[付録] ニュースと感想 (108)

[ 2006.06.04 〜 2006.06.26 ]   

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● ニュースと感想  (6月04日)

 「村上ファンドとインサイダー取引」について。
 村上ファンドがインサイダー取引をしたらしい、という疑惑が湧いた。これもまたすっきりしない話ですね。
 この事件については、今になって判明したことではなくて、ずっと前から「ヒルズ黙示録」という本に書いてある。おおまかには、こうだ。
 村上はホリエモンに「ニッポン放送の株はお買い得だから、買った方がいいよ」と勧めた。そして「二人でいっしょに買おう」と共同歩調を取った。村上が15%ぐらいを買い、ライブドアが35%の株を買い、両方合わせて、50%になる。これでニッポン放送の過半数をギリギリで占めることができるぞ、とホリエモンはほくそえんだ。ところが、株が上昇した時点で、村上ファドは手持ちの株をほとんど売り抜けた。村上ファンドはボロ儲け。35%の株を買っただけのライブドアは、高値づかみで、取り残される。過半数にもなれない。ここでホリエモンは「村上にはめられた」と歯ぎしりした。
 村上は楽天がTBSの株を買ったときにも、同じようなことをやった。「TBSを買うとお得ですよ」と言って楽天に買わせて、自分はさっさと売り抜けた。

 ま、こういうのは、口先三寸の裏切り者ふうであるが、しかし、これを「インサイダー取引」と呼ぶセンスには、呆れはててしまいますねえ。「二人でいっしょに株を買おう」と言って、裏切ったのは、裏切りの行為ではある。しかし、「二人でいっしょに株を買おう」と言って、株を買ったのが、インサイダー取引になるんでしょうかねえ? 
 ひょっとしたら、法理論の上では、そうなるのかもしれない。しかし、そうだとしても、「インサイダー取引」という概念の本来の意図とは、まったく違っていることはたしかだろう。
 村上本人は、「法を遵守する」ということを口がすっぱくなるほど言っていた。しかし、彼にしても、これがインサイダー取引になるとは、思ってもいなかったはずだ。あまりにも経済的なセンスが欠落している。よほどの経済馬鹿でないと、こういう発想は生じないだろう。

 いやはや。検察ってのは、経済のことなんか何も考えないで、単に法の条文を形式的に当てはめることしか考えていないようだ。こういうのを「インサイダー取引」と呼ぶなんて、法律を作った時点では考えてもいなかったはずだ。
 ライブドアは「法律逃れ」をやろうとした。これは「灰色を白と見なす」という特殊な工夫だった。しかし検察は、「法の過剰適用」をやろうとしている。これは「灰色を黒と見なす」という特殊な工夫だ。
 やろうとしている方向が正反対なだけ。どっちもメチャクチャである。ま、ライブドアがメチャクチャだったのはわけがわからなくもないが、検察がこういうメチャクチャをやってどうするんですかねえ。

 検察はこのままどんどん暴走して、自壊するのかもしれない。……ま、私としては、今回の検察の動きは、歓迎したい。検察の馬鹿さ加減が判明すればするほど、私の本に書いてある「検察のメチャクチャさ」が裏付けられる。検察が馬鹿をやればやるほど、「検察は馬鹿だ」と書いてある私の本が正しいことになる。
 検察って、もしかしたら、私の本が売れるためにと、せっせと協力してくれているのかも。

 [ 付記 ]
 「検察は馬鹿だ」と書いてある本は、私の本だけである。
  ・ ヒルズ黙示録 …… 村上ファンドのことは書いてあるが、検察のことは書いてない。
  ・ ライブドア謎と陰謀 …… 小泉の「陰謀」と見なしている。検察は二の次。
  ・ その他 …… 裏事情や検察のことはあまり書いていないみたい。

 最新の本で、「SPA! 臨時増刊 ライブドア事件とはなんだったのか?」という本(ムック)が出ている。ファミリーマートで見かけた。750円。真ん中へんに特集記事が少しだけ書いてある。……ま、要するに、ああだこうだと議論しているが、真相はわからないままだ。これを読んでもすっきりしません。


● ニュースと感想  (6月05日)

 「書評:ライブドア監査人の告白」について。
 「ライブドア監査人の告白」という本がいくらか話題になっている。大きな書店に行ってみたら、大々的に平積みされている。でも、あんまり売れていないようだ。あんなに大量に平積みされているくせに、いまだに増刷されていないんだから。
 内容的には、悪くはないですね。経理の話をしているわけだが、「ライブドアショック・謎と陰謀」という本と、ちょっと毛色が違うぐらいかな。どっちもどっちという感じで、同じぐらいの出来映えかも。 ★ をつけるなら、どっちも ★ 三つ。
 ま、私の知らないことも書いてあるという点で、いくらかは興味を持てるが、しょせんは経理の細かな話が書いてあるぐらいだ。経理の話を知りたい人にはいいだろうが、ライブドア事件の本質は経理じゃないんだから、経理のことをいくら調べてもたいして意味はない。「経理の巨悪だ」と述べているのは検察であって、その検察の言い分が嘘なのだから、この嘘をあばくのが大事なのに、検察の土俵の上で話をしても、たいして意味はない。
 星一徹じゃないが、ちゃぶ台または土俵をひっくり返すべし。……というのが、私の本の趣旨。

 ついでに言うと、ヤメ検には、それはできません。ヤメ検ができるのは、検察と協力して、検察の内部情報をこっそりもらうことだけだ。ヤメ検が検察全体と対決することなんて、絶対にありえない。ホリエモンの作戦ミス。
 村上ファンドでもそうだが、日本の検察はメチャクチャになっている。検察全体と戦うのは誰? 私しかいないみたいですね。
(……なんて私が書いていると、そのうち、逮捕されるかも。「ホリエモンも片付けたし、村上も片付けた。さて、この次は誰を餌食にしようかな? 南堂でも摘発するか。あいつの重箱の隅を突ついてやれ」と。)


● ニュースと感想  (6月06日)

 「ライブドア本のスケジュール」について。
 ライブドア本は、本日、出版作業が開始しました。当面はゲラ作りです。あとは特にたいしたこともなく、着々と段階が進んで、7月末には店頭に並ぶと思います。価格は、1500円+税 です。「ちょっと高いぞ」と思われるかもしれないが、店頭で見たら、どの本もこのくらいの値段です。価格そのものは高くはない。

 ただし、本書はソフトカバーで、他の本はたいていハードカバーだ。カバーの違いがあるぐらい。カバーの割には高いのは、小さな出版社を経由するせいです。自動車で言えば、トヨタや日産と違って、小さな光岡自動車みたいなものだから、コストが高くなる。
 だけど、肝心の本の中身は、本書の方がずっと上ですから、期待してください。

      *    *    *    *

 例の支援者から、百万円が振り込まれました。確認しました。
 ここで、入金があったことを表明します。また、このお金が出資金であって、書籍の売上げによって返済の義務を負うことも表明します。本が売れないと赤字になりますが、まあ、たぶん大丈夫でしょう。全然売れないということはないから、丸損ということはありえません。たぶん配当を少し出せると思います。……とはいえ、不確実なことに出資してくださったことの意義は、いささかも減じられません。
 ここに深い感謝の意を表明し、同時に、返済の義務を負っていることを誓約します。

 [ 付記 ]
 さて。こうして私の本が出版されることが確実になると、この先、事態はかなり変動しそうです。ライブドアは上場廃止を取り消されて復活し、検察や東証はつぶれるかも。
 ホリエモンは無罪になるか? これはちょっと断定できない。ホリエモンを微罪にすることはできるが、無罪にするには今回の本はちょっと足りない。無罪にするためには? 続編を読めば大丈夫だろう。たぶん。続編には経済学のことがいっぱい書いてある。やや難解なので、売れるかどうかはわからず。
 続編は出版されるか? まだわからない。執筆もなかば以下です。出版されるかどうかはわかりません。売れ線とは違うので、出版しないかも。

( ※ 村上ファンドの話は、事態の急変を受けて、明日、面白いことを書きます。事件の真相、みたいな話。)


● ニュースと感想  (6月07日)

 すみません。本日はお休みです。
 書籍のゲラができて、チェックが忙しいので。
 村上ファンドの話は、明日書きます。


● ニュースと感想  (6月06日)

 「ライブドア本の日程」について。
 ゲラのチェックが完了したので、出版作業に入りました。7月7日(七夕)のころに印刷が済んで、7月末に店頭に並ぶ予定。
 このあとは、私のやることは何もなくて、お金を振り込むことぐらいだ。
 発売の細かな予定日などが決まったら、またご連絡します。でもまあ、あと一カ月ぐらいは、何も連絡事項はないはずです。

 [ 付記 ]
 アフィリエイトで私の本を宣伝したい人は、ご自由にどうぞ。
 私のサイトでは、アフィリエイトはやりません。


● ニュースと感想  (6月08日b)

 「村上ファンドとインサイダー取引」について。
 村上ファンドとインサイダー取引については、ずいぶん情報が出てきた。当初は検察が勇み足をしただけのようにも思えたが、村上ファンドもけっこうこすからいことをやっていたようだ。(ただ、こすからいことの多くは、犯罪というほどではないが。)
 ただ、情報がいくら出ても、本質的なことは、私が二日前に感じたとおり。グズグズしているうちに二日間がたってしまったが、この二日間は私の見解を補強するためには有益な期間だったとも言える。
 では、いよいよ、話を述べよう。

 最初に結論を言えば、こうなる。
 「村上ファンドは、ライブドアを裏切ったから、罪を犯すことになった」
 ここで、「裏切った」というのは、6月04日に書いた通り。つまり、村上ファンドがホリエモンに「二人でいっしょに株を買おう」と言っておきながら、いざとなったら、「買うのをやーめた」と言って、売り抜けたことを言う。ライブドアとしては、なけなしの状態で、村上ファンドから高値で株を引き取るハメになったらしい。高値づかみ。たいして金もないのに、莫大な金をかき集めるハメになった。(……で、このことが、のちに、ライブドア事件を起こす伏線となる。)
 ライブドアとしては、35%の株を買えばいいと思っていたのに、村上ファンドがいきなり「おれの分も買え。さもなくばフジテレビに売るぞ」と脅迫してきたのだから、「裏切られた」と思うのは当然だ。戦争で言えば、日本とドイツが共同で米国と戦っている状況で、一方だけが「やっぱりやーめた。戦うならあんた一人でどうぞ」と抜け駆けするようなものだ。とんでもない裏切りである。
 さて。こういうふうに、裏切りがあった。で、裏切ることは、倫理的には悪いが、そのこと自体は犯罪ではない。だから村上本人は、「別に法律違反なんかしていないよ」と思ったわけだ。
 ところが、あにはからんや。ここで予想外のことが起こった。裏切ったことによって、村上ファンドの行動が「インサイダー取引」に該当するようになってしまったのだ。
 これは、次の事情による。

 インサイダー取引とは、何か? 「インサイダー」であることと、「取引」であることの、双方がそろっていることだ。双方がそろうと、罪になる。「インサイダー」であることだけなら、罪にならない。「取引」であるだけでも、罪にならない。両方がそろうと、罪になる。

 さて。通常は、まず「取引」がある。つまり、株の売買が。その上で、「インサイダー」であるかどうかが問題となる。「取引」を前提とした上で、「インサイダー」であれば「インサイダー取引」になる。
 村上ファンドの場合は? 事情が異なる。まず「インサイダー」がある。その上で、「取引」であるかどうかが問題となる。ここで、「取引」とは「投機」のことだ。村上が自分で言っているように、株の売買をすることだ。安値で買って高値で売ることだ。一方、「投資」もある。これは、「買い」はあるが「売り」はない。その会社を永続的に保有することを目的とするからだ。たとえば、ライブドアは、そのつもりでニッポン放送の株を買った。セシールやターボリナックスを勝ったのと同様に、ニッポン放送を買おうとした。これは、「投機」ではなくて「投資」である。「買い」だけがあって「売り」がない。当然、「安値で買って高値で売る」という「インサイダー取引」の要件に合致しない。(これは「取引」ではなくて「事業」である。)
 村上ファンドがライブドアに「いっしょに株を買おう」と言ったときも、「いっしょに投機をしよう」と言ったのではなくて、「いっしょに投資をしよう」と言ったはずだ。少なくともライブドアはそう信じた。そして、そうならなかったとき、「裏切られた」と思った。
 村上ファンドは、裏切るときに、「おれは投機家(投資ファンド)だから、高値で売れるときには高値で売るしかないんだよ」と弁解したが、これは弁解にはなりませんね。投資ファンドだって、長期間、同じ株を所有しているところはある。で、ライブドアとしては、「株はあんたがもっていて、議決権だけはこっちにくれ」というふうに、虫のいい期待をいだいていた。一方、村上ファンドは、「ライブドアを引っかけてやれ」と思っていた。同床異夢。
 ま、結果的には、村上ファンドの方が一枚上手だった。ライブドアは引っかけられた。村上ファンドは「頭のちょろいホリエの小僧を引っかけてやったぜ。大儲けだ。うひうひ」と喜んでいた。
 ところが、である。引っかけたと思ったのだが、引っかけたことによって、裏切りの行為(売り抜け)が「取引」に該当するようになってしまった。裏切らずに、株を持ち続けていれば、「投資」であるから「取引」にはならず、インサイダー取引で逮捕されることはなかったはずだ。なのに、裏切ったことで、「取引」になってしまった。思いも寄らぬところで、足をすくわれることになった。因果応報と言うべきか。
 阪神の星野元監督は「天罰が下る」と述べていたようだが、こういう因果応報は、天罰と言えなくもないかも。

 ただし、である。村上ファンドを逮捕した検察の行為が正当だ、ということにはならない。
 上記で述べたのは、村上ファンドの行為がいかにして法律に抵触するようになったか、ということだ。そのことと摘発の是非とは異なる。
 村上ファンドのやったことは、一応、インサイダー取引にあたるだろう。また、取引をするからには、インサイダーの疑惑を招くようなことは厳に慎むべきだ。とはいえ、今回の検察の摘発は、やりすぎだとも言える。こういう摘発は、法の想定した範囲内のことではない。法の過剰適用と言える。初回に限っては、厳重注意のような処分が正当であり、いきなり逮捕に踏み切るのはどうかと思う。
 比喩的に言えば、誰も気が付かないところに「一方通行なので進入禁止」という交通標識が(こっそりと)あった、というようなものだ。そんなところに標識があるとは誰も知らないのだから、初めて通った人がいきなり逮捕されるというのは、ちょっと行き過ぎだ。逮捕する前に、ちゃんと明示しておくべきだろう。「こういう解釈もできますよ」というふうにいきなり拡大解釈するのは、「法治主義」の原理に反する。

 というわけで、今回の状況をまとめると、次のようになる。
  ・ ライブドアの株主は、ライブドアに引っかけられた。
  ・ ライブドアは、村上ファンドに引っかけられた。
  ・ 村上ファンドは、検察に引っかけられた。

 帳尻で言うと、こうだ。
  ・ ライブドアの株主は、損のしっぱなし。
  ・ ライブドアやホリエモンは、株主をだましたが、村上ファンドにだまされた。
  ・ 村上ファンドは、ライブドアを引っかけたが、検察に引っかけられた。
  ・ 検察は、引っかけっぱなし。

 まとめて言うと? 
 ライブドアの株主は、負け組。ライブドアと村上ファンドは、一勝一敗。検察は、勝ち組。
 今や検察は、神様のごとき扱いだ。朝日新聞に至っては、ここ数日、夕刊で「我らがヒーローである検察を称えよう。何とすばらしい正義の味方だろう」という提灯記事を連載している。
 ただしこれは、現状における話だ。これで話が片付くほど、世の中は甘くないと思いますね。今のところは検察は、わが世の春を謳歌しているが、それがいつまで続くことやら。……何しろ、二カ月したら、私の本が出るんですからね。そうなったら、検察は地獄を見るかも。

( → 参考情報
( ※ この話は、次回分に続きます。明日または明後日。)


● ニュースと感想  (6月09日)

 本日はお休みです。明日は書きます。


● ニュースと感想  (6月10日)

 「村上ファンドの善悪」について。
 マスコミは今もまた村上ファンドをめぐって、「悪だ、悪だ」と大騒ぎしている。しかし、本当にそうか? ── これをテーマとして考えよう。
 まず、マスコミの主張が正しいと仮定しよう。村上ファンドはインサイダー取引をして大金をかすめ取った極悪人であると仮定しよう。この仮定のもとで、矛盾ないし難点が生じることを、以下に示す。

 村上ファンドが悪であるとする。この場合、次の問題が生じる。
 「村上ファンドのやったことを知っていながら、マスコミは誰一人、このことを『悪だ』と報道しなかった」
 ここで、「村上ファンドのやったことを知っていた」というのは、「ヒルズ黙示録」(朝日新聞社刊)という本による。何しろ、検察は、この本を読んで事件を知ったということなのだから、マスコミの多くが知っていたはずだ。私だって知っていた。ライブドア事件を報道する社会部の記者なら、大半の人が知っていただろう。(知らなかったら、もぐり or 三流である。)
 で、今回、検察が摘発した理由となっていることは、すべてこの本に書いてある。そして、その行為を「悪だ」と見なすのであれば、多く記者は、悪を見て見ぬフリをしていたことになる。
 これはとんでもない非倫理的なことだ。犯罪の存在を知っていて、ほったらかす。たとえば、小学生殺人事件であれ、エレベーター事故殺人事件であれ、とんでもない大犯罪が起こっていたと知っていながら、見て見ぬフリをする。……こう言うのは、まったく非倫理的だ。いや、一市民ならば「非倫理的」で済むが、マスコミの人間としては失格である。ひどい犯罪があったと知っていながら報道しないのであれば、そんなマスコミなど、一文の価値もない。それゆえ、村上ファンドを「悪だ」と非難する人々は、それまで報道しなかったことを理由として、全員、解雇されるべきだろう。(報道しないこと自体は犯罪ではないから、記者が逮捕されることはない。だが、無能であるがゆえに、解雇されるべきだ。)
 村上ファンドを「悪だ」と非難するマスコミの人間たちは、彼を非難する前に、「犯罪を見て見ぬフリをしていた」という自己の罪ゆえに、辞表を提出するべきなのだ。当然でしょう。

 さて。私が上記のように主張すると、彼らはもちろん、こう弁解するだろう。
 「いや、見て見ぬフリをしていたんじゃない。知らなかったんだ。いやね、彼がこういうことをやっているとは知っていたんだけど、それが犯罪になるとは知らなかったんだ」
 もちろん、その弁明はまったく正しい。それが本当のところだろう。
 しかし、である。誰もがそう主張するのだとしたら、そのことは村上本人にも当てはまる。
 「いやね、私がこういうことをやっているとは知っていたんだけど、それが犯罪になるとは知らなかったんだ」
 村上本人はそう語るだろう。また、彼のまわりの法務担当者もそう語るだろう。誰もかもがそう語るだろう。
 だから、要するに、今回のことがインサイダー取引になるというのは、日本中の誰も知らなかったのだ。検察さえも知らなかった。要するに、「これは犯罪です」というふうには、誰も思わなかったのだ。前例のないことであるから。というか、法の想定外のことであるから。

 結局、こう言える。
 村上ファンドのやったことは、前例のないことであるし、法の想定外のことである。それは、法の趣旨からすれば、インサイダー取引には該当しない。(理由は、6月16日分を参照。)
 しかしながら、法を字句通りに当てはめると、インサイダー取引に当てはまるとも解釈される。
 ただし、そんな馬鹿正直に字句を読むことは、(経済音痴の)小学生と検察ぐらいしか考えないことだ。まともな経済知識のある人は、誰一人、そんな馬鹿正直なことは思わなかった。……もちろん、マスコミの記者も同様だ。
 ところが、今回、検察が馬鹿正直に法を当てはめて(拡大解釈して)、犯罪だとして摘発した。それというのも、犯罪であると思ったから摘発したというよりは、「何が何でもこいつを摘発してやれ」と思って、あちこちの法律を当てはめようとして工夫したら、たまたま「インサイダー取引」という法律違反に問える、と判明したからだ。

 似た例は、いくつもある。「まず鈴木宗男を摘発しよう」「まず田中真紀子を摘発しよう」「まず辻元清美を摘発しよう」というふうに、ターゲットを定める。そのあとで、ターゲットを摘発するために、あらゆる法律を総動員する。すると、たいていの人は何らかの犯罪をどこかで犯しているものだ。(たとえば、秘書給与の流用なら、たいていの国会議員がやっていたから、たいていの国会議員を逮捕できる。)……こうやって、狙ったターゲットを、何らかの法律違反で検挙するのだ。
 こういう例では、誰かが犯罪を犯したから摘発されるのではなくて、誰かを摘発するために犯罪を強引に見つけ出すのだ。どうしても犯罪を犯していないようであれば、法律の新解釈によって摘発してしまう。

 こういうのは、通常、「国策捜査」と言われるが、言葉が美しすぎる。別に、国(政府全体)がやっているわけじゃない。国の権力を傘にして、検察という一部局だけが暴走しているだけだ。「検察の暴走」と呼ぶべきだろう。「検察テロ」と呼べばもっとよい。

 で、肝心なことは、何か? 検察の暴走か? 検察のテロか? いや、それよりももっとひどいのが、検察の掌の上で踊らされる、阿呆なマスコミだ。
 本当は、検察がどんなにひどいことをしても、それだけならたいして問題にはならない。そのときには、
 「検察はとんでもない暴走をしている」
 というふうに報道すれば、それでいいのだ。検察が何をしようと、その暴走した検察の状態を真実として報道すれば、それでいいのだ。マスコミが検察の犯罪をちゃんと報道すれば、それでいいのだ。
 しかるに、マスコミは、そうしない。逆に、検察にもらった情報をくわえて、シッポを振って、ワンワンと吠えているだけだ。ご主人様にもらった肉を加えることしかできない。そういう犬ころ状態のマスコミに、最大の難点がある。

 まとめ。
 「村上ファンドはこういう悪党だ」
 と大々的に非難するマスコミは、ただの阿呆または犬でしかない。まともなマスコミであれば、次のように指摘するべきなのだ。
 「検察は法の拡大解釈をして、強引に過剰な摘発をしている」
 「罪ゆえに逮捕するのではなく、逮捕するために罪を強引に作り出している」
( ※ 詳しい理由については、翌日分を参照。)

 [ 付記 ]
 なお、今の日本が狂気的な騒動状態にある、ということの見本は、下記の例からもわかる。イラク人質事件にも似ている。
( → ライブドア ニュースzakzak

 で、こういうことをライブドア事件に当てはめると、どうなるか……という話は、著作に大規模に記してある。著作をご覧ください。すごく長々と書いてある。


● ニュースと感想  (6月11日)

 本日はお休みです。
 (本日は「シュレーディンガーの猫の核心」というページに、いくらか補充情報を書いたので。たいしたことではないが、ちょっと時間を食ってしまった。というわけで、小泉の波立ちはお休みです。書く時間がない。…… 貧乏暇なし。  (^^); )


● ニュースと感想  (6月12日)

 本日はお休みです。書く予定だったのだが、やることが多すぎて、時間切れ。書く時間がなくなってしまった。
 ともあれ、やるべきことはこれで片付いたので、明日は書きます。少し多めに書きます。


● ニュースと感想  (6月13日)

 「村上ファンド事件の本質 (1)
 村上ファンド事件は、いろいろとよく考えてみると、ライブドア事件とはかなり毛色が異なる、という結論を得た。次のようになる。
   ライブドア事件  ≠  村上ファンド事件

 では、どこがどう違うのか? 次のようになる。
   ライブドア事件の検察 = 村上ファンド事件の検察
   ライブドア事件の被告 ≠ 村上ファンド事件の被告
         (ライブドア)   (村上ファンド)

 つまり、検察の馬鹿さ加減はどっちも同じなのだが、被告(ライブドアと村上ファンド)はかなり違う。
  ・ ライブドアのやったことは、巨悪ではない。(ありふれた小悪)
  ・ 村上のやったことは、検察の言う意味とは別の意味の悪である。
 ライブドアが巨悪ではない、ということは、何度も記述したことだから、ここでは繰り返さない。「まったくの善人ということはないが、世間で厳しく弾劾されるほどのことはない」というふうにまとめることができる。
 村上ファンドはどうかというと、これは、検察が言うような意味のインサイダー取引とは言えないだろうが、インサイダー取引とは別の意味でかなり悪い、と言えるだろう。
 となると、「村上ファンドも悪いが、検察も悪い。大騒ぎしている世間も悪い。みんな悪い」というふうに結論できそうだ。

 というのが、おおよその結論となる。というわけで、本日以後、何回かの連載で村上ファンドシリーズを始める。

( ※ 書くべき内容はいろいろあるが、いきなりたくさん書くわけにはいかないので、少しずつ書くことにします。)
( ※ 今日はちょっと疲れてしまいました。あれこれ考えたり、昨日の疲れが出たり。)


● ニュースと感想  (6月13日b)

 「村上ファンド事件の本質 (2)
 月曜日(12日)になって、興味深い記事が二つ出た。次の通り。
   (1) 読売新聞の記事
   (2) AERA の記事 (大鹿記者による)

 前者は「村上は悪党だ」という趣旨で書いてある。後者は「村上は無罪になりそうで検察は大失態をやらかしそうだ」と書いてある。趣旨は正反対。
 このどちらも重要なことが書いてあるので、読者はどちらも読むことをお勧めする。前者に似た報道はたくさんあるが、後者に似た報道はほとんどないので、後者は是非とも目を通すことをお勧めする。(私と違って、村上ファンドをずっと追っていた人だけあって、かなり詳しい事情を知っている。とはいえ、検察だって、組織力にものを言わせて、かなり多くのことを知っている。後者だけが絶対的に正しいということにはならない。)

 さて。この二つを比べて、どう評価するか? それは、細かな話となるので、このあとでおいおい述べていくことにする。今回は、とりあえず、以後の論議の前提となる資料を提示しておいた。読者としても、とりあえずは予習の形で、上の二つの話に目を通しておくことをお勧めする。

( ※ ただし、目を通しておかなくても、以後の私の話では、肝心のことについてはざっと引用するので、目を通しておくことは必須ではない。詳しく考えたい人のみが目を通しておけばよい。)
( ※ 二つの記事を読み比べると、趣旨は正反対だが、事実認定そのものはたいして差はない、とわかる。同じ事実を見ても、見方しだいで、異なる結論が出る、ということがわかる。どういうふうに異なるか、ということは、翌日以降の分で示す。)


● ニュースと感想  (6月13日c)

 「サッカーの日本敗北」について。
 日本が負けましたねえ。1−0 でリードして、そのまま逃げ切るかと思いきや、最後に連続して、2点を失う。……しかし、運じゃないですね。それまでずっと危機一髪の連続。なのに日本には、得点のチャンスはほぼ皆無。となると、実力通りでしょう。

 これで判明したのは、「ジーコは駄目だ」ということ。いや、そんなことは、サッカーファンならみんな知っていることだが、「王様は裸だ」と言えないで、「神様、神様」と崇めていたから、こういう馬鹿げた結果になる。妄想のあげくの結末にすぎない。
 だいたい、「オフサイドトラップを禁止する」なんていう方針を取る監督がいますか。狂気的だ。相手はオフサイドトラップのやり放題で、こちらはやれない。これじゃ、片手を縛られて殴り合うようなものだ。一方的に損。相手のチームが戦術をとれない馬鹿チームならともかく、相手のチームが知将であれば相手に踊らされて簡単に負けてしまう。当り前。

 この四年間は、トルシエが築いてきたものを、ひたすら破壊してきた4年間であった。アジアの弱小国を世界レベルまでに押し上げたのがトルシエなのに、「韓国みたいにベスト4に入れなかったからトルシエは駄目だ」と結論する。かわりに神様ジーコを招いて、ひたすら崇める。たとえば、こうだ。
「組織重視のサッカーなんて、ちっとも面白くない。個人の個性が発揮されて、自由奔放なサッカーこそ、面白い。トルシエのサッカーは型にはまって詰まらなかったが、ブラジルのサッカーは自由奔放で楽しい。だいたい、学校でも企業でも、組織重視でがんじがらめになっていては、気が重いね。組織重視は、古臭い封建主義だ。個人重視のリベラリズムこそ、新しくて素晴らしい」
( → 2004年5月17日

 マスコミはこの四年間、ひたすら神様ジーコを崇めていた。(本当は貧乏神なんだけどね。)……その結末が、このありさまだ。
 いい加減、妄想から覚めたらどうなんでしょうかね。「神様は裸だ」と言うべし。いや、「神様は貧乏神だ」と。つまり、マスコミは「ジーコを崇めていた自分たちは間違っていた」と反省するべし。

 ともあれ、何事であれ、お馬鹿なマスコミがいっせいに「こっちは神様だ」とか「あいつは駄目だ」とか喚くときには、たいていその意見ははずれている。4年前、トルシエ批判の嵐が渦巻いたあげくが、このざまだ。馬鹿丸出し。
( ※ だから私はずっと、こういうトルシエ批判を、問題視してきた。 → google検索


● ニュースと感想  (6月14日)

 「サッカーとジーコ」について。
 ゲームのあとで、ふと思ったのは、4年前の記憶。あのときのトルシエ日本と、今のジーコ日本とが戦ったら、どちらが勝つか? 4年前の圧勝でしょうねえ。顔ぶれはほとんど同じだから、選手は4年分進歩しているはずだ。実際、四年前には、「次のW杯では選手が全盛期を迎えるから期待がもてる」と言っていた。ま、選手はね。しかし、チームは惨憺たるありさまだ。
 今回のゲームを見て、何よりも情けなかったのは、チームとしてまったく機能していない点だ。各人がバラバラに行動しているだけ。意思統一が図れていないから、バラバラの個人が勝手に運動しているだけだ。
 その点、四年前のトルシエチームはすばらしかった。各人がまるで一つの生物のように連携していた。シュートするときは、A,B,Cという三人ぐらいがゴールをめざして、うまいぐらいにボールが渡って、ゴールを直撃。相手チームは、ボールがAかと思うとBへ、さらにCへ、と流れるので、戸惑うばかり。戸惑ううちに、相手は失点。……こういうふうに連携の取れた組織的プレーというのは、近代的で、とても美しかった。それというのも、そういうことばかり、トルシエは練習させていたからだ。できて当然か。
 今のジーコでは? そういう練習を全然、やってない。実戦形式のミニゲームばかり。比喩的に言うと、学校の勉強で、基礎の学習をやらないで、テストばかりやっているようなもの。授業なしで、テストだけやるから、ちっとも実力が付かない。本来ならば、教師がじっくり教育するべきなのだが、教師は生徒の自主性を重視して、すべて「自習」という形で、教育放棄。朝日の漫画の「藤原先生」(いい加減な女教師)と同じである。

 こんな状態では、誰もサッカーに興味を持てなくなるから、サッカーくじ toto も大赤字。サッカーくじの赤字をまかなうために、国家から補填しなくてはならないようだ。一般の人々も損をするハメになる。
 ジーコのせいで、あなたもいくらか損をする。

 [ 付記 ]
 ざっとニュースやブログを調べた。その結果は? 案の定だ。マスコミのニュースは相も変わらず「次のクロアチア戦で頑張ろう」なんて言っている。だが、ブログには、ジーコ批判がわんさと湧いている。たとえば、これ。( → 該当サイト


● ニュースと感想  (6月14日b)

 「プロ野球と不正経理」について。
 ロッテのバレンタイン監督が、ドラフトの裏金疑惑を主張している。30億円ぐらいが裏金で流れている、という疑惑。( → ニュースサイト ,朝日朝刊スポーツ面 2006-06-13 )
 裏金というと、特に、読売とダイエーが裏金を垂れ流しているというのは、常識だろう。(なかんずく、読売の慶大卒の主砲の疑惑は、週刊誌でも詳しく報道された。オヤジの会社に裏金が流れたわけ。大赤字だったのを補填したらしい。)

 ま、これは「スポーツ界の暗部」というふうに報道されることが多い。しかし、である。これは、同時に、「不正経理」でもあるのだ。たとえば、息子に払われるべき裏金が、オヤジの会社の赤字の補填のために使われたら、これは立派な「不正経理」という犯罪である。
 となると、Y新聞社のNツネなんかは、ホリエモンと同様に、逮捕されて豚箱に入れられて、当然だろう。(彼が十億円規模の裏金支出を知らないはずがない。大好きな野球チームのオーナーなんだから。)
 Nツネは、ホリエモンや村上をさんざん非難していたんだから、自分だって似たような罪を犯した以上、さっさと豚箱に入るべし。というか、検察は、彼を豚箱に入れるべし。
 でも……検察は、やるわけないですね。グルなんだから。

 結論。
 検察も、Nツネも、正義の味方どころか、グルの一味である。
 ( ※ ま、他にもいますけどね。フジとか東証にも。……グル連中。)


● ニュースと感想  (6月14日c)

 「村上ファンド事件の本質 (3)
 村上ファンドについては、本日はちょっとだけ触れておこう。
 検察と村上ファンドの双方を比べると、次のように言えそうだ。  「この両者は、どちらも法律ゲームをやっている。同じ穴のムジナである」
 具体的に言うと、次の通り。
  ・ 村上 …… 違法ギリギリの合法を狙う。
  ・ 検察 …… 合法ギリギリの違法を狙う。

 村上っていうのは、ずるい奴で、「違法にならない限り、どんなに非倫理的なことでもやって、金を儲けてやろう」と考える。だからホリエモンにも「時間外取引」なんていう悪知恵をつけた。「合法的なんだから文句ないだろう」という理屈で、法の網をかいくぐろうとする。ま、善良という言葉とは正反対の、ずるがしこさだ。(ただし、悪質な犯罪者とは違う。)
 検察っていうのも、そっくりなほど、ずるい奴で、「合法にならない限り、どんなに小さな悪でも、逮捕してやろう」と考える。たいていの人間は、どこかでちょっとミスをしているから、検察の総力を挙げて顕微鏡で調べれば、「有罪と解釈することもできる」というような新事件を見つけることができる。特に相手が、普通の人間ではなくて、「グレーゾーンギリギリの白を走ろう」という連中ならば、「グレーゾーンギリギリの黒だと見なす」というふうに摘発することができる。

 ま、どっちも、ずる賢い連中だ。片方は、白ギリギリのグレー。片方は、黒ギリギリのグレー。どっちも、「白だ」「黒だ」と、自分の都合で決めつける。似たり寄ったり。方向が違うだけ。

 で、こういうのをまとめて言えば、「法律ゲームだ」と見なすのが妥当だ。普通の人間には関係のないことである。普通の人間は、白の道を歩く。ときどき、悪の道を歩く連中もいる。しかし、灰色の境界付近を歩こう、なんていう知能犯は、あんまりいないものだ。……そういう知能犯連中の法律ゲームが、ライブドア事件だったり、村上ファンド事件だったりする。

 さてさて。で、何が言いたいか? 私が言いたいのは、次のことだ。
 「グレーはグレーである。グレーのものを見て、真っ黒だと認識するのは、とんでもない勘違いだ」
 世間では、ライブドアや村上ファンドを、とんでもない悪党だと見なす意見が多い。しかし、それは、完全な誤解だ。ホリエモンも村上も、根っからの悪党ではない。ギリギリの合法を狙っていたのであって、違法を狙う犯罪者であったのではない。
 田原総一郎が週刊誌(週刊現代だったかな)で書いていたが、「通産省を辞めて犯罪者をめざすほどの馬鹿であるはずがない」ということだ。村上というのは、灘高出身のエリートであって、犯罪者になろうとするはずがない。それどころか、側近を法律専門家で固めて、犯罪を犯さないようにさんざん注意していた。
 こういうことからしても、彼は「白ギリギリのグレーを狙う」という方針を取っていたのであって、黒を狙っていたのではない。なのに彼を「黒を狙う犯罪者」と見なすのは、とんでもない見当違いである。

 結局、こう言える。
 「ライブドアや村上ファンドを、真っ黒な極悪人と見なすマスコミは、重大な事実誤認をしている」
 それは、比喩的に言うと、たまたま交通事故で人を死なせた人を、「世紀の大悪人。サリン殺害に並ぶ未曾有の大犯罪者」と報道するようなものだ。ひどい錯覚がある。
 はっきり言えば、今の日本は、狂っているのだ。狂気。この狂気を理解することが、最も重要なこととなる。

( ※ 今回の地検の摘発では、そのことがいっそう明らかになった、と言えそうだ。地検は、ライブドア事件のときにも暴走したが、今回もまた暴走した。)
( ※ 地検の行動が暴走だ、と言えるためには、法的な論拠が必要となる。この件は、翌日以降で。)


● ニュースと感想  (6月15日)

 「福井総裁と村上ファンド
 福井総裁が村上ファンドに投資していたという問題で、大騒ぎ。野党もこれを取り上げるし、新聞も「道義的に良くない」「李下に冠を正さず」などと大騒ぎ。
 この国は、同化しちゃったんでしょうかねえ? 物事を論理で考えず、ただの思いつきの感情で考える。幼児化現象。

 「道義的に良くない」「李下に冠を正さず」というふうに論者たちが述べているのは、「それは違法ではない」というふうに自分でも認めているからだ。
 で、なぜ、違法にならないか? それをよく考えたらいい。すぐに、こうわかる。
 「日銀総裁の投資した先は、ただの投資ファンド。日銀総裁の権限が及ぶのは、国家全体の金融政策」
 だとすれば、日銀総裁がやってはならないことは、お金を銀行に預けることだ。お金を銀行に預けると、金融政策しだいで、金利が上がったり下がったりする。ゆえに、日銀総裁は、国債を買ってもならず、定期預金をしてもならない。無利子の普通預金だけをしていればよい。
 これが「李下に冠を正さず」よりも、もっと重要なことだ。その一方で、投資ファンドに投資することは、日銀の金融政策の統御の下にないから、ちっともかまわない、ということになる。
 
 だから、論理的に言えば、次のようにするべきだ。
 「日銀や財務省や金融庁の職員は、国債を買ってもならず、定期預金をしてもならない。無利子の普通預金だけをしていればよい」
 これがまともな論理的な発想である。(ただし、馬鹿げていますけどね。)
 
 さらに言えば、もっと典型的に悪質なのがある。竹中大臣だ。竹中大臣はかつて、投資信託(EFT)の購入を閣僚に勧めて、自分でも買うと表明した。
( → google検索
 この場合は、自分の経済政策が直接、自分の損得に結びつく。ゆえに、「李下に冠を正さず」どころではない。インサイダーそのものだろう。
( ※ EFTというのは、投機商品だから、その意味でインサイダーにあたる。ただし、細かく言うと、企業でなくて国家経済についての、インサイダーである。だから法律的には、有罪にはならないかもしれない。とはいえ、今はやりの「法律よりも道義で」という論調では、インサイダー取引として非難されることになる。)
 
 結論。
 福井副総裁について「あつものに懲りてなますを吹く」なんていうことをするより、竹中を「インサイダー取引」で逮捕するべきだ。村上本人の隣の留置場にぶち込むべき。(冗談ですけど。)
( ※ 要するに、何が言いたいかというと、今の日本は論理がイカレて、感情だけで喚いている幼児状態だ、ということ。どうせ道義で騒ぐなら、日銀総裁よりは竹中の道義で騒ぐべし。)

 [ 付記 ]
 おまけで一言二言。
 村上は国民に一円の損もかけていないが、竹中は国民に数十兆円の損失をもたらした。国家経済をひどく低迷させ続けた。その罪は非常に重い。村上ファンドどころではない。
 日本で最大の経済犯罪者は、竹中だ。小泉が最高責任者ではあるが、彼はただの馬鹿にすぎない。政策を竹中に丸投げしただけだ。国民に莫大な損失をもたらした実質的な犯人は、竹中である。

 ただし、小泉がまったく無罪かというと、そうでもない。
 彼は、靖国問題で中国や韓国と大喧嘩をやらかして、国家経済に莫大な損害を与えた。たとえば、中国の市場では「できる限り日本製品を買わない」という反日感情があるせいで、日本の企業は大損している。あなたがIT系の会社に勤めているとすれば、あなたは小泉のせいで確実に大金を失っている。
 で、その理由は? 彼が「靖国参拝」なんていう私人の嗜好を、国家の方針に優先させたからだ。私人の嗜好は、私人としてならいくらでもやっていいが、国家の最高権力者であるうちは、私人の嗜好に封印をしておくべきだろう。私人の嗜好を優先して、国民全体に何兆円か何十兆円もの損害を与えるなんて、言語道断である。
(これは「李下に冠を正さず」どころではない。そもそも、李下で冠を正したって、何もしていないのであれば、それ自体には罪はない。一方、小泉はそうではなくて、李下でとんでもないことを実際にやらかしたのだ。)

 こういうふうにとんでもない悪党をほったらかして、犯罪者でもない人を見て大騒ぎするなんて、どうかしている。「李下に冠を正さず」なんて言葉で大騒ぎするよりは、「冠を正しただけの人を大犯罪者扱いする」という狂気を、正気に戻す方が、よほど重要である。
 今のマスコミや野党は、「李下に冠を正さず」もしくは「誤解されたことが罪である」という方針を取りながら、「誤解する方が正しい。誤解された方が悪い」というふうに述べる。しかしこれは、「真実の否定と、虚偽の正当化」である。彼らは、「虚偽と妄想を正当化して、真実を隠蔽する」ことだけに熱中している。


● ニュースと感想  (6月16日)

 「村上ファンド事件の本質 (4)
 村上ファンドの問題の本質について、法律的に考えよう。
 検察によると、容疑は、「インサイダー取引」である。しかし、これを「インサイダー取引」と見なすのには、ちょっと無理がある。

 (1) 故意の有無
 村上ファンドのやったことは、本当に犯罪か? 形式論議では、犯罪になるのかもしれない。しかし、これは、誰もが犯罪だと見なすような行動ではなく、誰もが犯罪だとは思わなかった行動なのだ。( → 6月10日
 村上ファンドの行動は、多くの人が知っていた。しかし、それを知っても、誰も「これは犯罪だ」とは思わなかった。
 また、村上ファンドの等の関係者たちも、これを「犯罪だ」とは思わなかった。実際、彼自身、常に「違法になるまい」と注意していたというし、優秀な法務担当者が常に法をチェックしていたという。また、「インサイダー取引になるまい」という懸念から、2月になってからは取引を中止したし、また、それ以前にホリエモンから何かを言われ書けたときには、「それを言うな。言うとこっちがインサイダー取引になるから」というふうに、相手を制している。
 つまり、法を犯そうとしたことはなく、常に「法を犯すまい」としていたのだ。過失はあったかもしれないが、故意はなかったのだ。たまたま法を犯してしまったのかもしれないが、あえ法を犯そうとすることはなかったのえだ。……そして、その意味は、「彼らが特別善良であったから」ではなくて、「彼らが常に違法ギリギリのところを歩いていたから」である。
 こうして見ると、少なくとも彼らを「れっきとした犯罪者」と見なすことには、無理がある。たとえば、村上ファンドが「ライブドアの情報を盗んでやろう」と狙っていて、その情報を盗んだのであれば、れっきとした犯罪者だ。しかし、「聞くまい、聞くまい」と指定ながら、たまたま聞いてしまったことのなかに、聞いてはならないことがあったとしたら、せいぜい「注意不足」になるだけだ。仮に犯罪になるとしても、彼らの犯罪は「注意不足」にあるのであって、「情報を盗もうとして盗んだ」という犯罪にはならない。
 なのに、前者を後者だと見なすのであれば、世間は根源的に倒錯していることになる。検察が村上ファンドを悪党に仕立て上げたいのはやむを得ないとしても、それをまるきり頭ごなしに信じるようでは、マスコミの存在価値がない。政府発表を鵜呑みにするだけで、自己検証ができない。要するに、自分の頭がない。
 マスコミの存在意義は、何か? 二日ほど前、「読売新聞社の記者に守秘義務を認める」という判決が出た。その際、「マスコミには政府の情報を検証する役割があるから」という理由で、その特権的な守秘義務を認められた。しかるに、現実には、政府の情報を検証するどころか、政府の情報を垂れ流して、世間を煽動しているだけだ。「検証」という言葉のかけらすらもない。……今のマスコミは完全に存在意義を失っている。少なくとも、「異なる意見」「複数の意見」というものを報道せず、政府の意見の片面報道しかしていない。マスコミの北朝鮮化である。(日本の北朝鮮化とも言える。金正日はいないが、検察はいる。どちらも独裁的。マスコミはそれにひれふすだけ。)

 (2) 境界線
 では、故意がなかったのに(過失で)犯罪を犯してしまったとすれば、それは、なぜか? グレーとブラックの境界線が引かれていなかったからだ、と結論していいだろう。
 もともと境界線が引かれていれば、その境界線をあえて踏みはずそうとするはずがない。わざわざ境界線を踏み越えて、そのことを堂々と世間に告白するはずがない。どうせ犯罪をするならこっそそりとやるはずだ。
 現実には、そうならなかった。境界線をあえて踏みはずそうとしなかったのに、境界線を越えてしまった。というのは、そこに境界線があるとは、誰も思わなかったからだ。
 ここでは、村上ファンドが特別に悪いわけではない。誰もがそれを犯罪だとは思わなかったのだから、誰もが同じように悪い、とも言える。ただ、それを実行したのが村上ファンドだから、たまたま逮捕されてしまったのだ。
 こういう場合には、本来ならば、境界線をはっきりと引くべきだろう。それが道理である。ところが、「境界線を先に引く」という本質を離れて、「解釈しだいではここに見えない境界線があるのだ」というふうに主張して、強引に摘発するのが、検察だ。
 なるほど、そこには境界線があるのかもしれない。もしそこに境界線があるとしたら、検察は法律的に勝訴するのかもしれない。しかし、これは、あまりにもずる賢い方法だ。これは「悪いことをしたやつを逮捕する」というのではなくて、特定の相手に狙いを定めて、「こいつを逮捕するために、あえて特定の新解釈をする」というやり方だ。……こういうことをやると、検察や法に対する信頼を損ねることになる。
 マスコミはしばしばこう言う検察の方針を「国策捜査」と称する。しかし、(前にも述べたが)これは言葉がきれいすぎる。政府がそういう方針を取るのではない。検察が勝手に暴走して、そういう方針を取っているのだ。
 私としては、これを「ターゲット検挙」もしくは「狙い撃ち検挙」と呼びたい。特定の相手に狙いを定めて、徹底的につけ回す。そして、小さな犯罪を見出して、大々的に摘発する。例は多い。
 特に、ライブドア事件の熊谷は、事件にはほとんど関与していないらしいのに、事後的に社長に就任したという理由で、ほとんど見せしめのように逮捕されてしまった。
 これらはいずれも「ターゲット検挙」「狙い撃ち検挙」だ。罪を犯した人を逮捕するのではなく、逮捕するために罪を強引にこじつける。
 ここでは、根源に問題がある。「境界線を引いて、その境界線を越えた人を逮捕する」のではなくて、「逮捕する人に合わせて、境界線を勝手に引く」ということだ。
 これは検察の暴走と見ていいだろう。

( ※ 話は翌日分に続く。)


● ニュースと感想  (6月17日)

 「村上ファンド事件の本質 (5)」。(前日分の続き。)
 いよいよ話の核心に触れよう。

 (3) 法的解釈では
 前項(前日分)で述べたように、村上ファンドのやったことは、グレーであると言えるし、境界線ギリギリであると言える。
 では、グレーとは何か? 境界線とは何か? ── それが問題となる。この問題を扱おう。
 法律的に言えば、インサイダー取引というのは、本来、次の意味だ。私の説明だが。)
 「業務について、内部の人(インサイダー)が、自らの職務上で知った情報を利用して、株の売買をすること

 さらに、東証のホームページの解説によれば、次のようになる。
 「インサイダー取引とは、会社の内部者情報に接する立場にある会社役員等が、その特別な立場を利用して会社の重要な内部情報を知り、その情報が公表される前にこの会社の株式等を売買することを言います。」( → 該当サイト

 さらに、Wikipedia から法律を引用すると、もう少し具体的な記述がある。
 「具体的には、以下の者による取引が、内部者取引の規制対象となっている(証券取引法第166条)。
   1. 会社の役員その他の従業員で、重要事実を知った者
   2. 会社の帳簿を閲覧できる株主で、重要事実を知った者
   3. 当該会社の親会社の役員その他の従業員で、重要事実を知った者
       ……(以下略)……
」( → Wikipedia

 これらが、インサイダー取引の定義にあたる。三つの定義を述べたが、実質的にはどれも同じだ。要するに、会社の内部にあたる人物がその職務権限を利用して知った情報を悪用する、という点が、眼目だ。
 では、村上ファンドは、どうか? その定義に当てはまるか? どうも、当てはまりそうにない。
 第一に、村上ファンドは、ライブドアの内部者ではない。ライブドアの社員でもないし、取引先でもない。その意味ではインサイダーではない。
 第二に、村上ファンドは、職務権限を利用して情報を知ったわけではない。その情報はもともと村上ファンドが与えたものだ。「ニッポン放送を買うといいですよ」というふうに、株を買うことを勧めた。その情報は、職務上で得た情報というよりは、自分が与えた情報なのだ。
 
 第二の点で言おう。村上ファンドは、「ニッポン放送の株を買うといい」と勧めた。その情報は、村上ファンド自身が与えた情報である。「ライブドアがニッポン放送の株を買う」というのを知ったとしても、それは、情報を知ったというよりは、情報を確認したという程度にすぎない。普通の人ならば、ライブドアがニッポン放送の株を買うということは、まったく予想がつかないから、その情報は新規に得たことになる。しかし村上ファンドは、「そうせよ」と勧めた時点で、その情報の大半を自分で得て与えていた。最後に「実行する」かどうかだけが不確定であっただけだ。……こういうのは、本来の意味の「インサイダー取引」とは、だいぶ異なる。ま、それでも、法律的に強弁すれば、「情報を知った」ということになるのかもしれないが。(が、だとしても、別の問題がある。次に述べる。)
 第一の点で言おう。村上ファンドは、ライブドアの内部者ではない。どちらかと言えば、外部者だ。たとえ情報を知ったとしても、その情報は、インサイダーとして知ったのではなくて、アウトサイダーとして知ったのだ。職務上で情報を知ったのではなくて、たまたまおしゃべりふうにして聞いてしまったのだ。……こういう形で「たまたま聞いてしまった」というのを「インサイダー取引」と見なすのには、法律的に無理がある。どうしても罰したいのであれば、「アウトサイダー取引」という罪で罰するべきだろう。「外部の人がたまたま情報を得て、株を売買することは悪である」というふうに、法を制定するべきだ。(しかし、そんな法を制定すると、世の中は大混乱になりそうだ。)
 ともあれ、次のようにまとめることができる。
  ・ 「情報を知った」ということにはなりそうにない。(もともと自分の情報だ)
  ・ たとえ「情報を知った」としても、インサイダーでなくアウトサイダーとして知った。
 この二点から、「インサイダー取引」と見なすには、法律的に無理がある。見なすとしたら、法の拡大解釈と見ていいだろう。……それが検察のやっていることだ。

 (4) 共同事業
 村上ファンドを「インサイダー」と見なす解釈もありそうだ。その場合には、「村上ファンドはライブドアと共同事業をしていた」ということが成立することが必要となる。
 このことは、おかしくはない。なぜなら、ライブドアは、そう思っていたからだ。
 「ニッポン放送の経営権を取得できたらいいですね」
 というふうに語っていたこと(証言あり)からもわかるとおり、ライブドアの側は、村上ファンドといっしょに、ニッポン放送の経営権を取得するつもりだった。つまり、共同事業をしているつもりだった。実際、あれやこれやと、株式取得の方法を指南してもらったが、それはすべて、経営権取得をめざして株を購入しようとしていたからだ。そして、自分がそうであるから、村上ファンドもそうであると思い込んでいた。(というか、村上側が、そう思い込ませていた。)
 さて。問題は、本当に共同事業であったかどうかだ。
 もし共同事業でないとしたら、村上ファンドはインサイダーにならない。ただのアウトサイダーにすぎない。アウトサイダーとして、たまたま話を聞いただけだ。(すぐ前に述べたとおり。)この場合には、「インサイダー」ではないから、「インサイダー取引」という法の理念には該当しない。
 もし共同事業であれば、インサイダーになる。しかし、である。村上ファンドがライブドアと共同事業をしていたという証拠は、何もない。仮に、その証拠があるとすれば、ライブドアは「契約違反」を理由として、村上ファンドに巨額の賠償を請求できる。しかし、そんな法的な文書はどこにも存在しない。ただの口約束で、株の共同購入をしているつもりだっただけだ。……つまり、法的な調印文書がないのだから、そのような実態はなかったことになる。あるのはライブドアの「錯誤」だけだ。そして、ライブドアの「錯誤」を理由として、「共同事業は事実であった」と認定したあげく、村上ファンドを法的に罰することなど、できるはずがない。
 結局、村上ファンドは、共同事業をなしていなかった。ゆえに、インサイダーではない。ゆえに、「インサイダー取引」という法の理念には合致しない。無理に合致させようとすれば、「法の拡大解釈」となる。

 (5) 詐欺
 では、村上ファンドは、何も悪くはないだろうか? いや、悪いことは悪い。ただし、その悪さは、「インサイダー取引をしたこと」にあるのではなくて、「ライブドアをだましたこと」にある。これは、詐欺の一種だ。
 実際、ライブドアの経営者たちは、「村上ファンドにだまされた」とあとでさんざんぐちっている。「だまされた僕らが子供だった」と反省しているが、それはそれでいいとして、だからといって村上ファンドが免罪されるわけでもない。
 私見では、村上ファンドのやったことは、「詐欺」にあたる、と思う。ライブドアは詐欺をしていないが、村上ファンドは詐欺をしたのだ。(ライブドア事件では、ライブドアは株主の金を盗んだわけではないから、詐欺は成立しないが。)
 実際、村上ファンドは、株の取引で大儲けをした。そして、その分、ライブドアは余計な出費をするハメになり、損をした。両者の損得はほぼ一致する。ここでは、ライブドアが金を損した分、村上ファンドが得をしたことになるので、損得の意味では、詐欺の犯罪性が成立するだろう。
 もちろん、ここで「詐欺」と言えるのは、村上ファンドがライブドアをだましたからだ。だましたことは、文書でだましたかどうかは関係なく、口頭でだましただけでも、詐欺は成立する。「きみと結婚するよ」と口頭で嘘をついてだまして金を巻き上げた結婚詐欺師は、詐欺罪で逮捕される。同様に、村上ファンドも、「いっしょに共同購入をしよう」というふうに思わせて、実際にはそうではなくて最後に裏切ったのだから、「きみと結婚するよ」と思わせたあげくに「結婚するなんて文書は用意していないぜ」と言って逃げる結婚詐欺師と同様だ。
 要するに、村上ファンドは、「インサイダー取引」という形で一般人に対して損害を与えてはいないが、「詐欺」という形でライブドアには損害を与えている。その意味で、村上ファンドは、悪党であり、犯罪者である。
 しかしながら、ライブドアを非難する世間も検察も、真実を理解できない。つまり、「ライブドアが被害者となる」という形で村上ファンドが詐欺をした、という真実を理解できない。あげく、「詐欺」のかわりに「インサイダー取引」という拡大解釈で、デタラメな逮捕をする。
 どこからどこまで、トチ狂っているのだ。そして、それというのも、最初に「ライブドアは悪党だ」という根源的な勘違いをしたからなのだ。ライブドアを悪党だと思い込んでいるから、ライブドアを被害者だと認めることができない。そのせいで、真実を見失う。
 最初に真実のボタンをかけ間違うと、以後のすべてが虚構となる。

( ※ 村上ファンド事件の話は、これで一応、完了。本日分の話が本質的である。このあとは少々、落ち穂拾いふうの話を、いくらか続ける。)


● ニュースと感想  (6月18日)

 「村上ファンド事件の本質 (6)
 村上ファンド事件について、法律的な解釈を述べよう。
 前項では、証券取引法違反の容疑として、三つの項目を示した。具体的には、次の三つだ。( Wikipedia からの引用。)
  「 1.  会社の役員その他の従業員で、重要事実を知った者
   2.  会社の帳簿を閲覧できる株主で、重要事実を知った者
   3.  当該会社の親会社の役員その他の従業員で、重要事実を知った者」
 これらは、インサイダー取引の核心的な事例である。ただし、検察が容疑としたのは、この三つのいずれでもなく、7番目の項目であったらしい。引用すると、こうだ。
  「 7.  1.〜6.に掲げた者から重要事実の伝達を受けた者」
 ここには、「重要事実の伝達」という概念がある。これがどうやら、検察の摘発の法的根拠らしい。ネットであちこちを調べても、そういう解釈をする人が多い。

 たしかに、 1.〜6. は、「インサイダー」の概念には当てはまるが、村上本人はこの概念には当てはまりにくい。(前項で述べたとおり。アウトサイダーになる。)── というわけで、「インサイダー」そのものではなくて、「インサイダーから情報を得た」という形で、法律違反となる、というふうに解釈するわけだ。
 とはいえ、この解釈(7番目の項目違反と見なす解釈)には、難点がある。世間や検察には反するが、私なりの見解を示そう。

 一つは、この行為を「インサイダー取引」と見なすことはできるかもしれないが、村上本人という人間を「インサイダー」と見なすことはできにくい、ということだ。あくまで「インサイダーから情報を得たアウトサイダー」であって、インサイダーではない。彼を「インサイダー取引の法律違反」と見なすことはできるとしても、彼を「インサイダー」と見なすことは不適切だ。……この意味で、マスコミの報道は、不正確であろう。(ま、法の問題というより、認識や報道の問題だが。)

 もう一つは、法律的に言って、村上ファンドはこの7番目の項目には当てはまらないはずだ、と思えることだ。つまり、法律違反にはなっていない、ということだ。その理由は、以下の通り。

 この「7番目の項目」は、「インサイダーから情報を得た」ことで罪になるのではない。ここを誤解しないように注意しよう。
 「インサイダーから情報を得た」という点では、村上本人が「聞いちゃった」と述べているように、たしかに、何らかの情報を得た。それは確かだ。しかし、法の規定は、「インサイダーから情報を得た」というだけでは処罰されないようになっている。なぜか? ここには、「重要事実の伝達」という概念がある。ここでは、「重要」と「伝達」ということのほかに、「事実」ということが必須条件となる。では、村上本人の得た情報は、「事実」の情報であったのか? 
 それが、どうやら、そうではないらしい。あちこちの報道を見ても、村上本人が聞いた情報は、次の二点だけだ。
 「ニッポン放送の株を経営権を握れたらいいですね」
 「お金をたくさん用意しました」
 このうち、後者は事実だが、前者は事実ではない。ただの願望にすぎない。たとえば、次のことは事実だろうか? 
 「藤原紀香と結婚したいんですよね。おれはお金をたくさんもっているし」
 これを聞いた人は、「こいつは藤原紀香と結婚する」という事実を知ったことになるのだろうか? まさか。「ただの妄想を聞いた」と思うだけだろう。
 また、次のことは事実だろうか? 
 「フジテレビを買収したいんですよね。当社はフジテレビを買収するお金をたくさん用意しました」
 これを聞いた人は、「この会社はフジテレビを買収する」という事実を知ったことになるのだろうか? まさか。「危なっかしいことをやりそうだな」と思うだけだろう。
 要するに、「買収したい」という願望は、「買収する」という事実ではない。願望と事実とは異なる。願望を事実と同一視するのは、気違いだけだ。
 「僕は石原さとみと結婚したい」という願望を、「僕は石原さとみと結婚する」という事実だと思うのは、気違いだけだ。

 このことをいっそう補強する論拠もある。先日紹介した AERA の大鹿記者の記事にある。上記の「ニッポン放送の経営権を取得できたらいいですね」と述べたのは、ライブドアの社長ではなくて、当時の降格ヒラ社員であるにすぎない。
 
 さらに言えば、「できたらいいですね」というのと、「したい」というのとは、大差が付く。たとえば、ある美人女性のそばにいる人が「きみと結婚できたらいいなあ」と語ったとしても、それをプロポーズだと思う人はいないだろう。ただの社交辞令のようなものだ。プロポーズなら、「きみと結婚したい」と述べる。つまり、「きみと結婚したい」という言葉と、「きみと結婚できたらいいなあ」とでは、全然違う。
 英語で言えば、仮定法過去というのは、「現実にはありえない出来事の願望」のことなのだ。ここでは、「現実にはありえないこと」が語られている。「現実にはありえないこと」を、「事実」と見なすのは、頭が狂っているとしか思えない。……要するに、こういうのは、論理的に破綻しているのだ。

 結局、「ニッポン放送の経営権を取得できたらいいですね」というのは、ただの願望であって、それは、事実には反する願望なのだ。夢想とも言える。現実には反する夢想を「事実」と見なすことはできない。それゆえ、第7項の「重要事実の伝達」には合致しない。かくて、法律的には、村上のやったことは「インサイダー取引」にはならないのだ。

 とはいえ、以上は、常識的に日本語を使った場合の話だ。実際には、法律家というのは、勝手に言葉を解釈して、常識はずれの解釈をやたらとする。検察が「これは黒だ」と言えば、白っぽい灰色も「黒だ」というふうに判決を下す裁判官が非常に多い。検察官が「白馬は馬にあらず」と主張すれば、裁判官は「なるほど。白馬は馬ではない」というふうにメチャクチャな非論理的な判決を下すことは多い。……だから、実際には法律違反をしていなくても、「法律違反で有罪」という判決が出る可能性は十分にある。
 とはいえ、まともに判断すれば、村上ファンドのやったことは「インサイダー取引」にはあたらないのだ。
 これが一応、法律的な結論となる。

 [ 付記 ]
 で、何が言いたいか? 法律論議か? いや、本サイトは、法律関係のサイトではない。細かな法律論議なんかするつもりはない。すぐ上に述べたとおり、まともな頭で判断すれば無罪でも、実際には有罪になることはある。そういう法律の世界のことをいちいち述べるつもりはない。
 では何を述べたいか、……ということは、6月21日の分で。


● ニュースと感想  (6月19日)

 本日はお休みです。サッカーW杯記念で。(なんのこっちゃ?)


● ニュースと感想  (6月20日)

 「科学的な思考」について。
 物理学のサイトの、「シュレーディンガーの猫の核心」というページに、追記を加筆した。
   → 該当箇所
 ただし、初めて読む人は、最初からご覧ください。
   → ページの冒頭

 なかなかおもしろい話がある。文系の人でも読むことをお勧めする。別に数式が出てくるわけではない。「科学的な思考とは何か」というテーマについての話だ。
 理科系の人間ほど、科学的な思考から遠ざかってしまう、というような話。理科系の人間ほど、科学的でない、というような話。具体的な例も示してある。また、この難点を脱して、科学的な思考を取るには、どうすればいいか、ということも書いてある。
 簡単に言うと、数式にとらわれると、かえって本質をつかめないから、モデルを使って、本質をつかめ、というような話。
 そういえば、ケインズも、同じようなことを言っていた。
 「精確に間違うよりも、おおまかに正しい方がいい」
 と。つまり、ケインズは、科学的であったわけだ。


● ニュースと感想  (6月21日)

 「村上ファンドの評価」について。
 村上が「インサイダーだと認識していたと白状した」というような新聞記事が出ている。どうにも、うんざりだ。これには、三つの難点がある。
 第一に、検察のリークだ。こういうことは本来、検察が守秘義務のあることであって、勝手に漏らすべきことではない。公務員の守秘義務違反。また、守秘義務に違反していないのだとすれば、堂々と記者会見を開いて発表するればいい。……結局は、あやふやな情報を漏らして、世論を誘導しよう、という検察の意図が見え見えだ。困りものですね。
 第二に、マスコミだ。検察がくれた餌を喜んでくわえてから、誇大表現する。村上が何かを認めた、というのは、それはそれで事実情報だろう。しかしそれを形容して、「村上はインサイダー取引を認めた」と記述する。これは色のついた誇大表現である。他人についての客観的な事実を認めたということと、自分の行為を犯罪だと認めることとは、まったく異なる。なのに、「ライブドアの経営者がこういうことを語った」という事実を認めたことをもって、「村上はインサイダー取引であると認めた」と貴社が勝手に形容するのは、検察に迎合する勇み足だ。(特に、読売の記事。2006-06-20 朝刊。)
 第三に、マスコミの態度だ。これが一番問題なのだが、「村上批判一色」という検察べったりで、独自の事実報道がない。また、村上を弁護する傾向の記事もない。単に「悪党だ」という決めつけの記事だけがある。
 これで思い出すのは、サリン事件で、無名の一市民がサリンの犯人にされてしまったことだ。サリンが街中で散布されたとき、そばにいる市民の自宅から殺虫剤が発見されたということで、この人が逮捕されてしまった。するとマスコミは、そのことを検証もしないで、「犯人だ、犯人だ」と大騒ぎした。人権侵害。
 まったく、自己反省が欠落しているし、何度でも同じことをやらかす。単に売らんがなで、「あいつは悪だ」という検察べったりの記事ばかりを掲載する。困ったものだ。

 おまけで一つ。
 朝日の夕刊に、先日まで、「検察はすばらしい」という個人賛美のシリーズが続いた。そのあとで、今週からは、「人命を救助する医者はすばらしい」という個人賛美のシリーズが続いている。
 まったく、呆れるね。両者は同列に扱えない。次の差があるからだ。
  ・ 医者は人命を救う。それ自体、賛美されることである。
  ・ 検察は人を逮捕する。それ自体、非難されるべきことである。
 たとえば、あなたがその対象になったとしよう。あなたが病気になって、医者に命を救われたら、とても感謝するだろう。一方、あなたがあるとき突然、検察に逮捕されたら、感謝するか? とんでもない。身に覚えのない罪で逮捕されたら、頭に来るはずだ。(橋本派の村岡という人がそういう立場であったという。本人の言葉によると。)
 検察は人を逮捕する。そのことが許されるのは、相手が犯罪者である場合だけだ。しかるに、犯罪者であるかどうかは、判決が出るまでは確定しない。どちらかと言えば、「推定無罪」が成立する。特に、被疑者が罪を認めていない場合には、「推定無罪」ははっきりと成立する。
 なのに、マスコミは、検察の言う「推定有罪」という方針にべったりと従う。犬のように。── ここに、マスコミの根源的な難点がある。

 結論。
 現状において問題であるのは、村上がインサイダー取引をなしたかどうかではない。そんなことは、法律解釈のささいな問題であって、一般の人が大騒ぎするようなことではない。だいたい、彼は他人の財布の金を盗んだわけではない。どこかの誰かが儲けそこなったことはあるかもしれないが、村上が誰かの金を直接的に明確に盗んだのとは違う。日本中で大騒ぎするようなことではないのだ。(シンドラーのエレベーターの方が、一万倍も重要なことだ。世間はもはや忘れかけているが。)
 私としては、これまで、村上を弁護するような論調の文章を書いてきたが、別に、村上の味方をしているわけではない。村上がどうなろうと、知ったことではない。
 ライブドア事件であれ、村上ファンド事件であれ、問題なのは、次のことだ。
 「検察べったりの論調になって、一色の報道のなかで、人々は思考停止状態になっている」
 つまりは、人々がマスコミに洗脳されている、という状況だ。これこそが私の問題としていることだ。
 村上が有罪であれ無罪であれ、そんなことはどうでもいい。肝心なのは、「村上は極悪人だ」とか「ホリエモンは極悪人だ」とか大騒ぎして、頭が思考停止状態になっている、という日本の現状だ。

 [ 付記 ]
 しかしまあ、これは、経済事件に限ったことではない。科学の分野ですら、そうだ。
 「主流派の意見(コペンハーゲン解釈)は絶対的に正しい。ゆえに、これを批判する意見はトンデモだ」
 とだけ主張して、異端の説を弾圧したがる人々が非常に多い。こういう人々に特徴的なのは、「その説は論理的に間違っている」というふうに反論することはなくて、かわりに、「主流派の説は正しい。ゆえに主流派の説を批判するのは間違っている」というふうに論じていることだ。こんなものは、批判にはなっていないのだが。
 たとえば、「地球は動く」という地動説に対して、それを批判したければ、「地球が動くという説には難点がある」と指摘すればいい。ところが逆に、「天動説は正しい。ゆえに天動説を批判する地動説はトンデモだ」という形で批判する。こんなものは、批判になっていないのだが。
 要するに、文系も理系も、「長い物に巻かれろ」という人々ばかりだ、ということ。もうちょっと単純に言えば、「自分の頭で考える」ということができない人々ばかりだ、ということ。
 人間の頭がコンピュータに似てきたのかもね。コンピュータ将棋はどんどん強くなり、(素人の)人間将棋はどんどん弱くなる。……というようなものですかね。


● ニュースと感想  (6月22日)

 「村上ファンドの記事」について。
 朝日新聞に、検察を批判する意見が掲載された。(朝日・朝刊・経済面・インタビュー 2006-06-21 )
 インサイダー取引問題の法律専門家(大学教授)による見解。「この事件は本来、インサイダー取引ではなく、不正取引などの包括規定の違反として摘発するべきだった」という趣旨。また、「検察が摘発するよりも、証券監視委が摘発するべきだった」という趣旨。
 これは、私の見解に、非常によく似ている。インサイダー取引について批判的だという肝心の点では、ほとんど同じだ。
 新聞も、まともな法律家に意見を聞けば、まともな記事が書ける、というわけだ。素人があれこれと騒ぐ前に、法律専門家の意見を聞くべきなのだ。
 ただし。法律専門家の意見をいちいち聞かなくても、毎日、小泉の波立ちを読んでおけば、ほぼ同等の効果を得ることができる。マスコミがミスをしたら、ちゃんと教えてくれるんだから。
 
 [ 付記 ]
 ホリエモンは、村上ファンドについての検察の疑惑(インサイダー取引)を、否定する証言をしたそうだ。
 堀江被告は、村上容疑者の逮捕容疑でインサイダー取引の始まりとされている2004年11月8日には、村上容疑者に同放送株の大量買い占めという重要事実を伝えた認識はなく、05年1月に入って伝えたと主張。また、同月以降、村上容疑者が株を買い増していたことは知らなかったなどと説明したとみられる。
( → Yahoo ニュース
 検察の構図は崩壊しつつあるようだ。ま、それはそれとして、マスコミもいい加減、目を開いてほしいですね。偏向報道には、うんざりだ。「多面的な報道」「複数意見の報道」というのができるマスコミは、一つぐらいはないんですかね? 
( ※ 前日分の話も参照。 )


● ニュースと感想  (6月22日b)

 「民主党の松井議員」について。
 民主党の松井議員が、村上ファンドから秘書給与をもらっていて、帳簿にも記載していなかったという。
 民主党の松井孝治参院議員(46=京都選挙区)が20日、会見し、村上ファンドの関連会社から01〜02年にかけて2人分の秘書給与約150万円を肩代わりしてもらっていたことを認めた。政治資金収支報告書に記載しておらず、修正申告するという。
 民主党は、政治資金収支報告書を訂正すれば「それほど大きな問題ではない」として、党としての処分は見送る方針だ。
( → 日刊スポーツ
 これだって不正経理の一種なんですけどね。しかも、所得隠しだから、ライブドアよりもはるかに悪質。
 にもかかわらず、「政治資金収支報告書を訂正すればいい」というのでは、二重基準だ。二枚舌。二重人格。自己矛盾。

 [ 付記 ]
 秘書給与を立て替えてもらう、という形の不正経理なら、非常に多くの国会議員がやっている。こういう連中を、根こそぎ豚箱に入れてしまえばいい、という気もする。検察はそうしないんですかね? 
 ま、そんなことをしたら、検察自身が豚箱に入れられてしまうかもしれない。そういえば、解任された特捜副部長もいたしね。
 「福井総裁は金儲けしたからけしからん」というふうに論じて金額ばかりを仔細に報じるマスコミも非常に多いし、今の日本はもうメチャクチャだ。
 高橋留美子の漫画「うる星やつら」は、毎回最後にラムちゃんがあばれて、状況をハチャメチャにして、ジ・エンド。今の日本みたいだ。


● ニュースと感想  (6月23日)

 「検察の犯罪」について。
 検察が暴走している、ということについては、これまで何度も指摘してきた。(ライブドア事件や村上ファンド事件。)
 では、検察がこれほど暴走しているのに、どうして検察はストップされないのか? それは簡単。もちろん、検察は検察を摘発しないからだ。自分を逮捕するわけないですよね。だから検察は、悪のやり放題。

 では、どうすればいい? ここで、第三権力としてのマスコミの役割が重視される。検察が悪いことをやったら、検察を逮捕するかわりに、検察の悪を報道すればよい。そのことで、検察の悪が是正される。(さんざん報道されれば、自浄システムが機能する。いちいち摘発する必要はない。)

 ところが、現実には、どうか? マスコミは検察の悪を報道するどころか、検察の犬に成り下がっている。ここでは日本全体の浄化システムが機能していない。( → 6月22日 など)

 「検察の暴走」と、「マスコミの服従」。この両者は、どちらも同じくらい悪なのである。というわけで、私があれこれと、さんざん指摘しているわけだ。のみならず、書籍を出す用意をしているわけだ。マスコミがすべて口を閉じているから、私がかわりに口を開く。……ごく小さな口ですけどね。世間に届くかな? 
 
( ※ ライブドアの本は、正式のゲラの修正が済んで、印刷工程に入ったところです。7月下旬に発売の予定。価格は 1500円+税。文字数は、「ライブドア・ショック 謎と陰謀」に比べて5割以上多くて、「ライブドア監査人の告白」とほとんど同じ。内容のレベルの違いは、一目瞭然だと思うが、ま、これはご自分で店頭でお確かめ下さい。)


● ニュースと感想  (6月23日b)

 「モナリザの習作」について。
 モナリザの習作と見られる絵画が発見されたそうだ。
   → 朝日のサイト

 記事では「習作かどうか不明」というふうに書いてある。しかし、私はこれを「ダビンチ自身による習作である」と断定する。なぜか? ここには、天才の特徴がはっきりと見られるからではなくて、天才の特徴が皆無だからだ。
 逆に言えば、本物のモナリザの方は、ここにはない独特のものがいろいろと追加されている。仮に模写などならば、ダビンチの天才的な特徴をいくらか伝えてるはずなのに、そういうものが完全に抜けている。(具体的な指摘はしない。細かな絵画論になるので。)
 その一方で、誰にでもわかる構図だけは、ほとんど同じだ。
 以上からわかるのは、これは「デッサンのような習作だ」ということだ。そして、そういうものを必要としたのは、ただ一人。モナリザを描く直前のダビンチだけだ。
 たぶん、これは、モナリザの習作として、たったの一日ぐらいで、あっという間に描き上げたものだろう。そして、これをもとにして、どこをどう修正すればいいかを見極めて、本物のモナリザを描き上げたわけだ。

 なお、注釈しておこう。ダビンチのモナリザは、一カ月ぐらいの期間で描き上げたわけではない。非常に長い期間、常にそばに置いて、何度も何度も微修正しながら、少しずつ完成度を高めていった。……こういうことをする画家は、非常に少ない。たいていは、一カ月か二カ月かの期間を使って描き上げて、そのまま売却する。しかし、ダビンチは、誰にも売らずに、ただ絵画の完成度を高めることだけに熱中していた。金儲けとは正反対の態度だ。
 こういうダビンチの気持ちは、たぶん、現代人にはわからない、と思える。ダビンチ・コードなんていう見当違いの本ばかり読んでいるのが、美よりも金を重視する現代人にふさわしいだろう。

( → ダ・ヴィンチ・コード 予告編


● ニュースと感想  (6月24日)

 「サッカーブラジル戦の敗北」について。
 別に騒ぐほどのことじゃないですよね。負けは順当な結果。もともとこのW杯は3戦全敗ぐらいだろうと予想していたから、意外でも何でもない。私は最初から冷めていたし、テレビを見る気もしなかった。ニュースで得点シーンを5分間見たあとは、ハイライト番組いくらか見るだけ。
 玉田は「最初の一点でブラジルを本気にさせてしまった」なんて言っていたが、自惚れるのもたいがいにした方がいいですね。自分のあげた一点を過大に思い込みすぎている。自惚れ過剰。
 ブラジルは、ロナウド、ロナウジーニョ、カカ、ロビーニョですよ。本気のわけがないでしょうが。
 本気なのは、ロナウドだけ。彼は馬鹿にされていたから、そろそろ本気を出さないと、やばかった。下手をすると、次戦でスタメン落ち。だから彼だけは本気。
 残りの三人は本気じゃない。ケガをしないのが優先で、後はロナウドが勝手にやるのに任せていただけ。全員が本気なら、8点取られていたでしょう。だいたい、レベルの差が歴然としていたじゃないですか。

 で、何が言いたいか? 
 この結果自体は、別にいうことは何もない。当り前のことが起こったと言うだけのことだ。選手が悪いわけでもない。選手のレベルは、歴代最高だったと思う。この点ははっきりしている。何しろ、前回の選手がほぼそのまま残っていて、そのまま4年分進歩しているのだから、明らかに4年分、上である。
 で、何が悪いかというと、チーム戦術が百からゼロにまで激減してしまったことだ。前のトルシエチームは、組織戦術が最高レベルだったが、今回は組織戦術が最低レベルになった。これが敗戦の本当の理由。

 で、どうしてそうなったというと、そういうのをあえてめざしてきたからだ。「チームに縛られるのは楽しくない。個人の自由を尊重するのがいい。サッカーは楽しくやるべきだ」と。
 で、まさしく、そうなった。日本のチームは楽しく遊び半分でボールをぐるぐる回していただけ。他のチームは組織力を高めて、勝負に徹した。楽しみが目的のチームと、勝利が目的のチーム。勝敗はやる前からはっきりしている。日本は楽しさを狙って楽しくやったし、他のチームは勝利をめざして勝利を得た。それだけのことだ。……で、日本は、楽しんできたんだから、それでいいじゃないですか。もともと勝利なんか目的としていなかったんだから。自業自得と言うべし。
 勝利を目的とするなら、トルシエを続投させればよかった。アジアの雑魚チームを、あっというまに16強入りさせた名将だ。これを続投させるというのが常識だろう。少なくとも、日本というガキレベルのサッカーには、最適だった。
 ところが、どこをどう勘違いしたのか、ガキレベルのサッカー連中が、「自分たちは完成された大人だ」と思い込んだ。あげく、「教わらなくても自分たちだけで好き勝手にやればいい」と思い込んだ。その結果が、このざまだ。
 ガキの自惚れ。……今回の結果は、この語句に要約できる。

 で、このあと、日本に救いはあるか? ガキが自分がガキだったと反省するなら、救いはある。しかし、今の日本を見ると、反省はゼロですね。4年前にはあれほどにもトルシエ批判をして、アラ探しをしていたマスコミが、今ではジーコの失敗のアラ探しをまったくしない。詳しいサッカーファンは、「ジーコの責任だ」という声をさんざんブログなどで叫んでいるにのに、マスコミはそういう意見を一切無視して、「神様ジーコ、ありがとう」なんて報道するだけだ。
 お上べったり。何事もそうだ。
 「小泉さま、おっしゃるとおりです」
 「検察さま、おっしゃるとおりです」
 「ジーコさま、おっしゃるとおりです」
 これが日本のマスコミの体質。……救いがないですね。反省能力ゼロ。そのせいで、景気は回復しないし、ライブドア事件は起こるし、サーカーは負ける。何もかもメチャクチャだ。反省能力のないマスコミのせいで。(マスコミ自体が暴走をもたらすというより、暴走をマスコミが止めないせいで。……シンドラーのエレベーターと同じで、ブレーキが壊れた状態。そのせいで暴走が起こる。)


● ニュースと感想  (6月24日b)

 「村上の作戦」について。
 村上ファンドについての読売・朝刊の記事。
 インサイダー取引事件、村上容疑者が全面自供
 関係者によると、村上容疑者は、これまでの調べに対し、「11月8日の時点で、ライブドア側から少なくとも5%以上の同放送株を買うという重要事実は聞いていた」と犯意は認めていた
( → 読売新聞のサイト
 これは検察のリークをそのまま聞き書きしたものであろう。何しろ、日本語になっていない。正誤で言うと、こうだ。

   ×  ……買うという重要事実を聞いた
   ○  ……買ったという事実を聞いた
   ○  ……買いたいという意思を聞いた
   ○  ……買うという会社決議があったという重要事実を聞いた

 買うという事実などはないのだ。過去の「買った」ということなら事実だが。また、「買う」という会社決議ならば事実だが。……このことを、報道は故意にごちゃ混ぜにしている。つまり、事実ではないただの「意思」を「事実」と呼んでいる。
 「僕は藤原紀香と結婚するぞ」と誰かが主張したとき、それを聞いた人は、事実を聞いたことになるのか? いや、妄想を聞いただけだ。……このことを、記事はごちゃ混ぜにしている。(6月18日にも同趣旨のことを述べた。)

 村上本人は、最近、あれこれと自供したと伝えられている。しかし、あまり額面通りに受け取らない方がいいですね。頭のいい彼のことだ。すべて計算尽くに違いない。つまり、こうだ。
 「ホリエモンは馬鹿だから、いつまでも否認して、いつまでも豚箱に入っていた。本人はそれで得意のつもりだろうが、馬鹿げているね。私はさっさと罪を認めて、保釈されて、豚箱から出てしまおう。そのあとは? 弁護士にすべて任せればいい。自分が認めていようが認めていまいが、事実には影響しない。検察の容疑がメチャクチャだということは自明だから、弁護士に任せて、そのメチャクチャさを突っついてもらえばいい。そうすれば、あっさり無罪だ。いくら犯意を認めていたとしても、法律的に無罪であるものは、無罪になるに決まっている。ま、グレーであるせいで、ちょっとは罰金刑になるかもしれないが、そのくらい、どうってことはないね。二千億円も稼いだんだから、今さら百億円ぐらい追徴されても、痛くも痒くもない。どうせ微罪なんだから、いくら罪を認めようが、大差はない。さっさと豚箱から出てしまえば、こっちの勝ちさ。ホリエモンみたいに三カ月も豚箱に入っているほど暇人じゃないんでね。何しろ私は、もともとスマートだから、麦飯でダイエットする必要はないんでね」
 で、誰かがインタビューする。その方針はどうやって決めたんですか、と。すると答えは:
 「なあに、そんなこと、頭のいい私が思いつかないはずがないだろう。ただ、今回は、いちいち私が考えるまでもなかったな。もともと小泉の波立ちに書いてあったんでね。頭のいい人は、豚箱なんかに三カ月も入らないのさ」 ( → 2月10日b

( ※ 村上ってのは、関西の灘高の出身なので、私としてはけっこう仲間みたいな感じを抱きますね。私は関東の灘高みたいな高校を出たので。私立じゃないけど。……この手の高校の出身者には、やたらと頭の切れがいい連中が多い。ただの東大卒なんかとは違う。ま、その良し悪しは別ですけどね。頭のキレを、ただの金儲けのために使うと、村上みたいになってしまう。頭のキレと、倫理観とは、全然別である。私のいた高校だって、頭の切れのいい連中はいっぱいいたが、ずるいことを考える連中だっていっぱいいました。ま、高校生の話だから、悪人というほどじゃないけれど。せいぜい校則違反とか、その程度ですけれどね。比較するなら、同じく高校男子でも、女子高生をやたらと孕ませる連中に比べると、ずっと善人です。)
( ※ 村上のやったことなんて、日本に急激な少子化をもたらした小泉に比べれば、あまりにもかわいいもんです。小泉のやったことは、国家の破壊なんですからね。日本滅亡計画。……そのうち、韓国人や中国人がたくさん移住して、乗っ取られてしまうかも。朝日と経団連は「移民促進キャンペーン」をやっているから、小泉の「少子化計画」とあいまって、日本滅亡計画はどんどん実施されている。百年後には、日本人は少数民族となって、日本から追放されるかも。……で、それをゴマ化すために、村上やホリエモンを血祭りに上げて、目くらましをやっているのかもね。)
( ※ ライブドアの平松社長は、UNO エイリアンに脳を乗っ取られている可能性がある。日本の小泉首相は、USA エイリアンに脳を乗っ取られている可能性がある。……どっちも乗っ取られたあげく、ゾンビのような存在だ。かくて、ライブドアは征服され、日本も征服される。……その点、負けたフリをして、征服されないようにした村上は、頭がいい。ひと味違いますね。称して、「罪をかぶって死んだふり」打法。)

 [ 付記 ]
 本項では村上に好意的に書いているが、翌日分では村上に否定的に書く。そちらも参照のこと。


● ニュースと感想  (6月25日)

 「村上の因果応報」について。
 村上ファンドの村上本人は、「ホリエモンをだます形になって申し訳ない」と述べているという。
 村上容疑者は当初、ライブドア前社長の堀江貴文被告(33)らを利用し利益を得るつもりはなかったと強調していたが、起訴を目前に利益目的だったことも認めた。「ファンドマネジャーとして利益を追求したことで堀江被告を利用した結果となり、申し訳ない」。関係者に、こう漏らしたという。
( → Yahoo ニュース
 これは読売の記事なのでちょっと信用性は薄いが、一応、信用してよさそうだ。
 さて。これについて論評しておこう。
 村上がこう思うのは、納得できるが、彼はちょっと頭が足りない。そう思うのであれば、その先のことを理解するべきだった。つまり、こうだ。
 「堀江被告を利用した結果、自分もまた逮捕されてしまった」
 つまり、因果応報である。人をだましたせいで、自分自身に不運がめぐってくる。なぜ? 理由は、こうだ。
 「村上がライブドアを裏切ったせいで、ライブドアはニッポン放送の株の過半数確保に失敗してしまった。そのせいで、ライブドアはフジテレビに敗北してしまった。フジテレビは息を吹き返して、復讐を企てた。そうして検察にライブドアを摘発しろとけしかけた。しかし検察はライブドアを摘発しても、大山鳴動ネズミ一匹。仕方ないからライブドア以外の脇役を逮捕したがる。かくて村上が逮捕されてしまった」
 最初と最後をつなげれば、こうだ。
 「村上がライブドアを裏切ったせいで → 村上が逮捕されてしまった」
 これはちょっと、「わらしべ長者」みたいな因果関係に見えなくもないが、まるきりの見当はずれというわけでもない。そもそも、人間の因果関係なんて、ちょっとしたズレのせいで、まるで別の運命になるものだ。結婚だって、恋愛だって、そんなものです。ちょっとした運命の食い違いのせいで、A子と結婚するはずだったのがB子と結婚することになってしまった……というようなことは、ちょいちょいある。
 というわけで、上記のシナリオは、十分に成立する。

 仮に、村上がライブドアを裏切らなかったら? ライブドアはニッポン放送の株を村上といっしょになって過半数を握っていた。となると、ホワイトナイトが出る幕がない。もし出てくれば違法な妨害行為となるので許容されない。フジテレビはライブドアの子会社となる。子会社が親会社にたてつくことはできない。となると、フジテレビが検察に「言いつける」ことはなかったから、ライブドア事件は起こらなかったはずだし、村上の実状を記した「ヒルズ黙示録」が刊行されることもなかったはずだし、したがって村上が逮捕されることもなかったはずだ。
 村上が反省するとしたら、「ホリエモンをだまして申し訳ない」ではなくて、「ホリエモンをだましたせいで、自分がひどい目にあってしまった。天罰が下ったのかな」と思うべきだ。

 彼が本当に頭が良ければ、そこに思い至るはずなんですけどね。


● ニュースと感想  (6月25日b)

 「黙示録」について。
 「ヒルズ黙示録」という本が朝日新聞社から出ているが、これの音読みが間違っているので、注意しよう。ネットで検索していたら、「もくじろく」と書いてあるので、「馬鹿だなあ」と思って、注意してあげようかと思った。……ただ、念のため、書籍の方を手に取ってみたら、書籍の方に「もくじろく」と書いてある。
 もくじろく? 目次録ですかね? 
 正しくは「もくしろく」である。ヨハネ黙示録のこと。apocalyps の訳語。
 念のため、ATOK で「もくじろく」と入力してみたら、「もくしろく の誤読」という表記が出た。  (^^);
 というわけで、朝日の記者は ATOK を使っていないせいで日本語がまともにできない、ということが判明したわけだ。

 朝日の記者のみなさん。どうせ国語力はないんだから、せめて ATOK を使って、間違った日本語を正してもらいましょう。

( ※ 昔、「地獄の黙示録」という映画が大ヒットした。その映画を覚えていれば、ミスをしないで済んだはずなのだが。……もともと国語力が欠落しているのかも。)

( ※ 参考 → 誤読一覧サイト  …… 朝日の記者には必読。  (^^); )


● ニュースと感想  (6月26日)

 「個と全体」について。
 サッカーの日本敗北を受けて、いくらかは反省するかと思ったら、案の定、反省はほとんど皆無である。「やっていた方針は正しいが、結果がともなわなかっただけだ」という調子。
 たとえば、会長の川淵は、「押しつけるのではなく、選手が自分の意思で判断できるチーム作りをしてくれる人になると思う」と“ジーコ流”の継承を求めたという。( → Yahoo ニュース
 また、朝日の朝刊1面(25日)でも、同趣旨の無反省な論調を出している。

 馬鹿じゃなかろうかね。一度失敗しても、なおその失敗を理解できない。だいたい、サッカー素人がチームの指導方針を決める、というのが、言語道断である。素人は指導方針なんかに口を挟むべきではない。結果があるのみ。そして、結果からすれば、簡単に決まる。
  ・ 成功した監督 …… ヒディング、トルシエ
  ・ 失敗した監督 …… ジーコ、ファルカン
 要するに、ブラジル流の個人重視(体力・技術重視)なんかは失敗であって、頭を使う知的なサッカーが有効だ、ということだ。「知的なサッカー」を「組織重視で個人無視」と呼んだあげく、「体力と技術を優先して頭を使わない」という低脳サッカーをやる。ま、ブラジルなどの南米なら、それしかないだろうが、日本人には向いていまい。

 さて。以上は前置きだ。より根源的に述べよう。
 実は、「個人重視か組織重視か」というのは、対立軸になっていない。この両者は、別の次元のことである。だから、本当は、双方をともに実現するのが正しい。次の形で。
  ・ 個人レベルの力量アップ …… 個人レベルで努力する。所属チーム内で。
  ・ 組織としてのチーム強化  …… チームで戦術を高める。代表チームで。

 この二つは、別のことである。両方をともにやるのが正しい。前者をやった上で、後者もやればいい。なのに、「前者が大事だから、後者は何もやらなくていい」というのが、ジーコ流だ。つまり、「無為無策」。これが過去の四年間のことだった。

 この問題は、実を言うと、経済政策そのものの誤認と同じだ。
 「経済は自由放任で最適化する。国家は何もやらないのがベストだ」
 という自由放任主義。これが日本経済を最悪にした。その失敗と同じ轍を踏んでいる。
 正しくは? 経済では、こうだ。
 「個別企業の経営は、自由放任で最適化する。国家が個別企業の経営に口を出すべきではない。(つまり、社会主義経済をやるべきではない。)……ただし、その一方で、国全体においては、(無為無策ではなくて)マクロ政策を実施する必要がある。正しいマクロ政策を実施することで、国家経済は最適化する。逆に、無為無策ならば、最悪の状態のまま放置される」
 要するに、個々については、自由放任。全体については、最適の全体制御。こういうふうに、個と全体との処置を変える。個々の行為については個々に委ねるが、全体の行為については全体の制御をなす。全体を無秩序にほったらかしにはしない。── それが正解だ。
 サッカーの正解と、経済の正解は、どちらも同様である。そしてまた、サッカーの誤答と、経済の誤答は、どちらも同様である。「個々の自由に任せれば万事うまく行く」とか「自由放任で最適化」とか、そういう「神の見えざる手」の発想は、大いなる幻想なのだ。
 「神の見えざる手」なんていうのは、マラドーナの反則(ハンド)を正当化するのと同じで、「ジーコの汚い手」を正当化するだけの詐欺的な宣伝にすぎない。

 [ 補説 ]
 この問題は、「全体の最適化」という問題で、一般的に扱える。
 個々の行動者が自己の最適化をすることで、全体の最適化がなされることもある。しかし例外的に、双方が矛盾・対立することがある。そういう場合には、個々の最適化を抑制して、全体の最適化をめざした方が、全体にとっては好都合になる。
 このことが典型的に現れるのが、戦争だ。戦争では、一人一人が自分の命を惜しむと、国全体が敗北する。下手をすれば、全員皆殺しだ。しかし一人一人が自分の命を犠牲にして、国全体の利益をめざすと、勝利を得て、一人一人の損害も減る、……というふうになることもある。
 ここで、双方がどちらも「全体最適化」をめざすと、戦争では双方の被害が最大化する。つまり、最悪だ。しかしながら、一方が個々の最適化をめざし、他方が全体の最適化をめざせば、個々の最適化をめざした方だけがボロ負けする。……これがまあ、今回のサッカーの状況であり、現代の日本経済の状況でもある。
 村上ファンドの問題も似ている。彼は自己の最適化をめざして、一人だけボロ儲けした。しかし社会にとっては、ちっとも有益ではない。「一人一人が自分の利益を増やそうとすれば、必ず社会全体の利益が向上する」なんていうことはないのだ。
 村上ファンドの行動を見ていれば、少しは反省できるはずなのだが、そういう反省もできずに、「個々の最適化が全体の最適化をめざす」というふうに、一までも妄想を信じているのが、現在の日本だ。

 [ 余談 ]
 (1)
 ジーコは対戦後に「ロナウドが日本にいればよかった」という感想を述べた。失笑。結局、負けたあとで、この程度の感想を言うことしかできないんですよね。
 子供と同じで、「○○があればよかったのになあ」と空想を口に出すことしかできない。子供は「お金持ちになれるといいなあ」と空想を口に出し、大人は「お金持ちになるぞ」と努力する。これがまあ、子供と大人の違い
 (2)
 次期監督にオシムが内定した。すると、新聞記事には、こう出た。
 「ジーコの個人優先と、トルシエの組織優先との、中間にするつもりなのだろう」という記事があった。(朝日・朝刊 2006-06-25 )
 馬鹿丸出し。個人と組織とを対立させたって、仕方ないでしょうが。そんなのはサラリーマンふうの発想だ。
 個人は個人、組織は組織。どちらも最大限にするべきだ。両者は別の次元のことなんだから、対立させる方がおかしい。なのに、こういう記事が出るのは、個人と組織という対立軸でしか物事を考えられないからだ。頭が悪すぎ。
 個人優先か組織優先か、というのは、選手の立場の発想にすぎない。サッカーOBの記者なら、そういうことしか考えられまい。しかし監督というものは、その両者を同時に実現しようとする。トルシエもそうだし、オシムだってそうだし、誰だってそうだ。
 ただし、馬鹿評論家とジーコは、選手の立場からしか物事を考えられない。あげく、「選手を優先しよう。監督の言うことなんかに縛られたくない。好き勝手にやらせてくれ」と注文するわけだ。で、その注文に乗ったのが、この4年間の日本サッカーであり、その結果が今回の惨敗だ。
 個人優先か組織優先か、なんてことを書く記事を見たら、クソ記事だと思った方がいい。
 ちなみに、野球では、どうか? 「好き勝手にやらせてくれ」というチームは惨敗。「チーム優先、滅私奉公」というチームは、平凡。「考える野球」というのをやるチームが実力以上に強くなる。
(たとえば今年の楽天。25日の試合では、1対0でソフトバンクに勝っている。信じられない好成績。頭で勝利。去年は個人優先のあげく、0対26なんていうスコアだったが。去年の田尾監督は大人気だったが、成績は最低。去年の楽天は、ジーコジャパンと同じ。)


● ニュースと感想  (6月26日b)

 「サッカーとオシム監督」について。
 前項の続き。(先にそちらをお読み下さい。)
 前項のことを書いたあとで、新たなニュースが出たので、新たな方針で書き加えておく。
 サッカー日本代表・次期監督は、オシム監督が最有力だ、という。(ニュースによる。)
 これを聞いて、「失敗した会長(川淵)が責任も取らずに勝手に決めるな」と思ったのだが、とはいえ、よく調べてみると、このオシム監督というのは、相当に頭が切れる。
 ( → オシム語録

 偉い。4バックを推進する評論家連中を、ばっさりと切っている。私とはだいたい意見が同じである。というわけで、私はオシムを支持します。実績もあるしね。

 わけがわからないのは、ジーコを支持した連中がオシムを支持するということだ。ジーコとオシムでは、正反対でしょうが。知能指数で言うと、ジーコは 80ぐらいで、オシムは 140ぐらいだ。ジーコは普通の凡人よりもずっと頭が悪いが、オシムはほとんどの評論家よりもずっと頭がいい。
 ジーコは「頭を使わず個人の技量で戦え」と主張し、オシムは「頭を使え」と主張する。野球の楽天でいえば、ジーコは田尾監督であり、オシムは野村監督だ。成績では大差があり、楽天はこの時期、去年は20勝だったが、今年は26勝もしている。6月だけならパリーグ首位だ。
 つまり、弱小チームは、頭を使うか使わないかで、勝敗に大差が付く、ということだ。
 ジーコを支持した連中がオシムを支持するなんて、どうにも理解できませんね。もしかして、違いがわからないまま、決めたのかな? 
( ※ あとで田尾ファンから文句が来たが、現状では、楽天ファンは「今年は強くなったぞ」と大喜びしているんだから、文句を言うなら、私に文句を言うより、「今年は強くなったぞ」と大喜びしている楽天ファンに文句を言ってください。)

 [ 付記 ]
 私が気に入ったのは、次の言葉。
 「試合の感想は、あなたたちメディアが書いてくれるでしょう。私が何をいっても、あなたたちは好きなように書くでしょうから、あまりいうことはありません。」
 偉い。反骨精神が盛んだ。まるで私が言ったかのような台詞。
 だけど、この分だと、マスコミと喧嘩して、トルシエみたいに嫌われるかもね。日本のマスコミは、幼稚な連中が多すぎるんだから。相手が自分の理解できないほど頭がいいと、「私は理解できません」と反省するかわりに、「あいつはトンデモだ」というふうにやたらと攻撃して非難するのが、日本のマスコミだ。
 ま、その点で、私の方がオシムよりも口が悪い。  (^^);

( cf. 公式サイト1公式サイト2公式サイト3公式サイト4
( → 関連ブログ





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