[付録] ニュースと感想 (133)

[ 2008.11.09 〜 200.12.31 ]   

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● ニュースと感想  (11月09日)

 「金融当局者の景気判断」について。
 朝日新聞の「識者に聞く」シリーズ。今回は武藤敏郎、前・日銀副総裁。(朝日・朝刊 2008-11-07 )
 05年ごろ、FRBを訪ねたとき、FRB高官に「住宅価格のお灸当は異常ではないか。バブルではないか」と尋ねてみた。彼は「日本は投機だったが、米国は充実受像による価格上昇だ」と答えた。自信たっぷりだった。
 90年代に急増した移民が米国社会に定着し、家を持てるようになった。住宅の値上がり分を担保に金を借りられるから消費も増える。──そういう説明だった。

 バブルの最中に、それがバブルだと認識するのは、ものすごく難しい。

 朝日はいったいどんな意図でこういうインタビューを掲載しているのか? まったく疑問だ。自分で何をやっているのか、わかっているのだろうか? 
 これはただの「責任者の自己弁明」にしかなっていない。「盗人にも三分の理」と言うが、そういうやつだ。犯罪者がああだこうだと弁解する。あまりにも見苦しい。小室哲哉ならば、「私が悪かった」と罪を認めた。彼はまだ潔い。なのに、この前・日銀副総裁と来たら、自己弁明をするばかりで、何ら反省をしていない。やたらと大失敗したくせに、その大失敗を認めない。「バブルの最中に、それがバブルだと認識するのは、ものすごく難しい」と述べて、「しょうがないでしょ。私のせいじゃないですよ」と責任転嫁するばかりだ。あまりにも情けない。

 しかも、である。記事をよく読めばわかるように、この弁解は弁解になっていないのだ。そのことは自分で告白している。引用文の前段を見るがいい。
 「住宅の値上がり分を担保に金を借りられるから消費も増える。」
 これすなわち、バブル現象ではないか。日本のバブル期、そっくりそのままである。
 「土地神話のせいで、土地バブルがふくらんだ。土地の値上がり分を担保に企業は金を借りられるから、投資も増える。土地の値上がり分を見込んで過剰消費するから、消費も増える」
 これが日本のバブルだった。だとすれば、米国の住宅バブルは、明白にバブルだったわけだ。そして、そのことに、米国高官も武藤(当時は日銀副総裁)も、ちゃんと気づいていた。ただし、バブルのタイプがちょっとだけ違っていた。(米国は移民などで、日本では企業など)。そこで、バブルのタイプがほんのちょっと違っているこちに着目して、「これは日本のバブルとは違う」と判断して、「これはバブルではない」と勘違いした。つまり、「白馬は馬にあらず」という理屈。

 ではなぜ、彼らは「白馬は馬にあらず」という理屈という理屈を取ったのか? 彼らの頭が狂っているからか? いや、そうではない。盲目的になっていたからだ。それは、
 「マネーが景気を制御できる」(マネタリズム)
 という発想を信じていたからだ。この発想を信じているから、妄想を信じたのだ。次の妄想を。
 「マネーを増やせば、景気が拡大する。ゆえに現状の景気は、バブルではない」
 と。これはすなわち、マネタリズムの発想そのものである。つまり、彼らはマネタリズムという発想そのものを信じたとき、自動的に「バブル」という存在を否定してしまった。そのせいで、バブルを見ても「バブルだ」と認識できないのである。(昔も今も。)
 だから、「バブルの最中に、それがバブルだと認識するのは、ものすごく難しい」というのは、まったくの虚偽とは言えないが、それには、「マネタリストにとっては」という限定がつく。つまり、「妄想を信じている者には」という前提が。
 要するに、
 「バブルの最中に、それがバブルだと認識するのは、ものすごく難しい」
 というのは、
 「妄想を信じている者には、現実を見ても理解することは、ものすごく難しい」
 ということなのだ。とすれば、大事なのは、
 「マネタリズムという妄想を信じてはならない」
 ということなのだ。

 マネタリズム。「マネーが景気を制御する」という発想。「マネーを増やせば景気が拡大する」という発想。それは必ずしも間違いとは言えない。ただし、それが成立するのは、次の場合に限られる
 「投資需要は多大にあるのに、マネー不足のせいで、投資不足の場合」
 この場合には、マネーを供給することで、投資が増えて、それを契機に消費も増えるので、景気は拡大する。
 では、その前件が満たされないときは? つまり、「投資需要は多大にある」という条件が満たされないときは? 
 投資需要がないときに、マネーだけを増やしても、投資は増えない。とすれば、どうなるか? 実需としての投資が増えないときに、マネーだけを投入すれば、次のいずれかににある。
  ・ 市場に滞留する。(流動性の罠)
  ・ 投資ではなく投機に回る。
    ( ※ 投資とは設備投資で、投機とは資産投資。株や土地に。)
 前者は、不況のときに起こる現象だ。
 後者は、バブルのときに起こる現象だ。というか、後者が起こったときには、バブルとなる。

 以上は、マクロ経済学の基本的な知識だ。クルーグマンもスティグリッツも私も、そのことを知っているから、そのことを指摘する。
 しかし、マネタリストは、その言葉に耳を傾けない。あくまで「マネーが景気を制御する」という妄想ばかりを信じる。そして、「景気を拡大する」と信じながら、「バブルをふくらませる」という結果をもたらす。
 しかも、そのことに気づかない。その当時も「バブルだ」と指摘されたのに、「いや、これはバブルじゃない」と強弁して、事実を無視する。(引用文の前半。)
 また、事後になっては、「その時点でバブルだと認識するのは、ものすごく難しい」と弁解する。(引用文の後半。)

 比喩的に言おう。
 ガソリンタンクに火を付けようとしている愚か者がいる。彼の発想は、こうだ。「冬には火を付けると、暖が取れる。今は(景気が)寒くて仕方ないから、少しは暖を取りたい。前にも、たき火をしたら、暖を取れて、成功した。だから今回も、ここで暖を取るために、火を付けたいんだ」
 そういう馬鹿者に、ヒゲもじゃの変人が忠告した。「そんなことをすれば、落ち葉に火がつくんじゃなくて、ガソリンに火がつきますよ。落ち葉によって焼き芋ができるんじゃなくて、ガソリンによって家が燃えてしまいますよ。落ち葉とガソリンとは違うんだ。実用で火を付けるのと、放火で火を付けるのとじゃ、違うんだ。その違いに気をつけろ」と。
 しかし馬鹿者は、その違いを理解できなかった。また、違いを指摘する声にも、耳を傾けなかった。かくて、ガソリンに火を付けて、家を燃やしてしまった。
 そのあとで、途方に暮れている。そこへヒゲもじゃの変人が出てきて、言葉をかけた。「だからいっただろう。私の言うことを聞けば良かったのに」と。しかし馬鹿者は、その言葉も理解できなかった。「あのときには、ガソリンに火を付けると家が燃えると気づくことは、ものすごく難しかったんだ。だから仕方ない」と。……つまり、自分が忠告を聞いていたことさえ、理解できない。
 なぜか? 彼は妄想を信じていたからだ。「火を付けさえすれば幸福になれる」という妄想を。

 ファイア・イズム。
 マネー・イズム。(マネタリズム。)
 世界を崩壊させているのは、こういう狂気を信じている連中である。経済テロリスト。

 [ 付記1 ]
 だから、朝日新聞がなすべきことは、狂人の自己弁明を何度も掲載することではなく、狂人への批判を掲載することだ。「あれはバブルだと当時から指摘されていたのだ」と。
 なのに、朝日新聞は、何度も何度も、狂人(犯罪者)の自己弁明を掲載して、彼らを正当化するばかり。
   ・ 過ちて改めず、これを過ちという。
   ・ 過ちて気づかず、これを馬鹿という。
   ・ 過ちて正当化する、これをテロリストという。
 朝日が推進しているのは、どれでしょうか? 

 [ 付記2 ]
 「識者に聞く」シリーズの過去分への批評は、前の文書にある。
   → ニュースと感想(132)
 ( ※ そこで、「識者に聞く」という語を検索すると見つかる。)


● ニュースと感想  (11月09日b)

 金正日の写真捏造の疑惑が上がっている。私も調べたが、合成写真だと断言できるだろう。
 → Open ブログ 「金正日の合成写真」


● ニュースと感想  (11月10日)

 (1)
 Google がマイ・マップというサービスをしているのは、無償奉仕のためではなく、金儲けのためである。その点を明確にする。
  → 「マイ・マップによる収益」
 ( ※ Google はいかにして金儲けをしているか、という下賤な話。  (^^); 勝間和代の本を読むと、情報能力を高めことで金儲けができる、というふうに思える。しかし、そうじゃない。本当に金儲けをする方法は、別にある。世間はあまりよく知っていない方法が。)

 (2)
 物理学の話題。量子論。
 重力と電磁力は、対称的であるべきだ。しかし現代物理学(標準理論や超ヒモ理論)は、その対称性を説明しようとしても、不完全にしかできない。では、どうすればいいか? 
  → Open ブログ 「重力と電磁力の対称性」


● ニュースと感想  (11月11日)

 グーグルの個人情報漏れの話題。二つ。

 (1)
 ケータイ でもマイ・マップを利用することができる。その場合、たとえ「限定公開」の形だとしても、いくらか問題がある。
  ( ※ セキュリティ専門家向けの話。素人には、やや難解。)
  → 「マイ・マップとケータイ」

 (2)
 Google の問題は、マイ・マップだけでなく、他のサービスにも当てはまる。Picasa と Google カレンダーがそうだ。ここでも個人情報漏洩が起こっている。 しかも、きわめて深刻に。
  → 「 Picasa と Calendar の情報漏洩」



● ニュースと感想  (11月11日b)

 「金正日死亡の意味」について。
 金正日の写真が合成写真であると、前々日に示した。では、これは何を意味するか?
 もちろん、金正日が死亡または重病であることを意味する。では、それは、何を意味するか?
 通常ならば、トップが権力統治不能になったとき、他の誰かが代わりにその位置に就任する。しかし、今回はそうなっていない。それは、次のことを意味する。
 「北朝鮮は現在、トップが不在の状況である」

 つまり、国家としての脳死状態だ。権力の空白があるわけだ。そして、そのまわりにいる連中が、「金正日を生きていることにしておこう」ということで合意しているわけだ。なぜなら、誰もがトップにならなければ、誰もが現在の甘い蜜を吸えるからだ。かくて相互的な牽制状態が成立する。「三すくみ」みたいな状況である。

 この状況では、国家全体を統治する「脳」は存在せず、各部門の長が勝手にその部門を統治しているのだろう。というか、もともと国家統治はほとんどできていない状況だったから、メチャクチャな状況が放置されているのだろう。
 かろうじてまともに動いているのは軍だろうが、軍もまたまともに統治ができているとは思えない。核問題についても、米国と押しあいをしているが、どうにも決められないで、押したり引いたりして、実効性のあることを決められないのだろう。

 ここまで判明すると、日米のなすべきこともはっきりする。
 日米はもはや、北朝鮮を国家と見なして、交渉するのをやめるべきだ。相手は国家としての体をなしていないからだ。どんなことを条約で結んだとしても、そのすべては破棄されるに決まっている。いちいち「条約を守らない」と怒る方がどうかしているのだ。相手は「条約を守らない」のではなく、「条約を守れない」のである。
 この点は、終戦時の日本とはまったく異なる。当時の日本は、天皇のもとで、統制が取れていた。たとえ軍が機能停止になっても、国家としてはまともに機能していた。行政府も教育組織も、ちゃんと機能した。産業活動が特に停滞することもなかった。(闇商人を乗せた列車もちゃんと動いた。自動車に燃料を補給して動かすこともできた。)
 今の北朝鮮は、終戦直後の日本に比べると、物質的にははるかに豊かだが、国家としては崩壊状態にあると言える。「仮想首領」のもとで、仮想統治をしているだけだ。
 とすれば、日米はもはや「仮想首相」と交渉しようというような、外交方針を取るべきではあるまい。武力による制圧が最も現実的だ、と思う。
 その際、制圧は、破壊による制圧ではなく、破壊なしの制圧にするべきだ。具体的には次の通り。

 (1) 38度線の中立地帯を制圧することを宣言する。同時に、中立地帯の先で、食糧援助をすることを宣言する。中立地帯から北朝鮮領へ、「ものすごくおいしい食べ物」を少量与える。(大量の小麦ではなくて、おいしいケーキみたいなもの。日持ちのしない美食。兵士に食べさせるのが主眼。)
 (2) 兵士がおいしいものに慣れたころに、「もっとおいしいものを上げる」と宣言して、中立地帯から百メートルだけ進出する。その領域を支配下に置く。ただし、それ以上は進出しない。その先において、ふたたび、おいしいものを贈る。相手は、攻撃しなければ得をするが、攻撃すれば損をするから、何もしないで、ただおいしいものを受け取る。
 (3) 以下、同様。毎週、百メートルずつ、進出する。1年で、5キロぐらい。
 (4) 1年後に、大幅に進出する。北朝鮮の全土に、食糧爆弾を振り落とす。おいしいチョコレートを大量にばらまく。トラックに乗せたおいしいものを大量にプレゼントする。誰もがそれを阻止しない。
 (5) 北朝鮮政府は実質的に活動停止になる。軍も活動停止になる。軍を支配下に置いて、美味な食べ物を大量にプレゼントする。特に、軍の幹部は優遇して、贈り物をたっぷりとあげる。軍の幹部にのみ、お酒をたっぷりと贈る。

 以上によって、ミサイルも弾丸も一発も使わずに、北朝鮮を支配下に置く。
 これを「反ブッシュ政策」または「干天の慈雨作戦」と呼ぶ。……ミサイルと弾丸による武力制圧でイラクを支配下に置こうとしたブッシュ政策の反対で、美食と酒による食糧制圧で北朝鮮を支配下に置く。しかも、こちらの死亡する犠牲者は、ゼロ人である。(イラクの米軍死者は途方もない数に上るが。)

 昔の人 曰く。「ペンは剣よりも強し」
 私 曰く。「ケーキは兵器よりも強し」


● ニュースと感想  (11月12日)

 (1)
 Google という会社の体質を説明する。Google について批判する声が多いのに、なぜ Google は行動を改めないのか? それはGoogle の方針を見るとわかる。
  → 「Google の方針」

 (2)
  マイ・マップについては、問題が指摘されたが、Google の対処は表面上の取りつくろいだけだ。そこでは何も改善していない。そのことを指摘する。
  → 「マイ・マップの現状」
  

● ニュースと感想  (11月13日)

 (1)
 自分のサイトに広告を掲載している人が多い。Amazon アフィリエイトなど。しかしこれは、自分のサイトの検索ランキングを下げる。
   → Open ブログ 「広告はランキングを下げる」

 (2)
 Google が情報漏洩をするのは、故意であるようだ。つまり、確信犯だ。  そもそも会社の方針が「他人の情報の公開」である。このことを Google は自ら告白している。
 また、ユーザーは、知らず知らず「公開」に同意してしまっている。もちろん Gmail についても。
  →  「公開」が基本( Gmail も)」


● ニュースと感想  (11月14日)

 「麻生首相の識字力」について。
 麻生首相は漢字をまともに読めないそうだ。
 麻生首相が最近、言葉遣いの誤りを連発している。
 12日午後、日中関連イベントであいさつした首相は、「これだけ『はんざつ』に両首脳が往来したのは例がない」「(四川大地震は)『みぞうゆう』の自然災害」などと語った。手元に用意した原稿にはそれぞれ「頻繁(ひんぱん)」「未曽有(みぞう)」と書かれており、誤読だったようだ。
 7日の参院本会議でも、植民地支配と侵略への反省を表明した村山首相談話を「ふしゅう」すると表明した。首相は「踏襲(とうしゅう)」を「ふしゅう」と読む間違いを国会で何度も繰り返しており……
( → 読売新聞 朝刊・コラム 2008-11-13 )
( ※ 参考情報 → 別のブログの情報
 お馬鹿キャラが流行っているのは知っていたが、首相までそうなっているとは。ジョークみたい。  (^^);
 もしかして、IQが低い? 歴代最低かも。

  ・ トヨタiQ …… カー・オブ・ザ・イヤー。
  ・ 麻生 IQ …… パー・オブ・ザ・イヤー。

 [ 付記 ]
 麻生首相を「馬鹿」呼ばわりしたタレントがいる。(私じゃないです。  (^^); )
   → zakzak
 彼のブログには非難が殺到。そのせいで、該当のブログ記事(11月12日分)を削除した。しかし、頭隠して尻隠さず。トップページからは該当記事が削除されたが、( Google の検索から)URL に直接行くと、その記事(ページ)が表示されてしまう。
 その後、気づいたらしくて、ようやく削除された。今は削除済み。

 削除したはずのものが、数時間は残っていたわけだ。消しても消えないゾンビ記事。不思議ですね。 
( ※ 該当のブログのシステムがおかしいのかとも思ったが、そうではないことが確認された。普通は大丈夫。どうなっているんでしょうね。Google の呪いか?)


● ニュースと感想  (11月14日b)

 ストリートビューの違法行為に関連する話。最高裁で興味深い判決が出た。女の尻を携帯電話付属のカメラで撮影するのは有罪だ、という判決。
   → 「ストリートビューと女の尻」


● ニュースと感想  (11月15日)

 Dropbox というストレージサービスがある。ネット上のファイル保管庫。2GBまで無料。これは Gmail を使うファイル保管よりも能率的。
  → Open ブログ 「Dropbox (紹介)」


● ニュースと感想  (11月16日)

 携帯式の情報端末で、フルキーボードを備えたものが、初めて発売された。
 名称は「ポメラ」で、価格は2万円台。
  → Open ブログ 「ポメラ(情報端末)」


● ニュースと感想  (11月16日b)

 「源氏物語・上野榮子版」について。
 源氏物語の現代語訳が新たに出たという。上野榮子(栄子)著。年齢 83歳。
 すばらしい! 中身は見ていないが、その努力がすばらしい。自費出版したあとで、日本経済新聞社から刊行。
 朝日新聞の紹介(朝刊・コラム・2面)によると、息子は数学者の健爾さんということだから、高名な上野健爾 氏であろう。(なお、私は彼から東大で授業を受けた覚えがある。)
 親子どっちも立派であるが、やはり、遺伝ですかねえ。ふうむ。(いろいろと思うことあり。結婚相手について。    (^^);  )



● ニュースと感想  (11月16日c)

 「石原銀行の麻生版」について。
 どさくさにまぎれて、麻生首相が「石原銀行」の麻生版を始めている。東京都の赤字は千億円超で済んだが、麻生首相は何と 30兆円(!)をつぎこむという。
 中小企業の資金繰りを支援する政府の緊急保証制度が31日、始まった。中小企業が民間金融機関から融資を受ける際に、信用保証協会が元利金の返済を100%保証する。
( → business-i

 この「信用保証協会」というのが曲者で、まるで民間団体みたいな名前だが、公益法人であり、実際は政府の一部である。
 朝日新聞の記事によると、こうだ。
 政府の経済対策で、中小企業向けに30兆円も資金繰り支援を実施する。
 信用保証協会が融資の際の「保証人」になる。通常だと借金の8割までだけど、今回は国が後ろ盾になり、100%保証する。会社が倒産して返済できなくなっても、国が肩代わりするから金融機関も貸しやすくなる。
( → 朝日・朝刊・2面・コラム 2008-11-15 )
 これで金融機関は、どんなクズ企業に対しても、野放図に資金を融資できるわけだ。「事業が成立するわけない、絶対に融資したくない」と思っても、政府にツケ回しができるから、貸し放題。
 ま、普通の事業者なら、事業を閉鎖する前に、巨額の融資を受けて、遊びに使ってしまうだろう。それが最も合理的だ。
 仮に、事業を無駄に続けて、赤字事業を半年だけ継続して、そのあとでつぶすとしたら、もっと無駄だ。赤字事業を無駄に継続していたことになる。それよりは、何もしないで、バーやキャバレーで数百万円を散財した方が、よほどマシであろう。それなら少なくとも、馬鹿げた無駄をしないで済む。
 で、そういう散財を、政府の金でせっせと推進するわけだ。30兆円も!
 しかも朝日は、「それは当然だ」という口調の報道である。呆れたものだ。
 
 なお、信用保証協会が何をやっているかは、別の報道がある。
 経営が行き詰まった中小企業に代わって、全国の信用保証協会が金融機関に債務を返済する「代位弁済」が、9月までの本年度上期で前年同期比27%増の計4864億円と、半期では2003年度下期以来の高水準に達したことが1日、全国信用保証協会連合会のまとめで分かった。
 年間弁済額が過去最悪だった02年度の1兆2604億円に迫る恐れも出ている。
( → 共同通信
 これは、保証率が8割の場合。自腹が2割だから、何らかの抑制が働いている。しかし今後は、政府保証 100%である。いくらでも無駄遣いのし放題だ。

 はっきり言って、狂気の沙汰である。国家破壊政策。その損失は、国民全体が払うハメになる。もし 30兆円のすべてが無駄になれば、家族4人で 100万円ぐらいの負担がのしかかる。げっ。
 そして、そのすべては、「中小企業の無駄遣い」のために使われるのだ。

 ただ、お勧めの方針がある。あなたが中小企業とグルになって、政府保証で1億円ぐらいの融資を受けるといい。そして、その1億円を盗んでしまえばいいのだ。そのツケ払いは、国民に回してしまえばいい。
 良心に恥じる? いやいや、政府がそれを推進しているのである。実際、暴力団はみんな、そうやっていますよ。彼らはそうやって、石原銀行を食い物にして、ツケを東京都民に回した。それでも彼らは、非難されない。
 この世は悪がのさばる。というか、悪がのさばるように、政府とマスコミがグルになっているのだ。


● ニュースと感想  (11月17日)

 (1)
 トヨタが車イス・ロボットを開発したという。前述のウィングレットの車イス版。体の動きを検知して、車イス・ロボットが自動的に進んでくれるという。
  → Open ブログ 「トヨタの車イス・ロボット」

 (2)
 ストリートビューでは、「自宅の画像を削除してほしい」と申告することができる。しかし、申告するとかえって、そのことで個人情報が漏れてしまう。そういう罠を Google は用意している。
  → 「ストリートビュー:申告の罠」


● ニュースと感想  (11月18日)

 マイマップの惨状について、マスコミも着目しつつあるようだ。読売新聞が報道している。
 (記事の紹介)
  → 「マイ・マップの現状2」


● ニュースと感想  (11月18日b)

 「金融」について。
 世界の金融危機への経済対策として、「金融への国際的な規制強化」という方針が示された。金融サミットの結論。(2008-11-17 各紙。読売新聞 など。)
 「金融危機は、金融業がサブ・プライムなどで野放図な貸し付けをしたのが原因だ」
 という認識から、「規制を強化すれば、経済危機を予防できる」という立場だ。

 しかし、私はこれに対して、批判したい。次のように。
 「これは、金融危機の原因を、金融界のせいにすることで、責任転嫁をしている。本当は各国の金融政策が間違っていたのが原因なのに、金融機関のせいにして、自分の責任にほおっかむりしている」
 比喩的に言えば、馬鹿な父親が自分のせいで大切な壺を壊してしまったのに、「子供が遊ぶから壺を壊す」と責任転嫁して、「子供の監督を強化する」という方針を打ち出すようなものだ。てんで、見当違い。自分の責任を無視している。……なるほど、子供はその前に、壺を使って、ごろごろ転がしたりして、遊んでいた。しかし、子供が壺で遊んでいたという出来事と、父親がゴルフクラブで壺をたたき割ってしまったという事実とは、関係ない。何でもかんでも子供のせいにすればいい、というものではないのだ。トンチンカン。責任転嫁。

 さて。まずは、少し注釈しておこう。
 私がこういうふうに述べたからといって、「金融機関は善だ」と述べているわけではない。金融機関は、確かに悪であった。バブルをふくらませたという意味の悪はあった。また、そのあとで破綻することで、赤字をツケ回しした、という悪もあった。それでいて、黒字のころは甘い汁を吸った、という悪もあった。
 金融機関のやったことは、比喩的に言えば、詐欺である。
 「今は儲けて、あとで破綻」
 というのは、
 「儲けは自分、破綻後の赤字は他人」
 ということだ。住宅バブルのころは、経営者や社員がさんざん高い給料を得て、その後、住宅バブルが破裂したら、赤字解散して、赤字をまわりに押しつけて、自分は解散してしまう。……こういうのは、合法的な詐欺と言える。
 とすれば、こういう詐欺行為を規制するというのは、一見、もっともらしい。(私が普段主張する「詐欺にだまされるな」「自由でOKということはない」という主張にに合致する。)……しかし、である。「規制強化」は、私の主張とは違う。
 実は、「合法的な詐欺師」がダメだからといって、「合法性」のところをいじくる(規制強化して違法化する)というのは、方針がおかしい。なるほど、「法律が不備だ」とかいう面もなくはない。だが、むやみやたらと規制を強化すればいいというものではない。かえって弊害も生じる。
 「規制緩和」で失敗したからといって、その逆の「規制強化」を取ればいいというものではないのだ。砂糖を入れすぎて失敗したからといって、塩を入れすぎればいいというものではないのだ。それよりは、「何がまずかったか」という根源を理解することが大事だ。

 そもそも、合法的な詐欺は、なぜ起こったか? 簡単に言えば、「景気変動があったから」だ。
 こういう詐欺師は、次のようにする。
  ・ 景気のいいときには、「保険料」みたいなものを受け取る。
  ・ 景気が悪くなると、自己破産して、支払いを免れる。
 つまり、「利益は自分で、損は他人」というわけだ。ズルである。
 しかし、ズルはズルでも、このズルは合法だ。そもそも資本主義そのものが、そういうことを許容するシステムだ。だから、そのシステムを根本から否定するのは、間違いだ。

 資本主義というシステムにおいてズルが発生するのであれば、資本主義そのものをやめてしまえばいいのではない。そういうズルが起こらないように、状況を調整すればいいのだ。
 比喩的に言おう。飢饉や戦争などで、食糧不足になることがある。すると、闇商人がとんでもない高値で食料を売りさばいて、暴利を得る。彼らは他人の弱みを突いて、ボロ儲けする。けしからん。
 では、彼らの行動を、きせいすればいいか? いや、規制すればするほど、飢餓状態がかえってひどくなるので、状況はかえって悪化する。では、どうすればいいか? 飢餓状態で規制を強化すればいいのではなく、もともと飢餓状態が起こらないようにすればいいのだ。そうすれば、ズルをする連中がのさばることもない。

 ズルが跋扈するのは、ズルな連中がいけないのではなくて、ズルな連中がのさばるようなメチャクチャな状況があるからだ。だから、そのような状況をなくす。それが本質だ。
 経済も同様だ。景気の山と谷がある。バブルの膨張と破裂がある。そういう変動があるから、そういう変動を利用してボロ儲けする連中がのさばる。
 とすれば、そういう連中の行動を規制すればいいのではなく、景気の山と谷をなくせばいいのだ。バブルの膨張と破裂をなくせばいいのだ。
 では、誰が景気の山と谷を生んだか? 誰がバブルの膨張と破裂をもたらしたか? 金融機関か? いや、彼らは金融政策の手足となっただけだ。金融政策そのものを決めて、大量のマネーを供給したのは、各国政府だ。金融業の業者ではない。マネーサプライを決めるのは、各国政府(中央銀行)だ。金融業の業者ではない。

 結局、金融危機の責任は、詐欺師みたいな連中にあるのではなく、国そのものにある。たしかに、詐欺師みたいな連中は、景気の山と谷を利用してボロ儲けして、ツケを他人に回した。一種の泥棒行為をした。しかし、そういう状況をもたらしたのは、各国政府なのだ。
 悪いのは、国家の経済政策そのものだ。たしかに、国家は被害者であるが、加害者は、金融業ではなくて、国家そのものだ。国家は、自分で自分の首を絞めたのだ。なのに、他人のせいにして、他人を規制強化しても、何の意味もない。自分で自分の首を絞めているのに、他人の手を規制しても、何の意味もない。

 すべての根源は、各国の経済政策にある。マネーだけに頼って、マクロ経済政策を動かそうとする。総需要という概念なしに、マネーだけで経済を動かそうとする。そいういう狂気的な発想(マネタリズム)があった。そいつが真犯人だ。そいつがバブルをもたらし、そいつが金融危機をもたらした。そして、そいつを咲いて久下のは、各国政府自身なのだ。
 真犯人は、自分自身である。国家自身である。それをわきまえずに、「あいつが一番怪しい」という理由で、金融界の業者だけを規制しても、濡れ衣にしかならない。そして、その濡れ衣のせいで、真犯人は逮捕を免れる。……そのせいで、何度も何度も、同じ失敗を繰り返す。
 大いなる勘違いばかりが、まかり通っている。


● ニュースと感想  (11月19日)

 (1)
 Gmail には、欠陥(ないし弱点)があることがわかった。次の二点だ。
  ・ 冒頭の空白が消えてしまう
  ・ 等幅フォントでなくなる
   → 「Gmail の欠陥」

 (2)
 Yahoo にも、地図やカレンダーのサービスがある。こっちの方がマシだろう。安全性の点では。( だから Google のサービスなんか 使う必要はない。)
  → 「Yahoo のサービス」

 (3)
 Google は危険だ。「 Google が現状のままであるならば」という条件のもとで、Google のサービスについては「使用停止」を命じた方がいい。特に企業や政府は、組織内の「使用禁止」を命じた方がいい。
(ただし、検索だけは使用可。)
  → 「Google 使用禁止を」


● ニュースと感想  (11月20日)

 (1)
 前日の「Google 使用禁止を」では、「企業や政府は Google 使用禁止を組織内で命令せよ」と述べた。その必要性を示すために、企業情報の漏洩を示す。
  → 「企業情報の漏洩」

 (2)
 「著作権とは何か」について、ネット上では誤解が流布している。そのせいで、正当な引用さえできなくなることが多い。困ったことだ。そこで、基本的な点を指摘しておこう。
  → Open ブログ 「著作権と引用」


● ニュースと感想  (11月20日b)

 「元事務次官の連続殺人事件」について。
 元事務次官を狙う連続殺人事件があった。これを「テロだ」と大騒ぎしているマスコミもある。(例によって読売です。  (^^); )
 しかし、何でもかんでも「テロだ」と大騒ぎするのは、馬鹿げている。フセインもてろ、アルカーイダもテロ、今回もテロ。「テロ」という言葉を大安売りしすぎる。もっと言葉に細心であってほしいね。麻生じゃないんだから。   (^^);
 ま、言語力貧困で本を読めないのを「オタク」と称するのかもしれないが。   (^^);

 話を戻す。
 今回の事件を「テロ」と見なすのは、妥当でない。なぜなら「合理性」がまったく欠落しているからだ。合理性のない殺人は、正気の人間のやることではない。狂人のやることだ。とすれば、これは「狂人の病気の結果」と見る方が、まだマシだ。「テロ」と見なすべきではあるまい。
 「テロ」ならば、合理性がある。合理性があれば、元事務次官なんかを狙わず、現職の政治家または役人を狙う。厚労省の大臣とか、事務次官とか、局長とか。どちらかと言えば、建物や自動車の爆破だろう。爆弾がなければ、火焔瓶。……こういうのならば、合理性がある。
 しかし、引退したおじいちゃんを殺して、どうするんです。まして、おじいちゃんがいないからといって、おばあちゃんを殺すなんて。
 これは、狂人の仕事。テロリストの仕事じゃありません。たとえば、ゴルゴ 13が依頼者に頼まれて、どこかのボスを殺すことはあるかもしれない。だが、ボスがいないからといってボスの女房を殺すことなど、ありえない。常識でしょうが。
 そんなこともわからないで、「テロだ、テロだ」と騒ぐなんて、騒ぐ方が狂っている。逮捕するなら、自分の頭を逮捕した方がいい。そっちは狂っているのだから。   (^^);

 結論。
 犯人はまたどこかの役人を狙うかもしれない。その意味で、警戒はした方がいい。しかし、犯人をテロリストだと思って、テロ対策をするなんて、馬鹿げている。
 どうせ対策をするなら、正気の人間の犯罪への対策をする方がマシだ。
 たとえば、轢き逃げしながら被害者を引きずっていた運転手がいる。これは正気の人間だから、こういう連中を懲らしめるのは、道理が通っている。
 また、たとえば、産婦人科医不足を放置して、大量の妊婦や新生児を放置している、悪の政治家がいっぱいいる。こいつらを逮捕する方が、よほど世のため人のためだ。
 どうも「元事務次官が殺された」というだけで、頭に血が上って「テロだ」と騒ぐ人が多すぎる。そんなことだと、ブッシュの二の舞ですよ。フセインを見て「テロだ、テロだ」と大騒ぎした数年前を、よく思い出した方がいい。あの馬鹿らしさをね。   (^^);


● ニュースと感想  (11月21日)

 「トヨタ iQ の国語力と日産キューブのデザイン力」について。

 (1) トヨタ iQ
 トヨタ iQ は IQ が低い、と前に述べた。( Open ブログ)
 どうやら、その頭の悪さは筋金入りらしい。20日の読売新聞に、「トヨタ iQ はカー・オブ・ザ・イヤーを取りましたた」という全面広告があった。そこに、次の記述があった。
 「燃焼タンク」
 これはもちろん「燃料タンク」の間違い。(その配置をうまく工夫した、という宣伝。)
 しかしねえ。全面広告と言えば、何度もチェックが入っているはずだ。企業担当者と広告代理店の双方で。広告業界の常識。
 なのに、こんな間違いがあるとは! IQ が低すぎる! 単なる漢字の誤変換とは違う。何度もチェックしながら、漢字の間違いに気がつかない。
 前項では麻生首相を皮肉って、
 「ま、言語力貧困で本を読めないのを「オタク」と称するのかもしれないが。」
 と書いたが、ここまでひどくなっているとは。麻生首相だけじゃないんですね。
 
 (2) 日産のキューブ
 日産のキューブは「日本車で一番カッコいいぞ。なのに、どうして国外で販売しないんだ!」という外国人の声があった。そこで日産は張り切って、新型キューブを発売した。しかしこれが、「カッコ悪い」という悪評ばかり。ブログで「キューブ カッコ」を検索すると、目も当てられない。代表は、下記。
   → あまりのかっこ悪さに激怒
 ハンサムと醜男が並んでいる、という感じですね。映画の「ハンサム・スーツ」を思い出してしまった。   (^^);

 内装もまた、狂気的。四角のデザイン基調に、遠景を組み合わせている。気違いじみているね。見ていると、頭が狂ってきそうだ。(ま、そう感じない鈍感な人もいるだろうが、まともなデザイン神経があれば、統一感を破壊される感じで、気が狂いそうになる。)
 「ここ数年で最も醜い車」という称号を与えたい。「アグリー・カー・オブ・ザ・イヤー(ズ)」
 それにしても、スカイラインとティアナは尻下がりの変な曲線が入っている。日産のデザインは、完全にイカレているね。
 なお、新型フェアレディZは、もっと醜い。来年の「アグリー・カー・オブ・ザ・イヤー」は、これで決まり。

 まとめ。
 日本の自動車産業も、そのうちビッグ3みたいになるのかも。いや、もう、なりかけている?


● ニュースと感想  (11月21日b)

 「米国の自動車産業の行方」について。
 米国の自動車産業は、どうなるか? いや、これをどうするべきか?
 オバマは「巨額の金を融資する」という意向だという。その使途は、省エネのための開発資金。これは、いかにも善意あふれる方針だが、経済的には最悪だ。(まるで朝日みたいだ。)……なぜなら、「開発費」というのは、金をドブに捨てるのと同じからだ。金が1兆円なら、1兆円を捨てるのと同じ。なぜか? 「開発費」というのは、何も新たなものを産み出さないからだ。先進企業が「開発費」を使うなら、これまでにない新たなものを産み出す。しかし周回遅れ企業が「開発費」を使うなら、先進企業がずっと昔に開発済みのものを再開発するにすぎない。たとえば、省燃費技術なら、1兆円かけても、トヨタや日産やホンダがとっくに開発済みのものと同じものを開発するにすぎない。新たなものは何も生み出されない。だったら、トヨタや日産やホンダから、タダで技術をもらった方がずっといい。
 では、トヨタや日産やホンダから、タダで技術をもらうには、どうすればいいか? 簡単だ。彼らから何かをもらうかわりに、自分自身を丸ごと売り渡してしまえばいい。つまり「身売り」だ。……こうすれば、新規技術の開発をすることもなく、全米の米国企業が新規技術をタダで入手できる。(発想の転換ですね。)

 なお、ビッグ3を日本企業に売ろうとしても、今は誰も買わないだろう。タダでも買ってもらえまい。となると、方法は次のようにするといい。
 (1) 景気悪化の続く状況(市場縮小の状況)では、つなぎ融資だけをして、現状維持。ビッグ3に赤字は出るが、仕方ない。トヨタやホンダだって北米では赤字同然だ。この問題は、米国景気の全体を改善するしかない。ミクロ的には、何もなすことはない。(つなぎ融資のみ。)
 (2) 景気が改善したら、ビッグ3を日本企業(や西独企業や韓国企業)に売る。ただし、丸ごと売るのは無理だから、解体して、工場単位で売る。従業員は全員解雇。(その後、優先的に再雇用。)研究施設や技術者も同様。いったん、解体・解雇してから、売却・再雇用。
 (3) 当然、失業者の問題や、企業の年金基金の問題が生じる。こういう問題のみ、政府が負担する。これは経済政策ではなくて、労働・福祉政策。ただし、それを政府が担うことで、経済状況の最適化を推進する。

 最後の着色部分が需要だ。ここを理解するべき。ここが本質だ。……善意ではなくて、頭を使いましょうね。オバマさん。

 [ 付記 ]
 ビッグ3の解体とは言っても、完全な解体ではなく、大型車の部門を半分ぐらいは残していてもいいだろう。キャデラックなどの部門。どうせそこは、日本メーカーは作れないからだ。技術力もないし。
 ただ、大型車の部門は、大幅に縮小する必要がある。市場そのものが大幅に縮小しているからだ。大型車の市場が半減したときに、大型車の生産力を従来のまま維持していれば、どうしても無理が来る。だから、その過剰な部分は、削減するしかない。
 ただ、そうなると、従来のままのビッグ3は存続できないことになる。そこで、「大型車の部分を半分だけ残して、あとは解体・バラ売り」という方針が、市場の趨勢に従うことになる。
 オバマ流に、従来のままのビッグ3をそのまま残して、そのために莫大な金を投じる、というのは、半減した需要に従来の供給力を維持するということだから、どうしても無理が出る。そこが本質。
 ここでは、市場の変化と業界全体とのマッチをどうするべきか、という発想が必要になる。個別の企業をどうすればいいか、という問題ではないのだ。


● ニュースと感想  (11月22日)

 (1)
  迎撃ミサイル(ミサイル防衛網の地対空ミサイル)は、相手のミサイルに迎撃されてしまって、無効化する。そのことを示す。
  → Open ブログ 「迎撃ミサイルの迎撃」

 (2)
 空飛ぶ円盤 とは何なのか? その解答は、ここにあります。
 空飛ぶ円盤の鮮明な写真が、細部まで克明に写っています。
  → Open ブログ 「風景写真とUFO」


● ニュースと感想  (11月22日b)

 ストリートビューで自動車のナンバープレートが、ぼかし処理なしで公開されている。この画像は、地図と組み合わさると、個人情報の漏洩に当たる。
  → 「ストリートビューと自動車ナンバー」


● ニュースと感想  (11月23日)

  Google の功罪を論じる。功と罪のどちらもあるが、どちらもきちんと評価する必要がある。文明論的に大きな視点から述べる。
  → 「Google の功罪」

 ※ 非常に重要な話なので、ぜひお読み下さい。
   最近の話のうちでは、最も重要なことが書いてあります。感動的。


● ニュースと感想  (11月24日)

 (1)
  デビアス銀座のデザインは、とても美しい。では、その意匠は、どこから来たか? その秘密を見抜く。
  → Open ブログ 「デビアス銀座のデザイン」

 (2)
 「オオカミ少女がいた」という俗説が信じられていたが、これは捏造だった、と指摘されている。
  → Open ブログ 「オオカミ少女の神話」

 (3)
 レジ袋の有料化は、ただの宗教みたいなものにすぎない。そのことを明らかにする。
  → Open ブログ 「レジ袋の有料化2」


● ニュースと感想  (11月25日)

 元・事務次官の殺人事件があった。この犯人はストリートビューで、殺人の下見をしたのかも。
  → Open ブログ 「ストリートビューと殺人」


● ニュースと感想  (11月25日b)

 「殺人事件とオオカミ少年」について。
 元・事務次官の殺人事件について、マスコミは、「テロだ、テロだ」と騒いでいたが、私が指摘したとおりになりましたね。
 マスコミは、全然、当てはずれだったわけ。ちっとは反省したら? 「オオカミ少年」でしょ、これじゃ。
 「オオカミ少女がいた」という捏造と似たようなもので、「テロリストがいた」という捏造。似たり寄ったり。いるわけでもないものを、いると報道する。困ったことだ。    (^^);

 なお、朝日新聞の社説は、次のように書く。
 《 元次官宅襲撃―凶行の理由が知りたい 》
 こんな理由で人の命を奪ったというのだろうか。憤りとともに、信じがたいとの思いがぬぐえない。
 動機ともいえない動機。
 この事件の背景にあるものは、男の個人的な問題なのか。いまの世の中に広がる閉塞(へいそく)感のような、社会全体の問題もどこかでからんでいるのか。これから注目していかねばならない。世の中の不安を解消するには背景を明らかにすることが不可欠である。
 ( → 朝日com
 何考えているんだか。
 「理由を知りたい」というが、理由なんかあるわけがないでしょうが。「動機ともいえない動機」と自分で書いているのに、自分で書いていることもわかっていないようだ。
 これは、テロでも何でもない。「頭のネジが狂った人間の暴走」である。理屈や動機なんか、あるわけがない。不満ならばあるが、不満が殺人に至るのは、頭のネジの問題だ。いくら不満を探して、「これが理由だ」と述べても、それは、不満の理由にはなっても、殺人の理由にはならない。……そこのところがわかっていないようだ。
 この問題は、頭のネジの問題だ。比喩的に言えば、「バグがあった」ということだ。それに対して、「このアプリにはどういう機能不足があったか? 機能不足を対処しよう」などと思っても、「機能不足の点」などは見つかるはずがない。これは、機能不足の問題ではなく、バグの問題だからだ。
 朝日は、探す場所を間違えている。つまり、論理のネジが狂っている。殺人犯に劣らず、頭がイカレている。(さすがに朝日は殺人はしないだろうが。  (^^); )
 朝は社説で、最後にこう書く。
 「こうした事件を繰り返さないために何ができるのか。そのことを考え続けなければならない。 」
 それはね。ストリートビューの違法行為をやめさせればいいんですよ。「住宅地の画像を公開する」なんて真似をね。   (^^);


● ニュースと感想  (11月25日c)

 「殺人事件とプロファイリング」について。
 今回の犯人が判明したあとの警察のコメントを紹介する。(一部抜粋)
 「こんな動機の人物が出頭してくるとは、想定もしていなかった」
 小泉容疑者の出頭から一夜明けた23日、警視庁の幹部はそう打ち明けた。
 当初、年金など厚生行政に反感を持った犯行との見方がひろがったことから、右翼団体や過激派などを担当する同庁公安部の捜査員も捜査に加わった。
 「捜査する側も意識を変える必要がある」同庁幹部は指摘した。
( → 読売新聞・朝刊 2008-11-24 )
 馬鹿丸出し、というべきか。
 「こんな動機の人物が出頭してくるとは、想定もしていなかった」
 と言うが、私はちゃんと指摘していましたよ。再掲しよう。
 今回の事件を「テロ」と見なすのは、妥当でない。なぜなら「合理性」がまったく欠落しているからだ。合理性のない殺人は、正気の人間のやることではない。狂人のやることだ。とすれば、これは「狂人の病気の結果」と見る方が、まだマシだ。「テロ」と見なすべきではあるまい。
( → 11月20日b
 要するに、「頭のネジの狂った人間」のやることだ。そこには「動機らしい動機」などがあるはずがない。そんなことは、事件の構造を見れば、一目瞭然。
 
 警察は問題をまったくわかっていない。
 「捜査する側も意識を変える必要がある」
 というが、意識の問題ではないのだ。簡単にわかることがわからない、という捜査能力の問題だ。捜査能力そのものが根源的に欠落しているのだ。
 では、どんな捜査能力が? それは「プロファイリング」だ。
     → Wikipedia(プロファイリング)
 プロファイリングをやれば、今回の犯人像は簡単にわかる。実際、その初歩をやるだけで、私はすぐに「狂人」(頭のネジの狂った人間)と見抜いた。
 ( ※ ただし、かなり知性のある人物であることも、最初から判明していた。宅配便を装うという手口からして、相当の知能犯だ。)
 
 FBI にはプロファイリングの担当組織があり、それによって犯人像をかなり的確に絞り、犯人の逮捕率を上げている。このことは、テレビや小説でも、しばしば取り上げられる。
 例。「Xファイル」。「羊たちの沈黙」。「ボーン・コレクター」。
 ( ※ このうちお勧めなのは、最後のもの。ただし映画ではなくて小説の方。Amazon でも圧倒的好評。お勧めです。ただしアフィリエイトは付けません。  (^^); )


 とにかく、今日の捜査では、プロファイリングというのは常識。なのに、日本の警察は、それをしない。頭を使う代わりに、地道に足で探るのが正攻法だと思い込んでいる。
 警察に質問します。
 「知恵のない人のことを、日本語で何と呼びますか?」
 「馬鹿にするな!」
 「はい、正解です」   (^^);

 [ 付記 ]
 ついでだが、日本にもプロファイリングをする組織は、あることはある。Wipipedia 似も記載がある。ただ、その能力は、「お粗末」の一言に尽きる。( Wipipedia の事例からもわかる。)
 プロファイリングというのは、「とにかくやればいい」というものではない。ものすごく頭のいい人(名探偵クラス)が少数でやることだ。人数を増やせばいい、ということは絶対にない。名探偵一人は、凡庸な百人に勝る。
 しかし、日本の警察の実態は……今回を見てもわかるとおり。言わぬが花か。……あ、少し前に、もう言っちゃった!   (^^);


● ニュースと感想  (11月26日b)

 (1)
 「省エネをせよ」と語る人は多い。しかし夢と現実を区別するべきだ。夢ばかりを語っても、現実に省エネができるわけではない。むしろ、夢を語れば語るほど、現実の省エネは遅れる。
  → Open ブログ 「省エネの夢と現実」

 (2)
 「レジ袋の有料化は無意味だ」と先に述べた。
 では、正しい資源節約の方法は? それを具体的に示す。
  → Open ブログ 「正しい資源節約の方法」


● ニュースと感想  (11月26日b)

 「殺人事件と神経医学」について。
 元・事務次官の殺人事件の犯人は、頭のネジがイカレている、とすでに書いた。では、これは、具体的には何を意味するか?
 すでに報道されたところによると、この犯人はかなり知能が高く、中学生のときは「いい人」で明るい性格だったという。ところが今ではまったく人格が一変してしまったようだ。また、顔を見ても、人格が歪んだような顔をしている。
 以上の点をかんがみて、神経医学の立場から推定してみよう。

 精神分裂症(統合失調症)に似たところがあるので、それも疑われる。軽度な発症か、とも疑われる。とはいえ、感情面以外では「脳の崩壊」が見られないので(つまり知性面は問題がないので)、この可能性はあまり高くない。

 最も疑われるのは、脳腫瘍だ。これだと、感情面だけがおかしくなり、知性面はおかしくならない。たぶん前頭前野か、または下位にある扁桃体(扁桃核)などで、脳腫瘍が起こったものと想像できる。
 MRI でスキャンすれば、脳腫瘍が見つかる可能性が高い、と思う。

 要するに、「テロとの戦い」なんて大騒ぎするより、「脳の病気との戦い」を考える方がマシだ、ということ。
 この犯人がもっと前から治療を受けていれば、今回の殺人事件も起こらなかっただろう。国の厚生対策が貧困だったせいで起こった事件、と見なせなくもない。
 その意味では、厚労省の事務次官が犠牲になったのは、図らずも妥当だったということになるのかもしれない。なんだか、風が吹けば桶屋が儲かる、みたいな論理だが。
(……なお、犯行を正当化しているのではない。政治の貧困について、めぐりめぐる因果応報という不思議さを感じているだけだ。)

 【 注記 】
 本項は推定であり、断定ではありません。念のため。(すでに記述済みだが、誤解して怒る読者がときどきいるので。……扁桃体のせいかもしれないが。  (^^); )
 なお、本項の掲載に当たっては、あらかじめ脳神経科医のチェックを受けています。(予想が当たるかどうかは別として、まるきり見当違いということはない。)

 [ 付記 ]
 脳腫瘍についての関連サイト。
  → 脳腫瘍と症状
  → 脳腫瘍と殺人事件


● ニュースと感想  (11月27日)

 「麻生首相の識字力」について。
 麻生首相が「漢字が読めない」として話題になっている。これについて、次の記事があった。
   → zakzak 「誤読連発の麻生は「読字障害」? 養老孟司氏が分析」

 読字障害。難読症。
 なるほど。これは一理ある。アニメオタクなのは文字が読めないからかもしれないし、口が曲がっているのは脳障害かもしれない。
 しかし、反証もある。読字障害ならば英語はひどくなるはずなのだが、英語はちゃんと読めるらしい。また、読字障害ならば読めないはずなのに、ただの読み違いがあるにすぎない。

 念のため、Wikipedia を調べた。次の事例を見てほしい。
   → Wikipedia 「麻生太郎」
 ここでは読み間違いの事例が列挙されている。これを一言で言えば、
  「小学生レベルの漢字力」
 であろう。つまり、「国語力が足りない」というわけ。「読書不足」と言い換えてもいい。もっと極端に言えば、「漫画の読み過ぎ」だ。漫画には出てこないようなレベルの漢字を読めない。その一方で、普通の漢字ならば、ちゃんと読める。(だから漫画を読める。……この点、文字なしの絵本しか読めないらしいブッシュ大統領とは違う。)
 読字障害というのは、「文字は読めないが、耳で聞く言語力はある」というタイプだ。麻生首相は、そうではない。単純に、文字を読めないだけだ。勉強不足。……読字障害じゃないですね。「馬鹿」と一言で言う方が簡単。
 養老さん。あなたの著作の題名でも使った方がいいんじゃないの? 「麻生さんちの壁」とかね。


● ニュースと感想  (11月27日b)

 (1)
 太陽光発電のような科学技術に、巨費を投じるべきか? 歴史を見よう。
 ヒトゲノム計画には、かつて莫大な巨費が投じられた。しかし今では、同じことが超少額で可能だ。
  → Open ブログ 「太陽光発電とヒトゲノム計画」
 (2)
 Google リーダーの問題を示す。(特に読まなくてもいい。)
  → Google リーダーの問題


● ニュースと感想  (11月27日c)

 ストリートビューが機能強化された。個人情報の暴露機能は、最強になった。写真から住所の番地を正確に特定することまで可能になった。
  → 「ストリートビュー強化」


● ニュースと感想  (11月27日+)

 前項で述べた「ストリートビュー強化」に加筆した。
 石原慎太郎の家を例にして、番地を正確に知る実例を示した。


● ニュースと感想  (11月28日)

 ストリートビューの悪質さがどこにあるかを示す。「便利だから公開してもいい」という見解もあるが、その見解は成立しない。「有益だから殺人をしてもいい」という理屈が成立しないように。
  → 「ストリートビューの悪質さ」


● ニュースと感想  (11月29日)

 (1)
 アンチ・ウィルスソフトは、どれがいいか? いくつか紹介する。
  → Open ブログ 「アンチ・ウィルスソフト」

 (2)
 宇宙には、物質ばかりがあり 反物質がない。それはなぜか? 
  → Open ブログ 「反物質の謎」


● ニュースと感想  (11月30日)

 物質と反物質とが半々には生じなかったことは、単に「確率的なズレ」と見なしても説明できそうだ。
( ※ 前日分の続き。やや専門家向けの話。読まなくてもよい。)
  → Open ブログ 「反物質と確率論」


● ニュースと感想  (11月30日b)

 「年金の世代間格差」について。
 年金の世代間格差について論じたコラムが新聞掲載された。(朝日・朝刊 2008-11-29 )
 その趣旨は、「祖母の世代は孫の世代よりも1億円も得だ」ということ。
 「祖母の世代は、払った額よりも大幅な給付を得るが、孫の世代は、そんなことはない。孫の世代から祖母の世代へ、所得が移転する。これは不公平だ。この不公平を是正せよ」
 という趣旨。そして、この不公平を認識する方法が「世代会計学」という学問だ、と主張する。(本人の専門が「世代会計学」という分野。論者は、もと公務員で、現在は大学助教授。)

 これは何かと言うと、「帳簿の数字だけを見て、経済学を理解できないと、馬鹿丸出しになる」という見本である。会計学をやる人はしばしば、こういう発想をする。「数字だけを見て物事を考える」という発想。
 ま、会計学というのは、特に悪くはない。物事の状況を見るための指標としては、それなりに役立つ。しかし、指標を現実そのものだと思い込むと、本末転倒になる。たとえば、「赤字の会社は劣悪で、黒字の会社は優良」という発想をしがちだ。その結果は、研究開発費を惜しんだビッグ3は長期的に没落し、ハイブリッドに多大な研究開発費を投じたトヨタは長期的に成長する、という結果になる。目先の黒字ばかりを追うと、かえって没落する。……つまり、会計の数字は、現実の状況を意味しない。指標はあくまで指標であって、現実とは異なる。現実を見出すための道具として指標を見るのならば有益だが、指標を現実そのものだと錯覚して指標そのものを目的とすると、本末転倒になる。
 「数字だけを見て物事を考える」という発想をしてはならないのだ。


 年金ではどうか? 
 現実を見よう。論者の主張することが正しいとしたら、「祖母の世代が得で、孫の世代が損だ」ということだから、「祖母の世代は孫の世代よりもはるかに裕福だ」ということになる。では、祖母の世代は、子供のころ、どれほど豪華な生活ができただろうか?
 祖母の世代といっても、いろいろとあるが、終戦直後から高度成長期前、と見なせるだろう。次のようになる。
  ・ 終戦直後    …… 日本は瓦礫の山だった。
  ・ 高度成長気前 …… ちびまる子ちゃんやサザエさんの生活。ちゃぶ台。

 前者は最悪だった。地獄のようなものかもしれない。爆弾が降ってくる戦争中よりはマシだが、爆弾のあとで国家には何も残されていなかった。残されているのは、人間の知恵だけだった。ただし、その知恵を駆使して、必死に国家を再建していった。とりあえずは衣食住をまかなえる国家を作っていった。
 後者は、その世代のおかげで、衣食住には不自由しなくなった。餓死することもなく、イモだけということもなく、ちゃぶ台でメザシやワカメや納豆を食べることができるようになった。それでもまだまだ貧しかった。テレビや炊飯器や洗濯機が夢の宝物と見なされ、憧れとなった。自動車は夢見ることすら無理で、自動車が憧れとなったのはずっと後のことだ。この時代の日本は先進国ではなく、途上国だった。アメリカと日本との関係は、今日のアメリカとベトナムのような関係だった。

 では、今は? 今の若者たちの生活水準は、きわめて高い。アメリカ人の生活をも上回るほどだ。服装やケータイでは完全にアメリカをしのぐ。今の若者たちは非常に豊かな生活をできる。
 おやおや。変ですね。孫の世代は、祖母の世代よりも、ずっと損をしているはずじゃなかったんですか? 矛盾。

 では、どうして、損得計算が現実の生活と矛盾するのか? そのことは、会計学によるだけではわからない。経済学によればわかる。
  ・ 会計学 …… 所得を一定だと仮定した上で、損得を論じる。
  ・ 経済学 …… 所得の変化を考慮する。


 要するに、孫の世代が「損をしても豊かになれる」というのは、「孫の世代の方が圧倒的に所得が多い」という事実による。
 この事実を見るのが、経済学の発想だ。一方、この事実を無視して、単に数字上の損得だけを見るのが、会計学だ。
 最初の会計学の発想が、どうしておかしいか、これでわかるだろう。

 さて。ここで、所得とは何かというと、生産力のことだ。つまり、孫の世代の方が所得が多いのは、孫の世代の方が生産力が高いからだ。
 ではなぜ、孫の世代の方が生産力が高いのか? 孫の世代の方が祖母の世代に比べて、百倍ぐらい生産力が高いのは、百倍ぐらい優秀だからか? まさか。どちらかと言えば、孫の世代の方が知能レベルは劣る。麻生首相の世代では、漢字を読めないのは麻生首相ぐらいだが、孫の世代では、このような馬鹿がざらにいる。ほとんどが麻生首相みたいな馬鹿だ、とすら言えるほどだ。
 では、なぜ、馬鹿な世代が多くの所得を得られるのか? 

 ここまで考えれば、正解がわかる。
 今、孫の世代が多くの所得を得られるのは、祖父の世代や父の世代が、国家を建設してくれたからだ。彼らが必死になって働いて、国家を建設した。その国家とは、政府ではなく、民間の産業である。たとえば、トヨタ、ホンダ、キヤノン、パナソニックなど。もちろん、大企業だけでなく、さまざまな企業のすべてがそうだ。社会制度や社会基盤とも言える。
 そのようにして先の世代が残してくれたもののうちには、子供の教育も含まれる。子供たちは「自分が勉強したから、自分が頭が良くなった」と思っているのだろうが、とんでもない。子供たちが勉強できるのは、勉強できる環境を与えてくれた親の世代があるからだ。また、親の世代がそれを与えてくれたのは、祖父の世代がその子(つまり親)にも勉強できる環境を与えてくれたからだ。一方、祖父の世代は、そうではなかった。そのころは、まともに勉強する機会も与えられないことが多かった。高校への進学率はあまり高くなかったし、中卒で社会に出る人々も多かった。

 以上のように、社会制度や社会基盤や教育を、先の世代は残してくれた。そのおかげで、孫の世代は高い収入を得ることができるようになった。
 ではなぜ、先の世代は、そういうことをしたのか? 自分の利益を削ってまで、後の世代に利益を贈るという、損になることを、なぜしたのか? 
 ここでは、損得は関係ない。次の発想による。
 「働ける時期には、しっかりと働いて、国家を発展させる。老いたあとでは、発展した国家から、配当をもらう」
 つまり、「国家への投資」である。これは当然だろう。人間は若いときも老いたときも、同じように働くことはできない。老いたときには、十分に働けない。だから、年金をもらう。そして、その分、若いときには国家へ投資する。
 もしそうしなければ? 祖父の世代は、次のようにしたかもしれない。
 「国家建設? そんなこと、意味がねえや。今夜の酒代が大事だ。稼いだ金はみんな酒に費やしてしまえ。自動車の生産も、電器製品の生産も、研究開発も、知ったこっちゃない。稼いだ金は全部酒代に費やしてしまえ」
 こういう発想をしていたら? 日本は現在、他の途上国と同じだっただろう。当時、日本は、ガレキの山だった。その状態で、その日の食事ばかりに金を使っていれば、国家建設は不可能だった。そして、その場合、現在の日本は、現在のベトナムのような状況だったことになる。所得レベルは今の十分の1以下になっていただろう。
 では、そうなっていたら? 祖母の世代と孫の世代とでは、損得がほとんどない。孫の世代はずっと貧しいままであるから、多額の所得を得ることもない。従って、「孫の世代が損で、祖母の世代が得だ」ということもない。どちらも平等だ。では、それが、望ましい状況だったのか? 

 ここまで考えればわかるだろう。
 たしかに、「孫の世代が損で、祖母の世代が得だ」ということはある。しかし、そのような損得が生じるのは、祖母の世代が孫の世代に、多大なものを贈ってくれたからだ。社会制度や社会基盤や教育を贈ってくれたからだ。「国家建設」という形で。
 孫の世代は、会計の数字の上だけでは、大損をする。しかし、そのような損をするのは、所得が多いからだ。そして、なぜ所得が多いかと言えば、先の世代が多大なものを贈ってくれたからだ。「所得を増やせる能力」という形で。目には見えない形で。
 そして、その目には見えないものとは、愛だ。祖母の世代は、その子や、その孫を、愛してくれた。自分の食事や酒を削っても、子供の教育や社会整備に尽力してくれた。……サザエさんやちびまる子ちゃんの時代の母親は、貧しい生活のなかで、自分の食事を我慢することが多かった。家族四人でメザシを食べたいのに、メザシを4匹買うことができないので、3匹しか買わない。そのうちの1匹は、働いてくれるお父さんのために。そのうちの2匹は、愛する子供のために。ただし自分は我慢して、メザシを食べない。そうして、節約して貯めたお金で、子供を進学させてあげる。
 祖母の世代がやったのは、そういうことだ。もちろん、専業主婦が多かったから、所得はゼロであることが多かった。だから、祖母の世代は、「稼いだお金はゼロ」であるがゆえに、「稼いだお金よりももらうお金の方が多い」というふうになった。
 しかし、である。祖母の世代のころには、洗濯機はなかったし、電気釜もなかった。手で洗濯をしたし、ご飯は釜で火をたいた。家事の労力はあまりにも多大であり、一日が家事で終わってしまっていた。そして、そういうことを主婦がやったからこそ、夫は会社で仕事ができたし、子供は学校で勉強ができた。
 祖母の世代は、自分の所得を犠牲にして、あまりにも多くのものを与えてくれた。特に、子供に。そして、孫に。

 そして今、その孫が大人になりつつある。彼らはこう考える。
 「おれたちは所得が多い。この所得は、おれたちが自分で生み出したものだ。だから、この金は、全部おれたちのものだ。祖母の世代に贈るなんて、馬鹿げている。おれの稼いだ金は、全部、おれだけで使いたい。祖母の世代なんか、くたばっちまえ。おれがケータイやゲームをする金が大切なんだ。祖母の世代は、餓死してしまえ」

 つまり、贈られたもののことをすっかり忘れて、すべてを自分が生み出したと思っている。勉強すれば、教えてくれた先生のことは忘れる。スポーツをすれば、教えてくれたコーチのことを忘れる。また、学校や施設などを与えてくれた、政府や国民のことも忘れる。何もかもを、自分の力だけで成し遂げたと思い込む。超自惚れ。

 これは、愛がないとか何とかいうより、頭が馬鹿すぎるのであろう。ケータイのやりすぎで、人間としての常識が壊れてしまっている。親子の愛情という生物学的な原理から逸脱してしまっており、人間として頭がイカレてしまっている。それでいて、自分のイカレ具合に、気がつかない。
 祖母の世代は、確かに多くのものを残してくれたが、たった一つ、道徳と倫理だけは残してくれなかったようだ。子供の躾に失敗したと言える。あまりにも必死に働いて努力したせいで、子供の躾がなおざりになってしまった。特に、ケータイやゲーム機を与えたのが、致命的にまずかった。そのせいで、子供たちはどうしようもなく馬鹿になってしまった。

 そこでまあ、仕方なく、私が馬鹿者たちに、真実を教えてあげるわけだ。本項で。   (^^);

 [ 付記 ]
 それにしても、朝日のレベルは、まったく低くなってしまった。昔の朝日は、オピニオンリーダーとしての位置があったが、今の朝日は昔日の面影はまったくない。
 かつての朝日は、「貧しいもの、弱者のため」という気概があった。それも、マルクスみたいに、「おれたちは貧しいから、おれたちに寄越せ」というエゴイズムではなく、「私たちは豊かだが、貧しい人たちにも目を向けよ」というスタンスだった。当時の朝日は、真に知識人の位置にあった。リベラル。
 今の朝日は違う。「いかに金儲けをするか」とか、「自分さえ金儲けをすれば、他人のことはどうでもいい」という立場だ。古典派経済学ふう。小泉やレーガンの仲間。
 情けないね。世代の推移につれて、朝日のレベルもここまで没落したようだ。

 [ 参考 ]
 次の項目も参照。同趣旨の話がある。
  → 1月05日b
  → 4月06日
  → 6月21日
  → 2月05日 [ 付記4 ]

  → 4月12日
   (子供が半減すれば、遺産は倍増する、という話。少子化のせいで負担が倍増しつつあるが、遺産もまた倍増する。少子化の問題も忘れてはならない。)


● ニュースと感想  (12月01日)

 ウェブでは英語が圧倒的に有利だ。このことは日本語を衰退させるか? いや、その逆だろう。(ウェブとグローバル化とを混同してはならない。)
  → nando ブログ 「ウェブと日本語:日本語は亡びるか?」


● ニュースと感想  (12月03日)

 (1)
 中古パソコンを「リサイクル品を激安販売します」と言って、インチキ販売する詐欺がある。引っかからないようにしよう。
  → Open ブログ 「中古PC詐欺」

 (2)
 携帯電話用の絵文字の標準化( Unicode 化 )を Google が推進するという。
  → Open ブログ 「携帯用の絵文字の標準化」


● ニュースと感想  (12月04日)

 「マクロ的な需給曲線」について。
 本日は休むつもりだったのだが、とんでもない勘違いを見つけたので、指摘しておこう。

 池田信夫のブログで、労働市場における失業の解決について、ひどいメチャクチャが書いてあった。下記。
 
   (A)需要と供給が一致しているとき価格を上げると、需要が減って超過供給が発生する
   (B')賃金を上げると、所得が上がって需要が増える
 この二つが矛盾する。では、正しくは? 
 (B')は、価格や賃金の硬直性のもとでの数量調整の結果なのである。これに対して(A)のような新古典派の理論は、価格調整の理論である。ケインズは自分の理論を「一般理論」と誇称したが、これは逆で、一般には(A)が成り立つが、価格調整より数量調整の速い短期では(B')が成り立つ。しかし普通は、市場にまかせれば長期の均衡(A)に収斂するはずだから、政府が介入する必要はない。

 以上、引用。( → 引用元
 ひどい勘違いですね。古典派特有の勘違い。

 では、正しくは? 
 「需給曲線による均衡は、ミクロの市場にしか成立しない」
 つまり、
 「需給曲線による均衡は、マクロの市場では成立しない」
 である。
 
 たとえば、自動車とかパソコンとか、個別の商品の市場では、ミクロの原理(需給曲線による均衡:価格調整による均衡)が成立する
 しかし、一国全体の労働市場(マクロの市場)では、ミクロの原理(需給曲線による均衡:価格調整による均衡)が成立しない
 簡単に言えば、こうだ。
 「マクロ経済学の分野(全体市場)では、ミクロ経済学の原理(部分市場の原理)は成立しない」
 要するに、
 「マクロの世界には、ミクロの原理は適用できない」
 ということだ。
 こんなのは、当り前のことだ。問題にもなりはしない。メチャクチャな議論にだまされてはいけない。
( ※ でもまあ、古典派というのは、みんなこの勘違いをする。……というのは、「マクロ経済学とは何か」を、根本的に理解していないからだ。ミクロの原理を無理やりマクロの分野に持ち込んでいるからだ。)

 [ 付記1 ]
 ウソ経済学で民衆をたぶらかすのは、やめてほしいですね。
  参考:
   → 経済学の教科書
 ※ 「マクロ的な均衡」は「ミクロ的な均衡」とは、まったく別の意味だ、とわかる。その違いを初めて指摘したのが、ケインズ。
(池田信夫は、ケインズを全然理解できていない。ケインズを読み直すべし。学生時代、マクロ経済学の時間にサボっていたんですね。)

 [ 付記2 ]
 ついでに言えば、別の嘘もある。引用しよう。
   (B')賃金を上げると、所得が上がって需要が増える
 これはケインズのいう「乗数効果」
 本気? 冗談? ボケ? これはケインズのいう「乗数効果」ではありません! (似て非なる。全然違うわけではないが。)

 「乗数効果」というのは、公共投資について言うものだ。政府の行なう投資の効果についての用語。
 「賃金を上げると、所得が上がって需要が増える」というのは、政府の投資は関係ない。マクロ経済学一般において、「所得の効果」つまり「マクロの効果」(スパイラルが発生する原理)のことだ。これは、「乗数効果」ではない。
 「民間企業が賃金を上げる」というのは、「政府による減税」とは違って、政府の投資を必要としない。政府の投入額はゼロである。「乗数効果」という用語を使うとすれば、「政府の投資はゼロで、GDPの増加は数兆円」だから、「乗数効果」の割合は無限大になってしまう。
 そもそも、この問題は、「賃上げの額の効果がどうなるか」という問題ではなくて、マクロ経済学における「マクロ的な均衡点」を方程式で解く問題だ。問題が全然別。


● ニュースと感想  (12月05日)

 「マクロ的な需給曲線」について。
 前日分では、次のように述べた。
 「需給曲線による均衡は、マクロの市場では成立しない
 「マクロの世界には、ミクロの原理は適用できない」
 では、なぜ、そう言えるのか? 簡単に説明しよう。

 仮に、次のことが成立するとする。
 「需給曲線による均衡は、マクロの市場では成立する
 その場合、次の三つが存在するはずだ。
  ・ 総需要
  ・ 総供給
  ・ 総価格
 このうち、「総需要」「総供給」は存在するが、「総価格」なんてものは存在しない。「平均物価上昇率」ならば存在するが、「平均価格」なんてものは存在しない。また、存在しえない。
 たとえば、「自動車とパソコンの平均価格」なんてものを考えても、何の意味もない。それはいわば、「バナナと寿司の味の平均」というようなもので、何の意味もない。言葉の上では存在しても、現実には何の意味ももたない。(バナナと寿司をいっしょに食べても、まずいだけだ。)
 単一商品ならば、価格と需要と供給に一定の関係がある。しかし、国全体では、「総需要と総供給の関係」だけがあり、「総価格」なんてものは意味をなさない。「物価上昇率」ならばあるが、それは需給とは何の関係もない。たとえば、次のことは成立しない。
 「物価が上がると、総需要が減って、総供給が増えるので、供給過剰になる」
 一方、ミクロでは、次のことが成立する。
 「価格が上がると、需要が減って、供給が増えるので、供給過剰になる」

 要するに、マクロとミクロとは、まったく別のことなのだ。   → nando ブログ 「ミクロとマクロ(経済学)」


● ニュースと感想  (12月05日b)

 「長期的な均衡」について。
 前日分では、次の見解(池田)を紹介した。
 「普通は、市場にまかせれば長期の均衡(A)に収斂するはずだ」
 
 これは、正しくない。そのことを示す。
 上の見解(引用)は、池田の見解だが、彼独自の見解というほどではない。古典派(新古典派)に共通する見解だ。根っこをたどれば、フリードマンだ。
 「長期的には均衡に達するはずだ」
 という主張を、労働市場にまで当てはめる(という愚)を犯した根源的な張本人は、(池田でなく)フリードマンだ。

 これについては、「マクロとミクロの違いを理解できていない」というふうに、これまで示してきた。前項および前日分。
 ただ、理論とは別に、事実からも示すことができる。

 事実を見るがいい。現実を見るがいい。目を大きく開いて、この今の現実をまじまじと見るがいい。次のことがわかるはずだ。
 「 1991年のバブル破裂以来、労働環境は悪化したままだ。ときどき、いくらか改善したように見えたこともあるが、それは、企業の収益性の改善にすぎない。雇用環境は、この 18年間、ずっと悪化したままだ。改善の兆しも見えない。むしろ、今秋の景気悪化のあとでは、とてもひどい失業が起こりそうだ。」

 つまり、18年という長期間を経ても、少しも雇用状況は改善しないのである。
 これが事実だ。この事実を直視するべきだ。そうすれば、「長期的には均衡に達するはずだ」というたわごとを口にすることはできないはずだ。

 それでもまだ、古典派の経済学者は、自己の誤りを認めないかもしれない。
 「長期的というのは、18年よりもずっと長い期間を意味する。数十年か百数十年。それだけの時期を経れば、いつかきっと均衡に達するはずだ」

 負け惜しみはやめてもらいたいですね。そんな自己弁護は、武士の言葉じゃない。むしろ、耳の穴をかっぽじって、ケインズの皮肉を聞くといい。
 「長期的にはわれわれはみんな死んでいる」
 つまり、古典派の経済学なんて、何の価値もないのである。また、そもそも、
 「何もしないのがベストだ」
 と主張するような経済学者は、
 「経済学者は存在価値がない」
 と主張しているのも同然だ。もともと自己否定をしている。だったら、口をつぐんで、黙っているのがベストだろう。

 池田信夫は春闘を「カルテル」と呼ぶというメチャクチャをやっているが、「経済学的には何もしないのがベストだ」と主張するのは、サボタージュを主張していることになる。馬鹿馬鹿しい。
 ただし、古典派経済学者だけは、「サボタージュ」をしているのが一番いい。古典派経済学者が何かをやると、経済を悪化させるだけだ。だから、彼らは、サボタージュをしているのが一番いいのだ。
 ただし、現実には、あちこちで大声で騒ぐ。何もしないで黙っていればいいのにね。困ったことだ。

( ※ 古典派経済学者が黙っていれば、マクロ経済学者が出てくるから、世の中は改善するはずなのだが、現実には、そうならない。困ったことだ。)


● ニュースと感想  (12月05日c)

 「諏訪内晶子の離婚訴訟」について。
 諏訪内晶子が離婚訴訟を起こすらしい。報道によると、相手はひどい詐欺師であるようだ。彼女をだましただけでなく、職場の慶大や世間まで だましたらしい。
   → nando ブログ 「諏訪内晶子の被害」


● ニュースと感想  (12月06日)

 エイズは、ちゃんとした治療薬がない状態だ。
 ナノバブル水は、健康について、魔法のような効果をもつ。
 この二つを結びつけることはできないか? (仮説・アイデア)
  → Open ブログ 「エイズとナノバブル水」


● ニュースと感想  (12月07日)

 諏訪内さんと関連する話。口先のうまい男に引っかからないようにするには。
  → nando ブログ 「詐欺師にだまされない方法」


● ニュースと感想  (12月08日)

 「クリスマスのプレゼント」について。
 新聞を見ていたら、「クリスマスにはどんなプレゼントをしたらいいか?」という記事があった。女性のグッズ評論家による推奨。夫や息子には、野球のボールの意匠を使った財布みたいなものが、しゃれていて、よさそうだ、という話。
 あのねえ。そんなこと、女性が推奨したって、駄目ですよ。それは、グッズ販売を狙っている、クリスマス商戦で儲ける業界の魂胆だ。……でなければ、女性というものがいかにトンチンカンであるかを示す、一例だ。

 はっきり言っておこう。女性が勘違いしやすいので。
 男が女性から贈ってもらいたいと望んでいるのは、次の二つのいずれかだ。
  ・ 女性の肉体
  ・ 食い物
 つまり、色気と食い気だ。  (^^); 

 前者は、最終点は別として、途中経過点がいろいろある。キスとか、抱擁とか、あるいは、手で握ってもらうだけとか。……こういうのは、ありがたい。ただし、クリスマス・プレゼントにはなりにくいですね。(ホテルで一室を、というのなら別だが。)
 後者は、プレゼントになりやすい。一つは、いっしょのお食事。それが駄目なら、食べ物の贈答品。一番標準的なのは酒だが、平凡すぎる。そこで、高級な肉料理の総菜なんかだと、好評を得そうだ。逆に、ベジタリアンふうのは、駄目ですよ。それじゃ、女性好み過ぎる。もっと男好みにしないと。

 一方、駄目なものは、グッズ類である。そういうものは、もらっても、男は喜びません。男というのは、物もらって喜ぶ動物じゃないんですよ。子供ならば、野球のバットやグローブをもらって喜ぶこともあるかもしれないが、大人の男なら、小物なんかもらっても嬉しくない。だいたい、小物を集めるという、趣味がない。鞄や靴を集める趣味なんかありません。鞄や靴にこだわる男は例外的にいるが、そういうこだわり屋は自分の好みが決まっているから、他人にもらっても嬉しくない。
 要するに、男と女は、好みが全然違う。女性は男から「僕の体を上げる」と言われても、ちっとも嬉しくないだろう。「げげげっ」と思うはずだ。男だって、それと似たようなものだ。「素敵な皮の小物を上げる」と言われても、「何でこれなんだろう?」と首をひねるはずだ。どうせなら情熱的なキスの方が、よほどありがたいものだが。  (^^);

 なお、ここでは、重要な原理が成立する。次のことだ。
 「人は、自分が欲しいものを相手に贈りたがる。」
 本当は、相手の欲しいものを上げるべきなのだが、自分の欲しいものを上げたがる。そのせいで、ひどい勘違いが起こりがちだ。
 上記の「小物を送る」というグッズ評論家は、一例。
 読売の漫画(日曜版)の「あたしンち」で先日あった、「お母さんが、とんでもない奇妙な仮面の民芸品を贈って、一人で大得意になっているが、みんなは興醒め」というのも、一例。

 一方、この原理を逆手に取ることもできる。
 「人から何かをプレゼントされたら、それと同種のものを贈り返すと、相手はすごく喜ぶ」
 上記の「小物を送る」というグッズ評論家には、そういう小物を贈ればいい。
 「あたしンち」のお母さんには、とんでもない風変わりな民芸品を贈ればいい。
 
 一般に、人は、「相手のために行動しよう」と思うときほど、自分の独りよがりな性格が表れる。その人の価値基準が露出する。
 だから、プレゼントというものは、やたらと自分の好みで贈るべきではない。それが鉄則だ。相手が何を好むか、まだわかっていないときには、自分で勝手に推測しないで、相手に決めてもらうのがいい。
 なお、恋人である女性にプレゼントするなら、いっしょに買い物に行くのが一番いいだろう。「プレゼントしたいから、いっしょに買物に行ってくれない?」と。
 すると、相手の女性は、「自分の好みのものを自分で選べる」というショッピングの楽しみも味わえる。本当を言えば、女性は、買物の商品よりも、買物の過程の方が楽しい、と言えるほどだろう。あれかこれかと迷う過程が楽しいわけだ。
 というわけで、クリスマスのプレゼントに悩んでいる男性は、プレゼントの内容を勝手に決めないで、いっしょに買物に行くことをお勧めします。こっちが決めていいのは、商品の種類だけだ。例。「装飾品」「衣服」「鞄」など。
 なお、こっちがすべて決めていいものも、一つだけある。それは「婚約指輪」だ。ただし、オーソドックスなダイヤモンドの指輪に限る。風変わりな品は駄目。
( ※ なお、もともと資金に余裕があるのが、前提だ。貧乏な人は、勝手に決めてはいけません。貧乏ならば、あらかじめ彼女に相談しましょう。)

 [ 付記 ]
 ただし、以上のことは、あらゆる女性に当てはまるかどうかは、保証の限りにあらず。場合によっては、強引にあれこれと男の方から決めてもらった方がいい、という女性もいるだろう。優柔不断な女性だと、そういうふうになりがち。
 私の場合は、「何でも自分で決めたがる」という気の強い女性しか、相手にしたことがないので、当然ながら、「相手に決めてもらう」というふうになる。
 ま、ケース・バイ・ケースですね。ただ、今の世の中、女性が強いし、「何でも自分で決めたがる」という気の強い女性がとても多いようですね。


● ニュースと感想  (12月09日)

 「麻生太郎と しょこたん」について。
 麻生太郎が首相になるなら、しょこたんが首相になってもいいだろう。  (^^);
 麻生首相の支持率が急低下していてる。朝日と毎日の世論調査で判明。読売でも似たような調査結果が出ている。( 朝刊 2008-12-08 )

 さて。それとは別の話だが、麻生太郎は新聞を読めないようだ。「読字障害ではないか」という話題を先に述べた( → 11月27日 )のだが、どうやら本当に漢字を読めないらしい。
 麻生首相は、「新聞は極力読まないようにしている」と発言したそうだ。私は知らなかったが、そういう発言があったという。ネットでも検索できるが、特に次のサイトに引用文がある。
   → ブログ1ブログ2
 
 ここでは、「新聞は極力読まないようにしている」という発言が紹介されているが、「新聞を読むと情勢判断を誤るから」というのは、理屈になっていない。カップラーメンの値段も知らないし、民意も知らない。「民意を知らないことで正しい判断をできる」と思うとしたら、よほどの阿呆だろう。まともな頭ならば「民意を知った上で自分の判断をする」となる。
( ※ ひょっとしたら、新聞というものを「報道機関」でなく「主張機関」と思っているのかもしれないが、まさか、それほど馬鹿ではあるまい。たしかに主張もあるが、大部分は報道であるからだ。たとえば、「麻生首相の動向」とかね。)
 
 要するに、「新聞は極力読まないようにしている」ということの理屈は成立しない。アホウ首相あならば、そうおもうのも仕方はないが、それほどのアホウでもあるまい。となると、理由はただ一つ。「読めない」のが真実だが、「読めない」とは言えないから、取りつくろって、「読まない」と言っているのだ。
 麻生首相は、漫画が大好きで、たくさん読んでいるが、「漫画を読むと、民意がわかる」と思っているわけではあるまい。「漫画ならば読める」から、漫画を読むのだろう。というより、「漫画しか読めない」から、漫画だけを読むのだろう。

 ただし、漫画にも、文字はある。だから、典型的な「読字障害」とは異なる。
 では、なぜ、漫画の文字は読めるのに、新聞の文字は読めないのか? ── ここまで考えれば、理由はただ一つだとわかる。漫画の文字は、「ふりがな」を振ってあるから読めるのだ。
 それが真相だろう。

 となると、麻生太郎の問題は、読字障害というレベルの問題ではなくて、もうちょっと高度な脳の問題だ、とわかる。読字障害というのは、パターン認識レベルの問題で、脳の機能障害の一種なのだが、麻生首相の場合は、「勉強が良くできない」というレベルの問題であって、つまりは「頭が悪い」というレベルの問題なのだろう。特に、「国語だけが良くできない」というような。
 こういうことは、知能指数の低い人には、よく見られる。ただし、知能指数が低い人だと、脳のレベルが全般的に劣るのだが、麻生首相の場合は、国語力の面でことさら脳のレベルが劣っているようだ。
 ただし、こういうのは、もはや「知識人」とは言えなくなる。一国の首相になるだけの器ではない。むしろ、コンビニでレジをやるとか、ガソリンスタンドでガソリンを入れるとか、そういう商売をするべきでしたね。……ま、たまたま親が大金持ちだったから、社長という仕事に就けたが。(社長という職は、無能でもできるから。副社長以下の職は、そうではないが。)
 とはいえ、ここまで見ると、社長と同じく、首相という役にも就けるのだろう。ただし、その会社や、その国は、とんでもないことになるが。

 さて。ここで話を転じると、似たようなのに、しょこたんがいる。しょこたんもまた、変な言葉を使って、まともに日本語を使えない感じだ。ただし、麻生みたいに、新聞を読めないわけではあるまい。
 それどころか、しょこたんには、別の長所がある。漫画がすごくうまい、ということだ。
  → しょこたんの漫画 その1その2
 うまいですねえ。びっくり。そこいらのプロよりも、ずっとうまい。プロの漫画家で、このレベルに達している人は、半数以下だ。
 
 だったら、麻生首相よりも、しょこたんの方がいい。しょこたんを首相にした方がいいですね。自民党は、しょこたんを党首にするべきだ。そうすれば、次期選挙で、勝利できるだろう。しょこたんで、しょうり。   (^^);


● ニュースと感想  (12月09日b)

 新常用漢字について、読売の社説(珍説?)があったので、コメントしておこう。
  → Open ブログ 「新常用漢字と読売社説」


● ニュースと感想  (12月10日)

 (1)
 雑誌 Newton に、Q&A がある。読者の質問と、それへの回答。
  → Open ブログ 「科学雑誌 の Q&A 」

 (2)
 下村脩と中村修二に、共通する点がある。「装置を自作する」ということだ。
  → Open ブログ 「独創性と道具」


● ニュースと感想  (12月11日)

 「GTR の価格」について。
 日産 GTR の価格が上がった。新型モデルは 84万円のアップ。( → ネットで検索するとわかる。)
 さて。この理由は? 日産は
 「スーパーカーは1馬力上げるだけでも多額のコストがかかる」
 と述べている。( → 出典
 もちろん、これは嘘。あちこちのサイトで「嘘付くな」と批判されている。
 で、本当の理由は? 人々の推測は:
  ・ 原材料価格の値上げのせい
  ・ 値上げしても売れるから値上げする
 というものだが、どちらも妥当でないだろう。
  ・ 原材料価格は円高のせいでかえって下がっている。どうせ原材料を言うなら、他社種もいっせいに上がってもいい。
  ・ 値上げしても売れるから、という理屈で値上げするのは、日本企業らしくない。客の反発を食う。

 では、正解は? 私の推測は、こうだ。
 「急激な円高のせいで、欧州価格が激安になってしまったから、整合性を取るため」
 ちなみに、昨年の販売価格は、777万円。一方、現在の欧州価格(英国)は、値上げ後ですら、778万円。ぴったり。
 出典は → 英国サイト通貨換算
 
 欧州価格を 778万円にするために、現在の価格にしたんでしょう。もし値上げしないと、今年の GTR の欧州価格は 700万円になってしまう。それだと、国内の既存ユーザーが怒り狂う。「1年でこんなに値下げするなんて、ふざけている。しかも、英国で? 冗談言うな。おれたちを馬鹿にするな」と怒り狂う。そこで、値上げしたんでしょう。
 ま、値上げしても、誰も文句は言わないが、大幅値下げをすると、ブランド価値が失墜する。それはまずいですからね。

 あと、国内のユーザーは、もともと眼中にないのかも。「輸出をうんと増やすから、国内では買わないでくれ」というつもりなのかも。「海外で日産のブランドを確立するのが最優先。国内ではもうこれ以上のGTR神話は必要ない」ということでしょう。

 これがまあ、企業の論理ですね。ただ、正直にそう語ると、反発を食うから、嘘ついて、「馬力がアップしたからですよ」と言葉を飾るわけだ。
 
 教訓。
 大人の世界では、嘘が出回る。正直に物事を語る商売人はいない。商売人の言葉を信じるなかれ。

( ※ 口先にだまされるのは諏訪内さんだけじゃない。  (^^);  )


● ニュースと感想  (12月12日)

 2009年版。年賀状の画像。牛のイラスト。
  → Open ブログ 「年賀状の画像(牛)」


● ニュースと感想  (12月12日b)

 昔、NHKの「ものしり博士」という番組で、「ケペル先生」というのが登場した。そこでは次の言葉が流れた。
 「 ♪ 何でも考え 何でも知って 何でもかんでもやってみよう 」
 ここから科学的な教訓が得られる。
  → Open ブログ 「ケペル先生の教え」


● ニュースと感想  (12月13日)

 独創的な業績をなすためには、「間違える勇気」が必要だ。間違いを恐れていては、独創的な業績はなせない。
  → Open ブログ 「間違える勇気」


● ニュースと感想  (12月15日)

 小林秀雄の「無常という事」は、難解をもって知られる。そこで、そこに何が書いてあるかを、わかりやすく示そう。
  → nando ブログ 「「無常という事」解題」


● ニュースと感想  (12月18日)

 「無常という事」解題(前出)に、【 追記 】 を加筆した。
  → nando ブログ 「「無常という事」解題」 の 【 追記 】


● ニュースと感想  (12月19日)

 ストリートビューについての新聞記事(読売)。
 たいした話ではないのだが、簡単に紹介しておく。
 (高校生のキス画像などの話題。)
  → 「ストリートビューの記事(読売)」


● ニュースと感想  (12月22日)

 「環境保護を大切にしよう」と唱えるあまり、自分や社会を破壊する馬鹿がいる。妄想にとらわれ、莫大な金を費やすせいだ。
  → Open ブログ 「環境馬鹿」


● ニュースと感想  (12月23日)

 デジカメの話。(カメラマニア向け。)
 デジカメの性能を劇的に向上させるようなソフトがある。その機能の名称を HDR (ハイダイナミックレンジ合成)と呼ぶ。
  → Open ブログ 「HDR (と Photomatix)」


● ニュースと感想  (12月23日b)

 「円高の状況と意味」について。
 円高になった、という話題があるが、それについてのデータを二つ。

 (1) 欧州の為替レート
 欧州と比べての円レート。この5年間、ずっと上昇基調にあったが、最近になって、急激に低下した。特に、英ポンドは変化の度合いが大きい。
 ユーロ・円のレート(5年間)
 英ポンド・円のレート(5年間)
 日本企業は、輸出して為替差益を大幅にむさぼってきたが、もはやそれも不可能。

 (2) 貿易赤字
 11月の貿易収支が大幅赤字になった。8月以来。
   → 読売のサイト
 「黒字の是正のために円高になる」というのとは別のことが起こっているわけだ。赤字であっても、円高になるわけだ。
 ちょっと経済学の常識に反する感じ。どうして円高になるかというと、日本よりも米国や欧州の悪化の度合いの方がひどいからだ。

  ̄ ̄ ̄
 (2) は何を意味するか? 現在の状況が 世界恐慌になりかけている、ということかもしれない。そのくらい、ひどい状況だ。
 となると、世界恐慌を避けるための経済政策が是非とも必要だ……と言えるだろう。
 だが、私がこう言うと、
 「そんなこと、いちいち言わなくてもわかっている」
 と思う読者も多いだろう。しかし、現実は、どうか? 政府とマスコミの方針は、次のことだ。
 「財政再建のために、消費税を上げよう」
 つまり、
  ・ 政府は「消費税を上げる」という方針を決めようとしている。(各紙報道)
  ・ 読売社説も「消費税を上げよ」と論じている。毎度のことだが。

 だが、消費税を上げれば、景気は悪化する。
 こうして、景気拡大どころか、景気悪化をもたらそうとする。経済を地獄の底に突き落とそうとしている。
 日本政府が何をしようとしているか、また、日本政府が現状をどう認識しているかを、よく理解しよう。
 ついでに言えば、マスコミは、現実認識があまりにも甘すぎる。「痛みを分かちあおう」と唱えている。つまり、「問題解決のためには、みんなで死ねば平等だ」という発想。
 タイタニックみたいな船が沈没しそうなときに、「底の抜ける穴をふさげ」と叫ぶかわりに、「全員でボートに乗って、定員オーバーにして、全員で溺れ死ねばいい」という方針。


● ニュースと感想  (12月24日)

 「医師不足」について。
 現状では、医師不足(特に産科医不足)があると言われている。しかし、これは大嘘であるようだ。
 NHKの9時のニュース( 2008-12-23 )によると、女性医師はどんどん辞めているという。理由は、出産のためだが、もっと重要なのは、出産後の復帰の制度がないせいだという。つまり、赤子や児童の保育施設がない。だから、医師の現場に復帰できない。
 逆に、一部の病院では、赤子や児童の保育施設があるので、女医さんが復帰できているという。しかしながら、そのような病院は、ごく限られているようだ。また、復帰する女医さんに対して、ブランクを補う研修制度も必要だが、そういう研修制度を用意している病院も少ない。

 結局、不足しているのは、医師ではない。次の二点だ。
  ・ 赤子や児童の保育施設
  ・ ブランクを補う研修制度
 この二点が足りないわけだ。だから、「医師不足を何とかせよ」と騒ぐときには、「研修医を地方に強制的に振り分ける」というような策ではなくて、上記の二点を拡充すればいいわけだ。
 政府がこれまで示した方針は、「研修医を地方に強制的に振り分ける」というような策だが、これは、ただの「配分の変更」にすぎない。そのことで、地方の不足は緩和されるが、都会の不足はいっそうひどくなる。そのときになって、「地方から都会へ」という方針を出しても、何にもならない。愚の骨頂。
 問題は、配分の変更ではない。「休んでいるものを稼働させること」なのだ。……そして、これは、今の「不況」という状況と、まったく同様の原理である。

 今の不況に際して、政府の馬鹿な連中は、「自動車産業が苦況だから、自動車産業に援助しよう」と考えているようだ。しかし、そうすれば、自動車産業が救われるかわり、他の産業が苦況になるだけだ。なぜか? 国民全体の「総所得」が同じだからだ。
 例示的に示そう。ある家庭の所得が年収 400万円から 300万円に減った。そこで、仕方なく、自動車を購入する予定をやめた。そこで政府が「自動車購入促進の補助金」を出すことにしたので、大急ぎで、ローンで自動車を買い換えることにした。しかしながら、その結果、液晶テレビやパソコンなどを買うのを辞めることが必要になった。結果的に、自動車業界の苦境は緩和されたが、その分、家電業界やIT業界の苦境はいっそう増した。
 
 結論。
 配分の変更など、いくらやっても、全体の苦境を改善することはできない。自動車業界を救って他の業界を苦況にしても駄目だし、地方を救って都会を苦況にしても駄目だ。
 大切なのは、全体の容量を増やすことだ。医師ならば、現場で働く意志の総量を増やす。経済ならば、日本全体の国民所得を増やす。(i.e. 減税をする。)
 こういう基本原理もわきまえないで、「配分の最適化を」といくら唱えても、そのような古典派的な主張は、何ら状況を改善しないのだ。
 そして、そういう愚かな道を取って、泥沼状態になっているのが、現状だ。日本政府が今やっていることは、何か? 次のことだけだ。
 「三年後には景気が回復すると予定して、その予定に従って、消費税の増税を決める」

 比喩的に言えば、次のことと同じだ。
 「三年後には給料が回復すると予定して、その予定に従って、借金の返済をサラ金業者に確約する」
 そのとき、確約の条件は、「もし守らなかったら、何でも差し上げます」ということだ。たとえば、「女房を差し上げます」ということだ。……しかし、そんなことを確約して、大丈夫なんですかね? 狂気の沙汰だとしか思えないが。


● ニュースと感想  (12月24日b)

 「英語で英語を」について。
 「英語で英語をお教える」という方針が出された。それに対して、批判も出た。
 文部科学省は22日、13年度の新入生から実施する高校の学習指導要領の改訂案を発表した。「英語の授業は英語で行うのが基本」と明記。 ( → 朝日新聞

 いきなり英語で授業、と言われても現場は混乱するばかりだ。使える英語を身につけるためには、どうすればいいのか。そのために英語教育をどう変えるべきなのか。その道筋と環境作りを大枠で整えることが先決であり、文科省の仕事ではないか。 ( → 朝日新聞・社説
 批判は、もっともだ。朝日の別の記事では、教師が「どうしたらいいか」と頭を抱えているという。できもしないことを「やれ」と言われても、困るのが当然だろう。

 実を言うと、政府の方針には、根本的な勘違いがある。
 「英語で教える」というのは、悪くない。しかし、「英語で英語を」というのは、循環になってしまっている。これだと、「英語発音の不得意な教師」や「英語ヒアリングの不得意な生徒」にとっては、「以後の教育がすべてわからないものになる」という蟻地獄に陥ることになる。つまりは、「英語教育がなくなくなる」(わけのわからないものだけがある)ということだ。
 だから、「英語で教える」という方針はいいにしても、それで教える内容は「英語」であってはならないのだ。「英語で数学を教える」とか「英語で社会科を教える」というのなら、まだいい。しかし、「英語で英語を教える」というのでは、いきなり「アラビア語でアラビア語を教える」というようなもので、ちんぷんかんぷんになりかねない。
 実は、英語で教えるべきことは、数学などの他教科よりも、日常生活だ。具体的に言えば、 verb や adjective という文法用語を英語で教えればいいのではなく、日常の社会生活で必要な言葉を教えればいいのだ。「英語で英語を教える」という方針で、 verb や adjective という文法用語を英語で教えても、ほとんど意味がない。
 ま、「英語脳を作る」という意味では、日常英語を英語で教えるのは、役に立つ。英語をいちいち日本語に翻訳しないで英語のままで理解する、というのは、確かに役に立つ。そういう教育はあってもいい。だから、
 「英語の授業は英語で行うこともある
 という方針ならば、何も問題はない。しかしながら、
 「英語の授業は英語で行うのが基本
 というのでは、あまりにもメチャクチャすぎる。「習うより慣れろ」とか「ネイティブと同じにせよ」という発想に毒されすぎて、考えが歪んでしまった。

 比喩で言おう。
 子供に水泳を教える。通常、息継ぎやら、バタ足やら、初歩から少しずつ進める。一歩一歩、少しずつ教えていく。もちろん、基本的には、水中で足は立ったままだ。9割の時間は立っており、1割の時間で浮く練習をするだけだ。
 ところが、愚かな教師は、次の方針を出した。
 「水泳の練習は水中で行うのが基本」
 「習うより慣れろ。水中に放り出せば、自然に泳げるようになるはずだ。ネイティブの魚と同じである」
 この方針のもとで、生徒を太平洋の真ん中に放り出した。結果的に、生徒はみんな溺死してしまった。
 そのあとで、教師は首をひねった。「どうして失敗したんだろう? わけがわからない。ま、実験は失敗したようだ。今後は方針を元に戻そう」
 しかし、方針を変更しても、溺死してしまった生徒の命は戻らない。実験のいけにえになった生徒は、どうなるんだ?
 先の「ゆとり教育」を思い出そう。「教育を減らせば減らすほど、生徒は自分で考える力が身につく」という実験は、大失敗に終わった。そこで何年もたってから方針は変更されたが、その間の生徒は大幅な学力低下という被害をこうむった。
 今ふたたび、第2の「ゆとり教育」が行なわれる。政府の馬鹿さ加減は、どうしようもない。


● ニュースと感想  (12月25日)

 「高層ビルと都市計画」について。
 ドバイでは高層ビルが乱立している。しかし、交通渋滞がひどくて、数キロ進むにも、1〜2時間かかることがざらだという。(朝日・夕刊・2面コラム 2008-12-24 )
 この速度は、だいたい人間があるくのと同程度、ということだろう。
 なお、参考に、ドバイの画像を示す。
   → 画像1画像2

 この問題は、どうして起こったか? 朝日はこれを、「インフラ整備が都市開発に追いつかない」と説明している。しかし、そういう問題ではあるまい。
 そもそも、高層ビルの集中とは、何か? 人口密度が非常に多大になるということだ。とすれば、道路の交通量も多大になる。ところが、ビルは高層化されても、道路は高層化されない。とすれば、渋滞が多発するのは、必然なのだ。そして、これは、「インフラが整備されない」というような問題ではない。高層化がものすごく進めば、どんなに道路が整備されたって、渋滞が起こるのは避けられないのだ。(道路を高層化するなら別だが。……そんなことはありえない。)

 さて。ここで、話を日本に戻す。(これまでは前フリだ。ここからが本題だ。)
 日本ではどうなっているか? ひところ、日本でも「交通渋滞がひどい」というふうに言われていた。さもありなん。六本木ヒルズを始め、あちこちで高層ビルがどんどん増えていったのだから、交通渋滞が増えて当然である。
 しかしながら、昨今、交通渋滞がとても緩和されてきている。「最近では道路がすいていて、渋滞がなくなった。おかげで、所要時間は減るし、燃費は良くなるし、とてもありがたい」という声が聞かれる。( → 前出
 これは、「景気悪化」や「ガソリン価格高騰」にともなって、「ガソリン代節約」を目的に、交通量が減っているからだ。「景気悪化」や「ガソリン価格高騰」は、悪いことばかりではなくて、「渋滞を減らす」という好ましい結果をももたらすわけだ。この「渋滞の現象」は、一国における無駄を多大に減らして、生産性を向上させる効果がある。

 ところが、である。ここで、「自動車産業を救うために、自動車について減税しよう。自動車をどんどん増やそう」という政府の動きがある。( → 前々項
 これは、馬鹿げているね。世間がせっかく、無駄をなくす努力をして、渋滞を緩和しているのに、その効果を皆無にしよう、というわけだ。
 「無駄に自動車を走らせることはやめます。遊びのドライブもやめます。そのおかげで、省エネは推進され、排ガスは減り、交通事故も減り、渋滞は減ります。すべて、いいことずくめ」
 という状況ができているときに、
 「無駄に自動車を買いましょう。不必要な運転をしましょう。ガソリンを浪費し、排ガスを増やし、交通事故を増やし、渋滞を増やしましょう」
 というわけだ。

 馬鹿丸出し。そして、政府がこういう馬鹿丸出しをやっているときに、それを批判するどころか、「自動車産業は大切だ」というキャンペーンを張っているお馬鹿連中が、マスコミだ。
 政府やマスコミは、やるべきことを間違えている。やるべきことは、ほかにあるのだが。( → 前々項)


● ニュースと感想  (12月25日b)

 「飯島愛と ageha」について。
 飯島愛が死亡した。自殺の可能性があるという。
 この人のことは、個人的な事情があるから、特に言及しないでおこう。そのかわり、似た事情にある人々を紹介しておこう。

 最近、「アゲハ嬢」というのが話題になっている。派手な化粧をしたキャバクラ嬢のことらしい。「小悪魔ageha」という雑誌が主導しているせいで、そういう名称が突いているらしい。
 こんなのは世の中のマイナーな話題になっていいのだが、最近では、朝日の記事になることもあるし、つい先日は読売のノートパソコンの広告で大々的にカラーで紹介されていた。

 こういうのを見ると、「派手な浮かれた女だな」と思うだろう。ところが、現実はそういう浮かれた話ではないようだ。彼女たちは、遊びたくてキャバクラ嬢をやっているのではないらしい。バブル時代の人間とは違う。では何かというと、貧しさのあまり、そのくらいしか、生きる道がない、ということらしい。
   → 雑誌「小悪魔ageha」からの引用 06月号11月号
   ( cf. アゲハ嬢の写真

 つまり、「お金がなくて進学できずにキャバクラ嬢に」という感じである。「そのなかで必死に金を稼ごうとして化粧もはで派手にする」ということらしい。……生物学における「性淘汰」の話を思い出しますね。クジャクの羽がどんどんきれいになる、というような話。(鳥の場合はオスがきれいになるが、実状は同様だろう。)

 で、何が言いたいか? 進化論の話か? そうじゃない。経済の話だ。
 今の不況下では、「ワーキングプア」が話題になる。たいていは、金のない若者として男子が話題になる。しかし、同様のことは、女性にも当てはまるのだ。男子ならば、ドヤ街などが話題になるが、女性ならば、キャバクラなどの水商売が話題になる。才能はなくても若さと美貌がある、という人だと、キャバクラなどに勤めるようになるわけだ。
 そして、それを批判することはできまい。なぜなら、それ以外に、就職先がないからだ。かといって、無職(家事手伝い)でいるわけにも行かない。自分の父親もまた失業中、というようなことが多いからだ。
 
 要するに、今日の日本がこういう状況にあるのは、「モラルが荒廃した」というような問題ではなく、「経済が荒廃した」という問題なのである。
 そして、その状況も理解しないで、無為無策ている日本政府とマスコミには、まったく呆れるね。
 特に、朝日はひどくなった。小泉政権のころは、「不況を解決するにはどうしたらいいか」という経済学者の意見をたくさん掲載して、スティグリッツの意見なども掲載していたのに、今では皆無である。情報量が非常に低下・悪化している。
 マスコミもまた、「貧すれば鈍す」になってきている。コストダウンばかりが進んで、どんどん質が悪化している。米国のビッグ3が話題になっているが、日本の政府やマスコミもまた、米国のビッグ3と同様の状況になっているのだ。(つぶれた方がマシ、かもね。)


● ニュースと感想  (12月26日)

 (1)
 HDR をハードウェア的に内蔵したデジカメがあると、とても有益だろう。
(デジカメ・メーカーへの提案 …… みたいな話題。)
  → Open ブログ 「HDRカメラ」

 (2)
 「考えることが大事だ」と先に述べた。
 ただ、それとは逆に、「考えない方がいい」という教育がある。それは「マークシート」を使う教育だ。現代の人々は、そういう教育の影響をこうむっている。
  → Open ブログ 「考えない教育(マークシート世代)」

 (3)
 朝日が次の趣旨の社説を書いた。
 「不況のなかで、外国人労働者(特に日系人)は、とても困窮している。彼らを救え。それが人道的な立場だ」
 これについて論じる。
   → nando ブログ 「外国人労働者の本質」[ 付記7 ]


● ニュースと感想  (12月28日)

 (1)
 若い女性の裸体画像の流出事件が起こった。Winny による漏洩。
 今回の事件では、 Google も一役買っている。
   → 「裸体画像の流出」

 (2)
 「Why?」という質問に対して、「How many?」への回答をする人がいる。「なぜそうなるの?」に対して、「これこれの値になります」と答える。
 トンチンカンな回答だが、工学系の人には、こういう回答をする人が多い。
  → Open ブログ 「Why と How many」


● ニュースと感想  (12月29日)

 (1)
 前日分に、【 追記 】があります。
 台湾の美人女優(ジリアン・チョン)のエッチ画像が大量に流出した、という話。Google でそのエッチ画像も見える。
   → 「裸体画像の流出」 の後半にある  【 追記2 】 を参照。

 (2)
 パソコン用のソフト(特にフリーソフト)の ベストを示す「窓の杜大賞」の2008年版を紹介する。
  → Open ブログ 「パソコン用フリーソフト」


● ニュースと感想  (12月30日)

 (1)
 Amazon の「Wish List」で情報漏れの恐れがある、という話があった。それについてコメントしておこう。
  → Open ブログ 「Amazon と bk1」

 (2)
 英米の道は、日本の道とは、違う観念で認識される。そのことを示す。
  → Open ブログ 「英米の道路」

 (3)
 ストリートビューについての海外の論調を紹介する。
 ( ※ 海外ではストリートビューのプライバシー侵害はどう論じられているか、という話題。 英文) 
  → 「ストリートビューと海外の論調」


● ニュースと感想  (12月31日)

 (1)
 Google (特に日本支社)という会社は、社会性が欠落している。なぜか?  常々疑問に思っていたが、Google の社員の顔を見てわかった。バカ面ばっかり。
  → 「Google のバカ面」

 (2)
 欧州では、ストリートビューはどう論じられているか?  実は、論じる以前に、欧州では ストリートビューそのものがない。(ほとんどない。)
  → 「 欧州のストリートビュー」

 (3)
 罰としてのボランティアを刑事犯罪者に施そう、という制度が導入されるらしい。しかしこれは、物事の本質を誤るもので、非常に有害である。
  → nando ブログ 「罰としてのボランティア」





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「泉の波立ち」
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