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のページで 》
● ニュースと感想 (12月25日)
「ワーキングプアの問題と叡智」について。
NHKで「ワーキングプアの問題」についての番組があった。これについて。
(書いたのは一週間前だが、掲載日が遅れてしまいました。 (^^); )
この番組を見ようかという気はもあったのだが、当日の新聞の番組予告を見て、げんなり。また、私もまたワーキングプアふうで、休みもろくに取れず、その番組の時間には働いていたのでした。 (^^);
で、番組を見ていないので、偉そうなことは言えないのだが、調べたところ、次のような趣旨であったらしい。
- 世界各国で、ワーキングプアの問題がある。(労働者中、日本では 15%、米国では 17%。それぞれ2位と1位。)
- 日本の現状は、ご存じの通り。
- 米国では、IT技術者も、途上国とのIT産業との競争で、薄給になる。
- 米ノースカロライナ州では、職業訓練などをして対策。
- イギリスでは、いろいろと貧困者の保護策がある。
- 日本でもようやく、この問題を「社会の責任」と受け止める人々が出ている。
私の結論を述べよう。こうだ。
「この番組の趣旨は、まったく見当違いである。問題の所在を指摘するのはいい。しかし、問題の解決策が、まったく見当違いである。では、どう見当違いなのか? ここでは、欠落しているのは、社会の善意ではない。為政者の知恵だ。足りないのは、優しさではなくて、賢さだ」
優しい心を持つ人が、どんなに善意で行動しても、その行動が見当違いのものであれば、何の役にも立たない。たとえば、溺れている人を救うには、浮き輪などが必要なのだが、「お金を上げます」と言って、金貨をたっぷり与えれば、溺れている人は、救われるどころか、死んでしまう。
こういうふうに、善意よりも大切なものがあるのだ。
ワーキングプアのかわりに、失業で論じよう。
失業者の種類には、次の二通りがある。
・ ミクロ的な失業者。
・ マクロ的な失業者。
前者は、「国全体では雇用過剰(求人過剰・人手不足)なのに、特定の産業だけで雇用不足が起こっている」という状況だ。この場合は、「雇用のミスマッチ」がある。とすれば、失業者を別産業に誘導すればよい。たとえば、余ったIT技術者を、医療技術者や電気技術者や事務員に転職させる。(古典派の「失業解決策」というのは、これだ。上記のテレビ番組で報道されているのも、これだ。「職業訓練」など。)
後者は、国全体で雇用不足がある状況だ。ここで、「ミクロ的な対策」つまり「職業訓練」をしても、まったく無駄である。それによって誰かは雇用されるかもしれないが、他の誰かが雇用されなくなるだけだからだ。目の前で「プラス1」が発生しても、別のところで「マイナス1」が発生するからだ。……たとえば、求人が 90人で、求職者が 100人だとする。ここで、あぶれた 10人に職業訓練をすれば、その 10人は雇用される。しかし、「求人が 90人」というマクロ状況は変わっていないのだから、その 10人が雇用されるかわりに、別の 10人が雇用されなくなるだけだ。(ただし、目の前だけを見ていれば、「プラス1」だけがあるかのように錯覚される。)
ここでは、二通りの失業があることに注意しよう。そして、ミクロ的な失業の対策をいくらやっても、マクロ的な失業の対策にはならないのだ。
そして、マクロ的な失業を解決するには、マクロ的な経済政策だけが有効である。つまり、「求人が 100人以上になるように、景気刺激策(経済拡大策)を取る」ということだ。
以上は、失業の場合だが、ワーキングプアの場合も、まったく同様である。ワーキングプアというのは、実質的には失業者も同様であるからだ。
(そのわけは、直感的に理解してほしい。いちいち説明するのは面倒だし、説明を読んでもたいして大事な事柄とはならない。ま、「生活保護費以下の給与しか得られないのなら、働くだけ損だ」と理解すればよい。)
番組に戻ろう。
番組では、ミクロ的な対策ばかりが示されていて、マクロ的な対策が示されていない。
・ 個人に職業訓練をする。
・ 恵まれない個人を個別に救う。
・ 社会全体でワーキングプアを救おうとする。
こんなことは、いくらやっても無駄なのだ。いわば、「尻抜け」である。風呂の水が足りないからといって、どんどん風呂に水を入れる。しかし、いくら水を入れても、底が抜けているから、入れた水はどんどん流れ出てしまう。……ここでは、どんなに善意によって努力しても、まったく無駄なのだ。それよりは、「穴に栓をする」という知恵さえあれば足りる。
風呂に水を注ぐかわりに、社会保障制度に金を湯水のごとく注いでも、金が無駄に捨てられるだけだ。そもそも、「職業訓練」というものは、まったくコストをかけずにできるものだ。というのは「企業内研修」というコストゼロの方法があるからだ。なのに、国が税金をかけて「職業訓練」をやるのは、金をドブに捨てるのも同然である。
「職業訓練に金をかけるのは、善意のある方法だ」
とNHKは示しているが、とんでもない。そこには、善意はあっても、知恵がない。すなわち、金をドブに捨てている。愚の骨頂だ。
ワーキングプアを解決するには、どうすればいいか? そのための方法は、すでに何度も示した。「マクロ的な政策」である。すなわち、「中和政策」だ。
では、そのためにかける金は、いくらか? たとえば、20兆円の減税をするとしたら、そのためにかかるコストは、どれだけか? 20兆円か? 10兆円か? いや、そのどちらでもない。おおむね、マイナス 10兆円である。つまり、そのことをなすことで、20兆円の費用(税負担)がかかるのではなくて、20兆円の利益が生じる。(空から金が降ってくるようなものだ。)……それが「中和政策」の方法だ。そして、こういう方法こそ、「知恵」のある方法なのだ。
ただし、そのためには、工夫がいる。10兆円の富は、いきなり生じるのではない。まずは、「20兆円の減税」という支出が必要となる。そして、その支出をなした場合のみ、あとで「30兆円の増収」(差し引きして 10兆円の増収)という結果が得られる。……それが「中和政策」の意味だ。(企業で言えば、「投資」に相当する。初めに支出して、そのあとで利益を得る。)
現実には、どうか? それとは逆のことをやっている。「財政再建」という名目で、増税策ばかりをとっている。だからこそ、景気回復のかわりに、景気悪化が起こる。(最近の経済情勢の報道を見ればわかるとおり。)
足りないのは、優しさではなくて、知恵なのだ。ただそれだけなのだ。
( ※ この意味で、NHKが「社会の責任だ」という点を強調したのは、非常にまずい。それは為政者の責任転嫁になるからだ。そのことで、なすべき道をふさいでしまう。穴をふさげるのは、政府だけなのに、「政府のせいじゃない、みんなのせいだよ」と言って、政府の行動を阻害してしまう。……こうなると、善意ゆえに、全員が不幸になる。)
( ※ 「みんなが善意の行動をすれば、困った人は救われる」と思うのは、早計である。たとえば、地震の被災者に、みんなが食糧を送れば、被災地には余った食料が山積みされて腐敗するので、状況は悪化する。救援物資を輸送するトラックが殺到すれば、医療や災害処理のトラックが通れなくなるので、被災者が死ぬ。……なすべきことは、善意の行動ではなく、最適の行動なのだ。そして、そのためには、それをやるべき人がやればいいのだ。とにかく、必要なのは、結果としての最善さだ。心情としての最善さ[善意]ではない。)
[ 付記1 ]
参考となる新聞記事がある。「英国のニート対策」という特集記事。読売新聞(朝刊・国際面 2007-12-17 )にある。
内容は、「英国でも若者の失業(ニート)の問題があるので、政府はニート対策の経済的支援をしている。職業訓練などをしている。そのために大金を支出している」というような話。
[ 付記2 ]
そもそも、ワーキングプア・失業・ニートという問題が起こることの、根本原因は? 具体的な現象ではなく、それらの減少を起こす根本原因は?
それは、現在の経済主義そのものだ。つまり、「マネタリズム」と呼ばれる経済主義だ。これによれば、次のことが示される。
「物価上昇は経済を破壊するので危険だ。だから物価上昇を忌避するべきだ。」
これは、「物価安定」をめざす政策だ。欧州の各国はすべて、この政策を取る。
しかし、「物価安定」は「経済成長の安定」を意味する。「経済成長の安定」とは「経済成長の停滞」のことだ。
つまり、現実には、次の二通りしかない。
・ 物価は安定し、経済は停滞する。
・ 物価は上昇し、経済は成長する。
欧州各国は、前者を選択した。だからこそ、経済は停滞する。つまり、経済成長がない。だからこそ、失業問題が起こるのだ。
つまり、失業問題が起こるのは、あえてそうなるように、経済学者が指導しているからだ。「前者を選びなさい」と。
こういう根本的な倒錯があることに、是非とも気づくべきだ。つまり、現実に気づくべきだ。
比喩で言おう。自分の首をくくろうとしている人を救うには、「あなたは自分の首をくくろうとしている。そのことに気づけ」と教えるべきだ。なのに、そう教えないで、首をくくった人に対して、死んだあとで蘇生術で対応しようとする。それが優しい正しいことだと信じている。……そういうのが、現在の経済政策である。
( ※ なお、後者[物価は上昇し、経済は成長する]の政策は、「高度成長政策」という政策だ。日本やアジア各国で、かつて取られた政策。7%程度の物価上昇のもとで、物価上昇率を上回る高度成長がなされる。……そのおかげで、各国は急成長が可能となった。)
[ 付記3 ]
「ワーキングプアの問題は、経済や労働の問題ではなく、福祉の問題だ」
という発想がかなり流布している。そこから、
「この問題を解決するには、福祉政策で」
という結論が生じやすい。(NHKもそうだ。)
しかし、それは逆である。正しくは、こうだ。
「ワーキングプアの問題は、福祉の問題ではなく、経済や労働の問題だ」
このことは、「ワーキングプア」という言葉の定義から明らかであろう。ワーキングプアとは、「働いているのに、生活保護賃金以下の所得しか得られない」という人々のことである。こういうことは、本来は、ありえないことなのだ。ではなぜ、ありえないはずのことが起こっているかというと、「賃金をなるべく下げるのが正しい」という経済政策を取っているからだ。フリードマン流の「失業よりは低賃金の方がマシ」という政策である。別名、「市場原理」。
(つまり、価格調整によって不均衡を調整する、という立場。需要不足のときには、価格がどんどん低下する。その結果、労働価格が、最低賃金以下になる。)
だから、次の問題を、区別しなくてはならない。
・ 生活困窮者が生活保護を受けられないことがある。
・ 労働者の賃金水準が生活保護費以下である。
この両者は、まったく別のことだ。前者や福祉政策の問題であり、後者は経済政策の問題だ。この二つを混同しているところから、対策の混迷が生じる。
結局、真実をまともに理解できていないんですね。政府も、NHKも。
[ 付記4 ]
ワーキングプアへの対策は、前述の通り、「中和政策」だ。
これについては、すでに別所で示した。改めて読みたい場合は、下記を参照。
→ 中和政策
( なお、これに限らず、本サイトの用語や概念を理解したいときには、本サイトのトップページの冒頭付近を見て、その目次から、次のページを参照のこと。
[ 付録 ] 「経済理論全体の概要」
このページを見れば、たとえば「中和政策」という用語も、簡単に見つかる。)
● ニュースと感想 (12月26日)
「最低賃金の引き上げ」について。
最低賃金の引き上げが少しだけなされた。これについて、ビル・エモット(英エコノミスト誌編集長)が論じている。(朝日・朝刊・オピニオン面 2007-12-24 )
「最低賃金の引き上げなんて無意味だ」と論じているのかと思ったのだが、そうではなかった。次の趣旨。
- 単に最低賃金を引き上げるだけでは、不況下では、景気がいっそう悪化する懸念もある。失業者が増える可能性もある。……ただし、日本はそれほどの不況ではない。
- 最低賃金の引き上げが有効なのは、労働力不足の状況である。日本は失業率が低いので、それに当てはまる。
- 最低賃金を引き上げると入っても、生活保護費程度にまで引き上げるだけだ。その水準はきわめて低く、欧米の定める最低賃金よりもずっと低い。もっと上げてしかるべきだ。
- 最低賃金を引き上げれば、需要創造の効果がある。だから、少しずつ最低賃金を引き上げれば、数年のうちには景気刺激の効果が少しずつ出る。
この論旨は、おおむね妥当であろう。特に、3番目の点(最低賃金が低すぎること)は、重要だ。このことゆえに、「労働政策」「労働者保護」の観点から、最低賃金の引き上げは必要だ、と言える。
私としては、これまであまり積極的ではなかった。だが、3番目の点ゆえに、「最低賃金の引き上げには賛成だ」という態度を取りたい。
ただし、私がそういう態度を取るのは、「労働政策」「労働者保護」の観点からであって、「経済政策」としての立場からではない。(労働政策という観点はこれまでかけていたので、その観点からの発想を追加しただけだ。)
では、「経済政策」としての立場からは? やはり、以前と同様である。
「最低賃金を引き上げても、それだけでは景気は回復しない。効果は微々たるものである」
ビル・エモットの論点に従って論じれば、次のようになる。
- 日本は、ひどい不況(≒ 大量の失業者の発生)ではないが、相も変わらず不況である。雇用状況は悪い。
- 最低賃金の引き上げは、労働政策としてはある程度有効だが、景気刺激効果をもたらすほどではない。
- (その通り。)
- 最低賃金を引き上げても、需要創造の効果は少ししかない。
要するに、最低賃金を引き上げても、景気回復の効果はほとんどない。やらないよりはやった方がいいが、やったところでたいして効果はない。「気休め」よりはマシだ、という程度。
病気で言えば、「ろくに効かない薬」を飲むようなものだ。何もしないよりはマシだが、病気を劇的に根治するわけではない。悪くはないが、たいして良くもない。
より本質的に言おう。私としては、次のように考える。
労働者の賃金を法律で上げようが下げようが、そんなことはほとんど無意味である。なぜなら、法律の枠外で賃金が大幅に低下しているからだ。
- 最低賃金よりも高い賃金の、普通の労働者の賃金が低迷している。
- 賃金の低迷ではなく、労働時間の過剰が起こっている。(過労死)
- 不払い残業が蔓延している。
こういう状況を正すことが本質的だ。そして、この問題は、最低賃金の引き上げでは、とうてい解決できない。そもそも狙いの方向がまったく狂っている。
これらの問題を解決するには、「マクロ的な景気刺激策」以外にはない。たとえば、不払い残業だって、どこか特定の一企業がやっているだけなら、摘発できる。しかし、日本中の大半の企業がやっているのだから、いちいち摘発しきれない。一人の検査官が一万の企業を見て回ることはできない。
はっきり言えば、今の日本は、「飢えた貧困者がいっせいに店を奪う」というような状況だ。ここで、法律論で「そんなことをしては駄目だ」と言っても無駄だし、「逮捕するぞ」と言っても無駄だ。
もちろん、「奪われる方(=店 or 労働者)は、奪われても仕方ない」というふうなことにはならない。だが、単に「奪ってはいけない」というだけでは仕方ないのだ。これは法律の問題ではない。
飢えた貧困者がたくさん入るときには、「何かをしてはならない」というふうに法的に命令するだけでは駄目だ。あるいは、みんなが飢えているときに、「飢えている人に恵んであげましょう」と訴えても駄目だ。
では、どうするべきか? 飢えそのもの(つまり根源)を解決する必要がある。そして、それこそが、マクロ的な経済政策の役割なのだ。
日本経済の不幸は、経済を論じるのに、法的・福祉的に論じる人ばかりがいて、経済的に論じる人がいないことだ。……ま、(マクロ的な問題に対して)ミクロ経済的に論じて状況を悪化させる人はたっぷりといるのだが、マクロ的に論じる人はほとんどいない。ここに不幸の原因がある。単純に言えば、「衆愚政治」の経済版。
● ニュースと感想 (12月27日)
「NHKの会長人事」について。
NHKの新会長が決まった。財界人。ただし、文化の造詣が深い、という評判もあるらしい。
私はこの件について、はっきり警告しておく。「こんなことは絶対にあってはならない。これは民主主義の破壊だ」と。
類比的に言うなら、これは「プーチン政治」の手法だ。すなわち、こうだ。
「マスコミを牛耳り、自分の意見に敵対する反対者を、根こそぎにする。自分の意見の同調者だけを、マスコミに登場させる。こうして、国民全体を洗脳して、民主主義を形骸化する。民主主義という形式のもとで、独裁政治を実現する」
これは「民主主義の形を借りた独裁政治」である。それがプーチン政治だ。そしてまた、古くはヒトラーに行きつく。その最終的な到着点は、完全なる独裁政治だ。
民主主義 → 民主主義の形骸化&実質的な独裁政治 → 独裁政治
こういう過程である。
今回の選考では、賛成者は次のように述べている。
「この人は、財界人とはいえ、文化の造詣が深い。しかも、経営能力もある。だから、会長職にはうってつけだ」
しかし、そのような理屈なら、プーチンだって言ってきた。
「この人は、KGB出身とはいえ、政治経済について詳しい。統治能力もある。だから、大統領には、うってつけだ」
こういうふうに理屈をつけて、民主主義を破壊し、ロシアを実質的な独裁国家にしてしまった。ちょっと「大政翼賛会」ふうである。形式だけの民主主義。
今回の会長選任もそうだった。
「投票の2時間ほど前に、候補者の名前を示して、それで一挙に、投票に持ち込む。ともあれ、投票によって、新会長は選任された」
これもまた、民主主義の形骸化だ。その証拠に、対抗馬は一切登場しない。これが民主主義であるはずがない。ただの独裁主義である。
ま、これが一般の会社であれば、どうってことはない。それで損をするのは株主であるから、国民の知ったこっちゃない。
しかし、NHKは違う。唯一の公的放送だ。しかも、そのための金を、国民から徴収する。つまり、「独裁政権を招くことのできるような、独裁政権用のおかかえ放送局を用意して、そのための費用を、国民から徴収する」ということだ。
こういことは、断じて許されない。それゆえ、私は、ここに、はっきりと強く警告しておこう。
さらに、次のことも加えておこう。
「NHKの料金を払うということは、それ自体、あなたが独裁者に協力しているということを意味する。ナチス・ヒトラーを育成するのと、同様の罪をなしていることを意味する。あなたはひどい悪をなしているのだ」
NHKの料金を払う限り、あなたは子々孫々に伝えられるべき巨悪をなしていることになる。そして、その罪を免れる唯一の方法は、NHKの料金支払いを停止することだ。銀行振り込みをしているのであれば、さっさと解除するべし。徴収員が来たら、本項の文章を印刷して、堂々と拒否するべし。裁判に訴えられたら、堂々と反論するべし。
そうした場合のみ、あなたは罪を免れることができる。そして、それ以外の場合、あなたは殺人者にも匹敵するほどの悪党だ、ということになる。通常の殺人者は、一人を殺すだけだが、あなたは日本全体の民主主義を殺すことになる。オウム信者にも匹敵する巨悪だ。……ただし、あなたは首謀者ではなく、末端の共犯者である。その意味で、麻原よりは罪は軽い。とはいえ、オウムの末端の信者として、サリン配布に協力したのと、同じぐらいの罪があることになる。
だから、あなたに少しでも良心があるのなら、NHK料金の支払いをやめるべし。
なお、もしあなたがNHK料金を払うのであれば、以後、「ヒトラーは悪だ」とか「プーチンは悪だ」とか、そういうことは二度と口にしないでもらいたい。なぜなら、自分自身がそのこと(独裁体制の支持)に加担しているからだ。殺人の共犯者と同様に。自分で殺人をしながら「殺人は悪だ」と述べるなんて、自己矛盾である。
とにかく、NHKというものは、存在そのものが悪である。なぜなら、それは国民を洗脳する機関になりさがったからだ。ナチスやロシアの宣伝機関と同様に。こういうものは即刻、廃止されるべきだ。ゆえに、人々は断じて、NHK料金を払うべからず。
【 追記 】
NHK料金を不払いにするべきだが、実際に不払い行動をするのは、ちょっとハードルが高すぎるかもしれない。違法行為ふうだからだ。
そこで、少なくとも、「不払いの意思を表明する」ということだけは、なしてほしい。たとえば、私のように、ネットで「NHK料金を不払いにしたい」と、堂々と表明してほしい。その場合には、あなたには罪はない。一方、黙って見過ごしているのであれば、あなたには罪がある。第二次大戦を見過ごした人々と同様の罪があることになる。「自分は民主主義を殺している」と自覚するべし。
[ 付記 ]
この新会長を弁護する人もいるだろうが、絶対に、弁護の余地はない。なぜなら、彼は、非民主的な選考過程で、独裁的に先行されたからだ。彼が少しでも良心を持っていれば、さっさと辞任ないし選考辞退したはずだ。……そして、そうしないということは、もともと良心がないか、良心があるのにボケているか、どちらかであろう。どちらにしても、会長職としては、不適任だ。
彼のやっていることは、NHKをまともに運営することではない。プーチンの子分と同じで、プーチンふうの親玉の部下として、親玉に協力することだけだ。
( ※ なお、NHKの親玉は、経営委員会の委員長。この人が、今回の新会長を決めた。陰の実力者としてふるまうために。……プーチンと同じですね。彼の名前は「古森重隆」という。歴史に残る極悪人なので、覚えておこう。彼の狙いは、NHKを政府の宣伝機関にして、自民党の独裁体制を導入することだ。彼の発言を見れば、すぐにわかる。)
[ 注釈 ]
言わずもがなのことであるが、本サイトの読者には、やたらと誤読する人がいるので、誤読する人向けに注釈しておく。(普通の人は、特に読まなくていい。)
本項の意図は、「この候補者は駄目だ」ということではない。(ま、駄目な点もあるが、資質自体は、そんなに悪くはない。)
悪いのは、「民主的な選考過程を破壊している」ということだ。そして、その結果として、親玉による院政政治が実現する。親玉に選んでもらった人が、親玉を排除できるはずがないからだ。……かくて、親玉の狙い(NHKを自民党の宣伝機関にすること)が実現していく。
なお、この親玉は、とても頭がいい、と思う。プーチン並みに、頭がいい。今のままだと、民主党が政権を取り、日本はまともなヨーロッパふうの民主国家になってしまう。そういうことは、独裁政治の好きな右翼保守主義者には、耐えられない。国民全体が民主党を望むのであれば、国民全体を洗脳するしかない。そのためには、NHKを傘下に収めて、好都合なニュースばかりを流せばいい。
そう考えているわけだ。そして、その方法論は、正しい。まさしくプーチンはその方法を取って成功した。彼はまったく頭がいい。(……私に見抜かれなければ、完璧だったね。)
[ 参考 ]
朝日の社説が、背景などをを説明している。
→ 朝日・社説 12月21日 ,12月26日
なお、読売・社説や、毎日・社説 では、ちょっと懸念を示しているだけで、批判の口調にはなっていない。
( ※ なお「民主主義の危機」という点から批判している社説はない。単に「NHKにとっての是非」という功利主義からの観点だけだ。「NHKにとって良いか」ということだけを論じて、「日本人の民主主義が崩壊する」という点からは論じていない。その点では、ヒトラーの台頭を見逃したドイツのマスコミと同様である。彼らは大衆の動きを後から追いかけことしかできない。本質や将来を見通すことができない。)
( ※ 「そんな心配は、あんたの杞憂だろう」と思う人がいたら、とんでもない阿呆である。なぜなら、NHKはすでに変質してしまっているからだ。以前のNHKは政府批判をしっかりやっていたのに、今では政府批判の論調がすっかり消えてしまった。それでいて平然としているのだから、どうしようもない阿呆。このあとどんどん御用放送協会になっていっても、人々は気がつかないまま、金だけを払わされるだろう。自分を洗脳されるために金を払う阿呆。)
● ニュースと感想 (12月28日)
「NHKと民主党」について。
前項では、NHKの会長人事について「民主主義の破壊だ」と述べた。
この件は、国民が不払い行動に踏み切るだけでなく、民主党もまた何らかの阻止行動に踏み切るべきだ。自衛隊の給油の阻止なんかよりも、自分の足元を見るべきだ。いくらテロを防止しても、日本自身が独裁国家になってしまっては、元も子もないだろう。
そもそも、「民主党」という名前自体、何のためにあるのか? 民主主義のためにあるのではないのか? だったら、これを看過するべきではない。予算阻止でも給油阻止でも、とにかくあらゆる手段を使って(法案を人質にとってでも)、この会長人事を阻止するべきだ。
なお、私が思うに、近ごろの民主党は、「民主主義」の体をなしていない。小沢自体が独裁的だし、彼はそもそも「権力を取ること」だけが目的だ。何らかの政治をすることよりも、「権力を取ること」だけが自己目的になってしまっている。
比喩的に言うと、「治療をすること」が自己目的になった医者だ。それで患者を治すことなどは眼中になく、とにかく自分がメスを駆使することだけが目的となっている。でもって、健康な人間に手術したりして、満足するようなハメになる。「手術は成功しました、患者は死にました」というふうな。
民主党の目的は、権力を取ることではない。国民を幸福にすることだ。その大目的を忘れてもらっては困る。自民党ならば、「自民党の政治家をを幸福にすること」が目的だから、彼らが独裁政治をめざすのは当然だ。「アンチ左翼」とでも標榜すれば、2ちゃんねるあたりのネット右翼が大賛成するだろう。
しかし、民主党は、そうあってはならない。さもなくば、日本はロシアと同様になってしまう。
今の民主党は、「図体ばかりはデカいが、脳がない」というようなありさまだ。巨大な力をもつが、何をなすべきかわかっていない。いわば、ガンダムである。まともな人間が操縦すれば、日本を救うことができるが、馬鹿が操縦すれば、日本を破壊するだけだ。
それゆえ、私は本項で、なすべきことを指摘する。
( ※ なお、前項に、「追記」を加筆しておいた。 → 該当箇所 )
● ニュースと感想 (12月28日b)
「日本の名宰相」について。
日本には数々の宰相がいたが、そのなかで名宰相と呼ばれるべき人物は、誰か? ── この質問に答えよう。
まず、現在の福田首相はどうか? 彼については最近、「支持率が下がってきた」「当初のハネムーン期間が過ぎて、アラが目立ちはじめて、不支持率が高まった」という報道がなされている。ま、これはよくある話。
それとは別に、私は福田首相について、以前、比較的好意的な意見を書いたことがある。次のように。
「見た目は凡庸だが、なかなか頭が切れる。決断力はないが、人の言葉に耳を傾ける能力がある。そして、それこそ、実は政治家( or トップ)にとって最も重要な能力である。小泉のように独断専行するのは、本来のあり方ではない。人々の意見を聞いた上で、そのなかで最善と思えるものを自らの判断で選ぶことこそ、本来のあり方だ。そして、その能力は、福田にはある」
「この意味で、福田は、近来では稀に見る優れた首相だ。田中、三木、福田赳夫、大平、鈴木、中曾根、竹下、宇野、海部、宮沢、細川、というあたりは古い時代だった。いかにも首相っぽい人が多い。そのあと、羽田、村山、橋本、小渕、森、小泉、安倍、という順になったが、これらはどれもひどい連中だ。これらの連中に比べれば、福田康夫の方がずっといい」
( → 9月28日 )
これは、現時点で見ると、まあ、そこそこ当たっているだろう。「肝炎の薬害問題」では、さんざん迷走していたが、最終的には、問題の解決を図っている。最初からまともにやるだけの指導力はないが、間違いをしたあとで修正するだけの反省力はある。その意味で、「薬害エイズをずっとほったらかしてきた」という過去の宰相たちよりは、ずっとマシだ。
しかし、である。上記の私の評価は、福田首相のことを褒めているようだが、まともに褒めているわけではない。単に「駄目なのに比べればマシだ」というふうに褒めているだけだ。比喩的に通信簿で言えば、「成績が1の連中に比べれば、成績が3である凡人はマシだ」ということだ。「秀才だ」と褒めているわけではない。
ここで、問題だ。「秀才だ」というふうに褒めることができる宰相は、誰だろうか? そのような名宰相は、歴史上のどこに見出されるだろうか?
そう考えてみると、二人だけ、名前を掲げることができる。上記の
「田中、三木、福田赳夫、大平、鈴木、中曾根、竹下、宇野、海部、宮沢、細川、……羽田、村山、橋本、小渕、森、小泉、安倍」
という順序の直前だ。すなわち、「池田勇人、佐藤栄作」という二人である。(池田、佐藤、田中、という順で続く。)
このうち、真に立派なのは、池田勇人である。
一方、佐藤栄作はどうかというと、彼の功績は、「何もしなかったこと」にある。もう少しわかりやすく言えば、「前任者(池田)の路線を踏襲して、特に変更しなかったこと」である。その意味で、佐藤は、「死せる池田、生きる佐藤を走らす」という形になる。だから、真の意味では、池田一人が立派だったことになる。佐藤は、それをつぶさなかったという(消極的な)功績がある。
( ※ なお、田中は駄目だ。景気刺激策を過剰に取ったあげく、ひどいインフレをもたらした。石油ショックの外的影響がそれを増した。一方、田中のあとの福田は、田中路線を全否定したあげく、ひどい不況をもたらした。……どちらも、やりすぎ。どちらも駄目。)
( ※ 念のために福田のどこが駄目かを説明すると、「物価上昇の撲滅」をめざしたことそれ自体が駄目だ。このときには石油ショックがあったのだから、ある程度の物価上昇は不可避だった。それを素直に受け入れるべきだった。なのに、それを無理に大幅に押さえつけようとしたので、ひどい不況が起こった。やりすぎ。たとえて言うと、高熱の患者に解熱剤を大量に飲ませすぎて、治癒に必要な熱さえも大幅に奪ってしまうようなもの。)
ともあれ、池田以外は、みんな駄目だった。
では、池田の立派さは、どこにあるか? もちろん、「所得倍増計画」と実行して、高度経済成長をもたらしたことだ。
これについて、今日の経済学者は、次のように説明することが多い。
「このころは、科学技術の進歩にともなって、大幅な生産性向上があった。だから、高度経済成長が起こるのは、当然だ」
これは正しくない。私が何度も行っているように、生産性の向上があるから経済成長があるのではない。経済成長があるから生産性の向上があるのだ。
池田の経済政策の本質は、どこにあるか? 次のことだ。
「大量の失業者という余剰労働力を活用することで、経済成長をもたらした。」(個人レベルの生産性向上なしに。)
このことで、結果的に、(国家レベルの)生産性の向上をも もたらしたことになる。とにかく、ここでは、「余剰労働力を活用すること」が重要である。
実際、アジアの経済成長でも、現在の中国の経済成長でも、はたまた戦後ロシアの経済成長でも、その急激な経済成長の理由は、常に、「余剰労働力を活用すること」であった。(クルーグマンの指摘。)
ま、当然である。何もしないで遊んでいる人々が、ちゃんと働くようになれば、それだけで経済は大幅に成長する。「(雇用されている)労働者の生産性」は向上しなくても、「(雇用されていなかった)人間の生産性」は 0% から 100%へと、劇的に向上するからだ。……ここに高度経済成長の真の理由がある。
では、高度経済成長をもたらすには、どうすればいいか? 一番肝心なのは、「目標は高度経済成長だ」と目標設定することだ。池田勇人は、それをなした。ここに、首相としての立派さがある。何を優先するかを、ちゃんとわきまえていたのだ。
こうして、最優先のものが決まったあとで、脇に押しのけられるものがわかる。それは「物価安定」だ。これは重要ではなくなる。つまり、「物価上昇」が起こっても放置される。
結局、高度成長期には、「毎年7%」という大幅な物価上昇が続いた。そして、それを代償として、「名目値で十数%、実質値で7%」という急激な経済成長が続いた。
そして、そのようなことが可能になったのは、日本の技術が優れていたからではなくて、「物価上昇をあえて放置する」という政策を取ったからなのだ。
さらに言おう。ここでは、「物価上昇があるから経済成長が起こった」のではない。「物価上昇があるから経済成長が起こる」というのは、マネタリストの説だが、そんなのが嘘八百であることは、石油ショック時のスタグフレーションを見ればすぐにわかる。アルゼンチンを見てもわかる。
では、真相は? 基本は「総需要拡大政策を取る」ということだ。その方法は、減税と低金利の組み合わせである。ここでは減税もまた不可欠だ。(低金利だけでは足りない。)
で、その結果は? 「総需要の拡大」である。そこからさらに、「総需要の拡大にともなう、投資の増加と生産力の増加」が起こった。だから、大事なのは、「物価上昇」そのものではなくて、「総需要の拡大」なのだ。
そして、「総需要の拡大」があったとき、副作用として「物価上昇」が起こるが、だからといって、「物価上昇」を止めようとはしない。なぜなら、そうすれば、「総需要の拡大」が抑制されて、「高度成長」そのものがストップしてしまうからだ。
こうして、池田勇人の功績がわかる。
・ 高度経済成長という目標を据えた。
・ その目標のために、物価上昇を犠牲にした。
・ その大枠のもとで、総需要拡大政策を取った。
・ そのための具体的な手段として、「減税」を採用した。
この四点セットがあって初めて、高度経済成長が実現する。彼はまさしく、それを成し遂げた。
そして、そのようなこと(大正解)をなしたのは、日本の歴史上で、池田勇人だけだった。世界的に見ても、ごくごく少数である。日本以前にはなかった、とさえ言えるかもしれない。……その意味で、池田勇人は歴史上、稀に見る名宰相だった、と言えるだろう。
もし彼がいなければ、日本は今ごろ、アジアの貧弱な経済小国になっていたはずだ。
[ 付記 ]
で、ひるがえって、今の日本はどうか? 上記の四点セットは、揃っていない。
・ 高度経済成長よりは、財政再建を目標にしている。(方向が正反対)
・ たとえ成長を目標としても、物価上昇という犠牲を払いたがらない。
・ たとえ物価上昇を甘受しても、総需要拡大政策を取らない。
・ たとえ総需要拡大政策を取っても、減税をやらない。(低金利だけ。)
これじゃ、どうしようもないですね。池田勇人とは正反対の政策を取っているから、結果もまた正反対。高度縮小政策、とでも呼ぶべきか。冗談みたい。
で、その最大の難点は、自分がそういう愚かな政策を取っていることに、気づきもしないことだ。いわば、坂を下ろうという政策を取っているくせに、坂を上がろうという政策を取っているつもりだ。
錯覚。妄想。倒錯。ここに現代日本の悲劇がある。阿呆というか、狂気というか。
● ニュースと感想 (12月29日)
「韓国の高度成長政策」について。
前項 では、日本の高度成長期について言及した。
一方、韓国では、新しい大統領が選出されたが、この人が、「高い成長率」を公約している。
サラリーマンから財閥企業の社長へ、そして国会議員、ソウル市長、ついに大統領まで上り詰めたハンナラ党の李明博氏は「CEO(最高経営責任者)大統領」と称される。
経済分野の公約の柱は「年7%の経済成長」とソウル−釜山の500キロ以上をつなぐ「大運河計画」だ。高度成長と運河整備などによる年間60万人の雇用創出が目標で、職に就けない若者など失業対策を急ぐ。
公約で「社会的弱者」にも配慮。住宅・教育・医療費などの所得控除拡大や石油類関連税の10%引き下げなど計4兆2000億ウォン(約5100億円)の減税のほか、幼児保育や老人医療費の国家負担拡大も打ち出している。
( → Business i )
この人の発想を見ると、「成長政策」の実態は、「経営力 プラス ケインズ政策」であるようだ。しかし、これは、日本の高度成長期の政策とはまったく異なる。
日本の高度成長期の政策を真似るのであれば、次のことをなすべきだ。
- 「弱めのインフレ政策」(物価上昇率で7%程度。かなり高め。)
- 「インフレを補うための減税」(物価上昇分を補填する。)
- 「無駄な公共事業をしない」(予算は所得税の減税に回すので。)
この三点をすべて実施した場合のみ、高い成長率が実現でき、しかも、インフレの痛みをなくすことができる。それがマクロ政策だ。
しかるに、今度の大統領は、そうはしない。
- 「インフレの回避」(物価上昇率は低め。ゆえに高成長は不可能。)
- 「高成長があると仮定しての減税」(捕らぬ狸の皮算用。)
- 「無駄な公共事業をする」(国民でなく国が浪費する。)
以上を見ると、日本の高度成長期の政策とはまったく異なる。
そして、それというのも、ここには「経済学」はないからだ。マクロ経済学というまともな経済学はなくて、単なる直感的な経営判断力があるだけだ。こういう人は、一企業の社長としてはいいが、一国の経済を操るには見当違いであろう。マクロ経済学というのは、「大きなミクロ経済学」でもないし、「大きな経営学」でもないからだ。
結論。
マクロ経済学を理解しないまま、当てずっぽうに経済政策を取っても、「良いことをなそうとして、悪しき結果を招く」ということにしかならない。
知恵なくしては、まともなことはできないのだ。
[ 付記 ]
参考記事を紹介しておく。特に読まなくてもいいが、関連情報を知りたい人向けのニュース記事。
( → 参考記事 )
● ニュースと感想 (12月29日b)
「ブット元首相の暗殺」について。
ブット元首相が暗殺された。これを見て、「テロを撲滅しなくちゃ」と思う人もいるだろうが、事実は正反対だろう。「テロ撲滅」という行動をやればやるほど、こういうテロ行為が暴発する。
今回の暗殺は、イスラム過激派による犯行らしいが、だとすると、アフガンのイスラム過激派が流入したせいだろう。そのせいで親米派のブット元首相が狙われたわけだ。
で、その根源は何かというと、「イスラム過激派が存在したこと」ではなくて、「イスラム過激派を存在させたこと」、つまり、米国のイスラム敵視政策だろう。
比喩的に言えば、逆に言える。古臭いキリスト教世界に、先進的なアラブ世界が侵入してくると、古臭いキリスト教世界では過激派が増長する。あげく、キリスト教の「十字軍」みたいなものができて、イスラム世界を攻撃する、というわけだ。(歴史にありましたね。十字軍遠征というやつ。)
実は、こういうこと[= 反発としての暴走]は、人間心理では常に成立する。
- 監獄で囚人を弾圧すると、囚人は暴動を起こしたり脱獄したりする。しかし、監獄が囚人を優しく扱うと、囚人は居心地が良くて脱獄しない。(吉村昭「破獄」新潮文庫)
- 精神病院が患者を厳しく管理すると、患者は反抗したり脱走したりする。しかし、精神病院が患者を優しく扱うと、患者は居心地が良くて脱走しない。(なだいなだ「アルコール問答」岩波新書)
だから、「テロ撲滅」という名目で、イスラム世界を弾圧すればするほど、その地では、どんどんテロ行動が起こる。
今回の暴走行為も、根源的には、ブッシュ2代のアホ政治の結末であろう。
[ 付記 ]
じゃ、どうすればいいか?
どうせなら、おいしいものでも食べさせて、娯楽を与えてやればいい。そうすれば、「テロなんて、バカバカしくてやってられん。それより、萌えアニメを見よう」とでも思うだろうに。 (^^);
自衛隊は、学校建設や道路建設をするだけでなく、学校に漫画を入れるべきですね。それが平和のための最善の方法。
テロリストをやっつけるには、銃弾は入らない。萌えアニメがあれば足りる。腑抜けにできますから。
● ニュースと感想 (12月31日)
「ゴミの分別をしよう」という運動がある。しかし、分別など、いくらやっても、「リサイクル」「省エネ」の効果はほとんどない。
「リサイクルのため」「省エネのため」という名目を立てても、ゴミの分別は、ほとんど無意味である。
→ Open ブログ 「分別馬鹿」
● ニュースと感想 (1月01日)
「燃費のよい自動車に乗ろう」という記事がしばしば新聞紙面をにぎわす。「省エネや地球温暖化防止になるから」というわけだ。しかし、そういう記事のほとんどすべては、嘘八百である。
→ Open ブログ 「燃費馬鹿」
● ニュースと感想 (1月02日)
シティ・コミューターと呼ばれる小型自動車が知られている。軽自動車や、もっと小さな MCCスマートなど。これと電気自動車を組み合わせることで、さらに小型のタイプを作れるだろう。
→ Open ブログ 「ライトコミューター」
※ お正月用の、夢のある話。
● ニュースと感想 (1月03日)
「ガラスの仮面」は、言わずとしれた超有名漫画。その最終巻を ありありと予想する。
→ nando ブログ 「ガラスの仮面」最終巻☆予想
● ニュースと感想 (1月05日)
ケータイ電話などの所有者の、位置を検出技術がある。ドコモでは「イマドコサーチ」というのがあるが、もっと別のものもある。
→ Open ブログ 「位置検出技術」
「ガソリン税を減税しよう」という主張が与野党の間で広がっていた。(結局はつぶれたが。)しかし私としては、「ガソリンよりもビールを減税せよ」と主張したい。
→ Open ブログ 「ガソリンとビール」
● ニュースと感想 (1月06日)
敬語について、三分類から五分類へと、分類が変更された、ということが前に話題になった。( 2007年・文化審議会の答申)
この件について、新たに明快な見解を示す。
→ Open ブログ 「敬語「伺う/参る」」
● ニュースと感想 (1月07日)
「三方一両損」は、落語で有名な話。
だが、その裏には、秘められた真相があった。実は ………
→ nando ブログ 「三方一両損の真相」
● ニュースと感想 (1月08日)
「教育では思考力を養うことが大事だ」という趣旨の朝日・社説があった。
この社説について論評しながら、「思考力を養う教育とは何か」を論じる。
→ nando ブログ 「思考力と教育」
→ nando ブログ 「朝日の経済判断」
● ニュースと感想 (1月09日)
(1)
裁判所は、古新聞を拾う古紙回収業者にはやたらと厳しい。次々と有罪にしていく。これはいかにも奇妙なことである。
→ Open ブログ 「古紙リサイクルと自治体」
(2)
職場では「ご苦労様」と「お疲れ様」の区別がしばしば話題になる。
では、世間の常識で言われる区別は、正しいか?
→ Open ブログ 「ご苦労様とお疲れ様」
● ニュースと感想 (1月10日)
酒酔い運転をして轢き逃げをした犯人がいる。彼はこのたび裁判所で、「酒酔い運転ではない」と認定された。この事件をめぐって、酒酔い運転の本質を論じよう。
→ Open ブログ 「酒酔い運転の意味」
● ニュースと感想 (1月10日b)
前に書いた「戦争の経済学」の最後に、書評を加筆しました。
あくまで書評です。特に読む必要はありませんが、お暇ならばお読み下さい。(悪口を読みたい人向け。)
→ nando ブログ 「戦争の経済学」 (その後半ないし最後。)
● ニュースと感想 (1月11日)
「草思社の経営破綻」について。
草思社が経営破綻した。民事再生法の申請。( 2008-01-10 各紙報道。)
いや、びっくり。この会社はけっこう有名だし、ベストセラーもずいぶん出していた。有名な方である。調べてみたら、従業員は 31人しかいないということだから、小企業なのかもしれないが。
しかし、出版不況も、ここまで来たんですかねえ。「本を読まなくなっている」という若者たちが多くなったが、そのせいで出版社までこういうことになると、日本全体で「知の縮小再生産」になってしまう。知が縮小。
経済だけでなく、知もデフレスパイラルようだ。日本は崩壊しつつあるのかも。……この分だと、国民の知的レベルがどんどん低下して、円の実力がどんどん低下して、どんどん円安になって、日本は途上国になってしまうかもしれない。韓国や中国が知の先進国となり、日本は途上国として労力だけを提供する。……でも、そうなると、「労働コストが下がって国際競争力が上がる」と主張する経済学者は大喜びだろう。いわゆる古典派やサプライサイドだ。
なるほど。そうしてみると、日本の「知」がどんどん崩壊しているのは、まさしく政府や経済学者の狙い通りだったことになる。いやはや。深謀遠慮ですかね。日本を崩壊させることで自分だけが金儲けをしようとする企業経営者と経済学者。もちろん、それは間違いなのだが、短期的視野に立って、「それがいい」と思い込んで、あえて泥沼に入ろうとするわけだ。視野の小さい阿呆。……やってられんわ。
( ※ ひょっとしたら、経済不況のせいで、国民は本を買うお金もないのかも。……ああ、ますますやってられんわ。栄えるのはブックオフばかり。)
( ※ 雑誌も総崩れ、という状況だという。 → 参考サイト )
《 翌日のページへ 》
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