[付録] ニュースと感想 (110)

[ 2006.07.10 〜 2006.08.10 ]   

  《 ※ これ以前の分は、

    2001 年
       8月20日 〜 9月21日
       9月22日 〜 10月11日
      10月12日 〜 11月03日
      11月04日 〜 11月27日
      11月28日 〜 12月10日
      12月11日 〜 12月27日
      12月28日 〜 1月08日
    2002 年
       1月09日 〜 1月22日
       1月23日 〜 2月03日
       2月04日 〜 2月21日
       2月22日 〜 3月05日
       3月06日 〜 3月16日
       3月17日 〜 3月31日
       4月01日 〜 4月16日
       4月17日 〜 4月28日
       4月29日 〜 5月10日
       5月11日 〜 5月21日
       5月22日 〜 6月04日
       6月05日 〜 6月19日
       6月20日 〜 6月30日
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       7月11日 〜 7月19日
       7月20日 〜 8月01日
       8月02日 〜 8月12日
       8月13日 〜 8月23日
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    2003 年
       1月02日 〜 1月13日
       1月14日 〜 1月24日
       1月25日 〜 1月31日
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       2月23日 〜 3月07日
       3月08日 〜 3月16日
       3月17日 〜 3月25日
       3月26日 〜 4月06日
       4月07日 〜 4月14日
       4月15日 〜 4月24日
       4月25日 〜 5月10日
       5月11日 〜 8月11日
       8月19日 〜 10月23日
       10月24日 〜 11月28日
       11月29日 〜 12月12日
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       12月18日 〜 12月26日
       12月27日 〜 1月02日
    2004 年
       1月03日 〜 1月16日
       1月17日 〜 1月22日
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       4月13日 〜 4月23日
       4月24日 〜 4月25日
       4月26日 〜 5月11日
       4月26日 〜 5月11日
       5月20日 〜 5月29日
       5月30日 〜 6月14日
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       7月28日 〜 8月21日
       8月22日 〜 9月27日
       9月28日 〜 10月22日
       10月23日 〜 11月08日
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    2005 年
       1月08日 〜 1月16日
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       8月15日 〜 9月06日
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    2006 年
       1月15日 〜 1月26日
       1月27日 〜 2月12日
       2月12日b〜 2月26日
       2月27日 〜 3月08日
       3月09日 〜 3月13日
       3月14日 〜 3月24日
       3月25日 〜 4月14日
       4月15日 〜 6月03日
       6月04日 〜 6月26日
       6月27日 〜 7月09日
         7月10日 〜 8月10日

   のページで 》




● ニュースと感想  (7月10日)

 「著作のご案内」について。
 ライブドア事件の著作について、このあと少しずつ情報を出します。
 まず、現時点(7月09日・深夜)では、注文はできません。7月10日にどうなるかは、まだわかりません。このあと少しずつ、注文などができるようになります。

 本サイトでも、今後、少しずつ情報などを示します。まずは次のことだけ。
  書 名  「ライブドア・二重の虚構  〜〜 夢から覚めたという夢 〜〜
  著者名  南堂久史
  定 価  1500円 + 税(75円)
  発売日  7月下旬(予定)

 とりあえず、次のサイトだけがあります。( ※ Amazon などには、まだページはありません。)
   e-hon の該当ページ
 
 内容見本などは、このあと少しずつ用意します。
 ただし、過去の紹介文もあります。 ( → 5月24日

 ※ あわてて注文しなくても大丈夫です。発売日の前に注文すれば、必ず入手できます。


● ニュースと感想  (7月11日)

 「著作のご案内 2」について。
 とりあえず1箇所で注文可能になりました。
    → Yahoo ショッピング セブンアンドワイ

 近日中に、Amazon その他でも注文可能になるはずです。ネット販売店はいろいろありますが、どこで買うか迷うなら、下記のご案内を参照してください。(先日も示したとおり。)
   → Open ブログ

  ※ 発売は7月下旬ですから、手元に届くまで、まだまだ待つ必要があります。
    当サイトでも、何度も告知しますから、あわてて注文する必要はありません。
    7月20日までに注文するなら、いつ注文しようと、手元に届く日は同じです。


● ニュースと感想  (7月12日)

 「著作のご案内 3」について。
   Amazon でも注文が可能になりました。
   → Amazon
 ( ※ 銀行のATMから入金すると、手数料は無料です。 → 案内ページ )
 
 旭屋書店でもネット注文が可能です。
   → 旭屋書店 netdirect
 普通に注文して受け取れるほか、旭屋書店の店頭でも受け取りが可能です。

 ( ※ 他の書店では、現時点ではまだページが用意されていないようです。とはいえ、近日中に用意されるでしょう。書店での予約を希望する方は、ご自分のお好みの書店をネット上で探すといいでしょう。……ただし、いちいち予約しなくても、発売当日ならばたぶん売り切れにはならないと思います。万一売り切れても、そのあとで他のネット書店を探せば間に合うでしょう。当日ならば。)
 ( ※ 東京の大書店で購入すると、発売当日に入手可能。つまり、宅配に比べて、配達日数の分だけ早く入手できます。地方では、宅配の方が早いかも。)


● ニュースと感想  (7月12日b)

 「著作のご案内 4」について。
 著作案内のサイトを開設しました。
   → 著作案内のサイト (ライブドア・二重の虚構)

  ※ 内容見本も用意しました。

      *   *   *   *   *   *

 読者のためのブログを用意しました。ここにトラックバックで、本書の著作紹介を記述できます。適当にご利用ください。
   → 読者のブログ
 (例) 自分のブログで「ライブドア・二重の虚構」を紹介して、Amazon のアフィリエイトをつけてから、上記箇所にトラックバックを記述する。
 ※ このブログは、著作案内のページから紹介されています。


● ニュースと感想  (7月13日)

 「みどりの窓口とIT化」について。
   → Open ブログ


● ニュースと感想  (7月13日b)

 「戦争と狂人」について。
 北朝鮮のミサイル実験を受けて、政府・自民党にはいろいろと強硬論が湧いている。たとえば、次のように。
 「北朝鮮の基地を先制攻撃してもいい場合がある。たとえば、『東京を火の海にしてやる』という発言があり、かつ、ミサイルに燃料を注入している、という事実があった場合」(読売・朝刊・政治面 2006-07-11 )
( ※ ネット上には、直接の記事は見当たらないが、関連記事はある。 → google ニュース
 これを北朝鮮の側から見ると、こうなる。
 「わが国の側で、『東京を火の海にしてやる』という発言をして、かつ、ミサイルに燃料を注入している、という事実があった。すると、そのせいで、日本から先制攻撃を受けた」
 ミサイルに燃料を入れるというぐらいのことなら、どの国だって、練習で何度もやる。それとは別に、ちょっとした口先だけで、先制攻撃を受けることになる。── とすれば、そんな口先の言葉を、出すはずがない。というか、ただのブラフでそんな不謹慎なことを言うはずがない。どの国だって、正気ならそうだ。たとえば、日本人だって、まともな人間なら、「北朝鮮を火の海にしてやる」なんて言うはずがない。

 問題は、何か? こうだ。
 「『相手国を火の海にしてやる』とは言っていないのに、そういうふうに言った、と錯覚した場合」
 こういう錯覚は、非常にしばしばある。実は、たいていの戦争は、この種の錯覚をきっかけにして起こる。「実は攻撃されていないのに、攻撃されたと思い込む」という錯覚だ。(日本の第二次大戦のきっかけも、この錯覚から盧溝橋事件が起こったことだ。そのせいで最終的には、莫大な死者が生じて、国家が破壊されてしまった。)

 実を言えば、日本側が「先制攻撃をしてやる」と言い張ることは、それ自体が「相手国を先制攻撃する」と主張しているのに似ている。日本はそう思っていなくても、相手がそう錯覚する可能性がある。
 というわけで、近代の正気の国家では、「相手国の言葉や戦争準備行為は、自国からの先制攻撃の理由とならない」ということが常識となっている。どっちみち、自国からの先制攻撃による戦争は、正当化されないのだ。正当化されるのは、「自衛としての攻撃」つまり、「相手国からの攻撃が実際にあった場合の攻撃」だけだ。
 しかしながら、この原則を、自民党の政治家は逸脱してしまっている。自民党の政治家は、狂気にまみれている。こういう狂気の人間は、やたらと被害妄想をふくらませて、攻撃されていなくても「攻撃された」と錯覚しがちだ。
 日本は非常に危険な状態にある。人は、敵対関係にあるときや、命の危険にさらされたときには、やたらと妄想をふくらませやすい。枯れ尾花を見て、「幽霊だ」と思い込みやすい。そのあげく、ミサイルを発射させて、国家を滅亡させかねない。

 ま、現実には、北朝鮮という国は、日本に対しては、何一つできないだろう。世界最弱の国家だと言える。小さなネズミのようなものだ。しかしながら、小さなネズミに対してさえ、巨大な虎に襲われたかのように過敏に反応する日本は、非常に危険な状況にある。下手をすると、「中国がミサイルに燃料を入れた」「中国人が日本人を殺してやると言っている」というふうに信じて、妄想に駆られたあげく、中国に先制攻撃をしかねない。……実際、自民党の政治家の言っていることは、「対中先制攻撃論」と同じである。
 日本の政府は、とんでもない狂気状態にあるのだ。

 [ 余談 ]
 サッカーのジダンが頭突きを食らわした事件がある。このあと相手側の選手は「私は差別的な言葉を言っていない」と釈明した。( → Yahoo ニュース
 ひょっとして、ジダンの聞き違いじゃないですかね? あるいは、マテラッツィの言葉として、「(ジダンが)非常に高慢な見下した態度で私を見て『シャツが本当に欲しいなら、あとでやるよ』と言った」というのがあるが、これも、マテラッツィの勘違いじゃないですかね? 
 いずれにせよ、錯覚によって喧嘩が起こる、なんていうことは、個人レベルでは日常茶飯事である。(どこの夫婦だって、経験があるはずだ。)
 で、北朝鮮が何か言って、それを「日本を攻撃する」というふうに聞き違えたら、どうなるんでしょうかねえ? 
   例。「東京に非農民がいる」 → 「東京を火の海にする」。
 何年か前だが、この手の「聞き違いをしやすい言葉の例」というのをたくさん並べたバラエティ番組があった。あれはなかなかおもしろかったですね。言葉のアイデアで楽しむのは知的。

( ※ ジダンの聞いた言葉が何だったかは、情報が錯綜しているが、「おまえの姉は売女だ」という言葉が、どうやら正解であるようだ。はっきりとしたことはわからないが。これが頭突きミサイル発射の理由になるかどうかは、私としては判断できません。)


● ニュースと感想  (7月14日)

 「著作のご案内 5」について。
 発売日が決まったようです。7月15日(ごろ)です。だいたいこの日の前後に、発売されます。
 なお、この発売日の根拠は、次のサイトです。
   → bk1
 このサイトでは、7月13日の時点で、「発送可能時間: 2〜3日」と記しています。ということは、7月15日〜16日に発送可能になる、ということになります。(16日と17日は休日なので、15日になるのでしょう。)

 また、次のサイトもあります。
   → 本やタウン
 このサイト[取り次ぎのサイト]では、7月13日の時点で、「発送可能時間: 1〜3日」(在庫 10 )と記しています。ということは、7月14〜16日ごろに発送可能になる、ということになります。

 ただし、以上の発売日は、ネット書店の発売日です。特に、後者は取り次ぎのサイトです。
 実際の店頭に並ぶのがいつかは、はっきりとしません。店頭に並ぶのは、7月15日ごろでしょう。おおまかには、7月14日〜7月18日と見ていいでしょう。
 ただ、途中に休日が入るので、はっきりしません。早ければ今週の金曜日、遅ければ来週の火曜日、と見ていいでしょう。


 [ 参考 ]
 なお、「著作案内」のサイトで、「購入法」のページを一新しました。ご覧ください。
( ※ 「著作案内」のサイトへのリンクは、このページの冒頭に小さな文字で記してあります。また、左側にある目次欄にも、真ん中へんにリンクがあります。……リンクをご確認下さい。)

 「購入法」のページのネット販売店では、ライブドアデパート以外のすべてのお店で購入できます。(13日現在。)
 例外的に、ライブドアデパートだけではなかなか購入できません。どうしてでしょうかねえ。まあ、発売日以降には、買えるようになるとは思いますが。(……と思ったけど、ひょっとしたら、ライブドアデパートではずっと買えないかもしれません。なぜ? ライブドアデパートに配本された数十冊を全部、ライブドア社員が自分で買ってしまったので、一般客に回す分がなくなってしまった、……ということが考えられる。ひょっとしたらね。)
 上記の「本やタウン」では、13日午前中の時点で、(在庫 10 )だったのに、午後には(在庫 9 )になっています。この在庫数を確認することで、売れ行きの傾向がつかめそうです。……ひょっとしたら、発売日までに売り切れるかも。
 あわてて調べたら、Amazon ではすでに売り切れでした。前日までは「予約受付中・ Amazon より出品」と表示されていたのに。Yahoo も同様のようです。  (^^);


● ニュースと感想  (7月14日b)

 「著作のご案内 6」について。
 すでに 13日に店頭で見つけて購入した、という読者の報告がありました。もう発売中なんですね。
 前項の記述を訂正する形で、新たにこの項目を追加します。(14日・未明)


● ニュースと感想  (7月15日)

 「著作のご案内 7」について。
 ネット上の販売店では、売り切れのお店が出ています。Yahoo , Amazon , bk1, livedoor ,本やタウン など。
 livedoor は、(ここだけが残ったので)13日に何度もチェックしたのですが、13日の深夜に本書のページができて、その時点ですでに「売り切れ」となっていたようです。つまり、一般販売の前に(社内需要だけで)売り切れてしまったようです。前日の[ 参考 ]に述べた予想が当たっていたようですね。
 「本やタウン」も、13日深夜に売り切れていました。
 bk1 はいったん売り切れたあと、再入荷があったらしい。( 現時点での在庫は不明。)

 あとは、大書店の店頭ですが、たぶんすぐに売り切れてしまうと思います。ただし、14日現在では、いくつかのお店に在庫があります。
 店頭には置いてなくても、店内倉庫にあることがあります。「ありませんか?」と尋ねると、コンピュータ端末を検索した末に、倉庫から取り出してくれるでしょう。(某店で確認。……今はもうないかも。)

 例で言うと……ジュンク堂では、ネット上ですでに「在庫なし」と告知しています。八重洲ブックセンターではいまだにページができていません。紀伊国屋・文教堂・有隣堂では、サイト上で「在庫あり」と表示しています。(これらの情報はタイムラグがあるので、実際に購入する場合には、電話で予約を入れておくことをお勧めします。さもないと、無駄足を踏む危険あり。)
 なお、以上は14日現在の情報ですから、15日にどうであるかは、保証の限りではありません。

 比較的安全なのは、Yahoo の再入荷をメールで受け取るか、入荷待ちを覚悟で bk1 などで注文を入れることです。
( ※ 注文用にあるのは、全体の2割です。 この分が品切れになったら、あとは電子書籍しかありません。今のところは、待ちさえすれば入手可能ですが、やがては、待っても入手できなくなります。)


● ニュースと感想  (7月15日b)

 「賃金不払い」について。
 景気が回復した、という論調がひろがっているが、企業が業績を好転させた半面で、企業による泥棒行為が蔓延している。しかも、この泥棒行為を是認しているのが、政府とマスコミだ。
正社員の4割超が「不払い残業」をしており、平均で月約35時間にのぼることが、労働政策研究・研修機構の調査でわかった。
残業代が支払われていない「不払い残業」時間を算出したところ、46.5%は0時間だったが、42.0%が不払い残業をしていた。
( → asahi.com
 この記事では「労働者が不払い残業をしている」と書くが、とんでもないことだ。正しくは、「労働者の労働に対して、企業が賃金を支払わない。つまり、賃金不払いという泥棒行為をしている」となる。労働者が何かをやっているのではなく、企業が何かをやっているのだ。勘違いしてはならない。
 たとえば、無銭飲食がある。無銭飲食は、(客が)「食べたのにお金を払わない」という行為であって、(店が)「食べさせたのにお金を受け取らない」という行為ではない。
 同様に、商品泥棒は、(泥棒が)「商品を得たのにお金を払わない」という行為であって、(店が)「商品を渡したのにお金を受け取らない」という行為ではない。
 同様に、賃金不払いは、(悪徳企業が)「労働力を得たのにお金を払わない」という行為であって、(労働者が)「労働力を渡したのにお金を受け取らない」という行為ではない。

 記事はこの基本的なことを勘違いしている。発表する労働政策研究・研修機構もひどいものだが、実は、発表するのが誰かにかかわらず、朝日はいつも「不払い残業」という言葉を使って、「労働者が自発的にそういうことをしている」というふうに記述する。要するに、無銭飲食や商品泥棒と同じようなことをする犯罪者を正当化しているのだ。
 ここには根源的な誤認があるのだが、実は、そういう誤認をあえてさせているのが経団連であり、それにまんまと乗っているのが朝日などのマスコミだ。
 企業は国民を錯覚させようとし、マスコミがそれに踊らされて国民を錯覚させる。かくて国民はひどい錯覚をする。……ライブドア事件とそっくり。違いは何かと言えば、自分たちの財布から莫大な金を奪われていることだ。しかし新聞は、「あなたの財布から金を奪われている」とは書かず、「あなたが自発的に働いています」(あなたは勤勉です)というふうにゴマ化して書く。

 これが日本の現状。……「ライブドア・二重の虚構」を読みながら、日本の現状を憂えてください。みんなが憂えれば、財布から金を盗まれている状況を改めよう、という人が増えるでしょう。
 今は? 自分の財布の金が奪われることなんか、誰も気にしない。ホリエモンが詐欺をした、というふうに大騒ぎしているだけ。
 一般に、詐欺師というものは、「あそこに注目しろ、ほら、あそこだ、あそこだ」というふうに、人の関心を逸らした上で、その人の財布から、こっそり金を頂戴するのである。真の詐欺師は、誰でしょうか? 


● ニュースと感想  (7月16日)

 「著作のご案内 8」について。
 ネット上の書店では、再入荷があり、購入が可能となっています。15日・午後の時点で、Amazon と 本やタウン では購入が可能です。Amazon で売り切れても、そのあと、 Yahoo や bk1 , livedoor, 楽天 などで購入可能となるはずです。
 再入荷の分が売り切れたら、あとは、店頭の売れ残りを探すか、増刷待ちです。あるいは、電子書籍。

 増刷は、現時点では、見通しが立っていません。今後の販売数量の見通しが立つかどうかによりますが、これはクチコミしだいです。初版分は、実物を見ないで買った人がほとんどですが、増刷分は、実物を読み通した人の感想しだいです。「良かった」「普通だった」「駄目だった」などの評価しだいで、増刷の有無が決まります。

 読み終えたあと、何らかの評価を書きたくなったら、Amazon や bk1 の読者書評を書くといいでしょう。書いたものが採用されると、ポイントをもらえるようです。( 500円分ぐらい? 詳しくは不明。)

 (書評の例)
 「中身は冗談ばっかりで、ためにならなかったが、カバーの写真だけはきれいだったので、これをはずして、額に入れて飾った。だから、損はしなかった」

 (書評の例)
 「おもしろいという評判だったので、あっというまに読み切れるかと思ったら、中身が濃くて、読み通すのに何時間もかかってしまった。たっぷり時間を奪われた。得をしたのだろうか、損をしたのかろうか? もしかしたら著者に時間を盗まれたのかもしれない。時間泥棒め」


● ニュースと感想  (7月17日)

 「著作のご案内 9」について。
 買いたい人は買えたはずなので、著作のご案内は本日で終了します。(一応)
 大書店ではおおむね、初回分は8割か9割ぐらい売れたようです。これで十分。赤字にはなりそうになく、欲しい人には行き渡ったことになる。欲しい人は今からでも Amazon などで買えますから、「欲しいのに買えない」ということはなかったことになります。
 若干の売れ残りが出るとしても、今後、いくらか、さばけるでしょう。さばけなくても、まあ、赤字になるほどではないようです。だいたい収支トントンぐらいになり、うまく行けば少しは黒字が出ます。
 増刷すると、赤字になる可能性が高いので、増刷する見込みはほとんどありません。

 さて。これは、現状での収支報告みたいなもの。
 以上の収支は、世間を場にした戦いに私が「負けた」場合の収支決算です。たとえ負けたとしても、収支はほぼトントンであったことになる。(人件費の分を含めれば大赤字だが、それは勘定に入れないことにする。もともとボランティアみたいなものなので。  (^^); )

 一方、それとは別に、これから世間を場にした戦いが開始される。まずは、私の攻勢が、今回の書籍。このあと、どうなるか? 
  ・ 世間に 無視されるなら → 私の負け
  ・ 世間がひっくり返るなら → 私の勝ち

 で、私が勝つか負けるかは、私の能力しだいだ。
 私が無能で阿呆ならば、世間を動かすことができずに、私の負け。
 私が十分に能力をもっていれば、私の力で最初に岩を落として、あと協力者の力を借りて、雪だるま式に岩を拡大して雪崩を起こすことで、世間を動かすことができるので、そのときは私の勝ち。
 もし負けちゃったら、私の能力不足のせいです。ごめんなさい。

 一方、私の勝ち負けとは別に、人々の勝ち負けは? それは、世間の一部がこの本を読んだあとで、人々の全体がどうなるかによる。
  ・ 人々の全体は、相も変わらず、虚構を信じて、錯覚しているならば
    → 南堂の負け  (人々は自殺点で負け)
  ・ 人々の全体は、考えを改めて、虚構から覚醒し、真実を悟るならば
    → 南堂の勝ち  (人々は救われて勝ち)

 今回の戦いは、私と人々との戦いではなく、私と悪魔との戦いだ。賭金は、人々の命運だ。
 私が負ければ、悪魔が勝って、人々は自殺的に大損。私が勝てば、悪魔が負けて、人々は真実を知ることで救われる。
 私と悪魔との戦い。……何だか、SF的ですね。幻魔大戦みたいだ。幻魔大戦はちょっと古いかな。最近のはやりで言うと、涼宮ハルヒの話にちょっとだけ似ている。地球の命運をかけた戦い。

 [ 余談 ]
 馬鹿げている? すみません。本屋に立ち寄ったついでに、涼宮ハルヒを立ち読みしたんです。
 さて。余談だが、この本をどう思うかといえば、……お子様ランチとしては、とてもいい出来だと思いますよ。内容がどうのこうのというより、ちゃんとした文章で書いてあるのが偉い。私が読んでも、ちゃんと読み通せる。
 一方、他のジュニア小説は、とても読むに堪えない。ひどい文章なので、半ページで放り出す。涼宮ハルヒの小説は、私にも読める文章なんだから、しっかりした文章です。内容がお子様ランチであるということは不問です。読者が中学生レベルなら、問題はない。
 世の中にはお子様ランチ小説も必要なんだから、この小説はちゃんとしたお子様ランチになっていると思いますね。
 で、それに影響されて、「悪魔との戦い」なんて言っているわけ。  (^^);
( ※ ま、冗談はともかく、日本の命運はいかに?)

 [ 付記 ]
 「ライブドア・二重の虚構」を探して、大書店をいくつかめぐりましたが、目立たないところに置いてある例も多い。わからなかったら、店員に聞きましょう。端末をいじって、すぐに置き場を探してくれます。
 どうも最近の本屋は、広くなりすぎて、置き場所がわかりにくくなることが多すぎる。
 私の本も、場所はいろいろです。ビジネス書だったり、社会事件だったり、ノンフィクションだったり、IT産業だったり。パソコン書のプログラムの売場に置いてある例もあった。これじゃ、見つかりっこ、ないですね。端末でようやくわかった。  (^^);


● ニュースと感想  (7月18日)

 「無駄の廃止」について。
 ネットによるパスポート発行が、来年度から廃止されるという。
 インターネット経由で旅券(パスポート)を申請できる電子サービスが、利用が低調なため07年3月末で停止される。
 電子申請システムは02年度から約20億円かけて開発し、03年度末に稼働。埼玉、宮城、和歌山、岡山、福岡など12県が導入し、国は06年度の運営経費8億6200万円を予算計上している。
 財務省が予算の無駄を毎年チェックする「予算執行調査」で、これまでの累計では、電子申請1件の経費が約1600万円(通常の発給は3000〜4000円)もかかっていることがわかり、「廃止を含め見直しが必要」と外務省に指摘した。
 電子申請には、通常の手数料に加え、住民基本台帳カード(500円)、公的な個人認証(500円)、ICカードの読み取り機(約3000円)や各種ソフトのダウンロードが必要。5年か10年に1度の手続きなのに、手順が煩雑なことが敬遠される理由とみられる。人口の1%にも達していない住基カードの普及率の低さも背景にある。利用者側の視点を欠いたまま、巨額の開発費や運営費を投じた見通しの甘さが問われそうだ。
( → 朝日 com ,朝日・朝刊・社会面 2006-07-17 )
 ここでのポイントは、「財務省が要請した」ということ。その本質は、こうだ。
 「金の無駄遣いが発見された。ゆえに、この金の支出をやめれば、無駄遣いがなくなる」
 しかし、システムを廃止したところで、開発費の 20億円は戻ってこない。金が節約できるわけではない。

 では、正しくは? こうだ。
 「金をかけても有効利用されないのであれば、システムを廃棄すればいいのではなく、システムを有効利用すればいい」
 こういうことをやってこそ、無駄遣いはなくなる。
 比喩的に言おう。ある学校でIT教育のためにコンピュータをたくさん導入したが、教える教師がいないので、コンピュータがすべて無駄になってしまった。では、どうするべきか? 来年以降はコンピュータの設置をやめて、IT教育を全敗すればいいか? しかし、そんなことをしたら、すでにあるコンピュータもすべて無駄になる。大幅な無駄だ。一方、「教える教師がいない」という状況を改善するために、民間人のIT技術者(特にITインストラクターの経験のある女性退職者)をパートタイマーみたいにして雇用すれば、安い費用で大幅な効果を得ることができる。
 無駄をなくすというのは、こういうことだ。かける費用を減らすことが大事なのではなくて、かけた費用に見合う効果を得ることが大事なのだ。

 冒頭のパスポートの話題に戻ろう。
 記事の最後を見ると、このシステムは、個人が自分のパソコンで利用することを前提としているようだ。その発想が根源的におかしい。
 ここでは、むしろ、地方自治体がパソコンを操作するべきなのだ。現状では、パスポートの発行場所はすごい混雑がある。ちょっと遠くの場所まで出向いて、さんざん時間をつぶされる。(ほとんどは順番待ちの時間。)
 だから、外務省なんかがそんな発行審査をしないで、地方自治体が端末で発行審査をしてしまえばいい。機械の操作を、自治体に委託するわけだ。……これは、要するに、「人手でやる単純な事務作業を、コンピュータにやらせる」ということだから、「e政府」の一環である。ごく当然のことだ。

 今回の財務省による指摘の問題は、財務省の人々がIT音痴だ、ということにあるようだ。やたらと金の支出を減らすことばかりを考えて、大きな無駄を生み出し、かえって莫大な損失をもたらしてしまうことがある……ということに気づかない。それというのも、IT技術の知識がまったく欠落しているから。
 餅は餅屋だ。IT技術の問題に関する限りは、IT技術の知識のある人に任せた方がいい。やたらと金を減らすことばかり考えるようでは、ガスの安全装置の事故のように、かえって社会的に莫大な損失をもたらすようになる。
 各人が自己の利益ばかりをめざすようになると、社会全体の利益はかえって縮小してしまうのである。(「神の見えざる手」の反対。)


● ニュースと感想  (7月19日)

 「エレベータ or おんぶ」について。
 車椅子の人が図書館に行ったら、職員四人がかりで二階に運んでくれたが、職員はクタクタになるので申し訳ない、だから早くエレベーターを設置してほしい、という声が紹介されていた。(朝日・朝刊・天声人語 2006-07-17 )
 最近では駅にエレベーターが設置されることも多い。これは、車椅子専用ではなくて、老齢の人にも役立つし、場所も改札の近くにあるから、私もときどき利用する。(さもなくば空気を運ぶだけなので無駄。)……というわけで、駅のエレベータは、有効に利用されている。初乗り料金は馬鹿高いのだから、エレベーターを利用しても悪いことはあるまい。(それにしても、初乗り料金ばかりメチャクチャに高くなったのは困ったものです。隣の駅に行くだけでも、長距離の半額を超える値段だ。)

 で、話を戻すが、図書館では、駅と違って、エレベーターの利用者は少ない。小さな図書館だったら、エレベーターの設置よりは、新たな図書を購入する方が先決だろう。何しろ、最近の図書購入費は、削られっぱなしなのだから。(箱物の代金なら何十億でも払うが、肝心の書籍購入費はスズメの涙程度。下手をすると、エレベーター購入費よりも安いかも。)
 
 そこで、私のお勧めするのが、「おんぶ」である。おんぶならば、コストはかからないし、職員4人がクタクタになることもなく、職員一人でちゃんと運べる。まずは本人を運び、次に車椅子を運ぶ。日頃、スポーツをしている人なら、どうってことはないでしょう。
 途上国のように、お金のない国では、こんなことは常識である。いつまでたっても設置されないエレベーターを望むよりは、人と人との関係で問題を解決する。

 では、なぜ、現状ではそうならないのか? それは、人と人との関係が稀薄化しすぎているからだ。おんぶだと、肌と肌の接触がある。それを嫌うのだろう。昔の田舎の人ならば、どうってことはないはずだが、今の都会の人だと、そういうことを嫌がる。……ただし、これは、ただの気分の問題にすぎない。そして、気分の問題を解決する(という超贅沢)のために、国民の税金を大量に投入せよ、というのが、冒頭の「エレベーター設置」という要求だ。
 車椅子の人が社会に出向けるような社会(バリアフリー = 障壁撤去)は、大事だろう。しかし、そのためには、やたらと金をかければいいというものではない。金で物事を解決しよう、という発想そのものが、根源的におかしい。人に優しい社会というのは、弱者のためにお金をかける社会のことではなくて、誰もが弱者に対して優しい心を持つ社会だ。そこでは人と人との交流がある。人と人との接触をことさら拒んだまま、金だけで解決しよう、という発想は、あまりにも貧しい。

 [ 付記 ]
 「おんぶ」というアイデアには、一つだけ弱点がある。それは、「男性同士ならいいが、女性にはまずい」ということだ。
 ただし、女性の場合には、体が軽い。そういう利点がある。とすれば、何とかなるだろう。(二人で担架やプラスチック椅子をかかえる、というふうな。)
 「車椅子ごと運ぶ」というのは、どうしても大がかりになるが、本人と車椅子を分離すれば、たいていの場合はカタが付く。本人と車椅子を分離できないようなのは、ひどい重症の人だから、そもそも図書館には出向かないだろう。病院などから出られないはずだ。
( ※ 「いや、例外があるぞ」なんていう反論は、いちいち寄越さないでくださいね。ときどき重箱の隅みたいな反論が来るので、辟易。)


● ニュースと感想  (7月19日b)

 「著作のご案内 10」について。
 火曜日の夕方になると、多くのネット書店で、再入荷がありました。現在、購入可能になっています。 (一部を除く。)
 「他人の評判を聞いて、評判が良かったら買おう」と思っている人も多いでしょうが、そのときまで書籍が残っている保証はありません。そう思っている人が多い割には、残部は多くないので。……あとで、「しまった、買っておけば良かった」と思っても、後の祭り。

 [ 付記 ]
 なお、今回の分は、初版です。今後、増刷があるとしても、増刷の分は、稀少書としての価値は減ってしまうでしょう。書籍マニア向けの話ですが。たとえば、20年後に誰かが初版を捜しているとしたら、初版だけに価値があり、増刷分にはあまり価値がない。
 また、増刷がある保証もなく、絶版になる可能性も結構あります。すでに絶版になっている昔の著作(記号論ハンドブック)だと、定価の3倍〜4倍の古書価格になっています。
 ちなみに、Amazon の中古販売では、「ライブドア・二重の虚構」に 1500 円の価格が付いています。送料その他を入れると、2000円に近い支払い額になってしまうが、これまたいったい、どういうわけでしょうねえ。早くも稀少書の扱いか?   (^^);


● ニュースと感想  (7月20日)

 「ライブドアとシュレーディンガーの猫」について。
 ライブドア事件とは、「ライブドアが巨悪をなしたと人々が思い込んだ」という事件である。(著作「ライブドア・二重の虚構」の紹介で何度も述べた通り。)
 さて。三題噺みたいだが、これとシュレーディンガーの猫とを関連させてみよう。(冗談半分だが。)
 
 まず、「観測が現実を決定する」という解釈(コペンハーゲン解釈)がある。これによると、
 「人が生きた猫を観測したから、猫は生きている」
 ここで、たとえ猫は生きていなくても、人が勘違いすれば(錯覚すれば)、人は「死んだでいる猫」を観測することになる。(たとえば、寝ている猫を見て、「死んでいる」と誤認する。)
 で、コペンハーゲン解釈によれば、錯覚した人が、生きている猫を「死んでいる」というふうに観測したことによって、生きている猫が実際に死んでしまうことになる。白を黒だと錯覚することで、白がまさしく黒になってしまう。(心理的な意思が物質世界を決定するというわけ。超能力ですね。)

 同様に、ライブドアが巨悪をなしていなくても、人々が「ライブドアは巨悪だ」と判断したことによって、ライブドアが巨悪であるというふうに決定してしまう。(これは超能力ではないが。)

 何だか、馬鹿馬鹿しい? はい、馬鹿馬鹿しい冗談です。  (^^);
 では、どこが馬鹿馬鹿しいか? もちろん、「観測が現実を決定する」という主張がおかしい。ま、検察の馬鹿らしさも、物理学における馬鹿らしさも、どっちもどっちだ、ということでしょうかね。
 世の中には、「検察の唱えることは絶対的に正しい」と信じている連中が多い。同じように、「物理学者の唱えることは絶対的に正しい」と信じている連中が多い。
 実は、物理学者の唱えることには、「真であると確定したこと」と、「真偽のはっきりしない未確定のこと」とがあるのだが、素人は、後者を前者のように受け止める。「専門家の言っていることだから、正しいんだ」と思い込んだすえ、はっきりしない仮説(コペンハーゲン解釈)を、絶対的な真実であるかのごとく信じ込む。
 で、こういう素人が多いから、虚偽が真実のごとく、堂々とのさばるのだ。
 ライブドア事件も、またしかり。

 教訓。
 世間の人々は、やたらと肩書きだけで物事の真偽を判断する。お上が「これが正しい」と唱えればそれを信じ、お上が「これは巨悪だ」と唱えればそれを信じる。世間の人々は誰もが、自分の頭では考えようとしない。ブリキの頭の中身には、藁(わら)が詰まっている。 (笑)

 [ 付記 ]
 本項では、実は、肝心のことは述べていない。肝心のことが何であるか(本項で著者が何を言いたいか)は、著作「ライブドア・二重の虚構」の主題を思い浮かべれば、すぐにわかります。( 15頁に書いてある通り。)


● ニュースと感想  (7月21日)

 「進化論の番組」について。
   NHKスペシャルで、「恐竜 VS ほ乳類 1億5千万年の戦い」という番組があった。これについての講評。
  → Open ブログ


● ニュースと感想  (7月22日)

 「他人のライブドア本」について。
 他人の本だが、「ライブドア監査人の告白」という本がある。前に言及したときは、「あまり売れてないみたい」と書いたが、実はずいぶん売れているようだ。書店にはいまだに在庫がたっぷりあるようだが、ネット上ではほとんど売り切れである。まもなくネットでは購入不可能になるだろう。
 ネットでこれだけ売れるのだから、店頭に回す分を減らして、ネットに回す分を増やせばいいのに、……という気もするが、ま、店頭の分は宣伝なのかもしれない。
 ま、本当を言えば、他人のことはどうでもいいが、同じライブドア本ということで、こういう本が売れるのは、結構なことです。他人の本を買う人がいれば、私の本もついでに手に取ってくれるかもしれないので。
 「ヒルズ黙示録も、監査人の告白も、どっちも読んだけど、どうもいまいちだな。しっくり来ない。何か物足りない」
 というふうに不満を感じてくれれば、「もうちょっと核心を突いた本はないかな?」と思って、私の本に手を出してくれるかも。
 
 ま、そんな私の思惑なんか、読者にとってはどうでもいいことでしょう。で、何が言いたいか? 「ライブドア監査人の告白」を買おうかな、と思っている人は、お早めに、ということだ。私の本の宣伝ではなく、他人の本の宣伝です。(お人好しかな?   (^^); )
 上記の本は、簡単には品切れにはなるまいと思えたが、あっさりと品切れになりそうだ。この本に限らないが、ともあれ、本というものは、買いたいときに買っておかないと、あとで品切れになることが、よくある。ご注意あれ。

 [ 付記 ]
 何でそうなのかというと、増刷というのは、コスト的に引き合わないからです。部数が少ないと、コストが上がるので、利益がほとんどでない。そのくせ、売れ残りが出たら、大損だ。ハイリスク・ローリターンである。だったら、何もしない方が、マシである、となる。その場合には、損も得もしない。すでに得た利益を確定させるだけだ。というわけで、「完売」の見込みが立たない限り、増刷はしにくい。書籍というものは一般に、「完売」「売り切れ」になるように生産するものだ。だからどうしても、「買い損なった」という人が出てくる。


● ニュースと感想  (7月23日)

 「ライブドア本への感想」について。
 読者の感想がトラックバックで寄せられた。( → 著作サイト読者のサイト
 好意的な感想だったので、ありがたくお受け止めします。

 さて。それは別として、この読者を含め、「物足りない」という注文の声がいくつかあった。「一般読者には良くても、小泉の波立ちをふだんから読み慣れている読者には、物足りない」というわけだ。
 それは、わかります。前にも述べたが、当初の構想からはずれて、ライブドア本は、2分冊になってしまった。正編と続編。
 正編が今回の分で、社会心理的な面から基礎的な話を述べる。
 続編が次回の分で、経済学的な面から細かく分析する。
 
 で、今回の分は、一般読者向けなので、小泉の波立ちの読者には、ちょっと物足りなくなる。特に、(法的でなく)経済的な分析は、続編回しにしたこともいろいろとあるので、物足りなく感じるのも当然だろう。
( ※ 小泉の波立ちの読者は、世間に比べて、知能レベルが高すぎる。今回の本は、世間の標準的なレベルの人を対象としているので、小泉の波立ちの読者には物足りなくなるのは、やむを得ない。

 では、続編はどうか、というと、経済的な分析については非常に豊かな内容なので、小泉の波立ちの読者を十分に満足させることができそうだ。しかも、非常に壮大なテーマを扱う。ライブドア事件に限らず、経済学全体にわたる話題となる。(ライブドアから経済学へ、という順序。)
 ただし、どうしても、難解になってしまう。正編は素人でも面白おかしく読めるが、続編は高度になって素人向けではなくなる。難解な続編が売れるかどうかと言うと……自信がまったくありません。

 現在、続編については、草稿(原稿用紙換算千枚)を書き終えたところ。何を書くかは、はっきり決まった。このあと、草稿を削りに削って、まったく新たな原稿を書けばいいのだが、それにはものすごく手間が掛かる。しかも、結果的に、読者は少なくなるはずだ。
 正編が五千部だとしたら、続編は千部ぐらいしか売れそうにない。これじゃ、大幅赤字になりかねない。草稿を書き終えた時点で、その先に進むかどうかは、未定。(ほぼ否定的。)

 正編(二重の虚構)の方は、「情報科学・コンピュータの部門の週間ランキング」で、楽天では1位になったり、bk1 では3位になったりしているんだが、それでも、初版 5000部がまだ売りきれない。正編が世間で話題になれば、続編を書けるんだが、今のところ、あまり話題になっていない。このまま尻すぼみになったとしたら、続編執筆に踏み込む見通しが立ちません。(書いても売れないので出版できない。)

 ちなみに、一番売れているらしいのは、「なぜ社長のベンツは4ドアか」という本。ちょっと開いて、読んでみてください。文章のレベルに唖然とするはず。これが日本の読者の水準の現状だとすれば、私の本があまり売れないのは当然ですね。
 私も売れ線狙いで、下らない本でも書こうかなあ。あるいは、涼宮ハルヒみたいな本でも書こうかなあ。  (^^);
(でも、萌えを知らないから、駄目ですね。)

 [ 付記1 ]
 質問。
 「小泉の波立ちを読んでおけば、この本(二重の虚構)を買わなくても大丈夫か?」

 回答。
 うーん。基本的には、大丈夫です。基本的な趣旨は、どっちも同じような立場ですから。ただし、本の方が、ずっと整理されているし、(経済面以外では)詳しい情報がいっぱいあります。
 ま、千五百円というのをどのくらいのものと見なすか、ということによりますね。「千五百円だと一日の稼ぎが吹っ飛ぶ」というような人なら、買わない方がいいでしょう。「友人との外食の一回分にもならないな」と思うのなら、買った方がいいかもしれない。

 [ 付記2 ]
 質問。
 「小泉の波立ちを読んだ人が、この本(二重の虚構)を買う意義は?」

 回答。
 知識の整理と、全体像の理解です。小泉の波立ちには、断片的知識がいっぱいあるだけで、全体像がない。「ライブドア事件とはこういうものだ」という全体像を理解して、社会的・歴史的にはっきりと位置づけるためには、本書を読むことが必要です。細部だけなら、小泉の波立ちにも断片的知識があるが、全体像を一望の下に理解して、本質を理解するには、この本が有益です。


● ニュースと感想  (7月24日)

 「ライブドア二重の虚構の裏話」について。
 この本(ライブドア・二重の虚構)を書くに当たって、何を苦労したかというと、事件の「整理・位置づけ」である。
 個別のことなら、簡単に項目的に書ける。たとえば、検察や東証がどうのこうということだ。こういうことは、小泉の波立ちにもいろいろと書いたことだ。これといって目新しいことは多くない。
 ただし、事件全体の「整理・位置づけ」は、この本で主眼としたことだった。しばしば言われることだが、
 「ライブドア事件とはいったい何だったのか?」
 ということがある。これについて、「検察が悪い」「東証が悪い」という批判がしばしば聞かれるが、「誰それが悪い」といって問題が片付くわけでもない。検察が悪いのだとしたら、なぜ検察はそういう悪いことをなしたのか? 検察が悪人だらけだからか? いや、違う。検察が善人だからこそ、かえって悪しきことをなしてしまったのだ。善を意図して、悪をなしてしまったのだ。
 では、なぜ? なぜ、そういう倒錯があったのか? ── その構図こそ、ライブドア事件の真の原因だ。
 また、検察が悪いのだとして、なぜ国民全体はそれを見逃すのか? ── これもまた、ライブドア事件の真の原因だ。

 こういう問題を整理するのは、簡単ではなかった。「錯覚」ないし「虚構」という概念を導入することで、事件を整理することができるが、この概念のもとに事件を再構成するというのも、かなり面倒なことだった。結論は、本書(ライブドア・二重の虚構)に書いてあるが、この結論に至るまでは、さんざん試行錯誤した。
 もちろん、読者はこの本を読むだけで済むから、「ふーん、なるほど」と思って、簡単に読み通すことができる。ただ、読むことは簡単でも、ここに書いてある結論に到達するのは、容易ではなかった。
 小泉の波立ちには、項目をバラバラに列挙してある。各論だけなら、小泉の波立ちを読むだけでもいい。しかし、各論を列挙しても、事件の全体的な構成はできないのだ。全体的な構成こそ、この本が意図したことだった。

 こうして全体の構成を理解したあとで、小泉の波立ちの各論を読み返すと、詳しい事情を知ることもできる。ただし、逆はできない。小泉の波立ちの各論を読んでも、全体の構成はできない。せいぜい、「検察が悪い」とか「東証が悪い」とか「マスコミが悪い」とか、そういうふうに、他人を非難することしかできないだろう。
 しかし、そういうふうに他人を非難するというのは、正解とはほど遠い。いくら他人を非難しても、現状を改善することなどはできない。大切なのは、愚かな他人を非難することではなくて、愚かな他人に真実を知らせることなのだ。── このことは、すでに本書を読んだ読者なら、すんなりと理解できるだろう。(まだ読んでない人には、理解しにくいだろう。)

 そこで、事件全体を構成するために、「錯覚」「虚構」という概念を基本に据えた。この概念のもとで、事件全体を構成することができた。簡単に言えば、「現代の魔女狩り」であるが、それが具体的に何を意味するか、ということを細かく説明した。
 ライブドア事件の本質は、「何であるか」より、「何でないか」なのだ。「小さな犯罪をなしたこと」ではなくて、「巨悪をなしていない」ことなのだ。ライブドアのなした犯罪の「真実」を明かすことよりも、ライブドアのなした犯罪の「虚構」(虚偽・錯覚)を明かすことこそ、大切なのだ。
 ここでは、真実よりも、虚偽が重要である。虚偽を虚偽と認識することが真実となる。── こういう複雑な事情を知ることが、物事の本質を知ることだ。本書で意図としたのは、そういうことだ。

( ※ つまり、細かな容疑事実の分析ではない。その意味で、「ヒルズ黙示録」や「ライブドア監査人の告白」のように、細かな事実ばかりを追いかけている本とは対極的だ。また、ホリエモンの裁判の論議のように、細かな犯罪容疑・法律論ばかりを追いかけているのとも、対極的だ。── 本書は、小さな犯罪事実を探ろうとするのではなく、人間性の本質を探ろうとしている。)

 [ 付記 ]
 「比喩が多すぎる」という感想もときどきあるが、ま、これは、「読み物ふうの息抜き」だと思ってください。
 私の話は、具体的な事例(ホリエモンが宮内にこれこれをした、というような事例)を報告するのではなくて、抽象的な概念の話ばかりです。だから、具体的なイメージを湧かす比喩がないと、観念的になりすぎて、読みにくくなるんです。でも、それじゃ、素人には、読んでもらえない。「真・善・美」のような抽象概念を、そのまま概念で書くだけだと、哲学の本みたいになって、誰も読んでくれません。
 どうしても抽象概念だけがいいという人は、カントの「純粋理性批判」でも読んでください。普通の人は、一頁読んだだけで、眠くなるはずですが。
 ま、「比喩が多すぎる」と文句を言う人は、世間の標準より頭がいい、というだけです。頭のいい人向けに本を書くと売れなくなってしまうので、ちょっとぐらいは我慢してください。この本は、基本的には、一般大衆向けですから。


● ニュースと感想  (7月25日)

 「みんなの意見は案外正しい」について。
 「みんなの意見は案外正しい」という題名の書籍がある。( → 紹介サイト
 この標題は、「言われなくてもわかっているが、うまく言い当てたな」という感じがする。ただ、次のように言い換えると、いっそうよくわかる。
 「専門家の意見は案外間違っている」
 専門分野でも、基礎常識ならば、専門家の意見も十分に信頼がおけるのだが、最先端の領域になると、専門家の意見は結構あやふやである。たとえば、「GDPの計算の仕方」なんていうのは、専門家の意見が正しくて、素人のヤマカンなんかはアテにならないが、「景気回復の仕方」なんていうのになると、専門家の意見もたいていはアテにならない。
 ただし、専門家の意見が正しくないからといって、みんなの意見が正しいか、というと、そうでもない。どっちも間違っていることも結構ある。では、どうすればいいか? 

 この本によると、集団内における「少数意見」「異端の意見」の重要性が指摘されている。意見が均一だと、集団の誤りが是正されにくいが、多様な意見があると、集団の意見が是正されやすい。
 この趣旨は、実は、著作「ライブドア・二重の虚構」の 13頁以降に書いてあることによく似ている。ついでに言えば、進化論とも似ている。遺伝子に多様性があると、進化に有利で病気に強いが、遺伝子に多様性がないと(均一だと)、進化は起こりにくいし病気に弱い。
 意見であれ、遺伝子であれ、多様性は重要だ、ということだ。

 [ 付記 ]
 比喩的に言うと、専門家の意見というのは、進化的には「小進化の極致」である。それはある段階で頭打ちになる。その限界を突破するには、同じ専門家集団の内部で議論しても駄目であって、突然変異的な異端の意見が生じてこそ、全体が次の段階に進める。
 ただし、突然変異的な異端の意見を抑圧するような環境では、新たな意見の芽が摘まれてしまう(つぶされてしまう)ので、社会全体の意見は進化しない。進化のためには、優勝劣敗を強めればいい(強者による支配が強まればいい)のではなくて、多様性を許容する環境が必要だ。


● ニュースと感想  (7月26日)

 「北越製紙の紙」について。
 北越製紙を王子製紙が買収しようとしている。製紙会社の話なんて、普通はどうでもいいことだろうが、今回はちょっと異なる。実は、北越製紙の紙は、「ライブドア・二重の虚構」でも使われている。クリーム・キンマリという紙だ。
 この紙は、現在、とても人気が高い。というのは、印刷したときに、にじみが少ないからだ。そのため、文字がとても鮮明に見える。ちょっと見た感じでははっきりしないかもしれないが、よく見ると、文字の鮮明感が高いことがわかるだろう。
 文字のにじみというと、数年前のCRT画面でははっきりしていた。安物のCRTでは文字がにじむが、高価なCRTでは文字がにじまない。そういうことが、書籍でも起こる。で、北越製紙の紙は、この点では最高レベルであるわけだ。新聞記事では、生産性がどうのこうのといっているが、何よりも品質がすばらしい。それだけに、今後のシェアの伸びは見込めるし、逆に、ライバルとしては、対抗のしようがない。生産性ならば、合理化で何とかなるとしても、品質だけは、最新鋭の設備をもつ北越製紙に対抗できない。
 ま、そういう観点で、「ライブドア・二重の虚構」の文字をじっと見てください。印刷の鮮明さが、他の本より、いくらか上だとわかるはずです。
( ※ なお、フォントも「ヒラギノ明朝W2」なので、この点でも最高レベル。「ライブドア・二重の虚構」は、製本のレベルでは、できる限りの最高点をめざしています。)


● ニュースと感想  (7月27日)

 「魚住昭のマスコミ論」について。
 魚住昭のコラムに、面白いマスコミ論が掲載されていた。( → 該当サイト
メディアにとって、官庁は本来ならすごく経費がかかる商品の素材をただで供給してくれる、このうえなくありがたい仕入れ先なわけです。したがって、当局発の情報を無批判にメディアが受け入れているというよりも、そうすることがメディア本来の役割であり機能であると言った方がいいのではないでしょうか。当局の情報を批判的に扱うという視点は、本来的に言えば、メディアがもっている役割や機能ではありません。
 痛烈な皮肉。かつ、事実でもあろう。
 このあと、「それじゃ、メディアの現状を変えることはいつまでたってもできないということではないか」という質問に、建設的な意見が続く。
 先ほど官庁情報が7割だと言いましたよね。ということは残りの3割は官庁発ではないということです。3割とはいえ、民間情報を発信する機能をメディアは持ってますから、その部分を活用すればいいのです。
 なるほど。感心した。頭を使って、策略を使うわけですね。敵の戦力を逆用すればいい。
 強大なマスコミを相手に、私一人では微力で立ち向かえないかな、と諦めかけていたが、頭を使えば、たった一人の軍隊でも、強大な敵軍を崩壊させることは可能だ。
 敵が強力であればあるほど気概が湧く、というのが、私の性格だ。(ときどき萎えかけるが。)……魚住昭氏の見解は、非常に示唆に富む。私は戦略を根本から立て直した。新たに逆襲する戦略を構築した。
 上記では、「3割とはいえ、民間情報を発信する」ということだが、ことライブドア問題に関する限り、3割どころか、ゼロ同然でしょう。だから、何とかするには、特別な作戦が必要だ。
 で、どうするか? それはマル秘だが、乞うご期待。
( ※ 冗談で言えば、涼宮ハルヒ作戦。……いや、冗談過ぎ。見当違いでした。  (^^); )

 [ 付記 ]
 魚住昭の上記コラムと同趣旨のことは、本サイトでも前に言及したことがある。
 ( → 3月03日b の (2) )


● ニュースと感想  (7月28日)

 「ライブドアの自殺」について。
 ライブドアが自社の金融部門を売却するつもりらしい。不正経理で罰金刑が確定すると、参加に証券会社をもてないからだ、という。前から何度も報道されてきたことだが、いよいよ話が煮詰まってきたらしく、引き受け手の投資ファンドとの交渉が進んでいるという。(朝日・朝刊・経済面 2006-07-27 )

 私の評価をいえば、これは、「ライブドアの自殺」である。自社の稼ぎの7割を稼ぐ部門を売却して、千億円にも満たない現金を得ても、何にもならない。ライブドアの総資産は 1800億円だが、株式総額はその何倍かになるのが当然だ。(ライブドアに限らずどこでもそうだ。)しかし、手持ちの資産をどんどん売却していけば、最後には現金を残して空っぽになるから、株式総額と手持ち資産との差額が、消滅してしまう。……要するに、会社を解体して現物のいっせいセールをやれば、大幅な損になる、ということだ。
 たとえば、トヨタという会社には莫大な価値があるが、この会社をバラバラに解体して、「研究所の建物だけ」とか「機械設備だけ」とか、そういうふうにバラ売りすれば、トヨタ全体の価値は消滅してしまう。そういうバラ売りは、自殺行為である。で、そういうことをやろうとしているのが、ライブドアの現経営陣だ。
 
 では、正しくは?
 第一に、「罰金刑が確定すれば」というのが条件なのだから、確定するのに最高裁まで争えば、何年もかかるから、それまで何年も待てばよい。無罪になるかもしれないのだし。
 第二に、「金融部門を傘下に置く」ことが禁じられるのだから、金融部門を傘下に置かなければよい。たとえば、持ち株会社の形で、ライブドアと金融部門を並置させる。……実は、これが最も好ましい。これが自然であるからだ。持ち株会社の傘下に、金融部門やネット部門やソフト部門をぶら下げるのが、最も自然である。……で、こうすれば、会社組織を健全な形に組み替えるのと同時に、金融部門を失う損失を防御できる。

 旧経営陣は違法に近い経理の操作をやりすぎたが、現経営陣は適法な法的操作さえもできない。どうしようもないですね。ライブドアの自殺。(……あとでホリエモンが無罪になっても、手遅れである。「ライブドア・二重の虚構」に書いてあった「手遅れ」で示した通りの事態。131頁を参照。)
 ただし、現経営陣にも、得意なことがある。それは「人をだますこと」だ。「ホリエモンに『ライブドアを頼むぞ』と言われました」と述べて、自分に全権限が委託されているかのごとく述べる。普段は「旧経営陣は違法なことをした悪党でした」と述べて非難しているくせに、自己の座を正当化するときだけ「旧経営陣に委託されました」と述べて旧経営陣の言葉を好都合に述べる。── 本来なら、こう述べるべきなのだが。
 「旧経営陣のなした責任は、会社にあります。その会社の責任は、われわれ現経営陣が負います。権限も責任も、すべてわれわれが引き継ぎました。旧経営陣のやったことだから自分たちは関係ないよ、というふうに、頬かむりはしません。」
 「また、堀江氏が私に権限を委託したかどうかは、堀江氏自身が語るべきことであるので、私からは何も言いません。堀江氏の言葉を、自分がこの座に居座ることの正当化のために使うつもりはありません。」
 「私のなすべきことは、緊急の事態における、社の維持だけです。ただのリリーフです。本来ならば、私のような浅学非才の者よりは、もっと優秀な経営者に委ねるべきでしょう。できるだけ早く、そのような経営者を捜して、その人に権限を委ねます。私はいつでも社長の座から降りる用意があります。なるべく早く社長の座から降りることが、私の使命でしょう」
 では、現実には? 権力維持が最優先である。ほとんど独裁者によるパージ体制が敷かれている。社長の批判をするものは、「物言えば唇寒し」である。で、乙部さんのように、社から人材が次々と逃げ出すわけだ。
 現経営陣のやっていることは、「会社の解体」「会社の自殺」だけである。……著作 131頁の事態ですね。その最後の3行を噛みしめてください。


● ニュースと感想  (7月29日)

 「ライブドアと犯罪ワイドショー」について。
 「ライブドア事件とは犯罪ワイドショーだ」と著作で述べた。( 216頁。詳しくは著作を参照。)
 このことから、次のように理解することもできる。
 「ライブドア事件では、何があったかよりも、誰がやったかということが、人々の関心のマトになる」

 この事件については、「万引きで死刑」という言葉に代表されるように、犯罪の実態が小さいことがしばしば指摘される。では、なぜ、人々はその問題を考慮しないのか? 
 実は、人々は、どんな犯罪があったかということなんか、ちっとも考えないのだ。どういう犯罪があったかは問題ではない。誰がやったかということだけが問題となる。── で、やったのが「ホリエモン」という超有名人だ。日本の最大の金持ちの一人だ。本当はソフトバンクの社長の方が金持ちだが、彼はあまりテレビに出ないので、有名なのはホリエモンだ。で、その有名なホリエモンが犯罪者として逮捕されたから、人々は関心を掻き立てられる。

 これはつまりは、「人々の関心は、犯罪事件ではなくて、ワイドショーだ」ということだ。
 たとえば、どこかの有名タレントが離婚騒ぎを起こすと、人々は下世話な関心を掻き立てられる。どこかのタレントが婦女暴行をやったらしいという騒ぎを起こすと、人々は下世話な関心を掻き立てられる。(週刊誌の報道によると、相手は援助交際をやっている女性らしく、セミプロである。つまりは、「売春婦をレイプした」というような容疑であるらしい。ま、これもレイプなのだろうが、それが騒がれた理由は、二人だけでやる2Pのはずが、男女二人同士の4Pであったのが理由であったらしい。で、「二人同士のはずなのに、回された」と騒いでいるわけだ。)
 何だか下品な話で済みません。要するに、犯罪だかどうだかもはっきりしないような問題でも、ちょっと有名なタレントがやったというだけで、全国規模の大騒ぎになる。
 ライブドア事件もまた同じ。NECの部長がもっとひどい架空所得の不正経理をやっても、誰も騒がないが、ホリエモンの部下が経理の操作をすると、「ホリエモンがやった」と大騒ぎする。
 結局、「何が」ではなく「誰が」ばかりが問題となる。なぜ? これが法律事件ではなく、ただのワイドショーだからだ。

 一般に、人々は、「誰が」という下世話なことばかりを重視する。
 「この意見は、権威ある○○が言ったから、信じよう」
 「この意見は、権威のない△△が言ったから、信じてたまるか」
 というふうに。
 かくて、権威のある人(または機関)が言いさえすれば、たとえそれが虚偽であっても、世間では「真実」と見なされる。こうして、錯覚が世間に大々的にひろがる。
 これは、ライブドア事件に限らず、一事が万事。あらゆる分野に当てはまる。
 かくて、「何が」という真相は、見失われる。人々にとっては、事件の真相なんかどうでもいいのだ。注目の人がどうなるかという人物の命運だけが気に掛かるのだ。

 では、なぜ、そうなるか? なぜ、人々は「誰が言った」ということばかりを重視するのか? ── それは、人々が、自分の思考力をなくしているからだ。「自分の頭で考える」ということをなくして、「他人の言ってことを信じる」というふうにしている。この場合、どの他人を選ぶかという時点で、「権威」を重視する。それが当然だ。
 だから、「権威」を重視することは、それ自体が問題なのではない。それ以前に、「自分の頭で考える」ということをなくしていることが、根源的な問題だ。……このことを、はっきりと理解しよう。
( ※ 著作の 14頁以降を参照。「自分の頭で考える」ことについて、いろいろと言及している。)

 [ 付記 ]
 人物ばかりが気に掛かる、というのは、歴史でもしばしば見られる。たとえば、マリー・アントワネットがギロチン台に向かうと、人々は「マリー・アントワネットの命運はいかに?」という興味ばかりを掻き立てられる。彼女がどんな悪事をなしたかとか、どんな責任があるのか、とか、そういうことはどうでもいい。ただ彼女の命運ばかりが気になる。
 考えてみると、「ヒルズ黙示録」や「ライブドア監査人の告白」も、事件関係者の行跡ばかりを追っている。これもまた、「事件の真相よりも、人間の裏話」という世間の下世話な関心に合致する。だから、結構売れるのだろう。
 そして、その裏で、真相は隠蔽されるわけだ。真相なんか、誰も気にしないからだ。ライブドアがどんな犯罪をなしたかなんて、テレビや新聞にとってはどうでもいいことだ。ただ有名な金持ち(ホリエモン)がどういう刑になるか、という下世話な関心ばかりが焦点となる。報道はその線に沿ってなされる。
 ホリエモンは「拝金主義」としばしば批判されるが、そう批判するマスコミこそ、売上げ重視の拝金主義なのである。


● ニュースと感想  (7月30日)

 「ITバブルとライブドア」について。
 最近のIT企業の株価を見ると、株価が大幅に低下しているのがわかる。
 これを、どう解釈するべきか? 「IT企業の株が下がっている」と見るよりは、「ITバブルが破裂した」と見るべきだろう。つまり、もともと過剰に上がりすぎていたのが、適正になっただけだ。
 
 このことをライブドアの株価に当てはめることもできる。ライブドアの株は、総資産が 1800億円で株式が 10億株だから、一株あたりの資産が 180円。企業としての実力を考えても、その倍ぐらいが適正だから、400円程度が適正だろう。
 しかるに、ライブドア事件の直前には、700円〜800円の株価になっていた。それが、のちに、暴落した。
 これを見て、多くの人は、「ライブドアのメッキが剥がれた。本当は虚業であり、無価値であったのに、不正経理のせいで、異常に高い株価になった」と主張した。しかし本当は、不正経理のせいでなく、ITバブルのせいで、株価が上がっただけだ。
 ライブドア事件の直前には、700円〜800円の株価であったとすれば、楽天並みに、株価が半減したとすれば、350円〜400円である。これは、一株あたりの資産が 180円であることからして、きわめて自然である。
 とすれば、ライブドア事件の直前には、700円〜800円の株価であったのは、ごくごく当然の価格であったのだ。不正経理のせいで暴騰していたわけではない。

 実は、そんなことは、当り前のことである。なぜなら、2006年1月の株価は、不正経理のあった2004年9月期の決算に基づいた株価ではなく、不正経理のなかった2005年9月期の決算に基づいた株価であるからだ。(前にも述べたとおり。)(なお、2005年9月期に不正経理が[ほとんど]なかったことは、「ライブドア監査人の告白」の著者がライブドアに経理を是正させたことから明らか。)

 結局、2006年1月の株価は、不正経理または錬金術でインチキをして上げた株価であったわけではない。ITバブルのせいで上がっていた株価であるにすぎない。
 そしてまた、本来の株価は、上場廃止のときの95円程度ではなくて、350円〜400円である。── 株価の値段については、以上が正当な認識だろう。

 [ 付記 ]
 ただし、現時点では、ライブドアの真の株価は 350円〜400円よりも大幅に下がっている、と見た方がいい。というのは、現経営陣が、ライブドアを崩壊させようとしているからだ。この場合には、エンロンと同様、最終的には価値はゼロになってしまうかもしれない。
 一方、ライブドアがガラクタになる前に、ホリエモンが復帰すれば、350円〜400円ぐらいの株価にはなりそうだ。……ただし、前提がある。「ライブドア・二重の虚構」の話が世間に受け入れられた、という前提。その前提が満たされない場合には、「社会が錯覚している」というふうには理解されず、「ライブドアは悪党なのにうまく罪を逃れた。法律でもインチキをやった」というふうに非難される。……こうなると、裁判で勝っても、ライブドアはガラクタになってしまうかもしれない。
 ホリエモンは現在、裁判に勝つことばかり熱中しているようだが、現状では、たとえ裁判に勝っても、株券はすべて紙屑になりかねない。(検察ではなく現経営陣が紙屑にしてしまうから。)

 [ 余談 ]
 ITバブルが破裂することは、困ったことか? 別に、そうでもない。単に正常に戻った、というだけのことだ。
 「小泉の波立ち」を読んで、経済の実情を知っている読者は、「いくら景気拡大と浮かれていても、本当はニセの景気拡大」と理解して、「ITバブルがふくらんでいるな」と思っただろう。そういう読者は、1月の時点で空売りをして、今ごろは大儲けしているはずだ。


● ニュースと感想  (7月31日)

 「著作(ライブドア本)の中古価格」について。
 著作(ライブドア・二重の虚構)の中古本の価格が、2500円になっている。( → Amazon
 不思議ですねえ。前に 1500円で売っている人がいたが、今は売っていない。売れたのか、売る気が失せたのか。
 また、今回の人は、新本よりも高い価格を設定しているのだから、売る気がないのだろう。
 では、こういうことは、何を意味するか? 次の二通りが考えられる。
 以上のような理由だろう。十分、納得ができる。
 一方、他の本は、大幅に安い物がある。たとえば、「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」という本は、170円の値段しかついていない。これはつまり、この本にはそのくらいの低い価値しかない、ということだろう。一度読んだらそれで十分であって、二度と読み返す気にはなれず、あとはゴミのような価値しか残らない、というわけだ。
 その点、私の著作だと、とても価値があるから、読者は出した値段以上の価値を得た、と感じているので、「売るなら高値で」と思うのだろう。

 というわけで、まだ買っていない人は、買うと得をしそうだ。1500円(税別)の値段を出して、もっと多くの価値(2500円?)を得ることができるから、その差額(1000円?)の分、得をすることができる。

 [ 付記 ]
 Amazon の分野別のランキングでは、高いランクが付いている。たぶん先週分か、過去1カ月のランキングだと思うが。(7月30日・午後15時30分におけるランキング)

 Amazon 「事件・犯罪」の分野
   (1) 世田谷一家殺人事件
   (2) ヒルズ黙示録
   (3) ライブドア・二重の虚構

 3位だから、銅メダルです。(上位の2冊にはだいぶ引き離されているくせに、なんて言わないでね。  (^^); )
 でも、これだけのランキングになっても、なかなか売り切れないんですよね。すでに売り切れになった大書店もチラホラと出ているが、売り切れていない書店もまだまだある。残念。

( ※ 実を言うと、理由がある。取次が最初から本書を馬鹿にしていて、少量しか出荷しないから、新刊書置き場の場所を取れない。また、「社会書」の売場に置かず、「IT企業のビジネス書」または「プログラム書」の売場に置くから、読者が買いに来ても、目当ての場所に見つからない。……ちなみに、「社会書」の売場に置いた書店ではどんどん売れて品切れになりやすく、「ITビジネス」の売場に置いた書店ではなかなか売れない。「ライブドア監査人の告白」と並べるとよく売れるが、「ウェブ進化論」や「google なんたらかんたら」と並べるとあまり売れない。……当り前ですね。どうも店員が、「ライブドア事件」の書だと判断しないで、「ライブドアという企業」の書だと思い込んでしまっているようだ。本屋の店員が馬鹿になっている。そのせいで、こっちにとばっちりが来る。本屋の本が売れないとしたら、本屋の店員が馬鹿になっているから、ということでしょうか。実は、Yahoo や楽天でも、ビジネス書に分類されているんですよね。困ったことだ。)


● ニュースと感想  (8月01日)

 「ライブドアと公認会計士」について。
 数日前の新聞記事によると、ライブドア事件で被告となった公認会計士2名が、「あの経理の監査の仕事は悪くはなかった」と主張している。つまり、「適正」と認めた自分の仕事は正しかった、と主張している。( → Yahoo ニュース 。新聞記事にもあり。)
 となると、このことから、ホリエモンは無罪となる公算が大きくなりそうだ。
 なにしろ、公認会計士が「適正」と認めたのである。とすれば、公認会計士が「適正」と認めた会計処理を「不適正」と認めなかった、ということが、容疑事実となる。これはつまり、ただの経営者が、公認会計士をくつがえす高度な会計知識を要求される、ということになる。メチャクチャであろう。
 比喩的に言えば、「弁護士が『合法』と認めたものを『違法』と理解しなかったことが犯罪だ」というふうになる。さらに言えば、「検察官が『違法』と認めたものを『合法』と理解しなかったことが犯罪だ」というふうになる。
 つまり、「白を黒と理解し、黒を白と理解するべきだ」というふうになる。メチャクチャの極み。……社会制度が崩壊してしまう。
 現在の社会制度は、「専門家が白黒を認定したものを、素人はそのまま信じればいい。そのためにお金を払えばいい」というふうになっている。なのに、「専門家が白黒を認定したことに対して、専門家の意見をくつがえして理解しなくてはならない」なんていうふうになったら、あらゆる制度が崩壊してしまうだろう。

 今回の公認会計士の主張が認められるかどうかは、はっきりしない。公認会計士の主張が認められれば、公認会計士は白。公認会計士の主張が認められなければ、公認会計士は黒。……ただし、どっちにしても、ホリエモン自身にとっては有利である。公認会計士が白であれ黒であれ、ホリエモンは公認会計士を信じただけなのであるから、「公認会計士の言うことを信じたことに責任がある」「公認会計士の言うことを信じるべきではなかった」というふうにはならないはずだ。(仮にそんなことになったら、公認会計士の存在意義がなくなる。公認会計士は不要の存在となる。あらゆる公認会計士は失業しなくてはならない。)
 
 どうも、ホリエモンが無罪となる可能性は、かなり高まったようだ。


● ニュースと感想  (8月02日)

 「流水プールの事故」について。
  → Open ブログ   「安全の失敗学」


● ニュースと感想  (8月03日)

 「不正経理と脱税」について。
 ライブドアの不正経理の罪の大きさは、どのくらいのものなのだろうか? この罪を償うには、どうすればいいのだろうか? 
 よく言われるのは、「旧経営陣が 6000億円を株主に払え」というものだ。しかし、旧経営陣が 6000億円を盗んだわけではないのだから、これは理が通らない。(詳しくは著作を参照。)
 次の案として、「旧経営陣が不正経理に相当する 50億円を会社に払う」という案下考えられる。これは「なるほど」と思わせる点がある。不正経理が 50億円なのだから、旧経営陣は最大でも 50億円を支払えば済むはずだ。「 50億円の不正経理のせいで 6000億円の損害が発生した」と主張する株主たちは、今度は「 50億円をプレゼントしてもらったおかげで 6000億円の株価上昇が発生する」と主張しなくてはならない。(もちろん、これは嘘だが、元々の話が嘘なのだから、そういう嘘が生じるだけのことだ。虚偽を前提にすると、結論も虚偽になる、ということ。)
 しかし、である。旧経営陣は別に、50億円を盗んだわけではないのだから、50億円を支払う必要はない。これもやはり、理が通らない。

 もう一つの案は、「 100円まで下落した株価を正当と見なす」ということだ。「ライブドアは錬金術をやっている」と非難する連中は、「錬金術をやめろ」といっているわけだから、それはつまり、「株価を暴落させよ」と述べているのと同じである。だから、株価が暴落したことで、錬金術は解消する。「ホリエモンは錬金術で莫大な金を得たことにある」と非難していた連中は、「株価が暴落したことでホリエモンの錬金術は消えたことになる」と結論するはずだから、「株価が暴落したことでホリエモンは無実になった」ということになる。
 つまり、「株価暴落のせいで、ホリエモンは無実になった」というわけだから、ホリエモンは何の罪もなく釈放されていいはずだ。(ちょっと詭弁っぽいが、ここでは皮肉を言いたいわけ。)

 ただし、私の案は、違う。論理的に考えれば、最適の処置は、次のことだ。
 「資本金を利益に付け替えたことが罪なのだから、その逆をやればよい。つまり、利益を資本金に付け替えればよい。50億円の営業所得を、資本所得に付け替えればよい」
 これで結局、元通りになる。「Aが悪だ」とされたのだから、その正反対のことである反Aをやれば、Aと反Aとが打ち消しあって、ゼロになる。これで問題は解決する。
 ただし、ここでいう「反A」とは、「利益を資本金に付け替えること」である。これは通常、「脱税」と呼ばれる。50億円の規模でやれば、税金を20億円免除される。
 ライブドアで不正経理をしたときには、税金を 20億円も払いすぎたのだから、今度 20億円を免除されれば、差し引きして、ゼロである。全部まとめれば、良くも悪くもない。プラスでもマイナスでもない。

 結論。
 ライブドアがその罪をあがなうには、脱税をすればいい。そうすれば、かつての不正経理は帳消しになり、かつての過剰納税は解消され、不正経理も結局は消滅する。経理においては何もかもが、完全に元通りに戻る。
 
 ともあれ、ライブドアが脱税をすることによって、すべては帳消しになる。だから、裁判官としては、「ライブドアは有罪である」と判決を下したなら、罰金としてマイナス20億円を科するべきだ。つまり、ライブドアに 20億円をプレゼントするべきだ。
 逆に言えば、国民が「ライブドアは巨悪だ」と怒っているとき、「ライブドアは脱税していない」と怒っているのだから、ライブドアが脱税をすることで、罪は帳消しになる。そういう「マイナス20億円の処罰」を科すればいいのだ。

 本項の前半では、「6000億円の賠償金」とか「50億円の賠償金」とかの案が示されたが、本当は、「マイナス20億円の罰金」が適正なのだ。
 国民はライブドアを罰するために、みんなで自分の財布からお金を拠出して、ライブドアにプレゼントしましょう。ゲンコツで2回ぶん殴るかわりに、10円玉を二つ差し出しましょう。そうすれば、気が済むはずだ。   (^^);

( ※ 明日の分に続く。)


● ニュースと感想  (8月04日)

 「ライブドア株主の裁判」について。
 ライブドアの株主には、損害が生じた。では、損害賠償を求めるとしたら、誰に求めるべきか? 
 もちろん、ライブドアに求めるべきではない。理由は、小泉の波立ちでもいくらか述べたとおり。簡潔な説明は、著作でも軽く言及した。( 126頁など。)
 ただ、著作には書いてなかったことがあるので、補足しておく。

 まず、「損害賠償をせよ」という主張の根拠は、次のことだ。
 「検察による摘発の前と後とを比べると、株価が暴落したから、その差額を、株主に賠償するべきだ」
 この根拠には、いろいろと難点がある。

 (1) 無効
 会社が株主に賠償しても、会社の金が株主に渡されるだけである。会社は株主のものだから、株主が自分の金を自分に渡すのと同じである。ゆえに、無効。(何度も述べたとおり。

 (2) 自家撞着
 会社の金が株主に配られるというのは、資本金が配当金になるのと同じである。これはつまり、「資本金を利益に回す」というのと、実質的に同じである。何のことはない、ホリエモンの不正経理と同じことを、合法的にやろうとしているだけだ。馬鹿丸出し。自己矛盾。

 (3) 因果関係の違い
 「検察による摘発の前と後とを比べる」というのが、根源的に狂っている。検察による摘発があったときの根拠は、風説の流布などだが、これは起訴の主因である不正経理とは別だ。不正経理が摘発の理由となったのは、暴落したあとのことだ。ゆえに、不正経理の発覚は、暴落の理由とならない。
( ※ この件は、私の指摘ではなくて、新聞その他で指摘されたこと。引用の形になる。)

 (4) 因果関係の有無
 時期が同じだということと因果関係があるということとは、まったく別のことだ。たとえば、同じ時期に他社の倒産があったとしたら、それもライブドアのせいなのか? もちろん、違う。
 同様に、ブラックマンデーとかバブル破裂のような出来事が、不正経理の摘発と同時期にあって、ある会社の株が暴落したら、それ(=ブラックマンデーとかバブル破裂を理由とする株価暴落)もまた、その会社のせいなのか? もちろん、違う。
 つまり、時期が同じだということと、因果関係があるということとは、別のことである。「時期によって損害額を推定する」というのは、経済学的にはメチャクチャもいいところだ。
 まともな頭を働かすのであれば、しっかりと因果関係を知るべきだ。

 (5) 真の原因
 では、株の暴落をもたらした、真の原因は? それは、はっきりしている。東証のトップによる「上場廃止」というコメントである。別に機関として決定したわけでもないのに、「ライブドアを上場廃止しようかなあ」なんていうふうに、トップが非公式に記者連中に漏らした。このことが記事になって、大暴落が発生した。
 要するに、株の暴落の理由は、「東証による風説の流布」である。
 その後、ライブドアの株価が暴落した。すると、東証はあわてた。このままだと、自分たちが「風説の流布」で逮捕されてしまうかもしれない。そうならないためには、これを憶測でなくて正式な機関決定としなくてはならない。……というわけで、東証は自分たちが逮捕されないために、無理やりに正式決定してしまったのだ。
 これはまあ、東証全体の罪というよりは、ぽろりと言葉を漏らしてしまったトップの罪ではあるが。ただ、風説の流布は彼の罪であっても、その後の「罪の隠蔽」のための「正式決定」は、東証という組織による組織的な悪行であろう。

 (6) 損害賠償の責任
 以上のことから、損害賠償の責任は、「東証にある」と見なしていいだろう。六千億円の損害が発生したなら、その損害の賠償をするべきなのは、ライブドアではなくて、東証なのである。東証が六千億円を払うことによって、ライブドア株主は真の意味で損失を回避できる。

 [ 付記 ]
 ただし、(6) をそのまま単独で裁判にしても、頭の固い裁判所は、素直に受け入れないだろう。そこで、次のように訴えるといい。
  1. ライブドアは旧経営陣による 50億円によって、莫大な額の損害が発生したと見込まれる。それゆえ、旧経営陣はライブドアに対して、50億円の寄付をするべきだ。50億円の寄付によって、失われた 50億円が戻るので、ライブドアの悪による損の分は、すべて回復したことになる。かくて、ライブドアの株価は大幅に上昇するはずだ。
  2. 50億円の寄付があっても、まだ損害が回避されないとしたら、それは、東証のせいである。東証は、まずは上場を再開する(再上場を認める)べきだ。さらに、それでも株価が元に戻らない分は、東証による風説の流布によるものとして、東証が賠償するべきだ。
 つまり、「ホリエモンは50億円を払うことで(民事的には)完全に免責され、また、6000億円から 50億円を差し引いた額を東証が賠償する」というふうになる。これが最も正当だろう。
( ※ ただし、本当を言えば、(i) で 50億円を払う必要はない。なぜなら、資本金を利益に見せかけたからといって、会社が 50億円の損をしたわけではないからだ。前日分で述べたとおり。……とはいえ、頭の悪い連中が多いから、ちょっとは譲歩して、50億円だけ払って、免責してもらうわけだ。ホリエモンとしては、会社に 50億円を払い、東証からは千億円の損失の損害賠償が得られるので、差し引きして、950億円ぐらいは得をする。)


● ニュースと感想  (8月05日)

 「電子書籍版の発売」について。
 電子書籍版の「ライブドア・二重の虚構」が発売されました。
   → 電子書店パピレス
 
 特殊な(暗号化処理された) PDF形式です。読み取るためには、電子書籍を読み取るソフトをインストール必要があります。(他の電子書籍と共通。Windows 専用。Mac 不可。)
 文字は明朝体です。画面上で読みやすいゴシック体ではありません。原則として、印刷してお読み下さい。印刷が面倒なら、高品質で印刷された書籍を買う方がいいでしょう。

( ※ 電子書籍の方が少しだけ値段が安いのですが、印刷品質は劣るし、かさばります。どちらかと言えば、紙の書籍の方がお得でしょう。どうしてもコストダウンしたければ、普通の書籍を買った後で、古本屋に売却すればいい。一番お得なのは、紙の書籍を購入して、十年か二十年ぐらいたってから、古本屋に売却することです。初版ならば、けっこう高値で売れるでしょう。)
( ※ 賢明な方法は? 何も買わなければ、出費はゼロですが、手に入るものもゼロです。1500円ほど払って、価値のある情報を得て、自分の知性を高めることができれば、払った値段の何倍もの価値を得ることができます。……私の経験を言えば、自分の人生を動かすほどの影響を与えてくれた書籍からは、値段を付けられないほどの大きな価値を得ました。どういう書籍が価値があるかは、読むまではわからないんですけどね。ただ、読まなければ決して得られない、ということもまた事実。)

 [ 付記 ]
 書籍の在庫は、残り少なくなってきています。店頭やネット書店では、あちこちで在庫切れ。しかし、増刷の予定はありません。書籍が売り切れたら? そのあとで、どうしても読みたい場合は、電子書籍をご購入下さい。電子書籍でなく紙の書籍がどうしてもほしい場合には、古本屋でご購入下さい。2000円か 3000円ぐらいで売っているはずです。もしかして、4000円になっているかも。
( ※ 古本が高値になっても、紙の書籍は増刷しそうもありません。増刷するとしたら、ホリエモンが「ライブドア・二重の虚構を読んでためになった」と宣伝した場合。  (^^) )


● ニュースと感想  (8月06日)

 「ライブドア事件への評価」について。
 ライブドア事件についての話も、そろそろ終えることにしよう。最後に、全体の評価を、簡単に述べておく。
 ライブドア事件については、世間では次の対立軸で評価される。

       巨悪でない ←────────→ 巨悪だ

 この対立軸では、多数派は「巨悪だ」であり、少数派は「巨悪でない」となる。「巨悪だ」と見なす立場は、ライブドアや経営者に対して「厳重な処罰を」と求めるし、「巨悪でない」という立場は、厳重な処罰を否定する。
 なお、これらの処罰は、まだ決まっていない。一部では、「ライブドア事件なんて過去の事件だよ」という声もあるが、これは勘違いだ。ひょっとしたら今後、ライブドアが解体されたり倒産したりすることも、ありえなくはない。その意味で、この事件は過去の事件ではなく、現在進行中の事件である。ライブドア事件はまだまだ片付いていないわけだ。

 さて。本書(ライブドア・二重の虚構)は、上記の対立軸で、どちらに属するか? 一見、「ライブドアは巨悪ではない・ただの小悪だ」と述べていることから、「巨悪でない」というふうに分類される、と見なされそうだ。ただしそれは、正確ではない。
 本書が述べたいのは、「ライブドアは巨悪ではない」という評価ではない。つまり、ライブドアを弁護したいわけではない。ライブドアが解体されようが倒産しようが、そんなことは本書の狙いとは関係ない。
 本書が語りたいことは、「ライブドアは巨悪でない」ということではなく、「世間はライブドアを巨悪だと錯覚している」ということだ。ライブドアがどうであるかを語りたいのではなく、世間がどうであるかを語りたいのだ。── この点を、勘違いしないでほしい。

 上記の対立軸は「ライブドアをどう評価するか」という対立軸である。世間はこの対立軸の上で、二通りの意見が出ている。
 しかし本書は、この対立軸の上にはない。右でも左でもない。ライブドアのことを論じているのではなく、社会のことを論じている。この対立軸とは別の次元の話をしているのだ。
 比喩的に言おう。イラクの大量破壊兵器の疑惑があった。このとき、世間では、次の対立軸が生じる。

    大量破壊兵器は危険でない ←─→ 大量破壊兵器は危険だ

 これに対して、「大量破壊兵器は存在しない」と主張するのが、私の立場だ。
 この立場は、一見、「大量破壊兵器は危険でない」と主張しているように見える。だが、実は、この対立軸とは別の次元で述べているのだ。つまり、イラクについて述べているのではなく、日本の社会について述べている。それは、人々は「錯覚している」(大量破壊兵器が存在していると思い込んでいる)ということだ。

 こういう形で社会心理について述べるのが、本書の意図だ。だから、本書の意図を「ライブドアを擁護している」と見るのは、勘違いである。
 イラクの事件であれ、ライブドアの事件であれ、私の意図は、論じられているイラクやライブドアを処罰から救うことではない。論じている日本人全体を狂気から救うことだ。
( ※ 著作の 54頁を参照。)


● ニュースと感想  (8月07日)

 「ライブドア事件の真相」について。
 前日のことから、ライブドア事件の真相についても、判明する。すなわち、次のことだ。
 「ライブドア事件の真相とは、『真相はなかった』ということだ」

 比喩的に言おう。「時計台殺人事件」という推理小説で「誰が真犯人か?」という話題があり、次の意見が対立する。
 「兄が真犯人だ。彼がAという方法で殺した」
 「弟が真犯人だ。彼がBという方法で殺した」
 「友人が真犯人だ。彼がCという方法で殺した」
 「執事が真犯人だ。彼がDという方法で殺した」
 意見が対立したあとで、「真相はいかに?」という疑問が出る。ここで名探偵が登場して、「実はいずれも違う。真犯人は、まだガキである息子だ」と打ち明ける。すると人々は愕然とする。(……というのは、あくまで推理小説の話。)
 
 では、「ライブドア殺人事件」では? 人々はやはり、「あいつが真犯人だろう。その犯罪の手口を知りたい」と思い込む。しかし、ヨレヨレのレインコートを着た南堂探偵は、あごひげを撫でながら、「謎は、解けた」と叫んでから、次のように真相を暴露する。
 「いずれも真犯人ではない。本当は、殺人事件はなかったのだ。被害者は、死んでいたのではなくて、昼寝していただけだ。ただし執事が、被害者の上にトマトケチャップを落としたので、その赤いものを血だと思い込んで、人々が『殺人事件だ』と錯覚したのだ。……すなわち、真相は『錯覚』である」

 ライブドア事件もまた同様。人々は「殺人があった」と思うように、「詐欺があった」と思い込んだが、実は、それは錯覚だった。本当は、ちょっとした微罪があったにすぎない。いわば、「トマトケチャップを落とした」という形で、上着を汚した「器物損壊罪」があるように。
 こうして「犯罪があったというのは錯覚だった」という真相が判明する。だから、「誰が真犯人か」というふうに疑問を出すこと自体が無意味なのだ。

( ※ 以上の話のテーマは、著作の全体と対応する。著作を読んだ人にはわかるはず。著作を読んでいない人は? ピンと来ないでしょうが、ま、仕方ない。著作を読んだ人がわかれば、それでいい。)

 [ 付記 ]
 異議もあるかもしれない。次のように。
 「本当に事件はなかったのか? 事件はあったはずだぞ。実際、ライブドアは上場廃止になったぞ」
 しかしこれは、ライブドアがなしたことではなくて、ライブドアについて勘違いした人がなしたことである。「ライブドアの犯罪」という意味の事件とは異なる。
 比喩的に言おう。被害者が死んでいないのに「死んだ」と勘違いした人が、被害者を棺桶に入れる。(東証が勘違いしてライブドアを上場廃止にする。)そのあと、勘違いに気づけば、被害者を棺桶から出すことで解決する。(ライブドアを原状回復することで解決する。)……しかるに、生きている被害者を棺桶に入れたまま仮想すれば、被害者はまさしく死んでしまう。(ライブドアを悪党と見なして解体すればライブドアはまさしく空っぽの虚業の企業となってしまう。)
 こういう事情については、著作 131頁を参照。

( ※ 余談だが、次のことも言える。被害者の息子は、被害者の遺産を狙うとしたら、たとえ親父が生きていると知っても、しらんフリをして、生きた親父を棺桶ごと火葬場に運んでしまう。ライブドアの後継者は、被害者の後継者の座を狙うとしたら、たとえホリエモンが無罪であると知っても、有罪であるフリをして、生きたライブドアをまるごとUSENや他社に売り飛ばしてしまって、ライブドアをバラバラに解体処分にする。……親の遺産を狙う後継者というのは、そういうものです。)


● ニュースと感想  (8月07日b)

 「誰が誰をだましたか」について。
 著作ではライブドア事件を「錯覚」という概念で説明した。すると、おもしろいことがわかる。
 世間はライブドアを「詐欺」とか「だました」とかいう理由で非難する。しかし、彼らが錯覚しているのだとしたら、そのこと自体が「だまされている」ということになる。世間は、ライブドアにだまされて金を奪われたわけではないが、誰かにだまされてライブドアを非難している。
 では、誰にだまされているのか? 検察だ。検察はライブドアを巨悪として扱った。
 とすれば、検察自体が、「世間をだます」という形でだましていることになる。ライブドアを「人をだました悪党」と見なす検察自体が、「人をだます悪党」であるわけだ。
 検察は検察を逮捕せよ! 

 (この結論、前にも述べたけどね。 → 6月23日  「自分を逮捕」という箇所。)


● ニュースと感想  (8月08日)

 「ライブドア関係の書評」について。
 他の本の書評をしつつ、私の本の位置づけをする。

 (1) ヒルズ黙示録
 この本は、人物群像という感じ。「誰が何をしたか」を細かく追い、「ライブドアは何をして、他社は何をしたか」を示す。
 しかし、そこから判明したことは、「ライブドアは経理の操作のために、あれやこれやという手を尽くした」ということだけだ。つまり、「(せいぜい)ただの経理操作の犯罪」である。したがって、必然的に、そこから得られる結論は、「巨悪ではない」というふうになる。
 ところが世間や検察は、「巨悪である」と主張して、大事件を起こした。その理由が説明されない。細かな事実は説明されたが、事件の全体像がわからない。

 (2) ライブドア監査人の告白
 ヒルズ黙示録では一つだけ欠けていたことがあった。公認会計士である。経営者にはさんざんインタビューをしたが、公認会計士にはインタビューをしなかった(できなかった?)。
 そこで、それを埋めたのが、この本だ。
 とはいえ、そこから判明したことは、ヒルズ黙示録と同じである。つまり、「経理の操作」である。この本によって、「ライブドアは何をやったか」ということは、裏側ないし内部から説明されることになった。
 とはいえ、実際に説明されたことは、ヒルズ黙示録と同様である。事実が一つなのだから、同じ事実が出てくるのは当然だろう。何か新たな事実が判明したというよりは、裏側の人間的な事情が判明した、というだけにすぎない。あるいは、同じことが二つの情報源から示されることで、どんな事実があったかが十分に判明した、というふうになる。
 とはいえ、「ライブドアは何をやったか」ということはわかっても、それだけだ。細かな事実は説明されたが、事件の全体像がわからない。検察や社会がなぜあれほど大騒ぎしたのかはわからない。

 (3) ライブドアショック・謎と陰謀
 この本は、前記の二冊とは違って、事件の全体像を示す。それは(検察の)「国策捜査」とも言えるが、むしろ、「小泉政権による指揮」である。その意図は、建築設計疑惑を隠すためだ。
 これは、全体像をとらえようとしているとはいえ、どうもピンボケですね。小泉がそんな下らないことをするはずがない。見当違い。

 (4) 本書(ライブドア・二重の虚構)
 本書がどうかは、本書を読んだ読者にはわかっているはずだ。「ライブドアは何をやったか」ということを述べているのではなく、「社会(検察・マスコミ・世間)が何をやったか」ということを示している。それはつまり、「錯覚」だ。
 では、錯覚とは? 簡単に言えば、次のことだ。
 「だまして金を集めたこと」を、「だまして金を盗んだ」と勘違いした。
 ライブドアは、人をだました。その手口は、(1)(2) の本で詳しく解明されているとおりだ。しかし、肝心なことは、だました手口ではない。だまして、何をしたかだ。
 社会は、「だまして金を盗んだ」と思い込んだ。しかし本当は、「だまして金を集めた」だけなのだ。盗むことと、集めることは、異なる。
 比喩的に言えば、学級委員がクラスの会費を「集める」ことと「盗む」こととは異なる。ただし、学級委員がその名目を、嘘の名目にすると、人々は「金を盗まれた」と怒り狂う。── これがつまりは、ライブドア事件の本質だ。
 たとえば、クラス会費の帳尻が赤字になった。「金を出してください」と頼んでも、人々はほったらかしている。そこで仕方なく、「必ず儲かる方法に金を使いますから金を出してください」と嘘をついて、金を集める。彼は人々をだまして、金をかき集めた。とはいえ、その金を、自分の財布に入れたわけではなく、クラス会費に入れたのだから、ちっとも盗んでいない。また、金を出した各人も、自分の会費を払っただけだから、ちっとも損をしていない。……とはいえ、「だまされた!」と怒ると、「あいつは詐欺師だ、火あぶりにしろ!」という大騒ぎが起こる。
 これがつまりは、ライブドア事件だ。要するに、「金を集めた」ことと「金を盗んだ」こととの区別ができないせいで、人々が勝手に大騒ぎをする。そういう社会心理的な事件なのだ。
 ただし、このことを理解するには、「金を集めることと金を盗むこととは違う」という経済的な理解が必要だ。しかるに、残念ながら、たいていの人は、経済的な理解ができない。「金を出したか否か」という帳簿のことばかりを考える。かくて、経済素人による錯覚が生じるわけだ。
( ※ その詳しい事情は、著作に記したとおり。本項では説明はせずに、位置づけだけをする。本項を読んで「説明が不足している!」と怒る人がいたら、著作を読んでください。)


● ニュースと感想  (8月09日)

 「八百長ボクシングとライブドア」について。
 ボクシングの八百長が話題になっている。こんな凶暴なツラをした男の試合なんか、最初から見る気はしないので、どうでもよかった。八百長があったという話を聞いても、「さもありなん」と思っただけだった。ただし、世間は、大騒ぎしているようだ。この大騒ぎが、興味深い。
 そもそも八百長なんて、大騒ぎするほどのことではない。八百長なんて、どの分野でもあるものだ。たとえば、裁判だって、よどのことがない限り、「検察の勝ち」というふうに初めから決まっている。八百長裁判。
 ライブドア事件だって、常識的に見ればホリエモンは無罪だが、検察のメンツを立てるために、何らかの形で微罪で「有罪」という形になる公算が高い。「実質は無罪で、形式は有罪」という形。検察もメンツを立てるだけのために。
 そういう八百長が、日本中至るところで出回っている。ボクシングの八百長なんて、騒ぐ方がおかしい。ボクシングなどの格闘技はもともと八百長のショーなのだ、と思った方がいい。……実際、K−1などだって、たいていは八百長だろう。ボビーとかカイヤとか和泉とか、タレントが出てくるが、純粋な八百長だということは誰もが知っている。
 格闘技なんて、もともと八百長に決まっているのだ。莫大な金が絡むところでは、勝敗よりも金が重視される。当り前ですね。「八百長なんかない」と勘違いしている人が、勝手に大騒ぎしているだけだ。

 ライブドア事件でも、検察がライブドアを起訴するということからして、八百長っぽい。検察の損得ないし利害だけで、ホリエモンの起訴が決まっている。まともな頭があれば、こんな容疑では、ホリエモンを起訴猶予または不起訴にするはずなのだが、メチャクチャな理屈で起訴に持ち込んでいる。検察の起訴自体が、八百長みたいなものである。出来レース。
 検察は、罪があったから起訴するのではなくて、起訴するために罪をこねあげて「悪だ」と見せかける。ボクシングと同様だ。強いからチャンピオンになるのではなく、チャンピオンの座を金で買収して「強い」と見せかける。どっちもどっち。日本というのは、そういう国です。

( ※ で、何が言いたいかというと……はい、ただの三題噺です。  (^^); )


● ニュースと感想  (8月09日b)

 Open ブログ に話が二件あります。

   → 「外来語表記」
      「ジ を ズィ と書け」という提案についての批判。

   → 「夏バテ防止法」
       夏バテ防止のための私のアイデア。


● ニュースと感想  (8月10日)

 「証券監視委のあり方」について。
 ライブドア事件そのものではなくて、ライブドア事件を教訓とする一般論を述べよう。
 「ライブドアをどう処するべきか?」という話題がある。この話題について、「ライブドアを厳罰に処すべきではない」という意味のことを、これまで述べてきた。では、厳罰で処するのでなければ、どう処すればいいのか?
 本項では、「何かをなすべきではない」という形でなく、「何かをなすべきだ」という形で述べよう。つまり、ライブドアに対して、「われわれがなすべきこと」という理想像を示そう。これは、一般論となる。

 まず、「上場廃止」という処罰は、おかしい。ライブドアは株主に被害をもたらしたのだから、その被害者である株主を罰する形で「上場廃止」にするのでは本末転倒だ。これはいわば、「泥棒を亡くすために、泥棒の被害者を罰する」というようなものだ。
 
 とすれば、処罰するとすれば、ライブドアという会社または株主を処罰するのではなく、不正経理をなした実行犯である個人を罰すればいい。具体的には、経営者と公認会計士だ。
 ただし、処罰するという形そのものが、根本的に好ましくない。「事件が起こってから罰する」というふうにするよりは、「事件が起こらないようにチェックする」という仕組みの方が重要だ。
 これについては、米国のSECのような組織があればいい、という案がある。その具体的な形は、証券監視委の強化だ。── ただし、これは、コストがやたらとかかりすぎる。莫大な人員が必要だからだ。
 また、チェックするにしても、公的な組織が日本中の会社の経理をチェックする、というのは、あまりにも無駄が多い。なぜか? すでに同種のチェックは、二重になされているからだ。
  ・ 国税庁による会計検査
  ・ 公認会計士による会計検査
 このように二重になされている。この上さらに、証券監視委がチェックするのでは、三重にチェックすることになる。これではあまりにも無駄だ。非効率。

 では、どうすればいいか? 私としては、次の二点を提案したい。
  ・ 国税庁と証券監視委を合体させて、「会計庁」とする。
  ・ 公認会計士を、「会計庁」の下部の担当員としても活用する。
 以下では詳しく述べよう。

 (1) 会計庁
 会計庁を新設する。これは、国税庁と証券監視委を合体させてものだ。
 これは、実質的には、「国税庁」と同様である。ただし、会計チェックの際に、「過少申告」だけでなく「過剰申告」もチェックする。税の支払い不足をチェックするだけでなく、税の払い過ぎもチェックする。
 これによって、どうなるか? 税の払いすぎがチェックされるから、国全体の前週は減る。財務省は真っ青になるかもしれない。しかし、今回のライブドア事件は、「税を払いすぎたこと」(利益の過剰申告)が問題となったのである。「同じ事件を二度と起こさないようにする」ためには、税の払い過ぎをなるべくやらせないようにすればいい。
 そのせいで税収が減るとしたら? ── 別に、問題ない。国民がそれを望んでいるから、そうなるだけのことだ。単に増税すればいい。そうすれば国民は満足だろう。国民が文句を言ったら、「じゃ、どうして、ライブドアを非難するんだ」と切り返せばよい。

 (2) 公認会計士
 経理に不正があったとしよう。その場合、不正経理を見つけたなら、経営者を退場させればいいのであって、企業を退場させる必要はない。「ライブドアに不正経理があったから経営者を(会社から)退場させる」というのであればまだ話はわかるが、「ライブドアに不正経理があったからライブドアを(株式市場から)退場させる」というのでは道理が通らない。
 では、経営者を退場させるには、どうすればいいか? 現状では、経営者が公認会計士を雇っているのだから、経営者を退場させることなどはできない。どちらかと言えば、経営者が公認会計士を退場させてしまう。それが両者の力関係だ。
 そこで、「公認会計士が経営者を退場させる」という仕組みを作ればよい。それには、次のようにすればよい。
 「不正経理の疑惑があったら、逐一、前記の会計庁に報告させる」  たとえば、投資組合のような疑惑があったとしよう。ライブドアの事例では、元々の公認会計士はこれを許容した。新たな公認会計士は、これを許容せずに廃止させたが、だからといって、これが「違法である」と断じたわけではない。あくまで「怪しいものは廃止させる」という方針にすぎなかった。
 そこで、こういう生ぬるい処置ではなく、お上である会計庁に報告させる。(報告しない場合には懲役刑となる。)で、報告を受けた会計庁は、本格的に調査をして、違法か合法化を判定する。違法ならば、経営者を処罰する。合法ならば、「何でもありません」と許容しておしまい。
 この際、企業としては、悪事をしていなければ「大丈夫だった」とほっとする。悪事をしていれば、「やっぱりバレたか」というふうになるが、怒ったとしても、公認会計士を解雇(契約破棄)することはできない。なぜなら、経営者は逮捕されてしまうからだ。

 まとめ。
 以上のようにして、新たな仕組みが構築される。このようにして、不正経理をなくすシステムができる。すなわち、「犯罪を発生しない仕組み」が構築される。
 これが、なすべきことだ。ひるがえって、「悪が見つかるたびに犯罪者を処罰する」というのは、あまりにも頭の悪い方法だ。
 比喩的に言おう。プールの吸水口に少女が吸い込まれる、という事故があった。この事故に対して、「事故の責任者を厳罰で処する」ということをいくらやっても、事故をなくすことはできない。あるときはプールの事故、あるときは列車の事故、あるときはエレベーターの事故、あるときはガス湯沸かし器の事故、あるときは自動車のリコール不足の事故、……という問題が起こるたびに、いちいち担当者を厳罰で処しても、事故をなくすことはできない。
 事故をなくすには、事故が起こったあとで厳罰に処すればいいのではない。事故が起こらない仕組みを構築することが本質的だ。その本質的な方法は何であるかを、本項では示した。

 【 注記 】
 ライブドアについての余談(落ち穂拾いなど)は、これでおしまい。
 明日からは、別の話(経済の話など)を書きます。でも、ネタ切れ気味。  (^^);


● ニュースと感想  (8月10日b)

 「カネボウの不正監査」について。
 カネボウの粉飾事件に関して、不正監査をなした公認会計士に判決が下った。懲役一年ないし一年半で、執行猶予付き。(夕刊各紙 2006-08-09 )
 これの容疑は、証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)であって、ライブドアと同様。違いといえば、ライブドアがグレーだったのに、こちらは真っ黒であったこと。また、規模は、ライブドアが 53億円だったのに、こちらは 2000億円程度であったこと。
 それでも、マスコミは相変わらず、カネボウは軽視して、ライブドアとは全然違う扱いだ。

 朝日の朝刊には、「マスコミの報道態度」というような特集がある。これもまた、わけがわからない特集だ。立花隆が「マスコミは権力者に嫌がられるようになれ。シラミのように」と論じているが、その例としてあげているのが、小泉とイラク問題。
 しかしこのどちらも、すでに過去となった話題だ。小泉はまもなく退陣するし、中東では今やイラクよりイスラエルが問題となっている。マスコミの報道態度を論じるなら、二年か三年前に論じればよかった。何だって今ごろ、そんな古い話を蒸し返して、「マスコミの報道態度」という特集を出すのか? 
 どうせなら、ライブドア事件について「マスコミの報道態度」という特集を出すべきだろう。それなら、わけはわかる。マスコミは完全に偏った報道をしているからだ。たとえば、「カネボウは 2000億円を盗んだが小悪であり、ライブドアは 53億円を盗んでいないのに巨悪だ」というのは、まったくメチャクチャであるから、「マスコミの報道態度」という特集を出す意義がある。しかし、小泉とイラク問題なら、今さら論じる必要はない。まったくのピンボケだ。
 実を言うと、立花隆はライブドアについてはライブドア批判の急先鋒に立っている。自分自身が偏向報道の一翼を担っている。まずは自分自身を反省して、自己批判を書く方が、先ではないですかね。「マスコミは反省できない」というのを、自分自信が身を以て証明している。何のこっちゃ。

 [ 付記 ]
 立花隆がいかに経済に無知なのかは、架空の議論によってライブドアの罪をこねあげている他サイトの話を、まるきり信じているところからもわかる。
  → 該当ページ
 架空の話を想定して、それをさらに拡大解釈する、という調子で非難するわけ。こういうデタラメこそ、マスコミの報道態度のイカレている典型であろう。
 なお、どこがどうおかしいかは、本サイトの読者ならばすぐにわかるだろうから、いちいち指摘しない。本サイトは、他人の書いた素人サイトを批判するためにあるのではない。公権力を批判することはあるが、素人をいちいち批判することはない。素人を信じる立花隆という有名人を、皮肉ることはありますけどね。
( ※ 立花隆について参考となるサイトがあります。 → 該当ブログ

 [ 参考 ]
 カネボウであれ何であれ、不正監査についてどうすればいいか、……ということは、本日別項[前項]を参照。






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「小泉の波立ち」
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