[付録] ニュースと感想 (106)

[ 2006.03.25 〜 2006.04.14 ]   

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● ニュースと感想  (3月25日)

 「著作の予告」について。
 ライブドア問題の著作は、草稿がだいたい出来上がったので、内容を予告しておく。
 そもそも、私はどうして、ライブドア問題をこんなに扱うのか? ── このことを疑問に思う人もいるだろう。実際、ライブドアという一企業の問題は、私にとってはどうでもいいことだ。株主が損しようが得をしようが、私の知ったことではない。また、ホリエモンが監獄に入ろうが娑婆に出ようが、私の知ったことではない。一企業や一個人の問題は、私はあまり関心がない。もちろん、イナバウアーの荒川静香なんか、どうでもいいことだから、私はあのテレビ画像も見ていません。(ニュースか何かで数秒ぐらいは見たが。)ついでに言えば、野球のWBCも、ちょっと暇つぶし眺めただけだし、たいして関心はない。日本が勝っても負けても、どうでもいい。……要するに、世間の人が熱中する話題は、私にとってはどうでもいいことだ。ただの一過性の事件であれば。

 では、ライブドアの事件は、どうか? ただの一過性の事件か? 一企業や一個人の問題か? 「否!」というのが、私の判断だ。むしろ、こうなる。
 「ライブドア事件の問題は、ライブドアという被害者側の問題ではなくて、日本全体という加害者側の問題である。そこには精神病理的な大問題がひそんでいる。その大問題を自覚しない限り、日本は狂気から脱せない」
 つまり、ホリエモン一人とか、株主20万人余りとか、そういう特殊な小集団の問題ではなくて、1億3千万人全体の問題なのだ。それは、ちょうど、イラク人質事件の問題が、人質三人だけの問題ではなく、1億3千万人全体の問題であったのと同様だ。
 だから、私は、ライブドア問題で、被害者であるホリエモンや株主を救いたいのではない。日本人全体を、狂気の渦から救いたいのだ。 
 これが本質だ。

 この本質は、非常に重要である。なぜなら、同様の原理によって、日本の不況は続いているからだ。ライブドアを「悪」と見なして錯覚する原理と、日本の不況を放置して「景気回復」と錯覚する原理とは、非常によく似ている。
 ライブドア事件において「小悪」を「巨悪」と信じ込む錯覚と、不況の経済において「不況の底打ち」を「好況」(景気回復)と見なす錯覚。……これらはいずれも錯覚であり、似たような心理状況から発生する。それは「真実を見ないこと」というよりは、「真実にあえて目をふさぐこと」から生じる。
 それは「バカの壁」と言えなくもない。その壁を打破するのが、執筆中の著作だ。その意図は、虚偽の打破であり、真実の提示である。それはまた、人々の信じる錯覚をくつがえす意図がある。いわば、「絶対的に静止しているはずだ」と信じている大地を、「動くものだ」と示すことで、よって立つ基盤を揺るがすように。


● ニュースと感想  (3月25日b)

 「需給ギャップの解消」について。
 (本日は、久々に、経済の話をする。ライブドアの話は、ちょっとお休みして、また来週。)

 景気について、「需給ギャップがプラスになった」という内閣府の発表がある。
 内閣府は20日、日本経済全体のモノやサービスの供給力が需要に対し過剰であることを示す「需給ギャップ」のマイナスが昨年10−12月期に約8年ぶりに解消され、需要が供給力を上回ったとするリポートを発表した。
( → Yahoo ニュース 共同通信

 需要が供給を約3兆8000億円上回った。需給ギャップのプラス転換は、需要不足(供給過剰)が解消して需要超過(供給不足)になったことを意味し、デフレ脱却にまた一歩近づいたといえる。
( → 読売新聞 2006-03-21
 これは真実だろうか? 日本経済は本当に「需要超過」の状態になったのだろうか? 実は、上記の発表は、真っ赤な嘘というほどではないにせよ、ひどい勘違いによる錯覚と言える。事実と正反対と言うほどの間違いではないが、事実と90度ぐらいズレている。つまりは、トンチンカンだ。もちろん、記述はまったく正しくない。真か偽かで言えば、完全な偽であり、真実度はゼロ・パーセントだ。ただし、マイナス百%にはなっていない。
 詳しくは、次の通り。

 (1) 縮小均衡
 景気は「回復した」のではなくて、単に「底打ち」しただけにすぎない。数値で言うと、90から 100が健康であるときに、今までは 90から80までどんどん低下していたのだが、その低下が収まって、80で低迷していた。その後も一進一退だったが、ようやく、80から81ぐらいに上昇して、低迷を脱したと言える、というだけのことだ。当然、健康水準である 90にはまだまだ達していない。病み上がり状態である。
 比喩的に言えば、ひどい風邪を引いて悪化したあと、ようやく風邪のウィルスが消滅しかかった段階だ。悪化する恐れはなくなったが、まだまだ衰弱しており、健康状態はひどく悪化したままだ。この状態で、いきなり重労働を始めれば、とんでもない事態になる。「病気が終わりかけた」ということと「健康になった」ということとは、まったく別のことである。
 以上のことは、「縮小均衡に達した」というふうに要約できる。
 では、「縮小均衡」の本質は何か? 真の景気回復との違いは、何か? それは、こうだ。
 「均衡状態には達した。ただし、需要が増えたのではなくて、供給が減っただけだ。」
 このことは、次の結果をもたらす。
  ・ 企業にとっては、均衡状態なので、決算が黒字になる。
  ・ 国民にとっては、解雇・失業・派遣の状態なので、大幅な所得減。
 国全体で言えば、「国民 → 企業」という形で、利益が移転しただけだ。で、国民の不幸を大小として、企業が幸福になったとき、企業だけを見ると、「決算が好転したので黒字になった」と見えるだけだ。つまりは、左手から右手に金を移して、右手だけを見ると、「金が増えた」というふうに見えるだけだ。
 ここには、錯覚がある。それは「物事の片面だけを見て判断する」という錯覚だ。
( ※ この手の錯覚が、経済学には、いろいろある。今回の政府のゴマ化しによる錯覚は、その手の錯覚の一つだ。もちろん、マスコミが、この錯覚を出回らせる。)

 (2) 需給ギャップ
 では、需給ギャップという概念では、どうか? 「需給ギャップがプラスからマイナスになったから、需要超過になった」というのが、政府の説明だ。しかし、これは、とんでもない間違いである。
 「プラスでないからマイナスだ」
 ということは、実は、成立しない。「中間の緩衝領域」というのが存在するからだ。図式で言えば、次の通り。


   プラス領域   マイナス領域
  ━━━━━━━━━━━━  政府の説明
  ━━━━━━━━━━━━  南堂の説明


 政府の説明では、プラス領域(赤)とマイナス領域(青)だけがある。需給ギャップがプラスである領域を脱すると、需給ギャップがマイナスの領域になる。つまり、「需要不足」の領域を脱すると、「需要超過」の領域に入る。
 南堂の説明では、プラス領域とマイナス領域のほかに、中間領域つまり緩衝領域(灰色)がある。需給ギャップがプラスである領域を脱しても、ただちに需給ギャップがマイナスの領域になるわけではない。つまり、「需要不足」の領域を脱しても、ただちに「需要超過」の領域に入るわけではない。その間に、灰色の領域がある。この領域は、何か? 「均衡領域」である。それがつまり、「経済が正常である領域」である。
 南堂の説では、青い領域は、真の「需要超過」の領域であり、これは、インフレの領域だ。この領域は、このましい状況ではなく、好ましくない状況である。赤も青も好ましくなく、灰色だけが好ましい。その状況が正常な状況である。
 政府の説明には、その「正常な領域」という概念がない。正常であるべき領域とインフレである領域とが、区別されない。なぜか? 実を言うと、政府の説明では、青と灰色の区別ができないだけでなく、赤色の領域すらまともに理解していないのだ。つまり、需要不足とは何かを、まともに理解していないのだ。要するに、不況とは何かを、まともに理解していないのだ。そのせいで、他の領域についても、まともに理解できない。
 
 南堂の説では、灰色の領域は、経済が正常な状況である。ただし、正常であるからといって、好ましいとは言えない。正常というのは、「ひどい病気ではない」というだけのことであって、「本来の健康である」という意味ではない。具体的に言えば、経済がデフレスパイラルに落ち込むことはない、というだけのことであって、多大な失業や賃下げは残ったままであることもある。
 今の現状を、比喩的に言えば、こうだ。「生存のための最低限のカロリーが維持できるだけであって、まともに人間らしく生きるためのカロリーはいまだに実現されていない。」
 だから、こういう現実を、正しく理解することが大事だ。つまり、「需要は、最悪の不足状態を脱しただけであり、まだまだ不足している。最低限の 80を維持できてはいるが、健康であるための 90という水準にはまだまだ達していない」
 従って、この状況を「需要超過」と見なすのは、まったく適切でない。「需要超過」とは、「需要が生産量を超えること」であり、「需要が 100を上回ること」であり、「インフレになった」ということだ。現状は、インフレからはほど遠く、デフレの底をようやく脱したというだけにすぎない。
 つまりは、政府の景気診断は、まったくの嘘八百である。こういう嘘八百を信じて物事を判断したり決めたりすると、とんでもない倒錯に陥ることになる。
 何事であれ、政府の嘘にだまされず、真実を知ることが大切だ。

 [ 付記 ]
 より詳しい説明は、「小泉の波立ち」のなかで「需要超過」という用語のあたりをいろいろと調べるとわかる。
 ただし、経済学の面倒臭い理論になるので、素人向けではありません。経済学の優秀な専門家向け。そこらの経済学者ぐらいのレベルでは、まともに理解できません。
( → google サイト内 検索


● ニュースと感想  (3月26日)

 「今年の春闘」について。
 今年の春闘の成果は、「微増」である。これをもってマスコミは、「少しでも賃上げがあったことは景気回復した証拠」というふうに報道する。しかし、これは、正しい認識ではない。正しい認識は、こうだ。
 「景気回復の芽があったのに、それをつぶしてしまった」
 つまり、過去の景気回復効果の有無が問題なのではなくて、将来の景気回復効果の有無が問題となる。「過去では、あった」ということが問題なのではなく、「将来では、なくしてしまった」ということが問題だ。
 比喩的に言おう。病気のときに、薬代がなくて、困っていた。すると、運良く、薬代に相当する金額を拾うことができた。しかし、せっかくの金を、薬代に使わないで、家賃の納入に使ってしまった。この場合には、「お金を拾った」と喜ぶべきではなくて、「薬代に使わなかった」という愚かさを反省するべきなのだ。
 これが、今年の春闘の意味である。つまり「景気回復」の治療費を、治療のために使わないで、企業という大家への家賃に使ってしまったのだ。そのせいで、企業という大家は喜ぶが、国民は病気を抜け出せない。国民は最悪の状態はかろうじて脱したが、いつまでたっても健康になれない。

 現在の景気状況は、投資不足ではなく、消費不足である。つまり、「企業の金不足」ではなくて、「消費者の金不足」である。この状況では、消費者に金を渡すのが、景気回復の方法だ。となれば、賃上げをなすのが、正解である。特に、賃上げの金があるのならば。

 では、現実には? 
 トヨタは、たったの 1000円のベースアップだ。一兆円の利益のある企業において、賃上げの総額はたったの 20億円でしかない。スズメの涙。焼け石に水。でもって、ボロ儲けのトヨタでさえこうなのだから、他社は賃上げがトヨタ以下に抑えられる。「トヨタのおかげで、当社は賃上げを抑制できた」と各社の社長は喜んでいる。(この件、朝日・朝刊 2006-03-16 による。)

 日本経済が、景気回復をしたと見えるのは、本質的な意味での景気回復があったからではない。次の二つによる効果だ。
  ・ 外需拡大(輸出増加)
  ・ 利益を国民から企業に移転すること(低金利リストラで)
 これらは、本質的景気回復ではない。人間で言えば、人間全体が自律的に成長するのではなくて、次のことに相当する。
  ・ 外側からぜい肉を移植してもらう。(外需拡大)
  ・ 自分の内部で、一部を増やして、一部を減らす。(利益の移転)
 こういうのは、見せかけの景気回復にすぎない。

 しかし、今、その見せかけの景気回復を脱するチャンスがあった。利益の拡大である。その利益を、国民に回せば、内需拡大によって、景気回復と成長の可能性があった。しかるに、その金は、国民に回らなかった。大家である企業が独り占めしてしまった。国民にはスズメの涙しか回らなかった。
 かくて、経団連のボスであるトヨタの方針によって、日本経済は自立的な回復の目を奪われたのだ。うまくやれば、ただちに急激に景気回復することができたのに、その芽を摘んでしまった。せっかくチャンスがあったのに、そのチャンスをつぶしてしまった。

 トヨタの発想。
 「将来の成長? そんなの、意味がわかりませんね。目先の利益だけが大事なんです。」
 トヨタ猿の発想。
 「朝に三つで、夕べに五つ? それじゃ、いやだ。朝に四つで、夕べに三つ? それならいい」
 合計八つよりも、合計七つを選ぶ。目先の利益を望んで、将来の成長を失う。「新・朝三暮四」。……その意味は、「朝三暮四の猿よりも、もっと愚かだ」ということ。


● ニュースと感想  (3月26日b)

 「量的緩和の解除とライブドアの社長」について。

 (1) 量的緩和の解除
 量的緩和の解除が、昨今、いろいろと話題になった。これについては、私は以前から何度も言及していたから、特に言及する必要は感じなかった。が、とりあえず、簡単にまとめておけば、こうだ。
 「量的緩和は、まったく無効である。流動性の罠という状況では、いくら資金の供給を増やしても、需要の上限に達しているから、需要不足で、実際の供給量は増えない。つまり、景気拡大の効果はない。単に金融市場で、無駄な資金滞留が増えるだけだ」
 実際、量的緩和があっても、銀行の貸出総額は、まったく増えなかった。増えるどころか、微減であった。要するに、「景気回復のための効果」という点から言えば、「量的緩和はまったく無効であった」というのが、この五年間の実験で判明したことだ。
 
 では、「量的緩和の解除はどうか?」という疑問があるが、これには、こう答えることができる。
 「もともと無効な経済政策なのだから、実施しても解除しても、実効性には変わりはない」
 つまりは、元がゼロであれば、ゼロを足そうが減らそうが、影響はないのだ。「やってもやらなくても同じ」というのが、解答となる。

( ※ ただし、以上は、「景気対策」というプラスの面についての評価だ。マイナスの面についての評価は、また別の話だ。プラスについては「やってもやらなくても同じ」と言えるが、マイナスについては「やってもやらなくても同じ」とは言えない。この件は、翌日分で。)

 (2) ライブドアの社長
 ライブドアの現社長は、たいして能力もないくせに、どうして自信満々でいるのか? 実は、こう思っているのだ。
 「ライブドアをうまく経営するには、簡単だ。(会計ソフトの)『弥生会計』で経理をやればいい」
 つまり、経営というものを、経理の面でしか考えていない。あれやこれやという生産の場を無視して、経理という帳簿だけで経営を考える。そして、自分は経理の専門家だから、経営も立派にできると思い込む。……だから、かくも自信満々なのだ。(素人の自惚れだとは気づきもせずに。)
 現社長は、しょせんは一生かかっても、弥生会計という一つのソフト商品を作り出しただけで、ただの小企業のオヤジである。そこらの自動車修理工場のオヤジと大差はない。そういう小物のオヤジが、どういうわけか、ことのなりゆきで、ライブドアという大企業の社長の座に就けた。だから、嬉しくて嬉しくて、舞い上がっているのだ。
 そりゃまあ、彼の気持ちも、わからなくはない。一生うだつの上がらない男として人生を終えるはずだった。最後は自分の会社をホリエモンに身売りするハメになった。身売りした芸者みたいなものである。哀れなものだ。それが運命のいたずらで、すごい王座に就けてしまった。戸惑いながらも、「この座を決して手放すまい」とするのは、小人物としては当然だろう。だから必死になって、「ホリエモンから受託を受けました」と言ってホリエモンを持ち上げたり、「ホリエモンを社長の座に就けることはありません」とホリエモンをけなしたり、矛盾する立場を取る。要するに、「自分が社長の座にしがみつきたい」という方針で話を決めるから、右往左往して、矛盾した言葉を口に出すようになるのだ。……哀れな小人物。

 (3) 両者の共通点
 で、何が言いたいか? ライブドアのことはどうでもいい。哀れなオヤジのこともどうでもいい。肝心なことは、こうだ。
 「生産の実態を理解しないで、金銭ばかりで物事を考えると、本質を理解しないで、失敗する」
 このことは、前述の通り、ライブドアのオヤジ社長に当てはまる。
 と同時に、日本全体の政策を決める人(金融大臣と 銀総裁)にも当てはまる。金融大臣と日銀総裁という親父二人は、ろくに経済のことも知らずに、経済を金だけで扱おうとする。実体経済としての生産量を増やすための手段をまともに取らないで、金さえ増やせば景気が回復すると思い込む。かくて、マネーをジャブジャブにした。それが、量的緩和だ。で、結局、その効果は、5年間の実験の末に、まったく無効と判明したわけだ。「金だけで片付く」という発想は、まったくの間違いだ、と判明したわけだ。
 ライブドアのオヤジ社長は、ライブドアを駄目にする。日本政府と日本銀行のオヤジたち二人は、日本経済を駄目にする。……彼らの共通点は、「経済を帳簿だけで考えること」である。
 とにかく、日本の景気も、会社の業績も、帳簿屋みたいな小人物に任せている限り、正しい道を歩むことはできないのだ。弥生会計で、日本経済やライブドアを処理しても、不正経理がなくなるだけで、何も解決しないのだ。


● ニュースと感想  (3月27日)

 「量的緩和の解除とスタグフレーション」について。
 量的緩和について、「景気対策」というプラスの面についての評価は、前日に述べたとおりだ。つまり、プラスについては「やってもやらなくても同じ」と言える。だが、マイナスについては「やってもやらなくても同じ」とは言えない。この件について述べよう。
 実は、量的緩和には、「景気回復効果」というプラスの意義(これは効果なし)のほかに、マイナスの意義がある。それは「スタグフレーションを起こしやすい」という危険だ。
 量的緩和があると、資金が余剰になるので、物価上昇を起こしやすい。そして、物価上昇があると、「インフレ」と「スタグフレーション」との、二通りが起こりやすい。では、どう違うか? 
 経済が「均衡」のときに物価上昇があるのが、「インフレ」だ。
 経済が「不均衡」のときに物価上昇があるのが、「スタグフレーション」だ。
 で、もともと均衡のときに物価上昇があると、「インフレ」になるが、もともと不均衡のときには、物価上昇があると、「スタグフレーション」になる。(詳しい理由は省略。)
 
 現状では、デフレを脱したばかりだから、均衡と不均衡の境界線のあたりにある。かろうじて不均衡を脱したばかり、という位置づけだ。こういう状況では、ちょっと下手をすると、また元の不均衡に戻りかねない。そこで、物価上昇が起こったら、「スタグフレーション」という最悪の状況に落ち込みかねない。

 不況から好況にするのは、難しくはない。(大規模減税をやれば済むだけだ。何度も述べたとおり。需要の増大が、生産の増大をもたらす。)
 しかし、スタグフレーションから好況にするのは、かなり難しい。(大規模減税をすれば済む、というわけには行かない。需要の増大があっても、生産の増大が可能でない。金が需要や生産ではなくて投機に流れてしまい、経済が歪むからだ。)
 で、何が、スタグフレーションをもたらすか? それは、「過剰な資金」である。やたらと無駄な資金が滞留していると、ちょっとしたつまずきのせいで、あっという間に、スタグフレーションの状況に移転してしまう。(例としては、アジア通貨危機のときの、韓国がある。通貨下落と物価上昇があり、高金利となり、同時に、莫大な失業と生産縮小に追い込まれた。)

 というわけで、「スタグフレーション」を避けるためには、「量的緩和」はなるべく早く解除しておいた方がいいのだ。将来の危険を防ぐために。
 かくて、「量的緩和の解除」には、「マイナスを避ける」という、よい効果がある。本当ならば、もっとずっと前にやるべきであった。正しくは、五年ぐらい前にやるべきであった。つまり、「量的緩和」なんていうものは、決してやってはいけないことなのである。「百害(の危険)あって、一利なし」と言える。
 「景気回復」という目的のためには、「景気回復」のために実効性のある政策(減税)を行なうべきなのであって、まったく無効な金融政策など、一度だってやってはならないのだ。不況期の政策においては、「金がすべて」という政策は、まったく成立しないのだ。
( ※ 金融政策が有効なのは、不況期以外だけ。つまり、金利を下げる余地がある場合だけ。金利を下げる余地がある場合には、金利を下げればよい。しかし、金利を下げる余地がなくなったとき[流動性の罠のとき]には、もはや金融政策は無効なのだから、無意味な金融政策を捨てて、実効性のある政策を取るべきなのだ。)

 [ 付記 ]
 今回、[量的緩和の解除]をなした。では、これで、一安心か? そうかもしれないが、ひょっとして、下手をすると、手遅れかもしれない。なぜなら、量的緩和をやめても、その効果がすっかり出るには、何カ月かかかるからだ。その効果が出る前に、過去の量的緩和の影響で、スタグフレーションが発生する可能性も、まったくないわけでない。たとえば、次のシナリオで、スタグフレーションが発生する可能性もある。(仮想的な場合である。ありそうな予想、というわけではない。)
 原油高をきっかけに、米国が利上げをする。
 すると、日本から米国への輸出が減り、生産量が減り、同時に、物価が上昇する。それを見て、企業が市中の資金をどんどん借りて、品物や土地をどんどん買い上げる。それを見て、投機筋が、品物や土地をこぞって先物買いするので、品物や土地の値段が急上昇する。
 一方で、労働者の給与は据え置かれているから、実質所得が急減し、消費が急減する。投機商品ばかりが購入され、通常の商品が購入されなくなる。ゆえに、GDPは急減する。
 かくて、ふたたび不況へ。しかも、物価上昇が併存する。そのあと、日銀が「物価上昇を抑制するため」として、高金利政策を取れば、GDPは奈落の底に落ち込んでいく。倒産と失業は急上昇。
 こうして、「物価上昇と失業の増大」という、最悪の悪夢が実現する。
 この「最大の悪夢」が、スタグフレーションだ。量的緩和が継続されている限り、その悪夢はいつまでも発生の懸念がある。今回、日銀は量的緩和をやめる方針を示したが、まだ市中の資金は十分に回収されていないから、スタグフレーションの危険はいくらか残る。世界状況が安定的であれば、何も変わらないで済むが、世界状況に何らかの問題が起これば、スタグフレーションが起こる可能性はいくらかある。(たとえば、中東の戦争で、原油危機が起こる、とか。)

 経済というものには、惰性のようなものがある。方向を切り替えたからといって、すぐに経済全体が動くものではない。巨大なタンカーのようなものであるから、舵を切り替えたからといって、すぐに方向が変わるわけではないのだ。うまく間に合えば、スタグフレーションという氷山にぶつからずに済むが、下手をすると、スタグフレーションという氷山にぶつかって、タイタニックのように沈没する。
 「量的緩和をやめる」というのは、「危険な氷山水域を離れる」ということだ。うまく間に合えば、被害はないが、下手をすると、危険な氷山水域を離れる前に、運悪く、氷山にぶつかるかもしれない。……そして、この先のことは、霧のなかのように見通せない。現実にどうなるかは、私にもわかりません。ま、「危険な氷山水域を離れることは好ましい」とだけ、言っておきます。


● ニュースと感想  (3月27日b)

 「マタニティー・マークの嘘か詐欺」について。
 厚労省が「マタニティー・マーク」というものを公開した。妊娠初期の妊婦さんが周囲に妊娠していることを知らせるもので、母親が赤ちゃんをやさしく抱くハート形のデザイン。
  → 参考ブログ (元ネタは朝日の記事だが、すでに消えてしまった。)
 これを見ると、赤ちゃんの顔が出ている。だったら、「もう子供が生まれた母親です」ということを意味しているのだから、妊婦を意味していることにはならない。「妊婦」という実態と、「子供を生んだ母親」というマークとで、意味がズレている。
 妊婦なら妊婦であることを示すマークをつければいいのだ。つまり、ハラボテのマークである。お相撲さんみたいな体型のマーク。ただし、それだと、「肥満体で、カッコ悪い」と思って、「かわいい赤ちゃんのマークにしよう」と思ったのだろう。
 しかしこれは、虚偽をマークにしているのだから、一種の詐欺である。とんでもない不正だ。こんなマークを公開した厚労省を、逮捕するべきだ。検察、出てこい。
 そもそも、この不正は、とても悪質なのだ。なぜかというと、「妊婦はカッコ悪い」という差別感情が根底にあるからだ。いくら口先ではきれいごとを言っても、本心は妊婦を馬鹿にしている、ということがバレバレである。
 妊婦の体型は、ちっともカッコ悪くない。妊娠してもいないのに、その体型だとカッコ悪いが、妊娠しているなら、その体型の方がいいのだ。逆に、妊娠しているときに、モデルさんみたいにスマートだったら、未熟児が生まれないかと、心配になる。つまり、妊婦の体型は、健康の証だから、ちっともカッコ悪くないのだ。むしろ、「大変ですね」という思いやりの心を、人々に喚起するはずだ。
 そういう本質から目を逸らさせて、生まれてもいない子を生まれたかのように虚偽のデザインで描いて、人々をうわべだけで欺こうとするのは、根本的な心根が卑しいことを示す。
 女性同士だったら、妊婦さんを見たら、「たいへんですね」と思って、電車でも席を譲る。私だって、なるべく、そうしている。妊婦体型の人を見たら、「カッコ悪いな」なんて思うのは、下劣な人間の思うことであって、まともな人間の思うことではないのだ。
 というわけで、今回のマークは、厚労省の役人が差別感情に染まった下劣な人間連中であることを、暴露する。その証拠が、この詐欺的なマークだ。

 [ 付記 ]
 他に、まともな普通のマークもすでにある。
  → 参考サイト


● ニュースと感想  (3月28日)

 「ゴミ箱と思考停止」について。
 監査意見と違って首都圏では、ゴミ箱が撤去されている。駅にもゴミ箱はほとんどない。その理由は「テロ防止のため」という。(朝日・夕刊・社会面 2006-03-25 )
 ここでは「ゴミ箱撤去 = テロ防止」という図式を示している。しかし、その図式が本当であるかどうかは、まったく検討されていない。単に「テロ防止」と叫べば、何でも許される、というわけだ。これは「思考停止」の状態である。(ブッシュの「イラク攻撃 = テロ防止」という短絡的な思考も同様。)
 ま、バカ日新聞がバカなのは仕方ないから、私が解説をしておこう。

 まず、「ゴミ箱撤去 = テロ防止」という図式を出したなら、「それは本当か?」と疑うべきである。つまり、記事で何かを書いたなら、「発言者がそう語った」という孫引きみたいな記事を書くだけでなく、「その発言が真実かどうかを検証する」という作業が必要だ。(この作業ができなかったのが、永田議員だ。バカ日新聞も、これと同じ。検証ないしチェックが欠落している。)
 
 では、発言をチェックすると、どうか? 「その発言は間違いである」とすぐにわかる。次のことで。
 「ゴミ箱を利用したテロは、ただの一件も起こっていない」
 これが事実だ。このことは、テロの専門家に聞けば、すぐにわかる。理由は、次の通り。
 「ゴミ箱を利用すると、ゴミ箱に遮られて、被害の範囲が減る。また、ゴミ箱があるところは、人通りが少ないところだから、人的被害が減る。いずれも、被害を減らすから、テロの目的にはならない」

 では、なぜ、「ゴミ箱でテロ」という発想が生じたのか? その理由は、こうだ。
 「テロではなくて、いたずらなら、ゴミ箱の利用が多かった。ゴミ箱で発火させた事件は何度もあった。」
 いたずらの場合には、被害があると困るから、あえて大被害を減らすように、人のいないゴミ箱だけで、ゴミを発火させるわけだ。

 以上のことから、次のように結論できる。
 「ゴミ箱を利用するのは、テロの場合ではなくて、いたずらの場合である。ゴミ箱は、被害を増やすためではなく、被害を減らすためにある」
 したがって、こう評価できる。
 「ゴミ箱を減らすと、ゴミ箱を使ういたずらが、人のいる場所でのいたずらに転じて、かえって被害を増やす恐れがある。一方、テロについては、もともとゴミ箱は関係ないので、何の影響もない。増えも減りもしない」
 で、はっきりしているのは、こうだ。
 「ゴミ箱を撤去することで、人々に、見当違いの理由で、不便さをもたらす。たとえれば、こうだ。
 「テロ防止のために、トイレの利用を禁止します。立ち小便か野ぐそをしてください」
 「テロ防止のために、食器の回収を停止します。食器は購入した上で、自宅まで持って帰ってください」
 「テロ防止のために、着衣を禁止します。裸で勤務してください」
 こんなことをやっても、テロリストには何の影響もないから、テロ防止には何の効果もないのだが、これで効果があると勘違いするわけだ。それが「ゴミ箱の撤去」である。
 で、その理由は、「思考停止」である。

 何だか、ライブドア問題と、似ていますね。(……民主党の状況とも似ていますね。)


● ニュースと感想  (3月28日b)

 「永田メール問題」について。
 「永田メール問題について疑問が残るから、国会に情報提供者を喚問せよ」という声がある。しかし、疑問があるのは、事実が不明だからだというよりは、人々の頭が混乱しているからだ。究明すべきは、情報提供者ではなくて、人々の頭の方だ。
 疑問とは何か? 民主党の言う、次の二点が両立しないことだ。
 (1)「民主党は金を払っていない」(書籍代として千円×400冊の代金と消費税を払っただけ)
 (2)「民主党はだまされた被害者である」
 この二つ(二項目)を聞いて、「腑に落ちない」と人々は思う。当り前だ。この二つは、論理的に両立しないからだ。

 まず、事実は何か? 常識的に考えると、次のことだ。
 「民主党は、詐欺にあった。だまされて、金を払った」
 これなら、納得が行く。馬鹿な政党が詐欺師にだまされた、という図式だ。
 しかし、この図式でいうならば、民主党は詐欺師に金を払ったことになる。で、金を払ったならば、第1項(金を払っていない)に反する。第1項が成立しない。ゆえに、図式が成立せず、矛盾。
 では、第1項が成立するとしよう。すると、「金を払っていない」(書籍代は別の取引だ)と見なすことになる。その場合は、情報提供者は、詐欺で情報を渡したのではなくて、無料でニセ情報を渡したことになる。つまり、何の悪意もなく、ただのジョークを言っただけにすぎない、というふうになる。本質的に言えば、「金を奪う目的で嘘をついた」のは詐欺であるが、「金を奪う目的なしに嘘をついた」のはただのジョークであって詐欺ではない。したがって、民主党は、単にジョークを真に受けた馬鹿であるにすぎず、詐欺師にだまされた被害者ではない。ゆえに、第2項に反する。

 というわけで、金を払ったとすれば、第1項が成立せず矛盾。金を払っていないとすれば、第2項が成立せずに矛盾。どっちにしろ、矛盾する。……これはなぜかといえば、もともと、最初の二項目が成立しないからだ。つまり、「二項目が成立する」と述べた民主党の弁明が、虚偽であったことになる。ここに根源がある。

 では、本当は? もちろん、前述の通り、
 「民主党は、詐欺にあった。だまされて、金を払った」
 ということだ。二項目と比較すれば、「金を払った」というところが異なる。「(だまされて)金を払った」と正直に言えばいいのに、「金を払っていない」と嘘をつくから、ほころびが出る。
 いつまでたっても、嘘つき政党。ボロを出しっぱなし。(そのまた根源を言えば、前原が辞任しないのが悪い。無責任な党首が居座るから、責任を取れないまま、党全体が国民から見放される。)


● ニュースと感想  (3月28日c)

 「ハゲタカファンドの是非 1」について。
 小林慶一郎が例によって経済の時事問題を論じている。
 「マネーゲームやハゲタカファンドは、世間では虚業と見なされて、悪として扱われるが、社会の効率化に役立っているので、非常に有益である」
 という趣旨。(朝日・朝刊 2006-03-27 )

 この人は本当に大した詭弁家だ。一見、論理には穴がないので、たいていの人はコロリとだまされてしまうだろう。この人の話を読んで、どこに問題があるか、関心のある人は自分で調べて、考えてほしい。(私の解説は、翌日分で。)


● ニュースと感想  (3月29日)

 「ハゲタカファンドの是非 2」について。
 前日分の続き。
 小林慶一郎の意見の趣旨は、次の通り。(前日分と同じ記述。)
 「マネーゲームやハゲタカファンドは、世間では虚業と見なされて、悪として扱われるが、社会の効率化に役立っているので、非常に有益である」
 この論理のどこに、穴があるか? 実は、論理には、穴はない。ただし、前提が間違っている。そのせいで、全体はなかば空論にすぎないのだが、そのことが見抜きにくいのである。

 まず、本質を言おう。この意見の趣旨は、次のように言える。
 「不良債権処理は、経済を効率化するので、正しい。それは金融システムによってなされる」
 この趣旨のもとで、次のように結論する。
 「ハゲタカファンドは、社会のゴミを片付けるので、有益だ」
 「マネーゲームというものは、虚業ではなくて、金融システムの役に立つ」
 この意見そのものは、間違いではない。ひるがえって、「ライブドアは虚業だ」とか「マネーゲームは悪だ」とかいう、世間一般の意見は、明らかに間違っている。というわけで、小林の意見は、世間一般の意見に比べれば、はるかに正しい。

 では、彼の意見は、どこに問題があるか? そのことを知るには、次のことを考えればいい。
 「トヨタやキヤノンのような優良な企業を、不正経理があったという理由で上場廃止にして、解体して、株価を暴落させる。それを、外資に買い占められてしまう」
 こういうことをしたら、日本の優良な企業は、みんな外資に買い占められてしまう。いったん株価を暴落させた上で、外資に売って、高値に戻ってから、今度は国内資金で購入する。……結果的に、日本人の汗水垂らして稼いだ金が、濡れ手で粟で、外国人のものになってしまう。搾取であり、奴隷化だ。
 こういうことはもちろん、好ましくない。当り前だ。ところが、小林流の意見によると、「駄目になった企業を健全化するから、日本人が奴隷になるのは好ましいことだ」という結論になってしまう。
 要するに、形式的な論理ばかりにとらわれて、全体的な本質を見失うから、自分が何を主張しているか、さっぱりわからないのだ。

 では、小林は、どこをどう間違えているのか? 間違いは、論理ではなく、前提にある。その前提は、こうだ。
 「状況が一定である」
 この前提(または仮定)のもとでは、小林の意見は完全に正しい。たとえば、「日本の企業がみんなゴミ企業である」という前提のもとでは、ゴミを外資に買いあさってもらった方がいい。
 しかし、現実には、次のようになる。
 「状況が一定ではない」
 これには、次の二通りがある。
 「良い経済が、悪い経済になる」
 「悪い経済が、良い経済になる」
 
 第一に、「良い経済が、悪い経済になる」という場合には、ハゲタカ企業を利用するべきではない。たとえば、ソニーが一時的に赤字になったからといって、ソニーを切り売りしてハゲタカファンドに与えるべきではない。同様に、日本経済全体が悪化したからといって、日本経済全体を外資に切り売りするべきではない。では、かわりに、どうすればいいか? (それは以下で。)
 第二に、「悪い経済が、良い経済になる」という場合がある。これこそが、正しい処方だ。比喩的に言うと、牛が病気になったときには、牛を解体してバラ売りするべきではなく、牛の病気を治せばよい。小林の発想は、「肝臓が悪化したから、悪化が全体にひろがらないうちに、解体してバラ売りいい。そうすれば、肝臓だけは安値でになが、他の部分は高値になるので、うまく収益を得る」というようなものだ。ここでは、「全体を改善する」という発想がない。つまり、マクロ的な発想がない。

 結語。
 小林の意見は、「状況は一定である」と仮定した上で、「その状況における最適行動を取る」という古典派の原理を取る。そこには、「(全体の)状況を変える」というマクロ的な発想が欠けている。そのせいで、部分的に正しいことをやりながら、全体像としては見当違いなことをやってしまうのである。

 ハゲタカファンドに即して言おう。「不良な企業が続出する」という状況を前提とすれば、ハゲタカファンドは社会に有益である。しかし、だからといって、「不良な企業が続出する」という状況を放置していいわけではない。正しくは、「不良な企業が続出する」という状況そのものを、変えることだ。つまり、ハゲタカファンドを「悪だ」と見なして排除するかわりに、ハゲタカファンドを必要としないように経済状況そのものを変えることだ。
 大切なのは、不況のなかで最適化を図ることではなく、不況そのものを完全解決することだ。

 [ 付記 ]
 なお、不況そのものを完全解決するためには、不良債権処理というのは、有益であるどころか、有害なのである。ここに、不良債権処理の問題がある。
 この問題については、話が大きくなるので、ここでは述べない。別のところでいろいろと述べたので、そちらを参照。( → サイト内検索
( ※ 簡単に済む話ではない。長々と大量の文書を読む必要がある。簡単に済ませたければ  → 不良債権処理物語


● ニュースと感想  (3月29日b)

 「民主党の混迷」について。
 民主党が混迷状態であるが、その理由は、何か? いろいろと考えたところ、根源的な理由は、こうだろう。
 「党首の方針が、民主主義を基本としておらず、独裁主義を基本としていること」
 これはどういうことかというと、以下のことから来る。

 そもそも、党の責任体制は、次のいずれかである。
  ・ 集団決定で、集団責任
  ・ 単独決定で、単独責任
 前者ならば、多数の人々が議論して決定し、決定した内容については人々が集団で責任を負う。(ボトムアップふう)
 後者ならば、単独の党首が独断的に決定し、決定した内容については彼一人がすべての責任を負う。(トップダウンふう)
 そのいずれであっても構わない。どちらにするかは、党首のスタイルによる。

 では、前原は、どうか? こうだ。
 「単独決定で、集団責任」
 つまり、決定するのは自分一人であるが、失敗した責任は(自分でなく)集団で負う。決定するときはトップダウンふうで、責任を追及されそうになったらボトムアップふうにする。── つまりは、「いいとこ取り」であるが、正確には、「自分勝手なつまみ食い」である。エゴゆえの、ご都合主義。
 これは要するに、「無責任な独裁主義」と言える。フセインや金正日と同様だ。何でもかんでも好き勝手に自分一人で決めるが、失敗した責任は自分では負わない。そのせいで、国家または党を崩壊に導く。
 今の民主党は、フセインのイラクや、金正日の北朝鮮と、同じ状態にある。独裁者の暴走を食い止めることができず、誰も責任を取らない。そのせいで、党の全体を崩壊に導く。
 こう理解すれば、民主党の混迷状態が理解できる。無責任な独裁者が暴走し、党内で自浄作用が働かない。かくて、体内にウィルスが蔓延した病人のように、どうしようもない病的状態となる。放置すれば、死に至るが、それを自分で理解できない。彼らに与えるべき言葉は、こうだ。
 「馬鹿は死ななきゃ治らない」


● ニュースと感想  (3月30日+)

 「シュレーディンガーの猫」について、核心を示すページを新たに作りました。
   → シュレーディンガーの猫の核心   (初級〜中級)


● ニュースと感想  (3月30日)

 「さおだけ屋の書評」について。
 ちょっと古い話だが、朝日新聞の週末版 be で、この本を大々的に紹介していた。( → 該当サイト
 ま、ベストセラーになっただけあって、これは悪い本ではない。スラスラと読める。とはいえ、悪くはないが、たいして良くもない。要するに、水っぽすぎるのだ。面白おかしく読めるが、それだけ。内容稀薄。あとには何も残らない。まともな教養書のように、ためになる本ではなくて、ただの暇つぶし。(子供にとっての携帯ゲームのようなもの。ただの暇つぶし。)
 とはいえ、暇つぶしのために本を読む、というのは、別に悪くはない。夕刊紙だって、たいていはただの暇つぶしだ。そういうものの存在価値がないわけではない。パチンコに何千円もかけるくらいなら、新書に千円以下の金を払って、いったん読んだあとは他人にプレゼントする方が、ずっと効果的だ。その意味で、どんな内容稀薄な本であれ、暇つぶしのための価値というものは、ちゃんとある。

 問題は、そこを誤解することだ。売れているからというだけで、大々的に紹介する。内容が良いか悪いかの評価はなくて、単に「売れているから勝者だ」という論理で、持ち上げる。
 この論理は、ホリエモンの「金がすべて」というのに似ている。ま、企業経営者なら、「売れているから勝者だ」と思うのは当り前かもしれない。だが、書籍の紹介で、「売れているから勝者だ」という論理で称賛するのは、ホリエモンや経営者よりも、はるかにひどい。ホリエモンは個人的な価値観を語っただけだが、朝日はその価値観を読者に押しつけようとしている。金儲け至上主義の賛美。
 ま、そういう賛美があっていけないというわけではない。しかし、今、語るべきことは、ライブドア問題であれ何であれ、真実だろう。なのに、真実を語る言葉はろくになく、虚偽の言葉ばかり。あるいは、どうでもいいことばかりを、大々的に語る。……情けない。志が低すぎる。イエロー・ジャーナリズムと言える。ジャーナリストでありながら、他人の得た金を見て、羨ましいとしか考えられない連中だ。少しは自分のことを恥じたらいいのだが。厚顔無恥すぎる。

 内容稀薄なものについて、内容の是非を問わず、単に「売れているからすばらしい」というふうにだけ称賛すること。「売れればいい」という発想。「内容が空っぽだ」ということには、一言も触れない。……これは、一種の詐欺である。「暇つぶしだ」とわかっていて買う人はそれでいいが、「ためになる本だ」と思って買った人は、だまされたことになる。特に、立ち読みもしないで、「天下の朝日新聞が大々的に取り上げているのだから、稀に見るすばらしい本だ」と勘違いしてネットで注文する人がたくさんいるはずだし、その人たちにとっては、朝日新聞は詐欺に加担しているのと同じだ。
( ※ で、こういう連中ばかりだから、ライブドア事件でも、虚報ばかりをばらまいて、少しも恥じることがないんですね。)

 [ 付記 ]
 で、「そういうおまえはどうなんだ。真面目に真実だけを語るのか?」と思う人もいるだろう。で、「はい」と答えたら、「じゃ、つまんないから、買うのはやーめた」となりそうだ。
 というわけで、私の話は、真実だけじゃなくて、さおだけ屋みたいな軽薄な話を含みます。(ホリー・レモンの話みたいに。)
 「だったらおまえも、同じ穴のムジナだな」
 と思われそうだが……はい、そうです。すみません。でもまあ、どうせ面白おかしく書くのなら、さおだけ屋よりはずっと面白おかしく(不真面目に)書きます。「じゃ、おまえの方が不真面目だ」と言われたら……やっぱり、すみません。


● ニュースと感想  (3月31日)

 「オリエンタルランドの不正経理」について。
 オリエンタルランドが不正経理(粉飾)をしていたことがわかった。
 【 オリエンタルランド申告漏れ 総額12億円 会社側は異議 】
 東京ディズニーランドなどの運営会社「オリエンタルランド」が東京国税局の税務調査を受け、平成十七年三月期までの七年間に、約十二億円の申告漏れを指摘された。
 約三億円については課税対象の交際費に当たると指摘され、仮装・隠蔽(いんぺい)を伴う所得隠しとされた。
 取引先企業に東京ディズニーランドなどの一日優待券を配り、販売促進費として経費計上していたが、国税局はこれも交際費と認定し、約九億円の申告漏れを指摘した。
( → Yahoo ニュース
 この事件を、ライブドアの場合と比較すると、次の通り。
 当然ながら、検察はオリエンタルランドの経営者を根こそぎ逮捕して豚箱に入れるべきだし、経営者が犯意を否定している限りは釈放してはならない。ホリエモンの場合と同様。公平性の観点からは、そうなりますね。
 もちろん、本当は、どちらも書類送検が妥当だ。ただし、ライブドアでは逮捕だから、今回も逮捕すべきというのが、論理的な帰結である。

 どこかおかしいか? 実は、これは、「われわれが論理的である(正気である)」ということを前提とした上での、論理的な帰結である。われわれが論理的でない(狂気である)とすれば、このことは成立しない。……そして、それが、現状だ。

 [ 付記 ]
 似た事例に、NECの子会社の不正経理事件がある。( → 3月24日b
 この事件では、利益がないのにあるように見せかけたという「架空利益」の不正。一方、ライブドアは、利益の項目の付け替え。というわけで、この事件もまた、ライブドアよりも悪質である。( nando ブログでも指摘されたとおり。)


● ニュースと感想  (3月31日b)

 「株式分割とマスコミ報道」について。
 マスコミによるライブドア批判として、「市場を悪用した。株式分割によって、株主をだまして、株価を大幅に上昇させた」という説があふれている。たとえば、次のように。
 ライブドアはホームページ作成の代行という小さな事業から身を起こし、上場からわずか5年で、一時は株式時価総額が1兆円に近いグループになった。  その原動力が、株式の超細分化、株式交換による企業買収と粉飾だった。
 株式分割をすると、株券印刷に時間がかかるため、一時的に「売り」が減り、株価が上昇しやすくなる。ライブドアはこのパターンを徹底的に悪用した。  株価上昇で膨らんだ巨額の時価総額をテコに、株式交換で次々に企業を買収した。すると、株価がさらに上昇する、という循環が生じた。
 かつてのように間接金融が中心なら、……こうした株の買い集めは不可能だっただろう。しかし、証券市場のマジックがそれを可能にした。
( → 読売・社説 2006-03-14 朝日社説 2006-03-15 も同趣旨。)
 この説では、ライブドアは市場を悪用して、株価を暴騰させた、ということになっている。では、本当にそうか? 
 同日(14日)の読売・経済面に、株価の推移が出ている。肝心の百分割の時点では、次のようになっている。(分割による形式的な変動を調整した実質値)
 結局、最大でも、250円から1800円へと、約七倍にしか上がっていない。しかも、そうなったのは、ごく短期間だけ。一瞬と見なしてもいい。まもなく、元の水準に戻った。
 要するに、一時的に株価不足などの混乱で、株価は上昇したが、その上昇した株価で購入した人は少ない。まもなく元の水準に戻ったのだし、近鉄買収騒ぎで急上昇した時点ですら、600円程度にしかならなかった。

 結局、「株式分割で株価が急騰した」ということは、なかったのだ。実際にあったのは、「株式分割の直後には、市場の混乱で、ごく一時的に株価が上昇したことがあった」というだけのことだった。その後も永続的に株価が上昇した、というようなことは、まったくなかった。
 ま、株式分割をすれば、八百屋なの「一山売り」を「バラ売り」にしたのと同様で、買いやすくなるので、いくらかは株価が上昇する効果はある。実際、買いやすくなったおかげで、二割ぐらいは、上昇したかもしれない。しかし、せいぜい、その程度である。「市場を操作して、株主をだまして、莫大な金をかすめ取った」というようなことは、なかった。「株式分割をすれば、せっせと株を買う」というほど、株主は愚かではないのだ。読売の社説は、株主を馬鹿にしすぎている。朝三暮四の猿みたいな馬鹿じゃないんだから、計算ができないわけではない。「株式分割で株を百倍にしたら、株の価値が百倍に増えるので、金を百倍も払う」と思っているのは、計算のできない読売の社説執筆者だけだ。実際の株主は、そんな馬鹿ではないのだ。
 「馬鹿な株主をだましたライブドアは、悪質だ」
 という社説の論旨は、完全に破綻している。それは計算のできない計算音痴の主張である。実際には、株主は馬鹿ではないし、株式分割でだまされたこともないし、株価が急上昇の状態を保ったということもない。……つまり、誰もだまされなかったし、会社は誰もだまさなかった。
 「ライブドアは株主をだました」
 と主張している読売(などのマスコミ)こそが、世間をだましているのである。

 [ 付記 ]
 実は、株式分割なら、Yahoo だって十回以上もやらかしている。(なぜかというと、株価が急上昇したから。)……だから、Yahooも同じように悪質だ、ということはなくて、本当は、株式分割なんて、ほとんど意味はないのだ。ところが、馬鹿な人は、「株式分割をしたから、株価が上がったのだ、錬金術だ」と言うし、もっと大馬鹿な人は、「株式分割をしたから、株価が上がったのだ、錬金術だ」というのは、ライブドアには当てはまるが Yahoo には当てはまらない、というふうに矛盾したことを言い出す。


● ニュースと感想  (4月01日)

 「橋本元首相の問題」について。
 自民党旧橋本派への裏献金事件で、「検察の主張は誤り」という無罪判決が出た。
 【 村岡元官房長官に無罪判決 東京地裁 】
 日本歯科医師連盟(日歯連)から自民党旧橋本派への1億円裏献金事件で、政治資金規正法違反(不記載)に問われた元官房長官、村岡兼造被告(74)に対し、東京地裁は30日、無罪(求刑・禁固1年)を言い渡した。
 検察側が立証の柱とした同派元会計責任者、滝川俊行元被告(57)=同法違反で有罪確定=の証言について、川口政明裁判長は「派閥会長だった橋本龍太郎元首相や自民党の元宿仁事務局長に累が及ぶのを阻止するため、虚偽の供述をした可能性がある」と指摘し、信用性を否定した。
 虚偽供述の理由について、判決は、1億円は橋本元首相個人への献金で、領収書不発行が元首相の意向である可能性に言及。「橋本元首相に累が及び、平成研(派閥)が大打撃を受ける事態だけは避けたいと考えるのが自然」と指摘した。
( → Yahoo ニュース
「  つまりは、検察が「村岡被告人はこれこれの罪をなした」というふうに主張したのは、でっち上げだったのだ。これは、不思議ではない。事件の当初は、検察が「被告人はこんなに悪いことをやったのだ」と主張し、マスコミはそういう情報ばかりを流したが、その後、村岡被告人の言い分を掲載するようになった。

 村岡被告人 「私は絶対にやっていない。私は絶対無実だ。はめられただけだ」
 他の橋本派 「何とも言えません」「覚えておりません」「記憶にありません」

 これらを聞けば、どう考えたって、この人は無罪だ。そして、真の犯罪者は、橋本派の方だ。
 つまり、事件の構図は、裁判所の指摘したとおりであろう。こうだ。
 「橋本派の幹部(橋本本人)が金を受け取った」
 そして、その金の使途は、
 「橋本派は関与していない」
 というのが証言で裏付けられている。とすれば、結論はただ一つ。
 「橋本本人が個人として1億円を頂戴した」
 ということだ。これが真相であろう。

 で、マスコミは、「橋本氏の責任を追及せよ」なんてことを言っているが、問題を探るには、見当違いであろう。真の問題は、こうだ。
 「検察が事件をでっち上げた。本丸である橋本本人を容疑からはずし、他の元議員を血祭りに上げることで、事件を落着させようとした」
 つまり、「元首相の犯罪」という大事件を隠蔽するために、別の小さな元議員を血祭りに上げたわけだ。もう少し正確に言えば、こうだ。
 「大事件を隠蔽するのは、政治的な思惑だから、検察自体には、その思惑はなかった。しかし、首相と法相には、その思惑があった。ゆえに、検察としては、首相と法相の許可を得られないような、元首相の起訴はできなかった。かといって、誰も逮捕しないのでは、検察のメンツがすたる。そこで、とりあえず誰かを、犯人に仕立て上げる必要がある。かくて、官邸と検察との妥協で、『揉み消しと大事件の中間』というふうに『足して二で割る』形で、『中間幹部の起訴』というふうに、事件をでっち上げた。これで、官邸としては受け入れられるし、検察としてもメンツが立つので、妥協できた。とはいえ、それは、真実とはほど遠いものだった。」
 こういうふうに、事件がでっち上げられたわけだ。単純に言えば、
 「官邸と検察の共謀による、事件のでっち上げ」
 である。

 で、これはまあ、私がライブドア事件について推測した図式と、そっくりだ。( → 3月16日3月14日

 [ 付記 ]
 橋本派については、「15億円の政治資金の虚偽記載」という別の問題もある。 ( → google 検索
 こちらは、虚偽記載であるから、「不正経理」にあたり、ライブドア事件と同様の問題である。どちらかと言えば、こちらの方が悪質だ。ライブドア事件では、帳簿の項目を間違えただけだが、こちらでは、使途不明金という形で、金の行方がまったくわからなくなっている。「政治資金」の形で無税で金を受け取っておきながら、どこかに勝手に使ってしまっているわけだ。「詐欺」と「脱税」の共存である。
 で、誰か、逮捕されたか? 誰も逮捕されない。検察は立件さえもしていない。ひどいものだ。
 前日でも、オリエンタルランドの話をしたが、検察というのがいかにデタラメなのか、よくわかる。「勘違い」や「でっち上げ」や「国策捜査」なんて、容易に起こるのだ。
 とにかく、本項の趣旨は、「検察のデタラメさ」だ。「検察のやることは正しいはずだから、ライブドアは悪をなしたのだ」なんて感じているマスコミ連中は、今回の判決の重みを、よく理解するべきだ。


● ニュースと感想  (4月01日b)

 「エイプリルフール」について。
 四月馬鹿の画像ジョークがあります。
 だまされたい人は、この画像をご覧ください。
 (だまされて怒る人は、ご遠慮下さい。)
  → Open ブログ


● ニュースと感想  (4月02日)

 「前原の辞任」について。
 前原が党代表を辞任する意向を決めた。(各社報道 2006-03-31 )
 やっと遅まきながら決めた、ということだ。で、私の評価は? 
 「彼は決断が遅すぎた。出処進退の時期を間違えた」
 どうせ辞任することになるのなら、さっさと辞任すればよかったのだ。そうすれば、民主党本体は傷つかずに済んだはずだし、前原もまたサンドバッグみたいに打たれてボロボロにならずに済んだはずだ。単に時期を間違わないだけで、党も国民も本人も、すべて傷を浅く済ますことができた。なのに、「一度決めた方針を変えない」という本人の頑なさのせいで、誰もが深い傷を負った。(得をしたのは自民党だけ。)
 さらには、続報の形で、「永田議員も議員辞職」ということが判明した。前原と永田のどちらか一方がやめるならまだわかるが、双方がやめるのでは最悪だろう。特に、せっかくの議席を捨てるというのは、ほとんど命を捨てるようなもので、「嘘つきで死刑」に相当する。罪と罰のバランスが取れない。(ひるがえって、前日の橋本元首相なんか、嘘のつき放題である。)

 民主党はまったく、愚かとしか言いようがないね。これまで読者は、私の書いた「前原はさっさと党代表をやめろ」という意見を聞いて、「南堂は民主党の悪口ばかりを言っている、アンチ民主党だな」と思ったこともあるかもしれない。だが、結果的には、私の言うとおりにしておけば、民主党はかえって傷を浅く済ますことができたはずなのだ。(別に、それが目的ではなくて、単に道理を説いただけだったが。)
 というわけで、「小泉の波立ち」を読んで理解すれば、ものの道理がわかるし、物事の本質もわかる。それゆえ、誰であれ、得をするのである。
 「ふん、小泉の波立ちなんて、トンデモだから、信じるものか」と思っていると、前原や民主党みたいに、大損するのだ。

( ※ ついでだが、一事が万事である。ライブドア事件であれ、景気対策であれ、私の言うことをトンデモ扱いすると、大損をする。── 「何だ、それが言いたかったの?」と言われそうだが、……はい、そうです。すみません。)
( ※ 小泉の波立ちは、営利目的でも政治目的でもありませんが、たまに自己宣伝をすることがあります。  (^^); )


● ニュースと感想  (4月03日)

 「歩く住宅」について。
 お暇な人は、暇つぶしに、次の冗談をご覧ください。
  → Open ブログ (歩く住宅、というネタ。)
 なお、その次の項では、他サイトの四月馬鹿の記事をたくさん紹介しています。(「四月馬鹿の記事」という項。)


● ニュースと感想  (4月03日b)

 「マスコミの粉飾の例」について。
 マスコミがいかにライブドア事件を粉飾して、世間を偽っているか、ということの、実例を示す。(前にも似たような話をしたので、ちょっと重複気味であるが。)

 朝日新聞(朝刊・社会面 2006-03-14 ,サイト )に、次の趣旨の記載がある。
 「証取法の規定で、虚偽記載に対しては、会社側に株主への賠償責任がある。今回の事件で算定すると、1株あたり570円である」
 こういうふうにして、「株主は1株あたり570円を受け取ることができる」という趣旨の話を掲載する。しかし、これは、論理的に成立しない。

 第一に、因果関係を偽っている。事件の直後に株価が下落したのは、「ライブドアが粉飾した」とバレたからではなくて、検察が捜索したからだ。これによって下落した分は、どれだけか? 事件直後の取引開始の根である137円との差額だ。さらに、その後、70円以下にまで下がった。これは、東証が「上場廃止」と叫ぶたびに生じた下落である。この二つは、東証による下落だ。因果関係で言えば、下落の原因は、検察と東証である。この責任をライブドアに負わせることはできない。当然、損害賠償は、ありえない。
 比喩的に言えば、誰かが不正な喧嘩をしたとき、それを見ていた運転手が、よそ見運転のせいで事故を起こしたなら、その責任は、よそ見運転をしていた運転手にあるのであって、不正な喧嘩をしていた当人にあるのではない。「不正なことをしたあいつが原因だ」というふうに、喧嘩をしていた当人を訴えることはできない。
 ライブドアが不正経理をしたとしても、それに付随して生じた別の事件については、ライブドア自体は責任を負わない。付随して生じた別の事件(過剰捜査・上場廃止処分)については、検察と東証に責任があり、ライブドアにあるのではない。ライブドアは別に、過剰捜査や上場廃止を頼んだわけではないからだ。
 また、過剰捜査・上場廃止処分は、それが適正なものであれば問題ないが、今回に限っては、「微罪で死刑」というような不適正な(ほとんど違法に近い)処置である。検察と東証がほとんど違法に近いことをやったのが原因なのだから、そんなことの賠償をライブドアが負うはずがない。

 第二に、損害賠償はまったく不可能だというわけではないが、それで可能な分は、不正経理による下落の分だけだ。それは、おおざっぱに見て、1割程度である。仮に、朝日のように「570円」と算定したとしたら、「不正経理がバレたから570円の下落があった」ということになるから、「不正経理をしたことで570円の上昇があった」ということになる。しかし、たった50億円の粉飾で、株価が70円から640円まで上がるなんて、そんなことがあるのか? 経済的に、ありえない。こういうメチャクチャなことを想定している記事こそ、粉飾の見本である。

 第三に、損害賠償の基準額は、「実際に損をした金額」であって、「儲け損ねた金額」ではない。「あのときにはものすごく高かったから、そのときに売れば儲かったはずだ」なんて、捕らぬタヌキの皮算用をしても、駄目である。
 ここで重要なのは、2004年9月から2005年9月までの間に、株価上昇があった、ということだ。たしかにその期間の株価は、不正経理という虚偽によって、株価は上乗せされていた。(たとえば50円か100円。)一方、その時期には、経営を改善したことで、株価を上昇させた。(300円以上。この分は、不正経理と関係ない。)
 要するに、粉飾で上乗せされた額は、50円か100円であり、その分は「不正経理の判明」によって下落して当然だが、一方、「業績向上」によって、株価はなく実態によって、株価を 300円以上も上昇させた。差し引きして、200円以上の上昇である。この分は、株主の得である。
 というわけで、2004年9月から2005年9月までの間に株を買った株主は、損害賠償を受ける権利がない。

 結語。
 損害に対しては、損害賠償を訴えることはできるが、利益を得たことについては、損害賠償を訴えることはできない。
 また、実損がないのに、「もっと儲かるはずだったが、儲かるはずの分を儲けそこねたから、その分を寄越せ」というふうに、欲の皮の張った主張をしても、そんな主張は受け入れられない。一方で「ライブドアは悪魔だから金を奪った」と主張し、一方で「ライブドアは天使だから金を与えてくれる義務がある」と主張しても、論理が矛盾している。
 こんなデタラメな主張をして、「損害を補償せよ」と主張しても、まともな論理にはならない。これをまともな論理のごとく報道するマスコミは、粉飾報道をしている。それはいわば、
 「ライブドアは天使なんだから、天使としての義務を果たすべきだ。天使としての役割を果たさないとしたら、ライブドアは悪魔であり、許せない」
 という論理である。目茶苦茶のきわみ。


● ニュースと感想  (4月04日)

 「51億円の脱税」について。
 ライブドアは 53億円の不正経理(利益過剰)で起訴されたが、別の会社は 51億の不正経理(利益過少・脱税)でも起訴されず、重加算税だけで済むらしい。
 
 大手ゲームソフトメーカー「カプコン」(大阪市)は31日、大阪国税局の税務調査を受け、移転価格税制に基づき2005年3月期までの6年間に約51億2000万円の申告漏れを指摘されたと発表した。追徴税額は過少申告加算税を含め約12億円(地方税を含めると約17億円)。
 化学薬品メーカー「上村工業」(同市)も、同国税局の税務調査で04年3月期までの5年間に約24億円の申告漏れを指摘されたと発表。追徴税額は過少申告加算税を含め約7億円(地方税を含めると11億円)という。
 いずれも、国内外の親子会社間で所得を調整するのを防ぐため設けられた移転価格税制に基づくもので、両社は不服申し立てをする方針。
( → Yahoo ニュース
 先日は、オリエンタルランドの脱税があった。ま、この手の脱税は、わんさとある。ライブドアの「脱税の逆」なんて、かわいいものです。(理由は、前日分の話から。)


● ニュースと感想  (4月04日b)

 「前原と永田の関係」について。
 前原が辞任する。ここでは、前原は自分の党首としての責任を認めたから、辞任するわけだ。これは当然のことだと言える。
 さて。これをライブドア事件における変な論理に当てはめると、次のようになるだろう。

 ライブドア事件:
 「ライブドアが嘘をついて、株主が損害(株価下落)をこうむった。ゆえに、ライブドアは株主の金を盗んだのである。ライブドアは株主に対して、盗んだ金を賠償するべきだ。」

 民主党事件:
 「永田と前原が嘘をついて、党が損害(支持率低下)をこうむった。ゆえに、永田と前原は、党の票を盗んだのである。永田と前原は党に対して、盗んだ票を賠償するべきだ。」

 こういうふうに、党は永田と前原に損害賠償を請求するべきだ。とりあえずは、永田と前原の自宅を家宅捜索して、どこに票が隠されているか、調べるべきだろう。特に、検察は、家宅捜索するといい。で、票が見つからなかったなら、「どこに隠したか」を白状するまで、「反省の色なし」と見なして、豚箱に入れ続けるのである。すると世間は、「正義の味方の検察さま」と、拍手を送るのだ。(……その次に豚箱に入るのは、彼らの番ですけどね。)

 [ 付記 ]
 なんだか、エイプリル・フールみたいですね。  (^^); 
 しかし実を言うと、今の日本は、毎日がエイプリル・フールの馬鹿騒ぎである。正気が狂気、狂気が正気。  ( cf. きれいはきたない、きたないはきれい。)


● ニュースと感想  (4月04日c)

 「前原の馬鹿さ加減」について。
 前原がまたとんでもないことを言い出した。
民主党の前原誠司代表は2日のNHKの番組で、……1000万円の資金提供を一時検討したことに関し、「野党として権力を握っていない状況の中で、さまざまな情報を得ようとした時、金銭のやりとりがあること自体、悪だとは全く思っていない」と述べ、今回のケースも含めて情報提供への対価を支払うことは必ずしも問題ではないとの見解を示した。
( → Yahoo ニュース
 これを読むと、「倫理的にけしからん」と思う人もいるだろうが、私は別に、そうは思わない。倫理問題自体で言うなら、情報を買おうが何を買おうが、それは政党の勝手であると思う。……ただし、政治家の個人的なポケットマネーであれば。
 しかるに、政党の公的支出をこんなことに使うとしたら、政党党交付金の流用に当たるので、詐欺も同然であろう。政党の経理において、この手の支出を「政党の政治活動資金」というふうに記入するとしたら、「私的に払うべき費用を、政党の公的支出に記入した」ということで、「不正経理」または「横領」となる。ならば、それを容認した党代表は、逮捕されて当然だ。つまり、前原が言っているのは、「自分は逮捕されるようなことをしている(しようとしている)」ということだ。
( ※ この件、ライブドア事件との関連。)

 なお、より根源的に言えば、次のことがある。
 「政党というものは、ライバル政党の失敗を見咎めて、揚げ足取りをするのは、政党の仕事ではない。政党の仕事は、国民の生活を向上させることである。それこそがまともな政治活動だ」
 自民党を叩きつぶすというのは、民主党の利益にはなるかもしれないが、国民の利益になるわけではない。そんなことは政治活動ではなくて、政党間の私的な喧嘩や争いにすぎない。そんなことをめざすのは、まともな政治家のあるべき姿ではないのだ。
 前原はどうも、「勝負(喧嘩)の勝ち負け」にばかりこだわって、やたらと強気にばかりなっている。勝負師か喧嘩屋ではあるが、政治家ではないね。体育会系かな。いわば、試合の勝ち負けだけが大事であり、「健全なスポーツで健康の増進」なんてことはまったく考えないタイプ。……馬鹿ですね。
 民主党はこいつに、だまされたことになる。こいつが一番の詐欺師かな。……いやはや、小泉は国民をだます詐欺師であり、前原は党内をだます詐欺師である。二人そろって、詐欺師兄弟。……仲良さそう。
 「 ♪ 僕の名前は、ジュン坊。僕の名前はマー坊。二人合わせて、ジュン・マーだい。きみと僕とで、詐欺きょうだい。 国民だまして、票もらう。国民だまして、金もらう。衆院選挙、国会質問、国民だましはお手の物。小さな嘘から、大きな嘘まで、嘘をつくなら、ジュン・マーきょうだいに!」
( ※ 嘘をつくのは、この二人の専売特許です。彼ら以外が嘘をつくと、専売特許違反により、検察に逮捕されて、豚箱に入れられます。)


● ニュースと感想  (4月05日)

 「美容整形の嘘」について。
 ライブドアが「不正経理」という「嘘つきの罪」で問題になっているが、一方、別の嘘つきもある。
新聞の折り込み広告についてのモニター調査結果を公表した。  それによると、美容外科広告の9割、健康食品広告の7割に、「法違反や説明不足、誤認の恐れがある表示」が見つかった。
美容外科広告(計32枚)の90・6%、健康食品の広告(計239枚)の72・8%に、「革新的若返り術」「副作用はなく、非常に安全」「体内の老化に働きかけます」などの表示があった。
( → Yahoo ニュース
 これは新聞の折り込み広告。チラシですね。ここに詐欺がわんさと混じっているわけだ。
 新聞は詐欺師のための媒体。詐欺師の片棒。……いや、新聞そのものが、嘘ばかり付いている詐欺師でもある。
 詐欺師は小泉と前原だけじゃない。(前日分を参照。ジュン・マー兄弟の話。)


● ニュースと感想  (4月05日b)

 「小泉政権の評価」について。
 前日分では、小泉を「詐欺師」と呼んだが、小泉政権の終末を迎えるに当たって、あらためて小泉政権の評価をしてみよう。
 よく考えると、初期のころの小泉は清新で期待をもたせた。その心根はとても良かったと思う。ただし、その後、方針がまったく狂った方向に進んだので、実際になしたことは竜頭蛇尾に終わった。これは羊頭狗肉とも言える。というわけで、私は小泉政権の本質を「詐欺師」と見なす。
 とはいえ、彼が本当の詐欺師と異なるのは、「だまそうとしてだました」わけではない、ということだ。悪意ゆえにだましたのではなかった。本人はだますつもりはないのに、結果的に国民をだます結果になった。
 では、なぜ? その根本原因は、「竹中に経済政策を委ねた」ということにある。そのせいで、国全体の経済政策がとんでもない方向に進んでしまった。

 ここまでわかると、次のように結論できそうだ。
 「本当の詐欺師は、竹中である。彼は口先だけの経済学者で、本当はおつむが空っぽなのに、自分を利口な経済学者と見せかけて、人々をだました。それに小泉もコロリと引っかかってしまった。かくて小泉は、詐欺師に経済政策を委ねることで、小泉政権全体が詐欺師政権になった」
 要するに、小泉は人選を間違えたわけだ。それというのも、詐欺師竹中に引っかかってしまったからだ。そういう詐欺師政権に、国民全体が引っかかって、「構造改革で世の中バラ色」という嘘にたぶらかされたわけだ。
 これが小泉政権の5年間である。


● ニュースと感想  (4月05日c)

 「泥棒の氾濫」について。
 Winny という泥棒ソフトの話。パソコン・マニア向け。(やや初歩的な解説。)
  Open ブログ


● ニュースと感想  (4月06日)

 「マスコミの愚かさの理由」について。
 前にも何度か述べたように、マスコミこそ「真の巨悪」と呼べる。その罪は、「だまされたこと」ではなくて、「だまされたことを指摘されても、いまだにその真実を告げずに、自分はだまされていないと言い張ること」である。

 さて。それはそれとして、別の問題がある。マスコミが「悪」であるのはともかく、マスコミが「愚か」であるというのは、どうしてなのか。……そういう問題だ。
 「なぜマスコミは、だまされたのか?」
 「なぜマスコミは、小泉首相の掌で踊らされるのか?」
 という問題だ。こういう疑問を感じる人は、たくさんいるだろう。そこで、解答を示す。

 理由は、簡単だ。小泉首相は、自分の好き勝手なように、マスコミをだましているのではない。それほどうまくマスコミを洗脳しているわけではない。
 実は、マスコミがだまされたがっているから、だまされるだけだ。マスコミがだまされたがっているように、そのためにご主人様である政府が、うまくだまして上げているだけだ。
 ご主人様が骨を投げると、犬は骨を拾いに行く。これは、ご主人様が犬をだましているのではなくて、犬が骨を拾いたいから、犬が骨を拾うだけだ。
 政府としては、ことさら催眠術でだましているのではない。マスコミがだまされたがっているから、そ状況に、ちょっと骨のような餌を振りまいただけだ。すると、あとはマスコミが勝手に、自分でだまされる。それだけのことだ。

 比喩的に言おう。「金利を年に 10%も払います」という高金利の募集がある。こんなものは、まともな人なら、誰だって信じない。しかし、「ズルをして金儲けをしてやろう」とたくらんでいる意地汚い連中がいる。そういう意地汚い連中に、「ズルとして高金利をもらえるんですよ。内緒でね」と教えると、ホイホイと金を払う。かくて、だまされる。……ここでは、自分がだまされたがっているから、だまされるのだ。ありもしないものを、「ある」と思い込みたがっているから、本当に「ある」と信じてしまうのだ。ほとんど新興宗教みたいないかがわしさである。
 で、マスコミもまた、その手に引っかかったわけだ。「マスコミの喜びそうなスキャンダルを投げてやれば、マスコミは引っかかるぞ」と小泉が企んだのは、もともとマスコミが「スキャンダルをほしい、ほしい」と思っているからなのだ。国民もまた、「スキャンダルをほしい、ほしい」と思っている。だから、政府がありもしないスキャンダルをでっち上げると、そのスキャンダルをホイホイと信じるのだ。高金利を信じる連中のように。
 一言で言えば、「意地汚さゆえの、判断力の喪失」である。

 ライブドア事件で言えば、小泉首相は、談合疑惑から目をそらせようとして、いけにえを求めた。その際、誰を逮捕するかが、問題となる。
 常識的には、「首相の政敵」(民主党や党内ライバル)をいけにえにする。しかし、あまりにも常識であるがゆえん、すぐにバレて、「権力の乱用」と非難されて、首相は面目を失う。それは、危険だ。
 そこで、政敵のかわりに、「マスコミの喜びそうな人」という基準で、いけにえを選ぶ。これなら、なかなかバレない。というか、マスコミは大喜びで、「欲しいものを得た」「ニュースのネタを得た」と思って、餌に食いつくはずだ。そのあげく、首相を非難するどころか、首相を賛美するはずだ。「おかげで売上げが増えました。おれたちマスコミ関係者は、財布に万札が増えました」と。
 ともあれ、マスコミは、貴・若問題のときと同様に、下らないワイドショー並みの愚劣な情報をまき散らす。視聴者舎に「受けるかどうか」だけで、報道の内容を決める。そこで、小泉が、彼らの望んでいる「受けるような話」を提供する。それがつまり、「時代の花形をスケープゴートにする」ということだ。
 かくて、マスコミは、目をくらまされる。談合隠しの目くらまし、まんまと成功。

 結局、だました方が悪だというよりは、だまされる方が愚かすぎるのだ。だまされたがっている奴をだますことほど、簡単なことはない。単に、彼らのほしい嘘を、提供してやるだけでいい。愚かな阿呆は、自分がだまされているということを、いささかたりとも疑いもしないものだ。「マスコミは悪を非難する正義の味方だ」とおだててやれば、調子に乗って、鼻高々になって、いけにえを踏みにじるのである。
 マスコミがだまされたとしたら、自分がいい気になれるようなネタばかりをいつも求めている自分自身が、あさましいからなのだ。高金利の利殖を求める連中があさましいように。
 だから、ここでは、詐欺師ばかりを責めても仕方ない。だまされる側が、自分自身を反省するのが先決だ。
 
 しかしながら、マスコミは現状では、だまされたままである。そこで私としては、人々に向けて、声を大きくして、こう叫ぶわけだ。
 「真実を見よ。マスコミの言うことを、頭ごなしに信じるな。自分の頭で考えよ」
 これが私の本当に主張したいことだ。誰かを非難することが目的ではない。なお、これを別の形で言い換えると、こうだ。
 「ライブドアが正しいとかホリエモンが正しいとか、そんなことを言いたいわけじゃない。国民全体が錯覚するべきではない。マスコミは国民を洗脳するために、虚報と誇大報道を垂れ流すよりは、隠された真実を示すべきだ。赤い微罪を針小棒大に拡大して見せるよりは、裏にひそんでいる巨大な黒い真実をあばくべきだ」
 真実の暴露。それこそが大切なのだ。

 [ 付記 ]
 私の主張に対して、「マスコミのせいにするのは、おかしい」と異議を唱える人もいる。「マスコミは不正を報道するのが使命だ。不正の報道をして、どこが悪いのか」と。
 しかし、これは、勘違いである。私は別に、「何もかもマスコミのせいだ」と述べているわけではない。また、「マスコミが不正の報道をすることがいけない」と述べているわけでもない。
 マスコミの責任は、ライブドアの報道が偏向していること自体ではない。言論の自由はあるのだから、偏った報道をする社が多少あったとしても、一向に差し支えない。
 問題は、偏った報道が存在することではなくて、偏っていない報道が存在しないことだ。虚報を述べることが問題なのではなくて、真実を述べる報道がほぼ皆無であることが問題なのだ。「報道すること」が罪なのではなく、「報道しないこと」が罪なのだ。
 これが私のマスコミ批判だ。デタラメなことを報道する社がどんなにあったとしても、朝日・読売・毎日のどれか一つか、あるいは、テレビ局のどれか一つかが、異を立てる意見を報道するのなら、何も問題はない。しかるに、現状では、すべてのマスコミは御用マスコミとなっている。大政翼賛会。
 そして、その根源は、マスコミが「自分は正しい」と自惚れていて、他者による批判にまったく耳を傾けないことだ。この反省の欠落こそ、問題の根源だ。

 [ 余談 ]
 ついでだが、「南堂の言っていることはおかしい」と思う人もいる。
 「政府やマスコミの言っていることは正しい。それに異を立てる南堂は、間違っている。世間の大勢の言うことこそ、多数決ゆえに、正しいのだ。世の中の隅っこにいる変人なんて、ただのトンデモだ」
 という解釈である。これはまあ、
 「洗脳されていることは素敵だ」
 というのと同じである。そしてまた、「洗脳されていることは素敵だ」というのは、洗脳された当人にとっては、まさしくその通りなのである。
 オウムだって何だって、「洗脳されるな」と他人が勧告しても、「いやだ、私は現状がいい」と言い張る。あくまでも、だまされたがる。そういう人はとても多い。彼らがいくら洗脳状態から脱せないとしても、仕方ない。
 私は首相でもマスコミでもないんだから、国民全員を逆の形で洗脳しよう、なんて思うことはない。私がやりたいのは、洗脳ではなくて、真実を訴えることだけだ。そして、真実の言葉を聞いて、覚醒できる人だけが覚醒すればいい。
 私がやるのは、真実の言葉を提供するだけだ。それを信じるかどうかは、読者しだいだ。「無理に信じろ」と逆に洗脳することはない。「ここに書いてあることが絶対的に正しいのだ」というふうに語ることはない。「世の中には、主流派とは異なり、別の意見がある」というふうに、意見を提供するだけだ。
 では、なぜ? そうするべきマスコミが、何もやらないからだ。情報を提供するべきマスコミが、情報を隠蔽してばかりいるからだ。
 とにかく、私が訴えたいことは、「真実の暴露」だけである。「ここに書いてあることを否応なしに信じろ」ということではなく、「ここに書いてあることを読んで、自分の頭で考えてください」ということだ。
 一方、「そんなのはいやだ。いつまでも政府とマスコミにだまされていたい」と思う人は、勝手にそうしていればいい。いちいち私に文句を言う必要はない。だまされたい人が、だまされ続けていても、私の知ったことではない。だまされたあげく、さらに弁護士連中に金を巻き上げられても、私の知ったことではない。


● ニュースと感想  (4月07日)

 「マスコミによる情報遮断と自己増殖」について。
 「官邸が原因」という説では、「官邸が検察に命じて、ライブドア検挙に向かわせた」と述べた。さて。こうだとして、検察は、自分があまりにも馬鹿げたことをやっていることを、自覚できないのだろうか? そしてまた、検察だけでなく、世間の多くの人々もまた、なぜ、その愚かな行為を自覚できないのだろうか? ……そういう疑問を、考えよう。

 (1) 情報遮断
 まず、基本的な原理を言えば、答えはこうだ。
 「マスコミが情報を遮断するから、必要な情報が届かない」
 つまり、「情報遮断による洗脳」である。そして、これが非常に有効であるということは、北朝鮮を見ればわかる。どんなにひどい状況でも、毎日、「偉大なる首領様」というテレビや日常活動で、しきりに洗脳し続ける。こうすると、情報を疑うということもなく、与えられた情報を鵜呑みにするようになる。

 こういうことがあるからこそ、「報道の自由」や「言論の自由」は、民主主義国家に置いては、不可欠なのである。それを擁護することは、おのれの生命を守るのと同じぐらい、重要なことだ。さもなくば、脳のないロボットのようになってしまう。あるいは、狂人といってもいい。……そして、それが今の、日本の現状だ。
 マスコミはふだん、「報道の自由」や「言論の自由」を重視するようなことを言っているが、いざ一大事となると、異論を封じて、ただ一色の意見を報じるようになることがある。ここでは、次の過程がある。

   情報の遮断 → 自己洗脳 → 情報の遮断 → 自己洗脳 → …… 

 まず、(政府による)情報の遮断ゆえに、(マスコミが)自己を洗脳されてしまう。そうなると、いったん洗脳された自己が、自分に好都合な情報をだけを選択するようになる。以後は、情報の遮断と、自己洗脳とが、延々と続く。
 これは、無限循環だ。「スパイラル構造」とも言える。鶏と卵みたいな関係である。

 では、なぜ、こういうことが起こるか? それは、こうだ。
 「自己反省の欠落
 仮に、「自分は間違っているかもしれない」と反省できるのであれば、その反省ゆえに、自己の過ちを認識できる。自己の過ちを認識できれば、無限循環をストップできる。
 しかるに、自己反省の能力が欠落していれば、自己の過ちを認識できず、自己を正当化するばかりだ。あげく、「自分は正しい」という情報のみを受け入れ、「自分は間違っている」という系統の情報を遮断する。こうなると、「自分は正しい」という情報しか入ってこないから、その路線をまっしぐらに突き進む。無限循環で。
 これが、現状の日本を覆う狂気の根源的な原理だ。

 (2) トラウマ
 実は、このような日本の心理状況は、一種の精神病である。病気というほどではないから、「気質」と言ってもいいが、精神病の系列にある。たとえば、「自分は鳥だ」と思い込んで、それ以外の情報を一切否定しようとする。それと似て、「自分は正義の味方だ」と思い込み、適当な「仮想敵」を想定して、「あいつは悪だから徹底的にぶちのめしてやらなくては」という強迫観念にとらわれる。
 これは、不思議なことではない。人は、精神を圧迫されると(トラウマを負うと)、そういう状況になるのだ。
 たとえば、冷戦時代を思い浮かべよう。米国は「ソ連から核ミサイルが飛んでくるのではないか?」という恐怖に、絶えず怯え続けていた。そのせいで、あちことの社会民主主義政権を、CIAの介入で転覆させ続けた。とんでもないテロ的なスパイ活動であり、自由と民主主義の反対であるが、「社会民主主義は共産主義の一里塚」と信じて、しきりに破壊活動をやり続けた。戦争もまた、何度もやらかした。……これらは、狂気的であるが、それというのも、「自分を破壊されるかもしれない」というふうに、怯えたからだ。「自分を破壊されるかもしれない」という恐怖にとらわれていたからこそ、逆に、「敵をぶちのめそう」という攻撃行為に走ったのだ。
 ライブドアの場合も似ている。ホリエモンを攻撃する人々は、もともと自分自身に傷を負っていたのだ。どんな? それは、不況による傷である。不況期には、誰もが、所得の下落・不足という傷を負った。テレビ局ですら、例外ではない。彼らは所得の不足に不満でならない。人生を破壊されつつあるという痛手を負っている。しかるに、その間に、ホリエモン(のようなIT長者)だけは、莫大な富を得ている。すると、彼らは、こう思う。
 「おれたちがこんなに損をしたのは、ホリエモンがおれたちの金を盗んだからだ。あいつがおれたちの金を盗んだ、悪の権化なのだ。あいつは、何も生産していないのに、ボロ儲けした。それはきっと、詐欺的な行為で、おれたちの金をかすめ取ったからだ。こういう虚業の奴らを撲滅することこそ、社会正義だ」
 そう信じる。そう思い込む。そのことで、傷ついた自己を正当化しようとする。……そしてまた、それは、政府の思う壺でもある。なぜなら、彼ら国民全体を傷つけた最大の張本人は、政府(小泉など)であるからだ。真の張本人が、自らの無能による責任を転嫁するには、いけにえとなる人物ほど、好都合なものはない。しかも、彼は都合よく、こう言ってくれていた。
「世の中、金だ。愛情だって金で買える。」
「金を持っているやつが偉い。」
「カネで買えないものは、差別につながる。毛筋、家柄、毛並み。世界で唯一、カネだけが無色透明で、フェアな規準ではないか。」
「世の中に暖かい家庭ってあるんですか? 僕には信じられない。みんな飽きてないの? なぜ自分をガマンして偽って生きているのですか?」
「女は金に、もれなくついてくる。」
「女は25歳超えたら無価値で有害なだけの産業廃棄物。」
「大衆の7割はバカで無能。」
( → 出典
 これは、わざわざ「いけにえ」になりたがっているようなものだ。こういうカモネギみたいな人物がいるのだから、利用しない手はないぞ、……と思ったとしても、不思議ではない。
 ともあれ、人々には、金銭的なトラウマがある。精神に圧迫を受けており、怒りを発揮したくなる。「景気は回復しつつある」なんていうが、金持ちが高級車と薄型テレビを買うばかりで、自分の財布はちっとも豊かにならない。そういう人々の不満が溜まっている。そこで、人々の不満が政府に向かわないうちに、ガス抜きの形で、ライブドア(むしろホリエモン)というカモを差し出す。すると、人々は今までのうっぷんを、政府のかわりに、このいけにえに向けるのだ。そして、このいけにえを、火あぶりにしようとするのだ。

 結語。
 まとめて言えば、こう言える。
 「他人を深く憎むのは、憎む人自身が、心の深いところで傷ついている場合だ。心に痛みがあるがゆえに、その痛みの矛先を、どこか外部の人間に向ける。家庭で深く傷ついた子供が、いじめっ子となって、他の子供を深く傷つけることがある。それと同じように、社会で深く傷ついた人は、他の誰かを深く傷つけようとする。ただし、その攻撃行為を正当化するために、傷つける相手を徹底的に『悪』に仕立て上げる。そうすれば、攻撃すること自体が、正当化されるからだ」
 多くの人々が深く傷ついているときにこそ、ガス抜きの形で、いけにえが必要とされる。以前、イラク人質事件では、多くの人々が人質三人をいけにえとして攻撃した。日本中の一億人が、たった三人を攻撃した。あのときもまた、人々は、「自分たちが三人を見殺しにする殺人行為をさせられそうになった」という心の傷を負っていた。今もまた、人々は「景気回復しつつある」という偽りの宣伝のもとで、財布の貧しさに傷ついている。他人は儲かり、自分ばかりが儲からない、という、心の傷。その傷を癒すために、「悪の金持ち」という、いけにえが必要となった。そこで、人々の求めるための、いけにえを政府は与えた。
 つまり、人々が虚偽を求めたから、政府はその虚偽を与えただけだ。政府が国民を洗脳したのではなくて、国民が洗脳されたがっていたから、そのための材料をちょっと与えて上げたら、勝手にどんどん洗脳されていったののだ。
 そして、その原因が実際に作動するための構造が、「情報遮断」と「自己増殖」(スパイラル)である。また、その暴走を止める仕組みが働かない理由は、「自己反省」が欠落していることである。

 [ 付記 ]
 「精神病的だ」という言葉に、「ふざけるな」と怒る人もいるかもしれない。しかし、次の事実に注意しよう。
 「株価の暴落が、ライブドアの不正経理のせいではなくて、検察・東証・マスコミのせいだ、ということは、子供にもわかる。」
 およそ知性的だとは言えない人でさえ、説明されれば、このことはすぐに理解できる。しかるに、多くの人々は、そのことを理解しない。このことは、
 「彼らが理解できないほど愚かだ」
 というよりは、
 「彼らがあえて理解しようとしない」(耳をふさいでいる)
 と評価する方が、正当だろう。仮に、そうでないとしたら、検察も東証もマスコミも、子供以下のひどい愚劣な知性しか備えていない、ということになる。そういうことは、ありえそうにない。
 人々は脳が破壊されているのではない。「真実を知ろう」という意思だけが欠けているのだ。判断力がおかしいのだ。── 端的に言えば、精神病的というのは、知能指数が低いこととは異なる。知能指数が高い人でさえ、精神病的であることはしばしばある。今回の状況もまた、「人々が低脳な馬鹿であるから」と見なすよりは、「精神病的であるから」と見なす方が、いっそう真実に近いだろう。(こう考えれば、検察や東証やマスコミの行動も、理解できる。)


● ニュースと感想  (4月08日)

 「著作の予告」について。

 執筆中のライブドア関係の著作は、当初の予定以上に、本格的な高度なものになった。「想定の範囲内」ではありませんでした。 (^^);
 当初の予定では、
 「サイトに書いた文章をきれいにまとめて、本質を整理して書いて、まだ書いてない事件の本質の話も追加する」
 というものであったが、この「本質を書く」ということを続けているうちに、物事の本質は非常に深いところにあることがわかった。
 本サイトの読者の人々の知りたいところは、おそらく、
 「ライブドア・ショックの真実」
 というような話で、「検察や東証などが悪い」という非難だろうが、そういう悪口には留まらずに、はるかに広い深い話になっている。
 推理小説で言えば、「一番怪しいのは検察や東証だから、こいつらが真犯人だろう」と思ったり、あるいは「マスコミこそ真犯人だろう」と思ったりするだろうが、あにはからんや、物事の本質はもっとずっと深いところにある。
 よく考えてごらんなさい。たかが検察や東証がちょっとトチ狂ったぐらいで、マスコミ全体を狂わせ、日本全体を狂わせるような、巨大な事件になるだろうか? いや、なるはずがない。日本全体を狂わせるような、もっと本質的なものがあったはずだ。
 比喩的に言えば、戦前の日本を第二次大戦に導いたものは、何だったか? 軍部の独走か? マスコミの追従か? いや、もっと深いところに、根源的な原因があったはずだ。
 ここまで述べれば、「根源的な原因」というのが何か、おぼろげに見当がつくだろう。その本質的なものが何かを、細かく的確に指摘する。真実の暴露。あまりにも意外な真犯人。
 こういう話を深く興味深く書くことで、世間の注目を引くに足る書物にしたい、というのが、この書物の方針だ。
 そもそも、「検察や東証などが悪い」という非難をいくら書いたって、たいていの人は、そんな本を手に取らないだろう。手に取るのは、もともと「検察や東証などが悪い」と思っている人だけだろう。他の人々は、手に取らずに、本を開きもしまい。たとえ手にとって、パラパラと店頭でめくっても、「ふうん、ライブドア弁護論か」と思って、「異端のトンデモだな」と思って、買うこともあるまい。
 というわけで、「検察や東証などが悪い」という非難では、小さな爆弾にしかならないから、世間を動かすことはできないのだ。実際、すでにライブドア擁護とも見なされる検察批判の本は、ろくに売れていない。そういう論調の本は、もともと市場性が低いし、大きな爆弾にはならないのだ。
 というわけで、もっとずっと興味深い話を、大々的に体系化して、一冊の書物にする。もはや初稿はできており、今は文章をきれいに整えている段階。
 「どうせこれまでにサイトに書いた話をまとめて、きれいに整えただけだろう」
 と思っている読者がいたら、残念ながら、ハズレです。細かな論理や論拠は、だいたい同じことを述べているところも多いし、むしろ、サイトにある記述の方が詳しいことも多々ある。しかし、物事の本質をとらえるという点では、新たな著作においてのみ、なされる。
 比喩的に言えば、これまでに書いたことは、ただの断片の集積であり、「群盲象を撫でる」ということに等しい。それぞれの項目では、「ああだ、こうだ」と細かなことを書いているのだが、それがどういう意味をもつかという全体像が、まったく欠落している。「検察のここが悪い」「東証のここが悪い」「マスコミのここが悪い」という話はサイトに書いてあるのだが、「だからどうなんだ」と問われたときの本質的なことが何も書いてない。
 物事の本質を知りたければ、著作をご覧ください。サイトには書きません。出し惜しみしているのか、といわれれば、そうかもしれないが、そもそも、サイトには書ききれない。なぜなら、その全体像は、一冊の本全体を読むという形でのみ、体系的に理解できるからだ。
 たとえて言えば、「微積分とは何か」ということを学びたければ、一冊の本を丸ごと理解するしかない。適当な公式ないし定理を一つか二つだけ学んでも、微積分の全体像はわからない。
 で、その本を買った方がいいかどうかといえば、私としては、別に、お勧めはしません。「買ってほしい」とは言いません。買いたい人だけが買えばよい。知的好奇心の強い人だけが買えばよい。私が読者の立場で値段を付けるとしたら、こうだ。
  小泉の波立ち …… 平均して、一日分に、10円。(50円じゃ高すぎる。)
  執筆中の書籍 …… 平均して、一項目に、50円。百項目あるから、5000円。
              (まとめ買い割引で、4000円。)
 というわけで、次の書籍に私が付ける「妥当な値段」(価値)は、4000円です。
 現実には、4000円より、もっとずっと安くなります。普通の本の値段。当然。……というわけで、お買い得でしょう。
 ただし、本を絶対に買わないぞ、という人もいますから、その人たちに無理に「買え」とは言いません。一食のランチの方が本よりもずっと大切だ、という価値観の人には、本書はもともと「豚に真珠」か「馬の耳に念仏」みたいなもので、無意味です。
 そもそも、馬や鹿には、食物があればいいのであって、本は必要ありません。というわけで、馬や鹿に「本を読め」とは言いません。

 [ 付記 ]
 余談だが、本というのは、とても便利だ。電車の車内でも気楽に読めるし、トイレでも読めるし、書き込みもできる。どの辺にどんなことが書いてあったかも覚えているから、情報を引き出すのも容易だ。
 その点、パソコン上のファイルというのは、「じっくりと読んで考える」ためには、あまり適しませんね。ニュースなどの情報をざっと調べるには、斜め読みふうの感じでお手軽だが、しょせんはその程度。「思考のための読書」には適していないようだ。
 つまり、パソコンは、書くのには適しているが、読むのにはあまり適していない。だから印刷用の PDF ファイルがたくさん出回るのかもしれない。また、電子Bookという液晶型のビューアーも、あまり売れていないようだが、さもありなん、である。結構便利そうな気もしたが、やはり、文庫本でも買って読んだ方が、ずっといいようだ。
 なお、私の人生観ないし書籍観を述べると、こうだ。
 「本代をケチると、思考力そのものをケチることになる」
 「安上がりな本代からは、安上がりの思考力しか生じない」
 「金が足りないときは、腹を減らして本を読むか、本を捨てて満腹するか、どちらかだ」
 ま、価値観の問題ですね。私の価値観を他人に押しつけるつもりはありません。現実には、書籍の市場は細るばかりだし、人々の思考力も細るばかり。そういう時代の流れを、私一人で変えるつもりはありません。「自分は時代の流れに抗するぞ」と個人的に思うだけです。
 それにしても、若い人はケータイ代に、ずいぶんお金をかけますねえ。……実を言うと、それとライブドア問題が起こったことには、ちょっと関係があるかも。時代の風潮で。(これはほとんど冗談だが。ちょっとは真実が入っている。)


● ニュースと感想  (4月09日)

 「小沢代表」について。
 民主党の代表に小沢が決まった。小沢代表で民主とはどう変わるか? というのが、人々の関心だろう。そこで、これについての私の見解を示す。
 一般に、政治家には、次の二つのタイプがある。
 前者は、菅直人。後者は、小沢。
 で、小沢になったらどういうふうに政治が変わるか? と言えば、そもそも、政策のことなんか考えていないのだから、あれこれ推測しても始まらない。実際、小沢のホームページを見ても、政治家のホームページには珍しく政策がほとんど並べていない。就任前の「方針は?」という質問にも、「この政策をやります」とは言わないで、「適材適所」という人事の方針を示すだけだ。
 政策でなくて人事。── これが小沢の本質である。だから、政策のことを尋ねても、意味がない。せいぜい「小さな政府」「対米協調」という言葉が返ってくるだけだ。
 要するに、ポリシーは、自民党のポリシーと同じ。同じポリシーのなかで、自民党と民主党が争うわけ。国民にとっては「権力争い」が生じるだけで、「政策の選択肢」は消滅する。……つまんないですね。

 ま、小沢党首のメリットも、なくはない。民主党はどうせ次の衆院選まで三年半も、政権を取る可能性がない。その間、とりあえず、小沢を代表に就かせて、飽きるまでやってもらえばいい。「もう飽きた」と思うころに引っ込んでもらえばいい。
 これはいわゆる「小沢 成仏論」と同趣旨。(この変な名前の主張が最近は出回っているそうだ。朝日の朝刊 2006-04-08 による。)

 [ 付記 ]
 小沢が今回、選挙で圧勝したのは、最大の対立派である旧・社会党派の議員にたっぷりと根回ししておいたから。根回しです。小沢流ですね。昔の自民党時代には当然だったが、小泉が捨て去った手法。昔に戻った感じだ。……ひょっとして、田中角栄時代に。(あれは、竹下が受け継いだが、小沢もその系列かな。)


● ニュースと感想  (4月10日)

 「両生類の進化の化石」について。
 この画期的な発見の意味を明かす。
 → Open ブログ

● ニュースと感想  (4月11日)

 「IT経営とIT政治」について。
 今の政治システムは古臭い。小泉や前原みたいなのがトップダウンで勝手に政治を決めるのでは、ただの独裁政治になってしまう。何とかならないか? そう考えて、私の提案するシステムがある。それは、IT政治である。以下、説明しよう。

 まず、これを提案する理由を示そう。現状は、基本的には、こうだ。
 「会議で政治を決める」
 これだと、次のようになる。
 「わいわいがやがやと、各人が思いついたことを語るが、語られる内容は、思いつきの発言ばかりで、説得力がない。瞬間芸みたいな発言と、揚げ足取りばかりが続いて、まともに議論が進行しない」
 具体的な例としては、テレビでやっているサンデー・プロジェクトがある。NHKでよくやる、政治討論もある。まさに上記の通りで、下らない討論が延々と続く。結局、有意義な討論なんて、ほとんどなされない。意見の対立があるだけだ。
 なぜか? 当たり前だ。ここでなされるのは、「自説の正当性」を訴える喧嘩であって、「共同で何かを建設する」という建設行為ではないのだ。自説の正当性を訴えて、相手を打ち負かすことが目的であり、国民のために何かをやることが目的ではない。こんなことをいくらやっても、無駄な時間が続くだけだ。── だったら、トップダウンでさっさと決める、という方が、まだマシかもしれない。衆愚政治よりは。
 ローマ時代には、元老院が政治を執って、ほとんど機能マヒになったあと、カエサルがまともなトップダウン政治をするようになった。というわけで、衆愚政治よりは独裁政治の方がマシだ、という傾向は、たしかにある。小泉も前原も、その先例にならった、と言えそうだ。
 ということは、つまり、政治システムは、ローマ時代から、ちっとも進歩していないことになる。

 そこで、私が新たに提案する政治システムは、「IT政治」である。別名、「掲示板政治」。その方法は、こうだ。
 「会議のかわりに、掲示板を使って、合議システムで、政策判断を決める」
 これだと、瞬間芸で語るかわりに、じっくりと考えてから発言する。たったの一時間ぐらいの会議ですべてを思いつきで決めるのではなく、できる限り、あらゆる時間をかけて、少しずつ考える。誰か一人が指名された順語るのではなく、誰もが好きなときに発言する。これでどうにも収拾がつかなくなるかというと、そんなことはなく、まともな意見が支持を得て、全体の方向は支持を得た意見に沿って、一定の方向に進むはずだ。支持されない意見は、「あらし」と見なされるから、そんな意見を語る奴は、自然に排除される。
 具体的な例としては、Open ブログにおける「Winny 論議」などを見るといい。いろいろと意見が提案された。私の意見だけが特に指示されるわけではなく、別の提案もなされ、それはそれで、十分に考慮のある意見として支持を得る。こういうふうにいくつかの意見が出て、だんだんと集約されていく。そのあとで、最終的な判断は、トップが「生き残った意見から一つを選択する」という形で、決めればよい。
 現状では、「トップが独断で何もかも決める」という形だから、トップの思い込みが激しい。そのせいで、独裁的な間違いが起こる。
 たとえば、「このメールは本物だ」と党首が勝手に信じて、そのまま暴走する。このとき、IT政治(掲示板政治)がなされていれば、掲示板上で「本物だ」「いや、偽物だ」という論議が、実りある形でなされるはずだから、その十分な論議を聞いた末に、トップは正常な判断をすることができるはずだ。
 また、景気対策も同様だ。IT政治(掲示板政治)がなされていれば、掲示板上で「量的緩和をするだけでいい」「いや、構造改革だ」「いや、減税だ」というふうに、いくつかの説が出るから、それぞれのテーマごとにスレッドを立てて、論議を勧めればよい。そのあとは、トップが決断する。……この形だと、たとえば、小泉の波立ちを読んで指示する人々のスレッドができて、そこで実りある議論が出るから、それを見て、「うん、これを選ぼう」というような判断をトップが決断できる。一方、最初から小泉が「これ」(構造改革だ)と勝手に決めつけると、暴走するしかない。

 このIT政治(掲示板政治)を実行する場合には、参加者は限定される。政治の場合で言えば、参加の資格は、国会議員と、特に認められた識者だけとなる。下手な発言をする参加者は、自動的に、参加資格を失う。
 参加者の資格は限られるが、読む資格は国民全員にある。
 一方、参加者とは別に、下位参加者のための掲示板もある。そこでは、国政の決定資格のない人々が、勝手にわいわいがやがやと語り合える。たとえば、国会議員でなくて県会議員などが数百人。
 一方、それとは別に、国民が勝手に同じテーマで自主的に掲示板を作ることもできる。「(政府の掲示板と)同じテーマで語り合おう」という掲示板。これは、政府の関与するものではなくて、民間が勝手に語り合う。
 そのなかで、野党の掲示板もあっていい。決定の資格はなくても、意見の表明は自由である。結果的に、その意見が、政府の掲示板に影響することもあるだろう。(決定の資格はないが。)

 以上が、IT政治。従来の会議政治に変わるもの。「バーチャル会議政治」もしくは「電子会議政治」とも言える。ただし、「テレビ電話会議」ではない。これだと、ほとんど意味はない。

 ついでに言えば、以上の方法は、政治だけでなく、経営にも当てはまる。対面会議経営なんかやめて、IT経営(掲示板経営)に転向しましょう。
 具体的には、こうする。
 「通常の参加者は、経営者と重役。局長クラスを含めてもいい。この全員が発言できるが、決定権を持つのは、重役以上のみ。」
 「下位の掲示板として、部長と課長クラスだけで、決定権のないまま、わいわいがやがやと語りあうだけの掲示板もある。通常はほとんど無視されるが、たまに、非常によい意見が出て、集約されるので、それが、上位の掲示板経営に提案される」
 「最終決定の場は、対面式の合議会議でよい。ここでは、意見の表明はほとんどなくて、意見の集約だけがある。通常、トップの決定する方向に、集約される。……ただし、トップは、独断でトップダウンで決定するのではなく、すでに集約された意見のなかから選択する形で決定する」
 これなら、トップによる暴走は防げる。まともな意見だけが生き残り、対立した意見からの選択は、トップの微妙な判断に委ねられる。あとはトップのセンスしだい。


● ニュースと感想  (4月12日)

 「フランスの雇用制度の撤回」について。
 フランスが新しい雇用制度(新雇用制度・若者雇用制度)を撤回した。これについては次の意見が支配的だ。
 「企業が好き勝手に解雇できるのでは、若者が不満を訴えるのも当然だ。しかし、企業が好き勝手に解雇できるようにすれば、雇用しやすくなるから、失業は解決しやすくなるはずだ。ここにはジレンマがある。」
 好判断したすえに、たいていは、次のいずれかの結論を採る。
 「若者の意見が正しい」
 「企業の意見が正しい」
 「ジレンマがあるから、説明をちゃんとしたすえに、若者に納得してもらいながら、実施すればいい」
 どれが正しいか? 実は、いずれの考えも正しくない。なぜか? これらの説は、その前提が間違っているからだ。その前提とは、こうだ。
 「雇用の流動性を高めることで、失業を解決できる」
 この前提が根源的に狂っているのだ。

 この前提は、次の大前提に基づく。
 「自由放任で経済は最適化する」(大前提)
 ここから、次の結論が出る。
 「経済が最適化していないとしたら、自由放任が阻害されているからだ。つまり、市場の流動性が阻害されているからだ。ゆえに、市場にある阻害物を除き、市場の流動性を高めることで、経済は自然に最適点にたどりつく」
 これが古典派の結論だ。しかしながら、この結論は正しくない。なぜなら、上の大前提(古典派の基本原理)が、正しくないからだ。そのことは、次のことで簡単に示せる。
 「最適点(均衡点)に達するというのは、ミクロの問題である。生産量を変化させるのは、マクロの問題である。ミクロの手法では、マクロの問題を解決できない」
 これは、次のことで簡単に示せる。
 「縮小均衡の状態では、経済は均衡点に達しているが、生産量は不足気味なので、失業は解決できない」
 これは、半世紀以上も前に、ケインズが示したことだ。経済学者なら、誰でも知っている。基本常識。
 しかしながら、この基本常識を理解できないと、次のように誤解する。
 「自由放任で最適化すれば(ミクロで最適化すれば)、生産量も最適状態になる(マクロも最適状態になる)」
 残念ながら、これは、ミクロの最適化とマクロの最適化を、混同している。その意味で、ケインズの説明を、まったく理解していない。「マクロ音痴」と言える。

 冒頭の雇用制度も、この勘違いに基づく。
 「雇用の流動性を高めれば、ミクロの均衡点に達するので、マクロの生産量が高まるはずだ」
 もちろん、こんなことは成立しない。正しくは、こうだ。
 「雇用の流動性を高めれば、ミクロの均衡点に達するので、マクロの均衡点に達するはずだ。ただし、その均衡点は、縮小均衡の均衡点であるから、生産量の増加を意味しない。」

 具体的に言おう。モデル的に典型的に示す。
  ・ 縮小均衡の生産量では、失業率は20%。
  ・ 拡大均衡(=縮小均衡でない正常な均衡)の生産量では、失業率は0%。
 この二種類の状況がある。それぞれ、マクロ的に異なる状況だ。ここで、前者の状況のときに、「均衡点に達すればいい」という政策(自由な解雇)を取ると、均衡点に達しやすくなるが、その均衡点は、縮小均衡という均衡点だから、いくら均衡点に達しても、失業は解決しない。(つまり、拡大均衡には達しない。)
 
 要するに、
 「現状は均衡点に達していないから、均衡点に達すれば万事片付く」
 という古典派の発想に、失敗の根源がある。では、どうすればいいか? 正しい政策は、次の通り。
 「ミクロ的に均衡点に近づく政策を取るかわりに、マクロ的に均衡点を転換させる政策を取る。均衡点を、縮小均衡という均衡点から、拡大均衡という均衡点へと、移転させる。それはつまり、状況を転換する、ということだ」
 「状況の転換のためには、ミクロ的な政策を取るのではなく、マクロ的な政策を取ればよい。そのためには、需要を制御する政策を取ればよい」
 では、需要を制御する政策とは? それは、本サイトの冒頭に記してある「需要統御理論」を読めば、ちゃんとわかる。(長たらしいが、マクロ政策全般を述べているのだから、仕方ない。)

 ま、とにかく、根源は、こうだ。
 「ミクロ的に均衡点に達すればいいのではなくて、マクロ的に生産量を調整すればいい」
 ここを理解すれば、間違えないで済む。逆に、ここを理解しないと、フランスのようにトンチンカンの政策を取る。そして、たいていの人は、そのトンチンカンさを理解できないでいる。「右か、左か」というふうに考えて右往左往するばかり。本当は、「上か、下か」というふうに考えるべきなのだが、二次元世界の住民には、三次元世界の発想が理解できないのである。

  量の拡大 ( z 方向での拡大:マクロ)
    ↑
   → 質の改善 ( x-y 平面での改善:ミクロ)


( ※ 本項は、明日の分に続きます。)


● ニュースと感想  (4月13日)

 「フランスの雇用制度」について。
 前項に続いて述べよう。
 失業問題を解決するには、需要統御理論の方法を使えばいい。では、フランスの失業問題を解決するにも、そうだろうか? 需要統御理論の方法を使えば、それで本当に片付くだろうか?
 実は、日本や米国なら大丈夫だが、(フランスを含む)欧州先進国では大丈夫ではない。なぜなら、欧州には、「欧州共通通貨制度」というものがあるので、需要統御理論の方法を使えないのだ。つまり、通貨が固定されているので、政策の選択肢が限られてしまい、状況に応じた最適の選択肢を取れない。

 具体的に言えば、フランスにとってなすべき経済政策は、こうだ。
 「貨幣量を増大させ、物価を上昇させる。このことで自然に、通貨を切り下げる」
 これは、「経済成長路線」である。そもそも、「生産量の増加」とは、「経済成長」である。そして、「高めの経済成長」には、「物価上昇」がつきものである。そのような状態を、フランスは取るべきだ。
 お手本の例は、高度成長期の日本経済だ。物価上昇率は5%を越えていたが、それを上回る十分な高度成長をなした。年率7%ぐらいの成長だ。差し引きして2%ぐらいの実質成長であるように見えるが、実は、この期間に、国民の生活は急激に向上した。この十数年の前には、日本は敗戦国という貧しい状況にあったが、この十数年のあとでは、先進国の豊かな生活を獲得できた。
 なぜか? そもそも、なぜ、急激な成長が可能だったか? その根源は、「生産性の向上」もあるが、肝心なのは、「失業の改善」である。ろくに職もないまま、バタ屋(死語)のようなことで生計を立てていた人々が、ちゃんとした工場に就職して、工員として仕事をできるようになった。工員の生産性はたいして向上しなくても、まともな職業に就くことができることで国全体の生産性は大幅に向上した。途上国の下級労働者のような職業に就いていた人々が、米国の自動車工場のような仕事に就くことができるようになった。……こうして、国全体が、大幅な効率向上を成し遂げた。
 その根源は、「高い成長」という政策だ。そして、ここでは、「所得倍増計画」というマクロ的な政策が取られた。つまり、生産量の伸びと所得の伸びを、同時に実施しようとした。そのことで、供給と需要が同時に成長した。これが「経済成長路線」である。これはマクロ的な政策だ。

 一方、古典派の路線は、違う。ミクロ路線だ。それは、こうだ。
 「均衡点が最適点である」
 これは、「経済成長」という動的なものを求める政策ではなくて、「均衡点」という静的なものを求める政策である。そこには「理想の状態」はあるが、「生産量の変動」という動的な概念(マクロ的な概念)はない。
 そしてまた、「利益の最適化」だけを求めるから、「供給者の利益の最適化」を通じて、「供給の最適化」だけがなされる。その場合、「需要は一定である」と仮定されるから、「一定の需要のもとで、供給を最適化すること」だけが目的となる。その最適状態は、均衡点という静的な状態である。多くの場合、それは縮小均衡という状態だ。
 かくて、縮小均衡という状態を理想視して、そこに近づこうとするから、経済成長は成し遂げられない。
 要するに、需要を無視して供給だけを最適化しようとすると、経済成長は成し遂げられない。── これが、古典派の欠陥であり、フランスの政策の欠陥である。(その欠陥の意味は、マクロ的な概念がない、ということ。)

 さて。この欠陥は、フランス固有の欠陥ではなく、古典派の欠陥であり、現代経済学(主流派)の欠陥でもある。当然ながら、間違っているいるのは、フランスだけではない。欧州全般の欠陥であり、同時に、日本の欠陥でもある。実際、ドイツでも日本でも、高い失業をなかなか解決できずにいる。
 この欠陥は、マネタリズムの欠陥でもある。欧州ではマネタリズム政策のもとで、「物価上昇を防ぐために、貨幣流を一定にする。そのために、財政赤字を防ぐ」という政策を取っている。しかしながら、この政策は、自己矛盾に近い。
  ・ 物価については、安定した状態を望む。
  ・ 生産量については、経済成長を望む。
 しかし、こんなことは、「白と黒と同時に望む」というような、自己矛盾に満ちている。「物価は安定したまま高い成長を望む」というのは、よほど恵まれた状況にない限り、困難だ。ほとんどタナボタである。通常は、ありえない。
 とすれば、この二つのうち、どちらかを選ばなくてはならない。

 マネタリズムは、「物価安定」を取る。そのとき、「生産量の増加」を捨てているのだが、そのことに気づかない。なぜなら、マクロ的な発想が根源的に欠落しているからだ。(貨幣量の増加で生産量が増える、という夢物語だけを信じている。)
 真のマクロ経済学者は、「物価安定」を捨てて、「経済成長」を取る。つまり、「ある程度の物価上昇を感受しながら、高い経済成長」という路線だ。わかりやすく言えば、「所得倍増計画」ないし「高度成長路線」だ。── それは、常に正しいとは言えないが、非常に高い失業率のもとでは、それが正しいのだ。

 結局のところ、
 「物価安定よりも、経済成長」
 「静的な安定よりも、動的な成長」
 これが正しい政策判断だ。しかしながら、現在の経済学者は、均衡と安定ばかりをめざすので、高い成長という路線を取れない。彼らは、上下の発想を取らないで、左右の発想だけを取るので、「左右の最適化」ということばかりを選ぼうとする。つまり、「生産量の増加」という発想を取らないで、「質の最適化」ばかりを選ぼうとする。
 そして、その根源には、「経済とは企業の営利活動だから、企業を最適化すればいい」という主義がある。そこには、「経済とは、人間の活動だから、国民の状況を最適化するべきだ」という発想がない。企業至上主義には、人間らしい発想が欠落している。これが根源だ。だからこそ、結果的に、企業の都合と利益ばかりを増す政策のもとで、まさしく企業は最適化され、同時に、公民は失業に苦しむことになる。
 フランスの高失業率という状況は、政策を失敗してそうなったのではない。まさしく、そうなるべき政策を取っているから、そうなっているだけだ。
 なのに、愚かな人々は、「自分たちは失業問題を解決しないための政策を取っている」という現実を理解しないで、「自分たちは失業問題を解決しようと努力している」と勘違いしていることだ。本当は「足踏みしよう」と努力しているのに、勝手に「前進しようと度量している」と思い込んでいるのだ。── 自分で自分の行動を理解できない。その愚かさが、不幸をもたらす。誤認と錯覚が、不幸をもたらす。


● ニュースと感想  (4月14日)

 「USEN によるライブドア解体」について。
 USEN によるライブドア買収の計画が明らかになった。
USENが新株を発行し、ライブドア株と交換する「株式交換」により同社を完全子会社化。その上で事業部門を切り離し、ライブドア本体は最終的に清算する計画だ。証券市場に混乱を残した同社はこれにより事実上消滅する。両社は、早ければ5月の取締役会でUSENによるライブドアの完全子会社化をそれぞれ決定する見通しだ。
( → Yahoo ニュース
 これはどういう意味をもつか? 次のように対比して考えるとよい。
 具体的に言うと、株価は 700円から100円に暴落した。その後、700円に戻れば、株主は損失をすべて回復できる。これは、USEN の子会社になった場合だ。
 一方、ライブドアの株式が USEN の株式と交換された場合には、ライブドアの分が 700円にまで回復しても、その分は、USEN の全体のなかで薄められるので、ライブドアの株主は、損失の一部しか回復できない。
 現状ならば、ライブドアの株主は、100円分の1株をもっている。それは 700円にまで回復する可能性がある。しかし、いったん USEN の株と交換されたら、100円分の1株のかわりに、100円分のライブドア 0.5株と100円のUSEN 0.5株をもつことになる。ライブドアの株が 700円に戻っても、1株でなく 0.5株しかもっていないから、損失は半分しか回復されない。そのかわり、既存の USEN 株主が、残りの半分の利益を取得する。
 仮に、USEN が単にライブドアを子会社化したならば、ライブドアの株主は損失を丸ごと回復できる。一方、USENの株主は、ライブドアの大株主ではあるが、全体の一部(3割ぐらい?)しかもっていないから、その分の利益しか取得できない。USEN の株は、2割ぐらい上がるかもしれないが、一挙に何倍にもなることはない。

 結局、こうだ。
 USEN が単にライブドアを子会社化したならば、USEN は大株主の一人として正当な利益を得る。一方、USEN が株式交換の形でライブドアの全株式を取得したならば、現在の株主の権利は剥奪され、USEN が現在の株主の利益をごっそり奪い取る。
 これはまあ、火事場泥棒みたいなものだ。詐欺にも似ている。ほとんど犯罪的な行為である。
 従って、通常なら、こういう犯罪まがいの行動は成立しない。盗まれる方が拒否するからだ。ただし、例外的に、成功する場合がある。それは、盗まれる側の経営者を、あらかじめ買収しておくことだ。「ライブドアを解体して、USEN の傘下に収めなさい。そうしたら、あなたを USEN の経営者に入れて、年収数億円の所得を与えますよ」というふうに。こうすると、USEN はたったの数億円の出費で、数千億円の利益を不当に取得できる。そして、それが成功したら、裏切り者であるライブドアの経営者を、さっさとお払い箱にすればよい。

 こういうことは、本当に悪賢いことなのであるが、だまされる方が「それでいい」と思っているのであれば、私としては何も言いません。「馬鹿だな」と思うだけだ。何しろ、ライブドアの支援者というのは、たいていが現社長の支援者だ。彼が USEN の送り込んだ裏切り者だとは気づかずに(あるいは彼がとっくにUSENに買収されているとは気づかずに)、会社を解体されるのを放置するわけだ。
 というわけで、ニュースで報じられたとおり、ライブドアはバラバラに解体されて、USEN に吸収されてしまうわけだ。
( ※ 漫画の「犬夜叉」というのに似ている。奈落という妖怪が他の妖怪を吸収して、巨大化する。USEN とそっくり。ま、吸収される側は、たいていは嫌がるのだが、ライブドアだけは例外だ。喜んでホイホイと吸収される。)

 [ 付記1 ]
 似た実例はある。近鉄という鉄道会社は、自社の重要な資産である近鉄球団を、無料でオリックスにプレゼントしてしまった。近鉄球団には、ライブドアや楽天などの買い手が 20億円程度での買収を申し出ていたのだが。……で、ここでも、近鉄の経営者が、自社の資産をタダで渡してしまったわけだ。
 これは、狂気の沙汰のように見えるが、個人的に何らかの見返りがあったんだろうね。きっと。
 ここには、買収された裏切り者がいる。そういう経営者のせいで、株主が大損する。しかし、愚かな株主たちは、そういう経営者を「立派だ」と賛美するのである。自分自身を解体する人を称賛する。マナ板の鯉が板前さんを賛美するようなものだ。
 「さあ、バラバラにしてください。煮て食おうが焼いて食おうが、ご自由に。それが私の運命です」
 そう叫んで、鯉がさっさとマナ板の上に載っかる。本当は、池に逃げることもできるのだが、あえて自分自身を食われて死にたがっているのだ。
 それがつまりは、今回のニュースの意味。

 [ 付記2 ]
 ただし、今回の方針は、まだ最終決定していないので、流動的である。裏切り者の経営者のほかに、まともな頭の経営者がいれば、「USEN による泥棒行為」を拒否して、単に子会社になるだけだろう。
 しかし、そうなる可能性は、あまり高くない。なぜなら、USEN としては、数億円の買収資金で、数千億円を盗み取るチャンスだからだ。しかも、完全に合法的である。個人を数億円で買収すれば、会社を丸ごとTOBで買収するよりも、ずっと安上がりで、数千億円を頂戴できる。(丸ごとTOBで買収するには、1株 300円以上の株価をつけなくてはならないので、莫大な出費がかかる。)
 ま、ライブドアの経営者としては、良心と金のどちらを取るか、という問題だ。良心を取れば、一文の得にもならず、むしろ、首になる。良心を金で売り渡せば、数億円の得だ。通常、良心を金で売り渡す。現社長がその典型だ。良心を金で売り渡す方針で邁進している。
 熱心な板前さん。あとは鯉を料理するだけです。鯉を料理したら、鯉料理を、USEN というお客に出せばよい。お客は舌鼓を打つ。
 「おお、こいつはうまいな。数千億円の味がする。これが数億円とは、安い買い物だ」
 すると板前は答える。
 「なあに、どうせ損するのは私じゃないから、構わないんですよ。誰かが数千億円の損をしたって、知ったこっちゃない。それより約束の数億円、ちゃんと下さいね」

( ※ それにしても、USEN というのは、親子二代そろって、とんでもない犯罪的な詐欺師だね。親が親なら、子も子だ。先代の違法行為は有名。 → Wikipedia
( ※ ついでだが、私は USEN を非難しているわけではない。だまされて食われる鯉の愚かさに呆れているだけだ。自分からマナ板に上がりたがる愚かさ。)

 [ 付記3 ]
 最後にひっくり返すようで申し訳ないが、本項で書いたことについて、事実はまだ流動的である。結果的にどうなるかは、まだまだ決まっていない。ライブドアの現経営者が反対のノロシを上げることも十分にあり得る。というわけで、「事態は流動的だ」という点に、留意しておいてほしい。
( ※ 本サイトは、ニュース報道サイトではなくて、その解説をするだけ。事実の真偽は、別のところでご確認下さい。)






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