[付録] ニュースと感想 (128)

[ 2008.3.21 〜 2008.4.23 ]   

  《 ※ これ以前の分は、


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      12月28日 〜 1月08日
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       7月26日 〜 8月14日
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       1月12日 〜 2月02日
       2月03日 〜 3月20日
         3月21日 〜 4月23日

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● ニュースと感想  (3月21日)

 「景気診断」について。
 景気の状況を分析しよう。
 朝日の経済記事( 2008-03-20 朝刊)に情報があるが、株価はここのところずっと低下しつつある。半年の間に、平均株価は 1万8000円から 1万2000円へと低下した。
  → 株価チャート
 そこで記事では、輸出企業の見解として、「大変だ、大変だ」と大騒ぎしている。まあ、大変ではあるが、通貨レートというのは、一国全体で見れば、損も得もない。輸出企業は損をするが、一般国民は得をする。大騒ぎするほどのことではない。
 ただし、輸出企業を中心に、株価は大幅に下がる。とすれば、ここを逆手にとって、株で金儲けをすることもできる。次のように。
 「円高などのせいで、平均株価が大幅に下落した時点で、輸出企業の株を買う」
 朝日の記事では、「投資信託の指数が大幅に下落した。20%〜30%の運用損が出た。大変だ」というふうに記述している。だが、だったら今こそ、投資信託や株を買えばいいのだ。それで儲けることができる。
 そもそも、株価というものは、2年ぐらいの周期で上がったり下がったりするものだ。だったら、下がったときに買って、上がったときに売ればいい。それだけのことだ。「いつも少しずつ何かを買う」という方針ではなくて、「大幅に下がったときにだけ買う」というふうにしておけばいい。そして、そのあとは、欲を張らずに、「天井になる8割のところで安全に売っておこう」と思えばいい。あるいは逆に、「天井から下ったところで、まだ損が出ないうちに売っておこう」と思えばいい。「持っていればまだまだ上がる」とは思わず、「持っていればいつかは下がる」と思って、そこそこ儲けたところで手じまいすればいい。ただ、いずれにせよ、下がったところで買うべきだ。それが今だ。
 ま、このあとさらに下がることもあるだろうが、平均株価が 1万2000円ならば、数年の期間を考えれば、1万4000円以上になることはいつかはあるだろう。そのときに売ればよい。
 
 今回の株価下落は、米国発のものだから、日本経済自体のせいじゃない。だったら、そのうち株価低迷も収束するだろう。見通しはそう悪くはない。また、輸入物価の上昇により、スタグフレーション気味だから、通貨価値は低下しつつある。となると、現金を持っているよりは、株でも買った方がよさそうだ。あらゆる意味で、今は株の買い時。
 ともあれ、「大変だ、大変だ」と騒ぐよりは、長期的な視点をもつといい。今回の下落は、景気のブレ(波)の底辺に当たる。とすれば、放っておいても、そのうちまた上昇していく。
 この変動は、マクロ的な変動ではなくて、中期的な社会的要因に起因するものだ。とすれば、いつかは収束する。

 なお、逆に言えば、次のことも大切だ。
 「これまでマスコミは、景気回復を主張してきた。『平均株価が1万8000円になって、景気は上昇局面にある。とうとう景気が回復した』というふうに。しかしそんなものは嘘っぱちである。あくまで縮小均衡のなかで、企業収益がいくらか改善したというだけであり、マクロ的な生産状況そのものが改善したわけではない。景気回復などはまやかしである。」
 これまでの景気回復はまやかしであったが、それが本物だと人々は信じてきた。だから今になって株価が下落すると、大あわてする。しかし本当は、もともと景気回復はまやかしであったのだから、これまでの株価上昇もまた偽物である。本当は1万4000円ぐらいが実力であろう。
 ただ、それに比べると、今は過度に下方にブレすぎている。だから、そのうちまた、もう少し高い水準に戻るだろう。その後はまた、「景気が回復した」という妄想が広がって、1万8000円ぐらいに過剰に上昇することもあるだろ。だから、その時点で、誰かに売ってしまえばいい。そうすれば、上手に手じまいをして、儲けることができる。
 とにかく、株価というものは、実態を離れて、過剰に上がったり下がったりするものだ。それを利用して、半年か1年か2年ぐらいの期間で、「下がったときに買い、上がったときに売る」というふうにすれば、うまく儲けることができる。今回は、円高が過剰に進んでいるという面があるから、輸出企業の株を買うのが正解だろう。(ただし、短期的には、さらに株価が下落する懸念もある。そのあたりは、仕方ない。私は神様じゃないから、未来の予測を確実になすことはできない。)

 [ 付記 ]
 ちなみに、私の作戦は、こうだ。
 「現時点で、自動車会社のマツダの株を買う。低価格なので、買いやすい。そのあと、平均株価が1万7000円を超えたら、売り時。2年以内のいつか、というメドをすえて、いったん上がってから下がり始めたころに、売る」
 なお、どうしてマツダか、というのは、いちいち説明しない。別に、私はこれを他人にお勧めしているわけじゃない。買った誰かが損をしたって、私の知ったこっちゃない。買った誰かが儲けたって、私は分け前を要求しません。あくまで自己責任で。
( ※ なお、リスクを下げるには、分散投資をするといい。一社でなく数社を買う。もっとリスクを下げるには、投資信託。いずれにせよ、今は割と買い時。)


● ニュースと感想  (3月22日)

 三菱の小型ジェット機について、なかなか骨のある批判が来たので、反論する形で、追記を書き加えておいた。本文の 【 追記2 】と、コメント欄の最後。
 → Open ブログ 「三菱の小型ジェット機 MRJ」

 技術の話というよりは、経済政策の話。お暇ならば、お読み下さい。


● ニュースと感想  (3月22日b)

 「日銀総裁の空白」について。
 日銀総裁がなかなか決まらないで、空白になっている。
 これはまあ、民主党のせいというよりは、福田首相のせいである。こんなにバカだとは思わなかったね。もっとまともかと思っていたのだが。丸出駄目男ですね。

 さて。こうして空白状態が続くことで、日本経済にはどういう影響があるだろうか? それをテーマにしよう。
 読売( 2008-03-20 )は、1面記事や経済面記事や社説などで、「大変だ、大変だ」と大騒ぎしてる。「こんなことだと日本の景気政策がメチャクチャになる」というふうに。そして、その根底にあるのは、次の発想だ。
 「日銀は金融政策を通じて、景気を操作する」
 これは本当か? それがテーマだ。

 実は、これは、まったくの妄想(間違い)だ。この発想は、マネタリズムの発想だが、マネタリズムの主張が間違いだということは、すでに判明しているはずだ。「ゼロ金利政策を取っても、ちっとも景気は拡大しない」ということで。
 この点では、朝日の記事で紹介されていた、白川副総裁の見解の方が妥当だ。彼は「金融政策には限界がある」というふうにはっきりと認めている。その方が正しい。

 はっきり言おう。日本は今や、ほぼゼロ金利だ。つまり、日本の政策金利(以前の言葉で言えば公定歩合のようなもの)は、この1年間はずっと 0.5% である。また、それ以前は 0.25% であった。
  日本政策金利の推移
  0.5% であれ、 0.25% であれ、0%であれ、たいして違いはない。いずれにせよ、金利は底打ちしており、これ以上は下げられない。( 0.5% ならば、このあとはいくら下げても 0.5% しか下げられない。) つまり、金融政策の選択の余地はほとんどないし、何を選択しても効果はほとんどない。
 とすれば、日銀総裁が誰になろうと、日銀は手足をもがれたも同じである。やることは何もないのだ。
 仮に、あるとしたら、金利を引き上げることだけだ。しかし、不況下で金利を引き上げるというのは、ナンセンスであろう。仮に、現状で金利を2%ぐらい上げたら、景気は大幅に悪化して、とんでもないことになる。

 日銀のやるべきことはただ一つ。「何もしないこと」だけである。とすれば、日銀総裁が誰になろうと、たいして意味はない。「何もしないこと」をするためには、誰の決断も必要としないのだ。自動車で言えば、単にまっすぐにハンドルを固定していればいいのであって、勝手に右や左に逸れても、脱線するだけだ。「ハンドルを上手に切れる人を選ぼう」なんていう発想は不要である。
 というわけで、「日銀総裁が空白だから大変だ」という読売の騒ぎは、それこそとんでもない勘違いだ。実際には、空白だって、何の支障もない。せいぜい、会議で代理人を立てる必要がある、というメンツの問題だけ。ま、それが問題なら、ミス日本の美女でも、代役として送付すればいい。それで済む。これでウケ狙いができるしね。  (^^);
 とにかく、日銀総裁の空白なんて、ちっとも問題ではない。では、何が問題か? それは、このあとでオマケふうに示す。

 [ 付記 ]
 今の日本では、日銀総裁の空白よりも、ずっと大きな問題がある。それは、「景気政策の空白」だ。金融政策が無効になっている状況(不況という状況)では、金融政策のかわりに、「減税」という政策が必要なのだが、その肝心の政策がお留守になっている。つまり、空白状態だ。こいつが問題だ。
 あるべき姿を示そう。次のことだ。
   (i) 大規模減税をやる。(20兆円以上。)
   (ii) それにともなって、金利水準も3%程度に引き上げる。
 このうち2番目は、「金利の引き上げ」に当たるが、これは、「景気が過熱したから金利を引き上げる」という意味ではなくて、「低下しすぎた金利を元の水準に引き上げる」(さもないとインフレが暴走するから)という意味だ。「下げすぎたものを普通に戻す」という意味であって、「景気鎮静のためにとにかく金利を引き上げよう」というマネタリズム政策とは違う。
 つまり、2番目があるのは、1番目の「大規模減税」があるからだ。これが先にあって、その補完策として、2番目がある。2番目だけが単独であるわけではない。注意。
 だから、1番目の「大規模減税」がなされたあとで、ようやく、日銀総裁の出番が来る。一方、1番目の「大規模減税」がなされていないのであれば、日銀総裁の出番もない。
 政府としては、日銀総裁の空白を議論するよりも、まず自らの景気政策の空白を議論するべきなのだ。現状は、本末転倒である。

 [ 余談 ]
 余談だが、「公共事業」という財政政策は、必要ない。つまり、ケインズ政策は必要ない。むしろ、そんなものは邪魔である。その分、減税に回すべし。
( ※ なお、「公共事業の方が乗数効果が高い」と思う人は、自分の給料の全額を、どこかの浪費家に寄付してしまえばいい。浪費家の乗数効果はとても高いから、その浪費家が国民の金をせっせと浪費してくれる。……その浪費家の名前は、「道路公団」である。ケインズの息子。穴を掘って埋めるのが得意。)


● ニュースと感想  (3月23日)

 生物学で、「自分の遺伝子」をめぐる話。久々に。
 補足的な話です。
  → Open ブログ 「自分の遺伝子 6 (解説A)」
 ※ 「自分にある遺伝子」を「自分のもの」と見なして、「自分の遺伝子」と呼ぶのはおかしい、という話。それはいわば、
 「おれのものはおれのもの。ひとのものはおれのもの」
 というのと、同じ発想である。
 自分の子の遺伝子を「自分の遺伝子」と呼ぶが、それだったら、自分の遺伝子もまた、「自分の親の遺伝子」であるにすぎない。そのことに気づいていない論理的矛盾。
 「おれのものはおれのもの。ひとのものはおれのもの」
 生物学者というのは、こういうふうに、自分勝手な論理を駆使するのである。


● ニュースと感想  (3月23日b)

 「所得と結婚」について。
 お金のない人ほど結婚する率は低下する、という調査。
20〜34歳の男女が二年間のうちに結婚した比率は:
  ・ 無所得 〜100万円未満 …… 男性 4.4%、女性 9.8%。
  ・ 200万〜300万円未満 …… 男性 9.9%、女性14.1%。
  ・ 400万〜500万円未満 …… 男性13.4%、女性15.6%。
         ( → zakzak

 男性の方は、所得と結婚とがほぼ正比例。
 女性の方は、職はないよりもあった方がいいが、特に所得が多くなくてもいいようだ。つまり、男の甲斐性しだい。ただし、男にあまり甲斐性がないときは、女性の所得も役立つ。
 地獄の沙汰も金しだい……じゃないが、結婚という沙汰も金しだい。
 「愛があればお金なんかいらないわ。手鍋下げても」
 なんてのは、今では通用しないようだ。「ケータイを手放すぐらいなら、男を手放した方がマシ」ということか。
 ケータイよりも軽い、男の地位。ストラップ並みでしょうか。  (^^);


● ニュースと感想  (3月24日)

 「政治家と権力」について。
 台湾の選挙で、新しい総統が決まった。親日・保守的な方が負けて、親中・革新的な方が勝ち。(この図式はちょっと単純すぎるが、ま、一応。)
 負けた方は、政治キャンペーンが上手で、仮想敵国への批判をすることで、自分を有利にしようとする。ブッシュに似た手法。勝った方は、民心を巧みにとらえて、民心に強く訴える。ただし、その公約は素敵だが、公約が実現するとは限らない。うまい口先だけをいって、実際には何もしなかった、という政治家は、枚挙に暇がない。(小泉とかね。今度の総統は、小泉にちょっと似ている。)
 一方、日本の政治家は? 
 福田は? 「悪いことはしそうにない」と予想したが、なるほど、悪いことはしなかったが、なすべきこともちっともしない。ただグズグズしているだけだ。政治の停滞。呆れてしまう。日本が脳死状態になる。
 小沢は? やたらと権力志向が強く、自分の権力獲得のために、何でもかんでも利用してやろう、という魂胆。国民を自分の権力獲得の道具にしてやろう、という発想。

 さて。ここで、本項のテーマだ。小沢は、こういう発想をする。
 「権力を取らない政治家は、何の意味もない」
 この発想のもとで、何が何でも権力を取ろうとする。
 では、この発想は、正しいか? これがテーマだ。

 このテーマに、私は解答を与える。次のように。
 「この発想は、間違いではないが、半分正しいだけだ」

 比喩的に言うと、「子を生むには、男が必要だ」という主張に似ている。なるほど、たしかに男は必要だが、女だって必要だ。「男が必要だ」という主張は、半分だけ正しい。その半分だけを主張しても、ほとんど意味がない。主張としては欠陥品である。
 権力の話に戻ろう。たしかに、
 「権力を取らない政治家は、何の意味もない」
 と言える。ただし、それだけでは、半分だ。残りの半分は、こうだ。
 「権力を取るだけでは、そんな政治家は有益とは限らない」
 権力を取って悪用する政治家は、無意味ではないが、マイナスの意味がある。意味は、ゼロではないが、マイナスだ。マイナスの政治家を見て、「ゼロではない、無意味ではない」と主張しても、小沢のような有害な政治家ができるだけだ。

 では、何が正しいか? こうだ。
 「政治家は、権力を取るだけでなく、権力によって何をなすかが大事だ」
 しかしながら、小沢には、そのことがほとんど念頭にない。「権力を取ること」ばかりが念頭にあり、その後にどんな政治をするかについては、ほとんど発想がない。彼の政策を訴えるホームページを見てもわかるが、「小さな政府」というような発想をするだけで、ごくありきたりの保守系の発想だ。バカでもできる保守系政策。こんなのは、政策と呼べるようなものではない。

 要するに、小沢は、「権力を取ること」ばかりが念頭にあり、「権力を取って何をするか」ということが念頭にない。こういう政治家が、
 「権力を取らない政治家は、何の意味もない」
 とだけ訴える。しかし、こういう政治家は、
 「権力を取っても、何の意味もない」
 もしくは、
 「権力を取っても、有害である」
 となるだけだ。ブッシュみたいなものですかね。

 結論。
 「権力を取らない政治家は、何の意味もない」
 という主張は、たしかに正しい。しかしそれは、物事の半分を示しただけであり、半分正しいだけだ。そして、残りの半分にこそ、本質がある。
 どうでもいい半分についてだけ正しいことを語り、肝心な半分については何も語らない。そういう詭弁によって、「自分は正しい」と主張している人は、とても多い。この手の詭弁に、だまされないようにしよう。

( ※ ついでに言えば、「利己的遺伝子説」というのもそうだ。「遺伝子集合淘汰」という主張は正しいが、「自分の遺伝子」という主張は正しくない。なのに、「利己的遺伝子説はすべて正しい」と思い込んでいる生物学者が、非常に多い。……政治であれ学問であれ、人々は詭弁にだまされる。)
( ※ 女だってそうだ。顔の半分だけはかわいいが、残りの半分は般若(はんにゃ)である。その般若の方は隠しておいて、結婚してから見せるものだ。……あ、あの、これ、私の家のことではありません。念のため。  (^^); )


● ニュースと感想  (3月25日)

 「自分の遺伝子」の話の補足。
 自分の遺伝子というものが大事だ、という立場を取るとしよう。
 さて。あなたに双子の兄弟がいると仮定する。その双子の兄弟に、あなたの妻を寝取られてもいいか? 遺伝子的には、双子のどっちが孕(はら)ませたって、同じことであるが。
  → Open ブログ 「自分の遺伝子 7 (解説B)」


● ニュースと感想  (3月26日)

 「新超特急と旧超特急」について。
 新超特急として、リニア新幹線を整備する方向にあるそうだ。2025年(平成37年)の開業を目指して、JR東海は詳細を国土交通省と調整するという。( → 産経ニュース

 ま、それはそれでいいが、本項の話題は別の方だ。新超特急でなく、旧超特急の方だ。
   → 整備新幹線の建設予定・路線図
 金額ははっきりしていないが、2兆〜4兆円ぐらい、かかるらしい。また、それにともなって、在来線は大赤字になるから、そっちの赤字負担も、別途必要になる。とんでもない金食い虫。
 さて。このように整備新幹線ができたとして、そのとき、時代はリニアになっている。とすると、どうなるか? 次のことが予想される。
 「整備新幹線を建設したあとで、『こんなのは時代遅れだから、リニア新幹線を別途整備するべきだ』という声が出てきて、整備新幹線はすべてお蔵入りになる。その代わりに、リニア整備新幹線という構想ができて、そこにまた、同じぐらいの巨額の金が投じられる」
 これはまあ、ケインズ政策ですね。穴を掘って埋める、というやつ。整備新幹線を作って、すぐにスクラップにする、というわけ。

 だったら、最初から、リニア新幹線にした方がいいでしょうに。それなら、まだわかる。リニア新幹線なら、付加価値があるから、かなり高額でも、客は付くかもしれない。とすると、採算に合うかもしれない。
( ※ 客としては、高額を払わされるので、頭に来るかも。……しかし実は、新幹線なんて、もともと地元客はあまり乗りそうにない。地元客は、鉄道でなく、自動車でしょう。新幹線なんて、しょせんは観光客向け。地元客には無意味。)

 [ 付記 ]
 なお、本項は、「地方にリニア整備新幹線を作るべし」という趣旨ではないので、念のため。こんなことをやるくらいなら、道路の整備の方がまだマシだろう。
 ただ、いくら馬鹿げていることでも、政治家というものは、どんどん決めてしまうものだ。東京都の石原銀行もまた、400億円の追加出費が決まったようだ。自民党と公明党の賛成で。
 こっちの阿呆と、あっちの阿呆。同じ阿呆なら、少しでも犠牲の減る阿呆にして欲しい、というのが、本項の趣旨。バカを利口にする、というのは、ちょっと無理みたいなので。  (^^);
 できれば、踊る阿呆になって欲しいところだが。


● ニュースと感想  (3月28日)

 「エクリプスECJ」について。
 三菱のMRJについてはかねて批判してきたが、それとは対極的なものとして、エクリプスECJ というもっと小型のジェット機がある。とてもカッコいい。画像がたくさんあるので、ご覧ください。
 → Open ブログ 「エクリプスECJ」

 これと比較すると、三菱のMRJは、飛行機というより、新幹線ですね。空飛ぶ新幹線。
 前項では、整備新幹線について言及したが、まさか「空飛ぶ新幹線」という奇妙奇天烈なものを作る会社があるとはね。地方路線ではなくて空中に、新幹線を飛ばそうとするわけ。呆れてしまう。(いや、三菱らしいというべきか。  (^^); )


● ニュースと感想  (3月28日b)

 「三菱の MRJ の新情報」について。
 ニュースから。
 (1) 三菱が MRJ でサーブと提携することを検討しているという。
 (2) 全日空が MRJ の購入を決めた。
 この二つの件については、下記の項目のコメント欄の最後( 2008-03-27 )に、コメントの形で解説を加えておいた。
  → Open ブログ 「三菱の小型ジェット機 MRJ」


● ニュースと感想  (3月29日+)

 三菱の小型ジェット機 MRJ は、国産機だと思われているが、本当は国産機ではなくて、半国産機だ、という話。
  → Open ブログ 「三菱の小型ジェット機 MRJ」の 【 追記4 】


● ニュースと感想  (3月29日)

 「ガソリンは値下がりするか?」について。
 ガソリンは暫定税率の廃止(一時的な廃止)になるらしい。では、その結果、ガソリンは値下がりするか? それを考えよう。
 たいていの人は、「税率が下がれば値下がりする」と単純に思い込んでいるようだが、経済というものはそれほど単純ではない。値下がりして、需要が増えれば、品薄になる。品薄になれば、価格が上がる。ちょっと複雑な動きをするはずだ。
 仮に、単純に税率の分だけ、値下がりしたとしよう。その場合、どうなるか?
 4月の当初は、値下げしたガソリンが石油会社から届くには、十日ほどかかるから、それまではしばらく値下がりしそうにない。(ただし、先行値下げをするスタンドもありそうだが。 → zakzak
 十日ぐらいして、値下がりしたガソリンが出回る。ここで、ガソリン価格が下がると、買い控えしていた人々がわっとガソリンスタンドに押し寄せる。そうなると、一時に大量の補給をすることはできないから、ガソリンスタンドのガソリンが空っぽになってしまう。そのあと、売り惜しみをしていたガソリンスタンドが、ものすごい高値で、ガソリンを売るようになる。
 ということは現実にはありえない。実際には、ガソリンスタンドのガソリンが空になるほど、価格が急激に下がることはないだろう。つまり、価格は、ちょっと下がるだけだろう。
 で、価格がちょっと下がっただけでも、人々はそこで買う。買わなかった人は、あとになって「買っておけばよかった」と後悔するハメになる。

 さて。一カ月後には、価格は元に戻る。そうわかっていれば、ガソリンスタンドは、売り惜しみするはずだ。たとえば、130円で売るかわりに、売らずに溜めておいて、一カ月後に 150円で売れば、ボロ儲けである。
 したがって、4月も半月ぐらいしたところで、早くも売り惜しみが始まる。売り惜しみをしなければ、その時点で 150円ぐらいに上がっている。(それで売れなくても構わない。溜めておくだけでいい。)
 売り惜しみをしないで、130円ぐらいで売るガソリンスタンドもあるだろうが、そこは大量の客が押し寄せて、すぐに空っぽになってしまう。空になるガソリンスタンドがたくさん出るだろうが、そのすべてに石油会社が補給することはできないから、空になったスタンドは、空のままか、配給みたいに数量制限するか、あるいは今度は値上げして売るようになるだろう。

 結論。
 当面はなかなか値下げをしない。
 その後、ようやく値下げをするようになるが、まともに値下げしたスタンドには、大量の客が押し寄せて、あっという間に空になる。だから、その少数のガソリンスタンドを見たら、さっさとガソリンを入れてしまえばいい。どうせすぐ、空になる。
 一方、大多数のガソリンスタンドは、空にはならないかわり、あまり値下げをしない。税金が 25円下がるとしたら、その半分ぐらいしか下がるまい。
 そして、4月末といわず、4月中旬から、じわじわと価格が元に戻っていく。戻らないスタンドでは、どんどんガソリンが空になる。
 結局、ガソリン価格は、いくらか下がるだけだ。ガソリン値下げの大半は、ガソリンスタンドの儲けとなる。彼らは、売り惜しみをするだけで、莫大な利益を得る。
 だから、「ガソリンが税率の分、値下がりするぞ」というのは、アテはずれ。儲かるのはガソリンスタンドばかりで、たいていのユーザーは、あくせくしてスタンドを探しても、10円×50リットルで、500円しか下がらない。そのくらいだけ。スタンドを探すためにガソリンを食うとすれば、値下がり利益はほとんどなく、排ガスが増えるだけかも。

 [ 付記1 ]
 ガソリンの買いだめで、石油ショックのときのトイレットペーパー騒ぎみたいな事が起こるか? 
 ガソリンというものは、トイレットペーパーと違って、たくさん買いだめすることはできない。ガソリンをポリタンクで買いだめすることは禁止されている。金属缶ならばOKだが、20リットル入りで 3500円もする。バカ高値。割に合わない。だから、車庫にガソリンを溜め込むことは、無理。
 とはいえ、自動車のガソリンタンクの範囲内でなら、できる限り買いだめする人が多いだろう。

 [ 付記2 ]
 この話のポイントは何か? 「市場原理」なんてものは字義通りには成立しない、ということだ。
 (1) 価格が下がっても、供給には限度がある。ガソリンの供給量(配給量)は一定である。需要が急増したからといって、大幅に運送量を増やすことはできない。タンクローリーの数で供給量は決まってしまう。
 (2) 価格が下がっても、需要には限度がある。人々はガソリンの買いだめができないからだ。「二倍買おう」と思っても、買えない。せいぜい、自動車のガソリンタンクの分で、時期をずらすことぐらいしかできない。
 以上のような事情があるから、「減税すれば値下がりする」なんて、思わない方がいい。「価格の硬直性」というのが成立する。で、結果的には、ガソリンスタンドが儲かる。
 で、誰が損するか? 国民だ。ガソリン税を一般財源に移転することができなくなりそうなので(首相がそうしたくても野党が反対しているので)、その結果、一般財源の負担が増える。その分、国民の負担が増える。あるいは、国民サービス受益が減る。たとえば、保険料の値上がり、という形。ガソリンの支払いは減っても、病院の窓口で払う金が増える、というわけ。
 右の財布の支払いは減るが、左の財布の支払いは増える。差し引きして同じだが、国民という猿は「朝に四つだと嬉しい」と喜ぶ。で、喜んでいる猿の手元から、ガソリンスタンド業者がこっそりおいしいものをちょうだいする。


● ニュースと感想  (3月30日)

 「民主主義の限界」について。
 現状の民主主義はひどいものだが、それは民主主義そのものが原理的に駄目であるからだろうか? ── この問題を扱おう。

 まず、「民主主義そのものが駄目なのだ」という見解がある。
 声がデカくて政党に圧力を掛ける圧力団体の声ばかりがよく通り、一般人の声はあまりよく通らない、という問題がある。このことから、次のように結論する。
 「これは代議制民主主義の欠陥なので、根本的に是正する方法はない。」
  ( → 池田信夫のブログ
 人の意見にいちいちケチをつける気はないのだが、典型的な見解であり、なかなか面白い問題提起ので、取り上げよう。

 実は、この発想は、かなり短絡的である。
   「現状はこうである」 → 「ゆえに原理的にそうなのだ」
 という論理的な飛躍がある。この手の論理的な飛躍は、しばしば見られる。
  例。 「巨人は勝っている。これは巨人が根本的・原理的に強いからだ」
  例。 「巨人は負けている。これは巨人が根本的・原理的に弱いからだ」
 ま、この手の論理的な飛躍は、枚挙に暇がない。いちいちあげつらっていたら、キリがない。ここでは単に、そういう論理的な飛躍がある、と理解すればいい。

 そう理解した上で、論理的な飛躍を是正すればいい。そうすると、「現状に固有の難点に着目すればいい」と理解できる。そういう視点で物事を考え直すと、次のように結論できる。
 「民主主義の問題は、民主主義という原理そのものにあるのではなく、その主体が愚劣であることによる」
 逆に言えば、次のように言える。
 「民主主義の問題を解決するには、民主主義という原理そのものを捨てればいいのではなく、その主体が賢明になればいい」

 たとえば、次の条件が成立した場合を考えよう。
 「国民が全員賢明であり、ロビー団体を優先する政党に投票しない」
 「国民が全員賢明であり、国全体をよくするために、手間暇かけて最善の政党に投票する」
 国民全体が、こういう賢明さをもてば、自民党みたいに圧力に屈する政党には、誰も投票しなくなる。また、ヒラリーやオバマの支持者みたいに、せっせと政治ボランティアをして、最高の政治家に投票するようにと、他の国民を啓蒙するようになる。
 逆に言えば、現状では、日本の国民の多くは愚劣であり、自民党みたいに圧力に屈する政党に投票する人が多い(特に田舎ではそうだ)から、圧力団体がのさばるのである。

 一般に、たいていの問題は、制度自体の問題というよりは、その主体である人間の愚かさに起因する。
 ただし、たいていの人は、「おまえがバカだからだ」というふうには指摘しない。「あなたたちは賢明です。あなたたちはお利口です」とゴマをすりながら、「だけど制度が悪いんですよ。制度のせいなんですよ。仕方ないですね。諦めましょう」というふうに論点を逸らす。
 そして、こういうふうに、大衆の知性を啓蒙するかわりに、大衆におもねる人々こそ、利益を得るのである。逆に、大衆の愚劣さを指摘すると、私みたいに、「トンデモだ」というふうにさんざん非難されて、ちっとも儲からない。
 大衆と女にモテるコツは、バカには「利口」と褒め称え、ブスには「美人」と褒め称えることだ。(そして、物事がうまく行かなかったときには、「原理が悪いからですよ」と責任転嫁をしてしまえばいい。)

 [ 付記 ]
 ついでだが、これをよく利用しているのは、三菱重工だろう。YS11であれ MRJ であれ、うまく行かなかったときには、「あれが悪かったんです」と責任転嫁したあげく、国から余分の補助金をがっぽりとちょうだいする。決して「自分の見込み違いでした」とは言わない。
 MRJ の当初の開発支援金(国費の投入)は、250億円の予定だった。今ではいつのまにか 500億円に増えてしまった。最終的には、1000億円になるか 2000億円になるか。「三菱の倒産を防ぐため」という名目で、1兆円ぐらいの投入になるかもしれない。
 で、そのときには、「自分のせいじゃないんです。原理のせいなんです」と弁明するんだろう。


● ニュースと感想  (4月01日)

 「ガソリン値下げの効果」について。
 前々日(3月29日)の続き。
 前々日では、「個人がガソリンを溜め込むことはできない」と述べた。一方、ガソリンを溜め込むことができる場合もある。次の二通り。
   ・ ガソリンスタンドがスタンドの地下タンクに溜め込む。
   ・ 石油会社が油槽所に溜め込む。
( ※ 油槽所とは、石油会社とガソリンスタンドとの中間にあるもの。流通の中間過程。「石油会社 → 油槽所 → ガソリンスタンド」という順。ただし、石油会社を出た時点で課税されるから、税金の効果では、油槽所はガソリンスタンドと同じ。ただし、所有の観点では、油槽所は石油会社のものだから、そこにあるガソリンは石油会社のもの。)

 いずれにせよ、かなりの分量を、溜め込むことができる。ガソリンスタンドへの配給は週に1ぺんぐらいらしいから、在庫の観点からして、ガソリンスタンドには2週間分ぐらいの量を溜め込むことができる。油槽所にも、数日分ぐらいのガソリンを溜め込むことができそうだ。
 で、これらの場所には、ガソリンをたっぷりと溜め込むことができる。したがって、それを利用して、儲けることができる。次のように。
  ・ 3月31日まではなるべく在庫を減らして、タンクを空にする。
  ・ 4月1日以降、新しいガソリンが入荷できたら、それを空タンクに詰め込む。
  ・ 4月1日以降は、タンクが満杯になる以上に入荷した分だけを、販売する。
  ・ 4月30日以降、税金が元に戻ったら、税金のかかっていない安値のガソリンを、高値で販売する。

 こうすれば、「安値で仕入れて、タンクに溜め込んで、高値で売る」ということが可能になる。その原理は、「ガソリン税の値下げの分を、すべて自分がちょうだいして、客(国民)には回さない」ということだ。……つまり、「国や国民の金を、自分の懐に入れてしまう」ということだ。
 こうすれば、ボロ儲け。しかも、完全に合法である。非倫理的ですらない。ただの投機と同じである。「バカではない」というだけのことだ。(逆に、安値で売るようなスタンドは、ただのバカである。自分の懐に入る利益を客にプレゼントしているだけだ。善良なのではなく、ただのバカ。「安値で仕入れて高値で売る」という商売の原理を知らないだけ。)

 結論。
 民主党と自民党は結託して、国民の金を石油業界にプレゼントしている。ただし、国民は、大喜び。なぜなら、税金が半分ぐらい下がるから。その下がったお金の減資は、実は、国の金であり、国民の金なのだから、「自分で自分の金を食っている」ということであり、タコが足を食うのと同じなのだが、それでも喜んでいる。ただし、国民は、タコよりも頭が悪い。タコは、自分の足を自分で食う。国民は、自分の足を半分だけ自分で食い、残り半分を他人にプレゼントする。それでいて、「自分はおいしいものを食べられて嬉しいなあ」と喜ぶ。
 泥棒があなたの財布から十万円を盗んで、そのうち、5万円をあなたに返し、残りの5万円を石油業界にプレゼントしたとしよう。あなたは差し引きして、5万円の損だが、眼前の金だけを見れば、5万円もらえたことになる。(その前に 10万円を盗まれたことは忘れているので。)
 さて。あなたは、金を盗まれて、嬉しいか、頭に来るか? 世論調査によると、大部分の国民は、「嬉しい」と喜んでいるそうだ。
( ※ 世論調査は、朝日・朝刊 2008-03-31 にある。なお、世論調査の一部だけは、朝日のサイトでも公開されているが、肝心の上記データはない。)



● ニュースと感想  (4月01日b)

 「自分の遺伝子」シリーズの話。細かな話。
  → Open ブログ 「自分の遺伝子 8 (解説C)」

 ※  自分の遺伝子を増やすために、ミツバチやライオンを見習うべきか? 近親相姦や子殺しをするべきか? 他人を殺して、その女房を奪うべきか?


● ニュースと感想  (4月02日)

 「ガソリン値下げ・2題」について。
 ガソリン減税による値下げをめぐる話題を二つ。

 (1) バス会社
 バス会社には、軽油のタンク(自社用)があって、ここに軽油を溜め込むことができる。とすれば、タンクに安い軽油を溜め込むことで、軽油の減税の効果をたっぷりと享受できるはずだ。(前日で述べたとおり。)
 ところが現実には、バス会社は、逆のことをしているという。つまり、3月31日に、タンクを空にするどころか、タンクを満杯にしているという。高値の軽油をたっぷりと溜め込むわけだ。その分、安値の軽油を後で買う機会が減る。大損だ。
 で、どうしてそうしているかというと、「今後は入手難になりそうだから。もし入手できないと、バスの運行をストップしなくてはならない。それだけは避けなくてはならない」とのこと。
 宅配便などの業者も、同様だという。
 (以上、朝日や読売の記事から。)

 頭悪いですねえ。私の前日の記事を読めばわかるが、ちゃんと前もって空にしておくのが利口だ。ま、最初の三日間ぐらいは、混乱がありそうだから、三日間分ぐらいの在庫はあってもいい。しかし、それより多くの軽油を溜め込むのは、馬鹿げている。損するだけ。
 この問題のポイントは二つ。
 第1に、品薄になることなど、ほとんどありえない。需要は一時的に増えるだけだし、供給はちゃんとしっかり供給体制がある。だから、品薄になることなど、ありえない。品薄になるとしたら、「安値の商品が品薄になる」というだけであって、高値の商品が品薄になるということはない。従来の価格が 120円で、新規の価格が 110円だとしたら、110円の方は品薄になるだろうが、120円の方はたっぷりとあるはずだ。だったら、いちいち高値のものを溜め込むことはないのだ。
 第2に、品薄が心配なら、供給元に「プレミアムを支払いますから供給してください」と頼めばいい。供給元は 110円の注文が殺到して、なかなか応じきれないだろうが、バス会社や宅配便会社は、「115円を払います」と石油会社に言えばいい。そうすれば、優先的に配給を受けられるので、品薄の問題は解決する。
 結局、いずれにせよ、高値を出すなら、いくらでも買えるのだ。115円を出せば、いくらでも買えるのだ。だったら、あらかじめ 120円で大量に買う必要はない。これがまともな判断だ。
(石油はトイレットペーパーと違って、家庭に溜め込むことはないのだから、ものすごい品薄になることはありえない、と知ることが大事。前述の通り。)

 (2) 減税との関係
 「ガソリン減税だって、減税の一種だから、景気回復の効果があるんじゃないか」
 という疑問を感じる人もいるだろう。そこで、解説しておこう。
 減税というものは、小規模なものは、効果がない。「景気悪化の効果を若干和らげる」というぐらいの効果しかない。いくらかは効果があるが、全体を動かすほどの効果はないのだ。
 このことは、小渕内閣のころの「しみったれ減税」で明らかになっている。数千億円程度の減税では、効果がない。2兆円程度でも、効果がない。
 まして、今回の減税は、所得税の減税ではなく、ガソリン税の減税だ。その減税の恩恵の半分ぐらいは、企業に回る。しかし現状でも、「企業は豊かで、消費者は貧しい」という状況なのだから、企業をいくら豊かにしても、景気回復の効果はろくにない。そもそも企業は、「金利低下」という方法によって、家庭の利子所得を莫大にちょうだいしている。数十兆円ないし百兆円ぐらいの規模で、国民の金をちょうだいしている。ここでいまさら、1兆円ぐらいの金をいただいても、企業に対する景気刺激効果はない。また、消費者だって、1兆円ぐらいのガソリン減税では、たいして効果はあるまい。
 では、どのくらいの減税が必要かというと、最低でも十兆の減税(企業ではなく国民に対して頭割り)であり、できれば二十兆円ぐらいはほしい。国民一人あたりで、十万円ぐらいのプレゼントに当たる。……このくらいの量があれば、景気を動かすだけの規模になる。その十分の一ぐらいでは、ほとんど効果はない。

 [ 付記 ]
 なぜ規模が少ないと駄目なのか、ということは、経験的にもわかっているが、理論的にも説明できる。この件は、かなり面倒になるが、昔の経済理論の話(2002年〜2003年ごろの「ニュースと感想」)でも、詳しく説明してある。ただし、理論的に面倒なので、かなり長々と読まないと駄目である。(書籍一冊分ぐらいの分量を読む必要あり。)
 なお、このことは、理論的には難しいが、比喩的には簡単に理解できる。それは「病気と薬の量」の関係だ。病気を治すには、必要量の薬をちゃんと飲む必要がある。必要量を飲むことで、病気の原因を根治できる。しかし、必要量の数分の一ぐらいの分量だと、病気の原因を根治できないので、状況の悪化を食い止めるぐらいの効果はあるが、いつまでたってもダラダラと病気が続く。……これがまあ、現状の日本経済だ。景気低迷がいつまでたってもダラダラと続く。根治する方法を取らないからである。つまり、大規模減税という方法を取らず、しみったれた小さな方法をたくさん取るだけだからだ。ほとんど無効な薬をたくさん飲むように。
 とにかく、病気を根治するには、必要量の薬をちゃんと飲む必要がある。「ちょっと飲むだけでもいくらかは効果があるだろう」などと考えては駄目だ。下手な考え、休むに似たり。


● ニュースと感想  (4月03日)

 「ガソリン値下げの状況」について。
 私の自宅の近辺で調べたら、129円と130円。だいたい予想どおり。このくらいが経済的に合理的な価格。では、その意味は? 
 「125円以下で売ると、減税分をきっちり換言したことになるが、それだと、すぐに売り切れてしまう。値下げのしすぎ。売る商品がないので、販売機会の喪失。……商売の基本を知らないことになる。ペケ。」(現実には、こうやって大量の客を迎えたあとで、品物がなくなって困った、と嘆いているスタンドが多い。各紙報道。)
 「在庫分は、高値で仕入れたからといって、元の値段で売ると、いつまでも売れないまま。回転率の悪化。……商売の基本を知らないことになる。ペケ。」(現実には、こうやって高値のまま、いつまでも在庫をかかえている店が多い。各紙報道。)

 では、正しくは? 次の通り。
 「在庫切れにならない範囲で、なるべく価格を下げる。そのことで、回転率を高めて、安値のうちにどんどん売る。」
 これが正しい商法。で、その結果が、上記のように、130円近辺となるのだろう。

 [ 付記 ]
 では、今後は?
 まもなく、減税分がほぼ完全に還元されるようになるだろう。つまり、125円ぐらい。といっても、5円下がったぐらいじゃ、大差がないから、その意味はあまり大きくない。
 四月下旬になると、先の値上げを見越して、売り惜しみが起こるようになる。まともな頭のあるスタンドでは、四月下旬には、150円ぐらいにまで上がるだろう。そのまま客が来なくてもいい。とにかく在庫を溜め込んでおく。そのあとで、150円ぐらいで売れば、減税分がボロ儲け。
 とはいえ、間抜けなスタンドも多いはずで、130円ぐらいで売るスタンドも多いはずだ。だから、4月下旬には、130円ぐらいでたっぷりと満タンにしておけばいい。5月になるまで値上げしないだろう、なんて思っては駄目だ。下旬のうちに値上げするスタンドがどんどん増えるはずだ。ぐずぐずしていると、高値商品しか残らないようになる。


● ニュースと感想  (4月07日)

 「補助金の意味」について。
 航空機産業において政府が補助金を出すと、特定の企業を支援することはできる。しかしそれは、航空機産業全体を育成するどころか、かえって航空機産業全体を駄目にする、という話。
 一部引用:
 一般に、市場原理というものが成立する。「優秀なものが伸び、劣悪なものは退場する」という原理だ。ここで、政府が劣悪なものに補助金を与えると、優秀なものが伸びる余地がなくなるので、全体としてのレベルは悪化する。
  → Open ブログ 「三菱の小型ジェット機 MRJ」 の【 追記5 】

( ※ 常にそうだとは限らない。代替するべき「優秀なもの」がなければ、補助金は意味をもつ。しかし、代替するべき「優秀なもの」があるときに、劣悪な方に補助金を出せば、かえって状況を悪化させる。)


● ニュースと感想  (4月07日b)

 「産業育成の意味」について。
 三菱 MRJ について、「航空機産業の育成は必要だ。欧米もそうしている」という見解がある。これは妥当だろうか? 
 なるほど、航空機産業が日本でも立派に成立するとしたら、それはそれで好ましいことだろう。しかしながら、日本という国は、世界的に突出して優れている国ではない。欧米と同水準の国だ。そのなかで、「あれもこれも」と欲張ったら、どうなるか? 航空機産業に優秀な技術者を吸い取られたら、他の産業に優秀な技術者が来なくなる。電気やソフトはともかく、機械産業は深刻だ。特に、自動車産業がもろに技術者を奪われるだろう。(新卒が来なくなる。)
 すると、どうなるか? 日本の航空機産業が欧米並みになれば、日本の自動車産業もまた欧米並みになるだろう。現状では、日本では自動車産業が傑出して強いが、優秀な技術者を航空機産業に奪われたら、現状の状況は続かない。たぶん、次のようになる。
 「日本の航空機産業は非常に強くなり、欧米と世界市場を分かちあう」
 「日本の自動車産業はどんどん弱くなり、欧州車並みになる。米国市場では、現在の圧倒的な強みを失い、欧州車並みに、米国市場の大半を失う。その結果、自動車産業は規模が現状の半分以下に激減する。その分、航空機産業をもたない韓国製の自動車産業が成長する」
 つまり、航空機産業が栄えるかわりに、自動車産業を韓国に奪われるわけだ。……では、それは、日本としては得策か? 

 教訓。
 「あれもこれもほしい」と欲張る犬は、「ほしいよ、ワン」と吠えて、口にくわえている肉をも失う。

( ※ この世で一番儲かる産業は、自動車産業だろう。逆に、儲からないのは、航空機産業だろう。いくら利益が上がっているとしても、自力で利益を上げるというよりは、国のおかかえで利益が上がるように援助してもらっているだけだ。お小遣いをたくさんもらっているバカ息子みたいなものである。……で、せっかく儲かっている自動車産業を捨ててまで、航空機産業に進出したがる人もいるが。これを何と言うべきか? )

 [ 付記 ]
 「マイクロソフトやグーグルも儲けているぞ」
 という声を上げる人もいるだろうが、あれは、生産して儲けているんじゃなくて、人々の金を盗んでいるだけです。ヤクザと同じようなもの。「泥棒の方が儲かるぞ」という意見は採用しません。私は真面目なので。
 ※ マイクロソフトやグーグルがどうしてヤクザのようなものなのか、という話は、ここではしません。理解できなければ、理解できなくてもいい。本項の趣旨とは違うので。


● ニュースと感想  (4月07日c)

 「自分の遺伝子」の話の続編。
 生命の本質は、遺伝子か個体か、という話。
   → Open ブログ 「自分の遺伝子 9 (解説D)」


● ニュースと感想  (4月09日)

 「自分の遺伝子」の話の最終回。
 生命の本質を探ることで、「生命と死」という話題に移る。重要な話。前半は生物学だが、後半は人生哲学ふうの話。次の趣旨。:

 生とは一回限りのものだ。死とは永遠のものだ。だから、「永遠の生」を望むというのは、「死んだ生」を望むというであり、矛盾である。
 人は、生きたいのであれば、この一回限りの生を、よりよく生きるべきだ。「永遠に生きよう」などと望むべきではない。
 遺伝子は、ドーキンスの言うように、永遠の存在である。それはつまり、遺伝子は生きていない、ということだ。二酸化炭素やアルコールがただの物質にすぎないように、遺伝子もまた物質に過ぎず、だからこそ、永遠の存在となる。遺伝子は、生きていない。その意味で、遺伝子は生命ではない。
 したがって、「個体は遺伝子の乗り物である」というようなことも成立しない。「個体は二酸化炭素の乗り物である」「個体は地球温暖化の乗り物である」ということが成立しないように。……そういう論述は、形式論理では成立するが、根本的に本末転倒な発想なのである。
 悪魔は「永遠の生命」という言葉で引っかけて、人間の魂を奪おうとする。われわれは、しゃれた言葉回しにだまされて論理ペテンに引っかかるよりは、心を澄ませて、生命の真実に気づくべきだ。「生命は一回限りのものであるからこそ、すばらしいのだ」という真実に。    → Open ブログ 「自分の遺伝子 10 (生と死)」


● ニュースと感想  (4月11日)

 「自分の遺伝子」の話のオマケ。
 人はなぜ誤認するか、という思考方法の話。2題。

 (1)
 たいていの科学者は、物質主義である。客観的に測定のできる物質的な事柄だけが真実だと考える。そのせいで、見えないものを見失う。しかし、見えないものこそ、本当は大切なのだ。
   (…… 中略 ……)
 経済学というものは、経済学者が自己満足するためのオタク趣味の分野に成り下がってしまっている。
  → Open ブログ 「自分の遺伝子 10 (生と死)」 の【 追記 】

 (2)
 「 0.01%の部分を見て、99.9%の部分を見ない」というのは、「木を見て森を見ず」ということだ。
 これが現代の進化論学者の立場だ。自分の見た小さな物だけを見て、それがすべてだと思い込んで、「すばらしい成果」と浮かれている。
 なるほど、彼はたしかに、一本の木を発見した。それは事実だ。ただし彼は、自分が見出したものについては理解しているが、自分が見ていないものについてはすっかり失念している。木を見ようとして、あまりにも木に近づきすぎたために、それまでは視野に入っていた森全体を、すっかり見失ってしまったのだ。
  → Open ブログ 「遺伝情報と生命情報」


● ニュースと感想  (4月12日)

 「ガソリン値下げの意味」について。
 ガソリンが値下げされた。これを見て、「やっぱりガソリン価格が下がることはいいな。減税はいいな」と思っている人が多いようだ。しかし、本当にそうか?
 よく考えよう。国は、国民の金を徴収したあと、公務員が勝手に消費してしまうわけではない。国は、国民の金を徴収して、国民に還元するだけだ。とすれば、徴収する金が減れば、その分、還元する金も減る。それだけのことだ。
 なるほど、無駄な道路を減らせば、その分、無駄は減る。しかし、それは、「無駄な支出を減らして、有益な支出を増やす」という形でなされるのが本質的だ。単に徴収する金を減らせば、無駄な支出が減る、というわけではない。
 このことの本質を、根源的に考えてみよう。

 (1) 後期高齢者医療制度
 「後期高齢者医療制度」というものが導入された。これを「長寿 〜 」というふうに呼び替える、ということが、話題になっている。なるほど、あまりにもセンスのない馬鹿げたネーミングだ。しかし名称の問題は二の次だ。(これはまた別の話。)
 肝心のことは何か? この制度と、道路の税金とを、合わせて考えよう。すると、全体としては、次のことがなされている。
 「一般の高齢者の金を、強制的にふんだくる」(後期高齢者医療制度)
 「国民全体の金を、道路の利用者だけに贈与する」(道路減税)
 これは、国の金の配分方法としては、あまりよくない。
 そもそも、一般的に、次の二通りの立場がある。
 「国は夜警国家であるべきだ。小さな政府であるべきだ。ゆえに、活気あふれる若手に金を贈り、活気のない老齢者への福祉を減らす。そのことで、国家経済が活性化する」
 「国は福祉国家であるべきだ。大きな政府であるべきだ。ゆえに、恵まれない高齢者に金を贈るべきだ。それこそ人間的な優しさというものだ」
 このうち、どちらが正しいとも言えない。ただし、前者の立場を取るのなら、「国家経済の活性化」なんていわないで、もっとはっきりこう言えばいい。
 「老人は国にとっては邪魔なんだよ。老人は邪魔だから、さっさと死んでしまえ。姥捨(うばす)て山に捨ててやれ。老人を養うなんて馬鹿らしい。おれたちの楽しみのために、自動車で排気ガスをまきちらして、地球温暖化を進めることこそ、すばらしいのさ。エゴイズムはすばらしいなあ。エゴイズムで社会は進化するのさ。自然淘汰による社会進化論。これが市場原理」
 ま、こういうふうに論じるなら、それはそれで、首尾一貫している。およそ野獣のごとき人でなしの発想だが、論理的には首尾一貫している。
( ※ ただし、人でなしの悪人としての正体をはっきり見せてほしいね。善人面しないでほしい。古典派経済学者に限って、こういうゴマ化しをするが。)

 (2) 道路会計
 実は、(1) のことは、単純には成立しない。というのは、この問題は、「道路会計」という内部で考えるべきだからだ。
 道路会計とは、何か? 次のことだ、と思われている。
 「道路を建設するとき、道路の受益者と負担者が同じになるようにする。ドライバーが道路を利用し、ドライバーが道路建設費を負担する。そのことで帳尻が合う」
 これが原則だ。現実には、この原則通りにはならず、一般会計からも道路建設費が出されているから、歩行者もドライバー(や車道)のために金を出していることになる。とはいえ、一応、この原則が成立する。
 さて。ここで、ガソリン税の減税をすると、どうなるか? 次のことになる。
 「道路の建設費を出さないで、道路を利用する」
 これは、「金を出さないで、利用だけができる」ということだから、すばらしいことだ、と見える。しかし、そんなふうに、「天から金が降ってくる」「無から有が生み出される」ということは、ありえない。では、その真実は? こうだ。
 「過去の人々が建設した道路を、現在の人々が無償で利用する。しかも、現代の人々は、未来の子孫への負担を免れるから、得るだけで負担がない。かくて、儲かる」
 これはつまり、現代の人々が、過去の人々の形成した資産を、(利用料を払わずに)ただで盗み取る、ということだ。
 では、正しくは、どうするべきか? 
 「道路の建設をやめるのであれば、それでもいい。ただしその場合は、過去の人々が道路建設費を出してくれた分、過去の人々に別の形で還元する必要がある。たとえば、医療費負担の形で。過去の人々は、道路建設費を払ってくれて、現代の人々がその利益を享受できる。とすれば、現代の人々は、過去の人々に、医療費負担などの形で、利益を還元するべきだ」
 ここで、「過去の人々」とは、高齢者のことだ。高齢者は、若いころに、多額の道路建設費を負担して、現代に残してくれた。だから、その利益を、高齢者に還元するべきである。つまり、道路建設費を減らして、高齢者の医療費を増やすべきだ。高齢者はまさしくそのことを望んでいるのだから。
 
 結論。
 以上のことをまとめれば、次のように結論できる。
 無駄な道路建設は、たしかにやめるべきだ。ただし、それで浮いた金は、高齢者の医療費負担に回すべきだ。
 なのに、現代の人々は、勝手に国家の金をちょうだいしている。本来は高齢者のものである金を、勝手に奪って、ガソリン代の値下げのためにちょうだいして、ウハウハと喜んでいる。しかしその分、高齢者は「高齢者医療の値上げ」という形で、困っている。なぜ彼らが困っているかといえば、彼らは若いころ、金を出して、未来のために資産を残したからだ。子孫のために莫大な金を払ったから、その分、彼らは自らの富を減らし、子孫に富を与えた。「そうすれば国民全体が得になるはずだ」と信じて。……そして、その発想は、正しい。過去の人々が道路予算をたくさん払ったから、国土は整備され、日本は発展してきた。仮に、過去の人々が払ってくれなかったら、日本の経済は効率が低下して、今よりもずっと非効率な経済になっていただろう。過去の人々は、まさしく賢明なことをなした。そして、そのことは、あとで報いられるはずだった。子孫が同じように賢明であるならば
 しかるに、現実には、子孫は賢明ではない。彼らは過去の人々のもたらしてくれた富を享受するが、その富を過去の人々に還元することはなく、現代の人々だけで独占ししようとする。要するに、現代の人々は、過去の人々の富を、盗もうとする。盗むことで、利益を得ることができるようになる。(払うべきものを払わないという意味では、無銭飲食に等しい。)
 これが「ガソリン値下げによる利益」の本質だ。人々が「ガソリン代が下がって得をしたぞ」と喜んでいるのは、「泥棒をしたから得をしたぞ」「無銭飲食をしたから得をしたぞ」と言っているのと同じである。そして、その分、得られるべき富を盗まれた高齢者たちは、ひどく苦しむハメになる。彼らは無能だったから苦しんでいるのではない。現代の人々に富を盗まれているから苦しんでいるのだ。
 人間というものは、若いときも年老いたときも、同じように生産活動をすることはできない。だから、若いときには働いて、富を貯蓄する。老いたら、貯蓄した富を取り崩す。そして、「貯蓄」とは、「投資」のことだ。その「投資」の一つが「道路投資」であった。これは、国家全体における「税」を通じた「投資」であった。過去の人々が、国家建設のために税を拠出し、老いたら、福祉の形で「投資」の収益を得るはずであった。しかるに、子孫はそれを裏切った。過去の人々がせっせと貯蓄して投資した「道路」の利益を、勝手に無料で利用して、しかも、「税負担」を免れることで、その分の金を、高齢者医療の値上げという形でツケ回しした。
 要するに、高齢者でない人々が、高齢者の富を盗んでいるのである。そして、盗んで儲けた金を見て、「得をした、得をした」とウハウハ喜んでいるわけだ。

 [ 付記1 ]
 なお、現代の人々は、今は喜んでいるが、やがては、そのツケが自分にも来る。自分が高齢者になったとき、さらにエゴイストになった次世代の若者たちから、おっぽり出されて、苦しむようになるだろう。年金の支払いもすべて停止してしまうかもしれない。そして、そうなったとしても、自業自得というものだ。「先代の富を盗むと儲かりますよ」ということを、自分たちで示して、自分たちの子に教えた。ならば、自分たちの子が、今のわれわれを裏切るとしても、自業自得というものだ。

 [ 付記2 ]
 高齢者はどうか? 朝日の投書欄はしばしば高齢者の賛成意見を載せる。「私は地方の高齢者だが、ガソリン代が下がったので、嬉しい」と。
 しかしその一方で、後期高齢者医療制度で多額の金を奪われても、平気でいる。2万円を奪われて、二千円の得をして、差し引きして大損しているのだが、「儲けた、儲けた」と喜んでいる。
 朝三暮四の猿以下ですね。

 [ 付記3 ]
 本項で述べたことは、直感的には、たいていの国民が薄々感じていることだ。だからたいていの国民は、「道路税の一般財源化」を支持する。
 本項で述べたことは、人々が直感的に薄々感じていることを、明白にすることだ。では、何のために? 政治家がバカだからか? いや、たいていの政治家も、そのことを理解している。(福田首相だって民主党議員だって理解している。)
 ただし、バカの小沢が、すべてを自分の権力闘争のために利用しようとする。そして、バカの小沢にだまされた大バカ国民たちが、実際には損をしているのに、「得をした」と勘違いしているわけだ。そこで、その勘違いを、本項は明白に指摘する。……いわば、バカの姿を、鏡に映してやるように。

( ※ バカたちの陰では、燃料代を浮かせた企業が、大儲け。こうして、庶民の金が、企業に移転し、さらに高所得者に移転する。阿呆をだまして、ズル連中が大儲け。魚を餌で釣るようなものですかね。一般国民の頭は魚並み。目先の餌に釣られて、肝心のものを失う。)
( ※ しかしまあ、一般大衆を笑えないな。学者だって、似たようなものだ。目先のものだけにこだわる。前日分を参照。)


● ニュースと感想  (4月13日)

 思考における「拡大解釈」という誤りがある。「一事が万事」という誤りだ。人々はしばしば、こういう誤った思考法に陥る。

 生物学者の生命観においても、この誤りがある。その説明。
  → Open ブログ 「個体は遺伝子の乗り物か?」
 抜粋:
 個体は遺伝子の乗り物か? この問題について答えるには、前項の区別に準じるといい。つまり、「遺伝/生命」というふうに、二つの場合に分けて答えるといい。
 ドーキンスは、両者を区別しなかった。そして単純に、  「個体は遺伝子の乗り物である」  と主張した。なるほど、その言葉は、進化については成立する。それはそれでいい。誤りだということはないし、真実を語っていると言える。  しかしその言葉を、(進化だけでなく)生命についてまで当てはめるのは、拡大解釈だ。
 以上は特定の話題における話だが、より広く、一般的な話として説明できる。エッセイふうの話。
  → 同じ項目の[ 付記 ]
 抜粋:
 本項では、「拡大解釈による誤認」ということを示した。(ドーキンスの誤認の本質を示した。)
 ただし、こういうこと(拡大解釈による誤認)は、ドーキンスだけがやらかしたわけではない。「自分は頭がいいぞ」と自惚れている人ほど、そういうことをやらかすものだ。枚挙に暇がないほどだ。
 真実を突き止めたければ、まずは、おのれの非力さを自覚するべきだ。そうすれば、真実を突き止めようとして、ニセの真実を手にしたとき、「自分の手にしたものは偽物だ」と気づくことができるはずだ。……とはいえ、そういう謙虚さをもつことこそ、何よりも難しいのだが。
( ※ なお、ここで述べたことの趣旨は、他人を批判して悪口を言うことではない。他人の失敗を「他山の石」として、自らが同じ轍を踏まないようにすることだ。)


● ニュースと感想  (4月14日)

 「言論の自由」について。
 ビラ配りをして、長期にわたって拘留されて、有罪になった、という判決が最高裁で確定した。この件は、高裁の段階で前にも言及した( → 12月11日b )。それがとうとう最高裁で確定したわけだ。
 このについては、先に論じたから、重ねて述べることはしない。ここでは特に、マスコミの態度について述べよう。
 
 朝日社説は次のように語る。
 宿舎からの被害届を受けた警察は3人を住居侵入容疑で逮捕した。3人は起訴された後も保釈されず、75日間も警察の留置場などに入れられるという異常な捜査だった。
 3人は公判で、ビラ配りを住居侵入罪に問うことは、表現の自由を保障した憲法に違反すると主張した。  しかし、最高裁は次のように述べて3人の主張を退けた。
 表現の自由は憲法で無制限に保障されたものではない。官舎は一般人が自由に出入りできる場所ではなく、管理者の意思に反して立ち入ることは住民の私生活の平穏を侵害する。
 ……
 ビラを配る側も、1階の集合ポストに入れたり、宿舎前で配ったりする気配りをすべきだったろう。  しかし、だからといって、いきなり逮捕し、2カ月余りも勾留(こうりゅう)したあげくに刑事罰を科さなければならないほど悪質なことなのだろうか。度を超した捜査や起訴をそのまま追認した最高裁には、失望してしまった。
 だれもが自由に語り、自分の意見を自由に伝えることができてこそ、民主的な社会といえる。そこでは、自分とは異なる意見や価値観を認め合い、耳を傾けることも求められている。  そんな寛容さや度量を社会として大切にしていきたい。
 ( → 朝日新聞 2008-04-12 )
 以上は、私としては「妥当だ」と見なして、支持する。
 一方、読売社説は次のように語る。
 ビラには、「殺すのも殺されるのも自衛官です」などと書いてあった。官舎に住む自衛官やその家族が読んだ時の精神的苦痛も決して軽くはないだろう。それを考えれば、妥当な判決である。
 この裁判は、表現の自由と、住民が平穏に暮らす権利とのどちらを優先させるかという観点から注目されていた。
 最高裁は、ビラの配布を、憲法が保障する「表現の自由の行使」と認めた。だが、一方で、「たとえ思想を外部に発表するための手段であっても、他人の権利を不当に害するようなものは許されない」と厳しく指摘した。
 官舎には、関係者以外の立ち入りやビラ配布を禁じる掲示板があった。それにもかかわらず、メンバーは月1回の頻度で、各戸の前まで立ち入り、新聞受けに配布を繰り返した。官舎側は配布のたびに、警察に被害届を出した。
 こうした経緯を踏まえれば、住居侵入と言われても仕方がない。最高裁も、「私生活の平穏を侵害した」と結論付けた。
 1審は、住民が受けた被害は軽く、「刑事罰を科すほどの違法性はない」として無罪としたが、2審は「違法性は軽微でない」として、逆転有罪としていた。
 マンションなどのポストには、宅配ピザや不動産情報など、様々なチラシやビラが投函(とうかん)される。こうしたチラシやビラを重宝にしている住民も多い。
 ピンクチラシの配布は風俗営業法で禁止されているが、一般のチラシやビラの配布まで警察が摘発するのは、現実的ではない。
 この最高裁判決が示されれば、チラシやビラ配布の法的ルールは、より明確になるだろう。
 ( → 読売新聞 2008-04-13 )
 この見解には、賛成できない。
 「一般のチラシやビラの配布まで警察が摘発するのは、現実的ではない」と述べている。だったら、「一般のチラシやビラの配布は警察は摘発するべきではない」ということになる。しかし、「政治的意見のチラシやビラは、警察が摘発するべきだ」というふうになる。そして、その理由は、「住民に不快感・苦痛を与えるからだ」というわけだから、「チラシやビラの表現内容がけしからんからだ」ということになる。
 ここで注意しよう。「殺すのも殺されるのも自衛官です」というのはたしかに過激な見解ではあるが、ここでは、そのひゅうげんの過激さが問題になっているわけではない。単に政治ビラの配布が問題になっているだけだ。そして、政治ビラというものは、「賛成者には嬉しいが、反対者には不快だ」というふうになる。「イラク派兵反対」は、読売のような保守派には不快だが、朝日のようなリベラル派には嬉しくなる。そして、(最高裁の判決はともかく)読売の社説では、保守派の立場から、「リベラルの政治見解は不快だから逮捕してしまえ」ということになる。
 仮に、このビラが、「政府の方針は正しい」というビラであったとしよう。あるいは、読売新聞みたいに、「政府の方針は正しい」という社説を掲載する新聞であったとしよう。このような保守派のビラや新聞は、各戸に配布したら、逮捕されるか? もちろん、逮捕されない。政府賛成の意見である限り、同じことをしても、逮捕はされない。たとえ警察に訴えても、警察は取り合ってくれない。一方で、それがリベラル派の見解であれば、せいぜい軽い罰金刑程度であろうと、数十日も拘留される。
 比喩的に言えば、信号無視をしたとき、その人が保守派ならば見過ごされ、その人がリベラルはならば数十日も拘留される。こうやって、政府に反対する人々を、大量に逮捕することができる。かくて、政府に反対する人々を、弾圧できる。そのあと、最高裁にまで持ち込んで、軽いばっきけいぐらいを判決させて、「逮捕は妥当であった」と自己正当化する。

 これはまあ、「民主主義」とか「表現の自由」とかを、弾圧する方針だ。
 ここに、問題の核心はある。

 ま、ある程度の譲歩はできる。自衛隊の官舎に限っては、特殊な事情があることを認めて、「立ち入り禁止」にして、罰金刑にするのも、やむを得ないかもしれない。私としてはグレーゾーンだという気もする。
 しかし、である。数十日も拘留するというのは、数十日の禁固刑と同じだから、とんでもないことだ。警察が勝手に禁固刑を決めるのと同様である。こんなことでは、法治国家というものは崩壊する。裁判というものが有名無実化する。あらゆる平民は、政府の方針に反するだけで、数十日の禁固刑を受けることになる。裁判なしで。
 だから、この問題は、ただのビラ配りの問題ではない。表現の自由という基本的人権を守るかどうかの問題だ。十万円程度の罰金刑が妥当かどうかという問題ではなくて、微罪で逮捕して思想を弾圧することが許されるかどうか、という問題だ。
 (読売は意図的に、問題を逸らしているが。)

 [ 付記1 ]
 言論の自由について、こう語った人がいた。
 「私はあなたの意見には反対だが、あなたが自分の言う意見を主張する権利は命を賭けて守る」
 読売の立場は、こうだ。
 「私は言論の自由を建前としては守るが、あなたが私の反対ならば、あなたが自分の意見を主張する権利を認めない」
 ま、金正日や中国共産党と同じである。独裁者の発想。何しろ、ナベツネですからね。社内を粛正して、「自分の意見に反対する人(ライバル)を全員左遷した」という実績の持主。こうして読売の独裁体制は確立された。
( ※ ネタではないので、念のため。ここで言う「左遷されたライバル」というのが誰であったのかも、具体的に特定されている。調べれば、ネットでも見つかるだろう。)

 [ 付記2 ]
 なお、朝日を手放しで褒めているわけではないので、念のため。
 社説を文章としてみる限り、読売の方が圧倒的に優れている。最後のあたりでは、いっていることがメチャクチャだが、途中までは論旨がすっきりしている。
 一方、朝日の方は、論旨がメチャクチャだ。やたらと脱線していて、無駄な文句が挟み込まれている。本来ならば、この半分の字数で書くべきだ。余計な無駄な言葉が多すぎ。


● ニュースと感想  (4月14日b)

 「新聞の文字拡大」について。
 新聞の文字が拡大された。各社は「情報量は減らしません」と述べているが、とんでもない。大幅に情報量が減っている。
 特に、朝日では、次のことが問題だ。
 「社説ばかりが紙面を大量に占めているせいで、肝心の記事の分量が大幅に減ってしまった」
 文字が大きくなったら、文字数が減らすべきだろう。しかるに、社説だけは文字数を減らさないで、ダラダラと無駄な言葉をやたらと大量に書き連ねる。文章能力が低いので、無駄な言葉ばかりを大量に書き連ねる。その分、紙面が食われるので、肝心の記事の分量が減ってしまう。こうして、情報量が大幅に減る。
 ではなぜ、朝日はそうしたのか? 高齢者のために、文字を大きくしたからか? 実は、違う。リストラのためだ。記事の分量を減らせば、記者の数を減らせる。情報量を減らせば、記者の数を減らせる。こうして、リストラによって、コストを浮かせるのが、最大の狙いだ。
 ただし、そのことを隠して、「高齢者のためですよ」「情報量は減らしません」と嘘をつく。
 ここでは、次のように詭弁を設ける。
 「情報というのは、社説のことですよ。社説で私たちの意見をの情報を大量に与えて上げます。記事なんか、どうだっていいじゃないですか。私たちの意見を読んでくださいよ。そういう情報を差し上げます」
 これを聞いた読者は、こう思うだろう。
 「ほう。社説というのは、あなたの社のCMだよね? あなたたちの思想を宣伝するための場所だよね? で、その分、私たちにどんなメリットをくれるの? テレビならば無料番組を与えてくれる。グーグルならば無料情報を与えてくれる。で、新聞社は、読者に何をくれるの?」
 彼らは答える。
 「私たちの意見というすばらしい情報を読ませてやるんだ。ありがたく思え。その分、毎月、4000円を徴収します」
 踏んだり蹴ったり。

 [ 付記 ]
 しかしまあ、読売の社説は、人民日報みたいだから、それよりはマシかもね。
 そもそも、読売の方は、文字が馬鹿でかくて、記事の情報がほとんどない。ネットで読める程度の、小量の情報しか、掲載されていない。こんな薄味の情報を読むために、金を払うのは、どう考えても馬鹿馬鹿しい。
 文字を大きくしたいのであれば、ネットの文字をパソコンで読めばいいだけだ。単に文字を大きくして、情報量を減らすのでは、新聞というものの存在価値がなくなってきている。
 新聞というものは、文字の巨大化とともに、恐竜のように滅びていくのかもしれない。……私は昔は、新聞の存在意義を認めていたが、文字の大きい新聞というのは、ほとんど存在価値がないと感じるようになってきた。あまりにも読みでがない。ただの古紙としてかさばることぐらいしか、意味がないようだ。……こんなもん、なくなった方がいいかも。
( ※ 日本のマスコミは本当にマスミになりつつある。)


● ニュースと感想  (4月15日)

 「くいだおれ人形の行方」について。
 食い倒れ人形の行方が話題になっている。等の店では、第三者の審議会に任せる方針だという。
  → 「くいだおれ人形」売却で第三者委員会を設置
 通天閣が求めるというのはわかるが、創業者の出身地である兵庫県香美町が求めるというのは要注意だ。「自治体に任せれば公的利益に適う」と思うのは早計である。自治体というのは、いい加減なものだ。たいていは、誰かの寄贈品を受けたあとで、ちょっと飾ったあとで、たなざらしにする。最後はゴミとなって朽ちるか、第三者に売り飛ばされるか、そのどちらかになることが多い。
 食い倒れ人形が自治体になったら、そうなるだろう。五年間ぐらいは、ちゃんと飾られる。その後、担当者がいい加減になるうちに、倉庫にしまわれて、ボロボロのゴミになる。あげく、売り飛ばされて、オークションでマニアの所有品になる。(オタクの愛蔵品。)
 哀れ、くいだおれ人形。自治体に食われて倒される。

( ※ だから、そうならないためには、審議会なんかに任せずに、さっさと入札すればいい。一番高値のところに渡せばいい。市場原理による最適配分。ここではちゃんと成立する。……たぶん通天閣だろう。)
( ※ 一般に、千万円で買われたなら、千万円の価値のものとして、大切に扱われる。自治体に行けば、タダのものとして、ぞんざいにあしらわれる。ゆめ、自治体を信じるなかれ。)

 [ 付記 ]
 ことわざについての参考情報を示す。
 マスコミの誤報は:
  → ニュース検索「京の着倒れ」
   朝日新聞 - 2008年4月8日
  「くいだおれ」という店名は、江戸時代から伝わる「京の着倒れ、大坂の食い倒れ」といわれる大阪の食へのこだわりやぜいたくさを象徴する言葉に由来する。
 真相は:
  → 検索「京の着倒れ、江戸の食い倒れ」


● ニュースと感想  (4月15日b)

 「大リーグのサイト」について。
 大リーグの各球団の公式サイト(英文)へのリンク集。
  → http://nando.up.seesaa.net/docs/majors.htm

   ※ お気に入り(ブックマーク)に登録しておくと便利。


● ニュースと感想  (4月16日)

 「生命とは何か?」のシリーズにおいて、最終的な結論を与える。非常に重要な話。現代の生物学における生命観を、根底からくつがえす。
( ※ 生物学者の生命観にはまったく反するが、遺伝子工学の最先端をになう分子生物学者にとっては、ぴったりとジャストフィットする。30年前のドーキンス説にかわる、最先端の生命科学にぴったりとする生命観。)

  → Open ブログ 「生物と遺伝子 (その1)」
  → Open ブログ 「生物と遺伝子 (その2)」

 要旨:
 生物の本質とは何か? それは、「生きる」ということだ。
 一方、異なる発想もある。「生物の本質とは、遺伝子の数を増やすことだ」と。(ドーキンス流。)
 しかし、そのような発想は、生物の本質を見誤っている。
 たとえば、あなたの本質は、次世代においてあなたの遺伝子を増やすことではなく、あなたが今この瞬間に、まさしく生きているということだ。一個の個体として、呼吸し、血をめぐらし、全身を活気づけながら、運動したり、食べたり、眠ったり、愛したり、喜んだりするということだ。それこそがつまり、「生きること」である。


● ニュースと感想  (4月17日)

 「英語情報とFA(フリーエージェント)」について。
 今はインターネット時代である。海外の情報を無料で大量に入手することができる。ところが、これをうまく利用していない人が多い。そこで、とりあえず、次の方針を取るといい。
 「問題が生じて、解決案をうまく見出せなくなったら、海外の英語情報を調べる」
 
 すると、「そんなことはいちいち言われなくてもわかっている」と答える人が多いだろうが、頭でわかっているだけで実行していない人が多い。その例を示す。
 たとえば、ドラフトだ。ドラフト改定案で、次のことが問題となっている。
 「選手会や巨人は、FA(フリーエージェント)期間の短縮を求める」
 「弱小球団は、育成した選手を奪われるので、反対する」
 ここでは、利害の対立が起こっている。そこで新聞記事は、「問題があって大変だ」と書く。
 しかし、問題があるなら、海外ではどうしているかを、英語ニュースなどで知ればいい。すると、次のことがわかる。
 「大リーグでは、この問題は解決済み。すなわち、選手がFAになる直前に、その選手をトレードで出してしまう」

 たとえば、サンタナという優秀な選手がいた。この選手は、2008年のシーズン後に、FAになる。このまま奪われては、保有球団は大損だ。そこで、球団側は、サンタナを前年のうちにトレードで出してしまった。ただし、トレードする先をどこにするかは、金持ち3球団に競争させた。ヤンキース、レッドソックス、メッツである。これらの球団は、サンタナとのトレードとして、若手有望選手を提供する。(ヤンキースならば、ヒューズとカブレラ)。したがって、サンタナの保有球団は、サンタナを提供するかわりに、若手有望選手を得られる。最終的に、サンタナはメッツに移籍した。サンタナは、メッツに移籍し、同時に、メッツとのあいだで長期の複数年契約を締結して、松坂をしのぐ百億円以上の金を入手した。(投手として史上最高額。)
 なお、このトレードは、必ず選手の合意を必要とする。選手が「複数年契約はいやだ」と言ったら、トレードは御破算だ。したがって、選手としても、高額の複数年契約を得られるというメリットがある。FAになるよりも一年早く超高額の年俸を得ることができるのだから、選手としても大いにメリットがある。
( ※ この点、経済学者は理解できないだろう。金の総額はどっちみち同程度だからだ。しかし、人間的に考えれば、大いに異なる。選手としては、百億円もらおうが、百二十億円もらおうが、貯金の数字が変わるだけで、実質的には「無限大」という同じ金をもらうだけだ。どうせ使い切れないのだから。それよりは、「一年早くぜいたくをできる」というメリットの方が、はるかに大きい。人生は有限だからだ。30歳ぐらいの選手にとって、遊べる期間はあと10年ぐらいしかない。そのうち1年を、貧乏でなく、ぜいたくして遊べるのであれば、大いにメリットがある。得られる金の価値よりは、金を使える時間の方が価値がある。だから、このトレードには、意義がある。)

 というわけで、「FAの問題には、トレードで解決する」という方法が見つかる。この方法ならば、弱小球団としても、ちっとも損をしない。サンタナを手放しても、低年俸の若手有望選手を得られるからだ。こうして、解決策が見つかる。

 日本の例で言うと、次の通り。
 「日本ハムの小笠原がFAになった。現実には、FAになってから、金の勝負で、巨人が勝った。しかし、トレードという方法もある。FAになる一年前に、日本ハムは小笠原をトレードで出すことが可能だ。たとえば、巨人はトレードとして坂本を提案する。阪神はトレードとして上園を提案する。どちらもまだブレークしていないので、このあとは海のものとも山のものとも判明していない。日本ハムは熟慮のすえ、どちらか一方を選ぶ。たとえば、坂本を選ぶ。こうして、トレードが成立。小笠原はトレードに合意して、巨人と高年俸で複数年契約する。その後、小笠原は巨人で活躍し、坂本は日本ハムで活躍する。巨人は目先(2007年)の優勝をめざし、日本ハムは将来の長期的な戦力アップを狙う。坂本は、そのまま低迷していれば、日本ハムの損だが、その後に急成長すれば、日本ハムの得。仮に、木佐貫や久保みたいなのを選んでいたら、損となる。」

 ともあれ、こうして、解決策は見つかった。国内から世界へと、視野を広げることで。

  【 追記 】
 フリーエージェントで選手が流出した球団が困っている。たとえば広島は惨憺たるありさまだ。この問題を、どう解決すればいいか? 
 これも、米国の制度を見習えばいい。つまり、こうだ。
 「選手が流出した球団には、ドラフトの権利が与えられる」
 この制度のミソは、「どの球団も損しない」ということだ。たとえば、新井が広島から阪神に移ったとき、広島はドラフトの権利を余分に与えられるが、阪神の権利を奪うわけではない。単に新たな権利が追加されるだけだ。つまり、それによって損をするのは、他の11球団全体であり、他の11球団が11分の1ずつ損をする。それだけだ。
 現状では、「阪神の何らかの権利を広島に与える」というふうになるが、これだと、FAの理念に反する。(トレードふうになるからだ。)
 そうではなくて、上記の米国のようにすれば、問題はなくなる。
 こういうことも、米国の英語情報を知っていれば、ちゃんと知ることができる。

 [ 付記 ]
 ネットで検索するための方法を、理解していない人が多いので、紹介しておこう。
 検索するには、どうすればいいか? 問題を検索するのではなく、解答を検索する。詳しくは:
  → Open ブログ 「ネットの検索法」

 例。
 「最初のワープロは何か?」
 という質問があったら、
   「最初のワープロ」
 という言葉で検索するだけでは、情報が粗いので、うろ覚えの知識を利用して、次のように解答の一部を追加する。
   「最初のワープロ 東芝 JW 」
 これで検索すると、「東芝 JW-10」という言葉がすぐに見つかる。なお、ここでは「東芝」という言葉はおおざっぱすぎる。最終的な解答の一部である「JW」という言葉を入れておくと、ヒット率が高くなる。


● ニュースと感想  (4月18日)

 「外資による電力会社買収」について。
 Jパワーよる電力会社買収にストップがかかった。これを朝日が批判している。
 外資による日本企業への投資計画に政府が初めて「待った」をかけた。電力卸会社Jパワー株9.9%を持つ英投資ファンドTCIが20%まで買い増す計画に対し、中止を勧告した。
 TCIはこれまで海外で、投資先企業から大幅な利益獲得をめざし経営に注文をつけてきた。剛腕の「もの言う株主」といっていいだろう。3年前、他の株主の支持も集めて、ドイツ取引所によるロンドン証券取引所の買収計画をやめさせた実績がある。
 たしかに電力は公益事業であり、長期的な経営が必要だ。だが、それを外資規制で守れるとは言えない。  もし相手が国内ファンドなら歯止め策にはならないからだ。  ……
 さらに、もっと大きな「公益」がある。日本を海外へ開かれた国にしていく、という目標である。人口減少時代に突入した日本にとって、外国の優秀な技術や人材、経営を呼び込んでくることは、経済を活気づけるのに欠かせない。それなしに、今後の高齢化社会は乗り切れないだろう。  今回の決定は「日本は資本鎖国だ」という海外でのイメージを増幅するに違いない。
 外資規制を発動するなら、同時に、外資へいっそう広く門戸を開いていくというメッセージを強く発しなければならない。政府の責任は重大だ。
( → 朝日・社説
 朝日の論説は、いかにももっともらしいが、これは「理念にとらわれた現実無視」の典型的な見本だ。「市場原理ですべてうまく行く」という市場原理主義に染まったあげく、何が何でも市場原理を貫徹しようとする。コチコチの古典派。お馬鹿なリベラル主義が、政府の規制を「社会主義」や「官僚主義」と見なして、それに反対すればうまく行く、と思い込んでいるだけ。一言で言えば、「経済音痴」。
 そこで、経済学的に説明しておこう。

 経済学で「市場原理」は、無条件で成立するわけではない。「市場原理」が成立するためには、「理想的な市場」という条件が必要だ。ここで「理想的」というのは、「すばらしい」という意味ではなくて、「理念的」「空理空論的」ということであって、「現実のさまざまな制約がありえないと仮定している」「そういう制約がないという条件が満たされる」ということだ。
 
 何だか前置きが長くなったが、市場原理が成立するには、次のことが必要となる。
  (1) 需用者は、その商品を買わないで済む。
  (2) 供給者は、代替する供給者が存在する。


 (1) は、「代替商品がある」ということだ。たとえば、パンが値上げしても、パンを買わなくて済む。スパゲッティーやラーメンも同様。なぜなら、これらが値上げしても、米もあるし、ソバもあるし、ジャガイモもあるからだ。何だったら、炭水化物の量を激減させて、タンパク質や野菜に替えてもいい。あるいは、食べる量を減らして、ダイエットしてもいい。こういうふうに、「代替商品がある」つまり「なくても困らない」ということが大事だ。
 (2) は、商品でなく供給者において、「代替供給者がいる」ということだ。たとえば、日清や明星がラーメンを値上げしても、プライベートブランドのラーメン(ジャスコのラーメン)はしばらく安いままだ。富士通が軽自動車の生産をやめても、他の軽自動車メーカーがいる。こういうふうに、「代替供給者がいる」ということが大事だ。

 では、なぜ、これらの (1)(2) が大切か? そのことで、需用者の「自由」が保証されるからだ。もし(1)(2)が成立しなければ、需用者は首根っこを押さえられたことになる。
 たとえば、水道供給がそうだ。あるとき外資が参入して、水道事業を買収したとする。そして、利益優先で、徹底的にコスト削減をしたとする。そのせいで、水道にときどき赤カビが混じったり、雑菌が混じったり、断水したりする。すると、需用者はひどい迷惑だ。料理店などでは営業停止などが起こり、「水の購入費の削減」をはるかに上回る損失が起こる。しかしながら、それでも、水の供給者は、「水の販売停止」の分の負担をするだけで済む。……こういうことが起こるのは、「水道の代替商品」や「水道事業の代替供給者」がいないからだ。

 ここまで来れば、本質がわかるだろう。次のことが重要だ。
 「絶対的に必要不可欠な品で、代替不可能なもの(= 必需品)においては、安定性こそが最優先される」
 ここでは、コスト削減や生産効率のアップよりも、「安定性」こそが重視される。しかしながら、「市場原理」で可能になるのは、コスト削減や生産効率のアップだけだ。つまり生産者の利潤の最大化だけだ。……ここでは、需用者にとって最も重要なことである「安定性」は無視される。

 市場原理で可能になるのは、「資源の最適配分」である。それは、「生産者の側の利潤の最大化」を通じてなされる。しかしながら、必需品においては、「需用者の側の損失の最小化」(安定供給)が目的となる。……この二つは、同じことではない。そして、必需品においてはこの食い違うが特にはっきりする。
 「市場原理ですべてうまく行く」
 という発想は、経済学的には、必ずしも成立しないのだ。特に、必需品においては、まったく成立しないのだ。通常の商品についてなら、「安定性」という条件は必要ないのだが、必需品については、「安定性」という条件が付く。……こういうことを無視して、「市場原理ですべてうまく行く」と思うのは、あまりにも浅はかだ。(経済学音痴。)

 電力の場合も、同様である。具体的には、次の通り。
 「電力会社が利潤の最大化をめざす。そのために、電力設備の安定維持のためのコストを削減する。そのせいで、しばしば故障による停電が起こる。また、無駄を廃止するために、稼働率のアップをめざすので、余裕電力が削減されていく。必要な投資がなされず、遊びの生産設備が少なくなる。そのせいで、供給電力の上限に達することが起こり、部分的な停電が夏期には起こる。そのせいで、真夏にクーラーが止まったり、パソコンが停止したり、病院で停電したり、いくつかの病院では自家発電が故障して病人が死んだりする。工場もあちこちが操業停止になり、国家的に部分的なマヒ状態になる。」
 そして、こういうことは、現実に起こった。カリフォルニアの電力自由化がそうだ。実は、上で私が説明したことは、私の想像ではなくて、カリフォルニアの電力自由化でおこったことである。

 では、その意味は? 電力会社がわずかな利益アップをめざすと、そのせいで、一般社会において莫大な損失が発生する。そういうことだ。
 しかも、それは、市場原理においては、当然のことなのだ。電力会社が追究することは、自社の利益であり、一般社会の利益ではないからだ。一般社会全体にどれほど迷惑がかかろうと、自社がわずかな儲けを得ることができるのでああるならば、そういう道を取るべきなのだ。「エゴイズムで利益を求めることこそすばらしい」という市場原理主義によれば、そうなる。
 しかるに、朝日のような「市場原理礼賛者」は、そのことを理解しない。「市場原理を貫徹すれば、何でもかんでもうまく行く」と思い込んでいる。こうして、「生産者の側の利潤の最大化」を追究したあげく、「需用者の側の損失の最小化」(安定供給)を損なう結果となる。……そのあと、最終的には、停電の頻発により、一般社会が大損害を受けることになる。(ただし電力会社は、わずかながら利益を増やすことが可能となる。)
 
 なお、このことは、次のようにも言える。
 「公共性のある経済事業において、生産者がその独占的な地位を利用して、公共に被害をかけることにより、自己の利益を増す」
 こういう問題が起こる。そして、それを無視しているのが、朝日のような経済音痴だ。(公共経済学というものを点で理解していないわけ。「神の見えざる手」という中学生的な知識だけを知っていて、それ以外の経済学知識がゼロ。)

 [ 付記1 ]
 反論が予想されるので、注記しておこう。
 「そうだとしても、内外無差別のルールを気づくべきではないのか?」
 なるほど、朝日の社説(リンク先)でも、「電気事業法などで内外無差別のルールを整備する必要がある」と述べている。たしかにそれは、理屈としては正しい。
 しかし、そのためには、ルールをきちんと整備する必要があり、そのためには、ルールについて経済学的な知識をきちんと理解している必要がある。そういうルールを作るのは、容易ではない。特に、近年は、東大法学部の秀才が政府に入らなくなっており、ひどい法案が続出しているありさまだ。今の政府には、まともな法案を作る能力が欠落しているのだ。
 しかも、たとえそのような法案を作ったとしても、それによって寄生されるのは、外資だけである。日本の会社は、最初からお上にたてつこうなどとはしない。誰もが「公共の利益」を考慮するし、「公共の利益を無視して自社だけ儲けよう」とする会社があれば、つまはじきにされて大損すると知っているから、そんなことはしない。今回の会社は、「短期的に利ザヤを稼いで、そのあとは尻をまくって自国に戻ってしまおう。火事場泥棒みたいに、短期利益を狙って、そのあとはおさらばさ」と思っているから、勝手なことをしているだけだ。日本の会社は、そんなことはしない。
 だったら、最初から「エゴな外資は駄目」という政府方針をその場その場で決めれば、それで済む。いちいち一般原則を立てたとしても、適用されるのは特定の一社か二社だけなのだから、そんなことに無駄な手間をかけるのは馬鹿馬鹿しい。しかも、そんな一般原則を立てるだけの能力が、政府にはない。
 朝日のような「一般原則を」という主張は、理念としては正しいのだが、「理念倒れ」になっている。「最高の状況を調えよう」というのは、それはそれで狙いとしてはいいのだが、現実にはそれをなすだけの能力と金と時間がなければ、そんなことはできないのだ。……朝日のような経済音痴は、そのことを理解するべきだ。「欲しい、欲しい」とねだるよりは、「できることをなす」というのが実務というものだ。
( ※ 朝日というのは、口先だけで、自分では何もしないから、勝手な理想ばかりを唱えて、現実離れをしてしまう。)
( ※ もう一つ、朝日に足りないのは、「自己反省」だ。だから、勝手なことばかりを言っても、ちっとも反省できずに、誤ったままだ。特にひどいのは、先日にも述べたとおり、「文字の拡大化」のあとで、紙面における社説の分量がやたらと増えたことだ。そして、社説の分量ばかりをやたらと増やして、そこではゴミ以下の珍説ばかりを勝手にほざいている。デタラメだし、こんなものは存在しない方が世の中のためなのだから、ゴミ以下である。)
( → 4月14日b 「新聞の文字拡大」 )

 [ 付記2 ]
 読売の社説は、本項とは異なる立場で、反対論を述べる。
 審議会が判断を下す際、問題視したのは、短期的な利益を優先するTCIの姿勢だった。
 Jパワーは電力卸最大手で、国内5位の東北電力に匹敵する規模がある。長大な送電線網を持ち、青森県内に原子力発電所を建設する計画も進めている。  20年、30年という長期的な視点での経営が欠かせない公益企業である。ところがTCIは、投資期間として3〜5年を想定し、その間に、投資に見合う利益を稼ぎ出す姿勢でいる。
 TCIは最近、原発の建設計画について、新しい提案を出してきた。原発をJパワーから切り離し、事実上、国営化させる内容だ。こうした動きに、審議会が厳しい視線を注いだのも当然だろう。
 勧告について、「外資に対し閉鎖的な日本」というイメージが広がる、と懸念する声もある。だが、国益上の懸念が生じる場合、何らかの形で投資を制限するのは国際的な常識だ。  今回は、国益にかかわる企業に対する問題多い投資という、特殊なケースに位置づけられよう。
( → 読売・社説
 この趣旨は、次の二点。
  ・ 国益に反するのは駄目だ。
  ・ 短期的な利益ばかりを優先するのは駄目だ。
 第1に、「国益」を重視するのは、いかにも保守派の読売らしいが、そういう保守派の概念は妥当でない。日本の電力会社が外資に乗っ取られるのは、国益に反するのだろうが、別に、悪いことではない。そんな鎖国主義は捨ててもらいたい。たとえ外資であろうと、ちゃんと安定的な電力供給をしてくれるのであれば、問題はないのだ。東電は割としっかりしているようだが、過去の原発を見ると、けっこうずさんなところがある。そのせいで電力の安定供給が損なわれるようであれば、外資によって安定供給がなされることは、かえって好ましい。……要するに、大事なのは、鎖国主義的な「国益」ではなくて、「公共性」なのだ。似た概念だが、勘違いしてはならない。
 第2に、「短期か長期か」ということであれば、ブルドッグソースなどの例を見て、「短期的に食い逃げするのはけしからん」と言えるだろう。その意味では、妥当かもしれない。しかし、資本主義の世界は、弱肉強食だ。短期的に食い逃げをする企業があるとしても、それは仕方がない。実際、ブルドッグソースの場合、外資から株を買い戻すために、莫大な金を払った。外資は莫大な金を得て、ブルドックソースには莫大な借金が生じた。これではブルドックソース自体が損なわれている。だったら、外資に売却した方が、よかったかもしれない。どうせ外資にはまともに経営ができないのだから、その後、ブルドックソースを赤字会社にする。そこで、株価が暴落したところで、外資から買い戻すことが可能になる。……こういうシナリオだって、成立するわけだ。だから、「短期の利益狙い」の会社があるとしても、その会社に売却することは、必ずしも悪いことではない。「短期の利益狙い」の会社が、かえって損をすることもあるからだ。「短期の利益狙い」で、本当に利益が出るかどうかは、眉唾である。実を言うと、「短期の利益狙い」で利益を出す唯一の方法は、「恫喝による株の買い戻し」だ。「乗っ取って解体するぞ」と脅して、さんざんびびらせて、株を高値で引き取らせる。こうすれば、たったの3カ月ぐらいで、かなり高利回りの利益を得ることができる。……結局、ブルドックソースは、相手の掌の上で踊らされていたことになる。まともなことをやっているつもりで、うまく操られていたわけだ。
( ※ このことに気づかない朝日の記者が、「ブルドックソースを守った弁護士はすばらしい」という称賛記事を、先日、朝日の夕刊に書いた。バカみたい。実は、ブルドックソースは、外資から自社から守ることで、数十億円もの損失を出したのだが。そこに気づいていないんですよね。下手な鎖国主義は、かえって損をするのだが。)
( ※ で、これと同じお馬鹿な発想をするのが、読売だ。やたらと正義の旗を振るから、相手の思惑に乗らされて、踊らされても、気がつかないんですよね。損をして意気がる、お馬鹿さん。)


● ニュースと感想  (4月19日)

 「高齢者の損得」について。

 本項は、下記に移転した。
   → nando ブログ 「高齢者の損得」


● ニュースと感想  (4月20日)

 「聖火ランナーの警護」について。
 聖火ランナーを警護するために、警察官が取り囲んでしまうそうだ。歩行者からは見えない。テレビカメラからも見えない。(遠くの上方から覗き込むだけ。臨場感ゼロ。)
 なるほど、こうすれば、無難に事は運ぶ。しかし、そんなことをして、何の意味があるのか? だったら聖火リレーなんてやめてしまうのが一番だろう。そうすれば妨害はないのだから。
 本質的に考えよう。聖火の警護とは何か? そもそも、聖火というものは、(人間と違って)「無事にあること」が最優先されるわけではない。人間の生命は何にも増して大切だが、聖火の生命なんてものは意味がない。 聖火というものは、人間ではないし、いつ消えてしまっても構わない。どうせ種火があるんだし、風で消えるたびに種火から再点火するだけだ。消えたって構わないのだ。
 聖火の警護など、本来、必要ないのだ。要人の警護なら、話はわかる。要人は生命があるし、だから警護の必要もある。聖火はどうか? 生命がない。その一方で、「公開」という使命がある。聖火の目的は、「公開」によって、オリンピックを宣伝することだ。そのためにだけ、聖火はある。
 ところが、警察は、この本質を逆転させてしまっている。警官で囲むことによって、聖火の宣伝効果を消滅させる。その一方で、どうでもいい聖火の「火としての生命」を「人間の生命」のごとく大切に守ろうとする。

 要するに、物事の本質をわきまえないから、本末転倒になってしまっているわけだ。馬鹿げた話。
 
 [ 付記 ]
 警察がバカなのは仕方ないが、マスコミもまたバカになっている。同じバカ。
  → 読売・社説


● ニュースと感想  (4月21日)

 2題。生命の話と、技術政策の話。

 → Open ブログ 「老化と遺伝子」
 老化の本質は何か? 老化を防ぐにはどうすればいいか? 

 → Open ブログ 「アナログ停波の問題」
 テレビのアナログ放送が停止される、という問題について考察する。


● ニュースと感想  (4月22日)

  白熱電球の生産を中止するよう、政府が業界に求めるという。理由は省エネのため。しかし、この方針は妥当でない。
 → Open ブログ 「白熱電球の廃止」


● ニュースと感想  (4月22日b)

 「福田首相の支持率」について。
 福田首相の支持率が急激に低下しているという。
   → zakzak
 理由は、ガソリンではなくて、後期高齢者医療制度。なお、民主党の支持率が上がっているわけでもない。
   → 朝日新聞 2008-04-21

 いくら福田が失敗しても、それを越えられないのが、バカな民主党。どっちもバカなんですね。情けない。
 後期高齢者医療制度は、別名、姥捨て山制度。ここを攻めればいいのだが、ガソリンばかりを攻めているから、「人気取りの放漫赤字だけやる、嘘つき政党」と見なされて、信頼を失う。どうせなら、こう言えばいい。
 「ガソリンは、減税をしないで、一般財源化します。その金で、後期高齢者医療制度の値上げをやめます」
 しかし、現実には、民主党はこう言う。
 「ガソリン減税で金をばらまきます。後期高齢者医療制度でも金をばらまきます。ただし財源はまったく考えません。」
 これは単に「私はバカです」と告白しているだけだ。つまり、こうだ。
 「収入のことは考えなくていい。支出だけすればいい。ぜいたくをして、金をじゃんじゃん使いましょう。あとは野となれ山となれ。さあ、皆さん、どんどんお金の使い道を要求して下さい。いくらでも金をばらまきますよ。どうせ国の金なんだから、いくらでも使い放題だ。えへへ」
 こんなバカに政党を渡すくらいなら、いくらひどくても自民党の方がマシだろう。国家を破壊することしか能がない。小沢民主党というのは、戦後最悪の政党ですね。ゴミ箱に捨てた方がいい。
( ※ 先日まで素人だった橋下知事の方が、よほどマシである。「橋下知事を首相に」という声が出るかも。オマケで、東国原知事も。……ま、小沢よりは、はるかにマシです。小沢というのは、ビートたけしのバカ殿レベル。そっくり。   (^^);  )


● ニュースと感想  (4月23日)

 「死刑判決」について。
 死刑判決が出た。罪は強姦殺人。ポイントは次の三点。
  ・ 三人殺人ならば死刑が相場だが、二人殺人ではどうか?
  ・ 犯人が成人でなく 18歳の非成人ならばどうか?
  ・ 計画殺人でなく、性衝動による殺人ならばどうか? 
 
 1番目と2番目は、法学の問題だから、ここでは論じない。世間常識や判例などで裁決・裁量するべき問題であって、私の語るべきことではない。
 3番目がポイントだ。これについては、判決は次のように判断した。
 「自分の性衝動によるエゴイスティックな行動だから、情状酌量の余地はない」
 しかし、私は次のように考える。
 なお、私の基本的な立場は、次の通り。
 「死刑は必要であるが、それは、人を殺すことを何とも思っていないような、計画殺人の場合に限定される。その場のなりゆきで衝動的に殺してしまったのは、人格制御ができない粗暴さがあるというだけのことであって、冷酷さがあるということではないのだから、死刑に処するほどのことではない」

 ただし、これだと、強姦殺人のような非人間的なことをした人が、死刑をしても平気でいられることになる。それは許しがたい。そこで、「肉体における部分的な死刑」としての「去勢」を科することにするわけだ。(性衝動による犯罪のほか、暴力衝動による犯罪も、去勢によって人格を変えることが可能だ。性衝動も、暴力衝動も、ステロイド過剰に原因があることが多い。)

 今回の被害者の遺族も、ホルマリン漬けになった「アレ」を見れば、「こいつが妻子を殺したんだな」と思って、いくらか胸のすく思いになるだろう。一方、ひるがえって、被告がこのあと十年ぐらい平然として生きているのを見るのは、耐えがたい思いがするはずだ。アレがない被告ならば我慢できても、アレのある被告が平然として生きているのは許しがたい思いがするはずだ。

 [ 付記 ]
 参考記事。(引用)
 近年、性犯罪への社会的注目が強まっているため、男性性犯罪者に対し男性器の切除等の去勢を行う「宮刑」を刑罰に科すことを求める声が出ている。現在では刑罰あるいは犯罪予防措置として強制的に実施している国はないようであるが、アメリカ合衆国の一部の州において、犯罪者の希望により、あるいは懲役刑との自由選択の形で、去勢刑が行われている。実施方法は、多くは薬物注射で睾丸を萎縮させる「化学的去勢」といわれる方法を取るが、テキサス州においては、手術による睾丸摘出が実施されており、1997年と2007年の執行例がある。
( → Wikipedia
 去勢における削除の対象は、長いのと丸いのとの双方がある。死刑囚の場合、長いのも取ってしまった方が、犯罪抑止には効果的だが、ただ、排尿の問題もある。簡単には良し悪しは決まらない。
 ま、こんなこと、あんまり考えない方がいいんですけどね。フランクフルト・ソーセージを食べられなくなると困るし。


● ニュースと感想  (4月23日b)

 「死刑と利己的遺伝子」について。
 死刑判決が出た。判決自体についての話は別にするとして、この判決に「利己的遺伝子説」の生物学者(進化論学者)が黙っているのが、納得いかないね。
 今回の被告の罪はは、「強姦殺人」だ。とすれば、これは、利己的遺伝子説からすれば、「死刑」にはならないはずだ。彼らはむしろ、この被告を弁護するべきだ。つまり、「強姦殺人をするのはちっとも悪いことではないから、被告を無罪放免するべきだ」と論じるべきだ。次のように。
 こうして、「去勢した上で、本人を無罪放免するべし」という結論が出る。また、「殺人は悪だが、強姦そのものはちっとも悪ではない」という結論が出る。利己的遺伝子説を信じる学者は、そういうふうに論じて、この殺人犯を擁護するべきなのだ。
 彼らはふだんはやたらと得意そうに「個体は遺伝子の乗り物だ」とか「遺伝子を増やすことが生物の本質だ」と軽んじるくせに、強姦事件のときに限って、口をつぐむ。ご都合主義すぎますね。

 [ 付記 ]
 誤解を避けるために言っておくと、私は別に彼らに乗じて、「強姦殺人は正当である」と述べたいのではない。「彼らはそういうふうに主張するべきだ」と述べているだけだ。そして、その意味は、「利己的遺伝子説なんてものは駄目だ」ということだ。
 つまり、前提を批判している。ここのところ、勘違いしないでほしい。
( ※ 当り前のことなんだが、私のこういうレトリックを誤読する人が多いので。)





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「泉の波立ち」
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