[付録] ニュースと感想 (121)

[ 2007.7.22 〜 2007.9.15 ]   

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● ニュースと感想  (7月26日)

 「定率減税の廃止」について。
 選挙では年金ばかりが話題になっているが、税金の話もある。
 「所得税減税と、住民税増税で、合わせればトントンだ」
 というような説を政府は吹聴しているが、それは嘘である。ここには、実質増税がある。というのは、定率減税の廃止があるからだ。
 これには、二つの意味がある。

 (1) ペテン
 ここでは、「所得税減税と、住民税増税で、合わせればトントンだ」ということと、「定率減税の廃止」ということとの、双方がある。前者ばかりが強調されて、後者が隠されがちだ。というより、後者を隠すために、前者がなされたのだ。ペテンですね。
 単に「定率減税の廃止」をやると、大騒ぎになる。そこで、もっと複雑な税率操作と組み合わせて、何が何だかわかりにくくしてしまう。こうやって、増税を隠蔽する。……ペテン師の手口。だまされないようにしましょう。
 なお、この事実自体は、あちこちのサイトで紹介されている。たとえば、下記。
   → 連合のサイト
  ただし、肝心なのは、「隠すために複雑にしている」というペテンだ。このペテンを指摘することが重要だ。

 (2) 企業減税
 もっと重要なことがある。「これは減税の廃止ではなく増税だ」ということだ。
 「減税の廃止」と言うと、「元に戻っただけ」というふうに感じられる。実際、制度を見ると、「小渕内閣のころ(定率減税を始めたころ)に戻っただけ」というふうになったと見える。
 しかし、これもまた、ペテンである。というのは、「元に戻っただけ」ではないからだ。なぜかというと、「企業の定率減税」は残っているからだ。ここが重要である。
 なぜか? 国民と企業がともに「減税」と「減税廃止」があったのであれば、どちらも特に損得はない。国全体で経済規模が変動することはあるが、国民間で特に富の配分変更はない。(物価上昇が減税の効果を打ち消すこともある。)
 しかし、「国民だけは減税廃止あり」で「企業は減税廃止なし」だと、事情は違う。企業は「減税」を維持されるおかげで、富が増える。一方、国民は、企業が富を増して、物価の上昇がもたらされることを通じて、富を奪われる。……結果的に、「企業は富を得て、国民は富を失う」というふうになる。国民と企業の間で、富の配分の変更が起こる。つまり、「実質増税」だ。
 ここでは、「企業だけの減税」があることで、物価上昇を通じて、「国民は損をする」という形になる。ただの「減税廃止」ではなくて、(物価上昇を通じた)「実質増税」である。
 ごく単純にまとめれば、国民が税金をいっぱい取られて、その税金の分は、国家の債務負担にはあまり回されず、企業の贅沢のために使われてしまう。企業が交際費に金を使ったり、他の会社を買収することに金を使ったり、設備や土地を買うために金を使って、その分、国民は貧しくなる。……そういうことが、今回の税率改定の意味だ。
 それでも、国全体の経済が強くなれば、まだマシだ。しかし実際には、「総需要の不足のなかで、さらに総需要が縮小する」ということになるので、マクロ的な経済力はさらに悪化する。
 つまりは、日本全体が悪化し、かつ、国民は富を奪われる。国民は二重に損をする。その一方、企業は、日本全体が悪化しても、企業だけは減税の効果で富を増やす。……要するに、国家を食い物にして、自分だけが富を増やす、というわけだ。

 国家を食い物にするのは、社保庁だけじゃない。日本中の企業が、そういうことをしていることになる。そして、その分、国民(労働者)は貧しくなる。
 簡単に言えば、国家崩壊政策。それが今回の税率改定の意味だ。

 [ 付記 ]
 選挙前にこんなことを書くと、「自民不支持・民主支持」というふうに思われそうだが、私は別に民主支持というわけじゃない。ひょっとしたら、どこかの泡沫政党支持かもしれませんよ。   (^^);
 私の基本方針は、強いていえば、「反権力」だ。時の政権が自民であれ民主であれ、反権力を維持する。で、そのことがただちに「野党支持」につながるわけではない。
 小泉に対しては、「自民党をぶっ壊す」と言ったことについては「支持」と言えるが、「実際には自民党をぶっ壊さなかった」ことについては「不支持」である。
 安倍に対しては、「自民党を守る」という方針を取ったことについては「不支持」と言えるが、「実際には今まさしく自民党をぶっ壊しつつある(政権を放棄しつつある)」ことについては「支持」である。このまま安倍政権が続いてほしいものです。次の衆院選までは。……私が何もしなくても、勝手に自滅するなんて、非常に立派です。小泉にもできなかったことをやる。たいしたものだ。


● ニュースと感想  (7月27日)
  エコノミークラス症候群が話題になっている。これを防止するには?
  → Open ブログ 「エコノミークラス症候群の防止法」


● ニュースと感想  (7月28日)
  ネットに棲息する人間は、二種類に区別される。
  → Open ブログ 「 Wiki型と 2ch型」


● ニュースと感想  (7月30日)

 「参院選の結果」について。
 選挙の結果が出た。民主躍進・自民惨敗。
 ただし、私としては、これといって感想はない。その理由を記す。

 小泉と岡田の戦いのときには、「詐欺師と馬鹿の戦い」と述べた。それにならうなら、今回は「無能と無能の戦い」である。どっちが勝っても、良くも悪くもならない。無為無策ゆえに、最悪の状況が続くだけだ。
 まず、自民はどうかというと、ただの嘘つきである。「経済成長こそ重要だ」という見解は正しいが、「現状は成長している」というのは嘘八百である。成長率は、生産性の向上率を下回っているから、実質的な成長率は低下していることになる。国民の暮らしは苦しいままだ。これを「成長している」というのは、黒を白と言いくるめている。
 次に、民主党はどうかというと、ただの悪口屋である。自民党の失政をあげつらっているが、自分では何も提案しない。というか、無意味なことだけを提案する。かつての「何でも反対党」の社会党とは違うが、「無意味なごたくだけを並べる口先三寸男」である。広告屋みたいなものだ。政治家でも経済学者でもない。
 で、無能と無能の戦いとなる。どっちが勝っても、無為無策の状態が続く。というわけで、これといって感想はない。
 ただしまあ、経済ではなく政治的に言えば、「万年保守」という多選セイのへいがいが弱まるだけ、いくらか政治的に風通しが良くなる、というぐらいの効果は望めるかもしれない。気分だけ一新される。気分だけね。

 では、根源的には、どうなのか? 
 与党も野党も無為無策なので、どっちも悪いように見える。しかし実は、与党も野党も、どっちも悪くはない。なぜかと言うと、次の原則があるからだ。
 「政治家は、自分では提案してはいけない。(専門家である)他人の提案したもののなかから、最善と思えるものを、自己の判断で選択する」
 たとえば、経済政策で言うならば、首相は自分の経済学説を提案して、それを実行するのは駄目だ。首相は、複数の経済学説を吟味して、そのなかで最適のものを選べばいい。自分自身では提案してはならない。……その根源には、「提案者と決定者は別でなくてはならない」という根本原則がある。(さもなくば独裁ふうになる。)
 では、首相は、どれを選択するべきだったか? 実は、選択肢の中には、正解はなかった。あるのは、次のいずれかだった。
  ・ 生産性の向上。供給の改善。(構造改革)
  ・ 金融緩和
  ・ 最低賃金の引き上げ
  ・ 公共事業の拡大
 いずれも、駄目である。そのことはすでに実証されている。つまり、「選択肢の中に正解はない」ということが、すでに実証済みなのだ。とすれば、どれを取ってもダメである。だから、「選択肢の中に正解はない」という状況では、どの選択肢を選択しようが、選択者には責任はない。……このことゆえ、与党も野党も悪くはない。

 では、誰が悪いか? 選択肢を示さなかった人々だ。つまり、選択肢という形で情報を提供しなかった人々だ。では、それは、誰か? 情報の提供を仕事とする人々だ。具体的には、次の二通り。
  ・ マスコミ (ジャーナリスト)
  ・ 経済学者
 この二通りだ。彼らは、嘘ばかりをまくしたてて、肝心の正解を示さなかった。つまり、「減税による景気拡大」を。
 もちろん、彼ら自身は、「減税をすれば景気拡大が実現するぐらい、わかっているさ」とほざいていた。それでいながら、「でも、減税の前に、ほかのことをやってみようよ」と言い張った。そのあげく、前述のこと(共有化以前や金融緩和など)ばかりをやっていた。すなわち、正解でないものばかりを、いじっていた。

 比喩的に言おう。「景気回復」という名前のドアがある。このドアを開きたい。ところが錠がかかっている。錠を開けるための鍵が必要だ。鍵には、いろいろとあった。そのなかで、「減税」という鍵を使えば、このドアが開くのは、誰もが知っていた。にもかかわらず、こう主張した。
 「減税という鍵を使うと、お金をちょっと取られるから、お金がもったいない。どうせなら、タダで済む鍵の方が、コストが少なくて済む。だから、減税という鍵を使う前に、他の鍵をいろいろと試してみよう」
 こうして、開きもしない鍵を、何度も試していた。そうするうちに、二十年もたってしまった。そのせいで、少年老いやすく中年フリーターとなり、高齢者は寿命を迎えてしまった。そこで南堂が「グズグズするな」とせき立てたが、人々は相も変わらず、他の鍵を試すばかり。
 そうするうちに、参院選になった。与党は票を得るために、「ドアを開けることが大事だ。そして、このドアはもう開いているんですよ」と言い張った。野党は、ドアを開けることを考えずに、「ドアを開けるとお金をたっぷりともらえるのか。でも、そんなことをしなくても、お金をもらえるようにしましょう。最低保証のお金を引き上げますよ」と言うだけで、ドアを開けようとしなかった。

 いったいどうすりゃいいんでしょうねえ。いざなみのみことの神話にならって、ドアの前で裸踊りでもするようなことがあればいんでしょうかねえ。誰か、踊りますか? 

 [ 付記 ]
 比喩で言うと、減税というのは、景気回復の特効薬。ただし、新開発の新薬である。ちょっとお金がかかる。それを買うお金が惜しいので、「かわりの薬はないか?」と別の薬を試している。癌の患者にないして、癌の特効薬は十万円だが、風邪薬や胃薬ならば五百円だ。そこで、「風邪薬はどうか?」「胃薬はどうか?」と試している。どれを試しても効果はないのだが、それでも試し続ける。なぜなら、病気を治すことよりも、薬代を節約することの方が、ずっと大切だからだ。
 そこで南堂が異を唱える。
 「薬代がかかっても、病気を治して働けば、薬代を稼げるから、かえって得をしますよ」
 しかし、その説には、誰も耳を貸さなかった。人々は「病気を解決するための最善方法を探しています」と言うばかり。そして、最善の方法というのは、薬効によって決まるのではなく、薬代によって決まるのだ。
 ああ、何たることでしょうか。狂気の国家。


● ニュースと感想  (7月31日)

 「開国主義の幻想」について。
 「日本のIT規格が独自であることから、日本のIT企業は世界的に弱い」という認識をして、「だから徹底的に自由化することで、日本のIT技術を世界水準に高めよ」という主張がある。
 この主張は、古典派経済学者を中心に、しばしば聞かれる。だが、これは、論理的に正しくない。そのことを説明しよう。
 進化論の話でも、私は次のことを主張した。
@  } ne-height: 170%; /* その理由は、こうだ。
 「優勝劣敗という原理は、劣者を排除するが、優者を誕生させない」
 このことをIT企業に当てはめれば、こうなる。
 「IT分野を自由化して、激烈な競争を導入すれば、日本企業が優秀になる(進化する)のではなく、日本企業が淘汰されるだけだ。つまり、日本市場において、日本企業が消えて、外国の企業が支配するようになるだけだ」

 シミュレーションしてみよう。
 「現時点において即時に、日本のあらゆる規格を世界標準(など)と同様にした。その結果、日本における日本企業の市場占有率は、(日本以外における)世界シェアと同様になった。たとえば、携帯電話では、10%以下(うろ覚えだが)となった。こうして、日本企業は最後の牙城である日本市場からも撤退を余儀なくされ、最終的には、携帯電話の分野から撤収せざるを得なくなった。以後、日本の携帯電話の市場は、外国企業が支配するようになった」
 ここにおいて、IT企業は、経済学者に文句を言った。
 「どうしてくれるんだ。自由化したら、IT企業の水準が、世界レベルに上がるはずじゃなかったのか? ちっともそうならないじゃないか。あんたの嘘のせいで、大損だ。いったい、どうしてくれる?」
 
 [ 付記 ]
 じゃ、どうすればいいのか? その話は、簡単ではないので、ここには記さない。それでも一言で言えば、こうなる。
 「世界水準に達するというような困難なことを実現する方法は、簡単ではないし、簡単には言えない」
 何事も同様である。学問であれ、スポーツであれ、世界トップになるには、血のにじむような努力が必要だ。そして、それは、簡単に言うことはできない。
 ただし、経済学者だけは、お気楽に、こう言う。
 「世界トップになる方法? 簡単ですよ。自由に競争すればいいんです。そうすれば、市場原理のもとで、優勝劣敗によって、きっと世界トップになれます。そのことは進化論で証明されているから、間違いありません。それとも、ダーウィンの説を否定するんですか? だったらあんたはトンデモだ」
 どっちがトンデモなんだか。


● ニュースと感想  (8月01日)

 「慰安婦と原爆」について。
 米国下院で、慰安婦決議が可決された。戦時中の日本軍の慰安婦問題に対して、公式謝罪を求める。(各紙・夕刊 2007-07-31 )
 これについて「困った、困った」と苦慮する声があるが、実はこれは日本にとって有利な状況である。災い転じて福となす。そのための策は、次の通り。

 慰安婦問題と原爆とを結びつければよい。米国は現状では「原爆はすばらしいことだった」と主張しているのだから、これと結びつける。

 (1) 屁理屈
 まずは、米国の屁理屈を援用する。
 「原爆はすばらしいことだった。日本人は何十万人も死んだが、米国人の命が助かった。また、日本人の命も助かった」
 と主張しているのだから、それを援用する。
 「慰安婦はすばらしいことだった。韓国人は被害になったが、日本人は楽をできた。また、韓国人もレイプに遭わなかった」
 これに対して批判が来たら、
 「米国人はベトナム戦争ではさんざんレイプをしてきたではないか。市民虐殺してきたではないか。そっちの方が悪いだろう。え、どうなんだ?」
 と問い詰める。小一時間ほど、問い詰める。  (^^);

 (2) 原爆
 屁理屈のあとで、本題に入る。それは、原爆との関連だ。
 「米国は原爆問題について公式謝罪をせよ」
 と日本議会で決議するといい。米国のやり口を、そのまま援用する。慰安婦を原爆に置き換えるだけだ。
 すると、米国は、こう反論する。
 「日本はサンフランシスコ条約で賠償権を放棄している」
 それに対して、こう反論する。
 「あんた、馬鹿じゃないの? 賠償を要求しているんじゃない。公式謝罪を要求しているんだ。謝罪をしなさい」
 米国は怒る。
 「謝罪だと? そんな昔のことを今さら蒸し返すな。今じゃ時効だ」
 そこで日本は、こう言い返す。
 「昔のことを今さら蒸し返したのは、あんたでしょうが。こっちはあんたのやり口を真似しただけだ。だいたいね。昔のことは時効だと思っていたら、あんたが急に『時効じゃない』と言い張ったんでしょう? 時効じゃないんだったら、あんたには謝罪をする義務だけじゃなく、賠償する義務もあるんだ。20世紀最大の非人道的行為である原爆問題について、ちゃんと賠償しなさい。少なくとも日本は、韓国に対して一括して戦時賠償している。米国はちっとも賠償していないじゃないか。」
 すると米国は原則論を持ち出す。
 「ふざけるな! 日本は戦争に負けたんだから、賠償してもらう権利はない!」
 そこで日本は、指摘する。
 「語るに落ちたり。要するに、戦争に勝ったか負けたかだけが、問題であるわけだ。勝った方が金を取り、負けた方が金を払う。それを言いたいんだろう? 人道決議なんか、ただの建前で、戦争で金儲けをすることだけが狙いなんだろう? ……そういうあんたたちの帝国主義が第二次大戦を起こしたのだということを、全然わかっていない。そういう無反省の馬鹿さが続くから、そのあとも懲りずに、ベトナムやら、イラクやら、あちこちでさんざん馬鹿げたことをやり続けているんですよ。……アフガニスタンだって、同様だ。今になって『テロリスト』なんて騒いでいるが、彼らはテロリストというよりは内戦をやっているのだ。しかも、その内戦を引き起こした張本人は米国だということを、すっかり忘れてしまっている。そういう能天気をやめて、まともに歴史を見る方がいい。」
 「うるさい。威張るな」
 「とにかく、原爆についての金を払ってもらいます。慰安婦に同情するなら、原爆被害者に金をくれ」
 「イエロー・モンキーは黙っていろ」
 「そうそう、人種差別についても、非難決議をしなくちゃね。そいつも追加だ」
 「そんなことを言うがね、プレスリーの真似をした首相は、イエロー・モンキーじゃないのか?」
 「あの人だけは、イエロー・モンキーです。本人が猿真似をして褒めてもらいたがっているんだから。あの人だけは、そう呼んでください。」


● ニュースと感想  (8月02日)

 「慰安婦と錯覚」について。
 慰安婦問題についての私の立場を示しておこう。この問題については、私は日本と米国(韓国)のどちらをも支持しない。また、右翼と左翼のどちらをも支持しない。かわりに、「錯覚だ」という見解を取る。ライブドア事件の場合と同じ。「ライブドアは悪い」「いや、ライブドアは正しい」というどちらの見解も取らず、「錯覚がある」という立場を取る。その錯覚は、「小さな悪を巨悪と見なす」という錯覚である。どちらも同じ。

 第一に、「慰安婦問題は何もなくて、日本はきれいだった」という立場は取らない。安倍首相や右翼は、「狭義の連行性はなかった」と述べているが、これは「広義の連行性はあった」というのを自認しているのだから、「日本はきれいだった」ということにはならない。実際には、「汚いことは地元のヤクザにやらせた」ということなのだろう。それをもって右翼は「自分たちの手はきれいだ」と言い張っているのだろうが、そんなことでは免罪されない。そのことを米国は問題にしている。比喩で言うと、マフィアの親分が金を払って手下に殺人をやらせたあとで、「おれの手はきれいだよ」と言い張るようなものだ。こんなことでは、信頼をなくす。「謝罪せよ」と言われたら、「おれの手はきれいだ」などと強弁せずに、素直に謝罪するのが正しい。マフィアの親分だって、そういうふうに頭を下げた方が世間の心証は良くなる。……要するに、私はここでは、「悪はあった」と見なす。

 第二に、「悪はあったが、小さな悪だった」という立場を取る。だいたい、戦争という殺人狂の時代に、性犯罪という小さな犯罪を問題にする方がどうかしている。簡単に言えば、韓国人を性的奴隷にするかわりに、韓国人を原爆で何十万人も殺してしまえば良かったのか、ということだ。これがつまりは、「小さな悪と大きな悪」ということだ。日本人の兵士が死んだことは戦争として仕方ないが、日本人の一般市民が子女を含めて大量虐殺されたことはとんでもないことだ。れっきとした戦争犯罪である。小さな悪ばかりを見て、大きな悪を見失うのでは、とんでもないことだ。……というわけで、私は「悪はあったが、小さな悪だった」という立場を取る。

 以上のことを踏まえて、前日分のような結論を出すことができる。
 なお、本日ではさらには、新たな結論を出す。それは「これは錯覚である」という結論だ。
 ここで、「悪はあったが、小さな悪だった」という立場を取ったが、この根源には、「小さな悪を、大きな悪と見なす」という錯覚があった。たとえば、「慰安婦問題は20世紀最大の人身売買」という非難決議があったが、どうせ言うなら、次のことを見るべきだ。
 最後の原爆問題について解説すると、次の通り。
 原爆投下前に、日本はすでに条件降伏の意向を伝えていたのに、連合国は受け入れなかった。ゆえに原爆使用について「戦争を終えるため」という名分は成立しない。なぜなら、日本の条件降伏に対して「OK」と言えば、それで済む問題だったからだ。では、正しくは? 「もったいない」ということだ。つまり、
 「戦争中にものすごい巨費をかけた最終兵器を、使わないままでは、史上最悪の戦費の無駄になる。それではもったいない。だから、何が何でも、最終兵器を使いたかった。そのために日本人を実験動物にした」
 ということだ。つまり、史上最大の人体実験である。

 私としては、「過去をいちいち問題にするな」という立場には納得できるが、とはいえ、米国が「過去を問題視する」というのであれば、それはそれでいい。ただし、その場合には、過去のすべてを振り返るべきだ。自分の都合のいいところだけつまみ食いして、自分だけが正義漢づらする、というのは、思い違いも甚だしい。そこを突いて、真実を告げればいい。
 ただし、そのためには、絶対的に必要なことがある。それは、「自らの非を認める」ということだ。日本自身がおのれの非を認めて、その上で、相手の非を咎めるべきだ。いわば、「肉を切らせて骨を断つ」という捨て身の戦法である。簡単に言うなら、「戦うなら死ぬ気で戦え」ということだ。
 一方、わが身かわいさで、「私は汚いことには手を染めていません」などと述べるのは、臆病者のやることだ。情けない。そんなのは、日本男子のやることじゃない。ふぬけのやることだ。「自分は正しい、自分は正しい」と言い張るのは、安倍晋三みたいな腰抜け野郎のやることだ。(だから自民党は大敗した。)
 自己正当化ばかりをするのは、軟弱なふぬけな立場なのである。肝っ玉のある男子は、おのれの非を認める気概を持つ。おのれの顔を打たれる覚悟をもつ。そして、その上で、相手の心臓をズバリと断ち切るのだ。
 つまり、物事の本質を突け、ということだ。

 [ 付記 ]
 以上の見解を聞くと、「正論だが、米国に対して刃向かえないから、主張できない」という腰抜けが多いだろう。保守派は、そうだ。そこで、そういう腰抜けのために、アイデアを出しておこう。次のように国会で決議すればいいのだ。
 「日本は慰安婦問題について、謝罪します。それも、世界で先駆けて謝罪します。(読売新聞 2007-08-01 によれば)米国も韓国もドイツも同じようなことをしていました。しかるに何ら謝罪をしていません。それでも、日本だけは、謝罪します。」
 「慰安婦問題は20世紀最大の人身売買です。これだけが問題です。史上最大の人身売買である米国の奴隷制は、ちっとも問題ではありません。また、史上最大の市民虐殺である原爆投下も、ちっとも問題ではありません。なぜなら、これらの場合には、白人が問題を起こしたからです。白人が問題を起こした場合には、何ら責任がありません。一方、日本人が同じことをやらかした場合には、世界最大の非難を浴びなくてはいけません。なぜなら、日本人はイエロー・モンキーであるからです。われわれはそれを甘受します。白人が詫びろといえば、すぐに頭を下げます。白人がプレスリーの真似をやれといわれれば、たとえ首相であろうと、猿真似をします。われわれはイエロー・モンキーです。白人と同じことをして、申し訳ありません。深くお詫びします。」
 別に、どうってことないですよね。だって歴代の自民党政権は、ずっと同じことを主張してきたんだから。「米国の犬」も「猿」も、同じことでしょう。わんわん。


● ニュースと感想  (8月04日)

 「与党の嘘:テロ特措法の延長」について。
 与党(および保守マスコミ)は、「テロ撲滅のために、テロ特措法の延長が必要だ」と主張している。しかし、これは嘘である。

 なぜか? 「テロ撲滅のために、テロ特措法の延長が必要だ」とすれば、「テロ特措法の延長によって、テロ撲滅(特にタリバン撲滅)ができる」となるが、そのことは成立しないからだ。実際、アフガンでは、米軍が入ったことで、テロ撲滅が実現しつつあるとは言えない。相も変わらず内戦状態である。この先、日本が協力しても、タリバン撲滅が実現する見込みは、まったくない。ひたすら延々と対立状況が続くだけだ。
 なお、どうしても「日本が米国に協力することが必要だ」と思うのであれば、アフガンに日本軍を派遣するべきだろう。自衛隊は、自衛のための軍であるから、日本軍ではない。そこで、国民に対して徴兵制を実施し、適当に兵を挑発して、アフガンに送り込むべきだ。その後、タリバンが日本人を人質にとって、一人また一人と殺していく。ちょうど、今タリバンが韓国人に対してやっているのと同じことが起こる。で、そのときになって、また大あわてすればいい。
 その方法は? 簡単だ。テロ特措法と徴兵法を衆院で可決して、参院で否決されてから、衆院で3分の2以上で再可決すればよい。こうして、日本時をタリバンの犠牲にする法案が実現する。
 で、その結果は? 次の衆院選で自民党の壊滅である。……ま、そうなるといいでしょうね。

 ブラック・ジョークはさておき。真面目に言うと。……
 物事の本質は何か? 核心をズバリというと、こうだ。
 「テロ特措法とは、テロリストを撲滅するための法案ではなくて、タリバンをテロリストだと規定するような米校の嘘を推進するための法案である」
 タリバンというのは、テロリストというよりは、内戦の一方の側である。彼らは別に外国に出向いてテロをやるわけではない。テロをやるのは、ビンラーディンなど、正真正銘のテロリストだ。タリバンは、ビンラーディンをかくまっていることはありそうだが、ビンラーディンとタリバンとは異なる。そして、この両者をあえて混同して、タリバンをテロリストと見なし、「ブッシュはテロリストと戦う正義の味方です」という宣伝行為をしたいのが、米国の方針だ。そして、その米国の宣伝に協力するのが、テロ特措法の目的である。
 だから、本当は、相手はタリバンであろうが何だろうが、構わない。ひところはフセインがいたから、これを相手に戦うことで、ブッシュを正当化した。フセインがいなくなったら、今度はタリバンを相手に戦うことで、ブッシュを正当化した。仮に、タリバンがいなくなったら? 今度はまた別の誰かを「テロリストだ」と呼んで、そこに軍隊を派遣して、「テロ撲滅」と言い出す。
 要するに、相手がテロリストであることはまったく必要なく、単に気に食わない相手を「テロリスト」と呼んでいるだけだ。こういうのは、まあ、テロリストの発想である。つまり、本当のテロリストは、ブッシュなのだ。彼は、自分の権力を維持するために、どんどん世界に兵を派遣して、やたらと戦争を起こす。そういうテロリストが、ブッシュなのである。そして、ブッシュのテロ活動を支援することでお誉めにあずかりたい、というのが、日本の保守派の発想だ。
 つまりは、テロ特措法の延長というのは、ただのペテンまたは猿芝居である。「テロリスト撲滅のため」という主張を丸飲みコミしてはならない。それは真っ赤ナウそうである。テロリストの自己美化だ。

 [ 付記 ]
 では、アフガンの内戦を解決するには? 
 これはこれで、別問題だ。ただ、内戦を解決するためなら、次のことは言える。
 「その国に外国軍が到来して、ゲリラ戦を抑圧しよう」としても、途上国では非常に困難である。」
 文明国ならば、都会を制圧することで、ゲリラ戦を抑圧することができる。放送局などの都市基盤を制圧すれば、国家を制圧できる。しかし、途上国では、都市基盤なんてものはないから、文化的設備をいくら制圧しても、国家を制圧することはできない。途上国では「文明生活が崩壊する」という危険は(もともと)ないから、外国軍が制圧することは非常に困難である。
 そんなことはベトナムでとっくに学んだはずなのだが、今またアフガンで同じことをやろうとしている。馬鹿げたことだ。アフガンは第二のベトナムである。これに対して「日本は米国を支援せよ」と主張するのも、日本の保守派の昔ながらの方針だが、これはかえって米国を苦しめることになる。米国が泥沼に入りつつあるとき、「泥沼から抜け出しなさい」と言うかわりに、どんどん泥沼にはいることを支援する。馬鹿ですねえ。
 
 なお、私だったら、どうするか? 次のようにする。
  ・ 正規の政府軍を編成して、十分な量の武器弾薬を与える。
  ・ 政府軍および市民に対しては、経済援助を施す。
  ・ 以上のすべては、金を出すだけにして、軍は派遣しない。
 先進国の軍隊を派遣すれば、人件費や最新装備などで、莫大な金がかかり、かつ、効果は限定的である。それよりは、適当に金を払って、現地の カラシニコフ AK-47 あたりを使って済ませれば、低コストで済む。
 そして、何より肝心なのは、「政府軍の支配下では幸福な生活が送れる」という現実を作り出すことだ。「タリバン支配下では貧しいが、政府軍の支配下では豊かに暮らせる」という現実を作り出せば、自然にタリバンは崩壊していく。少数の殉教者は残るだろうが、大部分は離脱したがる。「こんなところでクソまずい飯を食っていられるか」という気分が蔓延する。自然に、厭戦気分が高まり、タリバンの志気が下がる。
 ついでに、もう一つ。大事なのは、タリバンの大義名分である「イスラム原理」を刺激しないことだ。当面は、政府軍の支配下では、近代化を行わず、モスクなどを大量に建設するといい。イスラムの施設がたくさんあれば、タリバンも破壊する気が失せる。
 米国だっていまだにキリスト教にどっぷりつかって状態であって、宗教から抜け出すことはとても困難だ。そのことを理解した上で、イスラムの気持ちを尊重するといい。何でもかんでも「近代化」と言い出すと、日本の靖国神社を尊重する連中みたいなのが、怒り狂って、狂気的なことをやりかねない。どこの国でも、そういうものである。
 靖国神社の尊重派と、タリバンとは、同じようなものなのだ。どちらも宗教原理にどっぷりつかっており、それに対する批判者を命がけで攻撃する。こういう狂信者に、まともな理屈を語っても、駄目である。適当に懐柔するしかない。


● ニュースと感想  (8月04日b)

 「野党のデタラメ:農家への所得補償」について。
 民主党は「農家への所得補償」のを選挙の公約にしていたが、これを本気で(参院で)法案化するつもりらしい。(読売新聞・夕刊 2007-08-02 )
 選挙向けの嘘だと思っていたら、本気なんですかね? 本気なら狂気。呆れたね。
 方針によると、「市場価格と生産額の差額を補填する」ということだが、これだと、生産能率が悪ければ悪いほど、多くの補填を得ることになる。経済原理からはおよそ考えられないことだ。「優勝劣敗」の反対で、「優敗劣勝」である。入学試験で言えば、「試験の成績が悪かった順に合格させます」というようなものだ。当然、社会はメチャクチャになる。
 実は、この制度は、前に実現したことがある。それが悪名高い「ソ連の共産主義」である。真面目に働いても不真面目に働いても、同じ金を得られるから、誰もが不真面目に働く。遊んでいる人が得で、真面目な人が損。当然、全員が不真面目になる。
 要するに、今回の民主党の方針は、「共産主義」である。狂気の沙汰だ。

 さて。ここで注意しよう。なぜ民主党は、そういう狂気の沙汰をやるのか? それは、普通に考える限り、狂気の沙汰をやるしか方法はないからだ。
  ・ 貧しい者もまともな所得
  ・ 豊かな者もまともな所得
 というのを実現するためには、(おおむね)「市場価格と生産額の差額を補填する」ということ以外には、どうしようもない。
 だから、民主党の方針は、「わかっちゃいるけどやめられない」というのが本心であろう。

 さて。ここで本質を突こう。すると、民主党の真の問題は、次の矛盾にあるとわかる。
 「所得については共産主義だが、財産については資本主義」
 所得については、共産主義では平等主義であるが、資本主義では(一応)能力主義である。
 財産については、共産主義では共有財産制であるが、資本主義では私有財産制である。
 ところが民主党は、両者のうちのうまいところだけを取っている。
 「所得については、(共産主義の)平等主義であるが、財産については(資本主義の)私有財産制である」
 ここに民主党の矛盾(というよりデタラメなつまみぐい)がある。

 とすれば、次のように言える。
 「日本では、原則として資本主義にするべきだが、どうしてもそれが困難である困窮者については例外的に共産主義ふうの発想を取っても良い」
 具体的な例で示そう。普通の人は、納税して、かつ、私有の財産をもつ。ただし困窮者は、生活保護の金を受け取り、かわりに、私有の財産をもてない。前者は資本主義的で、後者は共産主義的。そのどちらか一方を選ぶことはできるが、双方のうまいところだけつまみ食いはできない。
 農家もまた同様にするべきだ。普通の農家は、普通に働けばよい。一方、どうしても農業が困難である農家については、共産主義ふうにすればよい。すなわち、次のようにする。
 「コルホーズやソフホーズのように、労力を提供することで一定額の所得を得るが、自分の土地をもつことはできない」
 つまり、所得補償をするかわりに、農家の土地を没収する。その結果は? 
 「高齢の農民は、今さら転業もできないので、国家からの所得補償を受けながら、そこそこに働いて暮らす。(生活保護のかわり。)ただし、その権利は、本人が死ぬまでである。」
 一方、民主党の安打と、次のようになる。
 「低い生産性の農家は、土地をもつがゆえに、たっぷりと所得補償を受けることができる。そこで、自分は何もしないで遊んでおいて、所得補償をもらうだけもらう。遊んで暮らす。その後、自分が死んだら、その権利を子供に譲る。こうして、所得補償の権利が世襲で継続される。農家は現代の貴族となる。彼らは遊んでお金をもらえる。その一方、他の国民は、貴族のために奉仕する奴隷となる。奴隷たちは、せっせと働いて、貴族であり農民に献上する。奴隷たちは、貴族を羨むが、貴族の権利は世襲なので、奴隷が貴族になることは絶対にできない」
 民主党の法案は、「現代の貴族」を作り出すことに相当する。特権階級の出現。……何だか、北朝鮮みたいですね。


● ニュースと感想  (8月05日)

 著作権の意味を考察する。
  → nando ブログ「著作権問題の根源」


● ニュースと感想  (8月06日)

  マスコミとしては、新聞のような紙媒体もあるが、近年は電子新聞のようなネット媒体が増えている。では、最終的には、紙媒体はなくなるか?
  → nando ブログ「情報の電子化と無料化」


● ニュースと感想  (8月08日)

 「トンデモ政治家」について。
 「税金をゼロにします」と提案する区長が出た。で、これを「すばらしい」と持ち上げるマスコミもある。記事を引用しよう。
 《 杉並区“住民税ゼロ”構造の本気度
  松下政経塾出身・山田宏区長 》 
 増税の大波が庶民のフトコロを直撃するなか、住民税ゼロを目指す首長が現れ、話題になっている。東京都杉並区の山田宏区長(49)がその人。今年4月の区長選で公約としてブチ上げ、7月には学者による研究会も立ち上げた。住民税がタダという夢いっぱいの構想は実現可能なのか。半信半疑で山田氏を直撃すると、「実現可能」と言い切った。
 山田氏がブチ上げたのは「無税自治体構想」と呼ばれるもので、内容はこんな感じだ。杉並区の年間の総予算約1500億円のうち、1割に当たる150億円を毎年積み立てて運用する。これを2%複利で運用したら、53年後には住民税の2分の1、78年後には全額をまかなうことができる。つまり住民税をゼロにできる計算だ。
 これが3%複利になると、36年後に2分の1、53年後に住民税をゼロにできるという。
「住民税をタダにするには、持続的な経済成長による金利上昇や物価安定が欠かせない」(エコノミスト)とみられ、簡単には実現できそうにない。が、増税して庶民のフトコロからお金を引っ張り出すことしか考えていない財務省の役人よりはよっぽどマシ。住民税がタダとまではいかなくても、多少なりとも減税できれば成功といえそうだ。
( → zakzak
 呆れた話である。「天からお金が降ってくる」とか「打ち出の小槌」とかを持ち出すのと同様である。はっきり言って、これは詐欺師のペテンなのだが、こんなのをまともに信じる人がいるのだから、呆れてしまう。
 では、正解は? 

 「貯金をして利子を生み出す」ということは可能だ。ただし、そのためには、貯金をする必要がある。とすれば、貯金をする分、現在の住民は余計に金を払うことになる。つまり、増税だ。
 要するに、この本質は、「現在の住民から、将来の住民へ、お金をプレゼントする」ということである。その結果、将来の住民は、大幅に減税されることが可能になる。では、なぜ? 天からお金が降ってきたからか? 違う。現在の住民がお金をたくさん払うからだ。
 要するに、今生きている人にとってはただの「増税」である。そして、自分が死んだあと、孫の代かひ孫の代になって、ようやく「減税」になる。……しかしこれは、現在の国民にとっては、ただの「増税」であるにすぎない。
 ひどいペテンだ。

 このことを理解するには、まったく逆のことを考えればいい。
 普通の国民は、赤字国債によって、大幅に減税されている。現在の国民は得をしているが、将来の子孫は赤字国債の分だけ増税されることになる。つまり、子孫に借金を残しており、子孫が苦しむことになる。……これが「問題だ」というふうに理解されて、「借金を減らせ」というふうに財政学者や財務省などが喚いている。ま、これが普通の人の発想だ。
 一方、それとは正反対の発想が、上記の発想だ。「こうすれば、将来の子孫が、好況のさなかで、さらに減税の恵みを受けることができる。将来の子孫は二重に幸福になる。何とすばらしいことだろう!」というわけだ。ただしそのためには、「不況のなかで、今こそ、大幅の増税しよう。われわれは、不況で苦しみ、さらに増税で二重に苦しむ。それこそすばらしい」と言いくるめる。
 つまり、詐欺師は、こう主張する。
 「あなたが不況で苦しんでいるのですか。何も問題はありません。あなたが苦しんでいても、将来の子孫はちっとも苦しまないのですから。また、あなたの金を奪われれば、将来の子孫はさらに幸福になれます。ですから、あなたの金をちょうだいします。あ、そうそう。私もあなたの金をちょうだいします。そうすればそうするほど、私は幸福になります。本当ですよ。あなたの金を奪えば奪うほど、私は幸福になれるんです。間違いありません。だからあなたの金をちょうだいします。あなたの金を奪えば、私は働かなくてもお金を得られるんです。ね? すばらしいでしょう。働かなくてもお金をもらえる! こんなにすばらしい夢のようなことが実現するんです」
 こういうふうに言いくるめて、あなたの金を奪う。

 こんなのに引っかかるのは、馬鹿じゃなかろうかって? それは、上記の記事の執筆者に言ってください。あと、その記事を信じている、たいていの読者にも。

 世の中、ペテン師がまかり通る。……嘘じゃないですよ。ライブドア事件だって、そうでしょ? 検察のペテンがまかり通り、マスコミがそれを信じる。……世の中、ペテン師がまかり通る。


● ニュースと感想  (8月09日)

 「スティールと最高裁」について。
 スティールによるブルドックソース買収について、最高裁が買収防衛策の発動差し止めを認めない判決を下した。理由は、企業価値の棄損を防ぐために必要だということ。
 米系投資ファンドのスティール・パートナーズ・ジャパンが、ブルドックソースによる買収防衛策の発動差し止めを求めた仮処分申請で、最高裁第2小法廷は7日、差し止めを認めなかった東京高裁決定を支持、スティールの特別抗告と許可抗告を棄却する決定をした。
 今井功裁判長は「防衛策は、株主総会で企業価値の棄損を防ぐために必要と判断されたもので、著しく不公正とは言えない」と述べ、防衛策を適法と認めた。買収を巡る攻防はブルドック側の勝利で決着する。
( → ( → Yahoo ニュース ) )
 この判決は、「株主総会の圧倒的多数で決定されたから」という理由ならば、特に問題はないだろう。「多数派による少数派の弾圧」ということだが、これは必ずしも問題とはならない。適当な対価を払っていれば、公正の原理に反しない。特に問題はない。
 しかし、「企業価値の棄損を防ぐため」というのは、まったく問題だ。これは論理的に矛盾するからだ。理由は、次の二点である。

 (1)
 模試の理屈が成立するのであれば、買収者は「企業価値を損ねるために買収する」ということになる。そして、その損失は、自分自身がこうむる。とすれば、「買収者は自分が損をして、他の株主を得させるために、買収する」ということになる
 このようなことは、経済原理からいって、あり得ない。また、たとえあり得たとしても、自分自身が損をして、他者に利益を与える行為を、法的に制限することはできない。

 (2)
 逆に言えば、他の株主がスティールの買収を阻止するために、スティールに金を与えることも、それはそれで妥当だ、となる。ならば、そのことによって、スティールは金を得て、得をするからだ。今回の措置によって、他の株主が損をして、スティールが得をする。そのことを、他の株主が決めたのであれば、特にそれを阻止する理由はない。スティールは4億円のボロ儲け。ブルドックの株主は4億円の損。
 つまり、今回の措置は、「企業価値の棄損を防ぐため」ではなくて、「企業価値の棄損をもたらすため」にやったことになる。

  まとめ
 今回の件では、「企業価値の棄損を防ぐため」という理由は成立しない。だから、「企業価値の棄損を防ぐため」という理由で、スティールのTOBを差し止めることはできない。
 ただし、「企業価値の棄損をもたらすため」という理由(逆の理由)でなら、スティールのTOBを差し止めることはできる。
 つまり、結論はともかく、理由を正反対に理解してはならない、ということだ。最高裁は、ここを根本的に勘違いしている。経済音痴の極み。「得するためには妥当だ」というふうに述べているが、本当は「損をすること(自殺行為)は妥当だ」というのが正しい。
 簡単に言えば、「愚かな株主と愚かな経営者が、自分の利益になると思って、自分で自殺行為をすることは、妥当だ」となる。
 実際、今回の措置により、ブルドッグの決算は赤字になり、株価は下がり、企業価値は大いに低下した。その一方で、スティールは4億円を得た。
 としたら、今後、スティールは何度も同じことをしかければいい。そうすると、そのたびに、4億円をもらえる。スティールには、4億円の2倍、3倍、4倍、……というふうに、いくらでも金が入る。その一方、ブルドッグは、同じ額の金が減って、最後にはスッカラカンになる。つまり、ブルドッグは、消えてなくなる。…… そして、そういう自殺行為を、最高裁は「企業価値の棄損を防ぐ」というふうに説明する。
 馬鹿じゃなかろうかね。企業の自殺を推進する、経済音痴。日本経済を破壊するつもりなんだろうか?

 [ 付記 ]
 スティールが何をやろうと、別に、どうってことはない。日本が失うのは、メンツだけだ。また、そのようなメンツなど、ちっとも必要がない。
 だいたい、ソースは、日本伝統の産業じゃない。醤油じゃないんだから。……キッコーマンが外資に買収されるときに、伝統主義者が騒ぐならまだわかる。しかし、ソース会社が外資に買収されたって、どうってことはない。「ソースが西洋味になるんだな」と思って、「かえって好ましい」と思う人も多いだろう。
 要するに、頭の固い人が「黒船来襲」と叫んで、鎖国主義を唱えているだけだ。それが本当。
( 参考 → 7月12日


● ニュースと感想  (8月10日)

 「核廃絶と核不使用」について。
 原爆投下の8月9日に、長崎で核廃絶をめざす式典(原爆犠牲者慰霊平和祈念式典)が開かれた。
  → 式典(長崎平和宣言の骨子も)
  → 長崎原爆忌 平和宣言の全文
 
 核廃絶をめざす、という気持ちはいい。問題は、それが可能かどうかだ。
 核廃絶が可能であるとすれば、次のことが前提となる。
 「人類は、善意の人々からなり、賢明である」
 しかしながら、これは、まったく成立しない、というのが私の見解だ。
 「人類には、悪意の人々が必ずいくらか混ざり、愚かな人々が大半を占める」
 このような状況で、「武装解除」のような手段を取ると、悪意の人々が 武器(特に核兵器)を握ったとき、世界征服が可能となる。これは、最悪の道だ。
 そして、この最悪の道を防ぐために、武器や核兵器があるとすれば、武器や核兵器は、(悪意のある愚かな人々の混じる人類においては)「必要悪」であることになる。
 これが私の立場だ。

 この立場に基づいて、次のように主張する。
 「『人類は、善意の人々からなり、賢明である』という前提が成立しないので、核廃絶は、絶対的に不可能である」
 その一方、次のことは、当然のこととして主張する。
 「核の使用は、絶対に、あってはならない。つまり、『核の不使用』は必要だ」
 以上の二点に基づいて、次のように結論する。
 「『核の不使用』は必要だが、『核廃絶』は必要でない。(そもそも不可能である。)」
 換言すれば、こうだ。
 「『核の不使用』を絶対的に実現するために、『核廃絶』をあえて主張しない。(なぜならそれは夢物語だから。)」
 
 以上の話のポイントを整理しよう。
 通常は、「核賛成」と「核反対」とに別れる。前者は保守派の立場であり、後者は革新派の立場である。
 保守派は、米国にすり寄って、米国の核使用を是認し、日本もまた核の傘の保護下に入りたいと思い、それゆえ、米国の飼い犬になる。米国が「核の先制使用」を主張しても、特に反対することはなく、人類の核戦争を容認する。
 革新派は、米国と対立し、米国の核使用に反対し、日本は核の傘の保護下に入りたいとは思わず、それゆえ、米国の飼い犬になりたがらない。核廃絶については、「廃絶しましょう」と叫ぶだけで、実現の方法は示さず、負け犬の遠吠えをやるだけだ。自分は正しいことを主張しているつもりだが、結果的には、核兵器はどんどん増えていくばかりだ。
 一方、私としては、第三の道を主張したい。すなわち、米国とは関係なく、あらゆる国の核使用に反対し、その一方で、日本は独自に自立的に核兵器を保有して、米国とは対等の立場になる。その上で、「おたがいに核兵器を削減しましょう」と提案して、世界中で核兵器の総量をまさしく削減する。(ただし、ゼロにはしない。小量の核兵器は残る。)

 ま、私がこういう説を主張すると、保守も革新も「けしからん」「トンデモだ」と批判するだろうが、ま、それはそれで、ご自由に。私としては、自説を他人に押しつけるつもりはない。とりあえず、自説を主張するだけだ。
 それを採るかどうかは、各人のお好みで。とりあえずは、私のこの立場を公開しておく。── その趣旨は、「核兵器を廃絶しよう」と夢物語を語ることではなくて、まさしく現実に「核の不使用」と「核の減少」を実現することだ。比喩的に言えば、「宝くじで1億円を得られるといいな」というタナボタの夢物語を語ることではなくて、まさしく現実に十万円を得る方法(働いて金を得る方法)を示すことだ。
 夢想ではなくて現実主義。かといって、「悪魔に魂を売り渡す」というような自民党の方針とも異なる。……それが私の立場だ。


● ニュースと感想  (8月11日)

 「日本の核兵器」について。
 前日分では、日本の方針として、「核兵器を保有する」という方針を提案した。
 ただしこれは、原則論である。現実には、これは困難だ。なぜなら、日本は、核不拡散条約に調印してしまっているので、ここから脱退すると、いろいろと不利益があるからだ。

 そこで、新たに、次のように提案する。
 (1)「核を、保有するかわりに、借用する」
 (2)「借用する国は、米国とは限らない」
 以下で説明しよう。

 (1) 「借用する」というのは、「日本が開発して保有する」かわりに、「米国の管理下で米国が保有する」ということだ。具体的には、沖縄か、または適当な米軍基地に、核兵器を置く。そして、そのことを、隠さずに明言する。「借用しています」と。
 現状では、「核があるともないとも言わない」という曖昧政策を取っているが、かわりに、「核があります」とはっきり明言する。ただし、日本が保有しているわけではなく、米国が保有している。

 (2) 借用する国は、米国とは限らず、英国やフランスも含める。(中国やインドは……ケースバイケース。ロシアは駄目。)このことで、「米国だけに頼る」という状況を避ける。
 なお、借用する場合、相手国にもメリットがあることを明言しておく。それは、同盟を結ぶことにより、「相手国が核攻撃された場合には、日本の核基地から報復する」ということだ。たとえば、イギリスやフランスがロシアから核攻撃された場合、日本の核基地からロシアに報復する。……こういうメリットがあれば、イギリスやフランスも乗り気になるはずだ。
 とにかく、相手が米国だけである必要はない。イギリスやフランスの核があってもいい。

 [ 付記 ]
 なお、核兵器のボタンは、外国人よりも、日本人が押さえておく方が良さそうだ。つまり、イギリスやフランスの核兵器が日本にあるとしても、そのボタンを押すのは、日本人(できれば、イギリス軍やフランス軍に所属する日本人)である。……こういうのは、ちょっと難しそうだが、法律の都合である限り、何とかなる。


● ニュースと感想  (8月11日b)

 著作権問題の続き。50年と70年のどちらにするべきか。
  → nando ブログ「著作権問題の根源」 の 【 追記 】


● ニュースと感想  (8月12日)

 夏の話題。
  → Open ブログ 「サマー休み」

 他に、「サマータイム」「夏バテ防止法」「省エネと扇風機」などの項目もあります。いずれも夏の話題。


● ニュースと感想  (8月13日)

 「夏休みと景気」について。
 前日分では、夏休み(サマー休み)と個人生活の話をした。本項では、経済学的な話をしよう。
 Q 夏休み(サマー休み)は、景気にどのような影響を及ぼすか?
 A 結論から言えば、こうだ。
 「夏休みは、景気に対してはっきりとした拡大効果をもつ」


 では、なぜ? その理由は、こうだ。
 「新規の需要が増えるからではなく、供給が減るから。特に、労働供給が減るから。……そのことで、賃金水準が向上するから」


 さらに説明を加えよう。(サマータイムとの比較で。)
 まず、サマータイムの場合には、「新規需要が増える」という試算がしばしばなされる。その試算のほとんどは、「風が吹けば桶屋が儲かる」というようなインチキ試算である。
 (例。「巨人が勝つと東京の景気がよくなる。阪神が勝つと関西の景気がよくなる。ゆえに、巨人と阪神が戦えば、必ず日本の景気はよくなる。」……インチキ論理。)
 このような効果は、試算するにしても、まったく信頼が置けない。

 一方、サマー休暇(夏休み)の場合には、もっとはっきりとした根拠がある。人間が休めば、必ず生産量は減る。一方、需要はあまり変動しないから、他の月で増産する必要がある。その分、他の月で、新規の労働需要が生じる。
 このことは、常に成立するわけではない。不況に突入した時期であれば、単にデフレスパイラルが進むだけだ。(単なる生産量の削減。)
 しかし、不況からの回復期においては、労働需給は逼迫しかけている。ここで、一挙に5%ぐらいの労働量が削減されると、国全体の労働力不足が甚だしく現れる。その結果、賃金水準が大幅に向上する。(5%どころか大幅に向上する。)……そのせいで、「賃金上昇」を通じて、強い景気刺激効果が生じる。
 このことは、インフレ期にやれば、ひどい物価上昇をもたらして大変なことになるが、不況からの回復期においては、景気を大幅に回復させる効果をもたらす。

 結論。
 不況回復期には、サマー休みを実施することで、景気回復が可能となる。サマータイムなんかよりも、はるかに大きな効果をもつ。また、最低賃金の引き上げという統制経済よりも、はるかに大きな効果をもつ。
 その根拠は、供給削減そのものではなくて、供給削減を通じた「賃金水準の大幅な上昇」である。
 これが可能な状況(不況回復期)においては、「サマー休みによる景気回復」というシナリオが成立する。

[ 付記 ]
 参考として、対比して示す。
  ・ インフレ期にやると  …… ひどい物価上昇。インフレの暴走。
  ・ 不況突入期にやると …… 時短の収入減ゆえにデフレスパイラル
  ・ 不況回復期にやると …… 時短の収入減を上回る賃上げの実現(景気回復)


● ニュースと感想  (8月14日)

 人類の祖先にあたるホモ・ハビルスの、新しい化石が発見されたことの意味。
  → Open ブログ 「ホモ・ハビルスの共存」


● ニュースと感想  (8月15日)

   終戦記念日を控えて考える。
 あの終戦は、悲惨な形であった。では、正しくは、どういう形で終戦を迎えればよかったか?
 また、なぜ、正しい形で終戦を迎えることができなかったのか?
  → nando ブログ 「終戦記念日に思う」


● ニュースと感想  (8月15日+)

 前項で述べた「終戦記念日に思う」については、後半に【 追記 】を加筆しました。( 2007-08-15 09:20 )


● ニュースと感想  (8月16日)

 「刑務所と生活保護」について。
 刑務所で同房の人を殺そうとした例があった。
 留置場内で拘置中に、同房の男性を殺そうとしたとして、……再逮捕した。 ひも状にした布団カバーで首を締めつけた疑い。
 容疑者は「以前、刑務所にいたが、食事もあり、生活が安定している。重い罪を犯して、また刑務所で暮らしたかった」と、供述しているという。
( → Yahoo ニュース )(一部抜粋)
 これはつまり、「生活保護のかわりに殺人を」という発想だ。「生活保護費を減らそう」という自治体の方針があり、「生活保護費を打ち切られて餓死した」という例がある。ここで、善良な人は餓死するが、もうちょっと頭のいい人は他人を殺して刑務所に入ろうとするわけだ。なるほど、合理的である。
 考えてみれば、「最低賃金は生活保護費以下」という現状もあるのだから、まともに働くよりは、殺人でも犯して刑務所暮らしをするのは、まことに合理的なことである。(少なくとも餓死するよりはマシだし。)

 結局、今の政府は、景気の低迷を続けることによって(または景気低迷を景気回復と偽ることによって)、人々に「殺人の推奨」をしているわけだ。
 ふうむ。それが今の日本なんですね。

 [ 付記 ]
 これはもちろん、皮肉である。字義通りに読むなかれ。「殺人の推奨なんかしていないぞ」と文句を言うなかれ。
 これは、言わずもがなだろう。ところが、最近、私のサイトの読者層のレベルが低下したせいか、どうも、字面を字義通りに読んだり、勝手に誤読したりする読者が、結構増えてきた。困ったことだ。
 私みたいに皮肉の文章を書くと、それを字義通りに読んで、「そんなことはないぞ」と文句をつける人が増えて、うるさくて仕方がない。
 日本人の知能レベルも、ずいぶんと低下したものである。それに対する対策は・・・・文章レベルを難解にして、頭のいい人にしか理解できないようにする・・・・ということも考えたが、それじゃ、多くの読者に、いい迷惑だ。
 ああ、日本人の言語レベルの低下が嘆かわしい。泣きたくなる。


● ニュースと感想  (8月16日b)

 「殺人と生活保護」について。
 ちょっと古い話になるが、父親が子供三人を殺した事件について、読売新聞の「編集手帳」(朝刊 2007-07-06 )が言及している。(一部抜粋)
無理心中を図り、高校生と中学生の子供3人を殺した京都市の父親(42)が逮捕された。職がないのに会社勤めをしていると家族に偽り、自分の母親(72)からもらう金を給料として家に入れていたという。
「子供は幸せな間に逝かせてやりたい」と遺書に記していた。偽りの生活には無理があり、これ以上は幸福の花を贈れないので、わが子から人生を、命を取り上げる。何という愚かでむごい錯誤だろう。
( → 読売のサイト
 父親を批判しているが、批判するべき相手を間違えている。
 (1) 失業中の中年男性は、妻子を養うほどの給与を得る機会がない、という状況を放置する政府
 (2) 現状は(国民レベルでは)不景気なのに、(企業だけを見て)「好景気です」とデタラメ報道をするマスコミ
 この両者にこそ、責任がある。
 一方、子供を殺すハメになった父親には、責任はない。誰が好き好んで自分の子を殺すか? 「この父親は喜んで息子を殺したからけしからん」なんて批判するのは、よほどの馬鹿者であろう。「この父親はそれほどまでに追いつめられていた」というふうに見なすのが正しい。

 医学的に言えば、この父親は、「鬱病」(またはそれに近い状態)になっていたと見なすのが妥当だ。というのは、経済的に破綻しており、もともと「生きるか死ぬか」の瀬戸際に追いやられていたからだ。
 ここで、本来ならば「生活保護」という逃げ道があるのだが、現在では、「生活保護を受けるのはけしからん」という風潮が広がっており、まともに生活保護を受けられる環境にない。
 保守派は「生活保護なんか受けないで、真面目に働け」と主張するが、「働きたくても働けるほど雇用がない」という状況を放置している。
 古典派経済学者は「賃金を下げれば雇用は得られる」と主張するが、「賃金を下げれば、一家三人を養えるだけの金にはならない」という状況を無視している。(現実には独身者の生活保護ぐらいの賃金しかもらえない。当然、子供三人を養えるほどの所得は得られない。)

 政府はしばしば、「少子化社会の解決」というふうに主張する。しかし、その方針に従って、子供を三人産めば、一家心中というハメになるのだ。そして、(気が弱くて)途中でためらって死に損ねたら、「とんでもない悪党だ」というふうに、全国新聞で非難されてしまう。としたら、ちゃんと死ななくてはならない、ということになる。
 要するに、今の日本は、「お国のために死ね」とみんなで唱えている状況だ。「奥のために子供を生め」「子供を生んでも仕事は与えない」「しかも生きるために最低水準の環境も与えない(憲法を無視する)」
 とにかく、政府もマスコミも、「お国のために死ね」と唱えているのが、現状だ。
 で、それに従わないで、おめおめてと生きている人には、「生きていても年金を上げませんよ」という罰則が待っている。  (^^);


● ニュースと感想  (8月17日)

 「朝青龍と精神病」について。
 朝青龍が鬱病気味だということで、モンゴルに返すか返さないか、ということが話題になっている。そこで、私の考えを言おう。
 これは、朝青龍が精神病になっているというよりは、日本人が精神病になっているのである。

 と書くと、次の二つの反論が来そうだ。
 「医者でもない素人が勝手なことを言うな」
 「また面白おかしく書きやがって」

 そこでまず弁明しておこう。
 「医者でもない素人が勝手なことを言うな」
 と言われそうだが、そもそも、この件では、医者がまともな意見を言っていない。だから私がかわりに、医者っぽいことを書く。
 ま、こう書いても、医療行為をしていることにはならないから、合法である。(ひひひ)

 「また面白おかしく書きやがって」
 と言われたら、
 「はい、そうです」
 と答える。そもそも、このサイトは、学術サイトじゃない。多趣味の風変わりな人間が、面白おかしいことを書いて、読者がそれを楽しむ場だ。
 このサイトを「公的な学術サイトだ」と思う人は、その人自身が認知障害を起こしているのだから、精神科医に行くことをお勧めします。

 では、いよいよ本論。
 世間の意見は、次の二通り。
 「神経症なのだから、治療を優先して、モンゴルに帰すべきだ」
 「いや、神経症なんて、信じられない。こんな横綱は、さっさと廃業にしてしまえ」

 前者は、医者の意見だが、医療馬鹿ふうで、世間常識が通用していない。「モンゴルに帰すべきだ」というのは、それ自体では治療方針としては正しいが、それにともなう社会的影響を考慮していない。専門馬鹿。
 後者は、ただの腹立ちまぎれである。2ちゃんねる的思考。これはまあ、人を攻撃して喜ぶという発想であり、神経症的である。こういうことを叫ぶ人は、精神科医に診てもらった方がいい。……で、こういう人が多いところからみて、今の日本は「精神病的である」と言える。  (^^);

 では、どうするべきか? 私の見解を示す。
 「神経症ふうであるから、モンゴルに帰すべきだ、という医者の方針は、それはそれで、正しい。」(本当に神経症であれば、という前提のもとで。この前提に注意。)
 「ただし、世間的に考えれば、その間の期間は、休場扱いとなる。つまり、謹慎期間には含まれない」

 要するに、朝青龍は、一年でも二年でも、勝手にモンゴルに帰ってよい。それは彼の勝手だ。勝手に休みなさい。バカンスみたいなものだ。いくら休んだって構わないし、いくら治療を受けたって構わない。それは彼の自由だ。労働者としての自由。
 ただし、その間、給料はもらえない。病気手当として、一カ月ぐらいは給料を払ってもいいが、それ以上は駄目。

 さらに、肝心なことは、次のことだ。
 「帰国中は、謹慎期間に含まれない」
 たとえば、一年間帰国していたら、その後に、あらためて二場所の謹慎期間が追加される。当り前ですね。

 ところが、世間は、これを誤解している。
 「謹慎期間の間、モンゴルに行ったら、その間、遊んでいられる。こうして、謹慎期間が無効化される」
 そんなことはありえない。だから、「ありえない」ということを、相撲協会はちゃんと明示しておくべきだ。……で、そう明示しないから、世間は勝手に大騒ぎする。
 馬鹿げている。……精神病というよりは、馬鹿ですかね。

 まとめ。
 「朝青龍は、一年でも二年でも、勝手にモンゴルに帰ってよい。それは彼の勝手だ。勝手に休みなさい。治療した方がよければ、治療しなさい。」
 「ただし、その間の期間は、休場扱いとなる」
 「帰国中の期間は、謹慎期間に含まれない。帰国した後に、あらためて二場所の謹慎期間が追加される。」
 「そのことを、相撲協会はちゃんと明示しておくべきだ。」


● ニュースと感想  (8月19日)

 複雑なパスワードを作成する方法を示す。
  → Open ブログ「パスワード作成」


● ニュースと感想  (8月20日)

 学校教育の場で、なぜ言語力が重要か? そのわけを示す。
  → nando ブログ「なぜ言語力が重要か?」


● ニュースと感想  (8月21日)

  議論に勝つには、どうすればいいか?
 「相手を論理で打破すればいい」と思っている人が多い。しかし、これは拙劣である。議論における最終目的は、論理で勝つことではなく、勝負で勝つことである。
  → nando ブログ「議論に勝つ方法」


● ニュースと感想  (8月22日)

 人口と経済が、スパイラル的・相互循環的に、どちらも縮小していく。
  → nando ブログ「人口デフレ」


● ニュースと感想  (8月23日)

 先日の
    nando ブログ「なぜ言語力が重要か?」
 の真ん中へんに、 [ 補足 ] を加筆した。
 「思考と体系化」という話題。言葉によって思考を体系化することの意義を述べる。
   → 該当箇所

( ※ 新たな小項目の追加にともない、小項目の並べ替えをなした。全体の再構成。)


● ニュースと感想  (8月25日)

 ボーイング 737-800型の事故の原因は、ボルト脱落だった。またしても、である。実は、航空機で次々と同じような事故が起こるのは、もともと事故が起こるような設計になっているからだ。
 → Open ブログ 「事故とボルト」


● ニュースと感想  (8月26日)

 「年金への補填」について。
 企業が労働者の給料から天引きした年金料を猫ババしていた、という事件について、その分を国が補填する、というふうになるらしい。(各紙・夕刊 2007-08-25 )
 これを聞いて、「ふうん」と思っている人も多いだろうが、「国が払う」というのは、「金が空から降ってくる」という意味ではなく、「国民全体で払う」ということだ。簡単に言えば、「泥棒が金を盗んで、その尻ぬぐいを国民全体がする」ということだ。もっと簡単に言えば、「泥棒が国民全体の金を盗む」ということだ。もちろん、あなたの金も盗まれる。
 呆れたものだ。これを「解決策」と称するのでは、犯罪が正当化されてしまう。

 では、正しくは? ごく普通に考えればいい。次のようになるはずだ。
  ・ 企業が着服した分は、無効になる。
  ・ その分は、労働者が金を企業に請求すればいい。
  ・ 請求の時効の起算時点は、発覚の時点。(たとえば、今年の夏。)
  ・ 労働者は、企業から返済を受けた金を、国に納付し直す。
  ・ 国は、労働者が納付し直す分を、受け入れて、有効と見なす。
  ・ 着服した企業には、国が高額の罰金を課する。
  ・ 労働者に補填する分の金などは、国がもらった罰金からまかなう。

 これがまあ、法律的に考えて、常識的な線だ。政府の官僚が優秀であれば、このような改善案を立案し、そのための法整備をなすだろう。
 しかし、現実には、無理であるようだ。というのは、現在の公務員のレベルは、非常に落ちているからだ。昔は、最優秀の東大卒がわんさと押しかけたものだが、今は二流大学の凡才が押し寄せてくる。彼らは、まともに法律の条文を書くのが精一杯で、(国民のための)新規の立案なんてとても無理である。

 要するに、「公務員の給料を下げよ」ということに熱中していたから、公務員の給料はどんどん下がり、同時に、公務員の知的レベルもどんどん下がったわけだ。そのせいで、国民は、馬鹿な官僚による大被害を受けて、莫大な損失をこうむることになる。
 しょうがないですよね。「安かろう、悪かろう」というのは、当然。公務員には「安かろう」というのを求めたんだから、公務員の品質もまた「悪かろう」になるはずだ。
 本当を言えば、外国の公務員に比べて、日本の公務員は薄給かつ少人数である。残業もひどい。……ただし「もっと薄給の民間企業もあるぞ」という国民の声に合わせて、公務員の賃金はどんどん切り下げられた。かくて、低品質になる。
 ソニーや松下の電池も故障をするし、トヨタのレクサスの小型車もデザインの悪さで大失敗だし、日産はここのところシェアが下がりっぱなし出し、キヤノンの一眼レフも落ち目だし、……元気なのは、韓国のサムスンぐらいですかね。
 低賃金・低品質の「中国化」がどんどん進んでいる。それが日本の現状だ。ま、実を言うと、それは古典派経済学者の処方箋でもあるのだが。「国際競争力を高めるために(特に中国の低賃金に対抗するために)、日本の労働者の賃金を下げよう」と主張していた古典派経済学者がけっこういた。(たとえば野口悠紀雄。)
 そういうわけで、低賃金・低品質の「中国化」がどんどん進んでいる。公務員もまた同様。というわけで、年金でも、国民は膨大な金を奪われる。ここでは泥棒ばかりが得をする。


● ニュースと感想  (8月27日)

 独創的な技術開発をするにはどうすればいいか? 
  → Open ブログ 「兼坂弘の教え」


● ニュースと感想  (8月31日)

 「産科医の不足」について。
 妊婦が救急車で搬送中に、入院を拒否され、死産になった、という事故がまたしても起こった。
( → 日刊スポーツ読売新聞1読売新聞2朝日新聞1朝日新聞2
 この問題は、「産科医の不足」という問題だ。
 これについては、次の点から見ることができる。
 (1) 産科医の医療事故の刑事訴追 (警察・検察)
 (2) 医療システムの貧困 (厚労省)
 (3) 社会的な人口減少 (経済政策)

 本項では、特に、(1) について扱おう。
 (なお、(2) はしばしば言及されるので、目新しいことはない。(3) は「人口デフレ」として、別項 で述べた。)

 さて。(1) の刑事訴追については、基本的には、前に述べたとおり。( → 2006年3月10日2007年1月27日

 とにかくまあ、警察は自らの失態を認めるべきだ。……と言っても認めないだろうから、国会がちゃんと警察の失態を是正するべきだ。つまり、「医療過誤は刑事訴追の対象にならない」というふうに明文化した法律を制定するべきだ。
 このことは「とんでもない」と思う人もいるかもしれないが、そういう連中がいるからこそ、産科医のなり手がなくなって、日本の出産システムが崩壊し、かつ、日本の社会が崩壊する。

 そもそも、警察の仕事は、何か? 「悪」を根絶することだ。では、医療過誤は、「悪」か? つまり、医者が意図的に出産医療を失敗したのか? あるいは、ひどい過失によって出産医療を失敗したのか? どちらでもない。たいていは、たまたま、何らかの特別な事情によってうまく行かなかった、というだけのことだ。そんなのをいちいち摘発しているから、産科医のなり手がいなくなる。

 類似の例を見よう。ソニーや松下は、リチウム電池の製造でミスをして、電池の発火という事故をたくさん起こした。では、こういう事故を根絶するために、どうすればいいか? ソニーや松下の当事者を刑事訴追すればいいか? ソニーや松下という会社を処罰して、巨額の賠償金を払わせればいいか? いや、そんなことをしたら、誰もリチウム電池を作らなくなる。そうなったら、外国の会社がこの分野に進出して、利益を得るだけだ。
 もちろん、リチウム電池に限らない。自動車でも何でも、事故が起こるたびに会社を処罰したり関係者を刑事訴追したりしてれば、社会全体が機能マヒになる。

 ここまで言えば、わかるだろう。警察は日本の産科システムを機能停止させているテロリストなのである。彼らが「刑事訴追」というテロ行為を働くから、日本全体の出産システムが崩壊しつつある。
 このテロリストを撲滅することが、日本社会を救うことにある。

 ( ※ アフガンでアルカイーダと戦うことで日本に起こるテロが減る、と政府は述べているが、こんなのはまったくの嘘っぱちである。日本のテロをなくすには、警察や検察と戦うべきなのだ。)
 ( ※ 「ふん、おれの知ったこっちゃない」と思う人もいるかもしれないが、そういう人は、男性機能喪失症になったからである。かわいそうに。彼らは腹が立つだけなんですね。……私の場合、このあと何十人も子供ができるかもしれないので、将来できる何十人もの子供のことが大いに心配である。……と書くと、誰かに怒られるかもしれないが。)
 ( ※ 安倍晋三さんがあんなにアフガンテロ撲滅に夢中になっているのは、彼がたぶん男性機能喪失症になったからでしょう。もう子供はできないと思っているからでしょう。……ま、女房はともなく、よそでできる可能性も、皆無のようですね。だからあんなことばっかりやっている。威勢のいいことを叫ぶ奴ほど、男の機能がない。たまんねえ。)
( ※ 本項を読んで、「下品なことを書くな」と思った人は、深読みのしすぎです。実際には上品なことを書いているんですからね。なお、男の機能というのは gentleman としての品格のことです。「うそこけ」と言わないで。  (^^); )


● ニュースと感想  (9月01日)

 私はしばしば「本質を突け」と言う。それを理解してもらうために、それとは対極的な発想法を示す。
 → Open ブログ 「つじつま主義」


● ニュースと感想  (9月02日)

 「テロ特措法の真相」について。
 テロ特措法について、さんざん議論が交わされている。その趣旨は、「テロ特措法がどのような外交的な重要性をもつか」ということだ。ここでは、「テロ特措法がどのような軍事的な重要性をもつか」ということは、念頭となっていない。このことに注意しよう。
 要するに、日本の自衛艦が洋上給油するかどうかは、実質的には何の意味もない。洋上給油することぐらい、民間の船をチャーターしても可能である。十分な金を払えば、やってくれるところは、いくらでもあるだろう。
 だから、ここでは、問題となっているのは、「日本が米国に協力する姿勢を見せるかどうか」だけである。つまり、外交的な問題だけである。

 さて。以上のことは、多くの人がすでに理解している。「いちいちいわれなくたってわかっている」と思う人が多いだろう。問題は、このあとだ。
 ここでは、日本は、「米国に従うか否か」という外交的な踏み絵を踏まされていることになる。では、その意味は、何か?
 もちろん、真相は、たいていの人が漠然と理解している。ただし、はっきりと言葉にしては言わない。真相を口にするのは、畏れ多くて、口に出しがたいのだ。
 そこで私がばっさりと真相を言ってしまおう。それは、こうだ。
 「米国が嘘をついているときに、その嘘を信じるフリをするか否か」

 わかりやすく言おう。米国が「1たす1は3」と主張したとする。馬鹿大統領ならば、そういうことはある。その場合、「それは間違いです。1たす1は2です」と指摘するか? それとも「1たす1は3ですね」と迎合するか? その踏み絵がなされている。
 踏み絵を迫るのは、ガキ大将だ。自分の言うことを聞かない子分を、やたらと殴る。言うことを聞く子分にはご褒美をやる。だから、損得から言ったら、「1たす1は3ですね」と迎合するべきだ。しかしそれは悪魔になびいて良心を売り渡すようなものだ。そんなことをしていいのか? ……ここに葛藤が起こる。

 話を戻そう。米国の嘘とは、こうだ。
 「米国の軍事力行使は、テロ撲滅のためである。国威発揚のためではない。まして政権維持のためではない。あくまで正義の行為である」
 この嘘を信じるか? その嘘を信じるのであれば、次の嘘も信じるべきだ。
 「イラクには大量破壊兵器があった」
 「9・11テロを引き起こしたのはフセインであるから、イラク戦争も正しい」
 「タリバンは、アフガン国内だけでなく、世界中にテロを輸出している」
 比喩的に言えば、「(アフガンならぬ)日本には連合赤軍というテロリストがいて、日本は世界にテロを輸出している。だから、日本を徹底的に爆撃するべきだ」というような屁理屈に、賛同するかどうか、ということだ。
 ここでは、屁理屈が屁理屈だということは、誰もがわかっている。イラクには大量破壊兵器がなかった。9・11テロを引き起こしたのはフセインでなかった。そういう真実を、はっきりと知っている。知っているのだが、ガキ大将である米国の嘘を信じないと、ガキ大将が殴りかかるので、困る。(ガキ大将自身がテロリストである。)
 で、米国という名前のテロリストに屈服して、「あなたは正しい」と賛同して、その上で、屈服の証拠に、献上品を差し出すか。あるいは、米国という名前のテロリストに屈服しないで、「あんたは嘘つきだ」「王様は裸だ」と真実を述べるか。……そういう選択を、今、日本は迫られている。
 以上が、現在の日本の状況(テロ特措法をめぐる状況)の本質だ。この本質(真相)を、ちゃんと見抜こう。逆に、「国際社会との協力」というような美辞麗句の嘘にだまされないようにしよう。
 一般に、詐欺師やガキ大将は、「社会のために協力しろ」と主張しながら、人々の富を奪い、自分のものにする。


● ニュースと感想  (9月03日)

 前々日の「つじつま主義」の続きとして。
 → Open ブログ 「とりつくろい」

 その例として。(物理学の分野で)
 → Open ブログ 「「シュレーディンガーの猫」の破綻」


● ニュースと感想  (9月06日)

 「政治家の不正経理」について。
 政治家の不正経理が話題になっているが、これをライブドアの不正経理と比べるといいだろう。

 最近、政治家の不正経理が話題になっている。いろいろとあるが、いずれも不正経理である。
  ・ 架空の領収書
  ・ 二重の領収書
  ・ 帳簿の付け間違い
 いろいろあるが、たいていは、「架空経費の計上」である。つまり、ありもしない経費を「ある」と見せかける。そのことで、政治資金として、交付金を受け取る。……これはまあ、税金泥棒と同じである。罪は重い。
 一方、ライブドアは、「架空利益の計上」である。つまり、ありもしない利益を「ある」と見せかける。そのことで、余分に税金を払う。……これはまあ、慈善家と同じである。罪は軽い。
 (なお、「投資家の金を奪ったじゃないか」という批判もあるが、これが間違いであることについては、さんざん説明したので、ここでは説明しない。……ごく簡単に言えば、会社は株主のものであるから、投資家が払った金は会社に残っており、投資家は金を奪われていない。)
 
 この二通りを比較しよう。とすれば、容易に、次の結論が得られる。
 「架空経費を計上した政治家は、架空利益を計上したライブドアよりも、はるかに罪が重い」
 とすれば、検察は、特捜によって、これらの国会議員を逮捕するべきだ。また、マスコミは、これらの国会議員を「極悪人」としてセンセーショナルに批判するべきだ。ライブドア事件の百倍ぐらい騒いだっていい。
 しかし現実には、ライブドア事件の百分の一も騒がない。ちょっと記事にして、それでおしまい。
 その意味は? 日本人は狂っている、ということだ。で、そのせいで、まともな人間は、「トンデモだ」と非難される。  (^^);

 [ 付記 ]
 政治家はどうして、あんなに不正経理をするのか? 不思議に思う人がいるかもしれないので、初歩的に解説しておこう。
 そもそも政治家は、儲からない。たいして給料があるわけでもないし、そのくせ、あれこれと出費はかさむ。贅沢なんか、できっこない。
 それでも贅沢をしたい。美食を食べたり、高級車に乗ったり、あちこちに旅行したり。特に大事なのは、女遊びをすることだ。
 で、そのための金は、どこにもない。となると、政治資金の名目をちょろまかして、「浄水器の費用」というふうに偽るしかない。そうやって偽った金で、女遊びをする。……これがまあ、不正経理が必要となる理由である。
 浄水器というのは、まあ、「じょーすいき」なのだが、「じょせいき」みたいなものである。こう思えば、どうしてあんなに金がかかるかもわかるし、また、どうして「浄水器」なんていう名目にしたのかもわかる。発音が似ているからですね。



● ニュースと感想  (9月07日)

 「産科医不足への対策」について。
 産科医不足のせいで妊婦の死産が起こった、という件について、先に記した。( →8月31日
 そこでは「原因は何か?」について語ったが、本項では「対策はどうするか?」について語ろう。

 対策としては、先にもちょっと言及したように、
   「 (2) 医療システムの貧困 (厚労省)」
 に対応して、医療システムを向上すればいい、となるだろう。とはいえ、実は、そういう簡単な問題ではない。
 実を言うと、いくら医療システムを向上しても、問題は解決しない。「問題が起こりにくくなる」ということはあっても、問題は解決しない。
 なぜか? 実は、これは、医療システムの問題ではなく、経済の問題だからだ。

 わかりやすく説明しよう。
 問題の根源は、ベッドや治療能力が満杯であることだ。では、満杯を避けるには、どうすればいいか? 供給を増やせばいいか? いや、供給を増やしても、それだけでは解決しない。なぜなら、「大病院への集中」という状況は、ちょっとぐらい供給を増やしても、解決しないからだ。つまり、一般病院がガラガラになるだけで、大病院はやはり満杯のままである。
 だから、根源的には、大病院が満杯になるのを、避けるようにする必要がある。しかし、それができない。なぜか? 次のことがあるからだ。
 「満杯になるのを避けると、稼働率が下がるので、利益率が低下して、赤字になる」
 これは経済原理である。急患を入れるためには、空きベッドなどを用意する必要があるが、そうすればそうするほど、病院は赤字になる。したがって、病院としては、来るか来ないかわからない急患のためにベッドをあけるよりは、軽症の病人でも何でも、とにかくベッドに収容しておいた方がいい。……つまり、病院にとって大事なのは、ベッドをあけないことであって、急患を受け入れることではない。急患が死のうがどうだろうが、そんなことは病院にとってはどうでもいいことだ。大事なのは、常にベッドを埋めておくことだ。
 そういう経済原理がある。ここに根本的な問題がある。

 これへの解決策は? 病院の医者を増やすことか? 違う。空きベッドを常に用意しておくことだ。稼働率を常に下げておくことだ。……しかし、そうすると、利益率が低下する。だから、「稼働率を下げても利益率が下がらない」というシステムを用意することが必要だ。これこそが根本対策だ。
 具体的には? 「差額ベッド」がいいだろう。差額ベッドを常にあけておく。そのための医師も常に遊ばせておく。こうして稼働率を常に下げておく。(もし稼働率が下がらなければ、稼働率が下がるまでどんどん価格を上げる。)……そして、いざ来た急患からは、差額ベッド代として、高額の料金を取る。その後、三日ほどしたら、差額ベッドから追い出して(または自発的に逃げさせて)、提携した普通の病院に転院させる。

 以上の結果、次のようになる。
 (1) 患者は、急患のときに必ず受け入れてもらえる。三日間ほどは、高い差額ベッド代を払うが、その後は、普通の病院で普通の処置を受ける。
 (2) 病院は、普段は稼働率が低下するが、いざというときに急患を受け入れる。差額ベッドは、普段は遊んでいるが、いざというときに高額の料金を取れる。
 (3) 医師は、普段は待機時間が多いが、いざというときに急患を処理する。常に軽症の病人ばかりを処置する、ということはなくなる。
 (4) 周辺の病院は、大病院から軽症の病人を受け入れて、経営が安定する。また、いざというときには、急患を大病院に送り込む。

 以上の意味は? 「最適配分」である。「急患は大病院へ、軽症になったら普通の病院へ」という形で、最適配分する。
 そして、これは、「最適配分」の問題であるから、あくまで経済問題である。医学の問題ではない。医学的に正しい対処をすればいいのではなくて、経済的に金銭をうまく操作して、最適配分が起こるようにすればいい。 Q.E.D.

 [ 付記 ]
 現実は? もちろん、最適配分ができていない。大病院は、軽症の患者がたくさん来て、いつも満杯である。したがって、急患は受け入れられない。かくて、今回の妊婦の死産のような事件が起こる。
 最適配分ができていないと、まずいときにまずいところに配分される。……そして、それは、当然のことなのである。現状はもともとそういう社会システムになっているのだ。
( では、なぜ? たぶん「料金はみな同じにするべき」という社会主義的思想が行き渡っているせいだろう。その場合、最適配分ができないのは、当然となる。……市場原理を否定した社会主義経済は崩壊し、市場原理を否定した医療システムも崩壊する。どっちも同様。)

  【 追記 】
 「差額ベッド」とは別の対処法もある。それは(救急医療への)「自治体による補助金」である。
 救急医療は、病院にとって経済的に合わない。ならば、その分を、自治体が補助すればいい。これで経済的な問題は解決する。
 たとえば、空きベッドが多くて、稼働率が低くて、採算割れになりやすいとしよう。ここで、稼働率が 50%に対して、医療収入が倍になるように、補助金を与えれば、病院としては採算が合う。医者は、働かなくても同じ収入が得られるから、ありがたいだろう。……これで解決。
 ただし、こういう方針には、次の反論が予想される。
 「あえて救急医療を受けようとして、ふだんからかかりつけ医にかかる患者が減る」
 こういう傾向は、たしかに起こるだろう。しかし、それは、非難するには値しない、と思う。なぜなら、「自分の生命を賭けてまで、あえて危険な道を歩む」という人が、それほど多いとは思えないからだ。たとえば、あなたが女性で、出産間近だとして、救急医療を受けるまで、かかりつけ医(普通の産科医)にかからないでいる、ということがあるだろうか? まさか。そんな危険なことはしないはずだ。ちょっと病院に行けば、母子ともに健全でいられるのに、あえて危険な道を選ぼうとはしないはずだ。
 つまり、あえて危険な道を歩むのは、何らかの事情があるのか、あるいは、本人が特別に馬鹿であるからだ。そして、馬鹿である人については、死なせてしまえばいいのではなく、少しぐらいのコストがかかるとしても、命を救って上げるべきなのだ。
 たとえば、馬鹿な人がいて、おしゃべりに夢中なあまり、足元の穴に気づかずに、穴に落ちそうになったとする。これを見て、「馬鹿だから死なせてしまえ」と思うか? それとも、そばまで駆け寄って、「穴がありますよ」と教えて上げるか? もし教えて上げれば、本人の命は助かるが、あなたは「駆け寄る」ということで、時間と手間を少しだけ損をする。他人の命と、自分のわずかな手間と、そのどちらを大切にするか? 
 私としては、「馬鹿な人の命を救って上げる」ということの方が、大切だと思う。それは社会主義とは異なる。人間として当然のことだ。ただの野生動物ならば、自分一人(一匹)で生きればいい。しかし人間というのは、たがいに助け合って生きる存在である。助けることもあるし、助けられることもある。そうして全員が幸福をめざす。それが人間社会だ。
 「馬鹿な患者は死なせてしまえ」というような方針を取ったなら、この世に生き残れる人は一人もいないだろう。なぜなら、人はみな、何らかの愚かなことをなすからだ。あなただって人生において、これまでどれほど愚かなことをなしたことか。振り返れば、思い出せるはずだ。
 もっとも、尊大にふんぞりかえって、「自分は何一つ間違いを犯していない」と語る人もいるだろう。健忘症の人がそうだ。こういうのは、もう、手遅れですね。救いようがない。

( ※ なお、今回の死産について言えば、母親はともかく、死んだ子供には、何の罪もない。この子供を「死んでしまうのが当然だ」と思うのは、よほどの人でなしだろう。……そういうふうに思うエゴイストは、そもそもこの世に生まれてくるべきではなかったね。)


● ニュースと感想  (9月09日)

 「南京大虐殺と天安門事件」について。
 先日は、韓国の慰安婦問題について言及したが、それに似た話として、中国の南京大虐殺問題がある。どっちにしても、対日批判プロパガンダ、という側面がある。
 で、これに対して、日本側は「そんなのは嘘だ」という見解を出すことが多いが、正面切って反論しても、たがいに喧嘩になるだけで、何も得るところはないように思える。喧嘩をするのが好きな人なら、喧嘩をして満足するだろうが、あいにく、私はそういう性格じゃないので、喧嘩なんかいちいちやっていられない。

 そこで、一案。
 中国人が南京大虐殺を話題にしたら、それに対応して、天安門事件の虐殺を話題にするといいだろう。……というのは、この事件は、現在、中国ではタブーになっているからだ。中国語版のあらゆる検索エンジンで、天安門事件の話題は削除されている。そこで、ここに風穴を開ける形で、中国人に真実を伝えて上げるといいだろう。「あんたの国では、自国民政府が国民を虐殺したのだ。しかも今現在、それを隠蔽している」と。
 
 とはいっても、このことは、中国人の目に触れない。そこで、中国人の目に触れるように、日本で情報サイトを提供するといいだろう。

  → Wikipedia 「六四事件」(簡体字)
  → Wikipedia 「六四事件」(繁体字)
  → Google 検索 「六四事件」(繁体字・台湾サイト)
 などがあるが、これらのページは、どうやら、中国からはアクセス不能になっているようだ。
ならば、これらで表示されたもの(上記リンクをクリックして表示された文書)を、コピーして、日本のサイトのあちこちに置けばいいだろう。
 (著作権問題については、ここでは特に言及しないが、非営利であれば問題ないはず。Wikipedia の文書には、もともと「出典:Wikipedia」と書いてあるから、大丈夫。)
 (検索語としては、「中国」や「南京事件」や「天安門」などで引っかかるようにするといい。)

 だいたい、今のネット時代(グローバル情報時代)に、「情報規制をする」という発想が狂っているね。上記のような文書のコピーを、あちこちに置けば、情報規制も尻抜けになる。だから、そういうことを、みんなでやりましょう。
 情報民主主義。

 [ 付記 ]
 というふうに書くと、「反中国キャンペーンをやるのはけしからん」と文句を言う中国人もいそうだが、私は別に、反中国じゃない。「民主主義の抑圧」に反対するだけだ。
 だいたい、私の方針は、「反中国」じゃない。中国の民主化を促進することで、中国を健全にしようとしているのだ。いちいち文句を言わないでね。
 すると逆に、「おまえは中国の犬か」と文句を言う日本人も出るだろうが、ふん、私は、中国で犬になって食べられたくはありません。犬の肉なんか、食いたくもないし、食われたくもない。勘違いしないでほしいね。
 とにかく、いちいち、「誰かの敵か、味方か」なんていうふうに、ゲスの勘ぐりはしないでほしい。私の望みはただ一つ。世界平和である。   (^^);


● ニュースと感想  (9月10日)

 (1)
 科学において本質を突くことに関して、その逆を示す。
  → Open ブログ 「経験主義」

 (2)
 産科医と救急医療の問題について、【 追記 】を記した。
  → 該当箇所
 ( ※ 面白い話なので、ぜひ読んでください。)


● ニュースと感想  (9月11日)

 「韓国人とキムチ」について。
 私は結構、辛いものが好きである。大好きというほどではないが、唐辛子や辛子をかけて料理を食べることはしばしばある。キムチもけっこう好きである。(たまに食べるならば。)
 さて。このひりひりする味のものを口にしながら、ふと、こう思った。
 「韓国人が怒りやすいのは、キムチのせいである」
 辛い香辛料の入ったものを食べてばかりいるから、ちょっとしたことですぐにカッとなって怒り狂う。……ありそうなことですね。
 こう書くと、「その論拠を示せ。さもなくばトンデモだ」と怒り狂う人もいるだろうが、そういう人も、韓国人と同じで、辛いものの食べ過ぎだろう。2ちゃんねるあたりには、そういう人が多そうだ。
 どうせなら、酒でも飲んで、のんびりした方がいいですよ。夏なら、ビールでも飲みましょう。怒ったときには、辛いものよりも、お酒です。

 さて。
 とすると、日韓の紛争を解決する最大の方法は、韓国人(と日本人保守勢力)に、酒をたっぷり飲ませることかもしれない。
 で、日本人があんまり怒らないのは、キムチのかわりにお新香を食べているからだろう。……ただしそれは、伝統的な食事を取る人の場合。
 一方、最近は、シリアル食品やインスタント食品を取る人が多いから、こういう人も、ちょっと我慢が足りなくなって、2ちゃんねらーみたいになりがちなのかも。
 キムチ好きの韓国人と、インスタント食品好きの日本人。なるほど。よくわかりますね。それにふさわしい論争が起こっています。  (^^);


● ニュースと感想  (9月11日b)

 「首相のケツまくり」について。
 安倍首相が「「給油継続」がだめなら内閣総辞職するぞ」と示唆したという。(各紙報道)
 おもしろいですね。

 《 通常 》
 首相 「オレの言うとおりにしないと辞職するぞ」
 与党 「あ、やめないでください。党内の反対活動を抑えます」
 野党 「辞職? やめちまえ、やめちまえ」

 《 今回 》
 首相 「オレの言うとおりにしないと辞職するぞ」 (同じ)
 与党 「いいよ、やめても。別の誰かがかわりに立つから」
 野党 「えーっ。あんたがやめたら、次期衆院選で勝てなくなる! 困る! やめないでください。お願いです。絶対にやめないで! あなたの言うことを聞くから、やめないで!」

 うーん。何だか、男と女の別れ話に似ている。  (^^);
 女房 「あたしの言うとおりにしないと離婚するわよ」
 そのあとは……  


● ニュースと感想  (9月12日)

 「ミサイル防衛網の意味」について。
 ミサイル防衛網について、「こんなものは無意味だから配備をやめよ」という見解があった。(朝日・朝刊・投書欄 2007-09-08 )
 よくある見解だが、これはちょっとポイントがズレている。ちょっとね。

 私は前から、「ミサイル防衛網よりはステルス爆撃機」と提案してきた。その理由は、「金の無駄遣いをやめよ」ということであり、「どうせ金を使うなら無効なものよりは有効なものを」という趣旨だった。
 ここまでを見ると、冒頭の見解と同様に見える。ま、軍事的には、そうだ。が、軍事的な理由とは別の理由がある。

 そもそも、ミサイル防衛網の目的は何か? 敵国(北朝鮮)のミサイルを撃墜することか? いや、そのことは、軍事的には意味がない。なぜなら、ミサイル防衛網(パトリオットのようなもの)の有効範囲は、その地域(約 20キロぐらい)だけだからだ。当然ながら、霞ヶ関を防護するためには、ミサイル防衛網の発射基地は六本木あたりにある必要がある。
 逆に言えば、六本木あたりにあるミサイル防衛網で守れるのは、霞ヶ関のあたりだけだ。それ以外は、守れない。
 ここまで理解すれば、明らかだろう。ミサイル防衛網の目的は、こうだ。
 「官僚が、自分たちの命を守るために、他の地域にいる国民を犠牲にすること」
 たとえば、ミサイル防衛網が六本木にあるとわかれば、北朝鮮は霞ヶ関を狙うことを諦める。そのかわり、新宿とか渋谷とか池袋とか、あるいは大阪とか福岡とか、そのあたりを狙う。……こういうふうに、「狙いの地点を変える」ということによって、官僚たちの命を救うことが、ミサイル防衛網の目的だ。
 ただし、そういう本当の理由を明かすと、国民に支持されない。そこで、「日本全体を守ります」という嘘八百を語る。そしてまたマスコミも、その嘘八百を報道する。
 金正日は北朝鮮の国民を洗脳し、霞ヶ関の官僚は日本の国民を洗脳する。似たようなものです。(そのための道具は、どっちもマスコミ。)

 なお、「狙いを変える」という目的だが、これは、実は、まったく意味がない。なぜかというと、北朝鮮のミサイルは、精度がひどく悪くて、「どこに飛んでいくかわからない」という状態だからだ。
 いや、それ以前に、「日本に届かない」という状況だからだ。ま、空っぽのミサイルならば届くかもしれないが、爆弾を乗せると、重たくなって、日本海で墜落する。(……と思う。たぶんね。)
 
 まとめ。
 ミサイル防衛網とは、軍事的には、何の意味もない。ただし、怯えた官僚たちが、「何としても自分たちの命だけは守りたい」と思って、「どうせミサイルが来るなら、自分たちのいないところに落とさせよう。国民を犠牲にして、自分たちの命を守ろう」という発想で、自分たちのいる地域だけを守ろうとする。
 臆病な人間が国民の血税を食い物にして、無駄なことに金を使う。……これが本質だ。ただの「無駄遣い」ではない。そのことに注意。

 [ 付記 ]
 霞ヶ関を守る、と書いたが、本当に守れるかどうかは、わかったもんじゃない。パトリオットの精度は低いからだ。うまく行っても、命中精度は 50%だろう。(実際にはもっとずっと低いだろうが。)
 で、撃墜し損じた場合、撃墜し損じた北朝鮮ミサイルは、霞ヶ関に落ちる。
 また、撃墜したとしても、その残骸が、六本木あたりに落ちる。こっちの被害は大変だ。
 また、パトリオットが迷走して、新潟あたりに落ちるかもしれない。その前に空中分解すればいいとしても、空中分解した破片が山梨あたりに落ちるかもしれない。空中分解しなければ、新潟あたりでパトリオットの爆発による被害が起こるかもしれない。
 ま、以上は、最悪の場合をいろいろと見積もったもので、必ずそうなるというわけではないが、まったくのデタラメというほどでもない。パトリオットの命中精度よりは、マシであろう。  (^^);


● ニュースと感想  (9月13日)

 「安倍首相の辞任」について。
 安倍首相が辞任を表明した。あれれ、早いですねえ。びっくり。
 どうせなら、参院選の敗北の直後に言えば、まだしも立派だったのに。強気に進むのかと思ったら、この時期にやめるとはね。何だか、首尾一貫しない。

 私の感想は? 「小泉の波立ちを、安倍の波立ちにしないで良かった」ということ。
 次は? 「麻生の波立ち」? まさかね。……あ、そうか。

 しかし、自民党もいよいよ、人材が払底してきましたね。そのうち「片山さつき」なんて名前が挙がるかも。ついでに「舛添」も。……元夫婦の戦い。
(それを言っちゃあ、おしめえよ。)


● ニュースと感想  (9月14日)

 「安倍首相の辞任の理由」について。
 安倍首相の辞任の理由がわからない、という声が多い。そこで、私が理由を示そう。(正字で何かわからないときは「泉の波立ち」を見ればいい。  (^^); )
 まず、一連の流れを追うと、次の通り。

  ・ 「職を賭して、自衛隊を派遣する」
  ・ 「民主党の小沢党首に面談を申し込んで、断られる」
  ・ 「辞任する」

 以上から推定される理由は、こうだ。
 「『私が辞任しますから、それを代償として、自衛隊の派遣を認めてください』と小沢党首に申し込むつもりだった」
 こういうシナリオを立てていた。しかるに、面談を断られたので、シナリオの不成立。うまく行くはずだったシナリオが成立しないので、どうしようもなく、迷走して、辞任だけをすることになった。
 こう推定すれば、すべてがぴったりと当てはまる。

 なお、どうして辞任するかというと、次のこと。
  「参院選の敗北で、辞任が当然。もともと、ちょっとだけ先延ばしするだけのつもりだった」
  「アジア太平洋経済協力会議(APEC)が今月8日に会ったので、それだけは出席したかった。最後の花道」
  「思いのほか、健康・体調も悪化したので、辞任の意思に輪をかけた」
 ま、そんなところでしょう。

 [ 付記1 ]
 上記の話を読んで、「どうしてそういう結論が出るのか?」と疑問に感じる人もいるだろう。そこで、根源的にはどうかを、示しておこう。
 「首相の役割は、国民のために尽くすことだ」
 と考える人が多い。しかし、そう考えるからこそ、今回の辞任の理由がわからなくなる。むしろ、次のように考えればいい。
 「首相の役割は、米国のために尽くすことだ。そして、米国大統領に、褒めてもらうことだ」
 こう理解すれば、安倍首相の行動はわかる。彼は米国大統領に、褒めてもらいたかった。つまり、頭を撫でてもらいたかった。だからこそ、「自らの辞任と引き替えに自衛隊派遣」という方針を取ろうとしたのだ。
 比べてみれば、小泉首相は、どうだったか?
 「米国大統領の前で、プレスリーの物真似をして、褒めてもらおうとした」
 どちらの首相も、その発想は同じである。彼らの頭には、
 「首相の役割は、国民のために尽くすことだ」
 ということは最初から欠落している。……こう理解すれば、すべてはきっちりとわかる。

 [ 付記2 ]
 本質的には? 
 そもそも、安倍晋三は、首相になるべきではなかった。その器ではなかった。もともと、何の実績もない、ただの平の議員にすぎなかった。それも親の七光りで議員になっただけだった。
 なのに、小泉前首相が、あえて官房長官に引き立てて、さらには後継首相に指名してしまった。(実質的に。)
 つまり、物事の根源は、小泉である。ただのボンクラを、ことさら引き立てて首相に就かせてしまった。安倍はもともとボンクラなのだから、たいして罪はない。子供か人形のようなものである。悪いのは、小泉だ。小泉は馬鹿ではないくせに、まともに人を見抜くことができず、ボンクラを指名してしまった。
 いや、小泉もやっぱり、馬鹿だったのかな? とすれば、悪いのは、小泉を支持した国民かも。「小泉の波立ち」の続編ですかね。


● ニュースと感想  (9月15日)

 「次期首相候補の福田康夫」について。
 福田康夫について、私はどう考えるか? 
 ま、今回の候補者のなかでは、一番マシでしょう。前回も、「安倍よりは福田の方がずっとマシだ」と思っていた。どうしてみんなが安倍を選ぶのかわかりませんでしたね。(たぶん顔で決めたんでしょうけど。)
 安倍と麻生を並べれば、大馬鹿と馬鹿である。どっちも馬鹿だから、論評するに値しない。政治家になる資質がない、とも言える。こういう連中は、引退するのが一番、世の中のためになる。
 それに引き替え、福田というのは馬鹿ではない。正解と誤答があったとき、間違えて誤答を取るほどの馬鹿ではない。普通の人よりもずっと頭はいい。その点で、この人は、政治家としての資格がある。そして、そういう資格がある政治家は、非常に少ない。……となると、この人が首相になるというのは、現在の自民党の選択肢のなかでは、最善かもしれない。

 ま、「すばらしい」と手放しで褒めるほどではないが、「一番マシだ」という選択肢にはなる。
 ただし……年が 71歳ですよ!! 4年やったら、75歳ですよ!!
 もうちょっとで喜寿になってしまう。  (^^);
 この人も本当は、ご隠居さんになるのが一番いいのだが。……ああ、日本の政治家は、人材が払底している。
 この分だと、片山さつきというのも、まんざらあり得なくもない。数年後には。
 (でも、ヒラリーの方がいいですね。夫のクリントンがちゃんと指導してくれるから。)


● ニュースと感想  (9月15日b)

 「表現の自由の意味」について。
 裁判の供述調書を外部に流出させたという事件で、出版物の著者を検察が強制捜査に乗り出した。これについて、朝日が「表現の自由の侵害する恐れがあるから問題だ」と新聞紙面で書いている。たぶん、社説でも同趣旨のことが出そうだ。
 とりあえず、ネットから引用すると、次の通り。
 事件では今年5月、元法務教官のフリージャーナリスト草薙厚子氏が調書を引用して「僕はパパを殺すことに決めた」(講談社)を出版。長男や父親らの「調書より」として、学校の成績、父親からの暴力、両親の離婚などを詳細に記している。地検は草薙氏の調書入手に医師が関与した疑いがあるとみている。
 奈良地検が、長男の精神鑑定を担当した京都市の医師から刑法の秘密漏示の疑いで近く事情を聴き、関係先を家宅捜索する方針を固めた。同容疑で強制捜査するのは異例。
( → 朝日のサイト
 しかし、このような話については、私は前に次のように述べた。
 「表現の自由」とは、自分の生み出した情報を公開する自由である。他人の情報を公開する自由ではない。
( → 2004年3月18日

 そもそも、表現の自由とは、何か? 自分の表現物を公開する自由だ。たとえば、音楽や、絵画や、言論など。これらを、自分が表現したあとで公開する自由だ。それは、「他人が表現したものを勝手に公開する」という自由ではない。……ここを勘違いしてはならない。
( → nando ブログ
 医師の書いた情報であれ、裁判関係者の書いた情報であれ、どっちみち、あくまで他人の表現物だ。書籍の著者の表現物ではない。それを著者が勝手に自著に引用するのは、表現の自由でも何でもない。強いて言えば、「著作権の侵害」という犯罪であろう。
 なのに、こんなことを「表現の自由」と称して擁護するのは、屁理屈も甚だしい。
 「人のものはおれのもの おれのものもおれのもの だから世界はおれのもの」
 という泥棒の発想と同じである。

 朝日は「表現の自由」の何たるかを理解していない。ちゃんと理解するべきだ。
( ※ より詳しい話は、上記のリンクを参照。)

 [ 付記 ]
 「表現の自由」を馬鹿のひとつ覚えで語る朝日の記者のために、物事の根本を示しておこう。
 裁判にとって一番大切なのは、「表現の自由」ではなく、「真実の解明」である。そのために、事実の詳細を、密室で処理せず、公開の場で処理する。白日の下にさらし、万人の目にさらす。(不正やデタラメがなされないように。)
 そのため、本来ならば個人情報として秘されるべきものも、白日の下にさらされる。ここでは、「真実の解明」が何よりも優先されるので、個人のプライバシーは制限される。
 そうして公開されたものを、「公開されているから勝手に出版していいはずだ」と思い込むのは、ほとんど泥棒の論理である。この泥棒は、「公共物を盗む」という泥棒だ。たとえば、「マンホールの蓋が道に落ちているから、これは他人が勝手に捨てたものだ。こいつをちょうだいして、クズ鉄屋に売れば、五千円になるな」と思って、マンホールの蓋を盗むようなものだ。その他、あれやこれやと、公共物を盗む。
 しかし、マンホールの蓋であれ、街路灯の蛍光灯であれ、公共のために公開されているだけであって、「勝手にお持ち帰り下さい」というふうに贈与・提供されるものではない。
 ところが、欲張りな泥棒は、「これは公開されているから勝手に盗んでいいのだ」と思って、勝手に盗む。その上で、「表現の自由」とか「私有財産制」とか、屁理屈をこねる。「表現の自由」は「自分の表現したもの」についての権利であり、「私有財産制」とは「自分の稼いだもの」についての権利であるのだが、それを屁理屈で歪めて、「おれのものだからおれの好きなようにする」と述べて、公共物を勝手に盗んで利用する。
 こういうのは、「盗人にも三分の理」ではなくて、「盗人たけだけしい」というものだ。それが朝日の得意な論理。








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