[付録] ニュースと感想 (109)

[ 2006.06.27 〜 2006.07.09 ]   

  《 ※ これ以前の分は、

    2001 年
       8月20日 〜 9月21日
       9月22日 〜 10月11日
      10月12日 〜 11月03日
      11月04日 〜 11月27日
      11月28日 〜 12月10日
      12月11日 〜 12月27日
      12月28日 〜 1月08日
    2002 年
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       4月29日 〜 5月10日
       5月11日 〜 5月21日
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       6月05日 〜 6月19日
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       8月15日 〜 9月06日
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       3月25日 〜 4月14日
       4月15日 〜 6月03日
       6月04日 〜 6月26日
         6月27日 〜 7月09日

   のページで 》




● ニュースと感想  (6月27日)

 「ライブドア本」について。
 発売予定日は、だいたい7月25日のころです。いくらかぶれます。
 確実に入手する方法は、次のいずれか。
  「 Amazon などのネット販売会社で、発売日の直前または発売開始後に、画面で注文する」
  「都会の大書店で、発売日の直前に、予約を入れる」
 いずれにしても、予約を入れていいのは、発売日の数日前からです。
 なお、発売日よりもずっと前から予約を入れると、「注文扱い」になるので、かえって入手が遅くなる可能性があります。「本やタウン」というネット販売店(取り次ぎがやっているネット販売店)に、そう書いてあった。このサイトでは、「発売日まで注文できない」とも書いてあった。(詳しいことは、よく覚えていないが。)
 
 発売日の正確な日付は、本サイトで知らせますから、そのころご覧ください。だいたい、7月20日ごろに、本サイトを見れば十分です。注文するのは、そのあとにしてください。それ以前に注文しても、無効または逆効果です。
 というわけで、無効または逆効果のことが起こらないように、当面、書名(題名)は記しません。間違って早めに注文する人がいるとまずいので。
 
 amazon では、発売日以前に予約注文できるようになっているかもしれません。だとしても、7月20日ごろです。どうしても心配なら、7月10日から7月20日ごろまで、本サイトをちょいちょいご覧ください。
 どっちにしろ、本サイトをいつもちょいちょい見ている読者であれば、買いっぱぐれはありえません。ちゃんと直前に、情報が本サイトで示されますから。どうすれば買えるかということも、いろいろと情報が出ます。(このころ、内容見本も見えるようにしておきます。)

 購入法は、項目別に記すと、次の通り。

 (1) ネット販売
 発売日以前ならば、 Amazon の予約販売が数日前から可能のはず。(この件は、本サイトでも調査しますので、読者は本サイトを読めば十分。)
 発売日以後では、「本やタウン」というネット販売店。(詳しくは後述。)…… ここは、在庫が多い割には、販売数が少ないはず、と思う。取り次ぎが関与しているので。
(逆に、amazon は、ネット注文が多くなりすぎて、発売日以後は在庫がなくなるのが早くなりそう。)
( ※ 今回の書籍の価格は、税込み 1575円です。amazon などでは、送料が無料になります。)

  (2) 大書店(安全策)
 都会の大書店なら、当日に行けばたぶん大丈夫でしょうが、即日完売の可能性もいくらかはある。何とも言えません。
 ただし、あらかじめ電話で予約を入れておけば、大丈夫。
 「本日 or 明日に発売の、××という本、ありますか?」「ちょっとお待ち下さい。コンピュータで店内在庫を確認します。……あ、20冊のうち、10冊が売れていますね。あと 10冊あります」「じゃ、一冊、予約しておきます」「承りました。お名前をおっしゃってください」「山田太郎です」
 あとで、夕方に店に行くと、
 「山田太郎です。予約した本はありますか?」「お待ち下さい。……はい、これですね。どうぞ。他の本は売り切れましたが、この一冊だけは取っておいてあります」
 という具合で、確実に入手できる。
 ま、前日に予約すれば確実。大書店では、当日でなく前日に全部、予約で売り切れてしまう、ということは、とうていありえません。確実に入手できます。また、当日でも、たとえ一店で売り切れでも、別の店に電話で問い合わせれば、大丈夫。
 現実には、当日に大書店で予約するので十分でしょう。仮に大書店で売り切れていても、まだネット販売店という手がありますから、入手できないということはありえない。少なくとも、当日は。

 (3) 大書店(なりゆき)
 当日、会社または学校からの帰りに、書店にぶらりと寄ってみる、という手もあります。確実ではないので、運任せ。
 売り切れの懸念は? たぶん、あまり心配しなくてもいい、と思えます。本書は、出た直後には、宣伝がなされていないので、出足はあまり良くないと思えます。口コミで評判が高まったあとで、急に売れる、というタイプでしょう。大手出版社ならば、前宣伝がすごいが、本書が前宣伝で売れるのは、千部ぐらいでしょう。あとの四千部は、店頭で実物を見た人が、衝動買いするだけです。
 というわけで、「即日完売」というのは、あまり心配しなくてよさそうです。完売には、数日はかかると思います。
 ズバリ、私の予想をいうと、「大書店で発売三日後に売り切れ」です。当たるかどうかはわかりませんが。
 ただし、安全確実とは言えない。大書店で即日完売する可能性は、いくらかはあります。当日のお昼頃までならば、まず大丈夫でしょうけど、夜までもつかどうかは、私には何とも言えません。
 ものすごくインパクトのある(目立つ)表紙なので、目を引いて、とりあえず手に取る人が多くて、そのせいで、すぐに売れ切れるかも。女性だと、「中身はわからないけど、表紙が素敵だから、アクセサリー代わりに買っちゃおう」と思う人もいるかも。伊東美咲さんが手に持っていると、とてもおしゃれに見えるようなデザインです。むさくるしい男にはあまり似合いませんが。  (^^);
 何だか話が逸れたが、つまり、「表紙買い」する人がいるかもしれないので、案外、早く売り切れるかもしれない、ということ。なりゆき任せは、ちょっと危険もある。(2) の方が確実です。

 (4) 小さい書店
 小さい書店では、新刊書は配本されませんから、行っても無駄です。
 小さい書店の店頭で注文すると? 入手はできるでしょうが、入手までに時間がすごく掛かります。1カ月ぐらいは掛かりそう。(短冊や電話などを使うので、入手はできても、届くまでものすごく時間が掛かる。大書店ならば、在庫を回せるので、すぐに入手できるが。)
 「小さい書店 or コンビニで比較的早く入手できる」という方法もあります。まず、下記の「本のネット販売」というページをご覧ください。
   → 本のネット販売 ( Openブログ の記事 )
 この記事に、「本やタウン」と「セブンアンドワイ」というネット販売店があるので、これを利用すればよい。(詳しくは記事を参照。)
 ただし、これだと、時間はやや遅くなります。発売当日の入手は無理で、2日はかかるでしょう。その2日の遅れを我慢できるかどうか、という問題。
 「電車賃や宅配の料金を取られないから、2日の遅れを我慢できる」なら、「本やタウン」と「セブンアンドワイ」が低コストなので、お勧め。一方、2日間を待てないのであれば、時間優先で、(2) の大書店がお勧め。

 [ 付記 ]
 電子出版の日取りは確定しました。8月10日です。価格は書籍よりもいくらか安い。買いっぱぐれたばあいには、これで必ず買えます。
 ただし、電子書籍は、あまりお薦めしません。自分で印刷すると、印刷コストと手間が掛かる。何よりまずいのは、印字品質が劣ることと、かさばることです。
 一度だけ読むのであれば(たとえば小説などならば)、どうだっていいことだが、本書は、教科書のようなもので、何度も何度も読み返したくなる本ですから、持ち運びが便利であることが必要です。電子出版物を印刷したのでは、その条件を満たしません。というわけで、電子出版は、お薦めしません。
 入手が困難である場合のみ(外国などの遠隔地にいるか、売り切れのあとのみ)、ご利用下さい。それ以外なら、amazon などのネット販売か、都会の大書店で入手するか、どちらかがお薦めです。
 ついでですが、増刷の予定は、まったく立っていません。早くても、増刷は二カ月後。実現するか否かも不明。……その一方で、大量に売れ残る可能性は……それはまあ、あるかな? たぶん、あんまりないと思います。たったの五千部ですから。すぐさま売り切れることもなく、大量に売れ残ることもなく、微妙な部数です。


● ニュースと感想  (6月28日)

 「サッカーと諺」について。
 ジーコをめぐる諺を二つ。
  ・ 敗軍の将、兵を語らず
  ・ 立つ鳥跡を濁さず
 この諺を見据えつつ、感想を述べる。(ジーコは逆なので。)

 ジーコは負けたあとで、さんざん選手の悪口を言っている。「日本選手はまだまだ未熟だ、駄目な選手ばかりだ」という調子。
 見苦しい。今になってこんなに自己弁護をするなんて、最低の人間だね。仮にそれが事実だとしても、そんなことを決して口に出してはならない、ということすらわからない。頭の出来がよほど悪いようだ。
 現実には、ジーコの批判は、てんで見当はずれである。「体格が弱い」とか「ケガに弱い」とか批判しているが、あえて体格の弱い選手(宮本・三都主)ばかりを選んだり、あえてケガや病気をしている選手(柳沢・中村)ばかりを選んだり。……他に代役はいくらでもいるのに、あえて肉体的に弱小のメンバーばかりを選んだのは、ジーコ本人である。
 実際には、どうか? 日本の選手は、黄金世代であり、これ以前もこれ以後も、現在のレベルになることは当分ない、と思える。たとえば、第二の中田が出現するメドは立っていない。
 トルシエがあのまま続けていれば、今回はベスト8進出が望めたのだが。(あのときは、今回以上に、ケガ人が続出したが、チームとしての出来映えは揺るがなかった。代役をたくさん用意しておいたからだ。)

 しかしまあ、ジーコといえばもともと「唾吐き事件」で有名な人物だ。とすれば、ジーコの今回の発言は、意外でもないだろう。「やっぱり」「案の定」と思うだけだ。

 むしろ、責めるべきは、周囲の人物だろう。特に、会長の川淵は、ちゃんと責任を取ってもらいたいものだ。
 この四年間、多くのサッカーファンがひたすらジーコを我慢してきたのは、「負けたら責任を取るはず」と思っていたからだ。「どうせ惨敗するに決まっているが、そのとき、惨敗をした責任を取るはずだ。ジーコも川淵も追放されるから、それまで四年間は我慢していよう」と思ったからだ。 (……あ、本音を書いちゃった。これはホントは書いちゃいけないことだ、とみんな思っているんですけど。  (^^); )
 なのに、ジーコが尻尾を巻いて逃げたのはともかく、会長が居座る? 冗談じゃないですよね。どんなに大失敗しても居座るなんて。

 あまりにもひどいと思ったら、隠れた事実が判明。実は、独裁体制を敷いて、異論が出ないようにしているらしい。(週間現代の記事。)
 ふうん。スケート連盟だけじゃないんだな。サッカーを食い物にしている会長は。なるほど、莫大な収入や特権があるなら、手放したくないわけだ。サッカーの私物化。

 [ 付記1 ]
 最新ニュースでは、川淵会長がまた暴言。
 「日本のサッカーは、世界の中ではまだ子どもと一緒」( → Yahoo ニュース
 つまり、今回の敗因について、「悪いのは選手であって、ジーコのせいでもないし、ジーコを選んだ自分のせいでもない」と言いたいわけだ。「敗軍の将、責任をすべて兵に帰する」というわけ。
 「日本のサッカー運営は、世界の中ではガキレベル」
 と言うべきか。いや、これじゃ、ガキに失礼だ。猿レベルと言うべきか。でもこれじゃ、猿に失礼か。

 [ 付記2 ]
 この件(ジーコ・川淵批判)については、「オシム ジーコ」という検索語でブログ検索をすると、あちこちでさんざん話題になっている。誰もが「呆れてものが言えない」というほど愕然としているようだ。あまりにもひどい状況。猿でさえ反省ができるのに、反省もせずに強弁するジーコと、ジーコ賛美をしてから下手くそな演技をする会長。
 これほどひどい二人には、当然、誰もが思うように、「責任を取れ」と批判してしかるべきなのだが、どういうわけか、マスコミは批判するどころかシッポを振って同調している。
 なぜ? マスコミは、サッカー協会の通行証がもらえなくなると怖いので、批判できないわけだ。トルシエ批判ならできるが、川淵批判はできない。
 「16強に入ったトルシエは(どんなに勝っても)最低の監督だ」
 「16強に入れなかったどころか1勝もできなかったジーコは(負けても)すばらしい監督だった」だって。
 まったく、腐った連中ばかりですね。フセインの取り巻きと同じ。金正日の取り巻きと同じ。小泉の飼い犬と同じ。……あれ? 当たり前かな。

 [ 付記3 ]
 それにしても、協会であれマスコミであれ、日本のサッカー界には困った連中が多いものだ。サッカーの toto の売れ行きが悪くなったのも、みんな自業自得なのだが、そのことにすら気が付かないありさま。自沈。自滅。
 今回の日本の惨敗の理由は、選手のせいでもなく監督のせいでもない。馬鹿監督を選んだ日本のサッカー界の、オウンゴールである。自殺点。出場以前に、勝敗は決まっていた。
 なお、アジア出場枠が削減されるらしいので、次回、日本はW杯に出られなくなる可能性がある。
( → Yahoo ニュース
 仮に、「アジア枠削減」という提案がなされたら? たぶん、そのとき最初に「賛成」という声を上げるのは、ジーコでしょうね。あれだけ日本の悪口を言っていることからも、「弱っちい日本」と見下して軽蔑していることは明らかだ。
 そして、日本を軽蔑する人物を、「神様」と崇める馬鹿マスコミ。……サッカー雑誌もたいていそうだし、新聞社のサッカー記事もそうだ。
 特に、朝日は、その飼い犬根性を、何とかたたき直してほしいですね。ちょっとは骨のある記事を書けないのだろうか? ご主人様に骨をもらうことばかり考える飼い犬根性を捨てて、自分の骨を鍛えるべし。骨なし新聞。(いや、狂牛病で、脳がないだけかも。)


● ニュースと感想  (6月28日b)

 「サッカーのジョーク」について。
 いまだに「ジーコは立派だった」というような賛美記事がけっこう出る。(たとえば朝日・朝刊・スポーツ面 2006-06-26 )
 選手として立派だったから、という理由だけで、ジーコを賛美する。監督としてどんなにひどい結果しか残せなくても、選手時代だけの栄光にとらわれて価値判断する。戦術も技術指導も采配も関係なく、ひたすら精神論だけでジーコ賛美。
 あ、そう。だったら、次期監督は、決まりだ。マラドーナにしなさい。それなら、首尾一貫する。次期日本代表の選手は、麻薬漬けですかね。
 神様監督のあとは、神の手監督で、反則のハンドばかり。これで、次期監督は決まり。   (^^);
 とんでもない、と読者は思うかもしれないが、なーに、サッカー界の会長と評論家連中は、すでに麻薬漬けである。そうとしか、思えないでしょ? 麻薬漬けの頭の連中が選ぶなら、麻薬漬けの元選手を監督にするのが、自然である。
 ま、四年前も、同じ連中が選んだから、ジーコにしたのかもね。ジーコ中心のチームで、自己チューのチーム。


● ニュースと感想  (6月28日c)

 オタクがオタク状態を脱して、若い女性と親しくおしゃべりをする方法。
   → Open ブログ 「脱オタク」


● ニュースと感想  (6月29日)

 「サッカーの記事」について。
 ジーコに追従するマスコミは点でなっていない、という趣旨の話を何度か書いたが、マスコミにもまともな記事が出ることもある。記者の記事ではなくて、評論家の記事。セルジオ越後による、ジーコ批判・マスコミ批判。週刊朝日の最新号に出ている。(ま、話は、あちこちのブログにあるサッカーオタクの意見と同様。)
 この人はかなり有名人だし、テレビにも出るから、その話を聞いたこともあるだろう。私はサッカーオタクじゃないから、聞いたことがなかったが、とにかくまあ、マスコミにも例外的に、まともな記事も出ることがある、とわかった。一応、記述しておく。
( → 参考情報: google検索人気投票

 [ 付記 ]
 だけど、次期監督というのは、いったい誰がどういう権限で決めているんでしょうねえ? 「次期監督決定審議会の決議で決まった」というのならともかく、どうやら例のボスが独裁的に腹三寸で決めているんじゃないでしょうかねえ。……困ったものだ。
 で、そういう独裁体制を報道しないマスコミというのが、一番、困ったものだ。……ま、小泉でも検察でも、マスコミは常に飼い犬にすぎないが。


● ニュースと感想  (6月29日b)

 「ビッグバン以前」について。
 ビッグバン以前の宇宙は、どうであったか? ……これは見当も付きそうにない謎であるが、私なりにエレガントな解答を出してみる。正しいかどうかは不明だが、とりあえずはエレガントな解答。
  → Open ブログ 「ビッグバン以前」


● ニュースと感想  (6月30日)

 「誰のための民営化か」について。
 郵政民営化の方針のもとで、郵政公社がしきりにサービス縮小の方針を打ち出している。
 日本郵政公社は28日、来年10月の郵政民営化に向けた郵便局再編計画を正式に発表した。
 郵便物の集配業務を行っている全国の郵便局の約2割にあたる1048局について、集配業務を近隣局に移して窓口業務だけを行う「無集配局」に転換するのが柱。年間約100億円の経費削減効果を見込んでいる。
 「無集配局」になる郵便局は、営業時間外に窓口で郵便物の受け渡しを行うサービスが原則廃止される。
 集配業務を行っている4696の郵便局を、
  ・ 郵便物の区分と集配を行う「統括センター」(1088局)
  ・ 統括センターで区分した郵便物を配達する「配達センター」(2560局)
  ・ 郵便物の引き受けや切手、金融商品販売など窓口業務に特化する「無集配局」(1048局)
 ――の三つに再編する。
 統括センターを除く3608局は、平日夜間や土日などの時間外窓口(ゆうゆう窓口)を廃止する。その代わり、客から電話連絡をもらえば、郵便物を再配達するサービスを充実させる。
( → Yahoo ニュース
 たとえば、急ぎの郵便小包が、不在のため、集配局に戻ってしまうことがある。これは現在では、約三時間後に、集配局で引き取れる。しかし今後は、ずっと遠くの統括センターまで行くか、翌日の再配達に引き延ばされることになる。
 要するに、急ぎの郵便小包は、(配達時に不在だったら)今後はまともに受け取れなくなる、ということだ。

 要するに、「郵政民営化は、大幅なサービス低下をもたらす」ということだ。これによる損失は、国民の負担が大幅に増えることで、千億円を上回る損失になるだろう。それでも、郵政公社としては、業務経費の削減によって、「年間約100億円の経費削減効果」(前記)を得ることになる。
 まとめて言えば、国民に千億円以上の損失をもたらして、郵政公社は百億円の利益を得る、ということだ。これがつまりは、「郵政民営化」の意味である。

 こういうことは、まったく馬鹿げていることなのだが、別に、不思議でも何でもない。小泉流の「構造改革」というのは、もともとそういうことを狙っているのだ。つまり、「企業の利益の最大化」である。そして、その裏面で国民にどれほど莫大な損害をもたらしても、無視する。
 実際、これは、現在の経済状況でもある。企業はさんざん利益を上げているが、国民の生活は苦しくなっている。にもかかわらず、「景気は拡大した」と政府は吹聴し、朝日のような御用新聞は「景気は拡大していますよ」と政府のヨイショをする。……こうやって、政府とマスコミがグルになって、国民の生活を破壊し、かつ、企業の(つまり一部の資本家の)利益ばかりを増大する。……これがつまりは、昨今の「貧富の格差」の実状だ。
 つまり、「貧富の格差」とは、「豊かなものと貧しいものとの差が拡大すること」ではなくて、「企業はますます栄え、労働者はますます苦しくなる」という状況だ。マルクスが批判したような状況だ。で、共産主義が嫌いな小泉は、マルクス批判のあげく、マルクスが批判したような状況を、あえて作り出すわけだ。そして、それを「成功」と呼ぶのである。
 
 一国全体でいえば、国民は数百兆円の富を失い、企業は数十兆円の利益を得る。国全体では、大幅な損失だ。それでも、企業だけを見れば、数十兆円の利益を得るので、企業はウハウハだ。
 つまり、「国家全体を破壊してでも、自分(企業)さえ利益を得ればいい」というのが、小泉の政策である。郵政民営化も、その一環である。そして、それをヨイショするのが、朝日や読売などの御用新聞だ。
 「郵政民営化はすばらしい」
 「企業の景気回復はすばらしい」
 こういう宣伝のもとで、国民はますます苦しくなる。

 [ 付記 ]
 こういう馬鹿げた状況は、マクロ経済学を理解すればわかる。逆に言えば、マクロ経済学を理解しないせいで、こういう馬鹿げた状況がわからない。そのかわり、ライブドアの50億円だの、村上ファンドの百億円だの、福井総裁の一千万円だの、みみっちい話ばかりを取り上げる。
 めくらまし政治。国民に数百兆円の損失をもたらしていることを忘れさせるために、めくらましをやる。
 こういう問題については、例のライブドア本の次の本(続編)で考察する予定。「ライブドアと経済」というようなテーマで、ライブドア事件の背後にある大きな経済問題を取り上げる。ライブドアの問題もまた、根源的には、こういう大きな経済問題から生じたものにすぎない。
(経済学の話なので、やや難解。初心者向けじゃありません。本サイトの読者には好まれるでしょうけど。「さおだけ屋」みたいな、売れればいいという本とはかなり違う。)


● ニュースと感想  (7月01日)

 「景気の状況」について。
 政府は「景気は拡大中」という宣伝をやたらと流し、マスコミもやたらとそういう記事を書くが、人々の感想の世論調査なんかよりは、単に経済データだけを見た方が、わかりやすいようだ。
5月の家計消費支出、5カ月連続の減少
 総務省が30日発表した5月の家計調査報告によると、……月平均消費支出は、前年同月比2.7%減少した。
 消費支出の実質減少は5カ月連続。実収入は同3.7%減った。減少は7カ月連続。
( → 朝日のサイト
 次の記事のデータもある。
 5月の国内自動車販売台数
 自動車大手8社は26日、5月の国内販売実績を発表した。
 日産自動車は20・4%減(軽自動車を除く)の4万1662台。  また、トヨタ自動車も4・5%減の12万633台、ホンダも11・2%減の4万8501台と低迷した。
( → 読売のサイト
 自動車販売台数は、景気の状況を比較的よく示す。現状では、まだまだ悪い。
 実を言うと、自動車販売は、ここ数年、非常に悪化しており、自動車の平均使用年数がどんどん上がっている。バブル期には、新車を買ったら3年ぐらいで買い換える人が多く、10年落ちの自動車なんてゴミ同然だった。しかしその後、平均して、4年や5年ぐらいは同じ自動車に乗り続ける人が多くなってきている。つまり、新車を買わないで、ずっと同じくリマに乗り続ける人が多くなってきている。
 こういう状況では、景気が少しでもよくなると、新車需要は急激に増えるはずだ。「もう何年も買い換えていないから、そろそろ買い換えるか」と思う人が急増して、過去の何年分もの需要が噴出する形で、新車需要が急増していいはずだ。(需要の先食いとは逆で、過去の需要が湧き起こるわけ。)
 ところが、現実には、新車需要は増えるどころか、どんどん減っている。自動車の平均使用年数はますます上がっている。
 これを見る限り、人々の消費意欲は、まだまだ悪い。W杯で、液晶テレビを買う人はいくらか増えたかもしれないが、これもせいぜい、需要の先食いに過ぎまい。マスコミがいくら「景気回復」なんていう記事を掲げても、自動車会社は苦しくなるばかりだし、他の企業でもだいたい同様だろう。
 ただし、失業問題だけは、いくらか好転するはずだ。というのは、団塊の世代が急激に大量に退職するせいで、人手不足になりがちだからだ。ここでは、失業者が年金生活者になるという形で失業率が好転する。なのにこれを「景気がよくなったから失業率が好転した」と思うのは、勘違いだ。勘違いしないようにしよう。政府とマスコミは、やたらと勘違いをさせたがるが。


● ニュースと感想  (7月01日b)

 「デフレ脱却とは」について。
 消費者物価が上がっているので、デフレを脱却しつつある、という見解がしばしば見られる。
 総務省が30日発表した5月の全国の消費者物価指数(00年=100、除く生鮮食品)は98.5で、前年同月比0.6%上昇。上昇は7カ月連続で、デフレ脱却に向けた進展が改めて示された。
 原油価格の高騰に伴う石油製品の価格上昇が主な要因。品目別では、灯油が同26.4%上昇し、上昇率が最大だった。
( → Yahoo ニュース

 総務省が30日発表した5月の全国の消費者物価指数(CPI、2000年=100)は、価格変動の大きい生鮮食品を除く総合で98・5となり、前年同月に比べて0・6%上昇した。
 デフレ脱却に向けてさらに一歩前進した形。
( → 読売のサイト
 記事では「進展」だの「前進」だの書いて、デフレ脱却を「すばらしいこと」と見なしている。とんでもない勘違いだ。
 現在のデフレ脱却とは、実は、インフレに近づくことではなくて、スタグフレーションに近づくことである。
 なぜか? ここで物価が上昇しているのは、消費意欲が高まって物価が上昇しているからではなくて、原油価格の高騰にともなって原価が上昇しているからだ。(いわゆるコストアップインフレと同様。)

 たとえば、100円のガソリンが、110円になったとしよう。
 ここで、「ガソリンを買う人が増えたから価格が上昇した」のであれば、価格が上昇した分、ガソリンスタンドの利益が上がる。これは景気がよくなった状態だ。(インフレ的)
 一方、「ガソリンの仕入れ値が上がったから、やむなく価格を上げる」のであれば、価格を上げたせいで、売上数量が減るから、ガソリンスタンドの利益はかえって減ってしまう。これは景気が悪化する状態だ。(スタグフレーション的。)
 この二つの状態は、異なる。デフレのあと、前者に近づくのであれば、「好転」であるが、後者に近づくのであれば、「悪化」なのである。
 
 要するに、現在の経済記事は、「インフレ」と「スタグフレーション」との区別がつかない。「需要過剰」と「供給不足」との区別がつかない。……経済学のイロハも知らないで、「デフレ脱却」と喜んでいる。

 [ 付記 ]
 比喩。不幸な人生に陥ったオタクがいた。そこへ、「不幸から脱却させて上げましょう」と萌えちゃんが優しく呼びかけた。経済音痴のオタクは、「ありがとう。不幸から脱却させてください」と頼んだ。萌えちゃんは、オタクの頼みを聞いて、彼を不幸から脱却させた。オタクは、気が薄らぐのを感じながら、喜んだ。
 「これで不幸から脱却するぞ。万歳。不幸から脱却するということは、きっと天国に行けるということだ」
 実は、萌えちゃんは、メイド服を着た悪魔だった。悪魔は、オタクの命を奪って、地獄へ突き落としたのである。しかしオタクは、天国と地獄の区別がつかなかったので、こう思った。
 「どっちみち、不幸から脱するんだ。だから、これでいいんだ。嬉しいな」

( ※ 不幸=デフレ、天国=インフレ、地獄=スタグフレーション)
( ※ ここでは、オタク批判をしているわけではない。上のオタクとは、つまりは、日本人全体のことだ。)


● ニュースと感想  (7月02日)

 「サッカー協会とマスコミ」について。

 (1)  川淵会長
 サッカー協会の会長の独裁体制について、前にも推測を書いたことがあるが、正真正銘、とんでもない独裁体制が敷かれているようだ。報道管制というべきか。
 つまり、ジーコ批判をしたジャーナリストをサッカー界から追放する、というシステムだ。で、以前、オシムの本を書いた著者が、「ジーコ批判」と見なされて、この憂き目にあったそうだ。
 ところが、今ではこの著者が、オシム次期監督の下で、株を上げている。それでもいまだに、サッカー協会はこの著者を管制下に置きたがっているようだ。とんでもない報道管制システムが敷かれつつある。独裁支持体制。
 で、今のマスコミはみんな、独裁者のおべっかしか書けないわけだ。こういうマスコミが、金正日やフセインを「独裁者」と批判するのだから、まったく呆れてものが言えないですね。

 → 該当サイト  (オシムの本を書いた著者)
 ( ※ やたらと半角カタカナが使われているのは、ケータイ用のサイトだから。)

 (2) 福井総裁
 日銀の福井総裁について、野党やマスコミがさんざん非難やら何やらしている。「国会喚問せよ」とか、「世論調査の結果がこれこれだ」とか。
 で、その理由というのは、何か? 「これこれの法律違反をしたから」という理由でもないし、「これこれの業務上の失敗の責任を取れ」ということでもない。単に、「李下に冠を正さず」だけだ。
 李下に冠を正さず? そんなことを言ったら、官僚のほとんどがクビになるだろう。

 まとめ
 この二件を比較すると、どうせなら、福井総裁よりも、サッカー協会の会長の方に、目を向けてほしいですね。「李下に冠を正さず」よりは、「失敗の責任を取れ」ということだ。
 責めるべきことを、間違えている。野党だって、どうせなら、スケート連盟の不正支出やサッカー協会の独裁体制によるW杯敗北を話題にするべきだろう。そっちの方が、国民受けすると思いますけどね。福井総裁というたかが個人の一千万円ぽっちを話題にするなんて、馬鹿げている。彼は国民の金を一円も盗んでいないのだ。一方、スケート連盟やサッカー協会は、国民の金を莫大に浪費した。どっちが罪深いかは、一目瞭然。

( ※ 要するに、今の日本が駄目なのは、政府が駄目だからというよりは、野党とマスコミが駄目だから。情けないことだが。)


● ニュースと感想  (7月03日)

 「サッカー監督と首相」について。
 ブラジルのサッカー監督の談話。( → Yahoo ニュース
 試合後の記者会見でパレイラはこう語った。
「選手たちに感謝したい。決勝に進むことがここでの私の任務だったが、それを果たすことができなかった。いつも通りの話だと思う。ブラジルが敗れる時、責任は必ず監督にあるということだ」
 ジーコはどうだったか? たぶん、こうだった。(うろ覚え。)
 試合後の記者会見でジーコはこう語った。
「選手たちは体格が劣っていた。決勝に進むことがここでの選手の任務だったが、それを果たすことができなかった。いつも通りの話だと思う。日本が敗れる時、責任は選手にあるということだ」
 マスコミの報道では、こうだ。
 「日本が敗れる時、責任は、前回はトルシエにあったが、今回は選手にある。神様には責任がない」

 昔の終戦のときみたいな話。「責任は国民にあり、天皇にはない」というふうな。……ただ、あのときは、天皇は別に責任回避はしなかったですけどね。(ポツダム宣言受諾による無条件降伏を決める御前会議では、天皇は「自分はどうなってもいい」という趣旨のことを話したという。)
 
 ところで、もうすぐ、終戦記念日だ。この際、小泉は、靖国参拝をするらしい。「自分の筋を通すためには、国家がどれほど不利益をこうむっても構わない」というわけ。「国益よりも私益を」というわけ。

 ともあれ、小泉とジーコって、よく似ていますね。それが結論。(本人が似ているというよりは、この二人を称賛するマスコミの馬鹿さ加減が似ている。)

 [ 付記 ]
 小泉はブッシュの前で、プレスリーの物真似演芸をやって、米国のメディアに大きく取り上げられたという。本人は鼻高々なのかもしれないが、「一国の首相が物真似演芸をやる」ということで、馬鹿にされているのに、気が付かないんですかね。
 そんなに物真似が好きなら、日本でも物真似をやったらどう? プレスリーの真似でもいいし、あるいは、石原裕次郎の物真似でも、沢田研二の物真似でもいい。コロッケの物真似でも、アンガールズの物真似でもいい。どんどん物真似をやって、コメディアンになって下さい。引退後は、吉本興業に所属しましょう。
 私が思うに、小泉さんに向いているのは、くさなぎ君の物真似です。


● ニュースと感想  (7月03日b)

 「政策特許」について。
 政策に特許を与える「政策特許」というものが考えられる。これは、自治体に対して、「成果主義」を取るものだ。プラスをもたらす仕事に対して、プラスの評価を与える、というものだ。たとえば、次のように。
 「すばらしいアイデアを出した自治体には、そのアイデアに独占権を与える。つまり、『政策特許』である。このアイデアを使いたい他の自治体は、独占権を持つ自治体に使用料を払って、そのアイデアを使う」
 たとえば、「すぐやる課」というアイデアを出した自治体は、そのアイデアの独占権を持つ。他の自治体が真似したいときは、百万円ぐらいのアイデア料を払う。最初の自治体には、アイデア料が入る。アイデア料がほしいので、職員に「もっとアイデアを出せ。アイデアを出した職員を優遇する」と尻を叩く。なお、アイデア料は、やたらと高くなることはない。たとえば、「1億円」という値段を付けると、馬鹿らしいので、誰もそのアイデアを買わない。となると、アイデア料の収入がゼロ。かえって損だ。というわけで、アイデア料は、妥当な金額に落ち着く。

 [ 付記 ]
 自治体だけでなく、公務員にも、同趣旨の「成果主義」をなしていいだろう。良いアイデアを出した公務員に、ボーナスをはずむわけだ。(昇進させなくてもいいが、追加ボーナスは必要。)


● ニュースと感想  (7月04日)

 「誤認逮捕の責任者」について。
 誤認逮捕で男性を10カ月勾留した、という事件があった。( → 朝日のサイト
 これの続報として、事件の詳細をルポする記事があった。証拠不十分のまま、真犯人の虚偽の告白だけを信じて、でっちあげの罪で10カ月も勾留した、という。真犯人が自白したので、検察と警察はようやく頭を下げたという。(朝日・朝刊・社会面 2006-07-02 )

 これはライブドア事件に似ている。ホリエモンが3カ月も勾留されたが、あれとそっくりだ。
 さて。記事はこれを、検察と警察の問題だ、と見なしているが、見るべき点が見当違いだ。記事は、「無実の人間を逮捕したのが間違いだ」という趣旨で書いているが、警察や検察は神様ではないのだから、無実の人間を逮捕することは、必ずある。警察や検察が、誤認逮捕したこと自体は、ただのミスであるにすぎない。神様ではない以上、ミスは避けがたい。(実際、この記事自体が、ミスである。)
 ミスは必ず起こる。問題は、ミスを起こしたこと自体ではなくて、ミスがあったときにどうするか、ということだ。「ミスであるかもしれない」というのは、最初からわかっていた(被疑者が全面否認していた=肯定しなかった)のだから、検察や警察のミスの可能性は、もともとあった。で、そういう状況で、「ミスはない」と決めつけた。……ここに、物事の根源がある。
 とすれば、ここでは、「検察や警察は絶対に正しく、被疑者は絶対的に嘘つきだ」という判断をした人が問題となる。それは、誰か? 裁判所だ。ホリエモンのときもそうだが、裁判所はこう判断する。
 「被疑者を釈放すると、証拠湮滅の恐れがあるので、勾留を認める」
 しかしこれは、「被疑者が真犯人だ」という前提の上に成立する議論だ。初めに「有罪」を前提として、その上で論理を組み立てる。ここでは、論理そのものが砂上の楼閣となっている。
 仮に、このような論理が成立するのであれば、警察や検察は、あらゆる人を勝手に逮捕していいことになる。たとえば、あなただ。あなたがある日、警察に逮捕される。
 「おまえはこの前、女性を暴行しただろう。ゆえに強姦魔として逮捕する」
 と。あなたは、おおあわてで、スケジュール表を見る。
 「いえ、違いますよ。その日は仲間と会合があったんです。ほら、ここに書いてあるでしょ。証人もいますよ」
 「ふむふむ。そうか。で、その前日は?」
 「その前日は、家にいました」
 「そうか。じゃ、前日にあった強姦事件で、逮捕する。やっぱりおまえは強姦魔だ」
 あなたは「絶対にやっていない」と主張するが、認められない。「やったこと」の証明はともかく、「やっていないこと」の証明は、困難だからだ。で、「自白していないから証拠湮滅の恐れがある」という理由で、10カ月も勾留される。もちろん、罪を犯していないのだから、証拠湮滅もへったくれもないのだが、裁判所はまず「あなたは罪を犯した」という前提で話を進めるのだから、どうしようもない。

 一般に、誤った前提の上で話を進める相手には、何を言っても無効である。なぜか? 理由は、こうだ。
  ・ 相手は誤った前提の上で話を進める。
  ・ 相手が正しいとすれば、あなたは間違っている。
  ・ 相手からすれば、あなたは間違った前提の上で主張をしていることになる。
  ・ ゆえに、相手からすれば、あなたの主張のすべては、砂上の廊下君すぎない。
 つまり、虚偽が正しいという前提の上では、真実は砂上の楼閣となるのだ。

 では、なすすべはないのか? 一人一人には、なすすべはない。妄想している狂人に、正しい論理で説得しても、無駄である。
 ただし、社会全体としては、なすすべがある。こういう間違いを犯す社会システムを改善すればいいのだ。その方法は? 簡単だ。法の原則を守るだけでいい。それは、こうだ。
 「疑わしきは罰せず」
 「推定無罪」
 最初の前提を「無罪」にすればいい。つまり、「有罪」という証拠がなければ、「無罪」となる。ところが現実には、検察や警察の方針では、「無罪」という証拠がなければ、「有罪」となる。さらには、裁判所までが、その方針を取る。
 実を言うと、「無罪という証拠がなければ有罪」というのは、検察や警察の方針としては当然である。彼らの仕事はそういうことだからだ。しかし、裁判所までがその方針を取るのは、根源的に狂っている。裁判所としては、「有罪だ」と主張する検察官の意見と、「無罪だ」と主張する弁護士の意見を聞いた上で、「保釈金を納めて保釈」とするのが正当だろう。どうせ起訴後には、証拠湮滅の恐れなどはないからだ。ところが、裁判所が、そういうことができていない。裁判所が検察べったりになっている。……ここに根源的な問題がある。社会システムの根源的な問題が。

 この根源的な問題に対処するには、社会システムを改善するしかない。とすれば、その前に、マスコミが社会システムの問題を指摘するべきだ。この点では、朝日の記事は、半分だけ有効である。
 第一に、「こういう問題があった」という指摘は、有効だ。他のマスコミが気づかない点に気づいたのは、有効だ。
 第二に、「検察や警察がミスった」という指摘は、無効だ。検察や警察にミスのない捜査を求めること自体が、根源的に狂っている。求めるべきは、ミスのない捜査ではなく、捜査にミスがあっても問題を引き起こさない社会システムだ。つまり、アメリカと同様に、「推定無罪で釈放する」という社会システムだ。(よほどの凶悪犯でない限りは。また、定職をもっていて、逃亡の恐れがない場合には。)
 
 この問題を解決するには、次の対処が有効であろう。
 「誤認捜査で長期の勾留があった場合には、前年度の収入の3倍に相当する保証金を支払う」
 たとえば、年収400万円の人が半年間勾留されたら、200万円の3倍に当たる600万円の補償金を得る。また、解雇されていた場合には、会社に再雇用を明示、同時に、会社にも同額の迷惑補償金(業務停滞の迷惑料)を支払う。
 こういうふうにすることの効果は? 迷惑を受けた人が補償金を得る、ということではない。そういう馬鹿げた保証金を払う国家に損失を与える、ということだ。国家の損失。そのことで、国家に損失をもたらした張本人が、指弾されることになる。たとえば、ミスをした検察や警察。ミスをした裁判官。……彼らが、「税金泥棒」という言葉で、非難される。昇進もおぼつかなくなるし、左遷または降格の憂き目にも遭う。(そうせざるを得ないように、検察や警察や裁判官全体に、業務のミスを理由とした賃下げをもたらすといい。たとえば、ミス1件に付き、裁判官全員に対して1円の賃下げ。)
 つまりは、成果主義ですね。とんでもないことをやらかした公務員には、罰を加える。これが正当である。
 検察や裁判官は、他人を裁くことばかり考えていて、自分が裁かれることを考えていない。こういう連中に、「賃下げ」で処罰を与えることこそ、社会システムが洗浄化するための方法なのだ。

( ※  これと逆なのが、前日分の話 )


● ニュースと感想  (7月05日)

 「中田の第二の人生」について。
 サッカーの中田が引退した。これについて、私の感想を求める人もいるだろうが、私は別に、個人の人生には関心はない。サッカーをやろうがやめようが、どっちでもご自由に、というところだ。(ただし、個人的は、彼の決断は納得できる。股関節のケガをして以来、動きにキレがなくなったからだ。まだまだやれるとは言えるが、二年前までの中田にはもう戻らない、と見ていいだろう。その意味で、壊れた中田には、引退しかなかったのかもしれない。)

 さて。サッカーはともかく、彼の第二の人生がある。こちらが本題だ。
 第一に、MBAの学位を取得するそうだ。
中田英寿(29)が米ハーバード大に入学して経営学修士(MBA)を取得する計画を持っていることが、明らかになった。11年間のプロ生活の疲れを癒やすため、海外でリフレッシュ。その後は米ハーバード大でMBAの取得を目指すという。
 MBAはビジネス界のエリート学位。取得には英語能力と最新ビジネススキルが必要で経営管理職への“パスポート”として定着している。中田は03年7月に経営難に陥っていた東ハトの執行役員に就任。最高ブランド責任者としてお菓子の企画開発に携わるなど、現役時代から企業経営に興味を寄せていた。
( → Yahoo ニュース
 第二に、資産は百億円を超えるそうだ。
29歳までプロサッカー選手として稼いだ額は、副収入など含めると、なんと100億円を超える。
( → ZAKZAK
 第三に、サッカーのチームでは、孤立していたということだ。
 「みんなで、すき焼きでも食おう」と、日本代表に招集され、9年目で初めてチームメートに声をかけ、総決起集会を行った。そのときに、この寄せ書きは書かれたものだ。ところが、この集会には不参加だった選手が5人いたという。不仲とされる中村俊輔、三都主らが欠席。なるほど、この寄せ書きには、それらの選手のサインは見当たらない。4年間のジーコジャパンの練習でも、中田と中村が談笑していた風景は、皆無といっていい。
( → 同じく: ZAKZAK
 以上からわかることは、こうだ。
 「中田は金持ちだし、ビジネスのセンスもあるが、人望がないし、リーダーとしての資質もない」
 つまり、雇われビジネスマンには向いているが、社長には向いていない、ということだ。
 で、そういう人が、自己の才能に自惚れて、多額の資金を出すと、どうなるか? 良い例が、桑田真澄だ。株に投資したあげく、莫大な借金を負い、いまだに返済しきれない。「おれは頭がいいし、金もあるから、頭と金を使って、ビジネスで金儲けをしてやろう」と思ったが、いざ実行してみると、大失敗。有り金をすべて失ったあげく、その倍も赤字を負う。
 
 中田もそうならないように、注意した方がいいですよ。彼の弱点は、自惚れだ。今回の引退のホームページを見ても、自惚れが強すぎる。少しは「反省」ということをやった方がいい。「自分は馬鹿だ」と、自分自身に言い聞かせた方がいい。そうすれば、彼は利口になれる。現状は、「自分は利口だ」と思っている馬鹿だ。桑田と同様。

( ※ しかし、これは別に、中田だけのことじゃない。日本人全員がそうだ、とも言える。ま、私だって、「自分は利口だ」と思っている馬鹿ですけどね。  (^^); )

 [ 付記1 ]
 しかしまあ、中田が「自分は頭がいい」と自惚れて、百億円をすって、スッカラカンになったとしても、誰も迷惑を受けるわけじゃない。結婚していれば、妻が迷惑を受けるだろうが、だとしても、せいぜいゼロになるだけだから、どうってことはない。他人が非難するようなことではない。(私としても、彼のために親切に忠告するだけであって、悪口を言っているわけじゃない。「嘘つけ」と言われそうだが。  (^^); )
 ええと。私が悪口を言いたいのは、こうだ。
 「中田が『優秀なビジネスマンだ』と自惚れるのはいいが、小泉や竹中は『優秀なエコノミストだ』と自惚れるべきじゃない。中田が自分の百億円をすってしまうのはいいが、小泉や竹中が国民の金をすってしまうのは駄目だ。」
 結局、これが言いたかったんですね。何だか、こじつけみたいだが。  (^^);

 [ 付記2 ]
 小泉や竹中についての補足。
 この二人の権力者は、「自分は優秀なエコノミストだ」というふうに自惚れながら、国民の金をすってしまう。ひどいものだ。
 ただし、である。この二人は、エコノミストとしては最低だが、詐欺師としては最高だ。経済政策としては、まともなことは何一つやっていないのに、まともなことをやったかのように見せかける。
 比喩。風邪を引いた病人が、医者に治療を求めた。医者は「頭から氷水をかぶりなさい」と言ったので、その言葉に従ったら、風邪が悪化した。一週間で直るはずが、一カ月かかった。で、一カ月かかったところで、医者が自慢した。「ほら、一カ月後には、ちゃんと風邪が治りました。私の治療はやっぱり正しかったんだ。この病人の風邪が治ったのは、私の治療の効果なんだ」
 小泉や竹中は、二〇〇一年の時点で、「構造改革によって二年後には景気回復」と公約していたが、五年たっても、いったん下がったのが元に戻ったというぐらいのことでしかない。それでも「我らの成果だ」と自慢する。……すごい詐欺師。
 中田さん。ビジネスマンになるなら、大学に行くのもいいが、詐欺師になるなら、この二人に弟子入りした方がいいですよ。
 ついでですが、ホリエモンに学んでも、詐欺師にはなれません。村上に学んだら……それは、ちょっと、無理ですね。あの人は、頭が良すぎる。学べるものじゃない。下手をすると、非倫理的なところだけ、学んでしまう。


● ニュースと感想  (7月06日)

 「中田のケガと野菜」について。
 中田のケガ(股関節のケガ)だが、私が思うに、これは「野菜を取らないこと」にあると思いますね。(中田は「野菜を取らないこと」で有名。偏食。)
 ただし、注意。「野菜を取らないから栄養不足で軟骨がおかしくなる」ということではない。どうせ中田は「野菜を取らなくても、果物ジュースとビタミン剤で栄養を取れるよ」とでも思っているのだろうが、そうではない。
 野菜を取らないと、食物繊維やら微量元素やら栄養吸収率やら、あれこれのことが影響して、体内の栄養バランスが崩れる。ホメオスタシスが狂う。そのせいで、内分泌器官が正常でなくなる。病気というほどではないが、健康状態でなくなる。普通の人なら問題ないが、サッカー選手のように肉体を酷使する人では、疲労の回復力に影響する。疲労が溜まって、乳酸やら活性酸素やら、体にとって有害な物質が溜まっている状態を、さっさと健康に戻さなくてはいけないのに、野菜を取らずにアルコールなんかを飲んでいるから、有害物質がなかなか除去されない。また、腸内の菌のバランスも崩れる。
 要するに、栄養の問題ではなくて、生体的なホメオスタシスが崩れる。そのせいで、ケガをしやすくなる。かくて、他の人はともかく、中田は食物のせいで組織が傷つきやすくなり、(外傷性でない)ケガをしてしまった。

 他のサッカー選手は、34歳ぐらいまでケガをせずにやっているのに、中田だけは若いうちにケガをして引退するハメになった。これは偶然ではあるまい。
 なお、似た例は、他にもいっぱいある。たとえば、 ひざ痛(ひざの軟骨の病気)になった松井秀喜がそうだ。これも、栄養状態がおかしいせいだろう。外食ばかりしているらしいが、外食だとどうしても生鮮野菜を取れなくなる。レストランのサラダなんて、たいてい合成洗剤まみれだし、生鮮度は低いし、ゴミ野菜みたいなものである。おまけにサラダオイルまみれだ。自宅で食べるお新香の方がはるかに優れている。
 中田も松井も、いつまでも独身生活を続けているから、選手生命を短くするハメになるのだ。さっさと結婚すればよかったのにね。

 [ 付記1 ]
 松井のひざ痛の記事は、下記サイトにあり。
  → Yahoo ニュース
 参考。ひざ痛を治す方法は、下記サイトにあり。松井は間違った療法を取ったので、症状を改善するかわりに悪化させている。
( → ためしてガッテン

 [ 付記2 ]
 プロ野球の選手は、昔は30歳ちょっとで引退する選手が多かった。特に、阪神では。代表的なのは、掛布と中西(現・投手コーチ)。ものすごい酒豪で有名だったが、若くして体がガタガタになった。
 一方、正反対なのが、40歳ぐらいまで現役でやっている現在の長老選手たちだ。ふだん節制しているので、長くやれる。(特に名を示すことはしないが。)
 なお、大リーガーは、禁酒禁煙が当然である。このくらいは真似してほしいものだ。


● ニュースと感想  (7月06日b)

 「北朝鮮のミサイル」について。
 北朝鮮がミサイルを六発発射したということで、国中が大騒ぎしている。しかし、こんな大騒ぎは、馬鹿げたことだ。ライブドア事件における大騒ぎと同様で、大騒ぎすること自体による被害が発生する。

 (1) 軍事的意義
 軍事的には、ミサイル発射など、何の意味もない。核ミサイルならば大問題だが、核のない通常弾頭ミサイルなど、何の意味もない。
 なるほど、人々は、「ミサイルが頭の上に降ってくるかもしれない」と心配になるだろう。また、第二次大戦中のロンドンでは、ナチスのV2号が襲来したことで、ロンドン中がパニックに陥った。
 しかし、V2号の軍事的意義は、ほとんど皆無だった。いくら街中で市民を殺しても、何千万人もいるうちの1%も破壊できない。また、軍事基地を破壊する効果は、ほとんど皆無だ。戦争に対する影響としては、ほぼ皆無である。軍事基地を狙って破壊するならばまだしも、ロンドンを狙って破壊しても軍事的効果はゼロに近い。
 では、なぜ、軍事基地を狙わなかったのか? それだけの精度がなかったからだ。たとえて言うと、北朝鮮がミサイルで羽田空港を狙っても、東京湾に落ちてしまう、というようなものだ。精度が粗いから、おおざっぱに東京全体を狙うしかない、というようなものだ。
 とはいえ、ミサイルというのは金がかかる。それなのに、破壊できる対象は、ごくわずかだ。一千万円のミサイルで、一千万円の相手財産を破壊する、というようなものでしかない。馬鹿げている。
 ただ、軍事的効果はなくても、心理的な効果はある。通常の戦争では、市民は戦死の対象外だが、V2号では普通の市民が死ぬハメになった。というわけで、死なないはずが死にそうになったので、市民はパニックになったわけだ。……ここでは、被害そのものが大問題だったというより、心理的なパニックだけが問題となった。要するに、前線で戦死が1万人死ぬのは気にしないが、都会で市民が数百人死ぬのは大変だと大騒ぎする、というわけだ。あくまで心理的な効果にすぎない。
( ※ なお、北朝鮮のミサイルが数千発も用意されるようになったら、その時点で騒げばいい。たとえば、ステルス機で、全ミサイルを破壊する。……そういう対策を考えればいい。)

 (2) 心理的意義
 ともあれ、たったの6発程度の発射で大騒ぎするなんて、馬鹿げている。こんなことで大騒ぎするなら、交通事故で1万人が事故死するとか、不況のせいで経済自殺者が1万人出るとか、そういう現実の死者を心配する方がマシだ。毎度毎度、「人身事故で列車のダイヤが乱れています」なんてのを聞いて、平気の平左でいる人々の神経の方がおかしい。
 小泉のせいで毎日、列車の事故死が出る。なのに、小泉が現実に殺すのはほったらかしで、金正日が殺すかもしれないということばかりを話題にする。届きもしないで日本海に落ちるミサイルの心配をするより、小泉の手が人々の首を絞めるのを心配した方がいい。あなたの親戚や友人の誰かだって、ある日突然、死ぬハメになるかもしれない。(北朝鮮のミサイルのせいで死ぬ可能性はゼロだが。)

 (3) 経済的意義
 なお、北朝鮮のミサイルそれ自体は日本人を殺さないが、間接的に日本人を殺すことはある。
   ミサイル発射 → 日本中が大騒ぎ → 大騒ぎが日本人を殺す
 という過程による殺人である。これは、ライブドア事件のときの
   検察の暴走  → 日本中が大騒ぎ → 大騒ぎが六千億円の損をもたらす
 という過程と同様だ。
 具体的には、次の通り。
   「ミサイル発射 → 日本中が大騒ぎ → ミサイル防衛網に1兆円の費用
     → 1兆円の負担のせいで死者が千人増加」
  最後の「死者が千人増加」というのは、統計的にわかる。特に誰かが死ぬと予想されるわけではないが、莫大な経済負担は必ず死者を増やす。理由は、次のようなもの。
 ま、あれやこれや、いろいろとあります。いわゆる「失恋自殺」だって、経済的な原因が大きく影響している場合が、たくさんある。ともかく、統計的には、所得が不足すると、死者は増える。そして、ミサイル防衛網に1兆円の費用もの金をかければ、確実に、大量の死者が発生する。
 つまり、たった6発のミサイルは、それ自体は日本国民を一人も殺さないが、日本中があわてると、一兆円の損失が発生して、そのせいで莫大な死者が出るわけだ。
 あわてるという心理的な問題が、現実の死者をもたらす。

( ※ だからマスコミは「あわてるな」と警告すればいいのだが、逆に大あわての報道をなしている。こういうのは、北朝鮮の手先にすぎない。両者でグルになって、日本に莫大な損失をもたらそうとするわけだ。本来なら私のように「あわてるな」と告げるべきなのに。)


● ニュースと感想  (7月07日)

 「中田の文章」について。
 サッカーの中田の引退表明文が教科書に掲載されるそうだ。「名文だから」という理由で。( → Yahoo ニュース
 「そんなに名文だっけ?」と思って、読み直してみた。改めて読み直すと、これはまあ、名文だとは言える。ただし、「子供にとっては」という条件が付く。
 子供向けの文章としては、歯切れもいいし、子供の共感を受けるようだし、なかなかいい文章だと言える。小学生が書いたのなら名文だし、中学生なら「よくできました」と二重丸をつけて上げる。……しかし、それだけだ。
 高校生なら? 「もうちょっと知性のある文章を書きなさい」と講評が付いて、可もなく不可もなし。大学生なら「幼稚すぎる」で不可。
 とにかく、いい年をした大人だったら、こんな幼稚な文章を書いてはいけません。知性のかけらもない。
 これはまあ、「ガキがそのまま大人になった」というような文章だ。考えてみれば、中田自身が、「ガキがそのまま大人になった」というような人物だ。「文は人なり」。
 
 中田の文章であれ、中田自身であれ、欠けているのは「社会性」である。自分がどうしたいかとか、自分がどう感じたとか、そういうことばかりが話題になっている。これじゃ、ガキレベルですね。大人だったら、「社会性」というものが必要だ。つまり、「読んだ人がどう感じるか」という反応を理解した上で、それを反映させた文章を書いたり行動を取ったりすることだ。単に「私は嬉しい・私は悲しい」とかいうのはガキの文章だ。その嬉しさや悲しさを相手にどう伝えるかという意識のもとで、表現が修正されているのが大人の文章だ。大人の行動もまた同様。
 一言で言えば、中田の文章や態度には「思いやり」が欠けている。ジコチューなのである。子供ならばそれでもいいが、大人としては精神発達が未熟だとしか言いようがない。
 ま、それはそれでいいが、子供ならともかく、大人がこの文章を「名文だ」と思うようでは困る。「子供の文章だ」と理解するべきだ。
 結局、教科書会社が中田の文章を教科書に採用するのは、さして悪くはないと思うが、「名文だ」というよりは、「子供の文章のお手本だ」と評価するべきだろう。「名文だ」というふうに表現する教科書会社は、その点、信頼がおけない。(言葉遣いがおかしい。)
 
 [ 付記 ]
 ついでに言えば、「中田」という敬称つきの呼称がマスコミにあふれるのは、困ったものだ。「引退を表明したからプロではない」ということなのかもしれないが、とんでもない言葉遣いだ。
 中田はネット上で自分の名前を利用して、nakata.net で莫大な金を稼いでいる。大手の会社の広告を掲載して、年間数億円ものCM料金を稼いでいる。アマチュアではなく、明白なプロである。スポーツ選手としては引退したのかもしれないが、タレントとしてはれっきとした現役だ。キムタクやハセキョーが現役であるのと同じ意味で、現役だ。これらのタレントに「氏」をつけるわけじゃないのに、いちいち「中田氏」と呼ぶなんて、言葉遣いがイカレている。
 「中田の引退表明文が教科書に」なんていうタイトルの記事を書くような連中に、何が名文かを判断する力量などはない。「中田生きざま」なんていう非正統的な日本語を書く記者の力量こそ是正するべきだ。

( ※ 現時点では、中田のCMは続いている。たとえば、nakata.net で。ただし将来的には、CMから全面撤退する予定らしい。 → 記事 )
( ※ ついでに他人の財布の具合を覗くと……中田がサッカーを引退すれば、宣伝価値は激減する。だからCM料も大した額にはならないだろう。今後、タレントになるかどうかは、何とも言えない。それでも現時点では、CMを稼ぐタレント業である。CM料をすべて社会奉仕に寄付する、というのなら、「氏」をつけるに相当するが、別にそういうわけじゃない。自分の名前を宣伝のために使って、いまだに数億円を稼いでいるのだ。……要するにマスコミは、「引退する予定」というのと「引退しました」というのとを、区別ができないのである。頭がイカレている。)(なお、本項は、中田への悪口ではなくて、マスコミへの悪口である。誤解しないように。)


● ニュースと感想  (7月07日b)

 「阪神の30億円」について。
 阪神が30億円を払うように要求された。
 プロ野球オーナー会議が5日、東京都内で開かれ、阪神の親会社である阪神電鉄と阪急ホールディングス(HD)の経営統合が実際上の保有者の変更に当たるとの判断を下した。阪神が要望した25億円の預かり保証金の全額免除も理解を得られず、4億円の野球振興基金、1億円の加入手数料を合わせた計30億円を日本野球機構に支払うことが決まった。
( → Yahoo ニュース
 規則逸脱がまかりとおる、馬鹿げた話。
 阪神はがっくり来ているようだが、まともに対抗策をとれないものですかね。裁判に訴えてもいいが、どうせなら、手っ取り早い方法がある。こうだ。
 「どうせ保有権の変更になるのなら、阪神を他社に売却してやる。ライブドアでも何でも、阪神を買いたい会社に、売ってあげます。ライブドア・タイガースという名前にしても構いません。勝手にどうぞ」
 ブラフではあるが、こういうふうに叫べばよい。世間は蜂の巣を叩いたように大騒ぎになる。すると、プロ野球界はたちまち考えを改める。
 「阪神タイガースのままなのと、ライブドア・タイガースになるのとでは、大違いだ。前者は現状維持だが、後者は全面変更だ」
 ということにようやく気づく。(これがルールの正しい解釈。当り前。)

 馬鹿な阪神に比べれば、ナベツネの方がよほどまともでしたね。「おれ様に逆らうのなら、リーグを脱退して、新リーグを結成してやるぞ」と言い張った。阪神もそうすれば利口なんですけどね。
 たとえば、西武、広島、巨人は、阪神の味方らしいから、この4球団で新リーグを結成すればいいのだ。4球団あれば十分。たぶん楽天もすり寄ってくる。あと1球団で、6球団になるから、新リーグができる。
 ルールに従う新リーグと、ルール違反の旧リーグとで、別々になればいい。だいたい、プロ野球の球団が、自分でルール違反をして、どうするんですか。馬鹿げている。
 それとも、法律音痴で、ルールの解釈もわからないのかな? あるいは、検察の真似をして、「法の勝手な解釈」というのをやりたがっているのかな? 

 [ 付記 ]
 どこでどう問題があるのかを、簡単に示そう。
 今回の変更は、会社の変更ではなくて、(会社の持主である)株主の変更であるにすぎない。株主が、一般の株主から、村上ファンドに変わり、さらに、新たな持ち株会社に変わった。それだけのことだ。
 ここでは、株主は変わったが、会社自体は変わっていない。なのに、「会社が変わった」と勘違いしているのが、無知な経営者たちだ。
 「阪神が村上ファンドに買収されたら……」という懸念を示すオーナーがいるも、これも見当はずれだ。たとえそうなったとしても、阪神タイガースが変わらなければ、別にどうってことはない。一方、阪神タイガースが名称変更して、村上タイガースになるのだったら、実質的な変更(会社の変更)があったと見なされる。
 しかるに、そういうこともなしに、株主が変わっただけで、いちいち30億円も要求されるのであれば、あらゆる球団が何らかの支払いを要求されるべきだ。どうせ、ちょいちょい株主は変わっているのだから。
 ま、そういうメチャクチャはありえないが、ともあれ、「株主の変更などは、会社の変更ではない」という経済常識をわきまえておくべきだ。今のオーナーの無知には困りものだ。それを指摘できないマスコミの無知も困りものだ。
( ※ 規則では「球団保有者の変更」の場合が該当するのだが、「球団保有者の変更」と「球団保有者の保有者の変更」とを区別できない経済素人が、「会社の変更」と「株主の変更」の区別もできないまま、論理を混同させてしまうのだ。)

 [ 余談 ]
 ただし、真相は、別である。実は、経営者が法律音痴なのは、当り前。本当の真相は……「根回し不足」である。
 阪神は、ちゃんと事前に根回しをしておけば良かったのだ。なのに、そうしなかったから、会議の場で感情的に反発を食ったわけだ。根回し不足。
 ま、今からでも遅くないから、さんざん接待をして、根回しをやり直した方がいいですよ。……これが世間の知恵というものだ。日本の常識。
( ※ なお、「根回しはすばらしい」と推奨しているわけではないので、念のため。郷に入っては郷に従え。檻に入っては檻に従え。そういうこと。猿村の社会の処世訓。)


● ニュースと感想  (7月08日)

 「半分だけの死刑」について。
 幼児わいせつ殺人をした被告に、「無期懲役」という刑が下った。これをめぐって、賛否両論が侃侃諤諤と起こった。
 「死刑にすべきだ!」
 「いや、死刑は重すぎる。計画性もないし、衝動的であり、無期懲役でいい」
 「しかし、幼児を殺すなんてひどい。こんなひどいことをしながら無期懲役なんて甘すぎる」
 こういうふうに、死刑では重すぎるが、無期懲役では甘すぎる、というふうに意見が対立した。そのあげく、裁判所は二者択一で、「無期懲役」という判決を下した。
 
 さて。ここで私見を言えば、私は次のように推奨したい。
 「半分だけの死刑にすればよい」
 なんだかシュレーディンガーの猫みたいで、「半分だけ生きて、半分だけ死ぬ」という結論だ。ここで、「半分だけ死ぬ」という結論には、次の二つの意見が出る。
 「半分生きて、半分死ぬなんて、ありえない」(常識的意見)
 「生きた状態と死んだ状態が『重ね合わせ』になっていればいい」(コペンハーゲン解釈)
 一方、私の新たな解釈(量子論とは関係のない解釈)では、次のいずれかとなる。
 (1) 時間的に「部分的な死」
 (2) 空間的に「部分的な死」
 この二つを説明しよう。

 (1) 時間的に「部分的な死」
 時間的な意味で「部分的な死」を決めることができる。それは、「生存期間つきの死刑」である。
 例。犯罪者が30歳で、平均余命が40歳であれば、本来の生存期間は40年。死刑で即時執行ならば、余命は0年。そこで、「半分だけの死刑」として、「生存期間が20年ある死刑」という刑を用意する。つまり、「20年後に執行する死刑」である。
 ここでは「生か死か」という二者択一の判断をせず、数量的な判断をしている。たとえば、「生存期間が百年ついた死刑」というのは、名目は死刑であっても実質的には死刑にならない。死刑になる前に寿命になるからだ。
 こういう数量的な判断では、次のように判断する。  「極悪人ならば、即時執行。悪質さが少なければ、生存期間が数十年。裁判所は、死刑か否かを白黒で決めるのではなくて、死刑になるまでの生存期間を決める」
 なお、私だったら、微罪で死刑になってもいいですよ。ただし、生存期間が「千年」であれば。つまり、千年後に死刑になるなら、死刑になってもいいです。罪は「女をだました罪」かな。  (^^);

 (2) 空間的に「部分的な死」
 空間的な意味で「部分的な死」を決めることができる。その一例は「小指を詰める」ということだ。この例では、小指という部分(肉体的・空間的な部分)だけが死ぬ。つまり、「死刑」になる。首をちょん切られるかわりに、小指の根元をちょん切られるわけだ。
 性犯罪の場合には、「男性器の死刑」が妥当だ、と思える。なぜか? 性犯罪というのは、犯人の人格性が犯罪を犯したというより、犯人の男性器が性ホルモンを分泌させて彼を犯罪に駆り立てた、と見られるからだ。
 同様のことは、多くの男性が感じたことがあるはずだ。別に悪いことをしようと思ったわけではないのに、裸みたいな格好をした女性を見て、ムラムラとした気分が湧いて、犯してやりたくなる、というふうな。
 ま、現実世界ではともかく、映画館で映画を見ているときなら、こういう感情になる男性は、たくさんいるはずだ。というか、それが正常である。そう思わない男は、ホモかインポかなんかであって、生物学的に壊れている。
 で、こういうふうにムラムラとするのは、彼の人格がそういうふうに判断したのではなくて、彼の男性機能がそういうふうにさせているのである。であるからして、彼の男性器官(つまり性ホルモンを分泌させるタマ)をチョン切ってしまえば、彼はもはやムラムラとして粗暴な行為に走ることもなくなる。
 つまり、彼を死刑にするのではなくて、彼の息子のタマ太郎を死刑にすればいいのだ。これがつまりは、「部分死刑」である。無期懲役に替えて、部分死刑にすれば、遺族としても、ある程度は納得が行くはずだ。特に、チョン切ったタマ太郎を火あぶりの刑にすればいい。そうすれば、ホルモン焼きになる、じゃなかった、拷問的な死刑にしたことになるので、遺族感情もいくらかは気が済むはずだ。

 [ 付記1 ]
 今回の事件では、上の (2) が重要だ。
 「幼児わいせつ事件は悪質だぞ。営利誘拐犯罪と同様だろう。違いがあるなら、教えてくれ」
 という意見もある。(読売・朝刊・社会面 2006-07-05 )
 そこで、教えて上げよう。こうだ。
 まず、 営利誘拐犯罪というのは、計画性がある。この「計画性」というのは、生物学的には「大脳がやる」ということだ。大脳がやる犯罪については、極刑にすることで、犯罪予防効果がある。「この犯罪をすると極刑になるから、まずいな」と大脳が判断するので、犯罪を防ぐ効果がある。
 一方、幼児わいせつ犯罪というのは、大脳がやるのではなくて、タマ太郎がやる。タマ太郎は、大脳とは別人格で、勝手に行動する。大脳が「幼児わいせつなんて悪いことだな」と思っても、タマ太郎が勝手に衝動的に彼の手足を動かして行動させる。こういうときには、「こういうことをすると損だぞ」と大脳に教えても、何の効果もない。なぜなら、このときには、タマ太郎は大脳の制御をはずれて、勝手に暴走しているからだ。一般に、部下が上司の命令を聞かずに暴走したときには、上司を処分しても無効である。ここでは、真犯人は、タマ太郎である。だから、タマ太郎だけを処刑すればいい。タマ太郎を処刑すれば、犯罪は起こらないのだ。というわけで、タマ太郎だけの「部分死刑」が妥当なのだ。
 要するに、「計画性の有無」とは、真犯人が「大脳かタマ太郎か」という違いを意味する。生物学的・器官的・組織的な違いだ。「生物学的にどの器官が責任を持つか」という違いだ。それは心理的な違いではない。心理的に「気持ちがどうであるか」という違いではない。……この点を勘違いしないようにしよう。

 [ 付記2 ]
 タマ太郎の部分的な死刑(去勢)というのは、憲法の禁じる「拷問」ないし「残酷な刑罰」に該当する恐れがある。だから、これを強制的な刑として下すことは、禁止される。
 だから、法律的に言って、刑としては「去勢」はありえない。しかしながら、「権利」としてなら「去勢」はあり得る。つまり、こうだ。
 「本来ならば、死刑(または生存期間が10年の死刑)とする。ただし、自発的に去勢をした場合には、無期懲役に減じる」
 ここには、刑の選択肢としてのオプションがあるわけだ。オプションを受け入れた場合に限って、去勢がなされる。本人がいやなら、オプションを受け入れなければいい。
 なお、このようなオプションが付くのは、性犯罪に限られる。営利誘拐犯罪のような大脳のやった殺人事件には、オプションをつけてやらない。つまり、たとえ「去勢するから死刑にしないで下さい」と犯人が頼んでも、その頼みを受け入れず、死刑にする。


● ニュースと感想  (7月09日)

 本日はお休みです。明日もお休みかも。






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「小泉の波立ち」
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