ」
 「これはこれ。あれはあれ。だいたい、トヨタ君は、優等生なんだ。おまけに、毎年、たくさんお歳暮をくれる。ケチのカブなんかとは、全然違う」
 「ふうん。やっぱり、付け届けがものを言うんですかねえ」
 「ま、付け届けがなくても、甘くすることはあるが、今回は例外だね。ケンサツ先生とマスコミ先生も騒いでいるから。彼らの言うことを聞かないと、こっちの首が危ないんだよ。何しろ、この前、コンピュータで大失敗したんでね。自分の失敗を見逃してもらうためにも、今回はものすごく厳しくやって、覚えをよくしとかなくちゃ」
 「つまり、あなたがコンピュータで大失敗したのを隠すために、イラブ君を厳しく処分するんですか?」
 「そういっちゃ、身も蓋もないがね。他人には厳しく、自分には甘く、というのが、私のポリシーだ」
 「それで恥ずかしくないんですか?」
 「いやね。実を言うとね。後ろめたい思いがあるので、ケンサツ先生とマスコミ先生には、逆らえないんだよ。逆らったら、こっちの失敗を咎められる。『コンピュータで失敗したから、東証先生も上場廃止または営業停止』なんてなったったら、まったく格好が付かないしね」
 「で、どうするんです?」
 「規則通りさ」
 「本当に、規則通り? これまでも、そうしてきた?」
 「いや、これまでは、規則なんか有名無実だったがね。今回だけは、規則のうちでも、最大の処分をする。最大の罰を加える」
 「どうしてです? なぜ今回だけ、最大の罰を?」
 「彼は、不正をしたことで、父親に無駄な出費をさせた。良い成績のご褒美として、たくさんのプレゼントをせしめた。父親に損害をかけたのだ。このような損害は、許されない。こんなことが放置されたら、今後、カブみたいな息子の主人が、だまされて、どんどん損をしかねない。だから、そういう被害を防ぐためにも、断固として、厳しい処分をする必要がある。不正は見せしめで厳しく処罰するべきなのだ」
 「で、最大の罰として、どうするんです?」
 「死刑だ」
 「死刑? そりゃ、変ですねえ。カブがやったのは、父親に迷惑をかけたことでしょう? だからといって、あなたがカブを死刑にしたら、父親はもっとひどい被害を受けますよ」顎のヒゲを撫でた。「つまりね。父親に小さな被害を与えたのがいけない、という理由で、カブを死刑にしたら、父親を余計に被害を与えることになるので、本末転倒でしょう。カブが父親に与えたのは、小さな被害。あなたが父親に与えるのは、大きな被害。それを、父親のためと称するのは、メチャクチャでしょう」
 「うるさい。七面倒くさい論理を言うな」怒って顔を紅潮させた。口がわなないて、言葉がしどろもどろになった。「と、と、……とにかく、カブの奴は、気に食わないんだ。あんな奴は、何が何でも、殺してやる。それが、せ、せ、正義だ」
 「ふうん。気に食わないというわけで、私的なうっぷんを晴らすために、殺しをやる。それが正義なんですかね」
 「そうさ。正義のためには、死刑だって許されるのだ」
 「正義のために人を殺す? そりゃ、テロの論理でしょう」
 「いや、違うね」胸を張った。「規則に書いてあるかどうかが、問題だ。テロリストと違って、われわれは、規則に書いてある通りに、死刑をやる。規則に書いてあることならば、ちゃんと正当な根拠があるのだ」
 「で、規則は、誰が決めるんです?」
 「もちろん、われわれだ。規則さえ定めれば、いくらでも死刑にしていいのだ」
 そう威張る彼の鼻の下は、ちょびヒゲが生えていた。彼はちょびヒげを得意げになぞって、ふんぞりかえった。
 「正義には忠誠を! 悪しきブタには死を!」
 彼の目には らんらんたる光がきらめいていた。

( ※ このたとえ話の意味は、次項で説明される。)


● ニュースと感想  (2月21日)

 「不正経理の種類(粉飾・脱税)」について。
 不正経理には、次の二種類がある。
  ・ 実際以下の悪決算に見せること …… 脱税
  ・ 実際以上の好決算に見せること …… 粉飾
 この二種類は、「帳簿のチョロマカシ」という点では同じでも、意味は異なる。この違いを、混同しないようにしよう。なぜか? 一方であることは可能だが、両方であることは不可能だからだ。論理的必然。しかるに、同時に両方を取って、矛盾を犯す人が多い。

 第一に、「脱税」であるならば、被害を受けたのは国民全体である。これは、特定の誰かが損害を受けたわけではないから、被害者による民事訴訟は成立しない。というわけで、検察が摘発する必要がある。これは、社会悪であり、刑事犯罪となる。被害者である社会全体が糾弾するのは正当である。たとえば、「トヨタは 50億円も帳簿をちょろまかした。ゆえに、非難せよ」とマスコミがわめきたてて、トヨタを糾弾しても、それはそれで、正当である。マスコミは国民全体を代弁したことになるからだ。

 第二に、「粉飾」であるならば、被害を受けたのは株主だけである。国民全体は何ら被害を受けていない。国民が非難するのは、お門違いである。「他人の喧嘩に首を突っ込む」のと同様だ。たとえば、あなたの家で、妻と夫が喧嘩した。夫が嘘を付いて、家計の金を使って、愛人に貢いでいた。妻は頭に来て非難した。「不倫は違法行為だ。ゆえに豚箱にぶち込んでやる」と処置しようとした。それを見て、周りの人間が首を突っ込んで、「不正な違法行為を糾弾せよ。夫を非難せよ」と大騒ぎ。夫が「どうせ僕が稼いだ金なんだし、よその家計には迷惑をかけていない。わが家のことには首を突っ込まないでくれ」と頼んでも、人々は「不正だ、不正だ」と大非難する。ヒゲもじゃの変人が、「夫婦喧嘩は犬も食わないはずなのに。犬よりあさましいね」と嘆いても、人々は食らいついた餌から離れずに、大騒ぎ。

 以上の二点からわかるように、「脱税」と「粉飾」とでは、被害者が異なる。この点に注意しよう。
 さて。ここから得られる結論がある。それは、こうだ。
 「不正を理由として問題視するなら、それが脱税と粉飾のどちらであるかを区別するべきだ。検察が摘発するなら、社会に迷惑をかけた犯罪の場合である。東証が摘発するなら、被害者たる株主に迷惑をかけた場合である。そのどちらでもいいが、その双方を同時に取ることはできない」
 
 この結論は、重要だ。検察が摘発するのでもいいし、東証が摘発するのでもいいが、双方が同時に摘発するのは矛盾している。
 第一に、検察が摘発するなら、社会に迷惑をかけた犯罪に限られる。社会に迷惑をかけていない粉飾なら、ただの民事問題なのだから、いくら不正があったとしても、その不正は当事者に委ねるべきだ。検察は、社会的な不正にのみ関与するべきであり、限られた当事者間の経済的な問題には関与するべきではない。検察の仕事は、社会悪の摘発であって、特定の民間人同士の不正ではないのだ。たとえば、夫婦間で不正があっても、そんなことを「不正だ、違法行為だ」と介入するべきではないのだ。
 第二に、東証が摘発するなら、「被害者に迷惑をかけたこと」を理由とするべきであり、「社会に迷惑をかけたこと」を理由とするべきではない。「不正は社会悪だから社会のために処分する」というのは、越権である。あくまで、被害を受けた被害者のために摘発するべきだ。とすれば、「経営者が株主に被害をもたらした」という実状があるのだから、経営者を処罰して、株主を救済するべきだ。ところが、現実には、経営者はともかくとして、株主の方に多額の大被害を与えようとする。「粉飾」によって少額の被害を受けた株主に対して、「上場廃止」によって多額の被害を与えようとする。これでは、本末転倒であろう。
 比喩的に言えば、こうだ。「夫が妻に、損害を与えた。それは愛人に貢いだ百万円である。この不正を処罰するという理由で、会社が夫婦喧嘩に首を突っ込んで、会社が夫を解雇する。かくて夫も妻も、会社のせいで路頭に放り出されて、ともに巨大な被害を受ける」……この例では、被害者は妻であるのに、被害者である妻を救済するどころか、被害者である妻にいっそう被害を与えることになる。「正義」「不正摘発」を名目として、他人の家庭の内輪の問題に口を出して、双方をともに破壊してしまおうとする。
 これは、正義原理主義だ。「正義」「不正摘発」を名目として、小さな不正を咎めるために、自分自身が巨大な破壊行為をなす。しかも、その理由は、(「上場廃止基準」のような)既存のルールがあるから、というだけのことだ。つまりは、ルールがあるというだけの理由で、NYビルを爆破するような破壊行為を正当視する。要するに、「NYビルを爆破するのは、規則がなければ悪だが、規則があれば善だ」という論理だ。こうやって、ライブドアビルを爆破しようとするわけだ。テロの論理。

 以上、二つの問題を示した。そして、その理由も示した。それは、冒頭に述べたことだ。つまり、不正経理を取り上げたとき、「脱税」と「粉飾」とを区別するべきなのに、区別しない、ということだ。この二つは、一方であることは可能だが、両方であることは不可能だ。なのに、同時に両方を取って、矛盾を犯す。
 「一部株主に迷惑を与えた」という理由で、社会全体への悪を摘発すべき検察が勝手にしゃしゃり出る。また、「社会全体に迷惑をかけた」という理由で、東証が勝手に一部株主に大被害を与える。(本来なら一部株主を救済するべきなのに逆のことをする。)……ここでは、論理が倒錯している。それというのも、論理が混乱しているからだ。
 論理というものは、次のいずれかでなくてはならない。
 「Aが悪だから、Aを処罰せよ」
 「Bが悪だから、Bを処罰せよ」
 しかるに現実には、次のことが起こっている。
 「Aが悪だから、Bを処罰せよ」(社会悪を理由として、民事悪を処罰せよ)
 「Bが悪だから、Aを処罰せよ」(加害者が悪だから、被害者を処罰せよ)
 論理の倒錯。狂人の論理。彼らの論理は、こうだ。
 「不正は不正である。だから不正を糾弾せよ。それが正義だ」
 黒猫も白猫も、どっちも猫だから、どっちも同じだ、というような論理だ。区別をしない。黒猫については白いことを理由として処罰し、白猫については黒いことを理由として処罰する。自己矛盾があることに気づかない。……それが日本の現状だ。狂気の渦。

 [ 付記 ]
 では、正しくは、どうすべきか? 私の案は、こうだ。
 東証としては、会社を上場廃止をするよりは、ホリエモンに対して「会社への損害賠償」を命じる方がいい。わかりやすく言うと、ホリエモンの株式を会社にプレゼントさせる。具体的には、ホリエモンの所有する大量の株式を抹消する。その分、他の株主の株式価値を上げる。……こうすれば、被害者である株主は、受けた損失を回復できる。また、ホリエモンは、不正ゆえの損失をこうむる。
 で、検察は? しょせんは特定の民事的な経済問題なのだから、検察はあまり口を挟まない方がいい。法律的には、先に述べたとおり、書類送検ぐらいでいい。経営者に対しては、「嘘つき」を理由として巨額の罰金を科してもいいが、会社については、解体・縮小させるようなことはあってはならない。
 かくて、私ならば、こう結論する。
 「ホリエモンのもつ株式の大半を抹消し、かつ、ホリエモンに対して巨額の罰金を科する。すべては民事紛争および書類送検で済ませて、禁固・懲役のような処分にはしない。」
 経済観念のある人間なら、善人と悪人の区別がつくから、こうするだろう。狂気の人間ならば、善人と悪人の区別がつかないから、悪人を処罰しようとして、善人を処罰するだろう。……それが検察と東証だ。狂気の渦。

( ※ なお、仮にホリエモンを監獄にぶち込むなら、同時に、トヨタや他社の経営者をごっそりつかまえて、全員を脱税犯として、監獄にぶち込む。ついでに言えば、スピード違反や酔っぱらい運転でつかまった運転手も全員、「殺人未遂の不正」として監獄にぶち込む。浮気をした夫も全員、監獄にぶち込む。……狂気の例。ただし、狂気ではあるが、論理的には破綻していない。それだけ、検察よりは賢明である。)


● ニュースと感想  (2月22日)

 「不正の種類(経理・検査)」について。
 ライブドアはたしかに犯罪的な不正をやらかした。ただしそれは、帳簿をちょろまかすという経理の犯罪である。これは、どのくらいの悪か?
 そこで、もう一つ話題になっているものと、比較しよう。それは、「米国産牛肉の不正輸出」だ。この問題も、「輸出してはならないものを安全な牛肉と詐称して輸出した」という問題がある。また、公認会計士という検査官がミスをしたように、牛肉の検査官がミスをした。
 このような不正に対して、米国は「ただのミスだから見逃してくれ。さっさと牛肉輸入を再開してくれ」と要望する。つまりは、結果的には、輸入禁止の期間がいくらかあっただけ、というふうになりそうだ。実質的には、おとがめなしとなる。

 さて。私としては、次のような処置が妥当だと思う。
 「不正輸出をした業者には、罰金 10億円」
 「不正を見抜けなかった検査機関には、罰金 100億円」
 このくらいの罰則を加えれば、十分な再発防止策になるので、「米国産」という表示を義務づけることを条件に、輸入再開してもいいと思う。その後、買うか買わないかは、消費者に任せればいい。
 ところが、現実には、どうか? 罰金 10億円もなく、罰金 100億円もない。ほとんど無罪放免だ。再発防止策もないし、不正に対する罰もない。

 で、何が言いたいか? 「こうすれば輸入を再開してよい」ということではない。そんなことはどうでもいい。肝心なことは、こうだ。
 「人々は、ライブドアという他人の財布のことばかりに熱中している間に、牛肉がいい加減なまま輸入されて、危険な牛肉に汚染される。他人の些末なことばかりに目を奪われているうちに、自分の身に危険が迫っているのを放置する」
 馬鹿丸出し、というところである。

 しかしまあ、馬鹿丸出し程度ならば、まだいい。実は、狂人的または狂牛的になっている。なぜなら、次のことをやっているからだ。
 「牛肉の不正の罰金は、ゼロ円」
 「帳簿の不正の罰金は、6千億円以上」
 6千億円ですよ。6000,0000,0000円です。国民一人あたりに換算すると、5千円。4人家族なら、2万円。超巨額だ。
 これほどの巨額の金を、ライブドアの件では、株主の財布から奪い取ろうとする。これほど巨額の経済犯罪は、今まで一度もなかった。口あんぐり。
 
 言っておくが、これまで、どんなにひどい犯罪があっても、罰金6千億円なんていうことはなかった。人を殺したって、こんな巨額の罰金にはならない。水俣病でも、サリドマイドでも、廃液垂れ流しでも、こんなに巨額の罰金にはならない。としたら、ライブドアは、これらの犯罪に比べて、何十倍の巨悪をなしたのか? ……せいぜい、帳簿の項目を書き換えたことだけです。
 人々の信じる「不正」とは、いったい何であるのか。どうやら人々はよくわかっていないのだろう。自分でも自分のやっていることがわかっていないのだろう。だから平気で危険な牛肉を食おうとしているのだ。
 かくて、狂人が狂牛を食おうとする。共食いみたいなものですかね。


● ニュースと感想  (2月22日b)

 「国民の狂気」について。
 前項では「狂人」という言葉を述べた。これは、誇張または比喩ではなくて、事実である、と見なしていいだろう。なぜか? 
 前項では、「国民一人あたりに換算すると、5千円」という試算を述べた。この試算を聞いても、「あ、そう。それがどうした。ただの計算じゃないか」と思う人もいるだろうが、とんでもない。6千億円という損失は、現実の損失である。その損失は、現在の株主全体にかかった。では、その損失をもたらしたのは、誰か? マスコミと東証と検察だ。とすれば彼らに、損害賠償の責任が生じる。で、どうやって払うか? 実際には、国民全体で払うしかない。マスコミと東証は、払わされたら、倒産する。倒産したら、その赤字は、債権者である他人が払うしかない。それは国民全体だ。また、検察は国であるから、国の責任は国民が払うしかない。……結局、金の流れとしては、
    国民全体  →  株主全体
 というふうになる。つまり、「一人あたり5千円」という金額は、ただの計算上の数字ではなくて、現実の数字なのである。その意味は、われわれが株主全体に負っている賠償責任額である。

 そして、それを払わないでいるとしたら、その意味は、こうだ。
 「国民全体は、ライブドアの株主の金を、6千億円も盗んでいる。国民全体が泥棒だ」
 つまり、誰もかもが犯罪者なのだ。人々はライブドアに対して「不正だ」と述べる。なるほど、ライブドアは確かに「不正経理」という「嘘つき罪」をなした。しかし、金を盗んではいない。一方で、国民全体は、ライブドアの金を盗んだ犯罪者なのだ。
 実際には、われわれは、自分の懐の金を増やしてはいない。その金は、どこかの小賢しい連中の懐に入る。しかし、われわれが自分の懐の金を増やしてはいないとしても、われわれがライブドアを破壊するというテロ行為に加担したことは、事実なのである。われわれは(国民全体は)、マスコミと東証と検察によるテロ行為に加担した。その意味で、まさしく、賠償責任があり、その金を払っていない限り、「払うべき借金を払わない」という形で、「マイナスを帳消しにする」という形で、金を盗んでいるのだ。

 人々は巨大な破壊活動に加担し、巨大な債務を負い、その債務を払わずにいる。人々は巨大な犯罪者である。しかも、自らの犯罪を正当視する。たとえて言えば、
 「人を殺しておきながら、『あれは奴が勝手に自殺したんだ』とほざく」
 という形の責任転嫁に似ている。ここでは、自らの犯罪行為を自覚できない、という狂気がある。

 その狂気は、かつて、似た形で起こった。それは
  「イラク人質事件
 である。あのときもまた、日本中がトチ狂って、国民全体で三人の人間を殺そうとした。彼らが日本に帰ってからは、国民全体で中傷した。これも立派な犯罪であり、国民全体に狂気が渦巻いていた。ヒトラー時代のドイツのような狂気が。
 そしてまた、今現在も、同じような狂気が国民全体に渦巻いている。あの時代のドイツ国民が破壊活動に走ったように、今の日本全体もライブドアを対象として巨大な破壊活動に走っている。
 しかも、自分でその巨大な破壊活動をやっているということに、気が付かない。「あれらホリエモンがやったんだ、ホリエモンのせいだ」と思い込んで、自らの手が真っ黒く染まっていることに気づかない。ひたすら敵を憎んで、敵を破壊しようとする。これぞ狂気。
 私が指摘したいのは、「ライブドアが正しい」ということではない。「国民全体の狂気を悟れ」ということだ。それ以外には、正気を戻すすべはない。

 なお、この狂気を比喩的に言えば、こうだ。
 「酔っぱらい運転をした人をつかまえたら、たまたま有名人だった。そこで、検察がことさら見咎めて、マスコミも大騒ぎをした。あげく国民がそろって、こう結論した。『悪を許すな! 罰金 6000億円、もしくは、死刑!』」
 正義を通すためには(微罪にも)重罰を科すればいい、という単純な発想。「正義、正義」と唱えるばかりで、「自分自身が殺人または泥棒をなしている」ということに気づかない。あげく、その狂気が、いつかは自分に跳ね返ってくる。


● ニュースと感想  (2月23日)

 「狂気の比喩」について。
 前日分では、次のように述べた。
 「不正経理という小さな犯罪をことさら摘発するために、何の罪もない人々(社会といってもいい)に巨額の損失をもたらす」
 これをはっきりさせるために、次のような比喩を示すことができる。
 どうです? これは、狂気でしょう? 私はそう思いますけどね。ただし、一般の論調は、そうではないんでしょうね。やはり、「不正は不正だ。悪を懲らしめよ。倒産させよ」と騒いで、国を破滅状態にしようとするんでしょうね。
 自分のことを「正義をなす善人」と思い込んでいる連中ほど、始末に負えないものはない。彼らは「自己反省」の能力がないので、どんな破壊行為をしても、さっぱり気づかないのだ。破壊すれば破壊するほど、それを(悪の破壊ゆえに)善だと思い込むのだ。……ちょびヒゲの狂人と同じ。


● ニュースと感想  (2月23日b)

 「マスコミの自惚れ」について。
 マスコミに対する信頼度の世論調査を、朝日と読売がともに実施して、結果を掲載した。どちらも同趣旨。読売では、こうだ。
世の中の出来事を正確に知ったり、必要な知識を得るために、役立っているメディアを三つまで挙げてもらったところ、「一般の新聞」81%がトップで、「NHKテレビ」63%、「民放テレビ」50%――などが続いた。
( → Yahoo ニュース
 つまり、テレビもネットも雑誌もはるかに下位で、新聞だけがダントツの信頼度である、というデータである。で、これをもって、「新聞の権威を守るためには、宅配制度が不可欠だ」と結論する。( → 読売・社説

 まったく呆れた連中だ。ここにあるのは、要するに、自己賛美、自己陶酔だけである。「臆面もなく」という形容がふさわしい。そんな自画自賛を堂々と公開して、恥ずかしくないのだろうか。
 現実には、どうか? 新聞は、信頼に足る媒体か? とんでもない。マスコミに対する非難は、ネットにさんざん渦巻いている。「不公正・偏向報道・情報操作」などだ。それらの批判の声をまったく無視して、自分の狭い世界に閉じこもっている。ほとんどオタクである。世間の声を広く拾い上げるべき新聞が、逆に、自分たちの狭い世界に閉じこもっている。
 実際、現在、ネットにはマスコミ批判だけでなく、ライブドアに対する賛否両論がある。ところが、マスコミはいずれも、片面だけの報道をやっている。「複数の意見の掲載」をやらず、「政府側の意見だけの掲載」をやる。反対意見を抑圧し、片側だけの意見を掲載する。
 しかも、それが、虚偽だらけだ。「検察の発表」に準じた報道だけをやっているので、「大本営発表」みたいなものだ。大政翼賛会ふう。「事実の報道」をやらず、「虚偽の報道」だけをやる。
 
 ま、人間は愚かだから、間違いを犯すこともある。それならそれで、そういう自分を反省すれば、まだ救いがある。ところが、実際には、反省がまったくない。かわりに、自己賛美、自己陶酔だけがある。
 恥ずかしくて、赤面していいはずだ。彼らには、羞恥心も反省心も、何もないのだろうか? 猿以下。


● ニュースと感想  (2月23日c)

 「弁護士という詐欺師」について。
 ライブドアの株主への損害賠償を求める訴訟を起こそう、という弁護士の方針があるという。( → Yahoo ニュース
 これを聞いて、「なるほど、弱者を救う正義の弁護士」と思う人もいるだろうが、その人はまんまとだまされていることになる。この訴訟は、無意味だからだ。なぜか?

 今回の事件で判明したのは、2004年9月期の不正経理だ。なるほど、その不正経理を信じて買った人は、高値づかみをしたことになる。しかし、その後、次の決算が発表された。四半期ごとに発表があるし、半期ごとにも発表がある。遅くとも1年後の 2005年9月期には、2004年9月期の情報は無効になっている。
 たとえて言うと、現在のトヨタの好業績を見て買ったトヨタの株主は、20年前のトヨタの不正経理があったとしても、その影響はまったく受けない。現在の株価は、現在の業績だけで決まる。20年前のことなんか、関係ないのだ。
 ライブドアも同様だ。現時点の株価は、2004年9月期の不正経理には、影響されない。現時点で好業績なら、それでいい。過去に赤字という事実があったとしても、そんなことはまったく関係ない。現在が黒字なら、現在は高値が付くのだ。
 このあと、結論は、二つある。

 第一に、2004年9月期から1年間の間にライブドアの株を売った株主なら、「高値づかみをしたので損をした」という訴訟を起こす資格がある。ただし、その時点では、まだ不正経理は判明していないから、実質的には何の損もしていない。むしろ、その間に株が上がっているから、損どころか得をしている。まったく損害を受けていないのだから、補償される資格がない。ゆえに、請求は無効。( 2005年9月から、2006年1月の不正経理発覚の間も、同様だ。)

 第二に、2006年1月の不正経理発覚には、損害が生じたので、補償される資格が生じる。ただし、その時点では、もはや2004年9月期の不正経理の影響は消えている。その時点で影響するのは、2005年9月期の決算だけだ。この時期の決算では、不正は証明されていないのだから、「不正があったと判明したので、株価が下がった」ということはない。もともと「(2004年9月期の)虚偽に基づく株価」ではなく、「(2005年9月期の)事実に基づく株価」であったからだ。

 ここまで考えると、「ではどうして株価が下がったか?」という疑問が生じるだろう。「2004年9月期の不正経理のせいでもなく、2005年9月期の不正経理のせいでもなければ、どうして株価が下がったのか?」と。
 その理由は、すでに何度も示したとおり。「過去の不正経理が部分的にあったから、ライブドアの全体がすべて虚飾だ」という憶測のせいである。
 憶測。無根拠の憶測。妄想と錯乱。これが、株価暴落の原因だ。昔のちょっとした不正経理が原因で株が暴落したのではなくて、現在の妄想と錯乱が株を下落させたのだ。……そして、それに与っているのが、東証とマスコミだ。これらの連中が「上場廃止」だの「悪の糾弾」などを叫んで、大衆を駆り立てるから、大衆が右往左往して、株の投げ売りをするのだ。
 つまり、主犯は、東証とマスコミである。(検察も同罪だが。)ライブドアの株主が損害賠償を請求するなら、これらに対してであろう。
 なお、どうしてもライブドア自身に請求するなら、その請求分を、ライブドア自体に請求することになるから、その支払いは、株主自体がなすことになる。つまり、請求先は、自分自身である。株主は、自分で自分を訴えることになる。……ここまで見ると、この訴訟の馬鹿らしさが、よくわかる。

 ただし、この訴訟は、まったくの無効ではない。有効なところが、一つだけある。それは、こうだ。
 「株主から訴訟費用を頂戴して、弁護士が自分の懐に入れる」
 つまりは、事件の騒ぎに乗じて、哀れな被害者から、なけなしの金を吸い上げよう、というわけだ。ありもしない正当性を、あるかのごとく装って、勝ち目のない裁判のために、困った被害者から吸い上げる。ハイエナのような連中。
 手口は、詐欺師の手口ですね。困った人ほど誰かにすがりつきたくなるから、そういう弱者を狙って、あえて金を吸い上げようとするわけだ。「しめしめ、またカモが見つかった」と。
 最悪の詐欺師。それが、この弁護士たちだ。詭弁を弄して、虚構の夢を振りまいて、困った人からまんまと金を吸い上げる。(ま、弁護士なんて、たいていそうかもしれませんけどね。)


● ニュースと感想  (2月24日)

 「マスコミの虚報」について。
 朝日の記事を取り上げよう。ライブドア問題について、次の解説記事がある。(朝日・朝刊・社会面 2006-02-23 )
 有価証券報告書という書類に「嘘を書いた」ということで、比較的罪は軽いのではないかという誤解を受けやすい。事件に関心をもつ人々には、「ホリエモンは逮捕されるほど悪いことをしたのか」という感想も少なくない。
 だが、この報告書に信をおいて、多くの個人投資家がライブドア株を購入し、ライブドアの資金調達に力を貸した。報告書の嘘で、巨額の金をだまし取った詐欺行為と同じで、……(中略)……その背信の責任は重い」
 一見、もっともらしく見える。書いた本人は、これを正しい内容だと思い込んでいるのだろう。しかし、ここには、根本的な間違いがある。経済学的な理解が欠落しているのだ。記事は「誤解」と書くが、誤解をしているのは、当の記者の方なのだ。以下個別に、赤字の部分について説明しよう。

 (1) 逮捕
 「ホリエモンは逮捕されるほど悪いことをしたのか」
 というのは、何か勘違いしているようだ。ホリエモンが一時的に逮捕されるかどうかなんてことは、どうでもいい。ちょっと逮捕されて、数日間で保釈されるなら、誰も咎めまい。つまり、「逮捕したかどうか」が問題なのではなくて、「逮捕したあとで保釈しない」ことが問題となっているのだ。
 で、なぜそれが問題となっていかというと、理由は、次のことだ。
 「企業の経営者をこぞって逮捕して、会社をほとんど機能停止状態に導き、また、企業の信任を著しく低下させることで、株価を暴落させた」
 つまりは、株主に 6000億円もの損害をかける結果になったことを問題にしている。要するに、「株主の 6000億円の損害」を問題にしているのだ。これは純然たる経済的な問題だ。一個人の行動の自由の扱いといった、些末な問題ではない。
 記者はあくまで事件を、「一個人の処罰」というふうに、個人に対する善悪感情だけで、問題を扱っている。「正義のためにやっているのだから、正義の行為は当然だ」というわけだ。で、「その正義のために、社会ないし株主に莫大な損失をもたらしている」ということが、まるきりわかっていない。最初から最後まで、「正義、正義」と言い張るだけで、それが現実にどんな影響をもたらすかを、まったく理解できていない。
 これは、2月23日の「狂気の比喩」で述べたのと同じ。「正義のために社会を破壊する」ということの是非を、まったく理解できてない。テロリストまたはキチガイですね。

 (2) だまし取った詐欺行為
 「だまし取った詐欺行為」
 と書くが、ライブドアが「だまし取った」ということは、ありえない。正しくは、

     株主全体  ←────────  一部の株主(高値づかみ)
 
 ということが成立する。( → 2月13日 で述べたとおり。)
 つまり、朝日の記事のような解釈は、錯覚であるのだ。( → 1月30日 で述べたとおり。)
 仮に、「だまし取った詐欺行為」ということが成立するのであれば、その巨額の金は、どこに行ったのか?
 もしホリエモンがだまし取ったのであれば、ホリエモンがその金をもっているはずだから、その金を返してもらえばいい。(実際、あるはずのない金をあると錯覚して、「その金を返してもらおう」という訴訟を起こそうとする弁護士もいる。)
 一方、ライブドアという会社がその金をもっているのであれば、ライブドアの金は株主の金なのだから、自分の金を自分でもっていることになる。「自分の金を自分でもっていること」を、「詐欺行為」と呼ぶのはとんでもない。
 そもそも、ただの紙切れである株券を発行して、かわりに現金を取る、というのなら、普通の時価発行と同じである。会社は株を発行して、金を得るが、その金を得た会社を株主が保有するのだから、別に何も問題ない。これは普通の資本取引である。
 こういうことについては、「だまし取った詐欺行為」というのは成立しない。だから結局、こう言える。
 「詐欺行為ではないものを、詐欺扱いするのは、事実の粉飾である」
 「泥棒ではないものを、泥棒扱いするのは、事実の粉飾である」
 つまり、粉飾しているのは、マスコミの方なのだ。(理由は、経済知識がゼロだから。ど素人が無知なまま記事を書くから。)

 真相
 以上の (1) (2) で、間違いを指摘した。では、間違いではなく真相は? 考えてみよう。
 たしかに、不正経理によって、株価は高値につり上げられた。では、それによって損をしたのは、いったい誰か?
 それは、上の図を見ればわかる。「高値づかみ」をした一部の株主が、その分だけ、損をした。その一方で、余剰の利益は、会社に入ったから、その分だけ、(ライブドアの所有者である)株主全体が得をした。つまり、一部の株主が損をして、株主全体が得をした。……結局、差し引きすると、株主間で配分が変更されただけだ。
 だから、どうしても「だまし取った詐欺行為」と呼びたいのであれば、非難するべき相手は、「株主全体」である。
 では、「株主全体」を本当に非難するべきか? 否。彼らは、不当な利益を得たどころか、不当な損害を被っている。大儲けしたどころか、大損だ。では、なぜ? 
 その理由は、何度も述べたとおり。ほとんど「濡れ衣」に近い罪を着せられ、たかだか不正経理で 6000億円もの損害を被るように、社会が仕向けたからだ。つまり、(1) で述べた「6000億円の損害」を株主全体に与えた社会こそが、「損害をもたらした本当の犯人」なのである。
 朝日の記事は、そこを取り違えしている。「誰かが損をしたなら、それは悪いやつのせいだ」と思い込んでいる。つまり、経済的な金の流れと、善悪の問題とを、混同している。
 かくて、論理のすり替えで、犯人でない別人を犯人に仕立てている。これを「冤罪」と言ってもいい。だが、真犯人がそれをやっているのだから、むしろ、「罪の転嫁」と言った方がいい。(罪をなすりつけている、と言ってもいい。)

 以下、比喩。
 ライブドアを人間にたとえよう。この人間はほとんど殺されかけている。で、これを殺そうとして刺したのは、どこの誰か? 「それはホリエモンだ、ホリエモンは悪人だから、こいつが刺したんだ」とマスコミは言う。しかし、証拠がない。もしホリエモンが犯人であれば、その証拠(6000億円の利益)をもっているはずだが、そんなものはどこにもない。
 そこへ、ヒゲもじゃの変人が出てきて、こう指摘する。
 「犯人は、おまえだ。おまえが嘘の大騒ぎしたから、人々がいっせいに走り出して、そのせいで、被害者は踏み殺された。ホリエモンが殺したのではなく、人々が殺した。そして、そうさせたのは、煽動したおまえなのだ」
 すると、マスコミは弁解する。
 「あのう、私は別に、嘘を付こうとして、嘘を付いたわけじゃないんです。悪意はないんです。単に検察先生の言うことをそのまま報道しただけです」
 そこで、一喝。
 「検察先生の言うことをそのまま報道したこと、それを煽動というのだ。何も言わなければ、煽動にはならない。しかし、誤報たる嘘を報道した。おまえ自身が嘘を付いた。嘘を付こうとしたという悪意があったかどうかではなくて、まさしく虚偽の言葉を出した。それが罪なのだ。犯罪の要件は、言葉が嘘であるか否かだけであって、悪意の有無ではない」
 「でも、悪意はないんですから、勘弁して、許してもらえませんか」
 「私なら、許して上げたい気持ちはあるがね。どうしても許してくれない人もいるよ」
 「そんなあ。たかが嘘を付いたぐらいでも、どうしても許してくれないなんて。かくも異常に厳しいことを言うなんて。そのふざけた奴は、どこの誰です?」
 「おまえだ。『嘘を付いたことで巨額の被害をもたらしたなら、それは断じて許されない』と主張したのは、おまえ自身だ。(1) のおまえの主張を、思い出すがいい」

 結語。
 「巨額の金をだまし取った詐欺行為」というふうに非難するマスコミ自身が、実は人々をだまして巨額の金を失わせているのだ。「悪の詐欺師」と非難されるべきは、ホリエモンではなく、マスコミ自身なのだ。

( ※ ただしマスコミは、巨額の金を失わせているが、その巨額の金を自分で取っているわけではない。かわりに誰が巨額の金を取っているか? それは、2月27日の項目で述べる予定。どこかの薄汚い連中である。)
( ※ 本項の話は、次項に続きます。)


● ニュースと感想  (2月25日)

 「マスコミの虚報・補記」について。
 前項(前日分)の補記。
 前項では、朝日の粉飾記事を指摘したが、核心的な点だけを述べたのだった。細かく言うと、次の二点の問題もある。

 (1) 他社との比較
 記事では冒頭で「西武鉄道・カネボウと同じように」と書いて、「西武鉄道・カネボウ・ライブドア」の三社を同列に扱って、「悪だ」と断じている。しかし、これは、とんでもない虚飾である。「殺人も立ち小便も同じだ」とか、「虎も猫も同じだ」とか、偽って述べるようなものだ。なぜなら、正しくは、次のようになるからだ。
 つまり、桁が違いますね。とうてい同列には扱えない。「虎と子猫」ぐらい違う。なお、不正経理に限っても、下記の数字がある。
 ( ※ カネボウについては、上の2000億円は5年分の不正経理の合計。単発だと、下記の数字となるらしい。)
 ( → 出典・毎日新聞  では、これらの企業では、関係者や株主は、どれだけ処罰されたか? 現実の罪以上に、百倍ぐらいの責を負っただろうか? いやいや、逆である。これらの場合には、国費が数千億円も投入された。当時、私は、こういう数千億円もの投入には、断固として反対していた。
 なぜ? 日和見だからか? 違う。私の立場は、常にこうだ。
 「国は公正に。ああだこうだと介入せずに、中立を守る」
 私の立場はぶれていないのだが、国の立場が大きくブレる。あるときは、「国費を数千億円も投入せよ」と叫んで血税を莫大に無駄遣いし、あるときは、「不正を許すな」と騒いで、現実には損害のない帳簿のミスを見咎めたあげく、現実に莫大な損害をもたらす。(混乱を引き起こすことで。)
 こういうふうに、政府の立場がクルクルと変わるから、逆に、私の立場が変わるように見える。相対性原理。  (^^);
 なお、おまけで言うと、上記に列挙した以外に、次の粉飾もあった。
 で、この日本テレビが、現在は正義漢づらして、ライブドアを批判している。「盗人猛々しい」という言葉もありますね。……ただし、日本テレビを批判しているわけじゃない。どこだって、大同小異です。「罪なき者、この女を石もて打て」

 (2) 報道の姿勢
 話を戻す。扱っているのは、マスコミ(朝日)の姿勢だ。今回の記事では、次の問題がある。
 「公正な報道という立場がなされていない」
 これは、次の二つの意味がある。

 第一に、「記事と論説との区別が十分になされていない」ということだ。記事の体裁は、普通の記事とまったく同じで、単に冒頭に「解説」という文句が記してあるだけだ。ちっとも目立たないから、たいていの人は、普通の記事だと思い込む。で、事実の報道がしてあると思う。
 しかしながら、現実にそこに書いてあるのは、ただの主観的な報道である。たとえば、前記のように、「虎と猫を同列に扱う」という虚飾(一種のゴマ化しのレトリック)を使って、猫を虎のように誇大表現している。また、「罪が重い」というふうに、主観的な価値判断を記している。
 こういうふうに、主観的な価値判断ばかりの話なのだから、記事とは区別して、別の欄に書くべきであった。ところが、記事と並べて、「解説」というふうに、事実の補注のように書いている。つまりは、意見と客観報道との区別ができていない。そして、その狙いは、「記者の主観を、読者に押しつけること」である。つまりは、記者の勝手な思い込みを、事実のように偽って、読者を洗脳することだ。「首領様は立派だ」と唱えて洗脳する北朝鮮と同じで、「ホリエモンは悪だ」と唱えて洗脳する。朝日洗脳主義。
 こういう報道の姿勢が問題だ。

 第二に、「少数意見の封殺を狙っている」ということだ。ただの無知であるならば、少数意見があることに気づかないだけだ。ところが、今回の解説記事では、「ネット上の掲示板」というふうに表現しているのだから、マスコミの意見とは違う意見があることをはっきりと自覚していることになる。無知ではない。他の意見があることをはっきりと知っている。
 そして、それにもかかわらず、そのような少数派の意見を、あえて押しつぶそうとしようとしているのだ。
 つまり、まず、次の二つの意見がある。
   ・ 多数派 (政府・マスコミの意見)
   ・ 少数派 (ネット上の掲示板など)
 こうして、二つの対立する意見があるのだから、当然、そのことに気づいた以上は、二つの意見があることを紹介するべきだろう。そうすれば、新たに論議が生じる。マスコミの真の役割は、そのためにある。
 ところが、朝日は逆のことをやる。少数派の意見があることに気づいたら、それを紹介するどころか、それを圧殺しようとする。たとえて言えば、こうだ。
 「戦争中に、戦争反対の声が少数派の意見として生じたら、それを弾圧する」
 これが朝日の役割だ。あくまで政府・官憲による過剰な摘発を擁護するばかりで、公正な対処( (1) を参照)を求める声を封殺する。
 言論の封殺。それが朝日の態度なのだ。こういう報道の姿勢が問題だ。

 結語。
 何も語らずに黙っているのは、良くも悪くもない。
 事実とは逆の嘘ばかりを垂れ流すのは、悪い。
 異説を封じて世論を一色に染め上げようとするのは、ものすごく悪い。

 [ 付記1 ]
 細かな数字を補足しておこう。
 カネボウの件では、どうだったか? 結論から言うと、国民は最終的に、700億円の負担を迫られた。この件は、前に詳しく述べ通り。 ( → 1月22日c
 ここでは、銀行経由で、国民はそれだけの金を負担させられるハメになった。なお、その金は、本来ならば、担当者たる国が支払うべき金である。ただし、それがバレると、格好が付かないから、銀行に奉加帳を回して、銀行に払ってもらっただけだ。その分、銀行にはどこかで甘くするのだろう。……これもまた、損を表に出さないための、粉飾である。国家による粉飾。700億円。逮捕者なし。
 ついでに言えば、ここでは銀行経由で 700億円の金が奪われたが、まともにやれば、こんな無駄金は一円たりとも払わずに済んだはずだ。そのためにはどうするべきであったかは、すでに何度も述べたとおり。つまり、まともな政策による、景気回復である。( → 11月28日
 まともにやれば、カネボウ再建のためのコストなどは、一円もかからなかったはずだ。倒産処理の費用が軽減するからではない。たとえ粉飾があっても、倒産しないで済むからだ。再建できれば、数年をかけて自力で返済できるから、誰も責任を分担する必要がない。……なのに、現実には、 700億円の金が奪われた。
 ついでに言えば、ライブドアは、一般国民の金を1円たりとも奪っていません。なのに、ひどい罰を受ける。逆に、カネボウの方は、700億円を奪っておきながら、ほとんど罰を受けない。
 結語。マスコミは、真実を報道せずに、嘘ばかり報道する。虎の大きさを隠蔽して、小さな猫を恐竜のごとく報道する。

 [ 付記2 ]
 西武鉄道の方は、不正経理ではないが、これと同列の虚偽記載に、日本テレビの問題がある。日本テレビは一時、監理ポストに入った。ちょっとだけ話題になったことがあるだろうが、たいていの人は覚えていないだろう。
  → 紹介サイト検索
 これからわかるとおり、ライブドアを上場廃止にするなら、日本テレビ(と読売)を上場廃止にして、ナベツネを豚箱にぶち込むべきだ。それもできずに、ライブドアだけを騒ぐのは、つまりは、「猫の首に鈴を付けることのできない」という臆病なネズミと同じである。つまりは、付けやすいところだけに付けているだけだ。というか、他社(検察)がやったのを見て、尻馬に乗っているだけだ。


● ニュースと感想  (2月25日b)

 「専門家や半玄人の誤解」について。
 ライブドア問題で誤解だらけなのは、マスコミだけではない。自称専門家も、同様だ。面白い批判が来たので、丸写しする形で引用しよう。( ※ nand ブログへの投稿。丸写しだから、そっちを見ても同一です。)
ヤフーの掲示板からきました。滑稽な内容ですね。法律・経済の知識がある者を対象とされているのであれば、あなた自身もう少し勉強されたらいかがでしょうか?
特にライブ問題に関しては洒落で書いていないのであれば、あなた自身の知識の無さが多くの点で露呈されています。あまりに多いので、逐一挙げませんが、株式を含め、会計や金融に関する知識が欠如しているようです。ライブ問題を言及するにはこれらは不可欠です。言及しないほうが賢明でしょう。
PS:ライブ問題を「民事」と断言するくだりがありましたが、貴方の勇気には頭が下がります。
 具体的にどこがどう間違っているかを指摘せずに、「あなたは知識が欠落している。無知だ」というふうにだけ批判する。相手を馬鹿扱いするが、その証拠を具体的には何も示せない。もちろん、身元は隠す。(民主党のガセネタに似ていますね。)
 ま、書くのが面倒だとしても、一つぐらいは具体的に示して良さそうだし、根拠が既知であるなら、その文書のリンクを付けるぐらいしてもいいのだが、そんなこともしない。
 なぜ? どれも、不可能だからだ。「ここがこう間違っている」と指摘すれば、ただちに反撃されて、逆に、自分の間違いを露呈してしまう。身元を明かせば、自分の愚かさを天下にさらす。そんなみっともないことはできない。だから、「あなたは馬鹿だ」という悪口だけを書く。

 ここで、冒頭の批判はどこがどうおかしいのかを、具体的に示しておこう。
 「株式を含め、会計や金融に関する知識が欠如しているようです。」
 というふうに書いてあることからして、彼の主張は、次のことだろう。
 「南堂は、ライブドアの潔白さを主張している。しかし、株式・会計・金融に関する知識があれば、ライブドアが有罪だとわかるはずだ。それがわからないのは、南堂が無知だからだ」
 これもまた、論法はまったく正しいが、最初の話題(前件)が勘違いだ。私は、
 「ライブドアの潔白さを主張している」
 ことは、まったくない。ライブドアが不正経理をしたことは明白である。株式・会計・金融に関する限りは、ライブドアは明白に有罪である。(不正経理・虚偽報告。) 私はこれを否定したことは一度もない。
 ただし、それは、「赤い金魚」なのである。赤い金魚は目立つ。その小さな悪は、ことさら目立つ。しかし、今回の事件の本質は、小さな赤い金魚ではないのだ。小さな赤い金魚をとらえようとして、そのまわりにいる無実の魚を皆殺しにしてしまった、という点なのだ。一匹だけをとらえようとして、そのために多大な犠牲を起こす。自らが巨大な損失をもたらし、自らが巨大な悪をなしている。なのに、目立つ小さな悪ばかりに目を奪われているせいで、自分の巨悪に気づかない。

            
 「赤ばかりを気にするから、まわりの黒に気づかない」
 巨悪に気づくには、広い視野が必要だ。目先の損得ではなく、社会全体における損得を知ることが必要だ。大切なのは、株式・会計・金融に関する知識ではなくて、経済学的な知識なのである。微視的な知識ではなく、巨視的な知識なのである。
 たいていの(自称)専門家というものは、やたらとタコツボ化する。自分の得意の領域に閉じこもって、広い視野を失う。「赤い金魚」ばかりに目を奪われる、というのも同列である。こういうことを、
 「赤い金魚効果」
 と呼んでもいい。マスコミであれ、専門家であれ、「赤い金魚」ばかりに目を奪われているので、物事の本質を見失ってしまっているのだ。具体的には、焦点を帳簿の不正の問題に帰してしまって、騒ぎのもたらす経済的な損失に気づかない。会計の問題ばかりを見て、経済の問題を見ない。「金魚はいかに赤いか」ということだけを証明しようとして、「まわりにはもっとすごいものがある」ということを見失う。一言で言えば、「専門馬鹿」。これが錯覚の典型だ。

( ※ 一般に、真実を隠蔽して、人をだますには、「赤い金魚」を見せればよい。人々はそちらばかりを見て、肝心の真実を見失う。「あそこに赤い金魚がいるぞ、それ、追いかけろ」と大騒ぎする。人々はそれ以外のすべてを見失う。……「赤い金魚効果」だ。)

 なお、冒頭の批判は、次の形に書き直せる。
 「南堂は、赤い金魚を『赤くない』と言って、赤い金魚を擁護している。しかしこれは間違いだ。それというのも南堂には、赤さを認識する専門知識が欠けているからだ。専門知識を仕入れるべし。金魚の赤さを認識するべし。」
 この批判のどこがどう間違っているか、言っている本人にはわからないんでしょうね。「自分は正しい」と思い込んでいるので。……朝日もそうですけどね。


● ニュースと感想  (2月26日)

 「前日分の補足」について。
 舞台裏を示す形で、一般論を述べておこう。特に読まなくてもよい。

 この件は、二つの点から述べることができる。

 【 1 】
 まず、今回の件で言うと、「南堂は巨視的な見解だけを主張して、微視的な細かな見解がない。だから、視野が偏った無知だ。マクロ経済学の立場の、専門馬鹿だ」という見解がある。
 しかしながら、残念なことに、この見解は当たらない。なぜなら、私は、既存の見解を全面否定しているわけではないからだ。たとえば、「不正経理はけしからん」という意見に対して、「不正経理はなかった」というふうには主張していない。かわりに、「不正経理とは別の問題がある」というふうに、別の見解を示して、「それを見失うな」と指摘している。
 この主張を見て、「南堂は不正経理を否定・軽視しているから知識不足だ」と思うのは、早計である。私は、「従来の視点を捨てよ」というふうには主張していない。「複数の視点をもて」というふうに主張しているのである。自己の意見を主張することはあるが、他者の意見の存在を否定することはない。マスコミの一方的な偏った報道姿勢を否定することはあるが、「不正を指摘するのをやめよ」というふうに弾圧的には主張していない。
 とにかく、「一つの視点だけを取れ。他の視点を捨てよ」と主張しているのは、私ではなくて、私以外の誰かである。私は「複数の視点」を主張しているのだから、「不正経理の指摘」を全面否定しているわけではない。勘違いしないように。

 【 2 】
 実は、この手の批判(説明なしの悪口だけの羅列  or 複数の視点を唱える異説を否定する弾圧的な見解)は、私には初めてではない。これまでも、何百回も受けてきた。数学・物理・生物学・経済……いずれの分野でも。
 そして、興味深いことに、それらの批判どれもこれも、同じことを書いているのだ。こうだ。
 「私は専門家である。あなたの言っていることは、専門知識がまったく欠落している。だから黙れ」
( ※ただし、具体的にどこがどう間違っているかは、決して指摘しない。単に相手を「無知」と馬鹿にするだけ。)

 実は、彼らが言っていることは、次のことと等価である。
 「既存の標準解釈は、全面的に正しい。一方、南堂の説は、既存の標準解釈と全面的に矛盾する。ゆえに、南堂の説は、無知ゆえの誤りである」
 この論法は、論法としては、まったく正しい。穴はどこにもない。ただし、論法は正しくても、内容は空虚である。なぜなら、論法の一番最初(前件)が間違っているからだ。
 「既存の標準解釈は、全面的に正しい」
 これが間違っている。だから、以後の論法は、すべてが空虚となる。

 実は、彼らの主張は、次のことを言っているにすぎない。
 「既存の標準解釈と、南堂の説は、たがいに矛盾する」
 換言すれば、こうだ。
 「南堂の説は、既存の標準解釈とはまったく異なる」
 要するに、「異説である」というだけにすぎない。

 とすれば、そのあとは、「異説」を認めるかどうかが、態度の差となる。
 ある人は、「異説を認める」という態度で、自分とは異なる説に耳を傾ける。ある人は、「異説を認めない」という態度で、自分とは異なる説を弾圧しようとする。自分だけが正しいから、自分とは異なる立場から主張する説は、みんな無知で馬鹿なのである。自分が「地球は動かずに、宇宙が回転している」と主張したら、それに反することを主張する人は、無知で馬鹿なのだから、そういう素人は意見を言わずに黙っていろ、というわけだ。で、昔だと、「そういう素人は世間に有害だから、宗教裁判にかけて罰してやれ」というふうになった。(ガリレオですね。)
 だいたい、どんな説にだって、反対意見というものは、必ず存在するものだ。「自分の説だけが一方的に正しい」というふうに信じているところからは、進歩はまったくない。反省のないところに、進歩はない。
 世の中には、異端の説というものは、必ず必要なのだ。そして、その説には、ところどころ誇張や過激表現が含まれているが、それをことさら字面の通りに受け止めて、「ほれ見ろ、こんな間違いがあるぞ」と鬼の首でも取ったように騒いでいると、肝心の本質を見失う。

 では、本質とは、何か? それは、次のことからわかる。
 「既存の標準解釈が正しいとすれば、何も矛盾はないはずなのに、現実には矛盾が噴出する」
 ライブドア問題であれ何であれ、既存の標準解釈が正しいとすれば、矛盾は出ないはずなのだ。では、矛盾は、あるか?
 ちょっとだけ学問を囓った連中は、「既存の標準解釈は全面的に正しい」と思い込む。しかしながら、学問を深く探究すれば、「どんな学問にも、解決されてない矛盾をいくらか含む」とわかる。その「解決されてない矛盾」を、意識するかどうかが、問題だ。
 意識しなければ、「既存の標準解釈は正しい。ゆえに、それと矛盾する説は間違いだ」と思い込む。半玄人にありがちな誤解である。たとえば、数学なら、半玄人は「数学は完璧な学問だから、数学を批判するようなことは、断じてあってはならない」と思い込む。あげく、「この学問はもう完成しているから、あとは応用だけだ。ゆえに、工業分野で、数学を利用しよう。学問は、役立つかどうかだけが大事だ」と信じる。一方、半玄人ではない玄人なら、「数学は未完成な学問だ。ゆえに、完成をめざして、大学院で研究しよう」と思う。
 これが、半玄人と玄人との違いだ。半玄人は未解決の問題を認識できず、玄人は未解決の問題を研究する。ただし、傲慢な半玄人は、未解決の問題を研究する玄人を見て、「既存の標準解釈に反することを研究するなんて、あいつはトンデモだ」と批判する。実を言うと、どの分野であれ、最先端の研究というものは、既存の標準解釈に反することが多いのだが、そういうことをまったく理解できないのだ。常に「自分だけが全面的に正しい」と信じている。「自分の聞きかじった知識だけがすべてであり、それと矛盾する異説は無知ゆえの誤解だ」と思い込む。

 ま、たとえて言うと、小学生が、大学生を批判するようなものです。
 「小学校では、1,2,3……という数を習ったんです。それで足し算も引き算も掛け算もできます。なのに、あの大学生ったら、虚数なんていう変なものがあるって言うんですよ。ひどいトンデモだから、あのトンデモ野郎を黙らせてください」
 威張り散らす半玄人というのは、こういうものだ。で、今回のライブドア問題でも、たいていのマスコミは、こういう態度だ。異説を認めず、異説を封殺する。かくて、真実の探求を抑圧し、真実を隠蔽する。

  なお、私の説は、既存の標準解釈[主流派]に反する異説であるから、主流派から文句が来るのは、毎度のことなのである。実は、主流派から見れば異説が「間違い」というふうに見えるのは、当り前のことなのだ。両者はたがいに矛盾するのだから。両者は両立しない。……そのあと、両立しないもののうち、異説の方をどう扱うか、ということだけが、態度の差となる。主流の説だけを残して、異端の説をつぶすか。異端の説にひそむ可能性を認めて、異端の説をちゃんと残すか。……これは、真偽の問題ではなくて、態度の問題だ。真実が異端の説にある場合には、真実をつぶすかどうか、という結果になる。



● ニュースと感想  (2月26日b)

 「民主党の虚報」について。
 民主党の取り上げた「送金メール」が、偽物であったことは、ついに決着した。当の代議士が自らの誤りを察して、辞意を表明したからだ。(実際の辞任決定は先送り。)── この問題を扱おう。
 ま、ここで辞意を表明しなくても、その数日前に、勝敗は実質的に決していたと言える。真実である証拠をまったく示せないどころか、同じ偽物が自民党や読売の手に入って、墨塗り部分まで暴露されてしまったのだ。(前原代表だけは強弁していたが。)

 ま、ここではっきりしなくても、偽物であることは、もっと前からとっくにわかっていた。なぜか? 強弁した前原代表の言葉だ。
 「本物であることを確信している」
 という言葉。これはつまり、「本物である証拠がない」ということだ。どんな事件であれ、実証の際には証拠の有無が問題となるのだが、証拠を要求されても証拠を何も出せない場合に限って、「確信する」というふうに心情の問題にすり替える。こういうすり替えは、一種の詐欺であるが、こんなことを言う詐欺的な政治家の言葉など、信じられないし、当然、嘘八百である。
 「私のこの言葉を信じてください」
 と訴えているときには、それを安易に信じる方がおかしい。「証拠を出せません」というような言葉を、誰が信じるものか。

 ま、それはそれとして、ついでにイヤミを言っておこう。
 今回の事件で暴露されたのは、民主党のIT知識の不足だ。「メールなんて簡単に偽造できる」ということを、たぶん、理解できなかったのだろう。「メールにヘッダが入っているから本物だ」と思い込んだのに違いない。ヘッダなんて簡単に偽造できる、ということを理解できていない。別に、難しい知識は必要ない。直接ネットから送信されてくるメールのヘッダを偽造するのは超簡単ではないが、いったん送信されたメールのヘッダを偽造するのは超簡単だ。
 今回の場合は、紙の印刷物であったから、該当箇所を印刷する段階で、ヘッダだけ書き換えた印刷物を渡せばいい。
 現実には、もっとずさんで、書き換える手間すら省いている。ヘッダの一部を墨塗りにする、という形。(読売・朝刊・特集 2006-02-23 )
 ヘッダのうち、特に

 sender:*********

 の ********* の箇所が墨塗りにされている。どうしてかというと、本物ならばそこにホリエモンのアドレスが記してあるので問題ないのだが、素人の作った偽造メールなので、ここに自分のアドレスが記してあるのだ。  (^^);
 で、そこを書き換えるという発想すらなく、単に印刷物に墨塗りにしただけで、相手に渡す。こんなずさんな代物を受け取っても、まともな人なら、だまされないのだが、民主党の代議士だと、コロリとだまされる。コロリと。

 さて。民主党の代議士のIT知識の不足はわかったが、彼らはなぜコロリとだまされたのか? それは、簡単だ。「詐欺の原則」に従っている。それは、こうだ。
 「人々は、自分の信じたいことだけを信じる」
 つまり、「悪人である武部幹事長は、悪人であるホリエモンから金をもらった」と信じたいので、その望ましい思い込みに合致したデータを与えられると、肉を与えられた犬のように、しゃにむににガブリとかぶりつくのだ。それが偽物の肉であろうと、関係ない。「ほしい、ほしい」と思っているから、「ほしい」と思えたものが目の前に差し出されると、真偽もわからず、錯覚して、ガブリとかぶりつくのだ。あさましい。
 これが「詐欺の原則」である。

 以上の話は、実は、前フリふうの話題である。本当に言いたいことは、こうだ。  「マスコミもまた、『詐欺の原則』に引っかかっている」
 つまり、「ホリエモンは悪だ」という情報を「ほしい、ほしい」と思っている。「自民党は悪だ」という情報を「ほしい、ほしい」と思っている民主党と同様である。真偽にかかわらず、とにかく「ホリエモンは悪だ」という情報を欲しがる。あげく、そういう情報だけを選んで、ニセ情報を垂れ流す。
 どこかの悪徳野郎は、無知な民主党をだました。どこかの悪徳マスコミは、無知な国民をだます。どちらにせよ、ニセ情報でさんざん欺く。……この共通性を、本項では指摘したい。
 つまり、「詐欺の原則」は、送金メールだけに当てはまるのではない。もっと巨大なものにも当てはまる。それは、マスコミによる詐欺だ。前日の「マスコミの虚報」が、その具体的な話となる。つまり、前日分は、事例の提示。

 実は、今回の民主党議員は、あえて辞職するほどのことはない、と私は思う。人は間違う存在なのだから、だまされてしまうこともある。だまされたのは、あまり大きな罪ではあるまい。だまされて、間違えたとしても、そのあとしっかりと反省できれば、許して上げてもいいと思う。
 今回の民主党議員に限って言えば、「議員辞職」という意思を示したことは、なかなか立派だ。だまされたことは愚かだったとはいえ、反省できたことは立派だ。論語から引けば、
 「過ちて改めず、これを過ちという。
 で、ひるがえって、マスコミはどうか。まったく反省できていない。どちらかと言えば、彼が議員を辞職して職務を停止した(その意思を示した)ように、マスコミも自社のメディアを発信停止にするべきなのだが。

 [ 付記1 ]
 この偽物メールを作成したのは誰か、ということが一部で話題になっているようだが、話題にするほどのことでもないと思う。別に、「民主党を困らせるための陰謀」なんてのは、なかったと思う。最初はただの「いたずら」だったはずだ。一種の愉快犯。ところが、お馬鹿な人が、この「いたずら」を真に受けて、本物だと思い込んだわけ。
 だいたい、あんなずさんなものは、「偽造」と呼ぶのも恥ずかしい。暇つぶしのお遊び程度のものにすぎない。あれをわざわざ「偽造」と呼ぶ人もまた、IT技術の知識が不足している。
 たとえて言おう。テレビでゴリエが「おまえの母ちゃんデベソ」というギャグをやった。その後、誰かがいたずらで、近所の塀にこっそり「ホリエの母ちゃんデベソ」と書いた。で、それを見た記者が、おもしろがって、「ホリエの母ちゃんはデベソだ」という情報を国会議員に与えた。もちろん、あくまで参考として。
 ところが、馬鹿な国会議員が、それを真に受ける。記者の与えた情報だからという理由で信じて、「機密情報を得たので、大々的に取り上げる」というふうにスタンドプレーに走る。大得意になって舞台に立ち、「ホリエの母ちゃんはデベソだ」と大騒ぎする。しかし、それを見た観客から、「眉唾だぞ」と疑いの目を向けられる。あまりにも疑われて、いたたまれなくなったので、情報を渡した記者に問い質した。すると、「あれは近所の塀に書いてあった落書きだよ。参考のために渡しただけさ」と言われる。
 「今になって!」と国会議員は思う。これでは、「おまえを信じる」と信頼してくれた坊ちゃん代表は、実はただの落書きを信じていただけだ、ということになる。国会議員は、口が裂けても、真実を言えない。青ざめて、雲隠れ。あげく、辞意表明。

 [ 付記2 ]
 私見を言えば、「議員辞職は必要ない」と思う。それはいわば、「死刑」みたいなもので、「虚偽報告」への処分としては、罰が重すぎるからだ。ライブドアであれ政治家であれ、「嘘つき罪」というのは、私はあまり重視しない。(そんなことで逮捕するくらいなら、小説家と漫才師を全員逮捕する方が先決かもね。)
 ま、「あっさり免罪」というふうにはならないが、「自己の誤りを認めて、謝罪すること」を条件に、「議員辞職は必要ない」と言える。(黙って雲隠れしたままなら問題だが。)
 ただし、である。私が「議員辞職は必要ない」と言うのはいいが、前原代表がそう言うのは、困ったものですねえ。彼はどうやら「雲隠れ」を主張しているようだ。誤りを認めない。これは問題だ。
 前原は、自分の言ったことを忘れて、ほおかむりしているようなものだ。(実は、「代表に最大責任がある」と言っているのだが、それだったら、自分が辞職するべきなんですよね。……議員を辞職する必要はないが、代表の座を。)
 しかも前原は、かなりひどい勘違いをしている。彼はこう言う。
 「巨悪は何か、追求するよう頑張りたい」
 ここでは、「巨悪を追求する」というよりは、「ありもしない巨悪をあると思い込んで追求する」という状態である。つまりは、「巨悪という錯覚をしている」という状態である。ライブドアという小悪を、勝手に巨悪と錯覚している。
 仮に、武部に金を振り込んだとしても、ちょっとした賄賂ぐらいでしかない。そんなことは、あまりにもささいな問題だ。(すぐあとで示す。)
 また、数字を比較しても、3000万円の賄賂なんて、6000億円の実害とか、建築擬装のこれもまた巨額の実害とか、そういうことに比べれば、擬装マンションの入口費用ぐらいの価値しかない。桁が小さすぎる。
 これを「巨悪」と見なすというのは、つまりは、前原代表の器が小さすぎるから。自分自身があまりにも小さい器なので、3000万円が巨悪に見える。で、はるかに大きい 6000億円の実害は、あまりにも大きすぎて、彼の理解能力を超えているのだ。
 「3000万円が巨悪だ」
 「帳簿の数字いじりが巨悪だ」
 なんて、国家経済を論じるというよりは、おばちゃんの井戸端会議のレベルである。自分の器の小ささを知ることが大事ですね。無知の知。……これが前原代表に最も欠けているものだ。自分の愚かさを理解できないから、やたらと威勢がいい。愚人というのは、そういうものだ。体育会系ですかね。声ばかりデカいが、頭は空っぽ。

 [ 付記3 ]
 賄賂という点では、民主党は何か根源的に勘違いしているようだ。数字の問題ではなくて、根源的な錯覚がある。
 たぶん、「賄賂はいけないことだから、賄賂をもらってはいけない」と素朴に思っているのだろう。しかし、「賄賂はいけない」というのは、今では時代遅れの発想である。そのようなことが成立したのは、古き良き時代だけだ。
 今では、「(実質的な)賄賂はすばらしいことだから、どんどんやりましょう」というふうに、推奨されている。それが「政治献金」というシステムである。政治家がホリエモンからお金をもらったとしても、何ら恥じることはない。実際、トヨタなどからは、莫大な金をもらっている。ただし、経路は、帳簿で明確に示されている。
 だから、民主党が問題にしているのは、「その帳簿がゴマ化しだ」という不正経理の問題にすぎない。「金をもらったがいけない」と訴えているようでありながら、「金をもらったのに帳簿に記載されていないのがいけない」と訴えているだけだ。くだらん。ライブドアの問題と同様に、ただの帳簿の問題にすぎない。
 どうせ訴えるなら、こう訴えるべきだ。
 「企業から金をもらうのは、けしからん。自民党が企業から莫大な金を政治献金として受け取るのは、けしからん。そんな連中には、莫大な政党補助金をやるべきではない」
 政党は、企業から金をもらっているくせに、国民の金を何十億円・何百億円も政党補助金として頂戴しているのである。国民は、こっちに着目するべきだろう。(なお、ライブドアは、一般国民の金を一円たりとも頂戴・泥棒していない。)
 ただし、民主党には、それを批判する資格はない。自分も同じ穴のムジナだからだ。特に前原は、保守的な主張をすることで、企業からの献金を必死になって頂戴しようとしている。
 で、与野党のこういう金まみれの連中が、「国民の金を奪う」という自らの体質には触れないまま、「金をもらったのが悪いのではなくて、金をもらったことを帳簿に記載しないのが悪い」というふうに問題を歪曲化する。あるいは、「金をもらったこと自体が悪い」というふうに述べて、「悪くもないことを悪いと語る」という形で嘘八百の虚偽を並べて、詐欺的に国民をだます。そのいずれかのことをやる。
 どうせやるなら、「金をもらったこと自体が悪い」と言えるように、「政治献金の禁止」という形で、現状そのものを根源的に改革するべきだろう。具体的には、政党本部以外への献金を全面的に禁止するべきだ。政治家個人への献金をすべて非合法にするべきだ。(現状では、「政治家が献金を受けても、それを政党支部の形にして、曖昧にしてゴマ化して、合法状態におく」という状況だ。)
 なのに、そういう抜本対策が、できていない。で、愚かな政党が、表面上の帳簿の悪ばかりを、ことさら見咎めて(というか、ありもしない悪を勝手にあると思い込んで)、それを「巨悪」と叫んでいるわけだ。

 [ 付記4 ]
 矛先を与党に転じれば、イラク問題におけるひどい虚報はどうなるんですかね。小泉(と読売などの保守派)は、さんざん虚報を振りまいた。
 「イラクには大量破壊兵器がある」
 という虚飾。これで国民をだまして、戦争という巨悪を正当化したのだ。かくもひどい虚飾は、これまでなかった、と言っていいだろう。かくも巨大な悪をやっておきながら、いまだにちっとも反省しない。小泉に至っては、「信じたのは、当時としては正しかった」と強弁する始末だ。
 つまり、自分が信じたかどうかという問題に帰してしまって、それによって国民をだましたという責任から、話を逸らしてしまっている。
 こっちの方がはるかに問題だ。偽物メールなんて、はるかに桁が小さい。あんまり騒ぐほどのことじゃないですね。人が死んだわけでもないし。……小泉が虚飾で正当化したイラク戦争では、莫大な数が死んだのだが。
 ところで、民主党は、なぜこの虚飾を問題視しないのか? 視野が小さすぎて、見えないんでしょうね。彼らにとっての巨悪とは、せいぜい、帳簿と口座の数字ぐらいしかない。社会全体を覆うほどの巨悪(← マスコミによる)は、あまりにも巨大すぎて、彼らの視野には入らないのである。
 彼らに見える巨悪とは、身の丈にあったものでしかない。一寸五分ぐらいですかね。ノミにとっての巨悪。


● ニュースと感想  (2月26日c)

 予告していた経済の話は、明日に回します。急ぐこともないので。






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「小泉の波立ち」
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