[付録] ニュースと感想 (112)

[ 2006.09.05 〜 2006.09.15 ]   

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● ニュースと感想  (9月05日)

 「ホリエモンの公判」について。
 ホリエモンの公判が始まった。まだ詳しい情報は見ていないのだが、検察の見解を見て感じたことは、こうだ。
 「経理操作経理犯罪の区別がついていない」
 検察は「堀江被告がこれこれの指示をした」というふうに列挙する。なるほど、それはそうだろう。しかしそれはあくまで「経理操作」の指示に過ぎまい。しかし、「経理操作」なら、どこの会社だってやっている。いわゆる「節税」などだ。子会社との間の利益の移転の調整などもある。下手をすると国税庁に睨まれるから、何らかの経理操作をしないと、犯罪扱いされかねない。「おまえは米国の子会社に利益を移転していて、脱税をしている」と疑われる危険がある。そこで、経理の調整をして、親会社の利益を増やす、というようなことは、どこの会社だってやっている。「経理操作」は正常な業務の一環なのである。
 とはいえ、「経理操作」も、度が過ぎると、「経理犯罪」となる。だから問題は、「経理操作の度が過ぎたかどうか」ということであって、「経理操作をしたかどうか」ではない。ここが論点となる。
 にもかかわらず検察は、「経理操作をしたかしないか」という点ばかりを強調しているようだ。これはあえて「堀江被告は悪いことをした」というふうに世論を誘導しようとする、煽動的な世論操作であろう。……つまりは、馬鹿なマスコミと国民をだまそうとしているわけであって、裁判の本質(法的な違反の有無)とは関係のないことだ。

 検察はこうやって、馬鹿なマスコミと国民をだまそうとしている。で、馬鹿なマスコミがだまされ、それに洗脳されて馬鹿な国民がだまされる、……ということは、十分にあり得る。(ここまでの経過はそうだった。)
 要するに、検察は、「ここまではずっと国民を錯覚させてきたから、国民をこのあともずっと錯覚させよう」という方針でいるわけだ。ここでは「法的違反の有無」という法的問題はほったらかしにされ、「悪党であるか否か」という印象だけで裁判を誘導しようとしている。
 ひどいものだ。陪審制だったら、あっさり「死刑」判決が下りそうだ……というのは言い過ぎだが。ともあれ、ここでは、ホリエモンがインチキをしたというよりは、検察がインチキをしているのである。で、インチキ裁判によって、国民がだまされるわけだ。ひどい国。
( マスコミがまともならば、だまされないだろうが、馬鹿マスコミは、「ライブドア・二重の虚構」さえも呼んでいないから、コロリとだまされる。異論を読もうともしないで、自分好み以外の情報をシャットアウトして、心の目をふさいでいるから、真実を理解できないわけだ。 → 目をふさいだマスコミの例: ITmedia

 [ 付記 ]
 余談だが、ライブドアの平松という社長は、すごいですね。ホリエモンについて、
 「ポジティブで新しい経営者だと思っていたが、魅力は根底から崩れた」
 と述べた( → ニュース )。のみならず、
 「彼(堀江被告)自身の将来のためにも全てを明らかにしてほしい」
 とも述べた。( → ニュース
 その意味は、「ホリエモンは肝心なことを隠しているぞ。彼は(偽証する)嘘つき野郎だ」ということだ。
 呆れましたねえ。こうやって前社長を、「(偽証する)嘘つき野郎」というふうに扱うとは。いやはや。検察だってそこまでは言っていないのだが。
 ホリエモンの前で、机をドンと叩いた。
 「このブタ野郎。嘘をつくな! さっさと泥を吐け! その方が、身のためだぞ」
 「そういうあなたは、どなたです? 検察官ですか?」
 「いや、ライブドアの社長だよ」
 つまり、ライブドアの社長の最大の敵は、ライブドアの社長である。社内の権力闘争というものは、かくも激しいのである。  (^^);


● ニュースと感想  (9月05日b)

 「ホリエモンの公判とマスコミ」について。
 ホリエモンの公判について、新聞の夕刊報道を見た。相変わらず、と言えなくもない。
 全般的には、以前の過熱報道は冷えており、検察側と弁護側をほぼ対等に並べている、と見ていいだろう。マスコミもいくらか偏向体質をなくして、客観報道ができるようになってきた。まだまだ不十分ではあるが、その傾向が出てきたのは、狂気が醒めかけてきたことだと言えなくもないので、一応、歓迎したい。
 ただし、諸手を挙げて歓迎するわけでもない。

 (1) 罪状の程度
 第一に、「有罪か無罪か」という対決ばかりにスポットライトを浴びせていて、「罪がどの程度か」という認識が欠落している。たとえ検察側の主張が百%正しいとしても、その犯罪はたいしたことがない、という視点が欠落している。つまり、「ただの経理の不正にすぎない」という視点が。
 ま、犯罪といえば犯罪ではある。だが、経理の不正など、国税庁に追徴された会社の数と同じだけあるのだから、いちいちめくじらをたてることはあるまい。にもかかわらず、マスコミは、「自分たちがこの事件をことさら巨大に取り上げている」という問題を起こしていること(小さなものを巨大なものだと錯覚していること)を、自覚していない。
 こんなことをするくらいなら、明日からは、交通違反(スピード違反や駐車違反)の記事でも大々的に取り上げてはどうか? バカらしさがよくわかる。
 なお、岐阜県では 17億円もの裏金処理をするという、とんでもない不正経理が発覚した。これは、単なる帳簿の付け替えだけでなく、公金の盗みをともなう犯罪であり、真っ黒な犯罪だ。ライブドアの灰色の犯罪とは違う。
 真っ黒な事件をほったらかしておいて、灰色の事件を大々的に報道する。……まったく、マスコミのワイドショー体質には、呆れるしかない。

 (2) 朝日新聞
 こういう馬鹿マスコミの代表は、どこか? 民放もそうだが、やはり例によって、朝日がひどい。この新聞社は、報道人としての良心を喪失しており、ひたすら煽動的にセンセーショナルに、ワイドショーふうに煽り立てようとする。困ったものだ。
 新聞記事でも、株主被害者の見当違いな愚痴を掲載して、ホリエモンを一方的に非難する。見当違いの非難なのだから、本来ならば名誉毀損や誹謗中傷のような犯罪に該当するとも言える。朝日自体がそういう犯罪的なことをやらかしている。
 さらに悪いことには、被告を批判する声ばかりを一方的に片面的に掲載して、それとは逆の意見をまったく掲載しない、ということだ。偏向の極み。
 これはもう、イエロージャーナリズムですね。事実報道なんて言葉は、この新聞社には存在しないのかもしれない。ただひたすら、センセーショナルに記事を仕立て上げて、読者の心を乱して、ウケようとする。

 [ 余談 ]
 朝日というのは、そういうウケ狙いの体質が身についている。もしかして、入社時に、そういう教育がなされるのかもしれない。
 「ウケを狙え、ひたすらウケを狙え」
 と。吉本興業みたいなものだ。
 で、そのせいで、記事のタイトルにはやたらと寒いダジャレを並べたりする。(最近は減ったようだが)。また、経済面では、ウイークエンド経済というウケ狙い特集の影響だろうが、記事の最初のリード部分だけを「ですます体」にして、文体を崩す。気持ち悪いこと、この上ない。文章センスが狂っているとしか思えない。いや、頭そのものが、狂っているんだろうね。こういう文体を書くというのは、ほとんど分裂症(統合失調症)並みである。
 極端にすれば、こうなる。
 「AはBである。BはCとならなくてはならない。それが必要だ。しかし、DはEですし、EはFだよね。うん。EはFだょね。記者はぁ、あのー、そぅ思ぅんでぇーす。しかしながら、ひっきょう、GはHである蓋然性があるがゆえに、この容疑者は断固として、Jでなくてはならなぃんじゃなぃかなぁ」
 精神錯乱。文体が二重化するというのは、こういう病気になる寸前である。朝日は自分自身が発狂寸前なので、読者を発狂させようと企んでいるのだろう。


● ニュースと感想  (9月06日)

 「ライブドア公判とマスコミ」について。
 一夜明けた9月05日の朝刊の記事は、たいしたことがなかった。もっと大きな情報が提供されるかと思ったが、前日の夕刊で出尽くしてしまったようだ。
 とはいえ、下らない感想がやたらと多いくせに、肝心の事実報道がきわめて少ない。ホリエモンや弁護側が何を語ったかも、ごくわずかしか報道されていない。昼食の話題という下らないことばかりが報道されて、肝心の証言の報道がからきし欠けている。困ったことだ。(詳しくは後述。)
 社説はどうかというと、読売はけっこうまともである。中立的に報道している。普通ではあるが、狂っていないのは立派だ。一方、朝日の方は、狂っているとしか言いようがない。狂気の社説。そもそも、日本語がまったくできていない。
 堀江被告は幹部らと共謀し、関連会社が他社を買収すると発表する際に、株式交換比率などについてうそをついた。ライブドアの連結決算でも約53億円を粉飾した。検察側が描く事件の骨格だ。( → asahi.com
 変な書き方をしないでもらいたいものだ。この分では、どこまでが事実でどこまでが引用なのか、判然としない。最後を読んでようやくわかるだけだ。前半だけを読むと、
 「堀江被告は幹部らと共謀し、関連会社が他社を買収すると発表する際に、株式交換比率などについてうそをついた。ライブドアの連結決算でも約53億円を粉飾した。」
 とあるのだから、これが事実であると表現していることになる。最後の「検察側が描く事件の骨格だ。」を読んで、ようやく、引用だとわかる。しかし、それならそれで、せめて、次のように書くべきだ。
 堀江被告は幹部らと共謀し、関連会社が他社を買収すると発表する際に、株式交換比率などについてうそをついた。ライブドアの連結決算でも約53億円を粉飾した。── 以上が、検察側が描く事件の骨格だ。
 こういうふうに「── 以上が」という文句を挟めば、引用だとわかる。
 しかしながら、元の文章は、そう明示していない。書き方としては、最悪だ。事実と検察側主張とをごちゃ混ぜにして書いている。……いや、たぶん、意図的にやっているのだろう。「検察側主張は事実だから、同じことだ」というふうに。
 こうして、マスコミとしての公正さを失う。お上べったり。検察べったり。……情けないね。権力の提灯持ち・宣伝機関に成り下がってしまっている。
 なお、これに続く段落では、次のように記してある。
 これに対し、堀江被告側は真っ向から反論した。
 買収についての発表に偽りはなく、粉飾とされた会計処理も違法ではない。そもそも、当人は発表内容の作成などにかかわっていない――。検察の主張を「強引なストーリー」と批判した。
 こちらでは、「――。」のを入れて、引用であることを明示している。差をつけていますね。やっぱり。
 さて。以上は、書き方についての難点だ。この難点は、比較的罪が軽い。罪が重いのは、次のことだ。
 その堀江被告が、部下のやっていることを知らなかったと言い張る。投資家は広告塔の堀江被告にのせられたということなのか。
 この文章はいったい何を根拠として述べているのか? おそらくは、勘違い(錯覚)だろう。
 社説の冒頭によると、ホリエモンが語ったことは、こうだ。
「そういった種類の犯罪を行ったことも、指示したこともない。悪意に満ちており、起訴は心外だ」
 ここでは、「犯罪を行ったことも、指示したこともない」と述べているのであって、「部下のやっていることを知らなかった」と述べているのではない。「犯罪をやっていません」と述べているのであって、「経営をやっていません」と述べているのではない。両者は全然異なる。朝日には違いがわからないようだが。
 ホリエモンは要するに、「犯罪」をすることを容認したのでなく、「経理操作」をすることを容認した。何も知らなかったのではない。「経理操作」をすることを知っていたが、それが「違法な犯罪である」と認識していたわけではない、ということだ。(前日分を参照。)

 比喩的に言えば、こうだ。
 あなたが自動車を運転していて、追い越しのために、加速をした。高速道路の制限時速は 100キロだったが、追い越し時には時速 120キロになった。それを見た警察が摘発した。スピード違反だぞ、と。しかし、あなたは、犯罪を犯すつもりはなかった。単にアクセルを踏んだだけであって、それが違法であるとは思わなかった。……ところが、これを知った朝日新聞は、あなたを「とんでもない犯罪者」と大々的に報道した。
 「こいつは、スピード違反で人の死ぬ事故が起こりやすいと知っていながら、とんでもない犯罪を犯した。極悪人だ。アクセルを踏んだくせに、アクセルを踏んだ認識がないと主張している。嘘八百に決まっている。こいつと警察のどちらが真相を語っているか、裁判で明かすべきだ」

 要するに、単なるアクセル操作と、犯罪的行為とを、混同しているのである。「アクセルを踏んだ認識がないはずがない」という理由で、「犯罪だ、犯罪だ」と大騒ぎする。そもそも、スピード違反やら経理操作なんてことが、国中で大騒ぎするような犯罪ではない、ということすら理解できない。
 馬鹿丸出しというか何というか。自己反省の欠落。

 教訓は、こうだ。
 「自分を利口だと自惚れている奴ほど、自分の過ちを認識できない」
 朝日がこういうふうに自己反省ができないと言うことは、自分のことをいかに利口だと自惚れているかを証明する。おそらく、世界一の大天才だとでも思っているのだろう。だから、唯我独尊の社説を書くばかりで、他人の意見にちっとも耳を傾けない。

 [ 余談 ]
 朝日は、「ライブドア・二重の虚構」でも読みなさい。これは宣伝のために言っているんじゃないですよ。業務用経費で落としていいから、ちゃんと本ぐらい読みなさい。新聞社の義務です。
 でもまあ、業務用経費で落とすと、不正経理で検察に逮捕されるかもね。
 検察の言い分。「朝日は、本なんか読まない阿呆じゃないか。本を読まない人間が本代に金を払うというのは、不正経理である。読む本ならばともかく、読まない本のために金を払うのは、犯罪だ! ゆえに朝日を逮捕せよ!」
 こうなったら、日本中が大騒ぎするだろうね。「ライブドア事件の再来!」と叫んで、蜂の巣を突ついたような大騒ぎ。朝日は魔女狩りの被害者の立場となる。……そのときになってようやく、被害者の痛みがわかるだろう。

 [ 参考 ]
 以上の話は、冗談みたいだが、あながち冗談ではない。次の例がある。
 運転免許試験場が05年8月、海外留学していた女子大学生(22)の普通自動車運転免許を過って失効させ、その後にミニバイクを運転した女子学生が道路交通法違反(無免許運転など)罪で罰金の略式命令を受けていたことがわかった。同試験場がミスを認めたため、検察側から指示を受けた試験場の勧めで女子学生は不服を申し立て、大阪地裁で公判が始まった。ところが、検察側は「免許を交付されていない状態での運転は違法」と争う姿勢を見せており、道交法違反事件としては異例の裁判官3人による合議制で審理が続いている。
( → 無免許で起訴
 この冗談みたいな事件の趣旨は、次のことだ。
 「国民が合法的なことをやっていても、勘違いをした政府が違法行為をしたせいで、国民の合法的な行為が違法になってしまった。そこで生じた形式的な違法を理由に、検察が国民を起訴した」
 これが正当化されると、合法的な行為をしているあらゆる国民が、合法的であるがゆえに起訴されるだろう。なぜなら、合法的な行為をすると、政府が違法行為をしたときに、合法的な行為が違法行為と見なされてしまうからだ。
 例。自動車を止めていると、警官が勝手に「スピード違反」という理由をつけて、交通違反切符を切る。「自動車を止めているのにスピード違反なんてありえないですよ」と文句を言うと、「交通違反切符を受け取らなかった罪」で逮捕されてしまう。
 あなたは何も違法行為をしていないのに、警察官の違法行為のせいで逮捕される。もし罪を認めない場合には、「罪を認めない」という理由で、ホリエモンのように長期にわたって豚箱に入れられる。
 単純に言えば、「嘘つきから見ると、正直者は嘘つきに見える」ということだ。かくて、正直者は、正直であるがゆえに逮捕される。
 事実は冗談よりも奇なり。


● ニュースと感想  (9月07日)

 「ライブドア事件についてのマスコミの認識」について。
 ホリエモン公判のあとのライブドア報道を見ると、やはり、マスコミは事件の認識がまともにできてないようだ。
 「堀江被告は犯罪をなしたか」
 という一点に絞って、「検察と弁護側のどちらが勝つか?」という視点から報道している。まったく、勝った負けたの興味だけだ。ワイドショー報道。呆れますね。
 では、正しくは? 「犯罪をなしたか否か」ではない。もともとグレーなのだから、裁判官の心証しだいで、有罪にも無罪にもなるだろう。そういう事件ないし問題なのだ。
 だから、着目するべきは、「犯罪をなしたか否か」のかわりに、「どの程度の犯罪であったか」だ。
 で、仮に有罪だとしたら、どうか? 検察の特捜部が出てきて大々的に大操作をするような問題なのか?
 仮に「イエス」(ささいな経理の問題にも検察がいちいち出てくるべきだ)となるとしたら、今後、日本中の企業のあちこちでなされている経理の問題を、検察がちゃんとチェックしてくれるのか? 何万だか何十万だか知らないが、莫大な数の企業の会計を、ちゃんと検察がチェックしてくれるのか? 
 もちろん、そんなことは、物理的に不可能だろう。明白な犯罪であるならともなく、前例もないようなグレーの問題について、いちいち特捜部が出てくるとしたら、検察官がいくらいても足りない。
 それとも、何ですか? 今回の事件は、検察官の増員を図るために、あえて下らない事件を検挙したんでしょうかね? 「この手の不正経理をチェックするために、検察官を百万人ぐらい増員せよ」と。
 なるほど。こうすれば、検察庁は、百万人もの公務員をかかえて、最大の官僚となれる。それが目的だったんでしょうかね?  (^^);
 とにかく、この手の小犯罪をいちいち検挙したら、いくら人手があっても足りはしない。特捜部というのは、そういう下らないことをするためにあるのではない、とはっきり指摘するべきだ。それがマスコミの役割だろう。
 
 なお、上記の見解に対しては、検察の側から堂々とした反論がある。引用しよう。
 闇の不正と闘う   (東京地方検察庁特別捜査部長 大鶴 基成)
 実際に社会の陰で進行している腐蝕は、決して報道されるところにとどまるものではありません。悪質な事案であるにもかかわらず法の網の目をかいくぐるようにして行われているためなかなか刑事事件としては立件されないものや、巧妙な隠蔽工作が行われているためそもそも捜査機関に探知さえされないものなど、闇の部分の広がりは想像以上のものがあります。
 捜査機関に知られることのないまま、あるいは刑事訴追の手続を取られることのないまま、巨額の利権をめぐって魑魅魍魎とも言うべき人たちが暗躍し社会を蝕み続けているようなのです。
 このような腐蝕は、公正であるべき社会の根幹に歪みを及ぼし、やがてはその土台を揺るがすまで至るかもしれません。
 このような困難を打開して捜査を進めるのは、悪いことを悪いと感じることのできる素朴な正義感と、実直に生活している人々の生活と利益を守ることに対する熱意と法律適用を多角的に検討し駆使する能力です。
 「捜査してみても証拠が得られるかどうかわからない」とか、(専門的な言い回しになりますが)「事件の筋が悪い」とか、「法令の趣旨からは違法であろうが、判例がないのでどのようにしたものか」などの理由で、摘発を躊躇しがちにもなるのですが、しかし、そもそも腐蝕に利益を貪ろうという人たちは摘発されないように巧妙な仕組みを作っているのですから、多少の困難を前にして捜査をあきらめたのでは彼らの思うつぼです。
( ※ → 法務省のサイト
 以上を読むと、「もっともだ」と思う人も多いだろうが、これは法律的には、とんでもない曲解と言える。法律素人の発想だ。
 「悪いことを悪いと感じることのできる素朴な正義感」と言うのは、もっともらしいが、暴論である。検察にとって重要なのは、正義感ではなくて、「合法か非合法か」という法律判断だけだ。たとえ悪いことだと思えても、合法であるなら、検察は出るべきではない。「こいつは悪党だから、法律違反ではないけれど、逮捕して豚箱に入れてやれ」なんていう発想は、およそ近代国家の発想ではない。
 「たとえ悪であると見えても、法の不備のせいで合法であるならば、検察は逮捕してはならない」
 というのが正解だ。にもかかわらず、上記では、検察は逆のことを主張している。こんなことではもはや、法治国家の体をなさない。検察の独裁体制となる。つまりは、「検察が良いと決めれば良い、検察が悪いと決めれば悪い」という専制国家だ。
 つまりは、上記の人物は、「法を守る必要はない」と主張しているのも同然だ。これが検察のトップの人物の言葉なのだから、聞いて呆れる。
 なお、上記にはさらに、次の言葉が続く。
 額に汗して働いている人々や働こうにもリストラされて職を失っている人たち、法令を遵守して経済活動を行っている企業などが、出し抜かれ、不公正がまかり通る社会にしてはならないのです。
 何じゃ、これは? 検察による経済政策の声明ですかね?
 まず、「額に汗して働いている人々や働こうにもリストラされて職を失っている人たち、」というのを改善する経済政策は、小泉首相や竹中大臣の専売特許かと思っていたら、いつのまに、検察が国の経済政策に介入するようになってしまったんですかね? 
 また、「法令を遵守して経済活動を行っている企業などが、出し抜かれ、」というのは、ただの資本主義の自由経済のことでしかない。「法律を守っている限りは、出し抜いた者が勝ち」というのが、資本主義社会なのだから。
 最後の、「不公正が不公正がまかり通る社会にしてはならないのです。」というのは、まだわからなくもない。ただし、これはもちろん、前述の通り、とんでもない暴走である。(法律違反でなくても、検察が「不公正」と判断しただけでどんどん検挙してもいい」という、勝手な暴走を肯定しているので。)

 まとめて言おう。
 検察というのは、要するに、明白な犯罪性のあるものだけをしっかりと検挙すればいい。また、特捜部が出るのであれば、巨大な犯罪性のあるものだけでいい。ちっぽけな不正経理など、いちいち特捜部の出る幕ではないのだ。

 [ 付記 ]
 それでも、「検察はこのくらいの不正を見逃すべきではない」という見解もあるだろう。しかし、それなら、次の不正はどうだ? 

 (1) 検察の不正経理。
 検察自身が不正経理をやらかした。ここでは自社の金ではなくて国民の金を食い物にした。
( → 検索

 (2) 岐阜県の公金流用
 つい先日にも書いたが、次のことがある。
 岐阜県では 17億円もの裏金処理をするという、とんでもない不正経理が発覚した。これは、単なる帳簿の付け替えだけでなく、公金の盗みをともなう犯罪であり、真っ黒な犯罪だ。
( → Yahoo ニュース

 (3) 数十兆円の盗み
 国家全体における数十兆円の盗みがある。その犯罪の名前は、「賃金不払い」である。ほとんどの企業で、賃金不払いの形で、違法に金を盗んでいる。その規模は日本中で数十兆円になる。たとえば、次の調査がある。
 フリーターで1日7時間以上働いていたのは71%、週5日以上は73%と正社員並みの実態だった。学生バイトは1日5時間以上が72%、週3日以上は70%と、長時間化が目立った。正社員の3割近くが1日平均11時間の労働時間だった。
 一方、残業代は、正社員男性の42%、女性の49%、フリーター男性の30%、女性の27%が不払いだった。
( → asahi.com
ざっと3割が不払い。GDPは 500兆円で、残業手当の分が2割の 100兆円だと見なすと、その3割の 30兆円が不払いとなる。30兆円の大泥棒! 
 そこで、私は訴えたい。
 「額に汗して働いている人々や、働こうにもリストラされて職を失っている人たち、法令を遵守して労働活動を行っている労働者などが、賃金や退職金を奪われるという、不公正がまかり通る社会にしてはならないのです。」
 これこそ正義の言葉だ。しかし、今の検察には、このような正義はまったく期待できない。大犯罪を摘発することなど、まったくできないのだ。なぜ? 微罪を摘発するのに手がいっぱいで、大犯罪を摘発する余力がないからだ。
 検察は、微罪を摘発することで、巨悪を摘発するのをやめる。逆に言えば、巨悪を摘発しないでいることから、国民の目を逸らすために、微罪を摘発する。
 結局、検察は、「不公正が不公正がまかり通る社会にしてはならないのです」と主張しているとき、小さな点でのみ「不公正が不公正がまかり通る社会にしてはならないのです」というふうにして、大きな点では逆に「不公正が不公正がまかり通る社会にするのを放置します」というふうにする。50億円の帳簿の問題には目くじらを立て、数十兆円の泥棒は放置する。
 これはいわば、「めくらまし」ないし「猫だまし」だ。で、それに協力するのが、猫だましを食らったマスコミだ。かくて、錯覚が起こるわけだ。「ライブドア・二重の虚構」に書いてあるように。

( ※ 本項はさらに、翌日分に続く。)


● ニュースと感想  (9月08日)

 「ライブドア事件と錬金術」について。
 前項(前日分)では、検察の独りよがりな思い込み(いきがり)を指摘した。(「額に汗して働いている人々……などが、出し抜かれ、不公正がまかり通る社会にしてはならないのです」というふうな。)
 さて。では、どうして、こういう思い込みが生じたのか? そのわけを推定しよう。それは、「ライブドア・二重の虚構」では「経済的な無知」というふうに簡単に示した。ただ、その実像をはっきり言うと、こう言える。
 「検察は、『ホリエモンの錬金術』という経理サイトにあることを、そっくりそのまま信じた」
 このサイトでは、「ホリエモンは不正経理で錬金術をやらかした」というふうに主張している。で、それをそっくりそのまま信じると、検察にたれ込んだ連中の主張となるし、それを信じた検察の主張となる。その主張の具体的な現れが、前項の文句だ。つまり、「額に汗して働いている人々……などが、出し抜かれ、不公正がまかり通る社会にしてはならないのです」というふうな文句(錬金術の批判)だ。

 では、この文句(錬金術の批判)は、正しいのか。実は、正しくない。なぜか? それを示すには、経済学的な説明が必要なので、簡単には済まない。著作では「続編で示す」と述べたが、とにかく、簡単には済まない。
 ただ、ともかく、結論だけを言おう。
 「ホリエモンのなした錬金術は、経理的には違法であるが、経済的には実質的な違法性がない。それは、ソフトバンクの社長が大金(というより大資産)を得ているのと、同様である」
 まず、ホリエモンであれ、ソフトバンクの社長であれ、大金を儲けているわけではない。会社からの給料はあるが、それは、一般会社の社長と同程度だ。一方、含み資産としては、莫大な株式があるが、それを売却したわけではないから、現ナマで大金を得たわけではない。
 また、莫大な株式があるのは、ホリエモンであれ、ソフトバンクの社長であれ、楽天の社長であれ、同様だ。創業者というのは、そういうものである。初めのうちは借金をして、しきりに自社の株式を所有する。それで成功するか失敗するかは、自分の才覚しだい。自分の才覚がうまく行けば、巨大な資産(株券)を得ることができる。……これは、別に、違法でも何でもない。ただの当り前のことだ。
 一方、ライブドアは、その成長の過程で、いくらかの不正経理をなした。そのことによって、何らかの株価上昇効果を得た。たとえば、500円であるべき株価が、一時的に 600円になった。── で、これを見て、「株価の操作をしたから、錬金術だ。本当は価値はゼロ同然であるものを、600円に吊り上げて、大金をかすめ取った」と主張したのが、例の「ホリエモンの錬金術」というサイトだ。
 しかしながら、この主張は、経済学的には成立しない。なぜ成立しないか? いわゆる「自社株買い」(資本金を利益に転じること)は、永続的にやるならば犯罪だが、短期的にやるなら、何の影響もないからだ。つまり、錬金術は、ほんの一時的には効果はあるが、中期的には何の効果もないからだ。
 実際、2004年9月期には株価上昇効果があっただろうが、2005年9月期には株価上昇効果が消えている。つまり、錬金術の効果は消えている。
 わかりやすく言おう。自社株食いというのは、タコが自分の足を食うのに等しい。これを何度も続けていると、自分の足が消滅して、タコが消滅してしまう。こうなると、会社が消えてしまうので、株主はだまされたことになる。一方、飢えたときに一回だけ自分の足を食うだけなら、別に問題はない。飢えたときに足を一本食って、翌年はかわりにたらふく食料を食べて、足をまた生やしたならば、翌年には元通りに戻っているから、何の問題もない。
 タコが自分の足を8本食うのは問題だが、タコが自分の足を1本だけ1回限り食うだけなら問題はない。(あとでまた足が生えてくるので。)……もちろん、法律的には、それは違法なことであろう。しかしながら、法律的には違法であっても、実質的には犯罪性がない。(被害者は一人もいない。)

 ただし、である。このように実質的には犯罪性がないとしても、このようなことを「犯罪だ、犯罪だ」というふうに大騒ぎすると、タコは逮捕されて、翌年に自分の足を食べる機会をなくす。こうなると、タコは本当に飢え死にしてしまう。
 これがまあ、ライブドア事件の本質(真相)だと言える。(ホリー・レモンの話で示したとおり。)

 だから、本当のことを言えば、損害をもたらしたのは、「錬金術だ」と大騒ぎした人なのである。「あいつは犯罪者だ」と言った人こそが犯罪者なのだ。その張本人は、「ホリエモンの錬金術」を書いた経理屋であり、また、その主張を信じた検察であり、また、検察の摘発を正しいと信じた東証とマスコミである。── というわけで、これらの人物こそ、「嘘つきの罪」ないし「国民をだました罪」で逮捕されてもいいはずだ。
 しかしながら、彼らは、ずるいことを考えた。「錬金術だ」と大騒ぎしたくせに、その言葉を、公式見解としては残さないのだ。あくまで「ネット上で非公式に無料でおしゃべりふうに打ち明けただけです」というふうにしか語らない。
 例の経理マンは、「本を書け」「テレビに出よ」と依頼されても、決して応じない。自分のブログで「個人的な話を公開します」というふうに書くだけだ。なぜ? 公的に発表すると、その経済的なデタラメさ(論拠のいい加減さ)が暴露されて、告訴されかねないからだ。実際、告訴される危険は、十分にある。「あんたのデタラメな著作のせいでライブドアに六千億円の損害が発生した」と訴えられる可能性がある。そして、その訴えは、まったく正当である。実際にそうなのだから。彼はまさしく六千億円の損失をもたらした犯罪の共犯者(首謀者)なのだから。……ただし、ブログの発表するだけなら、「個人的な私見であって、公的なものではありません」と言い逃れることができる。
 検察も同様だ。前項のように、ただのエッセーとして書くだけなら、「個人的な私見であって公的見解ではありません」と言い逃れることができる。一方、検察の起訴理由として示したなら、ただちにそのデタラメさが暴露されて、裁判はボロ負けするだろう。……だから検察は、起訴理由には、「錬金術」の内容を書かないのだ。あくまで微罪となるようなことしか訴因にしないのだ。
 逆に言えば、検察が「錬金術」を訴因にしないということは、「錬金術」なんてものがただのデタラメにすぎないことを、検察が自分で認めたも同然である。ただし、裁判官をだますことはできなくても、国民をだますことはできるだろう……と思ったので、前項のようなエッセーをひそかに書くわけだ。実際、多くのマスコミは、これにコロリとだまされて、大騒ぎしたのだから。例は最後の [ 付記 ] の通り。

 [ 付記 ]
 だまされたマスコミの例。
  (1) 朝日社説。
 「額に汗して働く人が憤慨するような事案を困難を排して摘発していきたい」。東京地検の特捜部長は就任会見で語っている。ライブドア事件の摘発は、その決意の表れといえる。( → asahi.com
 (2) 「マネーゲーム崩壊」という新刊書。
 特捜部の大鶴部長が「額に汗して働く人、リストラされ働けない人、違反すると儲かるとわかっていても法令を遵守している企業の人たちが憤慨するような事案を、万難を排しても摘発したい」と語ったことは…至極まっとうな意見であり、そうなればいいとは思う。(同書315頁)
 こういうふうに、大鶴部長は、まんまとマスコミ連中を洗脳することに成功したのだ。
 ともあれ、国民を欺くには、公式の場(裁判)で語ってシッポを捕まれるよりは、非公式の場で、ぼそぼそと語ればいいのだ。馬鹿な国民は、「それこそ、真実の打ち明け話だ」と思って、ホイホイ信じる。


● ニュースと感想  (9月09日)

 「親王誕生と女系天皇」について。
 紀子さまに男子が生まれた。なお、天皇制と女系天皇の問題については、過去の話で言い尽くされている。下記を参照。
   → 2月05日 (およびそのリンク先)

 [ 付記 ]
 上記と話はダブるが、簡単に言えば、次のように言える。
 「女系天皇をどうするか? 男子がいない場合に限って、女系天皇にするか? 男子がいる場合にも、女系天皇にするか?」
 小泉の方針は、後者だった。つまり、こうだ。
 「男子がいない場合には、天皇制廃絶を避けるために、女系天皇が必要となる。だから女系天皇が必要だ。ついでに、男子がいる場合にも女系天皇にしてしまえ」
 つまり、詭弁をもてあそんで、どさくさにまぎれて、女系天皇を採用する、ということだ。具体的に言えば、こうだ。
 「今回の男子親王が誕生しない場合には、愛子様が女系天皇の座に就くしかない。女系天皇は絶対に必要だ。だったら、今回の男子親王が誕生しても、その男子親王を差し置いて、愛子様を女系天皇にするべきだ。そして以後は綿々と、女系天皇の系譜を続けるべきだ」
 ま、そういう主張があっても、私はその結論(だけ)には反対しない。「男子優先が良くて女子優先が悪い」という性差別を、私は採用しないからだ。女系天皇だからといって、そのこと自体が悪いということにはなるまい。(あくまで価値観の問題だ。)

 しかし、である。その結論を得るために、その途中の論理で、上記のような詭弁をもてあそぶのは、国民をだましていることになる。「男子親王がいない場合には」という仮定で得た結論を、「男子親王がいる場合にも」というふうに拡大的に適用している。

 こんな屁理屈が成立するなら、次の屁理屈も成立する。
 男「どうして僕と結婚してくれないんだ」
 女「あなたを愛していないからよ」
 男「じゃ、僕を愛していれば、結婚してくれるんだね?」
 女「まあ、そうね。愛しているならね」
 男「僕を愛しているなら結婚してくれるんだ。じゃ、僕を愛していないとしても結婚してくれるということだ」
 この男は、勝手にこう解釈して、女との婚姻届を出してしまった。婚姻届は受理された。なぜならそれが日本政府の論理だからだ。


● ニュースと感想  (9月09日b)

 「国策捜査という言葉」について。
 次項(翌日分)では、「マネーゲーム崩壊――ライブドア・村上ファンド事件の真相――」という本の書評を掲載するが、その前に一言。
 この本の著者はしきりに「国策捜査」という言葉を述べる。だが、「国策捜査」という言葉は不適切である。別に、この本の著者に限ったことではないのだが、とにかく、不適切である。
 この件については、先日の項目でも言及した。該当箇所を引用すると、次の通り。
 検察が馬鹿正直に法を当てはめて(拡大解釈して)、犯罪だとして摘発した。それというのも、犯罪であると思ったから摘発したというよりは、「何が何でもこいつを摘発してやれ」と思って、あちこちの法律を当てはめようとして工夫したら、たまたま「インサイダー取引」という法律違反に問える、と判明したからだ。

 似た例は、いくつもある。「まず鈴木宗男を摘発しよう」「まず田中真紀子を摘発しよう」「まず辻元清美を摘発しよう」というふうに、ターゲットを定める。そのあとで、ターゲットを摘発するために、あらゆる法律を総動員する。すると、たいていの人は何らかの犯罪をどこかで犯しているものだ。(たとえば、秘書給与の流用なら、たいていの国会議員がやっていたから、たいていの国会議員を逮捕できる。)……こうやって、狙ったターゲットを、何らかの法律違反で検挙するのだ。
 こういう例では、誰かが犯罪を犯したから摘発されるのではなくて、誰かを摘発するために犯罪を強引に見つけ出すのだ。どうしても犯罪を犯していないようであれば、法律の新解釈によって摘発してしまう。
 こういうのは、通常、「国策捜査」と言われるが、言葉が美しすぎる。別に、(政府全体)がやっているわけじゃない。の権力を傘にして、検察という一部局だけが暴走しているだけだ。「検察の暴走」と呼ぶべきだろう。「検察テロ」と呼べばもっとよい。
 「国策捜査」と称して、暴走する検察にお墨付きを与えるのは、やめてほしいですね。別に小泉が国策として方針を決めたわけじゃあるまい。この方針を決めたのはあくまで検察上層部の一握りの人間だけだ。検察の「組織維持」を名分とした、一組織だけの暴走である。それを国に責任転嫁しないでほしい。(少なくとも名称は。)
 どちらかと言えば、こう言うべきだろう。── 「組織エゴ捜査」と。または、「暴走捜査」と。……なお、その本質は、官製談合とほとんど差はない。すなわち、組織維持を目的とした違法行為。
 ついでだが、「馬鹿げた錯覚に基づく捜査」というふうに強調したいときには、「トンチンカン捜査」と呼んでもいいだろう。これが最適かも。  (^^);

( ※ なお、「国策捜査」という言葉を使ったのは、検察自身である。「これは国策捜査なのだから、難点があっても文句を言うな」というふうに、検察が自己を正当化するために使った言葉だ。水戸黄門の印籠を使うようなものだ。その勝手な正当化をまるきり信じて、「国策捜査」という言葉を使うとしたら、検察の掌の上で踊らされていることになる。)
( ※ 検察を批判して「国策捜査」という言葉を使うジャーナリストがいくらかいるが、彼らは相手の自己正当化を、真に受けているのだ。検察の掌の上で踊らされている。悪魔が自分を「天使」と自称したとき、それを真に受けて悪魔を「天使」と呼ぶようなものだ。)

 [ 付記 ]
 検察の横暴さは、「国策捜査」というふうなご大層なものではなくて、ただの横暴にすぎない。(似ているのは、ドラえもんに出てくるジャイアンというガキ大将の横暴。それと大同小異である。)
 類例はある。8月29日b で述べた「ビラ配りへの摘発・拘留」だ。検察であれ警察であれ、こういうふうに「微罪で摘発」ということをやらかす。
 では、なぜ? 「お上に逆らう」というふうに、目をつけられたからだ。目をつけられると、「あいつは気に食わん」という理由で、微罪に目くじらを立てて、強引に引っ捕らえる。犯罪があるから逮捕するのではなく、逮捕するために重箱の隅ふうに犯罪を顕微鏡で拡大する。
 で、お馬鹿なマスコミが、顕微鏡で見た犯罪を「巨悪だ」とわめきたてる。……これがつまりは、「錯覚」である。著作「ライブドア・二重の虚構」で説明したとおり。
 このビラ配り事件であれ、ライブドア事件であれ、本質は同じなのだ。「国策捜査」なんて、そんなご立派なものではない。検察はそういう言葉で自己を権威づけようとするが、だまされてはいけない。本当はただのジャイアンの横暴と同じなのだ。最低のわがままにすぎない。本質的にいえば、検察自体の犯罪行為である。ご立派なものではなく、犯罪行為である。
( ※ ビラ配りで拘留なんて、実質的には「監禁罪」にも等しい。女性を監禁した変態男に厳罰が下るのだから、検察にも厳罰が下ってもおかしくはない。ま、法律論ではそうはならないから、法律論では「職権乱用」になるが、実質的には、「監禁罪」という悪質な犯罪と同様だ。)


● ニュースと感想  (9月10日)

 「ライブドア本の書評」について。
 新潮社から新しいライブドア本が出た。「マネーゲーム崩壊――ライブドア・村上ファンド事件の真相――」という。その書評。
 ま、全体としてみれば、ライブドア事件をよくまとめてある。とはいえ、深みがない。上っ面の平凡な記述があるだけだ。特に新味はない。── それが私の評価だ。評価でいうと、★が二つか三つ。(五つが満点。)平均点と同程度か、やや下回る。(ヒルズ黙示録と似たり寄ったり。)
 この本の 内容見本のページがあるので、そこから引用する形で、論評しよう。
 個々の参加者の自由な活動を保証した上で、ルールを厳しく適用し、もしもルール違反があった場合には、その参加者に対して速やかにペナルティを科し退場させるべきではないだろうか。
 ところが、ライブドア・村上ファンド事件が発生するプロセスにおいては、このチェック機能が上手く働いていなかったのである。繰り返しになるが、そこにこそもっとも大きな問題があるというのが、筆者の見解である。
 私はそうは思いませんね。「いきなり退場させる」というのが、どうしてライブドアだけに当てはまるのか、その説明がまったく欠けている。
 ルール違反なんて、非常に多くの企業がやっている。「黒字を増やす」という形でなく「黒字を減らす」という形なら、枚挙に暇がないほどだ。実際、毎年毎年、「税務署による重加算税」が報道されている。これらの企業を「一挙に退場させよ」という意見がどうして成立するのか、さっぱりわかりませんね。
 黒字を増やすことが投資家を欺くのであれば、黒字を減らすこともまた投資家を欺く。方向が逆なだけで、欺くことは同様だ。
 一般に、これらの経済的な問題には、次の過程を取るのが常識だ。
  ・ まずは行政処分(当局による指導や警告や行政罰)
  ・ それでも改善が見られない場合には、告発して刑事処分
 これが常識である。にもかかわらず、上記の本では、前半をすっ飛ばして後半にいきなり飛ぼうとする。ま、それは勝手だが、そういうことがどうしてライブドアだけに当てはまるのか、その説明がまったく欠けている。
 
 また、次の話もある。
 また、筆者が特に注目しているのは、堀江氏をフロントとして踊らせ、株式市場から莫大な資金を“強奪”した“悪い奴ら”が存在していたと言われていることだ。
 この“悪い奴ら”の背後には仕手筋や暴力団関係者などアングラ人脈、政治家や官僚、有力な経済人までが見え隠れする。そして、彼らのブレインとなった外資系金融機関に勤める日本人金融マンたちの存在も見逃せない。もちろん、村上氏はそうした黒幕の一人だったわけだが、村上氏が逮捕されてもライブドア事件の背後関係がすべて解明されたわけではない。
 堀江氏と村上氏は表舞台から去り、ライブドアと村上ファンドはともに実質的に潰えた。だが、二人を裏から操っていた“悪い奴ら”は、事件の騒動をよそに依然として健在である。本書では、その人脈についても言及していきたい。  さらに、規制緩和・市場重視という流れのなかで、その徒花として登場した堀江氏と村上氏らが、六本木ヒルズを舞台に何を行ない、それがどのように崩壊していったかを、できうる限り解明していくつもりだ。
 いやはや。「莫大な資金を“強奪”した“悪い奴ら”」とはね。馬鹿マスコミだって、こんなことは書かなかったはずだ。ぷっ。
 これはもう、「トンデモ」に近いですね。「悪の組織スペクター」を想定する007やスーパーマンみたいな、荒唐無稽な話。
 「株式市場から莫大な資金を“強奪”した“悪い奴ら”」だって? 馬鹿馬鹿しくて話にならない。その錯覚は、「ライブドア・二重の虚構」を読めばわかるとおり。

 ついでにもう一つ。随所に「錬金術」という言葉が出てくる。株券を刷って金を得るのは、紙幣を刷っているようなもので、日銀みたいなものだ、というわけだ。しかし、それだったら、増資する企業間みんな「錬金術」をしていることになる。これをもって「悪党」と呼ぶのであれば、全企業を「悪党」と呼ぶ必要がある。……メチャクチャだ。まったくねえ。「詐欺」と「出資」の区別がついていないようだ。

 この人、自分の本を刊行する前に、せめて「ライブドア・二重の虚構」を読んでおけばよかったのにね。「ライブドア・二重の虚構」が刊行されたのが7月13日。上記の本が刊行されたのが8月30日。締め切りは7月25日ごろだろうから、7月13日との間に十日ほどの猶予があったはずだ。その間に、少しは書き直せば良かったのに。そうすれば、こういう致命的なミスを犯すことはなかったはずだ。

( ※ なお、こういうふうに「錬金術」だの、前述の「悪い奴ら」だの、こんなことを書く人こそ、嘘で人心をたぶらかす「詐欺師」であろう。有名な「ホリエモンの錬金術」というサイトがあったようだが、この人が最大の詐欺師かもね。いや、ただの経済無知の経理マニアかな。検察とは同じ種類ですね。……では、その共通点は? 「(経済的に)錯覚していること」だ。詳しくは「ライブドア・二重の虚構」に原理が示してある。そこに書いてある通り。)

 [ 余談 ]
 なお、私はこの本を「買うな」と言っているわけではありません。どちらかと言えば「買ってほしい」と思います。この本を買う人が増えれば、ついでに私の本を買う人もいくらかは増えそうなので。   (^^);
 この本を読んで初めて知ったこともあった。それは、野口怪死事件の野口氏が自殺した直前に、検察にマネー環流の複雑なチャート図を押収されたと知り、人が変わったようにすっかり青ざめた、ということだ。
 なるほど。だとすれば、たぶん、これが自殺の理由だろう。内緒にしていたことがバレてしまった。それが明白に違法だとは言えないものの、少なくともホワイトではなくてグレーであるから、後ろめたいところがある。で、「やばい、バレちゃった」と思って、あたふたとしたわけだ。
 グレーがバレたとしても、ホリエモンなら「ふん」と平然としていられるだろうが、野口氏は根が善良であるがゆえに、「ありゃー!」と思って、精神の糸が切れてしまったのだろう。精神の糸の、太さと細さの違い。……それが野口氏に自殺をもたらした。
 がばいばあちゃんなら、平然としていただろうにね。

( ※ オマケで言えば、こういう自殺は、よくあるものだ。たとえば、専門学校生の男子が殺人事件のあとで自殺した。これもまた、精神の糸の細さゆえだろう。自責の念に駆られて、自殺してしまう。……普通の人だったら、むしろ、こう思うはずだ。「殺人をしても、初犯で一人殺害だけなら、死刑にはならず懲役15年ぐらいだろう。それなら、仮釈放も含めて、32歳ぐらいで娑婆に戻れる。だったら自首しよう」と。つまり、自殺なんか選ばない。そこで、「彼はなぜ自殺したのか」と世間は不思議がる。野口氏であれ、専門学校生の男子であれ、本人の気質を知れば、不思議でも何でもないのだが、普通の人には理解できないのである。で、「誰か(暴力団?)が彼を殺したのだ」というような憶測[野口他殺説]が出回る。……たとえば、某ネカマの日記サイト。このサイト、顔写真をつけて女のフリをしているから、みんなだまされるが、文章を読めば、男であることはバレバレ。[サイト名は明示しません。質問お断り。あくまで私の推測です。])

 [ 補足 ]
 ライブドアについての最近の話題としては、不正経理のうちの「架空利益の計上 13億円」というのが話題になっている。これを見て、「純然たるブラックな犯罪が指摘された」と大騒ぎしている人もいるようだ。しかし、この件は、前にも述べた通りである。
 つまり、これは、連結会社グループ内の利益移転にすぎない。子会社の利益を親会社に移転したわけだから、親会社では利益が余計に計上されたが、子会社では利益が少なく計上されている。差し引きすれば、トントンである。
 比喩的に言えば、ある会社のなかで、プリンタ事業部における黒字を、カメラ事業部における赤字に移転した、というようなものだ。会社全体では、差し引きして、トントンである。
 要するに、全体としてみれば相殺されるから、いちいち大騒ぎするほどのことではないのだ。ただの形式犯にすぎない。泥棒のような実質犯とは異なる。
 「会社の経理を良く見せかけた」としても、連結決算で見れば同じなのだから、別に、良く見せかけたというほどのこともない。連結決算の見方を知らない素人が勘違いするだけだ。
 また、税金対策で言うと、子会社の方が低税率で、親会社の方が高税率だから、差し引きすると、税を余計に払っていることになる。
 以上をまとめれば、ライブドアの架空取引は、形式的には法律違反の粉飾であるが、実質的にはほとんど何の意味さもない。わずかにあるとすれば、税金を多めに払ったことである。結局、ライブドアは、経理を操作して税金を払いすぎたことが、罪であったわけだ。
 ゆえに、ライブドアの罪が免罪されるためには、次の決算で経理を逆方向に操作して、脱税すればいいのである。そうすれば、世間は満足するだろう。
( → 8月03日


● ニュースと感想  (9月10日b)

 「自民党の不正経理事件」について。
 自民党がダミー会社を経由させて、74億円の不正経理をやっていたと判明した。実際に判明したのは2005年分の16億円だが、過去5年間では74億円である。不正の手法は、実態のほとんどないダミー会社に広告を発注させたあと、資金と仕事を電通のような大手広告に丸投げする。ただし、その際、差額を手数料としてちょうだいする。差額がどのくらいかは、経理が非公開なので判明していない。ただし、業務が丸投げであり、ダミー会社を経由しているという点は、はっきりしている。この会社には広告制作能力は皆無だからだ。
 自民党本部が実質的に経営する広告会社「自由企画社」(東京都千代田区)が、2005年に党本部から計約16億6600万円で受注したテレビCMの制作業務などを、大手広告会社に“丸投げ”していたことが、読売新聞の調べで分かった。  同党はCM制作・放映などに充てている「宣伝広報費」のほぼ全額を政党交付金から支出しており、自由企画社には05年までの5年間だけで計約74億円が流れていた。
 自由企画社は1973年、党機関紙に掲載する企業広告を募集する広告会社として設立。社員は党関係者など10人程度で、社長は元党本部事務局長。
( → 読売新聞

 ライブドアは、自社の金(53億円)の項目を「資本金」から「利益」に替えた。そのために、ダミー会社を介在させた。
 自民党は、国から交付された金(74億円)の使途を、「広告費」から「広告費(丸投げ分) + その他」に替えた。ここで、「その他」の分が発生する。その分が、裏金となる。この裏金を、議員の選挙費用などに転用したわけだ。あるいは、何らかの私的費用に流用したのだろう。こうして裏金を発生させるために、ダミー会社を介在させた。
 どちらもほとんど同様の不正経理だ。どっちが悪質か? ライブドアは、自社の金の項目を変えたが、国の金を奪ったわけではないし、むしろ、国に余計な税金を20億円ぐらい納付している。自民党の方は、国の金を20億円ぐらい私的流用したのだろう。つまり、20億円を盗んだ。── どっちが悪いかは、言わずもがな。
 で、検察がどっちを摘発したのかも、言わずもがな。国民がどっちに大騒ぎしているかも、言わずもがな。
 狂気の国家ですね。


● ニュースと感想  (9月11日)

 「ライブドアの判決の予測」について。
 ちょっと気が早いが、ライブドアの判決の予測をしてみよう。予測は、こうだ。
 「違法ではないが、有罪
 つまり、「法律的には犯罪を犯したとは認められないが、刑罰の点では有罪判決」である。
 これは一見、不思議に見える。なぜなら、通常は、次のいずれかだからだ。
  ・ 犯罪を犯したので、有罪
  ・ 犯罪を犯していないので、無罪
 しかしながら、今回の判決では、「犯罪を犯していないが、有罪」となるだろう。その理由は、次の (1)(2) の通り。

 (1) 法律面
 まず、法律面では、「犯罪ではない」という結論が出るだろう。形式的には、たかが帳簿の記載の仕方の問題にすぎない。どんなに重く見ても、微罪でしかないし、それも違法性が少ないのだから、重罪になるはずがない。
 詳しく言おう。法律では、次のようだと解説されている。
有価証券報告書の虚偽記載に対する罰則は、5年以下の懲役又は500万円以下の罰金であり(証券取引法第197条第1項第1号)、両方の刑が併科される場合もある。法定刑においては、既に起訴されている偽計取引、風説の流布の罰則と同じであるが、市場に与える影響は上記の罪よりも影響が大きい。
 つまり、有価証券報告書の虚偽記載は、上場企業、とりわけ東証マザーズに上場しているライブドアにとっては、重要な意味を有する。それというのも、有価証券報告書の虚偽記載は、上場廃止基準に抵触するからである。ライブドア自身も、東京証券取引所が、ライブドア株を管理ポストに割り当てた理由が追加され、有価証券報告書の虚偽記載の容疑が追加されたことを認めている。
( → 日経BP ) 
 法定刑は「5年以下の懲役又は500万円以下の罰金」だが、懲役には重すぎる。実刑でなく執行猶予だとしても重すぎる。というわけで、せいぜい罰金刑だろう。で、常識的には、次のいずれかとなる。
 第一に、罪が重い場合は、こうだ。
 第二に、罪が軽い場合は、こうだ。
 以上からわかるように、法律面を見る限り、弁護側の圧勝である。「法律的に無罪を勝ち取ろう」という弁護団方針は、この点では成功するだろう。

( ※ なお、無罪になる法律的根拠は何かというと、細かい経理の法律解釈による。あまりにも細かい話なので、素人にはわかりにくい。ネットで専門家の論議を調べるとわかるが、ここに説明しても普通の人にはちんぷんかんぷんだろう。単に「専門家の目から見れば無罪が当然」という結論を理解しておけばいい。ただし、「当然」というのは「必然」や「絶対」というのとはちょっと異なる。世の中、当然のことが起こるとは限らない。)

 (2) 経済面
 問題は、経済面だ。そもそも、この事件では、
 「小さな事件を大きな事件だと錯覚した」
 という問題がある。で、それを示すために、弁護団は「法律的に違法ではない」と証明しようとするだろう。
 しかしながら、検察側は、そうではない。法律面なんかはあまり詳しく語らないで、経済的にどのような大きな被害が発生したかをしきりに強調する。「こんなに多大な被害が出たのに、責任を取らないのは、まったく無責任だ」というふうに。
 しかも、である。裁判官もまた、この立場を取っているのだ。裁判官はこの方針のもとで、宮内被告をさんざん問い詰めている。つまり、検察寄り。そして、この裁判官が、堀江被告の裁判も担当する。(週刊文春・最新号より)
 とすれば、ここでは、「法律的に大きな事件であるか否か」ではなく、「経済的に大きな事件か否か」が問題となる。法律面でなく、経済面が、問題となる。 
 ここで、弁護側は、どう答えたか?実は、何も答えていない。弁護団は、法律専門のヤメ検ばかりで、経済のことなんか何もわかっていない。検察官と裁判官がよってたかって、「被告は経済面でこういう悪をなしたのだ」とか、「被告は株主に莫大な損害をもたらしたのだ」とか、問い詰める。そこで、弁護側は、経済的には何一つ弁護しないのだ。
 本来ならば、「経済面で大事件となった」というのは錯覚である、と示すべきだろう。損失をもたらしたのは、被告ではなく検察と東証とマスコミだ、と示すべきだろう。つまり、錯覚を打破して、真実を明かすべきだろう。……なのに、弁護団は、そのことがまったくできていない。経済面では何も語れない。
 かくて、検察と裁判官の圧勝である。弁護団の完敗。

 結論。
 弁護側は、法律面では圧勝できる。しかし経済面では完敗である。なぜなら経済音痴であるせいで、経済面ではまったく反論できないからだ。法律集団のなかには、経済学者がいないからだ。
 かくて、経済面における錯覚がまかりとおる。で、経済的な無知ゆえに錯覚した裁判官は、こう考える。
 「こいつは、法律的には悪いことをしていないとしても、法律の網の目をくぐって、経済的にものすごい被害をもたらした。形式的には違法ではなくても、実質的(経済的)にはすごく悪いことをした。ゆえに、違法行為をしていなくても、有罪にしなくてはならない。天網恢々、疎にして漏らさず、ということだ。」
 従って結論は、こうだ。
 「違法性は軽微であり、通常ならば無罪にするところだが、社会的な損害の大きさをかんがみて、重罰を科する」
 本当ならば、社会的な損害の大きさというのは、検察と東証とマスコミがもたらしたのだが、そういう真犯人をほったらかして、ホリエモンが責任転嫁の濡れ衣を着せられる。かくて、重罰となる。
 では、その皮肉な結果が起こることの理由は、何か? こうだ。
 「いくら法的な無実を訴えても無駄である。なぜなら裁判官本人が、錯覚のうちにとらわれているからだ。錯覚した人間に真実を訴えれば、真実を訴えた人は『詭弁を弄して悪を隠蔽する悪党』と見なされるだけだ。だから、真実を正当なものとするためには、真実を訴えるだけでは駄目で、錯覚した裁判官を錯覚から覚醒させることが必要だ。そして、そうしないとすれば、錯覚の世界のなかで、真実は敗れ、虚偽が勝つのだ。」

 教訓。
 「裁判で勝つには法律的に頑張ればいい」と信じているホリエモンが、結局は愚かだった、ということになる。裁判に勝つには、法律面だけでなく、経済面でも戦わなくてはならないのだ。しかるに、経済面では、戦力が皆無であった。経済面では、相手の戦力はオンボロ戦力で、穴だらけの論理にすぎないのだが、こちらの戦力が皆無であるせいで、戦わずして負けてしまうことになる。
 「ヤメ検は、退職した検察官であり、検察の手下にすぎないのだが、世間はヤメ検を検察よりも偉いと思い込む」
 こういう錯覚がある。その錯覚に乗って、ヤメ検に戦略を委ねて、経済面での戦いを放棄した。経済的な錯覚を打破しようとはしない。そのせいで、相手の錯覚の土俵の上で、何一つ戦わず、押し切られてしまう。戦いの放棄ゆえの敗北。
 これが、裁判の結果となるはずだ。
 結局、世間と裁判所が錯覚しているときに、その錯覚を放置したまま、相手の錯覚の世界のなかで戦う限り、勝ち目はないのだ。勝つとしたら、相手の錯覚を覚ますしかない。しかしながら、手持ちの戦力には経済学者がいないので、経済面で相手と戦うことができない。
 ヤメ検であれ、(アエラの)大鹿であれ魚住であれ、「検察が悪い」と法的に批判するばかりで、「経済面での錯覚がある」ということを指摘しない。物事をすべて法律面で片付けて、経済面の虚偽・虚構を正そうとしない。そのせいで、経済面での錯覚がまかり通る。その経済面での錯覚に従って、世間には「ライブドアないしホリエモンは巨悪だ」という判断が生じる。
 錯覚を打破しない限りは、錯覚ゆえの判決が出るから、ホリエモンには勝ち目はないのだ。ひどい重罪の判決が出ても、不思議ではない。実際、たとえ執行猶予は付くとしても、かなり重い刑罰の判決が出るだろう。
( その理由は? 裁判官が錯覚しているから。ただし本当の理由は、弁護側がその錯覚を打破しないから。)

 [ 補説 ]
 一番本質的なことは、何か? 
 そもそも、ライブドアが不正経理をしたことなど、日本においてはどうでもいいことだ。そのことは、前日の話(自民党の不正経理)からもわかる。ちょっと騒いでそれでおしまい、という程度のことにすぎない。
 また、検察が馬鹿げた検挙をしたことも、日本にとってはたいして問題ではない。検挙された人にとっては大問題だろうが、日本にとってはすぐに忘れてしまえる程度のことだ。そのことは、先日の日歯連の冤罪逮捕(無罪判決)のことからもわかる。( → 4月01日 ) また、さらに言えば、「政府の行政ミスの被害者を、無理やり犯罪者に仕立て上げて起訴する」という冗談みたいな例もある。( → 9月06日[参考]
 要するに、「ライブドアがこんなことをした」と大騒ぎするのは馬鹿げたことであり、「検察がこんなことをした」と大騒ぎするのも馬鹿げたことだ。どちらの不正もたいしたことはないからだ。
 では、何に大騒ぎすればいいか? 「下らないことに大騒ぎしている日本人全体の馬鹿らしさ」に大騒ぎすればいいのだ。大騒ぎしていること自体に、大騒ぎすればいいのだ。つまり、国民全体の狂気性ないし錯覚に大騒ぎすればいいのだ。
 しかしながら、そうしない。小さなことに大騒ぎしながら、日本中が狂騒状態にあるという大問題についてはまったく目をふさいでいる。コップのなかの小さな嵐には大騒ぎするくせに、日本中の国民が大きな嵐を巻き起こしていることについてはまったく目をふさいでいる。
 問題とするべきは、ライブドアでも検察でもなく、日本国民全体なのだ。ここに気づくことが本質的なことだ。(「ライブドア・二重の虚構」で指摘したことと重なる。詳しい説明は同書を参照。「魔女狩り」という言葉でも説明されている。)

( ※ 本質的な話はこれでおしまい。細かな補足は、翌日から数日間の連載。)


● ニュースと感想  (9月12日+)

 「前日の話への初歩的な文章解説」について。
 前日の話は、比喩的に書いたのだが、比喩的な話が理解できない人もいるようなので、初歩的な文章解説を述べておこう。
 ( ※ まともな知力のある人はいちいち読まない方がいいでしょう。読むだけ時間の無駄です。)

 まず、次の批判が来た。
裁判官が 違法行為がないのに有罪にする?  ありえません。違法行為が認定できないで 有罪にされることはありません。見せしめ 的な判決を下すこともありません。
 いやはや。小学生じゃあるまいし、このような批判が来るとは思ってもいなかった。しかし、小学生の読者もいるようなので(?)、一応、日本語の解説をしておく。
 「違法でないのに有罪にする」
 というのは、明らかに言語矛盾を含む。「白いのに黒い」というのと同様の表現だ。これは文章表現では、「撞着法」(オクシモロン)と呼ばれる比喩表現である。「あなたのこと好きだけど嫌い」というのが典型的な例。類例には、「平和のさなかの戦争」とか、「彼女は女でありながらときには男になる」とか、いろいろとある。
 で、こういうのは、馬鹿でもわかるほど明らかな矛盾表現である。これをもって「矛盾しているぞ」と指摘するのは、小学生ぐらいである。  
 ま、小学生には、前日分の表現が難しかったのだろう。
 そこで、文章理解力のない小学生のために、説明をしておくと:

 「違法でないのに有罪にする」
 というのは、「違法性を見出せないのに有罪にする」という意味(字義通りの意味・比喩でない意味)ではない。
 正しくは、「論理的・法的には違法性が稀薄であるが、特例的に拡大解釈して、違法性を強引に認定する」ということだ。
 
 実質的には違法性がない、ということは、他の被告ならば起訴もされないし有罪にもならない、ということからわかる。たとえば、NECも、オリエンタルランドも、岐阜県も、検察庁も、みんな、不正経理をやっていても起訴すらされない。また、この程度の粉飾なら日本中の大多数の企業がやっているが、すべておとがめなしだ。……つまり、客観的には違法性はないのだ。
 にもかかわらず、今回の裁判長は、しきりに堀江被告の悪質さを糾弾する。通常の裁判官ならば、弁護士と検察官の間で中立を保つが、今回の裁判官に限っては、中立性を放棄して、検察以上に、堀江被告に対して攻撃的である。……彼は明らかに洗脳されている。というか、錯覚している。
 そして、それは、彼一人だけではない。日本中のほとんどすべてだ。彼一人が錯覚しているのではなく、日本人の99%が錯覚している。
 前日で指摘したのは、この「錯覚」に基づいた上での話だ。

 ま、ともあれ、「違法行為が認定できないで有罪にされることはありません」という批判については、「そんなことは小学生でもわかる」とお答えしておきましょう。というか、そういう字義通りの解釈をするのは、小学生だけです。
( ※ では、正しい解釈は? このあと三日間ぐらいかけて、少しずつ説明するので、そちらを読んでください。だいたい、連載中の話を読みもしないうちに、勝手に誤解の批判を言うところからして、「読みもしないで批判する」という過ちを犯している。)



● ニュースと感想  (9月12日)

 「ライブドアの判決の予測の補足」について。
 前日の補足となるべき話を、以下にいくつか加える。([ 付記1 ]〜[ 付記4 ])

 [ 付記1 ]
 AERAなどの一部の雑誌では、「検察の不当性」を非難しているが、そのことだけなら、今年の2月ごろと何ら変わっていない。今さら「検察の不当性」をいくら非難しても、それでは何ら実効性をもたないのだ。なぜなら、洗脳された人々には「馬耳東風」ないし「馬の耳に念仏」であるからだ。言葉が右の耳から左の耳へ素通りしていってしまうのだ。
 検察批判をする人自身(大鹿・魚住など)が、そのことに気づいていない。彼らもまた錯覚している。覚醒するべきは、検察の意識だけでなく、世間や裁判官などの人々の意識なのだ。なのに、そのことに気づかないで、検察ばかりを非難している。これでは、無効である。……本当は、検察をぶん殴るよりも、人々の意識をぶん殴るべきなのだが。
 とにかく、問題の根源は、検察なんかではない。検察を「馬鹿だ」と批判しても仕方ない。検察はもともと馬鹿なのだから。馬鹿を馬鹿と批判しても仕方ないのだ。むしろ、問題は、嘘をつく検察ではなく、嘘を放置して真実を報道しないマスコミ全体にある。(たとえば、9月06日 の朝日社説)
 本当は真実を報道するべきだ。なのに真実を報道しないで虚偽を告げる。それがマスコミだ。── そして、そのマスコミ全体には、大鹿や魚住も含まれる。彼らもまた、虚構をふりまく連中の一人なのだ。この二人は、検察ばかりに責任を帰することで、より大きな世間全体の錯覚を放置する。彼らもまた、錯覚の拡大に、加担している。
 この二人は、錯覚を打破するのではなく、錯覚に対抗して別の錯覚を持ち出すだけだ。「みんなホリエモンが悪いんだ」という錯覚に対抗して、「みんな検察が悪いんだ」という錯覚を持ち出すだけだ。同じ穴のムジナ。どちらも嘘つき。かくて、巨大なマスコミの嘘は放置される。

 [ 付記2 ]
 現状では、世の中のほとんどの人は、何が問題だか、わかっていないのだ。相も変わらず、ライブドア批判の声と、検察批判の声とが、ぶつかっているだけだ。そしてたいていの人々は、「やっぱり悪いやつは懲らしめてやるべきだよな」と思ったまま、自分の錯覚に気づかないでいる。
 “ライブドア事件とは、「ライブドアが巨悪をなした」という事件ではなく、「ライブドアが巨悪をなしたと人々が思い込んだ」という事件である。”(「ライブドア・二重の虚構」より。)
 これが真実だ。この真実に気づかないと、「ライブドアが何をした」ということばかりを話題にして、「世間が何をした」ということを考えない。つまり、本質とは違う些末なところで、錯覚したまま論じ合っている。……こういうふうに錯覚にとらわれている限りは、どうしようもない。
(大鹿も魚住も、「ライブドアが何をした」「検察が何をした」ということばかりを論じている。そのせいで、事件の本質とは別のところで、ああだこうだと騒いでいる。ピンボケ。)

 [ 付記3 ]
 ホリエモンにも忠告しておこう。ホリエモンはしきりに検察を相手に勝とうとしている。だが、それでは、戦うべき相手を間違えているのだ。
 そんなことをしても、結果は、「理屈で勝って、勝負で負け」となる。それがつまり、前項冒頭の結論だ。
 比喩的に言おう。嵐のなかで、「小舟を操作して、何とか自分だけは助かろう」と思っても無駄である。小舟の力などは限られている。巨大な波が来ればひとたまりもない。また、嵐のなかで、「あいつが悪い、こいつが悪い」と非難しても無駄である。非難したところで、沈没を免れるわけではない。
 なすべきことは、むしろ、嵐そのものから脱することだ。あるいは、嵐そのものを鎮静化することだ。そして、そのことは、可能なのである。すでに存在している真実を広めることで。
 情報化の時代にも、「悪貨は良貨を駆逐する」ということはある。「虚偽が真実を駆逐する」ということはある。そういうときには、情報伝達の力をもって、真実を広めればいいのだ。(ホリエモンには可能である。私が語ってもマスコミは報じないが、ホリエモンが語ればマスコミは報じる。)
 にもかかわらず、現状のように虚偽の世界を維持している限り、その世界では、いくら小舟を動かしても、誰かを非難しても、沈没は免れないのだ。

 [ 付記4 ]
 ホリエモンは現在、裁判での「無罪」をめざしているようだが、とんでもない勘違いである。たとえ裁判で「無罪」の判決を得ても、たいして意味はない。「地裁で無罪判決が出て検察が控訴した」という報道が出るだけであって、名誉回復はならない。最終的に、最高裁まで行くことになるだろうが、その判決が確定するころには、ホリエモンの人生はほとんど脱殻となってしまうだろう。
 要するに、裁判での「無罪」判決など、たいして意味がないのだ。単に「無罪」の判決が出ても、「不当判決」という評判が出回って、かえって名誉が失墜する可能性すらある。つまり、「とんでもない悪をなしたのに、まんまと罪を免れて、ずるがしこく逃げおおせた悪党」という評価だ。裁判で無罪を勝ち得たマフィアのボスと同様の扱いだ。……当然、「潔白」と見なされるわけではない。
 大切なのは、何か? 裁判での法的な「無罪」ではない。むしろ、世間の錯覚を覚ますことなのだ。世間の錯覚を覚ますことなしに、裁判での法的な「無罪」をめざすのは、およそ見当違いの策でしかない。無効。
 ただし、有罪を認めた上で、検察にお目こぼしを求める(お情けにすがる)のであれば、世間に訴えるのはやめた方がいいだろう。検察のご機嫌取りが大事だからだ。で、ヤメ検はその方針だ。
 ホリエモン自身も、その路線に乗っている。口先では「自分は無罪だ」と唱えながらも、戦術は「検察のお目こぼしにすがる」という路線だ。
 情けないですね。本来なら、「自分は潔白だ」と述べたあとで、「間違っているのは錯覚している世間だ」と訴えるべきなのだが、その言葉を出さずに口をつぐんでいる。たとえどんなに声高に叫んでも、「証拠湮滅の罪」で逮捕されることはないのだが、借りてきた猫のように、すっかりおとなしくなって口をつぐんでいる。言うべきことを言えない。まったく勇気のない軟弱男だ。
 ホリエモンは、「金さえあれば何でも買える」と言ったようだ。だが、どうやら、勇気だけは買えなかったようだ。

(オマケで一言。「刑務所に入るのが怖いから、真実も語れずに口をふさいで、ひたすらビクビクしている」なんてのは、みっともないったらありゃしない。私だったら、口を閉じたりしない。「刑務所に入るぐらいが何だ。堂々と真実を語ってやる。堂々と世間の誤解を正す」という方針を取る。たとえ一人でも、世界のすべてを相手にして戦う。それが勇気というものだ。ふん。いざとなったら、刑務所にだって何だって入ってやる。負けるのが怖くて戦いを放棄するなんていうことはしない。……昔、戦争中の軍人には、そういう気概があった。彼らは、祖国の人々を愛するがゆえに命を差し出すという、勇気があったからこそ戦ったのだ。)

( ※ 翌日分に続く。非常に重要な話がある。)


● ニュースと感想  (9月13日)

 「ライブドアの判決の予測の補足」について。
 前々日の補足となるべき話を、以下にいくつか加える。([ 付記5 ]〜[ 付記9 ])

 [ 付記5 ]
 週刊朝日の最新号では、ホリエモンの弁護士(ヤメ検)が登場して、法的な正当性を盛んに訴えている。細かな法律解釈を駆使して、「ああだこうだ」と述べて、法的な正当性を主張している。
 しかし、これはまったく無効だ。見当違いなことだ。これは、弁護団には意味があるかもしれないが、ホリエモンにとっては無意味だ。
 仮に法的な論理で検察を論破して、「無罪」の判決を勝ち取ることができたとしよう。で、どうなるか? 万々歳となるか? いや、ならない。
 たとえ「無罪」という判決が出ても、マスコミはその判決を「不当判決」と非難するだろう。検察を擁護し、ライブドアやホリエモンを非難するだろう。なぜ? マスコミは裁判の如何にかかわらず、洗脳された状態だからだ。これでは、裁判では勝っても、実質的には勝ったことにならない。人々が洗脳されたままであれば、たとえ「無罪」の判決が出ようと、ほとんど実効性をもたないのだ。
 結局、ライブドアが救われるか否かは、判決がどうなるかよりも、世間が洗脳状態を脱するか否かによる。
 人々がまともになるか否かは、判決がどうなるかによるのではなく、人々自身が錯覚状態を脱するか否かによるのだ。そして、その錯覚状態からは、いまだに脱していないのである。
 で、このことを指摘したのが「ライブドア・二重の虚構」であった。だが、あまり売れなかった。で、このことをもってして、「世間は錯覚状態からあまり脱していない」と判断していいだろう。(いくらかは脱したとも言えるが。2割ぐらいだろうか?)

 [ 付記6 ]
 週刊朝日の最新号では、ヤメ検が登場して、あれこれと訴えている。これで法律的な正当性を訴える、という方針は、実は根源的に狂っている。たとえ法的な正当性で勝利しても、裁判には勝てないのだ。(前々日に述べたとおり)
 このことは、納得しがたいと思えそうなので、詳しく説明しよう。
 仮に法的に正当性が認められるとしよう。で、どうなるか? まず、次の前提がある。
 「ホリエモン(またはライブドア)は、法律の抜け穴探しを駆使して、六千億円を盗み取った」
 この前提のもとで、「法律的に合法」という判決が出たら、六千億円を盗む脱法的行為が正当化されてしまう。そんなことを許容していいのか? 
 当然、許容するべきではない。たとえ私が裁判官だとしても、「論理的には違法ではないが有罪」という判断を下して、無理にでも「違法」と認定する。
 似た例でいえば、オウムの麻原がある。仮に、彼が何らかの法的な抜け穴探しをやって、合法的に数十人の人命を奪ったら、どう認定するか? 「合法だから大量殺人を許容する」と認定するか? いや、私だったら、そんなことはしない。たとえ法的には合法的であっても、より高い正義的な見地から、この大量殺人を「違法」と認定する。法律の勝手な拡大解釈を駆使してでも、これを「違法」と認定して、死刑の判決を下す。
 ライブドア事件でも同様だ。弁護側がいくら法的な正当性を主張しても、まったくの無駄である。そんなことによって、六千億円を盗むというインチキを正当化することはできない。決してできない。被告が六千億円を盗んだのであれば、法的にはほとんど合法であろうと、とにかく「有罪」という判決を下す。そして、その判決のために、適当に法律を拡大解釈する。……人間の良心というものがあれば、そうするのが当然なのだ。
 弁護側は、「法的な妥当性」を主張する。仮に、その主張がすべて妥当だとすれば、ホリエモンは「法の抜け穴探しをうまく駆使して、それでいて六千億円を盗んだ罪を免れた、とんでもなくずる賢い悪党」と見なされる。稀代の大悪党であろう。あらゆる悪党は罪を負うが、ホリエモンだけは六千億円を盗んで罪を免れたことになる。こんな悪党は見たことがない。
 要するに、弁護側が訴えているのは、「ホリエモンは法律の抜け穴探しをうまく駆使して、六千億円をまんまと盗み取った、史上最大の狡猾な悪党だ」ということだ。
 そして、そのような弁護側の主張が正しければ、良心的な裁判官は必ず「有罪」の判決を下す。「形式的には合法だから、最悪のずる賢い悪党を無罪にする」ということは、ありえない。
 かくて、弁護側の主張からは、「ホリエモンはうまく法の網を逃れようとした最悪の悪党だ」という結論に導かれることになるのだ。当然ながら、良心的な裁判官の下で、ひどい重罪になるだろう。
( ※ 「法律の拡大解釈なんかありえない」と思うかもしれないが、とんでもない。裁判の世界では、日常茶飯である。たとえば、「ポストへのビラ配りで有罪」という判決があった。こんなのは笑止千万な形式論である。ビラ配りで有罪なら、日本中でビラ配りしている人々が、大量に逮捕されてしまうだろう。……要するに、この件で逮捕されたのは、ビラを配った人が左翼だったからだ。相手が左翼であれば気に食わないから、検察は逮捕するし、裁判官は有罪判決を下す。法的な妥当性なんか関係ない。裁判官の心証しだいで、「こいつは気に食わん」と思ったら有罪なのだ。それが日本の法制度である。こういう事実を理解しよう。)

 [ 付記7 ]
 では、どうすればいいか? 
 簡単だ。「法的な正当性を訴える」という弁護側の方針を捨てて、「経済的な真実を訴える」という方針を取ればいい。つまり、「実は六千億円を盗んでいない」と。
 要するに、「六千億円を盗んだ(詐欺をした)」という大前提(法律論以前の前提)を、根本から打破すればいい。経済的な無知ゆえの、経済的な錯覚を、打破すればいい。
 しかしながら、ヤメ検は、細かな法律論にとらわれるあまり、本質を見失っている。表面的な枝葉末節のような法律論ばかりを駆使しているだけだ。(週刊朝日の記事を参照。)
 こんなことでは、「彼は六千億円もの詐欺をした」「彼は錬金術を駆使して数千億円の金を盗んだ」という認識を、くつがえすことはできない。人々は「錬金術こそが本質だ」と思っているのに、それとは別の細かな枝葉末節の法律論を駆使しても、「うまく法的に言い逃れようとしている極悪人め」と思うだけだ。世間はそう思うし、裁判官もそう思う。
 結局、大切なのは、形式的な細かな法律論議ではなくて、実質的な巨額の詐欺の有無なのである。それをさしおいて、細かな法律論議をしているのだから、弁護側は「小手先の論議ばかりをして、本質を逸らしている」と見なされて敗北するしかない。
 そして、ここでは、敗北するのが、妥当なのである。なぜなら、検察も裁判官も「巨額の詐欺」を前提として、それを立証することなく、基盤に据えている。その基盤は、弁護側が打破しないのだから、暗黙裏の前提として成立してしまっている。となれば、ホリエモンは「数千億円の金を盗んだ大悪党」と見なされて、重罰を科されるべきなのだ。(弁護側の方針のもとでは。)

 [ 付記8 ]
 ただし、あとになって、「盗んだはずの数千億円を、ホリエモンから没収せよ」という民事裁判が生じるだろう。そのとき、「実はホリエモンは数千億円の金を盗んでいない」と判明する。「ホリエモンは、金を盗んでないどころか、価値が減じたまま売ることもできない株券しかもっていない」と。つまり、「ホリエモンは加害者であるどころか、莫大な金を失った最大の被害者だ」と。
 そういうことが判明する。かくて、「ホリエモンが数千億円を盗んだという非難は間違いだった」ということが判明する。
 しかし、あとになって判明しても、もはや手遅れなのである。ライブドアが倒産してから、「ホリエモンに重罰を科したのは間違いだったな」と気づいても、「後の祭り」である。(著作「ライブドア・二重の虚構」 130〜131頁参照。)

 [ 付記9 ]
 ともあれ、現状では、どこをどう正すべきか、人々はまったくわかっていない。かくて日本は相変わらず、無知蒙昧のまま、狂気の海を漂流しつづけるのである。
 では、この狂気的な漂流は、どのくらい続くか? 私の予想では、真実が世間に受け入れられるためには、あと何年もかかるだろう。
 たとえば、イラク戦争のとき、世間の大多数は「フセインは大量破壊癖を持っている」という妄想を信じた。ここでも人々は錯覚していた。その錯覚が醒めるには、何年もの期間が掛かった。今回も、あのときと同様だろう。私が何かを叫んでも、真実が世間に浸透するまでには、かなり長い期間が掛かるだろう。
 で、真実が判明したころには、ホリエモンは人生を破壊される。で、ホリエモンとしては、すべてを失ったあとで、「あのとき南堂の言うことを聞いておけば良かったな」と後悔するのだ。「そうすればこんなひどいことにはならなかったのに……。ああ、おのれの判断ミスのせいで、すべてをすっかり失ってしまった」と。
 しかし、いくら後悔しても、手遅れだ。ライブドアが消滅してしまったあとでは、彼の巨額の資産もまた消滅してしまっている。となると、たとえ反撃したくても、弁護士に依頼する費用がない。真実を訴えたくても、真実を訴えるための金がない。金をなくしたあとで後悔しても、どうしようもないのである。
 教訓。
 穴に落ちるのがいやなら、穴に落ちる前に、「足元の穴を見よ」という忠告を聞くべきだ。穴に落ちたあとで、「やっぱり忠告を聞けばよかった」と後悔しても、後の祭り。落ちたあとで嘆くのは、ただの馬鹿だ。
( ※ そもそも、自分を「悪党め」と攻撃する平松社長を、自分の後任に据えたところからして、ひどい馬鹿だが。まずはフジテレビにだまされ、次に平松社長にだまされ、最後にヤメ検にだまされる。信じた相手に、次々とだまされっぱなしで、全財産を失う。……同情してあげたい。ただし、「同情するなら金をくれ」とは言わないでね。  (^^); )


● ニュースと感想  (9月14日)

 「ライブドアの判決の予測の補足」について。
 前々々日の補足となるべき話を、以下にいくつか加える。([ 付記10 ]〜[ 付記14 ])

 [ 付記10 ]
 ホリエモンがなすべきことは何か? それを示そう。
 ホリエモンは「自分は六千億円を盗んでいない」と示すことが最優先となる。しかしながら、その場合、次の疑問が生じる。
 「では、誰が六千億円の損失をもたらしたのか?」
 これに、どう答えるか? 正しくは、こうだ。
 「検察が六千億円の損失をもたらした」
 (……「ライブドア・二重の虚構」、170頁以降を参照。)
 しかしながら、これは、検察を「こいつこそ悪の張本人だ」と訴えることを意味する。では、それは、可能か? 
 普通の弁護士ならば、可能だ。しかし、ヤメ検には、不可能だ。自分の出身母体たる検察庁を崩壊させることなど、ヤメ検にはできるはずがない。
 かくて、ヤメ検は、検察を訴えることができない。検察を訴えることができないのだから、六千億円の損失はホリエモンが奪ったことになる。
 現状では、ヤメ検の戦略としては、細かな表面的な法律論議ばかりをやって、「錬金術」という本質についてまったく論議していない。悪の手続きについて論じているだけであって、「悪があったか否か」という本質を論じていない。そのせいで、「巨額の金を盗んだ悪があった」という検察側の暗黙裏の前提を、受け入れてしまっている。
 現状では、弁護側は、あれやこれやと、世間の誤解を放置している。これは、弁護側に、法廷戦術がまったく欠けていることを意味する。ヤメ検弁護士は、法律の専門家ではあるが、法廷内外における論争の戦術がまったく欠けているのだ。つまりは、裁判には向いていない馬鹿ですね。(できることは、ヤメ検の肩書きで情状酌量を求めることだけだ。馬鹿丸出し。)
 結局、ヤメ検に頼る限りは、ホリエモンは真実を訴えることはできないまま、裁判には敗れるしかないのだ。

 [ 付記11 ]
 では、正しくは、どうするべきか? もちろん、まずは、「六千億円の盗み」という錯覚を覚醒させることが最優先となる。
 ただし、である。それを法廷で論じることはできない。なぜなら、そのようなことは、法廷の論議にはなじまない。
 では、どうするべきか? 当然、法廷の外で語ればいいのだ。つまり、マスコミで語ればいいのだ。検察は「ライブドアは巨悪をなした」ということを、マスコミを通じてさんざん宣伝したのだから、弁護側もまた、マスコミを通じて「巨額の盗みなどはなかった」とさんざん宣伝すればいいのだ。
 具体的には、どうやって? 実は、ヤメ検には、その能力はない。週刊朝日の記事を読んでも、専門的な法律論議を繰り返すばかりだ。こんな法律論議は、普通の人には、理解できない。ワイドショーに登場することなど不可能だし、登場しても一般人にはちんぷんかんぷんだ。話し下手。
 こういう話し下手の人間が、世論を動かすことなど、とうてい不可能である。(実は、このような法律馬鹿ばかりを選任したところに、ホリエモンの失敗がある。)
 では、どうするべきか? 一番いいのは、ホリエモンが弁護団を再編成して、トップを別の人間にすげ替えることだ。そのトップのもとで、経済面から反撃する。法律面を担当するヤメ検たちは、トップのもとの部下として従う。これが最善だ。
 具体的には、どうするべきか? 
 私のお勧めは、テレビで人気の「橋下徹弁護士」である。彼をトップに据える。彼ならば話がうまいし、マスコミに慣れている。
 彼の著作を読んだが、交渉は場慣れしており、対人交渉のコツをちゃんと知っている。官僚出身で頭の固い連中とはまったく違う。「論理で勝とう、法の解釈がすべてだ」という秀才肌ではなくて、「勝負で勝とう、判決がすべてだ」という判断力がある。「違法ではないが有罪」というメチャクチャな判決を避けるには、最適の人物だ。
 彼なら、世論を動かすにはうってつけだ。成功報酬を巨額にすることで、彼を雇うことができる。彼のもとで弁護チームを再編成することが望ましい。法律馬鹿のヤメ検は、彼の指揮下に入るべきだ。それを拒むようなら、「顧客最優先」を理解できない威張り屋だから、有害無益。さっさと契約解除するといい。(契約解除された」という不名誉な経歴が付くはずだ。)
 で、橋下弁護士らのチームは、何を訴えるか? 法的な善悪ではない。法廷戦術とは別に、経済的に「巨額な詐欺などはやっていない」ということを示せばいいのだ。話の内容は「ライブドア・二重の虚構」に書いてあるのだから、それを丸写しして語ればいい。
 そのすえに、こう語る。
 「これこれの理由ゆえに、被告は経済的には大きな被害を発生させてない。大きな被害を発生させたのは、検察・東証・マスコミだ」
 と。こうすれば、ホリエモンは無罪になれるだろう。その理由は? 六千億円を奪った(損失をもたらした)真犯人が別にいると証明されたのだから、ホリエモンが六千億円を奪ったのは冤罪だとわかる。(実際、ホリエモンのところには、現金はほとんどない。)

 しかるに現状では、弁護側には、そうしようという発想がない。というか、経済的な説明能力がない。とすれば、弁護チームを再編成するしかないのだが、ホリエモンは、そうするつもりがない。
 つまりは、自殺行為ですね。ホリエモンは自分で墓穴を掘っているわけ。自業自得というべきか。彼自身の能力の欠落が、彼の没落をもたらす。
 現状では、馬鹿が弁護士をやっているんだから、ホリエモンは戦う前に敗れている。年寄りのヤメ検なんかを選び、若手の弁護士を選ばない、という時点で、すでに人選ミス。経営者としては最大のミスを犯している。

 [ 付記12 ]
 一般論を言おう。プロジェクトチームを設置するときには、リーダーを優秀な人員にする必要がある。にもかかわらず、死活的に重要なプロジェクトチームにおいて、チームの人員を「官庁の天下り」(検察退職者)ばかりにするようでは、その時点で、経営者失格だろう。
 ホリエモンは、ヤメ検を選んだ点でも、平松を後継者にした点でも、人選がまるで下手だ。最悪の人間ばかりを選んでいる。人を見る目がまったくない。(この点は「ヒルズ黙示録」でも指摘されている。)
 ホリエモンが裁判で負けるとしたら、負けるべくして負けることになる。負けたあとで、「小泉の波立ちに書いてあるとおりにしておけば良かった」と思っても、後の祭り。
 私としても、全然、同情しませんね。何しろ今まで何度も、本サイトで書いてきたんだから、それを無視するホリエモンが悪い。ヤメ検にだまされた方が悪い。ヤメ検の嘘を信じて、真実を無視する方が悪い。自業自得。なれあいの検察互助会(= 検察 + ヤメ検)の食い物にされただけだ。
 結果的に、ヤメ検は、ニンマリと笑う。
 「ホリエモンは有罪になったが、私はたっぷりと弁護費用を稼いだし、名前も売ったし、また、検察批判を控えたおかげで、検察に勝利を与え、そのことで、検察仲間にも感謝されている。検察互助会における私の地位は大幅に上がった。検察OB会の会長にも推されている。これからも検察庁と二人三脚で、被告をどんどん食い物にしてやろう。さあ、検察庁のみなさん、これからもどんどん、馬鹿げた冤罪事件を起こしてください。下らない冤罪事件でも、本来は無罪になるところを、ヤメ検がちゃんと有罪に持ち込みます。そうして検察の面目を立たせます。決して検察互助会を崩壊させることはありません。おたがい、持ちつ持たれつですからね。ちゃんと心得ていますよ」と。

 [ 付記13 ]
 ヤメ検が検察となれあっているということ。このことは、司法界に詳しい人なら誰でも知っている。しかし一般人は無知なので、「元・検察庁高官」という肩書きにだまされて、すごい権力があると錯覚してしまうのである。……司法界の錯覚。ホリエモンもまた、その錯覚にだまされたわけだ。
 なお、「なれあっている」ということについて、普通の人は「まさか」と思うかもしれない。そこで、次のように言い換えておこう。
 「ホリエモンが全面勝利(完全無罪)を獲得するためには、検察の誤謬や錯覚を白日の下にさらす必要がある。では、そのようなことは可能か? もし、そのようなことをすれば、検察は壊滅的な打撃を食らうだろう。世間から糾弾され、組織はガタガタになる。で、検察にそのようなことをもたらしたのは、誰か? 検察出身のヤメ検だ。── ここでは、ヤメ検は、出身母体である古巣を壊滅的に破壊したことになる。母体に対する、裏切りの極致。……そのような裏切りを、検察出身者がやるはずがない。絶対に」

 わかりやすく言おう。どの官庁の官僚であれ、退職後は、出身母体を大切にする。出身母体は、退職時に天下り先を確保してくれたり、天下り先にいる先輩の意見を聞いてくれたりするので、とても役立つものだ。そんな親切な母体を裏切ることなど、人倫にももとる。まして、その母体を壊滅的に破壊することなど、とんでもない悪行だ。まともな人間なら、できるはずがない。……ゆえに、検察官であれ他の官僚であれ、母体となる官庁を壊滅的に破壊することなど、ありえない。
 しかしながら、ホリエモンが勝利するというのは、そういうことなのだ。検察を徹底的に壊滅することなのだ。検察には何のしがらみもない民間人ならば、それができる。しかしヤメ検は、そんなことをする気はない。「ホリエモンのために善処しました」というポーズを取るだけだ。ヤメ検にとって最優先なのは、出身母体との関係を平穏に維持することだ。ホリエモンとの関係は一回限りだが、出身母体との関係は長く続くのだから、今回だけのために、出身母体との関係を破壊するわけには行かない。
 こうして、ヤメ検と検察は持ちつ持たれつの「なれあい」関係となる。ヤメ検が検察に壊滅的な打撃を与えることなど、どう考えたってありえないのだ。ヤメ検としては、検察側とはフェアプレーの法律ゲームだけを演じていればいいのだ。なれあいながら遊び半分のゲームごっこをやっていればいいのだ。死ぬか生きるかというような形で、検察に大打撃を与えることなど、もってのほかである。
 かくて、ホリエモンは、ヤメ検を選任した時点で、「戦わずして敗れる」という道を選んだことになる。死ぬか生きるかという戦いを諦めた時点で、あっさり敗北しているのだ。武蔵ならば「小次郎、敗れたり」と言うところだ。
 なお、私の言うとが嘘だと思うなら、ホリエモンはヤメ検に、こう頼めばいい。「検察という組織をぶっつぶしてほしい。検察だってライブドアをなかばぶっつぶしたんだから、こっちも検察という組織をぶっつぶしてほしい」と。
 で、ヤメ検は、どう答えるか? もちろん、言を左右して、拒むに決まっている。そもそも、彼にとって大切なのは、何か? 一番目が検察組織であり、二番目が金であり、三番目が名声であり、四番目が家族である。そして、五、六が友人と同僚であり、七番目が依頼人だ。
 ただし依頼人は、「金を払ったんだから、自分が一番大切にされている」と思い込む。つまり、「金さえあれば何でも買える」と思い込む錯覚。……残念でした。検察へのヤメ検の忠誠心は、金では買えないんですよ。

 [ 付記14 ]
 核心を突いて言えば、こうなる。
 「既成の権威や体制を破壊することに情熱を燃やしたホリエモンが、こと検察に関する限り、検察の威光を崇拝して、元検察官の足元にひれふしてしまう。威張ることに慣れたヤメ検が威張ると、『ははーっ』とかしこまって、ヤメ検の足元にひれふしてしまう。一番肝心なときに限って、敵の仲間にひれふす。今までいくら威勢のいいことを言っていても、肝心のときに臆病風に吹かれて、敵組織との全面対決を回避する。── これがつまりは、ホリエモンの弱さであり、ホリエモンの敗因である」
 本来ならば、どうするべきか? 
 「検察が総力を挙げてこちらを叩きつぶしに来ている」という場合には、こちらもまた「自分の総力を挙げて検察を叩きつぶしてやる」という気概を持つ必要がある。つぶされるか、つぶすか、どちらかだ。つまり、勝つためには、検察という組織全体を叩きつぶす必要がある。「お目こぼしをもらおう」なんていう態度では、つぶされるだけだ。
 ホリエモンが「ヤメ検という他人を頼りにして、すべてをあなた任せにして、自分ではろくに力を発揮しない」という方針を取るのでは、総力を挙げていないので、総力を挙げた検察につぶされるだけだ。
 ホリエモンは検察をなめているのだ。たった数人のヤメ検で、総力を挙げた検察全体(および錯覚した国民全体)に勝てると思っている。どうしてこういうおめでたい発想を取れるのか、私には不思議でならない。圧倒的な量の爆撃機と戦車をもつ米軍に、竹槍だけをかかえた日本軍が立ち向かうようなものだ。それでいて敵をなめて、「勝てるぞ」と思い込んでいる。考えが甘すぎる。
 彼が負けても、自業自得である。巨大な相手を見くびって戦えば、百戦百敗だろう。
 ついでに言えば、現在のヤメ検も同様だ。巨大な検察をなめて、勝てると思い込んでいる。何という楽観主義! こういう楽観主義は、最終的にはこてんぱんにされて敗北するはずだ。自惚れた人間が勝利を得た試しはない。口だけデカいビッグマウスの阿呆にすぎない。自己認識がまったくできていないのだ。……今のヤメ検は、ボクシングの亀田と同じである。また、米国を相手に開戦した日本軍と同じである。馬鹿は負けるまで勘違いし続ける。馬鹿は死ななきゃ直らない。
( ※ 実を言うと、ヤメ検は、本心では勝てるとは思っていない。「勝てる」とホラを吹いて、依頼人に期待をもたせて、依頼人をだましているだけだ。なぜなら、「勝てる」とホラを吹く限りは、解任されないからだ。で、敗訴の判決が出たあとで、「やっぱり負けましたか、実は最初からそう思っていたんですよね」と釈明するのだ。……だますのが上手。私にはちゃんとお見通しですけどね。)


● ニュースと感想  (9月15日)

 「ライブドアの判決の予測の補足」について。
 前々々々日の補足となるべき話を、以下にいくつか加える。([ 付記15 ]〜[ 付記19 ])

 [ 付記15 ]
 実は、ホリエモンは人選が下手だが、組織としてのライブドアは人選が下手ではない。実際、ライブドアは、優秀な弁護士と契約したことがある。それは、フジテレビとの日本放送の株取得で争ったときだ。このときの弁護士は、うまく法解釈をして、見事に勝利を得た。[詳細はヒルズ黙示録を参照。]
 あの弁護士は、非常に優秀だった、と評価できる。その弁護士に任せれば、今回も有罪にはならないだろうが、ヤメ検なんかに任せているようじゃ、どうしようもないですね。
 おそらく、「今回は民事事件でなく刑事事件だから」と思ってのことだろうが、あにはからんや、刑事事件じゃなくて経済事件なんですよ。法の問題じゃなくて、経済の問題なんですよ。法的に合法か非合法かの問題じゃなくて、経済的に錯覚を悟るかどうかの問題なんですよ。なのに、その認識すらないところが、ホリエモンの致命的な過ち。おのれの愚かさが招いた失敗。
 では、なぜホリエモンは、無能なヤメ検なんかを選択したか? それには、わけがある。比喩的に言えば、こうだ。
 「ピチピチ・ギャルと梅干し婆さんの二人からお好みの方をどうぞ」と言われた。そのとき、こう思った。「ピチピチギャル(若手弁護士)の方は、もう味見したから、おいしいというのはわかっている。だけど梅干し婆さん(退職検事)の方は、まだ味見していないから、わからないな。履歴書を見ると、この梅干し婆さんは、過去の経歴はすごい。ミス・ジャパンにもなったことがある。だったら、梅干し婆さんにしよう」……これがホリエモンの選択。昔の経歴と人間関係を重視して、婆さんを選ぶ。実は、この婆さんは耄碌(もうろく)しているのだが。
 こんな選択をするのだから、馬鹿丸出し。やはり、自業自得。

 [ 付記16 ]
 現在、次の批判(誤解)が世間に出回っている。
 「ホリエモンが何も知らなかったということはありえない」
 これに対して、弁護側は何も反論しない。正しくは、こう弁明するべきだ。
 「何らかの経理操作がなされていたことは知っていたが、それが犯罪性のある違法行為であるという認識はなかった。何らかの経理操作とは、節税[売上高を減らすこと]とは逆方向の操作[売上高を増やすこと]のことだと思っていた。どっちみち、節税と同じように、合法の範囲内のことだと思っていた。違法行為をしているとは思わなかった」
 これが事実なのだろう。だから事実をはっきりと弁明すればよい。「何も知らなかった」のではなくて、「経理操作があったことは知っていた。ただし、違法性の認識がなかっただけだ」と弁明すればいい。
 たとえば、宮内はこう証言している。( → asahi.com
LD前社長の堀江貴文被告(33)から「『なんとかしようよ』と言われ、やった」と話し、……投資事業組合の取引についても「最終判断は堀江がしている」などと述べた。……予想値を50億円に上方修正したことについては、「私は反対した。(堀江前社長の)強い意志があった」とした。
 これらはいずれにしても、「経理の操作」ではある。ただし、それが犯罪性のある「粉飾」であるかどうかは判然としていない。にもかかわらず、上記の朝日新聞を初めとするマスコミは、これを「粉飾」と呼ぶ。── ここには勘違いがある。とすれば、その勘違いを正すべきだ。( → 9月05日9月06日
 にもかかわらず、弁護団は、この勘違いを正さない。公判で弁護団も語らないし、ホリエモンにも発言をさせない。本来なら、はっきりこう語るべきなのだが。
 「経理の操作を指示しました。何も知らなかったわけではないし、何もしなかったわけでもありません。ただし、それは違法な経理操作ではない、と認識していました。違法な犯罪を指示したわけではありません。あくまで合法の範囲(合法ギリギリ)だと思ってなしたことです」
 ホリエモンはこう語るべきだ。実際、そうなのだろうから。また、その証言は、宮内被告その他の証言とも合致するので、信憑性がある。
( ※ なお、本当の本心は、「やばいだろうという気はしていたが、違法だとは思わなかった」ということだろう。「ひょっとして下手をすれば違法かも」というぐらいの認識はあったと思える。「はっきりと違法だとわかってやっていた」ということはないだろうが。)

 [ 付記17 ]
 だから、ホリエモンはこう語るべきだ。「経理操作を指示したが、粉飾(違法な経理操作)を指示したわけではない」と。(すぐ上で示した通り。)
 にもかかわらず、ホリエモンはそう語らないし、弁護士も何ら弁明しない。かくて、世間の誤解を放置する。マスコミと検察と裁判官の誤解を放置する。(たとえば朝日などの記事は「粉飾を指示した」と報じる。勝手に「粉飾を」という言葉を加筆している。捏造記事と言ってもいいだろう。)
 ホリエモンはマスコミに何も語らない。被告人だからといって、表現の自由の権利が剥奪されたわけではないし、何を語ってもいいのだが、あえて口を閉じる。なぜ?
 実を言うと、それには、わけがある。ヤメ検弁護士に言いくるめられているからだ。「マスコミを相手に語ると、検察のご機嫌を損ない、不利になりますよ」と。
 ここでは、ヤメ検は、初めから戦いを放棄している。検察と戦い、検察を敗北に追い込もうとはせず、検察のお目こぼしをもらおうとしている。「ちょっと求刑を軽くしてくださいよ」というふうに。あるいは裁判官向かって、「罪を認めるから、情状酌量してくださいよ」というふうに。── つまりは、負けを前提とした上での方針だ。負け犬根性ですね。(当り前だ。ヤメ検は検察の下位にあたるのだから、部下がご主人様に逆らえるわけがない。)
 要するに、ホリエモンにせよ、ヤメ検弁護士にせよ、最初から検察と戦う気はないのである。嵐を止めようという気はないし、世論を動かそうという気もない。単に情状酌量で、罪を減免してもらいたいだけだ。で、どんな罰が下ろうと、ヤメ検は「私が努力したからこの程度で済んだんですよ。本当はもっと重罰になるはずだったのに」というふうに、言いくるめる。
 かくて、本来は無罪になるはずのホリエモンは、戦いを放棄し、戦わずして敗北することになる。ヤメ検に言いくるめられたせいで。── つまり、敵は、検察でも東証でもなく、獅子身中の虫であったわけだ。ヤメ検のせいで有罪判決になるとは、さすがのホリエモンも気づくまい。想定の範囲外ですね。  (^^);

 [ 付記18 ]
 最後に、まとめふうに言おう。
 ホリエモンがどうしてもなすべきことがある。それを教えよう。
 ヤメ検はホリエモンに、「自己正当化」ばかりを勧告しているようだが、そんなふうに「知らんぷり」ばかりをしていれば、裁判官の心証を悪くする。だから、嘘をつかないで、正直に語るべきだ。では、何を? こうだ。
 「私は株主をだまそうとする意図はあった。嘘をつこうとする意図はあった。決算をゴマ化そうとする意図はあった」
 こういうふうに真実を語るべきだ。その上で、こう語るべきだ。
 「ただし、それは、合法的な嘘(合法的な経理操作)であると思っていた」
 経理の操作は、嘘である。嘘ではあるが、あらゆる嘘が違法であるわけではない。ある程度の経理操作は合法的である。多くの企業が経理の操作をしている。だからホリエモンも、違法ではない嘘をつこうとした。── そういうふうに真実を語ればいいのだ。
 なのに現実には、「私は何も知りません」としらばっくれるばかり。これでは裁判官の心証を悪くするし、世間の心証も悪くする。「嘘をついてしらばっくれて、何一つ反省しない、金の亡者め」と思われるだけだ。
 結論。
 大悪を免れるには、小悪を認めるのがベストである。小悪人は、小悪人であることを認めるのがベストである。小悪人が善人のフリをすれば、世間は「大悪人め」と疑いの目で見るだけだ。
 小悪人であることは少しも恥ではない。なぜなら、世間の誰もが小悪人であるからだ。誰もが小悪人であるときに、そのなかでもことさら目立つ小悪人が、「自分は完璧な善人です」と訴えれば、そらぞらしくて、誰も信じまい。ホリエモンが「自分は無罪だ」と訴えれば訴えるほど、世間は逆に、「法の抜け穴を探して、罪を逃れようとする、大悪人だな」「嘘をついてばかりで、反省の色がゼロだな」と見なすだけだ。
 ホリエモンであれ、ヤメ検であれ、法廷戦術を完全に誤っている。潔白を主張することで、自分を大悪人に仕立て上げている。自分で墓穴を掘っている。つまりは、法律馬鹿だ。
 法律の細かな技術的な論議のことばかりをやっていて、大局観が欠けている。こういう法律馬鹿(専門馬鹿)の論理を取る連中は、大局観のある裁判官のもとで、「嘘ばかりを付いている狡猾な極悪人」と見なされて、重罰を科されるだろう。たとえその判断が間違いだとしても、そういう間違った判断を招いたのは、細かな法律論議ばかりをしている被告と弁護人なのである。彼らは、「白だ」と訴えれば訴えるほど、かえって黒く見える、ということに気づかないのだから。
 結局、ひどく重い有罪判決となるだろうが、それは自らの愚かさが招いた不幸なのだ。

 [ 付記19 ]
 オマケふうに加えておこう。
 前々日分では、ホリエモンは「自分は六千億円を盗んでいない」と示せ、と述べた。しかしながら現実には、ホリエモンはそれとは逆のことをやっている。
 すなわち、「おれ、悪いことはやっていないよね?」と空とぼけて、潔白であるかのごとく主張している。
 本当は、「嘘はついたが、違法な嘘はついていない」と言うべきなのだ。つまり、「悪いことはやったが、違法なことはやっていない」と。なのに、「悪いことはまったくやっていません」「潔白だ」と主張する。こういうふうに「潔白だ」と主張すればするほど、「嘘を隠している悪党」と見なされる。つまり、「偽証している」と。
 結局、ホリエモンは、「自分は潔白だ」と主張することで、「被告は偽証している」ということを証明しようとしていることになる。ホリエモンの犯罪性を証明する最大の証人は、偽証する証人であるホリエモンである。彼こそは検察側にとって最強の証人なのだ。
 ホリエモンは、自分自身で、自分の首を絞めている。そのことに気づかないで、「自分は潔白だ」と主張する。こうして彼は、「こいつは六千億円を盗んだ悪党だ」ということを、自ら証明しつつあるのだ。……ひどい愚か者ですね。
 教訓。
 人々は「正義は勝つ」と信じるが、とんでもない勘違いだ。本当は、「愚か者は自滅する」である。たとえ正義であろうと、愚かな正義は敗れるのだ。(正確には正義ではないけれど、とはいえ、どっちみち自滅するしかない、ということ。単純に言えば、「馬鹿は死ななきゃ直らない」ということ。)






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「小泉の波立ち」
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